【SS】ジェンティルドンナがちょっと立ち止まるお話

  • 1二次元好きの匿名さん25/07/21(月) 19:04:09

    ジェンティルドンナのSS書いたからあげていく
    文字数は約10000字、23スレに分割して10分おきくらいで上げるので読んでみてくれ

    ジェンティルドンナのエミュむずい

  • 2二次元好きの匿名さん25/07/21(月) 19:06:21

    「はぁ…はぁ……ッ!!」

    灼熱の日差しの中で芝の深緑がそよぐ真夏のトレセン学園、そのターフを駆けるひとりのウマ娘がいた。
    ―――ジェンティルドンナ。
    ひとたびレースとなれば立ち居振舞いが醸す気品、勝負服の鮮烈な紅、走りの力強さで圧倒的な存在感を放つ彼女…だが、今は学園指定のジャージで練習中である。
    練習は大詰め。実際に中距離を走り、タイムを計っている最中であった。
    ラップの最終周、その最終直線を走ってトレーナーの前を、だっ、と抜ける。
    手元にあるストップウォッチのタイムを見ると上々の数値を示していた。
    ……依然変わらず、上々の数値を。

    「タイムは?」

    荒い呼吸で肩を上下させるジェンティルドンナがジェントレのもとへ戻ってくる。
    手元のストップウォッチを彼女に見せた。

    「……そう」

    やはり、彼女の顔は晴れなかった。

  • 3二次元好きの匿名さん25/07/21(月) 19:16:44

    彼女のトレーナーとしては出場するレースの時期などを考えれば何も心配はない、むしろ順調と言える。
    が、当の彼女はそれを良しとしていなかった。
    決して現状に満足しない。常に先の高みを求め、そこに至るまでの妥協を許さない。
    それは彼女の美徳であり良いところなのだが、ここ最近はその美徳が裏目に出てしまっている。
    成長が上向いていない自分への焦り、それを隠せないでいる。
    ―――その上、ジェンティルドンナにはレースの一勝に、他のウマ娘にはない大きな価値が伴っている。
    彼女の家系には『最も力のある者が家督を継ぐ』という方針があるらしく、姉弟での鎬の削り合いが常に行われているようだ。
    『力』を示す―――彼女がよく口にする言葉。レースもまた。その『力』を示す舞台のひとつだ。
    G1レースはもちろんのこと、重賞での勝利は彼女の名声に大きく関わってくる。
    そして、社会の中において名声は非常に大きな武器になる。
    そのことを彼女が一番理解しているからこそ、高みを目指す歩みを僅かながらも止められない。

    「もう一本、行ってきますわ」
    「え……」

    少し、迷った。
    だが今日のトレーニングはハードに組んでいたわけではなかったし、それで少しでも気が晴れるならと思い、彼女を引き止めないでおいた。
    彼女の軌跡に合わせてなびく尻尾を見つめるジェントレ。

    「……氷、持ってきておこう」

    なにか、思い切ったことが必要なのかもしれない。
    ジェントレはそんなことを考えて―――決めた。

  • 4二次元好きの匿名さん25/07/21(月) 19:29:40

    夕方のトレーナー室、練習終わりの彼女の帰り際であった。

    「休暇……?」
    「うん。明日の土日の練習だけど、それをキャンセルしようと思う」

    言い渡された彼女に、明らかな怪訝が覗く。

    「そう、随分と悠長に構えておりますのね?」
    「月曜の練習で様子を見て調整するから、気にせず羽を伸ばしておいで」
    「…わかりましたわ」

    普段なら多少の叱責があってもおかしくないのだが、彼女は素直に了承して見せた。
    自身の焦りを感じ、気を落ち着かせる時間の必要性を感じている……のであればよいのだが。
    ふと思い出して、ジェントレは一言付け加える。

    「あぁ、それと…わかっていると思うけどあくまでも休暇だからね、筋トレもレースの動画を見るのもダメだよ」
    「…………」
    「…やろうとしてたでしょ?」
    「…失礼しますわ」

  • 5二次元好きの匿名さん25/07/21(月) 19:41:34

    パタン、とトレーナー室の扉が閉まる。
    夕日が差し込む部屋でひとり、ジェントレは大きく息をついた。

    (失望、されちゃったかな……)
    ジェントレとしては、それなりに大きな決断だった。
    ジェンティルドンナは、自己を更に上のステージへ押し上げてくれることに期待して自分との契約を決めてくれたはずだ。
    しかしつい先ほど、彼女にその歩みを止めるよう強制した。
    足を引張った、と捉えられても仕方ない。
    それに、この選択が正しいという保証もない。
    何もしない虚無な時間が彼女に余計なフラストレーションを与えてしまう可能性も少なくはないのだ。

    ただ、それでもジェントレに決断に至らしめた想いはただひとつ。
    あんなに苦しそうに走る愛バを見過ごせない―――その一心だった。

  • 6二次元好きの匿名さん25/07/21(月) 19:48:45

    唐突に予定が無くなったことで、土日の予定がぽっかりと開いてしまった。
    しかも練習どころか、まさか筋力トレーニングすらも禁じられるとは……。
    こうなってしまっては仕方がない。トレーナーの言うように素直に羽を伸ばすことにした。一種の諦めである。
    さて、と休暇中にやること、その条件を絞っていく。
    まず第一に、筋力トレーニングはできない。…できないのである。
    家の中でやることはあまりよくない、というより恐らく兄弟たちもいる中で気が休まるとは考えにくい。
    かといってどこか行く当てがあるわけでもない。
    そう考えると経営しているスパに行くのが無難か。経営状況の視察と思われる可能性もあるが、羽を伸ばすという目的には相応しいだろう。

    ―――と、この辺りまで考えたところで。
    あるお店の壁に1枚のポスターが貼られていた。
    海沿いの埠頭をひとりのウマ娘が歩いている、そんな写真。
    なぜそれが目に留まったのかはわからないが、その写真が、腕を飛行機のように大きく広げて歩く彼女の姿が妙に綺麗に、広々として見えた。

    「海、ねぇ」

    どうせ本来なかったはずの休暇なのだ、行き慣れたスパも良いが時にはこういった所も良いかもしれない。
    なんとなくそう思った。

  • 7二次元好きの匿名さん25/07/21(月) 20:01:02

    次の日。
    ジェンティルドンナは府中から近い海に来ていた。
    水着は持ってきていない。海に行くとは言え海水浴に行くわけではない、というよりも気持ち次第で遠泳など始めてしまいかねない。

    しかして彼女が立つそこは美しい海が臨める浜辺の遊歩道……ではなく、無機質なコンクリートで固められた岸壁であった。
    立場もあるので人目は避けるべきだろう、という理由であえて人が少ない方へと進んでいった結果辿り着いた場所。だけど普段通りのコーディネート―――千鳥格子をあしらったトレンチコートと日傘の組み合わせは、周囲の景色に対して少し浮くようだ。
    人が少ないとはいえ岸辺に腰を据えた釣り人が意外を孕んだ目を向けてきている。海辺の遊歩道としてある程度飾られた道であればまだ絵になったかもしれないが、そこは裏目となってしまったらしい。
    もっとも向けられる目はあくまで珍しいものを見ただけの衆目、不埒を狙うパパラッチに目に比べれば無視して通過できる程度のものであった。

  • 8二次元好きの匿名さん25/07/21(月) 20:09:18

    かつ、かつ…と。
    ハイヒールの踵が音を立てる。
    ざざ、と波がせせらぎ、そこに岸壁に当たる荒い水音が混じる。
    尻尾が斜めになびくくらいの、少し強めの潮風。
    歩く彼女の耳は、しかしその音にも、その風にも向いてはいなかった。

    ―――何が足りないのだろう。
    胸中に渦巻くのは、それだけだった。
    ただ我武者羅にトレーニングを重ねるのでは徒労なのだと解っている。
    知見を広げようと論文なども漁りはしたが、あるのは当たり障りのない知識のみ。『限界』という要素には感情的あるいは精神的な要素も絡んでくるため、一般化を追求する学術的なアプローチにはそれこそ限界がある。
    何かひとつ、そこに在り得る『何か』を超えるためのピースが欲しい。
    (…となると私と同じ境遇、過去のアスリートの経験に倣うのが正攻法かしら。伝記などを読破していくのは相当の時間が必要。多少なりとも誇張が混じっているでしょうから本質を紐解きながらとなると……)

    その時、ぴくん、とジェンティルドンナの耳が前に向く。
    その先に在るのはひとりのウマ娘の姿であった。

  • 9二次元好きの匿名さん25/07/21(月) 20:10:19

    (ジェンティル、私服1種類だけど真夏もあれ着てるんだろうか…まぁそのままって事でいいか!真夏のお嬢様の服装=白ワンピ程度のイメージしかない一般男性にそんなん求められても知らねぇ!)
    あとジェンティル+岸壁の足し合わせで出てくるイメージがマグロ一本釣り漁なのはちょっと淑女としてどうなんだろう

  • 10二次元好きの匿名さん25/07/21(月) 20:19:24

    緑のパーカーを着たそのウマ娘は四角のパイプを二本交差させただけの簡素な椅子に腰かけて、竿を手に水面を見つめている。
    横には小さなクーラーボックス。何やら極彩色のパーツがいろいろ入ったケース。体格に対してやや大きめのリュックサック。
    そして、いつも被っているトレードマーク―――白いマリンキャップに似たシルエットの、魚のワッペンが付いた黒い帽子が置かれていた。
    隙有らば競り合ってくるあの方、その様を時折物陰から伺っている妹君のひとり。
    名は確か……。

    「シュヴァルグランさん、だったかしら?」
    「ぴヒゃぅ!?!」

    腰掛けていた彼女の体が跳ねた、言葉通りに。

    「へ、えっと、ジェンティルドンナさん!?どうして…というか名前…!?」
    「休暇で立ち寄っただけですわ。あとは立場柄見た方の名前は忘れませんし、『あの方』の妹君というだけで紐付けとしては十分ですもの」

    わたわたとそばの帽子をひっ掴み、深々と被る。
    その姿を前にして思わず口元を隠しつつ、

    「失敬、邪魔をしてしまいましたわね。これで失礼いたしますわ」

    踵を返した。
    絶賛大慌て真っ最中で心臓ばくばくのシュヴァルグランを他所に。

  • 11二次元好きの匿名さん25/07/21(月) 20:29:34

    「………は、はぁ」

    ついさっきまでわたわたと動いていた手はすっかり行き場を失っていた。
    仕方なくその手を再び竿へ戻す。
    水面に目を移す。

    「………」

    竿を握る手ににじむ汗、間違いなく気温のせいではない。
    感じてしまう。
    分かってしまう。
    というより一度気付いてしまっては無視できるはずもない。
    完全に、こっちを見ている。
    なぜか在ると確信してしまうほどの圧力をBGMに肌が騒めくような優雅なひと時―――そんな空気で、気弱かつ内気なシュヴァルグランがリゾートよろしく寛げるはずもなかった。

  • 12二次元好きの匿名さん25/07/21(月) 20:43:54

    「ど、どうかしました、か…?」

    内心、汗だらっだらだった。
    見ればやはりというか、踵を返したはずのジェンティルドンナがじっとシュヴァルグランを見つめている。

    「いえ、思えば釣りというものに対して見識が無かったもので」
    「は、はぁ…なるほど…初めて見た…と、いう事ですか?」
    「釣りというものが存在する、程度のものですわね」
    (ちょっとした天然記念物くらいの扱い!?)
    「なので、どうかお気になさらず。ほら、今にも釣れるかもしれませんわよ?」
    「あ、はい」

    水面に視線を戻すが、依然魚は喰いついて来ず、依然ジェンティルドンナの視線はこめかみあたりに突き刺さっている。ジェンティルドンナは俗にいう御貴族様、確かにこういったレジャーにはあまり縁がないのかもしれない。
    もう内心泣きそうだった。

  • 13二次元好きの匿名さん25/07/21(月) 20:51:27

    ちらちらと横目で彼女を確認するが、日傘を差してこちらを向いたまま動く気配がない。
    彼女の尻尾が緩やかに、しかして大きく揺れている。
    仕方ないので意識もろとも目線を水面に戻すことにした。
    胸中のさざ波が引いていくのを他所に、その思考を自身に戻していく。

    (…僕を見てても楽しくないと思うんだけどなぁ)

    ぼんやりとひとり思う。
    たかだかひとりのウマ娘が竿を持って呆けているだけの、動きがない貧しい光景。
    一体見てて何が楽しいのだろう?
    ―――と。
    モヤモヤした気持ちと向き合っているうちに、ふとシュヴァルグランの思考が至った。
    もし、ジェンティルドンナが。
    幾度となく我が姉を、その膂力をもって跳ね除ける彼女が。
    釣りをしているウマ娘の姿ではなく、『釣り』という行為そのものに興味をもって、その様を観察しているんだとしたら…。

    (もしかして…やりたい、のかな…?)

  • 14二次元好きの匿名さん25/07/21(月) 21:23:35

    確かに少々突飛であったかもしれない。
    けれどジェンティルドンナがここに留まってシュヴァルグランを見つめている理由とすれば、恐らく好奇心以外無い。ならばその好奇心を満たしてしまう方が、この息が詰まるような時間が早く終わってくれる可能性高いのではないか。
    となると考えるべきはその手段、どのように違和感無くかつスムーズに彼の貴婦人に釣り竿を渡すか。妹であれば「やりましょう!」と竿を放り投げるくらいの事はやりかねないが、シュヴァルグランこと日陰住まいの小心者な彼女にそんな事ができたら最初から悩んでないのですよ。
    思考が巡る。頭がくるくるする。
    周りの気温も相まってのどが干上がってくる。
    リュックサックに入れていた飲み物をまさぐったところで、シュヴァルグランは気付いた。

    「……あ、飲み物、無くなっちゃった…」

    リュックサックから手を引っこ抜き、空になってしまったペットボトルを見つめる。今もなお照り続ける日射に水面からの照り返しも相まって熱中症の危険性は跳ね上がっている。しかしお目当ての自動販売機は遠く、買いに行くためには竿などの荷物から目を離さなければならない。
    そして何より、後ろで微動だにせず自分を見つめているであろうジェンティルさん。
    どうしようかとそわそわしていたところで、刹那、シュヴァルグランにひとつの天啓が舞い降りた。

  • 15二次元好きの匿名さん25/07/21(月) 21:41:27

    落ち着いて考えれば考えるほどこれ以上のアイデアは思いつかない。
    やるしかない。
    シュヴァルグランは、意を決して口を開いた。

    「あの、ジェンティルさん」
    「どうされましたの?」
    「飲み物を買って来たいんですけど…竿、持っておいてもらえませんか…?」

    もう藁にも縋る思いであった。
    恐らく断りづらいであろう要求の究極系。自分が困っているから助けてほしい、という強者の優越感を刺激する魔法の言葉。今だけはこの手段を閃いた自分を褒めてあげたい。
    かくして当の強者ことジェンティルドンナは、

    「……ふふふ。良いですわよ、構いませんわ」

    そう言って尻尾を大きく揺らした。
    一計巡らせた小心者ことシュヴァルグランは嬉々として釣竿を預け、まさに駿メのごとくその場を脱したのだった。

  • 16二次元好きの匿名さん25/07/21(月) 21:47:19

    簡素なパイプ椅子に腰を下ろす。
    千鳥格子のお高いツーピースを纏い、左手に日傘、右手に釣竿を携えた釣りキチお嬢様という絵面がここに完成した。

    「………」

    耳をそわそわと動かしながら、ジェンティルドンナはじっと水面を睨む。いざ水際に座ってみると気温もさることながら、水面の照り返しや日射で暖められたコンクリートの熱もある。おそらく日傘も無ければ悲惨なことになっていただろう。

    それにしても、釣れない。
    竿を上下させたりしてみるが、依然として釣れないまま。
    座ってしばらくは大きく揺れていた尻尾もすっかり垂れ下がっている。
    獲物がかかるどころか一切動きがないまま、ただ時間だけが空しく過ぎていった。

  • 17二次元好きの匿名さん25/07/21(月) 21:54:24

    そこから、時間にして20分ほど。

    「お、お待たせしました…」

    さざ波とだけ響いていた岸壁に、シュヴァルグランの声が聞こえる。
    見ると手にはスポーツドリンクのペットボトルを握っていた。

    「あらお帰りなさい。竿はお返ししますわ」
    「あー、いえ、どうぞお気になさらず」
    「それはどういう…?」

    思わぬ返答に困惑するジェンティルドンナ。シュヴァルグランはリュックサックに手を突っ切んで、長さ30センチくらいの棒のようなものや糸巻きが付いたがちゃがちゃした機械などを取り出した。
    慣れた手つきでそれらを組み立てて、こしらえたのはもう一本の釣竿だった。

    「あ、もしかしてイヤでしたか?釣りなんてやりたくなかったとか」

    そう言ってオドオドしているが準備はそのまま続けており、糸の先に釣り針を結んだりしている。
    ジェンティルドンナはわずかに考えて、「いえ」と言葉を返す。

    「時間はありますし、もう少し釣りを興じてみようかしら。折角お誘いもいただいたことですし」

    付け加えられた言葉にシュヴァルグランは恥ずかしげに頬を掻く。
    やはり小心者の浅知恵などすっかり見透かされていたようだった。

  • 18二次元好きの匿名さん25/07/21(月) 21:57:32

    ―――時間にして、およそ30分。
    ウマ娘二人でパイプ椅子を並べ、じっと水面を見つめている。
    揺れる水面に、各方面から焦がしてくる熱。
    釣りキチお嬢様は、とうとう呟いた。

    「釣れませんわね」
    「つ、釣れませんね…」
    「あちらの方がよろしいのでなくて?水深が深いほうが泳ぐ魚は多いと思うのだけれど?」
    「え、えっと…そんなに変わらないと思いますよ?多分…ここ、そんなに悪いところじゃない、と、思いますので…」

    頻繁に釣り場を変えようとするジェンティルドンナをシュヴァルグランはそっと宥める。ライオンの飼育員さんってこんな気持ちなのかな、なんて考えるシュヴァルグランとしてもお嬢様を釣りキチに引き込んだ責任から些細でも釣果を挙げてほしいと思っているのだが、そんな願いは母なる海には届かないようだ。
    すっかり苛立ちを隠さなくなってしまったジェンティルドンナは日傘の柄を弄りながらシュヴァルグランを見た。

    「このままでは今まで割いた時間が無駄になってしましてよ?」
    「うぅん。まぁ、こんな日もありますし、仕方無いかな、っていうか、気がします…かね?」

  • 19二次元好きの匿名さん25/07/21(月) 22:09:39

    「随分悠長ですのね?貴方は此処に魚を釣りに来たのでしょう?」
    「え…?」

    思わずシュヴァルグランの目がジェンティルドンナに向く。
    彼女のまっすぐな目とシュヴァルグランの目が重なる。
    周囲にそよぐ波のせせらぎが遠のいていく。
    言葉ほどの圧は無く、言葉尻に委縮しないように言葉を選ぶだけの配慮を感じる。けれど、揺らぐ水のように緩やかだった空気が、優しく引き絞られている。試されている、のだろうか―――そう感じてしまうほどに。

    「………」

    まっすぐな彼女の瞳の奥にあるもの。
    自分を守ろうとしている心の牙城にあくまでも優しく、隙間へとゆるやかに滑り込もうとしている―――その真意。
    ただひたすらに、引き出そうとしている。
    自分がなにひとつ利益を得られなかった徒労を『仕方無い』の一言で済ませられる理由を。
    ただ貪欲に、純粋に、その答えを欲しがっている?

    「それは…」

    どうしてそこまで固執しているのか、その理由は分からないけれど。
    この質問に対しては自分なりの思いを、自分なりの言葉で答えなければならないような気がした。

  • 20二次元好きの匿名さん25/07/21(月) 22:13:33

    「もちろん釣れれば嬉しいですけど…」

    ぽつ、ぽつ、と。
    シュヴァルグランは水面を見つめながら言葉を紡いでいった。

    「釣れないからと言って、釣らなきゃ釣らなきゃ、ってうわーってなっていてもきっと得られるものってないと思うんです。多分魚にもそれが伝わっていて、釣りたいって思ってるときに限って全然釣れなかったりするのかな、なんて。それに僕自身こうして一人でいることが好きなのもありますけど、こうして海を眺めてる時間は無駄ってわけじゃないと思うんです。いや、無駄は無駄かもですけど、というより、そんな無駄な時間もきっと大事なのかな、なんて…」
    「無駄が、必要…ねぇ」

    虚を突かれたと言ってもよかった。
    足し算ではなく、引き算。
    必要な何かを継ぎ足し付け足しで詰め込むのではなく、自分を縛り追いつめているものを脱ぎ捨てる。
    自分に何が足りないのか―――それを考えて煮詰まっていたジェンティルドンナにとって、この言葉はまさに逆転の発想だった。

  • 21二次元好きの匿名さん25/07/21(月) 22:24:06

    「なるほど、興味深い知見ですわね」
    「ち、知見だなんでそんな」

    再度オドオドし始めるシュヴァルグランを他所にジェンティルドンナの思考は巡る。
    ひとつの壁にかち当たった。そしてそれを破る糸口を見た。
    であればやることはひとつ―――実行するのみ。
    ジェンティルドンナの目線が水面に戻る。

    「ひとつ確認ですけど、ここは特段釣れない場所ではない、ということで良いんですわよね?」
    「え?は、はい。去年もこのあたりで2,3匹くらい掛かりましたし…」
    「そう、であれば良いですわ」
    「…えへへ」
    「どうかされまして?」
    「ふふ、いえ。なんでもありません」

    自分の回答は一定の満足を得られるものだったようだとシュヴァルグランは笑みをこぼす。
    逐一確認をしなくても、あまりにそれが明白だった。
    コンクリートの岸壁を撫でるくらいに大きく揺れる尻尾が、海風のせいではないことが目に見えて分かったから。

  • 22二次元好きの匿名さん25/07/21(月) 22:28:30

    ―――それから、どれくらい時間が経っただろうか。
    ジェンティルドンナとシュヴァルグラン、ふたりのウマ娘が肩を並べて水面を眺めている。
    湿り気を帯びた潮風が耳を撫でる。遠くからウミネコの鳴き声が聞こえる。
    穏やかで、物静かな時間だった。それまでに巡らせていた思考は、いつの間にか忘れてしまっている―――そんな自分に気づいてしまうほどに。
    力こそが正義、実力至上主義のウマ娘。
    自身に対しては無論、他者に対しても一切の甘さ無く、冷徹にすら感じられるほど。
    敗者に語る言葉無し──正に剛毅なる貴婦人。
    そんな彼女は。
    そんな彼女だからこそ、だろうか。
    不意にぽつりと呟いた。

    「いつ以来でしょうか。こうして、只々居座って時間を過ごすのは」

    思い出せなかった。
    ずっと走り続けていた。
    いや、追われ続けていた。
    時間に。タイムに。ライバルに。争いに。諍いに。
    常に追われるのが力在る者の宿命である、そう思ってここまで来た。
    けれど、少なくても今はそんな億劫さは無くて。
    まるで今は、時間が私の横を共に歩いてくれているようで。
    そんな彼女を見て、シュヴァルグランは小さく頬を掻いた。

    「僕がそこまで頑張れてないだけかもしれないですけど…結局僕も、ただのんびりしたいだけなのかもですね」
    「のんびり……」

    それに関しては口にした記憶すら無かった。
    いかに自分に詰め込み続けていたかを実感したような気がする。

  • 23二次元好きの匿名さん25/07/21(月) 22:32:05

    ―――その時、ぽしゃん、と。
    鮮烈な赤色の浮きが水面の奥に落ちた。

    「あ、ジェンティルさん!竿、引いて…!」

    声に反応し、一切手加減なく右手を上に振り上げる。
    砲弾のように水面を突き破った影は天高く宙を舞い、ジェンティルドンナの背後に落ちた。日傘を差していたことで無傷のジェンティルドンナ、無事ノーガードのシュヴァルグラン、両者ともに水飛沫を浴びることとなった。

    「………………引き過ぎです」
    「………………失礼」

  • 24二次元好きの匿名さん25/07/21(月) 22:34:13

    二人は岸壁で跳ねる影を覗き込む。
    黒というより銀色に近い魚である以上のことは分からないジェンティルドンナが見つめる中、シュヴァルグランは慣れた手つきで釣り針を外しにかかる。

    「これは…チヌですね」
    「チヌ?」
    「はい、タイの仲間です。夏になると浅瀬によく来るんですよ」
    「そう」

    反応はいつも通りだが、尻尾の揺れ方が尋常じゃない。
    そこはお嬢様、どうやら自分が釣り上げたお魚に興味津々らしい。
    釣り針を抜いたシュヴァルグランは、その魚をジェンティルドンナに差し出した。

    「ジェンティルさん、どうぞ」
    「あら?」

    差し出された魚を受け取る。片手で。鷲掴みで。
    魚は今もなお体を捩らせて足掻いているが、彼女の剛腕の前には正にまな板の鯉といった状態だった。当のジェンティルさんは自分の釣果を手にご満悦の様子。

    「水を失った魚が随分元気だこと。ふふふ…」

    ……喜び方が少し力強すぎる気がするけれど。
    ちなみに、これで釣果無しだったらどうフォローしよう、と考えていたシュヴァルグランも内心諸手を挙げて喜んでいたのは内緒の話。

  • 25二次元好きの匿名さん25/07/21(月) 22:43:33

    ―――そこからさらに時は過ぎて。
    結局それ以降の釣果が無いままに釣りを切り上げることとなった。
    シュヴァルグランが言う。

    「……あ、そうだ。良ければこのチヌ、持って帰りませんか?チヌって美味しいんですけどスーパーとかだと売ってなくて」
    「あら、そう?折角ですから頂戴しますわ」

    そう答えるや否や、シュヴァルグランの行動は迅速だった。
    魚を手持ちのビニール袋に入れ、内側が銀色の手提げの保冷バッグに入れる。クーラーボックスの中から凍ったペットボトルを取り出して、保冷バッグに入れる。そうして封をした保冷バッグをジェンティルドンナに手渡した。
    それを受け取ったジェンティルドンナ、その尻尾はふりふりと揺れている。

    「お陰で良い休暇となりましたわ。更に高みへ至る気付きも得られましたし」
    「え、それってどういう」
    「貴方の姉君にもお伝えいただけるかしら、『貴方の妹君のお陰で貴方が越える壁は更に高くなりましてよ』と」
    「………………あ」
    「貴方の知見のお陰ですのよ。感謝いたしますわ」
    「姉さん、余計張り切っちゃうなぁ」
    「ふふふ」
    「それに…僕も頑張ります。姉さんやヴィブロスに負けないように、もっと」
    「…ほほほ。ええ、ええ。しかし、目標は高く設けておくべきです」
    「え?」
    「私も心よりお待ちしておりますわ。貴方と力を競い合う時を」
    「あ……はい!頑張ります!」

    こうして両名は互いの帰路に就くのであった。

  • 26二次元好きの匿名さん25/07/21(月) 22:45:54

    後日。
    ジェンティルドンナをはじめ、家族で夕食の席に着いていた。

    「………」

    席を囲む家族一同、言葉のひとつも発することなく食事の時を待つ。
    相手の出方を伺う、ポーカーでもしているかのような張り詰めた空気に内心ため息をこぼす。
    家族が揃うと、いつ、どこであろうと同じような雰囲気になる。お互いに競い合い、高め合う関係を続けるうちに家族同士でこうした立ち居振る舞いを採ることが日常になってしまっていた。向上心が仇となってしまっているという点ではやはり似たもの同士ということだろうか、この点についてはジェンティルドンナ自身も強くは言えない。
    がちゃ、と扉が開き、食事を乗せたワゴンを押した従者が入ってくる。てきぱきと食事の準備が進み、各々の前に食事が並んでいく。
    その並びを見て、ジェンティルドンナの弟が思わず声を挙げた。

    「ジェンティルドンナの料理だげ1品多いようですが?」
    「あら、これは」
    「はい、先日のチヌでお作りしたポワレにございます」

    ジェンティルドンナの確認に対して従者の返答。下処理などの関係で数日寝かせると言っていたが、どうやら食べ頃となったらしい。
    小麦色になった切り身にナイフを入れるとカリっとした表面の中の白身が顕わになる。姉弟達の視線を感じながら、一切れを口の中に入れた。

  • 27二次元好きの匿名さん25/07/21(月) 22:47:44

    「……少し、磯の香りが強いですわね」
    「香草を用いる等の工夫はしておりますが、夏のチヌは特に臭みが強いですので」
    「構いませんわ。それに上品な旨味も感じますし、磯の香りも良いアクセントです」
    「お褒めいただき光栄にございます」

    以降、しばし食器が当たる音のみが響く時間が続く。まるで赤の他人と相席になってしまったかのようなどんよりした空気の中、ジェンティルドンナは自分の釣果に舌鼓を打ちながら手元のポワレを見つめていた。
    少しの間食器の手が動かないままでいたが、思い立ったかのように側に控えていた従者に声をかける。

    「チヌの旬はいつ頃なのかしら?」
    「旬ですか?冬から春先にかけてと記憶しておりますが」
    「そう………皆様方」

    声をかける先を従者のひとりからその場にいる彼らに変えて、一際声量を上げる。
    一斉に向けられる彼らの双眸。
    多少の猜疑心を孕んだ目を向ける彼ら―――我が家族、姉弟、父親すらも争い、諍いの相手である。
    けれど。

    「いかがでしょう?家族一同、皆で釣りなど出掛けてみるのは」

    時にはのんびり時間を共にするだけの、家族水入らずの時間を過ごすのもいい。
    自然と、ジェンティルドンナの口は動いていた。

  • 28二次元好きの匿名さん25/07/21(月) 22:49:33

    はい

    ということで>>27にてSS終了です。

    以降はちらっと感想とか見に来るくらいで更新する予定は特にありませんので何卒


    ちなみに場所は府中の最寄りということで江ノ島の湘南大堤防のイメージです。周りはちょっと整備されてるっぽいけど気にしないキニシナイ!

    あと釣りしないから魚の知識ゼロです。チヌの旬とか知らぬ

    あとあとウマって感情は尻尾に出るの?耳に出るの?

  • 29二次元好きの匿名さん25/07/21(月) 22:57:17

    長文お疲れ様です
    アプリ内であまりない絡みで解像度が高いと思わず感心しますね

    馬は耳絞ったりして(アーアキコエナーイ的な感じ?)感情表現するらしいので
    耳で感情表現する描写はありかなと思います ウマ娘はビックリするとシッポピーンってなるけど
    これはアニメ的表現ですかねえ?でも公式がやってるならアリなのかな?

  • 30二次元好きの匿名さん25/07/21(月) 23:15:08

    >>29

    感想ありがとうございます!

    確かに耳も結構動いてるイメージありますね

    そこはもっと調べてみるべきだったかもです

  • 31二次元好きの匿名さん25/07/22(火) 09:11:29

    ウマ娘特有の感情表現っていろいろありそうですね

  • 32二次元好きの匿名さん25/07/22(火) 09:38:44

    スレ主は関西の人かな?チヌって聞かないから何なのかと思ったらクロダイのことなのね

  • 33二次元好きの匿名さん25/07/22(火) 17:40:04

    >>32

    釣り知識ゼロなんで「江ノ島 釣り」で調べて出てきた魚からストーリー組めそうなやつを選んだだけですwこれ書くまでチヌなんて知らんかったし

    ちな関西側なのはガチ

  • 34二次元好きの匿名さん25/07/23(水) 00:30:37

    孤高の貴婦人も「普通の家族」に惹かれる事があるのかな 意外性の効いた良SSでした

  • 35二次元好きの匿名さん25/07/23(水) 08:20:31

    >>34

    個人的には家内闘争に固執して頭いっぱいになっていた現状にメスを入れようと行動したイメージで書きました

    ヴィヴ姉妹の姿を見て思うところはあるかもしれないですね

    そのへんにスポット当てたらまたSS書けそう

  • 36二次元好きの匿名さん25/07/23(水) 16:59:25

    >>1

    良いSSでした

    無為な時間から学びを得るジェンティルと、その時間を共有するシュヴァルはあった

    夏に焦り感じるジェンとなると宝塚後かな?

    秋のJC連覇か、有馬制覇にはシュヴァルの金言が

  • 37二次元好きの匿名さん25/07/23(水) 19:58:52

    >>36

    焦りは焦りでもG1レースに対する焦りというより成長の「頭打ち」に対する焦りなのであんまりレースのスケジュールは気にしてなかったです

    あと「普段関わらなさそうなウマ娘を絡ませたい!」がこのSSの発端なので、それを楽しんでくれたのなら何よりです!

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