【SS】先生の心臓で生き永らえたハルカのはなし

  • 1@user-gw1hk8im525/10/22(水) 20:13:35

    ピクシブにて「先生の心臓で生き永らえたハルカのはなし」というシリーズを投稿しているのですが、このたび完結編が脱稿しまして。せっかくなのでこちらにも完全版を投稿しようかと思いました。お暇でしたらお読みいただけると幸いです。

    【注意】
    ・死ネタ・曇らせがあります。
    ・クソ長いです。5万字ほどあります。

  • 2二次元好きの匿名さん25/10/22(水) 20:14:43

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  • 3@user-gw1hk8im525/10/22(水) 20:14:50
  • 4@user-gw1hk8im525/10/22(水) 20:16:37

    「同意書、ですか?」

     ある日のシャーレの執務室、先生から当番に呼び出され、私は一枚の紙を手渡されました。
     それは、「臓器提供同意書」というものでした。

    「…私としては本当に不本意なんだけどね」

     そう苦笑いしつつ、先生は事情を説明してくれました。
     職業柄、先生はいつ命を落としてもおかしくありません。エデン条約では,お腹に重傷を負ってしまいました。
     幸運にも一命を取り留めましたが、もしも重要臓器を損傷してしまっていたら、どうなっていたか分かりません。
     連邦生徒会はその時の反省を踏まえ、先生が臓器移植が必要になるほどの重傷を負ってしまった場合、すぐに対応できるように臓器適合率が高い生徒を独自に調査していたそうです。

     その結果、最も適合率が高かったのが、私だったのでした。

    「普通は近親者が最も適合率が高いんだけどね。他人である私とハルカがここまで適合率が高いのは、相当珍しいんだってさ。
     免疫反応とか、弁の形とか、組織適合性とか、色々検査して…まぁ医学が素人の私にとってはチンプンカンプンだけど」

     私は目の前の同意書に釘付けになりました。
     信じられないような現実を、握りしめていることだけは分かりました。

     難しい話は分かりませんが、つまりは先生のお役に立てる。
     生きる価値のない自分が、先生を救える。
     私が命を差し出せば、先生を助けられる。

     もし本当であれば、それはとても素敵なことに違いないと思ったのです。

  • 5@user-gw1hk8im525/10/22(水) 20:19:20

    「私としては生徒の臓器をもらい受けてまで生き永らえたくないと断固反対したんだけどね。
     でも、連邦生徒会の満場一致で緊急時の臓器移植措置が通ってしまって…。
     せめて、ドナー側の生徒から明確に同意書を取ること、これが私に出来た最大限の譲歩だったんだ」

     先生が困ったような口調で何かを話していましたが、私は署名に夢中で話を聞くことはできませんでした。
     なるべく丁寧に、ボールペンに力を込めます。
     
     伊草 ハルカ

     存在価値のない自分の名前。
     でもこの時ばかりは、ほんの少しだけ誇らしい気持ちになりました。

    「この同意書は一旦ハルカに預けるよ。でも、簡単にサインしないで。まずは周りの人、便利屋の皆とよく話し合うんだよ」
    「あ、あの…サイン、もう済ませちゃいました…」
    「……え?えぇぇ!?もう書いちゃったの!?」
    「は、はい…」
    「ダメだよ!よく考えないと!」

     私は、『ああ、またやっちゃった』と思いました。
     愚かにも先生の話を無視したばかりか、自分勝手な行動をしてしまった自分を心底呪いました。

    「やっぱり…私なんかの臓器、要らなかったですか?」
    「え?」
    「そう、ですよね…。私の一部なんてゴミみたいなものですし…。
     そ、それを先生にあげようだなんて私、どうかしてました…」

     4んで償います、と呟きながら銃口を自分に向けようとした時、先生はガッチリと私の肩を掴んで叫びました。

    「そそ、そんなことないから!ハルカがそこまで私を想ってくれたこと、とても嬉しいよ!」

  • 6@user-gw1hk8im525/10/22(水) 20:21:03

     真っ直ぐに私を見つめるその視線から、思わず目をそらしてしまいます。
     …さすがに恥ずかしかったです。

    「はぁ…まぁ、あくまで同意をもらっただけで命令ではないから。もしそんな事態になっても、断ってくれてもいいからね」
    「断る?そんなこと、しませんよ?」
    「へ?」
    「先生には全部差し上げます。お金も、体も、命だって」
    「いや、それは…」
    「こんな生きる価値のない私が先生を救えるのなら…私は喜んで、差し上げますから」

     心の底からの、本心でした。
     もし私と先生、どちらかしか助からないとするなら。
     ゴミみたいな自分と、アル様を始めとしたキヴォトスの皆から慕われてる先生。
     どちらを優先するべきかなんて、愚図の自分だって分かることでしたから。

    「…そんな眩しい笑顔で言われたら何も言えなくなるよ。まぁ、そうならないように頑張るしかないか」
    「あ…そ、そうですよね!先生へ危害が及ばないようにしないとですよね!安心してください!この命に賭けてお守りしますから!」
    「…うん。頼りにしてるよ、ハルカ」
    「…はい!!」

     そう言って先生は、私の頭を撫でてくれました。
     そしてこの日は、そのまま当番業務をこなしました。


     これが、私が目を覚ます――――3ヶ月前のできごとでした。

  • 7@user-gw1hk8im525/10/22(水) 20:22:32

     目を覚ますと、知らない天井でした。
     重い頭を横にずらすと、座っていたアル様と目が合いました。

    「ハル、カ…?」
    「あう…あ…」

     アル様を呼んだつもりが、口が上手く回りません。
     舌と喉が、固まっているかのように感じました。
     嗅ぎなれない消毒液の匂い。
     どうやらここは、病室のようです。

    「ハルカ!ハルカぁ!良かった!目を覚ましてくれて、本当に良かった!!」

     アル様に涙ながらに抱きつかれました。
     状況が理解できず、混乱します。

     程なくして、カヨコ課長とムツキ室長も病室にかけつけました。
     二人とも、アル様と同じように泣きながら私を抱きしめました。
     それにしても全身が痛いです。
     特に胸のあたりが、ズキズキと痛むのを感じます。
     
    「アルさま…みな、さん…ここ、は…?」
    アル「ここは病院よ、ハルカ」
    「びょう、いん…いったい、なにが…」

     アル様は経緯を説明してくれました。
     私自身も話を聞いている内に、何が起きたのか段々思い出してきました。

  • 8@user-gw1hk8im525/10/22(水) 20:24:16

     私たちは便利屋の依頼を受けていました。
     それは、家族の形見を取り返してほしいという依頼でした。

     最近、キヴォトスに新興勢力が現れました。
     自らをキヴォトスの新たなる支配者と称し、各地で犯罪行為を横行させていたギャング団です。
     窃盗、強盗、脅迫、詐欺、違法兵器の売買、あらゆる悪行を働きながら徐々に勢力を拡大していた連中でした。
     とはいえ、キヴォトスではこういった集団が台頭してくるのは特に珍しくもなかったため、アル様を含めたアウトローたちはあまり気にも留めてませんでした。

     そんな中で、便利屋68に依頼が舞い込みました。
     依頼者はゲヘナ郊外に住む一般市民でしたが、ギャング団の当たり屋に運悪く遭遇してしまい、財布を半ば強引に奪われてしまったとのことです。
     アル様は最初、ポッと出の弱小ギャング相手にムキになりたくないと躊躇していましたが…。
     依頼者の奪われた財布が、家族の形見の財布と聞いた時、少し考えるような仕草をして。

    「新米のチンピラ集団が、私たちのシマで好き勝手してくれるのは面白くないわね。ゲヘナには便利屋68ありと、私たちの恐ろしさを叩き込んであげましょう」

     と、依頼を受けることにしました。とてもカッコいいポーズを決めながら。

     こうして私たちは依頼を受け、調査を開始しました。
     ギャング団の足取りを辿るため、先生を頼りました。
     先生は伝手を駆使し、当たり屋の根城を特定してくれました。
     そしてチンピラ集団を強襲し、依頼品の回収に成功しました。
     もちろん迷惑料を徴収し、ついでにヴァルキューレへ通報することも忘れずに。
     依頼人へ約束の品を届け、報酬を受け取り、打ち上げのため柴関ラーメンに向かう道中。

     私たちは、ギャング団の奇襲を受けました。

     連中は思った以上に沸点が低く、行動が極端でした。
     面子を潰されたと激しく憤り、私たち5人に対して100人を超える兵隊と、町一帯を焦土にできるほどの兵器を投入したのです。

  • 9@user-gw1hk8im525/10/22(水) 20:25:31

     先生の指揮の下で応戦してましたが、戦力差がありすぎたため撤退戦を余儀なくされます。
     私たちは近くの廃ビルを転々としながら戦いましたが,敵の無差別爆破攻撃を受け、隊列を分断されました。
     アル様、カヨコ課長、ムツキ室長の3人。そして私と先生の2人の二手に。
     分断間際に、先生がアル様たちへ何か指示を飛ばし、私へ命じました。
     『できるだけ派手に暴れ、敵の注意を引くように』と。

     私は先生の命令を遂行するため、無我夢中で戦いました。
     敵の弾幕を受けきり、あえて接近して至近距離でショットガンを発砲し、敵の恐怖心を煽ります。
     注意を引けば引くほど、それだけ勝機は高まっていくと先生に言われたからです。

     絶対に倒れず、できるだけ長く、かつ残忍さを装って。
     それだけを考えながら行動しました。
     5分、10分、あるいはもっと。
     私の意識は、突然に途切れました。
     最後に残ったのは、全身を打つような刺激。
     そして、胸の中心が灼熱のように熱かった感覚でした。

  • 10@user-gw1hk8im525/10/22(水) 20:26:57

    「あ、そうだ…先生は?先生は、無事なんですか…?」

     記憶をたどり終えて、不安がこみ上げてきました。
     私が命令を遂行しきれず気を失い、一人取り残された先生の姿が思い浮かんだからです。
     最悪な想像が頭をよぎり、呼吸がどんどんし辛くなっていきます。

    「アル、様…まさか、私は、先生を守れずに…」
    「…ハルカ。それは違うわ。あなたは先生の指示を完遂した。先生を守りきったの」

     そしてアル様は話を続けました。
     私が敵部隊の注意を引いたおかげで、アル様たちは包囲網を突破できました。
     敵の装甲車を強奪し、廃墟の壁をぶち抜きながら私たちと合流。
     そして私と先生を回収、その場を離脱したとのことです。

    「よ、よかったぁ…ほんとうに、よかったぁ…」

     ふぅーっと、息が漏れました。
     私は先生をお守りできたと聞いて、本当に安心したのです。

     そうだ、先生にお礼を伝えなければ。
     先生の的確な指示のおかげで、私たちは窮地を脱出できたのですから。

     そう思い、周りを見渡しましたが、先生の姿がありません。
     そこで初めて、皆さんの表情が暗いことに気が付きました。

  • 11@user-gw1hk8im525/10/22(水) 20:28:04

    「あの…アル様?みなさん?先生は、どちらに?」

     鈍くさい自分にも、緊張が張り詰めたのが伝わりました。
     ムツキ室長はビクリと体を震わせ、カヨコ課長は血が滲むほど拳を握り締め、アル様は俯いて震えています。
     そして、重々しくアル様は口を開きました。

    「…ここにはいないわ」
    「そ、そうなんですね。先生、お忙しいですもんね。あ!では、私がお呼びしましょうか!」
    「ハルカ!違うの!もう、いないのよ!」
    「え……」

     最悪な想像が頭をよぎります。
     でも、そんなはずない。そんなこと、あるはずないと思いました。
     アル様は「落ち着いて聞いてね」と前置きをし、涙ながらに告げました。



    「先生は…亡くなったわ」



     真っ白になりました。
     頭の中で、ピシッっと、何かがひび割れるような音がしたような気がします。
     何も考えられなくなって、それが数秒、あるいは数分続いて。
     やがて、私の中でドロドロでグツグツした何かが沸き上がりました。

  • 12@user-gw1hk8im525/10/22(水) 20:29:29

     先生が4んだ?
     私のせい?
     私が、守れなかった?

     …いや、違う。私は先生を守れたとアル様は仰った。
     なら、どうして?

     …決まっている。あいつらだ。
     あのゴミども。あのクズどもがやったんだ。
     きっと、何か卑劣な手を使って、先生を手にかけたんだ。

     ………。

     ゆるさない…。

     許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない

  • 13@user-gw1hk8im525/10/22(水) 20:31:01

     激情のままに起き上がり、ベッドから降りました。
     そのまま転んでしまいます。足腰に、全く力が入りませんでした。

    アル「ハルカ!安静にしてなさい!」
    「放してくださいアル様!先生の!先生の仇を取らないと!」
    カヨコ「そんな体で何ができるの!いいから大人しくして!」
    「嫌です!こればかりはアル様でも、カヨコ課長でも、ムツキ室長の命令でもきけません!あのクズどもに、報いを!」
    ムツキ「ハルカちゃん!それは必要ないんだよ!だってアイツらは、もう全滅してるから!」
    「…え?」

     そこでハッとしました。
     私はその時はじめて、自分は1週間も昏睡状態だったと聞かされました。

     先生が亡くなったという報せは、瞬く間にキヴォトス全土に知れ渡りました。
     それは同時に、その原因となったギャング団は、キヴォトスを敵に回したことを意味します。
     キヴォトス中の学園が一致団結し、ギャング団の壊滅に乗り出しました。
     ギャング団は1日ともたずに壊滅し、構成員のほとんどはヴァルキューレに連行されましたが、行方が分からないのもいるそうです。

    カヨコ「噂では、マコト議長が懲戒委員会を動かしたらしいよ。どんな仕打ちをしたのかはあまり想像したくないけどね」

    「そうだったんすね…でも、悔しいです。先生の仇を横取りされたみたいで」
    アル「…ハルカ。それは違うわ。先生は56されたわけじゃない」
    「え…?」
    アル「…話を続けるわね」

  • 14@user-gw1hk8im525/10/22(水) 20:32:41

     先生は無事でした。
     私が敵の注意を引き付けたのと、シッテムの箱の不思議な力によって、傷一つない状態でした。

     でも、私は違いました。
     アル様たちが装甲車で先生と私を回収した時、すでに私の心臓は止まってました。
     幸運なことに近くに救急病院があったため、そこへ搬送されました。
     そこで診察された結果、凶弾が私の心臓を貫通し、心臓が破裂していたことが分かりました。
     奇跡的に人工心肺が間に合ったため一命を取り留めましたが、それでも長くはもたないと言われたそうです。
     それを聞いてアル様、カヨコ課長、ムツキ室長は絶望しました。

     しかし、先生だけは違いました。

    「1つだけ、ハルカを助ける方法がある」

     そう言ったそうです。

    「さ、流石は先生ですね。どうやって、私を助けてくれたんでしょうか?」

     そう続きを促しましたが、3人の様子が変でした。

     アル様が嗚咽を漏らしています。
     カヨコ課長は唇を噛みしめ、血を流しています。
     ムツキ室長も、目を腫らして泣きじゃくっていました。

  • 15@user-gw1hk8im525/10/22(水) 20:33:52

     瞬間、私は思い出します。
     
     無傷だったのに、亡くなった先生。
     心臓が破裂したのに、生きている自分。
     そして、3ヵ月前のシャーレでの会話。

    「まさ、か…」

     まるでパズルのピースが、どんどん埋まっていくようでした。
     私は着ていた患者衣を思い切り破きます。

     そこには、パズルの答えがありました。
     

     私の胸の中央に、ひび割れのような手術痕があったのです。


     その意味が分かった時、視界がグラつきました。
     頭の中が鉛になったようでした。

     嘘だ。こんなの。
     だって、これじゃ、結局

     私が、先生を―――

     どさっ

    アル「いや、いやぁああああ!!ハルカ、ハルカ、目を開けてぇ!!
       先生を止められなくて、あなたまで失ったら私、私ぃ…!!」

  • 16@user-gw1hk8im525/10/22(水) 20:35:56

     ここはどこでしょうか。私は病室で、無様にも気を失ったはず。
     気が付いた私の視界には、濃い霧のようなものが見えます。
     地面に手を置いてみると、砂利のような感触がします。
     うっすらと、川のせせらぎのような音が聞こえてきました。

     まるで噂に聞く、黄泉と現世の境のようでした。
     呆然としていると、砂利を踏みしめて私に駆け寄ってくる音が聞こえてきました。


    「ハルカ!!」


     何もかもが薄ぼんやりとしか分からないその世界で、その声はハッキリ聞こえました。
     どうしても守りたい人が。
     ずっと聞きたかった声が。
     やっと会いたかった人が、私に駆け寄り、抱きしめてくれました。

    「ハルカ!ハルカ!良かった!またこうして会えるなんて!奇跡みたいだ!」
     
     先生の声。先生の体温。先生の匂い。
     あの日のままの、先生がそこに居ました。

     ポロポロと、涙が溢れます。
     ああ、やっぱり嘘だったんだ。
     先生は亡くなってなんかいなかった。
     あれは悪い夢だったと分かって、本当に安心しました。

  • 17二次元好きの匿名さん25/10/22(水) 20:37:45

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  • 18@user-gw1hk8im525/10/22(水) 20:38:48

    「せん、せぇ…よがっだぁ…いきてて、くれたんですね…」
    「ハルカ…」
    「そう、ですよね…先生が、4ぬはずなんて、ありませんもんね…。えへへ…。あれ?でも、それなら何でアル様はあのような嘘を?」
    「……」
    「あ、いえ!アル様を疑っているわけではないんです!きっと、アル様に考えがあって!私なんかが考えもつかない素晴らしい理由が!」
    「ハルカ」
    「で、でもいいんです!こうして、先生が生きていたんですから!流石は先生――」
    「ハルカ!!」

     先生は抱きしめていた手を放し、私の肩をグッと掴みました。
     濃い霧で先生の表情がおぼろげなのに、何故か険しい表情をしているのが分かりました。

    「…ハルカ。聞くんだ。アルたちは嘘をついていない」
    「え…」
    「…私は本当に4んだ。私の心臓を、君に提供した」

     耳を疑わずにはいられませんでした。
     私の肩を掴むこの力強さも、確かに感じる体温も、悲しそうな先生の声も。
     これも、夢や幻だと言うのでしょうか。

    「で、でも…先生は、こうして、生きて…」
    「…ここはきっとハルカの夢の中、深層心理って言った方がいいかな。とにかく、現実の私はもう4んだんだ」
    「うそ…嘘ですよ…。だって、先生が4んで、私が生きてるなんて…」
    「あの時、ハルカを助けるにはああするしかなかった。ハルカの臓器が私に適合するなら、その逆もあり得ると思ったんだ」
    「あ、あぁぁぁ…やっ、ぱり……」
    「結果、君はちゃんと生き永らえてくれた。本当に嬉しいよ、ハルカ」

  • 19@user-gw1hk8im525/10/22(水) 20:40:54

     先生が優しく抱きしめてくれる。
     でも、私には分からない。

     先生は4んだ?
     これは夢?

     なんで私のようなクズが生き残って。
     先生のような素晴らしい人が4ななければならなかったんでしょうか。

    「…どうしてですか」
    「ハルカ?」

    「どうして、私を見捨ててくれなかったんですか!!」

    「……」
    「私のようなクズでも、先生のお役に立てると思いました!私の体で、先生を救えるんだって!!
     こんなこと、望んでいません!先生の命を犠牲にしてまで、生きたくありませんでした!!」
    「…ハルカの同意なしにしてしまったことは本当に申し訳ないと思ってるよ。
     でも、こればかりは私も譲れないんだ。先生として、迷う余地なんてなかったよ」
    「先生!今からでも、返してください!!先生の心臓を先生に戻して、先生を返してください!!」
    「ハルカ、ごめん…それはもう、できないんだよ……」
    「そんな…そん、な…どうして…どうして……」
    「ごめん…ごめん、ハルカ……」

  • 20@user-gw1hk8im525/10/22(水) 20:41:57

     先生が何かを言っているのか、もう聞き取れません。
     頭がグルグルして。
     胸の中心が気持ち悪くて。
     また私は、気を失ってしまいました。
     気を失う間際、思いました。

     こんな世界は、絶対に間違っています。
     生きる価値のない私が生き残って。
     生きるべくの先生がいなくなって。
     こんな残酷で、馬鹿げていて、間違っている世界なんて。

     全部、全部壊れてしまえばいいのに。

  • 21@user-gw1hk8im525/10/22(水) 20:44:10

    「1つだけ、ハルカを助ける方法がある」

     いつもより少し高い視界に映るのは、病院の廊下。
     先生の声が聞こえます。しかし、先生の姿が見えません。

     先生の一言で、アル様、カヨコ課長、ムツキ室長の表情が輝きました。
     でも先生の提案を聞いて、3人の表情は凍りついていきます。

     3人へ、先生を止めてほしいと願いました。
     しかし、私の声は届きません。

     私は、理解しました。
     これは先生の記憶なのだと。
     あの日の忌まわしい光景を、先生の視点で見せられていることを。

  • 22@user-gw1hk8im525/10/22(水) 20:45:54

    「執刀医さん。私の心臓の移植は可能ですか?」
    『…お気持ちは大変立派だと思います。しかし、誰の心臓でもいいわけではありません。適合する臓器を移植しなければ、拒否反応が現れます』
    「それなら問題ありません。これを」

     そう言って先生は、私が記入した同意書と何枚かの書類を、お医者さんへ見せました。

    『これは…この適合率…先天性疾患もない…確かに、これなら可能性はあるでしょう』
    「では、お願いできますか」
    『…残念ですが、これだけでは』
    「何故でしょうか。生体心臓移植は、法に触れるからですか?」
     ※日本では健常者からの心臓移植は法律により禁止されている

    「いえ。キヴォトスではそのような規定はありません。しかし、ドナー本人とドナー側の親族からも同意を得る必要があるんです』
    「でしたら、こちらをご覧ください。キヴォトスの外で取ったものですが、私の戸籍謄本です」

     そう言って、先生は何枚かの用紙をお医者さんに見せます。
     先生の周到さに、愕然としてしまいそうです。
     きっと、こういう時のために常に持ち歩いていたのでしょう。

    『これは…住民票に附票に除票、親等図まで…。なるほど、あなたに身寄りがいないことが確認できました。親族の同意は必要ありませんね』
    「では…」

  • 23@user-gw1hk8im525/10/22(水) 20:47:13

    『…本当に、よろしいのですか?』
    「構いません。私の心臓で、大切な生徒を救えるのなら」
    『…分かりました。全力で応えます。念のため簡易検査を行いますので、こちらへ』
    「はい、お願いします」

    「ま、待って!先生、待ってよ!」

     そう言って歩き出そうとする2人を、止める声。
     ムツキ室長でした。

    「ムツキ、ごめん。時間がないんだ」
    「待ってってば!ねぇ、考え直さない!?ほら、ハルカちゃんも今は生きていられてるんでしょ?人工しんぱい?ってやつで!なら、その間に別のドナーを探すとか、現れるまで待つとかさ!」
    『…人工心肺は、あくまで手術中の代替措置です。稼働限界はせいぜい3時間でしょう。それ以上は患者への負荷がかかりすぎます』
    「そん、な…じゃあさ、ええと、その…」
    「ムツキ、他に方法がないんだ」
    「待ってよ…先生、いやだよ…考え直して…」
    「ムツキ…」
    「お願い…私、もう、イタズラしないから…いい子にするから…だから…」
    「…ごめんね。こればかりは迷っていられないんだ」
    「あぁぁ…いやだ…いやだよ、せんせぇ…」

  • 24@user-gw1hk8im525/10/22(水) 20:48:57

    「もう少し、皆を見守りたかったよ。ハルカを、便利屋をよろしくね」

    「勝手なこと言わないでよ!!!」

     それは、今まで聞いたこともないような。
     カヨコ課長の、怒声でした。

    「先生!それが正しいことって、本当に思ってるの!?」
    「…正しいかどうかじゃない。やらなきゃいけないことなんだ。これは大人が背負うべき責任だからね」
    「ふざけないで!!4んで果たす責任なんて、ただの逃げだよ!!そんなの、私は絶対に認めない!!!」
    「…そうだね。逃げと思われても仕方ないかもしれない。でも、ハルカを救うにはこれしかないんだ」
    「バカ!!ハルカだよ!?あの子が、自分のために先生が命を投げ出したって知ったら、どれだけ塞ぎこむか、分からないわけじゃないでしょ!?」
    「私は命を捨てるつもりはない。ハルカに繋いで、皆に託したいんだ」
    「詭弁だよ!!そんなの!!」
    「それでもいい。逃げだろうと、詭弁だろうと、ハルカを助けられるのなら」
    「この…!アル!!アンタからも何か言ってよ!!!」

     カヨコ課長が、アル様をキッと睨みました。
     アル社長ではなくアルと呼び捨てにするのは、カヨコ課長が本気で怒っている証拠です。

    アル「あ…あぁ…」

     話を振られたアル様は、別人のようでした。
     いつものように凛として、自信に溢れたアル様の姿はどこにもなく、今まで見たことないほど弱々しいものでした。

    「先生…私、分からない…どう、すればいいの…?」
    「アル…」

  • 25@user-gw1hk8im525/10/22(水) 20:50:09

    「ハルカを失うなんて絶対にイヤ…でも、それは先生だって同じ…2人の命を天秤にかけるような真似、できるわけがない…」
    「……」
    「ねぇ、先生、教えて…?これ、私のせいなの…?私が依頼を受けたから?調子に乗ってチンピラをボコボコにしたから?」
    「アル」
    「それとも、私がカッコいいアウトローに憧れたから?便利屋を作らなかったら、こんな事には…」

    「アル!!」

     先生はアル様の言葉を遮り、力強く肩を掴みました。

    「アル、そんなこと言わないで。アルが便利屋を設立したのは悪いことじゃないし、私も経営顧問をやらせてもらって幸せだった」
    「せん、せい…」
    「…誰のせい、というのは私にも分からない。撃った相手に非があるのは勿論だけど、依頼を受けてしまったアルにもあるし、見通しが甘かった私にもある」
    「あ、あぁぁ…」
    「でもそれはあくまで原因の話であって責任の話じゃない。どんな事情があれ、君たち子供がこんな残酷な責任を背負っていいはずがない」
    「え…」
    「…責任は私がとるからね。アル。便利屋の皆を頼んだよ」

     そして先生は立ち上がって、お医者さんに向き直りました。

    「お待たせしました。急ぎましょう」

     じゃきっ

    カヨコ「行かせない!先生、止まって!!」

  • 26@user-gw1hk8im525/10/22(水) 20:51:30

     視線の先にはカヨコ課長が、先生へ拳銃を向けていました。
     今にも泣きだしそうなカヨコ課長を一瞥し、先生は再びお医者さんに向き直ります。

    「…行きましょう」
    『で、でも…』
    「大丈夫です。早く」

    カヨコ「…ッ!無視しないで!脅しじゃないよ!?本気で撃つからね!?」

     カヨコ課長の訴えを無視して、先生は手術室へ入室していきます。

    カヨコ「待ってよ!行かないで!置いてかないでよ…!せん、せぇ…!!」

     後ろで、何かが倒れて暴れている音がしました。
     多分、アル様とムツキ室長が、カヨコ課長を取り押さえているのだと思います。
     程なくして、絞り出すようなカヨコ課長の慟哭が聞こえました。
     やがて、閉じられた手術室のドアに遮られ、聞こえなくなりました。

     先生は手術室を歩いていきます。
     目線の先には、手術台に横たわった私の姿がありました。

     なんて憎たらしいほどの安らかな寝顔なんだろう。

     お前なんか頭でも撃たれて、トマトみたいにブチ撒けてしまえばよかったんだ。

  • 27@user-gw1hk8im525/10/22(水) 20:54:03

     私が目を覚まして5日が経ちました。
     ベッドの隣には、疲れ切った表情のアル様が私を覗き込んでいます。
     …本当は今すぐにでも命を絶ってお詫びがしたい。
     しかし、それはできません。

     私が目を覚ました翌日は、本当にひどいものでした。
     目覚めた私には先生を4に追いやった罪悪感、早く4んで償わなければという使命感しかありませんでした。
     点滴の注射針を強引に抜いて、何度も自分の腕に刺しました。
     痛いだけで4ねそうにないので、自分の首に刺そうとした時、近くにいたカヨコ課長と看護師さんに取り押さえられ、そのまま鎮静剤を打たれました。

     翌日の私は拘束着を着せられていました。
     目覚めた時に動けないと知ると、頭をベッドにぶつけて4のうと思いました。
     しかしイモムシのように這いまわることしかできず、結局その日も鎮静剤で眠らされました。

     翌日、拘束着で動かしづらい頭を動かすと、やつれ切ったアル様を見て驚きました。
     交代で見舞いに来ていたカヨコ課長、ムツキ室長も、同じように頬がこけていました。
     私は愕然としました。
     便利屋の皆さんが、私が自棄を起こさないように24時間交代で私に付き添ってくれていたことを理解したからです。
     その日から、命を絶つことはやめました。
     代わりにアル様、カヨコ課長、ムツキ室長、そして先生に、「ごめんなさい」と何度も繰り返し呟きました。

     その次の日も、起きている間は謝罪を口にするだけの時間となりました。
     アル様が気遣っても、カヨコ課長に何度も「やめて」と言われても、ムツキ課長が泣いても、私は構わず謝り続けました。
     悲しくとも、虚しくとも、私にはこれしか出来ませんでした。

  • 28@user-gw1hk8im525/10/22(水) 20:56:43

     そして次の日、つまりは今日、2日間暴れずに大人しくしていたためか、拘束着は外されていました。
     私は意を決して、アル様へ言いました。

    「…アル様。お願いがあります」
    「ハルカ!ええ、いいわ!なんでも言ってちょうだい!」

     アル様が嬉しそうに承諾してくれます。
     入院してから、私がお願いを言うのは初めてのことだったので、どこか期待している様子でした。

    「私に、命令してください…そこの窓から飛び降りろ、と」
    「…は?」
    「先生にしてしまったこと、命で償うことしかできないのに…。でも、私、愚図でノロマだから…お詫びしようとしても、何度も失敗して…」
    「ハル、カ…」
    「でも、アル様が言ってくれれば、なんでも出来る気がするんです。アル様の命令なら、信じられない力が湧いてくるんです。だから―――」
    「……」

     ばしーんっ!!

     私の懇願は、アル様の平手打ちで遮られました。
     右頬がじんじんと痺れ、首の筋がピシピシと鳴った気がしました。

  • 29二次元好きの匿名さん25/10/22(水) 20:57:54

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  • 30@user-gw1hk8im525/10/22(水) 20:59:21

    「ハルカ…あなたはどこまで、私を苦しませれば気が済むの…」
    「も、申し訳ありません!そうですよね!アル様のお手を煩わせるだなんて!やっぱり自分で」

     ばしーんっ!!

    「そうじゃない!そうじゃないでしょ!!」
    「え…」
    「先生を目の前で亡くして、その上であなたまで失えって言うの!?」
    「で、でも…私に…生きる…資格、なんて…」
    「ッ!!」

     アル様は二度叩いただけでなく、私の胸ぐらを掴んで引き寄せます。

    「…いいわ。そんなに言うなら私が56してあげる。安心して。私もすぐに後を追うわ」
    「な!?」
    「多分、ムツキとカヨコも続くでしょうね」
    「そ、そんなのダメです!!アル様も、カヨコ課長も、ムツキ室長も4んではいけません!!」
    「なら、軽々しく4ぬとか56してくれなんて言うんじゃない!!あなたの命は、あなただけのものじゃない!!それがなんで分からないの!!」
    「アル、様…」
    「あなたは生きなければならない!先生からもらった命を、粗末にすることは絶対に許さない!!」
    「……」

    「強く生きなさい!! 伊草ハルカ!!!」

     アル様が息を切らしながら、私を見下ろします。
     強く睨みつけるような視線なのに、今にも泣きだしそうに見えました。

  • 31@user-gw1hk8im525/10/22(水) 21:00:46

     正直なところ、何も言えませんでした。
     強く生きろだなんて、今更言われても分かりません。
     今まで、他人の命令だけを聞いて生きてきました。
     そうすれば、楽だったから。
     何をやっても上手くいかない自分だけど、他人の命令に従っていれば、何も考えずに済んだから。

     言葉に詰まっていると、アル様は掴んでいた手を放し、私に言いました。

    「…本当はもっと先の予定だったけど気が変ったわ。ハルカ。あなたに命令を告げる」
    「は、はい!なんなりと仰ってください!」

    「面会を受けなさい。あなたに会いたいという人が、大勢いるの」

     アル様がスマホで誰かを呼び出し、1時間ほど経った頃。
     面会に来た人物を見て、私は思いました。

     ああ、今日が私の命日になるのだと。

    ヒナ「……」

     ゲヘナ最強。風紀の鬼。ゲヘナ最大最後の抑止力。
     ゲヘナでは知らない人はいない、空埼ヒナ風紀委員長が立っていました。

    「あ、あぁぁぁ……」

  • 32@user-gw1hk8im525/10/22(水) 21:03:09

     ヒナ委員長は、カツカツと靴底を鳴らしながら私に近寄ります。
     まるで一歩一歩が、絞首台への足音のように聞こえました。

     スッと、ヒナ委員長が私に手を伸ばします。

     ああ、どうせなら一思いに苦しまないようにやってほしい。
     いや、そんな楽に4のうとするのはやっぱり卑怯でしょうか。
     できるだけ長く、苦しませて、うぅ…それでもやっぱり怖い…。

     と思っていた私の頭に、ぽんと、優しく手が置かました。

    ヒナ「…あなたのせいじゃない」

    「え…?」
    「…私も戦ったから分かる。学生4人が相手するには、過剰な戦力差だった。むしろ、こうして4人が生き残っていることが奇跡」

     その時、初めてヒナ委員長の顔を見据えました。
     いつものような威圧感はなく、むしろ慈愛に満ちているように見えました。

    「怒って、ないんですか…?」
    「…ううん。あの人が決めたことだもの」
    「え…」
    「先生の選択は悲しい。とても悲しい、けど…あの人なら、きっとそうすると思った」
    「風紀、委員長…」
    「…正直、まだ受け入れられない。でも、先生の選択なら…私は、尊重してあげたい」

     すごいと思いました。
     想像もできないほど辛いはずなのに、それでも前を向こうとしている。
     それがとても、カッコいいと思いました。

  • 33@user-gw1hk8im525/10/22(水) 21:04:43

    「今日はそれを伝えたかった。あなたたちとは敵対してばかりだったけど、きっと思い詰めてると思ったから」
    「……」
    「…ねぇ。先生の心臓の音、聴いてもいい?」
    「え?ど、どうぞ…」

     委員長が軽く礼を言い、私の胸に耳を当てます。
     まだ緊張していたため、鼓動がバクバクと跳ねていたと思います。
     それを聴かれてると思うと、ちょっと恥ずかしくなりました。

    「…怖がらせてごめんなさい。うん、もう大丈夫――

     私の眼前には、そう言いながら離れようとする委員長の頭頂部。
     その時、なぜか私は委員長の頭をぎゅっと引き寄せて

     すぅぅぅぅぅぅぅ……

     そのまま、深呼吸していました。

    ヒナ「……え?」
    アル「な…」

    「…お日様のにおい」

     暖かい匂いに誘われて、そんな台詞が零れました。
     そこで我に返りました。
     アル様は口をパクパクさせながら動揺してます。

  • 34@user-gw1hk8im525/10/22(水) 21:06:13

    「あ、ち、ちが!なんか、急に、体が勝手に!本当なんです!」

     もう駄目だと思いました。
     奇跡的に助かったのに、結局私はヒナ委員長に処刑されてしまうんだ。
     そう思いました。

     ですがヒナ委員長の反応は、とても意外なものでした。

    ヒナ「あ、あぁぁぁ……」

     目を大きく見開き、ポロポロと大粒の涙を流している姿が、そこにはありました。

    ヒナ「せん、せぇ……ほんとうに…そこに、いるのね……」

     そしてヒナ委員長は、思い切り私の胸に顔を埋めながら、叫びました。

    「先生!せんせぇ…!私、もっとあなたに、甘えたかった!!
     もっといっぱい、褒められたかった!!
     あなたから、もっと色々なこと、教わりたかった!!」
    「……」
    「こんなことになるなら…あなたにちゃんと、想いを伝えてれば良かった!!
     あなたに、大好きだよって、いっぱい、伝えたかった!!」
    「……」
    「せんせい…ひっぐ…せん、せぇ…う、うぅぅぅ、うあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……!!」

     私の胸の中で泣き腫らす委員長は、とても小さく見えました。
     まるで本当に幼い、小さな女の子のように感じました。
     自然と手が動き、彼女の頭と背中を優しく撫でていました。

     きっと先生が、撫でてくれているんだと思いました。

  • 35@user-gw1hk8im525/10/22(水) 21:08:00

     ヒナ委員長は取り乱してごめんと一言謝罪し、身なりを整えました。

    ヒナ「…何か困っていることがあったら言ってね。できるだけ力になる。もちろん、風紀違反以外でだけど」

     そう言って、病室を去りました。


     次に面会に来たのは、ホシノさんでした。
     ああ、やっぱり今日が私の命日かもしれません。

     ヒナ委員長は単に畏怖の対象ですが、ホシノさんとは明確に敵対していました。
     特に私は、アビドスの皆さんが大切にしていたラーメン屋を爆破した前科があります。
     ましてや、先生が私のせいで亡くなったと知ったら、どんなに酷い言葉を言われるか。

    「…そんなに畏まらないで。別に責めに来たわけじゃないから」
    「え……」
    「君たちとは色々あったけど、もう過去のことだよ。今回だって、君に非がないのは分かってるから」

     とても意外でした。
     少なからず、恨まれていることを覚悟していましたから。

    「あの…怒っていないんですか?襲撃とか、柴関ラーメンのこととか…」
    「あー…あの時の君らはただの雇われだったし…ラーメン屋のことも、こういうのはなんだけどさ…キヴォトスではよくあるっていうか」
    「え…」
    「それに、ちゃんと反省している子を追及するほど、おじさんも鬼じゃないよ。柴大将に大金を渡したの、君たちなんでしょ?」
    「えぇ!?し、知っていたんですか!?」
    アル「は、ハルカ!それは内緒だって言ったでしょ!?」
    「あ…す、すみませんアル様…すみませんすみませんすみませんすみません…」
    「あはは…まぁ、そういうわけだから」

  • 36@user-gw1hk8im525/10/22(水) 21:09:18

     そこまで言うと、ホシノさんは緩んでいた表情をキッと引き締めました。

    「私はね、先生へ挨拶に来たんだよ」
    「え…」
    「…本当はお墓の前でやるのがいいんだろうけどさ。何となくだけど、ここなら一番近くに先生に会える気がして」
    「ホシノ、さん…」
    「…ねぇ、お願い。少しだけ、先生とお話させてくれないかな?」
    「え、ええと…どうぞ…。私のことは、お気になさらず…」

     ホシノさんはすとんと、私の隣に置いてある椅子に腰掛けました。
     少し深呼吸をして、私の目を見据えて話し始めました。

    「…先生。正直、なんて言っていいか分からないや。先生が4んだって、実感もないからさ」
    「……」
    「取り合えず、一言だけ。私のことは心配しないでね。なんとか上手くやっていくから。学校のこととか、アビドスの皆のこと…。ちゃんと、私が支えるから」
    「……」
    「だから先生…今まで、おつかれさま。ありがとうね」

     言い終えると、ホシノさんはスクッと立ち上がりました。

    「ふぅ。ありがと。もういいよ」
    「も、もう、いいんですか?」
    「うん。言いたいことも言えたし、ちょっとはスッキリしたかな」
    「そ、そうですか」
    「ごめんね。こんな自己満足に付き合わせちゃってさ。お礼というわけじゃないけど、おじさんにできることがあったら、何でも言ってね」

  • 37@user-gw1hk8im525/10/22(水) 21:10:59

     そう言ってホシノさんは、病室を出ていこうとします。
     ただのなんてことない、去り際の台詞だったはずでした。
     でも、『何でも言って』という部分が、妙に耳にこびりついて。

    「…ヒーローの格好。一週間…」

     無意識に、その言葉を呟いていました。
     ホシノさんは凄く驚いた顔で、振り返ります。

    「え…?」
    「え?あれ?なんか、口が、勝手に…」
    「…ヒーローの格好、ね。ハルカちゃん、だっけ。先生から、おじさんのことを色々と聞いたりした?」
    「あ、いえ…ヒーローとか、私には何がなんだかサッパリ…」

     混乱してアタフタしていると、ホシノさんがボソッと呟きました。

    「何でも言ってとは言ったけど、何でもするとは言ってない……か」
    「え…?」
    「1つだけ聞かせて。あの日、アビドスのパトロールに行った日さ。夕方、私と一緒に食べたものを覚えてる?」

     質問の意味が、サッパリ理解できませんでした。
     なのに何故だか、見たこともない風景が頭の中に流れ込みました。
     夕方の砂漠。乗り捨てられた列車。焚火を囲んで、一緒に毛布に包まったホシノさんが。

    「…非常食。子供が好きそうな、グミの」

     また、口が勝手に動いてました。
     ホシノさんは、大きく目を見開いています。

  • 38@user-gw1hk8im525/10/22(水) 21:14:57

    「あ、はは…そっか…私の勘は、間違ってなかったんだ…本当に、先生に会えるなんてさ…」

     ホシノさんが、私の胸に顔を埋めます。

    「まったく…先生には振り回されっぱなしだよ。せっかく最後くらい、湿っぽいのはなしにしようって思ってたのにさ…」

     胸に縋りつく手に、力がこもっていくのが分かりました。

    「こんな最後にさ…先生がそこにいるんだって、分かっちゃったらさ…もう、我慢できなくなっちゃうじゃん…こんな、こんな……」

     やがてホシノさんの何かが決壊し、

    「う、うぅぅ……うあああああああああああぁぁぁぁぁぁぁ……!!!」

     私の胸元が、どんどん濡れていきました。

    「バカ!!先生のバカ!!なんで!なんで4んじゃったんだよぉ!!私の相棒って言ったのに!最後まで付き合ってくれるって約束したくせに!!
     バカ!!先生の嘘つき!!う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
    「……」
    「先生に見せたいものや、先生とやりたいことだって、いっぱいあったのに!!
     私の気持ちだって、伝えてないのに!!
     バカ!!先生の大バカ!!先生の、バカヤロォ!!!」
    「……」
    「せんせ…い…う、うぁ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…!!!」

     胸の中がズキズキと痛んで、止まりません。
     まるで先生の後悔や申し訳なさが、滲み出てるようでした。
     何度も、「ごめんね」という言葉が口から出そうになりましたが、私は言い出せませんでした。
     たとえ本当に私の中に先生がいて、そう叫んでいてたとしても。
     私には、それを伝える資格なんかないと思ったからです。

  • 39@user-gw1hk8im525/10/22(水) 21:16:50

     その後も、色々な生徒が面会に訪れました。
     色々な学園、色々な学年、色々な職業の生徒が。
     学園のトップの人から、不良やお尋ね者になっている生徒まで。

     私を見舞いに来たり。
     私を通じて先生にお別れを言いに来たり。
     私の胸に手を当てたり、心音を聴いたりしました。
     
     そして私の無意識な言動や行動は、止んでくれませんでした。
     しかし不思議と、引いたり嫌がる人はいませんでした。
     むしろ、感謝されたりしました。

     ミレニアムからセミナーの会計さんと書記さんと来た時も。
     お二人からお悔やみの言葉を受け、他愛ない会話を終えて、見送りの言葉を言おうとした時です。

    「また風邪をひかないように、元気に過ごしてくださいね。あと、不眠症にも気を付けてください」

     という言葉が零れたところ、お二人は顔を見合わせて、その場で泣き崩れてしまいました。

     百鬼夜行から百花繚乱調停委員会の方々がお見舞いに来た時も。
     委員会の人は、お見舞いの品をいっぱい持ってきてくれました。
     花束、フルーツ盛り合わせ、お菓子の詰め合わせなど。
     その中の1つ、何故か懐かしさを感じ、一つの駄菓子を手に取りました。

     うんめえ棒「こんぽたみっくすふるーつめがまっくす味」

     手に取ってじっと眺めていると、何故だか委員会の後輩の人が、嗚咽を漏らし始めたのでした。

  • 40@user-gw1hk8im525/10/22(水) 21:18:10

     消灯時間が過ぎて、錠前サオリが来たこともありました。
     追われている身であるため、人目を避けて面会に来たことを謝罪されました。
     私を気遣ってくれて、最近の近況を教えてくれて、最後は私にお悔やみと先生へのお礼を述べて、立ち去ろうとした時です。

    「…いい先生には、なれそうですか?」

     自分でも訳が分からない質問に、彼女はとても驚いて。

    「…今はまだ分からない。だが最近は、そうなれたら素敵だと思い始めている」

     それだけを言い残し、足早に去っていったのでした。

     お見舞いの人たちはどんどんやってきました。

     もちろん、友好的な人ばかりではありません。
     お前のせいで先生が4んだと、責める人もいました。
     特にトリニティの生徒からは、私がゲヘナ出身ということもあって、面と向かって非難する人が多かったです。

     トリニティのティーパーティーの3人が来たときは、さすがに緊張しました。
     絵本の中でしか見たことないようなキラキラした3人を目の前にした時は、言葉を失いました。

    ミカ「この子が…こいつのせいで、先生は…」

    ナギサ「ミカさん、やめてください。糾弾しに来たわけではないと再三申し上げたはずです」 

    ミカ「こんなウジウジしてて、見てるだけでイライラするこんな奴…しかもよりにもよってゲヘナ…。
     こんなことになるなら、やっぱりゲヘナなんてとっとと滅ぼしておけば良かった」

  • 41@user-gw1hk8im525/10/22(水) 21:19:18

    セイア「やめろミカ。そうまでして先生の顔に汚泥を塗りたいのか」

     ミカと呼ばれた人が、私に対して敵意を隠そうともせずに非難の言葉を浴びせます。
     それを周りの人が制止する、まるで火薬庫の中のようなピリピリとした空気のはずなのに。
     私はミカさんを見て、思わず言葉を漏らしてしまいました。

    「すごい……きれい……お姫様、みたい……」

    「…は?」
    「あ、す、すみません…また、私……」
    「…あんた、空気読めないとか、愚図でノロマってよく言われない?」
    「す、すみません…」

     途方もない恥をかいてしまいました。
     確かに綺麗とは思いましたが、なんでお姫様って単語が出てきてしまったのか、不思議でなりません。

    「…気に入らないなぁ」
    「え?」
    「その言葉を言っていいのはね。私の大好きな人だけなの。それをゲヘナ…私の大嫌いな人が口にした」
    「え、えと…」
    「それがどういう意味か、分かってる?」

     そして不意に、私の首を両手で締め上げました。

    アル「ハルカ!!」
    ナギサ「ミカさん!!」
    セイア「ミカ!!」

  • 42@user-gw1hk8im525/10/22(水) 21:21:39

    ミカ「動かないで。ナギちゃんもセイアちゃんも、そこのゲヘナも。今は手加減してるけど、それ以上近づいたらこの子の頭が破裂するよ。卵みたいにね」

    「が……ぐぅ……」

     細くて綺麗な指なのに、万力みたいです。
     酸素がどんどん失われ、意識が霞んでいくようでした。

    アル「聖園ミカ。今すぐにウチの社員を放しなさい」

     アル様の、さっきの籠った声が聞こえます。
     見えませんが、きっと銃口を向けているのだろうと思いました。

    ミカ「…いいよ、撃っても。もう、どうだっていい」
    ナギサ「ミカさん…」
    ミカ「私、何のために頑張ってたんだっけ…なんだか、分からなくなっちゃったしさ…」
    「あ……う……」
    ミカ「安心してよ。私も後で逝くからさ。ははっ。ゲヘナ相手と心中とか、笑っちゃうよね」

     指先に、さらに力がこめられます。
     ミシミシと、変な音が聞こえました。

     ああ、やっぱり私は4ぬべきなんだ。
     やっと…先生へ、お詫びができるんだ。
     ならせめて、この人に感謝した方がいいのかな。

     そう思い、最後の力を振り絞って、お礼を言おうとしました。

    ―― ミカは、幸せになれるよ ――

    ミカ「……え?」

  • 43@user-gw1hk8im525/10/22(水) 21:23:07

     途端、指の力が消えました。
     失った酸素を補充しようと、体中が悲鳴をあげます。

    「はぁ…!げほっ…!けはっ……!」
    ミカ「なん、で……そんなこと、言うの…?」
    「はぁ…はぁ…はぁ…きっと、そんな、気が、する…けほっ…」

     この時の自分は酸素が足りてなかったのか、自分が何を口走ったのかまるで覚えてませんでした。
     意識が落ち浮いた頃、茫然としているアル様とティーパーティーの皆さんを見て、私は混乱してしまいました。

    ミカ「うそ…これじゃ、まるで、本当に…」
    「え…?」
    ミカ「こんなに、酷いこと言ったのに…暴力まで振るわれて…なのになんで、そんな優しい言葉が出てくるの…?」
    「あ、あの…」
    ミカ「私、また諦めかけて、自棄を起こして…酷いこともいっぱいして…それなのに…。
      そんなことを言ってくれるなんて、本当に生き写しみたいじゃん……」
    「あ……」

    「う、うぅ…あ、うわああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……!!」

     ミカさんは、そのまま咽び泣いてしまいました。
     メイクが流れ、綺麗な服がどんどん汚れていくのも構わず、泣き続けました。
     やがて同行していた亜麻色の髪の人に肩を抱かれ、病室をあとにしました。
     そして残された金髪の人が、私に頭を下げました。

    「まったく…端倪すべからざる、とはまさにこの事だよ。まさか本当に最適解を導き出してくれるとはね」
    「え…あの…」
    「ああ、すまない。まずは謝罪だな。この度はミカが申し訳ないことをした。ティーパーティを代表して、百合園セイアが心から謝罪する」
    「あ…いえ…」
     セイアと名乗ったその人は深々とお辞儀をしながら、後日改めて謝罪と賠償をすると言いました。

  • 44@user-gw1hk8im525/10/22(水) 21:25:21

    「…あの人も、先生のことが大好きだったんですね」
    「…そうだな。枢要な存在だったのは間違いない。だが、彼女のことは心配しなくていい」
    「え…?」
    「先生の残滓は、間違いなく君の中で息づいている。それが判明したのなら、それは必ず彼女にとって糧になる。彼を、心の底から愛した彼女なら」
    「……」
    「何よりも、ミカを支えるのは同朋の私たちの役目だ。こればかりは先生だけに任せておけない」
    「……」
    「ありがとう、伊草ハルカ君。私の大切な友人を救ってくれて」

     そう言って、セイアさんは病室をあとにしました。

     余談ですが後日、ティーパーティーの方が、見たこともない厚さの札束を持って謝罪に来ました。
     アル様は白目を剥きながら、それを断っていました。


     そうして慌ただしい面会を重ねて。
     落ち着くまでに、3日かかったのでした。

    アル「ハルカ。あの子たちと会ってみて、どう思った?」

     面会が落ち着いてきたころ、アル様は私に尋ねました。

    「…すごいと思います。酷いこともいっぱい言われたけど…それでも皆、前を向こうとしていることだけは分かりました」
    「…そうね。でも、あなたが命を投げ捨てるなら、あの子たちは2度も先生を失うことになる」
    「あ…」
    「それでも、4にたいと思うの?」

     アル様の言葉に、ハッとしました。
     アル様が仰った言葉。私の命は、私だけのものじゃない。
     その意味が今になって、ようやく理解できたからです。

  • 45@user-gw1hk8im525/10/22(水) 21:27:37

    「…4ぬべきじゃない、と思います。でもだからといって…生きていていい、なんて思えないんです…」
    「……」
    「あの子たちも…私に会いに来たのは、私の中に先生の心臓があるからで…。
     えっと…上手く、言えないですけど…つまり、私の中の先生が大事、と言いますか…」
    「…それは間違ってはいない。あの子たちも、あなたに先生の姿を重ねている。それは事実よ」
    「はい…なら結局、大切なのは先生の部分で、やっぱり私自身には価値がないというか…」

     それを聴くと、アル様はふぅーと息を吐いて、私に言いました。

    「…ハルカ。先生は、あなたに命を繋ぎたいと言っていたわ。そんなこと言わないで」
    「…でも、思わずにはいられないんです。なんで、私だったんだろうって。先生から託されるなら、もっと相応しい人がいたはずだって」
    「…もっと相応しい人?」
    「だって私はこの世界で、一番不要な存在ですから…失敗ばかりだし、愚図だし、ノロマだし…」
    「……」
    「だから、先生の命が…まるでドブに捨てられたみたいで…それがとても、申し訳なくて…」

    「…ハルカ。あなたにはガッカリしたわ」

    「え…」

     その時のアル様の表情に、私は戦慄しました。
     失望、軽蔑、激しい怒り。
     おおよそアル様から向けられたくない感情が、全部そこにあるように感じました。

    「自分が一番不要。そう言ったわね。それは便利屋としても言えること?
     例えばだけど、私たちが困難な依頼に直面して、誰か一人を切り捨てねければならない時、あなたはどうすべきだと思う?」
    「そ、そんなの明白です!私を切り捨てるべきです!アル様も、カヨコ課長も、ムツキ室長も、切り捨てられるべきではありません!」
    「…ハルカが危ない目にあって、私たちの誰かが命を差し出せば、助けられるとしても?」
    「ダメです!私にはそんな資格はありません!そんなことになっても、私を助けないでください!」

  • 46@user-gw1hk8im525/10/22(水) 21:30:15

     これは感情ではなく、事実で言っているつもりでした。
     私にはアル様のようなカリスマも、カヨコ課長のような冷静さも、ムツキ室長のような豪胆さもありません。
     だからこそ、一番不出来な自分を切り捨てることは、当然だと思いました。

    「…ハルカ。あなたは傲慢ね」
    「え…?」

     耳を疑いました。
     無能、グズ、ノロマとは言われ慣れていますが、傲慢という評価は初めてでした。

    「自分の命は差し出すのに、他人からの命は拒絶する。それは謙虚さとはかけ離れた、傲慢以外の何物でもないわ」
    「え…あ…その…」
    「分かっていないようだから教えてあげる。便利屋68が求めるのは、優秀な社員。捨て駒や代替品では決してないわ」
    「アル、様…?」
    「さっきの質問はね。たとえ誰かが犠牲にならざるを得なくとも、それでも皆で生き残る方法を最後まで諦めない。あなたに、そう言ってほしかった」
    「あ、ああ、あぁぁぁぁ……」

    「そんなことも分からない子に、便利屋は相応しくない」

     凄く、嫌な予感がしました。

     アル様。ああ、どうか、アル様。

     どうかその先は、仰らないでください。


    「便利屋68の代表として通告するわ。ハルカ。あなたは停職よ。平社員の役職を剥奪する」

  • 47@user-gw1hk8im525/10/22(水) 21:32:03

     真っ暗になりました。
     心に、ぽっかりと穴が開いて。
     大事なものが、どこまでもどこまでも、落ち続けている感覚がしました。

    「…しばらく、頭を冷やしなさい」

     そう言って、アル様は病室を出ていきました。
     私はその後姿を、ただ眺めることしか出来ませんでした。

     少し経って、絶望が涙となって、目から溢れ出ました。

    「あ、ああああ、あああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ……」

     もうおしまいだ。
     やってしまった。失望された。
     見捨てられた。一番、大切な人に。

     惨めだ。4にたい。
     消えてしまいたい。
     でも、4ねない。

     こんなことなら、人として生まれたくなかった。
     こんなに辛い思いをするならいっそのこと、石ころか雑草に生まれたかった。
     廃墟とか、深い海の底のような。
     暗くて、寂しくて、それでいて静かな場所で。
     名前も知らない、雑草や苔のように。

     誰とも会わずに、ひっそりと生きて、ただ4ぬだけの生涯が良かった。

  • 48@user-gw1hk8im525/10/22(水) 21:34:12

    「あ、れ……ここ、は…?」

     気が付くと私は、霧の濃い河原にいました。
     ああ、またこの夢ですか。
     どうやらあまりのショックで、気を失ってしまったみたいです。

    ”あなたは便利屋に相応しくない”

     アル様から言われたことが、フラッシュバックします。
     夢の中なのに、吐きそうになりました。

    ”平社員の役職を剝奪する”

     さっきのアル様の冷たい表情が、忘れられません。
     私はアル様に幻滅された。
     アル様に見捨てられた。

     便利屋を、クビになった。

    「あ、ああぁ、ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…!!」

     ここが夢である以上、やっぱりさっきの光景が現実だということなのでしょう。
     その事実がどうしようもなくて、私は声を上げて泣いてしまいました。

    「ハルカ」

     ふと、私を呼ぶ声がします。
     そう。この夢を見るとき、必ず会う人がいるのです。

  • 49@user-gw1hk8im525/10/22(水) 21:35:28

    「せん、せぇ…」

     この不思議な夢を最初に見たのは私が目を覚まし、先生を4なせたことに絶望して気絶した時。

     その後も、何度かこの夢を見ました。
     濃い霧の中、砂利の上、聞こえてくる川のせせらぎ。
     不思議なことに夢の光景は、いつも決まっていました。

     私はこの場所で、何度も先生へ謝りました。
     何百回と謝罪の台詞を口にし、何度も額を地面にこすりつけました。
     許しを請いました。それでも許されないなら、一生苦しんで償いますとも言いました。

     それでも先生は、私を責めることはありませんでした。
     気にしないで、大丈夫だからと。
     むしろ私を気遣い、励まそうとしてくれました。
     私の罪悪感の表れなら、私を罵倒して怒鳴りつけそうなものなのに。
     それでも先生はまるで生前のように、優しいままでした。

     流石に、理解はしています。
     この先生は私の罪悪感が見せている、幻影なのだと。

    「せん、せ……ひっぐ…うあ、あああぁぁぁぁぁぁぁぁん……」
    「ハルカ。見ていたよ。辛かったね」

     ぎゅっ

     先生は私を抱きしめ、ヨシヨシと頭を撫でてくれます。

  • 50@user-gw1hk8im525/10/22(水) 21:36:44

    「せんせ……もう、わたし…ぐす…だめです……」
    「そんなことない。そんなことないよ、ハルカ」
    「もう、おしまいなんです…アルさまに、わたし、みすてられて……」
    「アルは絶対にハルカを見捨てない。それだけは断言するよ」
    「でも…わたし…べんりやを、ひっぐ…クビに、されて……」
    「え?クビ?いや、そんなこと言われてないと思うよ?」
    「アルさまは、わたしがべんりやに、ふさわしくないって…あ、あぁぁ…」
    「…多分、ハルカは勘違してるよ。よく、アルと話してごらん」
    「でも、でもぉ……う、うぅぅ、うわぁぁぁぁぁん……」
    「大丈夫だよ。落ち着くまで、こうしているから」

     そう言って先生は、抱きしめる力を強めて、頭と背中をさすってくれました。
     先生の体温。先生の手の感触。先生の匂い。
     ここが夢で、先生が幻だと、忘れてしまいそうになりました。

     ひとしきり泣いて落ち着いた私は、先生へ尋ねました。

    「先生…私、どうすればいいんですか…?」
    「アルのこと?そうだね。まずはちゃんと話すことからかな」
    「…会わせる顔、ないです…あんなに怒ったアル様は、初めて見ました」
    「そうだね。でも、あんなに厳しく怒れるのは、誰よりも深くハルカのことを愛しているからだよ」
    「そんなこと、ないです…やっぱり、私には、生きる資格なんて……」
    「…ハルカ。そんなこと言わないで。私まで悲しくなっちゃうよ」
    「も、申し訳ありません…ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい…」
    「あ、いや、私もごめん。決して、断じて責めてるわけじゃないから」

  • 51@user-gw1hk8im525/10/22(水) 21:39:33

     先生はそう言いながら、私の頭をワシワシと撫でてくれました。
     どこまでも優しい先生。
     でもそれは結局、私の都合のいいように優しい先生を、私自身が作り出しているということなのでしょう。

     自分の浅ましさに嫌気が差し、少し怒りが湧いてきました。

    「ハルカ。自分はどうすればいいかって、私に訊いたよね?」
    「…はい」
    「まずハルカがすべきことは…自分を、許してあげることじゃないかな」
    「……」

     顔をあげて先生を見ます。
     濃い霧でボンヤリとしていますが、見慣れた透き通った顔。
     私がアル様の次に、お慕いしている相手。

     その先生に――――
     怒りが、爆発しました。

    「そんなこと……できるわけ、ないじゃないですか!!!」

    「ハルカ…」
    「考えない日はありませんでした!私がもっと上手くやれていれば!私の臓器が先生と適合していなければ!先生は今も生きていられたかもって!!」
    「…何度も言うけど、私が命を差し出したのは君のせいじゃない。私自身の意思だ」
    「わかってます!先生はとても優しい方だから、こんな私にだって優しくしてくれるんだって!でも、それで納得なんて、できるわけありません!!」
    「……」
    「できるなら、自分を56してやりたいくらいです!愚図で、ノロマで、自分では何もできない、迷惑をかけてばかりの自分を!!」
    「……」

    「私は……絶対に、自分を許せません!!!」

  • 52@user-gw1hk8im525/10/22(水) 21:41:01

     肩で息を切らしながら、先生を睨みます。
     夢の中なのに息が上がっているのが、変に感じました。

     先生は眉間にしわを寄せて、もの悲しそうな、申し訳なさそうな顔をしています。
     チクリと胸が痛みますが、これは先生の偽物。
     今更ながらその事実に、虚しさを感じ始めました。

    「…ごめんねハルカ。私が無神経だったよ」
    「いえ、私こそ……はぁ。何をやっているんでしょうか、私って」
    「ハルカ…」
    「こんな、私の作り出した妄想の先生に謝っても、怒鳴っても、なんにもならないのに」
    「……ん?」
    「どんなことをしても、先生がもういないことには変わりないのに」
    「あ、あれ…?ハルカ…?」
    「…バカみたいです。結局これも、私の独り言に過ぎないんですよね」
    「え…?まさか…ちょ、ちょっとハルカ。落ち着いて」

     そういって先生は、私の肩を掴みました。
     じっと見つめられますが、私は目をそらしました。

    「ええと…ハルカ、私はここにいるよ?」
    「…そうですね。私の罪の意識が作り出した、先生が」
    「あ、あー…やっぱりそうか…いや、普通に考えればそうだよね…」
    「…はぁ、もういいです。消えてください。虚しくなるだけです」
    「うん、まずはちゃんと説明するべきだったな。私も大概にアホだな…」

     …なんか、今日の妄想の先生は変です。
     すごく人間臭いというか…変に会話が続くといいますか…。

  • 53@user-gw1hk8im525/10/22(水) 21:42:07

     いや、そもそもまともに会話したのは今日が初めてでした。
     いつも私が一方的に謝って、先生はオロオロとフォローを入れるだけでしたから。
     だからちゃんと会話のキャッチボールをしたのは、今日が初めてのような気がします。

    「ハルカ。信じられないかもしれないけど、私は本当にここにいるんだ」
    「…分かっています。私がそういう風に作った先生なんですから」
    「…伊草ハルカ。ゲヘナ学園1年生。誕生日は5月13日」
    「……」
    「趣味は、雑草を育てること」
    「…だからなんです?私の妄想なんですから、私のことを知っているのは当然じゃないですか」
    「覚えてる?ハルカが便利屋の皆のために、大切に育てていた雑草で門松を作ったことがあったよね?」
    「…忘れるわけ、ないじゃないですか」
    「あの野草の名前は、チガヤ」
    「…え?」
    「イネ科の植物で、繁殖力がとても強くて、世界最強の雑草とも言われてるんだって。どんな環境でも生きられるけど、柔らかい土は苦手みたい」
    「ど、どうして、そんなこと、知っているんですか…?」
    「ハルカが大切にしてた子だから。何かあったら大変と思って、自分なりに調べたんだ」

     それは、私の知らない情報でした。
     確かに私は雑草を持ち帰って、育てることが趣味です。
     それは、雑草が私と似ているから。
     名前も知られずに、ヒッソリと生きているだけの雑草たちに、親近感が沸いたから。

     でもあの子たちの生態や名前を、私は知りません。
     ただの名もない雑草。それ以上でもそれ以下でもないと思っていました。
     調べてしまうと、私と似ている境遇が崩れてしまうと思い、私は敢えて調べないようにしていました。

     そんな私の知りえない情報を、なんでこの先生は知っているんでしょうか。

  • 54@user-gw1hk8im525/10/22(水) 21:44:02

    「アルの宝物は便利屋の皆と、皆から買ってもらった財布」
    「えぇ!?」

     それも初耳でした。
     アル様が私たちのことを大切にしてくれているのは知っていましたが、財布をそこまで大切にしているのは聞いたことがありませんでした。

    「カヨコは初詣の時、甘酒に酔って猫にニャァニャァと話しかけたことがある」
    「え、えぇ!?」
    「あ、やば…これ、秘密だった…」

     驚愕の事実でした。
     あのいつもキリッとしてるカヨコ課長からは、想像もできない光景でした。

    「これ、言うのもどうかと思うんだけど、えっと…ムツキはね」
    「…?」
    「左の足の付け根あたり…内側の方ね。ホクロがあるんだ」
    「なぁ!?」

     ムツキ室長とは何度かお風呂に入ったり、着替えを一緒にしたことはあります。
     けれど私にジロジロと裸を見られるのは嫌だろうと思い、ずっと目を背けていました。
     そんな身体的特徴は、知る由もありませんでした。

  • 55@user-gw1hk8im525/10/22(水) 21:45:11

    「どうかな?ハルカが知らなそうな、便利屋の皆の秘密のつもりなんだけど。
     もし、私の言うことが信じられなければ、起きた後で皆に確認してもらえるかな」
    「い、いえ!もう、充分です!!」

     私の妄想の産物が、ここまで私の知らないことを知っている筈がありません。

     つまり、つまりです。

     とても信じられないことですが―――――









     私が夢で会っていたのは、本物の先生だったのです。

  • 56@user-gw1hk8im525/10/22(水) 21:46:55

    「本当に…先生なんですか…?」
    「うん。私もなんでこんなことが起こっているかは分からない。きっと私の心臓に、私の魂みたいなものが残っていたんだと思う」
    「そんな、ことが…」
    「信じられないよね。でも、ハルカも見たでしょ?ヒナやホシノたちと話していた時、私の記憶が流れ込んでいたのを」
    「あ……」

     不思議に思っていました。
     記憶にない風景が目に映ったり、自分ではできない行動を取っていたことを。
     先生の心臓に残った魂が、見せてくれた記憶や反射行動だったことを理解しました。

    「先生…先生!!」

     我慢できずに、先生に抱きついてしまいました。

    「改めて言うよ。ここで君と会えて嬉しい。本当に奇跡みたいだ」
    「はい…!私も嬉しいです!あ、ごめんなさい!偽物とか、消えてくださいとか言ってしまって!」
    「いや、それは私も悪いから…普通ならこんなことはありえないのに、説明を失念していた私が間抜けだっただけさ」
    「そ、そんなことありません!こうして先生に会えて、本当に嬉しいです!」
    「うん。私も嬉しいよ」
    「えへへ……あ」

     そこで私は、我に返りました。
     浮かれてる場合ではありません。

     もし、もう一度、先生に会えるなら。
     ずっと、ずっと言いたかったことがあったからです。

  • 57@user-gw1hk8im525/10/22(水) 21:48:11

     私は抱きしめていた手を放します。
     そしてそのまま膝を折り、両手を砂利に押し付け、頭を下げました。


    「先生…本当に、本当に……ごめん、なさい……」


    「……」
    「私のせいで、先生が4んでしまってごめんなさい…もっと上手くやれなくて、ごめんなさい…アル様たちにも、迷惑をかけてごめんなさい…」
    「……」
    「4ねと言われればすぐに4にます。苦しんで償えと言われれば、命が尽きるまで償います」
    「……」
    「許してほしいなんて言えません。先生、ごめんなさい…すみません…本当に、申し訳ありませんでした……」
    「……」


    「生まれてきて、ごめんなさい…私なんかと出会ってしまって、ごめんなさい……」

     
     私は先生へ、何百、何千と繰り返した言葉を改めて伝えました。
     今まではうわ言のように繰り返した言葉を、今度はちゃんと先生へ伝えたかったからです。

  • 58@user-gw1hk8im525/10/22(水) 21:49:49

    「ハルカ。顔をあげて」
    「…はい」

     覚悟はできました。
     先生から罵倒されることも、拒絶されることも、失望されることも。
     私は、それだけのことをしてしまったのですから。
     でも顔をあげて見た先生の表情は、いつもと変わりませんでした。

     そして今度は、先生が私を抱きしめてくれました。

    「ひゃぁ!?せせ、先生!?」
    「ごめんハルカ。ちょっと大人しくしてて」
    「ひゃ、ひゃいぃ…///」

     とても力強い、抱擁でした。
     ぎゅぅっと、何度も服が鳴るくらいに。
     密着しすぎて、胸のバクバクが伝わってしまってないか、恥ずかしかったくらいです。

     おそらく1分ほどそうしてもらい、先生は離れました。
     私には、数時間くらい抱きしめられているように感じましたが。

  • 59@user-gw1hk8im525/10/22(水) 21:51:11

    「うん、落ち着いたかな。急にごめん」
    「あ、いえ…えっと…」
    「…私は成人した頃に両親と4別してしまったけど、小さかった頃に母にやってもらってたんだ。私が愚図って泣き止まない時、母はいつも本気で抱きしめてくれた」
    「え…」
    「私が苦しいと言っても、母は笑って言ってたよ。『泣きそうになっている相手には、壊れるくらい抱きしめるくらいがちょうどいい』ってね」
    「そんなことが…」
    「とはいえ、これはセクハラになるのかな…こんなことしてごめんね」
    「い、いえ!むしろ、私なんかにここまでしていただいて!重ね重ね申し訳――」
    「ハルカ。もう、謝るのはなしだよ」
    「え…」
    「君は充分謝ってくれた。これ以上苦しんでほしくないんだ」
    「す、すみませ…あ、ちが…ええと、ごめんなさ……じゃなくて、あう…」
    「…ふふっ。ちょっとはいつものハルカに戻ってくれたかな」

     そう言って、先生は私の頭を撫でてくれました。
     やっぱり先生は不思議で、凄い人です。
     あんなに腐って淀んでいた気持ちが、いつの間にかとても和らいでいたように思います。

    「…ハルカ。君は心からの謝罪をしてくれた。でも残念だけど、その謝罪は受け取ることはできない」
    「え…」
    「それをしてしまったら、君の罪を認めてしまうことになるから。何度も言うけど、ハルカのせいじゃない。私自身の選択の結果だから」
    「……」

     予想していた、答えでした。
     というよりも、何度もこの夢の中でしてきたやり取りです。
     私が謝って、先生が私を励ます、いつもの光景。

  • 60@user-gw1hk8im525/10/22(水) 21:52:41

     …でも、やっぱり悲しいです。
     先生へは申し訳なさしかないのに、それすらも拒絶されてしまったら、私はどうすればいいんでしょうか。
     堪らなくなって、私は先生へ尋ねました。

     ずっと、ずっと気にかかっていたことを。

    「…先生。なんで、私なんかを助けてくれたんですか?」

    「…その質問、ここで初めて会った時も訊かれたね」
    「……」
    「それは、私が先生だからだよ。これが、私の生き方なんだ」
    「…納得、できません」
    「そうだね。我ながら、思い切ったことをしたと思ってるよ」
    「先生が亡くなって…皆、落ち込んでいます…」
    「うん。たくさんの生徒を悲しませた。とても心が痛んだ。もっと生きて、皆を見守りたかった」
    「なら…!」
    「でもね。やり残したことはあるけど、不思議と後悔はないんだ」
    「…先生は、間違っています」

     先生の言葉を否定するのは、とても辛いです。
     私なんかが、先生の考えを否定するだなんておこがましいと思います。

     それでも、言わずにはいられませんでした。

  • 61@user-gw1hk8im525/10/22(水) 21:53:51

    「あの同意書を書いた日…本当に、嬉しかったんです。もしも先生が危ない目にあっても、助けられるんだって」
    「うん。でも、もし逆の立場でハルカに助けられたら、私は自分を許せなかったと思う。今のハルカみたいに」
    「…こんな役立たずな自分よりも、とっても凄い先生の方が生きるべきでした」
    「…それだってハルカと同じ気持ちさ。私は自分を凄いと感じたことないし、ハルカの方こそ生きるべきだと思った」
    「おかしいですよ!なんで私なんかのために、こんなに尽くしてくれるんですか!」
    「いやそれ、ハルカが言うの?限定プラモとか大金とか、何度も私に貢ごうとして…ん?」
    「私なんかのために…自分の命を二の次にするなんて、絶対に間違ってますよ!」
    「あ…」

    「先生!答えてください!なんであなたは、こんなに自分を犠牲にできるんですか!!」

     分かっています。先生が、そういう人だということを。
     私みたいな愚図でも、爪はじき者でも、見捨てずにいてくれた先生。
     たとえ自分の命を代償にしてでも、生徒を守るためなら躊躇しない。

     それでも、あなたに生きていてほしかった。

  • 62@user-gw1hk8im525/10/22(水) 21:55:11

     そんな私の嗚咽が混じった質問に対し、先生の答えは――――













    「……ぷっ。あははははははははっ!!」










     爆笑、でした。

  • 63@user-gw1hk8im525/10/22(水) 21:56:49

    「へ?せ、せんせい?」
    「ははははは!あー、なんだ、そういうことだったのか。うん、今までモヤモヤしていたのがバカみたいだ。こんな単純なことに気づけなかったなんて」
    「あ、あの…私、そんなにおかしいこと、言いましたか?」
    「ごめん。バカにしてるわけじゃないよ。ちょっと私の鈍さに、呆れを通り越して笑っちゃっただけ」
    「え、えーと…」

     突然の爆笑に、私は固まることしかできませんでした。
     先生は私の前に腰掛け、言いました。

    「ごめんね。話の腰を折って。ちゃんと質問に答えるから」
    「は、はい…」
    「私はね。ハルカを助けたかった」
    「へ?」
    「だって、ハルカは私だから」
    「…は?」




    「ハルカと私はよく似てる。だからほっとけなかった。助けたかったんだ」




     なんというか…空っぽになりました。
     発言のあんまりの内容に…言葉が出ないというか…。
     驚くべきなのか、怒るべきなのか、笑えばいいのか。

     そんな迷いも全部吹き飛んでしまうほど、私は固まってしまいました。

  • 64@user-gw1hk8im525/10/22(水) 21:58:08

    「いやーこんな単純なことだったんだね。臓器の適合率が高いと、人間性まで似るってことなのかな?」
    「な、ななな!何を言ってるんですか!!私と先生が似てるだなんて、そんなことあるわけないじゃないですか!!」
    「そうかな?さっきまでの会話を思い出して」
    「え?」
    「自分のことは二の次。自分の命で相手が助かるなら、迷わずにそうする。ハルカと私ってよく似てると思わない?」
    「そ、それは、そうかもしれませんけど…でも、先生は私みたいに役立たずじゃないです!!」
    「それは違う。私は自他ともに認めるキヴォトス最弱だ。シッテムの箱と大人のカードがなければ、間違いなくキヴォトスで一番の役立たずは私さ」
    「ぐ…!ち、ちが…先生は私なんかと違って、かっこよくて、素晴らしい人で…!」
    「私はそんな大した人間じゃない。私やアルのために懸命に頑張って、雑草にも優しさを向けるハルカの方がよっぽど素晴らしいと思う。ほら。自分より相手の方が素晴らしいと思っているところも、ソックリだ」
    「ち、違います!私のはただの自棄です!先生のとは違います!!」
    「自棄というなら私だってそうさ。こんな言い方はどうかと思うけどさ。給料も大して高くなく、プライベートもなく、生徒のために身を粉にして何もかも犠牲にしている生活って、自棄でも起こしてなきゃできないよ?」

     一体、私は何を言われているんでしょうか…。
     先生と私が似てる?私と先生が同じ?
     いや、そんなことあるわけ…でも、私が先生の言うことを否定するなんて…。
     いや、でも、これは流石に…。

     …どうしましょう。夢の中なのに、混乱しすぎて吐きそうです。


    「ハルカと私の違いは、たった1つ。君は前を、上の向き方を知らないだけだよ」
    「へ?」
    「それさえ分かってしまえば、あとは大丈夫。だって君は私だから。きっと君なら、私の見ていた景色に辿り着けるよ」
    「え、ええと…」
    「この世界はとても綺麗で、素晴らしくて、可能性に満ちている。その世界に生きていることが、どんなに幸せなことかってね」

     自分にはとても想像ができません。
     アル様と出会うまでは、世界はとても醜くて、残酷で、救いのないものだと思っていましたから。

     それでも、先生は続けます。

  • 65@user-gw1hk8im525/10/22(水) 22:00:22

    「ハルカ。私はどうすれば君が立ち直れるか、元気になれるか、その言葉をずっと考えてた。でも、それは必要ないと分かった」
    「え…?」
    「ハルカは今までどおりでいい。大切な人のために一生懸命になれる君のままでいい。私がそうであったように」
    「ええと…」
    「こんないつ4んでもおかしくない私が生きてこられたのは、周りの人たちが助けてくれたからだ。そしてハルカにも、そんな人たちがいる」
    「せん、せい…」
    「だからもう大丈夫だよ、ハルカ」

     正直なところ、まだ混乱しています。
     何が大丈夫なのか、自分にはサッパリ分かりません。

     でも、先生の仰ることなら…信じたいと思いました。
     気が付けば、あんなに鬱々とした気持ちが、嘘のように吹き飛んでいました。

  • 66@user-gw1hk8im525/10/22(水) 22:02:18

    「さて、ハルカ。さっき君は言ったね。自分を絶対に許せないって」
    「は、はい」
    「でも、いつかは自分を許さなきゃならない。それだけは、分かってほしい」
    「……」
    「今はまだ難しいかもしれない。だから君に命令を伝えたい。いいかな?」
    「は、はい!なんでも言ってください!!」
    「まずは1つ目。便利屋の皆と、ちゃんと話すこと」
    「へ…?」
    「特にアルには、心配かけてごめんなさいって、ちゃんと謝るんだよ?」
    「で、でも…便利屋をクビになった私に、アル様と話す資格なんて…」
    「それはちゃんと話せば大丈夫だよ。私を信じて」
    「は、はい…」
    「2つ目。ちゃんとリハビリを頑張って、退院すること」
    「え…?そ、それだけですか?」
    「うん。ハルカにはいつも通りに戻ってほしいから。だからまずは、体力を回復するように専念すること。いいね?」
    「わ、分かりました…」
    「そして3つ目。これは命令というかお願いになるんだけど。便利屋の皆へ、伝言を頼めるかな」
    「伝言…私なんかに、できるでしょうか…」
    「ちょっと長くなるかもだけど、きっと大丈夫。ハルカなら、私の伝えたいことは問題なく伝えてくれるよ」
    「が、頑張ります…」

    「よろしくね。じゃあまずはアルから。ええと――――

  • 67@user-gw1hk8im525/10/22(水) 22:03:48

    ムツキ「ハ、ハルカちゃん?どうしたの?大丈夫?」

     ムツキ室長が、心配そうに話しかけてきました。
     無理もありません。ガバッと体を起こして目を覚ましたのは、入院してから初めてでしたから。

    「…ムツキ室長。お願いがあります」

     私はムツキ室長にお願いし、便利屋の皆さんを呼んでもらいました。


     程なくして、便利屋の皆さんが病室へ集結しました。
     いきなり皆さんをお呼びしたことに戸惑っていた様子だったので、私は正直に話しました。
     夢で先生にお会いしたことを。

     最初は、どことなく皆さんから同情の視線を感じました。
     ですが、夢の中で先生にお聞きした皆さんの秘密を話す内に、顔色がみるみる変わっていきました。

     アル様は驚き、カヨコ課長はしかめっ面に、ムツキ室長は少しだけ笑みを浮かべました。

    アル「ほんっと…先生って規格外ね…」
    カヨコ「先生のバカ…秘密って言ったのに…」
    ムツキ「…先生の、スケベ」

    「あの…それで、皆さんにお話ししたいことがあって…」

  • 68@user-gw1hk8im525/10/22(水) 22:05:15

     そう言って、何度も深呼吸をします。
     正直、話すのは怖いです。
     でも皆さんは、私が落ち着くまで待ってくれました。

    「…皆さん、すみませんでした。色々と、ご迷惑をおかけして」
    カヨコ「…とりあえず、生きててごめんなさいって、謝られなくて良かったよ」
    ムツキ「そうだね。いつものハルカちゃんって感じで嬉しい」
    「はい…特に、アル様…あの、ごめんなさい…」
    アル「……」
    「ご心配をおかけして…アル様たちの気持ちを考えず、自分勝手にすみませんでした…」
    アル「…いいわ。ひとまず、頭は冷えたようね」
    「はい…それで…あの、私、まだ分からないです…アル様の期待に、応えられるか」
    アル「…そう」
    「先生は大丈夫と仰っていましたけど、私、どうすればいいか分からなくて…」
    アル「……」
    「でも、先生が信じてくれるなら…そのままでいいと言ってくれたなら…」
    アル「……」
    「今はまだ分かりませんが、精いっぱい生きますから…だから…」
    アル「…だから?」

    「だ、だからどうか…クビにだけは、しないでください!」

    アル「…え?」

  • 69@user-gw1hk8im525/10/22(水) 22:06:22

    ムツキ「え…?アルちゃん、ハルカちゃんにそこまで言ったの?」
    アル「いやいやいや!?何を言ってるの!?」
    カヨコ「ええと…一応確認なんだけど、ほんとにクビって言ったの?」
    アル「言ってないけどー!?なんでそんな話になってるのー!?」

     アル様が白目を見せながら、絶叫しました。
     なんだか懐かしいやり取りで、安心してしまいました。

    アル「はぁ…。やけに迫真と思ったら、そういうことね」
    「ええと…私、クビにされたんですよね?」
    アル「あのねぇ!私が言ったのはクビじゃなくて停職!解雇でも懲戒免職でもなく、て・い・しょ・く!!」
    「あ……」

     そこでようやく、自分が勘違いしていたと気が付きました。
     先生が言っていたのは、このことだったんですね。

    「よ、良かった…私、アル様に捨てられたとばっかり…」
    アル「何言ってんのよ。私がハルカを手放すはずないでしょ」
    「アル様…!アルさまぁ…!」
    アル「…でも、今のハルカの心構えじゃ、平社員の役職を任せられないのは変わらないわ」
    「そんな…あう…」

     また絶望で、泣きそうになります。
     クビにされたことが勘違いでも、便利屋に戻れないのであれば同じことです。
     やっぱり私は、見捨てられたのでしょうか。

  • 70@user-gw1hk8im525/10/22(水) 22:07:42

    「やっぱり…私なんか、要らないですよね…」
    アル「ハ、ハルカ?」
    「そうですよね…こんなに迷惑をかけて、謝ったぐらいで許されるわけ…」
    アル「ちょっと!?それはいいって言ったでしょ!?」
    「すみませんすみませんすみませんすみませんすみませんすみません…」
    アル「いや、ハルカ!?せっかくいい感じに立ち直ってくれたんだから、もっと頑張ってほしいんだけど!?」
    「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい…」
    アル「あぁもう!分かったわよ!」
    「申し訳ありま…え?」

    アル「アルバイト!アルバイトとしてなら、戻っていいから!!」

     頭の中が、眩しくなりました。
     また、便利屋に戻れるということに、天にも昇る気持ちになれました。

    「アル様!アルさまぁ…!」ひしっ
    アル「ちょ、ハルカ!嬉しいのは分かったから!泣きながら抱きつかないで!」

    ムツキ「…これ、結局いつもどおりじゃない?」
    カヨコ「…まぁ妥当な妥協点だと思うよ。ちょっと甘いかもだけど」

     カヨコ課長とムツキ室長が何かを仰ってましたが、感動しすぎて聞こえませんでした。
     涙と鼻水でアル様の服をベトベトにしてしまい、また平謝りする羽目になってしまいました。

  • 71@user-gw1hk8im525/10/22(水) 22:09:00

    アル「とにかく、分かったわ。先生からハルカを託されたなら、それに応えないとね」
    カヨコ「言い分はどうかと思うけどね。先生とハルカが同じって、だいぶ無理あると思う」
    ムツキ「そう?よく似てるかもしれないよ?無茶苦茶で、見ていて気持ちがいいくらい思い切りが良いところ、ソックリだと思うな」
    アル「う、うーん…私は何とも言えないわね。先生は先生、ハルカはハルカだもの」

     どちらも大切であることは確かに同じだけど、とアル様は小声で言いました。
     それを聴けて、とても胸が温かくなりました。

    アル「…でも、先生がハルカはそのままでいいと言ったなら、私もそうあるべきだと思うわ」
    「…はい」
    アル「今はまだ分からないなら、いつも通り私たちの後に付いてきてくれるだけでいい。便利屋には、あなたが必要よ」
    「アル様…!」
    アル「きっとハルカにも、先生の気持ちが分かる時が来る。それまでは、平社員の役職は空けておくから」
    「は、はい!皆さん、よろしくお願いします!!」
    カヨコ「うん。こちらこそよろしくね、ハルカ」
    ムツキ「…良かった。いつもの皆に戻れるんだね」
    アル「そうね。…でも、悔しいわ。結局、先生に助けられてばっかり…」
    「アル様?」
    アル「やっぱり…私、先生がいないとダメなのかしら…こんなみっともない姿、先生も幻滅するわよね」

    「アル様!そんなことありません!!」

    アル「ハ、ハルカ?」
    「あ、いきなり大声だしてすみません…えっと、皆さんへ、先生から伝言を預かっているんです」
    アル「伝言?」
    「はい。私の口から伝えるのは恐れ多いですが、頑張ります。えっと…アル様へは…」

  • 72@user-gw1hk8im525/10/22(水) 22:10:53

     そして私はつらつらと、先生の言葉を皆様へ伝えました。
     伝言は結構長くて、覚えていないところも多かったのですが。
     でも喋り始めると、不思議とスラスラと言葉が出てきました。

     伝え終えると、ひどい光景が広がりました。

     咽び泣く声、鼻をすする音が病室中に響きます。

     アル様は先生の言葉を聴いている内に、両手で顔を覆い始めました。
     何度も「ごめんなさい」「ありがとう」と呟いて。
     そしてそのまま、嗚咽を漏らすのでした。

     カヨコ課長は伝言を静かに聞き、聴き終えると頭を抱えてました。
     そして「ばか」とか、「無責任」とか、「卑怯だよ」とか、色々と愚痴を零しながらも。
     最後は堪えきれずに、ベッドに蹲って、大声をあげました。

     あの日以来笑わなくなったムツキ室長は、伝言を伝え終えたら「くふふっ」と笑いました。
     いつも見てきた、不敵で可憐なムツキ室長の笑顔が、みるみる崩れていきます。
     やがては小さい子供のように、大声でわんわん泣くムツキ室長の姿がそこにはありました。

     皆さんの様子を見た私も、何だか悲しくなって。
     いつの間にか、皆さんと混じって、滝のように涙を流し続けました。
     不思議と、辛い涙ではありませんでした。
     昨日までは冷たい涙だったのに、何故だか温かかったような気がします。

  • 73@user-gw1hk8im525/10/22(水) 22:12:24

     そこからは、号泣の大合唱。

     自然と4人で身を寄せ合い、泣きました。

     泣いて。泣いて。泣いて。

     泣きわめいて、泣き叫んで、泣きじゃくって。

     そして泣き疲れて、私たちは身を寄せ合って、いつしかベッドで眠りにつきました。


     懐かしい、暖かなまどろみでした。

     アル様の寮室、事務所のソファ、テント、廃ビル。

     便利屋4人で固まって寝ていた頃を、何故だか思い出しました。


     この日、私は本当に久しぶりに、よく眠ることができたのでした。

  • 74@user-gw1hk8im525/10/22(水) 22:14:23

     アルへ。

     まず、私は君に謝らなければならない。
     私は最後、君へ言ったね。
     こんな残酷な責任を、君たち子供が背負っていいはずがない、と。

     覚えているかな。
     君は、いつか私のようになりたいと言ってくれた。
     そして、私と対等に話せるようになりたいと願っていたはずだ。

     でも私は、君を突き放してしまった。
     アルの気持ちを無下にし、君を子供扱いしてしまった。
     本当に申し訳なかった。

     君はきっと、自分はみっともないと責めているかもしれない。
     だから改めて言わせてほしい。



     アル。君は立派だ。みっともなくない。

  • 75@user-gw1hk8im525/10/22(水) 22:15:28

     裏切りや不誠実を嫌い、自分の夢を真剣に追い求めるところも。
     便利屋の皆を心の底から信頼し、仲間の危機には迷わず助けに行くところも。
     不憫なことにも決してめげず、決めるときはしっかりと決める、とっても芯が通ったところも。

     アルは本当に、カッコいいんだ。
     心の底から、本当にそう思う。
     だから皆は君を好きになって、君のあとに続くんだ。


     陸八魔 アル。


     君と、君の作った便利屋68は、私の誇りだ。

     どうかこれからも経営顧問として、君たちを見守らせてほしい。

  • 76@user-gw1hk8im525/10/22(水) 22:17:00

     カヨコへ。

     やはり君にも私は謝らなければならないだろう。
     私は君からの質問に答えきれず、君から逃げてしまった。
     君は私を本気で止めてくれた。
     それでも私は止まれず、君を無視してしまった。
     本当にごめんね。

     私のしたことは、本当に正しいのか。
     その質問に、今度こそちゃんと答えるよ。
     カヨコの望む答えではないかもしれないけど。

     まず、私が先生をする上で、1つの指針にしていることを説明する。
     大事なのは、選択すること。
     それが起こることでの責任と義務を理解し、選択して実行できるかどうか。

     私の考える責任は、生徒たちを守ること。
     私に科せられた義務は、生徒たちの幸せを考えること。


     それを真剣に考えて選択し、実行できる人が―――『先生』なんだと思うんだ。

  • 77@user-gw1hk8im525/10/22(水) 22:18:41

     この選択に後悔はしてないけど、正しいことかどうかは、最後まで分からなかった。
     正否なんていうのは当事者の受け取り方次第で変化してしまうものだと思うけど、それでも「本当に正しかったのか?」と、悩まない日はない。 
     結局のところ、私の選択は「やり足りなかったこと」と「やり過ぎたこと」ばかりだった気がする。

     でも、カヨコならいつかきっと、分かる日が来るかしれない。
     聡明で、冷静に物事を考えることができて、そしてとても暖かく優しい君になら。


     鬼方 カヨコ。

     どうか。どうか私の身勝手な願いを聞き入れてもらえるのなら。
     
     君なりの答えを導き出してほしいと思う。

  • 78@user-gw1hk8im525/10/22(水) 22:20:05

     ムツキへ。

     君が私を止めようとしてくれたこと、とても嬉しかった。
     でも、私はどうしても止められなかった。
     そのせいでムツキを傷つけてしまったこと、とても申し訳なく思っている。

     そしてあの時、君は言った。
     もうイタズラしないから、いい子にするから、考え直してと。
     その提案を断ってしまった私が言えることではないかもしれないけど、どうか聞いてほしい。



     私は、ムツキを悪い子だと思ったことは一度もない。

  • 79@user-gw1hk8im525/10/22(水) 22:21:25

     確かに君のイタズラには困らされた。
     でも君は決して、人を傷つけるようなイタズラをしなかったことを私は知っている。
     相手に不快な思いをさせないながらも、キラキラと本気で楽しむ君の姿が、とても印象的だった。
     君にイタズラされている時は、穏やかな気分になれた。
     素の自分に少し戻れたような気がして、心地よかった。
     
     だからムツキ。どうか、イタズラはやめないでほしい。
     からかうことはあっても、相手を貶めるようなことをしない、君のイタズラが私は大好きだった。
     どうか、そんな寂しいことを言わないでほしい。


     浅黄 ムツキ。


     私は、くふふっと不敵に笑う、君の眩しい笑顔が大好きだった。

     ムツキと過ごした時間は、本当に幸せだったよ。ありがとう。

  • 80@user-gw1hk8im525/10/22(水) 22:23:14

     ハルカへ。

     君に対しては、言いたいことが多すぎて正直なところ困っている。
     勝手なことをして謝ればいいのか、落ち込まないように慰めればいいのか、自棄を起こしたことに説教した方がいいのか。
     色々と言いたいことがまとまらない。

     だから君へは、私が一番伝えたかった言葉を贈ることにする。






     ハルカ。 ありがとう。





     生きていてくれて、ありがとう。
     ハルカが生きていてくれて、私は救われた。
     臓器が合わなかったら。手術中に何かアクシデントが起きないか。とても不安だった。
     でも、君は生きてくれた。
     私のしたことが報われて、本当にホッとしたんだ。

     私を慕ってくれて、ありがとう。
     君からの慕われは崇拝に近くて、初めはちょっと緊張したよ。
     でもなんだかんだ言っても、生徒に慕われていることは、先生にとって本当に幸せなんだ。
     生徒に慕われること、そして生徒の成長を見ること、それは何物にも代えがたい教師の宝だ。
     君のおかげで、そのことを忘れずにいられた。

  • 81@user-gw1hk8im525/10/22(水) 22:24:25

     私を守ってくれて、ありがとう。
     今更だけど、ハルカは本当によく頑張ってくれた。
     ハルカが守ってくれたから、私は生きてこられた。
     それは純然たる事実だ。どうか、胸を張ってほしい。
     ハルカは強くて、頑張り屋さんで、とっても凄い。
     私の、自慢の生徒だよ。
     



     伊草 ハルカ。




     私の命を託すのが、君でよかった。

     生まれてきてくれて、ありがとう。

     私と出会ってくれて、ありがとう。




     本当に 本当に  ありがとう。



    .

  • 82@user-gw1hk8im525/10/22(水) 22:29:52

     アル様たちと病室で一夜を明かし、3日経った頃です。
     珍しい人が、お見舞いにやってきました。

    「こんにちは。連邦生徒会生徒会長代行、七神リンと申します」

    カヨコ「……」
    リン「今更の慰問をお詫びさせてください。本来であれば私たちが真っ先に伺うべきでしたが、事後処理に追われてしまい、見舞いが遅れてしまいました」
    カヨコ「…事後処理、ね。先生におんぶに抱っこのツケが回ってきただけじゃないの?」
    ムツキ「っていうかさー。最初に言い訳ってどうなのー?私たち、お悔やみの言葉だけでもお腹いっぱいなんだけどー?」
    リン「…弁明の余地もありません。重ね重ね、お詫びいたします」

     そう言って、リンさんは深々と頭を下げました。

    リン「この度は、私たちの至らなさにより先生を失ってしまったことを、誠に申し訳ありませんでした」
    カヨコ「……」
    ムツキ「……」
    リン「そして、先生の最期を看取っていただいたこと。心から感謝の意を、連邦生徒会を代表して申しあげます」
    ハルカ「……」
    アル「…感謝は受け取るわ。でも、私たちに謝罪は不要よ。あなたたちのせいじゃない。先生だってそう言うわ」
    リン「…はい」
    アル「要件はそれだけ?」
    リン「いえ。追弔にお伺いしたのは勿論ですが、別件もありまして」

     そう言って、リンさんは私に向き直りました。

    「伊草ハルカさん、ですね?」
    「は、はい。初めまして。リンちゃん」
    「…え?」
    「あ、ちが…すみませんすみませんすみません…初対面なのにとんだ失礼を…」
    「…誰がリンちゃんですか」

  • 83@user-gw1hk8im525/10/22(水) 22:31:31

     また勝手に口が滑ってしまいました。
     うぅ…気まずいです。
     リンさんに、ふふっと笑みが漏れていたように見えたのは、絶対に気のせいだと思います。

     リンさんはコホンと咳払いをして、話し始めました。

    「ハルカさん。実はあなたに、お渡ししたいものがあります」

     そう言ってリンさんは、鞄から何かを取り出し、私に差し出しました。
     それは先生がいつも持っていた、白いタブレット端末でした。

    「これは…先生の…」
    リン「ええ。先生の専用端末です。私たちは、シッテムの箱と呼んでいます」
    「ま、まさか、これを私に!?」
    リン「はい。宜しければ」
    「こ、こんな大切なもの、貰えないですよ!」
    リン「…そう仰るのも無理はありません。しかしできれば、貰っていただきたいのです。我々では、埃を被らせてしまうのが関の山ですから」
    カヨコ「…ようは不用品の整理ってこと?舐められたものだね」
    ムツキ「確かにウチらは便利屋だけどさー。廃品回収してほしいなら、依頼料を用意するのが筋じゃないのー?」

     私はお二人が、やけにピリピリしていたのにオロオロとすることしかできませんでした。
     後から聞いた話ですが、二人は連邦生徒会に対し根に持っていたとのことです。
     そもそも連邦生徒会が強引に臓器提供措置を決定してしまった結果、私たちがさんざん振り回されたことになりますから。

  • 84@user-gw1hk8im525/10/22(水) 22:32:36

    アル「カヨコ、ムツキ、落ち着きなさい。ハルカ。受け取るかどうかはともかく、とりあえず手に取ってみたら?」
    「は、はい…」

     アル様に促され、タブレットを受け取りました。
     覗き込むと、暗転した画面に私の顔が反射していました。

     そしてタブレットを手に取った瞬間、よく分からない言葉の羅列が頭に浮かびました。
     何故だか、それを早く口にしなければいけない気がしました。
     誰か待っているような気がして。
     早く、迎えに行ってあげなければならない気持ちになったのです。


    「我々は望む、七つの嘆きを。

     我々は覚えている、ジェリコの古則を」


     すると不思議なことに、電源ボタンを入れていないのに画面が白くなりました。

    リン「こ、これは…!?」

     白の背景に「S」の文字が一瞬だけ映り、そして不思議な風景が広がりました。
     水びだしになった、半壊の教室。
     そこに、2人の女の子が座っていました。

    『うーん…ぐすっ…せんせぇ…どこなんですかぁ…』
    『!!アロナ先輩!起きてください!!シッテムの箱が起動してます!!』

  • 85@user-gw1hk8im525/10/22(水) 22:35:19

    「わ、わわ!?これは、いったい!?リ、リンさん!この子たちはなんなんですか!?」
    「…まさかとは思いましたが、本当に起動してしまうとは」
    「わ、私、電源を入れてないのに勝手に…もしかして、壊してしまったんですか?」
    「あぁ、いえ。ご心配なく。正常に起動しています。ハルカさんが先ほど発していた言葉が、起動コードですから」
    「え…?」
    「もっとも、先生以外が発しても反応しなかったのですが…そしてハルカさんが見ているその子たちは、その端末のメインオペレートシステムです。何故か、先生にしか見えない存在でした」
    「え、ええと…」

    『先生!今までどこに行ってたんですか!!アロナちゃんはとっても心配したんですからね!』
    「あ、ええと…せ、先生は、その…」
    『あ、あれ…?私たちが見えているんですか?ええと確か、伊草ハルカさん、でしたよね?』
    『待ってくださいアロナ先輩。ハルカさんから、先生の生体反応がします。これは一体…』
    『えぇ!?どういうことですか、プラナちゃん!?』

     私は2人に説明しました。
     アロナと呼ばれた水色の服を着た子は、わんわんと泣いてしまい、プラナと呼ばれた黒色の服を着た子は、ぐっと涙を堪えているように見えました。
     こんな小さな子たちまで泣かせてしまい、とても申し訳ない気持ちになりました。

    アロナ『ぐすっ…えっぐ…せん、せぇ……』
    プラナ『先生…あなたは本当に、変わらないんですね…』
    「…ごめんなさい。私のせいで」
    アロナ『…いえ!ハルカさんのせいではありません!先生が決めたことですから!』
    プラナ『同意。先生らしい、選択だったと思います』
    「…はい」
    アロナ『…ハルカさん。お願いがあります』
    「な、なんでしょう?」
    アロナ『先生がハルカさんに命を託したなら、今度は私たちに、ハルカさんを守らせてもらえませんか?』
    プラナ『賛成。先生が守り託したなら、私たちもハルカさんを守りたいです』
    「そ、それってつまり…このタブレットを、私に貰ってほしいということですか?」
    アロプラ『『 はい!! 』』

  • 86@user-gw1hk8im525/10/22(水) 22:36:32

     2人がキラキラした目で私を見ますが、迷ってしまいます。
     私なんかが、先生の形見を受け取ってしまっていいんでしょうか。

     躊躇していると、リンさんが話しかけてきました。

    リン「…ハルカさん。私からもお願いします。どうかシッテムの箱を、受け取ってください」
    「……」
    カヨコ「待って。まさかとは思うけどさ。ハルカを、先生の後釜にする気じゃないよね?」
    リン「いえ。そのような意図はありません」
    ムツキ「信じられないねー。先生にしか起動できなかったタブレットを、ハルカちゃんに起動させてみてさ。あからさまにマッチポンプでしょ、これ」
    リン「…正直、試したのは否定しません。まさか本当に起動するとは思いませんでしたが」
    アル「…私は大事な社員を手放す気はないわよ」
    リン「もちろんです。先生が抱いていた重圧や責任、それをハルカさんに背負わせるつもりは毛頭ありません」
    「リンさん…」
    リン「…ただ、ハルカさんに生きていてほしい。それだけですよ」

     リンさんは、フッと笑いました。
     ちょっとだけ先生に似てる、温かい微笑みでした。
     
    アル「…いいんじゃない?ハルカの身が守られるなら、持っていくに越したことはないわ」

     その一言で、心が決まりました。
     私は、ソワソワと身構えているタブレットの中の2人に話しかけました。

  • 87@user-gw1hk8im525/10/22(水) 22:37:44

    「…分かりました。よろしくお願いします」
    『はい!!よろしくお願いします、ハルカさん!』
    『歓迎。どうかこちらこそ、どうぞよろしくお願いします』
    「はい。とても恐縮ですが…ええと、アロナ、さん…プラナさん」
    『あ!そんな他人行儀な呼び方はやめてください!これからはハルカさんのアロナちゃんなんですから!』
    『同意。私のことも、気軽にプラナとお呼びください』
    「わ、分かりました…アロナ、プラナ」

     こうして私は、先生のタブレット端末を受け取ることになりました。
     リンさんは一礼し、去り際に言いました。

    「もしあなたがよろしければですが…いいですよ、リンちゃんと呼んでも」

     そして静かに、病室をあとにしました。

     この1週間後。

     私はリハビリを終え、無事に退院することになりました。



     そしてさらに、この1年後。




     私たち便利屋は―――――シャーレにいます。

  • 88@user-gw1hk8im525/10/22(水) 22:40:20

     きっかけは、突然でした。
     リンさんからシッテムの箱を受け取った3日後のことです。
     アル様が病室で便利屋を招集し、高らかに宣言したのです。

    アル「事務所を移転するわ!!!」

    カヨコ「あー、もうそんな時期か」
    ムツキ「最近、依頼が取れてないもんねー。家賃もだいぶ滞納しちゃったし」
    「わ、私のせいですよね…すみませんすみませんすみませんすみません…」
    アル「あぁもうー!もはや懐かしいわね、このやり取りも!!」
    カヨコ「まぁ移転はいいんだけどさ。どこにするの?ゲヘナ自治区じゃ、もうめぼしい物件は残ってないよ?」

     そのカヨコ課長の台詞に、アル様は待ってましたとばかりに、ビシッと指を立てて答えました。

    アル「ふっふっふ。実はもう目星はつけているのよ。今度の事務所はね」
    ムツキ「うん、うん」

    アル「ずばり……シャーレよ!!!」

    カヨコ「…え」
    ムツキ「えー…」
    「ア、アル様…それって、どういうことですか?」
    アル「どうもこうもないわ。便利屋はシャーレの仕事を引き継ぐ。そのために、事務所を移転するの」
    「え、えぇ!?」
    カヨコ「…理由を聞かせて。まさか、行政官に絆されたわけじゃないよね?」
    アル「きっかけではあるけど、情に流されたわけではないわ」
    ムツキ「じゃあなんで?シャーレの仕事なんて、アルちゃんの目指すアウトローとは真逆なんじゃない?」
    アル「確かにそう思っていたわ。昨日まではね」
    「え?」
    アル「シャーレがアウトローの真逆だなんてとんでもない。むしろ一心同体と言ってもいいかもしれないわ」

  • 89@user-gw1hk8im525/10/22(水) 22:41:53

    カヨコ「何?どういうこと?」
    アル「気づいてしまったの。シャーレとは、便利屋の終着点そのものということに。
       思い出してみて。シャーレは、別名でなんて呼ばれていたか」
    ムツキ「え?連邦捜査部シャーレ、でしょ?」
    アル「それは正式名称!別名があったでしょ!!」
    カヨコ「ええと…たしか、超法規的機関……あ」
    ムツキ「ま、まさか、アルちゃん…」
    アル「気づいたようね。そう、シャーレの別名は、超法規的機関。
       あらゆる規則や法律を超え、各学園へ介入する権限を持つ。
       超法規的…法を超える…つまり、『法(ロー)』を『超越(アウト)』する存在…」
    「あ!!ま、まさか!!アル様!!」


    アル「その通り!!つまり、シャーレこそが、アウトローを象徴する総本山だったわけよ!!!」


     言葉が出ませんでした。
     感動で、心から震えていました。

     まさかアル様の憧れていたアウトローの象徴とも言える存在が、先生の居たシャーレだったなんて。

     便利屋68と、超法規的機関シャーレ。
     こんな共通点があったなんて。
     この出会いは、運命によって導かれていたとしか考えられません。

    ムツキ「…アウトローってそういう意味だったっけ」
    カヨコ「まぁ、解釈は人それぞれだから…」

     ムツキ室長とカヨコ課長がボソリと何かを呟いていましたが、感動の余韻で耳に入ってきませんでした。
     きっと私と同じように、アル様の聡明さに感動していたに違いありません。

  • 90@user-gw1hk8im525/10/22(水) 22:44:31

    カヨコ「…まぁ理由は分かったよ。でも、便利屋はどうするの?シャーレを引き継ぐってことは、便利屋は解体ってこと?」
    アル「それはないわ。あくまで便利屋68は存続させる。私たちは連邦生徒会から業務を受注して、それを遂行する。委託契約に近いかしらね」
    ムツキ「うーん、いまいち気が乗らないなー。シャーレの仕事って地味なものばかりじゃん?アウトローのアの字もないと思うけど」
    アル「それは違うわ。確かに職務内容は事務作業がほとんど。
       でも、皆だって覚えているでしょ?
       悪徳業者、正体不明の怪物、次元を超えた大戦争。
       シャーレはあらゆる脅威を打倒し、退けてきた」
    カヨコ「…まぁね」
    アル「強大で未知の敵…その最前線は、シャーレにこそあるのよ。
       ふふっ。考えただけでもゾクゾクしない?」
    ムツキ「くふふっ。確かに♪」
    アル「それに、仕事の内容はともかく、先生の生き様はアウトローだったと思ってるわ。
       己の信念を曲げず、何物にも縛られず、あらゆる絶望にも屈しない。
       これをアウトローと言わずして何て言うのかしら」
    「アル様…素敵…」

    アル「ギリギリの4線こそ、便利屋68の真の居場所。その意味では、シャーレこそが最も相応しい。これが、理由よ」

     そう言って、アル様は不敵に笑いました。
     ああ、アル様、カッコ良すぎます…。
     アル様の行くところなら、たとえ4線でも地獄でも、私はお供いたします…。


    カヨコ「…素直に先生の意志を継ぎたいって言えばいいのに」
    ムツキ「いいんじゃない?真面目で、変に見栄っ張りで、とってもカッコいいところ、アルちゃんらしいし♪」

     また、カヨコ課長とムツキ室長がこそこそと何か話してましたが、きっとアル様の溢れる魅力に感銘を受けていたんだと思います。

  • 91@user-gw1hk8im525/10/22(水) 22:45:43

    カヨコ「分かったよ。連邦生徒会の下につくならご免だったけど、そうじゃないなら賛成」
    ムツキ「私も私も☆便利屋が残るならオッケーだよ♪」
    「わ、私はアル様の行くところなら、どこまでも!!」
    アル「決まりね!ハルカが退院次第、移転準備を始めるわよ!」
    ムツキ「まずは連邦生徒会を丸め込まなきゃねー。普通に話しても門前払いだろうし」
    アル「む、ぐ……だ、大丈夫!話せば分かるはずよ!!」
    カヨコ「結局、行き当たりばったりね、はぁ…」

     そんなやり取りがありましたが、私が退院する頃には、本当に事務所の移転ができました。
     連邦生徒会との委託契約も、あっさりと認められました。
     業務提携について、リンさんがこう言っていたそうです。

    「人手は多いに越したことはないので」

     と、とても単純な理由でした。

     こうして、便利屋68:シャーレ営業本部の運営が始まったのです。

  • 92@user-gw1hk8im525/10/22(水) 22:47:47

     最初は、上手くいきませんでした。

     立ち上げたものの、依頼は全くといっていいほど来ませんでした。
     たまに商店街の掃除、ボランティア活動などの依頼がくることもありましたが、ミスをしてしまったりトラブルに巻き込まれたりで失敗することもありました。
     『先生のシャーレを名乗るなんて不謹慎』『これなら私がやる方がまだマシ』『そもそも便利屋って誰?』
     といったような、冷ややかな反応が後を絶ちませんでした。

     依頼が来ない時は、連邦生徒会の事務仕事を手伝います。
     はっきり言って量が異常です。
     各学園からの要望書、報告書、請求書、受領書、調書、議事録、エトセトラ、エトセトラ。
     ありとあらゆる書類がデスクの上に山積みになり、空になった日はありません。
     4人がかりで何日も徹夜しても全然終わらない事も日常茶飯事でした。

     しかし地道な広報、積み上げた実績、関わってきた学生との信頼関係。
     続けてきた努力が実を結び、便利屋68:シャーレ営業本部が徐々に認知されるようになりました。

     更に嬉しいことに、かつて私のお見舞いに訪れた生徒さんたちが、手伝いを申し出てくれました。
     膨大な事務仕事の補佐、荒事解決のための鎮圧、それぞれの出身自治区の橋渡しなどを担ってくれます。
     かつての先生の「当番」のように、皆さんは真剣に取り組んでくれました。

  • 93@user-gw1hk8im525/10/22(水) 22:49:59

     しかし、良いことばかり続きません。

     便利屋68がキヴォトスに知れ渡るにつれ、その運営に反対する人が増えてきました。
     キヴォトスから慕われていた先生の立場を騙るような真似は許せない。
     ましてや特定の学校、ゲヘナの学生集団が担うなんて言語道断だ。
     という批判が、日に日に増えてきました。

     特にトリニティ自治区の生徒からの反発が凄まじく、連日のように抗議の電話や封書が続きました。
     ゲヘナはシャーレの実権を握り、キヴォトスを混乱に陥れるつもりではないか。
     そんな憶測まで飛び交い、やがてはシャーレビルの前にデモ隊まで現れるようになりました。
     そして、便利屋68の解体を求める署名活動まで始まってしまいました。

     しかし、そこへ意外な人が助け舟を出してくれました。


     ゲヘナ学園のトップ、羽沼マコト議長です。


     マコト議長は何度も、トリニティ総合学園へ足を運んだそうです。
     ある日は万魔殿のメンバー全員で、またある日はあえて単身で。
     何度も門前払いを受けても、トリニティ生から石やゴミを投げつけられても。
     陽が照り付ける日も、雨の日も、嵐の日も。
     マコト議長は諦めずに通い続けました。
     その根気に負け、ついにはティーパーティーとの会合が実現しました。
     話した内容は分かりませんが、会合は1か月近く続きました。

  • 94@user-gw1hk8im525/10/22(水) 22:51:43

     そして会合が終わり、1つの式典が開かれました。
     会場は、シャーレビル前。
     壇上にはティーパーティー、万魔殿、アル社長、そしてリン生徒会長代行の姿がありました。
     式典にはトリニティとゲヘナの代表が共同で声明を発表し、それぞれが声明に署名。
     そして最後には両校の代表が熱い握手を交わし、証人としてアル社長とリンさんが見守る形となりました。

     これは後日、『エデン協定』として語られる出来事です。

     声明の内容は、簡単にまとめると以下のとおりです。

    1.ゲヘナ学園はトリニティ総合学園に対し行った侮辱行為を公式に認め、正式に謝罪する。トリニティ総合学園はこれを受け入れる。
    2.トリニティ総合学園はゲヘナ学園に対し行った中傷行為を公式に認め、正式に謝罪する。ゲヘナ学園はこれを受け入れる。
    3.ゲヘナ・トリニティの両校は双方の関係改善に努め、両校の交流促進に向けて万進するものとする。
    4.ゲヘナ・トリニティの両校は便利屋68:シャーレ営業本部の活動を正式に認め、これを支援する。
    5.ゲヘナ・トリニティの両校は便利屋68:シャーレ営業本部を私的に保有・占有・侵害することを固く禁ずる。

     この協定の後、私たちに対する誹謗中傷はほとんどなくなりました。
     後日、アル様がマコト議長へお礼に訪れたのですが、断られてしまいました。

    「礼だと?くだらん、不要だ。あれは私なりの先生への手向けだ。お前たちやトリニティのためでは断じてない」

     とのことでした。
     アル様は、ちょっとカッコいいじゃない…と悔しそうにしてました。

  • 95@user-gw1hk8im525/10/22(水) 22:53:29

     また、ティーパーティーの方々にもお礼に伺いました。

    ナギサ「お礼を申し上げるのは此方の方です。念願だったゲヘナとの平和協定、叶えられてとても光栄に思います」
    セイア「同感だ。ああ、そうそう。あの式典は、エデン協定と呼ばれているそうだよ。
        条約ではなく協定…ふふっ、私はこの呼称を気に入ってるんだ。
        規則や条文ではなく、相手の善意に委ねるという声明…人によっては曖昧模糊で無意味と言うだろう。
        だが、それがいい。その方がいいとも言える。そうは思わないかい?」

     ナギサさんとセイアさんからは、とてもスマートな対応をされました。
     でもミカさんは、ずっと険しい表情のままでした。

    ミカ「勘違いしないで。私、やっぱりゲヘナは嫌い。きっと、一生好きにはなれないと思う。
       …でも、もう憎むのはやめる。じゃないと、いつまで経っても前に進めないから」 

     そう言っていたミカさんの表情は、何故だか憑き物が落ちたような、とてもスッキリしていたように思えます。


     
     そうした困難に見舞われつつも、あっという間に1年の時が過ぎていきました。

  • 96@user-gw1hk8im525/10/22(水) 22:55:47

     すっかりと陽が落ちて暗くなり、1人になった執務室で私は残業をしていました。
     日直の日誌の確認、活動記録と弾薬等の消費調書の作成をしていたところです。
     今日は百鬼夜行で百花繚乱調停委員会の訓練の視察、突発的に発生した魑魅一座との衝突の制圧を行っていました。

     今日の出来事を振り返りながら、私はこの1年を思い返していました。


     キヴォトスのこと。

     先生を失ったキヴォトスは、例外なく悲しみに囚われました。
     ですが大半の生徒は、自分なりに踏ん切りをつけたみたいで、前を向こうと頑張っています。
     私たち便利屋の活動も、最初は疑念や反発がありましたが、今ではだいぶ受け入れてくれるようになったと思います。

     それでも、立ち直れない人もいました。
     先生への想いが強すぎて、無気力になり、部屋に籠ってしまう人も大勢いました。
     そんな人へは私が赴きます。
     夢の中の先生へ相談し、その人への先生からの伝言を届けるのです。
     私の中に先生がいると知られると大事になるため、大抵は遺言という形で伝えますが。
     その甲斐もあって、ほとんどの生徒は先生の4を受け入れてくれました。


     便利屋のこと。

     大きく変わったのは、なんといっても従業員数です。
     春になり、私たちの業務を頻繁に手伝ってくれた生徒が、卒業後になんと便利屋への就職を申し出てくれたのです。
     私が入院時にお見舞いに来てくれた人、その人に付いてきた人。
     新入社員が一気に増えて、アル様は温かく歓迎し、役職を授けました。
     ホシノさんには専務、ヒナ委員長には部長、ヒナさんに付いてきたアコ行政官には副部長といった感じです。
     今や、便利屋68の従業員数は50人を超えています。
     …まぁ、私はアルバイトなので一番下っ端なんですが。

  • 97@user-gw1hk8im525/10/22(水) 22:56:51

     去っていった人たちのこと。

     でも、残ってくれる人もいれば去ってしまう人もいます。
     キヴォトスにいるとどうしても先生を思い返してしまうからと、卒業と同時に去っていく人もいました。

     私が知る中で以外だったのは、マコト議長でした。

    「先生のいないシャーレもキヴォトスも、興味はない」

     とだけ言い残し、去っていったそうです。

     余談ですが、先生の執務室と机はそのままにしてあります。
     経営顧問は先生以外にありえない。だから彼の席は永久に残すと、アル様がお決めになったことです。
     先生と関りがあった人がキヴォトスを去る際、示し合わせたように皆は思い出の品を先生の机に置いていきました。

     万魔殿の軍帽、狐のお面、補修された水着、ドラゴンのスカジャン、屋台巡りのパンフレット、犬の足跡マークが付いた白のマグカップ。

     その他にも色々なものが置かれ、先生の机の上はあっという間に思い出の品でいっぱいになりました。
     思い出を置いていくのは、先生との決別。
     そして思い出は、心の中に残してこそ意味があるという意志の表れなのだと思いました。

     どうか去っていった人たちが、キヴォトスの外でも元気で暮らしていけますように。
     そう、切に願う毎日です。

  • 98@user-gw1hk8im525/10/22(水) 22:58:52

     アル様たちのこと。

     便利屋68の初期社員の4人も、色々とありました。

     アル様はあまり変わりません。
     便利屋の皆をまとめ上げ、鼓舞し、前線も張って出る。
     いつまでもカッコよく、優しいアル様のままです。

     アル様で変わったことと言えば、お気に入りの掛け軸を飾らなくなったことでしょうか。
     『一日一惡』の掛け軸は、先生の机の上にそっと置いてあります。


     カヨコ課長は、アル様の補佐という点は変わりません。
     庶務が板についてきて、いつも机とにらめっこしています。
     
     ただ、生徒さんからの相談事によく乗るようになりました。
     特に、先生の事を引きずっている生徒さんへのカウンセリングが多い印象です。
     初めは怖がられていましたが、今では多くの生徒さんから慕われるようになりました。

     きっと、先生から最後に託された『宿題』に、真剣に向き合っているのだと思います。

  • 99@user-gw1hk8im525/10/22(水) 23:00:01

     一番変わったのはムツキ室長かもしれません。
     なんと、研究員になりました。
     もともと爆弾や機械をいじるのが好きだったムツキ室長は、意外に楽しそうに研究をこなしていました。
     『ある意味、やっと室長らしい仕事じゃない?』と、ムツキ室長は笑っていました。

     研究分野は、再生医療、バイオマテリアル、生体工学、他にもたくさんですが…。
     一言でまとめると、『人工臓器に関する研究』です。

     理由は、聞くまでもありません。
     研究者の道を進むにあたって、ムツキ室長は言いました。
     『もう二度と、後悔したくないから』
     その表情は、今まで見たことないくらいに真剣そのものでした。


     そして私は…先生の真似事をやっています。

     アル様たちと一緒にキヴォトス中を駆け巡って、学園の問題に向き合っていきます。
     戦闘が発生した際は、シッテムの箱を使って指揮を行います。

     シッテムの箱は本当に凄いものです。
     敵と味方の配置が、高性能のドローンカメラを通じて見ているみたいに完璧に把握できます。
     生徒への指示もほぼ時間差なしで行え、不思議なことに敵の士気や味方の残弾数、コンディションまで分かる代物でした。
     おかげで突っ込むことしか能のない自分でも、指揮の真似事ができるくらいでした。

     アル様とともに問題解決をこなし、先生のような指揮をしているせいか…。
     最近になって、『先生』と呼ばれることが増えてしまいました。

     そのように呼ばれると…
     胸の奥が、チクリと痛みます。

  • 100@user-gw1hk8im525/10/22(水) 23:01:35

     先生のこと。

     先生とは、今でも夢の中で会います。
     仕事の報告や、傷心している生徒への伝言を預かるために。
     ですが最近は、会える頻度が減ってしまいました。

     はじめは2・3日に1度会えていましたが、それが1週間、10日と伸びていき、今では一ヶ月に1度会えるかどうかになってしまいました。
     先生の顔も声も、どんどんぼやけていくようになりました。
     そのことを先生に話したところ、

    「きっと、私の心臓がハルカに馴染み始めているんだ」

     と仰っていました。
     私の中にあるのは、先生の心臓。だから先生の魂が残っていて、私と会話ができる。
     でも、先生の心臓が私の体に馴染んできているということは、それは私の体の一部になりつつあるということ。
     だから先生の魂が、薄れてきているのかもしれない。
     そういう理屈だそうです。

     そして先生はハッキリと言いませんでしたが、私にはなんとなく分かってしまいました。


     先生と会える、『最後の日』が、近い内にくるだろうということに。

  • 101@user-gw1hk8im525/10/22(水) 23:03:17

    「ふぅー…」

     1年を振り返って、私はため息を吐きました。
     改めて思います。
     まだ、自分が生きていることが不思議に感じたのです。

     正直なところ、まだ自分には生きる価値があるとは思えません。
     いざとなれば、アル様たちの盾になって散ればいい。そう思いながら生きていたからこそ、辛くありませんでした。
     ですが便利屋が、他の社員が、そしてキヴォトスの皆さんに支えられながら、私は今日まで生き永らえていました。

    ”だからもう大丈夫だよ、ハルカ”

     ふと、先生の言葉を思い返しました。
     かつて言われた言葉を思い出したのか、それとも心の中の先生が語り掛けてくれたのか。

     先生の言う通り、私はまだ生きてます。
     周りの人たちに、いつの間にか支えられながら。
     前の私なら、私なんかに時間と手間を使わせて申し訳ないと思いそうなものです。
     だけど今は…不思議なことに、悪い気はしませんでした。

    ”だって、ハルカは私だから”

     未だに実感が沸かない、先生の台詞。

     あれから何度も考えました。
     先生と私は似ている。それはそうかもしれません。
     謙虚なところとか、後先を考えないところとか。
     共通の性格はあるのかも、と最近は思えてきました。

  • 102@user-gw1hk8im525/10/22(水) 23:05:16

    ”ハルカと私はよく似てる。だからほっとけなかった。助けたかったんだ”

     でもこの台詞だけが、どうしても引っかかってしまいます。

     先生は、私が自分とよく似ている、だから助けたかったと言っていました。
     でも、私はそうではありません。
     少なくともあの同意書を書いた時は、そんなことは微塵も考えられませんでした。

     どうして私は、先生のことを助けたいと思っていたのでしょうか。

     その理由が分からなくて、心の一部が空いたままのようでした。
     何か、とても大事なことを、ずっと見落としているような。

    「…はぁ」

     深いため息が漏れます。
     自分が情けなく思えてきました。

     他の生徒は先生の4を受け入れて、前を向いているのに。
     先生がいないのに、それでも懸命に生きていく彼女たちの姿が、とても眩しく感じます。

     対して私は、奇跡みたいな巡り合せで先生と会えているのに。
     結局まだ気持ちの整理がつかない自分に、失望してしまいます。

     もうすぐ、先生に会えなくなるのに。

  • 103@user-gw1hk8im525/10/22(水) 23:06:50

    「…ん?」

     ふと、思いました。
     先生の4と向き合えた生徒たちは、なんて言っていたでしょうか。

     彼女たちは、なんて言っていたか。

     先生に、何を伝えていたのか。

    ”こんなことになるなら…あなたにちゃんと、想いを伝えてれば良かった!!”
    ”私の気持ちだって、伝えてないのに!!”
    ”その言葉を言っていいのはね。私の大好きな人だけなの。”


    「あ…」


     そうか。
     そう、だったんだ。
     私は、先生が私に似ているから助けたかったんじゃない。
     先生を、助けたかったのは



    「私……先生のこと、好き、だったんだ……」



     本当に、自分はどこまでも愚図なんだろう。
     こんな大切なことを、今になって思い出すなんて。

  • 104@user-gw1hk8im525/10/22(水) 23:08:04

    「あ、ああぁ、あああぁぁぁぁ……」


     叶わないと思いました。
     自分なんかが、と諦めていました。
     だから押し込めて、目を背けて。
     気が付けば、忘れていました。
     叶わないなら、せめてお役に立ちたかった。
     命に代えてもお守りしたかった。

     私の大好きな人を、ただ守りたかった。



    「う、うぅ、うぁあ、あ、あああああああああああああああああああああああっ!!!」



     私は、大声で泣きました。
     悔しくて。虚しくて。
     そしてどうしようもなく、愛おしくて。
     思い出したこと、ようやく取り戻した自分の気持ちが、溢れて止まりませんでした。
     枯れても、絞りつくしても、それでも涙はとめどなくて。

     世界が、ひっくり返ったようでした。


     そして気が付けば私は、あの河原にいました。

  • 105@user-gw1hk8im525/10/22(水) 23:10:23

     その日の河原の景色は一段と霧が濃く、川のせせらぎもほとんど聞こえませんでした。

    「せん、せ…?」

     先生の姿を探します。
     かろうじて、影のようなものを見つけることができました。
     もう、姿がほとんど分かりません。
     何かを喋っているかのように動いていますが、まったく聞こえません。

     私は理解しました。
     今日が、その日なんだ。

     先生と会える、最後の日なんだと。

    「先生!!!」

     たまらなく、先生へ向かって叫びました。

    「私、あなたが好きでした!!ずっとずっと、大好きでした!!」

     消える前に、どうしても伝えたいことを。

    「かっこいいところも!優しいところも!私を認めてくれるところも!!」

     力いっぱい、叫びました。

    「本当に! 本当に!! 大好き、でした!!!」

     先生の顔は見せません。
     なんとなくですが、困ったような顔をしているような気がします。

  • 106@user-gw1hk8im525/10/22(水) 23:11:34

    「先生!ありがとうございました!!」
    「私を助けてくれて!私に、恋を教えてくれて!!」


    「本当に、本当に、ありがとうございました!!」


     先生の声は聞こえません。
     でも、「大丈夫だよ」と言ってくれている気がしました。

     好きって気持ちも、感謝の言葉も、全然足りません。
     本当は、もっともっと伝えたい。

     でもその願いに反するかのように。


     先生が、消えていきます。


    「あ……」


     薄まった泥に、さらに水を差すように。
     強風にさらされる、砂の城のように。

     先生の姿が、風景にどんどん溶けていきました。

     駆け寄って、手を伸ばします。
     ですが、近づくことは決してありません。

  • 107@user-gw1hk8im525/10/22(水) 23:12:55

    「まっ……」


     待って。

     行かないで。

     離れないで。

     ずっと、私の傍にいてほしい。

     本当は、そう言いたい。
     叫んでしまいたい。

     でも、それは言えない。
     口にしてしまったら、それは呪いになってしまうから。


     だから、私が言いたかったことは、これじゃない。




     私が、本当に伝えたかったことは――――





    「さ……よ…な………ら……」

  • 108@user-gw1hk8im525/10/22(水) 23:13:58

    .












    「さようなら…先生、さようならぁ!!!」













    .

  • 109@user-gw1hk8im525/10/22(水) 23:16:04

     私は、叫びます。

    「せんせぇ…!だいすきぃ…!ひっぐ、ありがとう…ござい、まじだぁ!!」

     先生へ、愛と、感謝と、別れを。

    「さようなら!せんせぇ……さよ、ひっぐ、さようならぁ!!」

     涙と、心が枯れるまで、叫びました。

    「ぜん、ぜぇ……ひっぐ…さよ、なら……う、うぅぅ……」

     もう、先生の姿は見えません。
     でも何故でしょうか。
     暖かい手に、ずっと撫でられてる気がしました。


    「あ、あぁ、うぅぅぅ、うあああああああああぁぁぁぁぁぁぁ………」


     やがて、全てが白くなっていきます。
     濃かった霧が視界を覆いつくして、何も見えなくなります。
     川の流れる音も、私の慟哭も。
     もう、何も聞こえません。



     やがては私の意識さえも、白くなっていきました。

  • 110@user-gw1hk8im525/10/22(水) 23:17:16

    .




     さようなら、大好きな人。

     さようなら、大切な人。

     さようなら、愛する人。



     ずっと、ずっと。


     世界が終わっても。


     大好きな人。






    .

  • 111@user-gw1hk8im525/10/22(水) 23:19:33

     シャーレの執務室で、目が覚めました。
     外を見ると、朝日が昇り始めています。
     体を起こし机を見ると、一番手前の書類が、涙でちょっとふやけていました。
     川ができるかってくらい泣いたと思っていたので、あまり濡れていないことにちょっと驚きました。

     身体を伸ばし、起き抜けにコーヒーの用意をすることにしました。
     給湯室から自分用のマグカップを出し、インスタントコーヒーを淹れます。
     何となく目を向けた外の景色に、違和感がありました。

    「あれ……?」 

     なんでしょう。窓から見える風景が、いつもと違うような気がします。
     いつもと変わらない朝のはずなのに、何故か目を離せません
     今まで、眩しいとしか思っていない朝日が、とても綺麗に思えました。
     朝の光の中に、様々な色がキラめいていることを初めて知りました。

     外の音も、いつもよりハッキリ聞こえます。
     風の音、車の走行音、鳥のさえずり。
     何てことない朝の音たちが、ちょっとした音楽のように思えてしまうのは何故なのでしょうか。

  • 112@user-gw1hk8im525/10/22(水) 23:20:51

     手に取ったコーヒーの香りも、どうしてこんなに新鮮に感じるのでしょうか。
     いつもと同じコーヒーなのに、香りの中に少しだけ酸味があることを初めて感じました。

     一口だけコーヒーを啜ります。
     美味しい。
     苦いとしか思ってなかったのに、苦さの中にほんの少しだけ甘さがありました。

     何故でしょうか。
     昨日まで、霞んでいた景色が。
     今ではとても色めいたように思えるのは。
     
     上手く、言葉にできませんが…


     世界って、こんなにも生きていたんだと思いました。

  • 113@user-gw1hk8im525/10/22(水) 23:21:59

     少し経って、アル様が出勤してきました。

    「あら、ハルカ。早いわね」
    「あ、はい、アル様。おはようございます」
    「また泊り?無理はしないでね」

     泊ってしまったことをお詫びしつつ、アル様へコーヒーはいかがですかと尋ねました。
     アル様は、いただくわと言ってくれました。

    「…ハルカ。何かあった?」
    「あ…分かります?」
    「そりゃもう。ハルカのことだもの」
    「…はい。えへへ」

     給湯室からアル様のマグカップを取り出し、水を張って一旦電子レンジで温めます。
     アル様は、あらかじめカップを温めてから淹れたコーヒーがお好きなので。

    「…先生と、お別れをしました」

     私の一言に、アル様が息を吞んだのが分かりました。
     
    「…前に言っていた、最後の日、ってやつ?」
    「はい。きっと、もうあの夢は見ないと思います」
    「…そう」

     カップにインスタントコーヒーとお湯を注ぎます。
     アル様の好みは完璧に分かっています。
     コーヒーはちょっと濃いめ、ミルクはなし、そして砂糖を1つまみだけ。

  • 114@user-gw1hk8im525/10/22(水) 23:23:54

    「ありがとう、ハルカ」
    「え?」
    「先生に、ちゃんとお別れを言えるのはあなただけだから。あなたが、その役目を果たしてくれて嬉しいわ」
    「…はい」

     できあがったコーヒーを、アル様にお渡しします。
     アル様は、ありがとうと言って受け取りました。

    「ねぇハルカ。先生がいなくなって、寂しい?」
    「…寂しいです。きっと、一生寂しいと思います」
    「…そうよね」
    「でもなんだか、悲しくないんです」
    「え?」
    「不思議なんです。私、先生ともう会えなくなったら、すごく辛いんだろうなって。絶対に絶望するんだろうなって思ってました」
    「……」
    「でもいざお別れをしたら…もういないって思うより、こんなに一緒にいてくれたんだなぁって思えて…」
    「…えぇ」
    「ええと、上手く言えないんですけど…とにかく、大丈夫でした」
    「…良かったわ」

     アル様はそこでコーヒーを啜りました。
     今日も変わらず、おいしいわと言ってくれました。

  • 115@user-gw1hk8im525/10/22(水) 23:25:17

    「アル様。聞いてくれますか?」
    「何?改まって」
    「改めて、本当にありがとうございます」
    「え?」
    「私を何度も助けてくれて。私を見捨てないでくれて、本当にありがとうございました」
    「…お礼を言われるほどのことじゃないわ」
    「それでも、ちゃんと伝えたくて。これからも、どうかよろしくお願いします」
    「ええ。こちらこそ、よろしくね、ハルカ」

     アル様はそこで、もう1度コーヒーを啜りました。

    「もう大丈夫なようで安心したわ。なんだか、あの日が懐かしくなるわね」
    「え?」
    「ハルカが入院していた日。あの時は本当に大変だったけど…」
    「…はい」
    「…ハルカ。あの日から、気持ちは変われたかしら?」

     アル様はマグカップを置いて、尋ねました。

  • 116@user-gw1hk8im525/10/22(水) 23:26:24

    「…はい。私はあの日、一刻も早く4ななければって思ってました」
    「…ええ」
    「でも、先生と夢で会えて…そこからは、生きなければと思っていました。生きて、償わなきゃって」
    「…そう」


    「でも今は……生きたい、って思っています」


    「え…?」
    「先生が託してくれた命で…精一杯、生きたいです。アル様たちと、一緒に」
    「ハル、カ……」
    「それで、先生が助けたかった人たちを、今度は私たちが助けられたらって」
    「……」
    「そうなれたら、とっても素敵だと思います」
    「……」
    「あ、もちろん、先生への感謝とか、申し訳なさを忘れたわけではありません!そこは、一生背負っていくものだと思っていますから!」
    「…ッ」
    「…ごめんなさい。私、頭が悪いから上手く言えないんですけど…でも」

  • 117@user-gw1hk8im525/10/22(水) 23:27:52

     そこでアル様は突然立ち上がって。

     私を、力いっぱいに抱きしめました。






    「おかえりなさい……ハルカ…平社員……」




     アル様のその一言が聞けて、情けないことに、また涙がこみ上げます。
     あんなに泣いたのにと思っても、不思議と涙はどんどん溢れてくるものでした。
     そしてそのまま、アル様と抱き合って、2人で泣いたのでした。


     先生。ごめんなさい。
     私はまだ、未熟です。
     でもどうか、今日だけは泣かせてください。

     私は、生きていきます。
     あなたのもういない、この世界ではなくて。
     あなたが生きていてくれた、この世界に。
     あなたが愛した、この世界で。


     生きて、いきますから。

  • 118二次元好きの匿名さん25/10/22(水) 23:30:07

    このレスは削除されています

  • 119@user-gw1hk8im525/10/22(水) 23:31:10

    ~そしてこれはそう遠くない未来の、シャーレの執務室~

    「あぁもうー!!またレッドウィンターでクーデターよー!?」
    「社長、いい加減に慣れなよ。そんな珍しいことでもないでしょ?」
    「そうだけど!それにしたって今週で8回目よ!?世紀末でももうちょっと平和じゃないのー!?」
    「ねぇねぇアルちゃん~?ちょぉっと、欲しい機材ができちゃってぇ…ごめん、お金貸して★」
    「またぁー!?この間、基金が下りたばかりでしょー!?ユウカ会計とアオイ監査長に言い訳をする私の身にもなってよー!!」

    『社長!!万魔殿のイブキ議長から直通電話が!』
    『ティーパーティーからもです!謎の宗教団体「ワッピルギスの夜」の件で至急相談したいと!』
    『ミレニアムのセミナーからもです!突如として巨大ロボが出現したと!』
    『朽木修羅先生がまたサイン会から逃亡したと、お祭り運営委員会から…』
    『ワイルドハントのオカ研が、降霊術で先生を呼ぼうと爆破騒動を!』
    『ハイランダーが銀河鉄道建設のため、また無茶な工事を!』
    『大変です!オデュッセイアのクルーズ船に、謎の雀士キキの姿が!このままでは学園が破産します!』
    『ヴァルキューレの矯正局から、十傑囚の1人が脱獄したと!至急、応援を頼むとのことです!』
    『SRTからもです!ミヤコ曹長の訓練が厳しすぎると、ストライキが発生しました!』


    「あぁもうー!!今日もキヴォトスは平和ねー!?!?」

  • 120@user-gw1hk8im525/10/22(水) 23:33:22

    「私、そろそろ行ってきます!」

    「あ、待って!今日の外出先は?」

    「アビドスです!アビドス砂祭りの設営を手伝ってきます!駅で、ホシノ専務と合流予定です!」

    「…そう。気を付けて行ってらっしゃい、『平社員』」

    「早く帰ってね、『先生』」

    「くふふっ。皆にもよろしくね、『先生』♪」




    「はい!行ってきます、社長、皆さん!さぁ、今日も頑張りましょう!アロナ!プラナ!」




    ~おしまい~

  • 121二次元好きの匿名さん25/10/22(水) 23:34:37

    神作

  • 122@user-gw1hk8im525/10/22(水) 23:35:14

    長々長々と申し訳ありませんでした…。
    渋の方にはスレが落ち次第週末にでも完結編を投稿予定。

    じゃあの

  • 123二次元好きの匿名さん25/10/22(水) 23:41:42

    >>122

    お疲れ様です!楽しかったです!

  • 124二次元好きの匿名さん25/10/22(水) 23:45:19

    すごい……読み応えあってすんなりと最後まで読めました。特大の曇らせをこんなに上手く晴らせにできるのすごいなぁ……

  • 125二次元好きの匿名さん25/10/22(水) 23:52:37

    長めだけど改行や空白が丁寧でそれぞれの言動が浮かび上がってきて読みやすかったです

    先生が消えていったのって心臓がハルカの身体に馴染んだのもあるんだろうけどようやくハルカ自身が先生が願っていたその先へ進み始めたってのもあるんだろうな…

  • 126二次元好きの匿名さん25/10/23(木) 05:30:24

    昨夜途中まで読んでようやく今読み終わった
    大作をありがとうございました

    ハルカは勿論のこと、皆ちゃんとこの出来事をきっかけに「成長」してて感動したよ

  • 127二次元好きの匿名さん25/10/23(木) 13:47:10

    おつ

スレッドは10/23 23:47頃に落ちます

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