- 1二次元好きの匿名さん25/07/25(金) 10:01:39
- 2二次元好きの匿名さん25/07/25(金) 10:04:20
やっぱりイタリアが多いんだな
- 3二次元好きの匿名さん25/07/25(金) 10:05:28
このレスは削除されています
- 4二次元好きの匿名さん25/07/25(金) 10:09:11
- 5二次元好きの匿名さん25/07/25(金) 10:13:26
歴代にしては数少なくない?
こんなもんなんか - 6二次元好きの匿名さん25/07/25(金) 10:13:27
- 7125/07/25(金) 10:14:45
>>1だけどよく見たらアルゼンチン入ってました
間違った事言ってすみませんでした
- 8二次元好きの匿名さん25/07/25(金) 10:25:07
ちなみにスペイン出身のローマ教皇はどっちもボルジア家らしい
- 9二次元好きの匿名さん25/07/25(金) 10:31:32
イタリア語が共通語みたいなところあるしイタリア人が多かったのは納得
- 10二次元好きの匿名さん25/07/25(金) 10:35:03
後は昔からイタリア人って部分が加点要素になってたっぽい
- 11二次元好きの匿名さん25/07/25(金) 13:28:12
へー、スペインってカトリック国なのに教皇はボルジア家だけなんだ
- 12二次元好きの匿名さん25/07/25(金) 18:41:07
歴代266人(最新のレオ14世を除く)
画像を見るとイタリア221、
フランス15、ギリシャ6、シリア5、ドイツ4
アフリカ道(後期ローマ帝国の行政管区)3、イスラエル3、スペイン2
トルコ、イングランド、オランダ、オーストリア、ポーランド、ポルトガル、クロアチア、アルゼンチン 1 計8
計267人だから、むしろ一人多い
- 13二次元好きの匿名さん25/07/25(金) 18:44:24
五大総本山の一つアレキサンドリアを有するエジプトが0なのが面白い、筋金入りの単性論者の牙城だからか
- 14二次元好きの匿名さん25/07/25(金) 18:46:17
トルコとシリアから出てるの面白いと思ったけどこれキリスト教成立初期の教皇か?
- 15二次元好きの匿名さん25/07/25(金) 19:01:27
そうだろうね。東欧・中東・アフリカ道出身の教皇の大半は7、8世紀までのものじゃないかな?
その頃までは、ローマ帝国の下で一つの教会だったからね(教会内でも単性論派と両性論派でバチバチやってたけど)
シリア地域はエジプトと並ぶ初期キリスト教の重要拠点の一つで、五大総主教座のアンティオキア(現在はトルコ国内)を有していたから、初期キリスト教に与えた影響は大きいよ
むしろ、コンスタンティノープルとアンティオキアが入ってるトルコから一人しかいないのは意外
- 16二次元好きの匿名さん25/07/25(金) 19:04:29
- 17二次元好きの匿名さん25/07/25(金) 19:30:14
- 18二次元好きの匿名さん25/07/25(金) 23:32:40
- 19二次元好きの匿名さん25/07/26(土) 00:25:51
フランス出身のアンジュー伯シャルルみたいに、周囲の有力者が干渉して自分に都合の良い自国出身の枢機卿や教皇を選ばせたケースもあるみたいね
ハプスブルク家の華麗なる受難 | 【第3話】ローマ王 ルドルフ1世 / マガポケ | 少年マガジン公式無料漫画アプリ神聖ローマ帝国の君主として、ヨーロッパ史の中心で最も輝いた一族「ハプスブルク家」。スイス辺境の貧乏領主にすぎなかった一族が、なぜ皇帝にまで登りつめることになったのか?――時は中世。「扱いやすし」とみられた当主のルドルフは、一族として初めて神聖ローマ帝国の君主に選出された。しかし帝国諸侯たちはやがて後悔することになる。「とんでもない男を選んでしまった!」と…。読むと歴史に詳しくなれる大河コメディ!pocket.shonenmagazine.com - 20二次元好きの匿名さん25/07/26(土) 00:35:03
イギリスはいつだ?
基本本流とは別扱いのはずだけど - 21二次元好きの匿名さん25/07/26(土) 00:38:29
- 22二次元好きの匿名さん25/07/26(土) 00:41:32
- 23二次元好きの匿名さん25/07/26(土) 08:08:25
- 24二次元好きの匿名さん25/07/26(土) 15:12:34
- 25二次元好きの匿名さん25/07/26(土) 23:24:41
- 26二次元好きの匿名さん25/07/27(日) 08:51:43
オランダからも1人居るんだな
- 27二次元好きの匿名さん25/07/27(日) 09:16:46
歴史的経緯を知らないと不思議に思うかもね
そもそも正教会(コンスタンティノープル教会)とカトリック(ローマ教会)は同じカルケドン派(両性論派) 両派の分裂は11~13世紀の間に段階的に進んだから、それ以前は同じ教義を掲げる一つの宗派で、極論すれば両教会の違いは管区の違いでしなかった(細かい典礼の違いや主導権争いはあったし、その時々による政治的対立は当然あったけど)
また、8世紀にローマ(ビザンツ)帝国がイタリア中北部の拠点ラヴェンナを失い、ローマ教皇がフランク王国に接近するまで、コンスタンティノープルのローマ(ビザンツ)皇帝が教皇の人事権を握っていたし、ローマ教会も皇帝の支援を必要としていたので政治的な問題意識もある程度共有していて、両教会の人的交流も活発だった
これが8世紀になって、皇帝がローマ教会を守れなくなり、ローマ教会もフランク王国と結び付き、独自の政治的行動を行うようになって、更に両教会が対立し、分裂状態になってカトリックと正教会に分かれたので
8世紀ぐらいまでは普通にギリシャ人の教皇が出る下地はあった