【SS】結局あたしは、主役になれなかった

  • 1二次元好きの匿名さん25/09/01(月) 20:23:01

    「なんだか実感が湧かないけど……これで、全部終わったんすね」

     最後の日経賞。一着を獲り、鳴り止まぬ歓声を浴びながら控室の中へ入ると、彼女――シオンはそう呟いた。

    「……ああ、そうだな」

     俺は彼女のその言葉に曖昧に頷くことしかできなかった。椅子にへたり込むように座った彼女は肩を小刻みに震わせている。
     やっと終わったんだ、ここから逃げられるんだと。言葉はなかったが、彼女の姿を見るだけでその心情が嫌と言うほど伝わってきた。

    (やっぱり、俺はシオンにこれからも――)

     俺はその時何かを言わなければならない気がした。だが、結局のところ何も言えなかった。喉から出かけたその言葉は、あまりにも無責任でシオンを傷つけてしまうような気がしたから。
     胸に支えた言葉を抑えるように虚空を見つめ、これでよかったんだと自分に言い聞かせる事が今の俺にできる唯一のことだった。

    「トレーナーさん?」
    「ん、どうしたシオン」
    「なんだか悲しそうな顔してるっす。それに、目が」

     その言葉にハッとして目元をなぞってみると、指が温かく濡れる。必死に目を押さえて堪らえようとするが、熱を持った涙が溢れ出して止まってくれず、指の隙間を抜けていく。

    「どうして、俺が泣くんだろうな」

     涙を流すとしたら、俺ではなくシオンだろう。彼女の心を踏み込むことができず、その夢を途絶えさせた俺が涙を流す権利などないのに。彼女の心に気付けなかった俺のせいでこうなったというのに。
     全部、俺のせいだというのに。

    「トレーナーさん……」
    「ごめんな、シオン……俺は……俺が――」

  • 2二次元好きの匿名さん25/09/01(月) 20:24:52

     言葉はそれ以上続かない。苦しさを紛らわせるように俯きかけると、不意にシオンの手が俺の顔に触れた。そして、今度は彼女の指が目元に触れ、流れる涙を拭っていく。
     幾度も流れるソレを彼女の指が受け止めては拭き取り、顔がくすぐられるような感覚に覆われるが、俺は何も言わずそれを受け入れるしかなかった。

    「泣かないでください、トレーナーさん。決めたのはあたしっす。後悔とかも、ないっすから」

     そう言って笑う彼女の瞳には一点の曇りもない。それが、彼女の言葉が本心であるということをこれ以上ないほどに語っている。だが、そうだとしても彼女にその選択をさせた自分を許すことはできなかった。

    「って、あたしがそう言っても全部自分のせいだって思ってるんでしょ? トレーナーさんはそういう人っすから」
    「それは……」

     ジッとこちらを見つめるシオン。
     心を見透かされた気まずさから思わず目を逸らそうとするが、何故だか俺は彼女の両目から視線を動かすことができなかった。そうしてその眼の中に吸い込まれるような感覚に陥り息を呑むと、安心させるように彼女は両手で俺の手を包みこんでくる。

    「シオン……?」
    「あたし、トレーナーさんにたくさんのものを貰いました。ここまで来れたのは、貴方のおかげっす」
    「……」
    「それなのに、あたしは何も返せてない。だから全部あたしが悪いんすよ。トレーナーさんが気にすることなんてなにもないんです」

     シオンは少し困ったような、辛そうな目で俺に笑いかける。
     そんな顔を見ているのが辛くて、彼女に握られた両手に目を落とす。

    「俺は君から勇気も、希望も、夢も……全てを貰った。君が意図したものでなかったとしても、それがあったからここまで一緒に歩けたんだ」

     口から無意識に言葉が零れ落ちていく。
     同時にこれまでの記憶が頭にフラッシュバックして、鮮明な過去が頭に流れ出す。

    「だから――何も返せてないのは俺の方なんだよ、シオン」

  • 3二次元好きの匿名さん25/09/01(月) 20:25:55

     その言葉を言い終えると、静寂が部屋を包み込んだ。
     秒針の音だけが耳に響くほど静まり返った部屋の中、シオンが俺の手を握る力が強まっていく。
     俺は、その手を握り返すことができなかった。

    「トレーナーさんがもし、何かを返したいと思っているんだったら……我儘を一つだけいいっすか」

    そして先に静寂を破ったのはシオンの声だった。

    「ああ、俺にできる事なら」
    「最後にトレーナーさんと一緒に行きたいところがあるっす」
    「行きたいところ?」

     シオンは俺の傍から離れると、控室のドアの方へと歩いていく。
     俺の方を見ないままドアノブに手をかける彼女。そんな彼女を見つめながら次の言葉を待つ。

    「今日の夜、来てほしいっす。場所は後で連絡します。あたし、待ってますから」

     それだけ言い残し、シオンは部屋を出ていってしまった。
     ――彼女の言った『最後』という言葉だけが、ずっと頭の中で反芻していた。

  • 4二次元好きの匿名さん25/09/01(月) 20:27:26

    ▲▽▲


    「そろそろ着くか……」

     シオンから携帯に送られてきたマップ情報に目を落とす。指し示された場所は、彼女とよく来たあの丘だった。
     周りを見渡すと既に日は落ちて、街灯が灯り始めていた。時刻を確認するともう19時半を回っており、人影もない。まるで自分一人だけが世界に取り残された感覚に陥ってしまう。

     そして坂を登りきって広場を見渡すが辺りにシオンの姿はない。彼女が来るまで待つ間、ベンチに腰掛けて待つことにした。日の落ちた街を眺めながら、過去を振り返るように瞼を閉じる。

    『最後に……トレーナーさんと一緒に行きたいところがあるっす』

     シオンの残したその言葉が頭にこびりつき離れない。
     彼女はレースから引退してこの学園から去り、今後は普通の学生として過ごしていく。
     俺も彼女のトレーナーとしていられるのは今日が最後。レースはもう終わってしまったが、形式上、今日が終わるまでは彼女のトレーナーだ。

     ――そう、今日で『最後』なんだ。
     今日が終わってしまえば俺たちに担当としての繋がりはなくなってしまう。それだけじゃない、もう二度と彼女と会うことすらなくなってしまうだろう。なぜだか、そんな嫌な確信が俺の中にはあった。

    (これで終わり、か……)

     わかっていたことだ。
     だからこそ、俺はそれを考えないようにしていた。
     意識すれば彼女と離れたくないと思ってしまうから。そうして彼女にレースを続けてほしいと、無責任に願ってしまうから。だって、俺はシオンを――

    「やめよう」

     思考を振り払うように頭を振り目を開く。が、開いたはずの視界には光が戻らない。

  • 5二次元好きの匿名さん25/09/01(月) 20:28:27

    「わっ!」

     理解が追い付かない俺を笑う様に、背後から聞き慣れた声が聞こえてきた。
     そして今度は顔の前に置かれていた手が退けられて、徐々に光を取り戻していく。

    「シオン、いつの間に?」

     俺がそういうと、えへへと笑いながら彼女は隣に座り、こちらに目を向ける。

    「トレーナーさんより前に来てたっすよ」
    「あれ? 気づかなかったな」
    「脅かそうと思って隠れてたっす。意味なかったみたいっすけどね」

     耳をピコピコと揺らしながら楽しそうに話す彼女を見ていると、先ほどまでの濁った思考が晴れていくような気分になる。

    「どうしてここに?」
    「トレーナーさんと話したかったんです。最後は、見慣れたこの場所で」
    「そうか」

     悲しそうに笑う顔と最後という言葉が、胸に突き刺さるようだった。

    「それに、どうしても言いたいことがあって。今日が終われば、もうトレーナーさんに会えない気がして」
    「……俺と同じだな」
    「同じ?」
    「ああ、俺も……もう、シオンに会えない気がしてて」

     シオンは一瞬驚いたような顔を浮かべ、俯く。髪の隙間から覗く彼女の両目は、何だか寂しそうに見えた。

  • 6二次元好きの匿名さん25/09/01(月) 20:29:39

    「シオン、言いたいことがあるって言ったよね。聞いてもいいかな」
    「……」

     そう尋ねるとシオンは顔を上げ、ぼんやりとした目で何処か遠くを見る。
     それを追う様に俺も視線を移すと、街灯が目に入る。それはチカチカと明滅を繰り返して今にも消えてしまいそうな光を漏らしていた。

    「結局あたしは、主役になれなかった」

     彼女はそう言ってベンチから立ち上がると、俺から目を背けて話し出す。

    「ずっと、キラキラ輝いたあの姿に自分を重ねてた。自分もああなりたいと思ってた」

     その言葉を遮ることなどできず、彼女の横顔をただただ見つめるだけで精いっぱいだった。

    「……最初はレースだけでよかったのに。欲張りなあたしはいつしかレースだけじゃなくてトレーナーさんの主役にもなりたくなってた」

     彼女の両目がまた俺を映し、コツコツと足音を鳴らしながらこちらへ近づいてくる。

    「だけど……なれなかったっす。レースでも、トレーナーさんにとっても、あたしは主役じゃなかったみたい」
    「シオン、それは……」
    「バカみたいっす、あたし。本気で努力して頑張ればきっといつかはそうなれるって、子供みたいに信じてた」

     彼女はそう言ってまた俺の隣に座ると、その身をこちらに寄せてきた。

  • 7二次元好きの匿名さん25/09/01(月) 20:30:48

    「あたし、トレーナーさんが好きでした。いや、違う……今でも大好き、トレーナーさんのこと……」
    「……」
    「もちろん担当としてとか、そういうんじゃないっす。だからあたしはトレーナーさんの主役になりたかった」

     気が付くと、彼女の両目からは涙が溢れ出していた。
     俺はいまだに何も言えず、何もできず、ただその顔を見ていることしかできなかった。

    「貴方が好きで。好きで、すきで……レースみたいに、諦めたいのに……トレーナーさんの事だけは離したくないって……! 心がぐちゃぐちゃで、気持ちが悪いんです」

     俺の胸の中に顔を埋め、泣きじゃくる彼女の頭に手を伸ばし、落ち着かせるように撫でる。
     暫くそうしていると、徐々に彼女も落ち着き赤みがかった目でこちらを一瞥した。

    「……トレーナーさん、あたしを拒絶してほしいです」
    「拒絶? それは、どういう……」
    「あたしのことを振り払って、どこかへ行って欲しいっす。ごめんなさい……我儘なのはわかってます。あたし、トレーナーさんを縛りたくないのに……なのに! トレーナーさんを離したくないって想いが、止まってくれなくて……!」

     彼女の悲痛な叫びが闇に響く。その声は切実で、神に祈るような、縋るようなものに聞こえた。
     だとしても、俺にはその手を振り払うことができなかった。

    「シオン、ごめん……それはできないよ」
    「どうしてっすか! 今すぐそうしてくれれば、あたしは貴方を離せるのに……諦められるのに! そうしてくれないと……!」

     彼女は怒りを浮かべたような表情で俺を見つめる。俺もそんな彼女の顔を見つめることしかできない。
     チカチカと、切れかかった街灯のノイズだけが時間の経過を表していた。

    「……ごめんなさい。あたし、最後まで迷惑かけちゃったっす」

  • 8二次元好きの匿名さん25/09/01(月) 20:31:54

     やがてシオンは根負けしたかのように俺から体を離して立ち上がった。そうしてまたこちらを向きなおし、無理な笑顔を浮かべる。俺にはその笑顔がひどく痛々しいもののように感じられた。

    「……あたし、トレーナーさんと出会えてよかったです。今日のことは忘れてください」
    「シオン……?」
    「さようなら、トレーナーさん」

     シオンはそう言って後ろを振り向き歩き出す。
     どんどん俺と彼女の距離が離れていく。どんどん彼女の姿が小さくなっていく。
     彼女との繋がりが絶たれていく嫌な感覚が体を包んで、眩暈がする。これまでの思い出がフラッシュバックして、走馬灯の様に流れていく。

     俺は……俺は彼女を、シオンを……



    「わっ……!? と、トレーナーさん!?」

     気が付けば、俺は駆け出してシオンの手を掴んでいた。突然のことで理解できないといわんばかりに、彼女は両目をパチパチさせている。

     この先の言葉を言えば、きっと――俺と彼女は後戻りできなくなる。だというのに、あまりにも簡単にその言葉は口から零れ落ちた。

    「シオン、俺も君の手を離したくない」

     そのままシオンの体をそっと抱き寄せる。

    「君はとっくに俺の主役なんだ。最初から、ずっと」
    「と、トレーナー……さん……でも、あたし、もうレースも……」
    「レースなんて関係ない、君はもう俺にとっての主役なんだ。だからもう、手離さないって決めたよ。シオンがそれを拒んでも、俺はそれを追いかける」

  • 9二次元好きの匿名さん25/09/01(月) 20:32:54

     その言葉を聞いた彼女は頬を染めて涙を溢すと、俺と同じようにその腕を背中に回し、抱き合った形になる。

    「あたし、重いっすよ……?」
    「ああ」
    「トレーナーさんが他の女の人と話してるだけで、怒るかもしれないっす」
    「ああ」
    「それに、毎日トレーナーさんに……今みたいに抱きしめてほしがるかもしれないっす。それでも、あたしを受けいれてくれるっすか?」
    「ああ、覚悟の上だ」

     そう言いあうと、何も言わずともお互いに抱きしめる力を強めた。

    「どうして、そんな嬉しい事言ってくれるっすか……?」

     その問いに、俺は一つ息を飲んで彼女の目を見据える。

    「――君のことを、愛しているから。言っただろ、最初からシオンは俺の主役だって」
    「……! あたし、死んじゃいそうなくらい……嬉しいっす」

     彼女は両目を閉じ、こちらに顔を向ける。
     それに応じるように、ゆっくりと目を閉じながら同じように彼女へと顔を近付ける。少しずつ塞がっていく視界の端、先ほどまで明滅を繰り返していた街灯の明かりが落ちるのが見えた。それはまるで、夢の終わりを告げるように。

     だが、これが夢の終わりだとしても。今この瞬間が、全身に感じる彼女の熱が。俺にとってはこの上ないほど幸福なものであると、そう感じられた。

  • 10二次元好きの匿名さん25/09/01(月) 20:33:56

    終わりです。
    読んでくれてありがとうございます。

  • 11二次元好きの匿名さん25/09/01(月) 20:34:00

    このレスは削除されています

  • 12二次元好きの匿名さん25/09/01(月) 20:45:52

    確かに引退してしまったかもしれない。けど、それでもトレーナーの主役になれたシオン。これからの二人の道に末永く幸あれ。素晴らしいSSをありがとう。

  • 13二次元好きの匿名さん25/09/02(火) 04:44:43

    >>12

    感想ありがとうございます!

    諦めたとしてもシオンには幸せになってほしい

  • 14二次元好きの匿名さん25/09/02(火) 13:41:48

    このエンディングも好き
    王は喜ばなそうだけど

  • 15二次元好きの匿名さん25/09/02(火) 19:50:31

    >>14

    実はオルの描写も入れようとしたんですが難しくてやめてしまいました……

  • 16二次元好きの匿名さん25/09/02(火) 19:54:14

    渋で読んだな
    シオンちゃかわいくてよかった

  • 17二次元好きの匿名さん25/09/02(火) 20:06:59

    >>16

    ありがとうございます🙇‍♀️

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