【SS】マルクト「ヒマリ、千年難題を解き明かすのです」Part11

  • 1125/08/24(日) 21:43:31

    セフィラたる遥か未来の科学技術へと挑む話。

    不可思議な『二体目』たちとミレニアム生徒会長の挑んだ決戦。『マルクト』殺しの犯人は?

    世界を書き換えるキヴォトスの半神。忘れ去られたのはミレニアムの特異点。


    そして始まり終わるはケセドとの対決。

    『慈悲』の名の下に残った悪夢は何処にか。


    ※独自設定&独自解釈多数、オリキャラも出てくるため要注意。前回までのPartは>>2にて。

  • 2125/08/24(日) 21:44:32

    ■前回のあらすじ

     晄輪大祭を無事に終えた特異現象捜査部の面々。しかしそこで知ったのは『二体目』のホドの存在であった。

     セフィラはそれぞれ一機しか存在し得ないはず。ならば一体『二体目』とは何なのだろうか。


     そんな疑問を抱えたまま向かうは第四セフィラ、ケセドとの決戦。

     肉体から引き剥がされて飲み込まれるは精神世界。物質界を超越した無限の迷宮。


     そこから辛くも脱出し、ミレニアムへと帰還したマルクト一行。

     気付いてしまったのは残酷な現実。悪い夢。仲間がひとり、消えている。


     遂に出てしまった犠牲者に、誰かの悲鳴が夜のミレニアムへと木霊した。


    ▼Part10

    【SS】マルクト「ヒマリ、千年難題を解き明かすのです」Part10|あにまん掲示板それはセフィラたちの旅路の記録。晄輪大祭編、完結間際。舞台の上で踊るのは、世界を背負った者共ら。次なる相手は狂乱に飲み込まれた上位セフィラの最前線。倫理的三角形の頂点に立つ七体目の破砕者、ケセド。※独…bbs.animanch.com

    ▼全話まとめ

    【SS】マルクト「ヒマリ、千年難題を解き明かすのです」まとめ | Writening■前日譚:White-rabbit from Wandering Ways  コユキが2年前のミレニアムサイエンススクールにタイムスリップする話 【SS】コユキ「にはは! 未来を変えちゃいますよー!」 https://bbs.animanch.com/board…writening.net

    ▼ミュート機能導入まとめ

    ミュート機能導入部屋リンク & スクリプト一覧リンク | Writening  【寄生荒らし愚痴部屋リンク】  https://c.kuku.lu/pmv4nen8  スクリプト製作者様や、導入解説部屋と愚痴部屋オーナーとこのwritingまとめの作者が居ます  寄生荒らし被害のお問い合わせ下書きなども固…writening.net

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  • 3125/08/24(日) 21:58:00

    埋め

  • 4125/08/24(日) 22:06:21

    10まで埋め

  • 5二次元好きの匿名さん25/08/24(日) 22:12:47

    保守

  • 6二次元好きの匿名さん25/08/24(日) 22:22:13

    立て乙


    >>2

    「ならば一体『二体目』とは何なのだろうか。」が「一体」と「二体目」でややこしい…

  • 7125/08/24(日) 22:31:20

    >>6

    投稿するときに「だから何体なんだよっ!!」と我ながらちょっと笑ってしまったので通しましたw


    読み辛くならないよう漢字をひらがなに開いたりはしているのですが、ときおり本気で意図せず読み辛くしてしまってはいたりするので気づいた時には大抵呻いたりしてますね(特にスマホの予測変換)

  • 8二次元好きの匿名さん25/08/24(日) 22:32:13

    寝たら本当に忘れるとかじゃなかろうな…

  • 9125/08/24(日) 22:32:48

    >>7

    うがぁ!よそくへんかん!予測変換は敵!!

  • 10125/08/24(日) 23:07:39

    埋めぇ!

  • 11125/08/24(日) 23:18:13

    「悲鳴? あー、誰かが音響兵器でも誤作動させたんじゃないかな? そうそう、エンジニア部。僕の方で注意しておくから君はほら、校内新聞でも書いてよ。『恐怖! 夜に聞こえたバンシーの叫び!』って感じでさ。……うん、よろしく頼むよ」

     がちゃりと、いやそんな音は鳴らないものの、会長室の椅子に腰かけたミレニアムの生徒会長は通話を切った。

     保安部部長兼セミナー書記からの連絡。しかし対処できるようなことなんて一つも無いため適当に誤魔化しながらお茶を濁す。

    「ほら、やっぱり死んだ。ま、分かった上で僕は止めなかったけどさ」

     特異現象捜査部が挑むケセド戦で唯一死者を出さない条件は三つある。

     一つ目にマルクトが『廃墟』に向かわないこと。
     確実にケセドに呑み込まれるため無防備になる。加えて下手に集められるケセドの『分体』が存在するせいで正確なオペレーションが出来なくなる。

     二つ目に調月リオを『廃墟』に向かわせないこと。
     ケセドは誰一人として逃さないよう全ての『意識』を引き剥がしにかかる。常日頃から忘却という精神の死が身近にある一之瀬アスナは特異現象捜査部の中で最もケセドの初動を受けにくい。何故ならちょっと触れればすぐに剥がれるのだから、そこにリソースは割かれない。

     次に明星ヒマリ。神性が高いと言うことはつまり、基底現実からの乖離度が最も高いことを意味する。
     分離し易い者は軽く剥がしてそれで済む。だが――負の神性とも言える調月リオだけは違う。セフィラの天敵ゆえに確実に消される。

     そして――三つ目。
     自分が言った「ケセドの機能」を真に受けないことだ。

    「分からないことと分かること、前者は万全の警戒をするだろうけど、少しでも分かることがあればそれを軸に対策を練る。意味の無い対策を練って、安心する――」

     そう、あの一言は後押しだった。
     対策した気になって調月リオの警戒を緩ませる一言。放っておけば確実に『神性の解体者』はケセドの機能についての推察をまとめ上げていたに違いない。

  • 12125/08/24(日) 23:19:24

     だから意識を別に向けさせた。記憶が消えても戻れる方向へと視線を誘導した。

    「ははっ――」

     歪む顔を押さえながら席を立つ。
     全部分かっていた。自分が意図してリオを死に追い込んだのは理解している。

     言い訳なんてしない。最善だった。調月リオがケテル戦で『生き残れる』最善がこれだった。

    「安心しなよ。ケセドは『名前』を書き写す。コピー&デリート。君たちは何かを失ったことしか覚えていられない」

     夜が明ける頃には全てが忘却の彼方へと消え去る。それがケセドの機能。死なない者を殺す技術。

    「大丈夫、僕は全部覚えているから。リオちゃんは僕が『作って』あげるよ」

     代わりは幾らでも作れる。何も問題は無い。空虚な喪失感だけを胸に抱いて「悪い夢だった」で終わるだけの悪夢。きっとこれまで以上に万全を尽くすはず。調月リオの身体も、作り直せばもっと強くなる。死なずに済む。

     そして――ケセドによる殺戮ならば『テクスチャ』の排斥から免れる。

    「大丈夫……何も問題は無い。問題無いんだ。『役割』は損なわれない。みんな忘れる。僕だけが覚えているだけで、誰も何も気が付かない……」

     皆が完全に調月リオの存在を忘れてしまったのならそれでいい。問題は無い。ケセドが役割を果たしてくれる。
     誰かが一時的に調月リオを覚えていても問題は無い。作り出して送り込んで適当に言いくるめば良い。

     問題は無い。問題は無い――

    「だから僕は悪で良い。マルクトの役割を生かし続けるためなら何でもする。だからほら――笑えよ」

     会長室に置かれた姿見。そこに映る『会長』の姿はひどく憔悴していた。
     けれどもこれは自分ではない。『この身体』が上げる悲鳴であって自分ではない。

  • 13125/08/24(日) 23:21:02

     この感情も、自分のものでは決してない。
     皮肉めいて、それでもなお優しい子供の感性だ。自分のものでは決してない。

    「思った通りに事が進んだ。ほら、そこは笑うとこだろう? ねぇ……」

     だから嫌なんだ――と、僕は思った。

     偽りだらけの自分にとって、『本物』が失われるのは身を引き裂くように痛い。痛みを感じているのは僕じゃない。この身体だ。僕は痛みなんて知らないはずなのだから。

    「謝るものか。赦しは乞わない。イェソドを見てから僕はずっとこの日が来ると思っていた……そうだろう?」

     笑え。そして忘れるな。この罪を。重荷を背負う責任を。

    「この旅は必ず終わらせる。間違った欠片を消すんだ。そうじゃなきゃ――誰も救われない」

     いずれ忘れ去られる悪い夢。ただしそれは自分を除く。
     忘れられずに続くのは自分の記憶。決して覚めない永遠の悪夢。

  • 14125/08/24(日) 23:23:00

     イチかバチかのその中で、見つけ出したのは奇跡のような旅の終わりであった。
     千年に一度としてなかった条理を書き換える天才たち。それらが一堂に会したエンジニア部。

     誰も死んだことにさせない。そんなことは許さない。
     もしもそれが誰の逆鱗に触れたのであれば、その時は喜んでこの身を差し出そう。

    「はっ――ははは……っ」

     無理やりにでも笑いながら吐き出す狂気。狂ってしまえば楽だったと言わんばかりの笑みを浮かべる。

     ――抗わないでよ。頼むから。

     故なき喪失。それは『慈悲』。

     ――受け入れてよ。全部忘れて眠ってよ。

     痛みなき喪失。今なら神経痛だけで済む。

     そうしてここには――会長室には夜明けを待つ者だけがいた。
     優しき悪。ケセドの『慈悲』を賜ることだけを願い続ける小さき弱者ただ一人が。

    -----

  • 15125/08/25(月) 01:28:29

    保守

  • 16二次元好きの匿名さん25/08/25(月) 02:22:57

    ネタバレになるしこの後どうなるかはわからんが、そうなるなら原作キャラ死亡の注意はあった方がいいよ

  • 17二次元好きの匿名さん25/08/25(月) 09:19:10

    保守

  • 18125/08/25(月) 10:30:01

     ミレニアムに響き渡ったマルクトの悲鳴。
     『精神感応』による拒絶不可能な絶叫を聞いて、チヒロはラボへと駆けこんだ。

    「マルクトッ!!」

     ラボの奥には身体を丸めるように蹲るマルクトの姿。金色の瞳から止めどなく溢れる涙。恐慌によりもはや人間なのか機械なのかも分からない状況にあることだけは確かであった。

    「マルクト、大丈夫!? 何があったの!?」
    「チ……チヒロ……、リオが……リオがいません」
    「っ……」

     チヒロは顔を歪める。自らの記憶から消えかけていることを自覚しているからだ。

     調月リオ――エンジニア部結成時から共にいたはずの友人。
     臆病だが臆病ゆえに頭がキレる天才。私たちの友達……そこまでは思い出せる。

     しかし、既に声も顔も思い出せなくなっていた。

    (落ち着け……ちゃんと何が起きたのか整理しないと……)

     取り返しが付かないことが本当に起きてしまったのか正しく整理する必要がある。
     ひとまず携帯を取り出して特異現象捜査部のグループチャットを開いて、全員に『マルクトはラボに居た』ということを連絡する。

     即座に了解の返信が全員から帰って来る。全員ここに向かっているようだ。

    【ちょっと『廃墟』に行ってくるね!】

     アスナから来たチャットだけ妙な一文が添えられていたが、もしかすると何かに気付いたのかも知れない。一旦アスナは好きにさせておくことにした。

  • 19125/08/25(月) 10:31:15

    「ケセド、あんた今なにかをしているわけじゃないんだよね?」
    【ええ、私はいま何もしていないわ】
    「ちっ……ああ、そういうことか! あんたが被っている疑似人格がリオなんだ。だからか――!」

     疑似人格とは死んだ人間の人格から作り出されるセフィラの機能。
     以前聞いた限りではそのはずで、だからこそケセドの存在がリオの死を肯定してしまっている。

    (本当に、本当にそうなのか……?)

     マルクトの背中をさすりながら奥歯を噛み締める。ちょうどその時、他のメンバーもラボへ続々と入って来た。

     とりあえずアスナ以外の全員が集まったが、皆の表情は険しい。

     真っ先に口を開いたのはヒマリだった。

    「まず、落ち着いて聞いてください。私は、この状況は何とかなりはすると考えてます」
    「本当ですかヒマリ!?」

     今にも縋りつかんばかりに顔を上げたマルクト。しかしヒマリの表情は決して楽観的なものではなかった。

    「何とかなりはする、というのはあくまで生き返るという意味ではありません。覚えておりますか? 会長の言葉を」

     思い出すのは会長の言葉。あのとき会長はこう言っていた。

    『いいかい? ケセドは記憶を書き換える。あと人の姿を見えなくする。何かおかしいと思ったら……それか悪い夢だと思ったら一晩眠りなよ。そうすれば、次の朝には元通り。全部夢だったで終わるだけ』

     あれ――と違和感を覚えた。
     真実をはぐらかすことを嘘と言うのなら会長は嘘吐きだ。発言全てを信用できるわけではない。

     しかし――

  • 20125/08/25(月) 10:32:38

    「一晩眠れば……?」
    「そうですチーちゃん。恐らくそれがタイムリミットです。夜が明ける頃にはきっと私たちはこの出来事自体を忘れてしまうのかも知れません」
    「『誰かが死んだ夢を見た、でも全員いるから気のせいだった』ってこと……?」
    「その可能性が最も高いと思われます。もしくは……会長はリオを何らかの方法で『用意』できるのでは無いでしょうか?」
    「は……?」

     ヒマリの言っている意味が分からず一瞬呆けてしまう。
     どういうことかと問いただすと、ヒマリは静かにチヒロの目を見た。

    「私はリオのことをはっきりと思い出しました。恐らく忘れ方には個人差があると思うのです。そしてもしも私が思い出してしまったらそれはもう『夢だった』では終わりません。だって明らかに居なくなってしまっているのですから」
    「ちょっと待ってヒマリ。あんた……何か知ってるの?」
    「チーちゃん。以前『スワンプマン』の話をしたことを覚えておりますか?」
    「っ!」

     それは以前マルクトとセフィラの不死性の話をしたときのことだった。

     『スワンプマン思考実験』。死んだ直前の情報を完全に再現して生まれた人間は、死んだ人間と同じであるか否か。

     機械は役割に同一性を持つために、代わりの部品となればそれは死んだことにならないというロジック。人間の死と意味するものが異なるという話であった。

    「会長が本当にマルクトを作り出したのなら、会長は何らかの方法で『代用品』を作り出すことが出来るはずです。事実、初代『マルクト』は本当の死を与えられて消滅してますが、新たなマルクトによってセフィラの旅は始まっております」
    「ちょっと待ってよ! それでもリオは機械じゃなくて人間なんだよ!? 代わりって……私はそれを生き返ったなんて思えない!」

     それは作り出された『二人目』であって『本物のリオ』じゃない。

     けれど、もしも本当にそんなことが出来るのなら『リオが死ぬ夢』だと認識をすり替えられて、その上でラボに寸分違わないリオが居れば恐らく二度と思い出せなくなる。辻褄が合ってしまえば違和感なんて覚えようもない。

  • 21二次元好きの匿名さん25/08/25(月) 17:13:16

    思ったけどサムネ中央付近のこれかな?

  • 22125/08/25(月) 22:28:12

     だからこそのあの忠告。『悪いことが起きたと思ったら一晩眠ること』――

     あの言葉が『何も分からないままに辻褄だけを合わせる手段を持っている』という意味を含んでいるのはあまりに『会長らしい』のだ。望む結果の為なら人の心も踏みにじって書き換えるインキュベーター。ミレニアムの支配者。

    (セフィラと関わってからは多少話せるようになっていたからこそ忘れていた……。そもそも会長は人でなし。言葉巧みに誘導し、『諦めさせて飲み込ませる』ことが何よりも得意な『仲介者』だった――)

     誰かが死ぬということすら想定していたのだ。その上で放っておいた。引き留めなかった。
     そのことに若干の怒りが湧きはするものの、そんな怒りがお門違いなのも分かっている。

     何故ならセフィラの確保によって旅を続けることを選んだのは自分たちなのだ。自分で選んだ。自分で進んだ。危険があるのも知っていた。それを『どうして危ないと教えてくれなかったのか』なんて、そんなことを言う資格はこの場の誰にも存在しない。

     セフィラだってそうだ。彼らはウタハが扱うような大型旋盤であり、巻き込まれて怪我をしてもそれは機械が悪いのではない。距離を見誤って巻き込まれた自分たちが悪い。いまある『結果』は全て自分たちの責任であり、それ以外の何者でもない。

     チヒロは歯ぎしりしながら眼鏡を押し上げた。

    「……つまり、夜明けまでに何とか出来るのか見つけ出さないと『代わり』のリオが出て来て私たちは何も思い出せなくなる。何とか出来ないかも知れないけど、せめてこの夜だけは納得の出来る答えを見つけ出さないと行けない……」
    「要は、いつも通りということだね?」

     ウタハが僅かに牙を剥くように口角を上げる。苦々しく、さりとて何処か挑戦的に。

  • 23125/08/25(月) 22:29:45

    「制限時間は10時間程度。リオは本当に死んだのか。そもそも『死』とはどういう状態を表すのか。この状態は復元可能なのか。まだ何とか出来るのか、それとも出来ないのか――」

     不可逆にして他者からの観測しか許されていない『死』という概念。
     人間が人間として生まれ生きるその中で、誰にも解けず暴かれなかった最古の『未知』。

     分からぬものは恐ろしい。『未知』とは即ち『恐怖』であり、それを白日の下に暴き出そうとするのが『学問』である。

     故に、特異現象捜査部が挑むのはケセドの機能。『死』という概念の解体である。

    「やろう、皆。例え結末が何であれ、答えは必ず何処かにあるんだ」

     銃撃戦。現実の押し付け合い。そんなものは『特異現象捜査部』とケセドとの決戦などでは決してない。

     真なる決着。それはケセドが引き起こした『調月リオの死』の不可逆性に反証し、強制的に与えられる『慈悲』を否定して覆すことにある。

     特異現象捜査部vs『慈悲』――倫理的三角形を描くセフィロト中層最後の戦いは、『未知』に対する『知性』との戦いで決着する。

    -----

  • 24二次元好きの匿名さん25/08/26(火) 01:28:35

    保守

  • 25二次元好きの匿名さん25/08/26(火) 09:51:40

    リオ…

  • 26二次元好きの匿名さん25/08/26(火) 16:40:50

    保守

  • 27125/08/26(火) 19:57:58

     周囲を見渡すウタハの目。
     コタマ、チヒロ、マルクト、ヒマリ、そして――自分。

     皆が不安そうな表情を浮かべている。
     既にリオに対する記憶は遠くなりつつあり、まるで「昔いた誰か」のように自分の中での存在が徐々に稀薄になっていく。

     確かに不安だ。一方、存在が薄くなりつつあるせいか頭は冷静でいられている。あくまで「正体不明の不安」程度で精神的にも余裕があった。

     もちろんこの中でもはっきりと覚えている側のマルクトとヒマリの心情は察するに余りあるものではあったが、それでもヒマリの方はいつもと変わらないように見える。

     そうした状況を把握してから、ウタハは静かに口火を切った。

    「それじゃあ、まずは一番知らなきゃいけないことから聞こうか。――ケセド」

     呼び掛けられて一機のネズミが顔を上げる。

    「君を構成する技術は何を目的とした技術なのか教えてくれるかい?」
    【分かったわ】

     リオの声がラボに響いて、ケセドは語り始めた。

    【私の機能は『器』に依存しない形で存在し続ける人間を殺す機能よ】
    「幽霊を殺す機能ってことかな?」
    【そう捉えてもらって構わないわ。『器』、『名前』、『意識』――この三要素の分離と破砕。それが『慈悲』を作り上げているのよ】

  • 28125/08/26(火) 19:59:36

     『器』、『名前』、『意識』。
     これまでも度々出てきたワードだ。全ての存在はこの三つから成り立っているらしい。

     そこでふと、疑問を覚えた。

    「だとしたら君はセフィラだって殺せるんじゃないかな? 意識体は『器』に依存しないんだろう?」

     するとケセドは首を振った。

    【それは無理よ。人間とセフィラは別物だもの】
    「どう違うのか説明できるかな?」
    【そうね。私の言葉が正しく伝わっているのかは分からないけど……】

     セフィラの言語とこの時代の言語が異なる以上、どうやっても完璧な翻訳には成り得ない。
     誤謬や誤解が生じている可能性も否定しきれないため全てを鵜呑みには出来ないが、何も無いよりマシである。

     ウタハは頷いた。

    「それでもやって欲しい」
    【まずは三要素から定義づけるわ。こればかりは知ってもらわないといけないもの】

     『器』、『名前』、『意識』――。存在の三要素とはそもそも何なのか。ケセドはその説明を始めた。

    【『名前』は一度飛ばして『器』と『意識』。この二つは鶏卵をイメージしてちょうだい】

     ケセドが言うには、卵殻が『器』に該当するとのことだった。
     人間で言うところの『肉体』であり、セフィラで言うところの『本体』である。

  • 29125/08/26(火) 20:00:56

    【そしてその中にあるのが『意識』。卵白と卵黄ね。それであなた、生卵だと仮定した時に卵殻が割れたらどうなるかしら?】
    「中身が零れる。そうか、中身が無くなった卵殻が私たちで言うところの死体なのか」
    「少々よろしいでしょうか?」

     そこで手を上げたのがヒマリだった。

    「『器』の中に『意識』が無いというのは、心臓が止まる、欠損するといった生命活動の停止を意味するのですか?」
    【それはあなたたちが勝手につけた『状態の区分』でしょう? 関係無いわ】
    「……なまじリオの声で話してくるせいかちょっとムカつきますねこのケセド」

     ヒマリのぼやきに思わず苦笑いを浮かべるが、ともかく。自分たちが認識している現実の奥に存在する本質の話として捉える必要がありそうなことだけは理解した。

    「話を戻そうか。少なくとも『器』が壊れることがそのまま『死』に直結するわけでは無いんだね?」
    【そうよ。だってまだ『意識』は存在しているもの。この状態で存在し続ける者を殺すのが私の機能。物理的干渉を受けない存在の処刑技術よ】

     ならば『意識』とは何なのか。話が次に進む。

    【さっき『意識』のことを卵黄と卵白に例えたけれど、これは『意識』は二つの要素から成り立っているからよ】

     『意識』からの更なる細分化。
     それが『記憶』と『人格』とのことだった。

    【『人格』――自我、意思……近しい言葉を並べたのだけれど、概ねそんな風に捉えてちょうだい。該当する語句がこの世界に存在しないのよ】

     『人格』とは卵黄に当たる部分のようで、個人の持つ考え方や思考能力に直結するらしい。

     するとチヒロが頷くように呟いた。

  • 30125/08/26(火) 20:20:00

    「要はソフトに当たる部分か。プログラムの実行を行うための部分。たまによく分からない誤作動を起こしたりするアレね」
    【間違いでは無いわね。この部分が破損すると『人が変わったように見える』なんて見えるのでは無いかしら】
    「なるほどね……。ってかごめん。不謹慎なのは分かってるんだけどさ、あんたリオより説明慣れしてない?」

     チヒロの言葉に全員が目を逸らした。
     薄々勘付いていたし何なら若干気になっていたのだが不謹慎すぎて誰も突っ込めなかった部分であった。

     それにケセドは平然と言葉を返す。

    【もちろん理由はあるのだけれど……話が逸れるから後に回すわ。とりあえず『人格』とは卵黄の部分だってことにさせてちょうだい】
    「おっけ。分かった」

     続いて『記憶』――卵白に当たる部分の解説である。

    【『記憶』は『人格』が得た情報の貯蔵庫よ。そして『人格』と分けたのは、卵白と卵黄が分けられるように『記憶』と『人格』は剥離出来るのが理由ね】

     卵殻から取り出された卵白と卵黄は、何もしなければ勝手に分かれてしまうらしい。
     『人格』から『記憶』が剥がれ落ちて、『記憶』が底へと流れていく。

     ウタハはそこに疑問を覚えた。

    「ということは、『記憶』は消滅しやすいということかな?」
    【いいえ逆よ。『記憶』は大抵の手段では消滅させられないわ】
    「うん? それじゃあ剥がれた『記憶』は何処に行くんだい?」

     そう言うと、ケセドは一瞬固まった。
     言葉を探すように天井を仰いで、それから再び視線を戻す。

  • 31125/08/26(火) 20:21:18

    【『シリウスの海』――全ての『記憶』の集積地。アカシックレコード。アーカイブ化された『記憶』たちの保管庫。私たちが還れなくなった場所】
    「…………」
    【私たちはこの旅を終えてあの海に還らなくてはいけないのよ】

     それが、全てのセフィラの望む最果て。
     還ることも出来ず何者にも成れなくなってしまった者の願い。

     それだけ伝えると、ケセドは何事もなかったかのように改めて話を続けた。

    【全ての『記憶』は『シリウスの海』へと還って撹拌され、再び世界へ投げ落とされる。その過程で小さな『人格』を内部に取り込み『器』の中へと戻される。それが転生の仕組みよ】
    「きゅ、急に話が大きくなってませんか……?」

     コタマが怯んだように呻くが、それはウタハにとっても同じことだった。
     転生なんて流石にミレニアムの分野から離れている――そう思いかけて、はっと目を見開いた。

    「まさか……転生させられる技術が存在するということなのか……?」
    【だから意識体を殺す技術が生まれたのよ。『器』の有無すら関係なく『意識』を直接抽出できるのだから】

     ひとは死んだらどこにいくの?
     そんな幼気な子供の質問は、遥か遠き科学の果てで解明されていたのだ。

     本当の不老不死。肉体に依存しない人類の誕生と、その破壊技術。

    【けれども私たちは還るはずだった『記憶』を……そうね。茹でられて固形化させられたようなもの。だから還ることも出来ず永遠に眠ることすら出来ないままに気が遠くなるほどの時間の中に囚われてしまっているのよ】

     セフィラとは望まぬ不死性を得てしまった存在。
     腐り続ける一種のゾンビ。ストレージ容量を超えて肥大化し続ける『記憶』はやがて、ソフトウェアたる『疑似人格』を何度取り換えても取り返しが付かないほどに蝕み続けるだろう。

     そうなればセフィラは生まれた瞬間から暴走し続ける怪物となる。
     何度殺しても死ぬことすら出来ず、正気も取り戻せず、ただ願いを叫び続ける亡霊へと変じてしまう。

  • 32125/08/26(火) 20:22:46

     唖然とする一同だが、話はまだ終わっていない。今度は『人格』についてだった。

    【『記憶』は放っておいても海へと還る。だから必要だったのは『人格』の保存技術よ。『記憶』と分かたれた『人格』を寸分違わずコピーしてインストールする。これが『疑似人格』。卵黄の例えで言うと『人格』はすぐに腐ってしまうもの】
    「それじゃあ……リオの『人格』は……」

     呻くようなチヒロの声。取り返しの付かないものがひとつ見つかった。

    【私のコピーした『人格』のオリジナルは既に破損しているわ。仮に回収する手段があったとしても、元には戻らない】
    「……っ」

     人格のコピーならケセドの中にあるだろう。
     もしかしたら何とか出来る可能性は残っているかも知れない。それが本当にリオであるかどうかは分からないが。

     だからこそ、ここから先は『どこまでリオを取り戻せるのか』の話になる。

    「……待ってください」

     不意に呟いたマルクト。その目は何かの答えに触れていた。

    「セフィラとの戦いで死んだ者はセフィラに取り込まれる。それは正しいですか?」
    【そうよ。『人格』は保存されて『記憶』はセフィラに縛られるわ】
    「なら――まだ居るということですか? リオが」
    「「…………っ!!」」

     僅かに見えた希望の芽。リオの『記憶』がまだ『シリウスの海』へと還っておらず、『人格』も完全なコピーが存在するのなら、もしかすれば――

  • 33125/08/26(火) 20:24:15

     だが、ケセドは首を振った。

    【縛られていることと存在していることは別よ。二つ分の卵を混ぜて焼いた目玉焼きから焼く前と混ぜる前に戻すようなものなのだから】
    「じゃあ……もう……」
    「待つんだマルクト。まだ話は終わっていない。大事なのは『物はある』ということさ。戻す方法が本当に無いのか、もう少し話し合おう」

     まだ『器』と『意識』の話しかしていない。

    「ケセド。『名前』の話に移ろう。まだ結論を出したく無いんだ」
    【続けるわね】

     ケセドは再び話を続けた。

    【最初に説明した『器』と『意識』はあくまで『個人』の話よ。『名前』は他者がひとつの存在を認識するために必要な物】

     例えるなら、『卵』という物体を説明するときにもし『卵』という名前が存在しなかったら説明が複雑化する。先ほど出てきた卵殻や卵白、卵黄についてもそうだ。それぞれ名前があるから呼ぶことが出来る。

     そして『名前』とは単語に限らない。白い、黄色い、硬い、柔らかい――そうした『言語』を通して存在を認識することが出来る。

    【もしもどうやったって形容できないものが目の前にあったとき、その存在を誰かに伝えることは出来ないわ。見た者の頭の中にしか存在できない。全ての存在は『言葉』を通して世界を共有するのよ】

     『言葉』――抽象的に言えば『伝達手段』。

     それらを以て人は人を規定する。
     名も無き者を呼ぶことは出来ず、ただそこに在り続けるだけ。何一つ干渉できない存在は果たして存在していると言えるのか。

    【『名前』を切り離された存在は、存在そのものが曖昧になるのよ。例えるなら卵殻を一切傷付けずに薄皮だけで包まれた『意識』を抽出するようなもの。いくら『意識』だけで存在できたとしても、『器』に意味が無いわけではないの】

     個人にとって、完全に忘れた他者のことは思い出すまで世界に存在しないと同義。
     『器』や『意識』に紐づいた『名前』によって思い出せる。その存在が表出する。

  • 34125/08/26(火) 20:25:18

    「つまり今のリオは、『器』や『意識』から『名前』が剥がれかけている状態、ってことかな?」
    【そう。本来紐づくはずの二つが存在しなくなってしまったが故に忘れ始めている……そういうことになるわね】
    「それなら」

     ヒマリが口を開いた。

    「私たちがするべきことは大きく分けて三つですね」

     一つ、『器』であるリオの肉体を用意する。
     二つ、ケセドの中にあるリオの『記憶』を抽出し、『人格』と結合させる。
     三つ、『器』と『意識』に『名前』を再び紐づける。

     それらを果たす手段を夜が明けるまでに見つけ出し、実行する。

     一度死んだ者は決して蘇らない。
     絶対なる法則を覆して初めて果たされるのが『死者の蘇生』という『特異現象』である。

     そして、ミレニアム最高の『神秘』が顔を上げた。

    「三要素の話を聞いて疑問に思ったことがあります。ですから、もう一度振り返りましょう。私たちがケセドと遭遇してから確保に至るまでに、何があったのかを」

    -----

  • 35125/08/26(火) 22:34:52

    ■■■■■

     ――遠い歴史は物語る。泥の平野の巨大都市。慈悲深き王が統べる、この世の楽園。

     ゴォン、と地鳴りのような音が部屋の中へと響き渡る。

     煙と共に現れたのは尻もちを着く一人の女。歳は二十を迎えたばかりか。左肩を露出させた織布のドレスに、肩から足元に向かってスカート状に身体へ巻かれた柔らかな布地。足を覆う皮のサンダル。そのどれもが一級品で、ただ者で無いことは確かであった。

     そんな容貌とは裏腹に、女はおよそ高貴とは縁遠き仕草で頭を掻きながら、ゆっくりと立ち上がった。

    「はぁ……転送装置も考えものね。もう少し静かに飛ばしてくれれば良いのだけれど……」

     裾を払い、それから、はた、と気が付いた。自分の纏う衣服である。

     転送装置を使う度に『この地』に合わせた衣服を纏っていたことになる。そして記憶のいくつかも『この地』に合わせたものになる。おかげでここに来る『直前の世界』の技術は靄のように薄くなっており、既に二割ほどしか残っていなかった。

    「まぁいいわ。また知り直せば良いもの」

     そう言いながら女は部屋を出る。
     未知の素材で構成された部屋。明らかにこの時代に存在するものではないという『記憶』が植え付けられている。

     ――北の果てには『神の国』在りて。現われし者は神より使わされし稀人。烏のように黒き髪。炎のように赤き瞳をその身に宿さん。

     部屋の外は『ラウンジ』であった。『造花』なる枯れない草木が置かれた広場。

     色とりどりの『ソファ』が置かれたその場所に座っていたのは冠を被るひとりの男。
     女よりも一回り程年嵩で、その相貌には厳格でありながらも何処か柔和な感覚を抱くものを秘めていた。

  • 36125/08/26(火) 22:36:23

    「存外早く来たものだな? 余は日が沈むまで待つつもりであったが……」
    「……『四人目』、あなた王様だったの?」

     表情を変えずに女が言うと、男はくつくつと愉快そうに喉を鳴らした。

     ――光る粘土板より与えられしは神よりの託宣。告げられるは豊穣の約束。

    「『シッテムの箱』は持っているか? 汝が『何番目』なのか余に教えよ」
    「持っていないわ。ああ、でもそうね。『六人目』から来たことは確かよ」

     その言葉に男は、少年のように目を輝かせた。

    「ならば汝が『番外』か! ならば丁度良い。『無名の司祭』が明後日に余の国を訪れるところだ。『慈悲』が見つかったのでな」
    「よくそこまで進められたものね……。私の憶えている限りあなたが初めてよ」

     そう言うと、男は途端に表情を曇らせる。
     酷く沈痛な面持ちだった。一体ここまで来るのにどれほどのものを失ったのか、それが分かるほどに顔を歪ませる。

    「より多くの民を守るためだった。……余は、王の器では無いのかも知れぬな」
    「そうでしょうね。それでもあなたは『ゲマトリア』で、『世界』を守るために進み続けるのでしょう?」
    「……そうだ」

     ――豊穣の対価に与えられるは一つの責務。セフィラを集め、世界の終焉を食い止めよ。

    「我々には『知る責任』がある。世界を滅ぼす『物語』へと対抗するべく、全てのセフィラを集めねばならない」

     それが歪んだ進化の代償であった。
     周辺国家と比べて明らかに発達した文明を与えられた代わりに背負わされたのは、世界を守るために戦い続けなくてはいけない『責務』である。

  • 37125/08/26(火) 22:37:47

     女は頷いた。

    「協力するわ。そのために来たもの。『マルクト』は?」
    「余の娘ということになっている。くくっ、汝は隣国より来たりし高貴な血ということにしようか」
    「はぁ……。籠るための部屋を用意してちょうだい。露見すれば不和しか招かないわ。私も人にはあまり会いたくないもの」

     あまりにも口さがない言い様に、いよいよ男は腹を抱えて笑いを噛み殺した。

     それはここが人の目が無い場所であり、いま話している者が男の立場を知らぬままに何度も言葉を交わし続けていた者だからだ。想像通りの偏屈家。表でこのような物言いをされれば罰を与えなければならない立場としては有難い提案だった。

    「よかろう。牢の一室でも用意しよう」

     悪戯混じりに男がそう言うと、女は真剣な表情でこう言った。

    「それは良いわね。薄暗くて人も来ないのなら安心――それ、私は『廃墟』に向かえるの?」

     遂に男はたまらず声を上げて笑った。
     それが『知恵の蛇』たる『ゲマトリア番外』との出会い。

     ケセドが保持していた、少し前の『疑似人格』の『記憶』である。

    ■■■■■

  • 38二次元好きの匿名さん25/08/27(水) 02:19:57

    保守

  • 39二次元好きの匿名さん25/08/27(水) 08:21:59

    ほうほう

  • 40125/08/27(水) 09:54:11

     刻一刻と迫る時間。ヒマリは穏やかな表情のその下で、妙な胸騒ぎに襲われていた。

    (夜明けまでに、とは言いましたが……恐らく本当に取り返しが付くラインはその遥か手前にあるのではないでしょうか……)

     専門分野ではないものの、例えば化学溶液が反応を示しているのが今であるとして、時間経過と共に反応は進んでいく。時間が経てば経つほど何か自分の知らない変化が起きてしまっているという可能性は一切否定できない。

     実のところ、いまヒマリはこの場にいる誰よりも焦っていた。

     気を緩めれば思考の隙間から入り込んでくる『私のせい』という自責の声。
     私がマルクトを見つけ出して始めた旅だ。私が全員を巻き込んでしまった。

     そして既にケセドとの戦いで理解している。自分は無自覚に現実を変えてしまう可能性を持っているということを。

     ならば、自分が少しでも諦めた瞬間、恐らくリオは本当に死んでしまう。
     そして何故だろうか。こんなときにリオが居たのなら恐らく自分に対してなんて言うか容易に思いつく。

    『何を言っているの? あなたの思い込みひとつで現実が変わるなんて合理的じゃないわ』

     こちらの気持ちも知らないで、本気に不思議そうに首を傾げて言うに違いない。
     それに対して怒る自分。溜め息を吐くチヒロ。微笑まし気に笑うウタハ。

     そんな風に回っていた『世界』が壊れようとしている。
     リオが居なくなってしまったせいで、ミレニアムという『世界』のバランスが大きく崩れてしまった気がしてならない。

  • 41125/08/27(水) 09:55:24

     このままではきっと良くないことが起きる。
     確信的な直感が警報として脳内を巡り続けていた。リオの死を容認してしまってはいけない。


     だから自分は決して取り乱してはならない。リオなんて死んでないと皆に思わせるために。
     だから自分はいつものように微笑み続ける。リオはまだ無事であると皆に思わせるために。


    「では、時系列を整理しましょうか」

     手を打って場を仕切り直すと、ヒマリは口を開いた。

    「まずはウタハ。恐らくあなたが最初にケセドに襲われたと思うのですが、何処で襲われたか覚えてますか?」

     全員の視線がウタハに集まる。するとウタハは片目を閉じながら肩を竦めた。

    「『クレーター』に到着する前さ。ゼウスを走らせていたら突然ゼウスが全ての機能を止めたんだ。そう思ったのが最後で、目が覚めた時には綺麗な『廃墟』の中に居たよ」
    「待ってください。あのとき私が『廃墟』にいたと認識しているのはコタマのはずで――」

     不意に声を上げたマルクトは何かに思い当たったかのように目を見開いて、静かにウタハへもう一度視線を向けた。

    「……あのとき『廃墟』から始まったのはウタハですか?」
    「そうだよ。ケバブサンドが売ってたから買ったりしたね」
    「何やってんのよウタハ……」

     チヒロが呆れたようにジトリとウタハを見ると、ウタハは慌てて手を振った。

  • 42125/08/27(水) 09:56:40

    「い、いや、どうしてか普通の街に思えてね。そこまで緊張感がなかったんだ。チーちゃんは違ったのかい?」
    「私は火山で目が覚めたから死に物狂いだったって。やけに熱いし溶岩は流れているしで大変だったんだから」
    「チヒロは……火山から始まったのですか? リオではなく?」
    「え? そうだけど……あれ、ちょっと待って……」

     チヒロが何かを思い出すようにこめかみを押さえた。
     しばらくして、チヒロは怪訝そうに眉を顰めながらマルクトを見る。

    「あの時、私あんたに『自分はリオだ』って言わなかった?」
    「……っ、言いました。私がチヒロだと呼びかけたら『リオだ』と返されました」
    「つまり、あの瞬間――というよりもケセドの中において私たちは『意識』が混ざっていたということですね」

     ヒマリがまとめるとチヒロとウタハが頷いて――それからウタハは首を傾げた。

    「いや、『意識』が混ざっていたんじゃなくて『名前』と『人格』が混ざっていたんじゃないかな?」
    「でしたら、あなたがあの時見たものを詳しく聞かせてください、ウタハ」
    「いいとも」

     ウタハはひとつずつ思い出すように宙へと視線を向けて、それから言葉を続けた。

    「私はあの時自分のことを『コタマ』だと思っていたんだ。確かそんな感じで話していたし考えてもいた。綺麗な『廃墟』が懐かしく感じたりもしたけれどそっちは分からないから保留としよう。ケバブサンドを食べた時、私は確かにリオが好きそうな味だと思ったんだ。――コタマ、君はリオの好みなんて知らないだろう?」
    「知りませんよ……。あ、でもリオさんはジャンボタニシの卵を削る音は好きそうですね」
    「そうなのかい……? それはまぁあとで聞くとして……、ともかく。『記憶』まで混ざっていないと思う理由は他にもあるんだ」

  • 43125/08/27(水) 09:57:58

     そう言ってウタハは両手を前に出すようにして何度か手を握ったり開いたりした。
     そのジェスチャーで真っ先に気付いたのはチヒロであった。

    「作り出せるものの種類!」
    「そう、ケセドの中では思った物が作れると聞いて試したんだけど、私が作り出せたのはモンキーレンチと『マイスター・ゼロ』――まぁ、私が普段使っているサブマシンガンさ。これが出てきた」
    「つまり、『記憶』に強く紐づいたものが出てきたということですね?」
    「だと思うんだヒマリ。あの時混ざっていたのは『人格』と『名前』。だから自分が誰なのか間違えた上で考え方も変わっていた。けれども根底の『記憶』が異なっていた状態だったんじゃないかな?」
    「ということですがケセド。あなたはどう思いますか?」
    【咀嚼している食物の状態を正確に知るにはそのための機能が必要よ。そしてそれは私には無いわ】
    「……あー、そうでしょうね」

     ヒマリは呆れたような表情を『作った』。
     続けてケセドはこうも言った。

    【ちなみにだけれど、私が誰からどんな順番で引きずり込んだのかは私自身分からないわ。夢遊病のように全てが自動的に行われる。中の異変ならある程度気が付けても外の異変には全く気が付けないのよ】
    「では、あなたが気付いた『中の異変』とは?」
    【あなたが私にハッキングを仕掛けたところだけ】
    「後にしましょう。時系列順に並び替えるのが先ですので」

     ヒマリは一旦話を打ち切って次へと進める。
     確かめなくてはいけない点がひとつ生まれたからだ。

    「では、次に――マルクト。これは単純な事実確認です。あなたはウタハが引き剥がされたことを『感知』できましたか?」

     そう言うとマルクトは気まずそうに首を振った。

    「いえ、その時点では気付けませんでした。ウタハが居ないことに気が付いたのはヒマリに言われてからです」
    「重ねて聞きます。あなたが見るウタハは『廃墟』の外に居たと言うことでしょうか?」
    「そうなります。ゼウスはあくまでウタハが動かしている機械でありウタハではありません。私が憶えている限りでは、ウタハはあの時『廃墟』の中に居たという事実は確認出来ておりませんので」
    「なるほど……」

  • 44二次元好きの匿名さん25/08/27(水) 09:59:56

    このレスは削除されています

  • 45二次元好きの匿名さん25/08/27(水) 15:31:01

    シャッフルされてたってことか

  • 46125/08/27(水) 18:50:09

     ヒマリは天を仰ぐようにラボの天井を見つめる。
     おかしな点がある。ケセドは『意識』を伝ってウタハを呑み込んだ。これは恐らく自我に起因している。

     ウタハの作った『ゼウス』はウタハの感覚を同調させる機械。脳波で動く精巧な遠隔兵器である。
     自分の身体のように動かせる――動かす必要のある兵器。ゼウスを使うウタハの『意識』はウタハの身体ではなくゼウスに移動していたと考えれば、そこを辿ってケセドがウタハに干渉できるというのは筋道としておかしくはない。

     問題はマルクトだ。

     マルクトは『魂』のある場所を感知できると言っている。だからミレニアム全土において『誰が』『いま何処にいるのか』を把握できる。正確には『意識を持つ者が何処にいるか』ということで、それが『誰か』については直接会うなりして一度識別しておく必要がある。

    (本当にそれは正しいのでしょうか……?)

     『魂』――そう、マルクトは『魂』と言ったのだ。
     『意識』ではなく『魂』。ならばこれは、マルクトが『魂』だと思い込んでいるだけで本当は全く別のものを感知しているのではないだろうか。

     そもそも本当に『魂』だと言うならば眠っているだけで観測できなくなるのはおかしいのだ。
     スピリチュアルなものだと流してきたマルクトの観測眼。だがもしもそれが全く違うものならば――?

     心当たりがたったいま生まれた。

    「ケセドとの違いを見るにマルクトの『精神感応』は『器』……というより肉体のある場所を基準としております。そしてマルクトは『魂の星図』で見えたものにしか話しかけられません。これは……今にして思えば『精神感応』こそがおまけのように思いませんか?」

     マルクトが『王国』たる資格を得たのはいつなのか。
     それは自分たちと出会った時、『預言者』としてセフィラ確保へ臨むと決めた瞬間である。

     『マルクト』と名乗り『預言者』を選定し『確実に届く声を持つ』ことが『王国』である最低要件であるならば、それまでのマルクトは『廃墟』に存在する謎の声という『特異現象』に過ぎない。

     なら、それまでのマルクトはどうやって声を飛ばしていた?

     答えはひとつしかない。

  • 47125/08/27(水) 19:06:52

    「マルクト、あなたの本当の機能は恐らく『電気信号を感知して操る』ことです。リオ風に言うのであれば『信号支配』。あなたが認識している『魂の星図』の正体は、これです」

     ヒマリは自分の頭を指差した。

    「ミレニアムに存在する全ての脳髄の場所と状態の感知」
    「…………っ」

     マルクトが目を見開く。
     ケセドとの差異から割り出されたひとつの推察だった。

     『信号支配』――脳を走る電気信号を強制的に操作して聞こえぬ言葉を直接脳髄に叩き込む機能。
     射程はミレニアム全土。静電気であろうが何だろうが、とにかく自分の範囲内に電気があれば捕まえられる。

     ミレニアムサイエンススクールが他の学区との最たる違いは、電力ケーブルの数である。
     地下を走る『ハブ』により、地面の下を覆わんばかりに数多のケーブルが走っているのだ。

     そしてマルクトと出会ったばかりの頃、頭と胴体しかなかったとき、マルクトは操作端末からネットワークに接続していた。

     あれはハッキングでだったのではないだろうか。電子、生体問わずに行えるあらゆる電気信号の支配。
     イェソドから得た機能についてもただのハッキングで説明が付く。機械を自分の手足のように動かす機能。自己の分裂はコードの生成。無線が届かない『廃墟』の中でも使えたのは、『廃墟』の下にも『ハブ』が敷いたケーブルがあれば可能である。

     『特異』なのは射程内のあらゆる存在をジャックできるということか。
     それがケセドの感知し辿れる『意識』と、マルクトが感知し辿れる『魂』の差異。

     マルクトが自発的に人間に対して攻撃できないのは、自らが持っている機能があまりに危険すぎるからだろう。
     やろうと思えばリオが最初に危険視していたように洗脳でも何でも、それこそ脳を直接焼き切ることだって出来るはず。自分と同じく、無意識的に『世界』をその手に乗せ続けていたと考えられる。

  • 48二次元好きの匿名さん25/08/27(水) 19:32:54

    過去のケセドを描きました
    他のセフィラと比べても小さいのでそれに則したデザインにしています

  • 49125/08/27(水) 20:06:22

    >>48

    ヤ"ッ"タ"ー!! ありがとうございます!

    リオの臆病さをコピーしたネズミ、ケセド。ちなみにセフィロトにおけるケセドの悪徳には『独裁』が含まれるので絶対にケセドの中にリオは入れるつもりでした。


    補足ですが、臆病であることが悪徳であるセフィラも存在します。

    セフィロトはとにかく枝葉が長く伸びているので創作ネタにしやすいんですよね。問題は十体もいるということでしょうか。


    聖なる十文字、アツィルトの象徴は白色。名乗り口上は活動界と流出界を元ネタに。

  • 50125/08/27(水) 20:07:41

    「そしてあなたも『名前』の繋がりが途絶えることによる忘却は有効です。もちろん私たちも。ですので……あなたがチヒロたちの元へと向かったとき、リオが何処にいたのか覚えておりますか?」
    「い……いえ……覚えてません」
    「つまり『名前』の紐づいた肉体の場所を特定する、という条件が付くわけです。……あるいは、最初の『マルクト』がそうだったせいでそちらに引きずられているとも考えられますが……」

     セフィラとの接続によるマルクトの『マルクト化』現象。
     他のセフィラの機能の一部が使えるようになっているのは概念的な変化が生じている可能性が高いものの、そこはひとまず保留とする。

    「さて、ケセドは『器』を通じて『意識』へと干渉できますが、マルクトは肉体を通じて『意識』へと干渉できると思われます。『器』とは肉体を包括する概念的な物ですのでゼウスからウタハへ干渉を試みることが出来た……なんだかおかしくはありませんか?」

     ヒマリがそう言うとウタハが頷いた。

    「ケセドは『器』と『名前』と『意識』を分離できるんだろう? 分断されたならマルクトがケセドの影響下にある私たちに話しかけられるわけがない……そう言いたいのかな?」
    「そうです。流石はウタハ」

     パチパチと手を叩いて笑顔を浮かべる。

     本当に分断されていたのならマルクトは話しかけらないはずなのだ。
     加えて『ケセドの中に居た』という事実。『名前』と『人格』が混ざっていながら目を覚ました時にちゃんと戻れたこと。全ては『記憶』に紐づいて復元されたという事実。

    「これらが示すのは『私たちは分断されていたわけではなかった』という風に考えられませんか?」
    「もしかして……追加で繋がれていた?」

     チヒロの呟きをヒマリは肯定した。

     ケセドの機能は『分離』だけではなく『接続』という可能性である。
     『器』と『意識』に繋がったケーブルに対して、『意識』からケセドへと繋がるケーブルを差すとしよう。

     『意識』から出力される命令は『器』ではなくケセドへと出力される。だから『器』は動かない。
     『人格』もそうだ。『記憶』から別の『人格』へケーブルを繋げられた結果、あの時呑み込まれたヒマリ以外の『人格』が入れ替わってしまった。
     『名前』についてはタグ付けだろう。付けられたタグを差し替えられたから全員が誤認した。

  • 51125/08/27(水) 20:34:41

     しかしマルクトから見れば元々繋がっている入力端子を辿っているため、肉体から『記憶』にアクセスした結果正しい『名前』を見出すことが出来た。つまり、『記憶』に紐づいた名前はケセドでも干渉できない。だからケセドはセフィラという意識体を攻撃することが出来ない。

    「そう考えれば、ケセドの機能は『精神干渉』といったところでしょうか。存在の組み換えとケーブルの切除。ここで重要なのは、『記憶』と『人格』と『名前』が相互で誤作動を起こしても『記憶』を軸に元へ戻るということです」

     要するに、紐づけが上手く行けば元の繋がりは保たれる。
     問題があるとすればリオは現在全ての接続が切られており、『器』も『意識』も存在しなければ『名前』すら消滅しかかっているということ。何とかしてこれらを再接続する術があれば……。

    「あの……ちょっといいですか……?」

     うん? とヒマリは声の主に視線を向けた。
     珍しいことにコタマがおずおずと手を上げていた。それも申し訳なさそうな顔で。

    「それだとおかしいと言いますか……私はあの時自分のことをチヒロだと思っていたのですが――」
    「それは私以外皆が自身を誤認していたということでは?」
    「いや、マルクトに話しかけられてから思い出したと言いますか……疑問も持たずに自分が音瀬コタマだと思うようになったんですよね……」
    「はい?」

     ヒマリは思わず首を傾げた。先ほど展開した持論ではケセドによる接続によって認識が変わるという話をしたばかりだ。しかしコタマは正常な状態に戻ることが出来た。それも『マルクトに話しかけられた』というのをきっかけに。

    「……チヒロもウタハもマルクトに話しかけられましたよね?」

     そう聞くと二人とも頷く。
     しかし二人は元に戻らなかった。その差はいったい何なのか。

    「コタマ。あなたが体験したことを教えてくださいますか?」
    「分かりました……」

     あのとき起こった出来事について、コタマは自ずと語り始める。

  • 52二次元好きの匿名さん25/08/28(木) 00:11:37

    保守

  • 53二次元好きの匿名さん25/08/28(木) 05:16:25

    保守

  • 54二次元好きの匿名さん25/08/28(木) 10:45:39

    コタマは何を語るのか

  • 55二次元好きの匿名さん25/08/28(木) 18:25:41

    さあ何が語られる?

  • 56125/08/28(木) 21:18:13

    「ケセドに襲われたときのことは覚えてません。というか逃げてるときに後ろからですし。覚えているのは、周りが霧に包まれた大きな橋の上で目を覚ましたところからになりますね」

     目を覚ましたコタマは自分のことをチヒロだと思い込んだまま周囲を眺めて、とにかくあまりに現実離れした光景を前に夢の世界だと思ったのだとか。

    「それからしばらく歩いているとセメントで作られた階段が見えまして。他に行く当てもなかったので昇り続けていたときに、マルクトの声が聞こえたんですよ」
    「はい。私も自分をコタマだと思い込んでいるウタハへ話しかけた後に本当のコタマに話しかけました」
    「その時は気が付かなかったのかい? コタマが二人いるって」

     ウタハがそう聞くと、マルクトはバツの悪そうに顔を顰めた。

    「確かにコタマが二人いると思いましたが、その時点でヒマリ以外の全員を間違えてしまっていたので…………そういえばヒマリはいつケセドに襲われたのですか?」
    「それは後にしましょう。『現実で』倒れた順番を整理してからで」

     話がややこしくなる、とヒマリはマルクトに続きを促した。

    「それで、あなたは推定コタマに何て言ったのですか?」
    「コタマが二人いても居なくても判別できていないことは分かったため、コタマに『あなたは誰ですか?』と聞きました。そうしたらコタマが普通に返事を返して……」

     マルクトがコタマに視線を向けると、皆の視線もコタマに集まる。
     コタマは少しばかり照れ臭そうに頬を掻いた。

    「自分のことをチヒロだと思い込んでいたことすら忘れて普通に返事してましたね」
    「ねぇコタマ。あんた、セフィラとの接続の同じことされてない?」
    「えぇっ!?」

     驚いて声を上げるコタマは、自分の身体をぺたぺたと触りながら「セフィラ化するってことですか!?」と叫んでみせるも、当然ながらマルクトは首を振る。

    「大丈夫ですコタマ。セフィラは人から成るものではありませんし、私はコタマにただ聞いただけで接続とは――」
    「同じ、では無いでしょうか?」

  • 57125/08/28(木) 21:51:53

     すかさずヒマリが口を挟んだ。
     『セフィラへの接続』――これも今まで曖昧だった概念であり、そうである以上今こそ暴かなくてはならない謎である。

    「セフィラに行っていることもコタマに行ったことも、本質としては同じだと思うのです。マルクト、あなたはセフィラとの接続と言いますが、具体的に何と何を接続しているかはっきりと認識していますか?」
    「それは……私とセフィラ以上の何か別の意味があるということでしょうか?」
    「そうです。あなたと接続されたセフィラは直ちに攻撃などの行為を止めます。何故か。そもそも顕現直後のセフィラとはいったいどのような状態にあるのか。そこに鍵があると思うのです」
    「それなら本人に聞いてみようかヒマリ」

     そう言ってウタハは先ほどからこちらの様子を眺めるイェソドたちへと視線を向けた。

    「君たちが顕現してから私たちと戦って捕まえられるまでのことで、覚えている限りのことを教えて欲しい」

     セフィラたちは顔を見合わせる。最初に声を発したのはケセドだった。

    【私はさっき言ったとおりね。覚えてはいた。けれども私の意志で何かをしたわけでは無いの。勝手に動く私とあなたたちを眺めていただけよ】

     次はゲブラーだった。

    【あたしは全部ぶっ壊すことしか頭になかったかなー。そうするのが正しいって思ってたし。なんでだろ?】
    【えほんを読んでたティファレトは! ぷかぷか浮かんだ水の底!】

     ティファレトが続いて、通称セフィラ一年生組たるネツァクが気まずそうに首を下げる。

    【私は『あの子』に逢いたくて花を咲かせていたわ。それ以外は何も考えていなかったわよ】
    「『あの子』?」

     チヒロが首を傾げるとネツァクは瞳を伏せる。

  • 58二次元好きの匿名さん25/08/29(金) 00:39:34

    保守

  • 59二次元好きの匿名さん25/08/29(金) 06:35:59

    あの子…?

  • 60二次元好きの匿名さん25/08/29(金) 13:58:38

    保守

  • 61二次元好きの匿名さん25/08/29(金) 19:10:00

    待機

  • 62二次元好きの匿名さん25/08/29(金) 22:14:05

    【顔も名前も誰だったかも分からない『前回』の預言者。誰よりもセフィラの機能に精通していて私たちを正しく使える唯一の存在】
    「…………」

     ウタハを始め、ヒマリとチヒロが顔を見合わせた。そんな人物ひとりしか思いつかない。
     しかし話が逸れるため今はそれだけで済ませる。続くのはホドであった。

    【当局は救援を要請せり。分かたれし現状を忌避するが為】
    【俺は……】

     ふと、イェソドが言葉を濁した。
     集まる視線。イェソドは溜め息を吐いてヒマリに目を合わせる。

    【俺は、恐らくこの中で最も自分の意志でお前たちを倒そうとしていた。何かに強要されたわけでも強迫観念に苛まれていたわけでもない。ただ、何も覚えていなかったからこそ自らの力を試したかったのだ】
    「つまりイェソド以外は理性の歯止めが効いていなかった、ということかな?」

     ウタハが総括すると反論は上がらなかった。
     そこで何か思いついたようにチヒロがヒマリに向けて口を開く。

    「ってことは『人格』――『記憶』を出力するソフトウェアが故障している状態ってことだよね? マルクトとの接続で直るというより『接続の過程』に修復も入ってるってことじゃない?」
    「確かにそれなら筋が通っているように見えますね。マルクトが相手と『照合』を行うプロセスには問い掛けられた相手の三要素を正しく整理する特性があると考えるべきでしょう」

     『器』から『人格』を中継して『記憶』へと語り掛けるマルクト――否、『王国』の特性。

     その過程において『器』、『人格』、『記憶』と跨る繋がりを整理し直す効果があるなら、リオを取り戻すのも三要素を集めてマルクトの『声』で自己存在を想起させてあげれば良い。

    【本当にそう上手く行くかしらね】

     けれども、そこで声を発したのがケセドである。

  • 63125/08/29(金) 22:26:10

    【確かに『人格』は私が疑似人格としてコピーしているけれど、最適化も行ってしまっているわ。完全に同一とは言えない状態になっているのだけれど】
    「最適化? 詳しく教えてください」

     ヒマリが聞くと、ケセドは自らが複製した人格データに対して何が行えるかという話を始めた。
     それは全てのセフィラに共通する後付けの機能でもある。

    【『器』にスペックがあるように『人格』にもスペックがあるわ。大抵の人間は『器』と『意識』の繋がりが甘いから自分の身体を効率的に動かすことは出来ないものよ。それは『人格』も同じ。思考と感覚、意識の出力系と入力系に無駄が多いから……そうね。例えば驚いて動きを止める、なんて言うのも最適化出来ていないから起きてしまう。だから動かしやすいように変えてしまったわ】

     その言葉に顔を見合わせる一同。変えてしまった、と言われてもあまりピンと来ないのだ。
     むしろ最適化されて何が困るのか分からない。ケセドとこうして話す今もどちらかと言えばリオLv2と言った様子で不便ではない。

     そんな風に戸惑っていると、ケセドはまるで溜め息でも吐いたかのような間をおいてから言葉を続けた。

    【……今あなたたちがこうして頭を捻っているのは『あなたたちが死んだ預言者に同一性を見出すため』なのでしょう? 夜が明けたら死んだ預言者が『複製』されて戻って来るかも知れない。なら、それでいいじゃない】
    「それは……」

     チヒロがケセドから目を逸らした。

     そう、全ては納得するためなのだ。やれることは本当に何もなかったのか、それを探すためだけにこうして必死になってリオを『自分たちの手』で取り戻す方法を探している。そのことをチヒロは確かに自覚していた。

     全てはエゴ。例えいまこの瞬間の葛藤を忘れてしまっても覚えている今だけは探し続けたい。
     例え何も見つからなくても、「どうせ元に戻るのだから」と失った事実から目を逸らすのは間違っていると思ったのだ。

    「ああ……なるほど。それが『最適化』なのですね」

     ヒマリが不意に呟いた。
     チヒロが視線を向けると、ヒマリが笑顔の下で確かな怒りを覚えていることに気が付く。

  • 64二次元好きの匿名さん25/08/30(土) 05:19:01

    保守

  • 65125/08/30(土) 08:13:26

    「ケセド。確かにあなたの言う通りです。きっと何もしなくても私たちは結果として何も失わないのかも知れません。リオも同じようなことを考えるでしょう。何故ならあなたはリオから生まれた疑似人格。きっとあの鈍臭くて全てにおいて不器用であることを極めてしまったダメダメのうすらとんかちも同じことを考えるでしょうね」
    「それは流石に言い過ぎじゃない……?」
    「ですが」

     ヒマリはケセドと目を合わせる。
     疑似人格、それはあくまで『人格』というソフトウェアでありリオの本質ではない。

     ここに来てようやくヒマリは取り戻すべきリオを見つけた。

    「あんなポンコツでも決してあなたのようなことは口には出しません。いえ、自分が死んだのなら言うかも知れませんが、もしリオではなく私やチーちゃんやウタハ、ネルもコタマもアスナもです。誰かが居なくなってしまったのなら絶対に『元に戻るから』なんて理由で諦めることは無いでしょう」

     それは『命』というものに対する侮辱である。
     軽んじるなんて一線を一度でも越えてしまえば、それこそ取り返しの付かない『傷』になってしまう。

     例え忘れたとしても、それは『人格』がそう受け取っているだけで根底に存在する『記憶』からは決して消えない。それを理解できないケセドはやはり人間では無い。

     存在の根源――それは『記憶』なのだ。

     『人格』の変容自体は成長と共に移りゆくもの。幼子と同じ考えのままでは大人には成れないように、蓄積された『記憶』によって変容していく。

     身体もそうだ。『器』もまた時間の流れによって変わり続け、代謝によって全く同じ体細胞を保持することは決して無い。『名前』だって環境に依存するもの。変わり続けるものなのだ。

     けれども『記憶』だけは違う。
     見たもの触れたもの感じたもの――たとえ『人格』がその記憶を忘れてしまっていても、根底に残り続けるそれだけは決して変わらない。

     リオの歩んだ人生は、死の瞬間に至るまでもリオだけのもの。
     いくら『記憶』から剥がれ落ちたからと言って、死体を玩具にして良いわけがないように、その人格も決して誰かが有効活用なんてしてはいけないものなのだ。

  • 66125/08/30(土) 08:14:29

    「この話し合いは決して無駄では無いのです。その証拠に、ここまでの話し合いでリオ奪還の案が思いつきました」
    「ヒマリ……っ!」

     先ほどまで昏く沈んでいたマルクトの瞳に僅かな輝きが灯る。
     それに微笑みで返すヒマリは、この場の全員を見渡した。

    「鍵となるのはイェソドです。イェソドの機能はもう分かっていますね?」
    「『瞬間移動』だったね。アストラル投射技術――だったかな?」
    「ええ、そうですウタハ。つまり、イェソドだけは凌駕しているのです。『意識』が『器』を」

     ここまでの対話で分かったこと。それは本来、『意識』は『器』に縛られるという事実である。

     無限は有限に。この地に存在する確固たる『存在』として固定されるということ。
     しかし、イェソドの機能はその流れを逆転させる。縛られるべき『意識』が『器』を従属させるという『特異現象』。

    「イメージした場所へ、『意識』が向かう先へと『器』を現出させる。そうであるなら、空間内にリオ――もとい人間を組成する物質さえ存在すれば『意識』がその『器』を自らの容器であると誤認させられるはずです」

     ゲブラーは生物を生み出せない。出せるのは素材だけ。
     ネツァクも有機物への変性は出来ても『生物の死体』が限度。

     しかし、そこに電気信号を操れる『今代の』マルクトが居ればどうだろうか?
     力の向きを操れるティファレトが居ればどうだろうか。力の強さと固定が行えるホドが居ればどうだろうか。

     そして、偶然にもリオの『器』以外を回収していたケセドが居たら。
     存在する『器』に引っ張られるという条理を覆し『意識』が『器』を隷属させ得るイェソドが居たらどうだろうか。

     『王国』という原初の役割が担う照合式。これによって全てを繋ぎ合わせられるのならば、果たして何が起こるのか。

     ひとつずつ語りながら笑みを深くするヒマリ。
     それに慌てた様子でマルクトが声を上げた。

  • 67125/08/30(土) 08:15:39

    「ふ、不可能です……! 私たちも此処の起こした現象に対して干渉することは可能ですが、ヒマリの仰ることは全てのセフィラの同時稼働。私たちでは――少なくとも今の私たちでは出来ません」

     マルクトの弁明はある種の的を射たものなのだろう。言ってしまえば自力で自分たちのスイッチを押せる機械群。現象が発生する前に『発生した』と判断して動くのはどんなに高性能なAIであってもタイミングが一瞬でもズレた瞬間に全てがエラーで返される。

     そしてそれは、ヒマリの想像の範囲内だった。

    「それについては対策方法があります。問題はリオの『身体』があった場所ですが……」

     そう呟いたところでヒマリの携帯から着信音が鳴った。
     相手はアスナ。すぐさまスピーカーモードに切り替えると、『廃墟』にひとり向かったアスナの声が携帯から流れ始める。

    【あったよ! リオの携帯と銃! なんか瓦礫の山があってね?】
    「リオの『死体』を見つけたということですか!?」

     慌てたように叫ぶヒマリ。しかしアスナはのんびりとした声で返した。

    【ううん。まだ『見てない』から分かんない。瓦礫の山の前で蓋みたいに木の板が置いてあってね。その前にリオの携帯と銃が置いてあったの! 何となく木の板どかして『中を見る』のは良くない気がしたから電話したんだー】
    「……………………っ」

     ――ヒマリは、その答えに思わず頬が引き攣るのを感じた。

     それは喜びを越えて畏敬すら感じるほどの念の入りよう。エンジニア部のカナリアは確かに『生き残る全て』をやりきっていた。

     思い出すのはリオが言っていた『多世界解釈』の話だ。

    『多世界解釈においては箱を開けて中の状態を観測するまでもなく可能性はひとつに絞られるということ。ボタンを押した瞬間から『ずぶ濡れの猫がいる世界』と『濡れていない猫がいる世界』に分岐するのだから状態の共存は起こりえない……のだけれど、分岐した異なる世界を私たちが観測できない以上仮定すること自体が無意味だとも言われているわ』

     リオは自分に対して作り出したのだ。
     調月リオという存在の死が観測されない状態を。死体として見つからないよう確かに隠して、その上で自分の身体が生成されることも踏まえて何処にいたのかという情報を残して。

  • 68125/08/30(土) 08:18:36

     調月リオという存在の『死』の不確定性。
     あの時のリオの話では『分岐は起こり得るが故に状態の共存は成し得ない』という話だったが、それでもリオは『自分が実は生きていた』という世界を消さないためにその身を隠した。

     そんなこと、リオ以外には恐らく出来ない。というより間に合わない。
     常日頃から自分が死ぬかもしれないという極限に身を浸し続け、その上で対策を練り続けるような狂人でなければこんな最適解は叩き出せない。

     あるいは――自分がいったい何に備えたのか理解してくれるという信頼が無ければ、決して。

     ヒマリはすぐさま携帯に向かって指示を告げた。

    「アスナ。私たちは全てのセフィラを連れてそちらへ伺います。それまでその場の保全をお願いします」
    【おっけー! 任せて!】

     快諾するアスナは恐らく分かっている。無自覚なのかも知れないが、きっと『記憶』と『器』が強く結びついているのだ。本人すら理解しないままに最適解を進み続けるアスナの存在は心強い。

    「ウタハ。恐らくリオはサイコダイブ装置の改良を行っているはずです。データの保管場所に心当たりは?」
    「もちろんあるとも。チーちゃん、多分セキュリティでがっつり守っているはずだから手伝ってくれるかい?」

     ウタハの呼びかけにチヒロが皮肉気に笑みを浮かべて頷いた。
     マルクトに付けたあのチョーカー。未完成のサイコダイブ装置だが、リオなら確実に性能を上げるべく研究を重ねているはずだった。

     それこそ、ただ夢を共有するだけではない。『人格』から『器』への出力のみならず『人格』そのもの――あるいは『人格』や『記憶』を裁断できるような研究を進めていてもおかしくはない。そしてそれがケセドからリオの『記憶』を引き剥がす手段に成り得るはずである。

  • 69125/08/30(土) 08:19:45

     必要なのは理解すること。『これから自分がやろうとしている』ことのためには少しでも多くの知識が必要であった。

    「見つかり次第私たちも『廃墟』へ向かいましょう。やるべきことはもう分かりましたので」

     ヒマリの言葉に動く皆。その中でヒマリは自分が行うべきことに破綻が無いか考え続け、『それは無い』と規定した。

    (さぁ、リオを『向こう側』から連れ戻しましょう)

     その手順は直前まで言わないつもりだった。
     何故ならそれはほぼ確実に失敗し、ヒマリ自身も死ぬ方法だからだ。

     それでも躊躇いは無い。
     冥府巡りを行うのだから、どれだけ準備を整えても分が悪いのが当たり前。


     エンジニア部に存在するは二頭の怪物。
     常人に紛れた確かな狂人。自分の命なら簡単にベット出来るも決して自己評価が低いわけではないという理解不能。

     暴走するセフィラたちが夢見の中にいるならば――現実を正しく認識できていないというのであればこそ、明星ヒマリという存在は超然たる非現実の彼方に居た。

     既にミレニアムのバランスは崩れている。

     現実へと繋ぎとめる合理の化身の神性が失われたミレニアム。
     残されたるは霊的進化の化身、超然たる星辰への運び手ただひとり。

     それが如何様に作用するのか、それを知る者はただのひとりとして存在し得ない。

    -----

  • 70125/08/30(土) 16:16:41

    ■■■■■

     荘厳たるジグラートは人の手で作られた山の様であり、一目見れば王の権力がどれほど強大なるものであるのか誰であっても理解できるだろう。

     それは異国より来たりし女であっても同様であり、そして同時に理解する。戦争を回避するためにはそうしたシンボルが如何に重要であるということを。

    「ところで、周辺国家との文明の差はどれだけ開いているのかしら?」
    「ようやく青銅を使った武器が流通し始めたところだ。鹵獲されない限り余の国が脅かされることはあるまい」

     王の持つ『シッテムの箱』には様々な機能が存在した。

     同じく『箱』を持つ者同士と声を交わさずして意志の伝達を行う機能。読めぬはずの文字ですら直接理解することが出来る機能。異界の知識を得られる機能……男が『四人目』あるいは『四番目』と呼ばれる所以は、最初に上げた伝達――つまりは『チャット』機能を使った際に付けられた名前であった。

     自動的に『アカウント』なるものが付与されて『アカウントネーム』なる『箱』を持つ者同士での会話で用いられる名前が付けられる。

     そうして所有者となった者は『チャットルーム』そのものに付けられた名から『ゲマトリア』の何番目として会議に参加していた。『箱』を持たない女は『廃墟』の装置を使って直接『ログ』を眺めていたために内容を把握していたが、ゲマトリアの面々は皆、学者然としていたために『四人目』が権力者だというのは素直に驚いた。

     そして、『箱』から得られる知識は明らかに周辺の文明からかけ離れているものである。
     一国の王がそれを手にすれば強大な力となるのは当然のことで、事実この国を歩いていて目に着くのは『鎖帷子を着込んだ兵士』の姿であった。

     武器は鉄に炭素を織り交ぜた鋼で出来ており、ようやく青銅が普及し始めたこの時代においては明らかに『異常』の一言に尽きる。

    「東にはゲブラーの『工場』もある。鉄鉱石を生み出してはくれるが鋼そのものはまだ出せないようでな。職人たちに冶金技術の改良を進めさせているが、国内に普及させられるほど生産するにはまだ時間が掛かるだろう」
    「それでも充分過ぎるわ。周辺国家なんて赤子のようなものでしょう?」

     女がそう言うと、王は僅かに皮肉めいた笑みを浮かべた。

    「人間よりも恐ろしい者が相手なのでな」

  • 71125/08/30(土) 16:22:11

     やろうと思えば周辺国家全てを手中に収めることも出来る。『だろう』ではない。確実に出来る。
     しかし、セフィラを集めている今においてはそんなことに時間をかけている猶予は一切無いのだ。

     セフィラ――『物語の怪物』と戦える唯一の存在。
     ジグラートの頂上へと辿り着き神殿の最奥へと向かいながら、女は王へと尋ねた。

    「この国の『怪物』はどういうものなのかしら?」
    「それは私から説明しましょう」

     割り込んだ声に振り返ると、いつの間には女の後ろには奇妙な人物が続いていた。

     身体の一切を覆うように纏う緩やかな白いローブ。
     何の感情も示さない仮面を身に付けた人物は『無名の司祭』と呼ばれていることを女は知っていた。

     名も体格も性別も分からぬよう、『個』としての特徴を極限まで削り落とした存在。
     それ故に彼らは何処にでも存在し何処にも存在しない『実体なき実体』の恩寵をその身に宿していた。

    「この国に訪れるは西日の王。日の沈みし彼方から現れる災禍の化身。その歩みと共に大地は凍てつき、死と病と飢えがこの地を呑み込むのです」

     そこに王も補足を入れる。

    「その存在は冥府より冥府そのものを引き連れて現出するとのことだ。既に伝承は広まってしまっている。実体化するまで時間もあまり残されていないだろうな。汝は『怪物』を見た事があるか?」
    「まさか。私は『箱』の所有者のところを回っているだけよ。私の目的は『廃墟』の解明なのだから」

     女の言葉に無名の司祭が僅かに身体を強張らせた。
     この司祭たちは『廃墟』――ひいては『廃墟』と呼ばれる不変の遺跡を『名も無き神が作り出した奇跡』と称して崇めているのだ。

  • 72125/08/30(土) 16:46:24

     彼らのルーツは聞くところによると、それこそ人が霊長として進化を始めた頃まで遡るらしい。
     山々や森林、荒野の中で突如として発見された都市。人が生み出したものでは決してない『自然』として『廃墟』はそこに在り続けた。

     『廃墟』には何故か入れる者と入れない者が存在し、入れない者は皆、その境界を跨いだ瞬間何処かへと消えてしまう。最古の人類は『廃墟』を『神域』として崇め、そこから神の意志を知ろうとする者が現れたのだ。

     そうして見出されたのが『忘れられた神々』からこの世界を守るというものだった。
     故なく発生し特定の文明に流れる『伝承』は、それを知り信じる者が増えるほど力が増していく。

     力を得た『伝承』はやがて実体化し、その伝承に沿って世界を滅亡へと導くのだ。
     それに対抗するのもまた『伝承』――即ち『生命の樹』と呼ばれる物語である。

     無名の司祭たちは『生命の樹』という物語から生まれたセフィラたちを『名も無き神』が『忘れられた神々』へと対抗するために与えられた霊長の守り手であると信じ、同じく『名も無き神』の奇跡のひとつである『シッテムの箱』を持つ者を探して各地へ散らばったのだ。

     セフィラを集め『生命の樹』を完成させるという物語を成就させるべく、セフィラの女王たるマルクトを崇め馳せ参じる存在。それが『無名の司祭』だった。

    「私としては、あなたたちが本当に『名も無き神』の意志を読み解けているのかすら疑わしいところだけれど……」

  • 73二次元好きの匿名さん25/08/31(日) 00:08:05

    保守

  • 74125/08/31(日) 05:45:53

    ※ケセド編もしくはセフィロト中層編、今晩完結予定です

  • 75125/08/31(日) 12:04:34

     女にとって『名も無き神』自体の実在は『有り得る』と考えてはいた。
     あの『廃墟』は人間の居住区などでは決して無い。身体を休める場所も食事を摂る設備も存在しない実験場。

     何を実験していたのかと言われるとまだ分かってはいないものの、勘程度で言うならば、恐らく『廃墟』はこの世界を作るにあたって最初に作られた試薬のような気がしている。

     上位存在を神と呼ぶなら、神はやはり存在する。
     信仰という物語から生まれたものなどでは無い本当の神。

     ならば彼らは何故人間を作ったのか。どうしてこの世界はこのように存在するのか。

     無名の司祭たちが『廃墟』を『神域』と定義するなら、女は『廃墟』を『創世の手がかり』として捉えていた。他のゲマトリアたちも概ね同じような認識だ。司祭とゲマトリアは決して相容れぬ存在ではあるが『生命の樹』の完成という一応の目的だけは一致している。協調行動を取ること自体は問題ない。ただ、女には懸念がひとつあった。

    (『名も無き神』は本当に『忘れられた神々』と敵対しているのかしら……?)

     伝承の怪物をその目で見た事は無くとも、彼らによって滅ぼされた世界は何度か見た事がある。
     『忘れられた神々』が世界を滅ぼす。それは分かる。『生命の樹』たるセフィラたちも試練を越えれば友好的であることも分かっている。だが、だからといって『名も無き神』が人間に対して友好的であることの証左にはならない。

    (この世界が存在すること、それ自体が過ちだとするのなら、世界を救うという行為自体もまた間違いでは無いの……)

     粘りつくような気味の悪さ。この考えが合理的で無いこともまた分かっているのだ。
     にも関わらず何故だかどうにも拭い去れない違和感。自分たちで作り出した世界を自分たちで壊そうとしているなんて意味が分からない。だからこの考えは間違っているし、この考えを肯定するものは何一つとして存在しない。

    「番外、如何されましたか?」

     思考に没入していると珍しく司祭が女に声を掛けた。
     『無名の司祭』が理由も無く自発的に呼びかけるだなんて、そのようなこと今まで一度として無かったがために女は驚きに目を見張る。

    「あなた、自分から話しかけることもあるのね」
    「貴女は我々に酷く似ております」
    「私が?」

  • 76125/08/31(日) 12:08:44

     司祭はこくりと頷いた。

    「神域より神の恩寵を授かり数多世界を歩む者。ええ、我々とは異なる道です。いつかの世界では貴女に対して不快感を抱いた者もおりましたが、しかし貴女は我らが『崇高』を軽んじているわけではありません」

     司祭は言った。『無名の司祭』たる自分たちは『名も無き神』に『神秘』を見出した者であると。
     そして女を静かに指差した。託宣を告げる真の意味での預言者のように。

    「貴女は我らが『崇高』を恐れております。それは『恐怖』。『崇高』を崇高たらしめるには畏敬が必要なのです」

     『崇高』――それは『神秘』であり『恐怖』。
     表と裏。回りながら宙を舞う硬貨に、人は『神秘』を見出し『恐怖』を知る。

     その両側面が混ざり合った時、人は真の意味で神をその目に見出す――司祭はそう語った。

    「随分とおしゃべりなのね。私は別に良いのだけれど、あまり『個』を出し過ぎると『あなた』の人間性が増してしまうのでは無いの?」
    「一度伝えるべきだと思ったまでです。貴女の寿命が尽き果てるその日まで、我々は恐らく長い付き合いになりますでしょうから」
    「……そう」

     『無名の司祭』と『ゲマトリア』。根底までは相容れぬ者共。味方では無い。けれども敵でもない協力者。

     司祭の言葉は正しく、女はその命が枯れ果てるその時まで司祭と共に在り続けた。

     ケセドの中に眠りし記憶の断章。
     『忘れられた神々』と人類の戦いの歴史。ケセドの試練に同行し、自我を出したが故に取り込まれた司祭の記憶であった。

    ■■■■■

  • 77125/08/31(日) 12:19:13

     夜の帳に月明かり。
     ミレニアムから『廃墟』に向かって疾走するのはゲブラーを先頭として追随するトラック群である。

     高さのあるホドは荷台の上に陣取っており、ティファレトは自由気ままに空を真横に落下中。
     格納されているのはそれ以外のセフィラであり、これまで愛用してきたトレーラーにはヒマリたち特異現象捜査部の面々である。

     『廃墟』に向かうその道中、ウタハは気になっていたことをケセドへと投げかけていた。

    「そう言えば、結局のところ『神性』や『魂の格』というのは何なのかな?」

     先ほど話していた『器』や『意識』の内容とはまた違う概念。
     しかしその話が出て来なかったことから少々引っかかっていたのだ。

     一応ウタハも自分で考えてはいたものの、結局答えが見つからず最終的に聞いてしまおうと降参したその問いにケセドは答える。

    【修飾語……とでも言えば良いかしら。グレード、クオリティ、追加……効果?】
    「MODみたいなものでしょうか?」

     口を挟んだコタマの発言に一同が首を傾げる。
     するとコタマは「あー」と戸惑ったように声を上げてそれから続けた。

    「ゲームとかやりません? ハクスラ……いや、あの、まずRPGって分かります?」
    「あれでしょ? レベルを上げて物理で殴るっていう……」
    「間違ってはありませんが……ええと、例えばウタハさんの銃は普通の銃より頑丈ですよね?」
    「そうだね。何度も改良したから市販の銃より遥かに頑丈だよ」

     ウタハは自分の銃を取り出した。愛用のサブマシンガン。下手な鈍器よりも硬いこの銃は、時折金槌代わりに使うこともあるほど壊れにくい。武器としての銃に工具としての特性を与えたウタハの発明のひとつである。

     引き合いに出されたウタハのサブマシンガン。それで納得したような声を上げるチヒロ。

  • 78125/08/31(日) 12:26:20

    「あー、だからウタハの銃は『頑丈な』って修飾語が付いてる銃なわけだ。で、付いた修飾語のレアリティとかそういうのが高いのがヒマリってことか」
    「ふふ……つまり私には『美麗な』や『輝かしき』という修飾語が付いているわけですね」
    【それは分からないけれど、少なくとも私が取り込んだ存在の中で最も『異質』なのは確かよ】
    「だから私に近づかなかったのですねケセドは」

     微笑むヒマリがさらりと言って、一瞬ウタハは呆気に取られた。
     すぐに思い至ったのはケセドに襲われたあの時のこと。全員が取り込まれたとき、果たして皆がどうやって取り込まれたかと言うことだ。

    「まさかヒマリ、君はケセドに襲われなかったのかい?」

     ヒマリは微笑みながらケセドを鋭く睨み付けた。

    「そうです。取り囲まれはしましたが半透明のケセドたちは私に近づきませんでした。今にして思えば、あれは私の『意識』を解析していたのでしょう」

     一瞬笑みが綻ぶ。破顔ではなく取り繕った笑みが僅かに壊れた。
     そこから覗くのは酷い後悔。どこまでも続く自責の念――そのように思えた。

    「マルクトをウタハの元へと向かわせたとき、私は見ました。私たちから離れる誰かの背中を。その背を追って大量のネズミが向かう様を。状況を把握するのに時間を使ってしまい、ひとまずケセドに捕まったらどうなるのかを先回りしようと思い至るのに時間をかけ過ぎました」

     ヒマリはそう言うがウタハには分かる。恐らくヒマリが迷ったのは、ほんの数秒のことだったはずだ。
     電気信号の走る速度を基準とする癖がヒマリやチヒロにはある。二秒は充分な思考速度。一分ではあまりに遅すぎるなどという感覚を持っているのは知っているが、正直ウタハ個人としては思考をまとめる時間としては早いどころではない気もしていた。

    「皆さんが目覚めた時間とマルクトから語り掛けられた順番――思うに私は皆さんの中でも割と早くケセドの中で目が覚めたと思うのですよ」

     つまり『構えてさえいれば目覚めまでが速くなる眠り』、とも言えるかも知れない。

     そして『意識』――正しくは『人格』の乱配線。

     ウタハは自分をコタマだと思っていた。コタマはチヒロと思い込み、チヒロはリオと思い込んだ。
     ヒマリは最初からヒマリだと理解していたのは一旦置くとして、残っているのはアスナとリオとウタハの組み合わせ。

  • 79125/08/31(日) 12:28:52

    (いや、関係無いか)

     このパズル自体に意味が無いことをすぐに悟った。というより、分かったところで何か影響を及ぼすわけではない。何でも良いのだ。確かな前提が無い以上、組み合わせが何であれ。

     だからだろうか。ウタハは本当に何の気も無しにケセドに聞いた。どうしてヒマリはヒマリのままだったのかと。

     ケセドは、答えを返した。

    【違うわ。私が私である限り同じ存在に同じ結びつきを与えないはず。そうでなければ元の繋がりを断てないもの】
    「うん? ええと……順番に整理しようか」

     ケセドの発言に違和感を覚えたウタハは、ケセドの機能について紐解くことを試みた。

    「まず、ケセドは『器』と『意識』と『名前』の繋がりを自分自身が介入することで乱す、ということだね? 繋がっているから本来の結びつきを外せる。その後に自分が紐づけた繋がりを外して『存在』を分解する――これが君の機能かな?」
    【そう……だと思うわ】

     ケセドの答えにひとまずの理解を得る。
     『器』と『意識』と『名前』は直接切り外せない。代理の接続が合って初めて一本切り離せるのであって、切り離した後にケセドがケーブルを回収することで完全に分離させる――そういう原理が働いているらしい。

     なら――いったいあの時ケセドはヒマリの何を何と繋ぎ合わせた?

     その疑問はケセドからすぐに返される。
     誰かの影を追うように、その疑似人格は己が推測を述べた。

    【『記憶』、『人格』、『器』――それ以外に紐づけるとしたらそれ以外の『何か』があったとしか思えないわ。つまり、私すら知らない何かが居た可能性があるわ】
    「卵殻の中に居た何か……。 ふふ……まるで生命の『神秘』ですね」

     ヒマリがそう言った、その瞬間だった。
     マルクトが目を見開いた。『神秘』という、その言葉に。

  • 80125/08/31(日) 12:32:54

    「……『誰もまだ、自らの原罪を知りはしない』――」
    「マルクト?」

     呼びかけるウタハの声。それすら届かないといった様子のマルクトの瞳は遥か彼方を映していた。

     呟かれるその言葉は気付けば聴覚に頼らない脳へと直接送り届けられる言葉となってこの場の全てに響き渡る。

    《罪に贖うは我らが神性、今こそ『思い出せ』――我らが『何を』したのかを――》
    「マルクト」

     ヒマリが肩を揺さぶって、それでマルクトの瞳が虚ろから現実へと戻り始める。

    「『それは今では無い』――そうでしょう? マルクト」
    「…………っ」

     マルクトは止まった息を戻すように呼吸と我を取り戻す。

     そんな異様な光景にウタハは唾を呑み込んだ。
     おかしい。それはマルクトの様子よりもヒマリに対してそう思う。ケセドを終えた時からヒマリの様子がおかしいのだ。

     ウタハが寸前で見たのはまるで『何か』を試して検証を終えたようなヒマリの表情。
     明らかにヒマリは何かを知っている。そしてマルクトはどう見ても暴走しかけていた。そしてヒマリはそれを予期していたように抑え込んだ。

     ヒマリは仲間だが唯一危うい面があるとすれば、ヒマリ自身をリソースとして消耗する案を容認しかねないという面である。

     一人が死ぬなら二人死んでも大差ない。
     そんな危うさ。狂人の理屈。普段なら掛かるストッパーが外れてしまっているような異様さを感じて、ウタハは不意に気が付いた。

    「ねぇヒマリ。私たちは……『どうして』廃墟に向かっているんだっけ……?」
    「あら? 『やはり』お忘れでしたか? 私たちは友達を助けに行くのですよ」

  • 81125/08/31(日) 18:38:06

     記憶の劣化が進行している。忘れてはいけない何かを忘れてしまっている。
     それはウタハだけでなくチヒロもコタマもそのようで、『廃墟』に向かう目的が意識の中から掠れ続けているのを感じた。

    「時間が無いようですね。丁度良いです。ウタハもチーちゃんもコタマも、私がすることに反対なんてしないで下さいね?」
    「何を……するつもりなんだい?」

     ヒマリが笑みを濃くしたところでトレーラーが停車する。
     セフィラ含め全員が降りると、そこは見慣れた瓦礫の山々。手を振るアスナの姿があった。

    「こっちこっち!」

     アスナは瓦礫の山のひとつの前に陣取っており、その足元には誰かの銃と携帯が置いてある。
     皆で向かうと、その瓦礫には蓋のように廃材を動かしたような痕跡が残っており、誰かがその中へと潜り込んだことが伺えた。

     その光景を眺めるヒマリの表情が一瞬陰りを見せる。

    「ここにリオが……」
    「あ、誰もこの中を覗いたりしちゃ駄目っぽい!」

     アスナの注意喚起。僅かに脳裏を過ぎる『調月リオ』という名前。
     後から続くコタマもチヒロもリオの記憶が消えかけており、その実在が曖昧になっているのは確かである。

     そんな中、ヒマリが一同へと振り返り改めて状況を説明した。

    「私たちはこの瓦礫の中にいるリオを救出しなければなりません。リオは自分が生きているのかも死んでいるのかも分からない状況を作ってくれました。ここで救出に当たり重要な点はひとつ。必ず『生きている』リオをこの中から見つけ出さなくてはいけないということです」

     まだ調月リオは推定死亡の状態であり、ケセドに『人格』だけを引き剥がされたという可能性は否定できなくもない、という状況である。

    「リオの多世界解釈において、この時点で無数に続く『リオが死んだ世界』とたったひとつの『リオが生きていた世界』が存在すると仮定します。少々大変ですが辻褄を合わせ、死の可能性を完全に否定すればこの場所に『リオが生きていた世界』を引きずり出すことが出来る――『そういうこと』にします」
    「そういうことって……そんなこと出来るの?」

  • 82125/08/31(日) 18:44:01

     チヒロが首を傾げるも、それはウタハにとっても同じ疑問であった。
     ヒマリが言っているのは現実改変だ。それも人の生死すら変えるほどの『奇跡』。

     それに対してヒマリは微笑む。

    「通常なら不可能でしょう。ですが、セフィラたちが居ます。――ああ、これから全て説明いたしますので『出来ない』なんて言わないで下さいね?」

     機先を制するように全員へと見渡して、それから指を一本立てて見せる。

    「まず『器』の回収方法ですが、この瓦礫を覆うように箱を作ります。誰にも中の状態が分からないよう、完全に覆ってしまうのです」
    「その後はどうするんだい?」
    「ふふ……。その次に箱の中に存在する全てを空間ごと削ります」
    「は……?」
    「もちろんネツァクによる変性は使えません。対象AからBへの変性ではリオの身体の状態まで認識してしまいますので、その時点で『死の観測』が為された瞬間失敗します。ですので、ゲブラーによる『無の生成』で中を空にしてしまいましょう」
    「い、いや、待っ――」
    「直後に人間の身体を組成する物質で空間を埋めます。ここにはネツァクも協力してもらいましょう。わざわざ何人分なんて計る必要はありません。中に存在していたはずの人間分以上あれば問題無いのです。まるで人間のスープですね」
    「ヒマリっ!」

     立て続けに語られる悍ましい内容にウタハが叫んだ。
     ヒマリの爛々とした目が恐ろしく感じた。まるでこれまで信じていた世界が様変わりしてしまったかのような薄ら寒さ。

     しかしヒマリは立てた指を自身の口元に当てるだけでその笑みを崩さない。

    「しーですよウタハ。あくまでこれは土台でしかありません」

     生唾を呑み込む音が聞こえた。自分の喉からだ。
     ウタハは鳥肌だった自分の腕を擦るようにして閉口する。話はまだ終わりでない。

    「次は『人格』と『意識』ですね。どちらもケセドの中に存在はしております。何とかこれを引き剥がさなくてはいけないのですが、ここで鍵になるのはリオが作っていたサイコダイブ装置の理論です」
    「あれは……未完成だったじゃないか。マルクトが今付けている『夢を共有させる機能』以上は何も完成していない」

  • 83125/08/31(日) 19:10:35

     ケセドを確保した今なら実用化も可能かも知れないが、リオが練っているその理論はゲブラーまでの技術を何とか応用しようとして理論構築に失敗しているものだった。使い道が無いはずである。

    「あれには興味深いものが書かれておりました。イェソドの機能考察についてです」

     その内容は既にウタハも読んでいた。
     先ほどミレニアムのラボで話したように、リオもまたイェソドによる『器』と『意識』の優位性が逆転するという考察の述べていた。

     そこにあったのは『マルクトの意識を自分の中に引きずり込んで器の無力化が出来ないか』という一文。
     ケセドが起こした機能の再現に当たるのだが、ケセドと違うのは『器』と『意識』の完全な分離を行えないかというもの。あくまで机上の空論以下で、そのために必要な論理すら組み上がっていない。

    「それで私は考えたのです。私はケセドの中――正確には自身が誰にも観測されていない『意識』のみで活動しているとき、その中の世界をある程度書き換えることが出来るということを。それなら、私の中にイェソドの機能を使ってケセドの『意識』を私の中に取り込めばそこはもう私の世界。分離できないという現実を書き換えられるかも知れません」
    「待ってくださいヒマリ」

     ここまでずっと黙っていたマルクトが声を上げた。

    「ケセドが例えた卵殻の話は的を射ていると思います、ヒマリ。そしてセフィラたちは私を除いて一体一体が数多の『意識』を内包する意識群。ですので――」
    「『器』が内側から破壊される危険性を説いているのですねマルクト」

     こくこくと頷くマルクト。しかしヒマリはあっさりとこう言った。

    「実はそこが一番の賭けなんですよね……。最終的に私の中にあなたを含めた全てのセフィラを私の中に入れる必要がありますから」
    「なっ――何を言っているのですかヒマリ!? 確実に死にますよ!?」
    「ですので、私という『器』が壊れないよう全てのセフィラの意識を取り込むまでホドの機能で私の身体を固定します」

     ヒマリの言う全ては机上の空論でしかなかった。
     出来るかどうかで言えばまず不可能。辛うじて理屈のみを通したもので、その過程に生じ得る全ての可能性を何一つ考慮していない。

  • 84125/08/31(日) 19:13:45

    「全てのセフィラを取り込み次第、ケセドの機能で私の『器』と『意識』を分離します。もちろんそのままではホドの固定を解除した途端私の身体が壊れるでしょうから、そうなる前に私も箱の中に入ってあらかじめ消しておく必要がありますね。人間のスープには二人分以上の量があれば問題無いでしょう」
    「それは……ヒマリも一度死ぬと言うことですか?」
    「箱の中で何が起きているかなんて、誰にも観測されなければ何も確定しません。結果として開かれた箱の中に生存している私とリオの姿があれば過程なんて何でも良いのです」

     それは何処までも続く狂気だった。
     自分にかかる負荷も苦痛も何一つ考慮しない。自分自身を材料としか捉えず、合理の為に道理を投げ捨てた狂人の思考。その速さは常人では誰一人追い付くことなど出来はしない。

    「さて、邪魔な『器』を排した私はここから自分の中のケセドの中へと潜っていき、リオの『意識』とケセドのひとつ前の『疑似人格』を見つけます。ここが難関ですね。見つからなかったらそれで終わりなので無視します。見つけた後はケセドの中で混ざり込んだ意識の中からリオのみを削り取って回収します。全てのは存在しない私の頭の中ですから、多少の世界改変は出来るはずです。出来なかったら終わりなのでこれも無視します」

     見たい物だけ見て見たくない物は見ない傲慢さ。
     故にヒマリは失敗する可能性を極力排し続けていた。

     あくまで先ほどからの話は仮定に仮定を重ねた妄想でしかないのだ。

    「リオの『記憶』とケセドのひとつ前の『人格』データを見つけ出せたら、ここでマルクトの出番です。あなたは呼び掛けることで『器』と『人格』と『記憶』の再接続が行えるはずです。これによってラベリングも行い『名前』を取り戻します。ケセドから呼び掛けて今持っている『リオの疑似人格』から『ひとつ前の疑似人格』へ繋ぎ直してください。続けてリオに呼び掛けて『リオの疑似人格』と『リオの記憶』を再接続。これで『器』以外は元に戻ります。戻るはずです」

     その言葉にウタハは理解した。
     ヒマリは狂気の解決しか思いつかなかったのだ。これ以外に『死者蘇生』なんて奇跡を起こす手段が見つけられなかったのだと。

     普段と変わらぬ微笑みの中に隠し込んだ叫びを見た気がした。
     この中で最も切羽詰まっているのがヒマリなのだ。なまじ覚えてしまっているが故に。

  • 85125/08/31(日) 19:34:03

    「その後はケセドの中から脱出して私の中まで浮上します。ここではティファレトの機能が使えるはずです。概念的な方向性を操る機能――今はそう仮定するしかありませんからね。全てが終わった後にケセドの協力して『意識』にも作用するのか検証してみましょう」

     だから、これはヒマリの望む妄想をどこまで通せるかという話なのだろう。

    「無事私の中まで戻れましたら、最後にイェソドによる『器』と『意識』の主従逆転現象を引き起こします。つまり、ここに『意識』があり『器』を構成する素材が存在するのだから『器』もまたここに存在する――これによってスープの中から私とリオの身体を作り出します」

     そして箱が開かれれば、きっと全てが元に戻っている。
     そう締めくくって、ヒマリはチヒロへ視線を注いだ。

    「……さて、私がどうしてわざわざこんな反対しかされないような話をしたのか、チーちゃんならお分かりですね」

     チヒロは今にもヒマリに掴みかかりそうな様子だが、ぐっと堪えてヒマリを睨みつける。
     そしてウタハ自身も、何故こんな話を懇切丁寧に一から全部話したのかという理由については分かっていた。

     チヒロは拳を握りしめながら答える。

    「あんたたちが帰って来られなかったときに、会長に全部話すためでしょう。あと、もし本当に会長があんたたちの代わりを連れて来たときに、そいつらに何があったのか全部話させるため……」


     ヒマリは肯定するように瞳を閉じる。
     これは遺言だ。失敗もまた糧にするというミレニアム生の矜持。

     例え過程に何があろうとも、技術と合理の学園の生徒であるからには必ず残すという意志があった。

     それ自体はチヒロも理解はしているのだろう。だから反対したい気持ちを口にはしない。
     そして何より悪いのは、今回に限っては残される側の気持ちを考慮しなくて良いということだ。

     ヒマリの作戦とも言えない作戦に失敗すれば、恐らくヒマリもリオもその『名前』が分断される。
     いなくなった者のことは夢のようにやがては消え去ってしまう。会長が代わりを用意できようが出来まいが、最も覚えていられるヒマリすら居ないのだから二人が欠けたセフィラの旅が再び始まるだけである。

  • 86125/08/31(日) 19:51:49

     だから、チヒロは何とか言葉を振り絞っていた。

    「それさ……そもそもセフィラたちが協力してくれるとは限らないんじゃないの……? 失敗したらヒマリと心中するなんて可能性も――」
    「それはありません。そうでしょうマルクト。何故ならセフィラは不死の存在。私が失敗してもセフィラなら元の『器』に戻れる――というより戻されるはずです。現にミレニアムEXPOのときもコタマのトレーラーが破壊されたときにマルクトは自分の『器』へと戻されていたではありませんか」
    「だったら――ヒマリの身体が無くなった時点で全部戻されるんじゃないの!? それならあんたひとりが追加で死ぬだけでしょ!?」
    「そこは賭けですよチーちゃん。トレーラーと私の違いは主となる『意識』が存在するかどうか。私が皆を捕え続けられれば歩保持できるはず。そして私の意志の元にセフィラの機能が使えれば不可能ではありません」

     そしてヒマリはマルクトへと目を向けた。

    「そういえばセフィラは供物がなければお願い事を聞いては下さらないのですよね? ならマルクト。あなたに六体のセフィラを贈った私たちの功績もまた『あなた』への供物に成り得るのでは?」
    「それ――は……っ」

     間隙を突くようなヒマリの指摘にたじろぐマルクト。供物は各セフィラの持つ疑似人格の嗜好とは異なるというルール。
     重要なのは『何を捧げたのか』という一点であり、その点において既存のルールの隙間をすり抜けて自分のルールを押し付けるヒマリは正しく『ハッカー』であるとも言えるだろう。

    「さぁ、少々距離を取ってください。私はこの瓦礫の山と共に箱の中へと居なくてはいけません。……ああ、そうですね。私が良いというまで決して中を覗いてはいけませんよ?」

     冗談めかしながら瓦礫に一歩踏み出すヒマリ。もはや誰にもその歩みを止めることは出来なかった。

     ヒマリが空を仰ぐ。
     夜の闇に輝く星々と月明かり。その下で為されるはヒマリの中で行われる七体のセフィラの全機接続。

     セフィラたちはマルクトの指示によって、ヒマリを中心に大きく円を描くように集まった。

  • 87二次元好きの匿名さん25/08/31(日) 19:53:09

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  • 88125/08/31(日) 19:56:11

    「安心してください、マルクト」

     ヒマリが笑う。表情を強張らせるマルクトに投げかけられるのは死出の旅へと赴く決意。

    「あのあんぽんたんを必ず取り戻しますために、ちょっと死んでくるだけですから」

     死とは、『記憶』が『器』に戻れない状態であると定義する。
     故に、結果的に『器』に戻ることさえ出来れば『蘇生』もまた起こり得る。

     泣きそうに目を瞑るマルクトは、セフィラたちと共に電気信号による拒絶不可能な唄を歌い始める。

    《イェソドより、器は意識に隷属せよ》
    《ホドより砕けし器はその場に留まれり》
    《ネツァクより、全ての傷は癒されん》
    《ティファレトより、落ちる下降は上昇に》
    《ゲブラーより、破壊を以て無へと帰せ》
    《ケセドより、再生の時は訪れり》

     『生命の樹』たるセフィラが祈るは分かたれた機能の統合式。

     月夜の中で、マルクトの声が『廃墟』に木霊した。

    《マルクトより、約束の地にて願う全ては集まれり。今こそ開け『死者の門』――我が名は地の主、落涙の扉。全能なる者たる娘を導く灯火と成れ――》

     囲むセフィラの内周。ヒマリと瓦礫を中心に機械仕掛けの壁が下から生み出される。
     外界とを隔てるひとつの箱。閉ざされた中を知るものはヒマリを除いて他にはおらず、かくしてヒマリの冥界降りが始まった。

    -----

  • 89125/08/31(日) 21:49:39

    ■■■■■

     泥岩によって築かれた黄土の国。行き交う民草は皆が屈強で、この地で生きる諸々の全ては現代とは比べ物にならないほどの力強さが存在した。

     そんな街の只中で、ヒマリは胸を押さえて蹲っていた。
     荒い呼吸と不確かな自身の実証。その姿は薄く揺らぎ今にも消えてしまいそうなほどである。

    (目……目が……ぐ、ぅぅぅぅぅ――ッ!)

     顔を覆って歯を食いしばる。存在しないはずの臓器の全てが悲鳴を上げていた。

     抱える『意識』が『器』を壊すという現象を固定能力で無理やり留めた反動は、想像し得るよりも遥かに大きな苦痛としてヒマリの『記憶』に刻み込まれた。

     例えるなら体内に直接送り込まれ続ける空気。破裂しておかしくないところで固められた全身が内部の圧力を逃がさない。
     実際は『器』を失うまで五秒もなかったはずにも関わらず、数えきれない時間に渡って叫ぶことも出来ないままに行われる拷問のようだった。

     生きながらにして壊され続けるという痛みが、『器』を失った今でも疼く。
     しかしここは『器』が存在しないイメージの世界。早く意識を痛みから逸らさなければ、その痛みは意識体である今の自分にも影響しかねない。

    (り……リオを探さないと……)

     這うように身体を動かして、ゆっくりと立ち上がる。
     市井の市民。これはリオのものではない以上、一度削ぎ落しても良い部分である。

    (り、リオを巻き込まないように、確実に違うものは追い出さないと……)

     震える腕を持ち上げて、眼前の景色に手を伸ばす。
     『テクスチャ』を掴み上げて、力の限り引きちぎる。

  • 90125/08/31(日) 21:52:35

    「う……あぁぁぁぁ!!」

     正面に見える建造物群が引き剥がされて露出する内部。世界改変――その様子に気付く『意識』の群れは存在しない。
     代わりに自分の中で何かが弾け飛ぶような感覚。意識体であるヒマリはそれを吐血という形でフィードバックが発生した。

    (これが……世界を壊すということですか……っ)

     自分ごと引き裂くような痛みが『意識』に刻まれる。
     その時、半透明のヒマリの傍にトーガを纏った半裸の男が出現した。イェソドの疑似人格だ。

    《預言者よ。最良と最悪がある》
    「これ以上酷いことがありますかっ! リオとリオ以外を分離する前に私が壊れそうな時に――!」

     思わず叫ぶとイェソドは憮然とした表情のままヒマリの叫びを無視して続けた。

    《最良はここがケセドの『ひとつ前の疑似人格』と『意識』であり、お前が探す者も存在するということだ》
    「……最悪は?」
    《つまりここには、記憶としてのセフィラが居る》
    「っ!?」

     直後、遠くから連続してこちらに向かう爆発音が聞こえた。

    《『基礎』が来るぞ》

     それは一軒家ほどの大きさを持つ象のようにも見えた。
     六足、巨体、首と思しき場所から生える二本の湾曲した角と、長い鼻のような器官。

     それが連続で空間を跳躍しながら跳躍位置の建造物を内部から弾き飛ばして迫っていた。

  • 91125/08/31(日) 21:59:20

    「――っイェソド!!」

     ヒマリが叫んだ瞬間、その姿が虚空へと掻き消える。
     間一髪で近くの建物の上へ。先ほどまで居た場所には『基礎』が出現して大きなクレーターが出来ていた。

    《あなたが死んだと思わなければ死なないから頑張りなー?》

     ついでヒマリの隣に現れたのは巫女装束を纏った少女――ゲブラーの疑似人格。
     死んだと思ってしまえばヒマリを構成する『人格』は破壊され、残された『記憶』は何処にも戻れなくなる。つまりは明星ヒマリという存在が死ぬ。誰も回収できない。

    「無茶を言ってくれますねぇ本当に……!」

     つまりは、ケセドの『ひとつ前の疑似人格』が見たセフィラの記憶に殺されないよう逃げ続けながらひとつずつ核たる『記憶』以外の全てを消さなければならないということだった。何かひとつでも違えれば全てが終わる。想像以上の障害である。

    「ホド、この記憶に存在するセフィラが何体いるのか観測を」
    《了解。観測を開始する》

     そして現れるホドの疑似人格。長髪で男の体格。しかして胸がある両性具有。バイザーで覆われた目がこの地の観測を始めた。

    《『王国』を含めて全六体。じきに『勝利』がやってくる》
    「っ――『勝利』の対処はゲブラーですね。片端から壊しますので準備を」
    《おっけー! あ、おけまる!》

     冗談みたいなゲブラーの返事を聞きながら、ヒマリは今なお身を引き裂くような激痛に顔を歪めた。
     全てのセフィラを取り込み引き連れその機能を奮うという権能。人の身に余る行いにはそれ相応の対価が求められた。

     それでも、立ち止まるわけには行かない。
     自分全てを差し出しても構わない。それでも欲する『願い』があった。

  • 92125/08/31(日) 22:07:01

    「必ずあなたを連れ戻します――リオ!!」

     その手が掴むは『テクスチャ』、世界改変の魔手なれど、引き裂き続けるは誰かの想い。誰かの願い。
     苦痛を伴って繰り返される最後の戦いは、自らの悲鳴で幕を開けた。



    「何者かが侵入してきました」
    「む、そうか」

     司祭の言葉に短く返す王の言葉。随伴する女は同じく隣を歩く『少女の姿をした存在』に声をかけた。

    「『怪物』が現れたのかしら。そっちはどうなの? マルクト」

     マルクトと呼ばれた少女は空虚な瞳を空へと向ける。

    「各セフィラに防衛を命じております」
    「そう、なら私たちは早くケセドを回収しないとね」

     一行はケセドの存在が確認された『廃墟』のひとつへと向かっていた。
     周囲を取り囲むのは選りすぐりの精鋭たち。その数は三十三名。それが預言者たる王に与えられた『武装』だった。

     セフィラの確保は数と指揮によってセフィラの身動きを封じるというものだった。
     そこにマルクトが直接接触して回収する。故に王の率いる三十三の精鋭たちは事実上の捨て駒だった。

     例え生き残れても次で死ぬ。もしくは死んだ方が救いになるような再起不能状態に陥って、慈悲の介錯を行う有様であった。

     それでも、例えそうでも進み続けなくてはならないのがセフィラ戦である。
     人智を超越した技術を得る対価として払う代償。それを生贄と呼ばないのは、単に捧げて終わるものではなく捧げた上で薄氷を踏むが如き賭けを行う必要があるからだ。贄より酷い。しかして己が使命を果たすためには必要なことであった。

  • 93二次元好きの匿名さん25/09/01(月) 00:53:34

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  • 94二次元好きの匿名さん25/09/01(月) 08:00:32

    ふむ…

  • 95125/09/01(月) 08:06:34

    「引き返さなくて良いのかしら」

     女の懸念は当然のものだろう。
     想像通りに『怪物』が国に現れたのなら今頃蹂躙されているはずである。

     セフィラたちの防衛があったとしても死者は出る。
     そこに王は憂いを滲ませた瞳を向けた。

    「死せる魂のケセド……かの者を回収すれば消えゆく魂は保管出来る。余がコクマーまで進めれば、後はコクマーが失った全てを復元してくれよう」
    「写し鏡のコクマー。全てを復元する『叡智』のセフィラ……」

     『慈悲』を乗り越え『理解』を越えて、『叡智』へと至ればあらゆる全てが元に戻る。
     どのみち『忘れられた神々』を前に人は無力である。セフィラに託して進み続ける他ないのだ。

     果ての『王冠』、それを手中に収めさえすれば万象すらもこの手の中に。
     千年紀行――数えきれない時間の中で続く旅路を終えた暁には霊長の全てが守護される。

    「見えてきましたな」

     司祭の言葉に前方を向くと、そこは際立った渓谷の先。絶壁の向こうにあるのは異質な『廃墟』の街並みであった。

    「往こう。『慈悲』が我らを待っている」

     王の言葉に頷く女と司祭。マルクトは何も語らず、ただ遠くを見つめていた。



    「っ――はぁ……!」

  • 96125/09/01(月) 08:17:52

     息が漏れる。苦痛の吐息が。
     国を自分の中から追い出し続ける。さりとて囲むは此の地を守りし怪物たち。

     何度腹を刺されたのかすら分からない。空から降り注ぐ槍の雨に幾度となく穿たれて、激痛の中で自らの空想から追い出し続ける悪夢のような作業が続く。

    「何処にいるのですか――! というより何処に向かったのですか……っ!?」

     虚空の中で叫び続けるヒマリの身体を覆うは岩石。一瞬で取り込まれて窒息にも似た苦痛が『意識』に響き渡る。

    (ティファレト――ッ!!)

     あどけなく笑う子供の姿を幻視して、引き剥がされるは壁の中の自分と岩石。
     肉体を持っていたら一体何度殺されたかなぞ数えきれない。もはやここまで来ると致命よりも行動不能こそを恐ろしく思うほどに明星ヒマリは死に続けていた。

    「はぁ――――ふふっ」

     笑みを浮かべるヒマリ。そこに普段のたおやかさなど在りはしない。悠然たるものとて何処にも無い。
     これが自分の限界だった。地を這い泥を啜るような力業。常に標榜していた『美』などは何処にも無く、血反吐を吐く思いでひたすらに世界の整理を続けている。

    (本当に――らしくもありません……)

     今にして思うのは自分が常日頃から言い続けていた言葉――『天才美少女ハッカー』なんて、そんな器用なものとはあまりに違う現状。汚泥の中を這うような無間地獄。四方から迫りしセフィラ。『勝利』によって変性された『泥の手』がヒマリを掴んだ。

    「ゲブラー!!」
    《あいよっ!》

     巫女装束を纏った少女が腕を振る。泥を伝って連鎖的に起こる爆発。破壊。それを縫い留めようとするのは大空を舞う巨大な円盤――『栄光』である。

     ヒマリはそれに視線を合わせて叫んだ。

  • 97125/09/01(月) 08:19:53

    「ティファレト!!」
    《空は地に! 地は空に!》

     子供の声が響くと同時に『栄光』が急速に落下していく。それとほぼ同じくぼとりと何かが落ちる音がした。ヒマリは目を向けない。自分から零れ落ちたものなぞ見向きもしなかった。

    「ホド、リオの『記憶』を探してください! イェソドは確認され次第私をその場へ飛ばしてください!」
    《了解》
    《分かった》

     眩む視界の中でイェソドとホドが応答した。

     今やヒマリはセフィラを束ねる『生命の樹』であり全てを束ねる『王国』の代理である。
     消えゆく魂の慟哭。その全てを体現するかの如くヒマリは叫び続け、そして全てのセフィラを完璧に動作させるべく至高の脳髄を回し続けた。

     それはティファレトとの空中戦が児戯であったかのように。
     『器』に縛られない本当の全力を出すように。苦痛の中でその瞳だけは求める全てを睨み続けた。

    「『峻厳』が来ます! ネツァクは変性して無力化を!」

     パイプを吹かせた美女が現れる。ネツァクの疑似人格。
     同時、空に生成されるは数多の槍、数多の剣。『峻厳』による武器の雨。

     ネツァクの吹かせた煙と共に降り注ぐ武器が捻じ曲がり、全てが霧雨になって散っていく。
     それでも防ぎ切れなかった何本かがヒマリの足や腹に突き刺さる。もしかしたら既に人の姿を保てないほどに四肢が千切れ飛んでいるのかも知れない。けれども、見ない。何も確定させない。

    《『廃墟』の前にて預言者を発見》
    《飛ばすぞ。周囲は切り離せ》

     ホドとイェソドの言葉に苦悶の表情で頷くヒマリ。
     この国にリオが居ないのなら、丸ごと自分から切り離してしまって構わないと空間を掌握する。

  • 98125/09/01(月) 08:33:48

     重たい石をどかすように、太い鎖を断ち切るように、自分に合わせて世界を削る。

     その時だった。突如、がこん、と言わんばかりに地面が傾いた気がしたのだ。
     重力が変わったわけではない。例えるなら三本の鎖で繋ぎ水平を保っていた円盤が傾いたような感覚。

     そして急速に自分の『意識』が薄らいでいく感触。

    (まさか……セフィラから切り離そうとしたから『記憶』ごと零れ落ちかけている……?)

     『意識』とセフィラ、その関係を推察しきれていなかったのだ。
     セフィラとは『意識』の受け皿であり網である。本来『海』に還るはずの『記憶』を蓄えてしまう存在。そこから切り離そうとすればどうなるか、そのことに気が付かなかった自分に腹が立った。

    (切り分けることとリオを捕まえることを同時にこなさなければ行けないと……!?)

     元より勝機など無いようなもの。都合の良い奇跡を願うような挺身であるとは理解していた。
     それでもここまで、ここまで残酷なまでに望む未来が遠いとは思っていなかったのだ。

    「イェソド、私をリオの元に――!」
    《分かった》

     ヒマリの姿が掻き消える。向かう先は『廃墟』の前。
     そこに居たのはケセド攻略の最終準備を行う者たちの仮拠点。


     王が静かに口を開いた。

    「ゲブラーがこの世全ての創造であれば、恐らくケセドはこの世ならざる世界の創造と考えられる。異論はあるか?」
    「無いわ」

  • 99125/09/01(月) 08:51:05

     女はそう言いながらマルクトをちらりと見やる。
     人形のように何も言わない原初の『王国』。しかし、何故だろうか。先ほどから妙にその姿に違和感を覚え始めていた。

     もっと話していたような気がする。そっと近づいてマルクトの頭に手を伸ばすと、司祭がその手を遮った。

    「何をしようと?」
    「いえ……その、撫でてみようかと思って……」
    「錯乱されましたか?」

     咎めるような声色に女は「そうね」と呟いて背を向けた。

    「時間までちょっと休ませてもらうわ。見送りだけはさせてちょうだい」

     そう言って女は仮設の寝台に身体を横たえる。


     その光景をヒマリは見た。リオと思しき女性を確かに見つけ出した。
     だが、先にやるべきことがある。ヒマリの傍らに立つ半透明のリオ――もといケセドの疑似人格が王に向かって指を指した。

    《ちょうどいいわ。あれが私の『ひとつ前の疑似人格』よ。人格を乗り換えたばかりだからまだ残っていたようね》
    「マルクト、王に語り掛けてケセドの疑似人格を再接続してください!」
    《分かりました》

     マルクトが人形のように佇む『王国』へと意識を向ける。すると『王国』は顔を上げ、感情の無い瞳を王へと向けた。

    「っ、どうしたマルクト」

     王が『王国』と視線を合わせる。『王国』は空虚な表情のまま、静かに口を動かした。

  • 100125/09/01(月) 08:55:36

    「『あなたは、誰ですか』?」

     目覚めを促す呼び声に王は目を見開く。
     それから片手で顔を覆い、「そうか」と呟いた。

    「これは……余の夢なのだな」
    「どうされましたか王よ」

     司祭が駆け寄る。しかし王はそれすら目にも入っていない様子で呟き続けた。

    「余はケセドを越えられなかった。皆がケセドの夢に捕らえられ、死んだことすら気が付かないままに消えてしまっていたのだな……」

     その言葉と共に王の姿が霞のように揺らいでいく。
     『廃墟』も部下も、何もかもが夢だったかのように消えていく。

     残るは無限に続く荒野と女と司祭の姿。

     そしてヒマリの隣に立つケセドの姿もまた、リオから王の姿へ変わっていった。


     第四セフィラ、ケセド。
     『慈悲』との再接続がここに完了される。


    「残るはリオです! 繋ぎ合わせた瞬間に全て切り離して浮上します!」
    《はい》

     マルクトが視線を成長したリオのような存在へと向けた、次の瞬間だった。

  • 101125/09/01(月) 09:03:17

    「また貴様らか……」
    「っ――!?」

     誰にも見えないはずのヒマリの姿に身体を向けたのは消えずに残っていた司祭である。
     隠しようも無いほどの憎悪を仮面の奥から滲ませて大股でヒマリの元へと近付いてきた。

    「な、何故私の姿が――」
    「我々は無貌であるが故に貴様らの姿なぞ捉えられる……。此処は怪物風情が好きにして良い場所ではない! 疾く立ち去れ!」

     司祭の腕がヒマリの喉元に食い込んだ。絞め殺すように掴み上げられ、ヒマリはすぐさまセフィラたちに対処を指示しようとして――そして気が付いた。近くに誰も居ないことを。

    (繋がりを断たれた……!?)
    「我々は人の理を守る者。貴様らに奪われた世界は必ず取り戻す……。『無名の司祭』は常に貴様らを見ているぞ。その『テクスチャ』が歪んだ瞬間、必ず我々は彼の地に戻る。覚えておけ!」
    「ぐ……。り、リオ……」

     『無名の司祭』なる存在が何を言っているのかは分からずとも、こんな狂人の戯言で失敗するなんてあってはならない。
     必死にリオに向かって手を伸ばすが、セフィラを断たれて首を掴まれている傷だらけの状態では何も出来なかった。

     何も……出来なかった。

    「消え失せよ、忘れられた神々め……」

     ばづん、と引き裂かれる音がした。
     司祭もろともリオ以外の全てを切り落としたが、それがヒマリの限界。意識が急速に浮上する。

     残されたのは荒野とリオ。沈みゆく夕陽だけが、この世界における明星ヒマリの最後の記憶だった。

    -----

  • 102125/09/01(月) 12:52:29

     ヒマリによって書き換えられた世界の残骸。
     ケセドからもほとんど切り離されてしまったが、じきに全てが元に戻る荒野の只中で、女は沈む夕陽を眺めていた。

     この記憶の主人が居なくなってしまった以上、全てがケセドの中へと回帰するのを待つばかりである。

    「……退屈ね」

     『記憶』、それから『人格』。ここまでは確かに結びつけられていたが、肝心の『器』への接続が為されていない。

     それもそうだろう。いったい何をどうやったのかはともかく、ここまで来てくれたヒマリは既に何処かへ行ってしまった。自分は帰れないだろうが、そもそも覚悟はしていた。そのためにギリギリで思いついた『生死の不確定性』を処置してみたが、まぁ、戻れないだろうということは分かっていた。

     ひとりぼっちの荒野から、自我を失いケセドの中へと還るのにあとどれほどの時間があるだろうか。

     恐らく、意識の世界と現実世界では流れる時間が全く異なる、と女は考えていた。
     ここで一か月過ごしたとしても現実では数秒も経っていないなんてことも充分有り得る。

     しばらく夕陽を眺めながら、ふと思いついたことがあった。この世界のことだ。

    「きっと階層が違うのね。私たちの存在する現実世界とその下の意識界……とでも呼べばいいかしら」

     上でも下でも良いのだが、ともかくレイヤーが異なる場所にいるのだと女は定義づけた。
     意識の底の底。それがここだとするのなら、ケセドからほとんど切り離されるということは更に下の階層に一番近い場所なのかも知れない。

    「根源回帰……セフィラに囚われず本来落ちるはずの場所――ああ、きっとそこが『あの世』というものかしら」

     見える最果て。西の果て。徐々に夕陽が沈んで黄昏に染まっていく。

     その時だった。西方から冷たい風が流れ込んできて大地が徐々に凍り始めたのだ。

  • 103125/09/01(月) 12:54:00

    「何かしら?」

     本来ならば凍えてしまってもおかしくないはずなのに、不思議と寒くはない。涼しい止まりの凍てつく冷気は、恐らく死の暗示か何かだろうか。

     そこで思い出したのは『無名の司祭』が語っていた王の土地に存在した伝承だった。

    「……『西日の王』?」

     冥府を引き連れ大地を呑み込む『忘れられた神々』の一柱。世界を滅ぼす災厄の名である。

     自分のそれに呑まれて消えるのだろうかと一瞬考えたが、もはや何でも良い。
     せっかくだから終わりを見てみようと地平線を眺めていると、それは、来た。

     日の沈む向こうから巨体の影が見える。
     こちらに向かって来るのは山ほどある一頭の獅子だった。

     バリスタでも撃ち込まれたのか、全身には鎖の付いた巨大な銛が幾百幾千と突き刺さっており、歩く度にそれらが揺れて、じゃらり、と軋んだ鉄のような音が地平の彼方まで届いてくる。

     戦争の体現。死の体現。飢餓の体現。病の体現。
     およそ考えうる全ての災禍を背負う姿を見ながら、ぼんやりと女は呟いた。

    「結局、不老不死に到達できても不死を殺す手段だけは手放さなかったのね」

     遥か先の技術において、死とは取り返しの付かないものではなくなったのかも知れない。
     風邪のように罹ってしまっても治せる技術。だがそれを『死を克服した』なんて呼ぶのは違う気がした。

    「例え状態の一時的な変化にまで命の価値が落ちてしまっても、それでも終わらせる手段だけは常にある」

     終わらない無限はきっと地獄だ。
     だからこそ人は終わらせる方法を手元に残し続けた。

  • 104125/09/01(月) 12:55:02

     活性化と不活性化の二つが常に存在し続けるのなら、やはり人は『死』というものに対して永劫の勝利は刻めず、刻まなかったのだろう。

     故に、いま目の前までやってきた獅子を見上げながら女は思った。
     真の意味で全ての存在に対し勝利を刻み続けて来た死の体現を。

     西日の王は鎖の隙間から静かな瞳を女へと向ける。
     顔がリオの前まで近付いて、それから大きく口を開けた。

    【リオじゃねぇか! なんでこんなとこにいやがんだ?】
    「……えっ?」

     獅子は人の言葉を話した。というより今『名前』を呼ばれた気がして思わず聞き返していた。

    「あの、いま私のこと……」
    【ああん? リオだろ? 調月リオ。ったく、変な夢だと思ってうろうろ歩いていたらお前までいるとかどうなってんだぁ……?】

     唖然として『リオ』は開いた口が塞がらなかった。

    「え、あの、待って……。ちょっと待ってちょうだい。その――ネル、よね?」
    【ああ、見りゃ分かんだろ】
    「いえ、その……あなたもっと小さくなかった?」
    【ぶっころすぞ!?】
    「流石に洒落にならないからやめてちょうだい……」

  • 105125/09/01(月) 12:56:25

     事態が上手く呑み込めず頭を抱えるリオ。
     何とか振り絞って出てきた言葉は「いつからいたの?」で、巨大なライオンになってしまったネルは「ついさっき」と返した。

    【なんかマルクトが叫んでたろ? リオが居ねぇって。それで目を覚ましたっつーか、気が付いたら洞窟ん中に居たんだよ】
    「それ『あの世』か何かじゃないかしら……?」
    【んで、とりあえず外に出るかと思って邪魔なモンぶっ壊してたらよ、何か上の方に変なのあるなーっつってよじ登ってみたらここに出た】
    「……つまり、ケセドの夢と繋がったということかしら?」
    【あん? 知らねぇけど】

     あまりにもあんまりな返しだが、そもそもネルはゲブラーの一件から昏睡状態のままである。
     死にかけたから推定『あの世』で目を覚ましたのか、それよりも重要なことを思いだした。

    「ネル、あなたにお願いがあるわ」
    【どうしたよ急に改まって】
    「私を上に運べるかしら?」
    【上?】

     巨大なライオンが空を見上げる。黄昏の空が広がるばかりで何も無い。

    「ここは現実より下にある夢の世界、そう仮定した時、あなたは少なくとも目覚めた場所から世界を越えてこの荒野まで来たと考えられるわ。それなら、私を更に上の階層へと運べる可能性があるわ」

     少なくともネルが下から来たのなら、今この場に上下が定義づけられているはずである。
     ディレクトリのように上の階層へと運ばれればセフィラが干渉できるところまで行けるかも知れない。

     そしてヒマリが来ていたということはつまり、イェソドによる意識と肉体の関係にも気付いているはず。ヒマリが全くの勝機無しでここまで来るはずがない。どんなに低くとも勝機があったからここに来たはずなのだ。

    「意識がそこに在るとすることで肉体の再構築を行うイェソドの機能。なら――ヒマリは最低でも二人分の材料を用意しているはず。ああ、そうね。箱か何かで覆えば観測者が絞られる。それなら――」
    【あのよ……何言ってんのかさっぱり分かんねぇけど、もしかして普段から突然黙っているときはいつもこんなこと考えてんのか?】
    「とにかくネル。私を全力で上に放り投げてちょうだい」
    【おう、分かった。舌……は噛まねぇか。夢だしな】

  • 106125/09/01(月) 12:57:25

     そう言ってネルは巨大な獅子の牙を器用に使ってリオの衣服に引っ掛ける。
     地表まで何千メートルあるのか分からないが、夢のようなものだ。特段恐怖は感じなかった。

    「あと私を投げたら元居た場所に帰った方がいいわ。……いえ、どうなのかしら? そもそもネルの今の状態ってどういう――」
    【うるせぇ! 行くぞ!】

     瞬間、ネルによって空へと投げられたリオの意識が黄昏の空を突っ切った。
     急速に浮上する意識の在処。その先に見えたのは崩れ往く深淵。天は地に、地は天に。いつしか浮上は落下へと変わり、闇の中へと落ちていく。

     一瞬見えたのは七人とヒマリの姿。驚くヒマリの表情を目で捉えた次の瞬間、何かに掴まれて意識が現実へと帰還を果たす。


     昏い、昏い、箱の中。
     仰向けで倒れる自分を知覚すると同時に誰かが胸に顔を埋めていた。

    「……ヒマリ?」

     抱きしめられた布越しに確かな体温が感じ取れる。
     ヒマリは「そうです」と僅かに頭を動かしながら答えた。鼻を啜るような音に、リオは尋ねる。

    「もしかして泣いているの?」
    「…………」
    「驚いたわ。あなたも泣くのね」
    「どういう……意味ですかっ」

     怒ったような声色に背中を擦ると、ヒマリは一層強くリオを抱きしめる。

  • 107二次元好きの匿名さん25/09/01(月) 12:58:32

    このレスは削除されています

  • 108125/09/01(月) 12:59:34

    「早くここから出ないと」

     そう言うと、ヒマリは無言で首を振る。
     泣き声を抑えながら小さく声を漏らした。

    「もう少しだけ……このままでいさせてください」
    「…………」
    「これでも、頑張ったのですよ? こんなに頑張ったのは初めてと思うほどに」
    「…………」
    「らしくないと思ってしまうほどに、自分があれほど取り乱すなんて思わなかったのです」

     リオは静かにヒマリの言葉を聞きながら、自分が言うべきことを思いだした。

    「ヒマリ」
    「……なんです?」
    「ありがとう」
    「――――っ」


     それから、箱の中には感情の決壊した少女の泣き声が響いていた。
     箱が開かれてもなお泣き止むことのなかったその姿に、友人たちは動揺しつつも安堵の溜め息を漏らしたのだという。

     かくして、ケセドから端を発した冥界下りは幕を閉じた。
     その代償に何を得て何を失ったのか、それはやがて知ることになるだろう。


    ----第六章:アディシェス -無感動- 了

  • 109二次元好きの匿名さん25/09/01(月) 15:20:35

    ヒマリ、ほんとに死ぬほど頑張ったもんな

  • 110二次元好きの匿名さん25/09/01(月) 15:53:04

    そうかネルパイがいたか

  • 111125/09/01(月) 22:41:43

    ■エピローグ:中編

     これは、ケセドとの戦いを経たヒマリちゃんたちのためのエピローグだ。

     夜が明けて朝を迎え、ちょっと遅めにと昼頃になってから部室に向かった僕は、それこそ自分がケセドに取り込まれたんじゃないかって……まぁそれは有り得ないんだけど、思わず二度見……いや、三度見したよ。だって死んだはずのリオちゃんが生きていたんだから。

    『え、な……え!?』
    『会長、予想外なんて顔をしてますよ』

     チヒロちゃんが愉快さと不愉快さを混ぜ合わせたような顔をしていたけれど、そんなことすら気が動転してすぐに気が付かなかった僕は、本当に問題無いのかリオちゃんの身体を何度も触り続けた。

     触診というか本当に気が動転していたんだ。だって死んだ人間は蘇らない。有り得ないことだから。

     そんなわけで僕は今後リオちゃんに何かあったときに対応できるよう、もうリオちゃんのことは『見れなくなって』しまったわけで、これから続く彼女の過去は本当の意味で彼女だけのものになってしまった。

     代わりにリオちゃん以外の全員とセフィラは見た。
     マルクトの目から逃れるためにミレニアムから大慌てで離れて、何があったのかを知ったのはつい先ほどのこと。もうすっかり夕陽が沈みかけていた。


     調月リオという存在の蘇生。それは本当にこの状況でしか起こりえない奇跡のようなものだったんだよ。

     リオちゃんが自分の生死を不確かなものにしなければそこでアウト。

     マルクトがうっかりミレニアム中に叫んだのもそうだけど、混乱して全てのセフィラと預言者にリオの不在を叫ばなければもちろんアウト。ネルちゃんが調月リオの不在を知れたのはあの一回目だったからね。もちろん僕もだけど。

     ヒマリちゃんも流石だった。というより、あれはリオちゃんがいなかったから出来たことだ。
     合理で縛る負の神性が消滅していたからこそのブースト。あのとき死んだのがリオちゃん以外だったら本当に駄目だったね。まぁそもそも死なない気もするけど。

  • 112125/09/01(月) 22:42:44

     ケセドが疑似人格にリオちゃんを選ばなくてもアウトだった。
     リオちゃんのサイコダイブの理論を発見できなくとも、そもそもその理論の原型が無くてもアウト。

     『無名の司祭』に追い出されたときも咄嗟に切り落としにかかっていたけど、あれが無かったらあの場がネルちゃんの夢と繋がることも無かった。

     『死』という概念に近づいたからこそ、冥界の神性を持つネルちゃんが出て来られたんだ。
     あそこまでケセドから切り離さなくても出て来られたかも知れないけれど、それだとヒマリちゃんの再構築に間に合わない。再構築した時点でヒマリちゃんの中からセフィラは弾き出しておかないといけないからね。本当に何もかもがギリギリだった。

     そして極めつけは自分の身体とリオちゃんの身体をイェソドに作らせたということ。
     おかげで今やあの二人は『意識』通りの『器』になっている。リオちゃんなんかは元々より頑丈になったんじゃないかな? 何せ元になっているのは疑似人格で最適化された『意識』なんだから。

     少し気になるのは、調月リオという存在がほとんどセフィラ製になっていることぐらいか。

     もしかするとセフィラへの同調率が高くなっているかも知れないけれど、悪い方面に転がることはないはずだ。むしろこれから訪れる最後の三体を相手にするには丁度良いぐらい。

  • 113125/09/01(月) 22:44:08

     ――ああ、全部がまさに奇跡だった。
     何かひとつでもズレていたらどうすることも出来なかったけれど、偶然に偶然を重ねて確かに君たちは掴んだんだよ。君たちが望む最良の結果を。諦めてばかりの僕とはまるで違う。全員が頑張ったから起こせた事象だ。

     リオちゃんの死は避けられないと諦めていた。けれどこれならもう大丈夫。
     ずっと復讐心を糧に何もかもを使い潰すつもりで走り続けていたけれど、果たすべき復讐なんて何処にも無かったことも知れた。知ってしまった。

     あと僕がやれることは、史上ただ一人しか突破できなかったコクマーを越えさせてあげることぐらい。

     だからもう、思い残すことは特にない。

    「これでようやく、全部の肩の荷が下りたよ」


     ミレニアムの空き教室に夕陽が差し込む。
     会長に呼ばれた会計は、いつぞやの約束を果たすべく画材とキャンパスを手に教室の扉を開いた。

    「やぁ、会計ちゃん」
    「会長……」

     いつものニタニタ笑いではなく、まるで憑き物が落ちたような優しい瞳が向けられる。
     それを見て、会計――久留野メトは察してしまう。もうすぐお別れなのだと言うことに。

    「もう……やらなきゃいけないことは終わっちゃったの……?」
    「終わったよ。まぁもう少しだけはいるけどね。でも、どうなるか分からないようなことは全部終わった」
    「…………」
    「ま、だからさ。僕を描かせてあげる。出来た絵は君への報酬みたいなものさ。随分と付き合わせちゃったからね」

  • 114125/09/01(月) 22:56:22

     そう言って会長は開けたスペースに椅子をひとつ置いて座った。

     夕焼けの茜が染み込んだ様な長い髪が、差し込む夕陽の中に包まれる。
     手元には小さな鉢植え。メト会計の知らない可愛らしい蒼い花が咲いており、周囲の暮色と反するようにその存在感を明らかにしていた。

    「その花は……?」
    「僕の温室で育てていたんだ。ただ座っているってだけだとほら、映えないよね?」

     どうやらわざわざ持ってきてくれたらしく、そんな気遣いひとつすら会計は嬉しく思った。

     会計と会長。その関係の歪さをメト会計本人もまた理解している。
     あの夏に出会ったときだって、およそ真っ当な出会い方では決して無かった。

     何かがミレニアムに入り込んでいたことを知ってしまった時、胸を過ぎったのは恐怖や不安ではなく未知への期待感だったのは否定できない。

     自分のことを都合よく使おうとしていることも知っている。ただの一度も友達なんて言ってくれなかったけれど、それでも自分は会長のことを友達だと思っている。それだけで充分だった。

     だから、わざわざ絵を描かせてあげるだなんてもしかすれば会長からの初めてのプレゼントなのかも知れない。

    「私、あんまりうまくは描けないよ……?」
    「別にいいさ。君の為のものなんだから。というか、素描で良いって言ったのにちゃっかり絵具だって持って来ているじゃないか」
    「う、うん……一応、ちょっとだけ勉強してきたから……」
    「挑戦ってやつだね」
    「うん……挑戦」

     おっかなびっくりでも鉛筆は走らせて、見た物を見たままに真っ白なキャンバスへと写し取る。
     輪郭だけなら掴める。微生物のスケッチは昔からやって来ていたから。けれど色使いはここ最近詰め込んだ程度。まだ全然上手くはない。

  • 115125/09/01(月) 22:58:23

    「……あー、そうだ」
    「……?」

     急に思い出したかのように会長が声を上げた。

    「その絵、僕が学校を辞めるまでは絶対に誰にも見せちゃ駄目だからね?」
    「なんで……?」
    「恥ずかしいから。ただのお願いだよ」

     会長はもう、意地の悪い笑みなんて浮かべもしなかった。
     重荷を無くしてしまうと言うことは、きっと地上に縛り付けていたものすら無くしてしまうということなのかも知れない。

     会計は思った。
     もしも自分が会長とのことを誰かに話すことがあるとしたら、それはきっと全てが終わってからだろうと。

     それは、平凡な自分が見つけた『個』という境界を持たない不思議な存在。
     或る夏の日に出会った『ミレニアムのドッペルゲンガー』との奇妙な物語を。

    -----エピローグ:中編 fin

  • 116125/09/02(火) 00:06:19

    ※というわけで、千年紀行の中編もようやく終わりました。
    中編と言ってますが流石に3/4は終わったはずです。

    ここから先はこれまでせっせと撒いていた伏線を回収したり回収し忘れて悶絶したり回収を諦めたらするフェーズに入ります。気持ち的にはファイナルシーズン開幕ですね。

    それにしてもケセド編……コユキの話書き始めた時からどうしてもケセドとケテルだけ全くプロットが出来上がらず「いつか出来るだろう」と進行したらケセド編始まってるのに何も決まっていないという絶望に打ちひしがれていました。

    毎日処刑台を登り続けるような日々でしたが本当に終わって良かったです。ケテルも組み終えましたし、あとはラストに向かって進み続けるだけとなります。

    長い旅でしたが、もし良ければ終わりまでお付き合い下さいますと幸いです。

  • 117二次元好きの匿名さん25/09/02(火) 08:15:22

    いよいよファイナルが近付いて来るのか…

  • 118二次元好きの匿名さん25/09/02(火) 15:05:10

    保守

  • 119二次元好きの匿名さん25/09/02(火) 22:15:00

    ところで冥界下りにあたっての手順がこんがらがったのだけど、次の順番で合ってる?
    人間のスープ作成にあたってヒマリ自身を無で削った…みたいなことはなく、ヒマリ自身はホドの状態固定解除後の単なる自己崩壊でいいのかな

    1.ゲブラーによる箱の中の無の生成
    2.ゲブラーとネツァクによる人間のスープの作成
    3.ケセドによる意識と器の分離
    4.ホドによる状態固定の解除
    5.ヒマリの器の喪失→ケセドの中へのダイブ

  • 120125/09/02(火) 22:37:50

    かなりややこしいのですが、一応厳密には

    1.イェソドによりヒマリの中へセフィラの意識注入(肉体崩壊開始)
    2.ホドによりヒマリの器固定
    3.全機入り次第ホド解除(肉体破裂と同時に以下発動)
     3-1.ケセドにより(破裂する直前の)身体からヒマリの意識を分離。ヒマリの意識へヒマリがダイブ
     3-2.ゲブラーにより箱の中を空にする
    4.ゲブラーとネツァクで人間の素材で箱を満たす
    5.意識体ヒマリ。自身の中にいるケセドの中へ重ねてダイブ

    こんな感じになってますが、多分読み返したら描写と何か矛盾が発生してそうな気もするので何となくで捉えていてください…(苦笑)

  • 121125/09/03(水) 00:12:20

    冷え込み始めた11月の朝のこと。
     ケセドとの戦いから数日間、特異現象捜査部の活動は一時休止となっていた。

     というのも、10月の中旬からあまりに多くのことが起こり過ぎたからである。

     晄輪大祭で起こった騒動にゲブラーの見たホドの『二体目』、ウタハの生徒会役員研修、ケセドの機能による精神干渉にリオの死と再生。色々あり過ぎての起こり過ぎてで「一度休もう!」とチヒロが叫んだのがきっかけだった。

     それからセフィラのことも研究も一旦離れて各々休養に努めることとなり……11月1日。
     一応今日から活動再開とのことであったが、この休養期間にて一歩も部屋から出ずに惰眠を貪り続けていた者が居た。

     そう、リオである。

    「ん、ん……」

     くるまった毛布から手を伸ばして携帯を取り、時刻を見る。既に昼の11時。恐らくもう皆がラボに集まっていることだろう。そう思いながらリオは再び目を閉じる。

     調月リオ、生粋の研究者。寝る間も惜しんで基礎研究を積み重ね続けるミレニアムの天才。

     だからなのか、ここまで研究も何もしなかった日なんてこれまで一度も無かった。
     そんなリオは、半ば強制的に休みを与えられて、何をするかも特に思い浮かばず部屋にひたすら籠もり続けていた。

     過去に風邪などを引いたときも似たような状況に陥りはしたものの、何せ身の回りの世話は全てマルクトがやってくれる。一度惰眠を貪れば、そこから日常に戻る方法も分からず自堕落な毎日にすっかり溺れてしまったまま。

     そこで声をかけてきたのが同居しているマルクトである。

    「リオ、起きてますか?」
    「う、ぅん……」
    「もう少し寝ますか?」
    「そう……、するわ……」
    「分かりました。私は部屋の掃除をしておりますので何かあればお声がけください」

  • 122二次元好きの匿名さん25/09/03(水) 07:46:12

    リオ…

  • 123125/09/03(水) 09:53:36

     マルクトもケセドの一件があってからすっかりリオを甘やかし続けていた。
     部屋から一歩も出ないリオに何を言うわけでもなく、甲斐甲斐しくひたすら世話を焼き続けていたのだ。

     誰も怒る者が居ないある種の楽園が、皮肉にもリオの怠惰とハウスメイドじみたマルクトによって完成されてしまっていた。

     ――だからこそ、流石に過ぎれば怒ってくれる人がやって来るものである。

    「いつまで寝てんのリオ!!」
    「ひぃぁっ!?」

     突如布団を引き剥がされて丸まるリオ。ちらりと今しがた布団を剥いだ者へと目を向ければ、そこにはお冠のチヒロの姿があった。

    「あんたずっと部屋に籠ってたんだって!? 全く研究か寝るかしかないのあんたには!」
    「お、お母さん……」
    「うるさい! 早く顔洗って来なさい!」
    「うぅ……」

     これ以上は実弾が飛んで来ると察したリオはのそりと起き上がって洗面台へと向かう。
     そしてちらりと改めてチヒロの方を振り返る。正確には、その頭上付近。

    (やっぱり……見えてるわね……)

     チヒロのヘイローがあった場所には、いつもの金色に似た輪の代わりに他のものが見えていた。
     黒に近い青と水色から構成された不思議な円。チヒロ『だけの』ヘイローの形である。

     通常他人のヘイローの形状なんてしっかりと見えるわけでは無い。それこそ恋愛的文脈において『あなたのヘイローの形が分かるほど』なんてぐらい長年連れ添った者でないと具体的な形が分からないものである。

     ケセドからの復活を果たしてから夜が明ける頃、リオの目には行き交う人々全員のヘイローの形がぼんやりと映るようになっていたのだ。
     そしてその日の夜になる頃にはもうはっきりと視認できるようになっており、そのせいかやけに疲れやすくなってしまった。

  • 124二次元好きの匿名さん25/09/03(水) 12:40:07

    なんか会長っぽくなってきた?

  • 125二次元好きの匿名さん25/09/03(水) 15:40:39

    んんんん…?

  • 126125/09/03(水) 19:54:50

     散々寝ていたため今は何とも無いが、蘇る前の自分と完全に同じでは無いということなのだろう。

     『記憶』と『名前』は本来のものであっても、『器』はセフィラによって作り出されたものであり『人格』に関してもケセドがコピーして手を加えたもの。つまり存在として構成する要件の実に半分がセフィラ産なのだ。これはもう半分セフィラと言っても過言では無い。

     そこで思い出すのはミレニアムEXPOで起こったコタマのテロ騒動。事件解決の報酬に会長から貰った『魂に関するレポート』である。


     ――そして『名前』は『ヘイロー』と結びつく。『名前』とは本質であり魂である。


    (ということは、私は『本質』が見えるようになったということかしら……?)

     洗面台で顔を洗うと、自分の顔が鏡に映る。一見すれば何も変わっていない。

     変わったのは『器』の性質と『人格』。
     これは『人格の最適化』による影響なのだと、リオは『知って』いた。

     決して存在しない『記憶』ではない。『記憶』していたにも関わらず『人格』というフィルターないしソフトウェアを通過した結果、『器』たる脳にまで届かなかった情報が今は届いているのだ。

     人は世界を真の意味で正しく認識することは出来ない。
     『見間違える』なんて現象こそ最たる例だろう。

     視覚という『器』から得られた情報が『人格』と通じて『記憶』に回帰し、『記憶』から再び『人格』を通る中で情報が歪んでしまったがために、『器』が認識する視覚が実際に見た物と異なる形で出力される――結果、人は物を『見間違える』。

     しかし今の自分は違う。
     『人格』が最適化された結果、『器』が得た情報を真の意味で正しく認識することが出来る。

  • 127125/09/03(水) 22:28:25

     一度見た物は忘れない。
     一度考えたことは必ず思い出せる。

     あくまで自分の思考力に依存はするため全ての答えが一瞬で分かるというものでは決して無いが、自分の思考が及ぶ範囲なら確実に答えを導き出せる。

     そして『器』たる肉体もまたイェソドによって『意識ベース』で調整されたものとなっているため、よく聞く「脳がパンクして~」なんてことも起こりえない。

     ……どちらかというと膨大な情報量によって精神から来る疲労を感じる程度。これもじきに慣れるとは思うが、慣れるまでは疲れそうである。

    (まぁ、人体も半分ぐらいは新陳代謝で入れ替わるのだし大したことでは無いわね)

     試しに鏡の前で腕をぐっと曲げて力こぶを作ってみても、力こぶだか何だか分からない極めて微細な盛り上がりが出来るぐらいである。

     身体能力が変わったわけでも無ければ動体視力が良くなったわけでもない。
     見て知ったのに見逃した、なんてことが無くなったぐらいで大した変化ではない。ちょっと便利になった程度の変化であろう。

    「何してんのリオ」

     そんな姿を見咎められて、チヒロが半目で呆れたような視線を向けて来た。
     リオは力こぶを作ったままの姿勢で答える。

    「私は今日も元気だわ」
    「あぁそう良かった。色々と情報共有したいから早く支度してくれる?」
    「分かったわ」

     こくりと頷いて寝間着から制服に着替える。
     ブレックファーストはマルクトが用意してくれたシリアルだった。

    -----

  • 128125/09/03(水) 22:53:20

     正午。特異現象捜査部の部室地下にある会議室には、いつもの全メンバーが揃っていた。
     何だか気だるげなリオの姿を見たヒマリは、若干の不安を抱えつつも隠しきるように笑みを浮かべて語り掛ける。

    「大丈夫ですかリオ。何だか疲れているようですが」

     死者蘇生なんて特異現象を引き起こした身としてはリオの状態が最も気になるところであった。
     特にリオが生還した翌朝の会長の様子を思い返すに、会長はリオの状態を酷く気にかけていたように見えたのだ。

    『変な眠気とかない? 大丈夫? 何か妙だと思ったらすぐに僕に教えてよね?』

     か細いほどに不安そうな会長の姿は、中学生か小学生にしか見えない外見相応の幼さが垣間見えた。
     つまるは会長の不敵さたる全てが剥がれ落ちてしまうほどに焦っていたのだろう。『あの』会長が。

     その事実がどうにも不穏で気になっているのだが、当のリオは溜め息をひとつ吐きながら若干うんざりしたような表情で視線を外した。

    「問題というほどではないわ。ただ……そうね。しばらくは疲れそうよ」
    「はっきり仰ってください。一応ですがあなた一度死んでいるんですからね? 私だってもう連れ戻せませんよ?」

     あの冥界下りは正真正銘、何も知らないあの時の自分だったから出来たのである。

     セフィラという膨大な意識群を自身に取り込むという代償。その後の『意識』という『器』なき存在の脆弱性。何もかも「知らないから分からない」という暴論で今の自分がどうなっているのか頑なに見ないようにしていたからこそ生還できたのだ。

     我に返った瞬間に即死するような状況。ケセドの最奥でリオを見つけた時の自分は恐らくほとんど千切れ飛んでいた。そのことを自覚してしまった今ではもうあんな無茶は出来ない。やろうとした瞬間セフィラを取り込んだ時点で『意識』が死を自覚して『人格』が消滅し、本当の死――『シリウスの海』へと落ちてしまう。二度と出来ない。

     そんな極限状況を越えた先でリオの身体は、自分も含めてセフィラ製の模造品に置き換わってしまっている。異常があるなら知っておく必要があるのだ。

     そう思いながら発言すると、リオは少々気まずそうに口を開いた。

  • 129125/09/03(水) 23:30:50

    「みんなのヘイローの形が分かるわ。正確には全ての生徒のヘイローの形が。だからちょっと疲れるのよ」
    「私には見えませんが……『最適化』の影響ですか?」
    「十中八九そうね。その点セフィラ製の身体で良かったわ。本来の身体だったら肉体的にも参っていたかも知れないもの」
    「不謹慎――の当事者だったわリオ……」

     チヒロが言いかけて言葉を噤む。
     そこで声を上げたのが、同じく『器』が変わってしまったヒマリだった。

    「私は以前より思った通りに身体を動かせるようになりましたね。ジャグリングも出来ましたし」
    「何個まで出来るのかしら?」
    「6個です。見ますか?」

     ドヤ顔でそう聞くとチヒロが「うぅん!」と咳払いをした。駄目らしい。
     若干しょんぼりと肩を落としながらも、ヒマリは同時に「やはり」と確信した。

    (ケセドによる『人格の最適化』、あるいはイェソドによる『意識基準の肉体生成』――影響は何処かに出ているようですね)

     ヒマリ自身も変わった点が細やかながら存在していた。
     身体動作の精密化。そして五感が以前よりも鋭くなっているということである。

     流石にネルやアスナとまでは言わずとも、目を瞑っていてもチヒロやウタハが投げたボールぐらいなら身体に受ける風圧で軌道が分かる。確実に避けられる。

     これを純粋に「パワーアップ!」と喜べれば良いのだが、その直前に味わったのが『内側から破壊される激痛』だの『矢衾に射られて生きているのか死んでいるのか分からない状況』だのと拷問に等しい痛みを受けた後であるなら話は別だ。もっと見返りがあってもいいと思ってしまう。

     そして先ほどリオが言ったような『ヘイローの形が分かる』という視覚の変化。そう言ったものは一切感じない。今日も皆の頭の上にはいつもの丸い金色の輪が浮かんでいる。あくまで日常の延長線上で感覚が多少鋭くなっただけで大した変化は感じられない。

  • 130二次元好きの匿名さん25/09/04(木) 05:03:51

    保守

  • 131125/09/04(木) 11:49:08

    保守

  • 132二次元好きの匿名さん25/09/04(木) 19:13:20

    ふむ…

  • 133二次元好きの匿名さん25/09/04(木) 20:14:08

    昔から「できなかったことがない」レベルのヒマリでさえ更に鋭敏にアップデートされるの凄いな…

    元の器がない状態で意識を素材へ投射したからこその結果なんだろうけど、再現性があって痛みがないなら自分もしたいぐらいだ

  • 134125/09/04(木) 21:48:23

     ……と、そこでヒマリは思い出したことがひとつ。リオの『記憶』を探しにケセドの中へと飛び込んだときのことである。

    「あの国の方々にはヘイローがありませんでしたね。私たちと似たような姿でしたのに」

     獣人でもロボット市民でもない人間だったにも関わらず、古代を思わせるあの国の住人の頭上にはヘイローが存在しなかった。するとリオが答えた。

    「あれは今のキヴォトスよりずっと前の『テクスチャ』の住人ね。謂わば旧人類よ」

     銃弾一発で致命傷に至る古代の民。そう言うリオにヒマリは思わず目を見開いた。

    「あなた……あそこにいた時のことを覚えているのですか? てっきり『夢から覚めて』だの何だので有耶無耶になっていると思っておりましたが……」
    「それはケセドの功績よ。『人格』が最適化されていなかったら恐らくほとんど思い出すことも出来なかったわ」
    「ねぇそれ副作用とか無いの? ちょっと都合が良すぎるような……」

     チヒロが心配そうな表情でリオの顔を覗き込むが、リオはふるふると首を振った。

    「精神的に慣れるまではちょっと疲れるけれど、それ以外には問題無いわね。仮にチヒロの『人格』が最適化されても私っぽくなるだけなのだし」
    「リオっぽくなるの!? それは相当な副作用じゃない!?」
    「はは、もしも私以外がリオみたいになったらエンジニア部はすぐに廃部だね」

     ウタハが冗談めかして笑ったが、ヒマリは自分が六人のリオに囲まれる光景をうっかり想像してしまってげんなりと呻く。
     悪夢すぎる。というよりそもそも最適化以前に六人も死んでる……と一瞬思って冗談では無いと首を振った。

    「話を進めましょう。それでリオ。あなたがあなたでは無かった時のことを話していただけますか?」
    「ええ、そうね」

     そうして語られたのは古の物語である。
     旧人類と『無名の司祭』、そして世界に浮かび上がる伝承の怪物『忘れられた神々』との戦いの歴史を。

  • 135125/09/04(木) 22:00:57

     『人格』ですら組み上げられない『記憶』そのものであったリオであるからこそ語ることが出来る。
     『シリウスの海』から組み上げられた根源の1ピース。それに限るのであれば。

    「まず、旧人類の時代から既に『廃墟』はあったのよ。けれどもそこに入れるのはごく僅か。何故か入ることが出来たあの時の『私』はどうして自分が入れるのか、そもそも『廃墟』とは何かを調べる学者だったわ」

     そして『廃墟』の中には『シッテムの箱』と呼ばれるタブレットPCが存在し、見つけ出せた者は『箱』を介して現在の『テクスチャ』よりも少し上の技術知識が与えられる。

     そうして都市や国家を繁栄に導き、備えるのだ。『忘れられた神々』との戦いへと。

    「同時多発的に発生し人々の文化に感染する伝承はやがて怪物の姿を伴って具現化し世界を滅ぼす。それが『忘れられた神々』――遠い昔に存在していた物語。あるいはミメシス、再現された存在」

     彼らに対抗するために『名も無き神』が用意したとされているのがセフィラ。『生命の樹』という物語である。

    「『テクスチャ』に存在する『廃墟』から『箱』を見つけ出した者は、この時点で『生命の樹』という物語の一部に組み込まれるわ。そして世界を守るべくセフィラを集める旅を行うことになる」

     それが千年紀行。『シッテムの箱』を介してマルクトを見つけ出すことで始まる物語である。

    「ですがリオ。私たちはそんなもの持っておりませんでしたよ?」
    「それどころかヒマリに反応していたね。ヒマリがミレニアムで一番高い神性だって」

     ヒマリとウタハがマルクトとの出会いを振り返る。
     するとリオは「覚えていないの?」と妙なことを口走った。

    「確かにそこも重要だけれど、その前にマルクトはもっと重要なことを言っていたじゃない」
    「重要……? 何だったかな?」
    「サイメトリクスによる承認――マルクトがヒマリという存在を明確に認識したのはその時よ」

  • 136125/09/04(木) 22:33:11

     そういえばそんなことを言っていたような……。
     そう思ってヒマリがマルクトを見ると、マルクトは「ふむ」とチヒロみたいに顎へと手を当てた。

    「よく覚えておりません」
    「それもそのはずよ。あの時のあなたと今のあなたは明確に『人格』が違うもの」
    「えっ……そうなのですか?」

     マルクトが驚いてリオを見るが、リオは「とりあえず」と話をぶった切った。

    「後にしましょう。今は旧人類の話が先よ」

     話を戻って『生命の樹』。セフィラを集めれば『忘れられた神々』に対抗できるという話に戻る。

    「『シッテムの箱』を持つ者は『箱』より与えられる知識によってその『テクスチャ』においての超技術を得られる。その様はまさに神からの使いでしょうね。そんな人物が『箱』を使うことで第十セフィラの『王国』を呼び覚ますことが出来る。だからマルクトを導く者は『預言者』と呼ばれてきたのよ」

     『名も無き神』から神託を受けた者たち――故に『預言者』。もしくは『使徒』である。

    「そして『箱』は常に十枚存在し続ける。それぞれにアカウントが紐づけられていて、『箱』を持つ者同士でチャットで話すことも出来るわ。アカウント名には通し番号が振られていて、チャットルーム――『ゲマトリア』に参加するものはその番号でお互いを呼び合っていたのよ」
    「ゲマトリアってチャットルーム名だったんだ……」
    「どちらかというと掲示板で言うところの『なんとか民』みたいなニュアンスみたいですね……」

     チヒロの呟きにコタマが反応してヒマリは「もう少し良い例えもあったでしょうに」と呟いた。
     少なくとも『ゲマトリア』とは、砕いて言えば会員制のサロンに近いものであるとヒマリは理解した。

     そして、その『ゲマトリア』の参加者たちは全員死んでセフィラたちに取り込まれているということも。

  • 137二次元好きの匿名さん25/09/05(金) 03:33:43

    保守

  • 138二次元好きの匿名さん25/09/05(金) 08:46:18

    ゲマトリアも黒服達とは別人か…?

  • 139二次元好きの匿名さん25/09/05(金) 08:51:39

    >>138

    黒服とかのゲマトリアはあれ名前借りてるだけで別物じゃんね

  • 140二次元好きの匿名さん25/09/05(金) 13:14:02

    このレスは削除されています

  • 141125/09/05(金) 13:16:12

    「ちなみに『私』は『シッテムの箱』を持たずに『廃墟』から件のチャットを覗き見ていた『番外』だったようね。転送装置で『テクスチャ』間を移動して調査をしていたようだけれど、『私』が知っていのはそこまで。あくまで撹拌された『シリウスの海』から汲み上げられた一要素でしかないもの」

     『海』から完全な記憶を回収することが出来れば『私』が調べていた全てが分かるかも知れない――リオはそう言って溜め息を吐いていた。つまりは叶うべくもないということで、それについてはヒマリも同じ意見である。

    「『海』に還った『記憶』なんて継ぎ足し直伝秘伝のタレみたいなものですからね。溶けて混ざれば追加したタレなんて復元不可能でしょうに」

     だからそれよりも知りたいことがあった。
     あの時リオを『掬い出し』に行った自分に干渉して来た不可思議な存在のことだ。

    「リオ。『無名の司祭』とは何なのですか?」

     存在し得ない意識体であった自分を認識し、『記憶』の中のモブでしかなかったはずにも関わらず干渉して来た正体不明。
     『名も無き神』の信奉者はあの時次元の壁を超えていた。そして思い出すのは強烈な憎悪。私たちの存在を憎む、今のキヴォトスの敵である。

     リオは答えた。彼らの正体を。

    「『名も無き神』たる超自然的事象に心酔するカルト教団よ。『器』も『名前』も『人格』も薄くすることで不変性を得た存在ね。『王国』が目覚めた場所へと向かう者たち。彼らは『名も無き神』の御心に従い世界を救うことを望んでいるのだけれど……その御心の解釈とやらが何処まで正しいのかについては疑義を呈したいわ」

     彼らの言う『御心』とやらには何一つエビデンスが存在しないのだ。
     間違っている証拠も確かに無いが、正しい証拠もまた存在しない。だからこそ『無名の司祭』の解釈が全て間違っている可能性も同時に存在し続ける。

     しかし、そんな解釈の是非よりもヒマリにとって問題なのは、自分が既に『無名の司祭』と接触してしまったということであった。

     ――その『テクスチャ』が歪んだ瞬間、必ず我々は彼の地に戻る。覚えておけ!

     旧人類は滅んだのかも知れないが、彼らはまだ滅んでいない。
     虎視眈々とこの世界を狙っているのだ。かつて自分たちがいた世界に対して、未だ執着を見せている。

  • 142二次元好きの匿名さん25/09/05(金) 19:25:07

    保守

  • 143二次元好きの匿名さん25/09/05(金) 19:34:12

    このシッテムの箱と先生のシッテムの箱は別物だな
    というか、自販機はどのタイミングで発生するんだこれ

  • 144二次元好きの匿名さん25/09/05(金) 22:58:03
  • 145125/09/06(土) 04:59:13

    「厄介ですね『無名の司祭』とは……。キヴォトスを乗っ取られた彼らに私たちを恨む理由はあったとしても、私たちには恨まれる理由なんてありません」

     傲慢かも知れないが、その恨みを受け止めるにはあまりに時間が経ちすぎていた。

     過去がどうであれ旧人類が風化した遺物となっている以上、私たちからすれば『無名の司祭』こそ侵略者なのだ。敗者は敗者らしく消えていればよいのに。

     そう思うのはやはり私怨があるからだろう。
     『無名の司祭』に邪魔されたとき、リオを助けられなかったと目の前が真っ暗になるような思いだった。本当にもう駄目かと思ったのだ。

     だからこそ明星ヒマリこそ『無名の司祭』にある程度の恨みを抱いていた。初めて感じた心からの嫌悪の感情である。

     そんな不快感を吐き出すように溜め息を吐くと、リオが話を続けるように口を開いた。

    「『無名の司祭』については何をしてくるのか、何が出来るのか分からないという一点においては警戒が必要ね。少なくとも彼らは通常私たちのキヴォトスには来ることが出来ないようなのだし」
    「……そうですね。『テクスチャ』が歪む時に向かってくるらしいですが……今のキヴォトスに致命的な変化が訪れる条件を満たしたときに彼らが現れるということなのでしょう。世界が崩壊する起爆スイッチが押せるようになったら嬉々として押しに来る、そう考えられますね」
    「あー、なんかもうどんどん話が大きくなってきたなぁ……」

     チヒロが愚痴るように呟くが、確かにそうだった。

     『廃墟』のロボット兵が守っているであろう何かを探しに向かってマルクトを見つけて、セフィラを集めて存在理由を探す旅への同行を求められて未知の科学技術と相対し、今まで遥か遠くにあったはずの死が身近に迫ってネルが倒れ、遂にはリオが死んで……死んだ人間を蘇らせるために身体を消滅させてまでリオを連れ戻したここまでの旅路。

     果ては世界の危機。キヴォトスに住まう現存人類の滅亡を望むパブリックエネミー『無名の司祭』の確認と接触。技術と合理の学園生活が大きく非日常へと傾き始めているのだ。無理もない。

  • 146125/09/06(土) 08:50:16

     そして、セフィラ。
     かつて旧人類や『無名の司祭』たちと共に世界を守るべく在り続けた『生命の樹』という物語の断片。

     彼らが守るべき『世界』とは旧人類の住まう世界なのか、それともその後に成立した今のキヴォトスなのか。ケテルに至った途端にマルクトが「今のキヴォトスを破壊します」なんてプロトコルを強要されたらあまりに救われなさすぎるとヒマリはマルクトをちらりと見た。

    「どうしましたかヒマリ?」

     こてりと首を傾げるマルクト。
     だがもしもマルクトが『最終的に』このキヴォトスの破滅を願ったのなら、自分はいったいどうするべきだろうか。

    (……どうするもこうするもありませんね)

     その時は、思い直してもらえるようもう一度話してみよう。
     何をやってもどうしようもないぐらいに何もかもが破綻しているのであれば、それこそ最初から全てやり直さないといけないぐらいの無理難題。時を遡る発明を皆で作る方が建設的なのかも知れない。

     何故なら私たちは一度見ている。黒崎コユキの『時間渡航』を。

     今なら分かる。未来から来たコユキが持っていた不思議な時計――『ポータルウォッチ』は恐らくセフィラに極めて近しい何かであると。

     きっと私たちの誰かがあれを作ったのだ。セフィラから得られた知見と技術を用いて、生きた機械生命体。超常たる特異現象を引き起こす存在を。

     時間を渡る――それは不可逆性を否定する因果破壊現象に他ならない。

     死んだ者すら死ななかったことに出来る。直近で言えばケセド戦。リオに『廃墟に来たら死ぬ』と言えば確実にリオはそれを信じる。その時点でリオの死は回避できる。加えてチヒロやコタマたちへの不意打ちも回避できるし、自分はケセドからの脱出方法を知った状態でケセドに挑める。時間遡行はそれだけ人の手に余る力なのだ。

     フィクションではよく言われる『因果集束の強制力』または『タイムパラドクス』も外部から与えられた枷でしかない。

     どちらも『時間は過去から未来に向かって流れるもの』ということを前提にしているのであって、時間遡行が出来る時点でそうした制約からは逸脱しているのだ。

  • 147125/09/06(土) 08:51:39

     例えば過去に戻って自分を殺したとしても、殺した未来の自分が居なければ過去の自分が死ぬという矛盾が起こる。

     しかしそもそも主犯たる未来の自分は過去に戻った時点で『過去から未来へ流れる時間』という絶対の法則から外れている。人は殺されたら死ぬという法則と同じく『絶対』を打ち崩しているのだ。その時点で過去の自分と未来の自分の同一性は損なわれてしまっている。

     存在の根底が『記憶』にあるのであれば、時間を遡っても『記憶』は損なわれない。『器』を壊して『記憶』を『海』に還したところで、既に時間の軛から外れた『記憶』までもが連鎖的に損なわれるとは考えづらい。

     死は絶対ではない。リオの復活からもそれは実証されている。
     時間もまた絶対では無い。コユキの出現によりそれもまた実証されている。

     だとすれば、過去を失った存在はどうなるのか。ヒマリは顔を上げた。

    「あの、唐突な疑問だとは分かっているのですが、もしも私たちが過去に戻って『本来起こったはずの事件』を未然に防いだとしたら――今の私たちはどうなると思いますか?」
    「『ポータルウォッチ』の話ね?」

     リオが異様とも思える早さで返事を返して、少し考え込む。

    「過去に戻る――いえ、過去に干渉できた時点で時間から外れた存在になると思うわ。自分の『記憶』と自分以外の『記憶』が合致しない存在。『名前』が残っているのなら他者に存在自体は認められるはずだから問題はないと思うのだけれど、過去に死んだはずの人物であるのなら辻褄を合わせないと危険な状況だとも言えるわ」
    「危険……ですか?」

     そう聞き返すとリオはこくりと頷いた。

    「私たちは他者の認識によって自分の存在を確立しているのよ。例えば山奥に引きこもって自分以外の誰にも存在を認識されていない状態だとして、そこで自分の『名前』を認識しているのは自分だけ。その自分が居なくなればもうこの世界に存在しないのと何も変わらない。『認識』という力がどれだけ強いかなんてヒマリ、あなたはもう分かっているのでしょう?」

     事実を確認するようなリオの視線にヒマリは思わず渋面を浮かべた。

     認識――もしくは『識る』ということ。
     限定的な世界改変を行った実績のある自分としてはこれ以上ない説得力があった。

  • 148125/09/06(土) 08:52:50

     ケセドの時と言いリオの時と言い、あの時行った全ては「投げたコインが表か裏か知らないから一旦表とします」という『知らない』が故の力業に過ぎない。

     例えばセフィラの『意識』を自らの『器』へと入れる。これも「そうしたら実際どうなるか分からない」という前提の下で認識する結果に「無事である」、「無事では済まない」という揺らぎがあったからこそ強行出来たのだ。

     それに加えてあの時の自分は全くもって冷静では無かった。
     我も忘れた無我で未知。その条件が揃った上でその状態を無理やり維持できたからこそ成し得た奇跡。

     あれらをもう一度行おうとすれば最初のセフィラを取り込む時点で『器』より先に『意識』が壊れる。
     既に『あんなことすれば確実に死ぬ』ということを知ってしまったがために、あんな自殺行為の再現は二度とできない。

     加えて、戦闘慣れしていないことも幸いしたのだろう。

     記憶の底で戦う羽目になった過去のセフィラたちの攻撃。自分の身体がいまどうなっているのか、それを正しく理解してしまった時点で確実に『意識』は破壊されていた。知らないから出来たのだ。知ってしまったからこそあんな奇跡は起こせない。

     そう思っていると、声を上げたのは意外にも先ほどから閉口していたアスナであった。

    「うん、ボスでも無理だねー。私もそうだけど、なんか勢いでガッ!って戦ったりはするけど結構自分の身体は分かっちゃうから!」
    「自分の認識と他の人の認識はそれだけ強いってことだね」

     ウタハがまとめるとアスナは嬉しそうに頷いた。

  • 149125/09/06(土) 08:55:42

     そこで少し気になったのは、アスナは自由奔放そうに見えてこうした会議には普通に出席していることだろうか。退屈そうでもなく身体を左右に揺らしながら大体笑顔で座っている。ちゃんと話も聞いているようで、それが何故だか気になった。

     そんな益体もない想像を巡らせていると、ウタハがヒマリへ視線を投げかけた。

    「つまり、『名前』さえ認知されて、そこに矛盾さえなければ存在するのに問題は無い、ということを確認したかったのかな?」
    「……ええ、そうです」

     こんな話をしたのには理由があった。
     かねてから気になっていたこと。『この数日間』において『この自分』が探したにも関わらず『まともな記録が存在しない存在』について、その推察に必要だったのだ。

     ヒマリは静かに口を開いた。

    「『会長』は、いったい何処から来たのだと思いますか?」

    -----

  • 150二次元好きの匿名さん25/09/06(土) 15:18:24

    そういえば前作コユキスレで連邦生徒会長もシッテムの箱持ってるとか言ってた気がする

  • 151二次元好きの匿名さん25/09/06(土) 17:45:21

    次スレ用の表紙が完成しました
    モチーフにした絵画はラファエロ・サンチェの「アダムとイブ」
    今回はウタハとチヒロを題材にしました

  • 152125/09/06(土) 18:42:12

    >>151

    いつもありがとうございます!

    そしてアダムとイブ……様々な作家が挙ってモチーフにする大ベストセラー! 遂に来たかという印象です。

    アダムの肋骨よりイブが生まれたというのは単に男女という性を表すだけでなく性質――発する側と受け止める側という生物を超えたシンボルとして扱われることも多いです。


    セフィラにもその原理がございまして、コクマー・ケセド・ネツァクより成り立つヤヒンの柱は男性原理。エネルギーの放出を意味します。

    そしてビナー・ゲブラー・ホドのボアズの柱は女性原理、エネルギーを受け止める原理を意味したりとセフィラからパスに至るまでとにかく象徴性が盛り込められていたりします。この辺りの象徴化はアトリビュートと同じですね。掘ろうとすればいくらでも掘れる金鉱です。


    さて、描いて頂いたスレ画についてはアダムの位置にウタハ、イブの位置にチヒロとありますが……前振りを無視するとどちらもドレスで着飾ろうが男装しようが同じく映えると思うのです。執事服もメイド服も似合う――つまり王子様にもお姫様にも成れる適性が極めて高いと思いませんか!? というかヒマリもウタハもリオもチヒロもどんな衣装だって似合うと私は思います本当に!!(興奮)

  • 153125/09/06(土) 19:08:21

     ミレニアムタワー最上階、セミナー本部。

     書記としての業務をこなすべく液タブにペンを走らせて今度出す校内新聞を作っていると、保安部の部員が私の元までやってきて報告を行った。

    「ハイマ部長。修学旅行のスケジュールと移動経路の策定を終えましたので送っておきました」
    「ありがとうございます。後で確認しておきますので引き続きオデュッセイア側の治安維持組織との情報共有をお願いします」
    「はっ!!」

     そうして立ち去っていく部下の姿を目で追って、再び視線をウィンドウへと戻す。

    「……ふむ、可愛く書けましたね」

     校内新聞の下書きに書き巡らされた可愛いウサちゃんやクマさんの出来栄えに満足し、画面を切り替えてミレニマム内で発生した事件の資料へと視線を移す。


     セミナー書記、兼、ミレニアム保安部保安部長――燐銅ハイマ。
     数多の業務を担いながらも定時帰宅だけは守り続けて趣味の実況配信を行っていた彼女には、近頃セミナーに思うところがあった。


     ことあるごとに失踪していたメト会計は、最近一度も逃げ出さずに粛々と業務を行っているも会長に何か言いたげな目を向けることがある。

     会長もまた、一日三度も問題を起こして折檻していたにも関わらず、最近はそういった問題行動を行さなくなったばかりか昨日からあのニタニタ笑いも鳴りを潜めている。そしてそれを見てメト会計が悲し気に目を伏せている。

     ……何かが起きている。このセミナーに。
     そう考えた時、まさかと言わんばかりの閃きが脳裏を過ぎってしまった。

    (まさか――痴情のもつれでは……!!)

  • 154125/09/06(土) 19:29:51

     燐銅ハイマ。セミナー会長が見出した稀代のチェスプレイヤーにして、会長によって重度のゲーム中毒者になってしまったセミナーの書記。

     会長と会計、エンジニア部から派生した特異現象捜査部――そう言った物語から完全に置き去りにされている会長の懐刀も流石に疑問を感じ始めていた。「これはどうやら何かが起こっているぞ?」と、周回遅れで。


    (ミレニアム保安部の部長としても起こり得るトラブルは出来る限り防がなくてはなりませんね)


     日常という名の蚊帳の外から見るミレニアム。
     ハイマ書記が観察を始めたのは身内であるセミナーからであった。


    「あの……近い……と、思うんだけど……」
    「お気になさらず」
    「むっ、無理だってぇ……」

     端末に向かって職務を行うメト会計に、ともすれば睫毛すら触れてしまう距離でしげしげと眺めていると件の会計から苦悶の声が漏れていた。

    「何かお困りですか?」
    「い、いま困ってるというか……」
    「お聞かせ願います。すぐさま解決してみせましょう」
    「あ、あぅ……」

     視線すら合わせず身を強張らせてあぅあぅと呻く様子に書記は確信した。いま何か重大な悩みを抱えていると。

     すると離れた席から会長が呆れた様子で声を上げた。

  • 155125/09/06(土) 19:33:52

    「近すぎるんだって距離がさぁ。もうチューする直前じゃんそれ」
    「おや、失礼しました」

     距離を取ると会計は困ったように眉を垂れて呻き声をあげた。

    「ま、まだ近いぃ……」
    「ならば問題ありませんね」
    「よくないよぉ……」

     これはいつもの反応。問題ないと結論付けながら会長の方へと振り返る。

    「ところでウタハさんはいつ頃いらっしゃるのですか?」

     白石ウタハ。会長が見出した次期生徒会長である。

     学園の全てを取り仕切る生徒会長という役割には明確な向き不向きが存在する。
     その中で晄輪大祭から時折顔を見せる白石ウタハという一年生は確かに生徒会長に向いている側の人間だと感じられた。

     ミレニアムらしく自由奔放で、かつ会長よりも大人しい丁度いい塩梅の存在。チェスに例えるならまさしくルーク。堅実かつ変幻自在な駒である。

     そう思っていると会長は何かを思い出すように天を仰ぎながら口を開いた。

    「ウタハちゃんね。夕方ごろに来るって言ってたからセミナーの業務を教えてあげてね」
    「了解しました」

     会長――本人は自分の名前が好きではないそうで全員に役職名で呼ばせている方である。
     そして、唯一自分をチェスでスティルメイトに持ち込んだチェスプレイヤーでもあった。

     会長との出会いは二年前。
     まだチェス以外のゲームを知らず、ただひたすらに駒を差し続けていた頃まで遡る――

  • 156二次元好きの匿名さん25/09/06(土) 22:17:01

    念のため保守

  • 157二次元好きの匿名さん25/09/07(日) 03:54:35

    保守を追う者

  • 158125/09/07(日) 08:52:08

    「うわぁぁぁ!! また負けたぁぁぁ!!」
    「ハイマさんハイマさん! もう一回『テスト』させて!!」

     同級生たちの悲鳴を聞きながらハイマはこくりと頷いてボードを指でタップすると、触れた場所に光のリングが表示された。

     ライトニングチェス開発部――それがハイマの所属していた部活動であり、今年のミレニアムEXPOの目玉となる新商品である。

     通常のチェスとは違い、交互に指すのではなくターン性を排してリアルタイムで指し続ける次世代のチェスである。ブリッツチェスと言った早指しとは全く別物の競技性を有しており、先行絶対有利から抜け出すための新たな試みなのだが……いま行っているのはそのチェスAIの開発であった。

    「しかし……面白い試みですね。反射神経も要素に入れることで判断ミスを誘発させるというのは革新的なのかも知れません」

     今はAI開発用に仮想駒を使用したモデルとなっているが、本来の実機はこのボードに駒を置いて遊ぶものである。

     駒に触れると生体電流を感知して駒のロックが解除される。そこから通常のチェスと同じく移動が出来る。
     手を離すと生体電流を感知しなくなり動かせなくなる。間違った場所に置くと磁力で弾かれ盤面から取り除かれる。大まかな機能はその辺りで、ハイマにとって興味深かったのは『駒の自決』が出来るというところである。

     もちろん罰則はある。一度だけなら見逃されるが、二度弾かれると即失格。
     そのため指し手も慎重になる必要があり、めちゃくちゃに駒を動かして盤面が荒れることを抑制している――が、本質はそこではない。

    (『自決』ができるということは通常のチェスとは全く違う戦術を組み立てる必要がありそうですね……)

     そう思案しながらも再びAI開発用のテスト機で対戦を行い始める。

  • 159125/09/07(日) 08:53:08

     ハイマはチェスを愛していた……わけでは決して無かった。
     ただ、チェスを始めとした二人零和有限確定完全情報ゲームは全てにおいて正しい指し方をした方が勝つゲームである。それが好きだったのだ。

     間違えなければ絶対に勝てる。負けたのなら何かを間違えた。
     その研究と対策のルーティンを好んでいるだけで、別にチェスである必要は何処にも無い。

     そして気が付けば、最強とも言われたチェスAIにも先行なら必ず勝てるほどにまでなっていたのだ。
     試しに始めたオンラインチェスでは無敗を誇り、際立って強いとされているトリニティすら圧倒する。

     思考と精神に負荷をかけるような早指しも等しく地平を均し切ってしまい、チェス界におけるキヴォトス最強へと立ち続けていた。

     あとは今目の前で開発されているライトニングチェスがキヴォトスに普及し芽が出始めれば無敗伝説も終わりを迎えるかも知れないが、そもそも普及するのかすら怪しいもので最近ではチェスも少々飽き始めてしまっていた。

    (せめて新譜が出れば研究できるのですが……自分から新しい戦術を作るのは苦手ですし)

     そんなことを思いながらライトニングチェスのAIを下して見せると、部員たちは悔しがりながらも「新しいデータが取れた! これで勝つる!」と妙なスラングを飛ばしながら収集したデータの学習を行わせ始める。

     それが戦術の天才、燐銅ハイマの日常だった。


     そんな日常に転機が訪れたのは八月の終わりのこと。
     今日も開発に勤しむ学友たちと共にチェスを打っていると、ふと友人が『とある噂話』を持ち出してきた。

    「そう言えば知ってる? 例の噂」
    「あー、私も知ってるよ! 古代史研究会の神隠し騒動でしょ?」
    「違うって! ってか何それ? ドッペルゲンガーの噂だって!」
    「ふむ……どちらも存じ上げませんね」

     神隠し、それからドッペルゲンガー。
     技術と合理の学園とは思えないほどのオカルトが出て来て少しばかり驚いたが、こちらから聞くまでもなく語られた内容は正に妙なものと呼ぶほかなかった。

  • 160125/09/07(日) 08:54:40

    「神隠しの方は、古代史研究会で何故か本来の部員よりもひとり多く人数が表記されてたんだって!」
    「それただの誤記じゃないの?」
    「最初は皆そう思ったらしいんだけど、実は誰も知らない倉庫が古代史研究会の名義で借りられてて……」
    「ただのいたずらでしょ? 成りすましとか」
    「あーもう!」

     ことごとく繰り出される反論に憤慨した友人が地団駄を踏んだ。

    「あ、ちなみにドッペルゲンガーはそんなつまらない話よりもっと怖くてぇ」
    「あたしをダシにするなぁ!!」

     と、騒ぎ立てながらも聞いてみると、内容はこんなところだった。

     夜中、街を歩いていると突然誰かの視線を感じる。
     振り返るとそこには自分と全く同じ姿の『何か』が立っていて、こう聞かれるそうだ。「私は誰?」と。

     逃げても逃げても逃げた先で必ず待ち構えているドッペルゲンガー。
     そこで自分の名前を言うと、「ありがとう」と言って消えてしまうらしい。

     それだけの話なのだが……ではいったい、自分は何に名乗ってしまって何をされてしまったのだろうか……。そういう怪談である。

     だがそれがどうにも妙だった。
     普通妙な存在に出くわしたら逃げるより先に銃で撃たないかと。

     そう聞くと友人はおどろおどろしい口調を作りながら言葉を続けた。

    「それがね……銃で撃っても弾が届かないんだって」

     見えない壁にぶつかったように弾丸が突然弾け飛ぶとのことだった。
     だから逃げるしかない。けれども追いかけ続けて来る。自分の名前を言うまで、ずっと。

  • 161125/09/07(日) 08:56:10

    「ひぃ!!」

     不意に上がった悲鳴に視線を向けると、神隠しのネタを持って来た友人が震えながら両耳を押さえていた。「本当に怖いのはNG!」と泣きだしそうになりながら。それを見て笑う友人。何てことの無い日々である。

    「だから、ハイマさんも夜遅くまで出歩いてたら……ドッペルゲンガーに遭っちゃうかもね……?」
    「その時は徹甲弾を叩き込みますのでご安心を」

     壁に立てかけられた大型のアンチマテリアルライフルをちらりと見る。
     正しさを貫き通す自分の銃である。あれで抜けない壁はそうそう無い。

    「しかし……困りましたね。本日はちょうどライブに誘われておりまして帰りが遅くなるのです」
    「ライブって……ああ、例の新しい趣味探し?」
    「はい。一応他にも将棋や囲碁にも触れて見たのですが、あまりしっくり来ないものでして」

     バンドのライブなんて自分でもあまり食指が動くものでは無かったが百聞は一見に如かず。
     そんな気持ちで部活終わりにライブへと向かったものの、そこにも自分が求めるものは存在しなかった。


     そして、その帰り道。すっかり日の落ちた夜の街を歩きながら、自分の寮へと戻っている――そんなときだった。

    (…………足音)

     先ほどまで自分の物しか聞こえなかったはずの足音が、少しずつズレて行くのが聞き取れた。
     コツリ、コツリ……そこから徐々に外れるその音は、徐々に歩幅が小さくなるように短くなっていく。

     思い出すのは部室で聞いたあの噂。
     ミレニアムのドッペルゲンガー。まさか聞いた直後に遭遇するとは思いもしなかった。

  • 162125/09/07(日) 08:57:21

    (丁度良いですね。試しに一発撃ってみますか)

     担いだ銃に意識を向けていつでも構えられるように歩き続ける。
     外れゆく足音は徐々に早く、もはや早足と言うほどに早くなっていくと同時に自分の背中へ近づいてくる。

     昏い夜道に電柱の明かり。
     そこに差し掛かった瞬間、ハイマは振り向きざまにアンチマテリアルライフルを構えた。

    「うわぁっ!!」
    「……おや?」

     ライフルに驚いて腰を抜かしていたのは小さな少女だった。
     もっさりとした夕焼け色の髪がやけに印象的な中学生。ドッペルゲンガーでも何でもない。

     立ち上がれるよう手を伸ばすと、その中学生はハイマの手を取って立ち上がる。
     やけに身体が軽いことが気になった。そして握力もほとんどない。もしやと思い、率直に真正面から少女に尋ねた。

    「……あなたは、何か病気でも患っているのですか?」
    「おっ、勘がいいねぇ。当たり。ちょうど健診が終わったところなんだよねぇ……。もうこんな真っ暗」
    「それは申し訳ありません。驚かせてしまったようでしたので」
    「いやいや、それで言ったら僕の方が悪いじゃないか。驚かせようと思ったのはこっちだからねぇ?」
    「それはどういう……」

     そう聞き返すと、少女は幼い顔立ちを綻ばせながら頷いた。まるで悪戯を仕掛けようとする小さな子猫のように。

    「燐銅ハイマちゃん、だよね。キヴォトス最高のチェスプレイヤーの」
    「ああ……なるほど。対局は受け付けておりません」
    「ええー! そんなぁ!」

     がっくりと項垂れる少女。ハイマも自身の知名度は一応ながら理解はしている。

  • 163125/09/07(日) 08:58:30

     だから以前までは辻斬りならぬ辻チェスを挑まれることも多かったのだが、途中から面倒になってネットチェスの上位プレイヤーとしか指さないと公表することにしていた。

    「はぁ、せっかくミレニアムに入学したってのになぁ……」
    「入学……? まさか……同い年ですか?」
    「ニヒヒッ! そうさ! これでもミレニアムサイエンススクールの一年生……なんだけど、入学したのは本当に最近でね。色々あって手続きが遅れたんだよねぇ」

     身体がこんなもんで、と微妙に触れ辛いボケを見せられながらも、むしろその容姿で同い年という方が驚きだった。どう見ても中学一年生かそれ以下にしか見えないからだ。

     しかし、痩せ劣った小さな体も何らかの難病を患っていると考えれば不思議ではないと思い直す。

     そしてミレニアムへの入学。三大校でもこの学校を選ぶ者はみな、やりたいものがあるか何らかの一芸を持っている者ばかりである。だが入学時期が遅れるほどの病気を患っているのならその限りでは無いのかも知れない。

     ならばこの少女が入学した理由は――

    「もしや、あなたがミレニアムに入学されたのもその身体を治すため……でしょうか?」
    「いんや? 全然違うよ?」

     ふるふると首を振る少女。そして胸を張りながら興奮した様子で口を開いた。

    「僕はね――キヴォトスにもっとメイド喫茶が増えればいいと思うんだ!」
    「――はい?」

     呆気に取られて言葉を紡げないハイマに対し、少女は立て板に水を流すかの如く語り始める。

    「キヴォトスに出回っている電化製品の大半はミレニアムから生まれている、つまりミレニアムこそ流行の発信地! だったらそこの生徒会長になればメイド喫茶事業を主軸に切り替えてキヴォトスへと発信していけばいずれは全ての飲食店に取って代わってメイド喫茶が生まれると思うんだどうかな!?」
    「いえあの、どうかなと申され――」
    「もうオリジナルのおまじないは考えてるんだ! こうやって……くま、くま、まじかる~☆」

     少女は両手を軽く握るようにして頭の上に持って行くと、くるりと回って手を広げた。
     静かな夜。電柱の明かりの下で行われる奇行にハイマは眩暈を覚えた。

  • 164125/09/07(日) 08:59:33

    「何故……熊?」
    「え、可愛いだろう? 熊。というか、猫があまりに多すぎる! 右を向いても猫! 左を向いても猫! たまに犬! だったら熊ぐらい良いとは思わないかい!?」
    「……いいですね」

     どうでも、という言葉だけは何とか呑み込む。
     というより何故自分はこんなところで長々とメイド談義に付き合わされているのか分からなくなってきた。

     夜も遅い。意味も無く立ち話に付き合わされるぐらいなら早く帰りたい。心からそう思って踵を返した。

    「では、私はこの辺りで……」
    「だからさ、ハイマちゃんも一緒に僕と生徒会やろっか!」
    「…………は?」

     ぴたりと足が止まった。どうしてこの流れでそうなるのか意味が分からな過ぎて、思わず足を止めてしまったのだ。

     振り返る。電柱の明かりを挟んで少女が笑う。屈託のない――『貼り付けたような』笑み。

    「僕は今年か、来年の始まりまでにはミレニアムの生徒会長になろうと思っててさぁ。もし成れたらハイマちゃん。僕の下で役員になってよ」
    「どうして私が……」
    「優秀な人材が欲しいんだよね。だから青田買い。書記としてどうかな? あと保安部の部長も任せたいし色々やってもらいたいんだよねぇ~」

     あまりに横暴な言い様に、流石のハイマも少しばかり不快に感じた。
     まるでこちらのことを『駒』としか見ていないような物言い。だから、挑発してしまった。

  • 165二次元好きの匿名さん25/09/07(日) 09:00:40

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  • 166二次元好きの匿名さん25/09/07(日) 09:01:51

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  • 167125/09/07(日) 15:26:32

    「私は自分よりチェスが弱い方に『駒』扱いされるのは癪でして、後手で私に引き分けることが出来るのなら考えて差し上げますが」
    「言ったね?」
    「っ……!」

     少女の瞳は獲物を捕まえた肉食獣のような輝きを帯びていた。
     それこそ、餌を前にした獰猛な熊を思わせる脅威。膂力で全てをなぎ倒しながら何処までも追いかけて来る執念深さを幻視するほどに。

    「今晩0時に君のアカウントへ連絡しておくから対戦してよ。君が先行、僕が後攻。勝負は一局限り。君が僕を倒せなかったら僕の勝ちってことで」
    「……私が勝ったら?」
    「勝っても負けても報酬は支払うさ。君に新しい趣味を教えてあげる。君は絶対好きになる。君の考えていたことは全部分かるからね」

     奇妙な出会いに奇妙な取引。そして必ず気に入るとまで断言した新しい趣味。
     全てが日常から程遠いものであったが故に、日常では見つからなかったものが見つかるかもしれないと期待をしてしまった。

     ならば、戦う相手として『正しく』あるべきだと姿勢を正した。

    「私は、燐銅ハイマ。キヴォトスで恐らく一番強いらしいチェスプレイヤーです」
    「僕は小熊坂(こぐまざか)シオン。強くて大きな熊派の次期生徒会長さ」


     それからの顛末は、語るほどのことでもなかった。

  • 168125/09/07(日) 15:27:36

     ネット越しに挟んで行われるたった一局の試合。
     そのモニターの向こうに『自分』を見た。完全に同じ思考を持つ者同士の対局だったのだ。

     シオンと名乗る少女は本当に何一つ間違えず、ハイマは自分と全く同じ指し方に動揺して一手間違えた。結果、詰め切れず、逃げられ続け、スティルメイトに持ち込まれた。

     まさに自分の思考を完璧にトレースした『ミレニアムのドッペルゲンガー』。
     怪談ではなく確かな存在として彼女はそこに在り続けたのだ。

     もちろん記録上は敗北ではない。
     しかし、先手を取ったら必ず勝利してきた天才が初めて目の当たりにした『勝ち切れない』という現実。

     地平を均し続けた無敗が唯一均せなかった彼女はその後、宣言通りにミレニアムの生徒会長となった。

     それが会長と書記、小熊坂シオンと燐銅ハイマの出会いであった。

    -----

  • 169125/09/07(日) 15:28:38

    「会長――小熊坂シオンという人物は、二年前の八月以前には存在しませんでした」

     ヒマリがこの休止期間の間の成果を報告すると、チヒロは渋そうな表情を浮かべた。
     そうであってもおかしくない。確かにそう思っていたものの、実際にそうだと言われると話は別だ。

    「ミレニアム中の病院関係は全て洗いましたが何も出て来ず、それどころか映像も画像も音声も何一つデータに残っていなかったのです」
    「じゃあその、会長の名前は何処から見つけてきたの?」
    「セミナーの備品倉庫です。コタマに頼んで忍び込んでもらいました」
    「あの程度なら簡単に忍び込めます」
    「何してんの本当に……」

     あまりに手慣れ過ぎていて少し怖くなったが、そこで声を上げたのは意外にもリオの方だった。

    「あぁ、そういえば棚にプリントシールが貼ってあったわね。ミレニアムEXPOの」
    「あんたまでいつの間にそんなとこに……」
    「チヒロの冤罪事件を晴らすために忍び込んだのよ。セフィラたちに協力して貰って。あの時は詳しく調べる余裕もなかったけれど……」
    「それだけではありませんよリオ。会長の姿から画像検索をかけて見たのですが、会長に似ていた方はいても会長自身は本当に全てのデータから抹消されておりました。恐らく会計に指示して消したのでしょう」

     セミナー会計、常軌を逸した演算能力を持つ久留野メトであるのなら、それが可能であることは周知の事実。
     しかし『似ていた者』の記録は残っていたらしい。一応チヒロがそこに突っ込みをいれると、ヒマリはネットワークから遮断された使い捨てのラップトップを取り出した。

    「記録に残っていたのはこの方ですね」

     画面に映っていたのは夕焼け色の癖毛を腰まで伸ばした少女であり、そっくりどころか双子の姉妹と言われても違和感無いほどである。

     だが、ヒマリは続けて画面を切り替えた。

  • 170125/09/07(日) 15:29:41

    「当時中学一年生でしたので今は三年生ですね。この方です」
    「これ……」

     思わず眉を顰めるチヒロ。

     そこには背の高い少女の姿。すらりとした手足にショートボブにカットされた短髪。呆れたように笑いながら友人と歩く姿が映し出されていた。会長が順当に成長したのならこうだろうという映像記録。そして着ているのはオデュッセイアの制服だった。

    「念のため姉妹が居ないか調べましたがそんなこともなく、何よりオデュッセイアの生徒ですからね。ほとんど海の上に居るので会長との関係性は一切無いことも確認しました」

     それだけ言ってヒマリはラップトップを閉じると、「せい!」と声を上げてラップトップを膝で叩き割った。
     突然の奇行に驚いていると、ヒマリは「ふふ」と笑って皆を見渡す。

    「流石の私でも一個人の情報を握り過ぎましたからね。あと一度でいいからやってみたかったのです。PCクラッシュ」
    「まぁそれは分かる。私もたまにぶっ壊したくなる時あるし」
    「はは、たまに酷い荒れ方してるときあるよねチヒロ」

     ウタハの指摘にチヒロは遠い記憶の彼方へと目を向ける。
     徹夜明けに「今晩はちゃんと寝よう」と思った時に限ってやってくる企業からの届けられるエラーレポート。他社の妙なアプリケーションとの連携エラーなど保守外であるが向かわないわけには行かず、いったい何度エナドリを飲みながら終電に乗ったことか。

     憎き記憶に心が闇へと染まりかけていると、話を続けるようにリオが口を開いた。

    「つまり、八月を境に突然発生した『会長という存在』は、あとから『名前』が結びつけられた存在である可能性が高いと言うことね」
    「恐らくはその時期に姿を目撃され、その後に名前を得たのでしょう。逆説的に『あの時みたあの子は小熊坂シオンという生徒だった』と言ったように」

     例えば海から現れ侵略してくる大怪獣。
     例えば廃園したはずの遊園地で踊り続けるマスコット。

     有り得るはずの無い存在であっても、誰かがその姿を見て『名前』を付けたのならその存在は確実に力を増していく。

     伝承の怪物がそうであるように、名付けられた存在が人としてミレニアムに紛れ込むなんてことは、きっと今までであれば信じなかった。しかしセフィラと共にここまで旅を続け、ケセドの中にあった記憶から古き世界の記憶を垣間見た今となっては考慮するに値する情報である。

  • 171125/09/07(日) 15:31:00

    「つまり、会長のルーツは何らかの『特異現象』だったってこと?」
    「あくまで可能性のひとつですよチーちゃん。それに私にはまだ引っかかっていることがあるのです」
    「引っかかってること?」
    「ええ、二年前の初代『マルクト』が殺された事件のことです。手口などは置いておくにしても、あのとき殺されたのは何人だったのか、という点です」
    「それはマルクト一人だろう? ……いや、そういうことか」

     ウタハが声を上げて、納得したように頷く。それからウタハはマルクトの方へと向いた。

    「マルクト、君はゲブラー戦のときに『マルクト』の起源に触れたんだろう? 『マルクト』はひとりだったのかい?」
    「いいえ違います。『マルクト』の中にはイェソドたちと同じように『博士』の『意識』が――」

     マルクトは、はっとした表情を浮かべた。

    「『博士』も消えてしまったのですか?」

     その場に緊張が走った。『マルクト』の存在が消されることと『マルクトの中の博士』が消されることは果たしてイコールで結ばれるのか。

    「え、待ってよ。それじゃあ難を逃れた『博士』の意識が何をどうやってか知らないけどミレニアムの中を出歩いているってこと? 会長として?」

     『意識』が先行して肉体が作り上げられるという奇跡をチヒロたちは既に見ている。他でもないリオとヒマリの二人によって。

    「ひとまず、私たちが解くべき謎をまとめましょう」

     頭がこんがらがってきたところでリオが一度、いま目の前にある謎の整理を始めた。

     一つ、セフィラが生まれる原因となった『名も無き神』の技術の正体。
     二つ、古代のキヴォトスに存在した、『無名の司祭』たちと『忘れられた神々』の戦い。
     三つ、二年前に発生したこの『テクスチャ』における最初の千年紀行について。
     四つ、セフィラの機能を完全に使いこなす会長の正体。
     五つ、二回目である自分たちの歩む千年紀行に現れた、存在しないはずの『二体目』のセフィラたち。

  • 172125/09/07(日) 15:32:04

    「この五つの難問に、恐らく深くかかわっている共通項があると思われるわ。チヒロ、あなたなら分かるでしょう?」
    「え、私?」

     突然水を向けられて困惑するチヒロ。
     一応頭を回してみるが特に何も思い浮かびは――

    (待って、なんで私に振ったの? わざわざ。あのリオが?)

     一瞬思考が止まる。
     そしてひとつの可能性に思い至った時、まるで冷たい指先で脳髄を掻かれたような悍ましさが背筋を駆け上がった。

     ――ここで。ここで戻って来るのか。

    「どうしましたチーちゃん?」

     心配そうに顔を覗き込むヒマリのことすら目に映らない。
     まるで何かに操られたかのように、チヒロは無意識に呟いていた。これまでの旅に深く関わっていたものの名を。

    「千年難題……」

     ミレニアムの始まり。セミナーの追い求めた七つの難題。
     解くべき謎は、最初からチヒロたちの前に在り続けたのであった。

    -----

  • 173二次元好きの匿名さん25/09/07(日) 23:54:27

    結局タイトルに戻ってくるか!
    というか正直頭の中のだいぶ隅っこの方に追いやっていた…

  • 174二次元好きの匿名さん25/09/07(日) 23:59:23

    なんかチヒロの千年難題から始まって戻ってくる感じいい
    あとそういえばエンジニア部と特異現象捜査部でそれぞれ部長違うのも思い出した

  • 175125/09/08(月) 04:37:14

    『書記ちゃん。千年難題ってさ、何だと思う?』

     セミナー本部から出たハイマ書記は、歩きながらかつて会長の言っていた言葉を何となく思い出していた。役員に就任してそうそうに言われた問いである。

    「……ふぅ」

     こつこつと廊下を歩きながら向かうのはエンジニア部の部室――部室棟第二倉庫。
     夕方ごろに次期生徒会長の白石ウタハが来ることは重々承知ではあったが、会長とよく関わるようになった彼女たちに最近の会長の様子について聞いてみたかったのだ。

     それで思い出したのが千年難題。エンジニア部の半ば顧問と化している各務チヒロは自力で千年難題を解き明かすことを理由にセミナーの勧誘を袖に振ったことだった。

    「……しかし理解できませんね。セミナー内部に入れば多くの資料が閲覧できるというのに」

     セミナー外部から解き明かすことを目的とすることは、下手すれば車輪の再開発を行いかねないタイムロスすら発生し得る。よく『素人目線だから分かること』なんて言葉があるが、あれは全くの勘違いである。どの分野においても素人が専門家に勝つことは有り得ない。チェスピースを握ったことの無い者が神の一手を打つことなんて無いように。

     そうしてミレニアムタワーを出ると、目の前を横切った生徒がこちらに気付いて「あ!」と声を上げた。

    「書記だー! 相談事ー?」
    「アスナさんでしたか」

     一之瀬アスナ。単独でキングを刺せるメジャーピース。ルーク相当。

     ハイマにとってアスナという存在は極めて興味深い存在である。高すぎる知力によって常時デバフを受けている生徒。突拍子もない言動は忘却と推論の先で構築されたものであり、会計と同じく頭の中に制御不能な量子演算機を積んでいるせいで熱暴走を起こし続けている少女。

     燐銅ハイマはそのように一之瀬アスナというを認識していた。

  • 176125/09/08(月) 04:38:59

    「お昼ですか?」
    「千年難題が解けそうなんだって!」
    「なるほど。奢りますよ」
    「やった! マルクトに連絡するね!」

     圧縮言語じみた会話のラリーに少しだけ心が弾む。
     チェスとは言葉ではない対話であり、それは相手を『理解』することから始まる。

     眼前に座る対戦相手が何を考え、どこに駒を指そうとしているかの応酬。同じ共通認識を持って互いに積み上げる結果の連続。チェスでなくともこれが出来る相手との会話はゲームじみて面白いと感じていた。

     奢ると言った以上、先を行くアスナに着いて行きながら一時の楽しみを享受していると、アスナが向かった先はミレニアムのカフェテリアであった。

     カウンターでお持ち帰りのランチセットを指差すアスナ。それらを確認しながら注文を済ませて待ち時間。近くのベンチで共に座ると、アスナは「ねぇねぇ」と声をかけて来た。

    「『ユニオン・ザ・ミソロジー』にハマってるんだっけ?」
    「遂に布教するときが訪れたということですね」
    「コタマでもやらなそうだねー」
    「そうですか……。それは残念です」

     『ユニオン・ザ・ミソロジー』とは、五対五の対戦ゲームであり会長が教えてくれた新しい趣味であった。それは戦術や戦略への理解度が求められる一方、各人ひとつの駒――ヒーローを使って戦う集団戦である。

     どれだけ完璧な戦術を組み立てても自分が動かせるヒーローはひとつだけ。時に戦術度外視の横暴を働くトロールが同チーム内にいるだけで、組み立てた理想の戦術は一瞬のうちに灰燼と帰す。故にトロール行為を行われる前提で戦術を組み直すもそれに従うかどうかすら各プレイヤー次第。

     アンコントローラブルな混沌極まった戦場の中で自分の内にある『正しさ』をどこまで追求できるのかという戦い。数えきれないほどの乱数。その中を泳ぎながら心情すらも考慮して組み立てる完璧な戦術。言ってしまえばドハマりしていた。

  • 177125/09/08(月) 04:40:15

    「集団戦というものは良いものです。戦争芸術とでも言いましょうか。五対五という塩梅も素敵なのです。兵士というものは数が増えれば増えるほど個を失いますので」
    「なんでミレニアムに来たの?」
    「ただの前後関係です。棋力はあるからと来ただけで当時は特にこだわりがあったわけではありませんから」
    「楽しいもんね! ミレニアム!」
    「ふふ、そうですね」

     ミレニアムサイエンススクール。それは才能を伸ばすことに特化した学園である。

     目的もなく自分の長所も自認できない者からすればひたすら虚無感に襲われるであろう実力至上主義の学園ではあるが、自分のやりたいことや出来ることを明確に理解している生徒にとってはここほど気楽なものはない。

     とは言えども三大校がひとつ。それだけ生徒の数も多く、自認をへし折られた生徒が不良化するというケースも多分にある。それ故に保安部はそうした生徒からミレニアムの知的財産を守るために存在するのだが、天才と常人の境を見せられて暗がりに落ちる者を直視するが故に長続きする者もまた少なくない。

     井の中の蛙が見る大海は恐らく絶望だろう。そのことは理解している。

     そして自分も、エンジニア部も、セミナーも。全員は蛙ではなく大海側。ここで「水が広がっている!」と無邪気に泳ぎ始められる者だけが一線を越えることが出来るのだ。新素材開発部しかり、古代史研究会しかり。

    「そういえば、書記さん」

     隣に座るアスナがおもむろに口を開いた。

    「千年難題って、解いたら何か良いことあるの?」
    「ふふっ――」
    「……?」

     そんな質問に思わず笑ってしまった。
     セミナー役員に就任したときに言われた言葉、『千年難題とは何か』という問い。

  • 178125/09/08(月) 04:41:48

    (あの時の私は答えられなかった。けれど、今なら答えられる――)

     チェスに例えれば説明のつく原初の設問。
     ある地点において確認された『未知』の一手。既存のスキームに存在しない設問を投げかけられたとき、多くの指し手は何を考えるか。

    「解くこと自体が重要では無いのです。『解ける』という状態こそが肝要なのです」

     千年難題は解くこと自体に意味があるのではない。『解ける状態』こそが鍵である。
     それは既存のパラダイムの更新。人類がまた一歩先へと進めた証明なればこそ、解き明かせるだけの技術力を得たという証左に成り得るのだ。

    「あ、お昼出来たみたい!」

     そんな思いを知ってか知らずか、アスナはカウンターまで行くとちょうど料理が出来上がった時である。

    「ラボで食べよ! 一緒にね!」

     屈託なく笑うその顔は、まさしく純真無垢で熱に狂わされた笑みであった。

    -----

  • 179二次元好きの匿名さん25/09/08(月) 12:05:35

    保守

  • 180二次元好きの匿名さん25/09/08(月) 18:31:10

    飯じゃ

  • 181125/09/08(月) 23:23:26

     アスナとコタマを昼食の手配を頼んでから、ヒマリたちは引き続き情報の再確認を行っていた。

     まずは千年難題。最初に推察を重ねた時とは得られた知識が桁違いである。
     それ故にヒマリは一度振り返ってみることにした。

    「『社会学/問1:テクスチャ修正によるオントロジーの転回』――これはコタマが指示役で行っていたテロ事件を収束させたことで会長から貰ったレポートの中にありましたね」
    「正確には『問1』そのものではなく共通する単語の羅列だったのだけれど……今なら何を示しているのか分かるわ」
    「本当に!?」

     チヒロが驚いたように声を上げた。ウタハやマルクトもピンと来ていない様子だったが、ヒマリは『リオには推測が付いている』ということから『ケセドの中で見た物がヒントになる』のだと理解した。

     つまり、『問1』を言い換えるならこうだ。

    「『テクスチャ』の変化に伴う世界のルールに相関関係は存在するのか……ということですね」
    「ええ、私たちのいるこの世界ではヘイローが存在しているのだけれど、過去の世界には存在していない。つまりヘイローは私たちのいるこの『テクスチャ』特有のルールということになるわ」

     オントロジーとは存在論のことであるが、ここではざっくりと『世界のルール』として捉えても良さそうである。

     異なる『テクスチャ』間において発生している物理現象は決して同じではない。ケセドの中にいた王の記憶では銃弾一発どころか槍で一突きすれば命を失うような世界であった。そして現れる伝承の怪物『忘れられた神々』――あれもあの『テクスチャ』固有のものだろう。

    「そして接頭の社会学。これは『テクスチャ』を構成するための要素だと思うのよ」

     例えばキヴォトスに住まう全ての存在が『魔法は実在する』と認識し、魔法の実在を前提とした社会を構成した場合『テクスチャ』は恐らく変化してしまうのだ。魔法が存在する世界へと。

    「神性の話で言うならヒマリひとりだと局所的で小さな現実改変が起きるかどうかというところを、全人類がそう認識したら世界ごと書き換えられるということだと思うのよ。ではその最小単位は? 国? 種族? そのうちの何パーセントが信じたら『テクスチャ』にヒビが入るのかしら? もしも自由に『テクスチャ』を修正することが出来たのなら、書き換わる世界のルールもまた制御可能では無いのかしら?」

  • 182125/09/08(月) 23:25:16

     まさに机上の空論。加えて実証するには『テクスチャ』を書き換えなくてはならない。
     これが千年難題最初の一問目、世界の変え方。『社会学/問1:テクスチャ修正によるオントロジーの転回』である。

    「解決は出来そうにありませんね。解決のために実証なんてしたら『テクスチャ』が書き換わりますし、そうなれば『無名の司祭』たちがやってきますし……」

     千年難題の順番に意味があるかは不明だが、初手から解決不可能な難題だと思ってもはや笑う他なかった。
     一応リオの様子も伺ってみるが答えは同じようで首を横に振っている。そしてチヒロの様子はと言うと……。

    「ま、何を訊かれてて出来る出来ないが分かっただけでも良いかな。とりあえず『問2』に――」
    「待ってくれチーちゃん。多分、実証できる」
    「え……?」

     思わず零れた声。チヒロと同じくヒマリが視線を移した先には何かを思い出そうと顔の下半分を手で覆うウタハの姿。

    「前にセミナーの業務説明を受けた時、会長から言われたんだ。『生徒会長はただの役職じゃない』って」
    「そうなの?」
    「『生徒会長』に成ると、その神性は『テクスチャ』への干渉力が一気に跳ね上がるみたいなんだ。それに晄輪大祭のときにセフィラたちが言っていただろう? 他の学区はセフィラにとっての『異世界』だって。だったら、各学校自治区内で『テクスチャ』が完全に一致していないんじゃないかな?」
    「それさ……要は各学校ごとにちょっとした『パッチ修正』が入っているみたいなことだよね。正確には『入れられる可能性がある』ってことか」

     チヒロの指摘にウタハが頷く。
     つまり、生徒会長に成れば当該自治区内の『テクスチャ』を修正できるということである。

     だから生半可な者がうっかり生徒会長に成るなんて出来ない。してはいけない。成ってしまえば『権力』に狂う。
     思想や意識が『無意識的にでも』ダイレクトに反映されてしまうのならば、とても正気でいられるはずがない。

     そこでリオは何か納得するように口を開いた。

    「なら、生徒会長になった人が意識的に監視社会を作り上げたのなら自治区で起こる事象に対してある程度のコントロール権を得られるというわけね」

     良くも悪くも――そう付け足したリオの言葉に、ヒマリはひとつ思い当たる節があった。

  • 183125/09/09(火) 01:58:28

    保守

  • 184二次元好きの匿名さん25/09/09(火) 08:04:50

    あれ…つまり他の自治区の生徒会長も…?

  • 185125/09/09(火) 08:52:44

    「そういえば皆さん、レッドウィンターをご存じですか?」
    「レッドウィンター? あの、雪が凄いところでしょ? 詳しく無いけど」
    「あそこですが、昨年度まで大人が生徒会長を乗っ取っていたらしいですよ。おかげで誰も転校できず逃げ出せない状況だったとか」
    「ああ、そう言えば会長も言っていたね。地獄そのものだったとか」

     ウタハはそう言うがあまり詳しくはないようで、それはヒマリも同じだった。

     ただ、あくまで噂としてであるが、大人に占領されたレッドウィンターの生徒たちは工場の部品のようにひたすら商品を作らされ続けていたと聞く。学籍を握られている以上、逃げ出そうにも逃げ出せず、吹雪の中で耐え凌ぐような日々が続いていたらしい。

     キヴォトスにおいて学籍とは人権そのものである。
     学籍がなければバイトも出来ない。口座も使えない。まともな社会復帰は望めない落伍の烙印。

     加えてレッドウィンターは広大且つ雪に閉ざされた過酷な土地である。
     下手に逃げ出そうものなら凍えて死ぬか、生き残れても残飯を漁る日々は免れない。だからこその抜け出せない地獄となっていたらしい。

    「生徒会長――いえ、『自治区の管理者』にはそれ相応の干渉力を持ってしまうことへの手掛かりにはなりますね。……『問1』で本当に求められていたのはこれでは無いでしょうか? 『生徒会長になることで何が変わるのか』。実際に代替わりを経て変化したミレニアムを観測したのであれば、難題として挙げられるだけの疑問は出てくると思うのです」

     それはミレニアムだけに限らない。ゲヘナやトリニティといった他の三大校や、それ以外の学校で生徒会長が代わるタイミングの前後を調べればデータは集まる。推論が出せる。そしていずれは解決できる。決して不可能では無い。

     その結論を述べると、チヒロの頬が確かに緩んだ。

    「どっちにしたって私ひとりじゃ難しそうだね。でも、ああ、いや、だからセミナーか。多分持ってるんだろうなぁそのデータ」

     連綿と受け継がれて蓄積される観測結果は絶対に無くならない組織にしか存在し得ない。
     だからセミナーがあるのだ。ミレニアムの根幹となる生徒会組織が。決して個人では解けない難題を解くために存在し続ける最古の機関が。

  • 186二次元好きの匿名さん25/09/09(火) 09:06:55

    このレスは削除されています

  • 187二次元好きの匿名さん25/09/09(火) 09:27:48

    このレスは削除されています

  • 188125/09/09(火) 09:28:56

     そのことをチヒロは悟ったのか、苦笑交じりに目を瞑った。

    「ま、個人で解決できるようなものじゃないってことが分かっただけでも良いかな。ちょっと悔しいけど、なんか千年難題の大きさが見えてちょっとすっきりした」
    「だったらチヒロ。セミナーに入っていた方が良かったのでは無いかしら?」
    「――あの、リオ?」

     絶句しかけたヒマリが辛うじて声を上げる。ノンデリオ、ここに極まれり。
     当のリオ本人は首を傾げている始末で、ウタハは失笑。チヒロは諦めた様子で天を仰いでいた。

    「いいですかリオ。神の視点で物を言うような最適思想はいい加減改めなさい。そもそもチヒロがセミナーに入っていれば私もリオもエンジニア部に入っていないのですから、そのような物言いは私たちのこれまですら否定することになりますよ?」
    「そ、そうね……ごめんなさい」

     素直に頭を下げるリオ。別に悪い子ではないのだが、悪気なく言ってしまうことが余計に悪いというべきか。
     するとこれまで聞き手に徹していたマルクトはリオに向かってこう言った。

    「リオ。私の方が情緒は育ってます」
    「うぅ……そうね。反省するわ」
    「なんで追撃したのマルクト?」

     チヒロが心なしか自慢げなマルクトに突っ込みを入れて話は次に――進むはずだった。リオが口を開くまでは。

    「ただ、思ったのよ。いえチヒロの進退の話では無くて。生徒会長という存在が『テクスチャ』に影響を与えるのであれば、キヴォトス全体を管理する『連邦生徒会長』は何処までの干渉力を持つのかしら」
    「「…………」」

     それはきっと些細な疑問だったのだろう。

     しかしヒマリは思ってしまった。自治区の存在。『学校』という世界の単位。もしもその全てを規定するのが『連邦生徒会長』であるのなら、連邦生徒会長が代わることによる影響力はいったい何処まで響いてしまうのかを。

    (まさかと思いますが、キヴォトスとは割と簡単に滅びかねない世界なのでは……?)

  • 189二次元好きの匿名さん25/09/09(火) 13:20:57

    お気づきになりましたか

  • 190125/09/09(火) 18:33:56

    ※次スレは今晩立てます! 恐らく23時前には立てられるはず……

  • 191125/09/09(火) 23:09:11

    ※書き込めるかテスト

  • 192125/09/09(火) 23:34:30

    ※ちょっと一旦状況だけ報告いたします。

    1、PC(有線)でPart12のスレを立てようとする
    2、「Bad Request」と出て来て画面が変移
    3、正常では無いPart12のスレが立つ
    4、スレ削除を行う
    5、もう一度立て直そうとしたら「未承認・削除のスレッド投稿が24時間以内に3件以上あるためスレ立てできません。」と出て来る(注:削除したスレは上記の1つのみ)
    6、スマホ回線からスレ立てしようとしたら絶賛ホスト規制中←イマココ

    機械クソ雑魚勢なのでスマホ回線のホスト規制が解除され次第立てます……。

  • 193125/09/10(水) 06:26:10
  • 194二次元好きの匿名さん25/09/10(水) 14:50:18

    一体全体、あとどれくらいでEndingなのだろうか?(もう大分進んだ気もするが…)

  • 195二次元好きの匿名さん25/09/10(水) 22:54:10

    長期で分量もすごい…

  • 196二次元好きの匿名さん25/09/11(木) 08:10:51

    >>195

    文量だった

オススメ

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