- 1二次元好きの匿名さん25/09/09(火) 19:22:58
- 2二次元好きの匿名さん25/09/09(火) 19:24:03
芥川龍之介は、焦燥と不安に駆られ、雨の中で毒を飲んで死んだ。
太宰治は、情愛と失意の果てに、川の冷たい水に溺れて死んだ。
三島由紀夫は、愛国と熱意のあまり、その生命を曝け出して死んだ。
みな、生真面目で、何かと抱え込みがちな人だったと云ふ。それを聞いて、はたと思ったのだ。
真に美しい芸術とは、壊れたものの中からのみ、生まれ得るのやもしれない。 - 3二次元好きの匿名さん25/09/09(火) 19:25:17
わがはいは物書きである。作品の名はまだない。
正確には、何か一つを書き上げたことが一冊一編とも無いという、それだけのことなのだが。それでも、物書きの端塊(はしくれ)という肩書き(ラベル)くらいは、あっても良い筈だ。
わがはいは夏目アンアンという。わがはいは、今日もまた一人、暗い部屋の中で物描帳(スケッチブック)を睨んでいる。この、わがはいらを縛る土中の闇(くら)い部屋には僅かたりとも届かぬが、屹度夜空には、細い、ぼんやりとした三日月が浮かんでいるのだろう。
嗚呼、どうしたものだろう。この狭い部屋が、悉皆冷え切ってしまったような気がするのだ。これは、夜の空気のせいであろうか。いいや、きっと違う。なんだかわがはいの心に、冷えた空気が染み込むような、そんな気がしているのだ。
不図(ふと)、思うことがあった。わがはいの夢についてである。わがはいの鼓動が、明日、明後日、またその先に、止まらずに居る保証もない所で考えるべき事かと云えば、そうでは無いのだろうが。
わがはいは、文豪となりたいのだ。
先も申した事であるが、わがはいは物を書き上げたことがない。いや、屹度、才覚がないという訳では無いのだろうが。どうにも、わがはいは途中で投げ出してしまう性分なのだ。何か一つの成果物すらも、掴んだことがないのだ。
熱意が無いわけではない。書き上げた末の批判が怖いとか、評価されぬだろうという諦観では、断じて無い。むしろ何か、半ばにおいて、何もかもが如何(どうでも)良くなったような気がしてしまうのだ。
それが、自分のそういった逃げ癖が、嫌いだった。
いや、仮にそうだとしても、わがはいは進まねばならない。歩みを止めることなど、決して許されてはいない。どんなに小さくとも、向上心という焔を燃やして居ねばならない。
だから、わがはいは恐ろしくて、先の見えない世界へのささやかな反抗として、今日も凝(じぃっ)と、夜を見つめている。 - 4二次元好きの匿名さん25/09/09(火) 19:27:15
過去のことを想えば、後悔が刺々(ちくちく)とわがはいの胸を刺す。
恥ばかりの生涯であった。人と関わらぬことを選んできたこと。人並みの幸せを願ったこと。いいや、もっと言えば、わがはいが胎から生れ落ち、これほど生育したこと自体が間違いだったのかもしれない。
あの時こうすれば。そんな結果主義、功利主義的な言葉が、嫌でも脳裏に沸々と沸き上がる。もっと大人しく、慎ましく生きていれば、今の自分は違ったのではないか。もっと、善く生きていたのではないか。もしこんな破綻した人生をやり直せる、時を戻せるような魔法があれば。毎日のように、そう思う。
そう、魔法、魔法だ。
わがはいの全ての悪業は、この憎き魔法(せんのう)によって引き起こされているのだ。そう思うと、無性に赤黒い感情が溢れ出しそうになる。世間の者達は屹度、魔法とは素敵で、輝々(キラキラ)して、あらゆる困難やら不平不満やらを何とかできる物だと思っているのだろう。嗚呼、なんと愚かなことだ。何が素敵なことか!何が綺麗なことか!生まれてこの方、わがはいは不幸にしかなってこなかった!それもこれも、全てがこの魔法(せんのう)とやらのせいだ!もう沢山だ、耐えられぬ!これが納得できてなるものか!
愚捨(ぐしゃ)。と響いた音が、わがはいの心を灼熱の鎖から解き放った。はっと目をやれば、少なからず文字の書かれた頁(ページ)が、破れてくしゃくしゃの紙になっていた。やってしまった、と思った。感情が昂ると、いつもこうなのだ。はっ、と肺から空気が抜けた。それと同時に、またいつものように、わがはいの頭をじっとりとした停滞への囁きが占領していくのだ。
今日は屹度、良いものは書けぬだろう。もう休んで、明日に賭けてみてはどうか。
ダメだ。こうしていては、いつまでもわがはいは変われぬのだ。日々、調子のいい時にのみ高揚のまま思い立つそうした決起の感情は、こう後ろ暗い時に限り、どうにも浮かばぬのだ。
何にせよ、わがはいは明日を生きていかねばならない。何もないようで、凡(すべ)てを持っているかのように、荒波を通っていかねばならない。わがはいは自分に語りかける。「きっと明日も、無事に過ごせる筈だ」と。それがわがはいにできる唯一の、どこまでもちっぽけな、夜を越えるためのやり方なのだ。
そうして少し息を吐いて、わがはいは睡眠という泥濘へと、ぬるりと堕ちてゆく。 - 5二次元好きの匿名さん25/09/09(火) 19:29:22
また朝日が昇って、乾いた目を擦りながら、わがはいは彼女のことを想う。
彼女は自分を佐伯ミリアと云った。彼女はその絢爛なる容貌と真逆なことに、柔らかで、温かい屈綿(クッション)のような心と、わがはいには語り得ない、微かな哀愁を抱えていた。
彼女はわがはいを見ていた。生を受けてこれより、親でないものと喋る経験などほとんど無く、そうしようとすら思ってこなかったわがはいであるが。彼女のことは、受け入れても良いように思えた。
彼女は映画を見るのが好きだった。彼女はわがはいに映画を見ようと言った。彼女は写幕( スクリーン)に映される映像を見て、時に笑い、時に泣き、時に驚いた。そんなころころと変わる彼女の表情の中にある、わがはいの言葉ではうまく表現できない後ろ暗い何かが、わがはいを貫いた。
恋だ、と思った。
屹度それはもっと、長い時と経験の中で養育されるべきことなのだろうが。わがはいの胸を突き刺す衝動が、無性に脳を沸き立たせたのだ。
だが、それだと云うのに。彼女を前にすると、わがはいはどうにも、その心の内にある言葉を、躊躇ってしまう。父のようで、母のようで、それでいて、うら若き乙女のような彼女の側面を眺め、それを言葉にしようと思うたび、何故か喉にそれが突っかかってしまうのだ。
或る日の、映画を観た時の事だった。
その映し出された映像の内容は、正直殆ど覚えていなかった。わがはいの視線は、彼女の硝子細工のような表情を見ることのみに、囚われていたからだ。上映が終わると、彼女はわがはいに「面白かったね」とか、「次は何を見ようか」とか言って、へにゃっと笑った。
今だ、と思った。皮肉なことだが、わがはいは何かに洗脳(コントロール)でもされているかのような気がした。わがはいの脳が働くより先に、燃えるような愛への熱が、わがはいの身体を突き動かした。わがはいは彼女の手を取って、
「好きだ、ミリア。わがはいは、君を好いている。」
と、堰き止められた水が絞り出されるように言った。全身が、まるで焼けるかのように熱かった。わがはいの心臓が、是迄の人生の中で感じたことのないほどに動悸動悸(どきどき)と高鳴った。 - 6二次元好きの匿名さん25/09/09(火) 19:30:26
何を思ったかわがはいは、魔法を使う形でそれを言わなかった。具体的な命令でも無く、彼女に何かを要求しようともしなかった。なぜだかと考えてみればそれは、きっとわがはいの最後の意地だった。自分の愛したものに対してくらい、本心からの言葉を聞きたかったのだ。
彼女はと言えば、少し放心しているようだった。僅かばかりの硬直の後に、彼女は少しだけ困ったように、いつもの花のような笑顔を浮かべて一言、
「私も好きだよ、アンアンちゃん」
と、そう言った。その笑顔の中にあるのは、純然たる好意であった。彼女の向ける、他者に対しての光だった。わがはいの届き得ぬ、星にも等しいものだった。
それは、友愛以上の何物でもなかった。
わがはいの心臓の、深い部分が抉り出されるような気がした。嗚呼、そうか。それはそうなるだろう。一方的に戀愛(れんあい)のような感情を抱いていたのは、わがはいだけだ。これはわがはいの、独り善がりな執着だ。だがそうだとしても、無性にわがはいの心が苦々(ずきずき)と痛んだ。 - 7二次元好きの匿名さん25/09/09(火) 19:31:27
その後どうしたかは、良く覚えていない。「ありがとう」だの、「良かった」だの、当り障りない言葉を返したことや、妙に視界がぐらついたこと程度だった。一つ、明確に覚えていることと言えば、彼女の落とした手布(ハンカチ)を、なんとなく拾い上げて、そのまま返さなかったことくらいだった。失意と、僅かな興奮ばかりを胸に、ふらふらとした足取りでわがはいは自室へと戻った。
寝床(ベッド)に寝転がって、天井を見上げながら、わがはいの脳裏をいろいろな、ぐちゃぐちゃとした感情が駆け巡った。わがはいの失態を笑うだろう誰かが、憎たらしかった。愚かなわがはいを、誰かに罰して欲しかった。
誰かがわがはいを見れば、哀れな泣き道化(ピエロ)だと思うだろう。ああ、そうだ。わがはいの人生は、悲劇でしかないのだ。これからも、きっとそう。
気付けばわがはいは、彼女の手布(ハンカチ)を取り出して、それを顔に当てた。明確な理由が、何かあったわけではないが。誰に言われるでもなく、そうしなければいけないような気がしたのだ。彼女の匂いが、存在が、ひだまりのような優しさと温かさが、わがはいの全身を満たした。心地良かった。だがそれ以上に、この存在がわがはいの手中からは、一番遠い存在のように感じてしまった。それが無性に悲しくて、わがはいは一人、ほろほろと泣いた。 - 8二次元好きの匿名さん25/09/09(火) 19:33:09
その日の、日中のことだった。わがはいの脳裏に突然、ある着想(アイデア)がふっと浮かび出た。
わがはいのこの、恥に塗れた人生から、何かを書き上げてしまおうと。そう思ったのだ。
これまでに無いほど、天才的だと思った。わがはいのこの、何とも言い得ぬ鬱屈した感情に、意義を与えられるのだ。わがはいの人生が、唯一いい方向に向くのだと思うと、それがやけに嬉しかった。
その狂気とも呼ばれるだろう衝動に突き動かされるまま、墨筆(ペン)を動かした。何時もの遅筆が嘘のように、さらさらと文字が物描帳(スケッチブック)に描かれていった。わがはいらしくないそんな様子への肯定であったり、ある種の困惑のようなものは無かった。ただ、惨めなわがはいの人生を昇華しようという、それだけのものがあった。わがはいの人生が悲劇だと云うのなら、それで誰かの感情を動かしたかったのだ。塗りたくられた洋墨(インク)の上で、ぎらぎらと文字が躍っていた。最後にそれが書き上がったのは、朝になったころであった。 - 9二次元好きの匿名さん25/09/09(火) 19:34:36
或る、眠れぬ夜のことであった。
思えばその刻(とき)、わがはいは多少満足していたのだろうと思う。満足と言うよりかは、諦観のようなものだったのかもしれないが。何にせよ、満たされていた。そのはずなのだ。
なのになぜ、わがはいは漠然とした苦痛と、不安を感じているのだろう。なぜ、視界の端に映る物描帳(スケッチブック)を、開かねばならぬ気がするのだろう。なぜそれが、是迄のわがはいの人生において何より恐(こわ)いのだろう。
否否(いやいや)。考えれば、何を恐れることがあろう。これは、わがはいの最高傑作なのだ。とびきり滑稽な、わがはいの半生なのだ。満足できぬ筈がない。ふぅ、と肺から空気が抜けるのを合図に、わがはいはその深淵を開いた。
初めの一、二頁(ページ)で、多くの聴衆の前で自らの恥辱全てを朗読されているような気持ちになった。わがはいにとって、あまりに都合の良い筋書。練り込まれた数多の妄想。悲劇の令嬢(ヒロイン)として形作られた自分。台詞から地の文、その細部に至るまでに描かれた自尊心の塊のような駄文。それら全てが、わがはいの尊厳を蹂躙するような気分だった。何分、何時間もの時間が、たった数秒の刹那のように過ぎていった。 - 10二次元好きの匿名さん25/09/09(火) 19:35:59
ああ、これは、実に面黒い。
そんな言葉が口から抜けるのと同時に、どす黒い激情が湧き上がるのを感じた。それの赴くままに、今すぐにでも眼前の不格好な代物を、ずたずたに壊してしまいたかった。
だが、それをしては、ならぬのだ。どんなに汚らしかったとしても、これはわがはいが初めて書き上げられた作品なのだ。これを壊すことは屹度、わがはいの夢すらも壊してしまうことなのだ。そう思って手を下ろした。
はらり、と頁(ページ)が捲れた。そこに描かれていたのは、彼女への告白だった。目線の端に写ったそれが、魔法がなければ何も叶えられぬわがはいを証明しているようで、痛かった。
それと同時に、わがはいを囚える檻が開く音がして、ぴゅう。とわがはいの顔を、生暖かい風が撫でた。
わがはいは、よろよろと外に出ていった。髪の一端から足爪の先に至るまで、わがはいを構成する全てがそうしなければならないと思った。
わがはいが辿り着いたのは、一角の小部屋( サンルーム)だった。橙(オレンジ)色に輝く朝日が昇っていた。放たれたその光が、わがはいの全身を貫いた。 - 11二次元好きの匿名さん25/09/09(火) 19:37:04
煌々と輝く朝日の中で、ふと記憶が呼び起こされた。その中の或る人物は、陽炎のようにのたうつ洋墨(インク)のなかでこう云った。
「精神的に向上心のないものは、馬鹿だ」と。
いいや、何。屹度、わがはいがそうだと言われているわけではない。わがはいは、自分なりに前に進もうと思いながら、日々を生きているはずなのだ。確証がなかろうと、わがはいには屹度、明るい未来が待っているはずなのだ。
だと言うのになんだか、その言葉を前にした時に、心の、一番深いところを、文字という包丁でぐさぐさと刺されたような気がしたのだ。それは、わがはいが目を背けてきた、どろどろとした停滞であり、愚かにも恋をしてしまった、わがはいの間違いの揶揄であった。それがあんまりにも情けなくて、どうしようもなく哀れに思えて、泣かずには居られないのだ。
嗚呼、わがはいは結局、変われぬものだったのだ。
わがはいは突如として、大声を上げた。笑っているのか、泣いているのか、わがはいですらも判別できぬような声で、わがはいは叫んでいた。
わがはいがそうして、何も生み出さず足踏みしているままに、他の者たちは、世界は明日へと進んでしまう。そんな思いが、厭にわがはいの脳に貼り付いているのだ。
それならば、朝など来なくて良い。ぐずぐずとした夜を抱きながら、停滞していたい。
わがはいには、その程度しか出来ぬのだから。 - 12二次元好きの匿名さん25/09/09(火) 19:39:03
駄文失礼、以上になります。
アンアンちゃんが絶望してるところが見たくて書きました。 - 13二次元好きの匿名さん25/09/09(火) 19:46:14
今日の曇らせスレはここかあ…
- 14二次元好きの匿名さん25/09/09(火) 19:55:58
うおっ濃すぎ……!
- 15125/09/09(火) 20:06:04
なんだか気付いたら6000文字超えてましたね……反省反省
- 16二次元好きの匿名さん25/09/09(火) 20:15:15
このレスは削除されています
- 17二次元好きの匿名さん25/09/09(火) 20:28:23
新鮮なssだ、おいしい
- 18二次元好きの匿名さん25/09/09(火) 20:36:31
おぉ新作出てたんですね。今回も面白かったです。
- 19二次元好きの匿名さん25/09/09(火) 20:38:44
- 20二次元好きの匿名さん25/09/09(火) 20:51:57
アンアンちゃん曇らせいいよね…
- 21二次元好きの匿名さん25/09/09(火) 21:06:20
青空文庫でも開いたかと思った よいものを読めました
- 22二次元好きの匿名さん25/09/09(火) 22:58:14
まあ特徴的ですしね……
- 23二次元好きの匿名さん25/09/09(火) 23:02:45
新作待ってました!!!相変わらず美しい文章…
- 24二次元好きの匿名さん25/09/10(水) 08:04:00
- 25二次元好きの匿名さん25/09/10(水) 09:13:52
始まり方いいね
- 26二次元好きの匿名さん25/09/10(水) 15:39:33
このレスは削除されています