- 1二次元好きの匿名さん25/09/10(水) 22:26:56
- 2二次元好きの匿名さん25/09/10(水) 22:28:03
「穴があったら入りたい」
爽やかな秋風と穏やかな光がふわふわと降り注ぐ日の事だった。
篠澤さんと散歩に出かけてる最中突然こんな事を言われた。
「......何か恥ずかしい事でもありましたか?」
「その意味じゃない。......けど、確かに恥の多い生涯は送ってきた」
「太宰治ですか?」
「ふふ。人間失格、だね」
「まぁ......はい」
「そこは否定してほしかった」
「自分で言い出したんじゃないですか」
当時、俺は19歳で篠澤さんは16歳だった。
遊びで使える金銭的余裕も少なく年齢的にできない事も多かった。
それでも篠澤さんと過ごす日々は充分に楽しかった。
遊園地まで行けば安っぽいともいらないとも思わずお揃いのキーホルダーを買ったりもした。
アミューズメントパークじゃなくてもこういった散歩や公園での2人きりの時間でなんの不満もなかった。
担当アイドルとプロデューサーという立場上キスやそれ以上の事は考えない。
たまにこっそり手を繋ぐだけで満たされていた。
「わたしがさっき言ったのは慣用句の事じゃない。本当に穴に入りたい」
人生において、かけがえのない人がいた。
その人がまた不思議な事を言い出した。
「冬眠でもするつもりですか?」
「違う。それに入りたいのは熊が眠るような穴じゃなくて地面にあいた穴」
「そうですか」
軽く返事をする。
「お墓みたいな穴ですか?」という言葉が口から出かける。
でも結局、俺はその言葉を口にはしなかった。 - 3二次元好きの匿名さん25/09/10(水) 22:30:25
その日から俺たちの散歩は穴を探すという目的を持って行われた。
「穴、なかなか落ちてないね」
何度目かの散歩中に篠澤さんがこう言った。
「穴は落ちてるものじゃないと思いますが」
「確かに。穴は人が落ちるもの。恋みたいに」
決まった、というドヤ顔で篠澤さんが俺の方を見てくる。
「マンホールみたいな穴だったら落ちてるんじゃないですかね」
「無視はひどい。プロデューサーの鬼。悪魔。そういうところが......すき」
当時の俺たちは他愛のない話ばかりをしていた。
他の人からすれば付いてこれないような会話が多かったかもしれない。
けれど、俺と篠澤さんの間だけで通じて楽しめるものだった。
俺たちは感性が似ていて相性が良かった。
別れた後でも、あんな人はもう2度と出会えない。
5年経った今でもそう思ってしまうような、そんな女性だった。
結局、穴を探して歩き回ったけれど見つかる気配がなかった。
それはそうだ。
穴は人間社会で管理されている。
落ちたら危険だからだ。
人の心に残り続ける喪失感のように、いつまでもぽっかり空いている事はない。
いつの日だったか、穴が見つからないなら掘ろうという話になった。
誰が掘るのか?
当然、俺だった。
篠澤さんにこんな重労働出来るわけないというものあったが、俺は篠澤さんに対して甘かった。
甘いというレベルを超えていたかもしれない。
篠澤さんが望む事ならどんな事でもすると決めていた。
決めている事はこれだけではない。
他には『篠澤さんの前では泣かない』『篠澤さんの言葉はどんなものでも大切にする』『深刻な話は俺からしない』
挙げればもっとある気がするけれど、大きいのがこの3つだ。
篠澤さんのために穴を掘ると決めた俺はその日から準備に取り掛かった。
ホームセンターでスコップと軍手を買い、日付が変わる頃に大きめの公園で篠澤さんと集合をした。 - 4二次元好きの匿名さん25/09/10(水) 22:31:29
「ふふ、プロデューサー。すごい不審者っぽい」
「やめてください」
篠澤さんと合流するや否や笑われてしまった。
篠澤さんが言う通り完全に不審者と言っても過言じゃないシルエットで、道中警察に声を掛けられないかドキドキした。
大切な人のために穴を掘りに行くなんて言えたもんじゃない。
公園の端の方で可能な限り目立たず、且つ掘りやすい場所を探す。
「この辺にしましょうか」
「うん」
荷物を置いて俺は穴を掘り始めた。
思ったよりも土が硬く、人が入れるスペースを作ろうとすると手間も時間もかかった。
俺が額に汗して働く様子を篠澤さんは楽しそうに見ていた。
そればかりか、スマホで撮影までしていた。
「な、何をしてるんですか?」
「実はわたし、生まれて初めて見る」
「何をですか?」
「犯罪現場」
「俺はこの動画をネタに一生脅されて生きていく訳ですか」
「そう言う事。わたしの言う事......なんでも聞いて、ね」
「言われなくとも」
とは口にしなかった。
「罠に嵌められました」
「墓穴を掘ったね」
「絶対に言うと思いました」
「墓に穴と書いて墓穴」
「墓穴は掘りましたが墓は掘ってないですよ」
会話をしながらも手を動かすのは止めなかった。
「ううん、実は今掘ってもらってるのは墓穴。そこに入って練習する」
一瞬だけ動きが止まる。 - 5二次元好きの匿名さん25/09/10(水) 22:32:48
「人間は生きてる限り必ず死ぬ。誰かが言ってた。生きる事は死ぬための予行演習だって」
「別に、わざわざこんな事をしてまで予行演習するのなんて篠澤さんくらいでしょう」
手を動かしながら早口で答える。
結局、2時間かけて穴は完成した。
墓みたいな穴が。
篠澤さんのサイズを考えたらもう少し小さくても良かったと思い始めてくる。
「流石わたしのプロデューサー。100点満点」
「満足したなら良かったです」
車の音も虫の鳴き声も聞こえない静かな夜だった。
「入る、ね」
篠澤さんの声が聞こえる。
「待ってください」
荷物を取りに行き事前に買っておいたカッパを渡す。
「汚れるといけないので」
「ありがとう。そういうところ、すき」
篠澤さんがカッパを受け取る。
「300円です」
「ふふ、やっぱりきらい」
いつものようにふざけ合い、折角なのでカッパを着せる。
穴に入る前、篠澤さんが持ってきた荷物の中から何かを取り出した。
「レジャーシートですか?」
「そう。わたしが入った後、穴にこれを被せて」
「何故ですか?」
「お墓だから閉じないといけない。でも、土で蓋をしたら死んじゃう」
「......死なれたら困るので言われた通りシートをかけます」
カッパを着た篠澤さんが穴に入って横になる。
それを確認して俺はシートを被せた。
風が吹いてない日だったからか、シートも大人しくしていた。
中から「想像以上に暗い」とか「ひんやりしてる」とか、感想が聞こえてくる。
しかし、暫くすると何も聞こえなくなった。 - 6二次元好きの匿名さん25/09/10(水) 22:34:17
「大丈夫ですか?」
気になり声をかけるも反応がない。
何故か小さい頃にしたかくれんぼを思い出した。
もういいかい?
まあだだよ。
これも何かの遊びなのかと考えて苦笑する。
ふと頭上を仰ぐと名前も知らない星座が夜を巡っていた。
改めて、世界の静けさに気付く。
......いつか俺は、こんな心の静けさで篠澤さんの墓に前に立つのだろうか。
俯いてしまう。
考えないようにしていたのに。
......駄目だ。
1度考え始めると止まらない。
どうして、何故。
なんで篠澤さんが。
どうして貴方が死ななくちゃいけないんだ。
......篠澤さんの病気を知らされたのは、夏の終わり頃だった。
レッスンの最中、篠澤さんが倒れた。
最初の頃は頻繁に倒れていた。
流石に1年以上レッスンを積んだおかげで最近は大丈夫だったせいで、俺はレッスンメニューの見直しをするだけだった。
でも、原因は違った。
ハードワークが原因ではなく、遺伝性の難病の初期症状だった。
篠澤さんの祖父もその病気で若くして亡くなったらしい。
俺にその事を病室で伝える篠澤さんは平気そうな顔をしていた。
わたしの家はそうなる可能性があると、小さい頃から両親に言われていたらしい。
残念だけど、わたしもそうなっちゃった。
覚悟はしてたから、自分なりに人生を楽しもうとしてた。
そう言って笑った後、篠澤さんは泣いた。
「ごめん、泣くつもりなんてなかったのに。いっぱい、練習したのに」
あの時の篠澤さんの言葉は今でも覚えている。 - 7二次元好きの匿名さん25/09/10(水) 22:35:36
これが現実だという感覚はなかった。
それでも、篠澤さんの涙や病室の外で嗚咽を隠しきれずに泣く篠澤さんの両親の声が、現実だと突きつける。
俺はその時、ある事を決めた。
絶対に、篠澤さんの前では泣かないでいようと。
俺だけでも強くあり続け、篠澤さんが望むことならなんだって叶えてみせようと。
少なくとも俺たちだけの間では病気なんて存在しないみたいに日常を送り、今の生活を篠澤さんが続けられなくなるその時まで一緒に笑おうと。
本格的に闘病生活が始まるのは早くても年明けからという話だった。
夜風に吹かれて意識が戻る。
「篠澤さん?」
俺は穴の前で呼びかけた。
姿かたちが違えど、本当にお墓のようだった。
篠澤さんからの返事はない。
たまらず再び呼びかける。
「篠澤さん.....?!」
不安に襲われてシートを捲る。
「ばぁ」
待っていたかのように、篠澤さんが中から声を出した。
「生き返らされちゃった」
当たり前だが、そこには生きてる篠澤さんがいた。
心が締め付けられたように痛い。
「......俺も、一緒に墓に入っていいですか?」
気付くとこんな事を言っていた。
こんな深刻そうなセリフ、言うつもりなんてなかったのに。
勝手に口が動いていた。
「え?」
篠澤さんがしばらく考え込む。
「だめ、かな。お墓は1人で入るもの。いくらプロデューサーのお願いでも聞けない」
でも、と篠澤さんが続ける。
「これは練習だから。特別にいい、よ」
大きめに穴を掘って良かったと思えた。 - 8二次元好きの匿名さん25/09/10(水) 22:37:53
俺も一緒に穴の中に入り、うまい具合に中からシートを被せる。
この際服が汚れる事なんてどうでも良かった。
「お墓の中へようこそ。案外悪くない」
声でわかる。
篠澤さんは笑っていた。
でも、俺は笑えない。
焼かれて小さな骨になり、壺に納められてしまう篠澤さんを想像してしまう。
震える体を誤魔化すために尋ねる。
「どうして穴の中に入ろうと思ったんですか?」
「純粋にお墓の中がどんなものなのか知りたかった」
いつもの調子で放たれる返事に耳を傾けていた。
「それに」と篠澤さんが付け加える。
「ここでなら、地上で話せないことも話せると思った」
目が暗闇に慣れて、篠澤さんが俺の事をまっすぐ見つめている事に気付いた。
「ここは地上じゃないから、地上での約束とか決めごとは忘れていいんだよ」
篠澤さんは俺の中にある何かを見抜こうとしていた。
いや、見抜いているからこその発言かもしれない。
「地上での誓いも破っていいんだよ。ここでは」
「......そう、ですか」
もう、駄目だった。
篠澤さんに許され、決壊しかけているものがあった。
吐く息が荒くなる。
体が小刻みに震える。
懐かしいような、悲しいような、そんな気がして。
「......すみません、少し.......」
気付けば涙が溢れていた。
嘆きや想いと同じように止まらなかった。
ずっと一緒にいたい。
なんで貴方が死ぬんだ。
おかしい、こんな世界は間違っている。 - 9二次元好きの匿名さん25/09/10(水) 22:39:23
俺たちはまだまだ若い。
出来る事や行ける場所もこれから増えて、篠澤さんといつまでも他愛のない会話を重ねながら笑い続けたかった。
なのに、どうして。
どうして貴方の命がこんなにも早く終わるんだ。
地上での誓いを忘れた俺はみっともなく涙を流し続けた。
そんな俺を慰めるように、篠澤さんは俺の頭を撫でてくる。
「わたしはこれまでいっぱい泣いたけど、プロデューサーがきちんと泣けてるか気になった。ずっと、今まで通り接してくれてたよね」
この発言で確信した。
篠澤さんは最初から俺のために.......
「いろんな約束、破ることになってごめん」
いいんだ、篠澤さんが気に病む事じゃない。
「マイホームの話とか、実現したかった。一緒に大きな犬を飼おうって」
......覚えていたのか。
あの時は2人で犬の名前を考えたっけ。
結局決まらなくて保留になったけど.......
「それと、新しいアイドルをスカウトしてね。その人とじゃなくてもいいけど、プロデューサーには結婚して幸せな人生を送ってほしい。子ども、2人は欲しいんでしょ?」
篠澤さんはそういう事を話し終えた後、言葉に詰まらせながらも声を震わせて続ける。
「わたしも.......わたしも本当は死にたくない」
篠澤さんも地上で決めていた事があったんだろう。
弱音を吐かない事や、自分の死後の話をしない事とかだろうか。
俺たちは似た者同士だ。
思っている事がよく分かる。
「死ぬのは怖い。でも、たまに、ひょっとしたらわたしは大丈夫かもしれないって思えた。それに気付いた時恐怖が薄れた。それを今から言う.....ね?」
篠澤さんは続ける。
「でも、すぐに忘れていいから。無理に叶えようとしなくてもいい。口に出す事が大切だと思うから、言うね」
次の瞬間、篠澤さんが忘れられない一言を口にした。
「わたしの事、忘れないで...ね」
篠澤さんは涙を流して鼻を啜りながら言った。
「たまにでいい。夜に公園を見かけた時とか、スコップを見た時とか、今日みたいな静かな夜とか、そういう時でいい。一瞬でもいいから、わたしの事を思い出して」
なんて悲しい願いだろうと思った。 - 10二次元好きの匿名さん25/09/10(水) 22:42:12
その分だけ、この願いがとびっきり美しいものにも思えた。
「そうすればわたしは大丈夫。プロデューサーの中でわたしが生きてるって思えるから。それがきっと、わたしが生きてた意味なんだって、最期の瞬間にも思えるから」
地上での約束や誓いを忘れた俺たちは、そのまま数分間泣き続けた。
❇︎
幸いにして、篠澤さんは17歳になる事はできた。
その頃には病院で生活していたが、誕生日を迎えられた事を一緒に祝い、喜んだ。
病のために相貌が徐々に変わり始めていた篠澤さんの手を取った。
だけど、それまでだった。
次の年からは俺だけが年を重ねる事になる。
気付けば20代前半が終わり、もうすぐで30になる。
過ぎ去る歳月の中で、俺は幾度も篠澤さんの事を思い出した。
心の中に、あの時掘ったような穴がぽっかりとあいている。
ある人はこれを喪失感と言った。
またある人は、心の傷と言った。
この心の穴は大切な記憶。
他の記憶と違って薄れず、他の何かで埋める事もできない。
埋める必要もない。
大切な人との思い出を忘れる必要がないのと同じだ。
俺は今度、父親になる。
篠澤さんのいない世界でも大切な人を作り、結婚し、子どもも授かった。
マイホームもその人と作ろうとしている。
でも、篠澤さんの事は忘れない。
俺の中には大切な穴があるから。
篠澤さんと一緒に入ったあの穴は、誰かが落ちないようにあの後埋めてしまった。
当時は動物の亡骸を葬っているみたいに感じたが、そうではなかったんだ。
俺たちの穴は、記憶は、そこで保管されて眠りについたんだ。
俺たちだけが知る場所で。
俺は生きている限り、最期まで笑っていた篠澤さんとの約束を守り続けようと思っている。
篠澤さんの願いも記憶も、俺と共にある。
喜びも涙も、あの日過ごした日々も。 - 11二次元好きの匿名さん25/09/10(水) 22:45:09
これで終わりになります。
流石に莉波STEP3生配信とナイワの日でこの時間帯はまずかったかな。
次は隠れマゾ清夏持ってこようと思ってるんですけどここR‐18表現どこまで許されてるんですかね? - 12二次元好きの匿名さん25/09/10(水) 22:53:41
閲覧注意つければよほどやりすぎてなければ大丈夫かと
- 13二次元好きの匿名さん25/09/11(木) 00:10:43
本当に素敵で、感動して、泣けるお話でした。
このような素晴らしきSSを書いてくださった事にとても感謝致します。本当にありがとうございます。 - 14二次元好きの匿名さん25/09/11(木) 00:31:21
pixivで読んだことある話だったけどまさかあにまんで出会えるなんて
この人のssは文学的な感じもあるし学マスのキャラ描写も丁寧だから好き - 15二次元好きの匿名さん25/09/11(木) 00:35:48
物語とかで泣いたこと度も無かったけど始めて泣いた
本当に神ありがとう