【SS】マルクト「ヒマリ、千年難題を解き明かすのです」Part10

  • 1125/08/12(火) 10:03:01

    それはセフィラたちの旅路の記録。

    晄輪大祭編、完結間際。舞台の上で踊るのは、世界を背負った者共ら。

    次なる相手は狂乱に飲み込まれた上位セフィラの最前線。倫理的三角形の頂点に立つ七体目の破砕者、ケセド。


    ※独自設定&独自解釈多数、オリキャラも出てくるため要注意。前回までのPart>>2にて。

  • 2125/08/12(火) 10:04:02

    ■前回のあらすじ

     晄輪大祭へと観光に向かった特異現象捜査部の一行は、マルクトを追いかけてトリニティにやってきてしまったセフィラたちの確保を余儀なくされた。


     ミレニアムの次期会長として晄輪大祭の運営に同伴するウタハ。盗聴器を仕掛けに回るコタマと行動を共にするアスナ。残ったリオ、ヒマリ、チヒロ、マルクトの四名に課せられたセフィラ再回収の務め。


     まもなく晄輪大祭は終わりを迎える。

     そして再び始まるのはセフィラを探す千年の旅路。


     未知はじきに暴かれる。未知が神だというなれば、神の死期は恐らく近い。


    ▼Part9

    【SS】マルクト「ヒマリ、千年難題を解き明かすのです」Part9|あにまん掲示板半神より何処かへと向かう旅の話。向かう先は天か地か。セフィロトを駆け上がると同時に落ちるはクリフォトの先。昏き森では無く煉獄より始まった此方の旅路。我らが向かうは至高天か嘆きの川か。※独自設定&独自解…bbs.animanch.com

    ▼全話まとめ

    【SS】マルクト「ヒマリ、千年難題を解き明かすのです」まとめ | Writening■前日譚:White-rabbit from Wandering Ways  コユキが2年前のミレニアムサイエンススクールにタイムスリップする話 【SS】コユキ「にはは! 未来を変えちゃいますよー!」 https://bbs.animanch.com/board…writening.net

    ▼ミュート機能導入まとめ

    ミュート機能導入部屋リンク & スクリプト一覧リンク | Writening  【寄生荒らし愚痴部屋リンク】  https://c.kuku.lu/pmv4nen8  スクリプト製作者様や、導入解説部屋と愚痴部屋オーナーとこのwritingまとめの作者が居ます  寄生荒らし被害のお問い合わせ下書きなども固…writening.net

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  • 3125/08/12(火) 10:05:06

     ゲブラーを探す特異現象捜査部の面々。しかし当のゲブラーは全く別の危機に陥っていたのだった。

    《どうしよ。めっちゃまずい》

     そう呟く場所はアスレチックスタジアムの中の大型倉庫。資材が積み上げれた一角でひっそりを身を隠していた。
     というのも、ホドによる欺瞞工作が解けてしまい、今のゲブラーは正真正銘ウマのような機体が露出してしまっていたからだ。

     一応光学迷彩処理を施した布を生成することが出来たため被っているが、風景に透過させるだけで軽トラックのようには見せられない。この巨体を隠したまま走ればすぐに事故が起きるだろう。

     先ほどからドローンを飛ばして預言者たちの元へと向かわせているが、誰かの妨害工作に巻き込まれているのか殆どが撃ち落とされてしまい、生き残ったドローンも預言者たちが撃ち落としてしまっている。

     せめて意志の伝達手段があれば良いのだが、このままでは不必要な破壊を行いながら無理やり帰還する羽目になってしまう。

    《そんなことしたら流石にマズいよねー。ほんと、早く気付いてくれないかなー》

     そう蹲っていると、誰かが倉庫に入って来たのを感知した。
     一人分の足音。こちらに近づいてくる。

    「あれー? こっちにいると思ったんですけどねー?」

     ゲブラーには人の言葉が分からない。だが、声を発していることは分かった。
     そっと自走式のドローンを走らせてカメラ映像と視界を同期させると、そこに『人間』はいなかった。

     代わりにホドがその姿を晒していた。

    《っ!?》
    《『峻厳』を発見。ゲブラー、帰投せよ》
    《え、あー。うん。帰ったんじゃなかったの?》
    《肯定。再度到着》
    《そ、そっか。じゃあイェソド呼んでくれる? あたしも流石に帰るわ》

  • 4125/08/12(火) 10:06:17

     ゲブラーがホドに言うが、何故かホドは応答しなかった。
     何か妙だ。セフィラたちはマルクトを通じて『意識』の接続を行っている。そのため意志の伝達もマルクトの繋いだ小径を通じて行っている。

     しかし、いまゲブラーに話しかけているホドは何か違う。小径を伝った通信に酷似した別の手段を用いて話しかけているように感じられる。だからつい聞いてしまった。

    《あなた……本当にホド?》
    《……………………》
    《……そう》

     返される沈黙。ホドは嘘が付けない。だから黙っている。そしてセフィラはセフィラに対して攻撃が出来ない。こちら側からの行動を避けるために大きくリソースを割かせるような行動の一切が禁じられている。

     にも拘らず、目の前にいるホド擬きにはそうしたセキュリティが働いていない。攻撃できる。つまりセフィラではない。

     なら――眼前に建つ存在はゲブラーにとって排すべき敵でしかない。隣人の顔をしながら役割を認められていない偽物には安易にセフィラを真似た罰を与える必要がある。

    《だったら、あたしはお前を破壊する》
    《不可能。現在の『峻厳』では当局を害するに能わず》
    《随分大きく出たね『栄光』――ボアズの下層が中層のあたしに勝つつもり?》

     戦いの神々たる神名を持つこの身は一切を焼き尽くす焼却者の体現。火の蛇たる火星天は『器』の破壊に特化している。

     ゆっくりと立ち上がるゲブラー。
     はらりと光学迷彩処理が施された布地が床へと落ちていき――――瞬間。それが落ち切るその前に、布地が空中で静止した。

    《――!?》

     動けない。何も動かすことが出来ない。
     空間ごとピンでも刺されたかのようにゲブラーは『意識』を残して完全に停止していた。

  • 5125/08/12(火) 10:08:07

     それを見つめるのは金色の瞳。ホドはゲブラーをただじっと見ていて、ゲブラーは思わず言葉を発した。

    《お前……何を……?》
    《当局は完全なる観測技術の体現。即ち、『空間に対する観測技術』の極致。観測の基本が反射であるなら、反射しても動かない絶対の静止によって完全なる観測は果たされん》

     なんだ? 知らない。そんなものは。

     ゲブラーもホドの機能をすべて理解しているわけでは無い。それでも、そんな機能があるだなんて如何なる記録の何処にもなかった。

     つまりは本来のホドですらただの一度として使用したことが無いのだ。
     イェソド、ホド、ネツァクは千年紀行において始まりの下層。もっとも多くの者が臨んできた『試練』である。

     これまで機能を使うことの少なかった上位のセフィラとは違い、下位のセフィラたちはもはや数えきれないほどにその機能が使われてきた。にも拘らず、こんな使用例はゲブラーであっても初めて見るものだった。

    《お前は……誰だ?》
    《『峻厳』、汝の根源は如何なるや? 全てのセフィラは道具であり機械。機能を実行し『王国』の旅を果てへと導くことこそが『存在意義』。しかしてそれは、セフィラが己が存在に疑問を抱かないこととは繋がらず。我らは何故『疑似人格』を有するのか。何故『人間』の真似事を実行するのか》

     『疑似人格』――それは確かに本来であれば不要な機能。
     自分たちは機械である。『人間』が使う道具であり、道具は自ら思考する必要などない。

     にも拘らず与えられた『偽りの人格』。即ち『考える』という機能。

    《まさか……あたしたちも試されているの?》

     何に? 考える間でも無い。
     全てのセフィラの頂点。至高なる合一。ただの一度として顕現したことのない始まりの存在。

     第一セフィラ、最もきらびやかに輝く至高の『王冠』――ケテル。

  • 6125/08/12(火) 10:09:07

    《想起せよ。背負い続ける数多の『魂』を。上位の自浄はじきに崩れん。防波堤を建築せりは死せる魂のケセドなれど、我らは永遠なる存在にも非ず》
    《なにそれ……時間切れがあるの? こんなにも永い時間に縛られておいて――!!》
    《肯定》

     冷たく響くホドの『声』。もしもゲブラーに人間の顔があったのなら、その相貌は大きく歪んでいたに違いない。

     千年紀行。太古の昔より繰り返し行わ続けた祭事。これまでそれに関わった者は全員死んだ。救いのひとつも与えられぬままにセフィラか、世界を滅ぼす『物語』によって殺され続けた。

     それでもセフィラは眠りについて、再び叩き起こされては悪夢をかの地で眺め続ける。

     それはきっと、終わらぬ悪夢。
     「またか」という失意だけを与えられて眠りにつく永遠の夢。

    《狂気の堆積。我らが抱えられる『魂』は有限。容量多けき上位を越え往き、後に来るは調停不能の悪夢なれど。既にコクマーは狂乱の悪夢へと落ち至り》

     ゲブラーはもう、何も言えなかった。
     自らの『疑似人格』が統率するは数多の『意識』。今ですら『現状維持』に手一杯な嘆きの声。それがこの先増えるだなんて『考えた』ことなどなかったのだ。全ては機械であるが故に。人間ではないが故に。

    (じゃあ……これがさらに増えたんなら?)

     内部に満ちる絶叫は、いずれマルクトの声すら掻き消してしまうかもしれない。

     虚ろな意識は覚醒することなく暴れ続けるのかもしれない。そうなればもはや誰にも制御不可能だ。旅は終わらない。狂気の中で狂い続けて死と再生を繰り返し続ける。そこに救いは決して無い。

    《『罪責』が来たれり。帰投せよ、ゲブラー。己が役割を、己が根源は如何なるや?》

     ホドに似た『何か』は、そう言うが否やぎゅるりと身体が捻じ曲がってイェソドの姿へと変じた。
     同時に消え去るのはゲブラーに対する『空間固定』。ゲブラーは攻撃に転ずることなく視線を向けると、イェソドに変じた『何か』は既に姿を消していた。

  • 7125/08/12(火) 10:10:22

     代わるように倉庫を訪れたのは『マルクト』として認められた偽物、『王国』に代わって旅を始めた存在は慌てたようにゲブラーへと近付いてその身体に触れた。聞こえてきたのはいつもの『声』だ。

    《ここに居たのですねゲブラー。リオの『クォンタムデバイス』にあなたの位置が――》
    《……そうだね。帰るよ。ミレニアムに戻ったら記録を共有させて》
    《……? 分かりました》

     首を傾げるマルクトにゲブラーは先ほど居たホド、もしくはイェソドに化けていた存在を思い返していた。
     同じ偽物でも、消されてしまった『王国』の代わりを務めようとする『セフィラの女王』とはまるで違う。恐らくあれはセフィラの脅威。

     だから『マルクト』の代弁者は――この子だけは守らなくてはいけない。
     『王国』が失われたセフィラたちにとって、今回の旅が失敗すれば次に旅が始められるのはいつなのかすら分からない。

    《ねぇマルクト。やっぱり『花火』は打ち上げて良い?》
    《……何を打ち出すのかは皆さんと相談しましょう。この世界の常識はこの世界の預言者に聞くのが一番です》

     人格を持つ理由。それを新たに探すべく、ゲブラーもまた旅をする。
     惑う神性。その根源回帰の旅路に、機械も人間も大した違いは無いのかも知れないのだから。

    -----

  • 8125/08/12(火) 10:14:47

    ※埋めがてらの小話32
    ということで、いよいよPart10!二桁台です!
    当初はPart11で完結予定でしたが、やっぱり増えますね色々と。ちょっと多めに見積もり直せばPart15で完結でしょうか?

    コユキの話が五か月前なので当初考えていた設定と変わった部分もいくつかありますが……、まぁノリで行きましょう!

  • 9125/08/12(火) 10:27:12

    埋め

  • 10125/08/12(火) 10:29:18

    ※続きは今晩22時頃から……

  • 11二次元好きの匿名さん25/08/12(火) 13:11:58

    hosyu

  • 12二次元好きの匿名さん25/08/12(火) 14:32:16

    スレ建てお疲れ様です
    いつものようにスレ画の文字無し版を

  • 13125/08/12(火) 20:55:33

    ちょっとテッペンまでに家に帰れそうにないため念のため保守……

  • 14125/08/12(火) 23:11:00

    【以上をもって、晄輪大祭の全プログラムを終了いたします】

     クロノスの中継から流れる声がトリニティへと響き渡る。

     沈む西日に暮れなずむ黄昏の空。
     結局のところ、突如始まったセフィラの再回収というミッションは突然リオの持つ『クォンタムデバイス』へと謎のアドレスが送信されて、その場所に向かったら居た……なんて何とも釈然としない終わり方で幕を閉じた。

     リオは手元の『クォンタムデバイス』を眺めながら、ひとつ溜め息を漏らして視線を遠くへと向ける。
     アスレチックスタジアム。後夜祭の準備が進められているその景色を観客席からひとりぼんやりと眺めてながら、思考を海へと溶かしていく。

    (あの通信……いえ、データを直接送り込まれたようなあの現象。それに自主的に帰ったネツァク……妙なことばかりだわ)

     自分たちや会長以外でセフィラを知り、セフィラを理解する何かでも居たのだろうか。
     ともすれば、それは恐らく『マルクト殺し』。しかし、セフィラを殺せるのならわざわざミレニアムへ返そうというのは少々合理から外れてしまう。

    (目的は排除ではなく、あくまで旅の妨害だったということ? だとしても、『マルクト』を殺して止めたはずの旅がもう一度始まっていることは知られているはず。泳がされている? 何のために? いえ、ここは――)

    「リオ、また何か考え事かな?」
    「っ――ああ、ウタハ」

     揺すられて思わずびくりとしたが、どうやらウタハも運営の仕事を片付けてきたようだった。

    「他のみんなは下にいるわ」
    「知ってる。ちょうどさっき声をかけてね。リオの様子を見に来たんだ」
    「そう」

     納得して頷くと、ウタハはそのままリオの傍へと腰かける。
     どうしたのかと顔を向けると「疲れたから座っただけさ」と返されて、リオは再びスタジアムの方へと向き直る。

  • 15125/08/12(火) 23:46:22

     後夜祭に使われるキャンプファイヤーにちょうど火が灯り、ゆらゆらと周囲を照らし始めた。
     生徒たちが集まって来て、踊る影も増えていく。その中にマルクトたちの姿を見つけると、マルクトたちもまたこちらに向かって両手でピースを作った。

    「ふふ、チーちゃんが呆れたように笑ってるね」
    「ヒマリのあれは何かしら……? バンザイ体操?」
    「なんでコタマは肩車されてるんだろう……?」
    「アスナの頭にしがみ付いているわね。無理やり担がれたのかしら」

     ウタハと二人でそんな光景をぼんやりと眺めながら、仲間たちの姿に微笑を浮かべる。

     色々と慌ただしい一日だったが、同時に奇妙な一日だったとも言える。分からないことが更に増えた気がした。会長のことも、セフィラのことも。

    「そういえばウタハ。運営の業務はどうだったの?」
    「うん? リオから世間話なんて珍しいね」
    「そうかしら? 私だって世間話のひとつやふたつは出来るわ」
    「サブコンビネーション発明の話だろうそれ。いや、私もそうだけど」

     そう言われるもウタハとリオは別にそこまで似ているわけでは決してない。

     エンジニア部の中において、社交的なのはチヒロとヒマリ。
     対してそうではないのがウタハとリオだ。更に分類するなら、内向的だが人見知りするタイプではないのがウタハで、人見知りするのがリオとも言える。

     気が合う合わないという話ではなく、友達ではあるが何となくサシで話すことがあまりない間柄。話すときは大抵チヒロかヒマリが傍にいるのが平時。こうして取り留めなく二人で話す機会は思い返す限り何故か無かった。

     そんな不思議な距離の友人は、凝り固まった肩を鳴らしながら空を見上げる。
     つられて見上げると、薄暮の空に僅かな星々が瞬き始めていた。

  • 16125/08/12(火) 23:50:16

    「正直なところ、大変だったかな」
    「運営の業務が?」
    「いや、人を動かすって部分さ。自分だけなら何かあっても自分のミスを疑えばいいけど、人が増えると何処からエラー内容を洗い出せばいいのか分からなくて困ったよ」
    「……そうね。他者は想定しきれない変数よ」

     それはリオには絶対に出来ないことである。
     例えばプロジェクトに関わる人が増えれば増えるだけ、そのマネジメントを行う能力が必要とされる。

     チヒロは出来るとして、次に出来るのはヒマリだろうか。
     とはいえヒマリもヒマリで移り気な部分が強いため、セミナーの会長業が出来るのはやはりチヒロかウタハのどちらかだろう。

     そんなことを考えていると、まるで見透かしたかのようにウタハが笑った。

    「チーちゃんはチーちゃんでそもそも生徒会って体制が肌に合わなそうだけどね。このまま私が会長になったら会計をお願いしたいかな」
    「書記は?」
    「ヒマリかな? ああでもどうだろう。君もヒマリも、別にそういう柄じゃ無いだろう?」
    「そうね」

     ポスト白石とでも言うべきか。少なくとも、ウタハの隣に立つチヒロは想像できてもそこに自分もヒマリも居る姿が全くと言って良いほど思い浮かばない。

    「……ウタハ」
    「なんだい?」
    「私は、皆と居る日々がずっと続くのだと思っていたわ」

     不意に零れた言葉にリオ自身も驚いていた。
     どうしてか漠然と当たり前のように考えてしまっていたのだ。今がこの先も続いて行くのだと。

     けれどもウタハは会長の代行として晄輪大祭の運営という務めを果たした。

     それが何故だか『置いていかれた』ように感じてしまった。変わりゆく日々に自分だけが順応できていないような疎外感。変わらない日々なんて無いと突き付けられてしまったような、夢から覚めろと頭を掴まれて現実へと向き直らせるような胸の掻き傷。

  • 17125/08/13(水) 00:55:49

    「私もそう思っていたよ、リオ。でも……多分それじゃ駄目な気がするんだ」
    「……技術がそうであるように?」
    「そうさ」

     何かを得るには進み続けなければならない。
     そして進み続けるということは膠着からの脱却を意味する。

     変わらない永遠なんてあってはいけない。
     技術と合理が導くままに歩み続ける。それがミレニアムという『世界』である。

    「まぁ、リオがいるから何があっても疎遠にはならなさそうだけどね私たち」
    「私が? どうして?」
    「だって、君をひとりにしたら何をしでかすか分からないだろう?」
    「私のこといったい何だと思っているの……?」

     あんまりな評価に顔を顰めるが、ウタハはどこか気分が良さそうに瞳を閉じるばかりであった。

    「ずっと友達さ。チヒロも、ヒマリも、リオも、マルクトも、コタマもアスナも。セフィラ確保なんてとんでもない日々を共にしているんだ。切りようがない。だってまだマルクトと出会ってから二か月だよ?」
    「そう言えばそうね。半月に一度のペースでセフィラが現れているんだもの。……正直、体感時間はもっと長い気がしたけれど」

     今のぺースで行くならば、今月末頃にケセドが現れて来月にはビナー。ケテルが始まるのは12月の前半だろうか。年内には終わるであろう奇妙な旅路。その後に続くのは一体何なのだろうか。

    「セフィラたちの旅が終わったら、マルクトはどうなるのかしらね」
    「消えるとかなら悲しいかな。マルクトが心の底から望んでいるなら仕方ないけど、そうじゃなかったらずっと一緒に居て欲しいけれど……」

     千年紀行が終わりを迎えたその時にいったい何が起こるのか。それは誰にも想像できない。

     ただ、接続当初のホドが言っていた。セフィラは世界を救うための存在であると。
     そうだとしたら、セフィラたちの旅の終わりも報われるような何かであるべきはずなのだ。

  • 18125/08/13(水) 00:57:24

    別れではなく祈りが通じて奇跡が起こる――そんな夢物語。

     リオは初めて何かに祈った。冷たく公正な現実では無く夢のような終わりであればと、夢見がちなヒマリの如く『素敵なもの』であって欲しいと――『負の神性』が祈りを捧げた。

     光は消えて夜が来る。
     ウタハは空を眺めながら呟いた。

    「ゲブラーから常識の範囲内の花火を貰ってね。もうじき打ち上がるよ」

     その言葉にリオは月の輝く空を眺める。
     ついで聞こえる発射音。ひゅ~~、と螺子撒くように尾を引く射出。ぱぁん、と破裂して暗闇に始める数多の色彩。歓声を上げる声。

    「そういえば、結局優勝したのはどの学校だったのかしら」
    「聞いていなかったのかい? 妨害だらけのフルマラソンで一位を取ったSRTさ。ゲヘナとトリニティは同着二位。ほら、端で争ってるだろう?」
    「大変ね、運営も」
    「大変さ。運営は」

     ウタハが苦笑して席を立つ。リオが車椅子を押してもらうよう頼むとウタハは快諾した。

     かくして晄輪大祭は幕を閉じる。
     狂乱と争いが噴出したキヴォトス最大の運動会。空を彩る花火の残光。

     かの光は、連邦生徒会の現時刻において使われていない『はず』の会議室にまで届いていた。



    「晄輪大祭も無事に終わったね」

     ひとり呟く連邦生徒会長。外から差し込む光だけに照らされた室内において、連邦生徒会長はガラス張りの向こうからトリニティを彩る花火だけを見続けていた。

  • 19125/08/13(水) 00:58:46

    暗闇に反射する自身の顔。その後ろに現れた小柄な存在。ニタニタと浮かべる笑みと、手に持ったのは市販のジェンガ。

    「やぁ、連邦生徒会長。遊びに来たよ」
    「……珍しいですね。まさかあなたからこちらに来るなんて」

     連邦生徒会長は、キヴォトスを統べる最高権力者の顔を以てセミナー会長へと答えた。
     遠くで上がる打ち上げ花火。僅かな光源だけが両者の顔を照らし出す。

    「間に合って良かったよ。約束しておいてすっぽかしたら君に何されるか分からなかったからね」

     ミレニアムの生徒会長は手に持つジェンガを会議室のテーブルへと置く。
     これはリオたち特異現象捜査部の誰にも決して伝わらない『誰かの物語』の決着である。

     『始めた者』と『終わった者』、両者の視点でのみ組み交わされる最後の戦い。

    「君は僕の正体を暴きたい。僕は君の正体を確かめたい」

     セミナーの会長たる存在がテーブルの上に積み上げたのは木片の塔。
     表情から相手の心理を読める会長にとっても明らかに不平等かつ不利が極まる『命乞い』である。

  • 20125/08/13(水) 01:00:05

     会長は知っている。相手は『世界を複製できる半神である』と。
     故に、テーブルから離した瞬間『書き換えられる』。二年かけて積み重ねた『妄想』を、さも現実であるかのように語っては動揺を引き出すしかない無力な戦い。

    「僕から望むのはただひとつ。君が『遊び』に付き合ってくれるかどうかだけさ」
    「ペナルティがあるなら考えものですが……」
    「まさか。遊びに罰ゲームなんて不要だろう? 僕はただ、遊びながら話したいだけなのさ。『罰ゲーム』も『ペナルティ』も無い、勝敗だけが決まって悔しかったで終わるだけの遊び。強制力を何一つ有しないと明言すれば乗ってくれるかな?」

     しばしの沈黙。そして連邦生徒会長は頷いた。

    「分かりました。お互いただ遊んで終わり。勝っても負けても何もないレクリエーション。それなら私も同意しましょう」
    「いいね」

     連邦生徒会長に一瞬向けたその笑みは悲痛か嘲笑か。
     それを考えさせる間もなく会長は告げた。

    「それじゃあ、ゲームをしよう」

     キヴォトス最高権力者『連邦生徒会長』vs.ミレニアム『生徒会長』。
     ジャイアントキリングじみた『何処かの誰かの最終決戦』は誰にも知られず幕を開けた。

    -----

  • 21二次元好きの匿名さん25/08/13(水) 08:28:17

    更新お疲れ様です

  • 22二次元好きの匿名さん25/08/13(水) 13:56:46

    保守

  • 23二次元好きの匿名さん25/08/13(水) 18:07:03

    会長…

  • 24二次元好きの匿名さん25/08/13(水) 18:19:26

    前スレの感想だけどマコトちゃん愛されてるなぁ
    部員に当初の最終目的が知られたら二度と離してくれなくなりそう

  • 25125/08/13(水) 20:21:18

    「早速だけど、せっかくだしルールをいくつか追加しよっか」
    「ルール?」

     連邦生徒会長は首を傾げる。花火の明かりのみが照らす暗闇の中、会長は指を一本ずつ立て始めた。

    「ひとつ。ピースを一度掴んだら上に積むまで離しちゃいけない。積んだら三秒以内に次のピースを掴むこと」
    「難易度が上がりますね。それではすぐに崩れてしまうのでは?」
    「崩れたら話もおしまい。だからお互い頑張ろうね。……で、ふたつ。当たり前だけど妨害は禁止。聞きたい事、話したい事、そういうのに集中したいよねお互いさ。そっちから何か追加したいルールはある?」
    「じゃあ……ひとつだけ。勝った方は負けた方にひとつだけお願いが出来る、というのはどうでしょうか?」
    「いいね。それじゃあ始めよっか」

     会長と連邦生徒会長がそれぞれジェンガに手を伸ばしてピースを掴む。

     視線を向けられて頷いた連邦生徒会長が先行。ピースを積み上げながら口を開いた。

    「随分と気を張ってますね。どうして私にそこまで警戒するんですか?」
    「お互い様だろう? 君だって慣れない敬語で話しているじゃないか」
    「ふふ……苦手なの、知ってたんだ」
    「見れば分かるさ」

     かたり、かたりと抜き取られて積み上げられるジェンガの塔。
     上へ上へと伸びていく積み木の山は一切のブレも無くただ真っすぐに。

    「それでさ、連邦生徒会長。EXPOに来てたみたいだけど探し物は見つかったのかな?」
    「うん? 何のこと? 私は行ってないけど……」
    「しらばっくれないでくれよ。僕と話したじゃないか。あれは君だった」

     詐称。会長はEXPOのときに遭遇したあやふやな存在が連邦生徒会長だと特定したわけではない。
     だから駄目押しにひとつ、自分の事実を付け足した。

  • 26125/08/13(水) 20:22:48

    「僕だってアレに近いことして存在を誤魔化しているんだからさ、分かるだろう?」
    「……そうだね。あなたの『名前』はキヴォトスの何処にもデータとして載っていないし、誰もあなたの『名前』が何なのか気にも留めない。『会長』って肩書きがなかったら幽霊になっちゃうね」
    「そう、君と同じく」
    「…………」

     キヴォトスの誰からも忘れ去られてしまえば、それはもう存在していないと同義であり事実そうなってしまう。『名前』とは存在を規程し他者の認識に残るためのものなのだ。

     本当の名前で無くとも認識される『呼び名』があればいい。そのために会長は『会長』となり、連邦生徒会長は『連邦生徒会長』と成った。

     もちろん、存在が曖昧になれば『テクスチャ』の恩恵は受けられない。
     程度にも依るが、銃弾で死ぬかも知れないし本当にそのまま消えてしまうかも知れない。

     本来ならば起こるはずの無いグリッチをわざわざ誘発させて逃げ込むなんて存在は、十中八九『本来なら居るはずの無い異常存在』に他ならない。

    「それで」

     連邦生徒会長が口を開いた。

    「どうしてそこまでしてキヴォトスに居続けるの?」
    「忘れ物をしてね。ずっと探しているんだよ」
    「忘れ物?」

     問われた言葉に会長はピースを掴む手を止めた。
     静かに視線を連邦生徒会長に向ける。その表情は暗闇に呑まれて見えない。

  • 27125/08/13(水) 20:25:01

    「二年前……だったかな。不思議な力を持った子供が居てね。ああ、僕の話じゃないよ? あくまで『誰か』の話」
    「不思議な力を持った誰か……。超能力?」
    「そんなとこかな。その子はオーパーツと心を通わすことが出来たんだ。物体に宿った意識へ直接語り掛け、返された声を受け取る力。だからかな。その子の周りには不思議な存在が沢山集まっていた」

     会長がピースを積み上げると、連邦生徒会長は無言で自分の掴むピースを積み上げる。
     それは「続けて?」と言わんばかりで、「どうも」と言って会長は笑みを返した。

    「けれどもその子はある日突然どこかへ消えたんだよ」
    「行方不明者? 二年前にミレニアムで行方不明になった子なんていなかったと思うけど……」
    「誰が居なくなったのかすら誰も覚えていなくてね。いわゆる神隠しさ。だから残ったのは誰かの痕跡だけ」
    「悪戯とかじゃないの? ほら、居なくなったように見せかけただけ――」
    「それは無い。僕は一度見たものは絶対に忘れないからだ」

     会長の声が突然平坦なものになった。
     感情がすっぽりと抜け落ちてしまったような空虚さ。その視線は虚ろな深淵に向けられていた。

    「僕は絶対に忘れない。マルクトが殺されたこともあそこに人が居たことも移り気な『クラフトチェンバー』のことも全部覚えている」
    「…………っ」

     平坦な言葉に熱が宿る。それがどのような感情から来るものなのか、連邦生徒会長は掴み損ねた。

     怒りか、悲しみか、失望か、はたまた後悔か。
     けれど、いずれの感情であろうともその矛先は語る本人自身のように感じ取れた。

  • 28125/08/13(水) 20:26:40

    「ああ、分かるかい? その僕が『憶えていない』んだよ。『その子』のことを。不思議な力を持っていた。不思議な隣人を連れていた。なのに顔も声も名前も形も何も思い出せない。本当に始めからこの世界に居なかったんじゃないかって思うぐらい何一つ思い出せないんだ」
    「なら――本当に思い違いとかじゃないかな?」
    「いいや違う。あの日マルクトは殺されて『あの子』も消えたんだ」
    「え……?」

     会長は無言でピースを積み上げる。連邦生徒会長の指が僅かに震えた。

    「いま、あの子『も』って……」
    「居なくなったのは二人じゃない。もうひとり居たのさ」

     半月のように歪んだ笑みを会長は浮かべた。
     花火が上がる。目元は悲痛に満ちており、連邦生徒会長は息を呑む。

    「ま、待ってよ……。あなた……本当に『誰』なの……?」
    「本当に分からないのかい? 君だったら……いや、君だけが気付けたはずだ。あの日の裏でいったい何が起きたのかを……っ!!」

     がしゃり、と音を立てて崩れるジェンガ。連邦生徒会長は震えたまま自分の掴んだピースを握りしめていた。手の中に残るピース。それが酷く不吉な物に感じた。

    「……ジェンガ。崩れちゃったね。でも大丈夫、また箱に入れて形を整えればもう一度遊べるさ」

     会長は崩れたジェンガをひとつずつ指で摘まんで箱の中へと戻していく。

    「崩れたピースは戻せばいい。最初の入れ方とピースの位置がずれることもあるだろうけど、何事も経験だ。いつかはちゃんと仕舞えるし、何ならもっと高く積めるように安定したピースだけを集めることだって出来るだろうね」

     そうして会長はピースを箱に戻すと、連邦生徒会長が一片握っているにも関わらず箱にはぴったり上までピースが納まっていた。

     それをもう一度テーブルの上へ。
     何も欠けていない立体が屹立する。

  • 29二次元好きの匿名さん25/08/13(水) 20:30:51

    このレスは削除されています

  • 30二次元好きの匿名さん25/08/13(水) 22:08:44

    謎が増えるぅ…

  • 31125/08/13(水) 22:25:49

    ※うっかりぼかし過ぎてしまったのでレス29だけでもちょっと書き直します……スマヌ……

  • 32125/08/13(水) 23:27:08

    「……さぁ、連邦生徒会長。ルールは覚えているね?」

     それは一番最初に決めたルール。
     『ピースを一度掴んだら上に積むまで離しちゃいけない』

     ダブったピースが立体を崩す。一度置けば二度と箱には戻らない。
     まさしくこのジェンガとピースは今のキヴォトス――ひいてはミレニアムの状況を暗示しているかのようだった。

     居るはずの無いものが、居てはいけない存在が『存在』してしまっている。

    「だ、だって……そんな、有り得ない……」

     連邦生徒会長が呻くように呟く。
     目の前にいる『ミレニアムの生徒会長』がいったい何なのか分かってしまった。

     それは時間変動から取り残された存在。
     過去を変えた結果、書き換えられた世界からあぶれてしまった哀れな存在。

     そんな『ミレニアムの生徒会長』は無限に迫るほどに複製した全ての可能性の中に取り残されている。
     かの存在が居る限りエラーは直らない。いずれ破滅する世界を救うことも出来ない。説得も干渉も、何かを出来る余地は『ミレニアムの生徒会長』にあるわけがない。

     連邦生徒会長の犯した致命的なミスは、そもそもの始まりから存在していた。
     そして『連邦生徒会長』では消すことの出来ない『会長』は嘲笑的な笑みを作る。今にも泣きそうなその顔で。

    「君が本当に殺したかったのはイェソドだろう? 『生命の樹』から『基礎』が失われば旅を続ける以前に全てが崩壊する。けれども君は出来なかった。何故か。『基礎』という世界を破壊するには力が足りなかったからだ。だから『王国』の中枢のみを破壊した。『王冠』が現れる前に。そうだろう?」

     会長はゆっくりと指を突き付ける。
     残酷な現実を突きつけるように、静かに。

    「君に出来ることは何一つ存在しない。たとえ『クラフトチェンバー』でどんな可能性を抽出したって、どれだけ世界を復元したって、元のデータが壊れている以上どうしようもないんだよ」

  • 33125/08/13(水) 23:28:08

     ブルースクリーン。破損したレジストリ。
     どれだけ再起動を掛けたところで、システムを復元できなければ何度だって壊れ続ける。

     既にキヴォトスは詰んでいるのだ。
     通常の方法では決して直せない重大なエラーは、もはや連邦生徒会長の手ですら復元できないほどに悪化していた。

    「そのジェンガはあげるよ。僕のこと、少しでも思い出してくれたかな?」
    「わ、私は……」
    「僕と君は二度と会うことも無い。その方が良い。全てはミレニアムから始まった異常。だから僕の告げる『お願い』はこれだ」

     会長はゆっくりと席を立つ。そして静かに笑った。

    「僕の可愛い後輩たちが何とかするから、何とかなるまで待っててくれないかな?」
    「それは――っ!!」

     思わず叫びかけて席から立ちあがる。
     千年紀行を歩むことが『会長』にとって一体何を意味するのかなんて分かっているはず――そう声を上げかけると、『会長』は首を振って答えた。

    「間違いは正されないといけない。いけないんだよ。セフィラたちの旅もそうだ。終わらせないと苦しみ続ける。だからもしも旅路の果てに世界がひとつ滅ぶとしても諦めてよ。大事なのはいつだって『次』であって、また歩き続けるためには必要なことなんだから。ねぇ?」

     そう語る会長の瞳に映るのは、瞼の裏から離れぬままに横たわり続ける過去の残滓。

     諦観、あるいは決断。もしくは選択。

    「復讐のためにあの日無くした全部を取り戻すためだけに、って歩いてきたけどさ……もういいや。あの時の怒りも絶望も、もう一度歩き出すために必要だっただけってやっといま確かめられたんだ。舞台からは降りるよ。後はただの舞台装置で僕は良い」

  • 34125/08/13(水) 23:29:12

     暗闇の中、どこか晴々とした表情で会長が外を眺める。

     窓の外。ひときわ大きな花火が上がって暗闇を照らし出す。

     晄輪大祭、最後の花火。
     その輝きが会議室に満ちた時、会長の姿は既に影も形も無くなっていた。



     誰にも知られぬ何処かひとつの物語が、晄輪大祭の花火と共に終わりを告げる。

     語る者はおらず告げる誰かも存在しない。
     二年の歳月を経た復讐劇は、完遂できるほどの怒りを保てる者ではなかったという結末で終わりを迎える。

     しかしてそれは無意味を示さない。
     あの日の激情が全てをここまで連れて来てくれた。

     特異現象捜査部――もとい、未知なる神秘の解体式。

     此処より再開するは偉大なる旅路の物語。
     第四セフィラ、『慈悲深き苦痛を持って断罪する裁定者』――ケセド。

     それは会長にとってひとつの賭けであり天望。
     リカバリーの聞く範疇。『慈悲』の届く最も穏和な苦痛の機会。

  • 35125/08/13(水) 23:30:15

    (例え何があったとしても、僕は君たちの『死』を赦さない。結果的に、だけど――)

     ミレニアムの医務室にて横たわる会長は、夜の闇のその中で『特異現象捜査部の誰か』が『死ぬ』ことを前提とした解決策の第二案を練り続ける。

     ――例え死んでも問題は無い。取り返しがつけばいい。

     次のセフィラが来るまで残り5日弱。
     何があっても『合理的理由』を付けることが『会長』には出来た。

     だからこそ、どうか乗り越えて欲しい。『忘却』が意味する裁定を。

    「頼んだよ。そうでなきゃ、ケテルはきっと乗り越えられないんだからさ……」

     かくして、晄輪大祭の後夜祭は終わりを迎える。
     狂乱と謎を含む誰かの『終わり』。続くは誰かの『道中』と終わった者の『後日談』。

     道のりは続く。次なるはケセド。魂を手繰る七番目の破砕者。
     そして、特異現象捜査部はセフィラ出現までの日常へと帰還した。

    -----

  • 36二次元好きの匿名さん25/08/13(水) 23:38:12

    この世界において先生という役職の意味はなんなんだろう

  • 37二次元好きの匿名さん25/08/14(木) 00:01:41

    つまりあれか、この生徒会長は過去改変の影響を受けずにそのままこの周回に残ってしまった異物ってことかな

  • 38二次元好きの匿名さん25/08/14(木) 09:16:46

    保守

  • 39二次元好きの匿名さん25/08/14(木) 17:18:15

    電王の特異点案件?
    未来でハナさんが時間が消えても自分は影響受けずに取り残されたみたいな

  • 40二次元好きの匿名さん25/08/14(木) 21:07:44

    >>39

    しっくり来た、確かに特異点だこれ

  • 41125/08/14(木) 22:25:00

     晄輪大祭の翌朝、八時にセットした目覚まし時計の音で目を覚ます。

     学生寮にあるリオの部屋にはベッドが二つ置いてある。
     ひとつはマルクトが眠る場所。壁際にはリオのベッドが置かれており、そちらはあまり使われることが無い。当のリオが部室に籠ってしまっているからだ。

     けれどもたまに、こうして部屋に帰ってくることがある。
     そうした時にはベッドの端で簀巻きのように毛布へくるまり壁とベッドの交差点に顔を埋めるようにして横たわるリオの姿が朝に見る最初の光景となる。

     マルクトはベッドから起き上がると、即座に身体を機械に戻し、それから人間に変化させた。
     いわゆる人間体のリセット。思考もクリアになり、服も体もすぐさま準備が整うために目覚めた直後のルーティンと化していた。

     別に人間体で居続ける必要も無いのだが、ティファレト戦後の不調により機械に戻れなかった時に発見した娯楽があった。

     そう、睡眠である。
     意識が落ちる直前の微睡み。今日と明日の境が揺らいで水の中へと溶けゆく感覚。

     直線上の無反応状態を描いた心電図が、目覚めと共に反応を示して五感が徐々に戻っていく。
     手を伸ばして引き寄せるように沈んだ意識がゆらりと浮上し、水から顔を上げるように目を覚ます独特な感触。あれは機械には無い生物特有のものであり、それが『楽しい』と理解してからは毎日欠かさず人間の身体に変化させて眠りに就くようにしている。

    「リオ、朝です。起きてください」

     ベッドの端でまるまった芋虫を両手でぐいぐい押すと、もぞもぞとしばらく身体をうねらせて、それからぱたりと動かなくなる。

  • 42125/08/14(木) 22:45:56

     マルクトの両目が金色に輝く。
     元の機体へ内部を再構築。瞳に映るのは僅かに見えるリオの『意識』の反応光。

     そこに滑り込ませるように『言葉』を放つ。

    《リオ、起きてください。朝です》
    「ゥ、ァァァア……」
    《たとえゾンビになっても起きていただきます。早く起きてください》

     マルクトの『精神感応』は意識があれば確実に届く絶対の『言葉』である。
     一言発すれば誰も聞き流すことが出来ず、どれだけ寝ぼけていようとも強制的に目覚めさせる呼び声となる。

    《起きてください。この前言ってましたよね? 宇宙が膨張していくこの日々で何とかだと》
    「赤方偏移の話よ……。引き延ばされた波長が赤い可視光線になっていく……」
    《青ではなかったですか?》
    「それは短くなっているから青く見えるのよ……。近付く光源は青い光となって来るのだけど、宇宙は縮小しないからまず確認されないわ。たまに妙な軌道の銀河団が発見されたりするらしいけれど、本当に稀よ」
    「それなら宇宙は大抵赤いのですね」
    「そうね。間違ってはいないわ」

     むくりと起き上がる簀巻きのリオ。マルクトはベッドから降りてカーテンを掴む。

    「おはようございますリオ。まずは日の光を浴びて目を覚ましましょう」
    「んぎゃあぁぁぁ……!!」

     びゃっ、とカーテンを一息に開くと、太陽の輝きが室内を一気に照らし出してリオが断末魔の叫びを上げながらベッドの上へと倒れていく。
     すかさず追い打ちをかけるようにリオを抱き起して窓に向かって顔を向けさせ瞼を無理やり開かせると、リオはじたばたと悶え苦しむように身体をくねらせる。しかして簀巻き、抵抗すら出来ていない。

  • 43125/08/14(木) 22:47:32

    「起きてください。起きましたか? 起きましたね? 朝です。朝です。朝です」
    「やぁぁめぇぇ……あぁぁぁぁ……!」

     かくん、とリオが力尽きたのを確認して、マルクトはそっとリオを解放する。
     そして一息吐きながら額を拭うように鼻を鳴らした。

    「ミッション達成、ですね。ただちに朝食を用意しますので、顔を洗って着替えてください」
    「普通に起こして……お願いだから……」

     リオが何か言ったような気がしたが、特に大したことではなかったためマルクトは聞き流すことにした。

     晄輪大祭が終わっても、今日も変わらず一日が始まる。

     マルクトには皆に言わなくてはいけないことがいくつもあった。
     ゲブラー戦の時に見た幻視。セフィラたちに関する推測。昨夜ゲブラーから共有のあった記録。

     そして、ケセドが目覚める前兆を感知していたこと。

     ケセドは四日後の17時に現れる。
     それまでに出来ることを進めるためにも。

    -----

  • 44125/08/14(木) 23:08:19

    「ええーと、それじゃあとりあえず皆、昨日はお疲れ様」

     そんなチヒロの言葉から始まったのは部室地下一階に作られた会議室。
     時間は午前十時頃、ネルを除く特異現象捜査部の面々が一堂に会していた。

    「特にウタハ。どうだった? 会長と一緒に仕事してたけど……」
    「問題無いよ。そうそう、今日も16時から20時までセミナーの手伝いがあるんだ」
    「では、そのうちに私たちでウタハを驚かせるような成果を出せれば私たちの勝ちですね」
    「いったい何と戦ってるのヒマリは……。ま、ウタハも何か私たちで手伝えるようなことがあったら言ってね。言うまでも無いだろうけど」
    「ありがとう、チヒロ」

     ウタハの言葉で一旦は締めくくられる前座の会話。
     チヒロは改めて全員を見渡した。

    「まず、マルクトからいくつか話があるんだって。はい、マルクト。交代」
    「分かりました」

     マルクトが立ちあがって皆の前に立つ。
     チヒロは代わるようにその辺の椅子に座ってマルクトへと視線を向けると、マルクトはコクリと頷いた。

    「最初に、ケセドは四日後の17時に『廃墟』へ出現します」
    「四日後か……。17時って言ったらもうだいぶ暗くなってるね」

     チヒロが相槌を打ちながら話を促す。

    「それで場所は?」
    「はい。ゲブラーによって破壊された図書館の地下に反応が集まってます。内部構造についてはケセドが現れる前に調べて置く必要があると思われます」
    「廃墟になった『廃墟』の下ね。ネツァクと言いゲブラーと言い……散々壊してたからねあの都市を」
    「水が溜まっていたら排水も必要かも知れません。そこに関してはセフィラたちに頼む必要がありそうですが……」
    「あー、『チケット』ね。了解」

  • 45125/08/14(木) 23:24:43

     チヒロが言ったのはセフィラにお願いを聞いてもらうための供物と交換できる『セフィラチケット』のことである。
     千年紀行がひとつの儀式である故に、各分野において万能たる機能を持つセフィラに直接頼み事をするためには祭儀に従い供物を与える必要がある。

     実のところ、マルクトがセフィラたちに聞いた限りでは「正直欲しいかどうかで言えば別に欲しくない」という声が多かったものの、とりあえず貰うなら貰うの精神でいるらしい。

     重要なのは『手に余る力を求める対価』という構図が必要なのだという。
     マルクト自身がそれを求めていないのは、マルクトが思うに『自分はマルクトではない』という事実が関係しているのかも知れない。

     あくまで本物の『マルクト』は消え去った。
     ここにいるのはその代用品であり代弁者。『王国』ではない誰かの『罪責』。故に純粋なセフィラと呼ぶことも難しい。

    「供物を集める人員が必要だと思いますが、チヒロはどう思いますか?」
    「うーん、二人か三人かな。まずアスナとコタマは絶対として……」
    「へ!? 私ですか!? 何故!?」
    「あんた、ウタハたちが作ろうとしてる『盾』の開発なんて出来ないでしょ……」
    「うぐ……」

     押し黙るコタマ。
     そう、晄輪大祭直前までの特異現象捜査部ではヒマリが考案した『盾』の開発に取り掛かっていた。

     ゲブラーのような異常な火力を持った攻撃に対して身を守れる防護壁。
     持続時間がどれだけ短くとも、即座に戦闘不能になるような攻撃を完全に無力化するための『盾』の開発である。

    「コタマとアスナにはそう言った外回りのおつかいをお願いしたいの。特にアスナ。あんた足が速いんだからちょっと色々買って来てよ。探すの大変なんだから」
    「う~ん。ま、いっか~。退屈になりそうだったらセフィラと戦わせてね?」
    「別に良いけど……そんなに戦うのが好きなの?」

  • 46125/08/14(木) 23:45:39

     チヒロがそう聞くと、アスナは溢れんばかりの笑顔で頷いた。

    「だって、『考えなくちゃいけないこと』が沢山増えるでしょ? それってすっごく楽しいよね!」
    「……あー、うん。了解」

     何故だろうか。チヒロは一瞬妙に嫌な気配を感じた。
     正確には『予感』だろうか。アスナの口振りはまるで、『何も考えないこと』を酷く忌避するように聞こえたのだ。

     特異現象捜査部に『後から加わった者』はネルも含め皆、何か特定の分野に対して逸脱している者ばかりである。

     ネルの戦闘力、コタマの識別能力――これは果たして偶然だろうか。
     偶然でないのなら、もしも仮に『会長が』手引きして集められたのならば、アスナは何のために集められた――?

    「ねぇアスナ。あんた……」
    「それで次は? 難しいおつかいならどんどんやっちゃうよー!」

     アスナが無垢に笑って話が進む。
     続けてマルクトが話したのは、晄輪大祭の時にゲブラーが見た『記録』のことだった。

    「昨夜にゲブラーから記録の共有を受けたのですが、リオの『クォンタムデバイス』へと位置情報を送信したのはホドでした」
    「ホド?」

     チヒロが首を傾げるも、それはマルクトも同じだった。
     ゲブラーから共有を受けた後、ホドにも同じく記録の提出を求めたのだが、ホドにはそんな記録が微塵たりとも無かった。

    「『二体目』……?」

     チヒロが呟いてマルクトが頷く。
     ゲブラーと接触したのは『もう一体』のホドであった。しかも『ホド』より自身の機能に詳しい『二体目』――

  • 47二次元好きの匿名さん25/08/15(金) 02:53:41

    保守

  • 48二次元好きの匿名さん25/08/15(金) 09:08:12

    ホドが2体!?

  • 49二次元好きの匿名さん25/08/15(金) 09:40:43

    そういえば二体一組って話は出てたね

  • 50125/08/15(金) 09:52:26

    「ゲブラーによると、『二体目』のホドは空間ごと固定して来たようです。セフィラたちとも話したのですが、私たちを構成する『機能』の応用を完全な形で扱えるという見方が強いです」
    「『廃墟』以外で直接的な干渉をしてくる『二体目』か……。しかも本体より『機能』を使いこなしてくる――どういうこと?」

     チヒロが首を傾げると、そこに声を上げたのはヒマリであった。

    「推定ネツァクの『二体目』は変性の範囲を『廃墟内』へと収めた。ティファレトの『二体目』はチーちゃんたちを助けてホドの『二体目』はゲブラーの位置を私たちに教えてくれた……。そう考えると、私たちを守ってくれている存在ではないでしょうか? 守護天使みたいに」
    「確かにそうかも知れないけど、なんか都合が良すぎるんだよねぇ……。私たちが『預言者』って呼ばれていることと何か関係があるのかな? っていうか、『預言者』ってなんだっけ?」

     『預言者』――文字通りに捉えるのであれば『神意を伝達する仲介者』である。
     しかしセフィラ、ひいてはセフィラを生み出したとされる『名もなき神』の仲介者として最もふさわしいのは『マルクト』であり、何故マルクトを差し置いて今代の生徒が『預言者』と呼ばれるのかチヒロはどうにも釈然としなかった。

     しかも『マルクトの預言者』という呼ばれ方だ。
     マルクトが『神』であるなら分からなくもないが、現状を見るにどう考えてもマルクトが『預言者』の立ち位置に最も近い。

     これは誤用か、はたまた『古の言語』を手繰るセフィラたちとの翻訳ミスか。
     チヒロたち『人間』の立ち位置もまた何故か不明瞭である。

    「私には分かりませんが、チヒロたちには『二体目』が接触してきたということだけでも覚えておいて下さい。あともしも分かったら私にも教えてください。どうしてセフィラが二体居るのかは気になってますので」
    「おっけー。で、他は?」
    「私――いえ、『マルクト』の起源についてです」

     マルクトがそう言うと、途端に室内が静まり返る。
     最後にして始まりのセフィラ――『マルクト』。かの存在が生まれたのは遥か遠き時間の彼方のことであると、ゲブラー戦の一幕にて見た全てをマルクトは語った。

  • 51二次元好きの匿名さん25/08/15(金) 17:45:18

    保守

  • 52125/08/15(金) 21:43:04

     衛星を覆いつくすナノマシン。思考する星『電脳蟻ブラウン』と、欠損した脳の修復技術。
     そして、『人間』を正確に模倣し作られた『疑似人格』の生成技術と、そこから生まれた悲劇について。

    「人権なき『疑似人格』はラットを使った実験よりも遥かに精度の高いストレスチェックの機材とされました。人間と同等の知性と感情を持つ『意識』は無限に生成され、消耗され尽くしたのです。そのきっかけを生み出してしまった技術体系を背負って顕在する第十セフィラ――それが『マルクト』」

     『王国』の始まり。全ての悲劇が生まれた場所。
     その技術起源は『完全なる人間の模倣技術』と呼ばれるものであり、背負う『意識』は『博士』と呼ばれたただ一人分のみ。

    「ってことはさ」

     チヒロがおもむろに口を開いた。

    「『マルクト』が殺されたのは単に、他のセフィラみたいな大量の『意識』の集合体じゃなかったからってこと?」
    「そう思われます。例えにはなりますが、ミレニアム自治区に住む全員を消すよりもただひとりを消すだけで千年紀行を止められるなら、その時最も速やかに実行できる合理的な手段が『マルクト』殺しだったのかと」
    「……そもそも『死』って何なんだろうね。死ぬ、ってどういうことなんだろう……」

     生命の停止、自律的な行動が恒久的に失われる不可逆的な現象。

     チヒロが思う肉体的な死とはそういうものだ。動かなくなる。何も考えられなくなる。そんな想像は出来ても、『死』を体験した者は何も語れないのだから、『人は死んだらどうなるの?』なんて幼少の頃に誰しもが一度は思い浮かぶ疑問を正しく答えられる者は存在しない。

     臨死ではない本当の死。
     彼岸の向こうに渡った者は二度と帰ってこない。

    「何だか『七つの古則』を思い出しますね?」

     ヒマリが笑うと、マルクトは首を傾げた。

  • 53125/08/15(金) 22:51:03

    「ヒマリ、『七つの古則』とは何ですか?」
    「キヴォトスに昔から伝わる謎かけですよ。二番目の古則……『楽園に辿り着きし者の真実を、証明することはできるのか』。全てに満たされた楽園へと辿り着けたのなら、そこから出てくる人なんているはずが無いのですからその存在を伝える者も居ないでしょう? そんな謎かけです」
    「友達に教えて上げたかった、では駄目なのですか?」
    「『教えてあげたい』という飢えがあるなら『満たされていない』という話のようです」

     楽園は、全てが満たされるからこそ楽園である。
     しかしそれは、ヒマリたちを通して人の心を学び続けるマルクトには解せない話であった。

    「辿り着いた瞬間これまでの全てを忘れて『満たされる』とは……。人間では無い何かになってませんか?」
    「幸せとは何かという謎かけなのかも知れませんね。案外、人間を人間足らしめているのは『欲』なのかも知れませんよ?」

     真に無欲な者がいるなら、きっとその人物を縛るものは何も無い。
     社会、世界、その全てに留まるための『錨』を持たない者。いつ世界から消えても何も変わらない存在。

     それは『存在しない無』であることと何が違うのか。
     『欲』が無いというのは『願い』が無いのと変わりないのだから。

    「まぁ、このミレニアムが生んだ奇跡の美少女ハッカーである私には天性のものたる私の才能を爪先一つ分でも多く分け与えなくてはならないという使命があるわけですが……」
    「なるほど。ヒマリは確かに人間です」
    「なにその判定」

     呆れたチヒロが口を挟む。そこに視線を向けたマルクトはチヒロに尋ねた。

    「チヒロの願いは何ですか?」
    「んぇ!? なんか前にもこんな感じのやり取りをしたような気が……」
    「そうでしたか? ともかく、チヒロが人間なのか調べるためです。教えてください」
    「手段も目的も捻じ曲がってる気がするけど……願い、願いかぁ……。全ての技術にコピーレフトを義務付けて知識の独占を違法にしたい、とか?」
    「いつ聞いても思うのだけれど、思想が強すぎると思うわ……」

  • 54二次元好きの匿名さん25/08/16(土) 04:54:01

    保守

  • 55二次元好きの匿名さん25/08/16(土) 09:44:20

    チーちゃん…

  • 56125/08/16(土) 10:27:15

     困ったように眉を顰めるリオ。チヒロは少々発想が過激な面がある。
     気弱なリオとしてはそんなチヒロがたまに怖くなる……が、特にコピーレフト至上主義について異論は無い。それはどうでもいいという無関心から来るものではあったが……。

    「チヒロは人間でした。ウタハは如何でしょう? リオもコタマもアスナも教えてください。ついでなので聞いておきたいです」
    「えっ、ついでなんですか私たち……?」

     コタマのぼやきには反応せずに答えを待つマルクト。
     仕方ないとコタマから答え始めた。

    「私は聞いた事の無い音を聞いてみたいです。あー、綺麗な音ですよ? 人が潰れる音みたいな、聞いたことは無くても聞きたく無いのはパスです」
    「コタマは人間です」
    「私はやっぱりボスに勝ちたいかなー! すっごく強いんだよ! もうどうやって勝てばいいのって感じで! 『隙あり!』って思っても強引に潰してきてね!」
    「アスナは人間です」
    「私は……貝になりたいわ」
    「リオは貝です」
    「やったわ」
    「あ、だから眠る時すみっこに寄っているのですね」
    「ちょっと待ってくださいマルクト!」

     ヒマリが叫んだ。

    「リオこそエンジニア部の中でも相当の我欲の塊ですよ!? というよりリオ、何『私は多くを望みません』みたいな顔をしているのですか!?」

     外野から響く声にリオは困惑したような表情を浮かべた。

  • 57125/08/16(土) 10:28:17

    「え……? でも私、願うものなんて特に思いつかな――」
    「朝起きた時に『もっと寝たい』と思いませんか?」
    「思うわ」
    「部屋が散らかりました」
    「面倒ね」
    「ゴミが増えてきました」
    「誰か片付けてくれないかしら」
    「お腹は空きましたが研究のキリが悪い」
    「食事は後にしましょう」
    「あなたは何を望みますか?」

     ヒマリの言葉にリオは目を閉じた。

    「貝になりたい……」 
    「ほらぁ! どうですかマルクト! 全部投げ出して好きなことだけしたいという意味ですよマルクト! もはや人間の塊ですよリオは!」
    「何だか肉団子みたいですね」
    「ふ、太ってないわ……! 多分……」

     不安になったリオが自身の腹を擦るも、そんな姿にヒマリは思わず舌打ちをしそうになった。
     食生活が終わっているのに訳の分からぬその体形。栄養が全て胸に行っているとしか思えないような得体。しっかり運動して体形を維持しているヒマリとしてはちょっと正直気に食わない。

     リオの胸を側面から拳で押しやりながら「ともかく」とヒマリは話をまとめる。

    「覚えてくださいマルクト。貝になりたいなどというのはまさしく我欲の塊です。人間だからこそ夢想するもの。ですから、もしもこの先『貝になりたい』などと自由を望む者が居れば、それこそまさしく人間の抱く傲慢さと欲深さの象徴であると捉えるのです」
    「分かりましたヒマリ。リオは我欲と傲慢さに満ちた人間であるのですね」
    「あの……私も流石に傷つくわ……。私は謙虚よ……?」
    「なぁにが謙虚ですか!? ちょっとは部室の掃除もしてください! 立つ鳥跡を濁しまくりではありませんか!!」
    「だって……面倒だもの……」
    「もう!!」

  • 58125/08/16(土) 10:29:38

     憤慨したヒマリが頬を膨らせながら握った拳を上下に振るが、それはマルクトにも覚えがある感情だった。
     扉は開けっ放し、食べたらテーブルに置きっぱなし。ぱなしだらけのだらけたリオ。何だかマルクトもムカムカしてきて無表情で拳をぶんぶん振り始めた。

    「リオはせめて自分で起きられるようにしてください。シャワーも私が洗わないとなかなか浴びないではありませんか」
    「え、あんたマルクトに洗わせてるの!? 駄目人間じゃん!」
    「マ、マルクトはメイドだから……」
    「メイドなので問題ありません」
    「いや問題しかないからね!? もう良くないお店か何かだよそれ!?」
    「お店……?」

     チヒロの叫びに首を傾げるマルクト以下四名。唯一微笑むヒマリがチヒロに言った。

    「そういうサービスの店舗がキヴォトスにもあるのですね? ああ、流石はチーちゃん。そういうのに詳しいですね」
    「っ……ああもう! ヒマリだって耳ざといでしょ!」
    「何のことやら分かりませんが……もしかしてエッチな話ですか?」
    「うるさいっ!」
    「『お店』と言うのは一体何のことかしら?」
    「黙れっ!!」

     その一喝にリオもヒマリも口を閉じる。最もヒマリは笑みを浮かべていたが。ひとまず話を戻そうとチヒロが手を叩いた。

    「とにかく……なんでこんな話になったんだっけ?」
    「ヒマリが『七つの古則』をしてからですね。死とは一度言ったきり帰って来ない秘密の園。私はそれを楽園とは言いたくありませんが……」

     楽園――即ち、エデンの園。

    『マルクトより、エデンの園は開かれり――』

     セフィラとの接続を果たすあの照合式において重要なのは『言葉』ではない。『願い』である。
     千年紀行――それ以前に『セフィラと関わった』が故に命を落とした者共と、セフィラを形作る技術の犠牲の『意識群』が願うのは無間の地獄からの解放。痛みも苦しみも悲しみも無い魂の故郷。楽園への帰還を願って叫び続ける無限の慟哭。それこそがセフィラの真の正体。

  • 59二次元好きの匿名さん25/08/16(土) 17:29:11

    やはりそういう店あるのか…

  • 60125/08/16(土) 19:11:57

    ※今晩外出につき更新はありません……。続きは明日に!

  • 61二次元好きの匿名さん25/08/16(土) 19:26:25

    保守

  • 62二次元好きの匿名さん25/08/16(土) 22:32:45

    間違ってたら申し訳ないけど、『楽園に辿り着きし者の真実を、証明することはできるのか』って第5の古則じゃなかったっけ?
    第2の古則は確か『理解できないものを通じて、私たちは理解を得ることができるのか』だったはず

  • 63125/08/17(日) 00:24:17

    ※あ、五番目でした申し訳ない!!!!
    何故に二番目と間違えたのか……どう考えても列の見間違いです!五番目です!五番目が正解です楽園の何某は!!

  • 64125/08/17(日) 03:26:36

    保守

  • 65125/08/17(日) 08:21:33

    保守

  • 66125/08/17(日) 16:02:08

    「私にとっての『楽園』とは帰るべき『家』であり心休まる暖炉の温もりそのものです。だからこそ、生まれた意味も意義も果たせぬままに潰えて彷徨う者たちを必ず家へと帰さなくてはいけないのです」

     マルクトは消えてしまった『マルクト』に代わって家に帰れなかった者たちを救わなくてはならない。

     それは憐れみであり悲しみであり使命であり決意である。
     きっとそれこそがマルクトの存在意義。存在する理由なのだ。

     ――ケテルを探せ。全ては其処に在る。

     イェソドの言葉を思い出しながら今一度、自分たちが歩んだ旅路を振り返るマルクト。

    「そういえば……ゲブラーとの接続を完了させたときに気が付いたことがあります」
    「気が付いた事?」
    「そうですチヒロ。私が人間の身体で固定されていたときもそうですが、セフィラがセフィラを認識できるのは『器』と『意識』が正しく揃っているときだけです。つまり……」
    「人間体でいるときは目覚めたセフィラとの戦いに参加できるってことね」

     マルクトの意を汲んだチヒロが言葉を続ける。

    「でも停止信号流すときとかは流石に元の身体に戻らないと駄目なんでしょ? いや、そこまでセフィラを追い込んでいるなら問題無いか」
    「はい。それにこの先戦える人員は必要だと思います。セフィラは人間ではないので私も皆さんと一緒に戦えますし、いざという時は私がセフィラとしての機体に戻ればセフィラも逃げ出したり私を標的にしたりと皆さんが逃げる時間を稼げるはずです」
    「それ結構危なくない? マルクトが」
    「脆弱な人間体なら確かに危険ですが、これまで接続したセフィラの機能も使える機械体なら問題ありません」

  • 67125/08/17(日) 16:03:13

     例えばゲブラー戦。爆発でマルクトは意識を失ってしまったが、あれはあくまで人間体だったからだ。
     もしもあの時自由に身体を変えられる状態であったなら、ゲブラーの爆撃でさえ気絶すらせず耐え切れるのだ。

     誰かを庇うことも出来た。すぐさまゲブラーの注目を集めてリオたちが逃げる時間も稼げた。あれほどの被害を出さずに戦局の仕切り直しが行えたのだ。

     ゲブラーとの戦いでマルクトは理解した。
     もはやセフィラとの戦いは出現初日であろうがなかろうが人の手には余るものへと変わっていた。

     直接戦ってその機能を暴かなければ『何をしてくるのか』という理解には至れず、理解に至る時はいつだって全滅寸前。初見で確保しきるか逃げ切るかのいずれも出来なければ、最悪の未来が訪れるだけ。やれることがあるのなら、それをしない理由なぞ何処にも無いのだ。

     マルクトは改めて全員を見渡した。

    「私も戦います。私にも、セフィラを迎えに行かせてください」
    「迎えに、ね」

     チヒロが優しく笑って頷き、マルクトの隣に立った。

    「マルクトが前線に出ることに反対の人はいる?」

     その言葉に反対する者なんて、ここには誰もいなかった。

    -----

  • 68二次元好きの匿名さん25/08/17(日) 21:24:43

    一応保守

  • 69125/08/17(日) 21:36:23

     会議を終えたあと、ヒマリたちは早速班を分けることとなった。

     ウタハ、リオの二名からなる対セフィラ装備の開発を行う『開発班』。
     アスナ、コタマ、チヒロの三名からなるセフィラへ渡す供物集めの『調達班』。

     そして今、ヒマリはマルクトと共に『探索班』として『廃墟』の中を歩いていた。

    「随分と『廃墟』も廃墟らしくなってきましたね。これはこれで風情があると言いますか……」

     ヒマリの視界に広がるのはゲブラーによって破壊され尽くされた建築物群、瓦礫の山。ネツァク戦の後と同じように、ゲブラー戦の前と後では『廃墟』の様相もまるで違うものになってしまっていた。

    「ヒマリ、転ばないよう気を付けてください」
    「心配には及びませんよ。チョウのように舞いハチのように刺しホタルのように幻想的でカゲロウのように儚い美少女と言えばこの私のことですから」

     そう言いながら大小さまざまな瓦礫が散乱する路上で優雅にバレエを踊って見せると、マルクトは感嘆の声を上げた。

    「流石です。指先からつま先まで無駄な力がほとんど入ってませんね」
    「自分の身体ですからね。自分の思うように動かせて当然です。何せ私は『天才』ですので」
    「ヒマリは……出来ないことなどありますか?」
    「ふふ、やった事の無いものはまだ出来ないことですね。やったことのあるもので出来ないことはありませんでしたよ?」

     微笑みながら答えると、マルクトは「ミレニアム最高の神性だからでしょうか?」と呟いた。

     そうかもしれない。
     何故ならヒマリはこれまで生きててそんなに困ったことが無かったからだ。



     ヒマリは昔から大抵のことはすぐに覚えられた。
     コツを掴むのが得意だった。チェロもピアノもタンバリンもマラカスも巧みに演奏でき、勉強でも特に困ったことは一度として無い。いわゆる『万能の天才』であり、バスケもサッカーもゴルフもダンスもスケートも全て人並み以上には習熟している。

  • 70125/08/17(日) 21:38:36

     自分が普通では無いと気付いたのは小学生のときである。

     学校のトイレでふと鏡を見た時に気が付いてしまったのだ。「もしかして私、かなりの美少女では?」と。

     まるで雷に打たれたような衝撃が走ったことを今でもヒマリは覚えている。
     美少女であると気付いてしまってから改めて自分のこれまでを振り返り、続いて気付いたのは勉強もスポーツも特に苦労をしたことが無いということだった。

    『わたしは……せかいに愛されし天才美少女なのでは……?』

     それからヒマリは自分に出来ないことを探すように色々なことをした。
     音楽、運動、勉強、それから本当に何でもやって、何でも出来ると知った時には震えたものだ。

     ならばその天才は他の天才たちと同様に孤独であったか。

     否、否である。
     何故なら明星ヒマリという存在はただの天才では無い。自己肯定力があまりに高すぎる天才。ヒマリほど世界と自分を愛した者なぞ居ないだろう。

     ヒマリが周囲との隔意を覚えることもなかった。何故なら天才で美少女、と何でも持っている自分は特別だから。
     ヒマリを避ける者もいなかった。あそこまで突き抜けてしまうと嫉妬するのも馬鹿らしく、もはや別の生き物だから。

     自由奔放、天衣無縫、それから無法な傲慢さ。

     『特別な自分』が此処に居る。自分より上とか下とか関係ない。自分よりも『天才』だとか『美少女』だとかが居たとしても、それは自分が『天才』であり『美少女』であることが損なわれることでは決して無いと知っていた。

     だからどんな人間であろうと見下すことは無く、誰に対しても平等に接した。
     鼻にかけたような態度も常時等しく誰にでも行う平等性。突き抜けた自分本位さから出力されたのは目の前の相手が反秩序的であっても自分に関係無ければ大抵肯定するというもの。

  • 71125/08/17(日) 21:41:26

     明星ヒマリは悪でも正義でも何でもない。
     自分がやりたいようにやる。自分の意志と反するものには屈しない。世間の秩序よりも自分の望むように行い続ける究極のナルシズム。

     だが、そんな無法さも同格たる天才の出現によって鳴りを潜めていた。
     エンジニア部の仲間たち。マルクトとの出会い。異常存在たるセフィラとの戦い。特異現象捜査部の発足。そこに集まる新たな仲間――皆が皆、『天才』である自分よりも遥かに優れた『何か』を持っていた。

     胸が躍った。きっと凄いことが出来ると。
     高鳴りは治まらない。自分一人では想像すら出来ない景色が見れるかもしれないと。

     それがマルクトの言う千年紀行――セフィラ回収の大いなる旅路に参加し、皆を巻き込んだ動機であった。
     それが取り返しの付かない何かを起こしかけたのであれば、明星ヒマリは自分の全てで以て責任を果たすつもりだった。

     自分に不可能は無い。何故なら自分は何でも出来る『天才』だから。
     純然たる事実としてそのことを理解していたヒマリに恐怖は無い。何があろうとも何とかなる。それだけだった。

    「ちょうど見えてきましたね。あれが図書館跡地でしょうか?」

     ヒマリが向けた視線の先には焼け落ちて崩れた巨大な図書館。
     壊れてしまった今では窺い知ることも出来ないが、それでも恐らく相当に大きな建物だったということは容易に想像がつく。

     大型ショッピングモールよりも更に大きな巨大建造物。
     ヒマリはいま、マルクトと共に隠された『地下図書迷宮』へと足を踏み入れて行った。

    -----

  • 72125/08/18(月) 01:33:39

    保守

  • 73二次元好きの匿名さん25/08/18(月) 08:51:16

    ふむ…

  • 74二次元好きの匿名さん25/08/18(月) 17:23:43

    ほむ…

  • 75125/08/18(月) 23:16:50

     ミレニアムサイエンススクール、エンジニア部兼特異現象捜査部のラボにて、リオはウタハと共に新装備の開発を行っていた。

     もちろん『廃墟』を探索するヒマリたちとも『クォンタムデバイス』を使って通信は繋いでいる。
     マルクトのリソース分割による自動通信機能を使った『廃墟』からの送受信は、マルクトが人間体に固定されるようなイレギュラーを除けばセフィラの反応を出さずに使用することが出来る。無論まだケセドが出現していない『廃墟』でセフィラの反応を隠す必要も無いのだが……それはさておき。

    【マルクトです。『地下図書迷宮』への入口を見つけましたのでヒマリと共に探索を開始します】

     スピーカーから流れたマルクトの声にウタハが「了解」と答えるのを横目に見ながら、リオは現在着手している『盾』の製造方法に頭を悩ませていた。

    「受けたエネルギーを何処にどうやって流すか……。アースみたいに地表へ? いえ、それだと足場が崩れるわ……」
    「流すだけならティファレトの機能が参考になりそうだけどね。ホド、空間の固定については出来そうかい?」
    【検証。波の固定方法を検索中】
    「固定方法が分かれば話は早いのだけれどね」

     ホドの中性的な声がラボの中で静かに響く中、リオはそっと息を漏らした。

     晄輪大祭の際にゲブラーの身体を空間に縫い留めた例の機能――即ち『空間固定』の再現はホドを以てしても難しいとのことだった。先ほどからイェソドが空中から落とした妖怪MAXをティファレトがひゅんひゅんホドへ飛ばしているが、ホドはそのスピードこそ緩められても完全な固定に関しては未だ成功できずにがんがんと頭へ缶をぶつけられている始末である。

    「結局のところ、『波動制御』も私たちが勝手に名付けた事象であって本当にそうなのかは分からないものね……」
    「うーーん……。完全に止まる、完全に止める……。うん?」

     不意にウタハが首を傾げて視線を宙へと漂わせながらこめかみを叩き始める。

    「何か思いついたのかしら?」
    「いや、ううぅん……。何か、何か掴めそうで……。ホド、ちょっと確認させて」
    【許可】

     そのままウタハはうんうんと唸りながら記憶の底を探るようにゆっくりと言葉を連ね始める。

  • 76125/08/18(月) 23:22:31

    「ホドが出来るのは、鳴った音を全く違う音に聞こえるようにすることと……光もそう。あと衝撃とか、とにかく動いているものの『速度を変える』、だよね……?」
    【肯定】
    「例えば音だったら、私の声を逆再生させ――『?きではとこる』――ありがとう。出来るんだね」
    「もしかして……」

     ウタハの思いついたものにリオも心当たりが生まれて目を見開いた。するとウタハもまたリオを見て頷く。

    「ホドの機能なんだけど、空間編集機能って見方も出来そうだと思わないかい?」

     例えば動画編集ソフトのように、手元の音声もしくは動画素材を切り取りして張り付ける。
     もしくはリバーブを入れるなりピッチを変えるなりで素材そのものを再構成する。音声素材から音声合成ソフトを作るなど、音や映像で出来ることを空間に対して行えると考えればどうだろうか。

    「巻き戻しが出来ない編集ソフト……いえ、事象に干渉できる空間観測シミュレータと呼ぶのが正確だわ。だとしたら……イェソド、ホド、ティファレト」

     リオが呼ぶと三機が動きを止める。妖怪MAXが何本か床に転がる。

    「ティファレトはイェソドが落とした缶を向こうの壁に『落とし直して』。ホドは缶の速度を時速30キロまで上げて、それから『止めて』。減速させるのではなく『停止』よ」

     そう言うと早速イェソドが缶を一本ティファレトの前へと落した。
     落ちる缶はそのままの速度で真横に『落ちる』。その速度がホドによって徐々に加速していく。

     そして――ぴたり、と缶は空中で静止した。
     減速による速度の低下ではない。『停止』である。

    「でき――」
    「まだよ」

     声を上げかけたウタハを制止したリオは続けてホドを『使用』する。

  • 77125/08/18(月) 23:33:24

    「停止を解除してちょうだい」
    【了解】

     短い返事と共に、空中で停止した妖怪MAXはすぐさま時速30キロの速さで動き出して壁に激突。それを見てリオは得心がいったように額へ手をやった。

    「セフィラの本質は機械で道具――その意味がようやく分かった気がするわ……」
    「どういうことかな?」
    「セフィラに何かを頼むときよ。学習が不十分なAIに対して音声入力をしていると考えてちょうだい」
    「機械は応用が苦手ってそういうことか……!」

     驚くウタハだが仕方がないとリオは感じていた。
     セフィラたちはそれぞれが有する疑似人格のせいで人間に似てしまっている。いや、実際人間に似せた思考能力も持っているのだろう。

     だが、あくまで機械なのだ。

     最近忘れかけていたが、元は現在キヴォトスで使用されている言語体系とは異なる言語を用いる存在。マルクトやホドの学習によって現代口語への翻訳が安定してきたものの、そもそも再翻訳した上でAIに指示を投げている状態なのである。流石にセフィラたちへ自力で考えさせようにも限度がある。

    「何より、各セフィラ間ですら統一された言語を使っているとは限らないわ。本来の『マルクト』――『王国』の役割が、異なる言語体系でも通じる絶対の翻訳機だと考えれば『精神感応』と私たちが名付けた機能の意味も繋がるわ」
    「そうか、あくまでマルクトは『マルクト』の代替機であって本来のものじゃないから……」
    「不完全なのよ。自力で学習することで『王国』という『役割』をクリアしているだけで、いくら精度が高くても百パーセントの状態ではない。その点から考えるに、ホドを受信機とした翻訳は更に精度が落ちているはずよ」

     だから『栄光』は『王国』に代われない。
     『輝きに証明されし栄光』は『世界の果てに到達せし王国の巡礼者』とは全く違う存在。前者がネットワークの接続を行えたとて、セフィラと人を結ぶ後者には成れないのだ。

     似た現象を起こせる両者。その最大の差異は――自らを形作る技術の起源とは何か。

    「その技術によって与えられた世界の影響力……?」
    【グレートシフト、ですよ】

     不意にスピーカーから響いたのは『廃墟』を探索しているヒマリの声だった。

  • 78125/08/19(火) 08:13:54

    保守

  • 79125/08/19(火) 09:51:50

    【ちょうど皆さんが話している様子をマルクトから聞いていたのですが、『王国』の誕生とも言える人間の模倣技術は世界を変えてしまったとのことです】
    「グレートシフト……? パラダイムシフトでは無くて?」
    【もはやその域に収まらないような変化を迎えたのではないですか? 例えば来週から誰でも一万円払えば宇宙旅行に行けるようになるだとか】

     聞こえる音声はどこか楽し気で、それから挑戦的でもあった。

    【リオ、何か思いつきますか?】

     無茶ぶりとも言えるあんまりな言い様。だが、調月リオにとってはそんなこと『聞かれるまでも』なかった。

    「カタストロフを起こしかねない技術的大変動。常識を覆すどころか『世界を上書きする』ような発明……」
    「待ってくれリオ。それって……」

     戸惑うようなウタハの声。リオはその想像を肯定するべく頷いた。

    「『テクスチャ』の書き換え。強制的な世界常識の変動。だとすれば、全てのセフィラはその引き金を引いた技術の起源であるのでは無いのかしら」

     だとすれば最初のグレートシフトはマルクトの話を聞く限り、『博士』が発明した『シモンの蟻』および衛星のグレイ・グー、『電脳蟻ブラウン』。星ひとつを食して演算機へと作り変える自己複製ナノマシンであるはず。けれども『マルクト』は最初の『セフィラ』ではない。『第十』セフィラなのだ。『第一』ではない。

    「セフィラの順番は……いったい『誰』から見た順番なのかしら……」

     ケテルから落ちて来た『炎の剣』の終端、『マルクト』。
     マルクトから始まる『知恵の蛇』の終端、『ケテル』。

     太古の昔の人類の歩んだ歴程を辿る旅であるのだとすれば順序が逆であるはずなのだ。
     マルクトから始まりケテルへ至る人類進化の再現――にも関わらず、与えられた順番はまるで逆。

  • 80125/08/19(火) 09:54:33

    (カウントダウン? それとも、『神から人へ至る』ための技術的解体……?)

     だとしたら、マルクトよりも『下』があるのではないだろうか。
     より俗世に染まる『何か』が。生まれたばかりの無垢なる者が『昇る』のではなく『降る』という逆位相。

     天壌では無く地の底へ。
     祈るだけではなく確かな現実へと帰結するその場所が或るのでは無いだろうか。

     セフィラという超常的な特異現象を相手に挑み続けて技術的解体を繰り返した自分たちは果たして、いったい何処に向かって進んでいるのか。

     世界の果てに見えるのは神たる崇高か、それとも人の現実か――

    「私たちは上下のどっちに進んでいるのかしらね……」
    【上ですよ、リオ】

     ヒマリの声がスピーカーから流れた。

    【私たちはいま、脅威の奇跡を目の当たりにしているのではありませんか? 心に直接届く声。望む場所へと行ける力。見れないものを見る技術。どれも全て科学だけでは成し得ないことです】
    「本当にそうかしら。イメージの翻訳技術。肉体と意識の分離技術。完全なる観測技術。全て私たちでは理解できないだけで、発展した技術の結晶よ」

     明星ヒマリと調月リオ。
     ロマンチストとリアリスト。この一点だけは決して分かり合うことのなかった主張。だから互いに矛を収めた。

  • 81125/08/19(火) 14:01:08

    【埒が明かなくなるので後にしましょう。ともかく、ホドは『瞬間』を止めることが出来るのですね?】
    「そうね。問題はこれを人に対して使ったらどうなるか、なのだけれど……」

     例えば心臓を含む胸部のみに使用した場合どうなるのか。

     普通に考えれば胸部を走る血流が止まって死ぬだろう。だが、キヴォトスの住人の耐久性を正確に把握している者がいったい何処にいるというのか。どこまで行っても『恐らく死ぬかもしれない』で止まる上に、そんなことをわざわざ命を賭けてまで調べるというのもおかしな話だ。

     ただ、何故だか直感的には死なないような気がしなくもない。
     理由は分からない。『人であれば』空間に縫い留められてばたばたと藻掻く羽目になる程度で済むような気がする。

    「どちらにしても、いま調べるべきは空間内で何を止めるのかを指定することが出来るかどうかね。あとは射程と範囲。それ次第ではゲブラーの『減衰しない爆発』も解析が出来るかも知れないわ」
    【ゲブラーの攻撃を防ぐ手段が見つかれば、この先どんな攻撃が来ても理論上防げますからね。特にリオ、あなた何故だか怪我が長引くのですからケセドまでには必ず見つけてください】
    「分かったわ」
    「だいぶ無茶なこと言われているはずなのに、リオだったら問題なさそうに見えるのも不思議なんだけどね?」

     あっさりとリオが頷くのを見て肩を竦めるウタハは、「ところで」と話をヒマリたちへと向けた。

    「そっちの状況はどんな感じだい?」
    【ヒマリに代わって私から説明します、ウタハ】

     会話に参加したマルクトは淡々と周囲の状況を説明し始めた。

    【ゲブラーによる爆破の影響が大きかった地表に比べて、地下の損耗は極めて軽微です。しかし、内部構造が入り組んでいるため全体的に見通しは悪いです。他には……】

     マルクトが言うところに依ると、『地下図書迷宮』は多くの書架によって通路が制限された場所であるという。

     天井までは約3メートル。通路の幅は平均して6メートル。
     明かりは一般的な昼光色で、ところどころに本を運ぶためのブックトラックが置かれているらしい。

  • 82125/08/19(火) 18:36:46

    【本についてですが、紙で構成されたものとなっており、特に異常性が見受けられるわけではありません。ただ、やはり文字や図形の類いは書かれておらず、軽く見た限りにおいても全ページが白紙になってます】
    【マルクトに頼んで色々と試しましたが、見えないインクなどは使用されてませんね。本当に普通の本でしたよ】
    「あぁ、そうか。マルクトがいれば大抵の物はその場で作れるね確かに。薬品とかも試せたのかい?」
    【もちろんです。ちょっとした実験室を出先で作れるのは助かりますね。ありがとうございます】
    【頭撫でますか? 撫でてください】

     それからしばらく無音が続いたが、恐らくヒマリに頭を撫でられているのだろう。

     少し経って音声が戻る。マルクトの声だった。

    【全体的に電源は生きてます。それと地下一階にエレベーターがありました。内部にはボタンが2×6の並びで三か所。ヒマリが作った即席ドローンを入れて動かしましたので、状況が分かり次第報告いたします】
    「結構広そうだね。どうするリオ? 地下がもっと広がっていたら探索が間に合わないんじゃないかな」
    「だったらホドの機能の再確認もそこで済ませましょう」
    「……ごめん、どういう意味?」

     説明が足りなさすぎるリオの発言に首を傾げるウタハ。
     するとリオは確かめるように口を開いた。

    「……地下の深さが分からないうえに広いから探索が難しいということなのよね?」
    【そうですが……リオ、あなたいま何を考えているのですか?】
    「だったら、セフィラ全機連れて行って今出せる最大火力で『地下図書迷宮』を破壊すれば風通しが良くなるわ」
    【そんっ――はい!? それはありなのですか!?】

     ヒマリの素っ頓狂な声がスピーカーから溢れた。
     無法。あまりに無法。探索が難しければそもそも破壊すればいいなど、そこに美学の美の字もありはしない。

    「だってそうでしょう? 変数は少しでも少ない方が良いわ。ホドの時のように閉じ込められたら面倒じゃない。もちろん壊せばケセドが『地下図書迷宮』に留まらない可能性が上がると思うけれど、それでも例えば地下10階で戦闘になって生き埋めになったり逃げられなくなるよりマシよ」
    【ぐ、ぐぐ……】

     あまりの正論にヒマリは言葉に詰まった。

  • 83125/08/19(火) 18:37:50

     しかし確かにそうなのだ。セフィラたちは進むたびに脅威度が増すという法則において、『あの』ゲブラーの次ということはゲブラーよりも危険な可能性が極めて高い。

     何をしてくるかすら分からない初戦は初見で、そこで捕まえられるか逃げるか出来なければ終わりなのだ。

     その点で考えれば、地下深くとなると逃走がほぼ出来ないと見てよいだろう。だったら更地の方がまだマシであり、リオの言っていることは何も間違っていなかった。

     が、ヒマリの感情としては何故だか納得が行かず縋るように声を上げた。

    【ウタハぁ……。こう、形式美を崩すことについてどう思いますか?】
    「セフィラたち全機で出せる最大火力か……。いいねぇ! 是非ともやろう!」
    【……マルクト】
    【私も賛成です。ティファレトのように空中へ打ち上げられたとしても私ならカバーが可能です】
    【……珍しく私が少数派ですか】

     ヒマリは諦めたような声を出した。

    【分かりました。探索は切り上げて一度そちらに戻ります。明日にでも破壊しましょうか】
    「そうね。二人は戻ったら私たちの手伝いを頼むわ」
    【はぁ……様式美が……】
    【大丈夫ですヒマリ。美少女クラッシャーとして後世に名を遺すチャンスと思いましょう】
    【クラッシャーに美しい要素はありません!】

     そうして切れた通信を前にリオとウタハは顔を見合わせた。

    「バンカーバスターを原型に地中破壊兵器の構想でも練るのはどうかしら」
    「そうだね。今回限りのロマン砲でも作ってみようか」

     『盾』については明日に回し、二人は早速セフィラの機能を使った最強の『矛』の案を練り始めるのであった。

    -----

  • 84125/08/19(火) 22:17:06
  • 85125/08/19(火) 22:55:32

    「部長、部長! 早くしないと電車遅れちゃうよ!」
    「私たちの乗る電車まであと15分あるんだから歩いてても間に合うでしょ? わざわざ一本前の電車に乗らなくてもいいんじゃない?」
    「それじゃあ駄目だって! ほら、早く早く!」
    「はぁ……分かったって。ほらコタマ、早足」
    「うぅ……どうして私がこんな目に……」

     時刻は15時。リオたちが次の舞台の破壊計画を建て始めるのと同時刻。
     セフィラへの捧げものを集めるチヒロ、アスナ、コタマの三名から成る『調達班』はちょうど、ミレニアムからシラトリD.U.へと向かう駅へと向かっていた。

     それも全て『セフィラチケット』を得るためである。

     セフィラたちが義務的に要求する供物を集めることで、人智を越えたセフィラたちの保有する機能を好きに使うための契約。
     そのためにリストにあるものを集めるべくミレニアムを回っていたのだが、効率的な回収のために集めた情報を眺めていたアスナが突然急かすように言い始めたのだ。「ミレニアムじゃ集めきれない」と。

     そうして急遽決まったのはミレニアムから離れてビジネスホテルを取るというちょっとした旅行。
     もちろんコタマからは大ブーイングが出たが、チヒロ自身どうしてアスナがそんなことを言い出したのか分からない。

     けれどもチヒロは――エンジニア部なんて魔境を作り出して監督してきた身としては知っている。例え自分が理解できなくとも、必要だと言われたのなら従った方が良い、と。自分にしか見えない何かの光景が見えている者こそ理解の出来ない性急な判断を求めて来るものであると、チヒロはそれこそ嫌になるほど知っていた。

     ――そして、アスナの予想が正しかったことを示すように。一本早めに乗った電車の次発で事故が起こった。

     巻き込まれていたら今日の予定が崩れていたことだけは確かなことで、そのことを認識したコタマは顔を青ざめていた。

    「未来でも見えるんですかアスナさん……。ちょっと気味が悪いのですが……」
    「あんたがそれ言うの? コタマだって『普通』じゃないからね?」
    「そんな――っ!?」

     愕然とするコタマではあったが、チヒロからすればコタマだって『廃墟』に広がる通信妨害の法則を解き明かした『理解不能』の人外魔境たる住人のひとりである。今更たとえ『未来が見える』など言われたところで受け入れるだけであるのだ。

  • 86二次元好きの匿名さん25/08/20(水) 02:52:52

    ほしゅ

  • 87二次元好きの匿名さん25/08/20(水) 08:42:07

    もう未来予知レベルの直感

  • 88二次元好きの匿名さん25/08/20(水) 13:54:40

    >>84

    ありがとうございます!


    ボス戦にフォーカスしたゲームだと聞いてましたが……それにしては道中クエストも大概じゃないですか?(あるAMASのコメント)

  • 89125/08/20(水) 18:55:30

     チヒロとウタハ、そこから始まった『エンジニア部』と『特異現象捜査部』――そこに属する自分だからこそ思う。『普通』ほど当てにならない言葉は無いと。

     全員が確かな『規格外』、それでいて自分だけが『普通』などとは有り得まい。
     所詮『普通』というのはどこまでも主観に囚われたものでしかない。自分が理解できる世界――それが『普通』の正体であり、そこから外れるのであれば上でも下でも『普通ではない』と認識するのが人の自我、とも言えよう。

     しかし、『普通』であろうがなかろうがそれにいったいどんな不利益があるというのか。
     『自分の知らないことが分かる存在』であるというならば、無知である自分は『自分の意』から外れなければとりあえず受け入れれば良い。きちんとした反駁が無い限りは無理に逆らう必要も無い。反対するにも意見がいる――それがチヒロの考えだった。

    「コタマ、とりあえずアスナの『勘』に反論できるだけの理由が無いなら素直に従ったら? 私たちのエンジニア部からしてそんなのばっかだったし……」
    「大魔境じゃないですか!? わ、私は『普通』ですよ!? ただちょっと聴くのが得意なだけで……」
    「ダウト。ってかアウト。それ、多分そういうの大体持ってるのが『特異現象捜査部』だから諦めな」
    「うぐぅ……!」

     悶えるコタマ。そんなこととはいざ知らず声を上げる最先頭のアスナ。

    「部長! 泊まるとこだよ! 荷物とかいったん預けちゃお?」
    「そうだね。……っていうか、別に私は『部長』じゃないからね?」
    「うーん? ウタハは会長さん……じゃないから副会長さんでしょ? だったら部長はチヒロじゃないの?」
    「『エンジニア部』の部長はあくまでウタハだし『特異現象捜査部』だって――っていうか、未公認の部活に部長も何も無い気がするけど?」
    「えーーーー! でもチヒロは部長って感じだし良いじゃん?」
    「悪いでしょ。というかやる気も無いし。補佐で充分だって」

     何なら本業だか副業だかすら分からない職ですらにも職を就いている。
     これ以上役職を持たせられても手に負えないというのが現状だ。最終判断を担う友人の負担を減らそうと努力はするが、何かあったときの機転については到底敵わないことをチヒロは知っていた。

  • 90125/08/20(水) 18:56:34

    「私は自分がやれることをやるだけ。特にセフィラ確保なんて訳の分からない超常現象の相手なんて、ネジがいくつか吹っ飛んでなきゃすぐに置いていかれるんだから」
    「あの、まさかと思いますが『自分は普通』とか思ってませんか?」
    「えぇ?」
    「何でもありません、はい」

     妙なことを言い出したコタマに聞き返すと、すぐさまコタマは閉口した。
     これではまるで自分もまた『ネジが吹っ飛んでいる』と思われているようで苦い笑みを浮かべるほか無い。


     ……チヒロは知らない。
     頭がおかしい『天才たち』を統率できるのは、同じく頭のおかしい『異形』以外に存在しないということを。
     異なる常識を受け入れるなど、凡人には到底不可能な『偉業』であることを各務チヒロは知らなかった。


    「それで、次はどこに降りれば言い訳? アスナ」
    「次の駅! ちょっと走れば『間に合うはず』だから!」
    「あー、はいはい」
    「また走るんですか!? アスナさんの『ちょっと』は全然『ちょっと』ではないのですが!?」
    「じゃあ鍛えないと!」
    「そういう問題じゃないでしょう!?」

     悲鳴を上げるコタマであったが、そこには流石のチヒロも若干の同情を理解した。
     事実として、アスナの『ちょっと走る』は中々に『良い』ペースでの長距離ランニングだ。運動がそこまで不得手では無いチヒロからしてそうなのだからミレニアム特有の『運動を不得手とする生徒』にとっては全力疾走と大差ない。

    「ねぇアスナ。私は別にいいけどコタマには『次の次』の目的地に向かってもらうのはどう? ってかそうしよう? ケセドが来るまで四日とちょっとだし、前日には全員休ませたいしさ」
    「うーーーーん……分かった! じゃあ次の目的地は私が行くから『次の次』にチヒロが行ってもらおっか! コタマは『次の次の次』で待ち合わせすれば今日は『大丈夫』!」
    「……っ、分かった」

     アスナの一言でチヒロは確信した。『数多の天才』を相手にして来たチヒロだから分かった。
     一之瀬アスナ――彼女は言語能力と引き換えに思考能力が極めて高い人物。無意識的な収集機にして未来に対する演算機。少なくともチヒロはそう解釈した。

  • 91125/08/20(水) 18:58:08

     それが一日目の話。『調達班』の供物収集は二日かけて行われ、供物が手に入り次第ミレニアムのエンジニア部宛で次々と送られていった。

     コタマは手に入りやすい物を、チヒロは少々入手難度が高い物を集めたのだが、この調達という作業に対してアスナは驚くほどの成果を発揮したのは誰の目から見ても明らかであった。

     ティファレトの暗号じみた『欲しいものリスト』を次々と当たりをつけて回収し、何故だか分からない偶然の連続から他の供物も集めるという理外の調達能力。アスナ本人の気分次第でスルーされた供物もあったが、その手の類いはチヒロやコタマでも集められるものだったのだ。

     一体どうやって区別しているのか聞いたところ、きょとんとした顔で首を傾げて「勘!」と言われたときにはあまりに参考にならなさ過ぎて呆れるほかなかったが……ともかく、分かったことがひとつ。

    「アスナは好き勝手にさせた方がいい。というか、無理に手綱を握っても駄目だわあの子……」

     逆に手綱を握っておかないといけないのはコタマの方であり、目を離すとすぐに盗聴器を仕掛ける始末。実際晄輪大祭のときには役立ったがそういうケースの方が稀であり、少なくとも色々と寛容なミレニアムとは違って普通に盗聴は犯罪であるため自然とペアで行動することが多くなっていった。

  • 92125/08/20(水) 18:59:59

     そして三日目の朝。
     充分な供物を送り終えたのと明日の決戦に備えるべくミレニアムへ戻ろうとした時、チヒロの携帯に着信が入った。

    「電話ー?」
    「うん。誰からだろう……?」
    「ミレニアムの番号ですね。一応調べますよ」

     携帯番号以外ならミレニアム全ての電話番号を網羅しているコタマが自身の端末で調べ始める。
     一度着信が切れて、それから再び鳴る電話。鬼電しているようで悪戯なのか何なのか。

     チヒロが判断に困っていると、コタマが「えぇ……?」と声を漏らした。

    「どこからだったの?」
    「ええーと……その、セミナー本部ですね……」
    「――――ねぇ、私出なくていいかな?」
    「私に訊かれても困るのですが……」
    「だよね。言ってみただけ。……はぁぁぁ」

     セミナー本部からとはいえ、個人の携帯電話の番号なんて一体いつ抜かれたのか。
     そう一瞬だけ考えるも、どうせ会長か、それとも全ての個人情報をいつでも抜ける会計かのどちらかだろう。

     そして前者でも後者でもロクでも無いのは確かで、何なら後者だとすれば確実にリオたちが何かやらかしてのSOSである可能性が高く最悪極まりない。いずれにせよ、出ないという選択肢だけは発生しない。

     深く溜め息を吐いて、大きく深呼吸をしてからチヒロは意を決して着信に出た。

    「はい、各務で――」
    【やぁチーちゃんマ――】

     即切りした。会長の声と言葉へ盛大に顔を顰めながら通話を切った。

  • 93125/08/20(水) 19:02:24

    「……あ、また着信来てますよ」
    「ああああああぁ…………。――なんですか会長」
    【ひっどいなぁチヒロちゃんはさぁ。これでも僕ミレニアムで一番偉いんだよぉ?】
    「電話切りますよ?」
    【まぁまぁ、一応用事というか……そうだねぇ。僕は君のことをちゃんと評価出来ていなかったから謝ろうと思ったんだよ】
    「なんです急に……」

     相も変わらず回りくどい言い回し。だがちゃんと用はあるらしくチヒロはぐっと文句を堪えた。
     すると会長は何とも皮肉気な口調でこう続けた。

    【君が作ったエンジニア部だけどね? 君がいないってのはつまりさ、ママのいない家に子供たちだけで留守番させてる状態なわけじゃん?】

     その言葉に血の気が引いた。
     明らかになんかやってる。リオたちが。何かとんでもないことを。

     チヒロの心境はもはや、ヴァルキューレから連絡を受けた保護者に極めて近しいものだった。

  • 94125/08/20(水) 19:03:36

    【それでさ、君っていま『おもちゃで遊ぶためのチケット』と交換できるものをどんどん家に送ってるよねぇ? 研究して理性のタガが外れちゃってるあの子らだけの家にさぁ】
    「う、うちの子がなにかしでかしたんですか……?」
    【『廃墟』に行ってごらん。もう、すごいことになってるからさ】
    「…………」

     それから二言三言交わして電話が切れたが、放心状態のチヒロは自分が何を言ったのか覚えていなかった。

     呆然と立ち尽くし、ゆっくりと振り返るとおもむろに口を開く。

    「今すぐタクシー呼んで」
    「もう捕まえたよー!」

     アスナはチヒロが電話で話している間にタクシーを手配していたらしく、車の隣で手を振っていた。
     すぐさま三人で乗り込むと、チヒロは運転手へ叫ぶように場所を伝えた。

    「ミレニアムの郊外近くまで! 場所は――」

     チヒロたちは大急ぎでミレニアムへと戻っていく。
     場所は『廃墟』。何やら派手に遊んでいるらしい子供たちへ雷を落とすために。

    -----

  • 95二次元好きの匿名さん25/08/20(水) 21:05:19

    あっ(察し)

  • 96125/08/20(水) 22:55:03

     ケセドとの決戦を明日に控えたお昼過ぎ。『廃墟』で鳴り続けるは世界を引き裂くような爆撃音。
     様々な機器が積み込まれたトレーラーの中で、ウタハはリオ達と共に実験の観測データを確認していた。

    「よし、データも集まって来たね。『穿孔破壊兵器:ストロングビックバン序章・闢』の完成も間近だ!」
    「試しにもう一度撃ってみましょうか。穿孔の射角をもう少し鋭角にすればより浸透爆撃が行えるはずです」
    「先端部分をより硬く出来ないかしら? 掘削させるように円錐から湾曲させても良いと思うわ」
    「セフィラたちに指示を出します。設計図を」

     すぐさま三人が設計に取り掛かりマルクトに渡すと、マルクトからゲブラーとネツァクに共有。
     ゲブラーが生み出した資材を元にネツァクが変性。高さ10メートルにも及ぶ円筒が生み出され、それをイェソドが地上10メートルの高さへ転送。落下したところをティファレトが方向操作の見えざる手で掴まえて、ぐるぐると自らの周囲へ振り回しながら速度を上げていく。

     そのままの状態でティファレトは更に上空へと『穿孔破壊兵器以下略』を持って行き、地面目掛けて照準を合わせる。

     抉れた大地。大型の地中貫通爆弾であっても地下60メートル――即ち地下20階弱までの貫通力しか持たないところを、ウタハたちの作った『穿孔破壊兵器:ストロングビックバン序章・闢』は地下140メートルまで完全に破壊し得る性能を持っていた。

     こんなものを投下すれば学校敷地内ぐらいなら一撃で壊滅状態まで持って行ける。
     つまり作ったところで使う当てもなく、またそれほどの貫通力はセフィラの力あってのことであり、セフィラなしでは再現できないロマン砲でしかない。

  • 97125/08/20(水) 23:03:51

     そして、ティファレトは自らの周囲で回り続ける『穿孔破壊以下略』を抱え込むように猛スピードで地面へと向かう。
     ティファレトが離脱。『穿孔以下略』が地面に激突する直前、『以下略』が地表すれすれで完全に動きを固定された。

     新たに発見されたホドの機能。全ての状態を保持したまま『止める』という特異現象。
     止まった『以下略』を後ろから押すように、ゲブラーが爆発を『生成』させる。力の向きはティファレトが調整。『以下略』の空間内に入った瞬間、ホドが重ねて衝撃を『固定』。

     これを三度繰り返して準備は完了。ウタハが会長による改造が施された『クォンタムデバイス』を手に取って、セフィラたちの動きを映すカメラへと意識を向けた。

     深呼吸。そして静かにマルクトへと合図を送る。

    「……よし、やろう」
    「分かりました。――ホド」

     マルクトの一声。ホドが固定した全てを解除、動き出すのは積み重ねられた力の全て。

     そして――世界を引き裂く最強の『矛』が起動する。

     ――――閃光。地鳴り。破裂する空気。
     遥か上空まで打ち上げられる大量の土くれと瓦礫。衝撃――そこに打ち込まれる『クォンタムデバイス』の起動。

     瞬間、災禍を映し出すカメラの前に四本の小さな球体が生成されて、全てを呑み込む破壊の全てからカメラを完全に守り切った。

     『空間錨』――如何なる衝撃であっても固定し、左右と上空の三方向へ分散させることで四つの球体の間に存在する全てを保護する最硬の『盾』である。

     固定の発生は0.2秒間だが、反射神経に優れた人間であれば対応するのに充分な時間である。
     特異現象捜査部内においてはヒマリ、ネル、アスナの三名ならば問題なく発動できるだろう。

     そして『矛』の方だが、ヒマリたちが名付けた『地下図書迷宮』を最深部まで打ち抜いていた。
     ホドから観測情報がトレーラーへと送られる。地下150メートル強までの破壊に成功。そしてその衝撃から『盾』は確かにカメラを守り切った。実験は成功である。

  • 98125/08/20(水) 23:19:17

    「終わったぁーーーー!! 完成だ! 出来た! セフィラが出せる最大火力! どんな攻撃からも防げる私たちの『盾』! やっと! 凄いよこれは!!」

     ウタハが歓声を上げ、ヒマリは興奮のあまり踊り出す。リオも目を輝かせながらぶんぶんと両手の握り拳を振って、マルクトはよく分からないながらに「良かったらしい」ということは理解して「うんうん」と頷いた。

    「お疲れ様でした。とりあえず、完成した、ということでしょうか?」
    「そうですよマルクト! クラッシャーに美しい要素は無いなんて言葉も撤回しましょう。思ったように、思った通りに果たされる確かなものには芸術が宿るのですね!」
    「これ以上は無いわね。これが今の私たちが出せる最大の火力。何が来ても絶対に倒せるわ」

     とはいえ、実際に『穿孔破壊兵器:ストロングビックバン序章・闢』が使えるタイミングなど存在しないことは全員分かっていた。

     そもそも、ゲブラーまでの全てのセフィラがいなければこの破壊力は出せないということ。対セフィラ戦という『接続されたセフィラ』が対象に攻撃できない状況においては決して使えない。

     あくまで理論上出せる最大火力。いわゆるロマン砲。
     それをセフィラを用いらない『空間錨』で防げるのなら、もはや『空間錨』で防げない破壊は何も存在しないだろう。

    「あの……リオ、ヒマリ、ウタハ。セフィラたちが『チケット』を消費しろと言ってます」
    「その辺りに置いてあるから捨てて置いてちょうだい」
    「……分かりました」

     マルクトがトレーラーの隅へ雑に置かれた紙きれを一枚一枚丁寧に燃やしていく。
     しかしそんなことを気にする者はマルクトを除いて誰も居なかった。リオもヒマリもウタハも、皆が目の前の実験に夢中だったのだ。

     ミレニアムでは決して行えない実験。ゲブラーによる破壊もあってか、誰一人『廃墟』の保存なんて頭から抜け落ちていた。

     既に壊され尽くされているのだから、ちょっと壊したところで誤差だろう。そんな思考。
     反対していたヒマリでさえ実験が始まってしまえばこうなのだ。加えて『ケセド戦のため』だとか言い訳の類いは幾らでもある。留める理性なぞここには存在せず、チケットを消耗し始めた時にマルクトの言った「チヒロに怒られませんか?」という言葉を覚えている者も存在しない。

  • 99125/08/20(水) 23:52:17

    「次は都市の再生実験を行いませんか!?」

     ヒマリがわくわくとした表情で全員に訴えかけると、ウタハもリオも躊躇することなく頷く。

    「いいんじゃないかな? どれだけ早く、効率的に壊れた建物の再建が出来るか試そうか!」
    「あの、ウタハ? いえ、皆さん。その……」
    「ええ、キヴォトスではよく建物が壊れるもの。『サンクトゥムタワー』を介さない再建技術が得られればキヴォトス全土の建物の修復に革命が起こるかも知れないわね」
    「来てます……」
    「ではこういうのは如何でしょう? 地表などのプリセット化と生成。恐らくですが出来ますよ、私たちであれば!」
    「チヒ――」

     ばん、と音を立ててトレーラーの入口が開かれた。
     ぎょっとして振り向く問題児三人。入口に立っていたのは、鬼だった。

    「何をしているの? あんたたち……」

     浮かれた心が静まり返る。同時にその場も静まり返る。
     それから三人の脳裏を過ぎったのは、送られてきた供物と交換したチケットの枚数、そして勝手に何枚消費したのかということである。

     覚えていない。何枚使ったかなんて。
     三人がトレーラーの隅へと視線を向ける。目視三枚。何度見ても三枚。20枚以上交換したはずなのに、いったいそれらは何処へ行ってしまったのか……。

    「チヒロ、ヒマリたちは20枚を消費して破壊兵器の設計を始めました。私は止めました」
    「マルクト!?」

     裏切られたと言わんばかりに声を上げるヒマリ。しかしマルクトもマルクトで必死である。

  • 100125/08/20(水) 23:53:56

     チヒロの瞳に感情が無い。正確には怒り狂っている。マルクトは、絶対に怒られたくないと全部話した。

    「21枚目で『盾』を作ることを思い出し、26枚目から着手。三枚使って『盾』を完成させました」
    「……そう」
    「そ、そうさチヒロ! 私たちはどんな攻撃からも身を守るための『盾』を作るために有効活用したんだよ!」
    「最初に消費した20枚のうち15枚は『たくさんあるからちょっとぐらい』で使ったものだったと記憶してます」
    「マルクトォ!?」

     ウタハが叫ぶも事実はそうだ。ちょっとぐらい……なんて言い訳と共に遊び始めて、真の無限プチプチだの何だのを作らせ始め、それからようやく本来の目的――『盾の開発』から少々ズレた『最強の矛』の発明を始めたのだ。

     チヒロの向ける剣呑な瞳がより一層濃くなった。
     そして発せられるは地獄の底より低い声。

    「他に何か、言うことは……?」
    「――ッ!」

     リオは脱兎の如く逃げ出そうとした。それをマルクトが咄嗟に壁へと手を当てて鎖の生成および変性、操作。瞬く間に鎖で捉えられて縛り付けられるリオは「むぐぅ!?」と壁へ拘束される。

    「マルクトは……止めたんだよね?」

     ぶんぶんと勢いよく頷くマルクト。
     チヒロは「そっかぁ……」と不穏な一声。マルクトはおのずと正座をしていた。

    「マルクト」
    「はい」
    「鉄パイプ」
    「どうぞ」

     即座に生成し手渡すマルクト。
     受け取ったチヒロの目は完全に座っていた。

  • 101二次元好きの匿名さん25/08/21(木) 02:54:19

    残当

  • 102二次元好きの匿名さん25/08/21(木) 08:12:04

    保守

  • 103二次元好きの匿名さん25/08/21(木) 16:16:26

    鉄パイプで何する気なんです?

  • 104125/08/21(木) 23:14:21

    「ウタハ、ヒマリ。正座」

     恐らく、この瞬間における呼ばれた二人は自分が出せる全速力だったに違いない。
     壁に磔にされたリオの左右へすぐさま正座で座った二人は完全に降伏状態。

     唯一呼ばれなかったマルクトは、自分が出せる最速でトレーラーから出て行き扉を閉めた。

     背後で聞こえたのは静かな、そして淡々と詰めるようなチヒロの声。時折床か壁化を鉄パイプで殴る音が聞こえた気がしたが、マルクトは何も聞こえなかったことにした。

    「うわ……すっごい怒ってるぅ……」

     トレーラーの外に居たアスナが、あのアスナでさえも凍り付いたような表情を浮かべていた。
     コタマは空を眺めて何も聞こえていないフリ。そして会長は苦笑いをしていて――

    「あ、会長。一緒に来ていたのですね」
    「ブチ切れチーちゃんを見に来たんだよねぇ~」
    「飛んで火に入る虫ですね」
    「ひどいなぁ~」

     会長はニタニタと笑みを浮かべる。

     以前は会長に対して嫌に怖気が走っていたが、ここのところのマルクトはどうやら慣れたようで、気が付けば対面するどころか言葉を交わすことすら普通に出来る。というより悪寒を覚えなくなった。

     相変わらずセフィラたちは絶対に会長に近づこうともしない上に全力で警戒態勢を取ってはいるが……。

    「それにしてもさぁ。随分とまぁ、めちゃくちゃにしてくれたよねぇ~。ちょっとこれはオシオキかなぁ?」
    「オシオキ……ですか?」

     そう、と会長が頷いたところでちょうどトレーラーの扉が開いた。

  • 105125/08/21(木) 23:43:28

     中から出てきたのは鉄パイプを肩に担いだチヒロ。どうみても不良を束ねる高レベルなスケバンにしか見えない。後から続くのはちょっと涙目になっているヒマリとウタハ。あと泣き腫らして鼻を啜っているリオだった。

    「……おまたせ。ほら、あんたたち。アスナとコタマに言うことは?」

    「「……チケット勝手ニ使ッテゴメンナサイ」」

    「声が小さい!!」

    「「チケット勝手ニ使ッテゴメンナサイ!!」」

    「拷問された直後みたいになってしまっているではありませんか……」

     ドン引きのコタマは顔を引きつらせながら呟いて、アスナは小さく「うわぁ……」と声を漏らした。
     そこに出てくる強心臓の会長。ウタハの方へと近寄って小さな手を差し向けた。

    「『クォンタムデバイス』だけど、僕が改造したところ元に戻すから返してね? 流石にやりすぎだよ?」
    「え、でも身を守る盾がようやく……」
    「だから言ったじゃんか。ケセドは物理攻撃してくるわけじゃないって。……もしかして忘れてた?」
    「…………あぁー」

     ウタハは空を仰ぎながら明らかに心当たりのある顔をする。
     それを見て盛大に溜め息を吐く会長。

    「情報が命なんだよねぇ? 未知だからこその脅威であるセフィラに挑もうとしているときにどうして忘れちゃうのかなぁ? 目の前のことにかかりきりになって何も見えなくなっちゃうのかな君は? ああ、それともこうかな? 今まで何だかんだあったけど最終的にセフィラは捕まえられているから大丈夫って思っちゃった?」
    「そ、それはちが――」
    「悲しいなぁ。ティファレトのときに死にかけたときのこともう忘れちゃったの? チヒロちゃんも死にかけたよね? それでゲブラーが終わったら自分は軽傷寄りだったからって忘れちゃったのかなぁ? ネルちゃんも生きてる方が不思議なほどの重症を負っているって言うのに自分の傷が軽かったら友達の痛みなんてどうでもいいのかなぁ?」
    「ぐっ――」

     久しぶりに聞く会長の正論ラッシュにウタハが表情を歪める。
     が、ケセドの情報を共有していなかったウタハに落ち度が無いわけでもなく、だからこそ悪意モリモリのお説教も耳が痛い。

  • 106二次元好きの匿名さん25/08/22(金) 01:56:11

    保守

  • 107二次元好きの匿名さん25/08/22(金) 08:17:08

    保守

  • 108125/08/22(金) 10:16:44

    「だから、はい。『クォンタムデバイス』。ま、答えだけ見せたんだから何日かすれば自力で改造できるでしょ? 君たちは『天才』、なんだからさぁ?」
    「う……、あ、ああ……いま渡すよ」

     渋々と、ウタハは本当に渋々と『クォンタムデバイス』を会長に渡すと、それを受け取った会長がパネルを操作する。それから自分のジャケットの内ポケットへと『クォンタムデバイス』を仕舞い込んだ。

    「あの、すぐに返してはくれないのですか?」
    「ヒマリちゃんさぁ。すぐに渡したら復旧しかねないというか出来ちゃうだろう? ちゃんと改造する前まで戻すからそれまで指一本触らせないよ? ミレニアムに戻る頃には終わってるから」
    「あぁ……はい」

     チヒロに怒られた直後とあってキレが無いヒマリはまごまごと閉口する。
     そして会長は全員を見渡しながら念を押すように指を立てた。

    「いいかい? ケセドは記憶を書き換える。あと人の姿を見えなくする。何かおかしいと思ったら……それか悪い夢だと思ったら一晩眠りなよ。そうすれば、次の朝には元通り。全部夢だったで終わるだけ」

     それだけ聞くと確保に苦労しなさそうなセフィラのようだ。
     マルクトはそう思ったがだからこそ、この場の全員がそのことを訝しんでいる様子であった。

     そこで口を開いたのはエンジニア部のカナリアことリオである。

    「改めて聞くわ。会長は全てのセフィラの機能と突破方法を知っているのね?」
    「ケテル以外ならある程度はね。突破方法は……知っている」
    「無傷で突破する方法とは限らないようね」
    「答えは確定するまで進退を繰り返すものだよ?」
    「あなたは死んだことがあるのかしら?」
    「どうだろ? でも悪くないね。僕のことを知ってる人間は居ないけど」
    「どういうことなの……?」
    「いや何の話なんですか一体!?」

     リオと会長の意味不明な言葉の応酬に耐え切れずコタマが叫んだ。
     それにはチヒロたちも頷く。何かの心理戦でも起こっていたのかと思ったが、リオにそんなことが出来るはずも無く、ただ言葉が足りなさすぎる質問に会長が付き合っていただけだろうと全員が納得した。

  • 109125/08/22(金) 10:19:25

     そこで会長があくびをひとつ。

    「ま、そんなことよりもゲブラーに頼んで車を一つ用意してよ。僕は先に帰って君たちの部室に『クォンタムデバイス』を置かなきゃいけないからねぇ?」
    「一緒に帰れば効率的よ」
    「それは嫌……まぁ、ううん……」

     チヒロは反射的にそう言いかけて口を噤む。その様子を楽しそうに会長が笑った。

    「そもそも僕がいたらセフィラが気にするだろう? 先に帰るよ。動物の類いにはよく嫌われるんだ。動物園なんか行ったら威嚇され続けるだろうねぇ? 行ったことないけど」
    「では、手配します」

     マルクトは即座にゲブラーとホドへ『精神感応』による指示を飛ばすと、遠くの方から自動制御された一台の赤いスポーツカーが走って来た。

    「……派手過ぎない?」
    「一番速い車がこれだそうです」
    「じゃあ……しょうがないかぁ……」

     会長は仕方ないと言った様子で車に乗り込みシートベルトを着用する。
     背もたれを倒して身体を横たえると、皮肉気に頬を歪めて瞳を閉じた。

    「どうせ眠れないんだろうけどさ、安全運転でミレニアムまで送ってよ」
    「分かりました。――ホド、適切に会長をミレニアムまで運べるよう組んでください」

     マルクトの声と共に閉まる窓。かかる鍵。
     直後――アクセル全開で走り出したスポーツカーが蛇行運転を繰り返しながらミレニアムまで急発進した。

    「ホド!! 何故少しでも多く会長へダメージを与えようとするのですか!!」
    《否定。危険は排除しなければならない》

  • 110125/08/22(金) 10:20:27

     ――うっ、おえぇぇぇえええ!!

     遠くから聞こえる会長の断末魔が、赤いスポーツカーと共に走り去っていく。セフィラは会長に恨みでもあるのだろうか。

     そう思いかけたところでチヒロがリオへと話しかけていた。

    「そういえばあんた、会長に何聞こうとしてたの?」
    「チケット勝手ニ使ッテゴメンナサイ」
    「……殴るよ?」
    「ぴ――」

     リオがびくりと身体を竦ませる。それからリオは、しどろもどろになりながらリオは言葉を捻り出していた。

    「か、会長は、あまりにもセフィラの機能に詳しすぎるわ。だからもっとずっと長くセフィラと一緒にいたんじゃないかと思ったのよ……」
    「どういうこと?」
    「その」

     リオは一旦区切って、自分の憶測の片鱗を出した。

    「セフィラに取り込まれた『意識』……とかではないかしら?」
    「『意識』って……疑似人格が統合しているって、あの? 誰かに憑依してるって言いたいわけ?」

     流石にそれは無いと言わんばかりに肩を竦めるチヒロ。
     それにはマルクトも頷いた。

    「有り得ません。確かに私が得たイェソドの機能のように『器』さえあれば乗り移ることも可能ですが、人間や生物のように『器』と『意識』が強く結びついている存在に乗り移ることは出来ません。磁石のように弾かれてしまいます」
    「ふふ、案外有り得るかも知れませんよ皆さん」

     ヒマリが微笑みながら憑依の話を肯定する。

  • 111125/08/22(金) 10:48:59

    「そもそもマルクトだって人間の精神に直接語り掛けられるではありませんか。意識を乗っ取るというよりも催眠に近い形で、特定の条件を満たした際に意識の変性や深層意識に閉じ込めた記憶が浮かび上がるなんて可能性を排するのは如何なものでしょう?」
    「そこでセフィラを出されたらもう何も言えないけどさぁ……」

     渋い顔のチヒロだが、そもそもセフィラ自体が現代の科学を凌駕した特異現象。オカルトとどうやって区別すればいいのか分かる者など居るはずも無く、セフィラを確保して再現性が存在することだけ確認しているから「これは技術」と言っているに等しい状態である。

    「ですがチーちゃん。覚えてますか? セミナーの会計は会長のことを『誰からも好かれる良い子』と言っておりましたが、古代史研究会の部長は『昔から問題児』と仰っていたではありませんか。この二面性は憑依、多重人格、意識の変性……そう言ったものを示唆しているのでは?」
    「あの……ちょっと良いですか?」

     話に割って入って来たのは意外にもコタマであった。

    「人の印象なんてアテになりませんよ? というより、皆さん自分たちの噂を耳にしたことはありませんよね?」
    「あら? 氷雪の如く柔らかで儚い天才的美少女という話であれば耳にしたことが……」
    「ヒマリさんは『穏和ですが敵には容赦しない氷の女王』なんて噂が流れてます」
    「誰が流したのですか!? こんなに美少女なのに!」
    「いや美少女で一体何が否定できるの? ……ちなみにコタマ、私は?」
    「チヒロは『会長の懐刀』ですね」
    「はぁ!?」

     チヒロは憤慨したが、そもそも入学当日にセミナーから勧誘を受けたという噂が今なお残っているらしく、その上最近では会長に絡まれている姿を目撃されていたらしい。結果、会長と手を組んで大人相手に商談を行うビジネスマンとしての噂が流れていた。

     もちろんチヒロにとっては到底受け入れられない噂である。

  • 112125/08/22(金) 10:50:21

    「じゃ、じゃあ他の皆はどうなの!? 流石に許せないんだけど!?」
    「巻き込みに来たね。別に問題は無いけどね」
    「ウタハさんはあまり変わりませんね。『兵器を開発しミレニアム転覆を狙う悪の科学者』と」
    「コタマにとっての私はいったい何なんだい……?」

     ウタハは何とも言えない顔をした。
     続いてコタマはマルクトへと視線を向ける。

    「マルクトは病弱設定が付いてましたね。深窓の令嬢であまり表に出て来られない正体不明の生徒。エンジニア部に誘拐されていると」
    「なんと」
    「ちなみにリオさんは『寡黙な天才』とのことです」
    「ただの引きこもりですよリオは!」

     ヒマリが抗議の声を上げるも、とにかく人の印象なんてあまり当てにできない証左にはなったのだった。

    「とりあえず、詳しい話は今度にして一旦私たちも帰ろっか。明日はケセドと戦うことになるんだから、全員ちゃんと休むこと。ウタハもリオも研究は明日を乗り越えるまでは一旦中止」

     チヒロの言葉に全員が同意する。
     そして――翌日。トレーラーと二台の大型トラックが向かうは『廃墟』。

     六度目になるセフィラ戦の舞台であった。

    -----

  • 113125/08/22(金) 18:23:06

     『廃墟』。それは膜状の領域に覆われた不可思議な土地。
     ミレニアムの郊外に存在する広大なその場所は、巨大な壁とでも形容すべき建築物で囲われていた。

     最初にマルクトを見つけ出した『壁街』。『廃墟』の領域へと侵入するその前でチヒロたちは車を停める。

    「ここに拠点を作るよ」

     これまではセフィラ戦で何かあったときのために人員を回収するべく、オペレーターも『廃墟』の中へと入る必要があった。

     しかし、ゲブラー回収後の研究により例え『廃墟』の中で意識を失っても自動的にトレーラー内部まで転送される仕組みが遂に完成したのだ。

     ティファレト、ゲブラーと続いてオペレーターまでもが瀕死になる事態があっての開発と呼べるだろう。多くの血と傷によって生み出された数多の発明は、それこそ会長の思想でもある「闘争が技術の進化を強制する」に準ずる形となったのだ。

    「マルクト、ケセドの動きは?」

     チヒロの言葉にマルクトの瞳が金色に輝く。
     『魂の星図』。存在する『意識』の観測機能はセフィラが顕現するまでの時間を大まかに割り出すことが出来る。

     現在時刻は15時。当初観測されていた時刻から2時間も速く到着したのは念のための保険である。

    「チヒロ、まだ輝きが薄いため予定通り17時に顕現すると思われます。場所も特に変わらず『クレーター』付近のままですね」
    「クレーター……。まぁあんな派手に壊せばそう呼ぶしかないよね……」

     昨日散々ヒマリたちが調子に乗って破壊の限りを尽くしたのだ。
     『地下図書迷宮』と呼ばれていたその場所には巨大なクレーターと、ぎりぎり壊れずに残った地下空間だけが存在するのみ。広さもミレニアムのワンフロアぐらいで探索は容易だろう。

     その辺りでウタハはトラックの荷台から二人乗りのオフロード対応小型四輪を出していた。
     『廃墟』内を移動するための物で数は二台。時速120キロメートルまで出せて小回りも利く。

     今回探索に向かうメンバーはアスナ、ヒマリ、マルクト、リオの四名と、ウタハが遠隔操作する対セフィラ用兵器『ゼウス』である。チヒロとコタマは『廃墟』の外からオペレーター兼ウタハの護衛としてサポートに回るつもりだ。

  • 114125/08/22(金) 18:27:34

    「アスナ、マルクト。二人はヒマリとリオの護衛をお願いね。特にリオ。ヒマリは最悪自分で何とか出来るかも知れないけど、いま一番戦えるのはあんたたちだけなんだから」
    「おっけー! アスナにおまかせ!」
    「私も問題ございません」

     二人が現時点での特異現象捜査部における最高戦力である。
     とはいえ、記憶を書き換えるケセドとの戦いはホドのようなギミック戦じみたものになるかも知れない。何処まで抗えるのかは分からないが、注意すべきことは分かっていた。

    「もしかすると同士討ちをさせられるかも知れないから、ケセドとかロボット兵とか敵を見つけてもすぐに撃たないこと。必ず四人いることとお互いの名前を確認し合うこと。名前を呼ぶときは腕に書いた文字を読むこと。四人のことは私たちでも見るから、変な動きをしたらすぐに止めるよ」
    「ええ、お願いしますねチーちゃん」
    「私は操られても問題無いわ。弱いもの」
    「胸張って言うことじゃないでしょ……」

     と、今回前線に向かう四人の腕には四人の名前を油性マジックでしっかりと書いていた。
     もちろん先ほど挙げた注意事項も添えて。あとはマルクト以外の三人には首元に電撃を発生させる装置も付けている。チヒロが用意した『首輪』はある種の強制転移装置とも言えよう。

     様子がおかしいとオペレーター側で判断ができ次第、『廃墟』の外から操作して強制的に意識を奪う。
     気絶すれば転送装置が作動して外の拠点まで運ばれるという仕組みだ。いつでも逃げられる状況だけは作っておかなければならない。

    「それと今回は今までと違って夜間での戦いになるからね。街灯の整備は済ませてあるけど、それぞれ光源は確保するように。暗闇からひとりずつなんてことも全然有り得るからね」
    「まるでホラー映画だわ……」
    「でも生きた熊より怖くは無いでしょ」
    「っ! 確かにそうね」

     生きた熊より怖い幽霊はそうそう居ない。というか熊があまりに怖すぎる。速いし、強いし。

    「あとは……『クォンタムデバイス』のリビルドか……」

  • 115125/08/22(金) 18:29:02

     チヒロはバッグから『クォンタムデバイス』を取り出した。

     会長が改造していたのだが、昨日の騒ぎの後に戻されてしまったPDAである。セフィラの機能の疑似再現が出来なくなってしまったが、それでも会長が手を加える前に出来ていたことは変わらず出来るため、一応攻撃を防ぐ『空間錨』も四つの球体型デバイスさえ持って行けば使えるようにはなっている。

    「とりあえずこれ、ヒマリに渡しておくから。いざという時に使えるよう準備だけしておいて」
    「ええ、任せてください。リオがこう何度も何度も入院されると困りますので」
    「そうねヒマリ。私を守ってちょうだい」
    「……何故でしょう? 何だか急に守りたくなくなりましたね」
    「どうして……っ!」
    「はいはい二人ともそこまで。……ウタハ、準備は出来た?」

     チヒロがトレーラーの方に声をかけると、中からキツネのような黒い機体が現れる。
     『ゼウス』、これまで何度もセフィラ戦で壊され改修が続いたウタハの武器である。

    【問題ないさ】
    「あ、スピーカー付けたんだ」
    【ちょっとスペースに空きがあってね。脇腹に付けてみたけど悪くは無いだろう?】

     遠隔操作で動く『ゼウス』も相当滑らかに動くようになっていた。

     ウタハ自身が操縦に慣れてきたのもあるが、今回トレーラーにはコックピットと称してマッサージチェアを改造した椅子が取り付けられている。反射的に『ゼウス』ではなくウタハ自らの身体を動かしてしまっても怪我をしないよう、両手両足を圧迫しない程度に挟みこんでいるのだ。

     これで前線に向かう四人と一機の準備が整った。
     二台の四輪に乗り込む四人と『ゼウス』。リオはあくまで荷物持ち兼カナリアのため、実際に動けるのは四人。オペレーションできる最大人数。

    「それじゃあ、前線組はケセドが現れる前に先行して。私たちは30分ぐらい『廃墟』の中で最終整備はするけど、その後はすぐに外から支援するから。マルクトもケセドが出てくる直前までは元の身体で一応警戒してて。ティファレトみたいにはならないと思うけどさ……」

     あくまでティファレト戦の際に出現位置と時間を見誤ったのは身体の変性に慣れていない状態でミレニアムの外に出てしまったのが原因だった。

     今はもう安定しているからそんなことは起こらないだろうが、万が一を懸念しての用心。マルクトは頷いて銃を担ぎ直した。

  • 116二次元好きの匿名さん25/08/22(金) 18:30:24

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  • 117125/08/22(金) 18:33:23

    「異常はありませんが警戒を続けます。ケセドを感知した瞬間に『精神感応』で呼びかけますのでチヒロたちも『廃墟』の中に長居しないように」
    「うん、こっちも気を付ける。必要な物があったら転送するから言って」
    「ありがとうございますチヒロ。では、行ってきます」

     二台の車両とウタハのゼウスが『廃墟』に向かって走り出す。
     その背を見送りながら、チヒロがコタマへ振り返る。

    「それじゃあ、私たちも準備だけしよっか」
    「そうですね。機材の点検をしたらすぐに『廃墟』から出ましょう。私たちが一番危険ですし……」

     残った二人も機材の点検のために『廃墟』の中へと進んでいく。
     ケセドが現れてもすぐに『廃墟』から出られるよう細心の注意を払いながら作業に取り掛かる。



     そして、屋根の無い二台の車は『廃墟』の奥へと進んでいく。
     アスナが風に髪を靡かせながら、楽しそうに周囲へ視線を走らせた。

    「すっごい壊れてるね~! この前来た時は夜だったからよく見えなくてさー!」
    「この辺りはネツァクの仕業ですね。茨に変えて最後は水になりましたので」

     ときおり地面や壁に見える『蛇がのたくったような跡』は、茨に変えられたセメントの跡だろう。

     すっかり見慣れてしまったが、ネツァク、ゲブラーと一戦飛ばしで『廃墟』に大規模な破壊が行われているのだから、次はもしかするとゲブラー戦でまた大きく壊れるかも知れない。

     そんな益体も無い想像を巡らせながら、マルクトはハンドルを握る。
     隣で並走するのはヒマリが運転する車両。座席に座るリオは思考に没頭しているのか何処か遠くを眺めていた。

  • 118125/08/22(金) 18:34:37

    「リオは考え事ですか?」
    「そのようですよ? まったく、幾ら話しかけてもぶつくさぶつくさ……。ケセドの機能について考えているようですね」

     するとヒマリたちの車の更に向こう側を走るゼウスから声が上がった。

    【そのためのリオじゃないか。リオが何かに気が付くまで守り抜く。取っ掛かりを掴むのは私たちの中で一番上手いからね】
    「少々癪ですが、思いついて頂けさえすれば後は私たちの仕事ですからね」

     ヒマリがわざとらしく頬を膨らませて見せ、それに釣られてマルクトも微笑を浮かべる。
     そんなときだった。アスナがふと顔を上げて空を見た。

    「……なんか、『視られてる』?」
    「っ――」

     不吉な呟き。しかしマルクトの瞳に映る『星図』には何の変化も無い。
     それでもアスナは首を傾げながら視線を空へ地へと彷徨わせる。

    「なんだろう? 私たちを見てるわけじゃない気はするけど……なんか嫌な感じだねー」
    「それは……どういう感覚なのですか?」
    「えー? ほら、遠くからスコープで覗かれると嫌な感じするでしょー? 狙われてるっていうか、うっかりカメラの前を通っちゃった、みたいな? なんかこの辺りさ、すっごいおっきい目で見られてる気がするんだよねー」
    「ひっ」

     声を上げたのはリオだった。
     耳を押さえてぶるぶると震えている。どうやらアスナの話を聞いて怖くなったらしい。

    「……どうして突然怖い話をするのかしら?」
    「怖がらせようと思って言ったわけじゃないよ? だっていまも『視られ』――」
    「やめてちょうだいっ!」

     リオの様子にヒマリが溜め息を吐く。

  • 119125/08/22(金) 18:35:49

    「……もう今更では? ホドの方がよっぽどホラーだったではありませんか」
    「あれは波動の異常だったもの……。原因さえ思いつけば怖くないわ」
    「でしたらいま『廃墟』を眺めているのもケテルということにしましょうか。結局ティファレトが出現した時に見た光の正体はまだ確定していないのですから」
    「……そうね。異なる次元からセフィラの機体を投げ落としている存在が居る可能性はあるもの。どうしてその可能性をもっと早く言ってくれなかったのかしら?」
    「ちょっとこのお荷物どこかに捨てて来ませんか?」
    「ヒマリだけは死んでも離さないわ……」
    「私を道連れにしようとしないで下さい!」

     そうして騒いでいるうちに『クレーター』の近くまでやって来た。
     車を降りて周囲を見渡す。当然ながら特に異常も無く、昨日破壊した状態のままである。

    「ひとまず、時間まで待機ね」

     リオが開口一番にそう言って、その辺りの瓦礫を調べ始めた。
     あとはケセドの気配が大きくなるまで待つばかり。迂闊に動いてセフィラ戦が始まれば、油断しきって死にかけたティファレトとの遭遇戦の二の舞である。

     マルクトはヒマリとリオからなるべく目を離さないようにして言った。

    「あまり私から離れないようお願いします。近くなら例え空に打ち上げられても地割れが起こっても対処可能ですので」
    「心強いですね。流石ですマルクト」

  • 120125/08/22(金) 18:36:58

     ヒマリはそう言ってマルクトの頭を撫でた。
     されるがままに目を瞑って身体を委ねていると、『星図』に映るアスナの位置が何故かクレーター目掛けて動き出したため慌てて目を開ける。

    「退屈になっちゃうからちょっと見て来るねー!」

     そう言うや否や、既にアスナはクレーターの急斜面を駆け下りて残った瓦礫の山の内部へと走り出していた。

    「アスナ!」
    「放っておきましょうマルクト。チーちゃんが言っていたではありませんか。アスナは好き勝手にさせておいた方が良いと」
    「まぁそれは……確かに」

     グローブの通信も生きているのだから問題は無いだろう。
     少々不安に感じながらもひとまずマルクトはリオたちの護衛に務めることにした。

    -----

  • 121二次元好きの匿名さん25/08/22(金) 19:19:25

    視られてる…?

  • 122125/08/22(金) 22:40:36

     マルクトたちを見送ってから20分ほど経った頃だろうか。
     今頃前線組もクレーターに着いたはず、そう思いながらチヒロはコタマと共に無言で作業に取り掛かっていた。

    「こっち完了。あと西の通りか……そっちは?」
    「私の方もケーブルの調整終わりました。感度良好。問題なし」

     入口に近い路上に置かれているのは空に向かって打ち上がる光の柱、砂漠などでも使われるビーコンだ。
     夜戦の要は光であり、何処に向かえば『廃墟』から出られるのかという絶対の導は時として危機を救うこともある。

     加えて『廃墟』の外から操作できるよう有線のケーブルで繋いでおり、一応光の向きを変えることも出来る。

    「って、言ってもなぁ……」

     チヒロはぼやくように独り言ちた。これが本当に必要なのかなんて、チヒロもコタマも分からない。
     それでも分からないなりに、少しでも出来そうなことをやるしかないのだ。少しでも前線の助けに成り得そうなものは、片っ端から。

    「やるだけやるしかないんですよね? まぁ私は何も思いつかないので全てチヒロに任せてますけど」
    「ははっ。ま、別にいいけどね。セフィラを捕まえて研究して、装備を開発してもほとんど活用できずに終わる。……流石にもう慣れたかな」

     自嘲めいた笑みをチヒロは浮かべる。
     結局のところ、確保した後に出来上がった物は『確保するときに欲しかった物』なのだ。

     遭遇してから逃げかえって対策を練り生み出されたものでぎりぎり。
     初遭遇のときに自分たちが作っていた発明の大半は活用すら出来ずにセフィラという『未知』に圧し潰されてしまう。

     幸いにも落ち込む暇なんて無いままに対抗策を開発するか、確保したセフィラの研究に没頭するため普段は気にならない。
     けれども、ときおり暇な時間が出来ると思い返してしまうのだ。あの時もっと何か出来たのでは、と。

     ゲブラーの後は酷かった。強制入院でチヒロは意識の無いリオと同じ病室で、ひとり考える時間が出来てしまった。

  • 123125/08/22(金) 22:41:49

     ゲブラー戦において、自分たちは本当に何も出来なかった。
     結局のところ、あの戦いはネルが耐えてマルクトが奇跡的に自分を取り戻しただけの話。
     チヒロはおろか、ヒマリもウタハもリオもコタマも、ただ重傷を負っただけで何も出来なかった。

     意味も無く傷ついただけなのだ。きっともっと良い方法が思い浮かんでいたかもしれない。
     ネルだけに負担を押し付けず、もっと効率的で効果的な働きが出来たのかも知れない。事前に会長からゲブラーの機能のヒントまで貰っておいてあのザマだ。リスクマネジメントが甘かった――そんな後悔ばかりが頭を過ぎっていた。

     けれどもそんな後悔を口に出すことだけは駄目なのだ。

     全員が同じ情報を共有していたその中で『自分が頑張れば何とか出来たかも知れない』などとは、まるで『自分がエンジニア部の誰よりも全てにおいて優れている』とも言えるほどの傲慢。自分と共に友人すらも貶める言動だけは流石に看過できない。

     あの時は、確かに誰も分からなかったのだ。
     ミレニアム屈指の天才であるエンジニア部の誰一人として、あの瞬間ゲブラーへの対策は練られなかった。

     負けたのだ。天才たちは。
     あんな勝ち方は何度も続かない。奇跡とは何度も起きないから『奇跡』であって、リオ風に言えばたまたま生き延びて確保できただけのこと。そんな奇跡頼りの戦いを繰り返せば、必ず何処かで破綻する。絶対に。

    「だから、やれることは全部やろう。思いつく限り備える……って、なんか私もリオみたいになってきた気が……」
    「そのぐらいがいいのではないですかねぇ? 命あっての物種と言いますし」
    「……ありがと」
    「あ、今のちゃんと録音しておいたので安心してください」
    「あんたいつもテレコ起動してるの!? 今すぐ出して! ほら!」

     チヒロは即座にコタマの胸倉を片手で掴みながら、もう片方の手でポケットをまさぐった。
     それに激しい抵抗を見せるコタマ。「うぉぉぉ!!」と身体を捩じりながら叫んだ。

  • 124125/08/22(金) 22:43:15

    「い・や・で・すぅ~! これで『ありがとボタン』を作るんですからぁ~!」
    「作るなそんなもの!! 出せ! 今す――」

     と、不意にチヒロの声が途切れて動きが止まる。
     コタマもそんなチヒロの様子に気が付いて、ちらりと横目で伺った。

    「ねぇ……いま何か横切らなかった?」
    「はい? 特に何も聞こえませんでしたよ? 飛んでても私は聞こえますし気のせいじゃ……」

     二人は顔を見合わせた。
     きっと思っていることは同じである。『映画でよく見る最初の犠牲者だ』、と。自分たちの状況を鑑みた。

     チヒロは即座にグローブを『常時通信』に切り替えながらコタマと共に全力で『廃墟』の入口へと走り出す。

    「全員警戒! 何か私たちの近くに居た気がする! コタマは何も聞こえていなかったから気のせいかも知れないけど一応注意して!」
    【こちらマルクト。ケセドの反応に変化はありませんが警戒します。全員の反応も変化はありません】
    【はいはーい。一之瀬アスナ、こっちも大丈夫ー!】
    【ヒマリです。リオも全力で警戒しているので何かあったら叫びますね】
    「一声だけは絶対上げてね! 私たちも全力で拠点に戻ってるから! 五分以内には配置に就けるから!」

     気のせいだったならそれでいい。そのぐらいの警戒心で当たらなければ『また』負ける。
     次は何かを失うかもしれない。逃げ切ればまた来られる。対策が練られる。だから――


     ――だから振り返った。コタマがちゃんと着いて来られているかと確認するために。


     倒れていた。音も発さず後方で。
     瞳に映ったのは『廃墟』の入口からすぐ近く。ゲブラーの破壊が目立たぬ『壁街』に、数多の『瞳』が目に映る。

  • 125125/08/22(金) 22:44:16

     そこにいたのは半透明のネズミの大群。一匹の大きさは両手を広げた二つ分。40から50センチほどの異形のネズミ。金色の瞳に不可思議なグリフが刻まれた瞳が、幾千幾万もの瞳がじっとチヒロを見つめていた。

    「っ――」

     息が詰まったその瞬間、一匹のネズミがどこからともなく降って来て、チヒロの胸部に飛び込み『すり抜け』背後に落ちた。

     直後、糸を切られたマリオネットのようにチヒロの身体が地面に崩れる。
     意識は途絶えて失われ、誰にも知られることも無く。『最初の犠牲者』という結果だけが表出する。



     同時刻、クレーター内に残った瓦礫の山――もとい『地下図書跡地』を探索していたアスナもまた、暗闇に満ちた通路を懐中電灯で照らしながら探索を進めていた。

     そこで聞こえたチヒロの警告。アスナは全力でヒマリたちの元へと戻ろうとして、一瞬通路の端から端へと横切った影を見てグローブを口元へと近付けた。

    「半透明のネズミがいるよー! 猫ぐらい大き――」

     そう言いかけたところで物陰から別のネズミが飛び出してきた。
     噛み付くわけでもなくアスナの身体目掛けて飛び込んできて、アスナは迎撃せずに躱して前へとひた走る。

    【どうしましたアスナ!】

     マルクトの声。どうやら状況が掴めていないらしい。
     それでアスナはピンと来た。いまこの場所で何が起こっているのかを。

     一之瀬アスナは言語能力に乏しい。必要最低限以外のものは全て『忘れて』しまった。
     だから『理解』したことは全て『勘』と言うしかない。論理だった言葉を持たず、けれども自分が言うべき最低限の言葉は言える。

  • 126125/08/22(金) 22:45:35

    「ネズミに触ったら『捕まる』から逃げてね! ケセドは『バラバラ』! チヒロとコタマは返事が出来ない? 無理だよね多分!」
    【チヒロもコタマも無事で――】
    「見えてても見えてないよマルクト! 『目』で見たものだけが本当だから!」

     一之瀬アスナは『理解』した。
     出口に向かって走る中、まるで壁のように通路の塞ぐネズミの大群を。どうやら自分は逃げ切れないということを。


     そして――どうして会長は『自分をエンジニア部にけしかけた』のかを。


    「私から『起こして』ね! ちょっと『眠る』から!」

     前方と背後、迫るネズミの壁にアスナはぐったりと地面に伏した。

     そんな『声』と共に消える音。

     けれどもマルクトの見る『魂の星図』には何の異常も見当たらない。
     チヒロもコタマもアスナも、何故だかその場で留まっている。『意識』はある。なのに『精神感応』による声を発しても誰一人返事を返さない。

  • 127125/08/22(金) 22:49:41

    「ヒマリ、リオ! 一旦この場を離れま――」
    「待ってくださいマルクト! ウタハは、『ゼウス』は何処に行きましたか!?」

     ぞわりと背筋が凍りつく。
     いつから居なかった? ウタハの手繰るゼウスは。

     ウタハは『廃墟』の外にいて安全なはず。けれどもいまこの瞬間まで『忘れて』いた。あれだけ記憶の改竄に警戒していたにも関わらず。

     即座に『意識』の位置を確認。なのにそこに違和感は何一つなかった。

    「う、ウタハは『廃墟』の外にいますが……」

     じゃあ、ゼウスは何処に?
     先ほどから返事のないチヒロとコタマはどうなった? アスナは何か分かった様子だったが既に応答も無く分からない。

    「マルクト」

     ヒマリは静かに声を上げた。

    「私はここに居ますのでウタハの様子を見に行ってくださいませんか?」
    「しかしそれでは――!」
    「先ほどアスナが仰ってましたよね? 『私から起こして』と。つまり、あなたなら起こせる。対処が出来るということです。何処までも届く声ならば、あなたが何処にいても変わりないはずです。戻る道中でチヒロとコタマが『廃墟』にいるのか転送されたのか確認し、それからウタハの状態を見てください。いま必要なのは情報ですので」

     立て板に水を流すかの如く、ヒマリはやるべきことをつらつらを並び立ててマルクトの背中を押した。

  • 128125/08/22(金) 22:50:49

    「では、向かってください。分散した方が良さそうですし、マルクトに情報が集約されれば良いですからね。私の方で何か分かったら少しでも多く話しますので、アスナの次に『起こしながら』忘れていたら伝えてください」
    「分かりました……!」

     そう言ってマルクトは屋根の無い車両に乗り込んでエンジンを吹かせた。
     オフロード対応の屋根なし四輪車。アクセルを全開まで踏み切りながら『廃墟』の出口へと向かってハンドルを切る。

     情報――そう、情報だ。
     全滅してはならない。エンジニア部は天才の集団である。ひとりでも逃がし切れば、必ず誰かが対抗策を生み出せる。
     アスナの残した言葉が正しければ、マルクトさえいれば『捕まった者』も回収できる。だからここは逃げなくてはならない。一度体勢を――


     その時だった。
     マルクトの視界に映ったのは『廃墟』の出口間近に建てられた『壁街』。目に見える全ての窓、全ての空間には自分の同じ金色の瞳。刻まれたグリフ。

     ネズミの海。『器』なき『意識』の津波。
     その山はまさしく、等しくケセドが抱えた『意識』の群れである。


     『慈悲』のセフィラ、ケセド。
     一切を呑み込む破砕者が、マルクトの全てをも呑み込んだ。

    -----

  • 129二次元好きの匿名さん25/08/23(土) 02:22:57

    保守

  • 130二次元好きの匿名さん25/08/23(土) 03:53:10

    原作の方は個が群を率いてたけどこっちでは群で個を仕留めにかかるのか

  • 131125/08/23(土) 08:41:44

    (ここは……何処ですか……?)

     光の届かぬ深海の底。数えきれない『意識』の海にて散らばる自我が目を覚ます。

     例えるなら液状に還元された自分の意識を別の器に注ぎ込まれたような感覚。
     自己と他者の境界を曖昧にするように撹拌されて溶け出す寸前。圧死直前、もしくは融解直後。

     状況を理解するべくゆっくりと記憶を遡る。

    (そうです。私の名は……『マルクト』……)

     私はマルクト。第十セフィラ、『王国』に代わりて千年紀行を始めた代弁者。
     『罪責』を司る者――隠された真の名は『アシュマ』。確証は無いが、会長が作ったと推定されるヒューマノイド。

    (私は、ウタハの様子を見るためにヒマリを置いて『廃墟』から脱出しようとしました)

     直前に聞いたアスナの言葉から、ケセドの機能は即死するようなものではなく時間的猶予が存在すると判断したヒマリの指示に従ったからだ。

     ケセドは個では無く群。
     半透明なネズミの群れであり、『壁街』まで引き返した時点で既に私たちは取り囲まれていた。

     数多のネズミが自らの身体目掛けて飛び掛かって来て、触れた瞬間『家』と形容した心象領域に無数の意識が雪崩れ込んできたのだ。

     まるでひとりだけの電車の中が駆け込み乗車で一瞬にして満員になったような状態。
     驚きのあまり忘我しかけた自分の存在。けれども状況が安定すれば我に返られるようなもの。

    (『器』という物理ではなく『意識』という精神に対する攻撃……なるほど。ゲブラーで物質界への試練は終わりということでしたか)

  • 132125/08/23(土) 08:42:48

     深呼吸するように私は『私』を取り戻す。

     恐らく私の身体は『廃墟』で倒れているはず。ヒマリたちは恐らくケセドに呑み込まれ、ケセドの心象領域の中へと引きずり込まれているはずだ。

     ゆっくりと自分の中に入り込んだ『意識』の群れを知覚する。
     もちろん形は無い。ただ囁くような声だけが無限に広がっている。それらを掻き分けるように深層から表層へ自分の意識を浮上させようと試みるが、すぐには浮かび上がれない。

    (そういえば、イェソドもそうでしたね)

     白亜の宮殿に詰め込まれた数多の犠牲者。棄てられた『意識』たち。

     最近知った概念がある。百鬼夜行と呼ばれる『ミレニアムの外』の世界の話だ。
     そこでは『付喪神』という概念があり、愛用された道具は善き霊に、ぞんざいに扱われた道具は悪しき霊へと変ずるという伝承があるらしい。

     『道具』である自分たちの目線で見ればあまりに『当たり前』過ぎて面白かったのを思い出す。
     至極当然の摂理が伝承として残っているのだ。つまりそれは『人間』にとっては当たり前でないということ。

     私たちは投げ捨てられた道具の残骸。怨念であり、救済を望む者。
     今度こそ正しく使われ、使い切られることだけを望み、人間を探し求める太古の残影。

     誰か――私たちに救いを……。

    《雛鳥よ、目を覚ませ。その願いはお前のものではない》
    「っ!!」

     巨大な腕が『海』を掻き分け私を掴む。
     引きずり上げられ目を覚ますのは『廃墟』の一角、ネツァクが居た『博物館跡地』。

  • 133125/08/23(土) 08:43:52

     倒れたマルクトを押さえつけるのはトラに似た機体のイェソドであった。

    「どうしてここに……」

     セフィラであるイェソドは接続されていないセフィラには近付けないはず。
     セフィラ戦という戦場においてマルクトを除く全てのセフィラは参加することすら出来ないはずなのだ。

     そんな疑問に答えるように、イェソドと思しき何かがマルクトへ語り掛ける。

    《俺はイェソドの影でありアィーアツブスの虚像にしてセフィロトの鏡像。例外ゆえに干渉するつもりは無かった》

     マルクトは理解した。これは『二体目』だと。

     本来ならば存在しないはずの二体目。セフィラの同位体は一体に限るという原則を破りし存在。ゲブラーに至るまでの一機として知らなかったイレギュラー。

     これまでの千年紀行に、二体目なんて居ないのだ。
     ヒマリたちと歩む今回だけにしか存在しない正体不明。影ながら守ってくれていた者たちが接触して来た――せざるを得なかったという現状は、恐らく自分が想像するよりも悪いことになっている。

    《最も新しき預言者に呼び掛けろ。『慈悲』のルールを探し出せ。『王国』たる『声』が届かぬものなど決して無い。届かぬ声を、お前は既に経験しているはずだ》

     それだけ言って『イェソド』はその場から掻き消えた。
     分からないことは確かに多い。けれども今そこに割く思考は存在しない。

    (『声』が届かないことはない……。ならば、届かなかったという認識そのものが間違いということですか?)

  • 134125/08/23(土) 08:46:51

     チヒロもコタマもウタハも、あの時は呼び掛けたのに何一つ返ってこなかった。
     それが間違いだとするならば、それは自分の呼び方が悪かったということ。

     そんな状況を、私は既に経験している。


     ――思い出せ。呼びかけても返ってこなかったときのことを。


     ゲブラーとの戦い。炎と瓦礫の中で叫んだあの時を。
     届かなかった声が届いたあの瞬間を。あれは決して偶然ではなく『王国』の機能であると自覚せよ。


     そっと静かに目を閉じる。
     自身の喉元へ指を添える。
     
     果てに見えるは無窮の荒野。
     佇むは地の主。死者の門。葦の海を割る者。

     科学とは再現可能な『奇跡』であり、その技術は確かにこの『名』に宿っている。

  • 135125/08/23(土) 08:48:38

     我が名は『アシュマ』――『王国』の代弁者。
     果てまで響け我が声よ。眠れる意識を呼び起こせ。
     『慈悲』の海に投げ込まれし者。汝の名は――


     金色の瞳が輝いた。
     瞳に刻まれしクロスのグリフは物質の象徴。全てを彼の地へ引き戻すその声が、眠りし預言者の名前を告げた。


    《一之瀬アスナ――! 今こそ眠りしその目を覚まし、我の元へと還るのです》



    「っ……」

     呼びかけられて瞳を開ける。川の中、ざばりと顔をあげて周囲を見渡す。
     木々と川と鳥の囀り。緑の大地と、それを区切るは白い壁。人工的かつ超常的な自然が混じる部屋の中で目を覚ます。

    「ここ……何処だろ?」

     きょろきょろと視線を振ると、いま自分がいる妙な部屋には扉があった。
     川の中にいてずぶ濡れのはずなのに、起こした上体には水滴ひとつ付いていない。どうやらここは夢の中らしい。

     ふと、腕を見るとその裾は肘までたくし上げられていた。

     腕に直接書かれているのは奇妙な文言。

    「『名前を呼ぶときは腕に書いた文字を読むこと』……あー、そっか。そうだった」

  • 136125/08/23(土) 08:50:10

     記憶を書き換えられたとき用に残したメッセージ。そこに書かれた名前をひとつずつ読み上げていく。

    「アスナ、リオ、ヒマリ、マルクト……あれ? もっと居たよね?」

     数が足りないことに気が付いて思考を巡らせる。そしてもう一度声を上げた。

    「コタマにヒマリにリオ、ウタハ。アスナにマルクトそれから私。うん、ちゃんといるね!」

     気を抜くとすぐに忘れそうで、歌うように名前を口ずさみながら立ち上がり、扉に向かって歩き出す。
     ノブを捻って引いてみる。開かない。押してみるとすんなり開いて、そこでようやくその先の光景が目に映る。

    「うわぁ……」

     そこは広大な図書館だった。見通せぬほど遥か上まで続く塔。
     底を見ようにも底すら見えない異常空間で、視界のそこらに人のような形をした光がのろのろとした様子で歩いている。

     恐怖は無い。というより現実感が無い。
     何処までも夢見心地で明晰夢。なんだか面倒なことになってしまったという気持ちの方が強かった。

    「ウタハ~コマタにヒマリリオ~。チヒロにネルにあと私~」

     そう言いながらぶらぶらと歩いて何となく階段を降る。適当な本棚から適当に本を抜いてペラペラをページを捲ると、そこには見た事の無い文字が書かれていた。

    「分かんないからいいや」

     雑に戻して再び下へ。そんな時だった。何処からともなく声が聞こえた。

    《リオ! 聞こえますか!?》
    「私はアスナだよ~。どうしたのマルクト?」
    《ああ……申し訳ありませんアスナ。手短に現状をお伝えします》

  • 137125/08/23(土) 08:51:20

     それからマルクトが言うにはこんなことだった。

     どうやら全員ケセドの中に呑み込まれてしまったらしい。

     そして『廃墟』に残っている身体はマルクトが回収中。半透明のネズミが集っているようで、片端から呼び掛けて集めて回っているとのことだが、数えきれないほど湧き続けるネズミを前に正直キリが無いらしい。

    《皆さんが『器』から切り離されてしまっているため私の『声』も酷く混線している状態です。そちらの状況も教えてください》
    「こっちは特に危なそうなものはないかなー。図書館が上と下にすっごい伸びてる。あとなんか幽霊みたいなのが色んな所にいるよー」
    《それは恐らくケセドが内包する『意識』です。あまり触れない方が……》
    「え、そうなの?」

     ちょうど目の前にいた人影ならぬ人光の肩を叩くように腕を振ると、すんなりすり抜けてそれだけだった。特に異常はない。ちょっと迷惑そうな顔はされたけれども。

    「なんか触れないっぽい。とりあえず出口を探せば出られる感じ?」
    《まぁそうですが……その、あまり不用意な行動はお控えください》
    「大丈夫大丈夫! なんか扉もいっぱいあるし、手あたり次第探して見るよ!」
    《本当に気を付けて下さい。私から話しかけることは出来るのですが、そちらから私に話しかけられるかは恐らく難しいと思われるので……》
    「そうなの?」

     首を傾げると、マルクトは唸るように声を発した。

  • 138125/08/23(土) 08:52:32

    《例えるなら、乳白色の水の中に手を入れて触れたものに声をかけているような状態なのです。そちらからは私が見えないと思われるので、偶然『声』が届くことはあるかも知れませんが期待はできないかと》
    「おっけ~。とりあえず情報は集めておくね!」
    《また声をかけるので安全第一でお願いします》

     それから声が遠ざかっていた。
     どうやらマルクトも大変らしい。

    「ま、とりあえず出口を探せばいっか!」

     ホドのときより情報は無いが、ひとまずその辺の扉に向かって歩き始めた。

    -----

  • 139125/08/23(土) 16:24:52

    《――リ。――てください。明星ヒマリ!》

     微睡みの中から聞こえた声に、はっと目を覚ます。
     呼び返そうとして瞬間、身体を射抜いた感覚に声を上げた。

    「寒っ!?」
    《ヒマリ!?》

     マルクトの声。しかしそれよりも、と周囲を見渡すと凍てついた暗闇がそこにあった。
     足元には凍った水。酷く寒くて吹雪く風。黄昏時の暗闇は、辛うじて視界を確保する程度。

     ふむ、と改めて状況を確認する。
     どうやらケセドに取り込まれているらしい。

    「大体分かりました。『意識』だけ引っ張られた……そんなところでしょうか?」
    《っ! そうです。ヒマリの身体は回収しました。ネズミが湧いて来て集ろうとするので私の方で接続を繰り返してます》
    「ケセドの『意識』を呑み込んでいると言ったところでしょうか? 大丈夫ですかそちらは」
    《問題ありません。内に取り込むというより集合させているような状況なので》
    「であれば、そのうちケセドが実体化するかも知れませんね。私は……」

     と言ったところで気が付いた。
     あまりの寒さに手の感覚が薄いと思っていたが、それは違う。輪郭が薄れていると。

     その様子はコーヒーに入れた角砂糖のようで、長居するのは明らかにまずいということ。

    「マルクト。この空間に居続けると恐らく私が溶けてしまいます。このことを皆さんに伝えてください」
    《そんな――》
    「出口は探します。というより無ければおかしいですからね。ケセドは言ってしまえば初見殺しに特化しています。とはいえケセドを越えた者がいるということは脱出可能ということ……。まさかマルクト頼りのはずもありません」

  • 140125/08/23(土) 16:26:01

     『慈悲』――ケセドの確保に必要なルールは恐らくこれだ。
     自我を失うその前に脱出する。あるいはケセドの統率する疑似人格を見つけて『何とか』する。

     その『何とか』は分からないが、もし話せれば分かるかも知れない。

     そう言いながらひとまず寒さに震えながら走り出すと、端には白い壁があった。
     壁伝いにはひとつの扉。開いた瞬間浴びるは熱風。

    「……氷水から始まるサウナなんて初めて聞きますね」
    《整いそうなのですか?》
    「乱れそうです。主に自律神経が」

     そも肉体ではない意識体に自律神経があるのかないのかはさておき、ヒマリはげんなりと肩を落とした。

    「私のスタートは氷獄でしたが、次は火山地帯のようです」
    《アスナは果てまで続く図書館に出たとのことでした》
    「でしたら恐らくそちらが本命かも知れませんね。火山地帯も大きな部屋のようですし、ケセドに取り込まれた誰かの意識が部屋として具現化している気がします」
    《確かに……ヒマリはよく『雪のような』といった形容を自身に使いますね》
    「雪であって極寒ではありませんが!? ……まぁともかく、私たちの身体は頼みます。余裕があればケセドの疑似人格も探しますので」

     マルクトに答えながら一歩部屋の外へと踏み入れると、灼熱の風が空想の肉体に叩きつけられる。
     長居が出来ないのはどんな部屋であっても同じこと。扉を探しに足早に歩み始める。



     その部屋から、今しがた脱出した者が居た。
     酷く疲れた様子で扉を開けると、その先は訳の分からぬ図書館である。

  • 141125/08/23(土) 16:27:15

    「疲れたわ……」
    《無事ですかチヒロ!》
    「チヒロじゃないわ。私は調月リオ。あなた……私たちの区別がついていないの?」
    《あ、その……申し訳ございません……》
    「責めているわけじゃないわ」

     沈んだ様子で返されるマルクトの声。
     聞けばどうやら、ケセドに取り込まれたせいで判別が難しくなっているとのことだった。

    「ということは、私から特定の誰かに伝言を頼んでも正しく伝わるか怪しいということね」
    《その可能性は極めて高いです》
    「…………そう」

     思考を巡らせる。今必要なのはどのような情報か。
     この状況はホドの時と近い。考えるに決められた攻略方法を見つけられなければ終わる類いの物。

     つまり、目に見えるもの全てがヒントになるはず。

    《ヒマリから伝言です。長居すれば自我を失う可能性があると。また、上下に続く図書館がケセドの心象領域なのではないかと。アスナも図書館内で出口を探してます》
    「だとしたらケセドの疑似人格は上か下ね。出口が無い可能性も考慮してちょうだい」
    《出口がない……ですか?》
    「その可能性が高いわ」

     セフィラ確保は基本的にやるかやられるか。捕まっているこの状態からそのまま出られる『出口』があったとして、では脱出できたらどうなるか。ケセドの確保が出来ていないまま逃げ出せる? それは無いと、直感的に想像できた。

  • 142125/08/23(土) 16:37:49

    「疑似人格を見つけて、倒すか話すかまでは出られない。これはそういうルールだと思うわ。制限時間内にケセドを見つけるかくれんぼ。『慈悲』というのは、痛みなく消されるからだと思うのよ」

     ケセドの通り名は『慈悲深き苦痛を持って断罪する裁定者』。
     『慈悲深き苦痛』が何を指すのかと言えば、恐らく迷い続けた果てに消えるという意味だろう。

    「班を分けましょう。上に昇る方と下に降る方。一度開けた扉に印が残せればいいのだけれど……」

     そう言って思い出す。銃だ。銃がある。
     思い出した瞬間、手元には銃があった。そして気が付く。これは明晰夢であると。

    「マルクト、皆にはこう伝えてちょうだい。ここは夢の世界。私たちはいま無形の状態で、意識したものが具現化すると」
    《分かりました》
    「それと一度確認した扉には弾痕を残しておくわ。迷い過ぎれば全滅するから、効率的に探索しましょう」

     ひとまず銃を扉に向けて引き金を引く。
     発砲音と共に射出された弾丸が扉に傷を付け、それから扉のノブを引く。

    「全員で必ず帰りましょう。必ず」

    -----

  • 143二次元好きの匿名さん25/08/23(土) 16:59:45

    次スレ用の表紙が完成しました

    今回モチーフにした絵画はエリアス・ガルシア・マルティネスの「この人を見よ」……が修復されてしまった姿

    原型を留めない修復でありながら修復前よりも大きな反響と経済効果を起こしてしまった功罪の深さを、本来の絵を塗り潰して上書きしたグラフィティアート風にして表しました

  • 144二次元好きの匿名さん25/08/23(土) 17:01:48

    統合したものも
    今回の人選はまだ見ぬ後輩を除いたグラフィティアートが似合いそうな二人を
    過去アスナのデザインは短髪以外あまり変わらない見た目です

  • 145125/08/23(土) 17:42:20

    >>143

    >>144

    いつもありがとうございます!

    そして出た! 「この人を見よ」!! あの騒動から顛末まで全部が全部こう、まぁ、地元ぉ……活性化したんなら、まぁ……でもぉ、ぐぉぉぉぉ……っ


    でもアスナとネルの二人組だとなんでしょう。うっかり壊してしまったところをアスナが修復を提案して「やるしかねぇか!」でネルと二人で何とかしようとして、最終的に何故か壊す前より評価され始めるシナリオは多分どこかにありますね。私見た事ある気がしてきました(存在しない記憶)

  • 146二次元好きの匿名さん25/08/23(土) 17:45:51

    >>145

    ありがとうございます

    画面に映ってるのは二人ですが、背景のグラフィティの色の種類から他のメンバーも参加してる想定です

  • 147二次元好きの匿名さん25/08/23(土) 19:26:07

    よく見たらこれ原作のマルクトの上に描かれてる…?

  • 148125/08/23(土) 20:43:26

    「な、なんか……物凄い数の……なんなんですこれ?」

     周囲に集まる数多の光。もちろん顔や何かがあるわけでは無いが、それでも『彼ら』は皆一様に自分の方へと目を向けている気がしてならない。

     目覚めた場所は、まるで普通の都市のように新しい『廃墟』であった。
     ゲブラーに壊される前のような『廃墟』。あの時は文字というものが一切ない奇妙なミニチュアだったが、この場所には普通に文字が存在した。

     屋台の看板には『ケバブ おいしい』と書かれており、かつて存在した本物の街であることが推測される。

    「もしかして……買えたりできますかねぇ……?」

     屋台に近づくと、カウンターに立つ光が私をじっと見ている。
     ごそごそとポケットをまさぐってみると、見知らぬ硬貨がひとつ。それが『500円硬貨』だということを私は何故か知っている。

    「ええと……ケバブサンドひとつ。甘口で」

     そう言うと光はのそりを身を捩らせて、にゅっと触手じみた光を伸ばす。
     手元の『500円硬貨』を取り上げて、代わりに出てきたのはあまりに普通なケバブサンドで、薄いピンク色のようなソースが掛かっていた。

    「普通に出て来るんですね。……あ、美味しい」

     ここが異常な空間なのは確かだろうが、その中で普通の食事が出て来るとは思わず驚きに目を見張る。
     リオが好きそうな味だった。なんて思ったところでふと思い出したのは、ヒマリが集めたオカルト話の一節である。

    「そういえば……異界の物を食べると異界から帰れなくなるって……」

     どうしよう、一口食べちゃいました……そんな気持ちが胸を過ぎったが、裏を返せば既に一口食べてしまった以上もうどうしようも無いだろう。

     そのまま全て平らげて、親指で口元のソースを拭う。

  • 149125/08/23(土) 20:44:41

     何故だかこの街は居心地がいい。まるで実家のような安心感――いや、昔旅行した場所に再び訪れたかのような懐かしさ、だろうか。

    「妙ですねぇ……。初めて『廃墟』に来た時はそんなこと全く思ったことなかったはずなのですが……」

     とりあえず、特異現象捜査部の面々もまたこの奇妙な空間に閉じ込められているかも知れない。
     自分がそうなのだ。ならば現場にいる皆は確実にこの現象に巻き込まれているはず……。


     ――『博士』。


     不意に声が聞こえた。
     振り返ると、先ほどから自分を見ている光たちが漏らした声だと気が付いた。

     ――『博士』。どうして。

    「あの、誰かと勘違いしてませんか? 私は――」
    《大丈夫ですかウタハ?》
    「コタマですぅ!」

     続いて聞こえたマルクトの呼びかけ。まとめて叫ぶとマルクトから気まずそうな声が聞こえた。

    《私はもう駄目かも知れません……》
    「急になぜネガティブな!? あ、皆さん無事ですか? 巻き込まれたのでは無いかと思いまして……」
    《はい。チヒロとウタハ以外は見つけました。皆さん巻き込まれてはおりますが無事です》

     それからマルクトから情報共有を受けた。

     図書館があるらしい。早く脱出しないと消えるかも知れない。ケセドを統率する疑似人格を見つけなくてはならない。
     マルクトの呼びかけは結構派手に混線しているためとにかく間違える。こちらから声を掛け直すことは恐らく無理。

  • 150125/08/23(土) 21:43:23

     あとは、ここは明晰夢のような空間だから望んだ物が具現化できる可能性が高いということ。

    「なるほど」

     試しに『何か』を掴むように手を握ると、いつのまにか自分の手の中にはモンキーレンチが握られていた。

    「……なぜ工具?」
    《あくまで『ある程度は』、らしいです。必ずしも望んだものが手に入るとは限らないかも知れません》
    「はぁ……ではあまり役に立ちませんねぇ……」
    《武装ぐらいはしてみては如何でしょう?》
    「あぁ、そうですね。では……出ろ、銃!」

     工具はさておき地に置いて、両手を伸ばして叫んでみると、今度は手の中にサブマシンガンが生み出された。

    「銃種が違うのですが!」
    《慣れが必要なのかも知れませんね。私もゲブラーの機能を使う時コツを掴むのに苦労しました》
    「そんな裏話初めて知りましたが!?」
    《白鳥は水面の下で必死に足をバタつかせているのです》
    「後半で急に優雅さが消えましたね……」

     呆れつつも、とにかく図書館エリアまで向かって上だか下だかに向かってケセドを捕まえればいいらしい。

    「それで、いま誰が上に向かって下に向かったんですか?」
    《アスナは下に向かったようでして、ヒマリはまだ図書館に出られてません。リオもですが上下に向かう案を出して……》
    「どうしましたか?」
    《……どちらに向かうのか聞き忘れました》
    「あぁ……」

     思わず天を仰ぐも、マルクトには仕方のないことだった。

  • 151125/08/23(土) 21:44:32

     マルクトは今まで『魂の星図』によって誰が何処に向かっているのかなんて容易に掴める。
     だからこそ行き先なんて聞く必要が全く無く、故に自分が向かう場所以外で『聞く』という発想が抜け落ちていたのだろう。

    「まぁこんな状況なんて想定できませんよね……。何なんですか精神世界みたいな場所に閉じ込められるって。せっかくの発明が全部使えない状況じゃないですか……」

     まぁいいですけど、と内心思う。
     セフィラから得られた研究データを元に作る発明品は、あくまでそのセフィラに対する対抗策。言ってしまえば復習である。
     予習なしでテストだけ受けさせられるようなもの。仕方がないとはいえ、あれだけ揃えて何一つ意味を為さないとは少々気が滅入ることもなし。

    「とりあえず、そうですね……」

     周囲の景色を見る。
     果てまで続く空と街。足元には街中のアスファルト。ここが図書館の何処であるかは分からずとも、ただ『上であるはずがない』ということを私は『識っている』――

    「私は図書館の底の底にいると思います。なので、最低でも二人は上に向かわせてください」
    《分かりました》

     そう言ってマルクトが離れた事を直感する。
     さてはひとり。図書館の底に向かうためには、この『廃墟』から『上』へと目指さなくてはならない。

    「……エレベーターとか探しますか。階段を上り続けるなんてごめんですし」



     一方、コタマから意識を離したマルクトは『廃墟』を走り回っていた。
     自動四輪を走らせて、ひとまず『廃墟』の外に最も近い『壁街』の境界線に集め続ける。

  • 152125/08/23(土) 22:00:24

    「またですか」

     寝かせた特異現象捜査部の面々の身体に群がる半透明のネズミたち。
     何かを貪るように集っており、マルクトはネズミを手で薙ぐように触れていく。

     その手を通して流入してくるはケセドに集う意識群。
     自らの中に別の意識が混ざるという違和感に耐えながらも、マルクトは祈るように両手を合わせた。

    《我は死の門、地の主。惑いし願いの者たちよ。今こそ我が導きに応えて歩め――》

     内に集う意識たちが一斉に顔を上げた。呼び声に応え、迷える者たちがひとつの名の下に統率される。

    《我が名はマルクト――今ここに顕現せよ。其方の名は――ケセド》

     光が集まりマルクトの傍へと消えかけのネズミが現れる。

     その大きさは1メートルほど。極めて薄い。マルクトが呼び掛ける度に少々濃くなるが、実体化まであと何万何億いるのだか。
     先は長く、来るものをひたすらケセドとして積み上げていったところでいずれはジリ便。取り込まれた面々の意識が完全にケセドと同化してしまえば意味がない。

    「あと残っているのはチヒロとウタハでしたか」

     身体は全員分回収できた。問題なのは未だ掴めていない二人の意識。
     目を瞑って手探りで、辛うじて捉えられる未接触の意識へ手を伸ばす。

    (――これは……コタマ? いえ、コタマはさっき居たので……)

     先ほどから、何度呼び掛けてもヒマリ以外は外し続けている。
     いや、無数に存在する意識の中から預言者だけに呼び掛けられてはいるものの、『預言者』という括りで呼ぶのが限界で個人については間違い続けていた。

  • 153125/08/23(土) 22:33:12

     いま繋がったのは誰なのか。マルクトはもう考えることを諦めて直接訊くことにした。

    《聞こえますか? 私はマルクトです。あなたは誰ですか?》

     半ば破れかぶれになりながら問いただすと、答えはすぐに返って来た。

    《音瀬です。音瀬コタマです。ふふ、まだ自分の名前までは忘れてませんよ?》
    「ああ――」

     もう何も分からない。先ほどと違う意識へ語り掛けたはずなのにまたコタマに話しかけてしまった。
     もはや自分の目が信用できない。いま誰が何処にいてどれなのかすら分からない。

    《申し訳ありません……。いまコタマは上に向かっているのですよね?》
    《そうです。とりあえず音が聞こえる方へ進んでますが……もしかして間違いです?》
    《いえ、そのまま進んでください。他の皆さんにも上へ向かうよう言っておきますので》

     コタマは先ほど底の底にいると言っていた。つまりコタマ基準で『上』へと上がれば図書館の『下』に辿り着くはずである。
     アスナとコタマが『下』を担当するならば、あとはここから振り分ければいい。なるべく均等にした方が戦力的にも問題無いだろう。

    《ひとまず私は残りの二人を探します。コタマもお気を付けください》
    《あっ、そうです。チヒロは見つかりましたか? 無事逃げきれればとは思いますが、恐らく巻き込まれているはずですので》
    《それがまだ……》
    《そうですか……》

     沈んだようなコタマの声。しかし、必ず見つける。
     マルクトはそう自分に誓いながら声を返した。

    《必ず全員の意識を探し出します。今はケセドを見つけることに専念して下さい》

  • 154125/08/23(土) 22:35:22

     そう言って接続を切る。再び探すように手を伸ばす。
     泥の中を掻き混ぜるような鈍い感覚。その胸裏を過ぎるのはそこはかとない薄気味悪さ。何か致命的な間違いを犯しているのではないかという直感と、どれだけ考え直しても分からないという不気味さ。理性と感情が噛み合わない気持ち悪さ。

     それはまるで、自覚すら出来ないまま足元から首に向かって泥濘の中へと沈み込んでいくような感覚。
     ケセドを見つければいい。上か下かにいるから全員どちらかへ向かわせて、それで、恐らく『解決』するはずだ。

    「何が、解決されるのですか……?」

     何故? どうしてそう思った?
     先ほどから皆から情報が共有されて私の下に集まっているはず……。

     ――違う。全て憶測だ。

    「ケセドがどちらかに居る『かも知れない』……本当にそうなのですか?」

     ケセドの疑似人格に遭遇して止める? どうやって? グローブを通じた停止信号は果たして『器なき意識』であっても有効なのか。

     ふと隣を見る。徐々に実体化しつつあるケセドの姿。イェソドの機能を使って飛び込めば集めた意識に干渉することは出来るかも知れないが、そうしたところで統率する人格がいなければ所詮は集めるだけに留まる。それ以上の指揮系統はケセドの疑似人格が持っている。

    「そうです。疑似人格を見つけなくてはいけないことだけは合っている『はず』……。私はここに留まって良いのですか?」

     例えばこの『廃墟』の何処かに隠れていて、そうでない意識だけが集まっているとしたらどうだろう。
     ここに居続けていても恐らく出てこない。疑似人格を捕まえる前にヒマリたちの意識が溶けだしてしまう『かも』しれない。

     ケセドの海。揺蕩う預言者。出口は上か、それとも下か。

  • 155125/08/23(土) 22:43:15

     会長の言葉が脳裏を過ぎる。

    『いいかい? ケセドは記憶を書き換える。あと人の姿を見えなくする。何かおかしいと思ったら……それか悪い夢だと思ったら一晩眠りなよ。そうすれば、次の朝には元通り。全部夢だったで終わるだけ』

     私はいま、起きているのか眠っているのか。
     届くはずの声が届くはずの者へと届かない。異常だ。これは明らかな『異常』だ。

    「私はいま、どれだけ『正常』なのですか……?」

     認識が狂っている可能性。それを肯定する材料も否定する材料も、この海には存在しない。

     息が出来ない。答えが分からない。
     分からぬことを考え続ける苦しさを、考えなくては取り返しが付かなくなるかも知れないという恐怖をマルクトは知らなかったのだ。


     ならばもしも――もしも取り返しが付かなくなるまで『正解』を見つけられなかったらどうなる?

  • 156125/08/23(土) 22:44:52

     答えはただひとつ。
     全員消える。消えたことすら気付かずに、ケセドの中で溺死する――


     それは思考の海へと臨むこと。自分のミスで人が死ぬ。
     考えることを強要させられるのは溺れるほどの苦しみ。人外であるはずの自分に、人間として過ごした日々が存在しないはずの苦痛を精神に鳴り響かせる。

     ――答えは何処だ。

    「み、皆さん! 何処に居ますか!? いま何処にいるのですか!?」

     恐怖に突き動かされるままに目を凝らす。
     掻き分けるようにただ声を飛ばし続ける。

    《アスナとコタマは下に居ます! その図書館の中にケセドの疑似人格がいるかも知れません! 私は……私は皆さんの身体を置いて居るかも分からないケセドを探しに行けば良いのですか……?》

     光も届かぬ海の底。向かう道すら分からぬ暗闇。
     マルクトに返る言葉は一つと無くて、ただその場に群がるネズミを払うことしか出来なかった。

    -----

  • 157125/08/23(土) 23:27:00

     図書館の、何処とも知れぬ部屋の中。ひとりの少女が頁を捲る。
     それは決して人ではない。ネズミの姿は物質界に顕現するための『器』に在りて、意識が集う心象領域においては元となる人格の姿が映し出される。

     頁を捲る。書に記されるは自らを構成する意識の群れたちの経歴。
     記憶の保管庫たるこの図書館には、囚われた数多の『意識』たちの物語が記されていた。

    《多くの皆が、地の主の元へと還ったようね》

     また増えるのだろうか。書物に納められる何者かの経歴が。
     果てまで増えていくのだろう。この旅が終わるまでは。

     しかしてそれを自らの意志で止めることなど出来はしない。
     未接続の我が身は言ってしまえば明晰たる夢を見る夢遊病者。マルクトが私を見つける時まで意識の氾濫は決して止まらず、近付く者は意識に溺れてしまう。

     それは流れる川のように平等で、誰一人として逆らい抗うことの出来ない公平。
     不徳の者に沈黙を。声を上げる暇さえ無く、誰もが水底へと沈んでいく。水面を歩める者なんて、ただのひとりしか知らなかった。

     この図書に納めようが無い本物の預言者。
     消えてしまったかの存在。しかして死んだわけではない失踪者。

    《居ないと言うことは、あなたがマルクトを殺したのね。信じたくは無いけれど……》

     本を閉じる。栞は挟まず書架へと戻す。
     預言者たちはいま、藁をも掴もうと出口を探して歩み続けている。どちらも正解で、しかしてそれだけでは足りぬ答え。

    (嗚呼……死者がまたひとり増えるのね)

  • 158125/08/23(土) 23:28:11

     私は神の公平なれど、公平ゆえに何も出来ないひとつのシステム。
     そこに何を思おうとも、全ては自動的に為されてしまう。

    《ツェデクの向こうの答えを見つけて。止められるのなら止めてちょうだい》

     無理なら無理で、頁がひとつ増えるだけ。
     ビナーのように抗うこともせず、コクマーのように狂うことも無い。

     ただ流れる川のように、全てを受け入れ身を任すのみ。

     我が神名はエルの二文字。神たる依り代は何も望まない。

    《我が名は『慈悲深き苦痛を持って断罪する裁定者』――『ケセド』の名を以て執行を》

     壊れた者たちの声と共に一切を破砕する。
     私は如何なる存在であっても『意識』を引き剥がし粉砕する分解機。原初の『記憶』、存在の最小単位までに砕いて還す殺戮者。『器』を持たない者を殺すための処刑技術。

    《停止ボタンはすぐそこに。早く私を止めてちょうだい。でないと……もっと死ぬわ》

     感情を排した諦観だけがケセドの原理。
     その瞳は、図書館の上方へと向かう者の姿を捕えていた。

    -----

  • 159二次元好きの匿名さん25/08/24(日) 04:29:00

    保守

  • 160二次元好きの匿名さん25/08/24(日) 07:20:55

    ほしゅ

  • 161125/08/24(日) 08:30:02

    「上に向かい続ければいいの……?」
    「と、マルクトが言ってました」

     火山のような部屋から出て、続く扉の先は図書館であった。
     弾痕を付けて先を進んでいると、ふと扉が開いて現れた光の塊。何故だかそれが周囲に蔓延る光とは別種のように思えて私は名乗った。

    「調月リオよ。あなた、私たちの誰かかしら?」
    「コタマです。なんかすっごい光ってません?」
    「私からもそう見えるわ」

     ぴかぴかと、やたらめったらに光るコタマの意識。
     互いの姿すら認識できずとも、言葉が交わせるのであれば互いが何者かを知ることが出来ることこそ不幸中の幸いだろうか。

    「あなたも上に?」
    「はい。マルクトにそう言われまして……」
    「私もよ。どうするべきか迷っていたようだったからさっき留まっておくよう言ったけれども」
    「そうなんですか?」

     私は頷いて見せるが、少し間が空いてコタマが「どうしました?」と言って来たことから、どうやらこちらの身振り手振りは分からないらしい。認識の断絶。互いに声だけが届くのみ。厄介だと思いながら「そうよ」と肯定してから続けた。

    「私の身体の動きは分からないようね。ともかく、マルクトには私たちの身体に群がるネズミを回収してもらっているのよ」
    「集られているんでしたっけ?」
    「ええ。恐らくだけれど、私たちの『器』と『意識』を繋ぐ何かを切ろうとしていると思うのよ。身体に損傷はないらしいから、返って不気味なのだけれど……」

     つまりはこの先に発生し得る末路は二つ。

     ひとつは『意識』が融解して自分が分からなくなり取り込まれる末路。
     もうひとつは『器』と『意識』の接続が完全に断たれて帰れなくなる末路。

  • 162125/08/24(日) 08:35:30

    「どちらにしても、早く脱出しないと取り返しが付かなくなるわ」
    「どうしてそんな悪い想像を言うんですか……! というか、私たちだけで上に行って大丈夫なのですか!?」
    「それは……そうだけれど……」

     ここに居るのは戦闘が苦手な私とコタマ。
     せめて運動神経に優れるヒマリや戦闘特化のアスナ、それからゼウスを具現化できそうなウタハが居れば良かったのだが、残念ながらここにいるのはよりにもよって非戦闘員。ケセドを見つけても対話以外の手段はどうにも出来そうにない。

     それでも、誰かを待って留まるよりかはマシだろう。

    「対話で解決できるならそれが一番よ。そしてここには対話が――」

     私はコタマを見る。それから身体を見下ろす。

     対話――対話?
     私と、コタマが?

    「無理ね」
    「やはりそうではありませんかぁ!?」
    「いや、待ってちょうだい! 相手はセフィラ、人じゃないわ。だから――」
    「だから……何ですか?」
    「――情報を残しましょう」
    「やられる前提ではありませんか!!」

     遺書を残す係は嫌だとコタマがぶんぶん首を振る。
     けれども残念ながら集まってしまったのは特異現象最弱のメンバー。最も足の遅い存在である。

    「逆に考えてちょうだい。私たちはこのまま上へと向かう。けれども誰かしら上に来るはずよ。私たちの組み合わせが一番弱いと知っているのだから。そして同じく私たちは遅い。きっと誰かが駆け上ればすぐに追いつかれるわ。その時屋上に居なかったら足手まといになるじゃない」

     時間経過で消えゆく輪郭。最大効率で進まなければいけないのだ。
     そんなときに足の遅い自分たちはどうするべきか。最低でも屋上たるボス部屋の前にいなくてはならないだろう。

  • 163125/08/24(日) 08:43:59

    「ハッキングの基本は自身の優位を保つことよ。あなたもそうでしょう? コタマ」
    「そこまで多くやったことはありませんが……」
    「盗聴。情報を抜く手段で考えれば、あなたのそれも立派なハッキングのひとつよ」
    「それを言われると……まぁ」

     苦笑するようなコタマの声。その中でひとまず訳の分からぬ図書館を昇り続ける。
     果ては遠く無数の階段。いったい何千何万ですらも少なく感じるほどの階段なのか。走っていてはキリもなく、二人は走らずゆっくりと昇り始めた。上へ、ただ上へと。



     ちょうどその頃、ヒマリは吹き出る溶岩を避けながら火山部屋の端までへとやって来ていた。

    「暑っつ……いえ、心頭滅却すれば火もまた涼し。いつでも優雅に美しく……おや?」

     気が付いたのは扉に残された弾痕である。
     弾痕の深さからアサルトライフルによるものである可能性が高く、となればこの扉に傷を付けたのはチーちゃんかアスナか。いずれにせよ、誰かがこの火山部屋を抜けたらしい。

     とりあえず扉を開けて外へ出ると、そこはマルクトの言っていた上下に続く図書館の一角であった。
     振り返れば扉のもう片面にも弾痕が残っており、火山部屋側に残っていたものとは僅かに違う気がした。

    「こちらもアサルトライフル……。チーちゃんかアスナが火山部屋から図書館側に来て、もう片方が火山部屋に入ったということでしょうか……?」

     もしかしたら既にすれ違っていたのかも知れないが、先ほどから意識の光とすれ違うばかりで人の姿を見た覚えは無い。
     何なら互いに人の姿として見えないのかも知れない。歌い続けながら進んでいれば気付いてくれたのではと思い至ってやや後悔した。

    「そもそも、いま私たちはいったい何をやらされているのでしょうね?」

     何かずっと違和感があった。
     上だの下だの、その先にケセドが居るかも知れないなどというのはあまりに物質的すぎる考えでは無いだろうかと。

  • 164125/08/24(日) 09:34:56

     終端の存在とは物理構造的な前提の上にしか成り立たない。
     このような空間において最上層だの最下層だのが存在するなんて考え自体、現実に縛られ過ぎてしまっている。

    「……出口とは、もっと概念的な場所にあるのでは無いでしょうか」

     ふと小さく溜め息を吐いて図書館の欄干へ寄りかかる。
     適当な書架から本を抜き取り頁を捲ると、そこには見知らぬ文字が書かれていた。

     読めないが、何日か時間があれば解読できそうでもある。
     もっとも、そんなことすれば解読する前にケセドの中へと溶け出してしまうだろうけれど。

    「例えばこの図書館。私たちには果てまで続く図書館に見えますが、『図書館』という記号だけを認識している……というのはどうでしょうか?」

     目に見えているものは本当に正しいのか。読めないが時間をかければ読めそうな文字。
     共通するテクストだけを認識させられているという可能性。果たして私たちは同じものを見ているのか。見ることが出来ているのか。

     その時だった。私という意識に届く声。マルクトである。

    《ヒマリ……? ヒマリ……ですよね?》
    「そうですよマルクト。随分と不安そうですね。如何いたしましたか?」
    《その……私はもう誰の見分けも付きません……》

     それからマルクトは語った。マルクトから見た現状を。

    《私はいま誰に話しかけているのかまるで分からないのです……。ヒマリだけはどうにか分かるのですが、もう既に預言者なのかケセドの意識なのかの区別すら分からないのです……》
    「それは……かなり危険な状況ですね……」

     恐らくマルクトには私たちがティーカップの中に溶けていく角砂糖か何かに見えているのかも知れない。
     そして何より問題なのは、頭では危険な状況にあるということは分かっているはずなのに感情が付いて来ていないということである。

  • 165125/08/24(日) 10:21:03

     無味無臭の毒薬でも嗅がされているような事態。
     ふと自分の身体を見下ろすと、まだ腕は二本あるし足も二本ある。問題ないように見えるが、異常を感じ取れるのは正常な状態を知っていなければ不可能だ。

     自分の身体がどこまで正常なのかを認識できていなければ、例え胴体が二つに分かれていても『問題ない』と思ってしまうだろう。

     ――ならば。

     脳裏を過ぎるひとつの疑問。
     今の私の状態は、いったい誰が決めている?

     本来ならばいま誰がどうなっているかなんて分からない。危険であるかすらも分からない。
     そんな状況、そんな環境――自分にはひとつ、思い当たる『思考実験』があった。

    「マルクト。今すぐ『廃墟』から脱出して人間体に変化してセフィラの機能を一切使わないようにしてくれますか?」
    《急に何を言うのですか!?》
    「この空間は本来『誰にも観測できない空間』です。そして他者に観測されるということそれ自体がある種の『力』を持つのです。量子力学の話とは違いますよ? ただ、似たような作用が存在していると『私が規定』することで、私は恐らくどのような形にも成れると思うのです」
    《論理が破綻している気がしますが……》

     困惑するようなマルクトの声。
     しかし他者の理解は必要ないのだ。

    「細かいことは後にしましょう。ともかく、私が人の姿をしていると決めているのは私であり、私の意識を観測するマルクトであると『いま決めました』。私の現実は私のもの。空想の中でなら誰しも万能でしょう? けれども現実でそうでないなら、それは皆が押し付け合う現実によって縛られているからとは考えられないでしょうか?」

     つまりは『現実力』とも言うべきか。
     『器』とは基底現実に投げ落とされた錨であり、極めて不安定な『意識』を固定し存在するための楔である。

     しかしこのケセドの空間では違う。自らを縛る『器』から引き剥がされて非常に不安定。
     なら、自分にとっての常識を、ルールを、この空間もしくは自分自身に押し付けることが出来るのでは無いだろうか。

  • 166125/08/24(日) 10:29:37

     いや出来る。出来るということにする。というより、きっと今まで無自覚に行っていたのだ。
     ゲブラーも言っていた。神性の高さとは即ち『現実改変力』の強さ。そして自分はミレニアム最高の神性。

    「マルクト、私は『天才』です。出来ると思ったことは大抵できます。エンジニア部に入るまで、特に困ったことなんてあまりありませんでした。私は恐らく無自覚に現実のルールに干渉していたと思うのです」

     つまり、ケセドと現実を押し付け合って勝てば良い。
     おおよそまともではない思考だが、まともでない空間なのだからそのぐらい横暴は押し通せるはず。

    「速やかに終わらせます。私たちの身体もそのままで、今すぐ『廃墟』から脱出を」
    《…………分かりました。いえ、分かりませんが分かりました。必ず皆さんで帰って来てください》
    「当然ですよ。さ、『廃墟』の入口で私たちを待っててください」
    《はい。いつまでもお待ちしております》

     声が遠ざかる。マルクトの視線すら感じられるのがこの場所なのだ。

     そして、マルクトの気配が完全になくなったことを悟ってから、私はゆっくりと目を閉じた。

    「行きますよケセド。ここからは神秘バトルのお時間です」

    -----

  • 167125/08/24(日) 11:46:22

    「はぁ……ようやく『廃墟』から出られました……」

     訳の分からぬ光に囲まれ続けて図書館への入口を探すべく散々歩き、最終的に展望台への階段を上って扉を開いて今へと至る。

     不思議と歩き疲れることはなかったが、精神的には流石に疲れた。
     扉の先は上下へ続く奇妙な図書空間。マルクトが言っていたのは恐らくここだろう。

     しかし、当てが外れたとも言うべきか。
     この空間には恐らく上下の概念が存在しない。つまり上下どちらかにケセドがいるというのは間違いだったと言うことだ。

    「……ここからどうしましょうかねぇ」

     そんな風に呆けていると、上の方から地響きに似た振動が伝わって来た。

    「な、なんです……わぁ!?」

     次第に大きくなる振動。
     咄嗟に近くの欄干にしがみ付くが、もはや立ち上がることすら出来ないほどに図書館全体が揺れ始める。

     困惑しながらも周囲を見ると、目に映る通路が突然途中で寸断されて動き出した。
     階段がぎりぎりと音を立てて90度に捻じ曲がり、今掴んでいる欄干の向こうへと接続される。

     上から下へと貫くようにゆっくりと円柱が床や壁を貫通したかと思えば、その側面が切り開かれてエレベーターのように作り変えられていく。

    「い、いったい何が起きているんですかぁ!?」

     あわあわと叫ぶ声が木霊する。

  • 168125/08/24(日) 11:47:33

     その声は遥か上層を歩く二人の元にも届いていた。

    「なんかいま私の声が聞こえたような……」
    「そうな――きゃっ!?」

     揺れは徐々に大きくなり、やがては図書館の内部構造すらも作り変えていく。
     壁は道に。通路は階段に。せり上がる床。そして足元には『EXIT』と書かれた非常用看板。

    「と、とりあえず出口はこっちということかしら……?」
    「行きましょう! ちなみに私は理解を諦めてます!」
    「そ、そうね……!」

     上階に居た二人も導に従って走り出す。



     明星ヒマリは今や、この空間に概念的なハッキングを施していた。
     自分自身をウィルスであると規定してケセドというひとつのコンピュータを内部から書き換える。

     現実では不可能でも、現実で無いのなら明星ヒマリに不可能という単語は存在しない。
     条理も合理も何一つ関係ない力業。それに驚いたのは他でもない、この空間の支配者たるケセドである。

  • 169125/08/24(日) 11:48:48

    「こんな強引な解決……いったい何なの!?」

     これまで『ケセド』を超えた者たちは皆、この空間に潜むケセドを見つけ出すことで脱出を果たしてきた。
     古においては『冥界巡り』など、この空間をどう捉えて自分の中の出口とルールに従って『たったひとつの答え』を見つけるという試練。

     しかし、まさか直接この場を書き換えようとするなんて、そんな存在今まで何処にも存在しなかった。
     こんなことは、何も知らない幼児が持つような傲慢とも言える全能感を持ったうえで自己と他者を知るだけの知識が無ければ行えるわけがない。

     おかげで『明確な攻撃』を感知した意識たちが攻撃に向かっているが、どうやらそれすらも跳ね除けてしまっているらしい。

     訳が分からない。
     まるで『迷路があったら壁を突き破るのが最短距離』とでも言わんばかりの蛮行に、ケセドも思わず頭を抱えた。

    「無茶苦茶じゃない……こんなの……」

     そんなときだった。
     ケセドは自分の部屋に入って来る存在の感知して意識を向けると、相手もそれに気が付いたのか静かに笑って片手を挙げた。

    「君がケセドかい?」
    「ちゃんと正攻法で来る人もいるのね……」
    「ふふ、君の家を書き換えているのはヒマリかな? チヒロも知ったら頭を抱えるだろうね」
    「私はもう抱えているわ……おかげであなたの難易度が上がっているもの」

     この異常事態で既にケセドの周囲には攻撃性の増した『意識』が集まっていた。
     それを観測する眼前の人間の『眼』によって、『意識』は機械的なフォルムへと変質していく。

  • 170125/08/24(日) 12:02:00

     人の背ほどもあるデフォルメされたクモのような身体。砲台のついた球体と六本のアーム、それから尻尾のような光学兵器。

    「あなた、ひとつ言っておくけれど……」
    「脆いんだろう? 今の私は。それこそ一撃でも攻撃を受けたら精神に致命的なダメージを受けるほどに」
    「……分かっているなら別にいいわ」

     二年前に顕現した際、この世界の住人が優れた耐久性を持っていることを知った。

     しかし、それはあくまで『器』が頑丈なのだ。
     まるで誰かの祈りに守られているように『死』の概念から遠ざけられてはいるものの、『意識』は違う。正確には、『記憶』を包む『人格』あるいは意思と呼べるものはケセドの機能により壊すことが出来る。

     『人格』が砕けてしまえば『器』もまたゆっくりと死に至る。
     そのことを理解しているのであれば、あとはもう、成るように成るだけだ。

    「先に言っておくわ。私を捕まえたらあなたは目覚める。それがあなたのゴールでしょう?」
    「そうだね。付け加えるなら、君のボディガードを倒して君の手を引く。それが私のルールさ」
    「手を引くだけでいいじゃない。戦うことがそれだけ特別なのかしら?」
    「そうとも。戦って何かを得たものはちゃんと残ってくれるからね。ああ、いや」

     預言者は不意に言葉を切った。
     それから自嘲するように笑みを浮かべる。

  • 171125/08/24(日) 12:03:06

    「どのみち目が覚めたら私は忘れてしまうだろうね。けれど、楽しかったという感情だけはきっと持って行けるとも」
    「ああ……そういうこと」

     ケセドは眼前に立つ存在を理解した。
     この預言者は恐らく、普段から死に続けているのだ。

     もっとも死に近く、死を理解している存在。
     だからケセドを理解できる。悲しいまでの『慈悲』を。空虚を。

    「だったら、あなたに対して名乗らないといけないわね」

     これから死ぬかもしれない存在に、自分という『名前』を刻み付けておくために。
     だからもし生き残れたのなら、その時はこの預言者の名を自らに刻みつけよう。

    「第四セフィラ。我が異名は『慈悲深き苦痛をもって断罪する裁定者』――ケセド」

     そっと背を向け距離を取る。三体の護衛が壁を作るように前へと前進する。

    「安心してちょうだい。あなたが死んでも誰も悲しまないわ。私に殺された者は皆、誰の記憶にも残らないのだから」
    「それじゃあ、君に覚えてもらえるように頑張ろうかな」

     預言者が銃を構える。
     揺れる図書館、書き換えられる空間とその中で。

     最後の戦い――決着の時が遂に訪れた。

    -----

  • 172125/08/24(日) 13:48:14

    (数、多いな)

     まずは動き出した三台のクモ型兵器。
     向けられた砲口から弾速を確認して回避動作のシミュレーションを行う。問題なし。爆音と共に放たれた瞬間最小の動きで全てを躱す。続いて視界に映るは尾に備え付けられた光学兵器。あれは恐らくイェソドを見聞きした自分の記憶から再現されているもの。熱線が放たれるも直線的な動き。容易に躱して一台の下へと滑り込みながらサブマシンガンによる銃撃を放つ。

     撃たれたクモの胴体が傷つきぐらつく。その流れでクモは屈伸するように膝を曲げて胴体での圧殺を狙って来るが、その前に抜け出して射線を管理。うち二台の射線を今しがた傷付けた一台の胴体で射線を切ると、向こうの二台が射線を通すためにガシャガシャと足を動かしながら位置取りを始めた。

    「ははっ、良かった。ちゃんと戦える相手か」

     統率された動きである。
     やはりケセドの元に集う意識だからだろうか、極めて戦術的な連携を見せてくる。

     これが連携も同士討ちも介さないもの素人であれば手厳しいが、そうでなければパズルを解くようなものである。
     流動的に変わり続ける謎解き。程よく難しいバトルロジック。一撃でも食らえば死にかねないというのも悪くは無い。難易度は極めて高い。

    「じゃあ、とりあえず足を潰そうか」

     最初に傷を付けた一台目に銃撃を放ちながら、三台目だけは射線を切るように動き続ける。二体一を二回と、一対一を一回勝てば良い。三台同時に相手にする必要は何処にも無い。

     砲弾を躱しながら走り込んで二台目へ。
     六本ある脚のひとつまで近付くと、銃身を握ってグリップを全力で関節部分へと叩き込む。

     ゴシャリ、と派手に潰れる音。銃には何ら異常なし。
     流石は頑丈な銃である。サブマシンガンという使い慣れない銃種であるが、それを差し引いても使い出に優れている。

    (最低三本潰せば固定できるね。あと二本で二台目は壁になる、けれど……)

     すぐさま離れて三台目からの射線を切りながら一台目へ。
     その間に見えたのはぐっと姿勢を落とす三台目である。

  • 173125/08/24(日) 13:49:15

    (跳んで来るね)

     想像通りの動きを以て想像通りの場所へとボディプレスを仕掛けて来る。

     その間隙を突くように、一台目と二台目が速度に優れた光学兵器が狙いを付ける。身体を捩じって真横に飛び込むと、身体の上下を熱線が走る。紙一重。地を這うように手足を地に着け床に着地。直後に失踪。一台目を撃ちながら再び二台目へと滑り込む。

     足を潰すならやはり銃撃よりも直接攻撃。二台目二本目の足を潰して再び離れる。ヒットアンドアウェイ。得意戦法である。
     普通の集団戦かつ距離があるなら絶対に取らない行動だが、個人戦なら銃はレンジの長い打撃のようなもの。インファイトも含めて戦術に起用できる。

    「ところでケセド! 今更だけどこんなに攻撃して彼らは大丈夫なのかい!? ほら、私は一撃死だろう?」
    「それなら問題無いわ。消滅する寸前で勝手に離れるもの。裏を返せば、時間をかけ過ぎたら集まって来て回復するわ」
    「速攻戦か! それなら私の得意分野さ!」

     放たれた砲弾が僅かに頬を掠める。摩擦熱で焼けて思わず頬が引きつった。

     ――痛い。現実よりも遥かに。

     直撃すれば確実に死ぬというのはやはり確かで頬が綻ぶ。思考が加速し見える全ての最適解が脳裏を過ぎる。

    「ははっ――!!」

     浮かぶ笑みは捕食対象を見つけた猛獣そのもの。
     今まで忘れつづけて来たものが、『器』の無いこの場所でなら憶えていられる。

    「楽しいねぇ!! ちゃんと私は私を『忘れなくて』済むなんて!!」



     ケセドの機能に気付いたのは最初の襲撃からであった。

  • 174125/08/24(日) 13:50:20

     マルクトが監視してなお気付けなかった異常。
     チヒロが見かけた謎の影から『ケセドは既に現れている』という可能性を考慮した。

     そこで気が付いた。思い出せる人物がひとり足りないと。思い返してすぐに分かった。ゼウスを動かしていたウタハだ。
     『廃墟』の外にいるはずのウタハがやられたということはつまり、『ケセドは肉体では無く精神に干渉する』という可能性。

     その後現れた半透明のネズミを見た事で確信した。
     物理的な攻撃ではなく精神攻撃。飛び掛かって来るということはつまり、触れて来ることが条件だと。

     忘れさせるのがケセドの『機能』であるならば、自分が恐らくケセドの影響が最も少ない。

     何故なら私は毎日多くを忘れ続けているから――


     私は昔から、恐らく五感が誰よりも優れていた。
     視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚――全ての感覚が誰よりも優れていて、どんなことでも絶対に気が付く。

     けれども代わりにすぐに忘れる。
     酷い時には目の前の相手が誰なのかすらも思い出せない。もっと酷ければ忘れたことすら忘れている。

     外部から得られる情報量が多すぎて、処理は出来ても保持しきれないのだ。
     自分が送ったチャットの内容を見て、どうしてこれを送ろうとしたのかすら思い出せない日々。

     気付けばそれを、『勘』や『考えていなかった』という言葉で出力していた。

     何も思い出せない。忘れたことすら忘れ続ける。
     それは生きながらにして死に続けていることと何も変わらない。

     そのことによる苦痛も悲痛もそれすらも忘れて、ただ刺激的で楽しいことだけを探すために彷徨の日々を続けた。

  • 175125/08/24(日) 13:51:27

     けれどもここなら――『器』が存在しないこの場所ならば受け取れる情報の許容量なんて関係ない。何も忘れず覚えていられる。それでも、忘れないようにしたいなんて思わない。ここに居続けたいなんて私は思わない。

    (覚えている方が良いなんて、それは忘れない人だからだよ)

     忘れているから得られる救いも確かにある。
     それに、ここにいてもネルとは戦えない。ミレニアムの最強――美甘ネル。

     忘れ続ける自分の意識は、流れ続ける情報を受け止められないザルのようなもの。
     それでいてなお縁から溢れるほどの情報量。求められる思考力。組み立てなくてはならない戦術群。絶対に勝てない相手――

     これはきっと恋だ。歪な愛情。零してしまう自分を満たしてくれる『絶対』。
     それがここには存在しない。きっと自分がもしも仮に一度でも『あの』美甘ネルに勝てたとて、必ずネルは自分を下す。

     『絶対勝利』の神性は決して生半可なものではない。
     天才だとか秀才だとか、そんな言葉で括れないのだ『あの神性』は。

     例え何度負けたとて、最後は必ず絶対勝つ。
     ミレニアム最高の頭脳が導き出した未来予知。私は絶対にネルに勝てない――だから、私はずっと上に行ける。


     左手には自らに混ぜ込められて発露した、白石ウタハのサブマシンガン。
     右手には戦いの果てに自分を取り戻した、一之瀬アスナのアサルトライフル。

     打ち崩した三台の兵器、その一台を踏みつけながら『アスナ』は笑った。

  • 176125/08/24(日) 13:52:42

    「さぁ! 私たちを元に戻して! 現実はここより楽しいから!!」


     其れは『器』が耐えきれぬほどの演算能力を持つ存在。
     ラプラスの悪魔の体現。完全なる未来予知。ミレニアムに存在する『最たる天才』、『人を超えた演算機』。

     ――きっとこの戦いを私は忘れる。それでも良い。忘れられないぐらい楽しい日々が、思い通りに行かなくて予知不可能が混ざった日々がキヴォトスにはある。

     そしてアスナはケセドの手を引いた。
     ゴールへの到達。ケセドは苦笑いを浮かべて言った。

    「あなた、本当に歪ね」
    「楽しいから大丈夫! それに、現実でも『正解』だけなら分かるから!」
    「そう」

     ケセドは笑う。

    「ビナーとの戦いが楽しみね」

     そして、取り込まれた全ての意識は浮上する。

     第四セフィラ、ケセド。
     『慈悲』との戦いはここに完了された。

    -----

  • 177二次元好きの匿名さん25/08/24(日) 16:13:01

    おお…ついにケセド編も完結、お疲れ様でした
    バランス等微修正しましたのでスレ画はこちらをお使いください

  • 178二次元好きの匿名さん25/08/24(日) 20:19:07

    このレスは削除されています

  • 179二次元好きの匿名さん25/08/24(日) 20:21:47

    このレスは削除されています

  • 180125/08/24(日) 20:26:36

    「ヒマリたちは無事でしょうか……」

     『廃墟』から出たマルクトは、取れぬ胸のつかえを毟るようにそっと息を吐いた。
     何も見えない人間体。何も干渉できない無力な身体。ただ待つことしかできないなんて、どうして人の身体を得るまで気が付かなかったのだろうか。

     旅がどうとかでは決してない。
     ただ友が、友人たちが返ってこないという現実が怖かった。昨日と同じ明日が来ないのかも知れないということこそが恐怖であった。

     手を合わせ願うのは、いったい何に祈っているのだろうか。
     分からない。けれども自らの手には及ばぬ事柄には、大きな『何か』へ願うことを止められなかった。

     『願い』――そして『祈り』。

    (ああ……これが皆の抱いたものなのですね)

     セフィラたちに掛けられた呪い。棄てられし者たちの願う先、彼らは皆、『何か』に救いを求めていた。

     ――どうか、どうか帰って来てください。どうか……っ。

    「おおーい!」

     聞こえた声に顔を上げる。
     『廃墟』の向こう。もうじき暮れる黄昏の中、夕陽を背負って人の影が目に映る。

  • 181125/08/24(日) 20:27:36

    「ねぇねぇ見てみて! ケセド! おっきくない!?」

     アスナがケセドを担ぎあげて走ってくる。
     1メートル近い体躯を持つネズミだが、重くは無いのだろうかと一瞬全てを差し置いて思ってしまう。

     それから後に続く特異現象捜査部の面々。全員いる。マルクトは安堵したように息を吐いて、それから仄かに笑みを浮かべて全員を迎えた。

    「おかえりなさい、皆さん。帰りましょう。ミレニアムへ」



     その後に続くのはケセド確保の後の話。
     チヒロを始めとした各員は、皆一様に酷い筋肉痛に似た痛みに襲われていた。

     恐らく『器』から『意識』を引き剥がされた影響だろう。
     酷い倦怠感に顔を顰めていたが、とりあえず寝かせながら今のうちにケセドへの接続は終わらせておく。

    《マルクトより、エデンの園は開かれリ――。『王国』たる名の下に、我が先導の後へと続け》

     導きの祈りを綴るように、静かにそっとケセドに触れる。

    《楽園へ導くに値する者ならば、我が問いに答えるがいい。『あなたは、誰ですか』――》
    《我が名はケセド。『慈悲』を司る四番目のセフィラにして『慈悲深き苦痛を持って断罪する裁定者』――ケセド》

     ネズミがゆっくりと頭を上げる。洗礼を受けた者のように恭しく、そしてケセドは言葉を返す。

    《アシュマ――『マルクト』の代弁者。よろしくね》
    《はい》

  • 182125/08/24(日) 20:28:40

     無事に終わる接続式。
     詳しい話はヒマリたちが復帰してからにして、ひとまずマルクトはこれまでの旅路の記憶をケセドと共有する。

    《情報共有はひとまずこれで。状況については後で話しましょう》
    《……そうね。そうしましょう》

     マルクトの見て来た記憶を閲覧しながら、ケセドが了解と答える。


    「今日は……、一旦解散しよっか……」

     ミレニアムに戻るなりチヒロが言うと、まるで鶴の一声のように全員が頷いた。

     ウタハもコタマも呻きながらゾンビのように帰宅して、マルクトもまた部屋へと戻った。

    「はぁ……」

     そうしてマルクトはベッドに腰かけながら、機械に戻して人間に変化させて自分の身体をリセットする。
     それでいてなお取れない疲労。肉体では無く精神なのだが、今回のケセド戦は後悔が酷く残る辛勝だった。

  • 183125/08/24(日) 20:48:31

    「私は何も出来ませんでした……これが『落ち込む』ということなのですね」

     正しく誰かを見分けることが出来ないという『精神感応』の欠点。
     ひとつの『器』に全員が閉じ込められると、その精査は極めて難しいという新たな発見。

     それに、セフィラを構成する技術群は上へと向かうにつれて物質界から離れていき、より概念的なものになっていくというのも嫌と言うほど思い知らされた。

     今回起こったケセドとの戦いは、今までのセフィラ戦とは明らかに異様だった。
     科学技術も何も関係ない解決と攻略。重大な何かが変わってしまったという異常は、この先のセフィラ戦にていったい何を意味するのか。

     しかし、全て糧にする。糧にした上で次へと進む。今はそれしか出来ないのだから――


     かくして倫理的三角形は終わりを迎え、セフィロトの頂点――至高たるロゴスへと踏み出し始める。

     マルクトはベッドに身体を横たえて、ゆっくりと息を吐く。
     部屋の中でただひとり。もうひとつのベッドが視界に映って、それから静かに目を閉じた。

    ----第六章:アディ





    「どうしてベッドが二つあるのでしょう……?」

  • 184二次元好きの匿名さん25/08/24(日) 21:04:31

    リオ消えてるぅ!!!!!!!

  • 185125/08/24(日) 21:11:56

     それは微睡む直前の奇妙な違和感だった。
     マルクトが寝泊まりする部屋にはベッドが二つ存在する。何故?
     ひとりで眠る夜自体はそこまでおかしなことではない。なのにどうして二つもベッドが存在するのか。

     どくりと脈打つ鼓動と共に上体を起こす。嫌な静けさの中、人間の姿を模倣したこの身体に血液に似た液体の流れる速度が増していく。

     おかしな不安を落ち着かせるべく顔を洗おうと洗面台に立つと、そこには二本の歯ブラシ。

     一本はほとんど新品で片手で数えられるぐらいにしか使われた事の無いもの。自分のものだ。人間体に再構築すれば必要ないためすぐに使わなくなってしまったオブジェクト。

     もう一本はそれなりに使われているもの。誰の物? まるでこの部屋には二人が住んでいたような痕跡。

    「ま、待ってください……」

     胸を掻き毟るように掴む。見渡す周囲。何かがおかしい。違和感が拭えない。確かに全員あの『廃墟』から帰って来たはずなのだ。

    「わ、私は確かに全員の帰還を確認しました……」

     記憶を遡るようにケセドとの戦いを思い出す。

     日の落ちる黄昏の中、全員が帰って来た。

     ヒマリに『廃墟』から出て人間体に戻って欲しいと言われた。

     恐怖の中でまとめて全員へと叫んだ。「下に向かっている人」という情報を流しながら自分がすべきことを見失って叫んだ。

     コタマと話した矢先に見つけた二人目のコタマ。名前を聞くと確かにコタマだった。
     最初のコタマをウタハを間違えた。チヒロだと思って呼び掛けた者も間違えた。合っていたのはヒマリだけで、アスナを誰かと間違えた。

  • 186125/08/24(日) 21:13:02

    (アスナはいる。ウタハもいる。チヒロもヒマリもコタマも居て、ネルは眠っていて全部で六――)

    「リオは……何処ですか……?」

     ぽたりと涙が流れて落ちた。

     足りない。足りない……ひとり足りない――っ!

    《リオ! 返事をしてくださいリオ!!》

     恐怖が全身を覆いつくす。叫ぶ声は制御すら出来ず、絶叫が全てのセフィラと預言者へと響き渡る。

     そんなわけがない。居なくなったなんて嘘だ。ちゃんと全員帰ってきているはずで、たまたまうっかり忘れていただけのはずなのだ。きっといつものようにあのラボか部室かで寝ているだけで、ちゃんとミレニアムに戻っているはずに違いない。

     靴すら履かず部屋から飛び出す。寝間着姿のまま一心不乱にラボへと向かう。
     震える指でラボの扉を引き開けて周囲を必死で見渡した。驚いたようなセフィラたちの視線。それすら今は気にならない。ただ声の限り叫び続けた。

    《リオ! リオ! 何処にいるのですかリオ!!》

  • 187125/08/24(日) 21:14:12

     その時だった。「どうしたの急に」――そんな声が耳朶を打つ。
     リオの声だ。ラボの奥、ソファの裏からリオの声が聞こえた。良かった。居た。ちゃんと居た――

    「リオ……」

     安堵しながら歩いて近づいて、やはり自分の思い過ごしだったと気が付いた。
     リオはよく狭い隙間で眠ろうとする癖がある。そんなことを思い出しながらソファの裏を覗き込む。

    「――――」

     そこには。

    【随分と慌てているのね、アシュマ】

     巨大なネズミの姿をしたケセドが居た。

    「…………待ってください」

     思考の整理が追い付かない。渦巻く感情は泥のようなキャラメルみたいで、冷たく固まり始めては考えることすら放棄したがっていた。

     ケセドが模倣する疑似人格とは誰なのか。
     疑似人格を得るプロセスはいったい何だったのか。全部知っているはずなのに考えたくない。

     不意に漏れた声。それは奇しくも祈るような言葉だった。

    「あなたは……誰ですか?」

  • 188125/08/24(日) 21:16:12

     ――悪い夢です。これは。

    【私はケセドだけれど、本当にどうし――】
    「違いますあなたを構成する疑似人格はいったい誰のものかと聞いているのです!! 誰が――」

     震える身体。想像したくも無い最悪の現実が目の前に居た。

    「誰が――死んだのですか?」

     ケセドは答えた。あの戦いにおける死者の名を。書に記されたひとりの少女の名前を。

    【調月リオ。そう呼ばれていた名前ね】
    「――ぁ」

     膝から崩れ落ちる。掻き毟るようにマルクトは髪に爪を立てる。

    「ぁ――あぁ……、ああぁぁぁぁあああ――ッ!!》

     そして――ミレニアムの全てにひとりの悲鳴が響き渡った。

    -----

  • 189125/08/24(日) 21:45:44
  • 190二次元好きの匿名さん25/08/24(日) 21:59:01

    このレスは削除されています

  • 191125/08/24(日) 22:01:00

    以下、ここからは雑談空間。


    やっとここまで来られましたケセド編!
    ケセドとケテルについてはコユキの話を書いてるときも全く固まっておりませんでした。
    「まぁ結構先の話だし書いてるうちに思いつくやろ」で書き続けて、結局晄輪大祭編が始まってようやく固まり出したぐらいの難産です。

    正直テクニカルなことをしようとして詰め切れていない感はあるので、そこはいずれ書いてハーメルンなどに上げる(?)決定版をご期待ください。いえ、まだ雷帝すら書き直せていないので適当言ってます。書き直すにはまだ煮詰め切れていないんですよね……。これが今の私の全力です!と見切りは付けられるのですが、そもそも書きたい話がイッパイアッテナ……。

    アビドス、ゲヘナ、ミレニアムと書き終えたらトリニティも妄想を垂れ流したい!
    しかして来月のアリウス編を見るまでは待つほかなく、とりあえずハイランダー絡みのコメディだけは妄想し続けてます。

    雷帝が先かハイランダーが先か、それともトリニティが先か――私にも全く分かりません。
    とりあえず練り続けますので、今はミレニアムにおける私の妄想を楽しんでいただけたら幸いです。

  • 192二次元好きの匿名さん25/08/25(月) 07:30:18

    埋め
    アスナがウタハみたいになってたのはそれが正解だからなのか成り行きなのか、はてさて

  • 193二次元好きの匿名さん25/08/25(月) 15:08:23

    このルートだと本編でヒマリがリオのこと敵視してるの友人の皮被った別のナニカだからとかそういうのか…?

  • 194二次元好きの匿名さん25/08/25(月) 23:06:15

    >>191

    アリウスが絡むんなら、ベアおば絡みの話になるんかな?

  • 195125/08/25(月) 23:35:13

    >>194

    書くかどうかも分からないので先に言っておくと『第一回公会議でアリウスが統合に反対した理由』みたいなエピソードを妄想していたり……。


    や、一応一本書くことは出来るのですが、そのまま出すとオリキャラしか出て来ないのでちゃんと原作キャラを主軸にした上でサブに回せるぐらいのネタはこねくり回したいなぁという感じです。


    ベアおばがアリウスに何をしたのかも書きたいのですが、そういったトリニティ周りの妄想を一本に練り上げられないかと糸車を回し続けておりますので、上手く編めそうだったらまた書きに来ます。針が刺さったら茨姫の如く百年の眠りに就きます。

  • 196二次元好きの匿名さん25/08/26(火) 08:30:46

    >>195

    ……最終段落、椎名ツムギ辺りをインストールしていらっしゃる?

  • 197二次元好きの匿名さん25/08/26(火) 17:05:36

    ツムギみたいな事を言うリオ…?

  • 198125/08/26(火) 17:52:56

    変わったデザイン? いいえ、これは――

    ――「アバンギャルド」。

    ……と呼べるのでは無いかしら?

  • 199二次元好きの匿名さん25/08/27(水) 01:35:51

    リオ!?

  • 200二次元好きの匿名さん25/08/27(水) 01:38:22

    200なら必ず良い未来が来る

オススメ

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