- 1二次元好きの匿名さん25/07/07(月) 22:50:34
- 2二次元好きの匿名さん25/07/07(月) 22:51:54
――人が火を扱い始めたのは暗闇を克服する為という説を聞いたのはいつだったか?
人は見ることで危険の有無を確認をする。そして、確認することで安心を得る。
日常生活ではなかなか自覚は出来ないだろう。事実プロデューサーもその一人だった。
しかし、現在彼は身を以てそれを理解する事態に巻き込まれた。
「ふふふ……いけない方……」
頭上から声が聴こえる。
笑っているはずなのに、その声は氷のように冷たく、聴いた瞬間背筋に悪寒が走った。
声の主――秦谷美鈴は手に持った耳かきを使いプロデューサーの耳を掃除していた。
一見すると仲睦まじい男女の光景に見えるが、しかしその実両者の心中は穏やかではない。
現に口調も表情もいつも通り美鈴だが、その目には光が灯っていない。
対して、プロデューサーの方も冷房が効いているはずなのに冷や汗が止まらない。更に言うならその体勢故に美鈴の表情が見れないことが拍車を掛けている。見えないというのは一種の恐怖なのだ。
膝枕をされて、耳かきまでしてもらっている。
男の夢の一つとも言えるものを受けているはずなのに……事実として色々と気持ちいいはずなのに……どうしてだろう、命の危機を感じるのは?
おそらくそれは、此処に至る原因に問題があったからだろう。 - 3二次元好きの匿名さん25/07/07(月) 22:51:59
コーヒー淹れてくるわ
- 4二次元好きの匿名さん25/07/07(月) 22:53:14
――遡ること一時間前。
プロデューサーはいつも通り事務所代わりの教室で仕事をしていた。順調に進み、あと少しで終わる所だった。
その時だった。ガラっと音を発て誰かが入ってきた。
「プロデューサー」
とはいえ、そもそも入ってくる者は限られる……というより実質一人だろう。
実際入室と同時に掛けられた声は美鈴のものだ。
「すみません、秦谷さん。あと少しで終わるので待っていてもらえますか?」
彼女が来た以上ミーティングまでそう時間はない。しかし、今やっている仕事の期限は近い。終わらせれるなら終わらせたい所だ。
「ふふ、お気になさらず。……何をしているのですか?」
集中している為か、目線をくれることなく言い放った言葉にしかし彼女は快諾してくれた。
そして、プロデューサーが何をしているのかが気になるのか近くに来て訊ねる。
(……ん?)
その瞬間何か違和感を感じたプロデューサーだったが、そんなことより今は眼前の仕事だ。 - 5二次元好きの匿名さん25/07/07(月) 22:53:35
待ち望んでおりました
ブラックコーヒー静注します - 6二次元好きの匿名さん25/07/07(月) 22:54:36
「以前お話しした仕事の一つです。先方の都合で期限が今日までになってしまいまして……」
キーボードを叩きつつ、掻い摘んで説明する。
取ってきた仕事の一つの期限が今日までであること。それがあと少しで終わること。
その他にも何か色々と聞かれた気がする。何やらいつもより饒舌なような……そう思いつつも何とか必要な書類を書き切り、メールで送信する。
「……はあ」
ようやく一息つけたプロデューサーは机に突っ伏しため息を吐く。
パソコンの画面の時計を確認する。どうにか当初予定していたミーティングまでの時間には間に合ったらしい。
無事終わったこともあり、いつもならここで美鈴がお茶を差し出してくれるのだが、
「――何を、しているのですか?」
代わりに、再度訊ねてくる美鈴の声が聞こえた。 - 7二次元好きの匿名さん25/07/07(月) 22:55:53
「……え?」
声の出どころが自分の近くではなく、教室の出入り口からだったことにプロデューサーは驚く。
顔をガバっと上げて見ると、そこには確かに秦谷美鈴がいた。一目見ただけで分かるくらいには不機嫌な顔でこちらを――より精確には自分の隣にいる人物を睨んでいる。
「……秦谷さん?」
すると今まで一緒にいた、『秦谷美鈴』だと思っていた人物は誰なのだろうか?
そう思い、彼女が睨んでいる先に目を向ける。
そこには、最近見慣れ始めたツインテールの少女が不敵な笑みを浮かべて笑っていた。
「賀陽さん!?」
賀陽燐羽。元『SyngUp!』のメンバーにしてリーダー。そして、この間の『N.I.A』の一件で美鈴や手毬と仲直りしたらしい少女だ。
「……ようやく気付いたのね」
そんな彼女は今更になって驚いているプロデューサーに呆れた目を向ける。
「プロデューサー。仕事に熱心なのは構わないけど、さすがに担当アイドルの様子くらい、ちゃんとその目で確かめなさい」
「…………はい」
至極真っ当なことを言われ、プロデューサーは申し訳なさそうに頷く。 - 8二次元好きの匿名さん25/07/07(月) 22:57:07
自分達のテリトリーである教室であったことや、仕事が忙しかったなどの理由は幾らでもある。しかし、だからと言って「担当アイドルと間違えていました」など担当プロデューサーとしてあるまじきことである。
……いや、そもそも燐羽が声マネをしなければよかっただけの話しなのだが……そこを指摘すると一瞬でも見れば分かることをしなかったプロデューサーにも非があるわけで……。
だからこそ、多少思う所はあれど燐羽からの叱責をプロデューサーは甘んじて受けるのだった。
「燐羽。わたしに隠れてなにをしていたんですか?」
小さくなっているプロデューサーを他所に、美鈴は燐羽を問い詰める。
二人の会話の流れから大体の予想はつく。燐羽が美鈴の声マネし、プロデューサーがそれに気付かなかったというシンプルな内容だ。
問題は何故そんな真似をしたのか、だ。
無断で声を真似された上、それでプロデューサーに何かしていたのならいくら仲間といえど黙っていられるはずがない。
冷たい声色からそれを感じ取った燐羽はため息と共に肩を竦めた。
「別に。ただ、あなたのような傲慢なアイドルをプロデュースしたがる酔狂なプロデューサーがどういったものか、改めて確認しにきただけ。私たち、二人きりで話す機会なんてなかったもの……ねえ?」
同意を得るかのようにプロデューサーに目を向ける。
それに対しプロデューサーは「そういえばそうだな」と思い首を縦に振った。
『N.I.A』ではあくまで『SyngUp!』三人の問題でしかなく、同じ学園の美鈴と手毬はともかく、極月学園に移籍していた燐羽と話す機会……それも二人きりの状況などなかった。
聞かれていた内容も、思い返してみれば美鈴との活動を振り返るようなものばかりだったはず。 - 9二次元好きの匿名さん25/07/07(月) 22:58:31
「まあ、それは……どうでしたか?」
燐羽が語った内容を聞くと、何故か美鈴の声から陰は消える。
寧ろ余裕とも取れるほど穏やかな声で燐羽に先を促す。
その態度に内心イラっとしつつも答える。
「『割れ鍋に綴じ蓋』……お似合いよ、あなたたち。だから安心しなさい、別に横取りする気なんてカケラもなかったけど」
端からそのつもりはなかったのだろうが、プロデューサーと話している内に胸焼けがしてきた。
そう感じるほどにこの男の美鈴への入れ込みっぷりは凄かった。
少なくとも並のプロデューサーだったら投げ出すレベルの事故物件なはずなのに、苦労しているのは端々から感じ取れるというのに、それでも楽しげに語る姿には畏敬の念を抱くほどだ。
「まあ……ふふ」
そして、その答えが分かっていたのか、美鈴は笑顔を浮かべる。
事実、彼女からするとプロデューサーが自分に向けてくれている感情は把握している上、裏切るような真似をしないのは分かりきっていた。
なんだかんだ互いを信頼しているのだろう。
「機会があったらまた話しましょう、 プロデューサー。あぁ、それと美鈴、ちゃんとレッスンしないと手毬に抜かれるわよ。一応忠告してあげる。じゃあね」 - 10二次元好きの匿名さん25/07/07(月) 22:59:59
そんな二人の様子に、燐羽は安堵したのかように息を吐くと、用事は終わったとばかりに去っていく。
何故わざわざ来たのか理由は分からない。以前言っていたように『SyngUp!』の溜まり場だから来たのか、単純にプロデューサーをからかいに来たのか、それとも……かつての仲間の現在の近況が気になっていたのか。
どちらにせよ当人にしか分からないことではある。
だが、どんな理由にしろ気軽に訪ねて来てくれたのは美鈴にとって喜ばしいことだ。
――それはそれとして、だ。
「プロデューサー。少し、お時間よろしいでしょうか?」
「………………はい」
燐羽が去った後の静かな教室に冷たい声が響く。
怒っている理由に心当たりがあり過ぎるプロデューサーは覚悟を決めるのだった。 - 11二次元好きの匿名さん25/07/07(月) 23:01:09
そして、冒頭の耳かきに戻る。
このような展開になった理由は単純だ。
『わたしとりんちゃんを間違えてしまうとは……プロデューサーはもしかして耳が詰まっているのでしょうか?』
まず最初に耳の不調を疑われ、
『それなら、わたしがお掃除いたしますね』
次に有無を言わさぬ手際の良さで諸々と用意され、
『――ええ、もう二度と、聞き間違いなんて起こさないよう、誠心誠意、心を込めて、綺麗にして差し上げますから』
最後に光の灯っていない目を向けられた結果である。 - 12二次元好きの匿名さん25/07/07(月) 23:02:15
あの目を向けられて『NO』を突き付けることができる人間がいるのだろうか?
少なくともプロデューサーはそういう人間ではなかったらしい。目に見える虎穴であろうとも彼女が『来い』と言うのなら行くしかない。拒否権などあるはずがないのだ。今回に限って言えばプロデューサーの方に非があるのだから……。
「プロデューサー、わたし怒っているんですよ。毎日聞いているはずのわたしの声を聞き間違えるだなんて……」
案の定、その件について触れてくる。
分かっていたことではある。理由はあれど間違えていたこと事実に代わりはない。
耳かきをされて物理的に耳は気持ちいいはずなのに、内心は耳が痛い。
言い逃れが出来ない事実に居心地はすこぶる悪い。美鈴の膝枕という極上の枕をしているも関わらず、だ。
「――あってはならないことです」
「…………すみません」
なんとも言えない二律背反を味わうこととなったプロデューサー。
心地良いのに居た堪れない状況とはこれ如何に。もしや新手の拷問なのだろうか? - 13二次元好きの匿名さん25/07/07(月) 23:03:39
「……むぅ。……本当に、わたしではないと思わなかったのですか?」
あまりに小さくなっているその姿に、美鈴も思う所があるのか、一つ質問をする。
如何に燐羽の声マネの精度が高く、仕事に熱中していたとしても何か感じることが一つや二つはあったのではないか?
そうでないのなら悲しい。悲しさのあまり“ついうっかり”手を滑らせてしまうかもしれない。
「いえ、違和感は感じたのですが……仕事のことで頭がいっぱいでしたので……」
だが、そこは彼女のプロデューサー。最悪の選択だけは回避する。
どうやら普段と何かが違うと薄々ながら感じていたようだ。
「違和感、ですか?」
「あ……」
美鈴が聞き返すと、プロデューサーは「しまった」とばかりに声を漏らした。
「ふふ、後学の為にそれが何か教えていただいても?」
「いえ、それは……」
「――プロデューサー」
「……はい」
言い淀むプロデューサーだったが、美鈴の恐ろしく冷めた視線に貫かれると抵抗をやめた。
そして、観念し『あの時』感じたことを素直に言う。 - 14二次元好きの匿名さん25/07/07(月) 23:04:58
「その……いつもと違う『匂い』だったので、それで違和感を感じました」
燐羽が近付いて来た時のことだ。いつも美鈴から漂う匂いとは違うそれに、プロデューサーは内心で首を傾げたのを覚えている。
とはいえ、あくまで匂いだ。状況により変わることもある。なにより美鈴も女の子なのだからそういうのを変えたい日もあるのだろう、と一人で納得したのだが……。
「………………」
「秦谷さん?」
気まずそうに言ったプロデューサーに反し、美鈴は露骨に表情が変わる。
その顔は怒っているというよりは、嫌なことでも思い出したかのようで……。
「……ちゃんとお風呂には入っています」
「え?」
拗ねるように口を尖らせプイっと首を逸らす。
もしや『匂い』という単語から体臭と勘違いしているのだろうか?
そのことに気付いたプロデューサーはフォローすべくより具体的な言葉を口にする。
「あ、そういうものではなく、おそらく……香水でしょうか?」
そう、プロデューサーが感じ取っているのはそれだ。
服に着いた洗剤や柔軟剤の匂いでも体臭でもない。より匂いに特化した感じで……思い浮かんだのは香水だった。
その単語を聞いた瞬間、合点がいったのか「ああ、なるほど」と美鈴は呟く。 - 15二次元好きの匿名さん25/07/07(月) 23:06:16
「はい。それなら確かにわたしもつけています。そうですか……プロデューサーはわたしの……ふふ」
『匂い』の正体が分かったからか、美鈴はコロッといつもの表情に戻った……どころか上機嫌だ。
体臭ではないとはいえ、彼女に関する匂いに触れているのだが、そこはいいのだろうか?
そう疑問を抱くが、今回の一件を鑑みると美鈴の独占欲はプロデューサーの想定を上回っていそうだ。それこそ聞き間違いを許さないレベルなのだから、もしかしたら『自分の匂い』をプロデューサーが覚えたことが嬉しいのかもしれない。
……そこで体臭は別、という辺り乙女心は複雑なようだが。
ちなみにまったくの余談だが、香水は体臭と混ざることで同じ香水でも人によってそれぞれの香りになるらしい。ここを指摘するのはやはり野暮なのだろう。そう思ったプロデューサーは一人静かにそのことは心の奥底に仕舞うのだった。
「どうでしょう、プロデューサー。今度のお休み、一緒にお出かけするのは?」
「? 俺は構いませんが……」
機嫌が治ったのは良いことだが、不意にお誘いに少し首を傾げる。
急ぎの用事は先程終わらせ、時間を取ることは可能だ。休みの外出に付き合うのくらいは余裕で出来る。そもそも担当アイドルの要望は、よほどなものでない限りは聞き入れるつもりだ。
だからその誘いを受けること事態は全く問題はないが……何故今?
疑問符を浮かべているプロデューサーに、美鈴は「ふふ」と笑う。
その笑顔はいつもとは違って見えた。例えば……そう、いたずらを思い浮かんだ子供のような……。 - 16二次元好きの匿名さん25/07/07(月) 23:07:33
「はい。実は香水を新調しようと思いまして」
「え……」
すると美鈴の口から放たれた言葉に、プロデューサーは嫌な予感がした。
「それで、プロデューサーに選んでもらおうかと」
「んなっ!?」
そして、それは的中することとなる。
あまりの内容に驚きついガバっと美鈴に顔を向けてしまう。
幸いにも耳かきを離していたタイミングだった為プロデューサーの耳は無事だが、当人の心境的にそれどころではない。
「これもプロデュースの一環……そうですよね?」
確かにアイドルが輝く為にファッション等にも口出しすることもある。衣装やメイクの人と話し合いも何回か経験している。そう考えれば別に香水を見繕うくらいおかしくはないはずだ……今まで話しの流れがなければ。
会話の流れからしてこれは明らかにプライベートで使う用だ。もちろん仕事で使う機会がなくないだろうが、比率としてはプライベートとして使う方が大きい。
そして、彼女の性格的にプロデューサーが選んでくれたものなら間違いなく付けるだろう。
そうなれば嫌でも『自分が選んだ香水』と意識せざるを得ない。それはなかなかに恥ずかしい。
更に言うなら男性から女性に香水をプレゼントするのは意味があるのだが……その辺りの理解はあるのだろうか? - 17二次元好きの匿名さん25/07/07(月) 23:09:01
「ふふ」
…………うん、ありそうだ。
以前の旅館での一件はあくまで、二人だけの密室空間だからまだ良かったのだが……さすがに今回は下手をすると周囲にバレて一悶着あるかもしれない。
そんな不安が頭を過ぎるものの――
「…………謹んでお受けします」
プロデューサー自身『そういった想いがない』とは口が裂けても言えず、何なら件の旅館でバレてしまったので答えは最初から一つしかないのだ。
「ふふ、今から楽しみですね、プロデューサー」
そうして約束を取り付けることに成功した美鈴はプロデューサーの耳かきを再開する。
ほんの少し前まで冬のように冷ややか空気を纏っていたが、今は春のように穏やかな、いつもの空気になっていた。
……いや、楽しみが増えたおかげかいつも以上のようだ。
「……はあ」
そんな担当アイドルとは対照に、プロデューサーは重いため息を吐くのだった。 - 18二次元好きの匿名さん25/07/07(月) 23:10:35
終わり
たぶんデート編はその内書きます - 19二次元好きの匿名さん25/07/07(月) 23:13:50
乙
ブラック淹れたのにクッソ甘いんだが - 20二次元好きの匿名さん25/07/08(火) 00:06:56
乙
香水のプレゼントって独占欲の表れだもんね - 21二次元好きの匿名さん25/07/08(火) 07:38:16
おつおつ
相手が選んだ香りに染まるっていいわね