"こちら、篠澤広"

  • 1二次元好きの匿名さん25/08/31(日) 19:35:23

    「......ふふ」

    モニターの前から聞こえてくるプロデューサーの声は相変わらず面白い。
    わたしが見ているのは、興味本位で撮り始めた映像記録の寄せ集め。
    プロデューサーは学園に活動報告しないとだからちまちまとわたしのレッスンとかイベントの記録を撮っていたけど、わたしもやってみることにしたけどプロデューサーはすっごく嫌そうな顔をしてた気がする。

    「...あ」

    気がする、というか実際そういう顔してたんだった。

    それもちゃんとこれに残ってる。

    「………」

    ピッ、ピッ、とリモコンでチャプターを戻せば。

    「ほらね」

    あの日、あの時間、あの瞬間のプロデューサーがまた見れる。

  • 2二次元好きの匿名さん25/08/31(日) 19:36:17

    ふふ……、すごいブーメランパンツ……

  • 3二次元好きの匿名さん25/08/31(日) 19:36:24

    なんとなく、とスマホ片手にプロデューサーを撮り始めたわたしにやっぱり嫌そうな顔をしたプロデューサーはこう言う。

    『はぁ...相変わらず理由も目的もパッとしませんね』

    そんなプロデューサーにモニターの中のわたしはこう返す。

    ────趣味、だから。

    「...ふふ」

    その日からプロデューサーにスマホを向けては色々と注文をつけた。
    ポーズしてみて、とか。
    歌ってみて、とか。
    踊ってみて、とか。

    そういうのが、全部残ってる。



    全部。


    ここに、ある。

  • 4二次元好きの匿名さん25/08/31(日) 19:37:25

    照れてるを隠してる顔も、意外にノリノリだった時の顔も、ちょっとだけ怒ってる時の顔も。


    ちゃんと残ってる。


    ハスキーな声に綺麗な黒い髪。
    シワ一つないスーツ姿とたまに変えてたネクタイ。
    シルバーの細いメタルフレームのメガネと鋭くてどこか知的な輝きに満ちた切長の目。

    「......」

    まだ生きていた頃のプロデューサーがここには───

    プロデューサーが天国に旅立ってもう10年になる。
    わたしもとっくにプロデューサーよりも年上になってしまった。

    「...わたしの方が大人になっちゃった、ね」

  • 5二次元好きの匿名さん25/08/31(日) 19:38:23

    何気ない日常を切り取った映像を眺めながら、ぽつりぽつりとわたしの口から言葉が溢れる。

      
      「懐かしい、な」


           「ふふ、最初は嫌がってたっけ」


     「あ、顔赤くなってる」


             「遊園地、楽しかった」


    「...もしかしてこの時って照れてた?」


           「────」


    数秒のモノもあれば十数分のモノもあるたくさんの思い出を眺めていると気がついた時には日付はもう変わってしまっていた。

    もう何度も見返しているというのにモニターの中のプロデューサーはいつも新鮮で、顔も身体もちっとも映らないわたしの声は心底楽しそうで。


    居心地の良い微睡の中でいつまでも揺蕩っていたくなる。


    「...もうこんな時間になっちゃった」

  • 6二次元好きの匿名さん25/08/31(日) 19:39:39

    そんなこったろうと思ったよ

  • 7二次元好きの匿名さん25/08/31(日) 19:39:40

    ...今でもわたしはアイドルをしている。

    100プロからは独立して、フリーで気ままにやっている。

    「......」

    100プロ時代と違ってマネージャーもいないからとても忙しいけれど、篠澤広はアイドルを続けている。

    「......プロデューサー」

    時間を作っては、千奈たちとお出かけしたり、どこかへ写真を撮りに行ってみたりと好きにやっている。

    「......っ」

    夜はこうして、あの日々を思い出している。


    「───また、ね」


    さっきまで淡々と過去の思い出を映していたモニターの電源を切って、飲み終わったタンブラーをデスクの上から手にとって寝室をあとにする。

    スリッパを引き摺るように歩きながら、そのままキッチンへ。

    「......あれ」

    片手に精一杯の力を入れて冷蔵庫を開けるとストックしておいた麦茶が切れていることに気づく。

    そういえば作ってなかった、と思いながらも作ってなかったっけ、と一縷の望みを抱いてもう一度冷蔵庫の中を覗く。
    ...まあ、そんなことをしても当然ないわけで。

  • 8二次元好きの匿名さん25/08/31(日) 19:40:25

    「...うーん」

    明日のわたしに丸投げしようかな、と一瞬だけ思ったものの空になったピッチャーを手に取る。

    ぐぐ、と力を入れて。
    くるくる、とピッチャーのキャップを外して。
    ばっ、とゴミ箱に麦茶のパックを捨てる。

    「...ゴミ出しはまだ余裕がある、ね」

    じゃあじゃあ、とピッチャーを水で洗って。
    とぽとぽ、とピッチャーに水を貯めて。
    さっ、と最後に新しい麦茶のパックを入れる。

    「お...重い」

    少しよろめきながら冷蔵庫にピッチャーを頑張って入れるとまた一つ困ったことに気づく。

    ...今から何を飲もう。

    「...はあ」

    心の内でも溜め息をつきながら無心で給湯ポットに水を入れて沸き終わるまで待つことにした。

    ...ココアにしよっかな。

    キッチンの質素なイスに座りながらそんなことを考えていた。

  • 9二次元好きの匿名さん25/08/31(日) 19:42:10

    壁を背にぼんやりと、ただ黙って。

    「...」

    1杯分のお湯を沸かす程度の短い時間の間ですら、頭の中はプロデューサーとの時間を追いかけてしまう。

    それは、一人きりの夜だからなのか。

    それとも、さっきまでの趣味のせいなのか。

    あるいは、最近始めた新し───


    ぴい、と音が鳴った。


    それと同時に物思いに耽ていたわたしはパチパチと瞬きをして戻ってくる。


    「………」

    なんとも言えない曖昧な気分になりながら立ち上がる。

    カップにココアの粉を入れて、ポットからお湯を注ぐ。

    ティースプーンを取って、かき混ぜる。

  • 10二次元好きの匿名さん25/08/31(日) 19:42:40

    もういいかな、とスプーンを引き上げれば。

    「...できた」

    ココアの完成。

    「......熱い」

    ずず、と啜るように口をつける。

  • 11二次元好きの匿名さん25/08/31(日) 19:44:21

    閲覧注意づげで

  • 12二次元好きの匿名さん25/08/31(日) 19:44:22

    「...まあ、いっか」


    わたしの夜はまだまだ長い。
    このココアも程よく冷めて美味しく飲めるはず。


    カップを片手に取って、またずるずるとスリッパを引き摺りながらわたしは歩く。


    ここに住み始めてからほったらかしにしていたあの部屋へ。

    インテリアも何もないあの部屋へ。


    一歩、一歩とわたしは向かう。


    「......」

    がちゃり、とドアを開けて、あの部屋に。

    適当な作業デスクに、これまた適当なイスがあるだけの部屋。

    でも、ここには───



    「...相変わらず、この部屋は少し寒い」

  • 13二次元好きの匿名さん25/08/31(日) 19:45:16

    こと、とデスクにココアを置いてイスに座る。


    「...お待たせ、プロデューサー」


    そう言って、指を伸ばす。
    その伸ばした先には、無線機が。
    無機質で冷たくてこぢんまりとした金属製の無線機。

    つう、と輪郭をなぞるように撫でてからスイッチを押す。

    すぐ隣に目を向けてプロデューサーの遺品を手に取る。

    この無線機に負けないぐらい冷たくて、だけどそれ以上に暖かい気持ちになれるプロデューサーのメガネ。

    じい、と眺めてメガネをかける。


    「...うん」

    ちっとも度が合ってない。

    やっぱり、と思いながらメガネを外してレンズを拭いてケースに戻す。


    丁寧に、優しく。

  • 14二次元好きの匿名さん25/08/31(日) 19:46:30

    「......」



    ずず、とココアを一口。

    ...まだちょっと熱いかも。


    「...さて」

    カップをデスクに置いたわたしは無線機に指を伸ばす。

    送信しか出来ない無線機。

    誰とも繋がることはない中古の不良品。




    ふう、とわたしは深呼吸をして。

    音量を調整して、ツマミを回す。


    そして───


    「こちら、篠澤広です」

  • 15二次元好きの匿名さん25/08/31(日) 19:47:28

    ───天国へ、語りかける。


    「プロデューサー、元気?」


    これが、わたしが新しく始めたこと。

    繋がることはないと知っていて、わたしは言葉を紡ぐ。

    でも。

    もしも。

    受信出来たなら。

    きっとそれはプロデューサーからだと思う。

    プロデューサーはいつもわたしの無茶を聞いてくれた。
    中古の不良品に天国からかけてくるぐらい、出来ると思う。

  • 16二次元好きの匿名さん25/08/31(日) 19:48:06

    「...相変わらず返事がない」

        「...神様と喧嘩でもしてるのかな」


    「神様ってどんな人かな」

      「パパみたいな感じだったり、する?」

     「仲良くしないと、ね」

      「あ」

          「それとも、いじわるしてる?」

    「プロデューサーはやっぱり、鬼畜」

      「わたしがこうしてるのを楽しんでるんだ」



         「……怒った?」

       「……」   「ねえ、プロデューサー」
     
         「...違うよ、って言って欲しいな」

  • 17二次元好きの匿名さん25/08/31(日) 19:48:58

           「………」


                 「……」

      「……」


            「...昨日の続きをしよっか」


      「...今日も聞いていてね」


             「ぁ...ギターあっちだった」

        「少しだけ待ってて」

    ギターを取りにいくために寝室へ向かう。
    がちゃり、とドアを開けてこの部屋を出る前に。

    無線機を数瞬だけ見つめて、から。

    「...良い子にしてて、ね」

    そうしてようやく、わたしは歩きだした。

  • 18二次元好きの匿名さん25/08/31(日) 19:50:27

    とぽとぽ。


    とぽとぽ。


    わたしはギターを手に取って、また歩き出す。


    とぽとぽ。


    とぽとぽ。


    わたしはこの部屋に戻ってくる。

    「───ぁ」

    さっきまでこの部屋にいたというのに、また考えてしまった。

       わたしのしているこの妄言は何?
    ありもしない希望に縋っているだけ?
         生きがいとして依存している?
     プロデューサーへの祈り?
        わたしが未練がましいだけ?

    そういうことをいつも考える。

    「...」

  • 19二次元好きの匿名さん25/08/31(日) 19:51:10

    堂々巡りの思考の渦にわたしはいつも言い聞かせながらイスに座る。


    「天国を証明するんだ」


    誰とも繋がらないひとりぼっちな無線機。

    そんな無線機と繋がれるのは、きっと天国の無線機だ。


    天国観測。


    「ちっともままならない」

    ...けど。

    わたしらしい趣味だと思う。

    ギターを膝の上に載せて、ネックからピックをつまむ。
    収まりの良いポジションを見つけるために何度か姿勢を変えて。


    「───ただいま」


    指を滑らすと掠れた弦の音が小さく鳴った。

  • 20二次元好きの匿名さん25/08/31(日) 19:52:00

           「...」

      「......良い子にしてた?」

         「...ふふ」

       「...子ども扱いするな、とか言うのかな」



              「でも」
       「まあ」
             「しょうがないよね」



        「わたしの方がお姉さんだし」





           「......」



    「………」

  • 21二次元好きの匿名さん25/08/31(日) 19:53:22

                  「……」

        

        「......」



                〜♪
      
      〜♪
             〜♪

        〜♪         〜♪



    名前もなければ、歌詞もないメロディだけの曲。

    ハミングでメロディをなぞる。

  • 22二次元好きの匿名さん25/08/31(日) 19:53:57

       〜♪
                 〜♪

        〜♪
                    〜♪

             〜♪



         「……」



                 「……」

  • 23二次元好きの匿名さん25/08/31(日) 19:54:46

            「……」


       「...アンコールは、厳しいかも」


    「……」


           「……」

       

               「……」



        「……」


                 「…」

  • 24二次元好きの匿名さん25/08/31(日) 19:55:44

        「……」


                 「…」



               「ねえ」

         「プロデューサー」


    「わたしの歌は」 「───聞こえた?」


       「ちゃんと届いた?」



         「......わたしはここにいる、よ」

     「ずっと」

           「ここで、待ってる」

  • 25二次元好きの匿名さん25/08/31(日) 19:56:47

                「......」

      「………」   


             「......」



        「.........」


               「…………」


       「わたし」


             「...」


    「わたし、ね...っ」



                「まだ、すきだよ」



       「...プロデューサーの、こと」

  • 26二次元好きの匿名さん25/08/31(日) 19:57:34

            「ねえ...っ」



                「……」


          「……っ」



     「あなたは...」



        「わたしのこと、すきだった?」




       「.........」





                    「......」

  • 27二次元好きの匿名さん25/08/31(日) 19:59:11

    頼む……夢であってくれ……

  • 28二次元好きの匿名さん25/08/31(日) 20:02:16

         「………」






                「ぅ...っ」





       「...っ」






               「ぅぅ...っ」








         「ぁぁ"...」

  • 29二次元好きの匿名さん25/08/31(日) 20:19:23

             「ぁ"っ」


















        「声を───」





             「聞きたい、よ...っ」

  • 30二次元好きの匿名さん25/08/31(日) 20:20:20

    ざざ、と無線機からノイズが聞こえた。

  • 31二次元好きの匿名さん25/08/31(日) 20:21:06

      「────」


          「プロ...っ」


       「プロ、デューサー...っ」





           「いま...」




          「プロデューサー、なの...?」

  • 32二次元好きの匿名さん25/08/31(日) 20:21:43

    じじ、とノイズは落ち着き始める。

  • 33二次元好きの匿名さん25/08/31(日) 20:22:20

                「まっ...」


      「待っ、て...っ」



           
            「行か、ないで」



       「ひとりにしないで...っ」




              「わた」



      「わたしをっ」



             

            「置いてかないで」

  • 34二次元好きの匿名さん25/08/31(日) 20:23:29

    ざざざっ、と一瞬だけ大きいノイズを最後に無線機は静かになった。

  • 35二次元好きの匿名さん25/08/31(日) 20:41:14

    でも、少しだけ。


    あなたの声が聞こえた気がした。


    広、とわたしを呼ぶあの人の声が。


    聞こえた、気がした。

  • 36二次元好きの匿名さん25/08/31(日) 20:42:25

            「ぁ"...」







    「………ぅ、ぁ」





               「ぷろ」



       「......っ」





             「ぷろでゅう"さぁ」



       「やっと...っ"」

  • 37二次元好きの匿名さん25/08/31(日) 20:45:11

            「やっ、と」






    「...っ"」 





      「ひろ、って」







            「よんで、くれ"た」






          「......っ、ぁ」

  • 38二次元好きの匿名さん25/08/31(日) 20:46:11

    おわり。

  • 39二次元好きの匿名さん25/08/31(日) 20:49:51

    俺こういうのに弱いんだ
    切なくもいい話だった
    ありがとう

  • 40二次元好きの匿名さん25/08/31(日) 20:51:59

    胸がキュッとなる良作だった。
    乙。

  • 41二次元好きの匿名さん25/08/31(日) 21:00:40

    いい読み物だった…!

  • 42二次元好きの匿名さん25/08/31(日) 21:03:17

    なんだよこれ…すげぇ…

  • 43二次元好きの匿名さん25/08/31(日) 21:09:19

    名作ありがゲホッガッ…
    ちょっと横になりますね…

  • 44二次元好きの匿名さん25/08/31(日) 22:31:05

    「………」とかの沈黙してる篠澤がどんな顔をしてるかと思うとちょっと切なすぎる…

  • 45二次元好きの匿名さん25/08/31(日) 22:38:47

    天国を証明するって言うのが広らしい

  • 46二次元好きの匿名さん25/08/31(日) 22:53:54

    ここまではっきり話してる時の顔がわかるの広くらいだと思う

オススメ

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