- 1国家統合党総裁25/08/08(金) 22:32:24
- 2国家統合党総裁25/08/08(金) 22:33:41
- 3国家統合党総裁25/08/08(金) 22:44:41
- 4二次元好きの匿名さん25/08/08(金) 22:47:28
和菓子や洋菓子ならぬ兎菓子がこの世界のアキツにはあるのかもしれませんね。
- 5国家統合党総裁25/08/08(金) 22:59:02
- 6二次元好きの匿名さん25/08/08(金) 23:45:08
軽く調べるとアキツで洋食が広まり始めるのは築地の外国人居留地が大きかったっぽい?
ウマムスタンも進出してたなら築地にウマムスタン料理店が開かれて広まり始めそう
1. 料理 | 近代日本とフランス―憧れ、出会い、交流www.ndl.go.jp - 7二次元好きの匿名さん25/08/09(土) 00:29:02
そういえば艦長のご先祖様は鎖国時代のアキツにやってきたわけだが
これネーデルラント経由だと難しいんじゃないか
当時のアキツはネーデルラントが言うなら「ヨシ!」してた訳ではなくちゃんとネーデルラント人かを確認していた
ゲルウマン出身のかのシーボルトも発音を怪しまれ咄嗟に「山オランダ人」と言い訳したエピソードが残っている
>入国審査のとき、一つの緊張が走りました。当時、日本はオランダ人以外の西洋人の入国を禁じていましたが、シーボルトは、オランダ人になりすまして入国します。シーボルトの不自然なオランダ語は、山オランダ人の訛りだと誤魔化しました。(実は、オランダは山のない平地国家!)こうして難を逃れた、27 歳の若きシーボルトは、1823 年8 月、長崎出島に降り立ちました。
第1章 シーボルトの数奇な運命シーボルトの知的好奇心の種は、母国ドイツで芽吹き育まれ、その人生を捧げることとなる東洋の神秘の国 日本へと運ばれていく・・・
www.at-nagasaki.jpインドネシアはじめアジア人召使として偽って入国するのも手ではあるが、それよりも清の貿易商人を通じて(時折戦争していたとはいえ海岸部の商人にはそこまで気にしない人も多いだろう、少なくとも1840年代は)アキツにいった方が誤魔化しやすいんじゃないだろうか
見た目もモンゴロイド系なら気付きにくいだろうし
- 8二次元好きの匿名さん25/08/09(土) 00:31:47
唐人屋敷の方が出島より出入りも緩かったのかな?
こっち経由ならやや自由に動けそうだ
ナガジン!|特集:発見!長崎の歩き方 「唐人屋敷の生活~唐人屋敷で暮らしてみた!」www.city.nagasaki.lg.jp唐人屋敷 - Wikipediaja.wikipedia.org - 9二次元好きの匿名さん25/08/09(土) 00:40:30
国から命じられた可能性もあるけど
クルグズ出身だし元々中山との交易を通じたつながりが強い地域に生まれ興味を持ち
漢籍、中山語に精通した貴族として研究に勤しみ
その結果どこかのタイミングでシルクロードを超えたり南方航路を通じて中山に直接乗り込み
そこでアキツから逆輸入されたという中山本国では散逸した書物の話を聞き
「急げっ史料・ラッシュだ」とアキツにさらに乗り込んだマニアだったりする可能性が?
もちろん何にせよ極東の物産調査もついでにやってこいと貴族なら命令されてそうではあるが