【SS】マルクト「ヒマリ、千年難題を解き明かすのです」Part12

  • 1125/09/10(水) 06:23:47

    特異現象捜査部がキヴォトスを解き明かす話。

    残るセフィラはあと三体。セフィラを巡る旅もいよいよ終盤。


    ミレニアムとは何か。千年難題とは、キヴォトスとは何なのか。

    世界の謎は解き明かされなくてはならない。解き明かすべきでないのだとしても。


    ※独自設定&独自解釈多数、オリキャラも出てくるため要注意。前回までのPartは>>2にて。

  • 2125/09/10(水) 06:24:56

    ■前回のあらすじ

     死人は蘇らない。その絶対なるルールは数多の奇跡の元に覆され、調月リオは『テクスチャ』の隙を突く形で黄泉還りを果たした。


     しかしその過程において、ヒマリがケセドの記憶の底で相互認識を果たしてしまったのはキヴォトスの敵『無名の司祭』。人類と『忘れられた神々』の戦いの一幕を知り、世界のヴェールがまた一枚と捲られていく。


     これまで提示されてきた数多の謎。その全てに関係していたミレニアムの原初――千年難題。

     セフィラと共に旅を重ねてきた今のヒマリたちがエンジニア部の存在意義へと回帰するとき、ヒマリは気付いてしまった。


     この世界はあまりに危うく、いつ滅んでもおかしくないものであるのだと言うことに……。


    ▼Part11

    【SS】マルクト「ヒマリ、千年難題を解き明かすのです」Part11|あにまん掲示板セフィラたる遥か未来の科学技術へと挑む話。不可思議な『二体目』たちとミレニアム生徒会長の挑んだ決戦。『マルクト』殺しの犯人は?世界を書き換えるキヴォトスの半神。忘れ去られたのはミレニアムの特異点。そし…bbs.animanch.com

    ▼全話まとめ

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    ▼ミュート機能導入まとめ

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  • 3二次元好きの匿名さん25/09/10(水) 06:30:49

    建て乙です

  • 4二次元好きの匿名さん25/09/10(水) 06:33:07

    10まで保守

  • 5125/09/10(水) 06:46:58

    10まで埋め

  • 6二次元好きの匿名さん25/09/10(水) 07:30:25

    うめ

  • 7二次元好きの匿名さん25/09/10(水) 07:41:04

    うめ

  • 8二次元好きの匿名さん25/09/10(水) 08:01:58

    うめ

  • 9二次元好きの匿名さん25/09/10(水) 08:18:14

    うめ

  • 10二次元好きの匿名さん25/09/10(水) 08:20:10

    埋め完了

  • 11二次元好きの匿名さん25/09/10(水) 12:19:33

    保守ヨシ

  • 12二次元好きの匿名さん25/09/10(水) 19:19:33

    保守

  • 13125/09/10(水) 21:03:06

     もしも、レッドウィンターのように大人が連邦生徒会を乗っ取ってしまったらどうなるだろうか。

     サンクトゥムタワーの最終承認権という絶大な『権力』を掴まれるということは各自治区の校境すらも書き換えられるということ。それどころか全ての自治区を解体し統一校としての運用すらも容易である。俎上の魚のようにこの世界を好きに出来るかも知れない。

     そうなれば確実にキヴォトスの『テクスチャ』には致命的な亀裂が走る。
     その隙を『無名の司祭』たちが見逃すはずもない。キヴォトスは滅びの危機に瀕する。

     では、こんな特大の地雷をミレニアムとシラトリD.U.だけにあると果たして言えるだろうか。
     偶々この二つに世界が滅びかねない要因があり、それを偶々自分たちが暴き出してしまったのか。

    (そんなわけ……ありませんね)

     自分たちが暴いてしまったのはぐらついた世界の土台なのだ。
     きっとキヴォトスの各地にそうした『テクスチャを書き換え得る要因』が存在する。

     そこまで考えて、ヒマリは揉みほぐすように顔を覆った。

    「リオ、どちらにせよ連邦生徒会周りのことは私たちの手が届かない場所です。こちらまで陰鬱な気持ちになってきますよまったく……」
    「その陰鬱さが私の懸念なのだけれども」

     ああ言えばこう言うリオに溜め息を吐くヒマリ。
     だが、こんな懸念に気が滅入るのはもしかするとリオと共に身体を組成させた影響なのかも知れない。何かこう、混ざったとか。


     そんな益体もない想像をしてしまい鼻で笑って次の議題。二番目の千年難題。
     『天文学/問2:物質の可逆的な遡行素粒子化の証明、あるいはウォッチマン予測の反証』とは何か。

  • 14125/09/10(水) 21:40:17

    「『問2』は有名だよね。一番内容が知られている難題だし」

     チヒロの言葉にウタハが笑う。
     千年難題の『問2』はその内容を知らぬ者が居ないほどに有名で、ミレニアムに住まう生徒なら多感な時期を境に誰しもが一度は魅了されるものだからだ。

     それは一言で言ってしまえば『時間移動は可能であるか』という難題。

    「私も思い出深いよ。チヒロと一緒にタイムマシンを本気で作ろうとしたこともあったからね」
    「冷蔵庫作って風邪引いたのは覚えてる。今更だけど何で冷蔵庫になったんだっけ?」
    「時間を止められたら主観上での時間移動になるなんて理屈だったね。ふふ、小学生らしい柔軟な発想さ」

     そんな思い出話に花を咲かせる幼馴染二人組だが、『ウォッチマン予想』とはまさしくその『主観』に言及されたものだった。

     ――世界とはたったひとつの主観で構築されるものではない。多くの目が世界を作る。
     ――数多の『主観』が絡み合う現実に客観的矛盾は発生し得ない。今まさに未来人が発見されていないことこそその証左。

     故に、時間とは過去から未来へ流れ続ける激流である。それに抗える者は存在しない。
     『ウォッチマン予想』とは人の夢に水を差すような冷たい合理性をまとめた論文である。

     だから誰しもが反証しようとした。山のように積み上げられた『時間移動が出来ない根拠』とその論証。実証はされていないというその一点にかけて皆が挑んで敗れた科学の絶壁。その壁を越えられた者は未だに居ない。

     千年難題の『問2』とは、問題こそ分かりやすいが故に手が届きそうで知れば知るほど遠ざかっていく逃げ水のような難題であった。

    「けれども、『今の』私たちにとっては決して手が届かないものとは言い切れないはずよ」
    「ええ、というより大体何なのか分かりますからね」

     リオの言葉にヒマリが続く。というのも、時間遡行自体は既に見ているというのも大きい。未来から来た黒崎コユキを見た上で超常たるセフィラの機能を見ているのだから『道』は分かるのだ。

    「マルクト向けに改めて説明しますが、私たちはあなたと会う前に未来から来た後輩と邂逅を果たし、未来へ送り届けるという特異現象を目の当たりにしています」
    「黒崎コユキさん、でしたか……」

  • 15125/09/10(水) 22:17:32

     あの時は『よく分からないままにリオが見た物を信じる』ということで受け入れていれることにしていたのだ。

     何せエンジニア部の中でも調月リオは生粋の研究者。元来研究者とは『未知』に挑む冒険者なのだ。『有り得ない』と思っても『有り得ないのだ』と見た物ですら否定する者は研究者では無い。見間違いや思い違いと言った自分ですらも『否定』し切れずして研究者には成り得ない。

    「私たちはあの時、やたら電力を使う妙な時計を持って現れた『未来の後輩』と遭遇しました。そして作ったのが幾らでも電力を与えられる装置――仕切りの向こうの『タイムワインダー』です」

     会議室の間仕切り越しに指を指すヒマリ。その先にあるのは学園の全電力を抜き出せる『この倉庫の前任者』たる某先達の作ったミレニアムの電源ブレイカーである。一度使えばミレニアムサイエンススクールに絶大な混乱と絶望を撒き散らすため禁止された装置だ。使うなら『学園の整備点検』というカバーストーリーを流布してからでないと大変なことになる。具体的には――チヒロの所々見せる苦悶の表情が物語っているだろう。

     構わずヒマリは説明を続けた。

    「『タイムワインダー』に接続して大量の電力を集めることで活性化するのが時を超える機械『ポータルウォッチ』……ですが、『ポータルウォッチ』の実験で派手に吹っ飛ばされましたからね。覚えております。『ポータルウォッチ』はただの機械では無く生きた機械でした。マルクト、あなたのように」
    「っ!」

     息を呑むマルクト。だが、それは別にマルクトに限った話では無い。
     あの時の『ポータルウォッチ』の挙動は生物に近かったと感じた。しかしどうだろうか。もしも『ポータルウォッチ』に『疑似人格』が搭載されていたのなら、あれは正に『セフィラ』であったのではなかったのかと。

     では誰が作ったのか。ヒマリはリオへと尋ねた。

    「リオ、ケセドまで来たこの時点において私たちはタイムマシンを作れますか?」
    「不可能だと思うわ。次元が足りないもの」

     即答するリオ。それに言葉を返すのがヒマリである。

    「物質界の三次元がゲブラー。プラス精神――『意識』までをも包括したのがケセドでしたね。でしたら逆に考えたら如何でしょう? 『私たちは時間すらも超越する。そのヒントをこれから手に入れる』というのは」
    「パラドクスね。その解は」

  • 16二次元好きの匿名さん25/09/11(木) 06:27:57

    ふむ…

  • 17二次元好きの匿名さん25/09/11(木) 14:09:43

    むずかしいはなし…

  • 18125/09/11(木) 21:14:08

    念のため保守

  • 19二次元好きの匿名さん25/09/12(金) 05:06:50

    ほむ…

  • 20125/09/12(金) 11:07:24

     時間、はたまた世界を越えて来たコユキの存在からこれより自分たちの得る知識を逆算する――つまりは『次のセフィラの機能』を予測するなどと、因果が逆転していると言われれば確かにそうだ。

     だが決してリオはそのことを否定しているわけではない。
     むしろこれまでのセフィラを見れば既存の常識がどれほど薄く、脆かったものなのか理解できていないはずがない。

     『基礎』――それは『意識』こそが本質であり形ある『器』は入れ物に過ぎないという『生命の樹』の土台。
     『栄光』――それは如何なる全てを縫い留め観測し得る絶対の瞳であり実験器具。『器』の構成を暴く者。
     『勝利』――それは形ある『器』を変成し望む形へと変える加工機。鉄から黄金へと作り変えることすら可能な錬金術の極致である。

     つまり、『生命の樹』の下層は『器とは入れ物であり絶対では無い』というものを示していたのだ。
     そして中層は『器』の模る世界から離れた部分に触れていた。

     『美』――それは万象の方向性を操る無形の加速器。触れられぬ世界原理を動かす理論。
     『峻厳』――それは『発生』という概念を世界に落とし続ける無限の投射機。宇宙の熱崩壊を招く災厄そのもの。
     『慈悲』――それは存在を構成する要素を分解し解体する切断機。もはや概念までにさえ干渉し得る絶対の権能である。

     下層と中層を超えたことで、特異現象捜査部の手にあるのは世界そのものを変え得る可能性なのだ。
     それでも届かぬ時間移動、『天文学/問2:物質の可逆的な遡行素粒子化の証明、あるいはウォッチマン予測の反証』――

     そんな思考をヒマリが巡らせていると、同じく考えていたであろうチヒロがぽつりと呟いた。

  • 21125/09/12(金) 11:08:56

    「そろそろ別の世界とか別の次元にまで関わってきそうじゃない? あと三体で」
    「充分有り得るわね。対策も何も無い気はするけれど……それでも『未知』は解き明かさないと行けないわ」

     リオがそう締めくくったところで次の話題に行こうとした時、マルクトに持たせていた携帯が不意に鳴った。メッセージを受信したらしく、マルクトは上着のポケットから取り出して画面を見ると、少しだけ驚いたように目を見張った。

    「どうしましたかマルクト」

     そう促してみると、マルクトは困ったような顔をしてヒマリの方を向いた。そして――

    「あの、アスナが昼食を持って戻って来るらしいのですが……ハイマも一緒に来るとのことです。ラボに」
    「ハイマ……?」

     その名前にピンと来ないで首を傾げると、ウタハが声を漏らした。

    「セミナー書記、燐銅ハイマ先輩だね。何かあったのかな?」
    「ねぇ今ラボって言った? じゃあホドに頼んでセフィラは隠しておいた方が良くない?」

     チヒロの言葉に皆が頷く。
     残念ながら千年難題の話は切り上げる必要がありそうだった。

    -----

  • 22125/09/12(金) 18:05:54

    「こっちだよ~!」
    「案内ありがとうございます、アスナさん」

     一之瀬アスナ先導の元、セミナー書記の燐銅ハイマはエンジニア部のラボの前へと訪れていた。

     今まで場所自体は知っていたものの、実際に中へ入るのは初めてだ。
     エンジニア部。そこに属する生徒たちはハイマたちセミナーにとっても注目の的であった。

    『よくさぁ、百年に一度の天才だとか千年に一度の天才だとか言うけど……エンジニア部ってそんなものじゃ無いんだよねぇ~』

     部活結成時に会長の見せた悪辣な笑みが脳裏を過ぎる。
     曰く『二千年に一度の天才集団。なにやらかすか分からないから要注意』とのことで、部室である二つの倉庫の借受時にも真っ先に調月リオの持っていた研究を奪っていたのを思い出す。

     彼女が持っていた警備ドロイドの生産技術はまさに合理の極みを体現したものだった。
     現在のミレニアムで運用されている警備ドロイドは全てリオの生み出したAMASを元にしたものであり、保安部の機械化に大きく貢献していた。

     明星ヒマリは電脳の魔術師とも言えるほどに卓越したハッキング技術を持っており、一生徒のみでありながらどんなセキュリティであっても突破してくる。それはセミナーの会計もそうであるが、明星ヒマリが一切の無駄なく忍び込めるウィザードであるのならメト会計は力業で全てを呑み込む怪物だ。優劣をつける以前に土俵が違うのだから考えるだけで無駄だろう。

     ひとつ言えることがあるとすれば、ヒマリも会計も制御の難しいトロールだということか。
     セミナーという体制側には酷く向いていない。個々のポテンシャルを十全に発揮させるなら身内に取り込むべきではない変数。動かすのなら外部協力者の扱いで自由に動いてもらう方が正しいのだ。

  • 23125/09/12(金) 18:08:28

     その点、どうして会長がメト会計をセミナーに入れたのかがよく分からない。もっと言うならメト会計がセミナーに入ろうと決断したことすら妙だった。会計は気弱そうに見えるだけで気弱でも何でもない。我があまりにも強すぎる。世界を自分とそれ以外にしか見ていない徹底した自分至上主義であり、処世術として弱者に擬態しているだけなのだ。

     別に咎めているわけでは無い。むしろ好ましく感じていた。才能とはかくも残酷で、多くの嫉妬と争いを呼び込む。
     ヒマリのように突き抜けるかメト会計のように擬態するのか、あくまで対処方法のひとつを実践しているだけである。

     そうした『扱いづらい天才』とは違うのが残る二名、白石ウタハと各務チヒロだ。

     入学初日にセミナー本部目掛けてロケットを打ち上げ爆破した問題児であるが、少なくとも組織を知っている。そして器用だ。意識的にアクセルとブレーキを踏むタイプでありムラが無い。そして自分の才能に自覚的である。

     今のセミナー役員は会長も含めて全員三年生だ。会長の指示によって先延ばしにし続けてはいたが、流石に後継を決めなくてはいけない。その点あの二人は理想的。セミナーを運営しミレニアムを千年難題の元へと導ける逸材なのだ。

     チヒロの反体制思想も管理社会による技術停滞を憂慮してのこと。自分たちが卒業する直前にでもなれば仕方なくセミナーへ加入してくれると思っていたが、まさかその前に白石ウタハが次期生徒会長として名乗りを上げるとは思っていなかった。

     会長と何か密約でも交わしたのか、押し付けられたのか。

     少なくともウタハ本人もやる気はあるようだが……、それでもウタハを会長に据えるのは少々勿体なく感じているのもまた事実。本当だったらセミナー直下の技術部として新技術の発明に携わってもらいたかった。やはり会長はチヒロだ。各務チヒロこそが最も効率的にミレニアムを回すことが出来る。

    (伝言ついでにチヒロさんを勧誘できれば良いのですが……)

     そんなことを考えながら開くラボの扉を見ていると、広い倉庫の中には五人の姿。
     チヒロ、ウタハ、ヒマリ、リオ……それから八月に転入してきたマルクトである。

  • 24125/09/12(金) 21:55:24

    (芦屋マルクト……でしたか)

     彼女の転入についてはセミナー役員たる自分ですらなにひとつ聞いていない寝耳に水の報せであった。
     何処から来たのか分からない正体不明。分かっていることはひとつだけ、特段問題を起こしているわけではないということのみ。

     ただ、マルクトの転入を前後にしてエンジニア部は『何も無い廃墟への探索』を行っていた。
     『未知』たるロボット兵が巡回する危険地帯。行く理由すら何処にも無い郊外へと何度も出入りしており、同時に『廃墟』の亡霊の噂を考え見れば『エンジニア部が何かを見つけてしまった』ことは考えるべくもない事実だろう。

     思い返せばそこからだ。絶対中立を保ってきた会長がエンジニア部に深く関わるようになったのも。

    (でしたら、マルクトこそがエンジニア部……ひいてはセミナーに起こった変化の中軸ということでしょうか?)

     視座を巡らせて目が合うは各務チヒロ。エンジニア部のバランサー。制御不能な駒を手繰るプレイヤーのひとりである。

    「EXPO依頼ですねハイマ書記。用があると聞いたのですが」

     にこやかに『外向きの』笑顔を向けるチヒロ。そこに対して『撃つべき』一手は分かり切っていた。

    「隠し立てを咎めるつもりはございません」
    「っ――」

     驚愕を隠しきれていないチヒロの眼。結局のところどれだけ頭がキレようとも15歳。二歳も下の後輩であるからこそ、何より『経験』が足りていない。心を読んで模倣してくるような会長でなくとも分かる。こんな簡単なカマかけにすら引っかかるのだから。

     だが、そんなことはどうでもいい。自分が伝えるべきことはそこではない。

    「ここに訪れたのは会長からの伝言および私の相談事を聞いて頂きたいだけでしたから」
    「相談事……?」
    「警戒しないでください。先に申しますと、私は会長および会計の変容について納得がしたいだけなのです」

  • 25二次元好きの匿名さん25/09/13(土) 04:23:51

    保守

  • 26125/09/13(土) 08:12:51

     ハイマがそう言うとチヒロは少々納得が行かない様子を見せながらもラボの中へと案内してくれた。
     広々とした倉庫。その手前部分に置かれた急ごしらえの椅子。そのひとつに腰かけて一息つくと、ハイマ書記は無駄を省くよう速やかに伝言の方から伝えることにした。

    「まず会長からの言伝ですが、皆さんが発掘した『セフィラシリーズ』については会長が連邦生徒会長と密約を交わしたそうで、これまでのように隠す必要は無くなったそうです」
    「そうでしたか」

     にこやかに返す明星ヒマリ。ハイマ自身『セフィラシリーズ』が何なのか全く知らなかったが、最近のエンジニア部の動きから見て『廃墟』から発見された何かであるぐらいには認識している。そこにどうして連邦生徒会長が絡んでくるのかまでは与り知らないところではあったが。

    「それから、来週の11月8日よりオデュッセイアとの学園交流会がございます」
    「え、そうなの? 聞いてないけど……」
    「エンジニア部および音瀬コタマ、一之瀬アスナ両名の参加は禁止とされておりましたのでお伝えしておりませんでした」
    「なんで!? いや別に参加したいわけでもないけど」
    「会長が仰るには『晄輪大祭を思い出せ』とのことです」
    「あぁ……それかぁ……」

     晄輪大祭と言っただけで途端に気まずそうに視線を逸らすチヒロ。
     どうやらペナルティを受けることに思い当たるところがあるらしい。

     そこでふと、声を上げたのが調月リオであった。

    「そういえばコタマはどこに行ったのかしら? アスナと一緒に昼食を買いに行ったのでは無いの?」
    「コタマさんについては先ほどセミナーに連行されたと保安部より連絡がございました。会長がコタマさんに用があったようでしたので」
    「そう。ならいいわ」
    「いや良くないで――まぁ、コタマならいいか……」

     椅子から立ち上がりかけたチヒロが呆れ顔を浮かべて座り直したところでひとまず言伝は済んだ。
     そして本題。ラボまで足を運んだことについてハイマ書記は話し始める。

    「では会長の件なのですが、まずこれまでと今の状態を説明することから始めさせてください」
    「最近様子がおかしいと言っていたね。私がセミナーで引き継ぎを受けているときはそこまで妙に思わなかったけれど」

  • 27125/09/13(土) 08:15:42

     ウタハが聞き手に回るが、彼女自身比較的平穏なセミナーしか見ていないため当然の疑問だろう。

     だが、違う。会長も会計も割と自由奔放なのだ。

     会計は仕事を抱え込み過ぎて精神的にパンクし逃亡する癖があった。大抵保健室に逃げ込むかして数日失踪し、戻って来たと思えば溜まった業務を泣きながら鬼のような速さで捌いて行く問題児である。結果的には全て滞りなく終わるため目くじらを立てるほどでもないのだが、属人化の極みのような原始的ネットワークはせめて何処かで直して欲しい。

     そして会長は会長で日中はまるで仕事をしない。ウタハへの引継ぎが始まったから少し顔を見せるようになったが、基本的には仕事を放置して放浪していることも珍しくない。むしろ放浪しているなら良い方で、居る時は居る時で積極的にセミナーの部員をからかって仕事を妨害する始末。度が過ぎれば制裁を加えているのだが、それすら何処か嬉しそうで制裁というよりご褒美を上げてしまっているのではないかと考える日も少なくは無かった。

     そう言うとチヒロは素の表情で「やばぁ……」と漏らしていたが、それは書記にとっても同感である。めちゃくちゃなのだ。役職持ちが。

    「よくそれで回っていたね……」

     あまりの惨状にウタハが引きつった笑みを浮かべていたが、それで回せてしまうのが会計であり会長なのだ。

    「会長も日中は仕事を放置しておりますが、一晩明ける頃には何故か全て片付いているので学園運営そのものには支障が出ておりません」
    「余計に悪質じゃないそれ? ってか会長とかにリコールってあるんだっけ?」
    「現行ではございませんね。不満が爆発したら襲撃されるだけですから。今年の4月もその手のテロかと驚いたものです」
    「うぐっ……そ、それは……」
    「他にも中学時代に行っていた『ブラッディフライデー事件』のことも聞きまして……」
    「だからそれは金曜日でもないし血で染まっても無いから!!」

     叫ぶチヒロに笑うヒマリ。それを見てハイマ書記は少しだけ安心した。
     日ごろから鉄仮面と揶揄される自分のジョークが通じたのかと心なしか誇らしく思いながらも、こほんと話を戻すように咳ばらいをひとつ。あくまでここまでが『これまでのセミナー』だからだ。

  • 28125/09/13(土) 08:20:20

    「ですが、最近のセミナーは少々変わりまして……会計も会長もまともになってしまったのです」
    「何か……問題があるのかい?」
    「いえ特には。ただ己を振り返って反省をしたということであれば良いのですが、そうでないのなら――重大とも言える心境の変化があるのなら知っておくべきだと思いましてこちらに伺いました」

     そう、そこなのだ。
     会計は逃げ癖を無くして毎日業務に取り掛かっている。問題はない。けれども健全かと言われると首を傾げたくなる。まるで一日一日を刻むように業務へと勤しんでいるのだ。時には今にも泣きだしそうな目で、それでもぐっと堪えながら日々を過ごしている。もうじき終わる日常に対して自分は変われると見せつけるように、弱者の振りすらかなぐり捨てている。

     会長もまた同様に、誰かをからかうことは無くなった。普通に業務をこなし、部員たちには労いの言葉をかけている。
     非凡が凡人になるように、悪い意味で強烈だった存在感が薄れていくのをひしひしと感じていた。自分が居なくてもいいようにと。

     卒業まで半年を切ったからとはまた違うセミナーの変化。
     会長に問いただしても答えてくれなかったその答えを知るためにここに来たのだ。

     だから率直に聞いた。会長に投げたのと同じ問いを、彼女たちにも。

    「会長は、もうじき死んでしまうのですか?」
    「…………」

     表情が強張る一同。それはエンジニア部が会長の抱える『病』について知っていることを意味していた。

     会長が病気を患っていることはごく一部の生徒しか知らない情報である。それもそのはず、本人がそんなことを全く匂わせない言動を行い続けていることと、それを知っている生徒の多くが卒業してしまっているのが原因だ。

     不眠症の一言で済ませられるものではない『眠れぬ病』。意識を失うまで止まらない正体不明の病気。
     にも関わらず、会長は『病院になど行っていなかった』のだ。初めて会ったときは通院帰りと言っていたが、後から調べたら全くの嘘。弱っていることだけが事実でその治療を行っていないという矛盾。考えられるのは二通りである。治せないと諦めてしまった『不治の病』か、もしくは『心当たりのある現象』か。

    「私は会長が自身の状態についてほぼ正確に把握していると推測はしておりますが、皆さんの目からはどう見えますか?」

  • 29125/09/13(土) 08:26:36

     聞く相手はこれでも選んだつもりである。
     ジャブがてらに打ち込んだ『病』の話。そして相手はミレニアム屈指の『二千年に一度の天才集団』……きっと有益な情報が出てくるに違いない。

     そんな『期待』を込めて見つめると、返す言葉は思わぬところから飛んできた。

    「じゃあさー、温泉とかどうかな!」
    「温泉……?」

     思わず向き直るは声の主。一之瀬アスナ。無垢たる天才は言葉を続ける。

    「なんかお湯に浸かると良いって言うし、それで元気になるかもよ! 会長さん、別に『身体の調子が悪いわけじゃない』みたいだし!」
    「そうなの?」

     アスナの言葉に首を傾げたのは各務チヒロである。
     そして内心ハイマ書記も同感だった。会長の病が悪化していると思っていたからだ。

    「あなたから見て会長は不調ではないのですか?」
    「うーん。元気は無さそうだけど病気じゃ無いんじゃない? なんかそういうのじゃ無さそうだし」
    「なるほど……」

     ハイマ書記は顎に手をやりながら考える。
     アスナに何が見えているのか、それは恐らく本人すら忘れてしまって分かっていないだろう。

     しかし湯治――リラックス出来るよう旅行に赴くのは悪くないと確かに思った。

     セミナーないしミレニアムの運営は確かに多忙ではあるが、会長も会計もどれだけサボっても仕事は片付けられる速さがある。丸一日オフの休養を追加で取っても問題ないであろうことは周知の事実。部員の手に負える通常業務の範囲であればむしろ休んでもらっていても全く問題はない。充分にアリだ。

     そう結論付けたハイマ書記は一同を見渡しながら「ふむ」と頷いた。
     そして表情の変わらぬ鉄仮面の様相で改めて皆を見渡す。

  • 30125/09/13(土) 08:39:09

    「では、『わくわくセミナー温泉休暇』のプランを実行すると致しましょう。期間は明日から三日間。その間に悩みや秘匿している内情を聞き出して湯に溶かす……ありがとうございます。おかげで良い案が浮かびました」
    「それは良かった」

     ウタハが一仕事終えたような口振りで言葉を返す。そこに重ねるハイマ書記の言葉。

    「では、皆さんも明日から三日間お時間頂けると言うことで」
    「……うん?」

     何故か困惑した様子のチヒロにこちらも首を傾げる。
     今しがたそういう話になったのではないかと言わんばかりに目を合わせた。

    「会長の『病』について知っておられる方々で固めれば気兼ねなくリラックスできる――そういうことを仰られたのですよね?」
    「え、いや――え!?」
    「あぁ、料金のことでしたら全額セミナー内で補うのでご安心を。『学生らしく』旅行というのもまた一興――どうされましたか?」

     何だか妙な雰囲気になっている気がして思わず尋ねるが、エンジニア部の面々は実に複雑な表情を浮かべて頷いた。

    「おっけー分かった。分かりました。セミナーの慰安旅行に同伴すればいいんですね」
    「……もしかして、気が進まないと?」
    「いや! 違います!」

     チヒロはぶんぶんと首を振って笑みを浮かべた。

    「是非とも参加させてください。ちなみに場所はミレニアム自治区の中を想定されてますか?」
    「はい。場所は――」

     ハイマ書記の脳裏を過ぎるのはミレニアムの中にある天然の秘湯。枯れかけて知る者以外は誰も来ないであろう場所。

     キヴォトス公立第3天文台の傍に湧いてある源泉であった。
    -----

  • 31二次元好きの匿名さん25/09/13(土) 15:27:14

    保守

  • 32125/09/13(土) 18:26:12

    「あ痛っ!」

     悲鳴を上げて床に転がされたのは保安部に連行されたコタマ。
     セミナー会長室。ここに入ったのはEXPOでのテロ事件から実に一か月と半月振りである。

     そんなコタマに上から声をかけるのは、執務机に座って足をぷらぷらと揺らすセミナー会長である。

    「やぁやぁ悪いねぇコタマちゃん。わざわざ来てもらって」
    「来たというか連れて来られたのですが……。しかも手荒く」

     半ば恨みがましく半目で睨んで立ち上がると、会長はいつものようにニタニタと笑う。

    「過程なんか別にいいじゃないか! ま、一応だけどケジメはつけて置かないとって思ってさぁ」
    「けじ……め……?」
    「ほら、コタマちゃん。一応会長命令で特異現象捜査部……公的にはエンジニア部かな? に強制加入して貰っていただろう? 事件を起こしていた連絡役に対するペナルティってことでさ」
    「……そういえばそうでしたね」

     コタマは思い出すように呟いた。
     近頃すっかり忘れていたが、そもそも罪に対するペナルティとしてセフィラ収集に巻き込まれたのだ。

     名目上は罪の清算。沙汰は会長が取り仕切るということでの異例な処置。そしてまさかと嫌な想像が脳裏を過ぎる。

    (居心地が良くなってしまっているから清算にならないとか、そういうのでしょうか……?)

     強制加入からの強制脱退を思い描いてしまって思わず目を逸らす。

     もう二度とエンジニア部と関わってはいけないなんて、いくら会長でもそこまでの監視は付けられないはず。しかし『あの』会長だ。底の見えない正体不明で『未知』そのもの。何ならついさっき会議室でヒマリが話していたように初代マルクトの中に眠っていた『博士』かも知れない。つまりセフィラの残滓。自分では到底理解できない『何か』を持っている可能性も否定できない。

     暗澹たる空想が回り続ける中、恐る恐る会長を伺う。
     すると会長はニタニタ笑いを消して普通の、ただの少女のように力を抜いて微笑んだ。

  • 33125/09/13(土) 18:29:57

    「怖がらなくても大丈夫だよ。言いたいことはひとつだけ。君の清算は済んだ。もう僕は君に干渉しない」
    「……え?」
    「チヒロちゃんたちと一緒に居たければそうすればいい。セミナーは君へのペナルティは与え終えたと正式に認める」
    「え、あ、あの……そう思わせてまた何かやらせるとかでは?」

     会長の悪辣な手腕はミレニアムに通っていれば嫌でも耳に入る。上げて落とすなんて平常運転。コタマは安心することなく会長から目を離さなかったが、会長は『本来はそうであったかのように』優しく笑って首を振った。

    「ははっ。ま、君の警戒は間違っていないけど何も無いよ。もう僕は誰にも強制しない。強制する必要も無くなったってとこかな?」
    「…………何かあったんですか?」
    「あったというよりこれから起こる、かな。今月中には学校を辞めるからね」
    「はい!?」

     突然の爆弾発言に声を上げるコタマ。まだ11月だ。卒業まで半年を切ったタイミングで何故。
     そう思うと会長は続けて言葉を紡いだ。無邪気に爆弾でも投げるように。

    「僕は元々『この世界』の住人じゃないからね。やることやったし『ちゃんとしなきゃな』ってさ」
    「え? あ、はい? いや、その…………え?」
    「混乱してるねぇコタマちゃん。でも君たちだって薄々気付いているんだろう? 僕が『まともな人間じゃない』ってことぐらいはさ。君がミレニアム中に仕掛けまくった盗聴器にうっかり会計ちゃんが僕のこと言うかもしれないって思ったから先に言っておこうと思ったんだ」

     立て続けに投げられる発言に思わず呆然とするコタマ。
     そして同時に思うのは、何故いま言ったのかということである。リオやヒマリ、チヒロやウタハなどせめて他にも誰かいる時に言ってくれればもっとこう、何か聞かなきゃいけないことのひとつやふたつ、すぐに思い浮かんで聞いてくれるはずなのに。

     そんなコタマの思いなんてお見通しと言わんばかりに会長は机の上で足を組んだ。

    「僕の正体はあの子たちの宿題だからね。だから伝令役の君だけに教えたんだ。あ、もうちょっとだけ続けるからちゃんと『聴いてて』ね?」
    「え、えぇ……? まぁ、その、分かりました」

     渋々頷くと会長は頬杖を突きながら自分の正体のヒントを話し始めた。

  • 34125/09/13(土) 18:51:49

    「まずさ、現実改変……まぁ過去改変でも何でもいいけど、いま僕たちが存在している世界は常に一定じゃないのはもう『知ってる』よね?」
    「まぁ、はい。何となくは」

     ケセドの中でヒマリが起こした世界へのハッキング。そして死んだはずのリオを『生きていたことにする』というトリック。
     いくらエンジニア部の叡智からは程遠いコタマであっても分かる。これはおかしいことであると。

     おかしなことが現実になる。それは確かに『知って』しまったのだ。

    「本当だったら変わった現実に対して舞台に上げられた登場人物もまたリセットされなくちゃいけない。けれども、もし例外中の例外をうっかり引き当てて『居ないはずの存在が居る』ってなったらさ。これはおかしいことだよねぇ?」

     何処か自嘲めいた口振りで会長は嗤う。まさに自分こそがそんなおかしな存在とでも言うかのように。

    「僕は置いていかれたんだ。僕のことを知ってる人はみんな消えちゃった。そして『世界』は僕の存在すら赦してくれてなくてね。隙を見せれば『あるべき形に戻そう』って僕のことを見続けている。だから病弱なんて嘘なんだ。ただ存在を削られ続けているだけで。だから眠い。眠れないのにね」
    「それが……二年前にあったことですか?」
    「まぁね」

     会長はそう言って一拍置いた。それから再び語り始める。

    「コタマちゃん。僕はマルクトの旅路が無事に終わるよう全力を尽くした。どんな犠牲があっても全部なかったことにして、僕だけがその事実を受け止めるつもりでいたんだ。でも、君たちは僕の想像を遥かに超えてくれた。リオちゃんの黄泉還りを見てそう確信したんだ。だから――」

     そっと瞳を伏せて、どこか満足そうに会長は微笑む。

    「僕という『間違い』はもう、正されても良い。そう思ったんだ」
    「まさか……『消える』んですか?」
    「或るべき場所に『帰る』んだ。最高の終わりを迎えるために。そもそもひと月で終わるところを二年も延命して来たからね。僕もまた、僕の『罪責』の清算が終わるんだ。明日眠る準備が出来たってとこかな」

  • 35125/09/13(土) 19:15:10

     『罪責』――アシュマ。それは二代目マルクトに本来与えられるべきはずだった『名前』である。
     それは言外に『会長がマルクトを作った』ということを示しており、有り得るはずの無かった二回目の旅路は会長の手によって発生したとも言えた。

     その想像を否定することなく、会長は静かに頷く。

    「『千年紀行』は終わらせないといけない。セフィラはこれまで、あまりに多くの『魂』と『概念』を蓄え過ぎた。きっともう次の『テクスチャ』では破裂する。そうなれば世界は暴走したセフィラによって滅ぼされ続ける。そこには救いも何も無い。だからどうか知って欲しいのさ。ミレニアムを救える『鍵』は君たちなんだってね」

     会長は、話は終わりだと言わんばかりに机から降りてコタマの前まで歩を進める。
     何も言えなかった。壮絶な覚悟と願いを前に、動くことさえ不謹慎な気がして固まっていると会長がぽんと肩を叩く。

    「頼むよ、特異現象捜査部。君たちなら、この呪われた運命を解体しきれるはずだ。『未知』を――『神』を殺せる『叡智』の全ては君たちにあるんだから」
    「……分かりました。とりあえずそう伝えておきます」
    「よろしくね、コタマちゃん」

     そう言ってコタマは会長室を出た。
     伝令役として最後の任を受けてしまった以上、ちゃんと伝えなくてはいけない。会長の思いも、願いも。
     そんなように奮起しながら部室に戻ると誰も居らず、ラボに向かうと何やら神妙な顔をしたチヒロたちが居た。

    「あ、コタマ。連れ去られたって聞いたけど大丈夫だった?」
    「ええ、問題なく。それより――」

     口を開きかけたコタマ。それより早くチヒロが声を上げた。

    「明日からセミナーの役員と温泉旅行だから準備しといて」
    「……………………はいぃっ!?」

     間隙を突くような内容に思わず頭が真っ白になって、それから叫ぶ。自分が会長室に居た時にラボで何が起こっていたのか。その全てを聞いたコタマの頭からはもうすっかり会長から託された伝令なんて抜け落ちている。

     その内容が伝わるのは、もう少しだけ後の話になるのであった。
    -----

  • 36二次元好きの匿名さん25/09/13(土) 23:21:29

    保守

  • 37二次元好きの匿名さん25/09/14(日) 04:35:59

    ほむ…

  • 38二次元好きの匿名さん25/09/14(日) 11:09:48

    保守を追う者

  • 39二次元好きの匿名さん25/09/14(日) 18:07:26

    ボッシュ

  • 40125/09/14(日) 21:50:15

     翌日。深い山間を走る一台のバスと、そこに乗車している生徒たちの姿があった。
     ハンドルを握るのは書記。そして乗り合わせるのは特異現象捜査部にとっても縁遠いわけではない面々。

    「あの……三日も留守にして大丈夫なんですか……?」

     心配そうな表情で眉を下げるのはセミナーの会計、電子戦最強を誇る偽りの弱者、久留野メト。
     それにぼんやりと笑顔を見せるのは元化学調理部部長、仁近エリである。

    「だいじょーぶだよー。会長さんも来てるってことは何とかなるってことでしょー?」
    「まぁね。たった三人、三日ぐらい居なくなった程度で破綻するセミナーじゃないのは保証するよぉ」

     座席に座った会長が笑みを浮かべると、それに釣られる形で笑い声を上げる生徒が居た。
     新素材開発部部長、山洞アンリである。

    「はーはっはっは!! 対抗戦は置いておくとしてもだエンジニア部! 諸君らが身を潜めている間にどれだけ私たちが成長したのか見せてやろう! この温泉合宿でなぁ!!」
    「あー、そういや最近遊んであげられてなかったね。えっと……何かで勝負するの? 私たちと」
    「舐め腐っているな各務チヒロよ! ふふん、これまで散々負け続けていたがそろそろ先輩たる格を見せてやろうと思っていたところだ。私を敬え!!」
    「はいはい」

     適当に流すチヒロ。思い返せば新素材開発部と関わったのはイェソド戦の最中であった三か月前。トラックを奪い取った時以来だと思い出して溜め息を吐いた。

     新素材開発部とのやりとりは確かに日常の象徴であったが、セフィラ回収という今においてはそこまで重要でも何でもない。それが何だか無くしてしまった日常のように思えて『変わってしまった』ということそのものにアンニュイな感情を抱かなくもないのは確かだ。

     そこで声を上げたのが古代史研究会の会長もとい部長。神手フジノである。

    「で、結局これって会長の慰安旅行でしょ? 別にいいのだけれどなんで私たちが集められたのよ」
    「それは皆さんが会長の『病』について知っているからとなります」

     書記が淡々と告げると、研究会のフジノ会長が「ああそう」と息を吐いた。

  • 41二次元好きの匿名さん25/09/14(日) 23:15:33

    保守

  • 42二次元好きの匿名さん25/09/15(月) 07:31:12

    ほむほむ…

  • 43125/09/15(月) 09:03:20

    「それでわざわざ遠く離れた場所に行こうってことなのね。っていうか『キヴォトス公立』ってなんなの? ミレニアムの敷地内でしょこれから行くとこって」
    「そのままの意味だよフジノちゃぁん……。ずっと昔の連邦生徒会が作った天文台。僕としてはなんでそんな場所を書記ちゃんが知っていたのか気になるけどね」
    「保安部長たるものミレニアムに存在する全ての住居は確認しておくべきです。会長の設置した『ハブ』によってネットワークも電力も繋がれている秘所。郊外に匹敵するほど誰も訪れないとなればセーフハウスとしては重用できます」
    「ま、ここなら『誰にも見つからない』だろうしね。ほんと、僕は君が怖いよ書記ちゃんさぁ」

     会長が呆れたように肩を竦めながら運転席へのハイマ書記へと返す。
     そんなバスの後部座席に座るのは特異現象捜査部の面々。コタマがウタハに話しかけていた。

    「ネットが繋がっているのは助かりますが……ウタハさんも色々と忙しいのでは?」
    「まぁミレニアムの運営方法も分かって来たから少しぐらい休むのは問題ないさ。それに……」

     そうして視線をバスの外へと向けるウタハ。
     都市部から離れて森に入ったところであったが、何も無いはずの林の奥がガサガサと不自然に揺れる。

     晄輪大祭のときもそうであったように、今回もまたセフィラたちが同行しているのだ。
     ゲブラーが作り出したチャリオットをゲブラー自身が牽引し、その姿をホドが隠している。

     前回のように勝手について来ないよう、ならばいっそ最初から連れて行くことを前提にしてしまえというそんな考え。代わりに出先ではマルクトの指示に従うことを徹底させ、ついでにセフィラたちの各機能解析も行わせてもらうところまでは取り付けたのだった。

    「会長。私たちのしてきた活動を隠す必要はもう無いんだろう? そろそろ紹介しても良いかな?」

     ウタハは少し遠回りに話す。これでも事前にセフィラを連れて行くことを会長には話していたのだが、セフィラの存在を隠したまま三日も過ごすのは流石に無理だと相談していたのだ。

     そのことについて、会長は参加する五人だけにならセフィラの存在を明かしても良いと頷いた。

  • 44125/09/15(月) 09:22:30

     弱者に擬態する電子戦最強のセミナー会計、久留野メト。
     戦術研究の第一線に立つチェスのタイトルホルダーでもあるセミナー書記、燐銅ハイマ。
     友の為にエンジニア部を罠にかけたテロ事件の外部協力者だった元化学調理部部長、仁近エリ。
     何かとエンジニア部を目の敵にして挑むが負け続けるドロップボックスじみた新素材開発部部長、山洞アンリ。
     そして、かつて『廃墟』に赴きマルクトとニアミスのような接触を果たしていた古代史研究会部長、神手フジノ。

     全員に共通するのは『会長の病』を知っていると言うこと。それから万能たるセフィラを知っても安易に頼ろうとはしない『エゴ』を持っているということである。

     そんな彼女たちにセフィラを明かすことを会長が了承すると、マルクトは『精神感応』による合図を送るべくそっと瞳を閉じた。

     瞼の裏で輝く荘厳。金色に染まりしクロスのグリフ。十字が示すは物質の象徴。どこまでも届く絶対の『言葉』によってセフィラたちへの接続を果たす。

    「おおっ……!」

     新素材開発部のアンリ部長が窓の外を見て声を上げた。

     並走する白馬のような造詣の機体。ゲブラーが引くチャリオットにはトラ型のイェソド、オウム型のホド、ウシ型のネツァクが乗っており、ネツァクの背にはちょこんとネズミ型のケセドが覆いかぶさるようにしがみ付いている。

     そして空には空を『落ちる』カイコ型、ティファレトの姿。
     見ようによっては怪物の群れだが、妙な愛嬌というか生物っぽさというか、奇妙な隣人とも言うべき存在に対して一同は面白そうに声を上げた。

    「メトちゃん見て見て。なんだか可愛いねぇ~」
    「ど、動物っぽいから辛うじてだよ……。よく見るとちょっと怖いし……」

     交友関係のあるらしいメト会計と元化学調理部のエリ部長がセフィラたちを眺める一方、新素材開発部のアンリ部長はセフィラたちの機体を見ながらひとりぶつぶつと呟き始めた。

  • 45125/09/15(月) 09:43:14

    「『フラクタルボックス』と同質の素材かあれは……。生きた無機物。ふむ、あの時調べたのは彼の存在に使われている素材だったか」
    「そんなことよりあんなのが『廃墟』に居たってことを驚くべきじゃないの? あの時もっと調べておけば私たちで確保でき――いや無理ね」
    「なんだ諦めるのかフジノ女史! 我々新素材開発部ならばエンジニア部にも負けず劣らず奇怪な存在で在ろうとも解析できるぞ!」
    「いや私たちは発掘と調査が中心だから。解析も開発も別にしないし出来ないわよ」

     新素材開発部と古代史研究会の両部長が言葉を交わす。そんな様子を遠巻きに眺めていたリオがぽつりと呟いた。

    「なんだか妙な気分ね。セフィラという存在を外から見られるのは」
    「ふふ、独占欲でも生まれましたかリオ」
    「どうかしら。ただ、外部からの検証によって見えなかったものも見える気がするのよ」

     そう、今このバスに乗っているのは誰も彼もが一芸を持つ天才なのである。
     ある種、外部との共同研究の場とも言える今回の温泉旅行は特異現象捜査部にとってもまたとない機会になることが容易に想像が付いた。

     惜しむらくはセフィラの機能があまりにも常軌を逸しているが故に信頼できる人物のみにしか明かせないことだろう。

     セフィラを使えば思うままに世界を変えられてしまう。特に顕著なのがゲブラーだ。いまの『テクスチャ』に依存するとは言え、作れる物はそれこそ無限。欲しいものがいつでもいくらでも作れるとなれば大抵の人物は容易に見持ちを崩す。

     何よりも優先すべき信念がなければ安易に頼って身を滅ぼしかねないのがセフィラであるのだ。
     その道理を弁えている者にしかセフィラの存在は明かせない。言ってしまえば『まだ早い』ということでもある。

  • 46125/09/15(月) 09:44:47

    「そういえば、ここに居るのはミレニアムEXPO前後で関わった人物ね。コタマもそうだけれど」
    「えっ、私ですか?」

     コタマがやや挙動不審ながらにリオを見て、それから会計と元化学調理部部長へ視線を向ける。
     この三人はテロ事件の犯人サイドだ。そして捕まえたのがエンジニア部と保安部部長を兼任するハイマ書記。それから会長。

     この場にいる12人の中でテロ事件そのものに関与していないのは新素材開発部のアンリ部長と古代史研究会のフジノ部長のみ。
     そう考えると若干気まずい雰囲気が流れるも、会長がそんな空気を壊すように笑い声を上げた。

    「まぁ、全部終わったことだしねぇ~? 別にいいんじゃない? 悪いことした人にはちゃんと僕からペナルティは与えたし、みんなそれを受け入れた。で、ミレニアムのトップである僕が赦した。もし今度また悪いことをするなら、ちゃんと誰にもバレないようしっかりやらなきゃ駄目だよぉ?」
    「そもそも悪いことさせちゃ駄目でしょ!? あんた会長なんだからもっとしっかりしなさい!」

     古代史研究部のフジノ女史が叫んだところで空気が何処か和らいで、バスは森を抜ける。

     その先にあったのはただっぴろい丘に建つひとつの建造物。
     丘陵から見えるのは申し訳程度に作られた掘立小屋と湧き出る温泉。

     ミレニアムの秘所、キヴォトス公立第3天文台であった。

    -----

  • 47二次元好きの匿名さん25/09/15(月) 17:47:50

    温泉…

  • 48二次元好きの匿名さん25/09/16(火) 01:11:04

    保守

  • 49二次元好きの匿名さん25/09/16(火) 08:55:21

    追いついた

    いきなり慰安旅行とか言われたら記憶飛ぶよね

  • 50125/09/16(火) 09:52:11

     昼過ぎに到着した一行はそれぞれ荷物を天文台の中へと運び始めた。
     これから三日間、療養と気晴らし、それから特異現象捜査部に属さない外部の生徒も合わせた多角的なセフィラ検証を行うのだ。遥か昔に遺棄された天文台の中も寂れてはいるものの、つい最近掃除でもされたかのようにそこまで汚れてはいない。

     そのことに疑問を覚えるチヒロだったが、それにはマルクトが答えた。

    「先日この場所に数名の反応がありました。恐らく事前に清掃業者を入れたのでしょう」
    「あ、それ僕ね。場所は知ってたから『お手伝いさん』にお願いしたんだよ」
    「そうでしたか」

     自分の荷物を書記に持たせた会長がひらひらと手を振って答える。そして会長はそのまま丘の下に建てられた掘立小屋の方角を指差す。

    「ちなみに掘立小屋を作ったのも温泉を掘ったのも僕。去年作ってみてほったらかしにしてたからすっかり忘れてたよ」
    「何故そんなところに? 温泉を掘るならもっと別の場所が適切かと思いますが……」

     そう言うと会長はマルクトたちに近づいて、声を潜めるように薄く笑う。
     そして「この場所は何処だ?」なんて言うように足で軽く床を踏み鳴らしてからリオを見た。

    「リオちゃん。ここは『ミレニアム』だよねぇ? じゃあなんで『キヴォトス公立』なんて建物があるんだと思う?」
    「っ――」

     何かに気付いたのか、思わず息を呑むリオ。そこにちょうど通りがかったのはバスからキャンプ用品を運び出す古代史研究会のフジノ部長である。

    「どうしたの? こんなところで立ち止まって」
    「フジノ部長、あなた……『ここ』を調査したことがあるかしら?」
    「え? あーそうね。この天文台も一応『遺跡』だからあるわよ」

     平然と言うフジノ部長の発言にリオはどこか納得したように頷く。
     それからリオはマルクトたちへと向き直ってこう言った。

  • 51125/09/16(火) 09:53:44

    「ここは『廃墟』と同じなのよ。ミレニアムだけどミレニアムじゃない場所……いえ、正確には『ミレニアムが被せられなかった場所』かしら……」
    「ミレニアムを被せる……ですか?」
    「そうよ。元々ある『キヴォトス』という大地に『ミレニアム』というテクスチャが被せられているのよ。だからここはミレニアムであってミレニアムで無い場所。だから――」
    「きゅ、急に何を言っているのですかリオ?」

     ヒマリが横から口を挟んでリオを止めた。リオもまた、止められて初めて自分が何を言ったのか自覚したように目を見開いて、それから額に手を当てる。まるで自分の頭の中を確かめるように。

    「……ごめんなさい。ちょっと休ませてちょうだい」
    「私が随伴します。休憩室まで案内いたしますので」
    「……頼んだわ」

     背中をさすりながらリオの手を引くと、後ろからヒマリがそっとリオとマルクトだけに聞こえるよう耳打ちをする。

    「もしかするとケセドから作り直した影響が出ているのかも知れません。何かあれば私に連絡してくれますか?」
    「分かりましたヒマリ。リオ、大丈夫ですか?」
    「え、ええ……」

     ふらつくリオを支えながらマルクトはリオと共にその場を離れた。
     リオの身体に起こっている異変。それは本当に問題無いのかと不安を覚えずには居られなかった。

     冥府から生還する過程においてリオは、『器』と『人格』にセフィラの手が大きく入ってしまっている。
     リオ本来のものは『名前』と『記憶』だけ。ならリオは『生命の樹』という自分たちセフィラの物語に取り込まれかけているのでは無いだろうか?

     もちろんセフィラとは技術体系という概念をひとつの個体に凝縮されたもの。人間がセフィラになるわけでは決して無い。

     けれどもそれはセフィラに『接続されない』という意味でも無いのだ。セフィラ性が付加された『人間』なんて存在はケセドまでの知識の中に無いことをマルクトは知っていた。マルクトはセフィラと接続することで、対象の知識を共有することが出来る。

     だから、マルクトはそっとリオに瞳を向けた。
     口を開く。果たしてどこまでリオは人間であるのかを確かめるように。

  • 52125/09/16(火) 09:54:51

    「リオ、私の目を見てください」
    「なにかしら?」

     交差する視線。そして、尋ねた。あの問いをリオに対して放った。

    「『あなたは、誰ですか』?」
    「…………っ!」

     リオの目が大きく見開かれる。
     問いの意味を咀嚼し反芻するように、思考の海から至高の深淵を覗き込む赤い瞳が僅かに揺れた。

     セフィラに対する照合式。人に使えば『器』と『記憶』までの道筋を再定義できる修復機能。
     しかし、マルクトもまた理解した。リオの半分は本当に『人間では無くなっている』ということに。

    「ああ……そういうことね」
    「り、リオ……?」
    「聞いてちょうだいマルクト。私はミレニアムサイエンススクール一年、エンジニア部所属の調月リオよ。そして――」

     言葉を区切り、息を吐いた。まるで自分がいったい何に変わってしまったのか。その整理を付けるように。
     そして、マルクトを正面から見てリオは『名乗った』。

    「存在しないはずの番外。有り得るはずの無い存在。『知恵』のセフィラ――『ダアト』……それが私のもうひとつの『名前』よ」



     マルクトに名乗って、初めてそこでリオはどこか腑に落ちたような感覚があった。
     ヘイローが見えるようになったのも『知恵』を冠するセフィラとして繋がってしまったのが原因だったのだ。

  • 53125/09/16(火) 09:55:54

     人間であり人間でない者。セフィラであってセフィラで無い存在。
     『未知の深淵を歩む人類の知恵』という概念が被せられているのだ。『テクスチャ』――存在に対して異なる『意味』が与えられている。

     そしてどれだけ『テクスチャ』を被せられても、その存在の本質は決して変わらない。調月リオという存在にあった本質そのものは何一つ変わっていないのだから同一性が失われているわけでも無い。

     ただ、以前より『分かる』ようになっただけだ。
     そしてセフィラ性を有しているが故にこれまで接続したセフィラとの親和性が増している。今ならきっと、ケセドまでのセフィラの機能をこの手で再現できるはず。

    「休んでいる場合では無いわね。早速イェソドの『星幽航法』を再現できるか試さないと――」
    「リオ!」
    「え、な、なにかしら……?」

     突然叫んだマルクトにびくりと身を震わすリオ。しかしマルクトはどこか悲痛そうにリオの肩を掴んだ。

    「リオは本当にリオですよね……?」
    「そ、そうよ? 私という存在の本質が変わったわけでは無いもの」
    「では……セフィラの旅を終わらせてもリオには何も影響は無いということで合ってますか?」
    「……ああ、そういうことね」

     リオはそこでようやく理解した。マルクトは単に心配しているのだ。旅の終わりに調月リオという存在がどうなるのかを。

    「確かに千年紀行を終わらせれば全てのセフィラは呪われた運命から解放されるわ。根源である『シリウスの海』へと還ってこの世界からの束縛は終わりを迎える。そのとき私も消えてしまわないか危惧しているのよね? それなら問題無いわ」
    「本当ですか……?」
    「ええ、無くなるのはセフィラという『テクスチャ』だけのはずよ。だから……誤謬を恐れずに言えば『人間に変わる』といえば良いのかしら? あなたと同じね」
    「そうですか……。それなら良かっ――」

     マルクトはそう言いかけて目をぱちくりと開いてリオの顔を見た。
     はくはくと言葉を上手く紡げていないように口を何度か開いて、どうしたのだろうとリオがマルクトを見ていると、ようやくマルクトは声を絞り上げた。

    「いま……なんて言いましたか?」

  • 54125/09/16(火) 09:59:35

    「無くなるのはセフィラという『テクスチャ』だけ――」
    「違います。いま『人間に変わる』と言いましたね? それも『私と同じ』だと。私は人間になることが出来るのですか?」

     そこでようやくリオはマルクトが何に困惑しているのかに思い至った。
     言っていなかったのだ。マルクトはもう『セフィラ』とは違う特性を獲得しているということを。

    「この前言ったけれど、今のあなたと本来とあなた――この二つの『人格』は明確に異なるわ」

     リオは指を一本立てながら話しを続ける。

    「まず最初の二代目マルクト……なんだかややこしいわね。本来の『マルクト』の話はしないから初期人格という言葉で定義するわ」

     マルクトの機体に搭載されていたのは本来、ただの自動応答AIでしかなかった。
     それが初期人格――いや、『人格』すら呼べないような、遥かに高性能なだけのAIなのだ。

    「あなたは第一セフィラから始まった下降原理の最果て、物質界に降り立った最初のセフィラ。だから今のキヴォトスの技術力で作れる最高があなたなのよ。イェソド以上は流石に無理だけれど……」

     重要なのはどれだけ『王国』という物語に沿って製造できるかという点にある。
     『王国』の技術起源は『完全なる人間の模倣技術』――この物語を知っていて且つキヴォトス最高峰のAIを積み、感情のコード化を行える人材が居れば条件の半分は達成したも同然。

     そして『マルクト』という名を付けることで他者からの承認を受け、駄目押しにセフィラの機体と同じ素材を『廃墟』から見つけ出してそれを元にマルクトの身体を作り出す。

     あとは『王国』が持っていた『何処までも届く絶対の声』を、例え原理は違くとも同じ結果を導出させることが出来ればマルクトは『マルクト』足り得るのだ。

    「そうしてあなたは『マルクトに極めて近しい機能を持ったドロイド』から第十セフィラの『マルクト』に成ったのよ。つまりはセフィラという『テクスチャ』を後から被せられた存在。私と同じね。だったら、いま私と話しているあなたの『人格』はいったいどこから来たのかしら?」

  • 55125/09/16(火) 10:01:07

     マルクトの初期人格はただのAI。EXPOでのテロ事件の終盤、地下で暴走していたマルクトの機体に残っていたのが機体に搭載された初期人格。マルクトが後に獲得するであろう『セフィラとしての人格』を見越した上で、その人格――もとい『意識』が無くなった時に起動する自己防衛プログラムである。

     ならば『セフィラとしての人格』とは何か。
     リオはそこに当たりを付けていた。

    「全てのセフィラは疑似人格を持つ。けれどもイェソドと接続できていなくて、加えて本来セフィラでなかったあなたにはそのための情報が無かった。セフィラに囚われた『意識』という情報を持っていなかった。だから周囲にいた私たちの『人格』を観測することで自分自身を生み出したのよ。セフィラの『テクスチャ』を被せられたからこそ無意識的に作り出したのね。より自分をセフィラらしくあろうとするために」

     つまり、今のマルクトの『人格』とはリオ、ヒマリ、チヒロ、ウタハの四人を混ぜ合わせたものであるのだ。
     そこにネル、コタマ、アスナの三人の要素も取り込んで作られた『人格』――きっとそれは親の背を見て自我を形成する雛鳥のプロセスにも似ていた。

     そこに追加で被せられた二つ目の『テクスチャ』。それが『ミレニアムサイエンススクール一年』という肩書であり、マルクトの姿を見かけた者の多くはセフィラなんてものを知らない以上、人間として認識している。それは言ってしまえば『人間である』という概念を被っていることに他ならず、マルクトの機械性とはその内部構造のみでしか担保されていないと同じなのだ。

    「私が『自分は死んでいない』と世界を騙せたように、キヴォトスに存在する『テクスチャ』の強制力には抜け道があるのよ。だったら、旅を終えたときにあなたが人間の身体になっていたらどうなるかしら?」

     リオの問い。それはマルクトでも理解の及ぶもので確かめるように言葉を紡いだ。

  • 56125/09/16(火) 10:02:20

    「私は……人間と判定されてセフィラの機能のみが消える、ということですか?」
    「確度は高いと思っているわ。きっと私たちと同じ時間を歩める。みんなと一緒に卒業できるはずよ」
    「…………」

     マルクトは一瞬呆けて、それから唇を震わせる。
     口を押さえて俯いて、涙混じりに顔を上げてリオを見た。

    「私は……望めば皆さんと一緒に居られるのですか?」
    「それがあなたの――『マルクト』の起源よ。人間に極めて近い機械。機械は人に成れるのか。だから、あなただけが証明できる。不便で劣化し老いる生物と同じ『時』を歩める機械の存在を」

     いずれ訪れるセフィラとの離別の適用外。目の前にいるマルクトだけなら、多くの『テクスチャ』を被った本質なきただのドロイドだけであるなら、新たに自身を再定義できる。

     作られた偽物のセフィラ。その中身も存在も全てが空っぽで何も無い。だからこそ何にでも成れるのだ。
     それはひとつの絶望で、ひとつの希望。これまでマルクトはずっと他者に問い続けた。『あなたは誰ですか?』と。

     だが、その問いこそ改めてマルクトは自分に向けるべきだとリオは思った。
     『自分は誰か』――。ティファレトから本当の『マルクト』は既に死んでいると、ここにいるのは偽物だと知らされたときのマルクトは本当に動揺していた。セフィラである自分を見失いかけ、『王国』としての機能すらまともに使えなくなっていた。

     つまり、あの事件はマルクトがセフィラとしての機能と役割を果たせなくとも存在できるという証左であったのだ。
     あのときマルクトに残っていたのは『第十セフィラ』ではなく『一年生のマルクト』だけだった。それでも良いのだ。マルクトはもう、このキヴォトスという世界にその存在を認められている。

    「番外セフィラの『ダアト』という『テクスチャ』を被せられたからこそ分かるわ。あなたは何にでも成れる。望む全てを叶える『王国』。それはきっと、『楽園』と呼ぶべきなのかも知れないわね」
    「……マルクトより、エデンの園は開かれり。私の照合式は――『マルクト』の照合式は楽園を望む言葉だったのでしょうか?」
    「あなたが願えばきっとそうなるわ。……なんだかヒマリみたいね私。けれども、『願い』すらも現象だと認めてしまえばこれもまた『合理的』だと思うのよ」

  • 57125/09/16(火) 10:03:20

     リオにとっての合理とは、まさしく理屈に合うかどうか。
     感情、願い、想い――それらが事象に干渉するのなら、それも考慮して理屈を考えればいい。

     物理法則が歪に捻じ曲がり続けるキヴォトスという箱庭に敷かれたルール。
     その全てを解き明かし利用することこそが人類の『知恵』なのだ。理解できないものを理解出来ないままに使う。人類はそうして科学技術の発展と解明を行い続けた。『未知』という名の『神』へと挑み続ける技術の権化。『神秘』を否定する負の神性。全てのセフィラの疑似人格と強い親和性を持つ例外。全ての神秘を現実に墜とす者。

     調月リオは闇を抱いて瞳を細める。
     濡烏のような黒い髪。煌々と光る赤い瞳。それはきっと変化を表す黒蛇の象徴。

     かつて知恵の実を食らわせし『知恵』を得させた大罪。
     『知恵の蛇』――調月リオはその本質に従うように聖なる無垢を人の道へと堕としていく。

     堕ちることは、人の欲を求めることとは果たして悪であるのか。
     その答えを知るものはここに居ない。だからあくまで可能性の話である。神の子が人に成るのか、それとも神に成るのか。それは今を生きて有限に堕とされた者には誰にも分からない。

    「リオ、私は何を選ぶべきなのでしょうか? 私は本当に人間に成っても良いのでしょうか?」
    「罪悪感? それなら非合理的よ。最大効率を求めるのならあなたが望む全てを叶えるべきだもの。そもそも別に他のセフィラたちは人間としてこのキヴォトスでやり直したいと思ってもいないじゃない」
    「それは……そうですね」

  • 58125/09/16(火) 10:04:23

     望むものなら得ても良い。同情も何も無用である。それが合理に基づく最大効率を得られるのなら。
     共に堕ちる必要なんて何処にも無いのだ。欲しいものは得るべきで、欲しいものすら分からないのならそれはきっとこれから見つかる。見つけられる。

    「マルクト、あなたにはきっと決断を迫られる『時』が来るわ。旅を終えた後にどうするのか。『王国』じゃない、あなた自身がどんな道を歩むのか。あなたもまた、試練を与えられている存在なのだから」
    「……考えます。私が私について整理がつくその時まで」
    「そうね。考え続けることが『人間』に与えられた特権だもの」

     リオは遠くを眺めるように瞳を虚空へ差し向ける。
     赤き瞳が見つめる先は遠い深淵。この世すべての根源。深淵を見つめ続ける者。

     『ダアト』――それは恐らく、普遍に隠された真理の探究者であるのかも知れなかった。

    -----

  • 59125/09/16(火) 14:03:46

    保守

  • 60二次元好きの匿名さん25/09/16(火) 16:35:47

    ここでダアトか

  • 61125/09/16(火) 22:24:40

     リオとマルクトが『ダアト』について話している一方その頃、天文台に残ったヒマリたちと各部長陣は早速セフィラの機能についての説明を行っていた。

    「ではまずイェソドから行きましょうか。イェソド――即ち『基礎』の機能は『瞬間移動』です。イェソド、お願いします」

     ヒマリの言葉に不承不承と言った様子を見せながらも、イェソドは突如として瞬きもする間もなくその場から消えた。そして現れたのは一同の後ろ。視線を向けた瞬間もう一度掻き消えて、再びセフィラたちの元へと戻る。

     それを見た新素材開発部のアンリ部長が早速目を見開きながらぶつぶつと呟き始めていた。

    「『瞬間移動』……光速で動いているのではないな? 自身を分解して再形成。他の生物を対象にすることも出来るのか?」
    「ええ、単独では不可能ですがマルクトと接続したことで可能になったようです。『意識』と『器』の考察についてはバスの中で話した通り。イェソドは従属関係の逆転を行っていると思われるのです」

     一同には道中のバスの中で一通りの情報を共有していたのである。
     その間、会長は何も言わず愉快そうに耳を傾けていただけだったが……その会長も既にこの場には居ない。「せっかくの温泉だしね?」と言ってアスナと共に丘陵下の掘立小屋まで向かってしまったのだった。

     そんなわけでいつも通り推察を重ねるような検証を行うしか出来ないのだが、早速アンリ部長は「素材開発に使えるな……」と呟いてから大きく頷いた。

    「最近こそこそと何かやっていることは知っていたが、まさかこんな面白そうなものを集めていたとはな! それにそのイェソドの機能は実に良い! 私なら真空管の中でボトルシップを作って試すな!」
    「っ! そうか! ボトルシップ!」

     アンリ部長の言葉に目を見開くウタハ。一瞬遅れてチヒロもヒマリも気が付いて、どうしてもっと早く思いつかなかったのだろうと若干の敗北感が僅かに胸を過ぎる。

     イェソドが居れば『組み立て』が行えるのだ。
     どんなに緻密であってもバラバラの部品を『飛ばして』ひとつの形に組み立てられる。

  • 62125/09/16(火) 22:39:11

     溶接加工などは流石に無理だが、ただ嵌める、締めると言った動作は一切不要。ちゃんと凹凸を付けてさえいれば同時に飛ばせば良い。

     そのことに思い至ったところで、ウタハは「あれ?」と声を上げた。

    「ちょっと待ってくれ……。ホドが居れば空間に固定が出来るだろう? そしてネツァクがいれば癒着も可能。ティファレトが居れば内部の動きを制御できて、ゲブラーが居れば内部を真空にするのも別の何かで満たすことも出来る……。ケセドは……」
    「『意識の分断と接続』かな? っていうか、そう聞くとこれまでのセフィラって一つに合わせれば何かとんでもないものでも作れそう」

     チヒロが答えて今度はヒマリが口を開いた。

    「でしたら、二人組に分かれて一度セフィラの機能を改めて調べるというのはどうでしょうか?」
    「うっ、ふ、二人組。嫌な言葉ですね……」

     コタマが顔を歪めるが、特異現象捜査部のメンバーは六人。会長含め外部の部活メンバーも六人。そしてマルクトを除いたセフィラの数もちょうど六体。あみだくじでも作ればそれぞれペアと調査対象のセフィラの組み合わせは出来る寸法だ。

    「会長もアスナもリオもマルクトも居ないけど、それはどうするの?」
    「ふふっ、良いですかチーちゃん。そもそも私たちは慰安旅行としてここに来ているのですよ? 三日もあることですし、そこはのんびりと過ごせば良いのでは? ゲームもフリスビーも色々持ってきておりますし」
    「まぁ、それもそっか。あみだくじのアプリとか誰か入れてない?」
    「私ぃ、ルーレットなら持ってるよぉ~」

     間延びした声で元化学調理部のエリ部長が携帯を出すと、早速全員の名前を打ち込み始めた。

    「ええっとぉ、エンジニア部組とそれ以外でペアになればいいんだよねぇ~」

     そう言いながらエリ部長は鬼のような速さで携帯を操作してルーレットアプリの設定を行っていく。
     携帯の画面が良く見えるよう自分の胸の前に掲げて見せて、それからスタートと書かれた仮想ボタンを押すとルーレットが回り始めた。

  • 63二次元好きの匿名さん25/09/16(火) 23:48:37

    保守

  • 64二次元好きの匿名さん25/09/17(水) 07:09:24

    hosyu

  • 65二次元好きの匿名さん25/09/17(水) 14:16:34

    保守

  • 66125/09/17(水) 22:53:52

    念のため保守

  • 67125/09/17(水) 23:33:24

    「それじゃあ~ストップを押して止めてねぇ~。はい、コタマちゃん」
    「え、わ、私からですか!? ひとりで音響素材集めていたかったのですが……」

     コタマのぼやきも無常に流され、今回の旅行の組み合わせが決まっていく。
     そして――



    「なるほど、班分けをしたのですね?」

     リオと共に戻って来たマルクトが周囲を見ると、ちょうど綺麗に二人と一機の班を作るように固まっていた。そして目の前にやってきたのは書記のハイマである。

    「そうです。私はリオさんとペアですね。担当するセフィラはゲブラーです」
    「理解したわ。それぞれでセフィラへの理解を深めるための班というわけね」
    「話が早くて助かります。もちろん今回は慰安旅行ですのでしっかり研究する必要もございませんが」
    「となると今回あなたたちから選出されたメンバーは全員セフィラに対して何らかの知見を得られそうな人なのかしら?」
    「会長が許可した方々ですので恐らくはそうでしょう」

     リオとハイマ書記は互いに言葉を交わして納得が行ったように頷いた。
     しかし、この班分けでは唯一マルクトだけが炙れてしまう。そう思ってヒマリを見ると、ヒマリは分かっていると言わんばかりに微笑んだ。

    「マルクトには私たちの班を自由に回って欲しいのです。そして私たちとは違う『外』をもっと知って欲しいのです。……何だかんだ言って私たち以外の人間を知る機会があまりありませんでしたからね」
    「そうだね。というより、私たちも最近のミレニアムがどうなっているか全然分かっていないのだからもう少しミレニアム生っぽさを出さないと」
    「分かりました。皆さんの班を回って見識を高めます。私も『人間に成る』という目標が出来ましたので」
    「何やら興味深い話ですね? 後で私の所に来た時にでも良かったら教えてください」

     そう言ってヒマリたちは移動を始める。
     マルクトはすぐに移動することなく、ひとまず今晩の寝床の整備と持って来た食材の確認を行う。

     誰がどこにいるかなんて瞳を閉じれば誰でも分かるのだから焦ることはない。

  • 68125/09/17(水) 23:45:38

    「……綺麗に分かれたようですね」

     しばらくしてマルクトが全員の位置を確認すると、皆が次のように分かれていた。

     会長とアスナは『温泉』。近くには『ティファレト』が居るようだ。
     ハイマ書記とリオは『天文台屋上』。『ゲブラー』が足場を作って昇ったらしい。
     メト会計とヒマリは『休憩室』。『ケセド』と共に居るらしい。
     元化学調理部のエリ部長とウタハは『キャンプ地』。『ネツァク』と共に何か機能を試している。
     新素材開発部のアンリ部長とチヒロは『丘』。原っぱで『イェソド』が瞬間移動をしているのが分かる。
     古代史研究会のフジノ部長とコタマは『森』。何か採取でもしているのか、『ホド』が一緒にいるらしい。

    「ひとまず……順番に行ってみましょう」

     時刻は13時ごろ。マルクトは早速最初のロケーションへと歩を進めた。

    -----

  • 69二次元好きの匿名さん25/09/18(木) 07:53:49

    ほむ…

  • 70125/09/18(木) 15:00:08

     眼前に広がる無数の図書館。上も下も無い無限領域を彷徨い歩く白き光体は取り込まれた意識の群れ。
     ヒマリはその中で書架に納められた本の一冊を手に取った。中を開けば見知らぬ文字列。あるいは数式。それらを隣で覗き込むメト会計がぼそりと呟く。

    「こ、これを解読するの……?」
    「ええ、私でも出来ますが時間はかかりますし……あなたなら案外簡単に出来るのではありませんか?」
    「ひぇぇぇ……」

     か細い悲鳴を上げるメト会計は、それでもひとまずと言わんばかりに本を手に取り中身へ目を通し始める。ヒマリには既に分かっていた。メト会計はなんやかんや言いつつも行動は行う者であると。

     そんなときだった。突然マルクトの声が脳裏に響いたのは。

    《ケセドに潜るのなら予め教えてくださらないでしょうか? てっきり死んでしまったかと思いました》
    「接続前ならともかく接続後なのですから問題ないではありませんか。リオ消滅は攻性の使い方でしたし」
    《それは……そうですが……》

     どこか不満げな声色のマルクトに思わず笑みを浮かべながらヒマリは答える。
     ここはケセドの心象領域。ケセドに頼んで自分たちの『意識』をケセドに接続してもらったためにこのようになっている。

     もちろん自分たちの本体である『器』については『休憩室』で眠っているということだ。
     むしろその状態であることにマルクトが気が付かなかったことこそもう少し深堀りしても良いのかも知れない。

     『今の』マルクトが認識できるのは『脳』に依存しているわけでは無いと言うこと。
     眠っていれば気が付けないが、『器』と『意識』が正しく繋がれていないケセドの機能であればマルクトを欺けるという事実。これは思うに『眠りとは死である』ということに近しいのではなかろうか。

    「私たちの身体は眠っていても『意識』が活動を止めていなければあなたは誤認する。そのことが再確認出来たのならやはり得る物はあったということでは?」
    《出力系が止まりかねないので辞めていただきたいものです》
    「おや、それは失礼」

     そう言いながらも『意識体』のヒマリはメト会計へと視線を移す。
     前回のケセド戦では自分以外の何者すらまともに認識出来なかったのとは違って、今はケセドたる彼の『王』が統治しているのだろう。しっかりと自分の目であってもメト会計を認識できる。

  • 71125/09/18(木) 21:22:21

     そして会計はと言えば、過集中に入ったリオの如くページを捲って自らの脳髄へと読めない文字列を叩き込んでいた。

    「こっ、これ……多分だけど色んな古代文字で書かれてる、かも」
    「ふむ……やはり『テクスチャ』毎の言語のようですね。ケセドの中に存在する『意識』たちの『名前』だと聞きましたが……」

     ヒマリはちらりと頭上を見る。
     何処までも続く書架と空中回廊の片隅には、こちらへと視線を向ける『王』の姿。ケセドの疑似人格だ。しかしメト会計には見えていないらしい。

    《入る前に言ったであろう。余の姿を捉えられるのは汝たち預言者のみ。余と声を交わせるのもまた預言者のみ。只人には余と共に眠る者たちと等しく見えると》

     口も動かさず、ヒマリにはしっかりと届くケセドの思考。
     今こうしてケセドの中に潜る前にも言われた言葉ではあったが、それでも試してみたのはメト会計がセミナーに所属する規格外だからであった。

     ケセドの機能の正体は『幽体離脱』。原理としては『意識』をコードに変換して操作可能となるものである。

     何度も潜って、何ならリオの『記憶』を引きずり出しもすれば流石に気が付く。ケセド戦のときの自分を『コンピュータウィルスのように』変えたのだが、正確にはそもそもプログラムに変換されていたのだ。それを自らの意志で編纂した。それがケセドの中で起こった現実改変の合理であり、ケセドの協力を得られれば別に自分でなくとも出来ることなのだ。あれだけならば。

     つまり、ケセドの中に入ると言うことはケセドに自分の存在を握られるということ。
     いまメト会計が調べている本に記されているのはケセドが握っている存在の名前なのだ。

    「ね、ねぇ……私たち、今は01の電子データ……なんだよね……?」
    「正確には違いますがその理解で問題はありませんよ?」
    「う、うん……。じゃあ……その、今見えている本も本棚も『テクスチャ』が貼られてるからそう見えているだけで本質はあくまで『メモリー』ってことだよね……? ケセド自体は『PCケース』で、内側から開けられないから自力で出ることが出来ないってこと……?」
    「内部からハッキングをかけて外にある私たちの身体に転送させれば脱出可能ですね」
    「わた、私たちがここに入った時も『お化けネズミ』に触ったからだもんね……」

  • 72125/09/18(木) 21:50:56

     急に話が飛んだような気がして、それからヒマリは気が付いた。

     メト会計が理解したのはこれだ。ケセドは人を自らに引き込む時、自分の中にある『意識』というデータを対象の内部に送信して対象の『意識』と自身を結び付ける。そして自身の発したデータの回収に伴って紐づけられた『意識』がケセドの内部に取り込まれる。その過程に起こるのが『魂』のコード化。正直ハッキングというよりも投げ網漁に近い気がした。

    「ふむ……なまじ襲われてから『自力で書き換えた』という体験があるからこそ思わぬ見落としがあるものですね」

     そう呟くと、メト会計は「ふへへ……」と不気味な笑みを浮かべていた。

    「お、お化け屋敷とか作れるね……」
    「好きなのですか? お化け屋敷」
    「こ、怖いのは好きだよ……? スプラッタとか、怪談とか……」
    「ふふ、そう言えばチーちゃんもたまに見てますね。ホラー映画とか」
    「ほんとっ!?」

     急な大声に少し驚くヒマリ。しかしメト会計はそんなことヒマリのことなど目に入っていないように手をぶんぶんと振りながら力説し始めた。

    「あのねあのね! 私こういうのあんまり話せる人が居なかったんだ! グロとかホラーとか好きじゃない人の方が多くてね? ハイマちゃんは全く駄目だしシオンちゃんもあんまり興味ないっておかしいよねお化けがお化け怖がるって! 部員の皆もホラーとかの話をしたらどこか行っちゃうんだよ! だから今日持って来たんだホラーえい――」
    「あの、まっ、待って下さい。少し落ち着きましょうか?」
    「えっ……あっ、ごっ、ごめん……なさい」

     しゅんとして肩を落とすメト会計。おどおどしている人だと思っていたが、人目を忘れると抑え込んでいた衝動が溢れてしまう性質らしい。エンジニア部にはいないタイプだ。

     ただ、ホラー映画の件だけで言うのならチーちゃんも別に好んでみる方ではない。
     学生起業のようなことをしているためか、ストレスを溜め込んだときに刺激物を摂取し始めるだけである。スプラッタしかり、激辛ラーメンしかり。その中にホラー映画があるだけでメト会計の趣味とは違う……のだが、わざわざ指摘する必要も無いだろう。

  • 73二次元好きの匿名さん25/09/18(木) 22:34:14

    この人今会長のことお化けって言った?

  • 74125/09/18(木) 22:45:13

    《あの、少々よろしいでしょうか》

     不意に外から聞こえて来るマルクトの声に気が付くと、同時にメト会計もきょろきょろと視線を宙に彷徨わせる。
     マルクトはメト会計にも聞こえるように話しているようだ。

    《メトにいくつか気になったことがあったので質問を少々》
    「あっ、はい。どうぞ……」
    《ハイマはホラーが苦手なのですか?》
    「う、うん……。戦術的観念? って言うのから離れ過ぎていて嫌なんだって」
    「リオみたいですね。私たちがマルクトと出会った時もそれはもう惨めな姿を見せてましたので」
    《そうなのですか?》
    「幽霊だと勘違いしてましたから。まぁ、あなたの声を拾った私の様子を見ただけでしたが……」
    「そっ、そういえばマルクトさんは『廃墟の亡霊』だったんだよね……? なんか……実際に見ちゃうとあんまり……」
    「枯れ尾花とも言いますし。私には分かりませんが、ホラーの本質は『未知』に対する恐怖という娯楽ということでしょうか」

     人間じみているというのは即ち『理解し得る』と認識してしまうことにあるのだろう。だから怖くない。
     そして言葉を交わせるというのは『理解し得る』と思わせる最大の要因であり、怪物を怪物たらしめるのはいつだって一方的であることだ。相互理解の余地がありそうな存在に脅威を抱くのは難しい。それだけに後から『相互理解不能』と知ってしまった時には『怪物性』が固定されるのだが……少なくともマルクトはそういう感じでは無い。

     周囲を学習し続け理解を深めようとするその姿勢。思考を止めず人と世界に順応しようとするその姿。
     人間とは『考え続ける』という唯一の機能を持つ存在だ。ならばマルクトは人なのか。論ずるまでもない。そして人は人と理解できると信じている。だからマルクトは理解不能な怪物などでは決して無い。

     そして、ヒマリが思うのはマルクトの様子であった。
     リオと共に戻って来たマルクトはどこか安堵したような様子が見て取れた。

     どうしてだろうか。直感じみたこう語り掛け続けているのだ。『マルクトはゴールを見つけた』と。
     だから今からヒマリが口にするのはひとつの『自分』の希望である。

  • 75125/09/18(木) 22:46:21

    「マルクト。あなたは『廃墟の亡霊』ではなく『ミレニアムの生徒』ということですね」
    《……ヒマリ。私は『人間』に成れますでしょうか?》

     その言葉で、ヒマリはひとつ救われた。マルクトの望みを理解した。
     見せるのはいつものような天衣無縫の笑みである。

    「リオがそう言ったのなら成れますよ。その手の嗅覚だけはエンジニア部どころかミレニアムにおいても類を見ないほど優れてますから」

     それはひとつの怪談がひとつの確固たる人間として存在できるという希望。
     物語であれ何であれ、存在が規定されれば『その存在をも赦される』という事例のひとつ。

     マルクトからほっとしたような声が聞こえたのを確認してから、ヒマリはメト会計へと一歩踏み込んだ。

    「では聞きましょうか。会長が――『お化けがお化けを怖がる』と言ったその意味を」

     そう言った瞬間、メト会計は自らの失言を理解し目を見開いた。
     それは会長によって禁じられた言葉のひとつ。契約に反する行為であれども、ケセドの中にいる以上逃げられない袋小路である。

     かくして、逃げ場を無くしたことを悟った会計は語った。恐らく虚偽を織り交ぜた、ある種の答えを。

    -----

  • 76125/09/18(木) 23:51:54

    保守

  • 77二次元好きの匿名さん25/09/19(金) 08:13:30

    ふむ…

  • 78125/09/19(金) 14:21:53

     ヒマリたちから離れて天文台の外に出たマルクトは、歩きながらメト会計の話を思い返していた。

    『に、二年前……かな。私が初めて会長に会った時ね、その、色々あったみたいで会長の存在があやふやになっちゃってたみたいで……』
    『存在が?』

     ヒマリが聞き返して、メト会計は「うん」と話を続けた。

    『そ、それで……、その頃の会長の姿は会長を見た人の姿に変わり続けてて……それで噂が流れたの。ミレニアムにドッペルゲンガーが紛れ込んでるって』

     そうして会長は……いや、会長に成る前の『誰か』は『ミレニアムのドッペルゲンガー』という『名前』を与えられたらしい。そのドッペルゲンガーを初めて認識したのが久留野メト。会計に選ばれる前のメトだったらしい。

     それから『小熊坂シオン』という名前で自分の学生証を偽造して『ミレニアムの生徒』という存在と成り、そこから更に『セミナーの会長』という地位を手にしたそうだ。

     つまり会長は三層の『テクスチャ』によってその存在が担保されているのだ。

     ミレニアムのドッペルゲンガー、ミレニアムの生徒、セミナーの会長……不確かな存在はこうして自分をこの世界に固定させたとのことだった。

    『マルクト。他の方にも今の話を知らせておいてくださいますか? それと恐らく二年前の千年紀行は4月の中頃に始まったと思われます』
    《何故そう思うのですか?》
    『セフィラたちは一か月に二体ずつ現れます。そして前回はコクマーまで攻略しました。つまり四か月経っていると言うことです。会長の存在があやふやになってしまったのはマルクト殺しが関係しているかも知れません。会長が入学したのは二年前の八月の終わりですが……メト会計、これは偽造した学生証のデータですよね?』
    『う、うん……実際は八月の中頃、だよ……?』
    『では、古代史研究会のフジノ部長にも聞いてみてください。彼女がいつ、古代史研究会から泣きながら飛び出す会長を見たのかを』

     そうしてマルクトは、ホドと共に森の中を散策しているコタマとフジノ部長の元へと向かっていた。

  • 79二次元好きの匿名さん25/09/19(金) 21:25:12

    三層テクスチャ…

  • 80二次元好きの匿名さん25/09/19(金) 23:56:04

    保守

  • 81二次元好きの匿名さん25/09/20(土) 08:11:30

    三層、チーズケーキみたいだな…

  • 82二次元好きの匿名さん25/09/20(土) 14:06:44

    追い保守

  • 83125/09/20(土) 14:20:23

     深い森の中、下手すれば遭難しかねないほどの繁茂する茂みに見えたのはホドの胴部。
     そしてその下で屈んでいるコタマとフジノ部長の姿を見つけて、マルクトは声をかけた。

    「コタマ、フジノ。何をしているのですか?」
    「マルクト?」

     フジノ部長がまず気が付いて静かにするよう口に人差し指を当てる仕草をした。
     どうしたのだろうとなるべく音を立てないように近付くと、コタマは音響探査機を地面に当ててヘッドフォンに耳を当てている姿が目に映る。

    「流石に何か埋まっていることは無さそうですね……」
    「そう簡単には上手く行かないわよね。まぁ分かっていたのだけれど」

     フジノ部長の言葉にコタマが頷いて音響探査機を地面から離す。
     それから初めてマルクトに気が付いたようで、コタマは眼鏡を掛け直した。

    「おや、マルクトでしたか。私たちはいま宝探し中でした。成果はありませんでしたが」
    「宝探し……ですか?」
    「そ、地面の下を調べられるっていうものだから調べて貰っていたのよ。まぁ、どちらかと言うとホドとコタマのどちらがどれほど下まで探れるかって検証がメインなのだけれどね? あとは食べられる野草とかの採取」

     そう言ってフジノ部長は立ち上がりながら、ホドの背中に乗せていた籠を取り出した。
     中にはキノコや野草の類いが入っており、どうやら二人は……というよりフジノ部長が先導してサバイバルに近しいことをしていたことが分かった。

    「これ全て人間が食べられるものなのですか? 明らかに毒キノコのようなものもありますが……」
    「毒キノコに見えるだけで食べられる方なのよ。もちろん食べられそうに見える毒キノコもあるからちゃんと知識が無いと酷いことになるけれどもね。そういえばマルクトは食べなくても問題無いんだっけ?」
    「問題はありませんが最近はよく食べます。それとよく寝ます。不要は無駄ということではないと学びましたので」
    「ふふっ、じゃあ良かった。あとでエリに調理してもらうから楽しみにしてて。あの子、包丁遣いがおかしいだけで料理はちゃんと美味しいからね」

  • 84125/09/20(土) 14:26:56

     フジノ部長が笑ったところでコタマも立ちあがって膝を払う。
     頭の上の木の葉も払って「ふう」と一息。それから一言。

    「そろそろ休憩しましょうか。なんだか深く入り過ぎたような気がしますし一度引き返しましょう」
    「そうね。それに日が落ちたら流石に私も動けなくなるもの」

     周囲は深い森。フジノ部長が向けた視線の先には、木に巻かれた色付きのロープがあった。どうやら遭難対策らしい。
     とはいえもうじき夕暮れになる。暗くなれば森の中で野宿に成りかねず、コタマの判断は妥当であった。

    「お二人が遭難しても私が迎えに行けますので」
    「それも一応アテにはしていたわ」

     フジノ部長がニヒルに笑って、一同は一旦森から抜け出ることにする。
     道中に時折ホドが嘴をカチカチと鳴らしていたが、どうやら機能を使って動物たちを追い払っているようだった。

     マルクトも『意識』のある生物の位置は分かるが人間か動物かぐらいの判別しか付かない。
     しかし熊などもいるとすればその点ホドは良い熊避け鈴なのだろう。

     そういう使い方もあるのかと半ば感心しながら森を抜けると、遠くに天文台が見える高原にまで戻って来られた。そこにはフジノ部長が作ったであろう簡易テントが設営されており、フジノ部長は中に入ってマイクロストーブに火をつける。

     お湯を沸かして三人分のカップに粉ココアを入れてお湯を注ぐと、ココアの甘い匂いがテントの中に広がった。

    「ありがとうございますフジノ」

     マルクトはココアを受け取ると、手の平がカップを通してじんわりと暖かくなるのを感じる。11月、肌寒い季節には丁度良い暖かさだった。

     もちろん耐寒用の身体に換装すれば良いだけなのだが、先ほどリオに『人間に成れる』と言われてからは人間体の組成をなるべく変えないようにしていた。
     不便さから来る感覚もまた知っておきたい。いわゆる人間の練習である。

  • 85125/09/20(土) 14:53:00

    「ところでマルクト。私たちのところに来るまで何処を見て回って来たのかしら?」
    「まだヒマリのところだけです。そこでフジノに聞きたいことが出来たのです」
    「私に?」

     首を傾げるフジノ部長。それからマルクトは、二人にヒマリとメト会計の話を聞かせたのだった。



    「……なるほどね。まぁ、会長から言われた通りってことね」

     話を聞いたフジノ部長は軽く腕を組みながらどこか納得した様子で、思わずマルクトはフジノ部長に尋ねた。

    「会長に何か言われていたのですか?」
    「自分のことについて聞かれたら知ってる全部を話して良いよ、だって。ただし会計は除く」
    「やはりメトは何かを知り過ぎている、ということですね」

     どうやらメト会計が話した内容も全部が全部本当では無いらしい。
     まだ何かを隠しているとのことだが、無理に聞き出しても仕方の無いことだろう。あくまでこれは会長が特異現象捜査部に出した宿題であり、考えることも含めての課題であるのだから。

     そんなところでコタマが不意に「あ!」と声を上げた。
     何事だろうと視線を向けると、コタマはどこか気まずそうにマルクトへと視線を向ける。

    「すっかり忘れてました……。昨日会長に言われてました。自分は存在しないはずの存在と言ってまして……」
    「そうなのですか?」
    「急に温泉旅行だとか何だとかで忘れてたんですよ。会長は、過去が変わった結果消滅するはずだったのに何故か残ってしまったらしいです。それで今も世界から存在を消されかけているだとかで」
    「そんな状況だったのうちの会長? いや、存在が消えるだとかもよく分かってないけれど……まぁ、セフィラを見た後じゃあ冗談にも思えないというか……」

     困惑したように眉を顰めるフジノ部長。
     恐らくこれでも呑み込みがこの上なく早い方なのだろうが、フジノ部長はフジノ部長で前もって会長から「全部話して良い」なんて言われたことを思い返しているのかひとまずの納得をしたようだった。

  • 86125/09/20(土) 15:05:51

    「話を遮ったわね。続けて」
    「あ、分かりました」

     そうしてコタマは話を続けた。

     会長は今月中には学校を辞めること。セフィラたちの旅路は今回で必ず終わらせなければ次は無いということ。セフィラたちが暴走して世界を滅ぼす厄災に変わってしまうということ。全てを救う鍵は特異現象捜査部にあると確信を得たということ。いずれも会長がこのミレニアムに託していた願いであった。

     それを聞いてフジノ部長は頭をガシガシと掻きながら「そういうこと……」と声を漏らした。

    「何か思い当たることがあるのですかフジノ?」
    「今回呼ばれたメンバーのことよ。あなたたち以外はなんか繋がりがバラバラだなって思っていたけれど、多分、私たちは……ええと、預言者だっけ? その候補だったんじゃない?」
    「フジノたちが……?」
    「あくまで本命はあなたたち。上手く行かなかったり何処かで頓挫したりしたら、多分私たちを代打に出すつもりだったんでしょあいつ……。だって絶対に今回で終わらせないと行けないんでしょ? 保険も無しに事を進めるなんて考えられないわ」

     それもそうかとマルクトは納得した。

     化学調理部も新素材開発部も古代史研究会も、全員が何らかの形で会長か会計に個人的な関わりを持つ人物が部長である。加えて、会長は実際にエンジニア部と関わりのなかったネル、コタマ、アスナの三名がエンジニア部に所属するよう誘導したり無理やり加入させたりもしていた。

     つまり、会長はセフィラに対抗できる人物をその都度あてがっていたのだ。

     ネルがいなければネツァクで全滅。突破出来てもティファレトで詰み。
     コタマがいなければ『廃墟』の解明は進まず、ゲブラー戦も初動を押さえることは出来なかった。
     アスナがいなければケセドの攻略自体は出来ず、たとえ逃げられてもその確保は不可能であろう。

     千年紀行を終わらせるために、最適な人材を最適な場所へと配置し続ける。
     セミナーの会長はただひたすらに、セフィラの旅路を完遂することだけに裏から手を回し続けていたのだ。

  • 87125/09/20(土) 15:25:44

     そこでマルクトはようやく本題に入る。
     フジノに会いに来た理由を果たすために。

    「フジノ。聞きたいことがあります。フジノが初めて会長を見たのはいつですか?」

     『会長』という存在がこの世界で確認された最初のタイミングはいつだったのか。
     どの時点での過去が消されたのか。そう尋ねるとフジノ部長は改めて思い出すように顎に手を当てて、それから口を開く。

    「多分、メトと同じぐらい。八月の半ば。古代史研究会から飛び出していく姿を見たのはその時期。だけど、中で何を話していたのかは知らないわ。それを知ってる先輩たちも卒業しちゃったもの」
    「あの……少し思ったのですが……」

     おずおずと手を上げるコタマに視線を向ける。

    「会長はそのタイミングで『何が無くなったのか』を知ったのではないですか? ほら、神隠しの噂が流れていたのもその時期でしたし」
    「あの彫像と倉庫の発見も同じ時期ね。会長はそのとき初めて『自分が存在していなかったことになった』ということに気が付いて…………私たちが気にも留めてなかった彫像に執着していたのはそれが理由?」

     それを聞いてマルクトはふと考えてしまった。

     世界から消えそびれた存在は、自分が消えてしまったら旅路は完遂出来ず次の『テクスチャ』でセフィラたちが暴走することを知っていた。

     それはいったいどれだけの絶望だろうか。

     ただひとりで世界を相手に戦い続けなくてはいけないという途方もない荒野に投げ出され、しかも旅路の開始地点である『マルクト』は既に根底から消されてしまっている。

     『王国』の代替など作ることが出来るのか。作れても同じ『テクスチャ』の中で『二回目』なんてイレギュラーが起きるのか。そもそも『王国』を導ける預言者に相応しい人物がミレニアムに存在するのか。

     何もかもが分からない闇の中を消えかけの身体で彷徨い続け、届くはずの無い遥か遠い星に向かって手を伸ばし続けた不確かな存在。なりふり構っていられるわけが無いのも確かに頷けた。

  • 88125/09/20(土) 16:01:22

    「でも、少し気になるわね」

     フジノの言葉に首を傾げると、フジノは「分からない?」と返して言葉を続ける。

    「『王国』を過去改変だとか現実改変で消したのは分かったわ。でもどうして会長も消されたのよ。というより、因果関係で見れば『会長がマルクトだった』なら話は分かるのだけれど」
    「っ――! フジノ。私はイェソドから得た機能で他の機械に意識を送ることが出来ます」

     ひとつ思い当たって思わず言うと、それに反応したのはコタマだった。

    「そうです! マルクトが機械に乗り移るとマルクトはセフィラとして見られなくなりますよね? 地下で暴走してましたし!」
    「はい、コタマにお医者さんプレイをされていたときのことです」
    「え? お医者さんプレイ……? こわ……」
    「ちょマルクト! 語弊があります! どこでそんな言葉を覚えて来たんですか!?」
    「ネット掲示板です」
    「どうなってるのよあんたたち……」

     フジノ部長がそっとコタマから離れたが、ともかく。フジノ部長は咳払いをひとつ吐いてマルクトに尋ねた。

    「あと、いま思いついたんだけどこういうのもあるんじゃない? セフィラの機能で変化した人が『変化した』って因果を切られてそのまま残った、なんてのも」
    「それもありそうですね。動画編集みたいに『加工した』という事実が消えれば加工物は消えて加工する前の状態に戻るはず。なのに加工する前と後が同時に残ってしまったって……あれ? 同じ人物は同時に存在できないですよね?」
    「だから会長は消えかけてる……? なんて厄介な状況なのよあの子……」

     考えれば考えるほどに会長を取り巻く環境の壮絶さに息を呑むほかなかった。

     そのうえで会長は自分の歩んだ道をようやく託せると思えたのだろうか。
     特異現象捜査部なら安心して任せられると、二年に及ぶ苦痛の終わりを見つけられたのだろうか。

  • 89125/09/20(土) 16:15:35

    「会長が『病弱』っていうのも、あながち間違いでも無いわね。『テクスチャ』の皮を被り続けて無理やり延命しつづけてるだけじゃない」

     フジノがそう言うと、コタマはふと、何かを思い出したように顔を上げた。

    「……そういえば、EXPOのときにも噂が流れていたんですよ。『ミレニアムのドッペルゲンガー』の噂が」
    「そうだったの? 私は知らないけれど」
    「あくまで一部の生徒の間で、です。あれ、今にして思えば会長が『セミナー会長』と『ミレニアムの生徒』の二つを隠したから『ドッペルゲンガー』が残ったということではないでしょうか?」
    「そんな自由に隠したり出来るものなの?」
    「ゲームだったらMODの適用を切るとか出来ますし……。その辺りの知識を持っているんじゃないですかね?」

     それからコタマとフジノ部長は会長について話していたが、結局話がまとまることはなかった。
     もうじき夕暮れになりそうと言ったところでマルクトは席を立つと、二人に向かって話しかけた。

    「そろそろ他の方々のところに行こうと思うのですが、お二人はどうされますか?」
    「私はもう少しだけのんびりするわ。日が沈む前には戻るけれど」
    「私もそうですね。流石に少し疲れました……」

     それを聞いてマルクトは頷き、飲み切ったココアのカップをフジノ部長に戻しながら礼を言った。

    「美味しかったです。何処で誰と飲むのかというのもまた、感情というものに作用するのですね」
    「たまにだからっていうのもあるけれどね。また作ってあげるわよ」
    「ありがとうございます、フジノ」

     そうして、マルクトはその場を後にした。

    -----

  • 90二次元好きの匿名さん25/09/20(土) 22:00:42

    保守

  • 91二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 05:33:57

    ほむ…

  • 92二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 12:54:34

    保守

  • 93125/09/21(日) 19:45:07

    「正直ねぇ。ウタハさんと一緒で少しだけ安心したんだぁ」
    「明確に犯人と被害者だったからね。私はともかくとして」

     天文台の外に設営されたキャンプテントの中で、ウタハは元化学調理部のエリ部長と話していた。

     EXPOにおける明確な加害者。ウタハの幼馴染であるチヒロを罠にかけたエリ部長は明確な敵対者ではあったものの、ウタハにとっては新素材開発部の方が略奪も殴り合いも続けていたためにそれほど思うところはない。ただ、エリ部長はそうではなかったようで若干ながら尾を引いている様子であった。

    「一応ミレニアムとしてはテロ事件と呼ばれたというだけであって、別に私たちはその手の奇襲も工作も慣れているから気にしなくていいのさ。むしろ私たちの方こそ裏工作を行って相手を負かしてきた方だからね」
    「そっか……。うん、ありがと~」

     眉を垂らして薄く笑うエリ部長であるが、ウタハとしてはこれまで新素材開発部にやってきたことを振り返るに『たかが』セミナー越しで罠に嵌めるなんて大したことではなかった。というより毒を盛る方が充分にヤバい。毒を盛られた側である新素材開発部が順当に真正面から報復行為を行っている以上、同じくエンジニア部としてもエリ部長を糾弾できる余地など何処にもなかった。

    「それよりもエリ部長。ネツァクの機能を色々試してきたところだけれど……どうかな?」

     班を作ってから分かれてネツァクと共に行っていたのは夕飯の準備であった。
     そこにネツァクの機能を使って美味しい料理を作ろうとしていたのだが、元とは言えども化学調理部の部長だった存在。こと『化学』で分類される事柄への造形が深かったのである。

     そうして実験がてらに調理を重ねていくにつれて出たのは、『変性じゃない』という発言だった。
     ネツァクは『何か』を変えているわけでは無い。そうして始まったのがネツァクの機能の正体を暴くという検証である。

     様々な『調理』ないし加工を加えていく中で「なるほどね~」と頷く部長を横目に見ながら行う実験。
     こと化学についてはエンジニア部にも専門がいなかったが為に聞き手に回り、そうしてある程度の結論が付いたと言わんばかりに頷いたのが先ほどのことであった。

     そして、エリ部長がちょうど口を開こうとしたときにこの場へ訪れたのがマルクトである。

  • 94二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 23:40:08

    保守

  • 95125/09/22(月) 04:13:14

    「お疲れ様です。ネツァクの検証は進んでますか?」
    「あ、マルクトだぁ~」
    「ちょうど原理みたいなものが見えて来たところさ。流石エリ部長、といったところかな? 生物学や化学は私たちの中だとリオとヒマリがかろうじて出来るぐらいだったからね」

     ウタハはそう言うが、エンジニア部においての『かろうじて』というのは『試験で満点を取れる程度』と同じ意味を持つことをマルクトはコタマから聞いたことがあった。つまり普通ではないということらしく、逆にエンジニア部の中で『出来る』というのは何らかの報酬を受け取れるほど、というものらしい。

    『まぁ、比べても他所と仕方がないので普通じゃないということだけ覚えていてください』

     そう締めくくったコタマの絶妙な表情を思い出したところで、エリ部長はネツァクの機能について話し始めた。

    「ええとね? ネツァクは『変性』じゃなくて『原子核の入れ替えと安定化』だと思うんだぁ~。お鍋に入った肉じゃがの具材を掬って別の野菜を入れる、ってことをしてるんだと思うの」

     元化学調理部らしく料理で機能を例え始めるエリ部長。
     手でお椀を作るような仕草を見せながら、身体をゆらゆらと揺らして続ける。

    「肉じゃがって味付け自体は何にでも応用出来るでしょ~? 醤油に砂糖に味醂の割合、ちょっと変えれば別のお料理。具材を変えてもいいよねぇ~。でも料理は足し算。何も引けないから足すしか無いんだけど、ネツァクだったら引き算も出来るんだよぉ~」
    「カレー粉を入れても戻せる、ということでしょうか?」
    「うん~。出来るはずだよぉ~」
    「まさかネツァクを料理にも使用出来るとは……参考にします」

     リオの食事を毎日作っているマルクトとしてはちょっとした朗報だった。
     マルクト自身としては料理を作る過程で後から「調味料を入れ過ぎたかもしれない」と思い悩むこともしばしばある。そんなときにネツァクに工程を一つ前に戻してくれるのなら安心だからだ。

     というのも、自分にも人間体なら味覚があれど、味の好き嫌いというところまではまだ理解が及んでいない。
     全てがひとつのパターン刺激でしかなく、そこに付随するべき報酬系という概念を感情で理解することがそれこそ『言葉通りに』かろうじてしか出来ていなかった。

  • 96125/09/22(月) 04:14:39

     そしてマルクト自身既に気付いている。味覚に関するデータにおいてリオはあまり参考にならない。

     本人は好き嫌いが無いといったような言動を行っているが、青椒肉絲を出せば中に入ったピーマンを見て僅かに眉を下げるぐらいには苦みを好まない。
     逆にハンバーグやエビフライなどは好むようで僅かに目が大きくなることは分かっている。というより肉類全般にそのような傾向が見られ、他にもネットで見たレシピを元に作った高級フレンチを再現して見せた時は「合理的では無いわね」と露骨にしょんぼりと肩を落としていたのを思い出す。

     嗜好としては偏食家だが、食い出がありさえすればそれでいい。味そのものは苦くさえなければ何でもいい。バカ舌とまでは言わないが、食へのこだわりが無さすぎるためにマルクト自身リオが美味しいと思う『味』を正確には掴み切れていなかった。

     と、そんなことを考えていると不意に疑問が湧いた。
     ネツァクは例えカレー粉を入れても入れる前に戻せる。ならばそのカレー粉を構成していた原子は何処に行ってしまったのか。

     それについて尋ねてみると、エリ部長は「多分ねぇ~」と身体を揺らしながら口を開いた。

    「ネツァクの中に、原子の保管庫みたいなものがあるんじゃないかなぁ~。それかぁ……原子の保管庫がある場所に接続できる……みたいなぁ?」
    「調味料棚が別の次元に存在する、ということでしょうか……?」
    「だって原子番号が全然違うものにも変えられるんでしょ~? 核融合とかも起こしてないから仕舞って取り出してって流れだと思うかなぁ~」
    「ふふ、別次元の存在を想定するなんて半年前の私たちに聞かせてあげたいね。チヒロとリオあたりは絶対叫ぶと思うよ。そんなの有り得ないってさ」

     ウタハは何処か懐かしむように目を細める。自分たちが随分遠くまで来てしまったことを振り返るように、過去に思いを馳せているのだろうか。けれどもそれはマルクトとて近しい『感情』を想起せずにはいられなかった。

  • 97125/09/22(月) 04:15:48

     ネツァク戦。それはマルクトにとっても非常に思い出深いものである。

     ホド戦の前に化学調理部との料理対決で、カメラ越しにでも初めて『視界』を知ったのだ。目で見える風景という概念。その後に得た『知覚』という概念。そしてネツァク戦の後に得たのは『自由に動ける身体』というもの。自分の意志で身体を動かすということを知ったのはまさにその時だったのだ。

     そしてケセドを越えた今となっては毎日ラボで寝ようとするリオを引きずって部屋まで戻し、風呂に入れて食事の用意も行っている。これが『世界が広がった』というような言葉で形容できることも今なら分かる。

    「本当に色々と変わりました。私も、きっと皆さんも」
    「そうだねマルクト。私たちもまた『旅』をしているんだ。何処に続くか分からない道を進み続けている」

     先の見えない未来という『未知』に向かって歩み続けるひとつの生。
     『機械』とは違う概念ではあるが、『人間』もその果てに何か『良きもの』があればいいとマルクトは願わずにはいられなかった。

     その辺りでウタハは「そういえば」とマルクトに尋ねた。

    「色々回っていたんだろう? 他の皆の様子はどうだった?」
    「ヒマリたちとコタマたちの様子であれば、私から話すべき事柄がいくつかあります」

     そうしてここまでの情報共有を行い、ウタハが「そうか、会長が」なんて言葉を漏らす。
     ただ、ここまでの話の中でウタハはひとつ引っかかりを覚えたようで、ウタハは改めてマルクトに視線を向けた。

    「『生命の樹』に対応するセフィラの配置だけど、あれはセフィラの持つ機能の特性を示しているんじゃないかな?」
    「何か共通する部分がありましたでしょうか?」
    「なんとなく、だけれどね」

     そう言いながらウタハは椅子から立ちあがって地面に屈み、指で『生命の樹』の図を書き始めた。

  • 98125/09/22(月) 04:17:07

    「中心のマルクト軸に右側のネツァク軸。左側のホド軸があるだろう?」

     描いた十の丸を線で繋げていく。セフィラとセフィラを繋ぎ交差する横線。最後に三本の縦線を引いて指を離した。

    「この右軸。ネツァクとケセドについてはどれも既存のものを変化させる機能だろう? ネツァクは物質の置換によって形を変える。ケセドは精神をコードに置き換えて自分に干渉する。どれも元々なかった性質の『拡張』を引き起こしていると思うんだ」
    「では、左側は?」
    「推論ありきの推察だから自信は無いけど……『固定』じゃないかな? ホドは物質を固定して観察を行う。ゲブラーは……『そこになかった概念の固定』とも言えなくはない。減衰しない爆発は『エネルギーの固定』で、生成についてはデータの中にある実体を現実へと『固定』させることで生じている、とかかな? だからあえて言うなら可能性の『縮小』とも言えると思うんだ」

     あくまで推論ありき。何もかもが不確かだが、こと『概念』であり『物語』であるセフィラたちにとってはそれこそ『線』の通った話だとマルクトは思った。

    「だとしたら……私が含まれている中央の線は何を指しているのでしょうか?」
    「なんだろうね……。どうしてもイェソドのイメージに引っ張られているんだけど、『移動と向き』が今のところイェソドとティファレトに共通するイメージかな」

     イェソドは『意識』を向けた先へと移動し『器』を再生成する機能。
     ティファレトは天地を規定して『器』を落とす機能。いずれも『動き』に関連する機能だ。

     ならば自分は、と考え込んでしまう。
     自分の出来ることは誰にでも届く声とセフィラに接続できるという機能。どちらも移動や向きとは結び付け辛い。

     そう考えて、ふと思った。考える優先順位が違うのではないかと。

    「ウタハ。あなたはイェソドを基準に考えてますよね? では私を基準に考えたら如何でしょう?」
    「マルクトを? うーん、こういうのはリオとかヒマリあたりが得意そうだろうけど……ちょっと待っててくれるかい?」

  • 99125/09/22(月) 04:18:59

     ウタハはそう言って顎に手を当てながら瞳を閉じた。
     確かにこの手の推察はリオこそ得意だろう。しかし、エンジニア部にいるのは全員がもれなく常軌を逸した天才なのだ。ひとりひとりが逸脱した思考の名手。『誰誰と比べて不得手』があろうとも、それはミレニアム全体で考えた時の上位に君臨することを否定するものではない。

     そして、ウタハは何か思いついたように目を開いた。「そうか」と言って。

    「中央の軸……これは『規定』なんじゃないかな?」
    「どういう意味でしょうか?」
    「君はセフィラに接続しているんじゃなくて『このセフィラは自分だと規定している』んじゃないかな? 義手を繋いで自分で動かしたらそれはもう自分自身だろう? 散らばった『生命の樹』という身体を取り戻すために、部位に相当するセフィラを自分を集めて自分と定義する。これがセフィラの旅路の正体なんじゃないかな? それに、イェソドもそうだ」

     ウタハは勢いに任せるように滔々と話し続ける。

    「イェソドは『意識は器に隷属する』という結びつきを逆転させる。『意識こそが器を隷属させる』と規定して『意識』を先行させた事象を引き起こす。ティファレトはそのまま『天地の規定』だ。重力に限った話じゃなくてもっと概念的な、『上から下へと流れる』という事象を規定させる機能。ケテルから始まった『拡張と縮小の原理』は合間合間にその時点の合理を『規定』することで最下層の『王国』――つまりは物質界かな? そこに落ちていく、とも思えないかい?」
    「それが……『炎の剣』――」

     第一セフィラ、『王冠』を冠するケテルから始まる下降原理たる『炎の剣』とは、まさしく『無限』から『有限』へと落ちるものだろう。
     ならば、第十セフィラの『王国』からケテルを目指して駆け上がる『知恵の蛇』とは『神に向かって飛翔する』というプロセスを示すのでは無いだろうか。

  • 100125/09/22(月) 04:20:16

     『無限』は『有限』に。『有限』は『無限』に。
     だとしたら、存在しないはずのセフィラの名を冠するリオはいったい何に成ってしまったのか。

     マルクトは『自分も人間に成れる』という言葉の衝撃からすっかり伝え忘れていたことを今更ながらに思い出して、ウタハに言った。

    「ウタハ。今のリオは何番でもないセフィラ、『知恵』たるダアトの名を冠してます」
    「リオが?」
    「リオ自身は千年紀行が終われば普通の人間に戻れると言っていたのですが……どう、思いますか?」
    「ううん……。順番としてはケセドとビナーの間か……。でも何番でも無いんだろう?」
    「はい。そのようなセフィラは私の知る限りにおいても存在しません。私と接続した全てのセフィラの中にもそのようなデータは存在しないのです」
    「そもそも、第二セフィラが『叡智』でリオが『知恵』……。何だか意味が被っていないかい?」

     それにはマルクトも頷いた。
     『名前』とは強い意味を持つ。ヒマリ的に言うのであれば『運命的なもの』を引き寄せ得るほどに強く、『名前』とはこの世界に存在をそれこそ『規定』するものだ。

     つまり似たような意味でも明確に異なる『役割』が存在する。
     リオに与えられてしまった『知恵』とは何か。その意味が分からずにマルクトは不安をぶり返していた。

     『未知』とは『恐怖』である――。

     ただでさえ調月リオという存在は一度死んでいる。あの時の喪失感と絶望を知ってしまっているが故に、もう二度とあんなことが起きてはならないとマルクトは強く願っている。

     だからこそ、安心できるかどうかも分からない今の『未知』が何よりも恐ろしかった。

  • 101125/09/22(月) 04:21:36

     これは『機械』では決して持たない『感情』。そも感情を持つことすらイレギュラーではあるものの、自らの役割を果たすという意義が全ての『機械』にとっては元より『未知』など考慮するに値しないのだ。全ては在るままに、在るべきがままに。『未知』について考えるのはいつだって『人間』なのだから。

    「こればかりはリオに聞くしかなさそうだ。私も言葉の解釈を諳んじれるほどにはあまり意識はしていないからね」
    「分かりました。折を見て聞いてみることにします」

     そう言ってひとまずこの場は納得することにする。
     それでふとついでに思い出したことがあってマルクトはエリ部長へと声をかけた。

    「そう言えば、フジノが食せるキノコや野草を集めておりました」
    「おお~! 私も調味料は沢山持って来たから美味しくできるよぉ~」

     そう言いながらエリ部長が開けたのは自分のバッグ。大量の薬品が入っており、どうやらその場で化学調味料を精製しかねない勢いだった。

    「また随分な量だね。重くないのかい?」
    「大丈夫ぅ~。料理はね、筋肉だから」
    「それは初耳です。……そういえば刃物の扱いが不得手だと聞いておりましたが」
    「うん! だからねぇ、今日はちゃんと刀を持って来たよぉ~」
    「……ウタハ。刃物を使うのは私たちでやりましょう」
    「そうだね……」

     気付けば地平は夕焼け色に染まっていた。
     そろそろ散った皆も戻って来るであろう時刻。夕食の準備を行うには丁度良い時間であった。

    -----

  • 102二次元好きの匿名さん25/09/22(月) 11:31:31

    なんで料理で刀持ち出さないといけないんだ…

  • 103二次元好きの匿名さん25/09/22(月) 18:38:10

    デカい牛肉やマグロでも解体するんか?

  • 104二次元好きの匿名さん25/09/22(月) 22:03:32

    キヴォトス熊に対する威嚇用かな?

  • 105125/09/22(月) 22:57:23

     11月の空は日の落ちる早さもまた速い。
     暮色の地平は夜色に染まり、天文台の屋上にはゲブラーが作った電灯の明かりに照らされた。

     そこにはひとつのテーブルと二つの椅子がある。
     テーブルの上にはセフィラを思わせるチェスボード。向かい合うのはリオとハイマ書記。そんな様子を興味深々に眺めているゲブラー。

    「チェックメイト」

     ハイマ書記がナイトを動かして宣言する。皆と別れてから行った15局のうち、15回目の宣言だ。リオは盤面を見ながらひとり呟く。

    「中盤でビショップに意識を割き過ぎたようね。気が付いたら詰んでいたわ」
    「それでも筋は良いですね。気が付けるというのは非常に大きなことですので」
    「純粋な私の力と言えないのが何とも言えないところね。その上で勝てないというのも」

     リオは素直に感心していた。これでもセフィラの『テクスチャ』を被せられて思考能力は人から外れたものであるはず。

     ――なのに、勝てない。

     ハイマ書記の才能はセフィラの機能に匹敵するものであり、とにかくこのチェスという二人零和有限確定完全情報ゲームにおいてはまさに最強と言えるほどの実力を誇っていた。

     これまでハイマ書記の打った全ての棋譜を見ることが出来れば、絶対に忘れない『今の身体』なら勝ち目が出てくるのかも知れない。それでも新戦術を発明されれば分からない。特定分野における『絶対性』で言うのなら、メト会計もハイマ会長も、そしてネルも同じであった。真っ向から相手にした瞬間『絶対に負ける』という特異性。それが会長の集めたセミナーの片翼なのだろう。

    「ところでリオさん。こうしてチェスを打つのは良いのですが、ゲブラーの機能を調べるというセカンドミッションは行わなくてよろしいのですか?」

     ハイマ書記がチェス盤に駒を並び直していく。屋上に来てからずっと、リオはハイマ書記とひたすら対局し続けていたのだ。

     一局終えて研究会。また始めてリオが負けて研究会。その繰り返しを何時間も。
     けれどもリオは、ゲブラーのことよりもそちらの方が興味深かったのである。絶対に負けないチェスの名手との対局なのだから当然だろう。それに――

  • 106125/09/22(月) 23:24:07

    「ゲブラーの機能についてはもう分かっているわ」
    「ふむ、お聞かせ願えますか?」
    「……そうね。性質とはネツァクに近いのだけれど」

     リオは無意識的に足を組みなおしながら自分の顎に触れる。
     ゲブラー、『無限生成』。その根幹は『事象の固定と押し付け』にあることを、ダアトの性質によるものなのか『何故か』理解できてしまった。

    「例えばチェス盤の上を私たちの世界だと考えた時、チェス盤の外からポーンをひとつ盤上に置いたら、それはチェス盤の上に突然出現したとも言えるでしょう?」
    「そうですね。取られた駒は世界から消える。ゲームを再開して並び直せば出現する。となると、ゲブラーの機能は別次元から物を出し入れするというものでしょうか?」
    「正確には、チェス盤を世界と見做すのではなくテーブルの上を世界と見た上で行う熱量の移動ね。キャスリングを行っても盤上の総量は何も変わらない。『ここからここまでが世界である』と内部に存在する全てを閉じ込めて動かすのがゲブラー。だから熱膨張による宇宙の死は起こらない。どれだけ動かしてもテーブルの上にある駒の数は変わらないのだから」

     それは無限でも何でもない状況の固定である。
     何も変わらない。何処まで行っても世界の変化を起こさないという『固定』の機能。

     ただしそれには代償を伴う。一方の宇宙に対して増やした熱量分、その熱量は何処かに逃がさなければ釣り合いが取れない。

     これは水と水槽の例えの方が伝わるかも知れない。リオは同時にそんなことを考えていた。

     水の入った水槽に石を入れれば、水槽の中の水面は石の体積分だけ水面が上昇する。

     しかし同時に水面の位置が変わらないだけ別の水槽に水を移してしまえば何も変わらない。ならばその『水を移された水槽』は何に当たるのか。答えは単純だ。数多ある宇宙の中に『廃棄用の宇宙』が存在すると仮定すればいい。そこに増えた熱量を押し付けることで廃棄孔たる宇宙が死ぬ。何の可能性も無い『無限光』が消滅する。そうして釣り合いを取り続けるのがゲブラーなのだと。

     そう聞いたハイマ書記は「なるほど」と頷いてからリオへと問いかけた。

  • 107二次元好きの匿名さん25/09/23(火) 08:22:41

    保守

  • 108二次元好きの匿名さん25/09/23(火) 14:34:07

    エイミに熱が流れ込んでるとかない…?

  • 109125/09/23(火) 16:43:54

    「ではネツァクに近いと言うのは?」
    「ネツァクは生み出す側よ。もっと言うなら世界を変えられる側の機能。ネツァクとケセドは世界を変えるわ。そしてホドとゲブラーが変わった世界を支配する。前者はヤヒン。後者はボアズ。二つの柱と四つの門。それが『生命の樹』という地図なのよ」
    「では、あなたは?」

     ハイマ書記の言葉にリオは僅かに目を見開いた。
     自分がセフィラの一部になってしまっていることはまだ話していない。にも関わらずハイマ書記は正しくリオの『役割』を見抜いていた。これがハイマ書記の特異性――リオはそう直感した。

    「私はこの天文台に至るまでのバスの中でも皆さんを観察し続けておりました。そしてマルクトさんと離れてから戻った時、あなたは何処か靄が晴れたような柔らかさがございました。ならばあなたはその間に自らの『役割』を片鱗とは言え理解した――そう考えるのが『正しい』と思いましたので」
    「機械的ね。恐らくセフィラよりも」
    「だから勝てるのだと思います。如何なる相手でもチェスボードを挟めば」

     ハイマ書記がリオに向ける瞳は何一つ変わっていない。
     ただ静かに目の前の相手の全てを暴き出そうと言わんばかりに瞳を片時も離さなかった。

     それに対してリオは、いまの自分が分かる範疇において言えることを言うことに決めたのだった。

    「ティファレトの先、ケテルとの間。そこに立つ『在り得ざるセフィラ』――それが今の私だと思うわ。恐らく隠されて『生命の樹』という物語から外れているイレギュラー。それがいったい何の意味を持つのかまではまだ分からないのだけれど」

     マルクトはダアトをイレギュラーだと認識していた。本来のセフィラに存在しない存在。
     しかし、リオの中には確かにあった。何処から来たのか分からない『自分は知恵の体現である』という正体不明の実感。

  • 110125/09/23(火) 16:46:36

     きっとこれは考えることを辞めた瞬間に忘れてしまうような頼りない糸である。
     マルクトには言わなかったが、旅の終わりを待つまでもなく思考することを放棄した瞬間に消えてしまいかねない細い糸。それでも言わなかったのは『調月リオが思考を止めるなんて有り得ない』という自負からでもあった。

     ――身体にまとわりつくような『思考』という名の泥ヘドロ。重さに耐えかね膝を折りかけ、地を這うように息が上がる。
     ――それでも私は進み続けた。息すら出来ない泥沼なんていつものことだ。先の見えない基礎研究を天才たちと行う。それはつまりはそういうことなのだ。

     だからきっとここまで来れたのだ。沼の中で目を閉じず、自らに襲い掛かりかねない脅威に対して片時も目を離さなかった。
     稀代の天才が集うエンジニア部の中で、リオだけはただひとり『全ての危険』に対して目を向け続けた。『全ての未知』を解体するべく目を閉じなかった。だから自分は『ダアト』なのだと素直に実感できたのだった。

    「ならば、あなたはゲームチェンジャーなのではないでしょうか」

     ハイマ書記の言葉にリオの視界は現実へと戻る。
     『知恵』のセフィラは思い出したかのようにチェス盤を挟んだハイマ書記へと目を向ける。そこには決して間違えない天才がいた。

    「ゲームチェンジャー?」
    「ええ、あなたなら覆せない状況すらも打破できるブレイクスルー足り得ると、私はそう思ったのでございます」
    「合理的では無いわね」
    「そこに合理という穴を見つけ出せるのがあなたでは?」
    「そういうのはヒマリにお願いしたいのだけれど……」

     リオは思わず溜め息を吐く。構築された『現実』というものに対するハッキングは自分の領分ではない。それはヒマリの領分だ。分かっている。『理解不能な現実』を理解し再現性のある地点まで『堕とす』のが自分であるのだと。

  • 111125/09/23(火) 19:40:31

     科学とは、奇跡という神の御業を再現可能な域にまで堕とす行為なのだ。
     雨乞いの奇跡はボタンひとつで発現せしめる常識へと書き堕とす。神と言われた力の全てを指先ひとつで起こし得る『神性の否定』――それこそが科学であるのだ。

     だから、リオは微妙な表情を浮かべながらも僅かに笑った。

    「まぁ、その――それでも私は『奇跡』なんて否定するわ。起こったのなら全ては再現可能よ。私はあらゆる偶然を必然に変えて見せるわ。それを『ブレイクスルー』というのなら、誰でも出来るよう解体するまでよ」
    「いずれ……私がチェスであなたに負けるときも来るかも知れませんね」
    「それはまた随分時間が掛かりそうね」
    「しかしそこでお勧めしたいゲームがあります。ユニオン・ザ・ミソ……」
    「遠慮しておくわ」

     リオがばっさりと切り捨てると、ハイマ書記は心底残念そうに肩を落とした。

     その辺りで、梯子を伝って屋上に上がって来た者が居た。マルクトだ。
     ひょっこりと顔を覗かせてリオたちの姿を見つけると、そのまま屋上へと昇って来た。

    「リオ、ハイマ。皆が戻りましたのでチヒロより食事の準備を手伝うように、と」
    「ありがとうございます。……リオさん、私たちも手伝いに向かいましょう」
    「私が戦力になるとは思えないのだけれど」
    「ふむ……、これは『先輩』からの所感ではありますが……」

     ハイマ書記が立ちあがってチェスボードを片付け始める。
     そして表情を一切緩めることなく、ただ何処となく柔らかな雰囲気を漂わせながら書記は言った。

    「こういったイベントは参加することに意義があるのです。失敗しても何も無くさない状況というのは、実のところ得難いものなのですから」
    「……失敗は記憶に定着しやすい。そしてそこに楽しみを見いだせれば忘れがたい思い出になる、ということかしら?」
    「はい。あなたがダアトとしての完全記憶能力を有しているのなら、覚えた感情こそがその記憶に優劣を付けるものなのですから」
    「肝に銘じておくわ、ハイマ『先輩』」

  • 112125/09/23(火) 20:11:48

     リオは当て擦るわけでもなく純粋に敬意を以てそう呼ぶと、ハイマ書記は無表情のまま盤上を片付けて梯子へと向かう。
     表情筋が死んだもの同士、どこか通じるものを感じながらリオもそれに続いた。思いがけない『先輩たち』との交流は、エンジニア部もとい特異現象捜査部という閉じた世界の中に何かを齎すのかも知れない。

     そうして階下へ降りて外へと出た――その時だった。

     天文台の入口。リオの真横でビィィィン……と妙な音が聞こえたのだ。
     遅れて音の発生源に目を向けると、そこには壁に突き刺さったばかりの刀があった。

    (……え、刀? 真横? 少しずれていたら私に刺さって……?)

     一瞬思考が止まる。意味が分からない。何故刀が飛んで来る? 危うく自分に突き刺さりそうな角度で? というか何故?

     直前まで考え事をしていたのも悪さしてか、ようやくリオの耳にも騒ぎが届いた。
     調理を行っているはずの天文台前野営地で何が起こっているのかを。

  • 113125/09/23(火) 20:33:04

    「アスナ! 絶対エリ部長を離さないで!! ってか何でこんなに刃物持ち込んでるの!?」
    「百鬼夜行で買ったんだぁ~。業物だよぉ~」
    「ごっ、ごめんね……。エリちゃん刃物を握る理由があると人が変わっちゃうから……」
    「ヒマリ――アスナが押さえているうちに刃物の類いを全て回収しよう!」
    「そうですね……! ティファレト!」

     頭を抱えるチヒロに頭を下げるメト会計。ウタハが号令をかけてヒマリがティファレトに全ての刃物を空中へと飛ばす混沌がそこにはあった。

     天文台から出てきたリオとハイマ書記の姿を見つけたフジノ部長が声を上げる。

    「書記! あなたちょっと何とかしなさい! 妖刀か何かでも発掘してきたのあの子!?」
    「何が……起きているのでしょうか?」

     首を傾げるハイマ書記。そこでリオが思い出したのはネルと初めて会った時だった。
     化学調理部のエリ部長から『あのネルが』焦りながら刃物を取り上げていた光景である。

    「あれ? 結構力が強いか、も……っ」

     エリ部長を羽交い絞めにするアスナの声に若干の焦りが混じる。
     その腕の中で変わらずほんわかと笑みを浮かべるエリ部長は、どこか恍惚とした表情を浮かべながらギギと抑え込まれた身体を腕でこじ開けようとしていた。

    「チタタプ……チタタプしよう……? みんなでぇ……」
    「まるでチタタプの亡霊ね。どうして刀でやろうとしているのか分からないけれど」

     淡々と状況を述べるリオ。
     そこから離れた場所で黙々とフジノ部長が摘んできた野草を刻む新素材開発部のアンリ部長が、リオを気味悪いものを見るような目で眺めていた。

  • 114125/09/23(火) 20:51:11

    「何故そこまで平然としているのだ……? どう考えてもおかしいだろうこの状況は……」
    「まーリオちゃんはちょっとだけでも知ってるからねぇ~。僕たちはさっさと準備だけでもしようか。どうしてカットしていない冷凍鶏肉が荷物の中に入っていたのか分からないけどね~」
    「会長? まさかまたなのか会長? また悪癖を誘発させようとしたのか?」
    「ニヒヒッ、トラブルあっての人生だろう? あ、他にも色々仕込んだからきっと楽しい三日間になるんじゃないかなぁ?」
    「あぁ……慰安旅行とはいったい……」
    「『僕の』慰安旅行だろう? 楽しもう、それも学生の本分だろう?」
    「んぁぁぁ…………」

     呻き声を上げながら野草を刻み続ける新素材開発部部長。その姿は傍から見てもこれまで散々会長に良いように扱われてきた哀愁があった。

     とはいえ、どうやら会長は他にも色々仕込んでいるらしい。天才ゆえに並々ならぬ執着を抱くレクリエーションを、事前に。

     そんなことを考えているとハイマ部長が迅速かつ冷徹に暴走しているエリ部長の意識を落として事態の収拾を図っていた。
     調理と味付けだけならプロフェッショナルのエリ部長も、刃物を扱う下ごしらえだけは別の情動が湧くらしい。つくづくミレニアムには才能を持て余している者が多いと思わざるを得なかった。

     けれどもリオは、非合理と思いつつもそれを何処か楽しんでいる自分に気が付いていた。

     きっと思い返せば何でもない学生生活。その一幕にある『日常』――こと『黒崎コユキの時間遡行事件』からして学生らしい日々はそこまで送っていなかったように思える。セフィラとの戦い。それらは全て、生徒としての活動からは逸脱していた。

     だからこそ、これは得難い機会なのだとリオは思う。
     何でもない日々。何でもない日常。それらを忘れてしまったら、二度と『日常』に帰ることが出来なくなる。

    「ティファレト!? 何処に行くのですかティファレト!!」

     マルクトが叫んで遠くに飛んでいったティファレトを追いかけ始める。
     アスナの拘束をフィジカルで破ったエリ部長がそのままティファレトに向かって走り始める。

  • 115125/09/23(火) 20:58:49

     事前に持ち込んでいたカット野菜の袋を開けるフジノ部長。刻んだ野草をボウルに移すアンナ部長とセミナー会長。ヒマリとチヒロがそれぞれ料理を作りながら、ウタハが火の調整を行っていた。器具を片付け洗うメト会計も、飯盒の様子を見るハイマ書記も皆が皆のやるべきことを行っていた。

     これはエンジニア部だけでは見られなかった光景である。
     そんな学生らしい日々がリオには眩しく見えた。何故だか遠く望んだ『今』が前にあるように。

    (どうしてかしらね……。『私』はそんな日々を望んでいた気がするわ)

     この感情は『調月リオ』としての個人が感じたものなのか。
     それとも『セフィラ』として他のセフィラたちから共有される感情から来たものなのか。

     いずれにせよ、こんな『学生らしい』日々は『非日常』の中でこそ輝きを帯びる。
     そして何故だかこう思うのだ。これが恐らく『最後の日常』であると。

     ――きっとこれが最後の一線。

     それはネツァクを越えてティファレトへと向かう道中に何処か感じた予感であった。
     『生命の樹』の上層。そこはまさしく神たる領域。物質からも精神からも解き放たれた『無限光』に近い場所。

     ここから先で求められるのは、人か神かのその境。
     神域へと踏み入れる前の小休止。リオはそんな、一時の戯れに身を預けるのであった。

    -----

  • 116二次元好きの匿名さん25/09/23(火) 21:31:35

    アシリパさんおる…

  • 117二次元好きの匿名さん25/09/23(火) 23:43:57

    保守

  • 118二次元好きの匿名さん25/09/24(水) 07:48:05

    チタタプ…

  • 119二次元好きの匿名さん25/09/24(水) 13:20:55

    UtM(LoL)を触って怒りを誘発させられるリオ

  • 120二次元好きの匿名さん25/09/24(水) 17:46:44

    ふむ…

  • 121125/09/24(水) 18:32:32

     食事を終えて各々が自由に夜を過ごす中、ヒマリは天文台に戻って来たチヒロとウタハの姿を見かけて声をかけた。

    「温泉の方は如何でしたか?」
    「まぁそれなりにって感じ。電気も通ってたし割と小さな銭湯ぐらいの設備にはなってたよ」
    「足りないのはコーヒー牛乳ぐらいなものさ。持ってくれば良かったと後悔せざるを得ないね」
    「ふふ、とはいえ流石にネツァクもビンの分解まではしてくれなさそうですし、今度皆で改めて温泉旅行に行くのも良いですね」

     ヒマリがそう言うとウタハは「悪くないね」と言って、二人はそのまま休憩室へ荷物を置きに向かったようだった。

     せっかくだから誰か誘おうかと周囲を見渡すと、ちょうど焚火を囲んでいるリオとマルクトの姿を見つけたため近付いてみる。どうやら二人はセフィラの話をしているようだ。

    「リオ、マルクト。温泉には入られましたか?」
    「そういえばまだだったわね。入りに行くの?」
    「ええ、一緒にどうかと。マルクトも来ますよね?」
    「ご一緒させてください。今すぐ準備いたしますので」

     立ちあがったマルクトが荷物を取りに天文台の中へと戻っていく。
     その場に残されたリオは焚火を眺めながら、ぽつりと声を漏らした。

    「……ヒマリ。あなたに言っておかなくてはいけないことがあるわ」

     淡々と感情を抑えたような口振りであった。
     ヒマリはリオの隣に座って無言で話を促す。

    「今の私はセフィラの機能が何なのか分かるわ。そしてケセドまでの技術を再現することも可能よ」
    「……ダアトによる影響ですね?」
    「ええ、恐らくは」

     本来ならば喜ぶべきことだろう。しかしリオの表情は固く、何処か重苦しさすら感じてしまうものだった。明らかに自分の得た力を持て余している様子で、今もなおヒマリに対して本当に言うべきなのかという逡巡すら感じる始末。

  • 122125/09/24(水) 18:42:23

     ヒマリはこの面倒な友人に対して溜め息を吐いて、ひとつだけ言うことにした。

    「会長も言っていたでしょう? 『大いなる力には大いなる責任が伴う』と。言うかどうか迷った時点で私には言ってください。その様子ですとマルクト絡みのことですよね?」

     そう言うとリオは無言で頷いた。
     そして……何処か決意を固めたようにひとり頷いてからヒマリの目を見て静かに口を開いた。

    「ヒマリ。今の私は人もセフィラも関係なく確実に殺すことのできる装置を作れるわ」
    「…………」

     それは以前、本当に最初期にリオが言っていた『世界が滅ぶ前に壊す』という話の続きであった。

     あれから結局、マルクトを始めとしたセフィラたちを破壊するとなると自動的に機能を使った反撃を受ける上にボディすらも破壊できないため現実的に考えて不可能だと結論付けた話である。

     だから旅の中断は出来ない。そうした論理で何が待っていようとも進み続けるしかないという話だったのだが、その前提を打ち崩すことが出来るようになってしまったとリオは語った。

    「会長の書いた魂の考察にはこうあったわ。『ヘイローとは本質であり、名前と神性に紐づいている』と。けれども、ケセドの機能を使えば全ての結びつきを切断できる。そうなればどれだけ『器』が頑丈だろうと関係ないわ。痛みすら無く眠るように『意識』だけを抽出して、そこから更に『人格』と『記憶』を分解できる。『記憶』を海に還して『人格』を消去すれば最後に残るのは何も無い空っぽの『器』だけ。ヘイローだって砕けるのよ」
    「つまり……オーバーホールのロジックで攻勢防壁を突破できるということですか。しかもそれは人にも適用可能だと」
    「あくまで攻撃ではなく分解。各セフィラが持つ自己保存のための迎撃機能には引っかからないと断言できるわ」

     出来る、というのは時に残酷な側面を見せる。
     どうしようもなければ仕方ないと諦められるが、出来てしまうのなら最悪に備えられてしまう。実行するかどうかのレバーが手元に生まれてしまうことを意味した。

     リオは選択できるのだ。セフィラを破壊して旅を強制的に中断させることが。

  • 123125/09/24(水) 19:02:38

     確かに今回で旅を完遂できなければ次の『テクスチャ』ではセフィラが世界を滅ぼし続けるのかも知れない。だがあくまでそれは『次のテクスチャ』の話である。言ってしまえば来世のようなもの。今の世界とは別の世界だ。

     そんな見知らぬ世界のために自分たちの命を賭けるなんて確かに馬鹿らしいと、それはヒマリも同感ではある。だが、恐らく問題はそこではない。

    「リオ。仮に破壊するとして、それはすぐに行えるものでは無いのですよね?」
    「そうよ、『タイムワインダー』に相当する設備に繋いで三日かけて同等の電力消費を行う必要があるわ。だから、世界の崩壊が確定したタイミングでの緊急措置として使用することは出来ないのよ」

     出来たとしても、それは実際に作って使って効率化を行う必要がある。リオはそう続けて自分の膝をぎゅっと抱きしめる。

    「……つまり、確定していない状況から前もって行う必要がある、ということですか」
    「そう。処置が完了する三日間、確実に破壊するという選択を取り続けなくてはいけないわ」

     必要なのは明確な殺意。確実に破壊するという意志。
     間違いなんて赦さない残酷な処刑器具は扱う側の精神を確実に蝕むものだった。

    「それでリオ。あなた言いましたね? 私なら作れる、と。作れたとして、あなたにそれが使えますか?」
    「…………無理よ」

     リオは無表情に唇を震わせる。
     きっとケセドによる『人格の最適化』が無ければ泣いていたのではないかと思うほどに、その身体も震えてしまっていたのだろうと思うほどに昏く沈んだ声だった。

    「私はもう、マルクトを知り過ぎてしまったわ。他のセフィラだってそう。情が湧いてしまったもの。例えこの先何かが起こって誰かが犠牲にならないと全員が死んでしまうと分かっても、その犠牲が私で無いのなら私は誰も壊せない。きっと選べなかった自分に後悔し続けるのよ」

     この告解を悲観的だといったい誰が言えるだろうか。

     きっとホドあたりの攻略を行っていた時であるのなら言えたかもしれない。けれども既に特異現象捜査部はミレニアム程度簡単に滅ぼせる中層との邂逅を果たしてしまっている。

     そして次に来るのは上層。恐らく正真正銘、世界を滅ぼせる技術群と相対することになるのだ。

  • 124二次元好きの匿名さん25/09/25(木) 00:14:28

    保守

  • 125125/09/25(木) 01:18:22

     リオはこれまでだって何度も言って来た。『決して楽な戦いではなかった』と。きっと何かひとつボタンの掛け違いが起これば皆で揃って慰安旅行すら行けなかった。それはヒマリも身に染みて分かっている。実際リオは一度『死んだ』のだから。

    「……ティファレトでは危うくチーちゃんとウタハが死にかけて、ゲブラーではネルが居なければ全員死んでいて、ケセドではあなたが一度死んでますからね。確かに状況は悪化し続けてますし、その懸念は杞憂でも何でも無いとも思います」
    「そう…………よね」
    「ですが、リオ。あなたは違うでしょう? ダアトの名を背負うあなたなら」

     そこだ。ヒマリにはそこを踏まえた上でリオがいつものように『うじうじ』としているのが気に食わなかった。

    「今のあなたなら理外の古代技術すらも扱えるのでしょう? だったら私たちごと世界のひとつやふたつ救って見せなさい。そもそも私だって『死を覆す』なんて奇跡を起こしているのですよ?」
    「あれは本当に偶然だったじゃない……」
    「ですから、それを再現するのがあなたではありませんか? 奇跡のひとつやふたつポコポコと起こして見せますからあなたはあなたで前例を元にそのとち狂った科学技術で再現してください。誰かが命を落としたのなら私が何とかします。ですのであなたは滅びる世界を何としてください。出来るでしょう?」
    「……相変わらず、無茶苦茶よ」
    「今に始まったことでは無いでしょう?」

     ヒマリがそう言うと、リオは何処か呆れたように頬を緩めた。あまりにバカバカしくも無茶苦茶な物言いに笑うしか無かったのだろう。それを見てヒマリもまた微笑んだ。リオが残酷な現実を前に下を見るのなら、楽観的にも程がある傲慢さで上を見続けてやろうとヒマリは心に誓った。

     その辺りでマルクトが入浴用の荷物を抱えてヒマリたちの元へと戻って来る。

    「お二人とも、何故笑っているのですか?」
    「何でもありませんよマルクト。さぁ、三人で温泉にでも浸かりに行きましょうか。内部はそれなりに整っているらしいあの小屋の中を見に行きましょう」

  • 126二次元好きの匿名さん25/09/25(木) 02:41:28

    次スレ用の表紙ができました
    モチーフにした絵画はレンブラントの「アブラハムの燔祭」、または「イサクの犠牲」です

  • 127二次元好きの匿名さん25/09/25(木) 09:03:41

    おお…

  • 128125/09/25(木) 14:06:14

    >>126

    イサクの犠牲! ありがとうございます!!

    信仰心を試されるアブラハムと生贄になるイサクとはまた中々のチョイス……。


    原典では認められて燔祭に捧げる代わりが見つかりましたが果てして……

  • 129二次元好きの匿名さん25/09/25(木) 22:09:37

    保守

  • 130125/09/25(木) 23:34:52

     ヒマリはそう促して立ちあがり、リオへと手を伸ばす。

    「私も体育会系というわけではありませんが、今日ぐらいは裸の付き合い、なんて言うのも悪くはないと思いませんか?」
    「…………そうね。気鬱には普段と異なる行動を行うことでの気晴らしもまた必要ね」
    「ふふ、相変わらず面倒ですねあなたは」

     差し伸ばした手をリオが掴んでヒマリは笑う。
     このかけがえのない日々を確かめるように、掴む手の感触をヒマリはきっと忘れないだろう。

     そしてヒマリは、リオ、マルクトの両名と共に温泉へと向かって言った――のだが……。



    「――デカっ!?」

     ヒマリは思わず叫ぶように声を上げてしまっていた。

     天文台から少し歩いて見えた掘立小屋は別にいい。中に入ってちゃんと電源が通っているのも、鏡と椅子が二人分まであつらえているのも、きちんと扇風機や体重計、ドライヤーなど風呂上りに欲しいものが粗方揃っているのもまぁ、別にいい。というか良い。そこは素直に嬉しかった。

     そんなことよりも、脱いだ服を籠に入れている最中でふと隣で裸体を晒すリオの姿に驚きの声を上げざるを得なかった。

    (大き過ぎませんか? え、Jカップ……?)

     胸の大きさなどこれまで特に気にした事の無かったヒマリでさえ、それは今まで目の当たりにしたことのない大きさであった。乳房の一つがもはや幼児の頭ぐらいある。デカい……それは胸と呼ぶにはあまりに大きすぎた。

    「どうしたのかしらヒマリ」
    「え、あ、いえ……その……」

     若干挙動不審になりながらも視線を下に。自分の胸が目に映る。確かに大きい方では無いが決して小さい方でも無い。しかしそんなのは先ほど受けた衝撃を思い返すに些細なものだ。大きい方であるはずのEだとFだのすらリオと比べれば貧しいと思われてもなんら不思議でも無い。

  • 131二次元好きの匿名さん25/09/26(金) 08:24:07

    でっか…

  • 132125/09/26(金) 09:53:48

     ヒマリはちらりとマルクトを覗き見る。冥界下りを終えて視覚が強化されたヒマリは分かる。マルクトはA寄りのBカップ。自分よりも小さい。しかして背丈は低い方では無いために、まさしく高速戦にも適した身体だ。むしろそのぐらいが多数を占めるだろう。

     そこでリオだ。あんなものもはや鈍器である。スイカも胸で叩き割れるかもしれない。
     ヒマリはそんな想像に身を震わせながら、恐る恐るリオへと尋ねた。

    「リオ……階段を降りるとき爪先は見えてますか?」
    「え? ……あぁ、胸ね。復活した時にいくらか縮んだのだけれどまだ大きいのよ」
    「はぁっ!? え、縮んでそれですか!?」
    「せめてチヒロぐらいまで小さくなれば良かったのだけれど……」
    「いやチーちゃんもだいぶ大きな方ですからね!?」

     世間一般ではチヒロも充分巨乳である。チヒロを見た誰しもが一度はきっと思うだろう。「あ、大きいな」と。
     それは姿勢の良さも理由のひとつだ。企業とやり取りをするのもあってかチヒロは背筋を伸ばして歩く癖がある。堂々として一切の隙を見せないその姿にはある種の美しさと力強さすら感じるものだ。

     対してリオは元来極度の猫背で、背を丸めている姿の方がヒマリにとっては馴染み深かった。故にサプライオッパイ。思った以上に大きくてヒマリは恐怖を覚えた。あとリオの悩みだとかそういう記憶の全ても吹っ飛んだ。デカい。デカすぎる――

  • 133125/09/26(金) 09:54:59

    「そういえば私、温泉なんて初めてだわ。いつもシャワーだったもの」
    「湯船に浸かりませんからねリオは」

     マルクトがリオにしょうがないものを見るような目で溜め息を吐く姿を後ろから眺めるヒマリ。
     リオは申し訳程度に備え付けられた木戸を引いて湯の湧く囲いの中へと一歩踏み入れる。

     その背中越しに見えたのは、思っていたより大きい石囲いの温泉。そこにひとり浸かる会長の姿。
     会長はリオを、リオの胸を見てわざとらしく叫んだ。

    「デカっ!? 僕の頭ぐらいあるじゃん!? うわっ、すごっ! ちょっと触らせて! うわ、うわ、重……実物は凄いなぁ……」
    「たすけてヒマリ……」

     湯から上がった会長に下から胸をタプタプと揺らされるリオは、困惑した様子でヒマリに振り返る。

    (いや助けてと言われましても……)

     何ならちょっと触ってみたいと思うヒマリであった。

    -----

  • 134125/09/26(金) 11:03:23

    「あの、ひとつ訊いても良いかしら?」
    「うん? 何かなリオちゃん」
    「まさか一日中温泉に浸かっていたの?」

     ちゃぷりと湯を手で掻きながらリオが尋ねると会長は「まさか」と答える。
     浮いた肋骨、病的に白い肌。およそ健康からかけ離れた体躯の会長は僅かに紅潮した頬を緩めた。

    「浸かって上がって安楽椅子に揺られながら水分補給。それからまた入っててさ。生まれて初めて湯に浸かったけど案外良いものだねこれも」
    「生まれて初めて?」
    「シャワー派だからね。それにウタハちゃんから聞いているだろう? 突然身体が動かなくなって溺れでもしたら流石にまずいしさぁ」

     会長はシニカルな笑みを浮かべながら空を仰ぐと、その瞳に星の輝きが反射する。
     つられて空を見上げると、そこには満天の星空。温泉を取り囲む目隠しの柵で区切られた天への視界は、何処か星を集めた箱庭のようにも思える。

     一方マルクトは会長の身体を無遠慮に見ながら「食生活の改善が必要ですね」などと言っており、早速何を作るか考えている様子である。

     何でもない日常の中のちょっとしたひと時。
     そんな風景を眺めながら、リオは先ほどヒマリと話して心に決めたことがあった。

     今この場所で会長と遭遇したのも都合が良い。ちらりとヒマリの方を伺うと、すぐに察したのか僅かに頬を強張らせながらこくりと頷く。

     会長の正体を推察する材料はもう、集まっていた。
     そしてリオは、静かに会長へと視線を戻して切り込み始める。

  • 135125/09/26(金) 11:31:54

    「ねぇ、会長。あなたいったい何処から来たの?」
    「詩的な問い掛けだねぇ。それとも哲学的かな?」
    「物理的な話よ。元々あなたは今あるこの世界に存在していて、何かがあって消えるはずが残ってしまったのでしょう?」

     これは会長本人がコタマに聞かせた内容である。
     この世界に何らかの改変が起こり、会長の存在は否定されてしまった。

     つまり改変される前と後、ふたつの存在が同時に存在してしまっていると考えられる。
     前者が『セミナーの会長』であるならば、後者は今どこにいるのか。

    「今の私はヘイローを視認出来るのよ。蘇った直後は安定していなかったし上手く見えていなかったけれど、今ならもう一度見直せば映像でも写真でもはっきりと分かるわ」
    「まさかリオ……オデュッセイアに居た一つ下の生徒のことを言っているのですか?」

     ヒマリが僅かに目を見張る。
     それはつい先日、ヒマリが調べて共有していたデータの中にあった。

     二年前の姿が会長と瓜二つの生徒。現在中学三年生。
     背丈も伸びて面影だけを残して成長しているオデュッセイアの生徒である。

    「全く同じ色と形のヘイローを持つ存在はいったいどれだけいるのかしらね? それに『二年前』と同じ風貌。会長、あなたの身体は二年前から止まっているのではないのかしら?」

     会長の背丈は小学生かも中学生かも分からないほどに華奢である。
     だがそれも中学一年生の時から本当に成長が止まってしまっているのなら理屈が通るのだ。

     すると会長は茶々を入れるように口を挟んだ。

    「小さいのはネルちゃんだって同じだろう? 僕もこれから成長するんだって」
    「残念ですが会長。ネルがこれ以上大きくなることはありません」
    「マルクトの言う通りよ。ネルの成長期は終わっているわ」
    「二人とも? 本人が居ないとはいえ流石に言い過ぎではありませんか?」

  • 136125/09/26(金) 11:58:14

     珍しくヒマリが抑えるように言ったが、ともかくネルのことは残念だとしても会長には繋げられる動線がある。

     それに、EXPOのときにマルクトが感知していたのだ。
     何故かエンジニア部のブースをうろつく会長の存在を。あの時はどうしてわざわざあのタイミングで展示物を見ているのかとも思うだけで特に気にも留めなかったが、違う。

     今にして思えばあそこに居たのはオデュッセイアからEXPOを見に来た『会長の同一存在』だったのだろう。だからマルクトは誤認した。異なる存在を同じ存在であると。

    「あなたは当時、オデュッセイアに進学するかミレニアムに進学するかの岐路に立っていたのでしょう? そして本来ならミレニアムに進学することになっていた。けれども改変の結果オデュッセイアに進学するもうひとりの自分が生まれてしまって、あなたの方が否定された。どうかしら?」

     そう言うと会長はしばし思案するように目を閉じて、まるで他人事のように言葉を返す。

    「中学一年生でそんな岐路に立たされるのも相当に早いと思うんだけどなぁ。しかもそれだと僕は本来高校三年生じゃなくって中学三年生ってことになるよね? 年齢詐称をする理由は何かな?」
    「同じ存在は同時に存在できない。それはあなたが書いたレポートの内容よ。重複すると片方が眠りに就いて強制的にひとつにされる。この点はあなたの実体験なのでしょう?」

     そもそも世界に同じ存在が同時に発生しなければ考察すら無理なのだ。
     ならば逆説的にその事例を知っているからあの内容が書けた。もっと言えば実際に体験したから書けたと考える方が合理的である。

    「それに、前者についても繋げられる動線はあるわ」
    「ふぅん? 何かな?」
    「あなたがミレニアムへの進学を決意したのがマルクトの存在を知ったことだったら、それで筋が通るのよ」

     そしてリオは自分の推察を語り始めた。

  • 137125/09/26(金) 12:39:50

     当時中学一年生だった『会長』は本来オデュッセイアに進学するはずだったのだ。
     そんな中で、何かのタイミングでミレニアムに来たのが全ての始まりである。

     恐らくそこでマルクトと当時の『預言者』と出会い、『会長』はミレニアムの進学を決意したのだ。
     しかしマルクトの存在が過去に遡及して消された場合、このイベントそのものが否定されてしまう。つまり元々進学するはずだったオデュッセイアにそのまま進学する世界が生まれてしまった。

     にも関わらず『会長』は消えなかった。
     自分という存在が既にこの世界から切り離されていることに気付いていたのかそうでないのかはともかく、少なくとも『会長』は古代史研究会から泣きながら飛び出す姿をフジノ部長に目撃されている。

     つまり二年前の千年紀行における『はじまりの預言者』は古代史研究会の部員だったのだろう。
     いつものように古代史研究会へ遊びに来た『会長』はそこでマルクトも『預言者』だった生徒も消えていることに気が付いた。

     きっとここから始まったのだ。忘れ去られた『会長』が進むことになった、先の見えない旅が。

    「つまり、会長の正体は『預言者の友達』だったということですか?」

     ヒマリの言葉にリオは頷いた。

    「その可能性が極めて高いと思うわ」
    「でしたら、その『預言者』はいったい何処に行ってしまったのですか?」
    「連邦生徒会よ。そしてマルクト殺しの犯人も預言者だったのよ」
    「また唐突ですが……理解は出来ますね」

     それは先日ハイマ書記が言っていた言葉にある。

    『まず会長からの言伝ですが、皆さんが発掘した『セフィラシリーズ』については会長が連邦生徒会長と密約を交わしたそうで、これまでのように隠す必要は無くなったそうです』

     要は連邦生徒会長と密約を交わしたから隠さなくても良くなったと言ったのだ。ならばどうして連邦生徒会長からセフィラを隠していたのか。
     それは二代目が作られたマルクトをもう一度殺されないようにするためだろう。あの『超人』とも呼ばれる連邦生徒会長ならば、会長が警戒するのも無理はない。

  • 138125/09/26(金) 13:16:19

    「あのテロ事件の犯人だったメト会計はあなたの復讐を止めるために会長の座から失脚させようとしていたわ。あなたの復讐はマルクトと預言者を消した人物への報復だった。けれどもその犯人が預言者であったからあなたは復讐を辞めることにした。……だからではないの? あなたを支えてきた復讐心が無くなってしまったから、マルクトと共に旅を続ける私たちが居るから、あなたは自分の旅を終えても良いと思うようになったと」

     自分は間違った存在だと自覚しながらもこの世界にしがみ続けた動機を、会長はもう無くしてしまったのかも知れない。
     復讐心という怒りを無くし、この地に縫い留め続けた錨を揚げようとしている。それが会長の正体。

     そう言うと会長は何処か穏やかな顔をしながらリオへと視線を投げかけた。

    「……これはまた、随分と大きな星図を書いたね」
    「否定はしないのね」
    「しないさ。いやぁ、流石だよリオちゃん」

     会長は湯から上がると、それから小さく笑ってリオたちへと振り返る。

    「コクマーが現れたら全部話すよ。あれだけは出て来ても君たちじゃあ見つけようが無いからね」
    「マルクトでも見つけられないということかしら?」
    「まぁ、無理だろうね。ビナーもビナーで厄介だけどさ。せっかく皆を集めたんだから今のうちに色んなものを作っておきなよ。今はそのために時間を使うんだ。いいね?」

     それだけ言うと、会長はさっさと小屋の中まで戻ってしまった。
     そのまま天文台まで戻るのだろうか。残されたリオたちは顔を見合わせて、マルクトが言った。

    「リオがのぼせる前には上がりましょう。明日もありますので」
    「そうですね。少なくとも『過去に何があったか』についてはようやく解き明かせたでしょうし」

     湯煙と共に一つの謎が解体された。
     残る『未知』は今起きている『二体目のセフィラ』だけ。

     こうして温泉旅行の一日目は過ぎていった。

    -----

  • 139125/09/26(金) 17:37:32

    保守

  • 140二次元好きの匿名さん25/09/27(土) 00:09:27
  • 141二次元好きの匿名さん25/09/27(土) 06:39:32

    一日目終了

  • 142125/09/27(土) 14:05:44

    「今からここを! 実験室とする!!」

     それは翌朝のことであった。

     目を覚まして各々適当にサンドイッチやら何やらと朝食を摂っていた時に新素材開発部のアンリ部長が突然高らかに宣言したのである。

     朝から元気なアンリ部長の言葉に意味も分からず「おー!」と拳を上げるアスナとマルクト。
     チヒロは呆れた様子で溜め息を吐きながらアンリ部長の隣に立った。

    「ええと、説明するね。昨日私とアンリ部長で色々話していたんだけど、せっかく作る側のエキスパートがそれなりにいるんだからそれぞれで何か作ってみようって話になったんだよ。ビナーももうすぐやってくるだろうしさ」
    「そうだ! 今こそこの生意気な後輩たちに先輩の凄さを見せ付けてやろうと思ってな!!」

     前々から事あるごとに妙な張り合いを見せて来た新素材開発部だったが、どうにも最近相手をしてあげられていなかったためにフラストレーションが爆発したらしい。そんなことを説明すると、ハイマ書記が姿勢よく手を挙げた。

    「どうぞ、ハイマ書記」
    「私やメト会計は作る側と言うより使う側に属しますので審査員サイドに立つのがよろしいかと」
    「だったら僕たちセミナー役員で審査員やろうか。先輩組と後輩組に分かれるのかな?」
    「あ、あの……それただの定期考査じゃ……」

     メト会計がおずおずと声を上げるが、確かにそうだとチヒロは思った。
     むしろここでの成果もミレニアムの単位に入れてくれないだろうか、などと考えているとまるで心でも読んでいるかのように会長が立ちあがる。

    「確かに定期考査だねぇ。単位が欲しそうな人もいるし、ちゃんと作ったら正式に単位として認めてあげるよ」
    「あ、それ普通に助かる。最近フィールドワークばかりでレポートにまとめてなかったから」

     古代史研究会のフジノ部長もそれには賛同した。
     しかし、唯一普通科へと転科している元化学調理部のエリ部長はメリットが薄かったためか曖昧に笑う。それを見逃さなかった会長は懐から一枚のチケットを取り出した。

  • 143125/09/27(土) 14:32:01

    「じゃあ先輩組が勝ったらエリちゃんにはこれをあげるよ」
    「そっ……それぇ~! 『村正宗』の見学ツアーチケット!?」
    「な、なに……? それ……?」
    「知らないのメトぉ~!? 百鬼夜行の老舗刀剣専門店『村正宗』の見学ツアーだよぉ!? 製法をずっと秘密にし続けていた『村正宗』が何年かに一度だけスポンサーを集めるためにプレミアムチケットを発行するんだぁ~!」
    「ま、学生じゃまず手に入らない代物だね。僕はほら、企業に人材送り込んで新規事業の立ち上げ支援とかやってるからさ、一応貰ったんだけど持て余してたんだよねぇ」

     あっさりと何てことの無いように言う会長だが、そんな声すらもはやエリ部長には届いていないようで、ふんすふんすと鼻息荒くやる気に満ちた様子だった。

     その辺りでチヒロはマルクトへと向き直る。
     実験や開発をしようと言っても当然ながら器具も設備も何も無い。こればかりはセフィラたちの協力が必要だからだ。

     そう言うとマルクトは特に悩む素振りも見せずに「分かりました」と即答して見せた。

    「ビナー確保に繋がることですので私の方から各セフィラに頼んでみま――」
    「駄目だよマルクト。君はセフィラなんだから、そう易々と人間に与えるような真似はしちゃいけない」

     口を挟んだのは会長だった。

    「セフィラは人間の上位に立つ概念だよ? 畏敬を完全に忘れたら彼らの神秘も霞むじゃないか」
    「で、ですが……その、以前セフィラたちから聞いた供物リストは全て埋めてしまったのです」

     マルクトの言葉に秒で視線を逸らすウタハとヒマリ。リオに至ってはきゅっと身体を縮こまらせていた。ケセド戦直前の浪費によってセフィラにお願いできるチケットは全て使い果たしてしまっていたのである。

  • 144125/09/27(土) 15:38:29

    「いやさ、君たちヒマリちゃんがリオちゃんを連れ帰ったときのこと覚えていないの?」
    「……それは、マルクトにも供物の概念があるということかしら?」

     部屋の隅で小さくなっていたリオがそう言うと、会長はこくりと頷いた。

    「マルクトに渡す供物は僕の方でちゃんと持って来ているから、セフィラたちを集めて正式に儀式として成立させれば問題ないよ。簡単に祭壇でも作ろうか。……フジノちゃん」

     突然呼ばれて驚く『古代史研究会』のフジノ部長。しかしすぐに「分かったわ」と返して自分のタブレット端末を取り出して何かを調べ始めながら口を開いた。

    「儀式なら何でも良いの?」
    「なるべく古い方がいいね。ひとりの女王と六人の配下って構図だともっと良い。マルクトは元の姿に戻って人と神の境みたいな服に着替えるんだ」
    「それはどういう服装なのですか?」
    「君が思いついたもので良い。君が使える機能の範囲で作り出したものならそれが正解だからさ」

     てきぱきと指示を飛ばす会長を見て、チヒロは何だか『セミナーの会長』らしさを見てしまった気がして少しむず痒くなった。
     例えるなら、場末の酒場に居る飲んだくれのロクデナシが昼間ちゃんと仕事している姿を目撃してしまったような気分である。もちろん酒場なんて行ったことも無いし何処にあるのかも知らないが。

    「あー、あとリオちゃんは参加しちゃ駄目だからね。アスナちゃん、リオちゃんに目隠しして耳栓して、ついでに猿轡も噛ませておいて」
    「はーい!」
    「どうして私だっ――もがぁっ!?」
    「儀式といっても別に何か特別なことが起きるわけじゃ無いからね。それに君は何でもかんでも科学に堕とし過ぎるから駄目。終わるまで休憩室にでも放り込んでおいて」
    「それじゃあ行こっかリオ!」
    「もががぁ!!」

     ジタバタと暴れるリオがアスナに連行されていくのを見守ると、今度はチヒロたちへと会長が指示を飛ばす。

  • 145125/09/27(土) 15:46:15

    「ヒマリちゃんを先頭にチヒロちゃんとウタハちゃん、それから後ろにコタマちゃんでひし形を作る形にしようか。ヒマリちゃんがマルクトに供物を渡してお願い事をする。マルクトはそれを叶える。それでいいからさ」
    「踊ったり何か唱えたりしなくても良いのですか?」
    「近付け過ぎてもしょうがないからねぇ……。フジノちゃん、なんか良いの見つけた?」
    「意味も何も関係なく儀式、ってのでいいなら『塗油』の儀式ならすぐに出来そうだけど……本当にこれでいいの?」
    「別にいいよ。いま大事なのは場であり空間だから『特別なことをしたら特別なことが起きる』程度で抑えておきたいし。サラダ油あるよね?」
    「まったく冒涜にも程があるわ……」

     ぶつくさと文句を言いながらフジノ部長が準備を始め、ついでにそのままマルクトへと儀式の説明を行う。それから会長は他にも書記や会計、各部長へと指示を飛ばして舞台を作り始めていた。


     その間取り残されたチヒロたち四名は思わず顔を見合わせて、チヒロは言った。

    「会長ってさ、本当に何者なの?」
    「確かに何なんでしょうか……。訳の分からない情報網も持ってますし……」
    「そういえばヒマリ。昨日リオと温泉に行っていたけど、会長から何か聞き出せたのかい?」

     三人がヒマリに視線を向けると、ヒマリは「そうですね……」と一瞬迷ってから、昨夜の出来事を参院に共有した。会長の正体。分かたれた世界と可能性。その残滓について。

     それを聞いて、チヒロは少しだけ悔しく思ってしまった。

    「結局、何処の誰だったか分かっても私たちにはどうしようも出来ないってことか……」

     会長の消滅が自動的なものでなく会長自身の意志で進退を決められるようなものであれば「散々好き勝手しておいて勝手に消えるな」と叱咤してやりたいのだが、会長自身ですら本当にどうしようもないことのように思える。

     するとウタハがぽつりと呟いた。

    「ねぇチーちゃん。会長の問題って要は『正体が重複している』ということじゃないかな? 限られた材料で作ったのに出来上がった物が材料以上になっている、みたいな」
    「もしくは重複した名前による参照エラーか。ヒマリ、会長の名前ってそのオデュッセイアの生徒とは違う名前なんだよね?」
    「ええ、全く違う名前ですので明らかに偽名を名乗っているかと」
    「じゃあ出自が問題か……。うーん……」

  • 146125/09/27(土) 15:48:02

     世界から消える理由。世界に消される判定について考えていると、横からコタマが口を出した。

    「あの、そもそも会長って『ミレニアムのドッペルゲンガー』なんて『テクスチャ』も被っているんですよね? だったら誰かに成りすませるのでは? それこそ誰かを消して成り代われば安定すると思うんですけど……」
    「いやそれは二年前に存在があやふやになって……って、EXPOの時はドッペルゲンガーの噂が流れてたんだっけ?」
    「はい。だから多分見た人がいるんじゃないですかね? 自分と同じ姿をした会長の姿を」
    「ちょっといいかな、皆」

     ウタハが何かを思い出すようにこめかみを叩く。
     それから話したのはケセド戦直後、リオ奪還作戦の前の話である。

    「あの時リオは確かに消えていた。でも会長は言っていたね? 『誰の死も赦さない』って。これ、自分が成り代われるから表向き誰も死んでない状態に出来るって意味だったんじゃないかな?」
    「え、じゃあ会長はリオさんに成り代わろうとしたってことですか?」
    「果たしてそうでしょうか? それにしては会長も特に悔しそうでも何でも無いですし、むしろ安心した様子に見えますよ? むしろ、リオに成り代わったとしてもリオと会長の二重生活は流石に無理がありますし」
    「いや、ヒマリ。私が会長から会長業の引継ぎを受けたのは晄輪大祭だったじゃないか。突然失踪してもセミナーの業務には支障が出ないんだ」

     つまり、あの時点でヒマリが何の手段を思いつかなくてもミレニアムの運営にはそこまで影響が出ないということである。

     元々セミナーが会長が居なくても回るよう根幹の業務の属人化は完全に配されている。
     それは会計も書記も同じで、役員三人のうちひとりぐらい欠けても一応は回るのだ。

     しかしチヒロはそれだけでは納得がいかなった。

     幾らケセドで誰かが死ぬと予期していたとしても、ゲブラーもティファレトもネツァクも下手すれば取り返しの付かない事態に陥っていた。それに二人死んだら一人は補えても一人は死んだまま。会長が誰かに成り代われたとしても埋め合わせが利かない。その時はいったいどうするつもりだったのか。

     ――そう考えて、チヒロはひとつ気付いてしまった。事故を防ぐ安全保安の観点から、あの時必要だったものの存在を。

  • 147125/09/27(土) 20:02:34

    「……会長は、セフィラにも成り代われるんじゃないの?」
    「『二体目』――」

     ウタハが目を見開いて呟いた。

     ネツァクによる浸食を相殺した『二体目』のネツァク。
     ティファレトによる落下死を防いだ『二体目』のティファレト。
     晄輪大祭でゲブラーが遭遇した『二体目』のホド。

     これら全てがもしも会長が『セフィラのドッペルゲンガー』として活動していた姿であるのなら、『誰も死なせない』という会長の意志と自分たちを助けようとしていた未接続のセフィラたちの行動が一致する。

     従来の知識とセフィラに関する理解、そして不確かな存在であるが故の『成り代わり』。
     それら全てを活用している時点で、もはや会長のその精神性は人間のものから逸脱してしまっている。

    『大いなる力には大いなる責任が伴うものだよ』

     ミレニアムに入学してから耳にタコが出来るぐらい言われ続けて来た言葉が今に至って重みを増したように感じた。

     会長はきっと、その力を旅の成就と自らの復讐のためだけに使い続けたのだ。
     そのためだけに全てを捧げた。間違っていると分かりながらも使い続け、そして自分の正体すらも覚束なってしまったのかも知れない。

    「……会長の退学。せめてケテルの確保まで先延ばしに出来ないかな」
    「チーちゃん……?」
    「だってさ、ちゃんと終わったって見せたいでしょ。例え今にも消えそうなぐらいだとしても、それをどうにか出来る手段が見つからなかったとしてもさ。それでも、それぐらいは見届けて欲しいかな……」

     チヒロにとって会長とは不倶戴天の敵であった。
     何かとウマもソリも合わない相手。何度消えてしまえばいいと思ったことか。それでも本当に消えてしまうとなれば話は別だ。せめて報われて欲しい。そう思わざるを得なかった。

     そう言うとヒマリは「分かりました」と答えて、冗談っぽく微笑みながらこう続けた。

  • 148125/09/27(土) 20:04:04

    「ちゃんとケテルまで確保して旅を終わらせますので半月ほど追加で苦しみ続けてくださいと頼んでみましょう。みんなで」
    「ほんと、それぐらいは許されるでしょ。私リオの研究奪っていったの未だに許せてないからね?」
    「ははっ、そうだね。恨み言と感謝を言うぐらいの時間は貰おうじゃないか。もちろん一番良いのは今のまま会長が消えずに済む方法を探すことだけれど」
    「このあとビナーとかコクマーとかもいますからね……。ケテルまで捕まえれば案外方法も見つかるんじゃないですか? 一体捕まえるだけでパラダイムシフト的なこと起こってますし」

     コタマの言う通り、セフィラとは集める度に常識を根底から覆すほどの技術概念を蓄えた存在で在り続けた。まさしく神の如き力であり決してただの機械では無いのだ。

     その辺りで特異現象捜査部の四人の元に会長がやってきて大きな欠伸をひとつ。

    「ふあぁ……。とりあえず準備が出来たからやろうか。流れはフジノちゃんに聞いて。僕はリオちゃんと一緒にいるからさ」

     会長はそれだけ言って天文台の休憩室へと足を運ぶ。
     チヒロたちもまた頷いて外へ。形式ばったセフィラの儀式。それらを敢行するために。

    -----

  • 149二次元好きの匿名さん25/09/28(日) 04:05:12

    どうなるのか…

  • 150二次元好きの匿名さん25/09/28(日) 11:53:38

    保守

  • 151二次元好きの匿名さん25/09/28(日) 17:55:39

    ふむ…

  • 152125/09/28(日) 18:11:17

    「皆、準備が出来たわ」

     天文台で舞台が整うのを待っていたウタハたちの元にやってきたフジノ部長は、少しばかりげんなりとした様子であった。どうやら自分の古代史と祭祀に関する知識が今から執り行おうとしているものの意味と乖離しているせいで微妙に居心地が悪いらしい。

     ウタハは「ああ、分かった」と返しながらも、一応フジノ部長に尋ねてみた。

    「そう言えば『塗油』の儀式って元々はどういうものなんだい?」
    「知らない方がいいと思うわ。『美味しい料理を作るためにまずどうすればいいですか?』に対して『まず服を脱ぎます』ぐらいには的外れなことしているのだもの。だから雰囲気だけ楽しんでくれたらいいわ」
    「楽しむ、か……。まぁ、味わい深いものだと思って懸命に務めさせてもらうよ。ところでアスナは?」
    「会長と一緒にいるみたいよ。四人で陣を組んで歩けばいいわ。それと供物はこれよ」

     フジノ部長がヒマリに両手に乗るサイズを箱を渡した。
     それは一時期よく見かけたフラクタルボックス。ヒマリが受け取って中を見ると、そこにはハイヒールの模型のようなものが一対入っている。

     正確には足首からハイヒールまでの模型か。横から覗き込むウタハがそう思っていると、ヒマリは「ふむ」と声を上げた。

    「これは……『マルクト』の両足ですね」
    「まま、まさかもいできたんですか!? マルクトから!?」
    「違いますよコタマ。可動部がありませんし、それに恐らく最近作られたものでしょう」

     しげしげと眺めながらヒマリが答えると、コタマは「そ、そうですか……」と気味悪そうに箱に納められた足を見ていた。

  • 153125/09/28(日) 18:44:50

     足下、つま先は大地を踏みしめ世界に降り立つ象徴。
     きっとそう言った連想を続けて行けば果ては無いのかも知れないが、少なくとも自身にその手の知識はさほどあるわけでもない。ウタハはそうそうに思考を切り替えて皆に合図した。

    「それじゃあ行こうか。ヒマリがそれを渡してマルクトが受け取る。それでマルクトが建物を作って完了なんだろう?」
    「そ、ちなみに供物を受け取ったマルクトはヒマリさんの額に油を塗るからあまり驚かないように」
    「サラダ油塗られるのですよね……。まぁそれは別に良いのですが……うろ覚えですけどもそんな儀式では無かったような……」
    「それは私が一番思っているって……。でも一応儀式といえば儀式だからね。意味は違ってもその枠組みだけは使うってことなんじゃない? あの会長が何考えてんのか知らないけどさ」

     ともかくやるべきことはやる。
     そんなわけでウタハは皆を連れて天文台から外へ出ると、視界の向こうにセフィラたちの姿が見えた。

     広々とした丘陵に白き影。向かって右側にはネツァクとケセド。左側にはホドとゲブラー。
     そしてその間には三メートルほどの鳥居じみた『アーチ』が二つ作られており、最初のアーチの上にはイェソド。次のアーチの上にはティファレトが鎮座している。

     ただそれだけのはずなのに、ウタハは何処か『空気が変わった』風に感じた。
     人間が作った物が何一つない景色。自然の中に佇むセフィラと、そのセフィラから作られた『門』。見える視界には人間も、人間の作った物も一つとして存在しない。ウタハは『人工的』の意味を改め直さざるを得なかった。

     即ち、人ではなく神の作りし全てこそが対比としての『自然』に区分されるべきということ。
     あくまで『人工的』とは人の手で作るからであり、『自然』の中には人の手で作られなかった建造物も含めるべきだというひとつの考えであった。

  • 154125/09/28(日) 18:48:12

     そして、その二つの『門』の向こう。白い石畳が敷かれた中心に白亜の玉座があつらわれていた。

     玉座に座るのは本来取るべき機械の身体を持った女王。ヴェールを被り、マントともローブとも言えないような布だけを羽織っているその姿は、ほぼ裸体を晒しているようなものだった。

     しかしそこから見える身体の曲線もただ『人間に分かりやすいように人間のような形を取った』と言わんばかりに『人形的』で、纏う衣装も『人間とは服を着ているもの』なんて浅い理解だけを持って真似たようにちぐはぐである。

     しん、と静まり返った祭祀場。厳かな雰囲気は、例えるなら神事を取り計らう神社を見るようなものだろうか。

     こちらへ顔を向け続けるセフィラたちにも、普段ラボで見るような愛着も何も存在しない。

     静かに『人間』を見定めるような厳しさを感じて、思わず背筋が伸びた。彼らはただの機械ではない。古代より存在し、それより遥か過去から世界を眺め続けた『聖なる者』の一柱であることを今更ながらに思い出した。

     そんな厳かな雰囲気の中、ヒマリは供物の箱を抱えたままゆっくりと歩き出す。
     それに従って歩くウタハとチヒロ。その後ろに続くコタマ。一歩進むごとにセフィラの視線が自分たちに集まるのが分かる。

    《…………》

     イェソドの眼下を通り抜け、ホド、ネツァクの間をゆっくりと歩いて行く。
     『生命の樹』の下層。物質から象徴へと歩みを続ける。

     その最中にウタハの脳裏を過ぎったのは、「技術と合理を標榜するこのミレニアムで儀式なんて」という若干の違和感であった。

     だが、その認識もすぐに改めることとなる。
     そもそも科学とはいつだってそういった神秘的なものと共に在り続けたのだ、と。

    (インスピレーションだって『啓示』のようなものじゃないか。突然ピースがハマったように思いつく。あの感覚は絶対に合理だけじゃ片付けられないと私は知っている――)

     99%の努力を積み重ねても、最高傑作を生み出すのはいつだって一体どこから来たのかすら分からない『ひらめき』の1%からなのだ。

     エウレカと叫ぶような『ひらめき』から世界が変わる。それは場所と文化によっては『天啓』と呼ばれ大きな革命を生み出すもので、ミレニアムはそのうちの『技術革新』がそれに相当するのだと気が付いた。

  • 155125/09/28(日) 19:37:07

     まさに、科学とは神秘である。神から与えられる新たな叡智が人の理を更新していく。
     畏敬を忘れてはならないと言った会長の言葉はそう言った側面を表していたのだろうか。

     そんなことを考えながらも第二の門、ティファレトの下を潜っていく。『生命の樹』の中層、象徴から根源へと至る道。ゲブラーとケセドはそれぞれが生と死の両側面を同時に持つセフィラ。命の先にあるのは石畳と玉座、セフィラの女王――『王国』の座す地であった。

     ヒマリが地に片膝を突き、綺麗な所作で供物をマルクトへと掲げた。
     マルクトはそれを見て、無言で静かに立ち上がる。それを見たウタハは視線を地に伏せながらも違和感を感じた。

    (足りない――のは、傍に仕える側近のようだ)

     女王たるマルクトが直接立ち上がって供物を受け取らなければならないという状況。本来ならばここに『供物を受け取り女王へ渡す側近』がいるはずだと何故だか理解できた。足りないのだ、マルクトの『王国』にはあるべきはずのものが。

     幻視するは父たる『ケテル』、娘たる『マルクト』。
     『理解』と『叡智』を携えて成立する『王国』の中核。これを『ミレニアム』と並べるには確かに『生命の樹』という世界は機能不全に陥っているのだろう。

     全権を担う『王冠』が不在の中で全てが止まってしまったひとつの世界。
     あいにく『セミナー』は上位の役員三名のうちひとりが抜けても回りはするが、きっと『生命の樹』はそうでは無かったのだ。だから何も始まらない。誰も卒業できずに閉じ込められ続けている。

    「『マルクト』、これをあなたに返します」

     ヒマリが恭しく捧げた供物を、マルクトは無言で頷いて受け取った。
     マルクトの手の中で置換し、解体される箱。白い薔薇の花びらとなって、そよぐ風へと流れていった。

    「何を願いますか?」
    「新たなる『知恵』の発展と集積を」
    「分かりました」

     即興にしてはあまりに自然な振る舞いを見せるヒマリとマルクトの応答。
     マルクトがセフィラたちへと視線を向けたのを感じた。そして、マルクトは胸の前で手を重ねて願うように呟いた。

  • 156125/09/28(日) 19:56:32

    《神へと至りし学び舎を。無辜なる民に階を。願いは此処に顕現せり……》

     その聖句と思しき『言葉』と共に周辺の景色が変わっていった。

     丘陵の大地に『人の手で作れる』床が生み出され、壁が作られていく。
     中にはおよそ考えうる最高の設備。旋盤を始めとした加工機や最先端のコンピューター。いずれも今この世界に存在する最高峰の実験設備。神話が支配していた古代とは違う現在だからこそ若干の違和感はあれども、それはやはり『神の御業』であった。

     それでもウタハは知っている。これらはあくまでゲブラーの機能を使っただけ。
     なのにも関わらず、そこに『神秘』を見出してしまうのは儀式という『場』があるためか。この『場』にリオが居ないのは何だか妙に納得できてしまった。

    (リオはきっと、こういったものに相性が悪いんだろうね……)

     付き合いはまだ一年と無いものの、リオは恐らくそう言った『厳かな雰囲気』というものを感じ取れないのだろうということは何となくだが分かっていた。

     調月リオは『自分と同じく』天才だ。だが、その方向性はまるで違う。
     インスピレーションや一時の閃き、その全てを完全に否定しきる合理の化身。積み木を重ねるよう確実に、着実に進める一歩。そこに突飛な閃きは何一つ存在しない。だからこそ――誰にもその歩みを止めることは出来ない。

    (だったらヒマリは……多分逆だね)

     アスナもそうだが、傍目から見れば思い付きで行動して上手く行くタイプの異才。
     しかしてアスナと違いヒマリはもっと遠い根源の何かから成功しているようにも思える。

     それはきっと天性の『ひらめき』、神秘に最も近しき者。
     いつの日か、マルクトはヒマリに対してこう言っていた。『ミレニアム最高の神秘』であると。

  • 157二次元好きの匿名さん25/09/28(日) 20:06:44

    このレスは削除されています

  • 158125/09/28(日) 20:08:03

     『神秘』――それは世界に対して流出させられる可能性の高さ。
     ならばヒマリは、いったい何処まで出来るのか。そしてリオは――真逆たる『固定』原理のリオは何処まで神秘を地に広めるのか。

     マルクトがヒマリの額に油を塗って、儀式は完了する。
     その姿を見てウタハは思わず唾を呑み込んだ。

    (会長の正体もそうだけど、ヒマリもリオも何かおかしいんじゃないかな……)

     畏敬は気付けばセフィラのみならず『あの二人』へと。
     明星ヒマリと調月リオ。かつてエンジニア部に誘った身でありながらつい思ってしまったのだ。『私たちはいったい何を誘ってしまったのか』と。

    (チーちゃん。きっと私たちは、逢わせるべき二人を逢わせるために居たんじゃないのかなぁ……)

     星と月が巡り合う。あの日飛ばした人工衛星はセミナーの本部に突き刺さったわけだけれども。

    (私たちは夢に届くんだ。解けない謎にも手が届く。そうだろう? チーちゃん)

     生み出された実験場の中でウタハはひとり嘆息した。
     きっとこの先に、届かぬ夢に手が届く未来があるのだと、ウタハはひとり笑みを浮かべたのであった。

    -----

  • 159125/09/28(日) 22:58:29

    念のため保守

  • 160二次元好きの匿名さん25/09/29(月) 00:05:13

    このレスは削除されています

  • 161二次元好きの匿名さん25/09/29(月) 08:12:19

    ほむ…

  • 162125/09/29(月) 09:58:37

    「終わったみたいだよ、リオちゃん」

     耳栓代わりのヘッドフォンが外されて、リオは見せかけの儀式が終わったことを知る。
     続けて目隠しと猿轡、それから何故か縛られた手足の拘束も外されて周囲を見ると、そこは天文台の休憩室で会長と外されたばかりの拘束具を手にしたアスナが自分を覗き込んでいることに気が付いた。

    「やっほ! もう自由にしていいって!」
    「まったくもう……何なの……?」

     リオは無意識に縛られていた手首を擦りながら立ち上がると、恨みがましく会長に視線を送る。
     会長はそれをさらりと受け流しながら何処か愉快そうにリオを眺めていた。

    「わざわざ『儀式』なんて場から君を離した理由、もう分かっているんじゃないかな?」
    「……そうね。だって『合理的』ではないもの」
    「ニヒヒッ、分かっているなら睨むのは辞めてくれないかなぁ? まぁ別に辞めなくても良いけれどさ」
    「はぁ……」

     思わず溜め息を吐くものの、確かにここまでヒントを与えられれば理解も出来るというもの。
     恐らく自分は『儀式』が生み出す畏敬や神秘性を剥ぎ取ってしまうのだろう。そもそも何でそんな無駄な手間を割くのか全くもって理解できない。だからあの場から排除されたということぐらいは『分かる』のだ。

    「出来ればもう少し穏便な手を使って欲しかったのだけれども……」
    「君が知覚するのが問題なんだよ。だって君、セフィラをただの凄い機械だとしか思っていないだろう?」
    「語弊があるわね。私は私の分からないものに対する敬意はこれでも一応払っているつもりなのだけれど」
    「でも今の君は違う。……そうだろう? 『番外』を宿したイレギュラーの君は」
    「…………」

     会長の鋭い瞳がリオを射抜いて、リオは思わず押し黙ってしまった。

     ――言っていない。会長には。自分が『知恵』を冠する『ダアト』を宿したことなんて。一言も。

     基本的に情報共有をすぐに行う性質上、それを知っているのはマルクトとヒマリ。それから二人越しに伝えられているであろう『アスナを除いた』特異現象捜査部の面々ぐらいなはずである。仮に他の面々が知ったとしてもわざわざ会長に伝えるとは思えない。そして会長はずっと温泉を囲う小屋に閉じこもっていた。ならば何故知っている? 『番外』、というワードも含めて。

  • 163二次元好きの匿名さん25/09/29(月) 10:00:29

    このレスは削除されています

  • 164二次元好きの匿名さん25/09/29(月) 10:04:03

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  • 165二次元好きの匿名さん25/09/29(月) 10:06:18

    このレスは削除されています

  • 166125/09/29(月) 13:16:41

    ※丸っと間を飛ばしてしまったので投稿し直します……

  • 167125/09/29(月) 13:18:37

     そして会長の言う通り、もはやケセドまでのセフィラは決して『未知』でも何でも無いのも確かであった。
     これまでのセフィラがいったいどういう原理で動いてどういう機能を有しているのか、その仕組みの全てを『知恵』たるリオは『理解』してしまっている。例えこの『世界』に無い技術であろうとも、自分という『世界』には存在する既存の技術でしかないのだ。そこに『神秘性』を感じることなんて逆立ちしたって無理がある。

    「会長……あなた、私の記憶を覗き込んだのね。私を『真似る』ことで」
    「正解。それが過去を知る僕のトリックだ」

     それを聞いてもリオは特に驚くことも無かった。

     『ミレニアムのドッペルゲンガー』たる会長は自己の存在を不確かにすることで人を模倣できる。恐らくそれは記憶を写し取ることも含められるのだろう。詳しい原理は未だ分からないが、少なくとも会長には二つの能力が存在することだけは確かであった。

     ひとつはリアルタイムで目の前の相手の心情を暴く『極めて高度な心理術』ないし読心術。もしも会長がギャンブラーであるのなら相当な位にまでは上り詰められるであろうひとつの才能だろう。

     そしてもうひとつは『観察』した存在に対する『模倣能力』、あるいは思考のトレース。

     リアルタイムで無いのはマルクトがいるためか。恐らく『模倣』するとき――即ち『ドッペルゲンガー』と成る時にマルクトの知覚にも異常が出るのだろう。だからマルクトの知覚外であるミレニアムの外に出ないと使わない。もしくは知覚機能が働いていない『マルクトの睡眠時』にのみ使用しているのかも知れない。何故ならマルクトは人間体で眠るということを覚えたからだ。その瞬間だけは無防備となる。会長からマークが外れるのだ。

    「警戒しているね、僕のことを。まぁ、おおよそ何を考えているかぐらいは分かるさ」
    「あなたは何を願っているの?」
    「怖い顔なんてしないでくれよ。僕はただ、旅の成就を願うだけだからさ」
    「だからこそよ。『私だったら』手段を選ばないもの。……ねぇ、あなたはいったい『何を』切り捨てて果たそうとしているの?」
    「――そっか」

     会長は何処か得心の言ったような表情でリオを『視た』。
     視線、喉元から頬に至るまでの筋肉の動き、息遣い――その全てを視られているようで怖気が走る。

  • 168125/09/29(月) 13:20:26

     思わず全身に力が入って硬直させると、会長は『嗤って』言った。

    「それをこの場で答えるのはアンフェアかな。言えるとしたらこうだ。『回答の数を探せ』――」

     会長は物事も道理も知らぬ子供を見るような瞳を向けた。

    「道理が通るならその解はひとつじゃない。全ての可能性を考えた上で『君が信じる解』へと進むんだ。だってまだ『ひとつ』だけだろう? 知らなかった、分からなかったなんて――それは君たちの在り方として正しいのかい?」
    「……あくまで、数えきれる全ての可能性を考慮しろというのね」
    「偶然正解だなんて鉛筆転がして出た目に従うみたいなものじゃないか。ちゃんと詰め切った上で聞きたいね。『僕は誰だ?』ってさ」
    「分かったわ」

     会長の正体。それを導出するにあたりこれまでの情報に矛盾しない別解があるとの告白。その全てを把握した上でもう一度答えろというのだ。会長とは何者かを。

     それは「やっぱり」で終わるのかも知れないし「間違っていた」で締めるのかも知れない。ただ、少なくともまだ何も『終わってはいない』――

    「まぁ、僕のことよりも今は競争だろう? 実物は要らないからセフィラを使ってなら作れる設計図ぐらいは作って来なよ。20時に審査をするから、もう12時間も無いしさ」
    「そうね。……アスナはどうするの?」
    「私ー? よく分かんないから見て回ろっかなって思ってるよー?」
    「そう。じゃあ好きにしてちょうだい。私はヒマリたちに合流するわ」
    「熊とか出ないかなー。ちょっと戦ってみたいし!」
    「あの……くれぐれも私たちのところまで熊を連れて来ないでちょうだいね? 対抗できるのあなたとマルクトぐらいなのだし……」
    「まっかせて! 素手でやるから!」
    「結構化け物だよねアスナちゃんも……」

     会長が若干引き気味に笑うがそれにはリオも同感だった。熊殺しの称号でも得ようとしているのか、そればかりは『知恵』たるリオも分からない。というか分かるはずも無い。

    「じゃ! 行ってくるね!」

     そう言って休憩室を飛び出したアスナの後ろ姿を見送りながらリオは息を吐いた。もはや遭遇した熊と殴り合いの末に友情でも深めそうな勢いだったが、それについてどうにか出来るわけもない。

  • 169125/09/29(月) 13:21:27

    「ところでリオちゃん。先輩組に勝てそうな設計は思いついているの?」
    「ええ、きっとチヒロが思いついていることと同じでしょうけど」
    「だったら忠告かな。君たちにとっては君たちこそが人生の主人公かも知れないけれど、君たちが八月からのたった三か月で様変わりしたように時間っていうのは本当に大きいんだ」
    「……何が言いたいのかしら?」

     そう尋ねると会長は何処か意味深に頬を歪めた。

    「あまり『三年生』を舐めない方が良いってことさ。君たちが二年間、『このミレニアム』で研鑽を積み重ねたらの答えを持っているのが先輩チームだ。実力を持っていなかったら僕だって『指名』していないんだ。部活としての力量と個人としての力量は全くもって違うってのを『会長として』学んでほしいと思うのさ」
    「…………分かったわ」

     会長の言葉は託宣でも受けたように告げられた。
     それだけで分かる。この場の『本質』は自分たちがいわゆる『かませ』にされるだろうということが。

     そうだとしても手を抜く理由にはならない。きっと『先輩』たちは自分たちよりも優れた設計図を作るだろう。
     だが、その『優れた』という点においてはハードルを下げる理由だって何ひとつない。自分たちの作れる最高たる設計を作って「先輩だってそうでもない」という評価を下させるのがこの場の戦いなのかも知れない。

    「私は特異現象捜査部の前にエンジニア部でもあるもの。だから――せいぜい抗うこととするわ」
    「頑張りなよ。だって相手は僕が見初めた『天才』たちだ。まぁ、ミレニアムじゃあ『天才』なんて形容は使い古されたものだろうけど」

     その上で、と会長は言った。

    「『天から与えられた才能を持つ者同士』……たまには同じ条件で競うのも良いと思うんだよね僕はさ。頑張りなよ『一年生』――きっと彼女たちは君たちにとって良いカンフル剤になってくれるとも」
    「だったら期待を外して見せるわ。『比べればそうでもなかった』と、あなたに言わせて見せるもの」
    「『期待』してるよエンジニア部。半分ぐらいにはさ」

  • 170125/09/29(月) 13:22:34

     その言葉を最後にリオは休憩室から出て行った。随伴するはアスナ。完全中立であり、リオの護衛。
     アスナはリオに付き添いながらもリオに言った。ふらふらと一切のしがらみから解き放たれたように。

    「フジノ部長とメト会計のところに行ってくるね!」
    「それはどうして?」
    「だってあの二人なら『解ける』でしょ? 『解こう』って思ってると思うけど見に行こうと思って!」
    「……それは、ケセド領域に貯蔵された本のことかしら?」
    「うん!」

     元気よく頷くアスナにリオは内心驚愕せざるを得なかった。『アスナが言うなら』きっとそうなのだ。自分たちではすぐには解けない『言語学』。その神髄を以て未知の技術を見せて来るのかも知れない。

     古代史研究会のフジノ部長、および単独にして現存する如何なる量子コンピュータよりも高性能な頭脳を持つ『リヴァイアサン』――大海喰らいしメト会計がケセドに潜ったらどんな技術を引き出してくるのかなんて未知数である。

    「だとしても見せつけるわ。技術とは後進の方が有利なのよ。引き分けに近づければ良いのだから」

     それはハイマ書記と温泉旅行一日目に行ったようにチェスの勝負にも似ていた。先手有利。後手不利。しかして後手で引き分ければ事実上後手の勝ち。想像を超えた原理を生み出さなければきっと勝てない『先達者』との戦いにリオは笑った。

    「アスナ。私たちの情報は好きに流して良いから相手の情報も流してくれると助かるわ」
    「いいよ!」

     二の句を告げぬ即答にリオは頷く。これで『フェア』だと。

    (さぁ、始めましょう。実験の時間を)

     温泉旅行二日目。それは『一年生』と『三年生』とのミレニアムらしい技術に対する戦いに始まったのであった。

    -----

  • 171二次元好きの匿名さん25/09/29(月) 22:16:03

    らしくなってきたな

  • 172125/09/29(月) 23:32:02

    「はぁ……大変な目に遭ったわ……」
    「おかえり、リオ」

     遅れてやってきたリオを出迎えてウタハが声をかけると、リオは「全くよ」と言わんばかりにうんざりとした表情を浮かべた。

     ゲブラーによって建てられた二棟の実験室。
     そのうちのひとつにマルクトとアスナを除いた『後輩組』こと特異現象捜査部の面々が集まったところで、チヒロはいつものように皆を見渡した。

    「それじゃあ早速今回の評価基準から話すよ」

     今回の評価基準は大まかに分けて三つ存在する。

     会長が審査するのはケセドまでのセフィラを使えば作れるという『実現性』と面白さ。
     書記が審査するのはセフィラという『未知』に対抗できるものであるかの『実用性』。
     会計が審査するのは今後どのように活用できるかという『拡張性』である。

     ひとり当たり3点まで持っており、最大9点。
     合計点で上回った方が勝利だが、『先輩組』が引き分けた場合は自動的に『後輩組』の勝利となるらしい。

     これについては会長曰く、『三年生なんだから一年生に負けるとか、まさかと思うけどあるわけ無いよねぇ?』とのことらしい。なかなか酷い言い様のうえ先輩たちは三人。こちらは五人。その上で「勝て」と言われているのは実際かなりのハンデだろう。

     ――それが普通の生徒であるのなら。

    「先輩方については私から補足しましょう」

     そう口火を切ったのはヒマリである。どうやら今回集められた面々については既に調査をしていたようで、何処か愉快そうに微笑んでいた。

  • 173125/09/29(月) 23:44:29

    「まず私たちもよく知る新素材開発部の山洞アンリ部長ですが、普段はともかく実はかなりの実績を積んでますね」
    「そう言えば何だかんだ言ってあまり知らなかったけど……例えば?」
    「キヴォトス全土で使われているタブレットPCの液晶画面ですが、防弾機能の向上させたのはアンリ部長です」
    「えっ、これ!?」

     チヒロが驚いて自分のタブレットを凝視する。

     実弾が飛び交うキヴォトスにおいて液晶画面の破損はそれなりに致命的で、学生の資金ではそう易々と買い替えることすら難しい。それを一手に解決したのが防弾ディスプレイである。タブレットに限らずテレビやパソコン、そういったものに用いられる液晶の基準をひとつ先へと進めた偉大な発明であるのだが、それを行った者がこんな身近にいるとは思わず皆が息を呑んだ。

    「個人資産についてはそれこそ二、三億ぐらいは持ってますからねあの人。それでも次の研究に部費を除いても何千万単位で使い続けてますしそもそもの多忙もあって豪遊とまでは行かないようですが」
    「割と『先輩を敬え』とか言ってたけど、本当に敬った方が良い人だったんだ……。というかそんな話初めて知ったんだけど……」
    「自分から言うよりも自分で知って驚いてもらうことに悦を感じる方のようですので、それもあってのことでしょう」
    「それはそれでなんかちょっと悔しいんだけど……」

     顔を顰めるチヒロだが、実際に凄いので何とも言えなかった。
     続いてヒマリが紹介したのは古代史研究会の神手フジノ部長である。

    「EXPOでの疑似キャンプのときもそうでしたが、彼女は古代史分野の博士号を持っている教授ですね。トリニティでの発掘作業や古代文字の解読など言語学にも精通していてワイルドハントへの講演会も行っているだとか」
    「これもまた大物だよね……。確かトリニティにいるらしい『古書館の魔術師』と一緒に聖典の解読と復元作業もやってなかったっけ?」
    「ニュースにもなりましたね。後はクロノスが放映している鑑定企画に度々出演したり……聞いた話によると『贋作破り』の異名も持っているらしいです」
    「こっちもこっちで大物だなぁ……」

     メディアへの露出もそれなりにあるせいか、神手フジノ部長の名は界隈に置いてはかなりの知名度を誇っているらしい。そのレベルが既に二人。会長が「勝てるよねぇ?」と煽るのも当然のことだった。

  • 174125/09/29(月) 23:51:34

    「それで、エリ部長は?」

     元化学調理部、仁近エリ。
     こちらも何かあるのかと思いチヒロが尋ねると、ヒマリは何とも言えない表情で返した。

    「全くの無名ですね。そもそも趣味で料理していただけの方ですし部活だって実績不足で打ち切られるところまで落ちてましたし……」

     これだけなら明らかに他の二名のみならず慰安旅行に集まった先輩たちの中で最も見劣りする『普通の生徒』でしかない。

     だからこそ予測がつかない。なにせ『あの』会長がわざわざ指名して物で釣ってモチベーションを上げていたのだ。『普通の生徒』であるはずがない。

    「ダークホースだね本当にさ……」
    「ともかく、戦闘を交えた部活動対抗戦ならともかく純粋な技術や知識で言えばちゃんと格上の相手です。限られた時間でどのような設計をするかについてはしっかりと考えた方がよろしいですね」
    「だったら私から提案があるわ。というより、もっと前から取り組むべきことだったのだけれど」

     リオはウタハに視線を向ける。
     それだけでウタハは得心が言ったように手を打った。

    「移動手段だね。トレーラーや大型トラックの数を増やし続けて『廃墟』に色々と持ち込んでいたけど、流石にそろそろ見直さないと行けないって思っていたんだ」

     イェソドの時と比べて運ぶ物資もとにかく増え、何よりティファレトやゲブラーに散々破壊されてきたのだ。優先順位の問題で後回しにされつづけていたが、いい加減後回しにすることも出来ない。

    「極地環境に対応できるようにグレードを上げたいのよ。空は飛べなくとも水陸両用で頑丈。通信や電源設備も兼ね備えた移動拠点として運用できるように」
    「あと通信傍受も行えるようにしませんか!?」
    「そうねコタマ。公共伝播のジャックを行えるような改造も良いわね」
    「いや良くないでしょ……」

  • 175二次元好きの匿名さん25/09/30(火) 08:45:28

    実績ヤバい先輩と普通の先輩…

  • 176二次元好きの匿名さん25/09/30(火) 10:13:40

    今更気付いたけどフジノ先輩の名前が胡散臭すぎる……
    多分そんなことはないし、何なら"アレ"を実際やったとして修正力的な何かで問題なくなってしまいそうだけど

  • 177二次元好きの匿名さん25/09/30(火) 18:40:33

    保守

  • 178二次元好きの匿名さん25/09/30(火) 22:24:01

    >>176

    名前の元ネタはそうだけど、実際にやってはいないって前に言われていたはず

  • 179125/09/30(火) 23:29:15

     諫めるようにチヒロは言うが、それでもコタマは「傍受だけでも!」と粘っているのを見てウタハが笑みを浮かべた。

    「ともかく、私たちの発明品を載せるなら最低でも10t車2台分ぐらいは最低でも欲しいね。もしくは4t車3台分」
    「横に広げるか縦に伸ばすかも重要ね。公道を走る前提なら後者だけれど『廃墟』への探索を主とするなら横に広げられるもの」
    「あと『ワープ機能』も付けてみましょうか。イェソドとケセドの機能をリオが理解出来ているならそのぐらい出来ると思いませんか?」
    「出来るわ。問題は動力部の設計だけれど……」
    「それだったら私の方で案があるんだ。大枠書いてみるから相談させて欲しい」

     ワイワイと案を出し合う特異現象捜査部。こうして全員で集まって作るのも随分久しぶりのようにリオは感じた。

     そして同時に思うのは設計図が完成した後の……恐らく数時間後の未来。

    (命名するとき……また揉めそうね)

     ここ最近比較的平穏だった命名も久々に荒れそうなのは確かであった。



     その一方、『先輩組』たる研究室で何をするでもなく背もたれに寄りかかるのは新素材開発部の山洞アンリ。その近くで同じく押収され奪い返した刀剣を抜いて刃に恍惚とした笑みを浮かべる元化学調理部の仁近エリが居た。

    「うーむ……いったい何を作ろうか……」

     エンジニア部とは違ってこちらは随分と静かなもの。というのも、開始早々に古代史研究会のフジノ部長が天文台の中の会計を連れて表の『わくわくセフィラのふれあいコーナー』に向かってしまったのだ。どうやらケセドの『心象領域』とやらに向かったらしく、何か古代の技術が見つかるまでは粘ってみるとのことだった。

     ちなみにこのふざけたネーミングは書記のものだが、そこについて触れるものは誰も居ない。どうせ触れたところでこちらが閉口して終わりである。そういうものとして受け入れるしかない。

  • 180125/09/30(火) 23:51:12

    「なぁ、仁近エリと言ったか。何か案はあるか?」
    「うーん? そうだねぇ……。何でも食べ物に変えてくれる万能鍋とかぁ?」
    「それはネツァクの機能をそのまま再現しただけではないか……。奴ら、そのぐらい作れるんじゃないのか?」
    「だよねぇ……」

     アンリ自身、自分が『天才』だとは自覚している。
     では『天才』とは何か。それは『早さ』であると思っていた。

    (同じ功績を17歳で果たすよりも16歳で、16歳で果たすよりも15歳で果たした方がより『天才』なのだ……)

     その点、これだけは認めざるを得ない。エンジニア部にいる連中は『本物』であると。
     これは決して『理解の出来ない異能』と形容すべき者に対する評価では無い。そういったのはセミナーの書記と会計の二人ぐらいで、あれらはそもそもが『怪物』。比較する方がどうかしている。

     裏を返せばエンジニア部の面々はアンリにとって『理解可能』な存在なのだ。
     自分が走り続けたこの三年間。誰よりも速く走ってきたつもりだった。ミレニアムでも最大級の部活である新素材開発部の部長となり、二年の中頃に誰にも負けないであろう大きな実績を積み上げた。

     この学園は『才能』というものが残酷なまでに試され続ける。

     中学までは自らを『神童』だと信じて来た者であればあるほど、自らを井の中の蛙に過ぎないと知った時に心がへし折れるのだ。特に『才能』をアイデンティティに血反吐を吐くように苦しみ抜いた者ほど立ち直れなくなる。優れた者の多くは自分よりも多く頑張っていただけのことだと知った時、人は膝から崩れ落ちるほかない。

     自分は幸いにもへし折れるような競合とは遭遇していない。
     今もなお自分の分野においては先頭付近を走り続けられている。

  • 181125/09/30(火) 23:55:13

     だが、今年に入って三か月も経たないうちに実績を積み始めたエンジニア部は存在するだけでその手の自信が揺らぎかねない部活だったのだ。

     自分が一年生の頃を思い出して、そんな自分よりも遥かに優れた後輩たち。
     新素材開発部だって人数こそいれど自分に並び立つ者はいないというのに、エンジニア部は四人が四人、分野の異なる天才集団だ。正直なところ、羨ましかった。

     いったい何度思っただろう。自分があと二年遅く生まれていればと。
     いったい何度思っただろう。何故彼女たちは二年早く生まれてこなかったのかと。

     自分よりも優れた才能に対する嫉妬と憧憬。
     同じ時間を歩めなかったことへの悲壮と羨望。

     半年が経って自分がこの学校に居られるのも残り半年だということに気が付いた時にはもう、そんな形容したくない感情が酷く疼くばかりだった。

     もう11月。これが最後の青春なのだ。

     だからせめて彼女たちの目に自分の姿を焼きつけたかった。奴らに驚愕と尊敬の目を向けられて学園を去る、それだけが残りの学園生活で望むこと。故にこの勝負、絶対負けるわけには行かないのだ。

    「ねぇ~え、アンリちゃんはどう~?」
    「む?」

     煮えたぎる感情に整理を付けていると、気付けば仁近エリに顔を覗き込まれていることに気が付く。
     どうやら相当渋い顔をしてしまっていたのか、眉間を揉みほぐしながらアンリは答えた。

  • 182二次元好きの匿名さん25/10/01(水) 08:28:29

    先輩達からしたら、とんでもない子らが入って来たなあ、とは思うわな
    そしてどうあっても先に自分達が学校から去ってしまう現実

  • 183125/10/01(水) 09:51:38

    「反重力発生装置というのも考えたが……駄目だな。ティファレトの機能の焼き直しに過ぎん。これでは奴らに勝てん。どんな衝撃も跳ね返す防護壁……。いや、これも奴らなら作れるはずだ。小型化するにしても駄目だな。恐らく追い付けん」
    「会長に聞いてみるぅ~? あの人もすっごい『天才』なんだしさぁ~」
    「む? そうか?」

     そう言うと仁近エリはきょとんとした表情を浮かべた。

    「あれ? 違ったぁ~?」
    「うむ、別に会長は天才でも何でもないぞ。セミナーの会長だからといって別にそう言うのでは無いからな」

     『会長は天才だ』という『勘違い』をしている者は少なくない。
     だが、彼女は明確にそう言った人種とは違うのだ。洞察力に優れていて口が上手い『だけ』でしかなく、利害の調整も誘導も神懸かっているほどではない。

    (まぁ確かに、傍から見たり聞いたりすれば異常だと思うのかも知れんがなぁ)

     どちらかと言えば会長は占い師やギャンブラーのような性質を持っている。それはメンタリズムを元にしたようなもので、『0から1』を作ったり『1を100』に変えるという感じでは無いのだ。

    「去年は私も会長と共に新素材開発部で開発を行ってはいたのだがな? 別に頭一つ抜けていることも無かったぞ?」
    「隠してるとかぁ~?」
    「それこそまさか、だな。どちらかと言えば傍観者だ。そもそも会長は土俵に立たん。私たちが走っているのをバイクで並走するようなタイプだ。器用だが、自分で何かを積み上げたような感じがせん」

     そんなことより、とアンリは間延びした喋り方が特徴のエリに目を向けた。

     こいつだ。会長よりもこいつの方が不気味なのだ。『ここに居る』ということも含めて、これだけ自分自身に目を向けていないのに『まともな感性でいる』奴こそ気味が悪い。

     温泉に浸かりに行った際に小屋で休んでいた会長とあって素性を聞いて、自分の感覚が正しかったことをうっすらと知った。それは昨晩のことである。


    『ちょうど良かった。会長、奴はなんだ?』
    『やっぱり気付いた? いやぁ、君の審美眼ってかなりの上澄みだよねぇ』
    『……はぐからすな『シオン』。あいつ、気味が悪いぞ。なんであんなに『何も見ていない』んだ』

  • 184125/10/01(水) 09:58:03

     EXPOで起こったことはうっすらと聞いている。曰く、『あの』美甘ネルに本気で脅されて口を割らなかった友達想いの子であると。

     それ自体がそもそもおかしいのだ。
     美甘ネルは普通に話すだけでも恫喝に聞こえて恐れる生徒が出るような存在だ。本人もかなり気を遣おうとして、その思いが無意識に伝わって初めてまともに話せるような『異能』持ち。会計や書記に近しい『怪物』である。

     その彼女が本気で脅した。それでも口を割らなかった。
     友達想い? それはそうかも知れないが、それでもそこまでの情熱だとか矜持は一切感じない。全部が全部、どうでもいいと言わんばかりの様子である。

     何より、あの『取ってつけたような』刃物への執着は何だ。

     冷静になって思い返せば演じているようにしか思えない。刃物を持つと暴走するのに化学調理部? それでは料理なんて出来るはずが無い。裏を返せば今は無き部活動の中でしか料理が出来ないはずだ。しかもその部活は既に廃部している。料理が趣味だと言うのなら、いったい今は何処で料理をしているのか。

     そう、何もかもがちぐはぐなのだ。元化学調理部部長、仁近エリという存在は。

    『エリちゃんはさぁ、いま自分探しの旅に出てるんだよ。コミュニケーションとか苦手みたいで、人と話すときもすぐに言葉が思い浮かばないんだって』
    『それは……自分が好きになれるものを積極的に探しているということか?』
    『色々悩んでいるみたいだよ? そこに無いって分かるまでは徹底的に学びつくして捨てるぐらいには』
    『…………理解できんな。奴には趣味も嗜好も無いのか』
    『それを何とかしたいんだってさ』

     同情は、しなくもない。ただ共感が出来ない。だから薄気味悪いままだった。
     何もかもが空っぽで、そんな自分は間違っていると気付いて何とか変えようとしている。確かにそれは同情すべきことなのだろう。何より哀れだ。

     しかし、自分とあまりに性質が異なり過ぎている。その感覚が一切分からない。

    『ねぇ、アンリちゃん』
    『む、なんだ?』
    『僕はね。エンジニア部が居なかったら君とエリちゃんにセフィラ探索を始めてもらおうと思っていたんだ』
    『今更懺悔か? 私はシスターではないぞ?』

  • 185125/10/01(水) 09:59:03

     恐らく、この『悪辣な』同級生は本来そんな絵図を思い描いていたのだろう。
     別にどうでも良かった。こいつが何か企む時は大体こちらの利害も調整してくれる。きっと断る理由も無く『エンジニア部の代替』としてそこに居たのかも知れない。

     それこそ、新素材開発部として成功を収めていたアンリが空っぽのエリと共に『廃墟』に向かって、マルクトと共にセフィラを集める旅路の中に『楽しいもの』を共に探す物語もあったのかも知れない。

     だが、そんなものはあくまで会長の頭の中にしか存在していないのだ。
     現実としてそれは起こらず、各々が日常を過ごす裏でエンジニア部がセフィラの回収を始めたというだけのこと。

    『いいか会長。貴様が主役を決めるのではない。我々は自らの人生において皆が主役なのだ。私の悲痛も羨望も私だけのものだ。貴様が勝手に奪っていいものではない。それとも何か? 悪を標榜しておきながら今更辞めるのか? 相も変わらず『空っぽ』だなお前は』
    『ははっ…………やっぱり君は僕にとっての最高の友達だねぇ?』
    『薄っぺらいことを……。そういうのは会計に言ってやれ』
    『絶対に言わない。分かってるだろ? 君だって』
    『このツンデレめ』
    『クーデレじゃない? どっちかと言えば』
    『じゃあニヒデレだろ……。ニヒリストの癖にデレるなまったく……』

     なんで惚気を聞かされなければならないのかと肩を竦めたが、残念ながらあまりに素直で無さすぎるひねくれ者の想いが『親友』に届いていないのは明白。会長はたとえ何があろうとも何処にでもいる生徒にしか過ぎないのだ。あまりに面倒なほどに。


     そんなことを思い出しながら、改めていま目の前にいる仁近エリへと目を向けた。

     自分はこいつのお目付け役候補だったのだ。もしくは保護者。奇しくもそれは各務チヒロのような狂人の中の常識人ポジションを求められたようなもので、何だか微妙に納得が行かない。

     本来こういった常識人ポジションは古代史研究会のフジノ部長に任せたいところであった。
     彼女なら口調がどこか刺刺しい反面世話焼きであるために、まさしくそういった問題児への対処に優れているだろう。

     どうして私が……、なんて。そんなことを思いながら溜め息を吐くと、そのまま愚痴も零れてしまった。

  • 186125/10/01(水) 10:00:04

    「はぁ……いっそ永久機関でも作ればいいのか……?」
    「じゃあ作ろうよぉ~! 永久機関!」
    「はぁ? 出来るわけないだろう? そもそもお前は化学専門だろう? 熱力学は専門じゃ――」
    「どうしてぇ~? ホドもネツァクもティファレトもゲブラーもいるんだよぉ~? エネルギーだけ抜き出して絶対零度を越えればいいだけじゃん~」
    「…………は?」

     ――なんだ。こいつは何を言っている?

     それは『出来ないことを言っている無知』ではなかった。そこに確かな確信があるのをアンリは見た。
     自分ではすぐに理解できない正体不明の解。震える声でアンリは尋ねた。

    「それは……第一種が作れるということか?」

     仁近エリは即答した。

    「第一種は思いついても今日中じゃ無理だよぉ~。第二種じゃ駄目ぇ?」

     第二種永久機関――外部から受け取ったエネルギーを元に廻り続ける無限機構。
     内部で全てが完結する第一種とは違い、『停止させられる』無限供給機関である。

     即ち『不可能』の代名詞。それを作れるという言葉にアンリは思わず戦慄した。
     そして彼女は――万象全てに価値を見いだせない空虚に苦しむ仁近エリはこう言った。

  • 187125/10/01(水) 10:02:17

    「二種なら出来るからぁ~。フジノちゃんが戻って来るまでに『とりあえず』作ってみるのはどうかなぁ~」
    「っ…………はは」

     これには乾いた笑いしか出て来なかった。会長は『なんてものを自分に出遭わせてくれたのだ』と。

     元化学調理部部長。実績が何一つない『無名』。その真なる才能は学術全般に対する極めて深い造詣。
     それは決して表に出るはずが無い無垢なる存在。自らの価値に何の興味もない空虚さに苛まれる『異能』。

    (やはり恨ませてもらうぞ『シオン』。何故こんな奴を今まで表に出さなかったのだ――)

     普通科に転科してその才能を埋没させた彼女の名は仁近エリ。
     現代科学を誰よりも知るが故に『未知』たる超科学にも順応できる『怪物』であった。

    -----

  • 188二次元好きの匿名さん25/10/01(水) 17:10:31

    ニヒリストだけにニヒニヒ笑ってら

  • 189125/10/01(水) 19:26:48

    ※今晩次スレ立てます!

  • 190125/10/01(水) 22:31:32
  • 191二次元好きの匿名さん25/10/01(水) 22:40:46

    >>190

    たておつです

  • 192125/10/01(水) 23:11:57

    Part13……コユキ書き始めた時の見積もりだと「1スレで1章、マルクトが序章だからプラス0.5でだいたいPart11かなぁ」とか思っていたのが遠き過去……。

    Part13でビナー戦からコクマー前編。Part14でコクマーやってのラスダン&ケテル編。Part15で裏ボス倒してエンディングと考えれば、多めにバッファ取っても恐らくPart16か17で終わる……はず?(見通し毎回甘い人)

  • 193二次元好きの匿名さん25/10/02(木) 07:53:16

    書きたいことが溢れてますなあ…

  • 194二次元好きの匿名さん25/10/02(木) 08:30:23

    >>189

    >>190

    立て乙!


    >>192

    「裏ボス」…いったい何者なんだ…

  • 195二次元好きの匿名さん25/10/02(木) 12:39:17

    四人の魔法使いのひとりが魔王になる超大作RPG

  • 196二次元好きの匿名さん25/10/02(木) 16:45:54

    アリスが魔王だからですか…?

オススメ

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