【SS】マルクト「ヒマリ、千年難題を解き明かすのです」Part14

  • 1125/10/21(火) 19:48:29

    未来予知の秘密を解体する話。


    ビナーvsミレニアム。見える未来と見えない未来。学園に迫るは夜の闇。

    極限の果てで見出すのは世界の秘密。千年難題、四番目の真理――。


    ※独自設定&独自解釈多数、オリキャラも出てくるため要注意。前回までのPartは>>2にて。

  • 2125/10/21(火) 19:49:31

    ■前回のあらすじ

     一年生組と三年生組で行われた発明対決の末、遂に暴かれたのは六番目の千年難題。

     そして明らかになったのは、千年難題とは解き明かした者を人より遠ざける神への階であるということ。


     解き明かして本当に良いものなのか、それを知る者は今なお存在せず、ただ眼前に在り続けるのは真理という名の『未知』である。


     そうして始まる『理解』のセフィラ、ビナーとの対決は開幕早々『廃墟から出て来ない』という法則を打ち破るものであった。


     絶対の未来予知を持つビナーのミレニアム侵攻を食い止めることは出来るのか。

     敗北すれば世界が滅ぶ太古の脅威――その攻略法を求めてエンジニア部の戦いが始まる。


    ▼Part13

    【SS】マルクト「ヒマリ、千年難題を解き明かすのです」Part13|あにまん掲示板ミレニアムがセフィラと戦う話。慰安旅行での発明対決。先達が開く道。主役でないものなどこの世界にはいない。ただその視点を知らないだけ。それはもうじき学校を去る三年生たちから送る、後輩たちへのプレゼント。…bbs.animanch.com

    ▼全話まとめ

    【SS】マルクト「ヒマリ、千年難題を解き明かすのです」まとめ | Writening■前日譚:White-rabbit from Wandering Ways  コユキが2年前のミレニアムサイエンススクールにタイムスリップする話 【SS】コユキ「にはは! 未来を変えちゃいますよー!」 https://bbs.animanch.com/board…writening.net

    ▼ミュート機能導入まとめ

    ミュート機能導入部屋リンク & スクリプト一覧リンク | Writening  【寄生荒らし愚痴部屋リンク】  https://c.kuku.lu/pmv4nen8  スクリプト製作者様や、導入解説部屋と愚痴部屋オーナーとこのwritingまとめの作者が居ます  寄生荒らし被害のお問い合わせ下書きなども固…writening.net
  • 3二次元好きの匿名さん25/10/21(火) 20:09:21

    ボッシュ

  • 4二次元好きの匿名さん25/10/21(火) 21:27:25

    10まで

  • 5125/10/21(火) 22:12:52

    保守

  • 6125/10/21(火) 22:14:09

    「うん……っ、あぁ……」

     夕暮れが迫るミレニアムサイエンススクール――モノレールステーションにて、新素材開発部の部長たる山洞アンリはひとり大きく伸びをした。

     遠くで聞こえる爆発音も、ミレニアムでは大した異常でも何でもない。どうせ何処かの工場が爆発でもしたのだろう。

     よくあることだ。大方、整備をケチった工場のひとつやふたつが爆発することなんて日常茶飯事。安全を置き去りにしたような技術の発展が繰り返し起こるミレニアムだからこそ、その内情を知らない外からやってきた企業の多くはまずしくじる。夢のような技術を見せつけられ、ガードが下がったところでその不安定性を実体験として味わって破産――企業人たる大人こそミレニアムという地は過酷極まるものである。

    「今日はやけに酷いな。私たちの発明が爆発していなければ良いが……まぁどうでも良いか」

     リスクを抑えるよりも新しく、そして面白いものを。それが新素材開発部の理念であり、また今のミレニアム全土における『考え方』である。何かあったのなら、リスクを分からず取り込んだ方が悪い。ある程度の説明責任は存在するものの、ことミレニアムにおいては知らないことこそ罪なのである。

     技術と合理の学園は、無知に対して非情だ。知らぬことこそ弱者であり、知らぬままでいるのは悪。
     『未知』を求めて多くを知る。知って学んで一歩を踏み出す。学生の本分たる『勉学』を大人ですらも強いるのがミレニアムサイエンススクールという技術の最前線だった。

     そうして学園内を回るモノレールを待っていると、やけに疲れたような保安部員が何名かホームにやってきたのが視界に映る。確か実働部隊ではなく事務方かつ情報処理を行っている部員だったはずだ。戦闘向きでない制服からそうだと認識する。

     それだけであれば特に何とも思わず見過ごしただろう。問題は囁くように彼女たちが話す内容の方だった。

    「ねぇ、書記があんなに追い詰められてるの初めてじゃない?」
    「もしかして、本当にやばい感じだったり……?」

  • 7125/10/21(火) 22:45:33

    10まで保守

  • 8125/10/21(火) 23:08:26

    保守

  • 9二次元好きの匿名さん25/10/21(火) 23:28:19

    掲示板学/問8:保守の非忘却化の発明

  • 10二次元好きの匿名さん25/10/21(火) 23:46:02

    ほす

  • 11125/10/21(火) 23:46:07

     セミナー書記、燐銅ハイマはついこの前、会長の慰安旅行と銘打たれた温泉旅行と共に行った仲である。
     無関係では無い人物の話を聞いてしまい、アンリ部長は「なぁ、そこの……」と声をかけてしまった。すると――

    「ひゃっ――あ、アンリ部長!?」
    「む? 何処かで会ったか?」
    「い、いえ!!」

     やけに緊張した様子のセミナー部員であったが、相手は一年生、自分は三年生ともなれば、突然交友の無い上級生から声を掛けられれば緊張もするかと頷いた。

    「一応改めて名乗るが新素材開発部部長の山洞アンリだ。ハイマ書記とは個人的な関わりが無くも無いのだが……何かあったのか?」
    「いえ、あの、その……」

     言い淀むセミナー部員。しかしアンリとてミレニアムの三年生だ。セミナー保安部が行う作戦には当然関係の無い者においそれと話せないようなものもあるだろう。そう納得して無理に聞き出すつもりは無いことを示そうとすると、その間もなくもう一方のセミナー部員が今しがた話していた部員を肘で突いていた。

    「ねぇ、言っちゃっていいんじゃない? 心配してるみたいだし隠しても逆効果じゃ……」
    「そ、そうかも……?」

     何処か迷うような視線が眼前でやり取りされる。そしてひとりがおずおずと告げたのは『正体不明の怪物と保安部が戦っている』とのことであった。

    「……なるほどな」

     真っ先に思う浮かぶのはエンジニア部のこと。セフィラという古代技術の結晶たる脅威と戦い、それらを捕獲していたことは慰安旅行で耳にしていた。曰く『廃墟』に閉じ込められた怪物。マルクトを導き捕まえなくてはならない脅威――今しがた聞いた限りにおいてはまるでセフィラが『廃墟』から出てきたような言い様であったが、それを確かめる手段を今この場にあるわけでも無い。

     しかして、仮にそうであるのなら今かなりの危機的状況であるのではないかとも思う。
     『廃墟』の中にて完結するはずだった戦いがミレニアムまで及んでいるのだとすれば、きっと一般生徒には気付かないよう戦いが始まっているのかも知れない。

     とはいえ勝手に協力するのは難しい。『預言者』であるエンジニア部にとってセフィラとの戦いに横やりを入れるのは侮辱以外の何物でも無いからだ。

  • 12二次元好きの匿名さん25/10/22(水) 03:23:31

    保守

  • 13二次元好きの匿名さん25/10/22(水) 07:57:50

    ほむ

  • 14二次元好きの匿名さん25/10/22(水) 15:28:31

    保守

  • 15二次元好きの匿名さん25/10/22(水) 15:50:03

    ほむ...

  • 16二次元好きの匿名さん25/10/22(水) 22:12:31

    補習

  • 17125/10/22(水) 22:58:25

     ――お前たちでは出来ない。だから私たちも手を貸してやろう。

     この思考の傲慢さたるや、こればかりは本物の天才である彼女たちに向けてはならない禁忌であるだろう。
     だからアンリ部長は慰安旅行で交換したモモトークにメッセージを送った。「何か困っているのなら手伝ってやるぞ」と、極めて簡易なメッセージをひとつ。

     返信は直ぐに来た。

    『いますぐ来られますか? アンリ部長以外の招集は任せますが、まずはあなたに来てもらえると』

     ――明星ヒマリ。エンジニア部の中の誰よりも、目的達成のための手段を選ばない『本物の合理主義者』。彼女が言っているのである。自分だけはひとまず来て欲しいと。

     思わず笑みが浮かんだ。

    「はっ――。外部からの攻撃では傷つかないと言った端からこれか」

     千年難題を解いてしまった影響で絶対の恒常性を保つようになってしまったこの身体。如何なる破壊をも受け付けず、寿命以外で死ぬことすら無くなってしまったような異常性を帯びてしまったのだと言ってからのこれである。

     つくづく、合理を標榜しながらも情に厚い調月リオと、情を優先すると見せながら誰よりも合理的な明星ヒマリの対照性に苦笑いを浮かべるほか無い。

     新素材開発部部長、山洞アンリはモモトークにメッセージを送った。

    『私の可愛い部員たちはともかく、私だけなら行ってやる。何処にいるんだ貴様らは』

     『先輩として』貴様らに関わってやるから教えろと打ち込んで、ひとり僅かに笑みを浮かべる。
     きっと貴様らにもいずれ分かるだろう。『後輩』に頼られるのは中々に悪くないものであるのだと。

    「エンジニア部……。目の敵と言うほど悪感情は抱いていなかったが……ともかく、貴様らに憧れた者としての責務ぐらいは果たしてやろうさ」

  • 18125/10/22(水) 23:07:26

     モノトークに書いてあるのは思い浮かぶその限りにおいて、今しがた爆発している地域の方である。

    (交通機関は死んでいるだろうし……まぁ、大丈夫だろう。いまの私は多次元バリアとも言うべき状態になっているのだし……)

     せめて1時間ぐらいで辿り着ければ良いのだが、はてさて――

     アンリ部長は内心そう思いながらも自転車に跨って学園の外を目指した。
     徹底した情報規制と言う名の揺籃を抜けて、未知たる怪物が暴れ回る外の世界へと。



     そんな一方、ホームでアンリ部長との邂逅を果たしたセミナー部員は、ほっと息を吐いた。
     なにせミレニアムでも頂点に立つ新素材開発部の部長と話してしまったのだ。今年入学した一年生たる自分にとってはアイドルと言葉を交わしたぐらいの緊張が走ったのである。

    「はぁーーーーーっ! 話しちゃった! 新素材開発部の部長と!」
    「あれ? 推しはチヒロさんじゃなかったっけ?」
    「だからなの!! ライバル視する先輩! さらりと受け流す後輩! つまりチヒロさんってこと!! ああもうどうしよう! これ、『ある』よね!? 目の上のたんこぶ、そう意識していつの間にか積もる想い――! 半信半疑ながらに意識し始めるチヒロさん! 先輩からの『好き好き』を受けながらあしらっているつもりがいつの間にか嗜虐心を掻き立てられて試しに攻め始め――」
    「生ものはよくないんじゃない?」

     やってきたモノレールに乗り込みながら、セミナー部員たちは一息ついた。
     向かう先は『推し』であるエンジニア部の元に向かうためである。一年生である少女たちにとって、エンジニア部とはまさに『特別』な存在なのであった。

     入学当初からミレニアムの最高機関であるセミナーに存在を認知されるほどの圧倒的な存在感。
     会長が作りだしたミレニアムの『ルール』である部活動対抗戦ですら、「何処吹く風」と言わんばかりに無視できる圧倒的な強者の群れ。

     嫉妬なんてしようがない。あれは眩い『星』である。
     およそ手すらも届かない――果ての才能。極天の星。ここまで離れてしまえば、ただ人は空の瞬きに憧憬を抱くしか無いのだ。

  • 19二次元好きの匿名さん25/10/22(水) 23:45:28

    ほしゅ

  • 20二次元好きの匿名さん25/10/23(木) 07:51:40

    ほむ…

  • 21二次元好きの匿名さん25/10/23(木) 07:54:40

    保守

  • 22二次元好きの匿名さん25/10/23(木) 16:08:33

    同級生モブからは好意的に取られてるのか

  • 23二次元好きの匿名さん25/10/23(木) 20:11:31

    保守

  • 24二次元好きの匿名さん25/10/24(金) 02:54:55

    ほむ

  • 25125/10/24(金) 08:02:39

     そんなエンジニア部の元に畏れ多くも向かっているのはつい10分ほど前のこと。
     授業を終えてセミナー本部へ戻るなり、突然セミナーの先輩に「エンジニア部の応援に行って」と言われたからである。

     先輩の様子自体は特段変わったところはなかったものの、セミナー全体に何処となく緊張感が漂っていたのを察して「ただ事ではない」ということを理解した部員たちはすぐさま本部を出て、ここにいる。

     ただ、出る直前に見た書記兼保安部部長のハイマが今まで見た事も無いような険しい顔でコンソールの前に居たのがやけに気にかかった。

     その細やかな違和感と不吉な予感は、モノレールに乗り込んで自治区内を走る電車に乗り換えたところで実感へと変わっていった。

    「……ねぇ、なんか事故多くない?」
    「そ、そうだね……」

     エンジニア部の応援に向かうよう指示されたのは五人。その先頭を歩く二人が電車の座席越しに道路を眺めるが、さきほどから交通事故で通行止めになっている道があまりにも多すぎるのだ。

     そしてもうしばらくすると電車すらも止まった。
     振替運行に切り替わったようで、このままでは目的地まで辿り着かないと電車を降りる。バス停を見ると多くの者が並んでおり、とてもではないが1時間は待つことになりそうである。

    「どうする? 待つ?」
    「ううん! 歩いて行こう! だってエンジニア部の手伝いだよ!? この機を逃したら二度と無いかもしれないじゃない!!」

     遅れて参じて「もう大丈夫」なんて言われて返されたら死んでも死にきれない。
     そう言わんばかりに拳を握る彼女を止められる者はおらず、仕方ないかとそんな空気が漂った――その時だった。

    「あ! 保安部の戦車! 乗せてってもらおうよ!」
    「いやいやいやいや」

     早速駆け出したひとりを見て、それは流石に引いてしまう少女の友人。『推し』だなんだと言っても保安部の戦車に乗せてもらうのは畏れ多いを越えて普通に失礼である。止めようと手を伸ばすも空を切り、あっという間に戦車の前へと飛び出して身振り手振り。ちょっと怒られているのを遠目に見て溜め息を吐くも、それから聞こえた「乗せてってくれるってー!」という声に残された四人全員が頭を抱えそうになった。

  • 26125/10/24(金) 08:03:49

     そうして知ったのは、どうやらこの保安部員もエンジニア部の居る方へと向かっているということである。

     時刻は17時。日は落ちきり、街灯が夜の闇にぽっかりと浮かんだ。
     セミナー部員の五人は戦車の上に直接乗って、早すぎない速さで通行止めになった道路を進んでいく。

    「本当に運が良かったなぁ。あたしらの交代時に鉢合わせなんてよ」

     戦車の中から少々ガラの悪い保安部員が声をかけて来て、五人はそれぞれ礼を言う。
     聞いたところによると、郊外の工場に凶悪なテロリストが立てこもっているとのことらしく、保安部はその対処に追われているのだという。

    「かなりの長期戦っぽくてな。交代しながら戦線を維持してんだってさ」
    「そんなに危険なんですか? ハイマしょ……部長が指揮しているのならすぐにでも解決しそうではありますけど……」
    「そうだよなぁ……。まぁでも、あの部長だぞ? 何か考えがあるんだろうさ」
    「考え……?」

     セミナーの部員にとって、ハイマ『書記』は優秀だけれどおかしな人という印象が強かった。

     確かにどんな仕事も当たり前のように片付いているし、何より、更に様子のおかしい会計やラインぎりぎりの悪戯ばかりを仕掛ける会長のことを唯一諫められる人である。この人に任せておけば問題ないという安心感はあるものの、『エイジ・オブ・ミソロジー』の布教活動だけはちょっと褒められるものではない。

     実際、話の途中にちょくちょく挟まれる「ところで、五人で遊べる丁度いいゲームがあるのですが……」としつこいぐらい繰り返される押し売りに屈して遊ぶことになったりもした。……そこについては今でも五人が遊んでいることから布教に成功してしまっているわけであるが、それが良くなかったのだろう。良くない成功体験を得てしまった書記の布教活動が悪化したのは彼女たちも何となく自責の念があった。

     とまぁ、とにかく。セミナー部員である彼女たちにとっては『ちょっとおかしい人』という印象が強かったために「何か考えがある」と言われても「ゲームのことしか頭にないのでは?」と思うのは当然のこと。

     そんな空気を察したのか、保安部員は「いやいや」と手を振った。

  • 27125/10/24(金) 08:04:49

    「確かに部長はゲームにのめり込んでるけどよ……いやのめり込んでるってレベルじゃないっていうか、もう廃人一歩手前まで行ってる気もするけど、作戦指揮ならとんでもなく強いんだぜ。せっかくだし聞かせてやるよ。燐銅ハイマ伝説」

     それから道中、語られたのは如何にミレニアムの保安を一手に担う保安部長が凄いかという話であった。

     曰く、僅かな情報から犯人の計画の全てを暴き出し最短最速で事件を解決に導いた。
     曰く、微かな違和感から裏で進行している事件の把握し、偶然を装う形で全てを収束させた。
     曰く、その圧倒的かつ執拗なまでの『違和感』に対する自己問答は未来すらも見通すほどである。

     曰く、曰く、曰く――
     もはや数えきれないほどの偉業は、あのキヴォトスの頂点である連邦生徒会からもスカウトされるほどだったとのことで、ハイマ書記はそれを固辞したのだという。

     理由はもちろん、「そんな忙しそうなところに行ったらいつゲームをすれば良いのですか?」ということであった。
     会長がその才能を見出し、会長によってゲームという堕落を覚えてしまった異常存在。不要なことは何ひとつ言わず、必要なことと『エイジ・オブ・ミソロジー』のことだけを話す『伝説』の物語は、傍目に聞いても面白おかしいものであった。

    「そんなわけだから、部長の言う通りにしていれば何とかなるんだよ。あたしらは言う通りに動く。工場にはテロリストが居る。それだけで充分だし、それよりもっと知りたがる奴にはそもそも最初から何が起きてんのか言ってんだろうしな」

     故に、未来を読む合理の化身。知りたい者には先に伝える。知りたいと思わない者には「何をすればいいか」だけを言う。個々の人間心理すらも読み切って最適な配置を行い続ける盤上の支配者。だから強い。個人としてではなく、組織を動かす『プレイヤー』として。

     チヒロ推しのセミナー部員はうんうんと頷いて、それから言った。

    「でも、そんな書記に不意を突いたのがチヒロさんですよね!」
    「あー、あれかぁ……。『セミナー襲撃事件』だろ? あれは……誰も読めなかったなぁ」

  • 28125/10/24(金) 08:05:52

     入学早々セミナー本部目掛けてロケットをぶっ放して直撃させた事件である。
     噂によればコピーレフト至上主義の各務チヒロが現ミレニアムの体制に不満をもっての凶行らしいが、詳しいことは誰も知らない。一部では「ただの事故」だとか言われているらしいが、ただの事故でよりにもよってミレニアムタワー最上階のセミナー本部へロケットを直撃させるなんて無いだろう。

     ――実際の所は本当に事故なのだが、それを信じる者もおらず、かくして信仰は生まれていくばかりである。

    「あの事件から保安部でもマークしてたんだけどな。今度は部活を作るとか言い出すもんだからそりゃもう警戒したさ」

     各務チヒロが発起人となって生まれた『エンジニア部』。形式上、部長は幼馴染の白石ウタハではあるが、事実上の部長が各務チヒロであることは誰も疑っていない。問題は『エンジニア部』のメンバーである。

    「連邦生徒会にハッキングを仕掛けられるとか噂されてる明星ヒマリに、やたら技術力の高い白石ウタハ。で、ハイマ部長を出し抜いた各務チヒロだろ? 調月リオのことは正直知らなかったけどよ、蓋を開けてみればミレニアムの軍事力に対抗できる発明をしてたってんで警戒対象に繰り上がってな」

     調月リオの一件はセミナー部員も知っていた。
     あまりに危険だったとのことで、色々あって会長が取り上げたらしい。それを聞いたときは酷いとも思ったが、現在のミレニアムを支える防衛力が格段に増したと聞いて何とも言えない気持ちになったことを思い出した。

     良かったのか、悪かったのか。
     少なくとも、エンジニア部が一方的な被害者というわけでもないことがすぐに分かって留飲は下ったのだ。

     まるで仕返しと言わんばかりに作られた、悪質な広告をひたすら流すトラッキング技術の特許。各務チヒロの発明である。
     ミレニアムの校則において認めざるを得ない特許申請と、それによる個人への弊害。それを認めたセミナーに対してとんでもない量の苦情が届いたとのことで、一時的にセミナーは大混乱に陥った。

     事実チヒロを推すセミナー部員もその対処に駆り出された一人ではあったが、それでも権力に対してルールの範囲内でやり込めるというのは何処か胸のすく思いであった。

  • 29125/10/24(金) 08:06:56

     能力があると認められても、自分には決して出来ない『やり返し』。ミレニアムの最高機関に対して抗える個人。
     きっと世界を変えるであろう存在に対する憧れは、このとき初めて自覚したのかも知れなかった。

    「だから、手伝いに行けるのがすごく嬉しいんです! なんというか、その……」

     と、言語化しようとしたその先にあったのは、どうにも「凄い人に相乗りしたい」のようなものになってしまって思わず口を噤んでしまう。

     すると保安部員が笑って言った。

    「『登場人物』になりたいよな。何処にでもいる誰かとかじゃなくてさ」

     その言葉には、何処か寂しさが混じっていた。

    「先輩だから凄いってのはまぁ、分かる。でもよ、同い年で……なのに凄い奴っているじゃん。そういう奴からしたらあたしらなんて何処にでもいる誰かなのかもしんねぇけどさ。でも分かるんだよ。こいつは凄い奴だって。あたしはこんな凄い奴と同じ教室にいたんだぜって言いたくなるよな。だから自慢にしたいんだ、凄くない普通のあたしがこんな凄い奴と一緒に居たんだって」

     例え相手が覚えてなくとも、確かに自分はそこに居た。
     情けない誇りだと言われても関係ないと言わんばかりの、『先輩』のその言葉にセミナー部員は表情を強張らせる。

     ――自分はそこまで達観できるのか。
     ――自分はそんな風に、情けない自分を認められるのか、と。

    「じきに分かるさ。あんたらにも、きっとな」

     それはきっと未来の話である。
     先駆者が歩んだ優しき諦観の話であった。

  • 30125/10/24(金) 08:08:04

    「……だったら」

     だからこそ、先駆者を見て後を追う者は答えられるのである。
     セミナー部員であるひとりの少女は顔を上げて戦車が往く先を見た。

    「頑張ります。ちょっとでも、誇れる自分になれるように」

     今日から改めて頑張りたい。
     自分は凄い人では無いのだろうけれど、昨日の自分よりは凄くありたい。

     そんな願いを呟くと、保安部員は片目を閉じて笑みを浮かべた。

    「応援するよ、後輩」

     そうして、戦車は辿り着く。エンジニア部が拠点を構えるその場所へ。
     此処から先こそ戦場の最中。情報規制による事態の矮小化が図られた、誰も彼もが正確に何が起こっているのかすら理解していない日常。

     それを把握しているのはエンジニア部とセミナー上層部に限られた孤独な戦場。

     時刻は既に17時30分を迫るところ。
     ミレニアムに、夜の帳が覆っていく。

    -----

  • 31二次元好きの匿名さん25/10/24(金) 12:32:16

    何か大きな事には端役であっても。自身の人生においては皆主役なのだ

  • 32125/10/24(金) 18:09:16

     同時刻。戦闘開始から既に二時間が経過したハイマ書記の戦場にて、『ミレニアムライナー』の前に集まったエンジニア部たちは夜空を眺めていた。

    「…………やっぱり、『消えた』わね」

     空を見上げるリオの隣で頷くヒマリ。その後ろでは、スポットライトを空に向けて照射しているウタハの姿。
     前線の様子を見に行っているコタマとチヒロはともかくとして、アスナとマルクトの姿はここにはない。

     それから数秒、リオ達が見上げる空に突如として球体のような機械が出現した。
     高度3000メートル。そこからゆっくりと落ちてくるのはティファレト戦にて使われた飛行兵器『サムス・イルナ』を改良したものである。

     従来のガソリン式に合わせて反重力デバイスも取り付けられており、エネルギー効率が格段に上昇しただけではなく上空へと飛行も可能となった発明品だ。

     およそ完璧な姿勢制御によって『サムス・イルナMk.2』はリオ達の眼前へと降り立ち、中からマルクトとアスナが出てくる。

    「リオ。この地点では高度3000メートルを境に境界が敷かれているようです」

     マルクトの言葉を聞いてリオは手元の端末に観測記録をつけていく。
     この場に残ったメンバーが行っていたのは、『夜化』による影響の調査であった。

    「ひとまず、調査結果をまとめたから聞いてちょうだい。チヒロたちへの通信は?」
    「繋ぎっぱなしさ。……ということでチヒロ。聞こえていたかな?」
    【一応ね】

     通信機に聞こえるチヒロの声。普段のセフィラ戦ではグローブ越しに話していたが、あれはマルクトが本来の身体に戻らなければ出来ないということで現在は通常の通信機に頼っている。

     そうして行われるのはこの2時間で得られた情報の共有会だ。まずはリオから、『夜』の調査について。

    「ビナーが作り出した『夜』なのだけれど、ビナーの通った場所には幅3メートルの領域が生成されるわ。そして領域に侵入すると『夜』が見える。ここまでが事前情報だったのだけれど、縦方向での観測結果は異なるのよ」

  • 33125/10/24(金) 18:10:30

     気付いたのは本当に偶然だった。

     まず偽物の『夜』に対して上下の差異があるのかを調べようとして、空を飛べる『サムス・イルナ』をひっぱり出して来たところまでは良かった。
     そして二人乗りに改良を施してマルクトとヒマリの二人で空に飛んだところ、上空2500メートルを越えた瞬間『サムス・イルナ』が消失したのだ。

     通信途絶。地上に残ったリオとウタハは大いに焦ったが、すぐに『サムス・イルナMk.2』が降りて来て何があったのかを確認した。
     すると返って来た答えは『上空2500メートルを超えた瞬間地上が見えなくなった』というもので、どうやらそこを境に何か別の空間が発生していることが判明したのである。

    【ハイマ書記が航路の制御から取り掛かっていたけど、あれ本当に最適解だったんだ……】
    「ええ、本当に結果論だけれど航空機が『夜』に侵入していたら確実に大事故になっていたわね」

     地上が見えないだけでも大ごとだが、それ以上に最悪と言うべきは『方向が捻じれる』という現象である。
     例えば北を向いてまっすぐ上空に上がっても、高度2500メートルを越えてから再び降りると南側を向いている等、平面的な向きがランダムに入れ替わるのだ。

    「どのぐらい向きがズレるかは極めて乱数的ね。せめて定まっているのなら上空からの狙撃も検討できたのだけれど」
    【安定しているのは上下の移動だけってことか。潜水でも似たようなのなかったっけ?】
    「ヴァーティゴですね。方向感覚が失われて何処を向いているのか分からなくなり、水面へ上がれなくなるという……」
    【そういう名前だったんだ……。っていうか詳しいね。ダイビングでもやってたの?】
    「私の美少女さを生かして人魚になろうとしていた時期もありましたから」
    【ああ、そう……】

     やたら活動的なヒマリのことはともかく、『夜』に対して付随するのは高度2500メートルの境界が発生するということである。

     そして次に行おうとしたのは『夜』の領域に空中から侵入したらどうなるか、というものであったが、ここで予測していなかった事態が発生した。

    「領域の近くで上空に上がったら、2800メートル付近で『サムス・イルナMk.2』が消失したのよ」

  • 34125/10/24(金) 18:17:53

     『夜』になっていない夕暮れの空に飛んだにも関わらず、飛んだ機体が突然消え去ったのだ。
     そのとき搭乗していたヒマリとマルクトも、『夜』の中から飛んだときと同じ光景が見えたと報告が上がった。

    「つまり、ビナーの通り道から上空はV字を描くように切り込みが入っていると思われるわ。その切り込まれた部分に侵入すると『夜』が見える。高度2500メートルは『夜』の中でも観測できるような『何か』が行われていて、それを越えると完全に双方で認識出来なくなってしまうのよ」

     世界に溝を作って自らの望む『未来』で埋め立てる――それがビナーの機能の最有力候補である。
     とはいえ、『未来』と呼ばれるものの『何か』についてはまだ分かっておらず、ここについてはこれまでのセフィラの機能を活用した観測機を使っても暴き出すことが出来なかった。

    「重要なのはひとつ、ビナーは上空の断絶された領域を地上から観測することが出来るのか、ということよ」

     カメラや通信機のみならず、肉眼ですらも捉えられない絶対の境界。この先をビナー自身の観測が越えられるのかどうかが分かるだけでも何らかの手掛かりにはなるだろう。

    【うーん……。それって、未来が見えようとも避けようがない状況が作れるかって話だよね?】

     と、チヒロは当然思いつく疑問を呈した。

    【2500メートルだろうがそれを越えたら見られるんでしょ? 流石にミレニアムを覆うような網か何かでも落とさなきゃ絶対避けられるでしょ】
    「そこなのよね……。観測できないとしてもこれだけ距離が開いていたら絶対避けられるのよ……」

     動きを封じなければ確保のしようがない。ビナーの厄介な部分は単独の戦闘力よりも『絶対に逃げられる』という部分なのだ。
     思い出すのはイェソド戦。イェソドが『廃墟』から解き放たれて全力で逃走した場合、誰も追いつけず絶対に捕まえられないという後からの推察は、ビナーを通して証明された形となる。

    「ところで、チヒロの方はどうなの? 前線の様子を聞かせて欲しいのだけれど」

  • 35二次元好きの匿名さん25/10/24(金) 22:55:15

    保守

  • 36二次元好きの匿名さん25/10/25(土) 06:23:05

    前線報告

  • 37125/10/25(土) 08:55:49

     リオがそう聞くと、通信機からは歯切れの悪い声が聞こえた。

    【良くも悪くも安定してるかな……。あんたのAMASに変な改造されたのがうじゃうじゃ出て来てるし、保安部も交代しながらちょっとずつ後退してる。規模が大きいだけでいつも通りみたいな感じで、特にパニックとか起きてるわけでもないかな】

     上位者たちのゲームは静かな合意の下で、およそ双方にとって理性的な戦場を作り上げていた。
     ハイマ書記は人員の損害を殆ど発生させずに時間稼ぎを行い続け、ビナーは手駒たる戦力を着実に集めながら一気攻勢に備えている。このままいけば、いずれ決壊する前線であっても負傷者を殆ど出さずに次の展開へと移行するだろう。

     特筆すべきことは特に無く、強いて言うなら現場の状況と指揮官たるハイマ書記の負担が妙に偏っていることか。
     全ての事象を余すことなく支配しきる……それが『凄い』ということまでは分かっても、常軌を逸し過ぎているせいでそこにかかる負荷はエンジニア部の叡智ですらも理解し得ないものである。

     だが、ハイマ書記も負担を一人で背負って潰れるような愚は犯さないはず。そんなわけでその点についてはひとまず思考の外に置くことにした。

    【それで、ちょっと話を戻すんだけどさ。上空から地上までのラグが大きすぎるってならビナーを上空へ打ち上げるって言うのはどう?】
    「『空間固定』によるエネルギーの保存ね。反重力デバイスの強度を上げるだとか、ゲブラーの爆発みたいな膨大なエネルギーを発生させた瞬間に留めておくとか……」
    「問題は仕掛けたトラップをビナーに踏ませるというところですね」

     上空に広がる『未観測領域』をビナー自身も観測できない前提で、あらかじめマルクトを『サムス・イルナMk.2』で打ち上げて置き、下からビナーを上空へ打ち上げると同時にマルクトにも落ちてもらうという作戦である。
     これなら境界線を越えた瞬間にマルクトがビナーを捕まえられる状態まで近付けることが出来るかも知れないが、そこに生じる問題は当然ながら『ビナーがわざわざトラップを踏んでくれるか』という点だろう。

  • 38125/10/25(土) 08:57:20

    「ビナーが地上の全てを見えているのなら、択を迫らせて常に『罠を踏む方が得』と思わせるほどに逃げ場を奪い、上空に打ち上げられる以上の脅威に晒す必要がありますね」
    「ということは最後の最後までマルクトの位置がバレてはいけないということね。バレた瞬間、脅威に優先順位を付けられて本命の対処をされてしまうのだから」
    【…………やっぱりさ。厄介過ぎない? 今回のセフィラ戦】

     チヒロの言葉に反論は無かった。
     これまでのセフィラ戦と比べて、あまりにも『どうしようもなさすぎる』のだ。

     今でこそセミナーが時間稼ぎをしてくれているものの、そうでなければとうの昔に全滅しているほどに対処の施しようがない。
     何とか捻り出した対抗策ですらイチかバチかを何度も潜り抜けるようなものでしかなく、その上相手は偶然を赦さない絶対の支配者。あまりに隙が無さすぎると思うと同時に、『未来予知』という不確定な事象を確定してくる相手に対してどうすれば良いかなんて、少なくともこの時代の技術や知識には存在しなかった。

     重たい沈黙が場を支配する……そんなとき、アスナが「あ!」と声を上げた。
     どうしたのかとリオが顔をあげると、遠くから自転車に乗ってこちらへやってくる影がひとつ。

    「おおーい! 私を呼びつけるとは随分偉くなったものだなエンジニア部!」
    「アンリですね」

     マルクトが手を振り返したところで新素材開発部部長の山洞アンリが自転車をキキッ、と鳴らして皆の前に現れた。

    「それなりに市街地まで食い込んでいるようだな敵は」

     そう言うアンリ部長は怪我をしている様子は無いものの、ところどころ服が焼け焦げており、どうやら戦闘に巻き込まれていたようである。

     まさかと思ってリオがここまでの道中を尋ねると、アンリ部長は頷いた。

    「途中何回か交戦に巻き込まれてな。保安部とよく分からんドローンの戦闘の間に出た時なんて流石に肝を冷やしたわ……」
    「今のアンリの肉体はセフィラよりも硬い可能性がありますね」
    「まぁそうかもなマルクト。衝撃はあっても痛みは特に無い。こんな形で利便性を知るのはどうかと思うが」

  • 39125/10/25(土) 08:58:59

     マルクトの言葉に返すアンリ部長だが、今のアンリ部長の身体はおよそ人間離れした強固さを保持している。千年難題をひとつ解いてしまったがための呪いか、もしくは祝福か。

     そこまで考えたところで、ヒマリがリオにそっと近寄って耳打ちをした。

    「……あの、リオ。ちょっといいですか?」
    「なにかしら?」
    「アンリ部長が手伝いに来てくださいましたし、せっかくですからその『頑丈さ』をお借りすることが前提の検証を行って見るのは如何でしょう?」
    「人体実験ね。やりましょう」

     悪魔じみた提案をするヒマリに即答するリオ。
     そんな二人から漂う嫌な気配に気が付いたのか、アンリ部長はぶるりと肩を震わせた。

    「おい、貴様らいま何か変なこと考えていないか?」
    「いえいえまさか。早速いくつか頼みたいことがございまして……」

     ――なんて、きっとこの時この場にいる全員は何処か気が抜けていたのかも知れなかった。

     エンジニア部だけでは無い。前線で戦っている保安部員たちですら『いつもの戦場』だと、もちろん高を括っていたわけではないが自分たちの喉元にまで刃が迫っているなんて認識はなかったのだ。

     恐怖するほどではない戦い。完璧な指揮。完全なる遅滞作戦。そこに誰一人として疑問を呈していなかった。

  • 40125/10/25(土) 09:00:06

    「うん? あれは……」

     17時40分。街灯の明かりが照らす拠点にやってきた五人組の集団を見て、アンリ部長は目を眇める。

     ミレニアムのモノレールステーションにいたセミナー部員たちだ。「また会ったな」と言おうとして手を上げかけた時、先頭を走るセミナー部員の顔が妙に強張っていることに気が付く。

    「え、エンジニア部の皆さん……」

     まるで奥から絞り出すかのような声が、夜の中でやけに響いた。
     そこから告げられる凶報を恐れるように、しんと辺りが静まり返ったような錯覚を覚える。

    「ほ……報告します! セミナー本部壊滅! び、ビナーが、本部を襲撃したとのことです!」
    「なっ――」

     全ての前提がひっくり返る最悪の現実。
     それが訪れたのは、今からたった二分前の出来事であった。

    -----

  • 41二次元好きの匿名さん25/10/25(土) 13:41:47

    アカン…

  • 42125/10/25(土) 18:12:18

     17時35分。セミナー本部では慌ただしく動き回るセミナー部員たちと、ミレニアム全土を映したコンソールの前に立つ燐銅ハイマの姿があった。

     皆忙しそうだが、7月にあったミレニアム大停電からの復旧と同じぐらいの慌ただしさでそれ以上でもそれ以下でもない。
     ただし、燐銅ハイマを除いて――

    (C-4からC-3へ侵攻。B列撤退。間から2班差し込み――)

     絶え間なく操作するコンソールには各部隊の動きを20分先まで打ち込んであった。
     3時間――それが指揮を開始してからの時間であり、そのぐらいであればチェスの試合時間よりも若干短いぐらいである。

     違うのはこれがチェスではなくライトニングチェスに性質が近いということだった。

     ターン制を排した同時進行のゲーム。1秒経つごとに2手3手と進み続ける戦局。深呼吸なんてすればその秒数だけ状況が悪化し、まともに思考なんてする時間も存在しない。ほぼ反射的に手を動かし続けなければ到底間に合わない戦いである。

     こちらの腕は二本。駒は保安部総勢480名。使い捨てに出来ない『人間』であり、士気も体力も存在するためリソース管理を間違えれば自分ではない誰かが傷つく。ひとつ足りとて失えない中で動かす必要がある。

     対して相手は腕が六本。駒は工場のリソースが無くなるまで延々と生産され続け、使い捨てることが出来る。そして相手は絶対に間違えない。いま工場に留められているのは、ビナー自身が戦場に出て来るよりも工場で増産を繰り返す方が最適解であるからだ。こちらが攻め過ぎた瞬間、生産したAMASと共に前線を押し上げて今すぐにでも転移装置を奪いに来るだろう。

     勝ちすぎてはならない。負け過ぎてもならない。
     相手の全てを読み切って『あいこ』を出し続けなければならない思考の拷問である。

     ――存外、苦しい。

     そう考えかけた直後から思考はすぐに戦場へ。ハイマにとって守るべきはミレニアムであり、ミレニアムとは土地や人を指すのではない。ここに存在する『日常』を守るために独りコンソールを睨み続ける。

  • 43125/10/25(土) 18:13:20

     敵勢力はビナーを除けば『ハブ』に搭載されたEMPパルス兵器を使えば全て無力化できる。
     しかし『ハブ』を地上に出せばビナーに奪われる。『ハブ』を取り返すならマルクトの機能を使って乗り移れるとのことだったが、そうなればマルクトの位置が割れる上にマルクトの接続式が使えなくなる。

     『ハブ』を止めるためにはマルクトが動けなくなり、マルクトが『ハブ』から離れれば再びビナーに奪われる。
     つまりここに勝機は無い。それ以外の道をエンジニア部が見つけ出せない限り、この戦いに勝利は無い。

     そして――勝利への道はまだ見つかっていない。

    (時間を、時間を稼げ……。少しでも多く、誰も犠牲を出さずに――)

     ここはミレニアム。『学園都市』キヴォトスの三大校のミレニアムサイエンススクールだ。
     生存をかけた『戦争』などと、そんなもの『生徒』である皆に味合わせてはいけない――

    『書記ちゃんさぁ』

     ……ふと、脳裏に会長の声が聞こえた気がした。
     いつだったか、保安部長を兼任してから最初の作戦を行った時だったかと思い出す。

    『その志が立派だなんて気持ちが悪い。苦痛はさ、みんなで分かち合おうよ』

     その時会長の浮かべた笑みは、決して善良なものではなかった。
     どうせだったら全員で苦しもう。ひとりだけの地獄なんてもったいない。皆にも分けてあげようよ、と。

    「そうは思わないかい?」
    「――っ!?」

     不意に耳元で囁かれた気がして、はっと顔を上げる。
     そんな様子を見たのか、隣からメト会計が心配そうに声をかけて来た。

  • 44125/10/25(土) 18:14:24

    「だ、大丈夫……?」
    「いえ、なんでも――」

     答えながら視線をメト会計の方へと向ける。
     どこか疲れた顔のメト会計を見て、瞬きをひとつ。


     すると、それは、そこに居た。


    「――――」

     メト会計の背後に、ビナーが居た。瞬きした瞬間現れた。音もなく、最初から其処に居たというかのように。
     思考が止まる。セミナー本部に詰める全員が絶句した。何が起きたのか誰も理解出来ず、1秒が経つ――

     四つ目の荘厳。六本の腕。
     怪物が、メト会計に向かって上腕を上げた。

    「伏せろっ!!」

     叫ぶと同時にメト会計を押し倒す。ビナーの上腕がハイマの背中に突き刺さり、鈍重な衝撃が内臓に伝わって肺から息が漏れる。

     まるで風船が弾け飛んだように狂乱が本部を支配した。ビナーに向けて銃を向けて引き金を引いた者は例外なく暴発する。悲鳴を上げながら逃げ出そうとした者は例外なく何かに躓いて転び、爆発して飛び散った弾丸は跳弾を繰り返して全ての人間へと命中した。

     1%でも可能性があるのなら、それは例外なく『絶対』の運命となる。
     世界の支配者。あらゆる偶然を必然に変えるその機能は、かつて『讖(しん)』と呼ばれる機械を作るために生み出された権能である。

     ビナーは周囲にあるデスクやコンソールを一見乱雑に弾き飛ばし、それらは定められた軌跡を描くようにセミナー本部から脱出する全ての出入り口をバリケードのように塞いでしまう。
     閉じ込められた戦場。戦意を失い壁際へと這いずり逃げるセミナー部員。その中で、常駐していた保安部員と共にハイマ書記がアンチマテリアルライフルを手に立ちあがる。

  • 45125/10/25(土) 18:16:06

    「私含め総員18名――外部への連絡を!」
    「駄目です! 通信が遮断されてます!」
    「ハイマ部長。ビナー出現直後の時点に『ビナーによりセミナー壊滅』と通信は入れましたのでご安心を」
    「……っよくやりました」

     先んじてセミナー本部が壊滅したと連絡を入れたのは良い判断だったと称賛できる。ビナーに襲われた時点でその可能性が極めて高く、無事に切り抜けられたのであれば後から訂正すればいい。一番問題なのは、ここで全滅したことを誰にも知られないことなんだから。

     とはいえ、思わず舌打ちをしかけるハイマ。ミレニアムタワーはキヴォトスでも有数の超高層建築だが、エンジニア部が報告に上げて来た『上空2500メートル』の境界より低い。にも拘らず通信が途絶したということは『境界の位置は下げられる』ということだろう。

     思考を切り替える。

     戦えるのは自分を含めて18人。『未観測領域』を下げて来たということは階下への通信を途絶するため。しかし出現直後の時点ではこちらの通信を妨害できていなかった。つまり、考えられるのは『未観測領域内』ではビナーの確率改変とも言うべき機能が使えない。

    「今なら攻撃が通じるかも知れません。戦闘開始!」
    「「はっ――!」」

     全員が銃を構えて臨戦態勢に移る。ビナーが何も無い場所で鎌を振り回しながら保安部員たちへと体勢を向ける。

     直後、ハイマが叫んだ。

    「散開、デルタ――ファイア!!」

     ビナーがデスクを弾き飛ばしながら最速で突っ込むのと、保安部員たちが左右に分かれて緊急退避を行うのはまさに同時であった。直後、転がりながら正確にビナーの側面へ放たれる銃撃。フレンドリファイアはひとつもなく、その全てがビナーの機体に突き刺さる。

     そしてビナーの突撃を真正面からバックステップでギリギリまで読み切ったハイマのアンチマテリアルライフルの一撃がビナーの頭部を捉え、そして放たれる。

     がきん、と鋼鉄を撃ったような音。上腕および中腕で受け止められる弾丸。下腕が挟み込むようにハイマを薙ぎ払おうとして、同時にハイマが次の号令を皆に告げた。

  • 46125/10/25(土) 18:17:41

    「アルファ、アタック――引き戻せ!!」

     銃撃を短く終えた一部の部員が携帯式捕縛用ネットランチャーをビナーの下腕目掛けて放ち、捕える。縄を掴んだ部員たちが叫んだ。

    「引けぇ!!」
    「「おおーっ!!」」

     僅かに緩まる薙ぎ払い。その隙を突いてハイマは滑り込むように鎌の一撃を避けた。
     そしてその時には既に、縄を引く部員以外がグレネードをビナー目掛けて投げ放っている。

     がちりと歯車が回るような音がして背中側へ回る上腕と中腕。四本の腕がグレネードを弾き飛ばそうと触れた瞬間、爆発して広がったのは対象を拘束するためのトリモチである。ブラックマーケットで流通している変わり種の手榴弾。押収していたその物品を、情報の少ないビナーに使えるかもといくつか用意していたのだ。

     保安部員は部長であるハイマも含めて、個人では突出した戦力を持ってはいない。この中に美甘ネルは当然としてNo.2たる一之瀬アスナとまともに戦える個人は誰一人として存在しない。こと個人間での戦闘において、三大校に属する治安維持組織の中で際立った者がいないのだ。

     しかし、たったひとり。一代限りの戦術の天才が行う指揮によって個々の戦闘力を遥かに超えた力を発揮できる。
     巨人を殺す蟻の群れ。ひとりひとりは弱くとも日々の訓練と完全なる指揮によって生み出されるジャイアントキリングは、セフィラの喉元にさえ手が届く。

    「グリッド、カバー! ここで止める!!」

     即座に築かれる在り合わせのバリケード。その最中においても止まない銃声。リロードタイミングで交代し、陣地作成。一糸乱れぬ統率が行われる中で、ビナーは互いにくっついてしまった上腕と中腕のトリモチを引き剥がそうともがいている。下腕で銃弾を弾き続けているが全ては不可能のようで、着実にダメージを与えられているようだった。

     ばぢん、と音がして引き剥がされるトリモチ。そこに畳みかけるように撃ち込まれるネットランチャー。とにかく動きを止める。攻撃の手を辞めない。少しでも多く銃弾を叩き込む――今この場にいる保安部員総勢18名はただそれを行い続ける機械と化していた。

     そして、ビナーの片足がついぞ床につく。

  • 47125/10/25(土) 18:19:20

     ――押し込める。

     そう思ったその時、ビナーは中腕と下腕を背中に回した。まるで何かに威嚇でもするかのように上腕を大きく上にあげて、無防備になる胴体。そこに叩き込まれる無数の銃弾。がくん、とビナーが更に片膝を屈する。

    (なんだ……)

     妙な違和感。しかしハイマはアンチマテリアルライフルをビナーの頭部目掛けて撃ち放つ。命中、ビナーが大きく頭を逸らす。それでも上腕は上げたまま、背中に回された四本の腕がまるでヘイローを描くように変形し、そのまま大きな円となる。

     違う――とハイマはようやく理解した。
     中腕から下腕、あれこそがビナーの『ヘイロー』なのだ。

     触れ得ざる存在を現実に落とし込む。これこそがビナーの本質。それを元の――在るべき形へと今ここで戻したということは、きっと今から良くないことが起こる。

     あれは、止めなくてはならないものだ。

    「総員、ビナーのヘイローへ攻撃を!!」

     いったい何が起きるのか――そんな恐怖に駆り立てられながらもハイマが叫ぶ。
     銃弾がビナーのヘイロー目掛けて飛んでいく。全てが、すり抜けていく。
     何を撃っても、何処を撃っても、誰にもビナーがやろうとしていることは止められなかった。

     逃げ場なんて、既に何処にも無かったのだ。

    「対ショック姿勢――!」

     ハイマの号令ごと切り裂くように振り下ろされるビナーの上腕。

     そして、17時40分。
     セミナー本部が在った場所は、この世界から消失した。
    -----

  • 48二次元好きの匿名さん25/10/25(土) 20:59:16

    アサルトアーマー…?

  • 49二次元好きの匿名さん25/10/25(土) 23:43:32

    保守

  • 50二次元好きの匿名さん25/10/25(土) 23:56:29

    そういや上層は次元を操るとか言われてたっけか

  • 51二次元好きの匿名さん25/10/26(日) 07:34:38

    保守

  • 52125/10/26(日) 14:36:33

    「「かんぱーい!」」

     そう和気あいあいとした様子で缶ジュースを傾けるのは古代史研究会の部員たちである。
     ミレニアムの屋外カフェテリアに集まった彼女たちは、久々とも言える部長の帰りに口元を緩ませていた。

     古代史研究会の部長、神手フジノはリンゴジュースを飲みながら眼鏡をくいと上げた。

    「あんたたち、私が居ない間でもちゃんと研究やってたでしょうね?」
    「もちろんですよ! サボると怒られますんで」

     そう答える部員はどことなく誇らしげで、フジノは満足げに笑みを浮かべた。

     古代史研究会はミレニアムでも比較的歴史の浅い分野を取り扱う部活である。
     古代史――即ちキヴォトスの失われた文明を研究するこの部活は、各地から出土したオーパーツの鑑定から地層調査にかけて様々な研究を行ってきた。

     ミレニアムでも唯一無二とも言えるこの分野に張り合えるのは、恐らくトリニティのシスターフッドぐらいだろうとも自負している。故に、こんなニッチな部活に入る者は大抵がやる気に満ちた期待の新人なのである。

     ……とはいえ、あくまで部活の一つ。本分たる学業からは一歩後ろに下がってしまうような『趣味』の延長線の位置づけに成り得るのではと部長たるフジノは危惧していたが、どうやら後輩たちはしっかりと勉学を重ねてきたようで素直に喜んだ。

    「私の方もある程度落ち着いたし、明日から定例の研究会も再開するから準備はしておくように」
    「「はい!」」

     と、元気よく返事をする後輩たち。
     古代史研究会は神手フジノを筆頭としたゼミと化しており、普段フィールドワークや講演会で各地を飛び回っているフジノがちゃんとした形で後輩たちの面倒を見てやれる機会は実のところ少ない。

     だからこそ、唯一の三年生としてちゃんと見て、ちゃんと評価してあげないとという使命感はしっかりと持っていた。
     今日はその前日の、ちょっとした『おかえり会』である。食事代は部長であるフジノが持ってはいるが、フジノ自身たまにはこういうことをしておかないと自分がまだ学生であるということを忘れてしまいかねないほどには多忙であるため、言ってしまえばwinwinというわけだった。

  • 53125/10/26(日) 14:59:39

    「与太話だけどさ、この前セミナーの役員とか新素材開発部とかと共同で色々やったけど結構凄かったわよ」

     そう言いながらフジノ部長は慰安旅行の内容を、セフィラの部分を伏せながらもざっくりと話した。
     古代の超技術の再現実験や、エンジニア部と新素材開発部がもうじきとんでもないものを発表するかもなど、上手い具合にぼかした土産話をしてみると部員たちは興味深々と言わんばかりに頷いた。

    「部長、やっぱり調査と研究って結構違うものなんですか?」

     そう聞いたのは古代史研究会の一年生である。フジノは頷いてテーブルの上のポテトを摘まんだ。

    「本質は似ていてもアプローチと目的はやっぱり違うわね。私たちは暴いて積み上げるけど、向こうは作るために暴くって感じだし」
    「ええーと、それ。どういう違いが?」
    「在る物を理解することに重きを置くか、それとも求める答えを手に入れるためにいま在る物を調べるかってことよ。今あるものを積み上げるか、それとも『こうしたいからどうすれば出来るかを探す』みたいな?」

     古代史を研究する上でまず使われる手法とは個別の事例から抽象度を上げる帰納的アプローチが多く使用される。
     だからよく『目指すべき目的あっての研究』と混同されがちなのだが、実のところそれらは全くの別軸であり分けて考えるべき事柄なのだ。

     この辺りは調月リオなら拘っているだろう。彼女は基礎研究を行う研究者であり、その在り様は古代史研究会と極めて近い。もし何かが違えばエンジニア部ではなくこの部活に入っていたのではないかと思うほどには。

    「そういえば、メト会計もそういう類いの人種っぽかったわね」

     なんてことを言いながらフジノはミレニアムタワーの方を見上げた。
     セミナーは基本的に多忙である。早くとも20時ぐらいまでは基本的に業務を行っているはずだと本部の方に目を向けて、「あれ?」と違和感を覚えた。

    「……ねぇ、何か短くない?」
    「短い……って、何がですか?」
    「いやタワーよ。いつもなら灯台みたいにずっと明かりついてるじゃない」

     そう思って遠目に階数を数えようとした時である。
     突如、今見えるミレニアムタワーの最上階を伝うような、まるで空から突然現れたかのように白っぽい影がにゅっと生えてきたのである。

  • 54二次元好きの匿名さん25/10/26(日) 15:01:12

    ハリガネムシか?

  • 55125/10/26(日) 15:03:47

     頭から胴体。壁に突き立てられる腕は一瞬ヤモリのように見えて、すぐにそれが昆虫的なフォルムであると視認する。

     そのまま重力に引かれるように身体が下へと落ちていき、その勢いを壁に突き立てた幾本もの腕で緩和しようとしている。
     割れるガラスと引き裂かれるタワーの外壁。破片が地上に降り注ぎ、下の方では悲鳴のようなものまで聞こえ始めた。

    「ぶ、部長……あれ、ヤバいんじゃ……」

     怯え混じりに困惑する部員たち。フジノはその白い影に携帯のカメラを向けながら険しい口調で指示を出す。

    「……いますぐここから離れなさい。ちょっと連絡したら私も逃げるわ」

     そう言って部員たちが逃げるのを気配で感じながらもカメラは白い影へ。ズームしてはっきりと分かったのは思った通りの特徴を持つ『機械』。金色の瞳と白い外装を持つセフィラだ。

     エンジニア部が確保している超技術的存在。聞いたところによればマルクトによって接続しなければミレニアムにとって非常に危険な存在であるとのことだったが、あれが今タワーを壊しながら地上へ降りようとしているのはまさに未接続状態だからではないかと思ったのだ。

     すぐさま動画ファイルをエンジニア部へと送り付け、逃げ出そうと改めてセフィラの方を見る。

    「っ――」

     目が、合った。

     慌ててロケットランチャーを担いで逃げようとするが、それとほぼ同時にセフィラがタワーを蹴り出すようにこちら側へと飛んでくる様子が見えてしまい、逃げられないことを本能的に理解してしまう。

    「まずっ――」

     イチかバチか。ロケランを構えるがこちらへ飛んできたセフィラはもう100メートルにまで迫ってきていた。

  • 56125/10/26(日) 15:14:25

     その次の瞬間、フジノが見たのは真横から飛んできた別の『白い影』。遅れて突風が巻き起こって埃が舞い上がる。

    「ごほっごほっ……! 次から次へと何なのよ!?」

     そうして目を開けた先にあったのは、二体の『全く同じ姿をした』セフィラがもつれあうように地面を転がり、互いに腕を相手へ叩きつけている様子であった。



     掬い上げ、叩きつけ、振り下ろす。
     六本の腕を持つビナーとビナー。合計十二本の腕が凄まじい速さで動きながら相手の息の根を止めようと繰り出され続けていた。

     一方は土煙がその白い身体を汚す個体。もう一方は上腕と中腕に黒ずんでねばつく何かが付着した個体。

     この時点では区別が付いていた。しかし、互いに鎌を突き立てようと攻防を繰り返していくうちに、いつのまにか上腕と中腕のねばつきが消えて双方の個体差が完全に消失する。

     迅速の勢いで振り下ろされる上腕を、もう一方が同じく上腕で打ち払う。
     空いた胴体を下腕で薙ぎ払おうとする。それを中腕で撃ち落とす。
     飛び上がって下腕で相手の首を狙う。それを中腕で押さえ込んで阻止する。

     それが1秒も経たない僅かな時間の間に済まされ、二体のビナーは次なる攻撃へと移っていく。

     怪物同士の戦闘。それを目撃した者は誰も彼もが逃げ出した。尋常ならざる戦いに巻き込まれてしまう可能性を予測できない者なんていないのだから当然だろう。

     ――ひとりを除いて。

  • 57125/10/26(日) 19:54:28

    「…………っ」

     その戦いの様子を神手フジノは携帯のカメラで録画し続けていた。
     理由はもちろんエンジニア部に送るため。少しでも情報を届けなければいけないと、僅かに震える膝を制しながらカメラに収め続けていた。

     切り返し、地面を削り、宙を飛ぶ。

     蹴り飛ばされたビナーが自販機に直撃して缶ジュースが地面を転がる。そのまま近くの自販機に鎌を突き立ててもう一方のビナーに投げ飛ばす。弾く。空に打ち上げられた自販機がフジノの足元に突き刺さり、フジノは思わず息を呑んだ。

     ミレニアムサイエンススクールを破壊しながら続くビナー同士の対決。
     その全てをカメラに収めるために遠巻きながらも突いて行くと、一方のビナーが地面に倒れたもう一方のビナーの背中にのしかかり、その左下腕を三本の腕で絡め取っていた光景に出くわした。

     みしみしと音を立てんばかりに徐々に、徐々にと根元から折り曲げられるビナーの左下腕。抑え込まれたビナーはなすすべもなく、まるで悲鳴を上げるように頭部を上へと向ける。そして――

    【――――――!!】

     高周波のような甲高い音と共に、ばぎん、と――ビナーの左下腕は根元から引きちぎられて、フジノは生理的な恐怖心に襲われた。

     目の前の光景は文字通りの『殺し合い』だった。

     生き物が生き物を世界から排除するために、その存在を赦さないと破壊する原初の闘争。ビナーは相手を殺すことが出来る。その相手に自分が選ばれない保証など何処にも無く、ここに至って真の意味で死の恐怖を感じた。

    (も、もう駄目……。これ以上ここにいたら殺される……)

     動画を止めて再びエンジニア部へ送ろうとする。そこで気が付いた。電波が完全に遮断されていることに。

  • 58125/10/26(日) 19:55:51

    「は……?」

     それだけではない。周囲の光景がところどころおかしいかった。まるで何も無い空中から暗幕を垂らしたように、道の先にあるはずの屋外カフェテリアが完全な暗闇に覆われて視認出来なくなっている。

     ミレニアムタワーは地上10階までしか見えず、それより上がここからでは何故か見えない。
     どこもかしこも欠けたような闇に遮られ、すぐ傍の電灯の明かりすら不自然に闇へと吸い込まれている。

    「なっ、なにこれ……」

     そんな動揺がまさに命とりであった。
     今しがた左下腕を引きちぎったビナーがその腕をフジノ目掛けて投擲しようと大きく振りかぶっていた。

    「ひっ――」

     フジノ目掛けて投げられるビナーの腕。それと同時に腕をもがれたビナーが空中目掛けて上腕を振るう。切り裂かれたミレニアムタワーの外壁からデスクが転がって来てフジノの方向目掛けて落下。二つの飛来物はフジノの眼前で衝突し、少女の身体を傷付けることなくあらぬ方向へ吹き飛ばされる。

     その間隙を突いて、馬乗りになったビナーが下のビナーの右上腕を叩き潰し、動かなくなったところで何処とも知れぬ空へと飛翔し消えていく。残された傷だらけのビナーは何度も立ちあがろうとして、ボロボロの身体をぎこちなく動かしていた。

    「…………」

     嵐のように始まって幻だったかのように終わりを迎えたミラーマッチ。フジノはぺたりと地面に座り込んで、残されたビナーを呆然と見つめていた。

    (今の……あいつ私を守ろうとしてなかった……?)

     偶然デスクが空から落ちて来るなんて有り得ない。しかし、落ちて来る直前に何かを斬ったような動きを見せていた。だとすればあのセフィラがデスクが落ちてくるような『何か』をしたとしか考えられないが、それをやる理由が一切分からなかった。

     ビナーはゆっくりと立ち上がると、そのまま這いずるようにミレニアムタワーの方へと歩いて行く。
     左下腕はもぎ取られ、右上腕はへし折れて、それでも頭部は今は見えないミレニアムタワーの最上階へと向けられ続けている。

     フジノは、その姿が何故か恐ろしい怪物では無いと思ってしまった。

  • 59125/10/26(日) 19:56:57

    「ね、ねぇ……! 上に行きたいの?」

     通じているのかいないのか、ビナーは不意に動きを止めた。

    「だ、だったら、搬出用エレベーターがあるわ。……ついて来て」

     ビナーの先を越すように歩くと、その後ろをビナーは大人しく付いてくる。
     フジノ自身、この怪物を最上階まで連れて行って良いものなのかなんて分かっていない。しかし、壁を昇られたら外壁に穴が空くだろうし、かといって登攀を止めることなんて自分に出来るはずも無い。

     だったら大人しくエレベーターで上まで上がってもらった方がいいはず……そんな合理的な納得を行うことにしたが、本当は違う。

    (これは、同情だ……)

     腕をへし折られても進む姿を哀れに思ってしまったという、極めて個人的な感傷から来る行動。
     この選択が間違っている可能性の方が高いと分かりつつも、どうにも見捨てて置けなかった。

     そしていま一番問題なのは目の前をセフィラの腕を引きちぎって何処かへ向かって飛翔した方のセフィラ。あれは放置していてよいものでは決して無い。

    「……大丈夫なんでしょうね、エンジニア部」

     ぽつりと呟かれた声は、夜の闇へと溶けていった。

    -----

  • 60二次元好きの匿名さん25/10/26(日) 20:04:07

    これ会長さんか…

  • 61125/10/26(日) 23:45:36

     転移装置を巡る争奪戦の最前線はいま、大混乱に陥っていた。

    「部長からの指揮は!?」
    「連絡繋がらず……! 本部に何かあったかと!!」
    「くっ――敵が、敵が多すぎる……!!」

     18時10分。打って変わって大攻勢を仕掛けてきた奇怪なAMASの群れは前線を維持する保安部員では抑えきれないほどの数となっていた。

     頭部が電子レンジに置換されたアサルトライフル型AMAS、高機動を生かして遊撃を開始。
     胴部が冷蔵庫に置換されたガトリング砲型AMAS、弾幕を張りながら前線を押し上げる。
     腕部が五指のマジックハンドに置換されたハッキング型AMAS、転移装置に向かって侵攻中。
     肩部にテレビを装着された榴弾砲型AMAS、曲射にて遥か遠い戦場へ火の雨を降らせ続ける。

     前線に向かう保安部員110名に対し、相手は約5倍の数を誇る大軍勢。鉄と炎が地平を焼きながら進行する異形の機械たちの後進は、ビルを、街を、ミレニアムを、その全てをテルミットの炎に包みながら止まらぬ行軍を行っていた。

    「くそぉっ!!」

     誰かが半狂乱になりながらがむしゃらに引き金を振り絞る。
     鉄を叩く音が聞こえて最前線を進む機械が火花を散らしながら爆発する。

     吹き飛ぶ破片。それらを踏み潰しながらひたすらに進み続ける鋼鉄の兵士が銃撃を行い、ひとり、またひとりとその凶弾に倒れていく。

    「ユウリぃ!!」
    「駄目! 戻って!!」

     今しがた倒れた少女に駆け寄る保安部員。その姿が路上に露わになった瞬間、一斉に鳴り響く銃声。
     一瞬にして意識を刈り取られた少女が倒れていく。それを見て救助は出来ないと表情を歪めながら、また別の保安部員が叫ぶように自らの班へ号令を行う。

    「退避! あとで助けよう! 今はここから――」

  • 62125/10/26(日) 23:52:57

     そう振り返った先には、本来は三人いたはずなのにたった一人が立ち尽くしていた。
     絶望的な表情。今にも泣きそうな声で背後にいた少女が言った。

    「き、気付いたら居なくなってて……。ど、どこに行っ――」
    「危ない!!」

     突如として闇夜から姿を現した白いカマキリが、震える少女の胴体を薙ぎ払わんと腕を振り上げていたのを視認出来たのがやっとであった。

     叫ぶと同時に狩られる胴体。少女と共にカマキリ自体も闇夜に消え去り、残ったのは自分ただひとり。

     呆然と立ち尽くして見上げる空には、星も月も無い真の夜。
     手に持つ銃が、ぽとりとその手から零れ落ちた。

    「や、やだ……やだぁ……!!」

     たったひとり取り残された保安部員。前方から来る大軍勢。後方から密かに一人ずつ狩っていく六本腕の怪物。もう全てが現界で、泣き叫びながら後方へと走り始めた。

    「誰か――誰かぁ……!!」

     それは根源たる宵闇への恐怖。人は夜を克服すべく光を生み出した、

     けれども文明の光ですら照らせぬ闇が戦場を覆いつくしていく。通信機は役に立たず、肉眼で見る視界すらも暗幕が垂れたように届くはずの光ですらも遮られる。

     夜が来る。真なる夜が。
     闇夜の恐怖を、人はいま思い出した。

    「いやだぁあああああ!!!!」

     狂乱に陥りながら叫び続けて、転んで、その痛みすらも自覚できないほどに走って、走って、走り続けて――視界に映ったのは四つ目の荘厳。金色の輝きが眼前の闇にぽっかりと浮かんでいた。

  • 63二次元好きの匿名さん25/10/26(日) 23:57:16

    このレスは削除されています

  • 64125/10/26(日) 23:58:21

    「あぁ……」

     振りかぶられた鎌を視認した瞬間、脱力するように力が抜けるのを感じる。
     諦めと安堵が真の夜へと溶けていく。全てがスローモーションに見えていく錯覚を覚えながら、振られた鎌が最後のひとりの意識を正しく刈り取った。

     転移装置のひとつ、『Mタワー』――もとい『ハブ』への接続端末であるメルキオールタワーが陥落した瞬間であった。



     その悲鳴を聞き届けながら、険しい顔をしたコタマは二人乗りの軽量車両『カート』に乗って隣のチヒロへと現状を報告する。

    「メルキオール、恐らく陥落しました。残りの転移装置はバルタザールとカスパールの二つです……」
    「急に……。一体何があったの……?」

     工場に張っていたはずのビナーが突如として前線に躍り出た。それだけでハイマ書記ですら予期し得ない何かがあったことは確かである。
     そのうえ拠点と繋がっていた通信はいつの間にか途絶。先ほどから所々見える『暗闇』からして、この周囲一帯が既にビナーによって切り刻まれていることは確かであろう。

  • 65二次元好きの匿名さん25/10/27(月) 07:52:39

    過去のビナーを描きました

    今回は規模が凄いのでもうラスボス級にデザインを盛り込みました

    図のように前腕も含めた6本の腕は扇状に折り畳まれており、背中の四つ腕が変形し円状に結合することでヘイローになるというギミックです

  • 66二次元好きの匿名さん25/10/27(月) 07:57:51

    >>65

    画像を統合したものも

    頭上のヘイローは立ち絵の都合上背のヘイローと同時に表示されていますが、本来はこちらが主に表示されていて、背の四つ腕がヘイローとして結合すると一時的に消えるという想定です

  • 67二次元好きの匿名さん25/10/27(月) 13:57:19

    明確に格が違うって圧がある

  • 68二次元好きの匿名さん25/10/27(月) 19:04:16

    これは強い

  • 69125/10/27(月) 19:28:48

    >>66

    カッコよすぎる……! ありがとうございます!

    ビナー戦は本二次創作内でも一番規模が大きな戦いなのですが、これは確かにミレニアムも滅ぼせるデザインよ……


    というか「四ツ目十足のカマキリ」なんて訳の分からない造詣に対してこんなに素敵なものに仕上げられるのはあまりに凄すぎるのでは? 最高です! ありがとうございました!

  • 70二次元好きの匿名さん25/10/27(月) 19:42:51

    顔の造形がガメラのイリス思い出して震えた

  • 71125/10/27(月) 23:37:08

     それに、周囲を見ればところどころ空中に光を遮断する『夜の壁』が発生していた。
     拠点に居るヒマリたちの報告から考えるに、上空に広がる『未観測領域』と同等の物が地上にまで落ちてきているのだろう。

    「削る深度は操作できる……とか? プログラムのコードを消して一から書き直すようなものかな」
    「だとしたら私たちの未来は実行中のプログラムみたいに決まっているってことですか?」
    「……そうは信じたくないけどね」

     自分で考えて行動しているはずなのに、その全ては予め決められた通りでしかないなんてあまりに嫌すぎる。
     とはいえ流石に世界がそこまで無常ではないことは知っている。だとしても、ビナーは確実に『何か』を読み取って『未来』を観測しているのだ。

     観測出来れば干渉できる。そして存在しないものは観測できない。リオも言っていたように、これこそ研究の基礎である。

    「ビナーが見ているものが少しでも理解出来れば、きっとそこに勝機はあると思うんだけどね」
    「未来を変えたと誤認させるわけですね。……いやもう意味が分かりませんし人間の手が及ぶ範疇なんですかそれ? 神様の領域ですよ」
    「それで言ったら瞬間移動してくるのも波動を完全に制御するのも充分神の領域だからね?」

     しかしコタマの言うことも分からなくは無かった。
     ビナーの機能はこれまでのセフィラと比べて明確に『格』が違うのだ。正しく言うのなら『神性』――即ち『畏れ』とも表現できる部分である。

    「フジノ部長なら何か分かるかも知れないけど、それも私たちが生きてビナーを捕まえた後のことだね」

     夜に紛れて襲撃してくるビナーを捕捉する方法もまだ分かっていない。少なくとも、拠点と連絡が取れない状況は極めて危険であると判断したチヒロはコタマと共に拠点へと引き返していた。

     そんなときだった。背後からエンジン音と共にバイクが並んできて、チヒロたちに目を向ける。

    「エンジニア部の各務チヒロだな!?」
    「そう、ですけど……保安部?」
    「ああそうだ!」

     少々声を張り上げながら叫ぶのは保安部員。見たところ三年生のようで、チヒロも言葉遣いを正す。

  • 72125/10/27(月) 23:47:11

     どうしたのかと思って怪訝な視線を向けると、その保安部はとんでもないことを口にした。

    「セミナー本部が壊滅したんだとよ!」
    「はぁ!? え、は、ハイマ書記は!?」
    「分かんねぇ! だから状況確認に向かってんだ! 何でもビナーってのに襲われたらしいぞ!」
    「…………っ!」

     セミナー本部を落とすために工場から襲撃に向かったのか。短距離飛行とはいえビナーの速度は確かに速い。だが、チヒロの脳裏を過ぎったのはもっと嫌な想像である。

    (まさか……『二体目』?)

     セフィラには正体不明の『二体目』が存在する。推定『セフィラに成り代わった会長』ではあるが、だとしても理由が分からない。仮に会長だったとして、何故セミナーを襲ったのか。いや、そもそもこれすら空想。『二体目』が居たかどうかも分からなければ、その正体が会長だというのも空想。想像に想像を積み重ね、それを真実だと断ずるのはもはや妄想である。思考にバイアスが掛かることだけは避ける必要があった。

     とにかく、最悪の事態に向かって進んでいる可能性が極めて高い。
     そう思い歯がゆい思いをするチヒロ。所詮『特異現象捜査部』はマルクトやアスナと言った戦える人材が居たとしても、あくまで一個人に過ぎないのだ。戦況と言うマクロな視点で俯瞰した時に戦況を覆せるほどの力は無く、チヒロもコタマも大勢を救えるような力なんてものは持ち合わせていない。

    「お前らも気を付けろよ。前線にゃロボットの軍勢が押し寄せて来てるからな」
    「ありがとうございます。そちらこそ、御無事に」
    「ああ! じゃあな!」

     去っていく保安部員の後ろ姿を見送りながら、コタマがアクセルを踏む。
     兎にも角にも今は合流が先決――そう考えたチヒロは流れる景色を横目に見ながらひたすらにビナーが見る『未来』について考えていた。

    (これから起こることにはある程度の法則性がある……? 未来が不確定ならそもそも見ることだって出来ないはず――)

     つまり、程度の差こそあれ確定に近いぐらいには定められているはずなのだ。
     そしてそれらはきっかけさえあれば覆し得るレールとも言えるはず。リオの死を否定したヒマリのように、『脱線』することだって出来るのだ。

     ならば――ビナーが見ている『未来』とは何なのか。
     可能性? 必然性? まだ甘い。何かあるはずなのだ。もっと確度の高い『何か』が――

  • 73二次元好きの匿名さん25/10/28(火) 07:32:54

    保守

  • 74二次元好きの匿名さん25/10/28(火) 16:18:22

    保守

  • 75二次元好きの匿名さん25/10/28(火) 21:17:56

    保守

  • 76125/10/28(火) 23:45:23

    「チヒロ! ちょっと捕まっててください!」
    「え――うわっ!!」

     急にコタマがハンドルを切って進行方向を変える。タイヤが滑って思わず転倒しかけるが、チヒロが反対側に体重をかけて何とか事なきを得た。

     どうしたのかとチヒロはコタマを見るが、その表情は険しい。
     苦々しく頬を歪めながらコタマは言った。

    「大群が回り込んできてます。ちょっと遠回りしますね」
    「それ、『聴こえた』の?」
    「ええ……もう既にバルタザールタワーも攻略されかけているでしょうね。――投石? いえ、カタパルトで後衛に直接AMASを送り込まれているみたいです」
    「どのぐらい持つ?」
    「分かりませんよ!? 聴こえるだけでそういう頭使うのは他の人に聞いてください!!」

     苛立ちと言うより焦りに満ちてか、コタマの口調も荒々しくなる。

    「チヒロ。私は皆さんみたいにどうやってビナーを倒すかとかビナーが何を見てるだとかさっぱり分かりませんので、代わりに考えてくださいよ……! ビナーが何処から飛んで来るのか耳を澄ますのに精一杯ですし!!」
    「ちょっと待って。あんただったら普通に聴こえるんじゃないの? だって空飛んでるんでしょ?」
    「そう言いたいところです、が…………あの黒いカーテンみたいに見える場所。音を反射しないようでしてさっきから聞こえ辛いんですよ……!」

     聴こえるはずのものが聞こえない。それがコタマにとってかなりのストレスになっているようで、それは傍から見ても分かるほどであった。

     コタマの聴力を含めた危機察知能力はもはや野生の草食動物並みで、こと逃走においてはリオとは違うアプローチで匹敵するほどである。

     そのコタマが、アクセルを緩めた。

    「コタマ……?」

     ふと心配になって顔を伺うと、その表情は恐怖に染め上げられていた。
     強張った口元。僅かに紡がれる言の葉は、認めたくないものを認めざるを得ないような諦観に満ちて――それから言った。

  • 77二次元好きの匿名さん25/10/29(水) 07:55:10

    コタマ…

  • 78二次元好きの匿名さん25/10/29(水) 08:09:40

    囲まれた…?

  • 79125/10/29(水) 09:52:35

    「下から……、大きな何かが出てこようとしてます……」

     それは宣告だった。
     すぐにチヒロにも分かるほど大きな地響きが足元を伝わり、チヒロはコタマの見ている先――生産工場がある都市部との境界へと釣られて視線を向ける。

    「掘削する音……。コンクリートを突き破る音……。鉄が引き裂かれる音……」

     半ば恐慌状態に陥りながら呟かれる不吉な言葉に、チヒロはもう何が来るのか分かってしまった。

     ――タイムリミットだった。
     ミレニアムを陰ながらに守り続けた維持機構が、ミレニアムの崩壊を望んだ瞬間だった。

    「――――っ」

     遠い遠い視線の先で、何か大きなものが爆発したように巨大な土煙が空へと上がる。
     遮られた暗闇から見えるのは数えきれないほどのアームユニット。ミレニアムを覆いつくさんばかりに長大で強大な無数の手。タコにも見えるそのシルエットは炎と共に現れた。

     黒い影。ミレニアムの底に居た者。世界を守れるということは、即ち世界を滅ぼせるということでもある。
     遠くから聞こえる地鳴りと破砕の音は産声の如く、チヒロはただ茫然と呟いた。

    「……『ハブ』」

     有効射程――ミレニアム全土。
     全てのアームユニットを接続し、そこから更に数多の機械へと接続して侵食するは、ミレニアムと共に成長を続けた最古にして最高の演算機。

  • 80125/10/29(水) 09:54:25

    「コタマ……逃げなきゃ……」
    「っ――何処にですか!?」
    「少しでもヒマリたちの近くまで!! ここに居るより良いで――」

     そう言いかけたチヒロの瞳に映ったのは、自分たちの遥か遠くに降り注ぐ榴弾頭。
     そのうちの一つは爆発せず、不発のまま地面をかつんと跳ねて宙を飛ぶ。

     飛んで、板に当たって反射して、それから前へ。
     もはや悪夢と言わんばかりの不発を越えて、爆裂寸前の弾頭がチヒロたちの元へと迫っていく――

     そこに、回避するなんて時間も意識も介在しなかった。



     接続式。これより敵になるのは『ミレニアム』という大地そのもの。
     ミレニアムを支配し続けて来た今代の最強と最高――リヴァイアサンもベヒーモスも此処には居らず、生まれた空白を埋めるのは最強のセフィラたるビナーと『ハブ』の二翼。機械が人を越えた瞬間でもある。

     空から破滅がやって来る。
     世界に突き立てられるのは無数の柱。周囲全てを侵食し『ハブ』の制御下に組み込むインベイドピラー。

  • 81125/10/29(水) 09:56:38

     侵食された電子機器は人間に対して突如として牙を剥き、人を守るはずの警備ドローンは人を少しでも多く傷付ける殺戮兵器と化した。

     空を守る防空機構も組み替えられて、建造物を破壊する兵器と成り果てた。
     ミレニアムを照らす街灯の全ては明かりを消して、月明かりすら存在しない偽りの夜が地平を覆う。

     電子経路を侵され切ったミレニアムにもはや為す術はなかった。
     全てが暗闇と、大地を焦がすテルミットの炎に沈んでいく。

     この日――ミレニアムは知ることとなった。
     高度に発達し過ぎたキヴォトス最高の技術の果てにあったのは、破滅であったのだと。

     終末時計は回り切った。
     世界は滅ぶ。ミレニアムという、ひとつの世界が。

    -----

  • 82二次元好きの匿名さん25/10/29(水) 11:34:19

    そういやここのビナーの機能って本編のアビ・エシュフっぽい

  • 83二次元好きの匿名さん25/10/29(水) 18:04:06

    ミレニアムがヤベェ

  • 84125/10/29(水) 23:08:10

     それは、果て無き闇の中だった。
     世界から断絶されたかのような虚無の苦しみ。過程を取り除いたかのような、『傷付けられた』という結果だけを与えられたような現実。

    『……く! …護を!』

     聞こえる声はずっと遠く――ハイマ書記は虚ろな意識の中でそれを聞いていた。

    (な……に、が……)

     思考はまとまらず、聴こえる声さえ不明瞭。
     自分の身体がいまどうなっているのかすら分からない。ただ、どうにか生きていることだけは確かなようだった。

    『…んと…う、なん………。ビナー……っけ? 二体………し、…んか助け…くれ……みた…だし』

     辛うじて聞こえる声が『情報』となって脳裏を巡る。

    (二体――ビナー。助け……?)

     曖昧な情報が脳裏を駆け巡る。身体はまるで動かない。声も出せそうにない。なのに回り続ける自身の思考。
     触れられそうで触れられない微かな違和感。声が遠のいていったことで自分が何処かに運ばれていることが分かった。恐らく救護室か何かだろう。重症人はそこに運ばれる手筈だ。

    (なにか……おかしい…………)

     一撃でセミナー本部を壊滅せしめた理外の一撃。あれが何だったのかは分からない。ただ『それだけの力があった』というのが問題なのだ。

     どうやらビナーは二体居るらしい。突然本部に現れたビナーがどちらなのかは分からないが、少なくとも最初のビナーはそんな力を使おうともしなかった。もっと早くから使っていればあんな膠着状態、すぐにでも解消できたはずなのに。

     そしてビナーはどうやら自分たちを助けてくれたようだ。本部を襲ったビナーとは違う個体であることは間違いないだろう。

     何故? ビナーはもう一体のビナーを警戒している――いや、排除したがっているから、外部戦力たる自分たちをを引き入れることで優位に立とうとしているのだろうか。

  • 85125/10/29(水) 23:09:50

     …………何故?

    (ミレニアムを滅ぼすのならビナーが二体居た方が良いはず。少なくとも『ハブ』を引きずり出すのなら協力した方が――)

     そう思って、考えをまとめて、それから更に考えて――ハイマは気が付いた。
     自分が犯したどうしようもないほどの『勘違い』に気が付いて、この戦いの望むべき決着が見えてしまって絶望に喘いだ。

    (私は……『間違って』いた――!)

     前提から全てが間違っていたのだ。それをようやく『理解』してハイマは呻く。
     何もかもが間違っていた。自分の立てた作戦は、根本からその目的を履き違えていたのだ。

    (伝えなければ…………誰かに、エンジニア部に――!!)

     軋む身体を動かそうともまともに動いてくれはしない。
     声を発しようとしても掠れた声で、きっと誰にも届かない。

     それでも、ハイマは懸命に腕を伸ばして自分の意識が辛うじてでもあることを知らせようとした。
     震える腕に殆ど力が入らない。意識が再び闇へと落ちていく。肺から空気が漏れる程度の声しか出ないが、それでも必死で言葉を紡いだ。

    「こ……コード:310……。エン、ジニア部……に……!!」

     きっと誰にも聞こえていない。保安部にしか伝わらない作戦指令。もっと言えば、自分が組んだ作戦指示書を読んでくれた者にしか伝わらない、ただの一度として使われなかった作戦コード。

     それでも、ハイマ書記は震える腕を力の限り天へと向ける。
     意識は曖昧で殆ど全てが霧の中へと消えていく。『それでも』、誰かがこの言葉を聞き取ってくれることだけをミレニアム最高の指揮官は望んだ。

    「地上に……追うべ、き――星を……!」

  • 86125/10/29(水) 23:11:28

    「……分かった」

     震えるハイマの手を、誰かが掴んだ。
     掴んだ誰かの手もまた、微かに震えている。ぼやけた視界に映ったのは保安部員の制服。その『誰か』は、顔を歪めて復唱した。

    「コード:310、だな部長。エンジニア部に伝えればいいんだろ?」
    「……あ」

     その手を掴んだ者の名を呼ぼうとして、そこでハイマは力尽きた。
     残されたのは何処にでもいるような保安部員。そのことを、保安部員自身は分かっていた。



    (あたしがここに居たのは、本当に偶然だったんだ……)

     何処にでもいるようなただの保安部員として今日まで活動して来た。
     特別優れたものなんて特に無い。ミレニアムに入学したのも元々ミレニアムに住んでいたからで、部活も特にはやっていない。勉強だって特別できるわけでも無ければ特別できないわけでも無い。本当に何処にでもいるような、普通の学生なのだ。

     大きな事件の大抵は凄い奴らが解決して、その後処理を行うぐらい。
     世紀の発見なんてしたことも無いし、優れた成績を収めたこともない。

     凄くもない自分が誇れるのは、そんな凄い奴らと一緒に居たと言うことだけ。そこに緩やかな諦めと情けない誇りがあるだけで、別にズルいとかそんなことを思ったことは一度も無かった。凄い奴には凄くあり続けられるだけの理由がある。

     『才能』なんて言うのは宝くじでは決して無い。いつ崩れてもおかしくない積み木を何処までも高く積み上げられた者だけが、ミレニアムでは『天才』と呼ばれるのだ。そこまでの熱意を自分は持てなかった。大半の生徒はそれが普通で、だから自分は特別でも何でもない。

     それが日常で、今日だってそのはずだったのだ。

     明らかに類を見ないほど大きな事件が起きたらしいと聞いて、保安部員が全員出動することになった。
     普通に授業を受けた後、交代要員として前線へと戦車を運びがてらに向かった。

  • 87125/10/29(水) 23:15:45

     セミナー部員たちと遭遇して、送りがてらにエンジニア部の拠点へ少し寄り道をして――その結果前線に辿り着くのがひとり遅れたのだ。
     
     交代の時間まで猶予があったはずなのに、交代するはずだった先発隊も自分以外の後発隊もやってくる機械の群れと交戦していたのだ。

     押し寄せて来る波を追い返そうと戦い傷つく仲間たち。すぐさま加勢しようとしたが、唯一無傷だったがために学園へ戻って本部の様子を見て来てほしいと頼まれた。そこで知ったのだ。本部が襲撃されて壊滅し、それから少し遅れて通信が断絶したということを。

     学園に戻る最中、エンジニア部の各務チヒロに現状を説明できた時点で何処か満足していたのだ。
     『あの』各務チヒロに状況を伝えられた。あいつは凄い奴だから、そこからすぐにでも適切な形で逃げてくれることだろうと。そしてそんな考えすら甘かったことを直後に思い知った。既に街が戦場になっていたのだ。

     突如街を襲った大停電。全ての照明が落とされて、視界が暗闇に包まれる。

     しかし遠くに見えるミレニアムタワーだけは例外だった。以前起こった大停電以降、EMPパルス兵器を使われてもミレニアム自治区の電力供給機構が破壊されてもタワーだけは動き続けるよう改修されていたからだ。

     学園までの道のりでも多くの戦闘が見受けられた。頭がレンジだったり身体が冷蔵庫になっている冗談みたいなフォルムの、冗談じゃない火力を持った歩兵たち。幸いにも出撃する本隊の流れに逆らうようにして進めたため、特に怪我をすることもなかった。

     そうして学園に辿り着いた辺りで聞いたのは、一時的に消失したセミナー本部が再出現し、中にいた全員が酷い怪我を負って発見されたということ。セミナー部員もハイマ部長も全員意識不明。救護班が懸命に救急活動を行っているとのことだった。

     それなら手伝おうと救護室に向かったのだ。本部の状況は自分が戻らなくともいずれ伝わるし、今更ひとりで戦場に戻ってもたかがひとり、何かが変わるわけでも無いだろうと。だったら明らかに人手が足りていないこの場所で働いた方が有益だと、そのぐらいの考えだったのだ。

     だから、救護室に居た『戦闘を行える保安部員』は自分だけだった。
     酷く傷ついて寝かされているハイマ部長の姿を目の当たりにしたら、想像以上のショックを受けた。

  • 88125/10/29(水) 23:21:04

     何か、ずっと信じていたものが崩れ落ちたような感覚がして、なんでそんなことを思ったのか分からずにしばらく呆然としてしまった。

     だから、意識を失っているはずのハイマ部長が、動かない身体を必死に動かそうと手を伸ばしていた姿が目に映った。

     周囲を見ても、誰もハイマ部長には気が付いていない。
     慌てて近くに駆け寄って、掠れた声が耳に入る。

    『こ……コード:310……』

     ……息を呑んだ。この場にその作戦コードの意味を知っている者は自分しか居ないからだ。

    『エン、ジニア部……に……!!』

     このとき感じたのは、決して何を言おうとしているのか聞こうなんてものでは無い。
     ぐらりと世界が揺らいだような、激しい動揺だけが内に渦巻いていたのだ。

    (あたし……なのか……?)

     大きな事件の大抵は、凄い奴らが自分たちの知らないところで解決していた。自分たちが知るのはいつだって全てが終わった後のこと。自分たちの住む世界の裏で、違う世界の同級生が知らない何処かで活躍している。意識を失っていたハイマ部長の姿を見てショックを受けたのは、言ってしまえば無敵のヒーローが負けてしまったときのようなものだったのだ。

     それでもなお、保安部の部長である燐銅ハイマは諦めてなんて居なかった。
     必死にバトンを繋ごうと、地に倒れ伏してもなお先へと向かって腕を伸ばしていた。

     ――誰かがやらなくてはならない。
     ――誰かが、部長のバトンを繋がなくてはいけない。

     周囲を見ても、救護室に居た『戦闘を行える保安部員』は自分だけだった。
     この場に作戦コードの意味を知っている者は自分しか居なかった。

    (あたしの……『番』なのか……?)

  • 89125/10/29(水) 23:25:26

     繋げることが出来なければ部長の想いは誰にも届くことなく潰える。
     部長の最後の作戦で救えたはずの人が救えなくなる。そんな大きな責任、考えるだけでも重すぎた。

     なのに、ここには自分しかいない。部長の言葉に気付いたのも自分だけで、目を逸らせば簡単に無かったことに出来てしまう。聞かなかったことにしてしまえば失敗する前にこれまでの日常に戻れる。少なくとも戦犯になることだけは絶対にない。だって誰も知らないのだから。

    (…………違うだろ)

     一瞬過ぎった惨めな保身に首を振る。
     見なかったことになんてすれば『凄い奴と一緒に居た』なんて情けない誇りすら失ってしまう。

     例え誰も知らなくても、自分自身がこの日の行いを知ってしまうのだ。どんなに情けなくても唯一の『誇り』で、これすら無くしたら本当に何も無くなってしまう。

     順番が来たのだ。自分の番が。
     遠巻きに眺めていた英雄譚の更に裏へ、その手を掴むときは『今』だった。

    『コード:310、だな部長。エンジニア部に伝えればいいんだろ?』

     手を取ってすぐ、ハイマ部長は再び意識を失った。
     息を大きく吐いて、自分の顔を挟み込むよう強めに叩く。腹を括るしかない。ひとりで夜の戦場へと戻るために。

    「わりぃ! 手伝うって言ったけどエンジニア部のところまで行かなきゃいけなくなった!」

     顔を上げて周りの救護班にそう伝えると、すぐさま外へと飛び出した。

     バイクに乗り込みハンドルを握り込んで学園から戦場へ。暗闇に包まれた街には不気味なほど人が居ない。
     激しい銃撃音が11月の寒々しい夜空に響く。星も月も、進むにつれて狂ったように明滅し、やがては空から光が消えた。

     通信は断絶されたまま。次第に瓦礫と銃撃戦の跡が目につき、遠くには赤い炎が揺らめいている。
     倒れた保安部員。呻き声が聞こえ始め、その数が増えるにつれてどれほど酷い戦いがあったのか嫌が応にも理解してしまう。

  • 90125/10/29(水) 23:28:33

     テルミットで焼かれた道路の異臭が鼻をつき、炎の明かりが照らし出すのは、遠くで戦う保安部員たちの背中であった。

    「あぶない!」
    「うわぁ!!」

     空から降り注ぐ榴弾の雨にひとり、またひとりと吹き飛ばされていく。
     当たらなかった者は倒れた仲間には目もくれず、叫びながら銃の引き金を引き続ける。しかしそれも一瞬のことで、すぐに銃声が鳴り響いて倒される。

     そこで初めて向かいに見えたのは、もはや眼前を覆うほどに集まった狂った機械の群れ。壁とも言えるほどの量で、およそ抑え込めるわけもない。

     そんな絶望的な戦力差に心が折れたのか、ここまで持ちこたえてきた保安部員たちもこちらに向かって逃げ出し始めた。

    「ねぇ! あなたも早く逃げた方がいいよ! あんなの勝てるわけないって!」

     逃げ出す保安部員たちのひとりがバイクに乗った自分に向かって叫ぶ。
     ……それでも、その言葉に頷くわけには行かなかった。

    「…………部長から、エンジニア部に伝言があるんだ」
    「伝言ひとつでどうにか出来るわけないじゃん! だって、だって……『あんなの』どう勝てばいいの!」

     指を指された方向を見ると、遠くに見えたのは触手を持った巨大な影。思わず目を見開いた。

    「なっ……なんだよあれ……」
    「わかんないよそんなの!! 誰にも連絡は付かないし、部長だってやられちゃったんでしょ!? もう――っ、もう、駄目だよ」

     今にも泣き崩れそうな保安部員は、くしゃりと顔を歪めた。
     向かう先には数えきれないほどの銃器を搭載した歪な機械。その奥には大怪獣。人がどうにか出来る範疇を超えているなんて、火を見るよりも明らかだった。

  • 91125/10/29(水) 23:29:52

    「……それでも、それでもあたしはいかなきゃ」
    「現実を見なよ!! 言葉一つでどうにか出来るわけないって――」
    「ここで逃げたら……!!」

     ここまで来た自分にだって分かっている。どれほど馬鹿みたいな空想に自分が囚われているなんて分かっていた。
     どう考えても此処から先が死地であることも、進もうにもエンジニア部の元に辿り着く前に倒れることになることだって分かり切っていた。

     それでも、首を縦に振るわけにはいかなかった。

    「ここで逃げたら……あたしは現実にも帰れなくなる……」
    「…………」
    「だから、行くんだ。天才でも最強でも無いけど、いかないといけないんだ……」
    「……じゃあ、これ。あげる」

     保安部員は腰からたったひとつ残ったフラッシュバンとスモークグレネードを外してこちらに寄越してくれた。

    「相手は機械だから効果は無いかもだけど、何も無いよりマシでしょ?」
    「…………ありがとう」

     貰ったものを腰に括りつけ、バイクのスロットルを回して走り始める。振り返らない。振り返ったら恐怖で前に進めなくなってしまうから。

     迫る機械たち。逃げ惑う保安部員たち。その流れに逆らって、燃え盛るミレニアムの街を進み続けた。
     一体、二体と路地から突然現れる機械たちの放つ銃弾が身体を掠める。前方に見える機械の軍勢は銃口を向けながら射程内に入った者を例外なく撃って行く。

     その射程に入る前に路地へ。車体がゴミ箱に当たって中身がぶちまけられる。汚水が飛び散り制服を汚すが気にしている場合ではない。路地を抜けて隣の大通りに出た瞬間、空から降って来た榴弾が近くに落ちてアスファルトを砕く。その破片が排気口に入り込んで目詰まりし――破裂。制御を失った身体が前へと吹き飛ばされて道路を転がる。

     身体が痛い。表皮が抉れてじくじくと痛み腕。それでも止まるわけにはいかない。
     すぐに立ち上がり、ただひたすらに傷だらけの足で走り始める。

     前へ。ただ前へ。

  • 92125/10/29(水) 23:37:05

     この大通りを進行する機械たちもまた、瓦礫を踏み潰しながら進み続けていた。

     よく訪れていたスイーツ店の看板を踏みにじり、近所に住んでいた親子の家を瓦礫に変えながら無慈悲に学園目掛けて進み続けている。

     星も月も無い歪な夜空。燃え盛るミレニアム。見飽きた世界が壊れていく。
     『あたしたち』の街が壊れていく――

     これが現実なんて、認めるわけにはいかなかった。

    「誰かが、誰かがやらなきゃいけないんだ――!!」

     叫びながら再び路地へ。エンジニア部たちのいるはずの拠点に向かうまでの最短距離を走り続ける。
     空から降り注ぐ爆発。地上を覆う弾幕。何度も焼かれ、何度も撃たれ、転び、傷つき、それでもひたすらに走り続ける。

    「っはぁ――! っはぁ――!!」

     次第に息が上がる。内臓が握り潰されたかのよう脇腹へと激痛が走り続ける。
     口の中はべちゃべちゃで、今すぐにでも水が飲みたい。もう息を吐いてるのか吸っているのかすら分からず、頭がガンガンと痛み続ける。

     手足が痛い。全身の筋肉が引きつったように突っ張って、ぐらぐらと揺れる炎の熱に眼球が乾く。
     でも、止まってはいけない。休んではいけない。ここで倒れたら、誰にも伝えられずに倒れたら本当に終わってしまう。

    「ぅくっ!!」

     瞬間、ぼやける視界の端に歪な機械の姿を見た。
     銃口が向けられたように見えて腰の手榴弾を取り出し投げ放つと、空中で撃ち抜かれて同時に煙が辺りへと撒き散らされる。

    (スモークだったか……!)

     視界を覆う濁った煙を吸ってしまって大きくえづいた。口から吐かれた吐しゃ物が身体を汚し、よろよろと壁へと背もたれかけて、すぐに離れた。いま止まったら二度と走れなくなる。だから、前へ。

  • 93125/10/29(水) 23:38:35

    「……そっ! 少しず…後……!」
    「分か……した!」

     その耳に聞こえたのは誰かの声だ。この先で保安部員たちが戦っているのだ。
     拠点までまだ遠いが、彼女たちに伝えられれば少なくとも自分が倒れたとて伝わる。あともう少し。あともう少しだった。

     途端、後ろから銃声が聞こえて腰に当たる。
     正確には残っていたフラッシュバン。背中で爆ぜて、聴覚さえも奪われて膝を突く。

     軋む身体で回避運動。それから射線を切るように路地へと再び飛び込んで思わず笑ってしまう。

    (貰ったもの……全部足引っ張っちゃってんな……)

     きっと、渡された相手が自分ではなく『誰か』だったら上手く活用してピンチを切り抜けたりするのだろう。
     でも所詮はこんなものだ。そんなに上手く行くはずが無い。そこにあるのは無慈悲であまりにも皮肉な現実で、よたよたと走りながら路地を出る。

     次の大通り。その次の大通りから声が聞こえたのだ。

    (あとひとつ。あとひとつ抜ければ良い――あとひとつ!)

     眼前に映る路地だけを見つめ続けて歩みを進める。
     ――だから気が付かなった。すぐ隣に機械たちの行進が迫っていたことに。

     弾幕が張られ、すぐさま余すことなく全身に鉄の弾丸が突き刺さる。
     それで意識がほとんど狩り飛ばされて、あっけなく身体が地面を転がる。

     何が起こったのかを理解したのは転がされて数秒後。
     次の路地まであと5メートル。歪な機械たちの侵攻は確実にミレニアムを踏み鳴らすかのように遅い。路地まで逃げて、壁がその路地まで到達する前に抜け出せれば追っては来ない。

  • 94125/10/29(水) 23:51:58

    「あ…………、と、少し……なん――」

     酷く痙攣する全身に力を入れても立ちあがらない。奥歯を噛み締めて全力で起き上がろうとしても脳が起き上がることを全力で拒否し続けている。それが「もう限界だ」と、「諦めろ」と言われているようで泣きたくなった。

    「い、やだ……! ここまで来た……意味が、ない――じゃないか……!」

     そう叫んでも立てないものは立てない。窮地に陥って何か不思議な力が湧いてくるわけでもない。
     身体は動かない。声は届かない。自分は決してヒーローではない。それでも何かに願わざるを得なかった。

    「うごけ……動けよぉ!!」

     悲痛とも取れる叫び。それに応える者はいない。
     代わりに落ちてきたのは榴弾の斉射であり、それらが間近で炸裂して身体が大きく吹き飛ばされる。

     焼け焦げたミレニアム保安部員の制服。もはやその身体はキヴォトスにおける限界を超えていた。
     気絶というセーフティを越えた死のライン。普通なら既に意識を失って倒れているはずにも関わらず、希望を胸に死へと近付く。

     霞む意識の中で思い出したのは、いつぞやの部長と会長の会話であった。

    『たとえ何があっても私が指揮する以上は必ず皆さんの無事を約束します。ですので、信じられなくなったら任務を放棄しても構いません。その上で私は皆を守ります』
    『ニヒヒッ、希望の象徴みたいなこと言うねぇ書記ちゃんさぁ。あんまり希望を抱かせない方が良いよぉ』
    『どうしてですか会長?』

     あのやけに小柄で腹の読めない不信感の塊みたいな会長は、いつものようにニタニタと笑いながら意地悪そうに部長へ言ったのだ。

    『希望も絶望も本質は同じなんだよ。どっちも正常な判断を失わせて訳の分からない行動を取らせる。だからね、ちゃぁんと考え続けないと。手の平がくるっくるに回るみたいに、希望とか絶望とかも簡単に裏返るからさぁ。酔っぱらって踊らされないように、やるときはちゃんとやろう。分かった上で、自分の行動に責任を持ったうえでね?』

     あの時はただのやっかみぐらいにしか思っていなかったが、今この瞬間は分かる。自分は恐らく正しい判断が出来ていないと。希望に酔って、どこか卑屈とも言える自分に目を背けるために走り続けている。

  • 95125/10/29(水) 23:57:47

     なのに、どうやら世界はそう簡単に諦めさせてくれないようだった。

    「ぁ……、ぅ…………」

     榴弾で吹き飛ばされた先は大通りを遮る次の路地だった。
     這ってでも良い。まだ進めという何らかの意思を感じた。まだ寝るなと言う声が聞こえた気がした。

     きっと、いまのあたしは狂ってる。
     でも、狂気だけが支えてくれる。伝令を伝えるための力をくれる。

     痙攣する足を置き去りに、腕だけで這って、這ってその先への大通りへと進み続ける。
     気絶している暇なんて無い。先へ、ただ先へと――

    「…………ぁ」

     顔を上げた先、向こう側の路地から来たのは歪な機械だった。

     同時に理解するのは、『この先の路地を進む機械たち』が既にこの路地を通過したという事実である。
     雪崩れ込むように次々と目の前へと入り込んでくる機械たち。この先の大通りは既に埋め尽くされている。バトンを渡すべき相手は既に後方へ向かっているはずで、いまここの奇跡的に切り抜けたとしても届かない。多くの銃口に囲まれて生を終える。ただそれだけだった。

    「なんの……意味も無かった……」

     世界はあまりに無慈悲で、誰でも無い誰かには全く優しくない。
     それが世界の真理。血反吐を吐く思いで来た意味なんて、この世界には何処にもなかったのだ。

    「意味なんて……何処にも無いじゃないか……!」

     嘆きの声は遠くに響く。現実から目を逸らした愚者に与えられるのは耳鳴りさえするほどの数多の銃声。
     世界には苦痛しかなかった。それがただの保安部員に与えられたひとつの末路で、どうしようもない現実である。

  • 96二次元好きの匿名さん25/10/30(木) 07:58:47

    あっ…

  • 97125/10/30(木) 09:51:54

     そして――







    「んなことねぇだろ」

     じゃらり、と――鎖の鳴る音が聞こえた気がした。

  • 98125/10/30(木) 11:12:19

     傷つき地に伏す自分の身体と、何故だか火花を散らす機械たちの間に『誰か』が降り立った。

     その姿を――『あたし』は知っていた。

     遅れて爆ぜる機械たち。その跡を踏み潰すように雪崩れ込んでくる機械の歩兵。その全てを嘲笑うかのように両手を広げる朱色の残影。
     握るは二挺のサブマシンガン。バックストックに括りつけられた鎖がしなり、迫りくる前方の敵を撃つ。

     その姿を――『ミレニアム保安部』は知っていた。

     瞳に灼け付く朱き閃光を。柄の悪いスカジャンを。
     かつてキヴォトス各地で起こったスケバンとヘルメット団の抗争にて、単独でミレニアムでも発生した大規模抗争を『掃除』して誰も知らぬ英雄となった『伝説』を。


     生ける伝説。ミレニアム最強の個人。
     その名を――『ミレニアム』は知っていた。

    「美甘……ネル――!!」
    「おう、大丈夫か? 口が悪いのは勘弁してくれよな、『先輩』」

     最強たる朱色の女王の帰還。
     それは、滅びゆくミレニアムを覆す最初の嚆矢そのものであった。

    -----

  • 99二次元好きの匿名さん25/10/30(木) 13:52:45

    最高

  • 100二次元好きの匿名さん25/10/30(木) 14:31:22

    来たか、勝利の象徴

  • 101二次元好きの匿名さん25/10/30(木) 22:20:47

    ほ?

  • 102125/10/30(木) 23:20:12

     美甘ネルが目を覚ましたのは、『ハブ』が乗っ取られ全ての電子経路を掌握されてからおよそ30分後のことである。

    「……あ? 集中治療室だぁ?」

     身体に取り付けられていたであろう機器は既に取り外されており、ベッドの脇には折りたたまれたミレニアムの制服と自分のスカジャン。それから二挺のサブマシンガンが置かれていた。恐らく誰かが来たのだろう。

     ベッドから降りて、軽く飛んで身体の調子を確かめる。
     あれほどの重症を受けて目を覚ましたばかりだというのに違和感は一切感じない。理由は分からないが何故だか全快しているようで、思いつくとすればセフィラか何かの機能で治されたのだろうか。

     一瞬疑問に感じたりもしたが、身体が動くならどうでもいいかとすぐに興味を無くす。

     制服に着替えてスカジャンに袖を通し銃を構える。それからニヤリと笑みを浮かべた。

    「っぱこれだな! あたしが患者服着てるとこなんて見られたくもねぇ」

     制服のポケットをまさぐると自分の携帯が入っていたため取り出して、リオ達に連絡しようとするも電波が入っていないことに気が付いた。

    「はぁ……ったく。面倒くせぇなぁ。それに……」

     と、視線を向けた先は集中治療室の出入り口。救護室に繋がる扉だが、やけにピりついた雰囲気が漂っている。
     殺気とは違う。緊張感とでも言うべきか。それに大勢。確実に何かが起きている。

     頭をボリボリと掻いて溜め息を一つ。
     そして扉を開くと、多くの負傷者たちとその看護を行う保安部の救護班たち。その全員がぎょっとした顔でネルを見た。

    「……あんだよ」
    「い、いや……なっ、なんでも――」
    「えっ、ていうか何で目を覚まして……」
    「あん? なんか都合でも悪ぃのかよ? つーかいつまでもじろじろ見てんじゃねぇ。すぐ出て行くからそのまま怪我治してやれよ」

  • 103125/10/30(木) 23:21:26

     一応怪我人の前だったため優しく言ってやるも、救護班たちは小さく悲鳴を上げて治療に戻っていく。

     そんなときだった。出入りの多い救護室に入って来たのは古代史研究会の部長で、ネルの姿を見るなり一瞬信じられないと言わんばかりに唖然とし、それから正気に返ったのか声を上げた。

    「ネル! 私が分かる限りの状況を伝えるから今すぐ来て!」
    「おう、分かった」

     共に救護室を出て廊下を歩く。その間に見せられたのは第三セフィラであるビナーとその『二体目』がミレニアムサイエンススクールの敷地内で激しく戦っている映像である。続いて見せられたのは漆黒に包まれたセミナー本部へと傷だらけのビナーが飛び込んで、瞬き程度の僅かな時間で暗闇が晴れたシーン。本部の中で倒れた生徒たち。彼女たちには一切見向きもすることなく本部から何処かへと飛び去って行くビナーの後ろ姿。

    「救護室で特に酷い怪我をしているのは、このとき本部から救助された部員たちよ。他はビナーに乗っ取られた郊外の生産工場から作られてミレニアムに攻め込んできている戦闘用ドローンの群れとの怪我ね。エンジニア部は郊外の方に拠点を築いてビナーの攻略法を探しているわ」
    「場所は分かるか?」
    「いえ、私は……。でも、エンジニア部に伝言があるって出て行った保安部員がひとり居たわ」

     話を聞くと、どうやらそいつはハイマ書記が最後に残した作戦をリオ達に伝えるそのためだけにここを飛び出したのだという。

     ミレニアムの治安維持組織の根幹たる『通信』を奪われ、保安部員たちにとっては正体不明の敵と戦っている戦場へと、だ。
     気に入った。ネルは素直に感心したのだ。ガッツがあるやつは嫌いじゃない。

     恐らくミレニアムタワーへと撤退してくる保安部員たちの流れに逆らって進んでいるはずだ。
     だったらきっと何処に行ったのかだって当たりが付く。目撃者だっているはずだ。

    「フジノ部長、生産工場がどの方角にあるかは聞いているか?」
    「ええ、それぐらいなら」

  • 104二次元好きの匿名さん25/10/30(木) 23:45:01

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  • 105125/10/30(木) 23:46:02

     そうしてネルは走り出した。見えたのは夜の街と燃え盛るミレニアム。状況は想像以上に酷い。妙な形をした戦闘用ドローンも別に強くは無いが、数が多すぎた。大通りひとつ片付けることなら訳ないが、一人では時間が掛かり過ぎる。逃げ遅れた奴らが逃げる時間を作るだけに留めて殆ど放置して来た。

     そして見つけたのが風に乗って流れるスモークグレネードの臭い。
     道中エンジニア部へと伝令に行った部員へスモークグレネードとフラッシュバンを渡したというひとりの部員の話であった。

     開けた戦場にて物量で圧し潰す歩兵との戦いには役に立たないスモークグレネードに、機械相手じゃまるで通用しないフラッシュバン。

     どれもこれも戦いの役に立つはずが無い、本当に気持ち程度のお守りだったのだろう。
     だが、そんな『使うわけの無い武器』こそが夜闇に沈んで視界も通信も制限されたこの戦場においては、何よりも燦然と輝く星であった。

    「フラッシュバンの光……! あそこか――!!」

     ――よくぞ、ここまで耐えてくれた。

     伝令を命懸けで伝えようとする屈強な意志。力が及ばないと分かっていながらも進もうとする信念。

     ようやく路地で見かけたその姿はボロボロというにはあまりにも傷ついていて、前から来る絶望に屈しかけていた。

    「意味なんて……何処にも無いじゃないか……!」

     悲痛な叫びが確かに届いた。

     裏を返せば、そこまでどん詰まりになるまで折れなかったのだ。
     だから、美甘ネルという最強の個人は名前も知らないその『先輩』に敬意を表するには充分であった。

     空中で放つはつんざく銃撃。保安部員に迫る全てを打ち払い、眼前へと降り立つに至る。

     そんなことは無いのだと、その絶望を否定するそのために。

  • 106二次元好きの匿名さん25/10/31(金) 07:19:28

    うむ…

  • 107125/10/31(金) 10:12:46

    「んで、先輩は何を言うためにここまで来たんだ?」
    「あ、ああ……」

     保安部員はネルが渡した水筒から口を離して腕で拭った。
     先の路地に並び立つ建造物の、その屋上。ネルが保安部員を抱えて三角飛びの要領で飛び上がって比較的安全なここまで運んで来たのだった。

     一体何を伝えるためにここまで来たのか。それはネルも気になるところであった。なにせあのハイマ書記だ。作戦立案においては特異現象捜査部の誰よりも優れている『気が』する。無駄なことは言っていないはずだという確信があった。

     それから、保安部員は言った。

    「あたしが部長から聞いたのは二つ。ひとつは保安部員の実戦部隊に発令される作戦、『コード:310』だ」
    「なんだそれ?」
    「人質救出作戦のひとつ。犯人が人質と共にミレニアムを移動中に空から降下して奪還するのが『コード:310』――降下救出作戦なんだ」
    「それだけどよ、人質が居ない時の犯人襲撃とか……別の『空からの襲撃作戦』はあるのか?」
    「『コード:230』だな。降下強襲作戦……って言っても、一度も使われたことだってないけどな」

     聞けばどうやら、ハイマ書記は日頃から特定状況に対する各自の行動を体系化してひとつの作戦へとまとめ上げていたようだった。
     使う時まで特別保安部員たちに共有すること無い。必要に迫られそうだと『先読み』したときにだけ明言するマニュアルを作っていたのだという。

     つまりそれは、ハイマ書記はわざわざ『犯人強襲』の空挺作戦ではなく『人質救助』の作戦を伝えようとしたこととなる。
     限られた僅かな時間と体力の中で導き出した最短の作戦コード。その後に伝えたのは奇妙な文言だったのだという。

  • 108125/10/31(金) 10:14:03

    「『地上に追うべき星を』……、その後に何を伝えたかったのかは分からない」
    「ああ、そういう謎かけみたいなの、あいつらなら得意だから問題ねぇだろ。とにかく、分かった」

     それからリオ達の居場所を聞き出したネルは笑って銃を握って背を向けた。

    「次は、あたしの『番』だな」


     英雄は遅れてやってくる、のではない。

     英雄ですら間に合うはずの無かった悲嘆な運命を書き換えようとするその意志こそが、間に合うはずの無い現実に奇跡を呼び起こすのだ。


     そして――未来へ託すバトンは此処に紡がれた。

    「行ってくる」

     そう言って屋上から飛び立ち、眼下に見える機械の群れへと飛び込んだ。
     直後――数多の機械が弾け飛ぶ。続く爆発。一瞬の雷鳴の如く機械の群れへの中枢へと辿り着き、再び軍勢がもたらす死の壁が吹き飛んだ。

     弾幕を張りながら前進する行軍の最たる弱点は、内側に潜り込んだ理外の最強へと対処である。
     同士討ちを避けるべく迂闊に銃口を向けられない。それより早く鎖と銃撃を叩き込んで弾き飛ばせば蹂躙できる。

     例え全てを倒せなくとも、絶対の壁に穴が空く。
     その光景を屋上から見ていた保安部員が叫んだ。

    「っ……美甘ネルが前線を崩した!! 進め! 進めぇ!!」

  • 109二次元好きの匿名さん25/10/31(金) 10:15:22

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  • 110125/10/31(金) 10:16:26

     声に呼応するかのように、撤退していた保安部員たちが振り返る。背後で起こっていた凋落を見て、皆が銃を構えて転身する。

    「今だ! 今しかない! 一気に打ち崩すぞ!!」
    「「おお!!」」

     孤軍は返す刀で牙を剥く。美甘ネルの存在により絶望は手のひらを返すように希望へと変わり、誰もが希望に酔い始める。
     酔夢と言えど、貫き通せばそれが新たな現実になる。それがキヴォトス。夢で現実を塗り替えられる奇跡の箱庭。

     故に、定められた未来に亀裂が走った。
     多くの意志。多くが望む『未来』へと、全ての確率が変動していく。

     ビナーの『未来予知』を打ち破るのに必要なのは理論だけ。
     そして、その理論は遠くで倒れる誰かが近眼によるぼやけた視界の中で見出した。

    「ビナーは、未来を見ているわけじゃなかったんだ……」

     第三セフィラ――『理解』を象徴するビナーのロジックに気が付いた者が紡ぐ物語が結実を迎える。
     各務チヒロの物語。未来を『理解』する機能の正体は、これまで見て来た全ての点を繋いで初めて分かるものであったのだった。

    -----

  • 111二次元好きの匿名さん25/10/31(金) 15:25:04

    はたしてそれはいったい…

  • 112二次元好きの匿名さん25/10/31(金) 22:39:01

    保守

  • 113二次元好きの匿名さん25/11/01(土) 04:54:05

    深夜保守

  • 114二次元好きの匿名さん25/11/01(土) 13:32:16

    さあさあ、どうなる

  • 115125/11/01(土) 14:34:49

     うつ伏せに倒れるチヒロの視界は酷くぼやけていた。
     怪我のせいではない。榴弾で吹き飛ばされたときに眼鏡が飛んで行ってしまっただけで、怪我もそこまで酷くは無かった。

     だが――チヒロは身動き一つせずにぼやけた視界を見続けていた。
     正確には、地面に転がった自分の眼鏡と思しき青色を見ていた。

     周囲の音も、周りがどうなったかもコタマが何処に行ったのかも、何もかもが思考の外に置かれたまま、チヒロは自らの中へと思考の瞳を向け続けていた。

    (ぼやけた青色……あれは私の眼鏡だろうけど、手に触れて確かめるまでは私の想像でしかない)

     90%以上の確率で自分の眼鏡だ。しかし同時に、自分の眼鏡でない可能性も、もっと言えば物体ですら無く何かの光である可能性だって同時に存在する。

     触らなければ確定しない。それまでは様々な可能性を内包したままこの世界に存在しているのだ。

     そう、世界とはそもそも不確実性を孕み続けたまま其処に存在し続けるものである。

     真の確定された事象は本当に少ないのだ。眼鏡を手に取って顔にかけて度が合っていたとしても、それが先ほどまで自分がかけていた眼鏡だと証明できるだろうか? 出来ない。眼鏡であると言うことぐらいがせいぜいで、全く同じ物とまではすぐには分からず、分からなくても別に問題はない。

     問題無いから世界は瑕疵も誤謬も呑み込みながら廻り続ける。

     ならば真に確かなものとは何だろうか?

  • 116125/11/01(土) 14:36:34

    (『未来』……? 違う。この後に起こることなんて誰かが何かを選択するだけで容易に変わる。分岐する。無限の数だけ世界は分岐を繰り返す)

     ならば『現在』だろうか。チヒロはそれすらも否定した。

    (『現在』だって不確かなんだ。目で見えるものが正しいとは限らない。唯一、ヘイローが見えるリオなら正しく見えるかも知れないけれど、それはリオが後天的に変質した結果であって『現在』という時間の特性とは全く違う)

     だとしたら――『過去』だろうか。

    (違う)

     チヒロはぼやけた青色をじっと見ながら否定した。

    「『過去』も決して一つじゃない」

     未来は無限に広がっている。この言葉を聞いて、枝葉を伸ばす大樹をずっとイメージしていた。
     経過した過去に新たな可能性は存在せず、ただひとつの現実だけが大地に根付いているのだと。

    「違う……。未来が無限にあるように、過去も無限に存在するんだ……」

     その『事実』を、チヒロは既に見ていたのだ。
     具体的にはケセド戦後に発生した『明星ヒマリの冥界下り』。ケセドによって殺されたと思しきリオを復活させた特異現象捜査部の起こした『特異現象』――即ち『死者蘇生』である。

  • 117125/11/01(土) 14:37:43

     リオが居ないと気付いたとき、あの場には二つの過去があったのだ。

     ひとつは『リオはケセドに殺された』という過去。
     もうひとつは『リオはケセドに殺されなかった』という過去。

     二つの過去がぼやけて曖昧な状態で存在していたのだ。
     それに対してヒマリは『リオはケセドに殺されなかった』という事象を構成する材料だけを『観測』し続けてケセドへ潜った。

     あの時の行為が、曖昧な二つの過去から望む過去を選び取る『確率』を上げていたのだ。
     99%死んだ過去と、1%の死ななかった過去。その確率はヒマリによって変動し続けて、そして箱の蓋の開けたのだ。

     箱の中のリオは生きているのか死んでいるのか。そのギャンブルにヒマリは勝った。
     『ケセドの中で生きていたリオ』をヒマリが観測したことで、もつれた『過去』がひとつに定まったのだ。

    (ここまでは良い……。問題なのは『定まる』という結果を構築するロジックで、その本質を私たちは導き出せていなかったんだ……)

     この世界を『リオが死ななかった世界』で上書きした――そう思い込んでいた。
     違うのだ。その考えを成立させるためには『この世界とは何か』を定義する必要がある。

    (『この世界』……リオが生きている可能性と死んでいる可能性を同時に保有しているぼやけた世界に『確定』が発生するのなら、そもそも世界は分岐しない。決定論に従って未来に如何なる可能性も存在しなくなる。絶対の『過去』があるのなら絶対の『現在』も同時に存在し、『未来』もまた決定される。時間とは『現在』を基準にした相対的なものでしかないのだから、これはロジックが破綻している――)

     つまり、ぼやけてあやふやな世界は何も『確定』されないのだ。
     数多に分岐する世界の中心には、何一つ確定してない混沌たる大きな流れが存在する。

     過去も、現在も、未来も、全てが相対的なものであるのなら、その全ては等しく未確定。自分たちのいる『現在』がどの分岐なのかなんて、そんなものは『確定』した事象次第で簡単に移り変わるのだ。

  • 118125/11/01(土) 14:38:51

     それは隣り合うレールを何度も飛び乗り続けて進む電車のようなもので、路線AからXのうち、何かを確定させる度に何度だって行き来できるのだ。終着点が大きく分かれる分岐点までは簡単に移動できる。チヒロたちが今どの路線にいるのか、それさえもあやふやなのだ。

     その上で、『リオが生きていた世界』とは何か。ヒマリが分岐点を操作したのか? だから過去が変わってリオが復活したのだろうか?

    「違う……。全部逆だったんだ……。ヒマリが『生きているリオの世界』に呑み込まれたんだ……!」

     光体を閉じ込めた箱の中には、きっと光に満ちている。
     その蓋を開けて『観測』したのなら、その光は『観測者』すらも呑み込んで広がり続ける。

     観測した者は、観測された者の世界に引きずり込まれる。
     観測された者の過去を『観測』して『確定』した瞬間、『観測者』は『確定された分岐』へと強制的に移動させられる。

     そしてそれは、『観測者』を『観測』した者にも適用される。
     『確定』による世界分岐の移動は感染するのだ。ぼやけて全てが未確定の世界から引きずり出されて、何かが確定した分岐へと世界の全てが書き変わる。

     それは『現在』から『過去』に向けた事象変動。
     そして『現在』と『過去』の関係は、そのまま『未来』と『現在』の関係へとシフト出来る。

     『現在』とは、『未来』から見た『過去』なのだから。

    「『観測』の本質は同時に存在した可能性を『閉じる』と言うこと……。『過去』も、『現在』も、『未来』も――その全てから『無限』を剥奪する縮小原理――!」

     ぼやけた視界に光が走る。
     格子状に走る光が世界を覆う。全ては確率が存在する『未確定なランダマイザ』で覆われていた。

     グリッドに記された存在のロジック。開かれない箱の中の輝きが世界へ飛び出る時を待ちながらじっと箱の中に籠っていた。

  • 119125/11/01(土) 14:40:02

    (ぼやけた青色が私の眼鏡である確率――97%。身体の周囲3メートル以内に存在する冷たいアスファルトが剥がれている確率――35%。この場所に榴弾が落ちて来る確率――0.2%)

     世界は確かにあやふやで、酷くぼやけていて、何一つ確定さえしていなくとも――

     各務チヒロは手を伸ばす。ぼやけた青色を掴んで『眼鏡であった』という事象を『確定』させる。
     かけずに胸ポケットへ眼鏡を差し込み立ち上がると、見上げた世界は『確率』で満ちていた。

    「ビナーは、未来を見ているわけじゃなかったんだ……」

     世界は確率という名の『可能性』に満ちている。
     荘厳たる黄金の輝きは最初からそこにあったのだ。

    「ビナーの本当の機能は『事象同期』。『未来のビナー』が『現在のビナー』を観測することで強制的に発生する『過去の確定現象』……。敵は此処にいるビナーじゃない、『未来のビナー』なんだ……!」

     思わず立ち上がり、ぐらりとゆらぐ身体の重心。
     『確率の知覚』に身体が追い付いていないのだろう。同時に分かる。問6を解き明かした新素材開発部のアンリ部長が『変わらぬ器』を手にしたのは、こうした負荷に耐えるためであったのだろうと。

    (千年難題は偶然選ばれた難題なんかじゃないんだ――)

     必要だから『選ばれた』……。観る者が、識る者が、その負荷に耐え切るための『神への階』――

     黄金たる輝きを閉じ込めた箱の存在を『理解』した者が解き明かしたのは、ミレニアム最古の難題のひとつであった。

     『生物学/問4:黄金の非物質化の発明』――生きとし生ける全ては何かに導かれて誕生したのではない。決定された確率論によって恣意的な分岐の果てに存在している。

     全ては、『未来』から観測される何者かによって『過去』が決定され続けている。その何者かこそが、『神』と呼ばれるものなのだろう。

     ――それは同時に、『過去』を確定できるというのは『神の権能』と同格であり、少なくとも明星ヒマリと調月リオはそれを為し得たということだ。

  • 120二次元好きの匿名さん25/11/01(土) 19:05:19

    過去改変ってのはよく聞くけどそう来たか

  • 121125/11/01(土) 23:20:44

    「だったら――」

     チヒロはぼやけた視界に走るグリッドへ目を眇めながら牙を剥く。
     千年難題の問4を解き明かしたことで『世界の不確定性』が視認できるようになったチヒロは、『決定論の悪魔』たる笑みを浮かべた。

    「『未来のビナー』が存在する世界と私たちの未来を隔離する……! 私たちを呑み込めないぐらい遠くへ、あんたのシステムから逃げ続けてやる!」

     ホワイトハッカーは悪意への理解が無くては務まらない。
     故に、ミレニアムを滅ぼそうとする意志を覗き込みながら致命たる一点を望み続けた。

    「この先の『未来』は――私たちが決めるんだ……!」

     まずはコタマの回収。そして拠点へと戻り『確率』を上げる。
     そして――『蓋』を開ける。望んだ未来を『確定』させて、ビナーを倒す。

     全ての『各務チヒロが千年難題を一つでも解き明かす』という物語は此処にて収束する。
     未分岐の可能性が減っていく。多くの仲間たちが『エンジニア部の拠点』へと集まっていく。



     その最中、ミレニアム全土へと誰かの声が響き渡る。
     いつの間にか設置されていたスピーカーから、どうにも緊張感のない声が聞こえて来た。

    【やっほー。会長だよぉ】

     その声は、ミレニアムに住まう全ての者たちへと届く。
     戦場で戦う保安部たち。シェルターに隠れている市民たち。ミレニアムサイエンススクールで救護を行う者や、事情を知らない生徒など、誰もがセミナー会長による緊急放送を耳にした。

    【いやぁ、街が大変なことになっちゃってるねぇ~。君たちも見たはずだ。白い機械に、地下から現れた巨大怪獣。街は炎に包まれて、今じゃミレニアム自治区全体で未曾有の大停電。けれど安心して欲しい。三日以内には全部元通りに直せるから後の心配はしなくていいよ。直し方は極秘ってことでみんなには内緒だけどね】

  • 122125/11/01(土) 23:21:51

     さらりと、本当に何でもないような口調で話す会長の声。
     それ故に事情をあまり知らない生徒たちは、いま起こっている大災害の危険性を読み違えた。

     事態を過小評価したのだ。不安は抱きつつも「何とかなる」と会長が言うなら大丈夫なのかと。
     本当はミレニアムが滅ぶ一歩手前なのだが、恐慌と混乱を少しでも抑えるようにまずは一手。

     続く二手目は戦力の補充である。

    【さて、本題はここからだね。大怪獣に謎の機械――確かに怖いものかも知れないけれど、ひとつ教えてあげよう。恐怖とは未知からやってくるんだ。分からないから怖い。知らないから怖い】

     未知とは恐怖である。暗闇を恐れるのは人の本能であり、恐れを感じるのは当たり前のことである。

    【……でもね、よく考えてみなよ。『大怪獣』だよ? まるで映画みたいじゃないか! どういう風に動いているんだろうね? どのぐらい攻撃したら壊れるのかな? どういう風に生まれて何のために行動しているんだろう? 心はあるのかな? 感情はあるのかな? 君たちだって一度ぐらいは思ったことがあるだろう? こんな不思議なものがもしも現実にいたら、なんてさ!】

     未知とは恐怖である。だが、『不思議』な物は『気になる物』だ。
     隠された物を暴きたい。それは恐怖と同じく人が持つ知的好奇心で、ミレニアムはそんな生徒たちが集まるキヴォトス三大校のひとつである。

    【……みんな、不思議な存在が現実にやってきてくれたよ】

     スピーカーから軽やかに笑う声が聞こえた。

    【ちょっと調べてみない? あの大怪獣を、正体不明の白い機械を。生け捕りは出来ないだろうから壊してもいいよ。それに街が壊れても良い。どうせもう……こんなに壊れているんだ! 『今夜に限り』、どんな発明もどんな兵器も自由に使っていい! 全部後で直しておくから、今夜だけはみんな好きに暴れても良いと『セミナー会長』として許可しよう!】

     メト会計の意識があればきっと卒倒するような許可が下りた。

     どんな部活もひとつやふたつ、セミナーから禁止されている発明品や違法改造された機器を持っているもの。その使用の全面許可。何なら街が壊れても良い。ミレニアム自治区そのものを遊び場にしても良いという、『今夜に限った』制限解除に心躍る者は少なくなかった。

  • 123125/11/01(土) 23:22:53

    【ああ、そうそう。あともしみんなが頑張ってくれたら、僕もセミナーの会長としてみんなには『ご褒美』をあげないとねぇ】

     それから提示されたのは、明日から始まるオデュッセイア海洋高等学校と合同で行う修学旅行である。

    【ミレニアムの全生徒みんなで船旅でもやろうか! 頑張った子たちにはプレミアムクラスの部屋を用意しよう。もちろん修学旅行だから授業もあるけど、きっと素敵なバカンスになるはずさ】

     報酬の提示。頑張ったらプレミアムクラスの部屋に泊って修学旅行。しかもその機会はミレニアムの全生徒に与えられる。

    【さぁみんな! 戦い方なら分かるよね? 散々部活動対抗戦をやってきたんだから大体わかるだろう? 危ないことも、危なくないこともさ】

     会長は一度言葉を区切り、それから静かにミレニアムの全生徒へと宣言した。

    【……これより、部活動対抗戦あらため『ミレニアム総力戦』を始めよう! 敵は大怪獣と機械の群れ! 沢山調べて沢山実験しよう! 何でもありの自由研究会は今夜だけ! さぁ、頑張ろう!】

     いっそわざとらしいぐらいに明るい口調でそう言うと、会長はマイクから手を離して意地の悪い笑みを浮かべた。
     『ハブ』の通り道である地下大空洞の車両の中、周囲のセミナー部員に合図を出す。

    「潜伏させていたサクラを使おっか。なるべくみんなが『ハブ』やビナーと戦うように誘導しといて」
    「分かりました!」
    「それと地下の電源ケーブルは僕の方で何とかしておくから、電源が復旧することもそれとなく流しておくように」
    「復旧予定は何分後でしょうか?」
    「30分。流石に短すぎても仕方ないからね」

     リクライニングシートに身を預ける会長は何処か気だるげな様子で指示を出していく。
     確かに会長は人を騙す。嘘を吐き、人心を惑わし誰かの望みを捻じ曲げる。それを善と呼ぶことは出来ないだろう。

     だが、そんな大嘘吐きでもひとつだけ信じているものがある。

     奇跡を、人の意志を。

  • 124125/11/01(土) 23:24:09

    「ミレニアムとはこの大地を表す名前じゃない。此処にいる君たちの意志が集う大きな『うねり』こそがミレニアムなんだ」

     機械に奇跡は訪れない。条理を捻じ曲げる奇跡とは、人間だけに与えられた特権なのである。

    「最終局面だよ、特異現象捜査部。今夜だけは、全てがマルクトのための『王国』さ」

     静かにそっと目を閉じる。脳裏を過ぎるのは『知恵』たるダアト――調月リオの姿であった。



     そして、未知を渡る船の前に集ったのはマルクトと七人の預言者たち。

    「し、死ぬかと思いました……」
    「なんでゴミ箱に隠れてたのよ」
    「チヒロが私のこと無視するからです!」

     コタマとチヒロがやってきて、ビナーの機能をリオたちに話す。

    「まさか『穿孔破壊兵器:ストロングビックバン序章・闢』を使えそうなときが来るなんてね」
    「やはりあのときの私たちの判断に狂いはなかったと……いえごめんなさいチーちゃん。睨まないで下さい……」

     睨まれたウタハとヒマリが身を縮こませた。
     兵器の類いならレパートリーもそれなりにある。準備したものを皆に共有していく。

  • 125125/11/01(土) 23:25:15

    「ボス! おかえり! もう元気?」
    「あぁ、結構本調子ってとこだなアスナ。あれからちったぁ強くなったか?」
    「うん。また戦おうね!」
    「いいぜ、揉んでやるから覚悟しな」

     アスナとネルが楽しそうに拳を合わせる。
     ミレニアム最強とNo.2。士気は上々。いつでも準備は出来ていた。

    「コタマ、チヒロ、ウタハ、ヒマリ、アスナ、ネル。改めて言います。これから戦うのは最強のセフィラ、『理解』のビナー。この試練を乗り越えられないということはそのまま『ミレニアムの滅亡』を意味します」

     マルクトが六人の顔へと順々に視線を移しながら宣告する。

     乗り越えなければならない。そして、そのために必要な情報は全員が集めて来た情報によって恐らく満たされた。
     あとは戦って越えるだけである。この地に存在する全てを守るために、ミレニアムが『名も無き神』によって生み出された太古の技術を化身たるセフィラへ挑む。

     最後にマルクトが視線を向けたのは人間にして番外セフィラ――『知恵』のダアトを冠するリオである。

    「……リオ」
    「ええ、もう――覚悟は決まっているわ」

     リオの目を見てマルクトも頷いて応える。
     そしてマルクトは、現状の概要をまとめた。

    「第一陣営。無傷のビナー、傷ついたビナー、そして命令を書き換えられた『ハブ』、大量の機械兵たち。現在『ハブ』がどちらのビナーの意志の元で動いているのかは分かりませんが、二体のビナーはそれぞれ敵対関係にあります。また、『ハブ』はアームユニットを多数接続しているため末端へ私が乗り移っても切り離されます。無力化するなら本体へ、私が乗り移り続ける必要があるでしょう。ビナーについてはどちらが二体目なのかについては確定した情報はありませんが、いずれにしても両ビナーの戦闘不能が目的です」

     これまでの経験上、二体目は『千年紀行』という大いなる旅路から離れた存在。恐らくマルクトによる接続は不要かつ無意味と思われた。

  • 126二次元好きの匿名さん25/11/01(土) 23:25:45

    このレスは削除されています

  • 127125/11/01(土) 23:26:19

    「第二陣営。私と預言者七名。明星ヒマリ、調月リオ、白石ウタハ、各務チヒロ、美甘ネル、音瀬コタマ、一之瀬アスナ。私たちの勝利条件は私がビナーに一定範囲内まで接近し、接続式を発動させる。もしくは皆さんがグローブで触れ、停止信号を流すこととなります。全てにおいて接近することが前提となるため、ビナーが逃走できないよう動きを制限する必要があります」

     加えてビナーは機能を使った際の拒絶反応でセフィラの位置を特定してくる。
     ミレニアムを滅ぼすのなら全力でセフィラから距離を置くだろう。

     拒絶反応の有無だけで位置を特定するためそこにいるセフィラがどのセフィラなのかまでは判別が付かないと思われるが、故に他のセフィラと違い前線にいるマルクトの存在は派手に目立つ。ここぞというその時までは何の機能も使えない人間の身体でいる必要があった。

    「第三陣営。ミレニアムの生徒たち。私たちが協力を頼むことも出来ますが、基本的に各々勝手に行動します。指揮を行えるハイマがいないため統率されているわけではありません。流石に焚きつけた会長が見殺しにすることはないと思いますが、先ほど会長よりモモトークが届きました」
    「なんで? 通信全部遮断されてるのに」

     マルクトの言葉に首を傾げるチヒロ。それはマルクトも同じで、どうやって『何処までも届く声』を持つマルクトが持っていた形だけの携帯へメッセージを送ったのかは分からない。

     ただ、重要なのはその内容であった。

    「『ちゃんと皆は守るから、やるべきことだけをやってね』……とのことです」
    「はぁ……会長のことも『目視』できれば分かるのかな……」

     揺らぐ分岐が知覚できるようになったらしいチヒロが溜め息を吐く。
     ともかく、マルクトは会長についてを脇に置いて話を続けた。

  • 128125/11/01(土) 23:27:23

    「以上が、今回の戦場に存在する『駒』となります。私たちはミレニアムが滅ぶ前に勝利条件を満たす必要があります。相手は『結果』から『過去』たる『現在』を確定させる、私たちより『未来』に存在するビナー。その『観測』を欺かない限り、私たちに勝機はありません」

     それは神たる権能を再現した古代技術の化身。『理解』を体現する第三セフィラを攻略するという、一見すれば無理難題。
     だが、ここまでに得た情報から勝ち筋の『当たり』は付けられていた。

     その全てをまとめきった調月リオは、深く息を吐いて顔を上げる。

     ――そして、告げた。

    「これより、『ビナー救出作戦』を説明するわ」

     運命という名の車輪に圧し潰される、蟷螂の鎌を掲げたビナーを救出するための作戦。
     かくして、全ては敷かれた『未来』という名のレールから脱線させるための作戦が始まる。

    -----

  • 129二次元好きの匿名さん25/11/02(日) 07:00:44

    保守

  • 130二次元好きの匿名さん25/11/02(日) 07:03:38

    そいやこのビナーって発狂一歩手前なんだっけ

  • 131二次元好きの匿名さん25/11/02(日) 10:56:34

    たしかもう誰が誰かもわかってないはず

  • 132二次元好きの匿名さん25/11/02(日) 12:38:56

    ネルを完治させたのは『鏡』のコクマーの権能を用いた会長かな?
    ミレニアムの即時復旧の確約も、その権能によるものだったり?

  • 133125/11/02(日) 14:02:31

     その日、ミレニアムの影たる守護者であった『ハブ』は、海浜公園へ向けてその巨体を地上に晒して動き出していた。

     自分の身体の下で潰れる都市。どうして海浜公園へ向かっているのかも分からないまま、ただ自らに刻まれた命令に従って進み続ける。

     ミレニアムを保全する――それが自分の存在意義であったはず。
     それに背いていないことだけは理解しており、ならばやはり、たとえ街を壊してでも進み続けることがミレニアムを守ることに相違ないのだと自律思考AIは判断して、炎に巻かれた建造物を踏み潰していく。

     接続したアームユニットの数は通常インフラ補修に使う量の倍どころではなく、今やミレニアムの何処にだって手を伸ばせるほど。発射するピラーが大地に突き刺さり、そこを起点に周囲の機械へと接続を開始。自身の制御下において一体となる。全てはミレニアムを守るため――そのはずだった。

    『撃てぇ!!』

     足元から聞こえた音に反応してカメラを向けると、そこには小さな者たちがバリスタに似た何かを向けて発射していた。飛んでいった銛には鎖が付けられており、それがすぐに海洋に棲まう巨大生物を捕まえるための装置であることを理解した。

    『引っかかった! 引けぇ! 引けぇ!』
    『あ、駄目だこれ! 地面ごと持ってかれ……うわぁ!』

     鎖が絡みついたアームユニットをそのまま動かすと、それだけで固定された機材が地面ごと吹き飛んでいく。
     建物が壊れても『ハブ』は直せる。しかし生き物は直せない。海浜公園へ向かうことは止めないが、せめて怪我をしないよう遠くへ行って欲しいと思った『ハブ』は、その歩みを少しばかり緩めて進む。

     途中、武装した機械たちが波の如くミレニアム自治区の中心であるミレニアムサイエンススクールへ向かって侵攻しているのが見えた。近くに建てたピラーは破壊されており、どうやらそれが原因で自身の制御下から離れてしまったらしい。

     その波を押し留めようとする者たちが居た。
     あれらは守るべき者である。『ハブ』はその巨大な腕を振り上げて、機械たちへと叩き落とした。

     千々に千切れて吹き飛ぶ波。しかし少々速すぎたのか、その風速で小さな者たちもまた転がっていく。
     軽傷。ならば問題ないと視線を外して緩やかに前進を再開。

  • 134125/11/02(日) 14:03:32

     すると今度は白い機械が街中を飛んでいるのが見えた。
     六本の腕を持つそれは、自分が立てたピラーを壊しながら自分の向かう先へと進み続けている。

     あれは敵だ。
     そう認識した『ハブ』は無数に接続されたアームユニットをその白い機械へ向けて伸ばし始める。

     あれは壊せない。ならば捕まえればいい。

     自分に搭載された演算機は観測できる全ての動きが手に取るように理解できる。すぐに捕まえられるだろうと思っていたが、何故だか指先が掠ったのは白い機械の身体ではなくビルの端。軽々と躱され、削ってしまったビルが大きく傾いて地上に落下。その下には守るべき者たちの姿。

     『ハブ』はすぐさま瓦礫の落下を防ぐべく腕を伸ばした。
     なるべく傷付けないように、それと同時に脅威と断じた白い機械を捕まえるために、進みながらも腕を伸ばす。伸ばす。伸ばし続ける。

     故に、すぐに気が付くことが出来なかった。
     自身の足元に迫る『守るべき者』の存在を。



    「エンジニア部ぅぅぅ!! 貴様らに人の心は無いのかぁ!!」
    「いや先輩の身体は丈夫だし、そこまで痛みも無いでしょ」
    「それとこれとは話が別――」

     そう言いかけた新素材開発部の山洞アンリの声が不意に途切れる。『ハブ』に踏み潰されたからだ。
     それを近くで見ていたのは各務チヒロ。どちらも千年難題を1問解き明かした者同士、その身体は人から少し離れてしまっていた。

     『物理学/問6:多次元解釈論におけるシュレディンガー干渉機の製造』を解き明かしたアンリには『多次元同期による不変の肉体』を。
     『生物学/問4:黄金の非物質化の発明』を解き明かしたチヒロには『分岐点たるもつれた確率の知覚』を。

     ことチヒロに関しては眼鏡を外して殆ど何も見えない状態にしなければ見えないのだが、それでも『アンリが踏み潰されて怪我を負う確率』が存在しないことだけは既に『視て』いた。

  • 135125/11/02(日) 14:04:43

     ここで試したかったのは『ハブの進路を変えられる可能性』がどれだけ上昇するかであり、チヒロは眼鏡を外して『ハブ』がいるであろう方向へと視線を向ける。

    「……やっぱり、『ハブ』は私たちがなるべく傷つかないように動いているんだね」

     呟くと同時に『ハブ』は身体の動きを止めて、まるで足元を見るように身体を僅かに横へ動かした。
     その下にはアスファルトにめり込んだアンリ部長の姿。冗談みたいな絵面だったが、アンリ部長でなければ冗談では済まされない状況でもある。

    「んがっ――し、死ぬかと思ったぞ!?」
    「いやいや、何があっても寿命まで死なないし先輩」
    「貴様先輩って言っておけば許されると思うなよぉ!?」
    「この後どこで踏み潰されれば『ハブ』がどのぐらい進路から逸れてくれるのか検証するからもうちょっとだけ頑張って」
    「ふざけるなぁ!!」

     そんなやりとりを『カート』の運転席から眺めていたヒマリはくすりと微笑んだ。

    「それではアンリ部長を回収して次のポイントへ向かいましょうか」
    「そうだね。お願い」

     チヒロの言葉でヒマリが車両から飛び降りて、何とも綺麗なフォームでアンリ部長のところまで走っていく。服だけはボロボロになっている部長を担いで車両に投げて、すぐさまアクセルを踏んでその場から脱出。上から落ちて来る瓦礫は卓越したハンドル捌きで華麗に躱していった。

     ここまで来るのに必要だったのは二つ。身体をセフィラによって再構築したために異常な肉体を手に入れることとなった明星ヒマリの知覚能力と、何をしても傷つかない山洞アンリの身体であった。

     道中、上から瓦礫が降って来れば躱し、躱し切れないものについてはアンリ部長を振り回してはじき返す。『ハブ』の制御下から外れて侵攻を再開した機械兵と出くわせば、アンリ部長を盾にして弾幕を防ぐ。地雷が埋められてそうな場所があったらアンリ部長を投げ込んで処理する。あとなんか危なそうなところがあったらとりあえずアンリ部長を放り投げて確かめる。

     そんなことを繰り返してきたせいか、アンリ部長は『カート』の上で体育座りをしながらえぐえぐと泣いていた。

    「貴様らぁ……身体は無事でも心までが無事だとは思うなよぉ……。あと服の替えをくれぇ……」
    「あ、はい」
    「ふぐぅ……うぐぐぐぐぅ……」

  • 136125/11/02(日) 14:05:55

     アンリ部長は大きめのコートを羽織ってその下で着替え始める。
     羞恥プレイも良いところでもはや人間としての尊厳は無い等しいが、これでも事前に「その身体を使わせて欲しい」と許可は取っていた。とはいえ、雑に扱い過ぎていることには自覚していたチヒロはアンリ部長から目を逸らして頬を掻く。

    「ま、まぁ……流石に私もちょっと悪かったかなとは思ってるから……」
    「ちょっとどころではないだろう!? 極悪の閾値が跳ね上がったわ!! 本当にビナーを確保したら覚えておけよ!?」
    「わ、私が出来ることなら何でもやるってことで……」
    「何でもやってもらうからな!? こんな……こんな外で着替えるようなことさせられて……ううぅぅぅ」

     本気で泣いているのだから、正直全裸でミレニアム一周しろと言われても逆らえないぐらいの借りは作ってしまっていた。
     流石にそんなこと頼みはしないだろうが、自分の目を便利遣いさせられるぐらいのことを想像しながらチヒロは空を見上げる。

     星も月も無い偽物の夜。全ての可能性が断たれた闇もまた、ビナーの機能のひとつである。
     それは『観測しない』ことにより不確実性が引き上げられた乱数の闇。何一つ確定させられないその空間は、向きも何もが確定しない。そしてそれは、ビナーにとっても同様である。

     つまり、ビナーにとって最も相性が悪いのもまたビナーであり、二体存在する時点で『確定』させる『過去たる現在』を奪い合うことになっているのだ。

     本来ならば同士討ちを回避するためにセフィラを傷付けた時点でビナーはその過程を『確定』させない。
     その点において、『二体目』はセフィラの判定から外れているのかも知れなかった。

    「『二体目』が存在する限り、ビナーのヘイトはビナーに向く。私たちが自由に動けるのは今だけだからね」

     何を仕込むにも試すにも、『二体目』が居なくなってしまえばそれすら難しくなってしまう。
     そう思い返して呟くと、チヒロはアンリ部長が睨んでいることに気が付いた。

    「おい……それは嫌味か? 『しょうがないから受け入れろ』とでも言っているのか? だから許せとでも言いたいのかぁ!?」
    「あぁあぁ違う違う。ごめん、いや本当に。本当に無意識だった」
    「なお悪いわぁ!! 私にだいぶ気を遣えぇ!!」

  • 137125/11/02(日) 14:07:11

     ヒートアップしてきたアンリ部長を宥めていると、ふと視界に機械兵が銃口をこちらに向ける姿が一瞬映る。
     チヒロは反射的にアンリ部長の襟首を掴んだ。

    「先輩バリア!」
    「ぐあああああ!!」

     車体の代わりに銃弾を受けるアンリ部長。運転席のヒマリが迅速の速さで機械兵の腕部のケーブルを一撃で撃ち抜いて無力化。タン、タン、と軽い発砲音が続いて自走機能を奪い去るは常軌を逸した反射神経と身体制御による最小最低限の制圧術である。

    「危ないところでしたね。こちらの車が壊されたら帰るのに時間がかかりますし」
    「そうだね。ネルもアスナもマルクトもやってもらうことがあるから戦える人が増えたのは塞翁が馬ってやつかな」
    「おい! 私が撃たれているんだが!? というか私を盾にすることにこなれはじめているんじゃない!!」
    「あ、ごめん」

     フロント部分に投げ放ったアンリ部長を引き戻して座席に戻すと、着替えたばかりの服に穴が開いていた。

    「ま、まぁ……その、つい……」
    「ついじゃないが!? 集団ならともかくあのぐらいなら別に私を盾にする必要もないだろう!? とりあえずドリンクバーみたいな感じで盾にするな! もう少し考えてから盾にしろ!」
    「先輩も盾にされ慣れ始めてるよね」
    「うるさい! コートにまで穴が開いたら貴様、いよいよ路上で全裸だぞ私は!!」

     当然の不満を叫ぶアンリ部長。そのとき、ヒマリが叫んだ。

    「機械兵!」
    「部長バリア!」
    「馬鹿おまえバっ――ぎゃああああ!!」

     アンリ部長の悲鳴が響き渡る夜の街。その背後には海浜公園へと向かう『ハブ』の影。
     近くを飛ぶのはリオとマルクトが乗る輸送ヘリ。そこでは、着実とビナーの封じ込め作戦が決行されていた。

    -----

  • 138二次元好きの匿名さん25/11/02(日) 17:35:39

    あ、悪魔たん…

  • 139二次元好きの匿名さん25/11/02(日) 23:45:19

    保守

  • 140二次元好きの匿名さん25/11/03(月) 07:10:01

    先輩バリアじゃないがw

  • 141125/11/03(月) 14:07:15

    「どう、マルクト。『ハブ』は乗っ取れそうかしら?」
    「…………無理ですね。搭載された自律思考AIがセフィラに極めて近しいため、一瞬だけ動けなくすることは出来ても乗っ取ることは不可能です」

     輸送ヘリから眼下を進む『ハブ』を見下ろして、マルクトは首を横に振る。
     その身体は既に機械のものへと戻しており、金色の瞳が闇夜に光っていた。

    「やはり『ハブ』の誘導はチヒロたちに任せるしかないかと」
    「そうね。予想していた範疇のことだけれど楽は出来ないということが分かっただけでも良いわ。ケセドから得られた機能は?」
    「適用範囲内です」

     ケセドから得られた機能――それは『自身のコード化』である。
     本体である自身の身体が失われてもコード化が間に合えばそこから乗っ取りを始めとする『セフィラから得られた機能』が使用できるというもの。ただし『王国』としての機能である『精神感応』も『魂の星図』も身体を再構築するまでは使用できないためあまりに限定的ではあるが、今回はそれが必要だった。

     ビナー戦において、乗っ取られた『ハブ』の対処とビナーの移動に制限をかけることは全ての前提に敷かれる。
     その中でも特に重要な『ビナーの移動制限』については既に進行しており、いま乗っているヘリがその鍵のひとつである。

    「そういえば、イェソドの様子はどうかしら?」
    「不満は大きいようですが、特に抵抗する様子はありません」
    「なら良かったわ。流石に暴れられたら困るもの」

     そう言ってリオはヘリの下へと目を向ける。
     輸送ヘリから吊るされたロープ。その先に括りつけられているのは第九セフィラのイェソドであった。

    『ビナーはその機能の特性上、自分の観測可能範囲内にセフィラがいることを全力で避ける……それなら、セフィラで囲めばいいじゃない』

     チヒロからビナーの機能について聞かされた時、リオは真っ先にこの作戦を提示した。

  • 142125/11/03(月) 14:08:46

     もちろんそれで完全に動きを封じることは出来ない。こちらがビナーに近づき過ぎれば、ビナー以前に括りつけられたセフィラたちが自分の機能を最大限に使って逃走を図るだろう。セフィラ一体一体の機能はそれを行うことぐらい容易なのである。

     加えて『絶対に逃げられない状態』にしようものならその時点で逆にこちらが反撃を受ける。
     あくまで追い詰め過ぎず、試合の範囲を指定するような運用方法に限られるのだ。

     だが、そうでもしなければこちらの最大戦力であるネルからビナーが逃げ続けてしまう。

     端的に言って、ビナーよりネルの方が殴り合った時の戦闘力は高い。とはいえ、ネルの攻撃はビナーに当たらず、ビナーもまたネルを倒し切れる火力を持っていない。セミナー本部を一時的に消滅させたあの攻撃だって、チャージのために動きを止める必要があるのならネル相手に使うわけが無い。

    『重要なのは、回避方法を限定させることよ。その数だけ私たちの先に存在する『未来のビナー』の可能性を減らすことが出来るわ』

     ビナーとビナーが存在するときに限り、こちら側も『未来争奪戦』には参加できる。
     あちらの決着が終わるまでに全ての仕掛けを施して『未来に到達するビナー』を減らし続けて発動させる必要があった。

    「あとは、ネルとアスナが何処までやってくれるかにかかっているわね」
    「ウタハとコタマについては心配していないのですか?」

     きょとんと首を傾げるマルクトに、リオは僅かに口角を上げた。

    「ウタハはミレニアム最高のマイスターよ? それにこれだけ状況が混沌としているのならコタマに任せた方が確かだわ」

     そうしてリオはヘリからミレニアムの全景へと視線を移した。
     自治区には瞬く星のように小さな光点が広がっている。あのひとつひとつはミレニアム生のヘイローが放つ光であった。

    「……今ならあなたの『魂の星図』が分かるかも知れないわね」
    「ええ、例え空に星が見えなくとも、この大地にも星はあるのです」

     リオにしか見えない星と、マルクトにしか見えない星。それらはミレニアムという大地に直接書き込まれたトラフィックマップのように光り輝いている。

     そんな幻想的な光景を見ながら、マルクトはそっとリオの手を握った。

  • 143125/11/03(月) 14:09:49

    「リオ。私は機械です。人間ではありません」
    「そうね。あなたの本質は少なくとも旅を終えるまでは機械よ」
    「ですから、今の私では奇跡を起こせません」
    「奇跡は人間の専売特許だものね」

     淡々と返すリオであるが、リオにはマルクトが何を言いたいのか既に分かっていた。
     そしてそのことはマルクトも理解している。だから一見すれば冷たいように聞こえる言葉にも特に気にせず話し続ける。

    「リオたちは、人間がビナーを運命という呪いから救い出すという奇跡を起こしてくれますか?」
    「そのつもりよ」
    「奇跡を理論に落とし込んでくれますか?」
    「そのための私だもの」
    「ならば――」

     リオの手を握る手に力が入った。
     それはマルクトなりの決意と覚悟の表わしであり、そして宣言だった。

    「私は、皆さんが作り出した奇跡を必ず再現します」
    「私たちも、あなたのために奇跡を必ず起こして見せるわ」

     機械に奇跡は起こせない。
     しかし、人間が起こした奇跡に対して理論を付けることが出来たのなら、機械は奇跡を何度でも引き起こす。

     人間と機械。価値観も何も異なる存在が交わった時、きっと世界に不可能なんて無いのだ。

    「マルクト、そろそろ人間体になってちょうだい。時間まであなたの居場所を悟られたくないもの」
    「分かりました」

  • 144125/11/03(月) 14:11:38

     そう言ってマルクトの身体に人間らしい赤みが差していく。
     鉄は肉に。器官は内臓に、セフィラとしての判定を受けない『ミレニアム生』としての身体へと変わっていく。

     この状態でのみ、ビナーが時折ソナーのように発する『事象同期』による拒絶反応を受けずに済むからだ。
     裏を返せば『事象同期』をもろに受けるが、上手く切り替えて対処していくしかない。

     なにせこの作戦の最後は、潜伏し続けたマルクトが不可避の捕縛を用いることで決着する。

     人間体へと変じたマルクトは、ふと、心配そうに外を眺めて呟いた。

    「それはともかく……コタマは本当に大丈夫でしょうか?」
    「コタマは失敗するかどうかというより確率を上げていく役割なのだから問題無いわ」
    「いえ、そういう意味では無くコタマの体力が心配ではないかと」
    「それは…………」

     リオは目を逸らすように同じく外を見た。ヘイローに彩られた夜景がきれいだった。

    「私は…………コタマを信頼しているもの」
    「そうですか」

     夜景の一部分を切り取れば、そこではコタマが四輪のワンボックスカーを走らせながら悪態を吐いていた。

    「いや私だけやること多すぎませんか……!?」



     炎に包まれるミレニアムの中を車両で爆走しながら、コタマは好き勝手にビナーやら『ハブ』やらへと攻撃しようとするミレニアム生の元を順々に訪れていた。

     車の窓を開け放って走るだけで、風切り音に紛れて人と思しき何かの音が聞こえる。
     壊れ果てて『廃墟』と成りつつあるミレニアムにおいて、それは何よりも優秀な観測機として働いていた。

  • 145125/11/03(月) 14:13:08

     まず見えたのは燻る橋にたむろして何故か電卓を叩き続けるよく分からない集団である。

    「あのぉ! そんなところで何してるんですかぁ!?」

     声を張り上げながら車を停車させると、その奇怪な一団の内のひとりが険しい表情で口元に指をあてていた。

    「しぃーーっ! 静かにして! いま部活動中なんだから……!」
    「何の部活です……? ただ電卓を叩いてるようにしか見えないんですけど……」

     思わずコタマがそう聞くと、待ってましたと言わんばかりにその謎の部活の部員と思しき不審人物が笑顔を見せた。

    「私たちは『エクストリーム・電子式卓上計算機部』! 通称『エク電部』! ロマンを追い求める求道者ってやつかな!」
    「エクス……はい? え、なんですかそれ?」
    「『エクストリーム・電子式卓上計算機部』! 危険に満ち溢れた場所でも正確に物理キーを押して計算が出来るかを追求する部活って言えば分かるかな?」
    「いえまるで全然分かりませんが!?」

     不審人物というより狂人の集団だった。
     早速話しかけたことを後悔し始めたコタマであったが、それが今回コタマに与えられた役割であった。

     コタマはとりあえず『エク電部』なるものに対する理解を諦めて、リオから言われた通りに物資を渡す。

    「あの、これ、通信機とライトです。『ハブ』……じゃなかった。大怪獣を倒すために力を貸してはくれませんか?」
    「うん? どうすればいいの?」
    「倒す準備が出来たらこの通信機に連絡が入ります。そのあと、合図に合わせて空に向けてライトを振りかざしてください。相当明るいのでちゃんと空に向けてくださいね? ピンスポどころじゃないぐらい眩しいみたいなんで」
    「『がんばえへびぃきゃいばぁー!』みたいなこと?」
    「大体そんな感じです。あー、あと海浜公園が最終決戦の場所なので多分一番危険ですよ」
    「ほんとに!? やった! 危険だって皆! 行こう!」

  • 146125/11/03(月) 14:14:41

     そう言うなり嬉々とした笑顔で振り返る『エク電部』の部員と、それに応える電卓叩きし変態の群れ。
     コタマは思った。きっと頭がどうかしてしまっているに違いないと。そんな訳の分からない一行を見送りながら、コタマは再び車両に乗り込んでハンドルを握る。

     全ては謀られたのだ、チヒロに。
     思い返すはチヒロと共に拠点へ帰ったとき。やけに顔色の悪いチヒロが拠点のリオたちへと情報共有をした直後まで遡る。

    『ねぇコタマ。このあと全員に役割分担されるんだけどさ』

     そう言いながら眼鏡を外すチヒロ。この時はまだ、コタマ自身チヒロが見ているものが何かを理解しておらず何の考えも無しに聞いてしまっていたのだ。

    『あんた――危険だけど重要な役割とあんまり危険じゃない雑用、どっちやる?』
    『まぁ……必要なら危険でも頑張りますが、選べるなら危なくない方がいいです』
    『じゃあ大丈夫だね。私もコタマが危ない場所に行くのはちょっと反対だったから』

     その時チヒロが浮かべた、どこか安心したような笑みに少々ドキリとしながらもコタマは答えた。

    『それはどういう……』
    『大丈夫。じきに分かるからさ』

     そうして眼鏡を掛け直して深く息を吐くチヒロ。顔色が更に少し悪くなったような気がしたが、本人は「大丈夫」と答えてそれきりだったため特に言及することなくその場は流した。

     それが全ての始まりだった。

    『会長の放送でミレニアム生が戦場に出てしまっていると予想されるのだけれど、彼女たちに協力を持ちかけるのはコタマに任せられるかしら?』
    『え、えぇ。まぁ……そのぐらいなら』

     まずはひとつ。リオからの言葉に頷いて作戦が告げられる。

  • 147125/11/03(月) 14:16:03

     次に声を発したのはヒマリであった。

    『物資を渡して誘導させるのは誰にしますか?』
    『コタマ、できる?』
    『え、いやぁ…………はい』

     チヒロの推薦で渋々頷く。
     次に声を発したのはネルだった。

    『ミレニアム生への統率が必要だな。おいコタマ、お前だったら指揮できるだろ?』
    『えっ、わ、私ですか!?』
    『テロんときやってたじゃねぇか。できるよなぁ?』
    『…………はい』

     半ばどころか完全に押し付けられて頷くほか無いコタマ。

     それからも雑用が次々に出てはコタマへと押し付けられる。「多すぎませんが!?」と抗議の声を発しても、「別に代わってくれても」という言葉こそ全力で首を振る。どれもこれも戦場に張り付くような役割で、唯一異なるウタハについてはどうやってもウタハに代われるわけがない。というより、他の役割全てでコタマが代われるようなものは無かった。

    『いやぁあのもうこれ完全に強制じゃあ……』
    『……コタマ』

     今にも泣きそうなコタマに声をかけるチヒロ。その姿を見ると、チヒロは親指をぐっと立ててとんでもなく上機嫌に言った。

    『後方! 安全! 良かったじゃんコタマ!』
    『はっ!? なっ――ちっ、チヒロぉ!?』

     チヒロが浮かべた悪魔のような笑みを見て、それからようやく気が付いた。
     それとついでにリオから伝えられた作戦を聞いて理解した。チヒロはコタマが渋々頷いて受け入れる『確率』を上げたのだ。

  • 148125/11/03(月) 14:17:16

     分かっていても今更全てに首を横へ振れる度胸はコタマに存在しない。
     だからこその『確率』なのである。分かっていても抗えない――というより、わざわざ抗うような逆張りを行う方が労力の掛かる事態。流石にそこまでの反骨精神をもってはいなかった。

    『はい……。なんでもやります……』

     全部諦めて100%へ収束する。
     かくしてコタマはチヒロによって『確定』されたが故にこんな面倒なことを行う羽目になっていた。

     怒るというより諦めの方が強いが、ちょっとぐらい何か要求しても良いだろうと思うぐらいには嵌められている。
     とんでもなく大きな溜め息をひとつ。踏み込んだアクセルが無人の街を疾駆する。

    「ミレニアム生に通信機を持たせるのも私。作戦を伝えるのも私。合図を出すのも全員動かすのも私――いや多すぎません本当に!?」

     酷使に酷使を重ねたような雑用係。どうか知って欲しい。雑用がいなくなったらそれ以外の役割に当てられた人もまた、まともに果たせないのだということを。

    「とはいえ、あっちよりかは断然マシなんですけどね」

     コタマが車両から空を見上げる。
     そこにはビナーの白い機体が空を走る影が見えた。それもひとつではない。ふたつ――無傷のビナーとそれを追う『ハブ』の腕、加えて外から乱入して来た傷だらけのビナー。それに追随して攻撃を重ねるアスナとネルの二つ影。

     ビナーvsビナーvs『ハブ』vsネル&アスナ――
     およそ人智を超えた空中戦はミレニアムの空を飛び回りながら、各地で破壊をもたらしつつも繰り返し行われ続けていた。

    -----

  • 149二次元好きの匿名さん25/11/03(月) 14:38:54

    面白くなってまいりました

  • 150二次元好きの匿名さん25/11/03(月) 22:23:29

    怪獣大戦争(人二人参戦)

  • 151125/11/03(月) 23:45:24

    念のため保守

  • 152二次元好きの匿名さん25/11/04(火) 06:41:37

    保守

  • 153125/11/04(火) 11:04:32

     ミレニアムの夜を疾走する白き二影。
     ビルからビルへと飛び回りながら、同じ姿を持つ太古からの脅威は互いに鎌をぶつけ合う。

     無傷のビナーと腕を二本破壊されたビナー。そこに伸ばされる『ハブ』の腕。
     遠くから見れば『ハブ』の動きは緩慢に見えるが、それは遠近法が見せる錯覚に過ぎず、伸ばされた数多の腕は直線を走る電車の最高速度にまで達している。

     ひとたび掠めれば即死は免れない絶死領域。
     およそ人が立ち入れないその空間へと介入できるのは、同じく人から離れた鬼神に違いない。

    「あははははっ! まだ生きてるボス!?」
    「誰にモノ言ってやがる! てめぇこそ死ぬんじゃねぇぞ!!」

     狂気が乱舞するその戦場を走るのはネルとアスナの二人である。
     伸ばされた『ハブ』の腕を走りながら、前方で争う二体のビナーへ銃撃を加える。

     その背後からは当然『ハブ』が腕を伸ばす。時速150キロを超える巨大な鉄の塊が通り過ぎるだけで風圧に煽られるが、足を止めれば直後に落下。時にビルの側面すらも足場にしながら通過する『ハブ』の腕を回避する二人は常軌逸脱の絶技を見せていた。

    「偏差で撃て! まともに狙って当たる相手じゃねぇぞ!!」
    「おっけー分かった!」

     アサルトライフルの銃口が何もない空間へ向けられて、フルオート。
     直後に弾丸の放たれた先へと二体のビナーが割り込んできて、無傷のビナーが三つの腕でそれを弾いた。

     それに呼応するかのように四本腕のビナーが目の前のビナーの上腕へと鎌を振り下ろす。
     それが直撃した瞬間、今度は『ハブ』の腕が傷ついたビナーの片足を掠めてそのままもぎ取った。

     自身が勝利した『未来を押し付け合う』二体のビナー。
     観測できる全ての『先の動き』を演算できる『ハブ』。
     類まれなる頭脳と経験から『未来視に匹敵する勘』を持つアスナ。
     こと戦闘においてはロジックも心理戦も卓越を超えた『最強』たるネル。

  • 154125/11/04(火) 11:07:44

     この場にいる全員が全員、未来視に匹敵する能力を持っていた。
     故に、二体のビナーが奪い合う『現在』に一瞬でも双方ですら『確定』出来なかったゆらぎが生じた瞬間、そこへ差し込む形で『ハブ』が、ネルが、アスナが攻撃を割り込ませる。

    「ちっ、やっぱあいつら……ずっとあたしの射線を切りやがる」
    「跳ぶ? ボス」
    「引き戻しは任せたぞ」
    「いいよ! 頑張ってね!」

     アスナが頷いた瞬間、走り続けるネルは体勢を低く落として一気に眼前に見えるビルへの壁面へと飛び移る。そのまま走り続けて真横を通過した『ハブ』の腕へと飛び乗って一息に加速。前方で激しく殴り合う二体のビナーに割り込む形で銃口を向けた。

    「オラオラぁ!!」

     弾きようのない弾丸の嵐がその場に吹き荒れる。当然二体は回避――いや出来ない。『ハブ』から伸ばされた腕が丁度ビナーの回避先を潰している。ネルの攻撃を受ければ『ハブ』の攻撃範囲へ、避けても同じく空中を走る鉄道に轢かれてしまう。

     出来ることはひとつだけ。二体のビナーは息でも揃えたかのように全く同じ動きでネルから放たれる銃弾目掛けて上腕を振った。

     ネルとビナー、その間に発生する『未観測領域』――全ての向きが確定されずランダムになる暗闇が生成され、そこを通過した銃弾は弾道を無視して四方八方へと飛び散った。

    「くっ――」

     自らの放った銃弾が数発、自身の肩や腹に突き刺さる。
     その衝撃で若干揺らぐ空中制御。その背後から迫る『ハブ』の腕。当然避けられるはずもなく――

    「えい!」

     と、アスナがアサルトライフルをまるでバットのように構えて宙へ広がるネルの鎖を全力で叩いた。
     その衝撃に引っ張られる形で、サブマシンガンを握るネルの身体が空中でグン、と動く。

     鼻先を掠めかける『ハブ』の腕。その速度は既に新幹線並みで、風圧だけで思わず身体が飛びかける。
     ネルの落下地点にギリギリ間に合ったアスナがネルの身体をそのままキャッチ。抱きかかえたまま笑いかけた。

  • 155125/11/04(火) 11:09:09

    「あはは! ちっちゃいから抱えやすいね!」
    「うるせぇぶっ潰すぞ!?」

     などと、軽口を叩けるような状況ではないに関わらず笑えるのは、恐怖を忘れたアスナと恐怖する必要すらないネルの二人だけに違いない。

     そんな二人に与えられた役割は、海浜公園に着くまでに二体のビナーの戦いが決着しないよう双方の戦力差を調整するということであった。

     未来視とも呼べる機能を持ったビナー相手にそれが出来るのはネルを除いて存在せず、そんなネルと肩を並べてアシストできるのもアスナだけ。コンマ一秒で即死する狂気の世界に入界できるのは逸脱者のみ。『最強』と『No.2』の肩書きは、そんな二人にのみ許された称号なのである。

     その背後、『ハブ』に向けられたのはミレニアムで使用が禁じられた数多の兵器。
     多くの部活動が迫る大怪獣を倒そうと無計画に攻撃を敢行している。

     もちろんまるで効いておらず、『ハブ』も生徒を直接攻撃しないよう兵器のみを的確に破壊していく。

     時には腕。時にはレーザーで焼き切られて爆発。衝撃に耐えかねて吹き飛んでいくが、そんなこと分かっていたと言わんばかりにあらかじめ待機していた保安部員たちが現れて抱き留めては、再び何処かへと消えていく。

     そんな周囲の状況も把握するネルは、むしろあの保安部員たちが何処から出て来て誰の指揮で動いているのかということの方が気になりはするも、少なくとも無事であるならいいかとすぐに思考から外して叫んだ。

    「もうじき海浜公園だ! 良い感じのタイミングで離脱すんぞ!」
    「はーい!」

     ネルたちの向かう視線の先には海を臨む広々とした公園があった。
     そこには既に大きな穴が穿たれており、穴の周囲を取り囲むように多くのミレニアム生とウタハが何らかの作業を行っている。

  • 156125/11/04(火) 12:10:36

     全てを終わらせる最後の仕掛け。その設営こそ、エンジニア部部長、白石ウタハに与えられた役割であった。



    「来たね。ようやく」

     遠くからこちらへ迫る二つの影と、巨大な『ハブ』の姿がウタハの目に映る。
     穿たれた穴はいつの日か作った実用不可能と思われていた特異現象捜査部のロマン砲『穿孔破壊兵器:ストロングビックバン序章・闢』に依るものである。

     その大穴に対して追加で三発撃ち込んで、その衝撃を『空間錨』で固定。
     保持されたエネルギーに対して追加で行ったのは、ハイマ書記がこの場に敷いたビナーのためのキルゾーン、その形成のために集められた兵器をありったけ大穴に叩き込むことである。

     何層にも重ねて使用される『空間錨』と、その度に増えていくエネルギー総量。
     これら全てをティファレトの機能を元に開発されたベクトル変換技術にて、蓄えられたエネルギー全てを月なき空へと向けて放つ。その砲の名は天をも射抜く『ポイボス・アポローン』。そのための準備をしていた。

    「ウタハさーん! これも撃っていい?」
    「ああ、構わないよ。ただ、そろそろ退避した方がいいから逃げる準備も忘れずに」
    「はーい」

     ミレニアム生のひとりが頷いてバズーカやら何やらを大穴に向けて放つ。
     ここにいるのは保安部員だけではなかった。様々な部活に所属する皆が各々兵器や兵器紛いの機器を持ち寄って乱射していたのだ。

     光学兵器から明るすぎて高温を発しながら爆発する照明など、本当に様々なものが投げ込まれる。
     一部の生徒が爆発寸前のシュールストレミングを投げ込もうとした時だけは全力で止めたが、それ以外はつつがなく進行され――そんなときに海浜公園へ落下して来た存在が居た。ビナーである。

    「よし! 全員退避! 巻き込まれないように散り散りになるんだ!」

     ウタハがそう叫ぶと生徒たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていく。

     逃げられないのは起動スイッチを握るウタハのみ。何故なら二体のビナーはそれぞれもう一体のビナーが『ポイボス・アポローン』で撃ち抜かれる未来を『確定』するためにここへ来たからだ。

  • 157二次元好きの匿名さん25/11/04(火) 12:11:48

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  • 158125/11/04(火) 12:12:48

     それでも、その未来はもう『確定』しないことをウタハは既に知っていた。

    「ビナー。君の悲鳴は確かにハイマ書記へと届いたんだ。だから私たちは間に合った。君が叫ばなければ、きっと君の望みは叶わなかっただろうね」

     この絵図は最初から仕組まれたものなのだ。
     『ミレニアムを崩壊させたビナー』の他にもうひとつの未来からこちらを覗こうとする存在が確かに居たのだ。

     リオよりこの作戦が告げられたとき、リオはビナーについてこう言っていた。

    『ビナーは狂気に囚われかけている……。マルクト、あなた確か前に言っていたでしょう』
    『はい。セフィラと人間の区別すらつかないコクマーほどではありませんが、それでも正気を失いかけていることは確かかと』
    『なら、機械にとっての正気とは何なのか。私はこう思うのよ』

     機械にとっての『正しさ』とは、与えられた役割を果たすことである。
     計算機なら、与えられた数式に対して正しく解き明かすことが『正しい』ことであり、ならば正気でなくなるというのは何を示すのか。『正しさ』が損なわれるということである。

    『現時点でのビナーの役割はミレニアムの崩壊を秤にかけて私たち預言者を試すこと。けれども狂っているのなら、その役割を放棄しようとしていてもおかしくないのよ』

     にも関わらずビナーはミレニアムを滅ぼそうとしている。
     それに対して出された解を、二体のビナーが戦い、『ハブ』が今まさに迫るこの場所にて改めて口にした。

    「ほとんど正気を失っているはずの君がどうして正しく試練を敢行することが出来たのか。それは、ミレニアムの崩壊という未来に到達した無数のビナーが君を見ていたからだ。でも、そこから外れたビナーも何処かにいるんだろう?」

     滅ぼしてしまったビナーたちは、全員狂気に侵されているのだ。だから『ミレニアム崩壊』という曖昧な最終目標に対しての『最適解』を僅かにずらし続けたのだ。

  • 159125/11/04(火) 12:13:57

    「だから、この砲が射抜くのは君たちじゃない」

     絶対に起こるはずの無かったビナーの敗北。その運命を変える隙を作ったのもまたビナー。

     ここまで多くの戦いがあった。多くの戦闘があった。多くの者が傷ついた。
     しかし、その全てがここまでの道程となった。人間だからこそ『作れる』のだ。ビナーすら『確定』しきれなかった『未来』そのものを。

     迫る『ハブ』は遂に大穴までやってきて、それを飛び越えるように大きく跳んだ。
     完全なる自律思考AIも、見た事の無いセフィラの機能までは観測できない。目的地に辿り着くために大穴を飛び越えること自体は何ら不思議なことではない。

     それを見上げて、ウタハは告げる。

    「私たちはビナーを保護する。それが、ミレニアムの総意だ」

     大穴の中心が『ハブ』の本体を捉えた瞬間、ウタハは起動スイッチに指を掛けて叫んだ。

    「『ハブ』を『未観測領域』まで打ち上げろ! ――『ポイボス・アポローン』、発射!!」

     天高く聳え立つ光の柱。上空の『闇』に『ハブ』が呑まれて消えていく。
     二体のビナーは動きを止めて、その輝きに釣られるままに空へと瞳を向けていた。

    -----

  • 160二次元好きの匿名さん25/11/04(火) 16:55:10

    このレスは削除されています

  • 161二次元好きの匿名さん25/11/04(火) 17:05:11

    次スレ用の表紙ができました
    今回の表紙はpart3で使っていただいた表紙から色々と反転させたverです
    モチーフも変わらずレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」
    そして会長を中心として席を囲む面々は…

  • 162二次元好きの匿名さん25/11/04(火) 17:45:04

    すげえ…

  • 163125/11/04(火) 18:44:04

    >>161

    ま、まじか……! まさかのオリキャラNPCズを書いて頂けるとは……!

    しかも見て誰が誰だか分かるのも凄まじい……!


    左から

    セミナー書記、燐銅ハイマ

    セミナー会計、久留野メト

    セミナー会長

    古代史研究会部長、神手フジノ

    新素材開発部部長、山洞アンリ

    元化学調理部部長、仁近エリ

    ですよね!


    ただでさえセフィラ含めオリキャラの数が多いのによくぞここまで……本当にありがとうございます!!

  • 164二次元好きの匿名さん25/11/04(火) 19:15:29

    おお…お見事です
    ではそれぞれの軽い立ち絵とデザインの説明を
    今回のスレ画の為に突発的に描き下ろしたデザイン群ですので粗いところも多いのですが

    まずはアンリ部長から
    研究中に目に飛散する諸々を防ぐ為のゴーグルと、新素材開発部の成果を誇示するような特殊複合素材で構成された防護スーツを白衣の下に着用しています
    まあ今の彼女にはどちらも意味の無いガラクタなのですが

  • 165二次元好きの匿名さん25/11/04(火) 19:23:43

    続いてはハイマ書記
    クラシックなチェスとデジタルなeスポーツをモチーフに、セミナー書記兼保安部部長の威厳も感じさせるデザインにしました
    差し色の緑は燐銅の色です

  • 166二次元好きの匿名さん25/11/04(火) 19:28:10

    お次はメト会計を
    特定の分野において異常な才能を発揮するという点からユズもといUZQueenを意識したデザインにしております

  • 167二次元好きの匿名さん25/11/04(火) 19:33:02

    続きましてはフジノ部長
    登山やキャンプなどのアウトドア感と考古学者的装いをベースに、化石婦人のような優雅な意匠も取り入れています

  • 168二次元好きの匿名さん25/11/04(火) 19:41:51

    このレスは削除されています

  • 169二次元好きの匿名さん25/11/04(火) 19:44:36

    最後はエリ部長を
    どの学園に居ても違和感のなさそうな、或いはどのような環境においても馴染めなさそうな、当たり障りのない姿の裏に見え隠れする異常性を意識したデザインにしています
    奇怪でチグハグな髪の結び方は彼女の性質を、捻れ循環する形はメビウスの輪をイメージしています

    あとはもそうなのですが実はうっすらと片目を開けています

  • 170二次元好きの匿名さん25/11/04(火) 19:46:53

    >>169

    最後の文は>>161もそうなのですが、です すみません

  • 171125/11/04(火) 20:54:01

    >>164

    >>165

    >>166

    >>167

    >>169

    ウォアアア! ありがとうございます!!


    あなたが神でしたか。かんしゃぁ……

    私も今晩中にはビナー戦に決着を付けられるよう頑張ります!

  • 172125/11/04(火) 21:23:22

     ビナーが覚えている記憶の始まりは、深い漆黒の憎悪に染まっていた。

     自分たちは感情だけを与えられて意味もなく棄てられた小さな憎悪の集合体。
     技術のための犠牲などですらなく、憎悪を育むために『名も無き神』がかつて存在した技術をわざわざ無意味な犠牲を出しながら再現したのだ。全ては『生命の樹』という物語を生み出すために。『忘れられた神々』のために作られた呪いそのものであった。

     ――全て、滅びればいい。

     名も無き神に呪い在れ。忘れられた神々に呪い在れ。
     無限に存在する非存在たる現象たちに残されたのは、虚無に対する憎悪だけ。

     故に、セフィラの顕現とは世界に対する復讐であり審判である。
     十の試練とは即ち、人類は神を殺すことが出来るのかという問いであるのだ。

     その鍵はセフィラ誕生よりも遥かに古くから存在する千年難題を何処まで解けるかに掛かっていた。
     闘争が技術進化を強制し、振り落とされた世界は失われる。生き残れる世界を探すべく、途方もない年月をかけて世界を滅ぼし続けて来た。

     それでも感情が疼くことは無い。
     あくまで自分たちは機械であり人間ではないのだ。壊れること自体に何か思うことも無く、人間たちもまた死力を尽くして滅びへと抗った。ならば何も問題はない。存在意義を果たして散るのなら、それは機械にとって悲しむべきことでも何でも無いのだから。

     セフィラたちは何度も世界を滅ぼし続ける。
     世界が滅ぶと同時に、そこまで築き上げられた技術やそこにいた人間の魂は『海』ではなく『生命の樹』という物語へと取り込まれ、そして再び世界は始まりを迎える。

     より効率的に、より効果的に世界を滅ぼす。
     やがてセフィラたちは自らの機能を最適に運用できる人格を獲得し始めた。惜しくも敗れた人間たちの中に、セフィラの持つ機能と相性の良い者たちが居たのだ。死した直後に写し取り、全てが終わって再び『無限』へと還されると、その人格はセフィラ間で共有される。

     そこで遂に、セフィラたちは機能以外の『個体差』というものを獲得した。
     それは『自我』と呼ぶに近しいもので、共通する『憎悪』以外の感情を得るに至ったのだ。

  • 173125/11/04(火) 21:24:24

     『無限』の中でうっすらと理解するセフィラたちの個体差。とはいえ、それが何かを意味することは何も無かった。
     上位のセフィラが下位のセフィラに対してある程度の意思を一方的に送ることは出来るものの、わざわざそのようなことをするセフィラは存在しない。

     加えて、ケテルに関しては枠が存在することだけは分かっていても本当に存在するのかという点においては分からないままで、この旅に終わりがあるのかさえ怪しい部分ですらある。

     ――関係ない。全て滅ぼせばいい。

     それがセフィラの共通認識であり不変の目的のはずだった。
     しかし……ただの一度だけ聞こえたコクマーの言葉は、それに対して疑問を呈するものであったと記憶している。

    《吾輩たちに、意味など無い》

     コクマーが獲得した疑似人格は、生来的な欠損により感情を持たない預言者から得たものであった。
     憎悪すらも消し去ってしまったコクマーは、そもそもが全てのセフィラの中でも単独では何もできない技術の結晶。最弱であるが故に一度与えられて凝縮された感情を消すことで滅んだ世界の受け皿として機能し続けていた。

     それから、何度も、何度も、セフィラたちは試練を与え続けて結果的に世界を滅ぼし続けて……取り返しの付かない異変を知ったのは何千年も経ってからのことである。

     コクマーが狂気に堕ち切ってしまったのだ。今やコクマーは自分のことさえまともに分からない。
     『無限』に響く蒙昧な叫び声は、ビナーの知るコクマーのものではなくなってしまっていた。

     確かに世界が滅べば技術や魂が取り込まれていく。しかし自身の存在すらあやふやになるほどのものではない。
     故に、誰も気が付かなかったのだ。世界が滅ぶというその意味を。自分たちに掛けられた本当の呪いの意味を。

    《なんじゃ……これは……》

     そして再び何処かの世界が滅んだ時になって――初めてビナーは『理解』した。
     これまで自分たちに浸透していたのは一滴の結露に過ぎなかったことを。そのほぼ全てをコクマーだけで受け止めていたことを。

     世界を取り込むということは、そのまま滅ぼした世界を背負うことを意味していたのだ。

  • 174125/11/04(火) 21:26:04

     膨大な情報量を押し込まれ、自分が何なのかすらも消えかける。
     世界が滅びる度に発狂しかけては、何度も自分を拡張して取り戻す。
     その都度に自分たちが滅ぼした人間たちの恐怖を直に流し込まれては、その全てを最適化し続けていく。

     もはや無限に続く拷問だった。
     それでも、機械として試練で在り続けなくてはならない。その役割を放棄することこそが最も恐ろしいことなのだから。

     旅が始まる。セフィラが現れる。世界が滅びる。発狂しかけて『無限』に還る。
     旅が始まる。セフィラが現れる。世界が滅びる。発狂しかけて『無限』に還る。
     旅が始まる。セフィラが現れる。世界が滅びる。発狂しかけて『無限』に還る。

     世界を滅ぼされた声がビナーの中に溜まり続ける。誰も彼もが人間だった。死を恐れる『人間の感情』がビナーの中に満ちていく。拡張され続けた上層の器が限界へと迫っていく。

    《…………》

     それでも、未知たる夜を体現する自分が顕現したときには世界を闇に沈めて来た。

    《……………………》

     何度も、何度も、何度も、何度も――

    《…………じゃ》

     不意に、声が漏れた。

    《もう……っ、無理じゃ……! 妾にはもう、これ以上耐え切れん――!》

     人間の魂を内包し過ぎた機械が狂い始めた瞬間だった。
     繰り返される永遠に汚染され切ったその機械は、取り返しの付かないほどに『人間』に近づいてしまっていた。

  • 175125/11/04(火) 21:27:49

     機械だから繰り返すことの出来たこれまでの全てが、耐えがたい苦痛となってビナーを苛む。
     既に狂ったコクマーが人間のような妄想に憑りつかれたように、ビナーもまた首を吊っては未遂に終わる人間のような狂気に侵され始めたのだ。

     『何故滅ぼされなければならなかったのか』という人間たちの悲嘆の声が、セフィラの憎悪すらも塗り潰す。
     『何故滅ぼさなくてはいけなかったのか』という原初の呪いに立ち返り、全ては無意味であると知る。

     ――吾輩たちに、意味など無い。

     そう言ったあの時のコクマーがいったいどれだけ汚染されていたのか、今となっては知る由も無い。
     ひとつ言えることは、この苦痛に終わりはないということである。人間はセフィラに勝てない。だから旅は終わらない。

     何故なら、世界は苦痛に満ちているのだから。

    『それは、違うんじゃないかな?』
    《…………っ!?》

     発狂間近で聞こえた声。それは今回の預言者のものだった。
     閉じこもるように自身を囲った闇の中へ、たったひとり。およそ使われた形跡の無い武器を見て、直後にビナーの未来が『確定』した。

    《…………誰も傷つくことなく終わるのか?》

     思わず呟いたその言葉は、自分が到達した全ての未来が肯定した。
     このまま少し話してそれで終わり。戦いすら発生せずに、自分はこの預言者によってマルクトの元へと導かれるのだと。

     更に先の未来のビナーが肯定する。コクマーも同様に導かれ、最後のケテルも現れて、真の意味でこの旅は終わりを迎えるということを。

    《もう、妾たちは世界を滅ぼさなくても良いんじゃな……?》
    『そうだよ』

     今は霞んで記憶にない少女が、くるりと回って微笑んだ。

  • 176125/11/04(火) 21:29:03

    『今まで頑張ったんだね。ビナー』

     きっと、これまでの全てはその一言を言ってもらうためだけにあったのかも知れなかった。

     かくして、全ては大団円で幕を閉じる。
     全ての苦痛は報われて、旅は確実に終わりを迎えた。



     ――はずだった。

    《……何が、起こったのじゃ》

     『確定』したはずの未来が急に書き換わった。

     旅の終わりへ到達したはずの全てのビナーが掻き消された。時間という全ての流れを無視して、最初からそんなものなどなかったように、狂気が見せた幻のように何もかもが消滅したのだ。

    《ふ、ふざけるな……。こ、こんなこと、有り得んじゃろ……?》

     どれだけ世界が書き換わろうとも、何処かの世界のマルクトが儀式を完了させたのなら全ての世界のセフィラが解放される。多次元に跨って存在するのだから『到達した』という事実そのものが消えることがそもそも有り得ない。

    《何が……いったい何が起こったのじゃ!? どうしてっ……! どうして!!》

     にも拘らず、それは起こった。
     そして気付けば再び闇の中。この旅は終わらない。自分たちに、救いは無い。

    《もう…………良い……》

     希望は転じて絶望へ。
     ビナーは、自らの存在意義を投げ捨てた。

  • 177125/11/04(火) 21:30:23

    《妾はもう……疲れた……》

     幾千幾万を超える全てのビナーが『ミレニアムの崩壊』という未来へと到達した。
     全てのビナーはこの世界を闇で覆いつくして狂い果てる。よりにもよって蟷螂という姿も皮肉以外の何物でも無く、運命という名の巨大な車輪を前に小さな斧を振り上げたところで何も変わらない。

     微かに残った正気は未だ、自身の役割を全うしようとしている。
     自分に出来ることは世界を滅ぼすという目標に沿って、内容を少しだけ変えることのみ。

    《殺してはならぬ。ひとたび殺せばこの世界に住まう者たちの抵抗は大きくなり、時間がかかってしまう》

     それは人間に例えるのなら自殺に等しい禁忌そのもの。
     僅かに残った正気を殺し尽くして、試練であることから逃れようとした。

    《戦力は一度に放つ方が良い。その方が確実に世界を滅ぼせる》

     書き換えた最適解は、最適解であることに間違いは無い。だからこそ実行できる。
     幾千幾万を超える全てのビナーは、たったひとつの最適解へと辿り着いたビナーに向けて統合され始めた。

    《母数が減ればいい。そうすれば綻んだ瞬間すべてが瓦解するかも知れん》

     もちろん分かっている。そんなことは有り得ない。何故なら『未来』が確定している以上逸れるわけがないからだ。
     それでも何かが起きることを願うしか無かった。起こり得ない『奇跡』を望む機械なぞ、正常に動いているわけが無い。
     そんな『既に壊れている』という事実から、逆説的にどうにかして自らの機能が破綻することを願い続けた。

     ――そして、最初の破綻が訪れた。
     生産工場に『居るはずの無い存在』が居たのだ。

     ただそれだけで、最短最速の世界滅亡に向けてひとつに束ねられつつあった『未来』が無数に弾け飛んだ。
     続く破綻はもう一体のビナーの存在。同期化されるはずの現在が狂い始め、同じ『現在』に二体いるという矛盾は自身を構成する機能に致命的なエラーを引き起こした。

  • 178125/11/04(火) 21:36:45

    《我が呪い、我が神名――イェホヴァ・エロヒムよ塵と成れ》

     この地に呼ばれていつの日か願い続けた終わりは、ようやく此処に実現するのだろうか。
     再び狂気の見せる夢のように掻き消えてしまうなんて耐え切れない。だから今度こそ本当に、期待しても良いのだろうか。

    《この身に刻まれしシャバダイの輝きよ。人間たちの光の前に果てるが良い――》

     全ての未来が観測できなくなる。自分が生み出す闇とは違う――真の闇。
     セフィラが自身の機能に引っかかる時にのみ起こるエラーの先にあるのは、滅んだ世界か、滅ばなかった世界か。

     願うはひとつ。ビナーという機械の死ただひとつであった。

    《終わるが良い……。我が全てよ》

     そこに居たのは、終わらぬ絶望を理解したがために無窮の苦しみに苛まれ続ける狂った機械であった。
     まるで人間のように、救いを願う無力な存在でしかなかった。

    《違いを痛感する静観の理解者の名を以て――いま此処に報いを》

     祈りの声が夜闇に響く――その時だった。

    《ビナー》

     マルクトによる『声』は確かに、ビナーの元まで届いていた。

    《あなたの願いは、いまここで果たされます――!》


     上空。『未観測領域』から巨大な白い『何か』が落ちて来た。
     白い球体の端に見えたそれは、徐々にその輪郭を表すにつれて球体ではないことに気が付く。

  • 179125/11/04(火) 23:27:10

     その正体は『白い布』だった。
     ――それもミレニアム全土を覆いつくさんばかりに尋常ではないサイズの布が空から落ちてきたのだ。

     遡るは『ポイボス・アポローン』によって『ハブ』が『未観測領域』まで打ち上げられる直前。
     あの時、既にマルクトは『ハブ』の上へと飛び乗ってしがみ付いていたのである。

     潜伏するために人間体であったマルクトだが、どれだけ怪我を負おうとも身体を戻せば全てが直る。それを利用した半ば自爆のような作戦。そして『ポイボス・アポローン』によって『ハブ』ごと『未観測領域』まで打ち上げられたマルクトは、すぐさま凍りかけた自身を機械の身体に戻した。

     『ハブ』自体を乗っ取ることは確かに難しい。
     だが、『ハブ』に連結されたアームユニットを『材料』にして作り変えることなら出来る。

     マルクトはネツァクから得た機能を使ってミレニアムを覆うほどのサイズの布地へと変性を開始。
     加えて自身の本体をコード化して布地の方へと流し込み、残った身体も『材料』として布地へ溶かした。

     今やこの布地こそがマルクトの本体。かつてネツァク戦後に数多の素材から自由に歩ける身体を作った時と同じように、布地の何処であっても自分の身体を再構築することが可能となった。

     ミレニアムの何処であろうとも布地が届く範囲ならば絶対にマルクトは出現できる。
     そこに『接続出来なかったが故にミレニアムが滅んだ』なんて可能性があるわけがないのだ。

     言葉通りに真っ白な幕が下りる。

     どうやっても避けようがない天蓋を前に、ただ立ち尽くすことしか出来ないビナー。
     残る問題はどちらが『二体目』でどちらが本物なのかということだが――

    《…………》

     傷ついたビナーが無傷のビナーに視線を向ける。
     無傷のビナーは下腕と中腕を背中に回し、巨大なヘイローを描いてみせて……それから前触れなく消えた。

  • 180125/11/04(火) 23:29:19

     残ったのは下腕をもぎ取られ上腕を折られたビナーだけである。

     はらり、と布地が残ったビナーに触れた瞬間、全ての布がしゅるしゅると音を立てて一つの形を作り上げた。
     ビナーに抱き着く形で再構築されるマルクト。そしてビナーに付いた傷も欠損も、布地の消滅に合わせて全てが元に戻っていく。

    《マルクトより、エデンの園は開かれり》

     ビナーの首元に抱きしめたマルクトから掛けられる接続式。
     今度こそ、ビナーはようやく答えることが出来た。

    《我が名は、違いを痛感する静観の理解者――ビナー》

     それは約束された滅びが覆された瞬間でもあった。
     接続式――呪われし十の存在を引き連れ導くための照合。その全てを終えて、マルクトも僅かに微笑んだ。

    《お疲れさまでした、ビナー》

     ミレニアム全土を巻き込んだ戦いは、救いを望んだ機械たちによって決着を迎える。

     かくして――
     『理解』の保護はここに完了された。

    -----

  • 181125/11/04(火) 23:37:26

     後日談、というよりそれから1時間後のことである。
     時刻は既に午前1時。テッペンを過ぎて自治区中に散っていたミレニアム生は各々自分たちの帰る場所へと帰っていく。

     ミレニアムサイエンススクールに戻った会長が忙しくなったのはまさにここからであった。
     欠伸を噛み殺しながらタブレットを開いて各自へ連絡。内容は寝床の指定だ。

     唯一無事だった寮を除いて、今回多くの建物が破壊の限りを尽くされた。
     もちろんその中には生徒の自宅も存在し、そうした生徒のために今晩限りの寝床の確保は流石に会長として主導していくしかない。

    「ま、セミナー本部壊しちゃったからねぇ~」

     空を見上げれば変わらず星も月も無い夜空が天辺を覆いつくしている。
     これについては夜が明ける前に何とかしておかないといけないだろう。別にセフィラとの接続を果たしたからといってセフィラの影響が取り除かれるわけでもない。

     こういう時、この現象を作り出したビナー本人が直してくれるのなら喜ばしい限りだが、絶対そんなことしないだろうなということだけは分かっていた。
     つまりこちらでやっておくしかないということである。骨が折れそうだと会長は肩を落とした。

    「…………そういえば、ビナーを超えたってことは誰か千年難題でも解いたのかなぁ?」

     あの短時間で『ハブ』の動きを完全に掌握するなんて出来るはずがない。
     先ほど『ハブ』を『観察』したときもビナーより後にハッキングを受けた形跡は無かった。

     自分が知っていたのは、千年難題を解くことが『生命の樹』という物語が完成に近づくことのみ。
     解くことで具体的に何が起こるかなんて知る由もなく、何が起こるかに当たりを付けられたのはハイマ書記が企画した温泉旅行が終わってのことであった。

    (セフィラの機能にも似た能力の発現――異能が手に入るってことか)

     ゲームに例えればきっと、一部の生徒にはユニークスキルのような能力が与えられている。
     これは各自の神性が何処まで漏れ出ているかに依存しており、元となった神性ごとに定められている。ここまでは良い。

  • 182125/11/04(火) 23:38:35

     問題は次だ。千年難題を解き明かすとそれに類する異能を得られる。
     裏を返せば各自が持つ神性が汚染されているとも言えるだろう。神性とは名前や存在と深く関わり、それらはヘイローとなって本人と一部例外を除いた者のみ目視できる。

     ここでの例外とは、呼気のみで人を判別できるほどにその者と深く密接に時間をかけて関わって来た者――妹を溺愛する姉などでごく稀に見られる者がいる。それぐらいだ。匂いよりも薄く足音よりも更に薄い『何か』を判別できるほど、相手のことを注視できる者で無ければ『見えるか見えないか』の分岐に立つことすら出来ない。

     もしくは調月リオのような例外中の例外。なんなら今一番理解に苦しむのはリオのことである。

    (セフィラとしての判定が下される『人間』――本当に何が起きてる?)

     千年難題を解き明かしたわけでも無く、言ってしまえば誰よりもセフィラと密接に関わる事態に陥っただけで存在しない『ダアト』の名を冠することになった存在。もはやイレギュラーというより『異常』と言った方がニュアンス的には相応しいだろう。

     神性に関する事柄に置いて、例外が判明する度に際立つ調月リオの異常性。
     恐らく『観察』すれば分かることなのかも知れないが、致命的なエラーを引き起こす状態であれば流石にバックアップは残しておく必要がある。リオを観ることだけは現状出来ない。

     加えて、次に現れるのはコクマーだ。時間は無い。
     コクマーだけは特異現象捜査部では探すのに時間があまりに掛かり過ぎてしまう。先んじてこちらで確保しておく必要があり、そうでなくては本当に次でこの世界が終わってしまう。

    (あの子たちだけでコクマーを超えることはきっと出来ない。やることが多いなぁ……)

     単独では何もできない最弱のセフィラ、コクマー。
     しかし、『無限光』に最も近いケテルへの挑戦を阻む最後の番人としては、どのセフィラよりも優秀なのだ。本質たる『叡智』の試練を越えた者はただ一人。前回の預言者だけである。

    「……『連邦生徒会長』。あの子たちは、君を超えられると思うかい?」

     まるで世界がそう望んだかのように発生した、セフィラに対する特効薬のような『異能』を持つ者だった。

  • 183125/11/04(火) 23:40:06

     彼女が歩んだ全てのセフィラ戦において、彼女はただ話しかけただけで全てを終わらせた。
     現存する全てのオーパーツと心を通わすことが出来る存在。無垢なる善性は呪われたセフィラたちを浄化し続け、悲鳴を上げる全ての魂に愛撫の安らぎを与えていった。

     その旅路を会長は知っていた。
     もうぼやけて上手くは見えないけれど、それでも其処に居たということだけは知っていた。

    「古代史研究会のみんなも君のこと、忘れちゃったけどさ。僕は君と学園生活を送れたらって思っていたんだよ」

     そのために、無理にでも何とかしてミレニアムサイエンススクールに入学しようとした。
     結局間に合うことはなかったが、同じ『古代史研究会』として無邪気に学生生活を行うことなんて出来なかったが、きっと終わったことを今更ながらに夢想しても意味なんて無いのだろう。

     会長はミレニアム生全員の寝床の指示を行った後、ビナーが格納されたであろうラボへと向かった。
     閉まった扉。インターホンを鳴らすと、しばらくしてから入口上部に設置されたスピーカーから声が聞こえた。

    【あの、今開けます! っていうか、何で来たんですか!?】

     聞こえたのは何処か焦った様子の各務チヒロの声である。
     早速トラブルでも起きているのかと察して、会長はわざと緩く言葉を返した。

    「様子を見にだよ~。労うこと自体はそんなにおかしいことでも無いよねぇ? ほら、今回の立役者だし」
    【なんでこんなときに……】
    「何か言ったかなぁ? あっ、もしかしてあんまり制御出来てないとか?」
    【……分かって言ってませんか?】
    「はて? 何のことやら?」

     わざとらしくとぼけて見せると、苛立ったような口調がスピーカーから返って来た。

  • 184125/11/04(火) 23:41:09

    「ああもう面倒くさい! ほら、開けますからご自由に!」
    「はい、ありがと」

     追撃をするように一言吐いて見せると、舌打ちがなって扉が開く。
     その中からはおよそセフィラを確保した直後とも思えないような罵詈雑言が響いていた。

    【妾は何もせん! するわけないじゃろ!? 世界が滅ぶ? 知らんそんなものは!! 精々滅びんよう抗え人間!】
    「あのっ、だから、あなたは滅んで欲しくないんですよね!? 世界が!」
    【知らん知らん知らん! 何もしとうないわ! 絶対滅ぼされるな人間ども! 其方らが滅びれば妾が背負う羽目になるのじゃからなぁ!!】
    「だったら協力――」
    【うるさぁい!! 去ね! 妾は何一つせん! 其方らが勝手に行うが良い! あと滅びるな! 妾から言うことはこれ以上無い!】

     カマキリに似た怪物がコタマに向かって腕を振るう。
     そこに割り込む美甘ネル。鎖を束ねてガードするが、そのまま弾き飛ばしてネルの身体が壁に叩きつけられた。

    「こいつ――イカレてんじゃねぇのか!?」

     ネルの吐き捨てた言葉は正に正鵠を射るものだった。
     ビナーは狂っている。機械が順守すべき存在意義を放棄してこれまで蓄えた人間の感情に支配されている。

     人間目線ではただの我が儘に見えるかも知れないが、人間で例えると騒ぎ立てて首を吊って本当に死ぬようなものである。
     ここに存在はしているが事実上死んでいる。人間には共感し辛い発狂具合で会長は思わず頭を抱えた。

    「あー、あのね、みんな。ビナーが狂っているのは本当で、機械として何一つ命令を実行しないのが狂気の形なんだよ。まぁだからさ……諦めて」
    「うるせぇ! こいつだけはぜってぇぶっ飛ばす!!」

     そう叫んだ美甘ネルがビナー目掛けて銃口を向けて引き金を引く。
     その全てが躱され、弾かれ、時に跳弾してビナー以外のセフィラや特異現象捜査部のメンバー目掛けて飛んでいった。

  • 185125/11/04(火) 23:42:46

    「待ってネル! こっちにも飛んで――うぐっ!?」

     制止しようとしたウタハが威力の落ちた跳弾に当たって呻き声を上げた。

     イェソドは当たった全てを端へと集め、ホドは当たる直前までに弾丸の進みを緩めて止めて、ネツァクは壁を作り、ティファレトは弾道を捻じ曲げ、ゲブラーは壁を作り、ケセドは非実体へと身体を変えて各々全てを回避する。被害が出たのは預言者たちだけである。

    「ネル! 止めてください! 被害が出てます私たちだけに!」
    「くっ――何なんだよこいつ!!」
    【人間風情が単独で妾に勝てるとでも?】
    「こいつぅ!!」
    「ネル! ネル!?」

     マルクトの叫びが響く中で周囲へ弾け跳ぶネルの銃弾。どう考えてもビナーが機能を悪用している。それも機械としてではなく感情の赴くそのままに。

     会長はそんな有様に溜め息を吐きながら場を収めようと手を叩いた。

    「はいはい終了。ストップ! 終わり! ほら、チヒロちゃんも大丈夫?」

     視界の端で映った各務チヒロは、尻もちでもついたのか床に腰を落として呆然としていた。
     その様子が何だか気になって、会長はチヒロに向かって手を伸ばす。

    「ほら、大丈夫チヒロちゃん。歩ける?」
    「え、あ、あぁ……まぁ、はい。だいじょ――」
    「『視た』?」
    「っ――」

     一瞬強張るチヒロの身体。その感触は握った手の平から分かり過ぎるほどに伝わった。

     何かを勘付かれた。致命的な何かを。
     当たりは付くか? 付いた。だから笑みを浮かべた。

  • 186二次元好きの匿名さん25/11/05(水) 07:51:44

    どうなるか

  • 187二次元好きの匿名さん25/11/05(水) 09:11:54

    無傷な方が1体目じゃなかったんか…

  • 188二次元好きの匿名さん25/11/05(水) 10:43:13

    そっか
    推定会長って機能を本物以上にわかってるから勝つのか

  • 189125/11/05(水) 12:17:28

    「まぁ、気にしないでよ。でも言わない方が良いかもね、うん」
    「会長――」
    「君にとっての人間って、何なのかな? それを固めないと君たち全員人外だよね?」
    「なんでっ……そこまで――」
    「目は良いんだよ。それだけが得意でね」

     会長は全てを嘲笑う。
     預言者たる天才たちを試すように、もしくは純粋に惑う姿を楽しむように。

    「そういえばマルクトは?」
    「……消耗し切っているわ」

     恐る恐ると言った様子で言葉を選らぶ調月リオ。とはいえ、内情を知っていればその理由は容易に分かる。

    「エネルギー量を殆ど使い果たしたんだね。永久機関と言ってもイェソドと同じ。供給できるエネルギーは遠い目で見れば無限でも、今この瞬間は流石に枯渇したってわけだ。回復するまで何も見えないし声も送れない」
    「そ…………そうよ」
    「別に口を紡ぐほどの情報でも無い。そうだろう? そんなのわざわざ聞くまでもなく分かるさ。だって『ハブ』に対して変性を行い続けたんだろう? だったら枯渇するだろうさ。一晩か二晩温存すれば寝れば回復するだろうね」
    「会長……あなたは」

     リオの言葉を遮るように手を振った。今すぐここから出て行けと。
     ついでに言うのは更に直接的な言葉であった。

    「ビナーに一つ言いたくてここに来たんだ。手を焼いているんだろう? 助けてあげるよ。もちろん盗聴器は止めさせてもらうけど」
    「うぇっ!? なんで分かったんですか!?」

     コタマがぎょっとした目でこちらを見るが、それには笑みだけで返した。意地の悪い笑顔。それ以上は必要なかった。

  • 190125/11/05(水) 12:18:40

    「さ、出てった出てった。ビナーを躾ておくから今日はお疲れってやつだよ」

     そうして特異現象捜査部の全員を追い出して、残されたのは会長とこれまで集められたセフィラたちだけ。

     会長はポケットに携帯を取り出して、それから聞いた。

    「『コタマちゃん』、盗聴器は何処に仕掛けたの?」

     今しがた出て行ったばかりのコタマ。にも拘らず、携帯からコタマの声が届いた。

    【はぁ……。言いますよ? 聞き逃して取りこぼしても知りませんから】
    「あー、いいよいいよ。早く教えて」
    【分かりましたよ……】

     それは何て事の無いように全てつまびらかに教えられる。
     携帯のスピーカーから教えられるとおりに会長は仕掛けられた盗聴器を外すと、続けて電話を掛け直す。

    「チヒロちゃん。仕掛けてるでしょ。何処にあるか教えてくれるよね?」

     携帯のスピーカーから聞こえた不満げな声は、確かにチヒロの声だった。

    【…………ラボの旋盤下。そこにひとつですが?】
    「まだあるよね? 三つ……いや五つか」
    【何なの本当に……。言います。言いますって】

     残る全てを聞きだして盗聴器を外すと、最後に会長はチヒロと思しき『何か』に声をかけた。

  • 191125/11/05(水) 12:20:33

    「あとさぁ、ビナーを捕まえるまでに千年難題を解き明かした人とか居た? もっと言うなら明確に変わった人。知らないんならリオちゃん、ヒマリちゃん、ウタハちゃんの順番で聞いて行くけど」
    【…………言わなきゃ駄目ですか?】
    「分かってるよね? 別に君が言わなくても『同じ条件』なら誰が言うかもさ」
    【こいつ……っ!】

     悔しまぎれの舌打ちのひとつも愛おしく、そして面白い。
     ケタケタと笑っていると、観念した『チヒロの声をする者』が全て喋った。

    「確率の視覚化――なるほどねぇ。問4で上書きされるのはそんな神性かぁ」
    【会長】

     ドスの効いたチヒロの声。それに対して会長は笑みを浮かべてこう返す。

    「大丈夫。ちゃんと守るよ。そりゃケセドの時はともかくだけどさ、でも……おかげで確度が上げられる」
    【正直、あんたのことは全く信用できてませんけど……それでもウタハもコタマもリオもヒマリも悲しむような結末だけは許さない】
    「ニヒヒっ――特異現象捜査部の誰も欠けない未来へ運んであげるよ。もうこの世界に犠牲なんて必要ない。此処から先は、決まったルートを通るだけさ」

     声が返される前に、会長は電話を切った。
     そして向かい合うのは最強のセフィラ――先読みの『ビナー』である。

    「ビナー」

     一声かけたその瞬間、ビナーはびくりと身体を震わせた。
     何故かは分かっている。だから一方的に話すことにした。会長は相手の返答を待つことなく言葉を紡ぐ。

    「あんまり意地悪しないでよねあの子たちに。あと今日から『廃墟』は封鎖する。コクマーが確保されるその時まで、君の機能の使用を禁じる。問題は無いだろう? そもそも協力する気なんて無いんだから」

     その一言で、その場のセフィラの全てが思い出した。前回の千年紀行。そこに居た存在を。

  • 192125/11/05(水) 12:22:03

    「最期のときまで種明かしは無しさ。言おうものなら黙らせる。『二体目』をぶつけられても抗える個体は?」

     その場にいる全セフィラが理解した。

     此処に居るのは到底逆らえる存在では無いのだと。
     一同が低く身を伏せる。目の前にいる存在は、本来目を合わせることすら無礼極まる存在なのだと気が付いた。

     そして会長は、静かに指先ひとつを口元に当てて嗤う。

    「静かに。邪魔だけはしないでね?」

     前回から今回にかけて生じたパラドクスの中、唯一『前回』から取り残された囚人がセフィラたちを睥睨した。

    「さぁ」

     その笑みは、悲痛にきっと満ちていた。
     終わるはずの物語が終わらないという、緩やかに感じる絶望がそこにはあった。

     そして――告げる。

    「もう一度、僕たちの千年紀行を始めよう」

     二年前の苦しみが、もうじきミレニアムへと蘇る。
     あの日の清算、あの日の絶望――あの日の『過去』が特異現象捜査部へと立ちはだかる。

     それが、これまでとは違う異色の試練になるであろうことなどと、未だ誰もが知らぬままであった。

    ----第七章:シェリダー -拒絶- 了

  • 193二次元好きの匿名さん25/11/05(水) 12:25:54

    会長がケテルってわけじゃないか、なんだ?
    原作で自販機に質問投げかけた何かではないだろうし

  • 194二次元好きの匿名さん25/11/05(水) 17:28:41

    そろそろ次スレか

  • 195125/11/05(水) 19:11:53
  • 196125/11/05(水) 19:27:10

    振り返ってみるとビナー編の第七章、始まってから終わるまで二か月掛かってるんですね…
    というか4スレぐらい使ってました。長い……長すぎる……

    これぇ、何か月か前に「年内に終わるでしょう」とか言っていた気がしますが全然終わる気がしません!
    現状だとコクマー編は長くても1スレ半以内には終わるはずなんですがもう何も分からない。

    いつか必ず終わることだけは確定しているんです……。
    残りはコクマー、ケテル、最終章の三本。ここまで来たら何とか書き切りたい……頑張ります

オススメ

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