- 1◆rRSKfk6hIM25/07/26(土) 09:59:34
- 2◆rRSKfk6hIM25/07/26(土) 10:00:35
「うん……、こ〜いつぁ……」
午前中、授業時間の最中。木立ちの間に一人の男の姿があった。
目の前の樹は皮が小さくめくられ、爪か石かで印が刻んである。その下には――
「……ま、こんな事もあら〜な」
男は少し考えたのち、財布から長めのレシートを選び出すと“それ”を摘みとり、丁寧に包んだ。 - 3◆rRSKfk6hIM25/07/26(土) 10:01:54
その日の放課後、彼はトレーナー室の遠くから軽快な足音が迫るのを感じた。足音の主がノックももどかしい風情でドアの隙間に体をねじ込んで来る。
「トレーナー!」
「ずいぶん早ぇ〜なビコー、やる気満々か?感心感心」
「ねぇ、トレーニングの前にセミのとこ寄っていい?」
「……昼休みはど〜した?」
「ボーノとおしゃべりしてたら時間なくなっちゃって……いいでしょ?」
「別に良〜けど今日はウインディも来るからな、表にメモ貼っとくか。ちょっと待ってな」
その時ドアが新たにノックされた。
「今、呼んだのだ?」
「あっ先輩!今日ちょっといっしょに寄り道してよ!セミの脱け殻!」
シンコウウインディ。ビコーペガサスとは親しい間柄で、彼女のトレーナーが不在の時はこうして合同トレーニングをする事もしばしばである。逆もまた然り。
「そ〜言う事で、今日は林経由だ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「あっ……無い……?」
「本当にココなのか?」
「うん、樹の皮めくって目印にして……ホラ、この下にとまってたんだよ」
「やっぱ〜蟻ンコが来たか、アイツらも餌の確保に必死だからな」
「ま、明日また探すのだ」
ビコーは名残惜し気に振り返りながら二人と共に練習場に向かう。そのため、トレーナーの微かな表情に気付く事はなかった。 - 4◆rRSKfk6hIM25/07/26(土) 10:03:26
ほとんどの生徒がトレーニングを終了して寮に向かっているが、時節柄まだまだ日は高い。トレーナーがようやく冷房のある自分の空間へと戻って来たところに、思わぬ客が現れた。
「どしたんウインディ、腹減ってんだろ?早く寮に帰らね〜と晩メシ無くなっちまうぞ」
「……お前、何か知ってるんじゃないのか……蝉の事」
「……敵わんね〜」
トレーナーは部屋の隅から古びた厚紙の箱を取り、蓋を開けた。
入っていたのは細工の施された分厚いガラスの皿。食器にも菓子盆にも使い辛そうな不思議な窪みの中に、丸めたレシートが鎮座していた。
「……?コレ、なんか見たことあるのだ……何だっけ」
「実家は会社やってんだっけな。小さい時はまだ応接室とかにあったんじゃ〜ない?
……灰皿だよ、煙草の始末するヤツ」
「あっ!でも、なんでこんなの持ってるのだ?煙草なんか吸わないだろ」
「親戚の爺さんが……な、ホームに入る時に、色々手伝った駄賃に貰ったのさ。こんなのいつまで造られるか分かんね〜からよ、勿体なくって」
「それが脱け殻なのか?」
「……ちょ〜っと付き合うか、ウインディ」 - 5◆rRSKfk6hIM25/07/26(土) 10:04:44
トレーナーは千切った段ボール一掴みとマッチ箱を輪ゴムで束ねたものを灰皿と一緒に持ち、ウインディにはポテト臭の残る紙袋を持たせて木立ちに向かう。
道すがら集めた枯れ草は袋の中で意外な量になり――そして目印の場所に到着。
「さて、やるか。ちょっとエグいぞ」
灰皿に段ボールを敷き、枯れ草を積む。そしてレシートを開いて“中身”を乗せた。
「うっ……?コレは……」
「蝉ってのは……大体夜中過ぎまでには脱皮しきって、朝まで乾くのを待ってるモンなんだよな。
この暑さで乾くのが早すぎたのか、生まれつきの問題なのかは分からね〜が、ビコーが見つけた時には……」
「火葬、するのか」
「そ。マッチ使ってみる?」
「いや、任せるのだ……」
トレーナーが不慣れな手つきで数度マッチを擦る。炎が一瞬パッと噴き上がり、小さな三角形に落ち着いた。
蝉の真下に差し込むと、よく乾いた草はわずかな煙を上げながらたやすく燃え広がってゆく。
タンパク質の焦げる臭いが鼻を突き、今まさに生命だったものの幕を引いているのだ、という感覚が否応なくのし掛かって来た。
トレーナーは段ボールを火掻き棒代わりに、炎が蝉にあたるよう動かし続ける。
「蝉が死んでるって、最初から知ってたんだろ?なんでビコーに言わなかったのだ、一緒に送ってやる事も出来たのに」
「……ま、良いじゃんそ〜いうの。わざわざガッカリさせんでも」
「もう一つ。埋めれば手間は無かったんじゃないのか」
トレーナーは枯れ草をくべる手を少し止めて煙を見上げ、ポツリと呟くように答える。
「何だかな……。それは、あんまりじゃ〜ないかって、気がしたんだよ」
風もなく、煙はほぼ真っすぐに昇ってゆく。まだ明るい空へと、吸い込まれるように。 - 6◆rRSKfk6hIM25/07/26(土) 10:05:53
次第に燃やせるものも尽き、皿の中は大半が灰となった。
“蝉だったもの”を崩し、虚空に吹いて撒き散らし、しばし黙祷する。
そして枯れ草を集めていた紙袋で灰皿を中身ごと包んだ。
「全部撒いて行かないのか?」
「炭は腐らね〜からな、燃えるゴミに出すんだ。……アイツは灰になれて良かったよ」
「……お前、優しいな」
「蝉に?」
「ビコーにもだ。お前なら大人の子分二号にしてやっても良いぞ」
「魔王様の子分が優しいってのはどうなんだろ〜ね……」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
長い長い下積みの時代を経て。
その待ち望んだ飛翔の舞台で。
時に利あらず全てがついえる。
それは、彼女らにとってどれほどの絶望なのだろうか――
蝉は何も語らない。ただ見る者が、何かを勝手に受け取るのみである。
(ビコーにゃまだ早い……よな) - 7◆rRSKfk6hIM25/07/26(土) 10:06:55
終了 近年は暑さのせいか蝉も蚊も少なくなりましたね 静かすぎて少し不気味です
- 8◆rRSKfk6hIM25/07/26(土) 10:50:04
前スレ
【SS】夢の中へ|あにまん掲示板 ――そこは奇妙な場所であった 風は暑くも冷たくもなく 視界は開かれども何も見えず 足場は板場のように滑らかで畳のような弾力があり 足下の浅い靄に降り注ぐ光は光源が全く判らず その男の鼻の下にはタラコ…bbs.animanch.comちょっとトバし過ぎたからバランスとりますね……
あっタラコって言うの忘れた!
- 9二次元好きの匿名さん25/07/26(土) 11:25:05
悲しいなあ
- 10二次元好きの匿名さん25/07/26(土) 11:28:26
タラコさんチムトレじゃなかったのか
- 11◆rRSKfk6hIM25/07/26(土) 20:07:11
- 12二次元好きの匿名さん25/07/27(日) 03:20:14
SS乙でした
最近の蝉は暑さですっかりヘバってるらしいからねぇ コンクリート敷き詰められたせいで出られなくなった奴もいるらしいし
それでも田舎の方の朝とか夕方はうるさく鳴いてるから絶滅はしてないっぽいけど
これ羽化に失敗しちゃってたって解釈で大丈夫なのよね? - 13二次元好きの匿名さん25/07/27(日) 07:56:46
羽化不全か…切ねえな
ウチんとこは気付いたら喧しくなってきましたわ
雌伏の7年それもまた生命 - 14◆rRSKfk6hIM25/07/27(日) 12:08:10
- 15◆rRSKfk6hIM25/07/27(日) 20:02:28
おまけ
「……という事があったのだ」
「蝉かぁ。やっと出て来たのに飛び立てへんなんて可哀想やな」
ウインディのトレーナーが戻って来たため、今日はそれぞれ本来のペアに戻っての朝練である。その前にウインディは昨日の木立ちを通るように誘った。
一本一本の樹を眺め、“収穫”を確かめるようにゆっくりと歩く。昨日会えなかった、それだけの空白を埋めるように。
「ネーサンは蝉、好きなのか?」
「あんまり考えた事もあらへんなぁ。
……そう言われたら脱け殻を見かけるだけで……いつ脱皮してるかも知らんかったんやな、アタシ」
「おっ、また発見なのだ!」
「どこどこ?」
数メートル先の樹に足早に近づくウインディ。その横からもう一つ、小さな影が現れた。
「脱け殻ゲットだぜ!……あ、先輩?」
「ビコー?」
「こりゃ〜皆様、お揃いで。お早うございま〜す」
「あ、お早うさん。昨日はウインディ預かって貰うてありがとうな」
「いえいえ……お互い様で」
「先輩いくつ?」
「一つ。やるのだ」
「アタシ二つだからコレで……四つだ!」
和気藹々と盛り上がる二人を微笑ましく見守るトレーナー達だが、脳裏にはずっと“ある疑問”が渦巻いていた。
「ところでアレ……集めてどうすんのやろな」
「最後にゃ〜ココに還すしかないと思うんですが、ね。今いったい幾つ集めてんでしょ〜かね……」 - 16◆rRSKfk6hIM25/07/27(日) 23:12:12
おまけ2
朝練終了後、ビコーは四つの脱け殻を大事そうに両掌に包んでトレーナー室に持ち帰った。入り口脇に置かれたお菓子の空き箱には大勢の“先客”が鎮座している。
「へへ、今日は大漁だったな♪もう十個になったよ」
「あ〜……っとな、ビコー?一応、確認なんだが。ソレ、集めた後どうするんかな〜、と……」
別に虫が苦手な訳ではない、ないがしかし。自分のスペースにこれだけ集まると、中々にゾッとしないものがある。
「え?……まあ、見つからなくなったらあの辺に戻すけど」
「あ、そ……っか」
「集めるのは楽しいけど、使い道とかないもんね。残念だな」
「食えりゃ良かったのにな〜」
「はぁ!?」
トレーナーに少しばかりの復讐心、いや悪戯心がムクムクと芽生えた。
「前に漫画で読んだんだがな〜、成虫は炭火で網焼きにすっと、結構イケるらし〜ぜ」
「ちょ、ちょっとトレーナー!?」
「エビの殻とか尻尾みて〜な感じなのかな?気になるよな〜、ん?」
「止めろぉ!エビ食べられなくなるだろー!」
どうか今日のメニューにエビがありませんように――ビコーは心から三女神に祈った。 - 17二次元好きの匿名さん25/07/28(月) 08:11:00
この人の書く、ちょっぴり大人なウインディちゃんと健気幼め強めビコーちゃんが好きなんだ…
セミの抜け殻なんて、夏の風物詩にしては定番中の定番だけど…そこに儚げな一面を見出す感性がとてもいいし、ビコーちゃんが先輩と同じぐらいの歳になったら真相に自ずと気付くんだろうなって - 18◆rRSKfk6hIM25/07/28(月) 12:05:15
- 19◆rRSKfk6hIM25/07/28(月) 21:18:23
最後に1回だけageてタイトルの元ネタ明かしを……
アブドラ・ザ・ブッチャーの入場曲「吹けよ風 呼べよ嵐」原題:One of These Days/Pink Floyd なんですが、邦題は歴史小説(伊東潤)のタイトルを拝借したものだそうです あとブッチャー以外にも悪役レスラーが使用していたのを今回調べて初めて知りました
読んで下さった皆さん、感想を下さった皆さん、ありがとうございます