- 1◆gLu80WxKDuQo25/08/31(日) 23:07:59
- 2◆gLu80WxKDuQo25/08/31(日) 23:09:00
「”恋は筋肉痛に似ている”って表現、どうですか?」
「……どう、とは?」
パソコンの横からぬうっと、怪訝な表情をしたトレーナーさんがのぞきました。
「いえ。なんだか、気取った言い回しをしてみたくなりまして~」
少し張った感じのする太腿を撫でながらそう答えると、彼の視線が注がれるのが分かりました。
「愛しい人を想うと胸が痛む恋は、筋肉痛に似ているってことかな?」
「まあ!素敵な解釈ですね~」
掌を胸に、彼のことばを味わってみます。
胸がじんわりと熱を帯び、掌はなんだか自分の体でないような。そんな、不思議な感覚。
「グラスの解釈とは少し違ったかな?」
机から身を乗り出している彼は、どうやらこの話題につきあってくれるようです。
「うふふ。違うというより、分からないという表現が適切でしょうか?」
「え、なんだいそれ。グラスが言い出したんじゃないか。」
全くもってその通り。
ですが、会話というのは答えを求めるためだけのものではないですから。……そのへん、オトメゴゴロとはたいへん複雑なものなんですよ? - 3◆gLu80WxKDuQo25/08/31(日) 23:10:01
「ぱっと思いついたものですから~」
「ふ~ん……じゃあ、グラスの解釈も聞かせてよ。」
「そうですね。……日常のふとした瞬間に思い出される、というのはいかかでしょう?」
「なるほどね。僕のと少し、似ているかも。」
なるほど。
けれど私は、彼には悪いですが、胸のときめきを”痛み”と表現したくありませんでした。……なんとなく。
思い人を浮かべると、胸がじんわりあたたかくなって、ほんのり口角が上がってしまって、知らずのうちに歩みが軽くなるような、そんな充足感こそが恋であればどんなに素晴らしいことかと悩み、今日を生きています。
「別の解釈はできるでしょうか?」
「……続くの?」
「まだ、議論の余地があるかと。」
「まるで国語の授業だね。」
彼はぽんと弾むように席を立ち、いそいそと此方へ向かってきました。
「授業というよりむしろ、補習ですね~」
「こりゃ手厳しいや。」
補習。私は行ったことはありませんが、たまにスぺちゃんが呼ばれているとか。
そんなことをぼんやり考えていると、ぽす、という音が右隣から聞こえたと思えました。そこには少し意地悪な表情を浮かべる彼がいて―― - 4◆gLu80WxKDuQo25/08/31(日) 23:11:07
「まず、グラス先生の解釈から聞いてみたいな~」
……こうなったら、”恋愛”では成績不振の彼に私が授業をするほかないでしょう。
「先生を揶揄うような物言いは、めっ、ですよ?」
「は~い……って、ちょっと対象年齢が低すぎやしないかい?」
「ふふ、申し訳ありません~悪童がいたもので、つい~」
「悪童て。」
「授業続けますよ~」
「……まったく、調子いいや。」
こんな軽口も、彼なればこそ。
”好きな子には意地悪したくなる”といいますが、どうやらそれは意中の相手の反応をうかがう行為らしいです。親しい間柄であれば多少の軽口も叩けるということなのでしょうが――
「……では、”気づいたときには消えている”という解釈はいかがでしょう?」
過ぎたるは猶及ばざるが如し、とも言います。
やりすぎることは、やらないことと同じくらいいけないこと。それは、トレーニングにおいても恋愛においても同じなのでしょう。
「……なるほどね。」
一瞬思考の海に沈んだ意識を彼に遣ると、先ほどまでの悪童はもうどこにもいませんでした。
顎に手を当て、目線は斜め上。私のトレーニングを考えている最中みたいな、真剣な表情。 - 5◆gLu80WxKDuQo25/08/31(日) 23:12:07
「……悪く、ないと。思うのですが。」
なぜだか静寂がむず痒く、考えなしにした発言。
私が先生で、彼は生徒。そんな構図は、いつの間にか逆転しているようでした。
「……うん、うん。たぶん、その通りなんだと思う。でも。」
でも。
逆接のことば。
「恋ってもっと、やわらかくて、やさしくて、誰かを包んでくれるものであってほしいな。」
嗚呼、やはり。
「現実を知らない僕は、悲しい表現は苦手みたい。夢物語しか描けないや。」
やはり貴方は、恋愛においては成績不振なのでしょう。きっと、落第生と言っても許されることでしょう。
夢を語れるのはいつだって子どもで、大人はいつも理想の影を生きる。夢を見ることはできても、”最良”たる理想を実現することはできないのです。
「……たしかに、夢物語ですね。」
「だよねー」
けれど。
「……けれど、私は好き、ですよ。」
けれど、仕方ないじゃないですか。
だって、筋肉痛こいごころは後からやってくるんですから。
気付いた時にはもう遅くって、募った想いがどうしようもなくなって、貴方の言動に一喜一憂するようになって初めて、気づいたんですから。 - 6◆gLu80WxKDuQo25/08/31(日) 23:13:08
「そっか、うれしいな。」
「……ぁ!ええ、素敵です。その表現・・。」
……言い直さなくたってきっと、問題ないのに。
無理に上げた口角なんて、恋には似つかわしくないのに。そう、自分で言ったのに……
「……じゃあ、僕も最後に一つ。」
いくら私が知らんぷりして夢物語に縋っても、いつかは現実がそれを正してしまうのですから。
「初めに言ったことと矛盾するかもだけどさ。筋肉痛も恋も、心地よい痛みだと思うのさ。」
「え?」
「だって、そうでしょ?筋肉痛はトレーニングを頑張った証拠だから、感じると嬉しい!恋だって、苦しさはあるとしても、それは好きっていう気持ちの裏返し。だから、その痛みがあるうちはきっと、大丈夫!内に燃えるオモイの表れだから、大丈夫!!」 - 7◆gLu80WxKDuQo25/08/31(日) 23:14:13
驚いて隣を見ると、彼はいたずらが成功した子どものように笑っていました。
「……ふふっ。」
ああ、きっと。
きっと私はこの笑顔に蝕まれて、現実を見れなくなってしまったんです。
だからきっと、大丈夫。
この痛みは貴方が私に与えてくれるから。きっと、与え続けてくれるだろうから。
私はきっと、大丈夫。
「さあ、そろそろ門限だ。帰ろう、グラス。」
「……はい。」
心地よい痛みの残る足どりは何故だか軽くって、隣を歩く彼に指摘されるまで気付きませんでした。 - 8◆gLu80WxKDuQo25/08/31(日) 23:15:21
以上です。
お目汚し失礼しました。 - 9二次元好きの匿名さん25/09/01(月) 00:53:31
「恋」と「筋肉痛」を重ねる発想が面白く、そこから繰り広げられるグラスとトレーナーの対話がまるで哲学のようでした。論理を交わしながらも、最後には感情が勝ってしまうグラスちゃんの可愛らしさが印象的で、とても余韻のある作品でした。
- 10二次元好きの匿名さん25/09/01(月) 00:57:45
知的なやり取りの中ににじむ甘酸っぱさが最高です。最後の「心地よい痛み」で全部持っていかれちゃいました……。
- 11二次元好きの匿名さん25/09/01(月) 01:02:29
恋と筋肉痛を並べる時点で面白いのに、そこから真剣に議論を始めちゃうグラスちゃんがもう可愛すぎます! 理屈っぽいけど最後は笑顔のトレーナーさんに振り回されて、結局幸せそうなところが最高に尊い……!
- 12二次元好きの匿名さん25/09/01(月) 01:08:03
痛いけど、揉み解すときちょっと気持ち良いんだよね
痛みが筋肉の成長につながってるって言うなら、甘酸っぱい恋の駆け引きを堪能しているのと同じなのかもね - 13二次元好きの匿名さん25/09/01(月) 07:02:09
- 14二次元好きの匿名さん25/09/01(月) 07:03:15
- 15二次元好きの匿名さん25/09/01(月) 17:01:23
とても素敵なssでした
本当にありがとうございました - 16◆gLu80WxKDuQo25/09/01(月) 20:11:33
- 17◆gLu80WxKDuQo25/09/01(月) 20:12:40
- 18◆gLu80WxKDuQo25/09/01(月) 20:16:04