- 11ー22/04/16(土) 23:17:22
「……よし、バッチリ!今日の撮影は、この辺にしときましょうか!」
「ええ、了解しました。あの子にも伝えてきますね」
ㅤ都内某所のオフィス街。その一角に建つ雑居ビル内に構えられた真新しいスタジオ内に響いていた、カタカタとパソコンを叩く雑音が不意に止み、男女の話し声が聞こえてくる。
「……ん、大丈夫です。聞こえてましたから」
「あら、シチー。休憩中くらいゆっくりしてていいのに。まだ集中したままだったの?」
「別に……リラックスはしてたよ。単にアタシが耳いいだけだから」
ㅤロールの確認に伴う休憩の中でも、無意識の内に男女の会話に聞き耳を立てていたウマ娘、ゴールドシチーが椅子から立ち上がり、撮影の終了について話し合うマネージャーとスタッフの前に歩いてくる。
「いやぁ、ごめんねシチーちゃん。こんな日だっていうのに、随分長いこと時間かけちゃって」
「いえ、今日の撮影受けたのはアタシですから。長引くのも慣れてるし、気にしないでください」
ㅤ申し訳なさそうに声をかけてくる撮影スタッフ。シチーはそんな彼に苦笑しつつ、特に問題はないと伝える。
「そう?終わってから言うのもなんだけど、事前に伝えた通り、本当に今日じゃなくても良かったんだよ?」
「シチー本人が決めたことですから。どうぞお気になさらず」
ㅤ尚もこちらの事を気遣ってくれるスタッフに、身支度をするシチーの代わりにマネージャーが返答する。
「はは、そうですか。それならよかったです。でも、今日は本当にありがとうねシチーちゃん。……遅れちゃったけど、お誕生日おめでとう!」
「……ふふ、ありがとうございます。それじゃ、お疲れ様でした」 - 21ー22/04/16(土) 23:17:56
ㅤ誕生日。今日、4月16日はゴールドシチーの誕生日。
ㅤ今まで生きてきて、特別この日を意識したことはあまり無いが、今年はモデル業の撮影と誕生日が被ってしまっていた。
ㅤもちろん、先ほどスタッフが言っていた通り、撮影自体は後日でもよかったのだが──
「ねぇ、シチー。そろそろ教えてくれない?どうして今日撮影を受けたの?」
「……しつこいっての。何回も言ってんじゃん。別に今日でも問題無かったからって」
「そうは言うけど……そもそもあなた、最近調子が悪そうというか、手を抜いてる感じはしないけれど、いまいち身が入っていないというか……本当はそこまで本調子じゃないんでしょう?」
「もういいって。アタシが今日でいいって言ってんだから、それでいーじゃん」
ㅤ日が少しずつ傾いてきた街中を走り抜ける乗用車。
ㅤその運転席に座るマネージャーは朝からずっとこの調子で、事ある毎にこちらを気遣い、理由を尋ねてくる。
ㅤそれに対するシチーの返答も、朝からずっと同じだ。
「大体、アタシももうそんな子どもじゃないって。そりゃ誕生日は大事な日かもしんないけど、働いちゃダメな日って訳じゃねーじゃん。アタシがやるって決めたことやってんだから、それでいいっしょ?」
「……そう、ね。シチーがそれでいいなら、私がどうこう言う事ではないのかも」
ㅤ誕生日であろうと、特別な過ごし方をしなくてはならないという決まりはない。
ㅤもちろん、大事な日であることに変わりはないが、いつも通りに1日を過ごすという人も、1人や2人ではないだろう。 - 31ー22/04/16(土) 23:18:27
「その代わり…と言ってはなんだけど、今からもう1つ行ってもらいたい場所があるんだけど…大丈夫かしら?」
「ん、この時間から追加?……まぁ、もう言ってる間に日も暮れるし、ここまで来たら誤差だから問題はないけど」
「いえ、撮影という訳じゃないのだけど」
「……?」
ㅤ何か不都合を隠している訳では無いのだろうが、妙に抽象的な話し方をするマネージャーを不審に思いながらも、スマートフォンで時間を確認したシチーは半ば諦めたように承諾する。
「どこ行くかだけでも教えてよ」
「ふふ、行ってみてからのお楽しみよ」
「………ケチ」
ㅤ悪戯っぽく笑いつつも、何も教えてくれないマネージャーに悪態をつくシチーなのだった。 - 41ー22/04/16(土) 23:20:22
「言われていた時間より少し早いかしら。まぁ、あの人のことだし問題はないでしょうね」
「……ん、着いたの?」
ㅤ車を停止させ独り言ちるマネージャーの声を聞き、助手席で軽くうたた寝をしていたシチーが目を覚ます。
「ええ、でも少し時間が早いからまだ車の中で待ってて……」
「……外の空気、吸いたい」
「あっ、ちょっとシチー!」
ㅤ制止するマネージャーに大丈夫、と声をかけながらシートベルトを外すシチー。
ㅤそのままドアを開き、車を降りるとそこは──
「ん、眩しっ……!」
ㅤ外に出た途端に夕陽に晒され目を細めるシチー。彼女は今、すっかり日が暮れた学園近くの河原に立っていた。
「ここって……」
「もう、だから言ったのに…寝起きでいきなりこの陽は目に痛いでしょう?」
ㅤ見慣れた景色を半目になりながらぼーっと眺めるシチーに、遅れて車を降りてきたマネージャーが呆れながら声をかけてくる。 - 51ー22/04/16(土) 23:20:56
「だったら最初からそう言ってよ……ね、ここで何すんの?」
「ふふ、私はここに連れてくるように言われただけでね。詳しくは彼に聞いてちょうだい」
「……?さっきも言ってたけど、その彼って……」
ㅤ今から何が始まるのか、頑なに教えてくれないマネージャー。
ㅤいつもの彼女ならこういう事は全て事前に伝えてくれるはずなのに、とシチーは困惑することしか出来ない。
「すぐに分かるわ。じきに会えるでしょうから」
「だから意味わかんないって。せめて誰に会うのかぐらい教えてくれても……」
「シチー!!」
「……え?」
ㅤ尚も言葉を濁すマネージャーに追及を続けるシチーだったが、少し遠くから聞こえてきた聞き覚えのある声によって遮られる。
「と、トレーナー?こんなとこで何やってんの?」
「あら、彼も大概早く着いていたみたいね」
ㅤ突如こちらに声をかけてきた担当トレーナーに面食らうシチー。
ㅤマネージャーの反応から察するに、どうやら先程から話題に出ていた人物は彼のことのようだが── - 61ー22/04/16(土) 23:22:29
「マネジさんもありがとうございます。俺の無理を聞いてくれて」
「ええ、全くです。まさか前日にいきなり相談されるとは思いませんでしたよ。少しはシチーが多忙である事を理解して頂けていると思っていたのですが」
「はは…耳が痛い……」
「ちょっと待ってってば!さっきから状況が飲み込めないんだけど!」
ㅤ顔を合わせるや否や、トレーナーに対して皮肉を飛ばし始めるマネージャー。そこに現状を理解出来ていないシチーが割り込む。
「ま、まずなんでトレーナーがここに居んの?さっきの話からすると……」
「ああ、俺がマネジさんに無理を言って、シチーをここに連れてきてもらったんだ」
「撮影が終わった後に学園近くの河原まで。昨日、彼にそう頼み込まれてね」
「それは今の話聞いててもなんとなく分かったけど……」
ㅤ既知である彼に会うだけなら別に隠すことは無かっただろう、と言いたくなるのをぐっと堪えるシチー。次は何を聞くべきかと思考を巡らせていると……
「それじゃ、私はこれで失礼します。シチーのこと、宜しくお願いしますね」
「はい!本当にありがとうございました!」
「ちょ、マネジ!?」
ㅤその流れのまま、自分を置いて帰ろうとするマネージャー。そのまま車に乗るかと思われたが、その直前にもう一度こちらを振り返り、
「そうだ、明日もフリーにしておいたから。どう過ごすかはあなたに任せるけど、たまにはゆっくり休みなさい」
ㅤ唖然とするシチーを置いてけぼりにし、車に乗り込んだ彼女は颯爽と去っていくのだった。 - 71ー22/04/16(土) 23:23:26
「……意味わかんないんだけど」
「はは、言いたいことだけ言ってそのまま行っちゃったな」
「マネジだけじゃなくて、アンタもだっての……」
「俺も?」
ㅤ数刻の間固まっていたが、おもむろに口を開いたシチーに苦笑するトレーナー。
ㅤそんな彼に軽く不機嫌そうな視線を送りながら、シチーは続ける。
「2人とも説明が足んないって言ってんの!昨日から決まってたんなら、もっと早く言えたでしょ?内容隠す意味もわかんねーし……」
「ああ、それは俺からマネジさんに言ってたんだ」
「え?」
ㅤ耳を絞り不満を顕にするシチーと、それに答えるトレーナー。
ㅤそんな彼の返答が引っかかり、シチーはまた怪訝な視線を向ける。
「正直に伝えると、シチーがここに来てくれるか分からなかったから。曖昧に答えてほしいってマネジさんにはお願いしたんだ」
「は?なにそれ。アンタ、アタシの事なんだと思って…」
「そんなことより!ほら、これ!」
「あーもう!話聞けよ!……これって」
ㅤ要領を得ない返事に苛立ちを覚えるシチーだったが、トレーナーの手渡してきた紙袋に話を遮られる。
ㅤその中身は── - 81ー22/04/16(土) 23:23:47
「ジャケット……それもライダース…?」
「あの時の約束、果たしに来た!」
ㅤ紙袋から出てきた黒い真新しいジャケットに面食らうシチーに、トレーナーは少し離れた位置に停車している大型のバイクを指し示すのだった。 - 91ー22/04/16(土) 23:24:20
「ねぇ…ほ、ホントに走るわけ?」
「大丈夫!マネジさんと事務所の方にはもう許可は貰ってる!」
「いや、そういう問題じゃなくて……ていうか、アンタってほんと、変なとこ行動力あるよね……」
ㅤ渡されたジャケットに身を包み、ヘルメットを手に呆然と大型バイクを見つめるシチー。
ㅤ対するトレーナーは、さり気なくとんでもない事を言って返答している。
ㅤ状況次第で案外柔軟な対応をしてくれることの多い事務所はともかく、あの堅物なマネージャーにシチーをバイクに乗せる許可を出させたらしい。
「それとも、やっぱりいきなりすぎた?今は乗りたくないとか」
「……そりゃ、多少困惑はしてるけど。乗りたくないとかはない、と思う」
「それなら乗ろう!」
「うわっ!?ちょ、引っ張んなって!」
ㅤあと一歩のところでバイクに近付けないシチーの腕を引っ張るトレーナー。
ㅤその流れのまま、シチーは後部シートに座らされ、彼自身もバイクに跨る。 - 101ー22/04/16(土) 23:24:42
「人がぼーっとしてるからって、いきなり腕掴んで引っ張んなっての!……ホント、強引すぎだよアンタ」
「こうでもしないと、シチーの1歩を後押し出来ないかなって思って」
「……なんだよそれ。訳わかんねーって……」
ㅤあまりにも無理やりだった為、流石に苦言を呈したシチーだったが、トレーナーの返事を聞き何も言えなくなってしまう。
「はは、準備…いいか?」
「………ん。アタシは大丈夫」
ㅤそう言ってシチーは、観念したようにヘルメットを被り、前に座るトレーナーに軽くしがみつく。
「よし!それじゃ、行くぞ!」
ㅤシチーの返事を皮切りに、気合いを入れ直し軽くエンジンを吹かせるトレーナー。
ㅤヘルメットのせいで表情は読み取れないが、声色からして満足そうな様子で、ゆっくりとバイクを夕暮れの街に走らせ始めた。 - 111ー22/04/16(土) 23:25:09
ㅤ夕陽で真っ赤に染まった空の下、街を駆け抜ける一台の大型バイク。
ㅤそこまでのスピードは出ていないが──
(……思ってたより風、強く当たるんだ)
ㅤ後ろに座るシチーに遠慮しているのか、あまり速度を上げようとしないトレーナー。
ㅤそれでも、風を切るバイク特有の横殴りの風はしっかりと2人に吹きつけていた。
「取り敢えず様子見で転がしてるけど、調子はどうだシチー?」
「……悪く、ない。もう少しスピード上げても大丈夫、だと思う」
「よしきた!しっかり掴まっててくれ!」
ㅤ返答を聞き、少しずつバイクを加速させていくトレーナー。
ㅤやはりこちらを気遣って、かなりスピードを抑えていたようだ。
(心配するとか、ガラでもないっつの。いつも通り強引に引っ張りゃいいのに)
ㅤ心の中で悪態をつきつつも、更にトレーナーに強くしがみつくシチー。
ㅤそんなシチーの様子に安心したのか、それを受けトレーナーも更に少しずつスピードを上げていく。 - 121ー22/04/16(土) 23:25:31
「ほんの少しでも気分が悪くなったら、すぐに言ってくれ!それなりに長い距離走るつもりだから!」
「なにそれ?どこ連れてく気だよ……」
ㅤ相変わらず詳細を伝えようとしないトレーナーに苦笑しながら、しっかりとトレーナーに身を寄せるシチー。
ㅤ最初は少し気恥ずかしかったが、段々と慣れてきたのを感じる。
(……風が、強くないんじゃない。前にトレーナーが居るからだ)
ㅤ変わらず横殴りの風には晒されているが、最も強いはずの前方からの風はシチーに当たることはない。
ㅤ彼の後ろに座っているのだから当たり前ではあるが、前に座るトレーナーの体が吹き付ける風からシチーを守ってくれているのだろう。
(……変なの。そんな訳ないのに、このままどこにでも行けそうな気してきた)
ㅤ普段よりほんの少し大きく見える背中に身体を預け、シチーは穏やかに微笑んでいた。 - 131ー22/04/16(土) 23:26:07
「よし、到着だ!」
「……ちょっと長すぎでしょ。もう夜じゃん……それよりここってさ」
ㅤそう言ってバイクを降りる2人。
ㅤすっかり日が落ち、辺りは少しずつ薄暗くなってきていた。
ㅤ見覚えのある景色の中、シチーは周囲を見渡す。
「駿大祭の……」
「ああ、そうだよ。あの時のお祭りで、シチーが案内してくれた高台」
ㅤそこは、いつかの大祭を2人で見て回っていた折、『祭り全体を見渡したい!』という彼の希望に沿って、連れてきた高台だった。
ㅤ最も、当時の彼にとってお祭りは二の次であり、本当の目的は奉納舞の直前に緊張していたシチーをリフレッシュさせるため、その場から連れ出すことにあったのだが。
「……それで?こんな所まで連れてきて、アンタはどうしたいわけ?」
「街の中じゃ、シチーが本音で話してくれないと思って」
「……本音?」
ㅤこれまた予想外の返答を返され、シチーは目を丸くする。
「まず1つ聞かせてほしいんだ。……今日、バイク乗ってみてどう感じた?」
「どうって……いきなりそんな事聞かれても」
「なんだっていい。率直な感想というか、ただシチーがバイクに乗った時に思ったことを聞かせてほしい」
「………」 - 141ー22/04/16(土) 23:26:39
ㅤバイクに乗ってみてどう感じたか。
ㅤこれ以上無くシンプルな問いかけだが、質問の意図がいまいち掴めない。
ㅤ……なんにせよ、彼に対しては本音をぶつけるべきだろう。
「……ちょっと、思ってたのと違った。でも悪かった訳じゃないよ。アンタに身を任せて街中を走り抜ける体験なんて初めてだし、色々と新鮮で楽しかった。……ただ、少し夢見すぎてたというか、アタシが思い描いてた様な景色は見れなかった」
「はは、そっか。やっぱりな」
「……残念に思ったりとか、しないの?」
「しないよ。たぶん、俺もシチーと同じこと考えてたから」
「同じこと?」
「俺はさ。シチーが好きだから」
「はあ!?」
ㅤこの男はいきなり何を言い出すのか。
ㅤあまりにも不意打ちがすぎる返答につい身構えてしまう。
ㅤその様子を見てトレーナーは、「あ、少し言葉が足りなかった」とはにかみながら続けた。
「自分の足で、風を切って、力強く大地を蹴って…輝く光みたいに走ってるシチーが好きなんだ」
「……い、言い方考えろっつの!」
ㅤ安心したような、残念なような。
ㅤ怒りとも気恥ずかしさとも取れない感情を抱いたシチーは、またしても軽くトレーナーを睨み付ける。 - 151ー22/04/16(土) 23:27:18
「はは、ごめんごめん…でもさ、シチーもそうだったんだろ?」
「それは……うん。アタシも走ってるアタシが1番好き。アンタやユキノのおかげで、以前と違ってどんなアタシでも好きになれたけど、それでも今もそこは変わらない」
ㅤ走る自分。ただがむしゃらに、無我夢中で前を目指し、更に先へと駆けていくだけの自分。
ㅤ……いつだったか、どこかの誰かさんに『バイクよりも素敵な走り』とまで賞賛された自分の姿がシチーは1番好きだ。
「……そっか。そこが違ったんだ。風を切って走るバイクと、"アタシ"の違い。自分の力で前に進む感覚。あの景色をみれると思ってたから、バイクは少し物足りなかったんだ」
「少しはすっきりした?」
「……ん。ちょっと頭ん中のもやもやとか晴れてきた」
ㅤ自分の中に少しだけ募っていた違和感が晴れていく感覚を覚える。
ㅤだが、それはそれとして……
「ねぇ、そんなこと聞く為だけにバイク乗せてくれたんじゃないでしょ?さっきも、『まずは1つ』とか言ってたし」
ㅤ確かにバイクに乗るという経験はシチーにとって貴重ではあるが、そこまで改まってするほど特別なことでもない。
ㅤ……恐らくは、自分への誕生日プレゼントのつもりだというのは理解出来ているが、まだその裏に真意があるような気がしてならなかった。 - 161ー22/04/16(土) 23:27:38
「そうだな。今のシチーなら、ちゃんと話してくれそうだ」
「……ふん、やっぱり別に本題があるんじゃん。別に、こんな回りくどいことしなくても答えるって」
「はは、でもこういう時のシチーって、強がって答えをはぐらかすことが多いから」
「………っ」
ㅤぐうの音も出ない正論を言われ、黙り込んでしまうシチー。
ㅤ実際、彼に対しては強がって本音を隠して、その結果余計に労力をかけさせてしまったことも一度や二度ではない。
「本当は、こんな日に聞くようなことじゃないかもしれないけどさ」
ㅤそう前置きした彼は改めて真っ直ぐこちらを見据え、問いかけてくる。
「どうして無理してるんだ?」 - 171ー22/04/16(土) 23:28:02
ㅤどうして無理をしているのか。
ㅤ突然そう問われたシチーは、ただ呆然とトレーナーを見つめ返すことしか出来ない。
「無理って…何の話してんの?アタシは別に……」
「してるよ。君は今絶対に無理をしてる」
「してねーって。アンタに何が……」
「俺だけじゃない。マネジさんも気付いてる」
「……マネジが?」
ㅤそう言われ、今日の撮影後にマネージャーと交わした会話を思い出す。
『そもそもあなた、最近調子が悪そうというか、手を抜いてる感じはしないけれど、いまいち身が入っていないというか……本当はそこまで本調子じゃないんでしょう?』
「………あ」
ㅤ実際、今のシチーはお世辞にも本調子とは言えない。それは自覚しているのだが、傍から見てもそうはっきりと分かるものなのだろうか。
「自分でも分かってるんだろ?俺でよかったら、その理由を話してほしいんだ」
「無理をしてる理由…調子が悪いことの…理由……」
ㅤ本当は分かっている。自分のことなのだから当然だが、自分の不調の理由なんてすぐに分かってしまう。
ㅤ今日の体験で、一時的にその憂いが晴れていた理由もはっきりと理解している。 - 181ー22/04/16(土) 23:28:36
「……言っとくけど。笑ったりしたらガチで怒るから」
「ああ、分かってる。どんな理由だろうと笑ったりなんかしないよ」
「………アタシ、最近ふと思うことがあるんだ。自分でも情けないっていうか、子どもっぽいとは思うんだけど」
ㅤまずは何から伝えるべきか。1つ1つ吟味していきながら、シチーは少しずつ言葉を紡いでいく。
「"終わり"を意識しちゃうんだ。レースの時も、モデルの仕事の時もそう。トレーニングしてる時や、ジョーダン達とくだらない話をしてる時も。……今みたいにアンタと過ごしてる時もさ」
「"終わり"?」
「……そう。この当たり前に続いてる時間が、何気なく過ごしてる日々が終わる時のこと」
ㅤそう語りながら、シチーは自分の体が少し震えていることに気付く。
「ふふ、情けないよね。怖いんだ、アタシ。今日や明日いきなり来るわけじゃないのに。アンタやジョーダン達と、今まで通り一緒に居れなくなる"終わり"が来るのがさ」
「…………」
「そんなの、生きてたらいつか絶対来るって分かってんのに。一度意識しちゃったら、もう頭から離れなくて。併走してる時も、レース中も、集中掻き乱されちゃってさ。……足が重たくなんの」
「それは違うよシチー。情けないなんてこと、ない」
「……え?」
ㅤ体を震わせながら心情を吐露するシチーを安心させるように、トレーナーはいつもより数段優しい声色で話を続ける。 - 191ー22/04/16(土) 23:28:55
「それだけ、今の時間が大事ってことだから。終わるのが怖いってことは、終わってほしくないってことだ」
「終わって…ほしくない……」
「誰しも一度は同じことを思ったことがあるはずだ。それは決して恥ずかしいことなんかじゃない。今この時間をそれだけ大事に思ってくれてるんなら、俺はこれ以上嬉しいことはないよ」
「トレーナー……」
ㅤウマ娘の現役は一生続くものではない。いつか必ず、この世界から一線を退く日がやってくる。
ㅤそれが『自身の限界に直面した故』か『これ以上無いほどの頂に辿りいた故』かは人それぞれだが。
「……アタシはさ。たぶんみんなほど、長く走れないと思うんだ。もちろん、今すぐ辞めるなんてつもりは更々ないけど……絶対に、もう1本の道にだけ専念しなきゃいけない日が来る」
ㅤそれがいつ訪れるのかは定かではないが、必ずシチーには『モデル業に専念しなければならない時』がやってくる。
ㅤその事を意識してしまうようになってしまったのが、ここ最近のシチーの不調に繋がっているのだろう。 - 201ー22/04/16(土) 23:29:23
「アンタさ。いつの日だったか、約束してくれたじゃん。『何があっても君を走らせる』って」
「ああ、今もその気持ちは変わってない。シチーが走りたいと望み続けるなら、俺はいつまでも君のトレーナーとして支え続ける」
「……それがさ。いつかアタシが引退する時になったら、"終わり"に直結するんじゃないかって。アタシが走らなくなったら、アンタがトレーナーじゃなくなったら……"約束"が繋いでくれてる関係なんだとしたら、こうして一緒に居ることもなくなるのかなって。そう思うと、さ」
「シチー……」
ㅤレースに関わらなくなれば、この学園で出会った大切な人たちとは疎遠になってしまうような。
ㅤシチーはそんな不安に苛まれ、調子を落としていたのだった。
「今日だってまた一つ、アンタはアタシとの約束を叶えてくれた。でも、だからこそどうしても不安でさ。ホントに終わりが近付いてるような気がして」
「……なら俺が」
「え?」
「俺が君とまた新しい約束を交わすよ。約束が終わってしまうのが不安なら、何度だって俺が君と約束する。君との関係が終わることはないって、俺自身が証明するよ」
「………」
ㅤ新しい約束。それを何度も交わす。決して終わりが来ないと、シチーがそう信じられるように。
ㅤ簡単に言っているが、そう単純に出来ることではないだろう。 - 211ー22/04/16(土) 23:30:00
「そんなの言ったって……具体的にどういう……」
「そうだな…例えばバイクだ」
ㅤそう言って彼は、すぐ近くに停車したままのバイクの方を見やる。
「君をバイクに乗せてあげるって約束は今日果たした。でも、これで終わりになんてしないよ。シチーが望むなら、何回だって乗せるさ」
「バイク……」
「簡単な話だ。君がバイクに乗りたくなったんだったら、ただそのジャケットを着て俺を呼んでくれたらいい。そうしてくれれば、俺はいつでも君を迎えにいくよ。何度だって必ず」
「………っ!」 - 221ー22/04/16(土) 23:30:30
ㅤ彼は自分の言っていることの意味が分かっているのだろうか。
ㅤこれではまるで──
「俺も、これからも君と一緒に居たいって思ってる。きっとジョーダンやユキノ、他の子達だってそうだ。そんな簡単に終わりなんてこないし、こさせない」
「……ふふっ、あーもう…またこれかよ」
「さ、流石にちょっとクサかったような気はするけど、そんなに笑うところだったか!?」
「もう、分かったっての。アンタの気持ちはよーく伝わったし、だいぶ気も軽くなったから。ほら!もう暗いしそろそろ帰ろ?」
ㅤ彼と話しているといつもそうだ。こちらが勝手に深読みするばかりで、彼自身には何も打算がないものだからなんだか負けたような気分になってばかりいる気がする。 - 231ー22/04/16(土) 23:31:24
ㅤ……でも、そういう彼だからこそ、
「──がと、トレーナー」
「……シチー?何か言ったか?」
「なんでもないっての。ほら、運転すんのアンタなんだから早く準備してよ。アタシだけ乗ってても帰れないんですけど?」
「ご、ごめん!」
ㅤ一足先にヘルメットを被ってシートに跨り、軽くトレーナーを揶揄うシチー。
ㅤ大慌てで自分も帰り支度をと焦るトレーナーを見て思わず笑いそうになってしまう。
「……ホント、アンタには敵わないな」
ㅤすっかり日が落ち、夜の帳が降りた空を見上げて困ったようにシチーは微笑んでいた。 - 241ー22/04/16(土) 23:34:04
どう考えてもこの時間に駆け込みで投稿するには長すぎますよね
大事な日なので筆が乗りすぎましたごめんなさい
本当に重ね重ねになるけど誕生日おめでとうシチー...
俺もずっと君の歩む道をすぐ側で支えてあげられるよう頑張ります
これからもよろしくな... - 25二次元好きの匿名さん22/04/16(土) 23:37:02
良かった……
とても良かった……
シチー、誕生日おめでとう! - 26二次元好きの匿名さん22/04/16(土) 23:41:37
ご馳走様です
なんかクリスマス辺りから書く度にどんどん長くなってないかお前のSS…? - 27二次元好きの匿名さん22/04/16(土) 23:49:48
誕生日が終わる前に読めてよかったよ
良いSSだった - 28二次元好きの匿名さん22/04/16(土) 23:54:19
今日もいい1日でした。素晴らしいトレシチをありがとう!
- 29二次元好きの匿名さん22/04/16(土) 23:57:07
1つ約束を叶えたらまた1つ約束をして…
そうやってこれからも2人は歩んでいくんですね…
青春ドラマだべ… - 30二次元好きの匿名さん22/04/17(日) 00:00:16
長すぎるSSは伸びないというが
これはなんとしても伸ばしたい名文
ありがとう超大作だったよ - 31二次元好きの匿名さん22/04/17(日) 00:12:08
ウソでしょ…読んでる内に日付が変わってシチーさんの誕生日が終わってた…
- 32二次元好きの匿名さん22/04/17(日) 10:25:20
シチーさんおめでとー!
1日過ぎたけど祝う気持ちがあれば無問題だべ! - 33二次元好きの匿名さん22/04/17(日) 10:34:50
バイクイベの程よい青春っぷりいいよね
シチトレならいつか本当に乗せてくれるんだろうなって
いい誕生日プレゼントだった - 34二次元好きの匿名さん22/04/17(日) 19:47:21
えぁ゛っ
- 35二次元好きの匿名さん22/04/17(日) 20:16:15
これからも二人三脚で同じ道を歩んで、いや駆け抜けてほしいな…良き…
- 36二次元好きの匿名さん22/04/18(月) 08:02:51
好きだわ1ーのss
- 371ー22/04/18(月) 19:26:48
- 38二次元好きの匿名さん22/04/18(月) 19:32:19
今日はいい気分で寝られそうだ
- 39二次元好きの匿名さん22/04/18(月) 19:36:26
長文でもスラスラ読み込めて読み味も非常に快かった。とてもとても良い話を読ませてくれてありがとう
- 40二次元好きの匿名さん22/04/19(火) 04:39:18
- 411ー22/04/19(火) 10:41:56