【SS】貴婦人の竹と10mの穴

  • 1◆rRSKfk6hIM25/07/30(水) 23:31:34

     大望にも揺るがぬ、頑健な
    『キョチク』を取り寄せましたわ。
     天に願いを、突き刺しましょう。

     ビコーペガサスとトレーナーが“貴婦人”ジェンティルドンナ達の近くを通りかかったのは全くの偶然である。
     七夕を控えて多くの生徒が期待に浮き足立つ、その空気を浴びながら願い事を思案しているビコーの耳が、その言葉を捉えた。

  • 2◆rRSKfk6hIM25/07/30(水) 23:32:47

    「なあ、『キョチク』ってなんだろ?竹だよな?」
    「え〜ちょっと待て、『高さ30m、直径30cmに及ぶ』……こりゃ〜デカい竹も有ったもんだ、豪気だねぇ」

     素早く検索したトレーナーが感嘆を漏らす。ビコーも目を輝かせた。

    「スゴいなー!じゃあ、隣に30mのビルがあったらてっぺんまで短冊付けられるな!」
    「おいおい」
    「ほほほ……、お可愛らしいこと」

     今度は“貴婦人”の耳がビコーの発言を捉えたようだ。鷹揚に構えているが、声や表情にうっすら苛立ちが見て取れる。
     竹だからこそ驚くがビルならせいぜい十階建てと言うところ、都市部ならばそこまで珍しい訳でもない。
     世界一の竹を取り寄せる婆娑羅な振る舞いを、矮小化されたと思われたなら無理からぬ反応だ。後ろでは彼女のトレーナーが頭(かぶり)を振っている。

    「あ、なんかマズいこと言ったかな」
    「ま〜二人ともあんまり気にしないで……願い事はどっからでも天に届くからさ」
    「あら?竹も短冊も不要と仰るのかしら」

     ドンナの意識を自分に向けさせ、トレーナーは続ける。

    「じゃ〜“天”ってどこだと思う」
    「え?天って……上だろ?」
    「遥か高みにあるものですわ。何を仰りたいのかしら」
    「どう見るかさ。君たちぁ〜地面に寝っ転がった事があるかい」
    「……あっ?」
    「……!!」
    「そう、海と大地の上全て……ココが既に“天”とも言えるって訳。なんでお気楽に行こ〜や、難しく考えずに」

  • 3◆rRSKfk6hIM25/07/30(水) 23:34:09

     ドンナが目を丸くして息を呑む。そして深く吐き出した時――
     肩の力が幾分抜けたように見えた。後ろのトレーナーも安堵している。

    「なるほど、面白い考え方ですわね。参考になりますわ」
    「いやぁ〜水を差しちまったかな。……しかし竹の引っ越しも大変だろ〜ね」
    「ご心配なく。迅速かつ静音に努めて作業して頂きますので」
    「君なら一人でも出来そ〜だね。ただ掘って埋めるだけじゃない、願いをかけるための仕事だ」
    「ほほ、ドストエフスキー……でしたかしら。いかにも大望を担う竹を植えるのですもの。
     しかし突出した個人であっても、一人では出来ない事など幾らでもあります」

     先ほどの空気は霧散し、ドンナは余裕と成長の覗ける態度へと変わってゆく。しかし一件落着かと思われたその時、トレーナーは予想外の言葉を口にした。

    「ま、10mくらいの穴なら5分ってトコかな?」
    「まさか、そんな事は誰にも……」
    「……そ〜だな、花壇の前なら邪魔にならないか。午後のトレーニング前にでも寄ってくれたら、やって見せようか。そんじゃ」

     呆気に取られるドンナ達に背を向け、サッサと立ち去るトレーナーをビコーが追う。

    「アタシ、怖い人怒らせちゃったかな……」
    「もう憶えてね〜と思うぜ」
    「……!もしかしてアタシを庇って?でも、そんな事出来るの?」
    「ま、見てな。お前ェ〜にも少し手伝って貰うからな」

  • 4◆rRSKfk6hIM25/07/30(水) 23:35:12

     シンコウウインディがビコーからのLANEを自分のトレーナーに見せる。

    「……という事なのだ」
    「どないするつもりなんやろ、あの人……まあ向こうさん(ドンナ)は滅多な事せんやろけど」
    「ビコーが心配だからウインディちゃん達も寄ってみるのだ!」
     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
     そして約束の時間の少し前。多くの生徒とトレーナー達が各々のトレーニングに向かう中、ドンナの前によく知った顔が現れた。

    「よーうドンナ!どしたん一段と殺気出してよー?」
    「あら、ゴルシさん。斯々然々……ですの」
    「フーン……」

     ゴールドシップが訳知り顔でニヤリ。

    「なっトレピ、アタシも見物した〜い♡寄ってこ寄ってこ!」
    「えぇ……まあ、5分やったら。あたしも興味湧いて来たし」

  • 5◆rRSKfk6hIM25/07/30(水) 23:36:17

     本来ならば今の時間帯、花壇の周辺に人通りはほぼ無い。しかし噂を聞きつけた者達が遠巻きに何組か点在している。
     そしてドンナとそのトレーナーが現れ――ほぼ時を同じくしてビコーとトレーナーも姿を見せた。

    「おっと〜?呼んどいて待たせちまったかな、コレは失敬。コイツを取りに行ってたもんで、ね」

     彼の手には倉庫の備品とおぼしき剣型シャベルが、そしてビコーはグラウンドメジャーを提げていた。

    「お気遣いなく、私達も今来たところです。……それより、まだ本気でいらっしゃるのかしら」
    「もちろん。じゃ〜早速やりますか、今タイマーを……」

     ドンナがジャージのポケットからストップウォッチを取り出して無言で構える。

    「用意のいい事で。ビコー、長さを見といてくれな〜」
    「え、うん……」

     メジャーのグリップを不安げに握るビコー。トレーナーは左手でその先端を摘んで背を向け、右手でシャベルを構える。ゴルシが小さく吹き出した。

    「いつでも」
    「では用意……スタート!」

     次の瞬間トレーナーはシャベルの先端をほぼ垂直に突き立て、地面を引っ掻きながら大股で歩き出した。ゴルシは腹を抱えて笑っている。

    「…………え?トレーナー?」
    「やりやがった!ハハッあの野郎!」
    「何してんだ……あの人?」
    「ビコー!今何mだ」
    「えっ、5.5、6、6.5……」

  • 6◆rRSKfk6hIM25/07/30(水) 23:37:46

     手元からスルスルと引き出されるメジャーの目盛を読み上げるビコー。ドンナは無言で立ち尽くす。

    「9、9.5……」
    「コレで10、かな?まだ1分は経ってないだろ……完成!
     “長さ10mの穴”、でござい」
    「ふ、ふざけないで下さい!こんな物、ただの溝ではないですか!」

     ドンナが肩をわなわなと震わせて抗議する。当然だ。

    「どう見るか、だって……オレは10mの穴とは言ったが、下に掘るなんて一ッ言も言ってね〜ぜ?」
    「しかしですね……穴と言ったら!」
    「合意した条件には何〜んも反してないと思うけど。あっいけね、もう3分切ったか?すぐ埋めるから」
    「……いえ、それには及びません」

     ドンナはストップウォッチを持ち替え、人差し指と中指の間に挟んで締めつける。
     ピギッ、と小さな悲鳴を上げ、哀れなストップウォッチは最早何も映さなくなった。

    「この溝……いえ、“穴”は私への戒めとして残しておきます。風化するまで誰も手出しは無用」
    「そっか。じゃ、オレらは片付けて来るんでこれで失礼……またね」

  • 7◆rRSKfk6hIM25/07/30(水) 23:38:52

     トレーナーはシャベルを担いで立ち去る。ビコーはメジャーを巻き取りながら後を追い、一度だけ振り返ってドンナにペコリと頭を下げた。
     ギャラリーが三々五々に散って行く中、残されたドンナは“穴”の起点にしゃがみ込み、指でそっと撫でた。少し離れていたトレーナーが駆け寄る。

    「この私が……日に二度、同じ相手に足元を掬われるなんて……」
    「ドンナ。君は負けていないよ。俺も、皆も、きっと考えは同じだ」
    「解っています。彼が用いたのは欺瞞、詐術、誤魔化し……その類のもの。
     でも……後から何を言おうが、負けてしまえば負けなのです。私は彼の思考を見抜けなかった。それに尽きます」
    「ドンナ……」
    「レースで遅れを取る前にそれを体験出来て良かったというものです。私はこんな事で腐ったりしませんわ……尚々強くなるだけですとも」

     静かに感情の炎を燃やすジェンティルドンナ。だがそれは怒りや恨みなどではない。己を更なる高みへと押し上げる、その機会に高揚しているのだ。

  • 8◆rRSKfk6hIM25/07/30(水) 23:39:55

    「今は泣くがよい若人よ……その涙がいつの日かお前を大きく成長させるであろう……」
    「コラコラコラ、いらん事言いなゴルシ!早よ行くで!……全く、あの“貴婦人”相手にようやるで……」
     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
    「どうやらビコーが無事で良かったのだ……ハラハラしたのだ」
    「まさかなぁ……あんな手が……」
    「閃いた!これはウインディちゃんのイタズラに活かせるかも知れないのだ!」
    「活かさんでよろしい」
     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
    「これは実にインスピレーションを刺激されるねぇ!野次ウマした甲斐があったよ!」
    「なあ、なんであっちが勝ったみたいな雰囲気になってんだよ?溝は溝だろ、穴掘ってねえじゃん」
    「ふぅン……君にはまだ難しいか……このレベルの話は……」
    「あぁ?ッだコラ!やんのかタキオン、今から併走勝負すっぞ!」
    「えぇ……私は今から実験室に戻りたい気分なんだがねぇ……あっトレーナーくんが警戒色に光ってるねぇ……」
     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
    「“横向きの穴”とはね。恐れ入ったわ、とても思いつかないよ」
    「わたしもですよ〜……あっ」
    「プールから逃げるのに活かそう、なんて思うんじゃないわよミラ子」
    「ひっど!まだ何も言ってないのに!」

  • 9◆rRSKfk6hIM25/07/30(水) 23:41:00

    「おうビコー、シャベル架けてくれ。一応番号が決まってっからな」
    「ん……」
    「使用〜記録つけるのが一番の面倒だね〜、と」

     倉庫に戻った二人。事も無げに片付けるトレーナーに対し、ビコーの胸の内にはフツフツと熱いものが沸き上がっていた。

    「トレーナーは……、スゴいな」
    「何が」
    「なんて言うか、正義のヒーローとは違うんだけど……頭脳派の悪役みたいな……」
    「“悪役”ねぇ〜……役じゃなくてただの“悪人”かも知れんぜ、オレぁ。それもとびきり最悪な根性悪のさぁ」

     背を丸め、記録ノートを閉じたトレーナーにビコーが飛びついた。

    「ううん、トレーナーはスゴく優しい悪役だよ!それがヒーローの相棒なんて最高に面白いじゃないか!」
    「っとと……。お前ェ〜もよくよく変わりモンだな」

     トレーナーは負ぶさったビコーの脇の下に手を入れ、ずいっと押し上げると肩車の形になる。そしてゆっくり立ち上がった。

    「おおぉ……高ーい!」
    「善を勧め悪を懲らし、勝っても負けても全てを糧にして……どこまでも高〜く翔んでくれ。オレのヒーローよ」
    「まかせとけ!」

  • 10◆rRSKfk6hIM25/07/30(水) 23:42:02

    終了 先に七夕の話を思いついたのですがこんな時期になってしまいました まあギリギリ7月ですので……

  • 11二次元好きの匿名さん25/07/31(木) 00:19:53

    皆さんご存知健康優良栄養少女なビコーちゃんとトンチ効かせる系な小手先強めのトレーナーさんがキャラ立ってて面白かった
    ドンナさんもあのソリューション1つで燃え上がる乙女なのが可愛いね…

  • 12◆rRSKfk6hIM25/07/31(木) 07:26:04
  • 13二次元好きの匿名さん25/07/31(木) 16:42:24
  • 14◆rRSKfk6hIM25/07/31(木) 20:22:21

    >>13

    華やかで楽しそうですね!近年の気温が心配ですが、人が集まるのも納得です

    今思い出しましたが、私も小さい時は八月に七夕をやってた気がします

オススメ

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