【SS】俺、なんで膝枕されてるんだろう

  • 1二次元好きの匿名さん25/08/09(土) 01:53:42

    ガァー。ガァー。

     窓からは茜色が差し込み、昼間の喧騒が嘘のように静まり返った校内には、嗄しわがれたカラスの鳴き声だけが響き渡る。
     グラウンドに目を移すと、トレーニングを終えたであろうトレーナーとウマ娘が点在していたが、やはり人影はそう多くはなかった。

    「ふー……」

     マグカップを持ち上げ、すっかり冷めてしまった珈琲を飲み干す。
     椅子の背もたれに身を預け、両手を組んで腕を伸ばすと背骨が小気味良い音を立てた。

    「そろそろ帰るか……」

     チラと時計を見ると時刻は既に7時を回っていた。
    あまり帰りが遅くならないように気をつけてはいるのだが、仕事に集中しているとこんな時間になってしまっていることもザラだ。
     といっても以前よりは大分減った……というより、減らされたというべきだろうか。

  • 2二次元好きの匿名さん25/08/09(土) 01:54:42

    以前の俺は毎日のようにトレーナー室で夜まで残業を繰り返すような生活を送っていた。
     勿論そんな事を続けていて問題ないはずもなく、度重なる無理が祟って倒れてしまったことがある。
     その時担当バである彼女――ヘリオスに酷く怒られてしまい、それ以降は遅くまで仕事をしないように心がけるようになった。
     ……尤も、俺が夜まで残っているとどこからかヘリオスが飛んできて無理やり帰らされることもあるのだが。

    「ふぁ……」

     大きな欠伸が口から漏れる。珈琲を飲み干したばかりの筈だが、どうにも頭がすっきりしない。

    「……ちょっと寝ていくか」

     静寂に響く秒針の音が子守唄のようなリズムを刻み、より一層眠気を誘う。
     トレーナー寮までの距離はそこまで遠くはない。かといって、今の状態で歩いて帰る気にもなれなかった。
     諦めるようにふぅと息を吐いて立ち上がり、部屋の隅に置かれたソファへと横になると、心地よい弾力に体が包みこまれる。

    (仮眠……仮眠だから……)

     言い訳するかのように頭の中で何度かそう呟いてゆっくりと目を閉じると、秒針の音だけが耳に響き、意識が微睡みの中に溶けていった。

  • 3二次元好きの匿名さん25/08/09(土) 01:55:57

    ▲▽▲


     ……カチ、カチ。
     暗闇の奥から、また秒針の音がする。
     いや、秒針の音だけじゃない。よく耳を澄ませると誰かの吐息のようなものも聞こえてくる。
     それになんだか、凄く良い匂いがする。甘い、果実を思わせるような匂いを漂わせながら、誰かの手が俺の額を撫でている。それに俺は……この匂いをよく知っているような気がする。

     額に触れる温かい感触に心地よさを感じながら視界を開いていくと、全体が白くぼやけながら徐々に輪郭が露わになっていく。
     やがて視界が完全に開けるとよく見知った顔と目が合い、柔らかな笑みがこちらに向けられた。

    「……ヘリオス」
    「おはよ、トレぴ」

     彼女は俺が起きても尚、額を撫でる手を止めない。
     それに、今更気づいたがどうやら俺の頭は彼女の膝に乗せられているようだ。要は膝枕の体勢になっているというわけだ。

    「あのさ、ちょっと聞きたいんだけど」
    「んー?」
    「俺、なんで膝枕されてるんだろう」

  • 4二次元好きの匿名さん25/08/09(土) 01:57:13

     そう問いかけると彼女は悪戯っぽく笑った。

    「だって、トレぴ寝てたし。起きてたらやらせてくんないっしょ?」
    「まぁそうだけどさ……膝枕したいと思ってたの?」
    「ん!」

     彼女は耳をピコンと上げて元気よく頷く。一点の曇りもない眼で。

    「なんで?」
    「んー、なんでだと思う?」

     質問に質問で返されてしまうが、理由など分かるわけがないだろう。

    「ごめん、分かんないんだけど……」

     俺がそう溢すと彼女は小さくため息をついて、拗ねたように口を歪めた。

    「……トレーナーの、ばか」

     急に罵倒されたかと思うと彼女は手で俺の髪をかき上げて、そのまま自身の額と俺の額を重ね合わせてきた。

    「へ、ヘリオス……!?」
    「理由はねー……へへ、秘密☆」

     彼女はそう言って顔を離すと、当たり前かのようにまた俺の頭を撫で始める。まるで自分の子供に向けるかのような顔を俺に向けて。
     飛び出しそうなほど高鳴っている鼓動と、まるでそれを見透かしているかのようにこちらを見つめる彼女と目が合うとどうにかなってしまいそうだ。

  • 5二次元好きの匿名さん25/08/09(土) 01:58:20

     彼女のこの態度。何も今に始まったわけじゃない。

     思い出してみればあの日――俺が倒れてしまった日以降だ。やたらとスキンシップが多くなって、距離感も以前よりずっと近くなった。それに、一緒に過ごす時間も増えた。
     そればかりか、俺が出張や飲み会に行くと言うと露骨に嫌そうな顔をするようにもなった。これではまるでトレーナーと生徒ではなく……仲の良い恋人同士のようなソレではないか。そんなものを向けられてしまえば、理性が解けてしまいそうで、俺はそれを必死に我慢しているというのに。
     ヘリオスはそれを分かっているのだろうか?

    「その……そろそろ手を止めてくれないか?」
    「やだ」
    「あのな、誰かに見られたら……」
    「こんな時間、もう誰もいないっしょ☆」

     そう言われて時計を確認してみると、時刻は8時半を指していた。気づいていなかったが、ここで寝てからもう1時間以上経っていたようだ。

    「それでも、万が一見つかったらな……」
    「……見つかったら、なに?」
    「いや、その……とにかく! こういうのよくないだろ」

     額に置かれた手を振りほどこうと掴むが彼女の腕はびくともせず、俺の手は無力にも軽く押さえつけられてしまった。

    「ヘリ――」
    「トレーナーさー……」

     口を開き声を荒げようとするが、彼女の声と有無を言わさずこちらを見つめる目によって黙り込むことしかできなくなってしまう。

    「前にもう無理しないって約束したの覚えてる?」
    「あ、え……う、うん……」

  • 6二次元好きの匿名さん25/08/09(土) 01:59:31

     彼女のその声に圧を感じて、声が上ずってしまう。

    「……最初は守ってくれてたのに。また、こんな時間まで残って仕事すること増えたよね」
    「それは、その……」
    「ウチとの約束、もうどうでもいいんだね」
    「そういうわけじゃない! 俺は、ただ……」

     必死に言葉を紡ごうとすると、彼女は人差し指を俺の口に当ててそれを制止する。そうすると彼女はまた先ほどように優しくこちらに笑いかける。

    「へへ……なーんて」
    「へ、ヘリオス……?」
    「分かってるよ。全部ウチのためだって。ウチのために頑張ってくれてるってこと」

     額に乗せていた手で、今度は俺の頬を撫で始める彼女。熱のこもったその手の感覚がこそばゆくて、また一段と鼓動が高く跳ねる。

    「……でも最近頑張りすぎだから、これはお仕置き。ウチが満足するまで、こうやってるかんね☆」
    「あ……」

     俺はなぜか何も言うことができなくて。流されるまま彼女の言葉に小さく頷くことが精いっぱいだった。
     そうして俺は膝に頭を乗せられたまま、彼女が満足するまで撫でられ続けた。

  • 7二次元好きの匿名さん25/08/09(土) 02:00:37

    ▲▽▲


    「ヘリオス、そろそろ……」
    「んー……そだね」

     あれから10分ほど経っただろうか。
     満足したのか、名残惜しそうな顔をしながらも彼女は額から手を離し、ようやく俺に体の自由を許してくれた。正直言って、彼女に見つめられながら膝枕をされ頭を撫でられ続けて俺の理性はもう限界だった。
     そんな思いを抱えながらようやく帰れると立ち上がると、彼女がこちらに手を差し出してきた。

    「……この手は?」
    「手、繋いで帰ろ☆」
    「は?」

     その突拍子もない提案に、口をあんぐりと開ける事しかできない俺を見かねて、彼女はさっさと俺の手を取って指を絡めてくる。

    「へ、ヘリ……ヘリ……!?!?!?」
    「あっははは! トレぴ、へんな顔してどったん!?」

     当たり前だろう。いきなり手を掴まれて、恋人繋ぎのような事をされれば誰でも動揺するに決まっている。というか、よく見たらそう言って笑う彼女の顔も紅潮しているようだった。

    「さ、流石にまずいよ……!」
    「んー? 何がまずいの?」
    「何がじゃなくて! やめてくれよ!」
    「……ごめん、そんなに嫌がると思ってなくて。迷惑なら……」

     そう言って悲しそうに手を離そうとするヘリオス。そんな彼女の手を、俺は慌てて握り返した。

  • 8二次元好きの匿名さん25/08/09(土) 02:01:48

    「い、嫌じゃない……けど! ああ、もう!」
    「へへ……ありがとう、トレぴ……☆」

     彼女はまるで俺がこうするのが分かっていたかのように頬を掻いて、俺の手を握り返す。

     ……いつもこうだ。悲しそうな顔を見ていたくなくて、俺は彼女の思わせぶりなその態度に合わせてしまう。
     そして、その笑顔を見ると結局これでいいか、とも。本当は、こんなことやめた方がいいはずなのに。いつだって主導権を彼女に握られてしまっている。

    「真っ暗だね」
    「ああ、もう誰もいないみたいだ」

     どうにでもなれと言わんばかりに、その手を引いて夜の校舎を歩く。もうすでに辺りは真っ暗で、人影一つなくまるで世界に二人だけになったような感覚に襲われる。

    「……トレーナー」
    「ん?」
    「……ううん、なんでもない!」

     何かを言いかけた彼女の顔を横目で見る。彼女は少し照れたように、だがいつもと変わらない明るい笑顔を浮かべていた。
     そしてその笑顔見て、俺はまた性懲りもなくこれでいいかと思ってしまった。

  • 9二次元好きの匿名さん25/08/09(土) 02:02:48

    終わりです。
    読んでくれてありがとうございます。

  • 10二次元好きの匿名さん25/08/09(土) 02:08:36

    この「〝まだ〟くっついてない」絶妙な距離感がまたイイ。
    素晴らしいものを読ませていただきありがとうございます。

  • 11二次元好きの匿名さん25/08/09(土) 02:53:42

    >>10

    感想ありがとうございます

    曖昧な距離感を詰めてくるヘリオスが書きたかったのでそう言って頂けて嬉しいです。

  • 12二次元好きの匿名さん25/08/09(土) 03:01:36

    なかなかいいじゃない
    寝ようとしたのにちょっとキュンとしちゃったよ

  • 13二次元好きの匿名さん25/08/09(土) 04:25:44

    一回脳味噌壊れちゃったらもうなりふり構ってられないよね
    絶対に傍にいると誓った太陽はいずれ星を呑み込むでしょう
    お幸せに……

  • 14二次元好きの匿名さん25/08/09(土) 05:58:13

    >>12

    ありがとうございます!


    >>13

    イケナイ太陽……

  • 15二次元好きの匿名さん25/08/09(土) 12:44:44

    ヘリオスみたいな子が怒ったら一番怖そう
    その怒る理由は自分のためではなく周りを思いやるからこそなんだけどね

  • 16二次元好きの匿名さん25/08/09(土) 22:09:06

    >>15

    真顔で説教するヘリオス怖いけど可愛い

  • 17二次元好きの匿名さん25/08/10(日) 07:55:56

    例の敬語ヘリオスを思い出した

オススメ

このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています