- 1二次元好きの匿名さん25/07/07(月) 00:24:25
- 2二次元好きの匿名さん25/07/07(月) 00:26:40
私は今、ココナで最も過酷している。
地球上で今、最もココナで過酷している。
何故なら、私のそれは一回につき三十秒で完了するからだ。 - 3二次元好きの匿名さん25/07/07(月) 00:28:38
イロハ書き込んだ者だがええんやで
ちなみにその本は聖書と呼ばれてたりして笑ってしまった
多分その作者がココナで描いたら恐らく自分は枯れて死ぬ - 4二次元好きの匿名さん25/07/07(月) 00:30:03
教官エ駄死本!?
- 5二次元好きの匿名さん25/07/07(月) 00:30:29
このレスは削除されています
- 6二次元好きの匿名さん25/07/07(月) 00:32:19
そもそも何故このような形の過酷が成立してしまったのか。それを振り返ってみよう。
私の過酷生活が門を開いたのは小3の時だった。
だがその前に、私は勃〇を発見した。
私の過酷棒は齢9にして、しかしニュートンが万有引力を発見してから早330年が経とうとするこのころ、初めてそれに抗う方法を知ったのである。 - 7二次元好きの匿名さん25/07/07(月) 00:39:31
ちなみに勃〇を性に目覚めていなかった同級生や親に報告してしまった話はのちのち。
勃〇を発見してからは早かった。先ほど勃〇を発見させてくれた立役者コウノトリを見ていた時に、偶々大きくなったそれを触ったのだろう。揉むと気持ちいい。それに気づいた。また揉み続けることで「果てる」タイミングがあることが分かった。
ちなみに未だ精〇は出なかった。
ただただ、無心で揉み続けた。揉んで、揉んで、揉んだ。
この後オカズは名探偵コナンに移ったり、録画していたとなりのトトロにたまたま入っていたAKBのぷっちょのCMに移ったり、親のPCでアニメの吐血シーンで抜いたり、男で抜いたり、同級生で抜いたり、多岐にわたった。 - 8二次元好きの匿名さん25/07/07(月) 00:41:19
情報量が多い!
- 9二次元好きの匿名さん25/07/07(月) 00:43:43
そんな過酷な人生に革命が起きたのはすぐだった。
このころ、親の隣で寝ていたので親が寝たであろう後に息を殺して過酷していた。気が高ぶりすぎて声が出てしまい、親に泣いているとよく勘違いされ、いじめを疑われた。
このころはよく親と会話しながら過酷していた。コタツの中でうつ伏せになり、首だけ出して下は棒を揉む。
その時。何かが出たのだ。
おしっこだ。
そう思い、急いでトイレに駆け込んだ。
…パンツが何やら白い。
それが射〇の瞬間だった。普通の小学生は朝起きたら射〇しているというが、私はそれが始まりだった。
これは過酷に気持ちよさ、という概念を追加した。それを出すことが一つのゴールとなったのだ。 - 10二次元好きの匿名さん25/07/07(月) 00:45:50
パンツに出した白色沈殿は拭き取ることもなく、洗濯機に飲み込まれていった。
今も昔もそれは変わらない。
親にはまだ言っていない。 - 11二次元好きの匿名さん25/07/07(月) 00:59:02
このころ、射〇というゴールが存在しだしたことで少し過酷の回数が減った。
しかしそれが一変したのは小学校高学年だった。このころとっくに性に目覚めていた友達はオ〇ニーだ、セ〇クスだ、と友達に触れ回っていたが、俺は人面は(まだ)よかったので、そっかそっか~と言いながら、俺はそれをやっている、というマウントを心の中でとっていた。
過酷回数の変化、その要因は2つある。
1つは女子の成長期である。
リアルゴールドのカバーについていた綾崎ハヤテで抜いたりもしていたが、しかしこれはあくまで女らしかったからであり、男で故意に抜くのはさらに未来のことでこの時の私には知る由もない。
というわけで異性愛をしていたわけなのだが、このころ女子が成長期に入ってしまった。奥野さんという人の、発展途上π^2がたまらなくシコリティが高かった。この人のせいで、この人のπ^2のせいで俺はロリコンになった。許していないので俺と二百三十一重婚してほしい(ブルアカの生徒は226+fox小隊4)。 - 12二次元好きの匿名さん25/07/07(月) 01:00:16
- 13二次元好きの匿名さん25/07/07(月) 01:02:24
>綾崎ハヤテ
お、おう
- 14二次元好きの匿名さん25/07/07(月) 01:03:38
- 15二次元好きの匿名さん25/07/07(月) 01:04:15
前置きだけでもう既にお腹いっぱいです...
- 16二次元好きの匿名さん25/07/07(月) 01:07:33
あっ、もしかして奥野さんの発展途上π^2がココナちゃんぐらいだったりした?
π^2ってなんだよ - 17二次元好きの匿名さん25/07/07(月) 01:11:28
2つ目は3DSのインターネット機能である。
スマホもPCも持っていなかった私は、
PIXIVこそ見れなかったが、PIXIV年鑑(β)というのは見れた。
ところで、先述したAKBのぷっちょのCMは、私を百合をにした。このころは、女児単体か百合でしか抜けなくなっていた。私の過酷棒にとって、すべての男は邪魔だったのだ。
このような明確に「オカズ」と呼べるジャンルができ、またそれを見るリソースもそろったことで、私の興奮ボルテージはより上昇し、より過酷回数は増えた。1日7回はやっていたと思う。夏は汗だくで過酷し、それがかっこいいと思っていた。 - 18二次元好きの匿名さん25/07/07(月) 01:13:06
- 19二次元好きの匿名さん25/07/07(月) 01:15:27
まだ人生中盤
- 20二次元好きの匿名さん25/07/07(月) 02:07:24
さて、このように、「死と愛」を射〇のテーマとしていた自分がする妄想は決まっている。
小6になり、初めて塾に入った。そこでの過行く日々はもう、射〇三昧であった。
元々成績が良く上のクラスを抜いてトップの成績を取ることもあったため、家では基本勉強せず、朝から夜まで過酷棒で遊んでいた。しかもコロナの学校閉鎖があり、暇だったのである。
このころ、女子の心中の妄想が非常に捗った。
このころ人生で四番目の好きな人ができ、その人でもちろん抜くわけだが、これが初めて抜いた好きな人となった。このころはまだ高身長、長い黒髪が好きで、そこまで性癖も歪んでいなかった。 - 21二次元好きの匿名さん25/07/07(月) 02:17:55
しかし小6の時は女子をπ^2で判別し、初対面はそこに目が行くなど、かなり終わっていた時代である。しかも天然キャラにあこがれあえて変人を演じた。それが染みついて抜けなくなったのが今である。
ともあれ、無事市の国立トップ校に進学した。家から徒歩10分ほどにあり、自分は徒歩通学だったが、バスや電車通学の人も多くいたこの学校は、私を掛け替えのない友達と出会わせてくれた学校である。大体学校内でも成績はよかったので、持て囃されていた。このころは人生が楽しかった。燦然と輝いていた。
しかしサックスにほれ込んだがチューバになり、まあなんだかんだ吹奏楽部に入った自分は、中1は平和に過ごしたが、7人好きな人ができるなど、恋愛は大進展した(誰とも付き合えはしなかった)。このころは塾のトップクラスに入り、夜は塾漬けだったため、平日に発散する回数は減った。しかし部活が緩く土曜の午前中しかなく、塾も夜からだったため、その間に発散したりした。このころ人生を変える女子と出会う。同じ吹奏楽部のユーフォパートだったのが彼女だ。
しかし家の前で笛を吹いたり盗撮をしたりというが〇ジプレーを行った結果、中2の冬、フラれてしまう。
その後4回にわたってフラれることとなる。