戦国武将は掘って掘られてが嗜みとして当たり前だったらしいが…

  • 1二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 17:09:57

    逃げ若に出てる中で史実でハッキリと男男の愛人関係だったカップルとか判明してるのだろうか

  • 2二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 17:15:57

    実のところ南北朝時代の頃はまだ武士階級に衆道は定着してなくて嫌悪もされてるからほぼいない
    命鶴丸もそういう関係じゃない可能性が高い

  • 3二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 17:28:00

    >>2

    北朝とか南朝の天皇も平安時代に比べると男男の噂はないな

    平安末期なら足利の誰かが天皇か貴族に食われてるみたいな噂があったと思う

    頼朝が後白河法皇に食べられてたみたいな噂があるので

    直義を貶める方法として天皇に食われてる食ってるがないのでこの時代だと男色廃れてるのかな

  • 4二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 17:30:16

    逃げ若だとがっつり尊氏と命鶴(寵童)がヤりまくる関係にされちまったな…作中だと匂わせだけど作者の趣味的にそういうことだろう

  • 5二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 17:33:52

    寺にいた直冬が偉い坊さんに手をつけられた可能性があるくらい?なさそうだけど

  • 6二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 17:38:48

    >>5

    直冬が寺にいたのかも正確には謎だからな

    多分寺に預けられてるとは思うが

    金を渡されてちゃんと保護されてるのか

    寺でも扱い良くないのかもわからん

  • 7二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 17:43:02

    義満と世阿弥はそういう関係なんだっけ?
    当時はそういう文化がないから尊氏と命鶴も違うって意見見るけど
    尊氏から義満までの時代で男色文化が急速に出来上がったって事?

  • 8二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 17:44:52

    実際掘ってはあんまりしてなさそう
    当時の衛生考えると触ったり舐めたりの方がメインな気がする

  • 9二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 17:49:10

    尊氏が男色家だったという当時の史料はなくまた当時の風習としても一般的でもなかった、というのがそういう関係を否定する根拠だね。
    それに、根拠の一つにされてる武蔵野合戦での花一揆の描写は太平記でも特に信用ならないパートの一つだ。

    創作でストーリー上の意味があるのであれば、そういう関係にしてもいいとは思うけど。

  • 10二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 17:54:56

    >>7

    公家社会はあったから京都に拠点を置いた足利は公家の文化の影響を強く受けたのかもな

    まあだから尊氏も公家の文化の影響を受けてる可能性もあるけどなー

    師直や直義にはないが、尊氏は寵愛する美少年に言及されてるから

  • 11二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 17:56:51

    全然分からんないけど、◯◯と△△が寝たって内容が残る武将が当時は稀なんじゃないの?
    そもそも日記をキッチリ残してるのがこの時代だと公家や寺社だろうしさ

  • 12二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 17:57:07

    元々貴族とかの嗜みだったのを戦国あたりで武士が真似するようになって結果ステータスみたいになったんじゃなかったっけ

  • 13二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 17:57:21

    え?つまり尊氏関連のBLってマジで根も葉もないの?

  • 14二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 17:57:56

    >>12

    いや義満ガッツリだろう…

  • 15二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 17:58:49

    >>13

    根や葉はあるが史実かどうかは分からないくらいの塩梅

  • 16二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 17:59:50

    命鶴丸が結構な年齢になっても前髪あってビックリしたって記述があるとどっかの掲示板で見たような…
    これ本当なら普通にそういう関係だろ

  • 17二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 17:59:51

    >>13

    太平記に寵童命鶴丸がめっちゃ美少年で美少年軍団花一揆を率いてブイブイいわせてた

    てのが書かれてたから

    そこから尊氏はそっち系がメインで美少年侍らせてた

    ってイメージが定着したんじゃね

  • 18二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 18:01:28

    >>17

    まあそんな花一揆の描写が出てくるあたり、少なくともその時代の人から尊氏は美少年侍らせてるイメージあったんだろ

  • 19二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 18:03:45

    師直に節操なしwと少年に手を出したエピソードがないということは尊氏には疑われるような事があるのかも

  • 20二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 18:04:13

    >>18

    顔が良くて有能な命鶴へのやっかみはあったらしいな

  • 21二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 18:05:32

    >>20

    現代でいうと愛人だの枕だの好き勝手言ってたのが後世に残ってるようなもんか

  • 22二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 18:06:26

    >>21

    ただ尊氏は師直と違って勝者側だから

    根も葉もない噂なら何かしら対応できるんじゃ?とは思うけどね

  • 23二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 18:06:38

    >>21

    まさにそれ

    命鶴は家柄なかったから言いたい放題よ

  • 24二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 18:06:51

    >>11

    武将の性格がわかるぐらいの古文書が残っている家が少ないし

    応仁の乱…

  • 25二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 18:08:04

    そもそも武家は日記を残す習慣がない、夜の生活を赤裸々に書くのは公家でさえ稀だからなあ

  • 26二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 18:09:05

    >>23

    将軍の尊氏も巻き込まれてるんですがそれは

  • 27二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 18:09:09

    >>19

    師直は逆説的に男色家ではなかったと分かるの面白い

    師直がそうだったら高貴な生まれの美少年を略奪する話も書かれてただろうからなw

  • 28二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 18:10:14

    >>25

    今日は将軍が命鶴くんとやりまくってましたなんて普通書くわけないからな草

  • 29二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 18:10:17

    >>26

    そりゃあ陰口を完全に無くすことなんて無理でしょ

  • 30二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 18:11:24

    >>29

    太平記って佐々木や細川はかなり手を入れてる様子な

    んだよな。足利は手を入れなかったんだろうか

  • 31二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 18:12:24

    >>30

    前半はともかく後半は入れてなさそう

  • 32二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 18:12:43

    >>30

    普通に入ってるだろ

    でも全部は改訂は無理

  • 33二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 18:13:05

    >>30

    直義や義満が監修したって話もあるけどな

  • 34二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 18:13:25

    個人的に男色関係はなかったんじゃないかと思うのは、尊氏の命鶴の寵愛は確実に男色の気がなかった秀吉が三成を可愛がったのと似ているように思えるから。
    秀吉が三成を見出したのは機転が効くところを示したからという逸話がある。
    命鶴も諏訪の笠懸で才能を示して尊氏に見出されてるんだよね。才能ある小僧を可愛がるのは成り上がり天下人の共通点なんじゃないかという気がする。

  • 35二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 18:13:39

    >>17

    太平記に命鶴丸が容貌当代無双と書かれはじめたのは江戸時代からだね

    実は比較的時代が近い室町期に成立した古態本と言われる太平記には命鶴丸のビジュがいいなんてことは書かれてなかったりする

    花一揆についても太平記には色とりどりの武装と梅の花を挿した若武者としか書いていないので花一揆が美少年軍団だとは古態本・流布本ともに太平記には書かれてはいないんだよね


    だから清水克行氏なんかは尊氏のBL話を面白がる現代人の俗説本によるものだって言ってたりする

  • 36二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 18:14:54

    >>35

    ただ命鶴自体は顔が良いって貴族が書き残してなかったっけ?

  • 37二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 18:15:14

    命鶴で一番疑われるのは年取ってからも元服してなかったせいよな
    これはどういうわけなんだ

  • 38二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 18:18:01

    >>36

    二条良基の書き残した「小島のすさみ」のことであれば顔がいいのではなく垂髪の髪型が似合っているってやつじゃないかな

    顔が良いって書いてあったっけ?

  • 39二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 18:24:07

    >>38

    似合ってるってことは童顔だったのかな

    家柄ない人が取り立てられるには顔の良さと能力はマストだとは思うんだけど

  • 40二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 18:27:33

    命鶴丸が悪く書かれてるのは北関東の武士によって書かれたとされる源威集(尊氏死後30年くらいの時期に成立?)
    その辺を見るに関東の武士にはそういう文化がなかったかもしれない

    でも尊氏になかったかは不明
    公家の文化って上流文化だから京都に住んで積極的に取り入れてる可能性もあるし

  • 41二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 18:45:52

    >>39

    似合ってるってのが皮肉の可能性は?

    子供がする髪型が大人になっても似合うと言われて喜ぶ成人男性おらんやろ

  • 42二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 18:46:16

    衆道って単に下手な女相手にやって子供出来たら後が大変って意味もあると思うから
    ホモが当たり前みたいなのはちょっと違う気はするんだよね

  • 43二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 18:47:23

    >>30

    その時期の政権トップが監修いれてる

    南北朝時代で↑になったらどうなるか。言わなくてもわかるな?

  • 44二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 18:48:33

    >>42

    あとは主従とかの結束を固める意味も

  • 45二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 18:48:35

    尊氏がその方面に興味があったかどうかは分からないが、
    登子との関係は想像以上に良好だった
    (少なくとも5人の子供がいる)。
    むしろ、あの時代の出家僧侶は女性に手を出せないため、
    男性に関心を向けやすかった

  • 46二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 18:50:41

    >>41

    王朝文学の美的価値観やね

    美男の貴公子には「女にしたいような」と形容がつくし

    美少年が元服して成人する際には「こんな美しい童姿を」

    とめっちゃ惜しまれる

  • 47二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 18:51:28

    >>41

    18歳という情報は太平記によるもので、

    実際の年齢は不明。

    そのとき命鶴丸はまだ元服していなかった。

  • 48二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 18:53:13

    >>27

    それどころか

    大手寺院の僧兵と戦闘になったとき

    僧兵が連れてた稚児たちまで容赦なく殺しまくったから

    そらもう「おのれ高一族!!!」って寺サイドの恨みを買った

    て太平記に

  • 49二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 18:59:11

    尊氏の「よだれ」でみんな超絶パワーアップするのにコイツ全然弱いよな
    不思議なくらい
    元がクソ雑魚ショタだったのか?

  • 50二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 19:03:24

    >>35

    北方謙三先生が南北朝時代小説書くときは

    尊氏が美少年軍団抱えてるソッチ好き野郎って設定だからね

    仕方ないね

  • 51二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 19:04:26

    北方先生と言えば
    北条時宗で新作始まったな

  • 52二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 19:22:12

    >>28

    全部ありのままを自分で書き残した藤原頼長という偉人が

  • 53二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 19:24:13

    >>49

    設定が出たり消えたりする漫画だぞ

    作者の人そこまで考えてないと思うよ

  • 54二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 19:27:58

    なんで若の方にはそういう描写がないの?

  • 55二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 19:29:05

    あと
    逃げ若では命鶴丸が田楽を踊れるという設定があるが、
    史実の命鶴丸に田楽を踊った記録はない。
    尊氏は能楽を踊った記録がある。

    『防長風土注進案』(周防徳地誌)「足利尊氏 西国に走る途次、三坂神社に参り 久しく籠もりて 武運を祈願し 御社の北の所で 能楽を奏して神意を慰め奉り神馬 馬具等を献納せり」

  • 56二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 19:40:15

    尊氏が寵童に手を出してる作品ってむしろ北方先生の作品しか知らないんだけど他にもあるのかな?
    無かったらかなり最近作られたイメージってことになる

  • 57二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 19:41:01

    >>52

    この人のこと知った時にビックリした

    でもこの人が少し変わってたのかね

    長い歴史の中では珍しいけど残す人もいるわな

  • 58二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 19:42:15

    >>56

    そもそも尊氏中心の作品が少なそう

    それに現代だとマイナスイメージになるからあんまり書かんと思う

  • 59二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 19:42:45

    >>55

    能は室町時代に成立したと習ったが建武政権時代もあったんだろうか?

  • 60二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 19:44:02

    >>49

    神力にも適正があるんでしょ場合によっては廃人化するっぽいし

  • 61二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 19:48:55

    >>59

    能として確立したのは観阿弥世阿弥なんだろうけど

    歌と踊りはそれ以前からあったし亜也子も勉強してたな

  • 62二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 21:52:05

    >>50

    北方作品は尊氏以外でも意味もなく男色描写があったりするので作者の趣味なんかな…ってなる

    楠木正成と女を取り合った男忍者が女装して赤松円心に抱かれてるとか誰得???みたいなやつ

  • 63二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 21:57:52

    北方もわりお無からBL生やしてくる系の作家だから…
    土方と山南がイチャイチャしてたり勝海舟と密会してたり何がどうしてそうなったってひっくり返るぞ

  • 64二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 22:00:11

    >>60

    適正のあるなしも読者が勝手に妄想してるだけで作中では全然触れられてないからなあ

    マジでそんな基本的な部分すら設定が胡乱

  • 65二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 22:47:46

    >>62

    北方先生は学生運動に参加してた時期に、そういう関係を目撃したのかもしれない

    あくまでも可能性ね

  • 66二次元好きの匿名さん25/09/21(日) 23:51:39

    >>64

    作中描写や設定をこねくり回して妄想するのがオタクの楽しみ方の一つだけども

    それをしようにも深刻な材料不足なんだよねこの期に及んで

  • 67二次元好きの匿名さん25/09/22(月) 00:17:21

    道誉なりしかしらんけど性的には男の方に手が伸びるけどだいぶ暴力的で愛でてるって感じはあんましなかったな

  • 68二次元好きの匿名さん25/09/22(月) 00:59:16

    尊氏くらい偉くて有名な殿様と衆道関係にあって手紙とか貰ってるんなら色んな意味で名誉なことなんで取っておきますね普通は

  • 69二次元好きの匿名さん25/09/22(月) 01:09:55

    道誉なりはかなり露骨にその辺り描写ありだけど
    男作家が考える武将が性欲の捌け口として複数の少年を対象として取っ替え引っ替え発散してるという話であって
    女作家の描くBL話とちゃうからかなりエグい
    少年てか小学生から中学生くらいの本当に子供が対象だし
    今だとジャニ事件もありでどっちかというとペドで後味も悪い
    北方ハードボイルド尊氏はサイコパスという理解で良いかと思う表現だしね

  • 70二次元好きの匿名さん25/09/22(月) 01:14:00

    逆に戦国時代はなんであんなに衆道が広まったんだろう

  • 71二次元好きの匿名さん25/09/22(月) 01:14:55

    >>68

    本人が残したところで饗庭の家は没落するし現代まで残るとはとても

  • 72二次元好きの匿名さん25/09/22(月) 06:23:47

    >>35

    森蘭丸みたいに後から美少年のイメージをつけられたわけか

  • 73二次元好きの匿名さん25/09/22(月) 06:29:00

    >>70

    殿様が家じゃなくて自分に忠誠を誓う腹心を作るのに便利だったのだと思う

  • 74二次元好きの匿名さん25/09/22(月) 06:34:58

    若はホモじゃなくてよかったわ
    ホモだったら人気なかったわ

  • 75二次元好きの匿名さん25/09/22(月) 06:36:06

    >>38

    年いってるのに将軍近侍ともあろう若武者が髷結わないってワンチャンありそうじゃね?

    兜のために下ろしはしても襟足あたりで括るだろ

    木曽義仲の親父だって京仕えの時に悪左府に夜の主従逆転ごっこしてる(ガチ一次資料)からな

  • 76二次元好きの匿名さん25/09/22(月) 06:37:35

    >>74

    まるでノーマル若が人気あるかのような口ぶり

    ショタホモ絵ばかりなのに

  • 77二次元好きの匿名さん25/09/22(月) 06:41:12

    >>73

    江戸時代は最低限スペアいればあとは穀潰しだから孕まない男にいくんだろ

    足利楠木新田や羽柴毛利に見られるように南北朝や戦国って兄弟は信頼おける郎党になったり、分家を作って一族盛り立てることも、真田みたいに敵方につかせて家名を残す保険にも出来る

  • 78二次元好きの匿名さん25/09/22(月) 14:32:13

    >>37

    史実だと今の武蔵野合戦が17歳で京都に戻って東寺合戦の前後の19歳で元服その後23歳で尊氏死去後に出家(1時)引退のタイムスケジュール


    尊氏側近なら御所巻からの擾乱1回目2回目関東遠征デカい戦2回とそれどころじゃ無かったから遅れたでもおかしくは無いね

    名家の嫡男なら幼少で元服はザラだけど

    家柄門地が高く無いなら19歳は遅くは無いかなと

  • 79二次元好きの匿名さん25/09/22(月) 14:50:04

    >>72

    父が可成で兄が鬼武蔵の森蘭丸がなんで美少年のイメージになったんだろうな

    どう考えてもガチムチなのに

    利家とも関係持つくらいだし信長はガチムチ好きそうなのにな

  • 80二次元好きの匿名さん25/09/22(月) 15:20:43

    >>78

    ちなみに、直義の元服は20歳と考えられてたりもする。

    家督を継ぐとかの必要がなければそのぐらいでも普通だったのではないかと。

  • 81二次元好きの匿名さん25/09/22(月) 15:29:43

    >>79

    江戸時代に男色が流行った時に浮世絵とかで美少年が流行った時に素地ができたんじゃないかな?

    一応江戸時代まではいい体格だったんだけど映画あたりでそのイメージがついたんじゃないだろうか。

  • 82二次元好きの匿名さん25/09/22(月) 15:53:26

    このレスは削除されています

  • 83二次元好きの匿名さん25/09/22(月) 16:00:15

    >>75

    一応垂髪ってひとつ結びに結うぞ

    それが昔の中流階級以上の男児のメジャーな髪型

    子どもの時の時行の髪型もそれじゃないかな

    リンクうまく貼れないけどここのサイトとイラストがわかりやすかった

    http://depth333trench.blog.shinobi.jp/装束関連/*みづら祭*中古小児の髪風(あっさり編)


    そして元服する時に余分な髪を切って髻を作ると

  • 84二次元好きの匿名さん25/09/22(月) 16:35:02

    >>80

    へ〜それは知らなかった

  • 85二次元好きの匿名さん25/09/22(月) 16:54:10

    >>80

    元服するとなると烏帽子親はどうするとか

    ちゃんとした嫁か正妻となるべき相手を見繕って

    て段取りがあるからな

    跡取り候補から外れる次男三男は後回しにされたり適当に済ませたり

  • 86二次元好きの匿名さん25/09/22(月) 16:56:04

    >>77

    あと単純に、江戸は女が少ない都市だった

    て事情もあったかと

  • 87二次元好きの匿名さん25/09/22(月) 21:05:49

    師直は代々の家人の家でありながら
    勢力頂点の時期は娘を足利一門でも家格上位の渋川に嫁がせることが出来た
    命鶴は若くして出家したせいもあるかもしれんが
    ウィキレベルじゃ嫁も子も出てこない
    つまり元服しても名前の分かるような家から嫁がこなかったということか
    もともとが家を継ぐ息子じゃなくて饗場の次男三男だったのかもしれない

  • 88二次元好きの匿名さん25/09/22(月) 21:15:51

    一応wikiでも引用されてる研究のリンクを貼っておく。

    薩埵峠の戦いで尊氏に感状出されてるぐらいには活躍したらしい。近習が戦闘で活躍するほどに尊氏が前線に出てたってことなのかもしれないけど。


    https://www.okuraken.or.jp/digitalarchive/commentary/item/0ebf7268beac2173a0fb06ed3034764be82f910a.pdfwww.okuraken.or.jp
  • 89二次元好きの匿名さん25/09/22(月) 21:17:39

    >>83

    はえ〜サンクス

    勉強になるわ

    >>87

    渋川やばくね

    義詮の婚約者と直義の正室出して師直の娘貰ってたのかよ

  • 90二次元好きの匿名さん25/09/22(月) 21:31:41

    >>89

    渋川とか斯波は本来足利の長男筋なので一門の中でも家格が特別高いからね

オススメ

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