【SS】唯一の女神

  • 1◆rRSKfk6hIM25/08/25(月) 23:29:38

    「どう言う事ですか先生……三年間保たない、って言うのは!」

     トレーナーの怒気を含む声が診察室に静かに響く。

    「どうもこうも今言った通りですよ、この子の膝や腰は自分の体重とパワーに耐えきれない。
     他の子達と同じ様に走ってたらね、無事には済まないですよ」
    「そんな……ヒシアケボノの膝が動かなくなるなんて……」
    「いや、そのずっと手前で止めてあげなさいって言ってるの!
     ……まあね、騙し騙し保たせる方向で走り続ける事も、出来なくはないですが」
    「……それで勝てるのですか」

     医師が長嘆息を一つ。そして言葉を選ぶように、ゆっくりと口を開いた。

    「大きな声じゃ言えないが、地方の子たちなんて皆そんなモンですよ。
     何しろ生徒数に対してレースの開催数が段違いですからね?毎度全力なんて出してられない。
     いかに本気に見せながら抜いて保たせるか、が課題の一つとも……」
    「……ここは地方じゃない。ヒシアケボノが相手取るのは中央の精鋭です」
    「……ま、大事な決断ですから。本人の意向と、ご家族ともよく話し合ってから今後の方針を決めて下さい。
     ただ医者としては負担を減らすように申し上げる他はありません……人生は引退してからの方が長いんですよ」

  • 2◆rRSKfk6hIM25/08/25(月) 23:31:24

     その日はヒシアケボノを休養日とさせ、トレーナーは何とかせねばと動き出す。
     とにかく少しでも身体を労りながら効率的なトレーニングを――大きな矛盾を抱えた彼は、正面から来る人影を捉えられずにぶつかりかけた。

    「わ、ビックリした」
    「あっ、すみません!……あ、あなたは確かシンコウウインディの……」

     ダートはともかくとして、得意とする距離は似通っている。何よりも、彼女と関わりの深い中堅トレーナーが率いるチームだ。
     まさにヒシアケボノのような巨体揃い、助力を願えれば心強いだろう。なぜ始めに思い付かなかったのか。

    「ええ、まさかウインディがまた何か?」
    「いえ!そうではなく、是非お力を借りたいと思いまして!」
    「……あらまあ、ずいぶんとまた情熱的なお方で。どんな“お力”をお求めやろ?」

     ハッと気付くと彼女の両肩を掴み、互いに息のかかる距離に迫っていた。

    「うわっ、ごめんなさい!いや、そういう事でなくてですね……」

     慌てて手を離した時、後ろから大きな咳払いが。

  • 3二次元好きの匿名さん25/08/25(月) 23:31:41
  • 4◆rRSKfk6hIM25/08/25(月) 23:32:38

    「……こんな所で何してンだ?」

     よりによって当のチームトレーナーに見咎められた。非常にマズい。本命はこの中堅トレーナーなのだ。

    「話を聞いて下さい、誤解です」
    「もう良ィ、忘れてやるから行きナ」
    「アッハイ……失礼します……」

    ――あんなのが好みなのかヨ?
    ――なんや、妬いてんのかいな
    ――若ェしツラもまあまあだしな
    ――そんなんと違ゃうわ、指導の事で相談があったんやろに。アンタがビビらしてから気の毒な
    ――正直に言えヨ、アイツにこうされたいとか思ったンだろ?
    ――ちょ、アンタこそ、こないなトコで何すんの!

    (なんかメチャクチャ俺の事ダシにされてる……!)

     物陰から再度アプローチする機会を伺っていたが、出られる雰囲気ではない。
     どころか当分は顔を合わせられそうになく、彼はスゴスゴと引き下がる他なかった。

  • 5◆rRSKfk6hIM25/08/25(月) 23:33:52

    「ああ、居たのか。もう寮に戻ってて良かったのに」
    「トレーナーさんが一人で頑張ってると思うと、何となく落ち着かないと思って。お茶淹れよっか?」
    「ああ、ありがとう。ちょうど土産に貰ったお菓子が……」

     突如彼の脳内に溢れ出した
     存在“する”記憶――

    『大きな声じゃ言えないが、地方の子た〜〜
     毎度全力なんて出してられな〜〜
     いかに本気に見せながら抜いて保たせ〜〜』

    「そうだ!まだ居るじゃないか、アテが」
    「!?」

     LANEのアドレスを探し、念の為に地方トレーナー名簿を検索する。果たして□□□トレーナーは今も在籍していた。
     神戸での研修会は地方との交流も兼ねており、若手同士で連絡先の交換もしていたのだ。

       ▷ご無沙汰しています
        お知恵を借りたいのですが
        電話出来る時間を教えて下さい

     二分程で返信が来た。

    ▷今なら大丈夫ですよ
     もしくは六時半頃なら

  • 6◆rRSKfk6hIM25/08/25(月) 23:34:52

    「もしもし、突然失礼します。担当の事で相談したくて」
    『ええ、お困りでしたら何なりと』
    「実は……下半身に負担をかけないトレーニングのノウハウについて教えて頂きたく……」

     電話の向こうからハッキリと、歯軋りの音が聞こえた。

    『……そうですかそうですか、やっぱりあなたもねえ、どうせ地方は抜いて走ってると思ってるんでしょう』
    「えっ?いやそのような事は……」
    『もう沢山だ!中央はどいつもこいつも、地方ってだけで見下してる!
     まだ話が分かる人だと思ってたが、もうかけて来ないで下さい!』

     一方的に電話を切られ、しばらく固まってしまった。我に返ってかけ直すが着信拒否、当然LANEもブロック済みだ。

    「何故だ……一体何が……?これじゃ地方に相談なんて出来ない……!」

     そう、思い返せばあの日はトイレに中座した帰りに少し迷ったのだ。ようやく会場に戻ると若手女性トレーナーたちは皆帰っており、会場はややザワついていた。
     周りのトレーナー達に聞いても曖昧に苦笑いするだけで、事情は分からず終いだったが、やはりあの時に何かあったのか。

  • 7◆rRSKfk6hIM25/08/25(月) 23:35:55

     半ば放心状態。新たに打つ手もない。
     ヒシアケボノとソファに並んで掛けたまま、無言の時間だけが流れてゆく。

    (そうだ、俺がショックを受けてる場合じゃない。まず本人の意思を確かめなければ)

     トレーナーがハッと顔を上げると、ヒシアケボノは寂しげな笑顔で見下ろしていた。
     ――担当の苦難を己の事のように抱える彼に対して、おそらくは始めからずっとそうしていたのだろう。

    「なあ。先生はああ言ったが……」
    「あたしはやめないよ」

     トレーナーの問いかけに食い気味に返答するヒシアケボノ。表情は変わらないが、視線にも声色にも迷いは感じられない。

    「つまり、今のまま全力を出し続けるって言うのか?」
    「そうだよ」
    「遠くないうちに、選手生命を終わらせる、としてもか」
    「……そう言ったの」

     この歳で、こんなにも強い決意を抱けるものだろうか。本当に後人生を天秤にかけても構わないと、そう思っているのか。
     トレーナーはヒシアケボノを前にして感情の奔流を抑えきれず、吐き出してしまった。

    「どうして……どうしてなんだ。
     中央に入りながら、幾らでも走れる身でありながら!諦め癖をつけてズルズル惰性で走ってる生徒だって居るのに……!
     どうして君がこんな……」
    「……トレーナーさん……」
    「神の采配が酷すぎる!こんな不公平なカードがあるか!」
    「トレーナーさん」

  • 8◆rRSKfk6hIM25/08/25(月) 23:36:55

     芯の強い声が嘆きを制した。我に返ったトレーナーが身を正す。

    「ゴメン。少し興奮した」
    「……ねえ。確かに、あたしに配られたカードは多くはないかも知れない。強くはないかも知れない。でもね。
     とっても大きなカードをもらったんだよ。だから、あたしはあたしのカードを最後まで使いたいの。そしてどう使ったら良いかは……この体が知ってるんだよ。
     後は、トレーナーさんが応援してくれたら、嬉しいなって」

    (ああ、止められない。俺はこの子を止めてやれない。大人なら大事を取らせるべきなのに。
     ヒシアケボノは自分を自分足らしめるため、自分を成し遂げるため、止まるまで止まらないんだ。
     そして俺はその意志を全うさせてやりたいと……それこそが彼女のトレーナーとして、最上の使命だと認識しているんだ……)

     たとえ結末がどうなろうとも、それだけは確かだと言える。

    「解った!俺はもう何も言わない!あ、まずご両親を説得しないとだけど……
     そしたら俺は全力で君のトレーナーを遂行する!誰に何を言われても!君の意志を最優先するぞ!」

     ソファから立ち上がってひと言ひと言、自分自身に言い聞かせるように。ヒシアケボノに刻み付けるように。
     燃え尽きると知ってなお高みを目指すその姿をこそ残さんとする彼女に、彼は誓いを立てた。

  • 9◆rRSKfk6hIM25/08/25(月) 23:38:04

    「っ……は、はっ……はぁ……」
    「トレーナーさん……」

     思いの丈を吐き出し、肩で息をするように消耗したトレーナー。
     見上げるヒシアケボノは呆けたような顔をしていた。そこにふた筋の光が走る。

    「……涙、が」
    「そっちも、ね……」

     気が付けばトレーナーもポロポロと涙を溢していた。拭っても押さえても止まりそうにない。
     ヒシアケボノが両掌を開いて真っすぐに差し出す。トレーナーは吸い込まれるように屈み込んだ。その頭と背中に腕を廻し、ぎゅっと抱きしめる。

     何でもない時ならとても平静ではいられなかっただろう。しかし今は彼女の大きな身体へと沈むに任せる。
     彼女の体温、鼓動、そして微かに甘い匂いが、トレーナーの荒ぶった心に安らぎをもたらした。
     同時にヒシアケボノもまた、胸の裡のトレーナーから尽きぬ親愛と頼もしさを感じている。

    「なんて情けないんだろうな、俺は……」
    「ううん、違うよ、あたしね……今やっと分かった。あたしのカード、一番のカードはね、それはね……
     あなただよ、トレーナーさん……」

     涙は静かに静かに流れてゆく。
     絆は確かに確かに深まってゆく。
     走り抜く事はただ走るよりもきっと幸せ。
     たとえ終わりの時がどれだけ早くとも。

  • 10◆rRSKfk6hIM25/08/25(月) 23:39:09

     あれから幾年月。ヒシアケボノは既に引退し、卒業までの僅かな日々を穏やかに送っている。
     全てのレースが引退レースとなり得る――元より誰もがそうであるが――彼女の覇気とファンサービスはひときわ観客達の心を捉え、トゥインクルシリーズにまたと無い彩りを添えた。
     そして有馬記念では彼女の親友であるビコーペガサスの勝利を見届け、もう思い残す事はないと言う彼女は今、トレーナーと二人での年末年始を選んだ。

    「うー寒っ、地球温暖化って言うならもっと暖かくしてくれて良いのにな」
    「も〜だらしない事言わないの!コート剥ぎ取っちゃおっかな」
    「それは勘弁して……」
    「一緒に走れば暖まるよ?」
    「あの時の子供達みたいに、か」

     初めてヒシアケボノを見かけ、出会いならぬ出会いを果たしたあの日の公園。冬の夕日が差し、寒風吹きすさぶ児童公園に人影はただ二つ。

    「あれから一度も来てなかったよ」
    「あたしも小学校以来。……あの時よりもっと小さく見える」
    「身も心も成長したからなあ。あの時の友達とはどう?」
    「もう引退してるのに、まだウマッターやウマスタに書き込んでくれてるの。嬉しいよね」

     それは彼も知っている。――もちろん、その頻度がだんだんと落ちている事も。
     誰だって道が別れれば新しい関係が出来る。ましてやヒシアケボノという存在は、“かつてのクラスメート”から“雲の上のスター”になってしまっても仕方がない。
     その寂しさを表に出す事なく飲み込む姿は、さすがの貫禄と言える。しかしそれがまた、些かの寂しさを思わせもする。

     “あの日のヒシアケボノ”はもうどこにも居ないのだら。

    「そろそろ行こうか」
    「うん!まずは腹ごしらえだね」

     彼はこんな日くらい手を休めてはどうかと言ったのだが、最後の年末だからと夕飯の支度をしに来てくれたのだ。
     そして初詣の前に合作の“ちゃんこ”を腹に収めるため、二人は一路、彼の部屋へと急ぐ。

  • 11◆rRSKfk6hIM25/08/25(月) 23:40:11

    「やっぱりスゴい人出だね」
    「穴場のハズなんだけど……そりゃ知れた時には遅いか、みんな考える事は一緒だ」

     除夜の鐘が届く神社で共に年を越そう、と言う彼の提案に乗り、人の波に揉まれながら境内を進む二人。
     少なくともヒシアケボノを見失う心配はないのだが、自然に繋いだ手の温度が安堵と幸福を生み出していた。

    「やっと前に来れた。あと二人ってところかな……“ボノ”は何を願うの?」
    「あたしは……やっぱり、これまでの全てに感謝して……これからも幸せでいられますように、かな。
     特に“あなた”との事は、ね」
    「そうか、ボノらしいな。……じゃあ俺もそうしておこうかな」

     いつしか二人の関係性も呼び方も、以前のそれとは変わりつつあった。それは単に契約云々ではなく――
     
    「さあ帰るか。一応外泊扱いにはしてるけど、早く寮に帰って寝ないとな。駐車場が慌ただしくなる前に……」
    「ねえ。このまま……さ、……。
     あなたの部屋じゃ、ダメかな?」

     か細く震えるヒシアケボノの声が、その意味する所を示していた。彼は言葉に詰まり、喉を鳴らす。

    「……この時期にスキャンダルはマズいよ。最初で最後の担当になる気?」
    「ね、お願い。もう卒業までワガママ言わないから。今日だけはいいでしょ」

     正面から両手を握り、彼の目を真っすぐに見るヒシアケボノ。その勢いに呑まれそうになった彼が、両手を軽く下に引いた。
     心得て屈んだ彼女の額に温かさが灯る。

    「……今はここまで!」
    「えへへ、仕方ないなあ。我慢してあげるけど、卒業するまで憶えててね?」
    「ボノも卒業までは忘れててくれよ」

     誰もが色々なものを失い、得て、変化し、選んだり選べなかったり。それでも人はより良い明日を求め続ける。一人では辛く果てしない路も、隣に大切な人が居れば――

  • 12◆rRSKfk6hIM25/08/25(月) 23:41:16

    『そうか、ボノらしいな。……じゃあ俺もそうしておこうかな』

     嘘だ。そんな事思える訳がない。

     こんな良い子にこんな残酷な運命を背負わせて、何が三女神だ。全てのウマ娘の祖神だ。

     俺はお前達なんて神だとは思いたくない、認めたくない、ヒシアケボノが感謝したって俺は許したくないんだ。

     女神なんてものが実在するならそれは――俺にはこの世で唯一、ヒシアケボノだけだ。



     でもそれなら彼女の顔は立てなきゃな。

     俺も唯一感謝しよう。彼女を苛んだ憎いお前達だか、それでもたった一つ。

     ――他の誰とでもない、“この子と俺”を引き合わせてくれた、その一点だけは感謝せざるを得ないんだ――

  • 13◆rRSKfk6hIM25/08/25(月) 23:42:19

    終了 出来すぎた子って損してますよね 誰もがどこかで釣り合いを取れれば良いのにね

  • 14◆rRSKfk6hIM25/08/25(月) 23:54:11

    >>3

    スレ画ありがとうございます

  • 15◆rRSKfk6hIM25/08/26(火) 00:21:54
  • 16二次元好きの匿名さん25/08/26(火) 00:57:57

    ほう 運命受け入れボーノですか…
    たいしたものですね
    自らの運命を受け入れたヒシアケボノはエネルギーの効率がきわめて高いらしく
    レース直前に愛飲するビコーペガサスもいるくらいです

    それに特大人混みの初詣に手つなぎ
    これも即効性のトレウマ食です
    しかもちゃんこ鍋もそえて栄養バランスもいい

    それにしても前作から作風が急変しているというのにあれだけ次作も面白いのは超人的なSS力というほかはない

  • 17◆rRSKfk6hIM25/08/26(火) 07:21:12

    感想ありがとうございます!

    >>16

    例えば喪失 別離 無念 この世にはなくなったほうが幸せになれるものがたくさんあるっピ!

    でもそれらを抱えて進む事こそが人生だと思うっピ!

  • 18二次元好きの匿名さん25/08/26(火) 07:22:53

    スティルのシナリオが衝撃的とは言われてるけど
    ボーノのシナリオもシニア6月からハードモードなんよな…しかもエンディングまで行っても解決しない
    ボーノは内なる怪物を飼ってないからあそこまではならんが方向性は実はそこまで変わらない
    話題性を取り入れた良いSSだと思う

    あとサラッと有馬勝ってるビコーは一体何をどうしたんだ…

スレッドは8/26 17:22頃に落ちます

オススメ

レス投稿

1.アンカーはレス番号をクリックで自動入力できます。
2.誹謗中傷・暴言・煽り・スレッドと無関係な投稿は削除・規制対象です。
 他サイト・特定個人への中傷・暴言は禁止です。
※規約違反は各レスの『報告』からお知らせください。削除依頼は『お問い合わせ』からお願いします。
3.二次創作画像は、作者本人でない場合は必ずURLで貼ってください。サムネとリンク先が表示されます。
4.巻き添え規制を受けている方や荒らしを反省した方はお問い合わせから連絡をください。