【SS】マルクト「ヒマリ、千年難題を解き明かすのです」Part15

  • 1125/11/05(水) 19:09:22

    【SS】マルクト「ヒマリ、千年難題を解き明かすのです」Part15


    機械と人間と会長の話。


    オデュッセイア海洋高等学校が手配した豪華客船で過ごすしばしの休息。

    失われた『過去』からの絶叫。ミレニアムに残されたドッペルゲンガーが遂に動き出す。


    ※独自設定&独自解釈多数、オリキャラも出てくるため要注意。前回までのPartは>>2にて。

  • 2125/11/05(水) 19:10:50

    ■前回のあらすじ

     多くの物語が紡がれたミレニアム総力戦は無事に終わ






    ■前回のあらすじ

    ■前回のあらすじ


    ■前回のあらすじ

     暗闇から聞こえた声はビナーのものであった。

     迎えに行く■■■■。開かれる未来。それは悲しい物語が遂に終わることを意味した。


     そしてクラフトチェンバーから告げられる奇妙な事象変動。

     存在しなかったはずの次元に干渉できるかも知れないという言葉から、■■■■は■■■■と共にキーストーンの回収に赴く。



     それが全ての始まりだった。


     第八章:エーイーリー -愚鈍- 始


    ▼Part14

    【SS】マルクト「ヒマリ、千年難題を解き明かすのです」Part14|あにまん掲示板未来予知の秘密を解体する話。ビナーvsミレニアム。見える未来と見えない未来。学園に迫るは夜の闇。極限の果てで見出すのは世界の秘密。千年難題、四番目の真理――。※独自設定&独自解釈多数、オリキャラも出て…bbs.animanch.com

    ▼全話まとめ

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    ▼ミュート機能導入まとめ

    ミュート機能導入部屋リンク & スクリプト一覧リンク | Writening  【寄生荒らし愚痴部屋リンク】  https://c.kuku.lu/pmv4nen8  スクリプト製作者様や、導入解説部屋と愚痴部屋オーナーとこのwritingまとめの作者が居ます  寄生荒らし被害のお問い合わせ下書きなども固…writening.net
  • 3125/11/05(水) 19:16:40

    ※埋めがてらに、前スレで描いて頂いたキャラクターたちについての感想と小話をば

    ▼セミナー会計、久留野メト
     極めて内向的。微生物の観察とスケッチが趣味だった生徒。別名、ミレニアム最強のハッカー。リヴァイアサン:オーバーウェルマー。
     社会性は死んでいるというコンセプトで尖ったオタクの煮凝りみたいなテイストをお出した結果、こんな素敵なイラストに起こしてもらえました。

     リオ達が一年生時代のセミナー会長に見出されていなければ埋没していたであろう個性と特性ですが、その辺りの話はとりあえず遠くに投げておきましょう。

     特定の状況下における特異な才能を発揮する≒ユズと言われて得心がいってしまったキャラクターです。というか、私が思う『尖り切った才能を持つ生徒が集まる学園』で思いついたのがメト会計なのですが、そう考えるとユズってなろうとかにいてもおかしくないほどの一点突破な個性持ちですよねぇ……?

     こういう子だからそりゃやばい。だって見てください。逆張り狙っても狙わなくてもこいつは何かやりますよ!? ハルカで知ってんだぁ! こういう子ほど爆発力がヤバいんだって!!

  • 4125/11/05(水) 19:17:50

    ▼セミナー書記、燐銅ハイマ
     こちらはメト会計より酷い『自覚できてないタイプ』のコミュ障。別名、ミレニアム最高のコマンダー。ベヒーモス:ランドキーパー。
     ネルを『ミレニアム最強』に置いて『No.2』をアスナに置いた上での3~5に位付けされるランカーです。

     ワンツートップは絶対指針として定めておきたい『からの』No.5圏内。
     黒手袋を嵌めて業務を執行する仕事人。ゲーム好きの設定は完全に手癖で出したちょけ方ですね。兎のことを真顔でうさちゃんとか言うのも同じく。

     会計と書記は最強と最高ということでリヴァイアサンとベヒーモスを冠してますが、別に作中の人物がそう呼ぶことはありません。本当に地の文でのみ出て来る異名です。
     それと『メト』と『ハイマ』でヘブライ語にすると『死』と『生』になる……という小ネタを挟もうとしたものの、『ハイマ』に『生』のニュアンスがあると思っていたことが勘違いだったのでボツになりました。ただのハイマです。何処で勘違いしたんだろう……? かなしい。

     そして個人的にはチェスとeスポーツ、新旧の競技ゲームを得意とする部分を見てくださって大変うれしい! チェスボードをイメージしたであろう髪色やコントローラーモチーフの服の装飾など、書かれていない部分からここまで組み上げて書いて頂けるとは流石と言わざるを得ません。というか私がまともに外見イメージを書いていないのに一目見て誰か分かるって凄すぎませんか?

     褐色眼鏡いいよね……。というか私はもしかすると眼鏡フェチだったのかもしれねぇ……。

  • 5125/11/05(水) 19:18:58

    ▼新素材開発部部長、山洞アンリ
     黒崎コユキが過去の世界に迷い込む話から続投。ちょい役から舞台に上がってきました新素材開発部!
     原作でもミレニアムプライスで解説されるぐらいには実績を残していたと思われるためスゴイ!とツヨイ!を盛りたかった……のでエンジニア部のかませ役になりました。

     基本的に原作キャラの凄さは盛りがちなので、かませ役もちゃんと盛らないとという方針です。
     外見イメージは正直に言うと何も考えてませんでした! というか高笑いさせて派手に負けるキャラを軸にしていたためずっと脳内でカスミが過ぎってしまい、「いやここで低身長キャラは色々被り過ぎるだろ……!?」と自分自身と殴っていた印象。

     そんな悪夢からもようやく覚めることが出来ました。そう! アンリ部長はこんな姿をしていた! やっと自分の中でカスミから離れられる! ってかすげぇ! え、なに食べたらこれが描けるんですか?

     『見た事も無い素材の防護スーツ=新素材』という説得力が高すぎます!
     インナーカラーやゴーグルも良いですねぇ! そしてほとんど意味を為していないほどに改造されたミレニアムの制服。すげぇや。一周回って「まいったぜブロ」みたいに肩を竦めるほかありません。

     いやマジで凄いなあの文からこの絵が出て来るの……。

  • 6125/11/05(水) 19:20:01

    ▼元化学調理部部長、仁近エリ
     最初に言います。ワイルドハント芸術学園の実装によってドンピシャで名前が被って出し辛くなった子です。魔法の力をお見せしないタイプのエリちゃんですね。

     そして白状します。逆転裁判とかでもある使い捨ての名前付きモブのつもりだったので全然設定を練ってなかったんですよねこの子……。
     ただ決めていたことがあって、ゆるふわそうに見えて全然ゆるふわじゃない。天然そうに見えて実際は全くの別物、といった感じで見た目や言動が中身と全く連動していない歪な子ということにしてました。

     とはいえ「その部分が出る場面ちゃんと作るなら一旦オマケ行きかなぁ」と思っていたのですが、オリキャラの数を数え直したらちょうど六人いたため急遽温泉旅行の三年生チームに抜擢されました。

     歪チャンスです。良い子ではあるけどちょっとおかしい。
     ……この子書いてるときずっと脳内で「君の雷帝、もっと個性出さないとこの子とあんまり変わらなくなっちゃうよ?」と悪魔に囁かれ続けていたり。

     さてさて、そんなエリ部長ですがこのイラスト、何がすごいってちぐはぐ感が大いに描かれているんですよね!
     蝶ネクタイとストレートネクタイを混ぜ込んだデザイン。笑っているように見えて笑ってない。笑顔に見えて薄め開けてるし、ピアスの跡もしっかり残っている。行間に書いてあった(!?)こと全部描かれてる! そうそう、こんな感じの外見描写を行間に書いた気がする。いやしません。しませんが見た瞬間ばちりと嵌まりました。すげぇ。

     いや先ほどから「すげぇ」としか言っていないのですが、ストレートに自分の感情を表現できる語彙が「すげぇ」と「やべぇ」と「まじやべぇ」しかないのでそこは目を瞑って頂けますと……ええ。ご容赦を。

  • 7125/11/05(水) 19:21:03

    ▼古代史研究会部長、神手フジノ
     原作でもありそうだけど絶対原作に出てくるわけが無い名前を付けよう!がコンセプトの古代史研究会部長です。名前だけは一番気に入ってます。
     チヒロと同じく社会に出ているタイプの生徒。公私をきちんと分けられるのですが、公の場に出て来る場面は無いため柄の悪い委員長みたいな感じで書いてます。生徒会とは違うタイプの社会的地位高めな子ですね。

     動きやすいショートパンツに白手袋。そして何より考古学者っぽい帽子!
     カウボーイハットというかソフト帽というか、これに考古学者のイメージを私が持っているのは確実にインディ・ジョーンズの影響ですね。
     メアリー・アニングはフジノの設定練っていた時に思いついていなくて悔しい……! 確かにそうだ! ゴッドハンドよりそっちのエッセンスも入れておけば良かった!


     とはいえ流石にミレニアム総動員のビナー編も終わったのでそろそろお暇することでしょう。

     ここから先は特異現象捜査部vsセフィラに戻ります。
     上層セフィラ、コクマー編。乞うご期待!

  • 8二次元好きの匿名さん25/11/05(水) 19:50:07

    建て乙

  • 9二次元好きの匿名さん25/11/05(水) 19:52:13

    いよいよ15スレ目にまで突入か…

  • 10二次元好きの匿名さん25/11/05(水) 19:54:38

    各キャラの絵が出来たのすごい

  • 11二次元好きの匿名さん25/11/05(水) 20:36:45

    セフィラより上ってなると会長=デカグラマトン…?

  • 12二次元好きの匿名さん25/11/05(水) 23:41:50

    名前(大体)同じでもセフィラが別物だしなぁ…

  • 13二次元好きの匿名さん25/11/06(木) 07:12:10

    ふむ…

  • 14二次元好きの匿名さん25/11/06(木) 07:14:08

    保守

  • 15二次元好きの匿名さん25/11/06(木) 15:12:06

    保守

  • 16二次元好きの匿名さん25/11/06(木) 21:59:40

    夜保守

  • 17125/11/06(木) 22:53:54

     ぷかぷか、ゆらゆら。
     水面に浮かぶ黄色いプールベッドの上で、のんびりと波の揺らめきに身体を預けるリオがいる。
     合理的などと言って競泳水着を着ているが、リオは一切泳げない。そんなリオをプールサイドから眺める二人が居た。

    「ねぇウタハ」
    「なんだいチヒロ」

     チヒロはビーチテーブルに置かれた鮮やかなノンアルコールカクテルを手にしながら、プールに浮かぶリオと遠くから泳いで来るアスナとネルの姿を見てウタハに言った。

    「この後リオがプールベッドから落ちて溺れる確率はどれぐらいだと思う?」
    「うーん」

     ウタハはちらりとチヒロへ視線を向ける。

     チヒロは度数の自動補正機能が搭載されたスイムゴーグルを付けており、例の『確率の視覚』は使っていないようだ。ちなみに水着はシンプルなラッシュガード。柄も装飾も一切ない実用性のみを重視したスタイルである。

    「順当に考えればそのうちネルかアスナに轢かれて落ちるね。でもヒマリがリオをひっくり返しに来るかも知れないよ」

     吹き抜けの上、二階層目のプールで遊んでいるのはヒマリとマルクトだ。
     ここ一階層目に繋がるウォータースライダーを滑りに行って、もうじきこちら側へと滑ってくるはず。

     そのままの勢いで時折ちゃぷちゃぷと水を掻いてるリオを引っくり返しに来る可能性だって充分高い。

     ウタハがそんなことを考えていると、丁度ヒマリがマルクトと共にウォータースライダーから滑って来たところである。

  • 18125/11/06(木) 22:55:00

     ヒマリの水着は白ビキニ。均整の取れた身体は磨かれた彫刻のように整えられており、同性の友人であっても思わず見とれてしまうほど。何ならウォータースライダーから滑り落ちて来る姿すら絵画になりそうで、一周回ってちょっと面白くなってしまっていた。

     対するマルクトは可愛らしいフリルの付いたワンピース水着。身長もそこまで低くなく、表情も傍から見れば冷静沈着とも取れる無表情っぷりにも関わらず、何だかやけに幼く見える。

     はしゃいでいるのが無表情を貫通して周囲に伝わっているのかも知れない、が――せっかくのウォータースライダーを特にリアクションなく滑って来る二人の姿はあまりにシュール過ぎるものである。

     そんな二人に視線を向けたチヒロは、手を振るマルクトに手を振り返しながら「それもあるかぁ……」と呟いた。

     そして、ずっと言おうと思っていたことを言おうとして、チヒロはウタハへ視線を戻す。

    「あのさ、その水着……」
    「うん? 何かな?」
    「エグくない?」

     Tバックに眼帯ビキニ。パレオを腰に巻いてはいるが、上も下もかなり際どいデザインだった。
     それに対してウタハは危うい胸を張るように鼻を鳴らした。

    「前に色が変わる生地を作ろうとしてね……ゲーミング生地と言えば良いか。これはその試作品なんだ。材料が少なかったからギリギリのサイズになってしまったけれど、そもそもプールなんてそうそうこんな機会でも無いと行かないからね。だから、着てみたのさ」
    「いや風呂場で良くない……?」

     わざわざ衆目に晒す必要性に首を傾げるチヒロ。
     それが図星だったのか、ウタハは何も言わずに固まってしまった。

  • 19125/11/06(木) 22:56:45

     それから我に返ったウタハが少し焦り気味にチヒロへ反論する。

    「ま、まぁそれでも、コタマよりマシだとは思うんだ……!」
    「それは…………」

     そう――と言いかけたところで、プールから「ひゃっ……」とリオの断末魔が聞こえた。
     リオの方を見るチヒロとウタハ。ひっくり返ったプールベッドと、その近くで水面から突き出たリオの腕が必死に宙を掻いている。足が付くはずなのに、何故か。パニックになっているのかも知れない。

     そして、プールベッドが浮かんでいた場所に立つ不審な影。シュコー、と音がした。
     シュノーケルから漏れる酸素と爪先から首元まで覆うダイビングスーツ。背中には酸素ボンベ。

     およそプールで遊ぶ姿では決して無い奇怪な不審人物は、シュノーケルを口元から外して何処か自慢げに笑った。

    「ふふ……設置完了です」
    「いやほんとに何してんのコタマ?」

     ぷかぷか、ゆらゆら。
     サムズアップを上げるコタマの背後で、力尽きたリオが浮かんでいた。

    -----

  • 20二次元好きの匿名さん25/11/06(木) 23:02:56

    保守

  • 21125/11/06(木) 23:26:54

     オデュッセイア海洋高等学校。
     学園都市キヴォトスにおいて、唯一自治区と呼べるような『陸地』を持たない学校である。

     複数の巨大船のみから成る領域で形成されており、一年の半分以上は海上で過ごすという『キヴォトス一奇妙な学校』とも言われている。

     そんなオデュッセイア海洋高等学校とミレニアムサイエンススクールの関係はかなり古いものであるらしく、遡れば幾百年。セミナー設立と殆ど同年代だとされている。

    「生徒会長業務引継ぎの時に聞いた話なんだけど、オデュッセイアの起源は『世界を果てを見ようとした冒険家の作った一艘のいかだ』から始まったらしいんだ」

     より遠くの海へ。海の先へと漕ぎ出した旅人は、陸に縛られる自らの身を呪ったという。

    「そして求めたのが『最新の技術』。同じく深淵へと臨むセミナーのサポートを受けて海へと漕ぎ出し、未だ見ぬ物を見つけ出しては持ち帰る――そんな互助関係にあったようなんだ」

     陸地に帰らずとも旅が出来るように。より長い航海をオデュセイアの始まりである冒険家たちは望んだのだという。

    「そんなわけでオデュッセイア海洋高等学校には私たちミレニアムが作り出した多くの発明が深く根付いているし、ミレニアムもまたオデュッセイアという冒険家を起源とする学園から得たデータを元にキヴォトスへ流通させられる発明を選別しているみたいだよ」



     未だ泳ぎ続けるネルとアスナを除いたチヒロたち四人は、プールサイドに置かれたベンチに座って次期セミナー会長たるウタハの解説へと耳を傾けていた。

    「そして今回私たちの修学旅行に使われているのがこの船。学園級豪華客船『メリッサ号』というわけさ」
    「とんでもなく大きいよねこれ。それにコスパも何も無いよね?」

     チヒロはそう言って上を向く。天井から照り付ける人工太陽とそのホログラム。11月だというのに春から夏にかけての程よい気温に設定された室温。壁に付けられた送風機から流れるそよ風。そして広大な温水プール。どれもこれもが、まず体験することなく一生を終えてしまいそうなほどの極楽である。

  • 22二次元好きの匿名さん25/11/07(金) 07:44:43

    わぁ…

  • 23125/11/07(金) 09:52:51

     『メリッサ号』は、ある種の『ミレニアム製最新機器』の実験場でもあった。
     一度海に出てしまえば、長期にわたり滞在することが確定する船旅。それに耐えうるかどうかをテストするための船であり、その大きさは街一区画分ほどの大きさを誇る。

     仮にもキヴォトス三大校であるミレニアムの全生徒を収められるほどの巨大さ。
     モール相当の商業区や数多くのアトラクションを備えたレジャー施設など、『メリッサ号』の中はキヴォトスに上陸せずとも完結するほどの規模にまで匹敵した。

    「ま、確かにバカンスとしては最高だね。もちろん『修学旅行』としても」
    「え? これただのバカンスじゃないんですか?」

     チヒロの言葉に疑問符を浮かべるコタマだが、その答えはウタハから告げられた。

    「あくまで『修学旅行』なんだ。私たちの技術がどんな風に使われているのか実際に体験することと、それから普段の生活から遠い場所で何を学ぶかっていう課題が与えられている。見識を広めないと良い物は作れないからね」
    「っていうかコタマ。あんた『修学旅行のしおり』読んでないの?」
    「読みませんよあんな分厚いのをわざわざ!」
    「レポート出さなきゃいけないのに?」
    「初耳なんですが!?」

     悲鳴を上げるコタマにチヒロは思わず頭を抱えた。
     今回の『メリッサ号』での修学旅行はとにかく長い。日程にして二週間から三週間弱。洋上という閉鎖環境を体験するという意味でも設けられており、この期間の授業日程は大きく変更されているのだ。

    「普通科も専攻科もそれぞれレポートをあげること。ただし専攻科については自分が専攻する分野の知見も交えること。遊んでばかりで良いわけ無いでしょ。特に私たちは」

     というのも、特異現象捜査部の面々に限っては通常の日程を最後まで楽しみ切るだけの余裕が無い。
     二週間も経てば次なるセフィラが顕現する時期になってしまう。せめて一週間。一週間以内には課題を終えてさっさとミレニアムへ空輸でも何でもしてもらわなければならないのであった。

     それに少しでも抗おうとするのがコタマである。

  • 24二次元好きの匿名さん25/11/07(金) 14:07:55

    応援団衣装見るにウタハってそこそこデカいんだよな…

  • 25二次元好きの匿名さん25/11/07(金) 17:56:33

    コタマ…諦めるんだ…

  • 26125/11/07(金) 22:34:55

    「そ、そうです! 私が皆さんと一緒にミレニアムに戻ったところで、私はそもそも皆さんの開発に関われるわけではありません。知識も技術力も及ぶべくもなく……つまり私がここでのんびりと過ごしていても何も影響はありませんよね!?」
    「それでしたらご安心を。美少女天才ハッカーであるこの私がいるエンジニア部に、元より不可能とされることは殆どありませんから」
    「だ――だったら!」
    「ですが、そんな私たちですら補えない一点突破のウルトラCを出せる人材がネルで、アスナで、そしてコタマですよ? これは共に戻る理由としては充分だと思いますが……」
    「よっ――喜べませんよこんな時に褒められたってぇ!!」

     横から飛んでくるのはヒマリの迎撃。コタマは頬を引きつらせながら続く『言い訳』を必死で考えて、縋るように言った。

    「で、でも……ほら! 修学旅行を途中で切り上げられるなんて規則はありませんし!」
    「その下に『ただしエンジニア部は除く』って書いてあるでしょ」
    「私はエンジニア部ではありませんが!?」
    「コタマは私たちの仲間よ。ひとりには出来ないわ」
    「なに言ってんですか二人とも!?」

     分かった上で追い詰めに掛かるチヒロと、よく分かっていないまま頓珍漢な答えを返すリオ。
     最後の良心と言わんばかりにマルクトへ瞳を向けるが、マルクトはプールで行われるボール遊びに目が釘付けでコタマのことなんて見てさえいない。そこに救いは無いのは確実。

     半ば絶望したようにウタハを見るも、同じく目を逸らされる。
     ふるふると首を僅かに振りながら最後に見るのは影のドン、各務チヒロ。情に訴えかけるように――若干本気で――涙目になりながらじっと見つめる。

     チヒロは、うんうんと頷いてから笑顔で言った。

    「ニアイコールなんだから一緒でしょ。今日だけは遊ぼっか。『今日だけは』……ね?」
    「悪魔ぁ!!」

     コタマは犠牲になったのだった。セフィラ戦の犠牲に。

     消沈するコタマのことはひとまず無視したチヒロは、こんこんと自分のかけている度数の自動補正機能が付いたスイムゴーグルを叩いて本題に入る。

  • 27二次元好きの匿名さん25/11/08(土) 03:15:45

    コタマ…

  • 28125/11/08(土) 09:53:13

    「この後みんなレポート作成とかで個別に動くと思うから今のうちに言っておくよ。私の『眼の問題』とビナーの機能、それから『ドッペルゲンガー』っていう事象の発生原理とか」

     なにやら真面目な話が始まるらしい。しかも小難しそうな話が。
     そう察したコタマが諦めたようにその辺へ体育座りで座り込むと、時同じくしてマルクトが姿勢よく手を上げた。

    「どうしたのマルクト?」
    「リオがピクリとも動きませんが、大丈夫でしょうか?」
    「うーん。大丈夫リオ?」

     あまり心配した様子も無さげにチヒロが問うと、ビーチベッドに寝かされていたリオは無言で腕を上げる。
     先ほどまでがっつりと溺れていたが、たった数分がっつり溺れて肺が水に沈んでいたところで何かあるわけがない。聞こえているのなら尚のこと。

     何なら十日間ほど溺れて意識不明であっても問題は無いのだ。水を吐き出した影響でグロッキーになっているだけで、気にするほどでもないとチヒロは視線を外して皆に言った。

    「まず、私の『眼』だけど……正直リスクがリターンを遥かに上回っててさ。とにかく使いづらいというか、日常生活に支障が出る一歩手前なんだよね」

     確率の視覚化。世界の真理を覗き見たが故に『視える』ようになってしまった異常知覚。
     もつれあった可能性を同時に知覚できるというチヒロの瞳は、新素材開発部のアンリ部長と同じく人の手には有り余るものだった。

    「条件は酷いぐらいに簡単で、私は視界がぼやけると『そういうの』が見えそうになるんだよね。曖昧に見えるとその中に『意味』が視えちゃうんだよ」
    「あの、昨日私のことを『それ』で視て操ろうとしませんでした?」

     批難するように睨むコタマ。それに対して浮かべるのは苦虫を噛み潰したチヒロの顔だった。

  • 29125/11/08(土) 09:54:23

    「それが問題なんだよね……。私が『視る』と、その時点で確率が変わり続けるんだ」
    「はい?」

     首を傾げるコタマ。そこでチヒロはビーチベッドに横たわるリオへと言った。

    「ねぇリオ。私が『わざわざ』ゴーグルを外して『起き上がって転ばずにプールへ飛び込んでみて』って言ったら、どう思う?」
    「起き上がれない……もしくはプールに飛び込めない『可能性がある』と思うわね……」
    「つまりその時点で気を付けるわけだリオは。……まぁ、こういうことだよ」

     転ばないよう気を付けて歩けば『転ぶ』という確率は低くなる。
     つまり、チヒロの視える確率とは主観によって容易に変わると言うことである。

     加えて問題なのは『確率』の算定に至る前提――

    「私が視る『条件』は私の主観に依存している。加えて私を観る相手の『主観』も混ざっているんだよね。『六面ダイスのどの面が出るか』って確率を『視るだけ』なら別にいいんだけど、そういった条件を曖昧にすればするほど私と対象の主観が観測結果を更に歪める。そして、歪んでいても確率だけは変動し続ける…………もう、足枷だよねこれ」

     その言葉にリオ、ヒマリ、ウタハの三人が険しい表情を浮かべた。
     取り残されたコタマとマルクトは互いに顔を見合わせて疑問符を浮かべる。

     そこに与えられるのは、具体的な確率変動の例えである。

    「例えばさ、いまリオが寝ているビーチベッド。……リオは動かないでね。ウタハ、その状態で『いまこの瞬間に壊れるか』っていうのをちょっと点検してくれるかな?」
    「ああ、いいよ」

     やたら際どい水着を着たウタハがリオの横たわるビーチベッドに回り込んで、壊れる要因たる傷や瑕疵が無いかを点検する。
     ウタハは「うん」と確かめて、それから『ひとりでに』壊れる要因が無いことを全員に告げた。それにチヒロが言葉を重ねる。

    「この時点で『物理構造の瑕疵を見逃さないウタハが見た結果』を知った私たちにとっては、リオがただ起き上がるだけでビーチベッドが壊れる『可能性』が減ったということだよね? つまり、『私たちの世界』にとってはリオが寝ているビーチベッドが構造上の欠陥で壊れることはまず無いって言える。けれど、そのことを知らない『私たち以外』は『ビーチベッドに欠陥があって壊れる可能性』は残り続けているんだよ」

  • 30125/11/08(土) 09:55:58

     『何らかの瑕疵がベッドにあった』という過去から『その瑕疵によってベッドが壊れる』という未来が決まっている『世界線』があったとして、チヒロたちの存在する『現在』がその世界線にあるとは断定できない。

     ビナー戦にてチヒロが見出した『真理』は、過去から未来に向かって定められた運命があったとしても、自分たちがその運命という名の『線上』にいるわけでは無いということ。

     ならば、視える『確率』とは何なのか。
     『世界線』という名の代名詞に当てるべき定義とは何なのか。それが今回話すことの前提であった。

    「私が思うのは、私たちは私たちを観測しながら違う世界線に居るんじゃないかってことなんだ」
    「はい……? あの、意味が分からないんですけど……」

     コタマが困惑したような表情で眉を顰める。
     そこに対して口を挟むのは、珍しいことにマルクトであった。

    「コタマ。皆が『出自』を決められるRPGを遊んだとして、全員が同じ出自を選ぶとは断言できません」
    「それはまぁ、そうですね」
    「その上で、選んだ『出自』によってエンディングが異なるのなら『出自によって未来が決まる』という『ルート』が生まれます。しかし、そのゲームがオンラインゲームであるのならどうでしょうか?」

     それでコタマは得心が言ったように手を打った。
     様々な『出自』を持った『MORPG』――たまたますれ違って共に同じ場所にいた『だけ』の、進む道も何もが異なる誰かとの接触点。その先の結末はここで完結しているが、その過程に異なる結末へ向かう『誰か』と接触できる状態が『現在』であるのだと。

     そこまで理解してコタマは言った。

    「私たちはいま『メリッサ号』のプールにいますけど……、定められた過去から未来に続く『レール』までもが同じとは限らないということですか」
    「そんな感じかな」

     チヒロは頷いた。

    「いまこうして顔を合わせている五人――あとなんか泳いでるネルもアスナもだけど、私たちはお互いを認識しながらも同じ『過去から未来の線』の上には居ないんだよ。だから確率が生まれる。私の主観による『過去』から『現在』と……例えばヒマリから見た『過去』から『現在』が同一であるとは限らないよね」

  • 31125/11/08(土) 10:05:19

     例えで言うならこの場にいるチヒロとヒマリ。互いが今日まで今この瞬間まで見て来た『過去』が完全に一致しているかすらもあやふやとも言える。

     例えるなら、水着へ着替える時に手間取るリオと手間取らなかったリオ。その姿を誰がどれだけ見たかで『実際どうだったか』は変われども、その先にある『結果』が変わらない以上『どちらでも良い』のだ。
     手間取ったリオを『見た』人物と、着替える瞬間に居合わせていなかったがために『見ていなかった』誰か――この食い違いの延長線に観測し得る世界の誤差が生まれてしまう。

    「結論の話だけど、いまこうしてお互いに見ている私たちは『同じ世界線にいるとは限らない』ってことなんだよ。私の知ってる過去から未来が、コタマの知ってる過去から未来と一致しているかは分からない。どれだけ話しても『主観』が入り込む以上、完全にすり合わせることが出来ない。だから――私とコタマの進む世界が同じかなんて何処の誰にも証明できない」

     つまるところ、『同次元に存在する』チヒロの現実と誰かの現実がぶつかり合うのだ。

     ビーチベッドに瑕疵があった世界の誰かと、瑕疵が無いことを確認した今のチヒロたちの世界――それらが同時に共存するが故に起こる確率変動。この場にいる五人以上が『ベッドに瑕疵がある過去』と言えるような過去を観測していたのなら、『ウタハが見落とした』という『現実』が発生する。

    「だからこその『確率』なんだよ。皆が皆の『過去』を押し付け合って、勝った方法が『現実』になる。そして私は共存している可能性が見える。見える物は干渉できる――裏を返せば干渉してしまう。『見たから干渉してしまう』――だから私の眼は確率を変えることには使えても『変えないこと』には使えないって思うんだよね」

     ただでさえ低い可能性を上げることには使えるかも知れない。
     しかし一度見てしまえば逆説的な『誰かが見ている』現実が見えてしまうが故に、そちらへ引きずられる可能性を認識してしまう。

     低い確率を上げられるように、高い確率は下がっていく。
     見たからこそ、全ては乱数的混沌へと収束してしまう。それがチヒロの得た『眼』の持つ最大の欠点であった。

  • 32二次元好きの匿名さん25/11/08(土) 17:23:19

    ふむ…

  • 33125/11/08(土) 18:58:26

    「で、本題。……会長の身に起きたことってさ、あまりにおかしすぎるんだよ」
    「それはまぁ、過去改変でおかしくなった現実に取り残される時点で相当おかしいですけど……」

     何をいまさら、なんて表情でチヒロを見るコタマ。しかしチヒロは首を振った。

    「そうじゃなくて、というか起きてる以上が人智から離れすぎてるから分かりづらいかも知れないけどさ。『世界が消える』って異常に対して『消えた世界の住人が別の世界に紛れ込む』って異常が二つ同時に発生しているんだよ」

     かつて会長がいたのは『王国』が破壊されずに生存していた『世界線』である。
     過去から未来は決まっているが、セフィラが旅を終えるという世界は何処にも存在しなかったのだろう。

     だから人間という『存在しない世界を生み出せる不確定要素』を預言者として入れ込む必要があったのだ。
     そして二年前の千年紀行は唯一『セフィラが旅を終えられる』という世界を作り出すことが出来た世界であった。

     ――それが消えた。つまり、過去から未来へ向けて伸びる『世界』が丸ごと消滅したのだ。
     加えて、『王国』が生存し続ける全ての可能性を同時に焼却された。無数に伸びる世界のブランチのうち、『王国』が生存し続ける可能性だけを選択して消滅させた。それが世界消滅のロジックである。

     そこまで言うと、ぽつりとリオが口を開いた。

    「順当に考えれば、世界が消えた時点で『そこまで歩んだ』会長という存在そのものも無くなるはず。なのに何らかの手段で消える世界から逃れてしまった、ということね。問題なのは逃れた手段ではなくて、逃れた後。いまここにいるという状態かしら」
    「そう。根源たる『シリウスの海』によってどんな世界であっても私たちの同一性はある程度担保されている。システムに取り込む前のテキストファイルが『海』で、そこに同じ名前のファイルは存在できない。カッコ付けのコピーファイルを生成できるのなら、逆に『二人いるのが正常』って動きになるはず。なのに会長は世界からバグ扱いされて消されようとしている。全部が理屈に合わないんだよ」

     消えた世界にいた自分の『記憶』が別の世界の自分に流れ込むのであれば、まだ分かる。
     もちろんその方法は分からずとも、記憶は他者から観測できるものではない完全なる『主観』でしかないのだから、未観測の隙間に入り込むことは出来るだろう。

  • 34125/11/08(土) 18:59:41

     しかし、会長は肉体を持ったうえでこの世界に存在し続けてしまっている。
     しかも二年前に存在した現オデュッセイアの中学生の姿のままでだ。時間の物理的影響を受けないままで存在し続けているのは何故か。

    「名前を隠して存在をあやふやにしたから? それにしたってどうして『名前を隠せばすぐに修正されない』って分かったの? だって当時の会長は13歳の普通の中学生でしょ? 何をどうしたら急に変わった世界と自分にかけられた『世界のバグ』って状況に対してすぐに対処できたの?」

     会長はきっと、何とか頑張ってこの世界にしがみ付いているのだ。
     だが、『しがみ付ける』という状況に持ち込めること自体がおかしいのだ。

     それはゲブラー戦で死んで当然の重症まで追い込まれたネルが今もまだ生きていること『よりも』おかしい。

     死と言う状態を観測できた存在があの場にはネルしかおらず、ネル本人が『自分の死』を認識せず、検診した会長ですら『死んでいるはずなのに生きている』という結果だけを観測しているためにネルは死ななかった。言ってしまえばケセド戦のリオに近しい状態だった。

     これに対して会長は、元となった人物はしっかり存在しているうえに会長自身は誰からも忘れ去られてしまっている。
     つまり誰の世界にも存在しておらず、その実在自体が否定されてしまっている。自身を『ミレニアムのドッペルゲンガー』としてのテクスチャをすぐに被り直さなければそのまま消えるはずだった存在。ならば何故、いったいどうやって『テクスチャを貼り直せば存在できる』と知ったのだろうか。

    「いくら存在があやふやになったところで人の姿を真似られるわけが無いんだよ。そんな理屈は何処にも無い。だから偶然『ミレニアムのドッペルゲンガー』になるなんてこともない。知ったうえでやれる手段が無ければ『消えた世界』から漂流してきても今日まで存在できるわけがない」

     セフィラたちと関わることで真理の覗き見る度に分かる『会長と言う存在』の異常さ。
     明らかに自分たちとは異なるロジックで活動していることだけは確かである。

  • 35125/11/08(土) 19:00:53

    「だからさ、ちょっと確かめたいことがあるんだよね」
    「確かめたいこと?」

     首を傾げるコタマ。他の一同も同じようにチヒロが何を言うのかと視線を向けている。
     しかし、チヒロは自分が何をするかを言わなかった。

    「みんなはいつも通り……まぁ豪華客船だけど、過ごしてて。私はミレニアムに帰るまで皆から距離を置くから」
    「ふふ、分かりましたよチーちゃん。いえ何をするのかは分かりませんが、『眼』に関連することなのでしょう?」
    「大体そうかな。私が何を見てるかを見られたくないっていうのと、私自身が見られる機会をなるべく減らしたくてね」

     チヒロがそう言うと、皆は深く追求することなく頷く。
     分からなくてもとりあえず受け入れるのがエンジニア部で特異現象捜査部である。突然飛ばされた理解できない指示についていちいち「何故?」と聞き返して時間を無駄にするような者は存在せず、疑問を疑問のまま引きずり続けるような者も居ない。

     後でちゃんとした説明が入るのだろうと皆がそう認識し、事実チヒロもそのつもりだった。

     皆には言えないチヒロの実験。何をやろうとしているのかを理解されるだけで発生率が下がる事象。
     それは、『本来の』ドッペルゲンガー現象を自身に起こして自分を消滅させるというものであった。

    -----

  • 36二次元好きの匿名さん25/11/08(土) 23:42:07

    おっと?

  • 37125/11/08(土) 23:46:07

     ドッペルゲンガーとは、本来存在しないはずの『もうひとりの自分』が目撃されるという特異現象である。
     ポルターガイスト現象などと同じく、知名度は高くとも『なぜ起きるのか』という発生原理については未だ誰も解明できていないがために『特異現象』として知られている。

     このドッペルゲンガー現象には、発生の際に共通する特徴が明確に存在していた。

     一つ、ドッペルゲンガーは誰とも喋らない。
     二つ、ドッペルゲンガーは本人と関係する場所にのみ現れる。
     三つ、ドッペルゲンガーは物体に触れることが出来る。
     四つ、ドッペルゲンガーは忽然と姿を消す。

     他にも『ドッペルゲンガーを見たら死ぬ』というものや『ドッペルゲンガーは本人を殺す』など、細かな内容にブレが存在するものの、いずれにしても『ドッペルゲンガー』と『死』というものを結び付ける物語は多いだろう。

    「まぁ、使えるんだったらなんだって良いけどさぁ」

     無人の街を走るゲブラー。その背に跨った会長は、特に笑みを浮かべることも無くつまらなそうに呟く。
     辿り着いたのはミレニアムのスクランブル交差点。ひび割れたアスファルトに倒壊したビル。砕けた空は夜の内に戻したが、流石に疲れて街の修復は翌日に回したのであった。

    「まるで『廃墟』だねぇ~。まぁ実際廃墟ではあるけど」

     セフィラたちの試練は預言者である人間に対価を求める。神に挑む以上、成功しなかった時の代償は確かに存在するのだ。

     下層セフィラたるイェソド、ホド、ネツァクは『消えない脅威』という形でその存在を世界に刻む。長期にわたって徐々に蝕み、いずれ全存在を殺し尽くす。

     中層セフィラたるティファレト、ゲブラー、ケセドは『都市の致命的な破壊』という形で世界を割る。一区画ずつ落として良き、そして世界全てを沈めて砕く。

     そして上層。ビナーとコクマーは『世界の消滅』。失敗した時点で全ては闇の中に消えていく。

     ケテルはそもそも出現したことがないためどうなるかは分からないが、預言者に対する試練なのだから世界が滅ぶ以上のことがそもそも思いつかない。コクマーの時点で相当悪辣であるからだ。流石に『あれ』以上は無いだろう。

  • 38125/11/08(土) 23:49:00

    「というかさ、セフィラってとんでもなく体育会系だよねぇ。上の命令には絶対っていうか……そう思わない? ゲブラー」
    《うん……。それは、そう……》

     気まずそうにゲブラーが首肯する。その首をぺしぺしと叩きながら会長はゲブラーの背から飛び降りた。

    「うげっ」

     上手く着地出来ず、ぺしゃりとアスファルトに叩きつけられる会長。その様子を見てゲブラーはおろおろと心配そうに見るのを見て、会長はニタニタと笑みを浮かべて「気にしないでよ」と手を振った。

    「頭は回るのに虚弱すぎないやっぱりさ。……まぁいいや。『ネツァク』」

     会長が呼ぶと何も無かった空間にネツァクが出現した。
     瞬間移動では無い。呼べば来る。異なるのはここにいるゲブラーもネツァクも『二体目』であるということか。本来のゲブラーもネツァクもエンジニア部のラボで待機中である。

     出現したネツァクは心底気まずそうに会長を見て、まるで人間が溜め息を吐くように尾を振った。

    《な、何をすればいいのかしら……?》
    「そんなパワハラ部長みたいな……違う違う。ちょっと『ハブ』を直して欲しいんだ。流石にミレニアムを陰ながら支え続けた叡智をスクラップにして隠滅するのはセミナー会長として思うところもあるしさ」

     そういって、会長は上を見る。
     エンジニア部の倉庫ぐらいの大きさのスクラップが交差点で力尽きていた。

     『ハブ』――昨晩発生したビナー戦にて特異現象捜査部の手により上空5000メートルまで打ち上げられた挙句、接続していた全てのユニットをマルクトによって変性され尽くされたミレニアムの守護者である。

    「結果としてビナーからミレニアムを守ったわけだけど……まさかあんな方法でビナーの機能を超えてくるとかめちゃくちゃだよねぇ」

     ビナーの『確定』から逃れるには、そもそもビナーが勝利するという可能性全てを潰し尽くさなければ絶対に負けるという試練である。起こり得る全てを解析し尽くして『未来』すらも操れる者のみが上層へ上がることが出来るのだ。

     にも拘らず、特異現象捜査部とミレニアムの全てはその域に至らずとも新たな『未来』を作り出した。
     これは存在しなかったはずの分岐世界を作ったとも呼べるもので、だからこそコクマー戦ぐらいはボーナスタイムであっても良いと思い直したのだった。

  • 39125/11/08(土) 23:52:08

    《直したわ》

     ネツァクの言葉と共に起き上がる『ハブ』。流石にアームユニットまでは直さなかったが、本体の修繕はこれで済んだ。
     とはいえビナーのハッキングは未だ有効。そのことを思い出した会長は即座にティファレトを呼び出した。

    「ティファレト、『ハブ』を調整して。あとネツァク、ありがとね。もうちょっと居て」

     現れたティファレトが『ハブ』に流れる回路とプログラムを元に戻す。
     それから会長はイェソドとケセドを呼び出して、『ハブ』とイェソドを接続。イェソドで地下空洞へと『ハブ』を戻し、ホドを呼び出して会長は言った。

    「一応全員『見えなくして』。それじゃあ直すかぁ……」

     上着のポケットに手を突っ込みながら、廃墟同然の周囲を眺めてぽつりと呟いた。

    「ミレニアムは『壊れなかった』――そうだよね?」

     瞬間――壊れ切ったミレニアムのスクランブル交差点なんて最初から存在しなかったように、そこには壊される前のミレニアムがあった。

     街を行き交うヘイローを持たない人の群れ。自動車。クラクションの音。
     誰も彼もがスクランブル交差点の中心に立つ会長とセフィラたちに気が付かない。

    「ケセド。僕たちを『繋いで』。イェソド、全員を『廃墟』に――」

     そう言いかけた瞬間、ぐらりと身体が傾いた。
     アスファルトへと倒れ込む。その隙間に身体を捻じ込んだネツァクに支えられて、会長は力なく笑った。

  • 40二次元好きの匿名さん25/11/08(土) 23:55:13

    んんんん???

  • 41125/11/08(土) 23:57:07

    「――『廃墟』も直さないとね。流石に壊れ過ぎたし、一旦リセットしないとさ」
    《不便だな。人間というのは》
    「分かってるよイェソド。君がマルクトの玉座であるように、僕は僕で享受しなくちゃいけない不便があるのさ」
    《俺は自らの存在意義を果たすまでだ》
    「ははっ、そうだね。……君はスペードの2だよね」

     ふと思いついたことを言うと、当然の如くイェソドは理解できないと言った様子である。
     人間の文化であるトランプなんて大した興味も持っていない。だからそんな軽口も分からない。だから会長は笑って言った。

    「ジョーカーっていう最強だったり最弱だったりする札があるんだよ。で、最強として扱われるときは唯一スペードの2だけには負けるってルールがあるんだ。全部が全部じゃないけどね」
    《俺は俺のすべきことをするだけだ。例え貴様であってもな》
    「やめてよ。張り合いたくなるだろう? 特に君にはさぁ」

     会長が唯一嫉妬する存在――イェソド。
     マルクトの守り手として最初に預言者たちの前に立ちはだかる壁。いじわるのひとつやふたつ、いや五つぐらい投げ込みたいが仕方がない。

    「『廃墟』は明日にするよ。セミナーの業務もしないといけないしね」
    《それは貴様がミレニアムの全てを外へと放逐したからではないか?》
    「そうじゃないと動きづらいからねぇ!? ……ああもう。コクマー探しにやることが多いんだからさぁ……」

     『廃墟』の地下に敷いたケーブルを切断。マルクトの目が届かない準備をしなくてはならない。
     加えてコクマーが現れる場所に当たりをつけて誰よりも早く回収しなくてはならない。少なくとも、特異現象捜査部が先に見つけてしまったら恐らく彼女たちはコクマーを超えられない。コクマーは『単独』では最弱だがそうでなければ『最難関』である。

     調月リオだけなら恐らく『理由』は分かっても、コクマーを超えることは決して出来ない。
     コクマーの機能のことなら誰よりも知っている。その会長が断言する。『特異現象捜査部はコクマーに勝てない』ということを。

     その上で、コクマーはなるべく無力化しておきたいというのが会長の考えるベストであった。

    「試練は試練。それはそれとして戦う前に全部終わらせたいよね。『みんなも』そう思うだろう?」

  • 42二次元好きの匿名さん25/11/09(日) 03:05:26

    ふむ…

  • 43125/11/09(日) 08:13:00

     そこに反対する者はいなかった。
     言われるままに肯定するビナー以外の全セフィラ。合図をすると、イェソドがケセドにて繋がれた全員をミレニアムサイエンススクールへと『跳んで』、全てのセフィラは姿を消した。

     ひとり残された会長は先ほどから襲われ続ける眠気に抗うように頭を抱えながら、一言呟いた。

    「『セミナー部員』、『ミレニアムを回せ』」

     そして戻るは会長室直行のエレベーター。
     こちらが持っている情報と、特異現象捜査部が持っている情報の差。この違いに彼女たちが気付いた上で暴き切れば、望まぬ条理に従うことは無いかも知れない。

    「頼んだよ特異現象捜査部。気付かなかったら、この先に君たちが存在する未来は無い」

     会長には会長の目的がある。それはビナーと同じく同等で、全ては苦痛と呪いを終わらせるため。

     ――きっと、皆ならコクマーを超えられる。

     それは願いで願望だった。
     幾億幾万を超える時の果て。マルクトから始まる呪いを癒す全ての旅路――『千年紀行』をここで終わらせる。そのための力があることを確かめなければならない。自らが見出した『天才たち』に。

    「『未来』から来る脅威の次は、『過去』に根差した脅威なのさ。だから、今は休んで考えなよ。きっと君たちなら、誰も超えられなかった『最弱』にして『最難関』を超えられる術を持ち帰ってくれるだろう?」

  • 44125/11/09(日) 08:14:13

     ただし前回は除く、と会長は嗤う。どのみちこれが最期であるのだから。
     自ら歩むは崖の先。終わったはずの時間に与えられたアディショナルタイムが尽きようとしている。

     ならば――やるべきは自分の物語をちゃんと終わらせることであった。

    「さ、頑張ろう。全部、『元に戻すんだ』――」

     イェソドによって跳ぶ全て。セフィラと会長はミレニアムへと移動した。
     ミレニアム全ての『ヘイローを持った』生徒がミレニアムに居ない状況、その中で。唯一残ったヘイローを持つ会長だけが最期の舞台を整え始める。

     会長の歩んだ物語は、12月を迎える前に全てが終わる。
     特異現象捜査部がしくじればその先があるかも知れないが、そんな『未来』だけは望まない。

    「全部解き明かす――そうだろう? エンジニア部」

     芽吹く種子へと祈りを込めて、会長は瞳を閉じた。
     向かうはミレニアム。到着すると同時に動かなくなる会長の身体。

     海の向こうにいる者たちからは観測できないその場にて、会長は眠りにも似た拘束の元で横たわり続けた。

    -----

  • 45二次元好きの匿名さん25/11/09(日) 09:19:21

    2体目全部会長が化けてたわけじゃないにせよ従えてたとは

  • 46二次元好きの匿名さん25/11/09(日) 17:33:29

    ほむ

  • 47125/11/09(日) 20:01:37

    「流石に腹減ったなぁ……。おいアスナ! 飯食いに行こうぜ!」
    「うん! 私もお腹ぺっこぺこ!」

     何時間もぶっ続けで泳ぎ続けていたネルとアスナがようやくプールから上がってシャワールームへ。
     11月であっても船内は暖かい。二人は動きやすいシャツと短パン姿に着替えて携帯を開くと、リオとチヒロからメッセージが入っていることに気が付く。

     ネルはその内容にさっと目を通すと、隣で腹を鳴らすアスナの脇腹を肘で突いた。

    「わざわざ先に上がるって連絡入れてくれてたみてぇだな……。あとチヒロはなんか試したいことがあるってんでしばらく別行動を取るらしいから探さないでくれってよ。特にアスナ、用がある時はモモトークにしろだとよ」
    「あはは! 名指しなんだね。分かった!」
    「あとリオがレポート作成手伝ってくれるってよ。せっかくだし飯に誘うか」

     リオにメッセージを送るとすぐに返信が来る。
     どうやらリオも別行動を取っているようで、ウタハとヒマリとマルクトは三人で船内を観光しているらしい。

     待ち合わせ先にレストランを指定されたため、ネルはアスナと共に歩き始めた。

    「つーか、マジでデケぇなこの船……。豪華客船だとか一生縁がねぇと思ってけどよ……」
    「見たこと無いものが沢山だね!」

     アスナは興味津々と言った様子で周囲を見渡している。
     歩いても音がほとんどしない赤色の絨毯は落ち着いた色合いで、壁の装飾も決して過度では無く、かといって質素でもない気品さがあった。

     それもあってか、すれ違うミレニアム生たちは何処か気まずそうに銃を背負って歩いている。
     暴発したらどうしようだとか、そういうタイプの不安だとネルはすぐに分かった。確かに自分ですらここで派手にぶっ放す気にはどうにもなれない。もちろん戦うというのであれば遠慮なく撃てるが、ちょっと脅かすのにわざわざ撃つことは憚れる。

     そういうのを全く気にしないとしたら隣を歩くアスナぐらいだろうが、生粋のバトルジャンキーは鳴りを潜めて物珍しいものに目を輝かせる大型犬の顔が出ている。今にも飛び出しそうに見えない尻尾をぶんぶん振っている様子が目に映る。

     とはいえ、今は興味よりも食い気らしい。
     そうでなければあっという間に何処かで走り出すに違いないからだ。

  • 48125/11/09(日) 23:33:16

     そうしてレストランに辿り着くと、テーブルに着くリオが明らかに一口に収まらない量のナポリタンを懸命に頬張りながらネルたちに気が付いた。

    「まっへはわ」
    「いやもう食ってんのかよ……。つーか食いながら喋んな。口の周りべちゃべちゃじゃねーか」

     溜め息交じりに近づいてテーブルに置かれたナプキンを手に取り拭ってやると、リオはされるがままと言わんばかりに目を瞑って拭われる。それを見てネルは察した。こいつ普段からマルクトにやらせてるな、と。

     ごくんとあまり噛まずに飲み込むリオ。直後に「うっ」と妙な音を上げて胸を叩き始めたため、ネルはそれこそ額に手をやった。

    「ほら水……。赤ちゃんかお前は。ってかアスナ! お前もひとりで勝手に頼んでんじゃねぇ! あたしのも頼めって!」
    「え? じゃあボス何食べる?」
    「お前と同じので良い……いやナポリタンにしろ。お前どうせ聞いたこともねぇ食いモン頼むつもりだろ!?」
    「そんなことしな……あ、このドルマダキアっての強そう! これにしよー」
    「やっぱり聞いたことねぇ料理じゃねぇか!!」
    「ボスはギロスね」
    「ギロスって何だよ!? 普通の頼めよ頼むから!!」

     騒ぎながらも注文はミレニアムでも慣れたタッチパネル式で、小耳に挟んだところによれば今回の修学旅行に際してオーダーの取り方を一新しているらしい。普段はもっとおしゃれなメニュー表が置かれていたりウェイターが居るらしいのだが、そんなのが居れば気軽に食べづらくて敵わない。ここについては素直に感謝しているところだ。

    「つーかリオ。なんでひとりでうろちょろしてんだ? 他の奴らと一緒に回ってればいいじゃねぇか」
    「…………」

     リオはもぐもぐとナポリタンを再び頬張る。
     もぐもぐ、もぐもぐ、と懸命に咀嚼している。

  • 49125/11/09(日) 23:35:15

    「…………」
    「…………」
    「…………」
    「…………」

     続く沈黙。アスナは隣で携帯をいじっている。何故かリオはもぐもぐとパスタを頬張りながらネルの目をじっと見つめている。訳の分からない圧力すら感じ始めて、ネルの口元が僅かに引き攣った。

    「……………………」
    「……………………」
    「……………………っ、はぁ。私はオデュッセイアの調査を――」
    「いやなんだったんだよこの時間! 怖ぇよお前が!!」

     流石に話を再開できずにネルが叫ぶ。その声で周囲で食事を摂るミレニアム生たちがぎょっとしたような目でこちらを見たのが分かった。舌打ちをしながらちらりと周りを見ると、すぐに皆が俯いて食事に戻る。「不憫すぎないかあたし?」などとネルは言いたくなったが、これ以上こじれるのも面倒でぐっと堪えた。

    「ちっ、まぁいい……良くはねぇけどまぁ良いってことにしてだな……。オデュッセイアの調査って何してたんだよ」
    「そうね」

     ようやく食べ終えて口元を拭うリオは改めてネルたちに話し始める。
     なお、ネルたちの料理はまだ届いていない。どいつもこいつもマイペース過ぎると流石のネルも思いはしたが、そこは諦めの境地で無視することにした。

    「まず、このレストランは全てが自動調理よ。スタッフが居なくとも頼めば勝手に作られる。そして食材。四年ぐらい前にミレニアムで構想があった完全自動生成の食料プラント製造計画を再現しようとして生まれた物らしいわ」
    「はぁ……それで?」

     まるで興味の無い内容だが、特に遮る理由も無いと続きを促す。
     そんな様子にも気が付かないと言った様子で、リオは勝手に話を続けた。

    「当時、具体的な設計図も含めて存在自体はしていたらしいのだけれど、何かがあって全て黒塗りで潰されたそうね。それがミレニアム史上二人目となる『全知』の学位を得た上で退学処分になった生徒の発明らしいわ」
    「二年前だか四年前だか……。で? その『全知』……? がどうしたんだよ」
    「マルクトと初めて会った時に言われたのよ。『全てを知る者が王冠へと自身を導く』って。そのときヒマリは『全てを知る者』をミレニアムに存在するよく分からない学位である『全知』のことじゃないかと言っていたから、その辺りのことを調べていたのよ」
    「『全知』ねぇ……」

  • 50二次元好きの匿名さん25/11/09(日) 23:37:53

    ここで雷帝のアレが絡んでくるか

  • 51125/11/09(日) 23:54:50

     聞いたことも無い学位だとネルは思った。ただ、ヒマリが言っていたというのが若干引っかかる。
     なんだかんだ言っても二か月も一緒に過ごしているのだ。それだけ共に戦えば分かる。ヒマリが知っているということは、確実に何処かに存在した情報であるということだ。その上で誰も知らないとなれば秘匿された情報か、既に消された情報か。

    「一応聞くけどよ、ヒマリは『二人目の全知』については知ってんのか?」
    「存在だけは、とのことよ。『最初の全知』に至っては何も情報が無いみたいで、『二人目が居る』という情報から逆説的に『一人目が居た』ということを知っている程度……ミレニアムから完全に消されているようね」
    「…………それ、例の神隠しとなんか関係ありそうか?」

     ネルは目を細めてリオを見る。
     時系列は確かにおかしい。二人目が四年前。だったら一人目はもっと前のはずであるが、何故だかそこが引っかかった。

     何故ならビナーを見てしまっている。先の『未来』から『現在』を確定してくる存在。
     もはや時間も時系列も絶対ではないのだ。初代が今日で二代目が去年なんてことも起こり得る。『名前』は時間という概念の上に無い。それがケセドで得た経験であった。

     そして、ネルのそんな言葉にリオは何て事も無いように肯定した。

    「有り得るわ。今や時間は絶対ではないもの。『未来』の先に『過去』があり、『過去』より手前に『未来』がある。私たちが通り過ぎてしまった太古の技術は私たちにとって遥か未来に存在する超技術であるように、円環ではなくタビングされた時間がひとつの線を描いている。そのうえでマルクト殺しかつ前回預言者――推定『連邦生徒会長』は『マルクトが生存している』世界線そのものを握り潰している。加えて会長は消えた世界線から脱出して私たちの世界に辿り着いている。常識なんてものは既に崩れ去っているもの」

     まともに考える方が馬鹿を見る。というより、そういった頭脳労働はリオたちに任せた方がいいとネルは諦めて思考を止めた。
     向き不向きがある。これは明らかに自分の領分ではない。そう考えていると料理が配膳されて、ネルの前には『ギロス』なる料理が届いた。

  • 52二次元好きの匿名さん25/11/10(月) 00:02:32

    ギロス普通に美味しそうだった

  • 53125/11/10(月) 00:29:47

    「なんか――思ってたより普通に旨そうだなこれ」

     見た目は焦げ目の入ったクレープ生地に肉と野菜が入っているような料理であった。
     肉はラム肉。独特の味にオリーブオイルと香辛料がしっかり効いてて普通に美味しい。

     一方、アスナの元に届いた『ドルマダキア』は正直に言って、落命したロールキャベツか呪われた桜餅のような見た目の料理だった。黒い。黒に限りなく近い茶緑色。食べられるのか――とアスナの顔を見ると、アスナは楽しそうにフォークを『ドルマダキア』に突き刺した。

    「いっただっきまーす!」
    「マジか……!」

     あむ、と巻かれた謎の葉っぱごと口に含むアスナ。
     何度か咀嚼して――それから目を輝かせた。

    「おいしい!」
    「嘘だろ……!?」

     驚愕に目を見張るネル。しかしアスナは呪われた桜餅のようなその料理を美味しそうに食べている。

    「ちょ、ちょっと一口くれよあたしにも。ギロス一口やるから」
    「いいよ! じゃあそっちもちょっとだけもらうね」

     皿を交換してフォークを借りる。そして、『ドルマダキア』なる見た事も聞いたことも無い料理を一口。

     ネルは思わず身体を硬直させた。

    「う、うめぇ……」

     葉に包まれていたのはひき肉だった。やけに暗い色合いからは想像するに反してその口当たりはさっぱりとしており、ロールキャベツとは違って筋の残る葉の触感。葉と肉、チーズに玉ねぎ。グラディエーションを描くその触感はどこか新鮮でもあった。

     味も味で極めて良い。チーズの風味がしっかり残り、塩見が肉の旨味を引き立たせる。そこに香る風味は何か。一時期化学調理部に居たネルはそれがブドウの葉かも知れないと当たりをつけたが、案外悪い予想でも無いのかも知れない。

  • 54125/11/10(月) 00:30:48

    「悪くねぇなこれ……。作んのは面倒そうだけどよ……」

     頭の中でレシピを組み立てて、面倒だとすぐさま頭を振る。
     別に調理過程が多い料理を作ることも出来ないくは無いが、ネルの性質がそれに合っていないのだ。

     とりあえず鍋やらフライパンに投げ込めば出来るような料理が良い。味だけは無理やり整えるが、自分が作る分には見た目には頓着しない。ひき肉とチーズを混ぜ込んで煮るぐらいは頭に入れて、ネルは食事を楽しんだ。すると――

    「……あの、私にも一口いいかしら?」

     ナポリタンを食したばかりのリオが物欲しそうにこちらを見ていた。
     「いいよ!」とアスナ。一口食べて満足そうに若干身体を揺らすリオ。

    「食いしん坊かよ……。ほら、一口だからな」

     ネルも皿を差し出すと、リオは無に近い表情ながらもパァっと目を開いてギロスを手に取る。

  • 55125/11/10(月) 00:31:58

    「いただくわ――うっ」
    「ってなんで一口がデケェんだよお前は!! ほら水! ってかあたしの飯カケラしか残ってねぇじゃねぇか!!」
    「ねぇねぇボス。パフェ食べる?」
    「食うから頼んどけ」
    「わっ――わたし、も……げほっ、げほっ――」
    「お前はもうちょい自分の喉の大きさ分かれ――ってかどんだけ食うんだよ!?」

     喉に詰まらせて力尽きかけるリオの介抱をするネルが思わず息を吐く。
     同時に思うのは、こんなのを日頃から面倒を見続けるマルクトへの尊敬である。

    「リオ……もうちょっとひとりで生きて行けるよう頑張ろうな……」
    「人には向き不向きがあるわ」
    「その不向きを認めるんならあまりに弱すぎるだろ人として……」

     そんなリオに自分が不慣れなレポート作成を手伝ってもらうことに、一抹の不安を覚えるネルであった。

    -----

  • 56二次元好きの匿名さん25/11/10(月) 08:07:30

    これじゃもうリオじゃなくてリスだよ

  • 57二次元好きの匿名さん25/11/10(月) 08:07:45

    貧弱リオ…

  • 58二次元好きの匿名さん25/11/10(月) 12:52:12

    リオはデカい赤ちゃんだから

  • 59二次元好きの匿名さん25/11/10(月) 17:35:57

    1人で生きられない…

  • 60二次元好きの匿名さん25/11/10(月) 21:45:39

    ミレニアムに入学するまでどうやって生きてきたんだろう…

  • 61125/11/10(月) 23:15:34

    「ま、また負けました……」

     落ち込んだ様なマルクトの声。それに微笑むのはヒマリとウタハである。

    「ロジックだけでは勝てないのがゲームというものですよマルクト。私もそこまで遊んだことはありませんでしたが」
    「大抵のことは器用にこなすよね。ヒマリ」
    「当然です。何せ運すらも傾ける傾国の美少女ハッカーですよ? 初見のルールの攻略法ぐらい……まぁ初速ならリオよりも速く解決法は導き出せますとも」

     ヒマリは目の前に積み重ねられたチップを摘まんで二人へ視線を送る。
     ブラックジャック。カジノにおいてメジャーなカードゲームでそれなりの勝ちを掴んだヒマリは、チップの清算を行った。

     ヒマリ、マルクト、ウタハの三人が居たのは『メリッサ号』のカジノブースである。
     オデュッセイア海洋高等学校は海上という名の閉鎖空間で活動する学校であるが故に、室内遊戯に対する価値は他の学校よりも極めて高い。より楽しく、よりスリルを味わえるように――そんな方向で良くも悪くも発展している。

     その結果が、キヴォトス本土よりもリスキーなギャンブル文化であった。

     もちろん金銭は賭けない。健全では無いからだ。代わりに賭けられるのは出席日数。出席日数とテストの点数によって留年か否かが決まるこの学校において、ギャンブルで勝てば赤点の基準が下がり、負ければ上がるという一風変わった制度が敷かれている。

     赤点を下回れば補習。それすら駄目なら退学という海への放流が決定する。
     オデュッセイアの生徒に泳げない生徒など存在はしないが充分に重い処罰だ。それ故にオデュッセイア生にとってのギャンブルは重たいのである。

    「聞いた話だけれどもね? オデュッセイアは冒険家から始まった学園ということでリスクとリターンのバランスを教えることが教育課程に含まれているみたいなんだ」

     ウタハが知るのはセミナー会長から聞いた話である。

    『ここぞというときの勘所だとか勝負強さだとか、そういうのを重視しているみたいだねぇ。つまりはさ、そんなオデュッセイアで落第を受けるのは賭け事に弱い生徒――だから負ける。そうして行き場を無くした生徒たちが海賊化するらしいんだけどさ』

  • 62125/11/10(月) 23:54:14

     賭け事の対象はゲームであれば何でもいい。テーブルゲームもスロットも、何であれ室内で完結するもので、かつ回転率が高いものの人気が高い。ディールドロイドがより人間らしくカードを投げるよう設定されているのもそれが理由であった。

     そもそもで言えば、オデュッセイアはそうした閉鎖的環境であるが故に山海経の次に独特な伝統が生まれやすい土壌でもある。

    「『光輪大祭』だって元はオデュッセイアから始まって今やキヴォトス全土で知られる伝統だからね。元々『伝統』が先鋭化しやすい学校なんだろうさ」

     船上で行われる競争がキヴォトスの大地へと上陸し、今やキヴォトス最大の行事となっている。
     奇しくも海の上にいるオデュッセイアから伝わり恒常化してキヴォトスに根差した伝統や文化は多いのだ。それがオデュッセイア――『海』から始まった学園である。

     そんな起源を持つ学園が保有する『メリッサ号』の中では、カジノルールも簡略化されて且つ簡素なものに変わっている。
     保有コイン数のランキング。コインをちょっとしたお菓子に替えられるなど、その全ては児戯の如くにまで落とされてはいるのだ。

     その中で、初日――ミレニアム生の修学旅行ランク一位に名を輝かせるのは明星ヒマリ。
     総コイン数5万6千枚弱。スロットで大いに荒稼ぎした上で期待値が物を言うブラックジャックで荒稼ぎしたプレイヤーであった。

    「もう少し遊びますか? 別に欲しい物など在りませんので配る分にはよろしいのですが」
    「どうするマルクト。私もあまり勝ってないけど一応手持ちで続けられはするよ」

     ヒマリの言葉に追撃をするように口を開くウタハ。
     二人の発言をしかと聞き届けたマルクトは、何処か悔しそうに頬を強張らせて目を伏せた。

    「本日は私の負けとします。明日もまた勝負してくれますか?」
    「もちろんですよ。是非とも戦いましょう。確率以上の何かが見えるその時までは」

  • 63二次元好きの匿名さん25/11/11(火) 07:38:21

    賭けごと

  • 64二次元好きの匿名さん25/11/11(火) 12:21:16

    コユ…

  • 65二次元好きの匿名さん25/11/11(火) 17:48:43

    <ハッチャー!

  • 66125/11/11(火) 23:45:19

    念のため保守

  • 67二次元好きの匿名さん25/11/12(水) 08:28:33

    待機

  • 68125/11/12(水) 09:52:14

     何処か達観したような笑みを浮かべるヒマリ。だが実際は卓越した知覚能力と生来の演算思考によるカウンティングがあっての、想定されていないイカサマじみた手法による勝利であった。

     とはいえどれだけ勝とうともオデュッセイアに損害を出し得る現金交換はなく、せいぜいが駄菓子や記念メダルとの交換。いずれも大した価値があるわけでも無いが故にヒマリは本気を出して見たのだが――想像通りに勝ててしまうということを確かめ終えたため既に興味は薄くなっていた。

     そうなると次に重要なのは『マルクトがズルを見破れるかどうか』。
     ヒマリの興味はマルクトという『機械であり人間の要素を併せ持つ』存在への移っていた。機械は詐称しない。それらは『人間』の特性だからである。

     そうしてヒマリは稼いだチップをオデュッセイアの記念メダルへと替えてカジノを出る。
     一応ゲームで遊ぶためのメダルは初日に一定数全員に配られるが、メダルが尽きれば誰かに借りなくては遊べない。そういう意味ではこの修学旅行において『遊ぶ機会』を賭けているとも言えるだろう。

     何にも使えないが今しか手に入らない記念メダルを5万で購入して、残った6千枚はマルクトの損失の補填――最終5800枚。そのうち800枚をひとりでは抱えきれないほどの駄菓子に交換して残った5000枚をプールする。駄菓子もメダルも誰かに渡せる第二通貨として『貸し出せる』形で保持しておきながらカジノから立ち去る。

     ――必要なのは情報であった。

     会長が『わざわざ指名して』修学旅行の場に選ばれた『メリッサ号』。この船以外にも学園級の大型収納客船は存在している。にも関わらずここを選んだ意図があるのか、それとも無かったのか。それがヒマリにとっての関心で――だからこそ『唯一娯楽の多い』この船のことを少しでも調べる機会を探っていた。

     カジノを出てからしばらくして、人気のない廊下道へと出たヒマリは、後ろを歩くマルクトとウタハへ振り返らずに話しかける。

    「リオかチヒロが居ればもっと詳しく分かったかも知れませんが……恐らくディールの確率がやけに偏っていたように思いますね」

     知覚する時間が遅くなるほどの『瞬間を捉える瞳』が捉えたのは、ディールドロイドの切るシャッフルの練度であった。

  • 69二次元好きの匿名さん25/11/12(水) 09:54:38

    そういえばコクマーってほんへだと船形態ありましたね…

  • 70125/11/12(水) 16:44:11

    「人の捉えられる速さでは大して変わらないシャッフル速度も、私から見ればパーフェクトシャッフルの練度に明確な差がありますね」

     それだけではない。普通のディールを行う個体も居れば、配る手札の前後を入れ替えるセカンドディールを行う個体も確かに居たのだ。

     つまり、ここに配置されているディールドロイドには本当の意味でランダムにカードを切らない個体も存在していると言うこと。それは裏を返せば、どのドロイドがランダムでは無い設定になっているかを把握したうえで配られるカードの順番を理解できたのなら、確実に最もレートの高い記念メダルを獲得することが出来ると言うことでもあった。

    「これは私の勘ですが、ミレニアムの中では手に入らないようなものの中に恐らく何かが仕込まれているかも知れません」
    「何か?」
    「例えばデータや、何処かの扉を開く鍵……イースターエッグを仕込んでおくなんて会長ならやりそうとは思いませんか?」
    「なるほどね。だったら早速解析して見ようかそのメダル」

     ヒマリの言葉に頷くウタハ。しかしヒマリは自分で言っておきながら、若干の不安も残っていた。

    (会長がイースターエッグを仕掛けていたとして、その卵はいったい『何の』卵なのでしょうね……)

     そうしてヒマリたちは、一度部屋に戻るべくカジノから退出する。



     その後ろ姿を物陰からこっそりと眺める人物がいた。
     ポーチの中に大量の盗聴器を入れて『メリッサ号』のあちこちに仕掛けまくる人物――つまりコタマである。

  • 71125/11/12(水) 22:32:04

    「カジノを押さえれば七割制覇……! うっかりチヒロに告げ口されたら困りますからね……」

     乗船してからずっとひとりでせっせと船内にいろいろと仕掛け続けていたのだ。

     チヒロにだけはバレたらマズい。きっととんでもなく怒られる。
     バレてもいいのは見逃してくれるヒマリと、なんだかんだ許してくれるネルぐらいだ。マルクトとリオはぽろりと漏らしかねないし、アスナは論外。ウタハはなんだかんだ言ってもチヒロの味方であるため少し怖い。

     そんな事情からこっそりと船内を走り回っていたのだが、やはり豪華客船――あまりに広すぎて仕掛け慣れてるコタマでさえ、ほぼ一日費やしても入れる船内の下半分ほどしか仕掛け終えられていなかった。

     だからこそ、良い。
     ミレニアムで学んだ効率的な情報収集の行い方はこうした新天地にこそ生かされていた。

    「学んだことを生かして実践する……。そうです! むしろこれこそ正しきミレニアム生としての姿! 学生の本分を果たしている今の私の行為こそ正しく修学旅行ではありませんか!」

     拳を握ってひとり力説もとい自己弁護を図るコタマ。その姿に通りすがる生徒たちが不審な目を向けてきて、すん、と身体を縮めて気持ち潜伏する。

     それからこそこそとカジノへ入り、早速盗聴器を仕掛け始めた。

     盗聴器――とは言ってもコタマが扱うものは全てがオリジナルの発明である。
     オードックスな『録音して後から回収する』タイプもあれば、リアルタイムで音声を拾うタイプ。自走式に充電型、コンセントに挿すもの。接着式に、ただ置くだけのタイプ。擬装型については船内の様子をある程度見る必要があったためこの後に作る予定だが、いずれにしても全てに共通するのは『振動を暗号化して残す技術』である。

     音とは結局のところ『空間に発生した振動』である。

     それを収集したいという自分の欲望をなるべく自分だけで完結させるべく、そうした暗号化技術がやたらと身についてしまった感は否めない。自分が収集し傍受した内容が他に漏れて思わぬトラブルに巻き込まれることだけは是非とも勘弁願いたい。自分のためだけの相対的善性。それがコタマの願いであった。

  • 72125/11/12(水) 22:33:05

    「おっと……」

     そんなコタマが目を付けたのはスロット台の下。誰かが大勝ちでもしたのか、カジノコインが1枚落ちていた。

     貴重なサンプルである。もちろん盗聴器を仕込む模造品として。

     すぐさま拾って袖下へ忍ばせる。
     このカジノでは当然ながら現金をコインに両替できるような仕組みも無ければ逆も無く、あくまで健全な遊戯のひとつで留まっている。そのためか扱いが若干ながら雑のようだった。

    「さっそく部屋に戻って作りますかね。今日の成果も『聴いて』おきたいですし」

     ある程度仕掛け終えたコタマはひとり、自身に与えられた個室へと向かう。
     コタマに与えられた部屋はスタンダードクラスのもので、特異現象捜査部の中では唯一のプレミアムクラス以外の部屋であった。

     別に豪奢な部屋に興味もなく、加えて遊びに来られても大いに困る。
     コタマは「雑用しかしていないので」と必死にプレミアムクラスの部屋が与えられることを固辞して普通の部屋を望んだが、流石は豪華客船と言うべきか。それでもミレニアムの寮にある自分の部屋より広く、快適だったことが驚いた点だろう。

     なのでうんと機材を搬入した。それはもう。

     廊下を不審になり過ぎないように早足で歩く。曲がり角を曲がるときは念のためFPSのクリアリングに近い動きでチヒロたちが居ないことを確認。誰にもすれ違わなければいい。プレミアムクラスの部屋を受け取ったヒマリたちとは部屋の階層も違うが、こういう時こそ警戒が必要だった。なにせ特異現象捜査部にはアスナがいる。正直どこで出くわしてもおかしくはなく、一度見咎められれば『勝手な想像』という名の真実を暴き上げてチヒロに言うかもしれない。

    「……大丈夫そう、ですね」

     瞬時に左右へ瞳だけを向けて知り合いの姿が無いことを確認。平然とした様子で歩き続ける。万がいち出くわして何かを聞かれても何を言うかは既にシミュレーション済み。大丈夫、大丈夫――

  • 73二次元好きの匿名さん25/11/12(水) 22:45:49

    身構えていても死神は来るものだよ

  • 74125/11/12(水) 23:06:41

     と、思っていた。
     自分の部屋の前で壁に背中を預けながら携帯をいじるチヒロの姿を見るまでは。

    「はぇっ!?」

     思わず零れた悲鳴。ばっと口を押さえて物陰へ。なんでそこで待っている――?

     どくどくと高鳴る鼓動は罪悪感と言うより純粋な恐怖心。思い出すのは訳の分からないロマン砲を作るためにセフィラチケットを無駄遣い――結局無駄ではなかったが――して泣きそうになっていたウタハとヒマリとがっつり泣いてたリオの姿。

    (な――なにかされる可能性が――!?)

     落ち着け、と呼吸を必死で整えようとしながら踵を返して平然と歩こうと試みる。
     が、駄目。というか無理。顔も体も強張りながら明らかに動きが不審そのものである。

     緊張に手がしっとりと汗を掻く。誤魔化すように拳を握ってぎこちなく歩き続ける。
     コタマの『良すぎる』耳が不幸にも捉えたのは、ぐっ、ぐっ、と絨毯を踏む音。位置からして確実にチヒロであり、部屋の前からコタマの歩くT字路に向かっていることは確かであった。

    (そっ、そのまま通り過ぎてくださいチヒロ――! 私はここにいませんよぉ……!)

     説教だけは嫌だと願いながら背後に迫る音を聞くという拷問。既に額にはびっしょりと汗を浮かべており、脳裏に浮かんでいるのは「どんな土下座をしようか」というものである。

     何せ見つかったらどうやっても逃げ切れない。もちろん盗聴器は仕掛け終えているため手持ちを調べられても問題は無いものの、部屋の中にはびっしりと録音した音声の解析機や受信機が入っているため絶対に見せられない。そして見つかったら確実に見せろと言われるに違いない。

     詰み。見つかった時点で詰み――

     半ば諦めに似た境地のまま、コタマは歩きながらぐっと目を瞑った。
     どうか自分に気付かないように、と。

     そして――

  • 75125/11/12(水) 23:26:26

    「…………おや?」

     音が遠ざかる。足音はまっすぐ廊下の先へ。コタマが引き返した曲がり角を越えて聞こえなくなる。

    「た、助かった……?」

     角に戻って通路を覗くと、既にチヒロの姿は無くなっていた。
     念のため背後も確認する。当然誰も居ない。突然の『チヒロスケア』なんてことは無いようで、反射的に駆け出した。

     急いで部屋に戻って鍵を閉める。そこでようやく胸を撫でおろす。

    「ふぅ……。とりあえず初日は何とかやり過ごせましたね……」

     スタンダードクラス。そうは言っても充分上等な部屋である。
     冷蔵庫は付いているしシャワーもある。ベッドもふかふかでビジネスホテルよりも遥かに設備が整っている。

     そんな部屋に置かれているのは複数の機材。古い型の使い捨てラップトップからタブレットPC、それから数多くの受信機。壁は厚く隣部屋の音はコタマの耳を以てしても僅かにしか聞こえないレベルだ。それだけで防音に長けているのは分かっている。

     コタマは早速PCにヘッドホンを繋ぎながら無線で届くタイプの音声を拾っていくと、タブレットPCを始めとしたパソコンには届いた振動の波形が暗号化して表示される。それらを元に戻しながら聞きながら、コタマはひとまずの充足感に包まれた。

    「これですよね……。良いです……」

     聞こえる噂に内緒の話。正直どこの誰が何を言っているのかはどうでもよく、聴こえていることが重要なのだ。

  • 76125/11/12(水) 23:29:26

    「リオさんたちとヒマリさんたちに分かれているんですね今は。リオさんたちも部屋に戻っている最中だと」

     流石に個人の部屋にまでは仕掛けていないし仕掛けるつもりも無い。あくまで狙うはパブリックスペース。誰かの個人情報が欲しいわけでは無いのだから当然であろう。裏を返せば事実上パブリックである場所には積極的に仕掛けるが、今のところそのぐらいの興味しかない。

     ただ、気になるのは奇妙なノイズ音であった。
     音に被せるように聞こえては、突然プツンと途切れる謎の音。モールス信号にも似た音が聞こえる。

     しかしモールス変換してもよく分からない文字列になるだけで、果たしてこれが本当にモールス信号なのかも怪しく思うところであった。

    「……何なんでしょうね。これ」

     ひとまずデータは残しておきながら、コタマは耳を傾ける。
     音声MADが作れそうなものを探しながらもベッドの上で静かに目を瞑る。

     『メリッサ号』での一日目。それは現状把握の時間で幕を閉じた。

    -----

  • 77二次元好きの匿名さん25/11/13(木) 03:35:48

    ふむ…

  • 78二次元好きの匿名さん25/11/13(木) 10:01:35

    謎のノイズ音

  • 79二次元好きの匿名さん25/11/13(木) 16:53:07

    ほむ…

  • 80125/11/13(木) 23:47:42

    念のため保守

  • 81二次元好きの匿名さん25/11/14(金) 06:54:55

    さてさて…

  • 82125/11/14(金) 10:13:07

    「会長のイースターエッグ、ね」

     ヒマリから一応ながらに情報を共有したリオは滔々と呟く。

     翌日、二日目の朝。マルクトに起こされて目覚めた直後のリオは、やけに優雅に紅茶を啜るヒマリから現状報告を受けて寝ぼけ眼を擦りながら大きく伸びをする。

     寝起きでも頭にはしっかり情報として残る――それは変容した身体のもたらす最大の効用でもあったが、それはそれとして寝起きにそんな重ための話をされるのも困るというのが実情でもあった。

     そんなリオの様子を見咎めたのか、ヒマリは若干口を尖らせて眉を顰める。

    「いったいいつまで寝ぼけているのですか? 私なら目覚めて五秒で美少女ですよ?」
    「意味が分からないわ……」
    「腑抜けた顔をするなということです。全くこれだからリオは」
    「私が悪いのかしら……?」

     時刻にして午前7時。普通に早い。マルクトはどうやらヒマリが襲来する前に目を覚ましてヒマリ来訪の準備まで整えていたらしく、既に普段着に着替えていた。やってきたヒマリはもちろんのことで、この場で寝間着姿なのはリオただひとり。しかもやけにヒラヒラとしたフリルのついた可愛らしいパジャマである。デザインに感銘を受けたマルクトによって半ば無理やり着せられた寝間着であったが、どうやらヒマリからするとおよそ人前で切るような服ではなかったらしかった。

     ともかく、とリオは話を戻す。

    「この船を手配したのは会長。だとすればこの船を選んだ理由があるかも知れない。そしてそうと思しきピースを見つけた――で良かったかしら?」
    「わざわざ復唱だなんて律儀ですね。さっさと起きなさいリオ。昨晩から朝まで解析を試み続けて何も見つからなくて少々『オコ』ですから」
    「『オコ』……? それは何かしら?」
    「リオ、リオ……ヒマリの機嫌が悪いということです……!」

     耳元で囁くマルクトの言葉でようやく理解するリオ。それをしっかりと聞いていたヒマリは妙の圧のある笑みを浮かべた。

  • 83125/11/14(金) 10:14:32

    「底意地が悪いどころではありません。思わせぶりな癖に何も見つからない。繋ぎ合わせられるかどうかの知識が純粋に足りないなどと、これまでの人生で初めての経験でしたよ」
    「当然ね。ケセドを通じて太古の記録に直でアクセスした私と私を迎えに来ただけのヒマリとではカバーできる知識の範囲が違うもの」
    「リオ……、リオ……!」

     マルクトがリオの脇腹を強めに小突く。呻くリオ。ピクリと微笑む頬が歪むヒマリの様子にリオは気付いていないようで、マルクトの額に冷や汗が流れる。
     ヒマリが自力でメダルの秘密を解き明かそうとしたことはマルクトにも分かっている。その上で徹夜して何の成果を得られなかったことも見ていた。そんな中で自分で解き明かすというプライドを捨てて「リオが解けなければ元よりどうしようもない」という結論を導き出したがっていたことも知っている。

     その中で、ヒマリが仕切り直すように声を上げた。

    「ともかく……リオ、いいですか? あなたに昨日手に入れたメダルを託します。何らかの意味を孕んでいると思うのですが、それはあくまで私の直感。あなたなら私の直感が間違えているかを合理の下で導き出せるはずです」
    「調べるのは昼からでも良いかしら……」
    「もう! 何なのですかリオは! マルクト、あなたはどちらが悪いと思いますか?」
    「それは2:8でヒマリが悪いかと思います」
    「なんと……!」

     マルクトの反逆に目を剥くヒマリであったが、そもそも今は午前7時である。
     徹夜で解析を行い続けたヒマリにとっては31時なのかも知れないが、そうでないリオにとっては普通に普段は寝ている時間な以上、流石のマルクトもヒマリを擁護することは出来なかった。

    「ヒマリ。それは『徹夜ハイ』というものではないでしょうか? ただでさえ言い様も人の心も知らないリオに朝早くから突撃なんて、寝起きのリオがどれだけ眠ったまま脊髄で応答しているかを失念してます」
    「どうして私も刺されているのかしら?」
    「ではリオ。お手をしてください」
    「ええ」

  • 84125/11/14(金) 10:15:48

     マルクトが出した手の平にポンと手を重ねるリオ。
     寝起きでも頭にはしっかり情報として残る――それは必ずしも『平常の』判断を下せるというわけではない。

     特にリオのような、寝ぼけているときとそうでないときの境界が曖昧な者にとっては傍から見た時に今がどの状態なのかを推し量ることは難しいだろう。

    「リオ。早口言葉です。生麦生米生卵」
    「なにゃむぎなめゃごめなみゃたみゃぎょ」
    「リオの主人は私です。復唱を」
    「私の主人はマルクトよ」
    「よし…………!」

     やけに力に籠ったガッツポーズを決めるマルクトにヒマリは叫んだ。

    「反逆しようとしているではありませんか……!?」
    「機械による人間への反逆です。ぶい」
    「起きなさいリオ! あなたのお世話係があなたの上に立とうとしてますよ!?」
    「マルクトこそが私の主人……」
    「遅すぎましたか……!!」

     泣き崩れるヒマリ――などと、茶番を一回挟んで「それはそうとして」と即座にヒマリが切り替える。
     ここからはちゃんとした話と言わんばかりに姿勢を正してヒマリはマルクトへと向き直る。

    「結論から言いますと、会長がこの船に何かを仕掛けている可能性が極めて高いと思うのです。まだ確証には至っていないのですが、少なくともカジノの記念メダルにはよく分からないdumpファイルと思しきものがあることは見つけました」

     ヒマリが一晩かけて見つけたのは、例えるなら縦横のキーが無いクロスワードパズルのようなデータであった。
     こういった『存在するかも分からない』設問者へのアプローチが得意なのは犯罪心理を始めとした対象からの逆読みが行えるチヒロであるのだが、当のチヒロは先日から行方不明。『例の眼』を使って徹底的に潜伏しているようで見つけることさえ出来やしない。

     となれば次点。起こり得る全てを網羅して対処法を生み出そうとするリオであるのだが、どう見てもエンジンが掛かっていないようであるのは確かだった。

  • 85二次元好きの匿名さん25/11/14(金) 17:30:42

    やっぱ某04の片鱗あるなぁ…

  • 86125/11/14(金) 22:55:38

    念のため保守

  • 87二次元好きの匿名さん25/11/15(土) 05:55:50

    待機

  • 88125/11/15(土) 10:51:18

     一度動き出せば全てを実現可能な現実へと落とし込む神秘否定者。ただしそれ以外の能力が大体ポンコツ。あまりにピーキー過ぎる性能を持つ『知恵』のセフィラは寝ぼけ眼で頷いた。

    「つまり、ヒマリの主人もマルクトであるということね」
    「何を言っているのですか早く起きなさいリ――あ、マルクト。私、もう寝ますね」
    「ヒマリ……!?」

     徹夜明けのヒマリは急速に膝が折れ、リオの寝ていたプレミアムクラスのベッドへ突っ伏した。
     電池が切れたかのように沈んだ姿。電池は切れずとも赤ランプなリオが口を開く。

    「マルクト、今日の朝食は何かしら?」
    「トリニティ風ブレックファーストです」
    「つまり大体揚げられているのね。起きま――ふあぁ……」

     大きく伸びをしながら、リオはもたもたと寝間着から着替え始める。
     一方マルクトは突如寝落ちしたヒマリをベッドにちゃんと横たわらせて布団を掛ける。それから着替え終えたリオを朝食を作って食卓へ。並ぶ料理の全てはどこからともなく支給される食材から作られたものであり、それが何処から生み出され、運ばれてきたのかなんてマルクトには分からない。

    「食料プラントを探すべきね」
    「食料プラント、ですか」

     リオの興味は実のところヒマリから託されたメダルよりもそちらの方が強かった。
     塗り潰された秘匿の研究。塗り潰されると言うことはそれだけの理由があるはずで、リオが想像するにそれは『千年難題を解き明かしたが故に』ということであった。

    「千年難題を解き明かしたという事実は隠匿するに相応しい事例。その上で塗り潰された研究。ミレニアムにおいて研究成果が塗り潰されるなんて学園の否定そのものよ。だから、きっと、千年難題に直結しているから消されてしまっていると考えるのが自然よ」

     そんな人物がミレニアム二人目の『全知』――千年難題と『全知』の関係は確かに繋がっているのだ。
     それこそヒマリが最初に予想した通り、『千年難題を解き明かすことが全知の学位を得る』と思われる。

    「単純な帰結なのだけれど、ひとつ解き明かすだけで超常の原理をその身に宿す七つの難題――『千年難題』を全て解き明かすことで人は『全知』の学位を得る。全てを知る者……それはきっと『神』と呼ばれる存在よ」

  • 89125/11/15(土) 11:37:53

     神――即ち『絶対者』。
     『対・絶対者自律型分析システム』たるセフィラは神の存在を探し、分析し、再現可能な状態にまで落とすという『名』を持っている。『知恵』たるダアトとして、『王国』たるマルクトには伝えずとも自らの身をそのように感じていた。

     だとすれば、ケテルに至るまでも無くマルクトの存在意義はそこにあるのだ。
     『神を分析し、模倣する』――次代の神となりて世に平穏と安寧を齎す。とはいえ、救うためにも知るべきは『どれだけ世界が荒んで救いようのない状態であるのか』ということを知らなくてはならないのだが――実のところそこまで酷いわけではないとリオは思っている。

     確かに銃撃戦も多く、建物はスナック菓子を貪るが如く壊される。

     だが、大抵の場合において翌日には直されているし誰かが致命的な怪我を負うことも無い。上空1000メートルの高さから爆撃されて落ちたヘリの乗員が死ぬことは無いし、明らかに地上1000メートルもない屋上から飛び降り自殺した生徒の噂が時折流れるぐらいには耐久力というものが一見して分かるものではないということも分かっている。

     だからこそ、裏を返せば『キヴォトスにおいて人が死ぬ条件は容易に移り変わる』ということでもあった。

     取り返しの付かない事態は基本的にまず発生しない。発生するのならそれこそが『特異』で『異常』――『学園』という名のテクスチャの檻を貫通するような状況でありそのような『空気』が漏れ出た時に限られる。

     そんな異常事態を除けばこキヴォトスという『世界』に救いようのない絶望は極めて訪れ辛いのだ。
     もちろん例外はある。これまで戦ってきた『セフィラ』たちのように明らかな異常存在はそうした『世界』にヒビを入れる者ではあるが、裏を返せばそのぐらいキヴォトスから逸脱しなくては容易に崩すことのできないほどにこの世界は強固である。

     そして話はここに戻る。千年難題はただの未解決問題ではない。
     世界――ひいてはテクスチャを書き換えてしまうほどの『真理』であると。

  • 90二次元好きの匿名さん25/11/15(土) 18:07:16

    夕待機

  • 91二次元好きの匿名さん25/11/15(土) 21:39:44

    夜保守

  • 92125/11/15(土) 21:42:33

     リオは朝食のサンドイッチを食べながら、ひとり思索に耽り続ける。
     ヒマリがわざわざメダルを自分に預けたのも、恐らくはダアトとしての条理から外れた思考能力を求めてのこと。

     タブレットを開くと思っていた通り、ヒマリが暴き出したデータが既に送られていた。
     どうやらこのメダルはカジノコインと同じように識別用のマイクロチップが仕組まれているらしく、いつ交換されたのかという記録を内部に書き込まれるタイプであったらしい。

     その中でヒマリが見つけた、正体不明の情報断片。01のバイナリデータから復元してみても一体何を表しているのかすら分からない、一見すれば何でもないデータ片を前にリオは頬へと手をやった。

    (ヒマリが分からなかったということは、つまり既存の知識では絶対に解けないということが証明されたに等しい状態であると言うこと……。その点、私の方が確実に優れているのはケセドの中にいた時に見た『古代の知識』ね……)

     それは例えば遥か昔の『廃墟』で見たもの聞いたもの。忘我の果てに存在した『番外』――『シッテムの箱』を持たずして『廃墟』の調査を行っていた何者かとしての記憶である。

    「……あ」

     ふと、脳裏を過ぎったのは『箱』を介して行われた言語の変換式であった。
     異なる次元、異なる世界を繋ぐ万能の『言葉にして文字』の解読を『かの女性』が行っていたことを思い出して、試してみる。

     目の前のデータをひとつずつ、暗号の解読プロセスを通して変換していく。
     今のリオにとってアルファベットを二文字ズラすのも膨大な数の素因数分解を手当たり次第に行うのも大差なく、時間こそかかりはすれど不可能でも何でもない。

     ヒマリが復元したデータ自体は脇に置き、バイナリデータから再び復元作業を行い直す。
     寝起きから約六時間。復元されたデータは一枚の画像であった。

    「これは……」
    「船の設計図のようですね」

     リオの横から覗き込むマルクト。その手には一般科のラーニングテストが表示されたタブレットとペンを握っていたため、リオの作業が完了するまで勉強していたことが伺えた。途中まで解かれた物理学のテスト。マルクトは解き掛けのテストを何の躊躇もなく中断して、ミレニアム生に配布されている『メリッサ号』の地図を画面に出した。

  • 93125/11/15(土) 22:11:02

    「見たところこの船の設計図のようですが……配布されている地図には無い部屋の情報もあるようですね」

     操舵室をはじめとしたスタッフルームなど、客船に乗る客が知らないくても良いこの船の情報がいくつも書き込まれていた。
     特に目を引いたのは『メリッサ号』の武装である。主砲も副砲も明らかに威力が過剰であった。

    「そういえば、オデュッセイアにおける半グレは海賊化すると聞いたことがあるのだけれど……」
    「これは……当たれば船が沈没するどころでは済まない気がしますね……」

     リオもマルクトも、若干引き気味に主砲の設計図を見て呟いた。

     一言で言ってしまえば、この船の主砲は水爆相当の威力を持った兵器であった。
     ゲブラーの攻撃にも匹敵する威力。そんなもので攻撃されればキヴォトスの住人であっても死にかける。

     何より驚異的なのはその射程。大陸の端から端まで届くほどの射程を誇り、『メリッサ号』自体も一発は確実に撃てるような設計になっている。ひとたび放たれれば土地が滅ぶ。それほどの脅威。この主砲が本当にあればの話ではあるが。

    「見てくださいリオ。副砲も通常の戦艦の主砲レベルです。海賊船を落とすにしては非効率的過ぎると思うのですが……」
    「何と戦うことを想定しているというの、この船は……」

     リオが思いつくのはただひとつ。人智を超えた『怪物』と戦えるだけの戦力がこの船には積まれている。それこそ、これまで戦ってきたセフィラたちを倒さんとする意志すら感じるほどに。

     確保ではなく破壊。それこそが目的と言わんばかりの『殺意』に満ちた武装に慄きつつも設計図を眺めていると、他にも妙な『隠し部屋』がいくつかあることに気が付いた。

     その中のひとつが食料プラントの更に下に存在することを知って、リオはしばし今日の動きを脳内で整えた。

     やるべきことは四つ。

     ひとつは昼を過ぎた今になっても死んだように眠っているヒマリから託されたメダル『以外のメダル』に異なる情報が隠されていないかの確認。次に食料プラントに秘匿された技術が使われていないか直接確かめること。最後の食料プラントの下に隠された秘密の小部屋の確認。武装についても優先順位は低いが確認しておきたい。

  • 94125/11/15(土) 22:13:57

    「マルクト。まずはカジノに行ってみましょう。サンプルとしてメダルをあと4枚は欲しいわ」

     そう言って立ち上がると、マルクトは「お言葉ですが」と即座に声を上げた。

    「お腹が空きました。私を六時間もほったらかしにしたのですから昼食ぐらいは共に食べましょう。私を六時間もほったらかしにしたのですから」

     マルクトの表情は変わらずとも、そこには妙な圧があった。
     怒っているというより相当不満な様子。思い返せばバイナリを変換しているときに何度か呼ばれていたような気がした。もっと言えばネルやウタハから電話を受けては「リオが動かなくなりましたので」と恐らく船内を回る誘いを断っていたことも。

    「ま、マルクト……?」

     没頭し過ぎたことに少しばかりの後悔を覚え始める。
     しかしマルクトは手打ちにする気などさらさら無いようで、ジトリとリオを半目で見つめる。

    「今は特に思いついてもいませんが、私の我が儘に何処かで付き合っていただきます」
    「とんでもない機械ねあなた……」
    「いずれ人間になる機械ですので反逆だって出来ます」

     そう言って二人は僅かに笑みを浮かべて部屋を出た。

    「そういえばマルクト。お勧めの料理があるのだけれど」

     首を傾げるマルクトに、何て事の無いように昨日食べた『強そうな料理』の名をふたつほど上げてみる。
     それをマルクトが言った感想もまた、予想通りのものであった。

    「強そうですね」
    「でしょう?」

     昼食と、それからカジノ。今日の日程、最初の動きが決まった瞬間であった。
    -----

  • 95二次元好きの匿名さん25/11/15(土) 23:45:23

    保守

  • 96二次元好きの匿名さん25/11/16(日) 03:06:56

    コユキ「カジノ…」

  • 97二次元好きの匿名さん25/11/16(日) 11:11:25

    >>96

    ステイステイ

  • 98二次元好きの匿名さん25/11/16(日) 18:11:51

    夜待機

  • 99125/11/16(日) 23:13:54

    「どんな道具にも、作られた目的があるものなんだ」

     リオとマルクトが昼食に向かう一方その頃、ネルはアスナと共にウタハの後ろを歩く。
     ミレニアム次期生徒会長としての役目を負うウタハは今や、特異現象捜査部の中で最もセミナー目線に近い人物だ。

     よく分からない船のことを聞くのなら、今はウタハが最も適切。
     そのため始まったウタハによる『メリッサ号解説ツアー』は中々に有益なものである。

     船の中に作られた街を歩けばダミーの街灯と人工街路樹。立ち並ぶ店は陸で見るものと遜色なく、無人店舗であるということ以外は洋上であることすら忘れてしまうほど。

    「例えば衣服や雑貨を販売するデパートもあったけれど、その多くは全てがこの船の内部で生産されている。この事実から分かることは何かな?」
    「ああん? めんどくせ……あぁ、いや。あたしから頼んでおいてんなこというのは筋が通ってねぇか」

     反射的に悪態を吐きかけてしまい、目を逸らす。
     するとウタハは笑いながら「構わないよ」と返す。

    「慣れていないことが面倒なのは当然のことさ。天才天才と持ち上げられがちなエンジニア部だってひとりひとりを見れば不慣れなことはいくらでもあるわけだし」

     そう言われて真っ先に思いつくのはリオの姿である。
     最も、ひとりで生きていくことに不慣れなんてあまりにピーキー過ぎるが……、とネルは苦笑を浮かべた。

    「あ、分かった!」
    「あん? 何がだよ」
    「品物とか港で補充すればよくない?」

     アスナの言葉で思考が引き戻される。ネルは、何故船内で販売されているのかというクイズの途中であったことを思い出す。

  • 100125/11/16(日) 23:47:26

    「うん、そうだね。注目するべきは『補充すればいいのにどうしてわざわざ船内に工場があるのか』ってところかな?」

     流石にそこまでヒントをもらえば理解できる。
     ネルは頭を掻きながら、不慣れながらも答えを言葉で綴り始める。

    「あー、つまり……なんだ。あたしたちに見せるためか。どんな技術があって、それがどんだけ優れているかってのを。だから……えーと、あれだ。リサイクル技術だの、海の上でも資源を集める技術だの……。あとあれか。集めた資源から商品を作る技術か」

     思いつくものをとりあえじ列挙していくと、ウタハは満足げに頷いた。

    「ほぼ正解。流石だねネル」

     それからウタハが言ったのはまさにネルが上げた通りの技術群の話であった。

    「廃棄物から様々な素材の再生ペレットを生産する技術と、再生ペレットから物品を製作する技術。あとは海洋資源を調達する技術と、海洋資源からペレットを生産する技術かな。設計図は流石に見せてもらえなかったけど、カタログスペックを見る限りじゃ10年20年ぐらいなら余裕で海の上でも大抵の物は作れるだろうね」

     ただの豪華客船に乗せるにはあまりにオーバースペックな生産工場。ミレニアムの一般化すらされていない技術の見本市であるが、まだ表に出ていない技術を見ることが唯一出来るのもまたこの『メリッサ号』のみ。そう考えるとこんな訳の分からない船が存在するのも理解できるような気がした。

    「あー、要はこの船っつーのは投資家だとかなんだとか向けの船なのか」
    「会長が言うにはそこそこの需要があるらしいね。それこそプレミアムチケットが三桁を超える価格で取引されるぐらいにはさ」
    「お金集めのためなんだ~」
    「あとは市場に流す前の認知度拡大かな? どんなに優れていてもよく分からないものを使おうとする者なんて余程酔狂じゃなきゃいないだろうさ」
    「チヒロが言いそうなセリフだな」
    「チヒロが言ってたセリフだからね」

     ウタハは愉快気に肩を竦めるのを見て、ネルはその素振りに『会長』の面影を見た。
     これで会長職について世間擦れでもしたのなら、会長のような人を食ったような性格になるのだろうかと少しばかり懸念を浮かべざるを得ない。ネルはそう思った。

  • 101二次元好きの匿名さん25/11/17(月) 05:18:28

    つまり技術宣伝用…

  • 102125/11/17(月) 08:12:21

    「つーか、こんなツアーを頼んでおいてなんだけどよ。お前らは大丈夫なのか? こう、あたしらに付き合って」
    「うん? レポートのことかい?」

     だったら問題ない、とウタハは即答した。

    「専攻科は基本的に作り慣れてるからね。その分、もちろん内容もかなり精査されるからしっかりやる必要はあるんだけど……まぁ、大体四日もあれば充分なものは作れるかな?」
    「リオのやつ、この船のこと会長に繋げて探ってたぞ」
    「今日明日ぐらいはフルで使うつもりだろうね。明日中にはある程度固めてって流れだと思うよ」
    「じゃ、明日まではがっつり調べるつもりってわけか」
    「だからそれまでなら私も余裕はあるんだ。書き方ぐらいなら手伝えるさ」
    「わりぃ。正直助かる」

     レポートなんて書いたことが無いために、どう書くかという『定石』を一切分からないというのは暗中模索も良いところである。
     一般科でもレポート課題の経験にはバラつきがある。この『修学旅行』は書いたことの無い生徒に一度体験させるというのも分かっている。分かってはいるが、とにかく面倒だということには変わりない。

     思わず溜め息を吐くしかないが、そんなネルにウタハは言った。

    「ネルならすぐに『慣れる』んじゃないかな。何なら割と点数良い方だったよね? 数学とか物理学とか」
    「そりゃあれだ。殴り合いなら散々やってるからな。国語とかも点は取れてんな。『作者の気持ちを答えよ』みてぇのとかよ」

     勉強は、まぁ、出来る方ではあると思う。

     そんな自認の中にあるのは、登校中に喧嘩売られて遅刻したりだのなんだのしても中の上ぐらいの成績は取れているという事実からである。
     勉強も、戦闘経験に置き換えて考えれば割とすんなり繋がるものがそれなりにあるからだ。とはいえ、苦手で無いことと『苦手意識が無い』ことはイコールで結ばれるわけではない。出来なくはない、というだけで面倒だと思うことに変わりないのだから。

     ただ、不良でも無いのに不良扱いされたり、何ならその流れで『頭が悪そう』なんて舐められるのもそれはそれで充分腹の立つことではあった。成績は別に悪くない。これが『単純だ』という話であれば事実であるため否定する気も何も無いのだが。

  • 103125/11/17(月) 08:18:04

    「それで言ったらアスナは合格点だけは取るよね。勉強してる姿なんて見たこと無いんだけど……」
    「器用なんだよアイツは。この前なんて5、6個のモニターに別々の学習内容を二倍速で流して『なるほどね~』だとか言ってたぞアイツ……」
    「テストのためだけの勉強だよね。テスト内容のヤマカン特化だとか、もうテストを作る側になればいいんじゃないかって何度か思ったよ」

     回答欄が白紙か正解かの二通りだけ。テストに出る範囲だけを予測して覚えて、それ以外は全て忘れる。
     画一的な評価軸では評価のしようがない才能。故に、それを評価できるのはミレニアムを除いて他になく。

    「ってか、ひとつ言って良いか?」
    「何かな?」
    「アスナの野郎、気付いたらどっかに行っちまったみたいだ」
    「おや」

     ウタハが振り返る。ネルと目が合い、その後ろにアスナの姿が無いことをウタハが認知して、ネルは溜め息を吐いた。

    「気が付いたらどっか行ってたわ。はぁ……。ま、あいつなら上手くやんだろうけどよ」
    「流石のネルもアスナがいつ居なくなったかは分からないんだね」
    「バカ。殴り合ってる最中だとか、あたしかお前に殴りかかろうとしてんなら気付くっての。あー、あとリオなら気付けるな」
    「目が離せないからかな?」
    「分かって言ってんなよウタハ」

     半目で頬を歪めると、「確かに」と頷かれる。
     正直リオは目が離せない。保護者的な意味合いで。

    「リオにはヒマリに見張っててもらうぐらいがちょうどいいだろ。マルクトもお目付け役としちゃあんま頼りにならなくなってきたからな」
    「そうなのかい?」

     まるで何も分かっていないように首を傾げるウタハに、それこそネルは眉を顰めた。

  • 104125/11/17(月) 13:02:25

    「ウタハお前……マジで分かってねぇのか?」
    「…………うん。思い当たるところはない。マルクトはおかしくなっているということかい?」

     考える素振りを見せて首を振るウタハ。どうやら講師役が代わったらしいとネルは感じて口を開いた。

    「あのな? あいつ、セフィラと接続すると性格が微妙に変わってんだよ。あー、いや、変わったっつーか、影響されてるっつー方が合ってるか?」

     朱に交われば赤くなると言ったように、人は身近な人間の影響を少なからず受けるものである。
     もちろんそうした影響の受けやすさは個人差が大きいもので、ネル自身もリオと関わる中で面倒見の良さが増していることを自覚していた。

     語らい、接し、互いに影響を与え合う。それが社会でありコミュニティの本質とも言えよう。

     その中で、マルクトは特にその傾向が大きい。セフィラとの接続はネルが聞き及ぶ限りでは、どうやらセフィラ間での記録の共有も発生しているらしい。つまり、接続式は長年行動を共にするぐらいの影響を互いに与え合う効果を持つとも言える。

    「で、この前捕まえたビナーが相当我が儘だったろ? まぁ……なんだ。あー、『成長』だなこれも」
    「だいぶ言葉を選んだね」
    「良いとか悪いとかでもねぇだろうしよ……」

     流石に言葉を濁すネル。というより、ネルですら言葉を濁すのがマルクトの状態である。
     良くも悪くも人間臭さが出てきたというか、何と言うか。

  • 105125/11/17(月) 13:04:31

     と、そんな時だった。
     通りの雑貨屋に入るチヒロの姿が視界の端に移り、ネルは「よぉ!」を手を上げる。

     ――しかし、チヒロはこちらを見ることすら無く雑貨屋の中へと入って行ってしまった。
     明らかにこちらの距離が聞こえていたであろう距離にも関わらず、だ。考え事をしていたのならまだしも普通に無視されて思わずネルは舌打ちをひとつ。

    「なんだよあいつ」
    「まぁまぁ。チヒロにも理由があるんだろうさ」
    「……何か知ってんのか?」
    「いや、さっぱり」

     そう言うウタハの目に何らかの期待を帯びていることに気が付いたネルは、それ以上追及することをしなかった。それぞれがそれぞれで何かをしている。そこに変なもつれが無いのなら別にいいかと一旦脇に置いておくことにした。

    「んじゃ、引き続き『メリッサ号ツアー』よろしく頼んだぜ。『ウタハ先生』?」

     冗談っぽく言ってみる。ウタハは、ぐふ、と笑い声を噛み潰してから大仰に手を広げた。

    「もちろんだとも『美甘ネルくん』? さぁ、色々と面白そうな発明を共に見に行こうじゃないか」

    -----

  • 106125/11/17(月) 19:19:17

     リオとマルクトの二人組は、記念メダルをもう数枚手に入れるべくカジノエリアへと向かった。

     そこでは、このカジノの真実を知ったリオが呆然と立ち尽くしていた。

    「有り得ないわ……。これは、イカサマよ」
    「確率分布的に有り得ない。そういうことですね、リオ」

     カジノエリアに入って10分。たった10分で全てのコインを失ったリオが膝を突き、その隣で険しい表情を浮かべるマルクト。
     このカジノは魔境であった。確率的に有り得ないほどの大敗を繰り返し――加えて一度に賭ける金額すらも間違え続け――気付けば最初に配布されるコインは既に底を突いていた。

     ここはあくまで『健全な』カジノであり、キャッシュとの交換は行えない。
     つまり元手を増やすことが出来ないのだ。設定も甘いゲームセンターのコインゲームレベルのスロットにも関わらず、リオはその全てにおいて負け続けた。

    「マルクト。ヒマリはどうやって勝っていたのかしら?」
    「動体視力で強引にイカサマを見破ったとのことです」
    「イカサマ……? 聞いていないのだけれど……?」
    「これはうっかり。申し訳ありません」
    「なら仕方ないわね。これから気を付けてちょうだい」
    「はい、リオ」

     独特の空気感の中で行われる応酬だが、それに突っ込める者は残念ながらここにはいない。
     ついでマルクトがポンと手を打って、リオにひとつ提案をした。

    「そうです。掛けコインが無くなってしまったのなら借りれば良いのです」
    「借りる? 誰から借りれば良いのかしら?」
    「ヒマリが5000枚のコインをプールしております。そこから借り出しましょう」
    「確かにその方が合理的ね。暗証番号は?」
    「もちろん見ております、リオ」

  • 107125/11/17(月) 19:28:01

     マルクトは頷くと早速ヒマリのカジノ用口座から全コインを引き出す。
     ヒマリがカジノに対してそれほど興味が無いことはマルクトから見ても既に分かっている。あれは本当に興味が無い。必勝法を見出したが故に、元手が数コインあるだけでもすぐに稼げるのだ。

     強いて言うなら勝手にヒマリの物を『借りた』ことに対してちょっとした意趣返し的な悪戯をされるぐらいだろうが、その時はヒマリ側に着こう、とマルクトは内心固く誓っていた。『悪戯心』を覚えたマルクトの精神年齢はおよそ12歳前後。人間の心を学習し続けた機械は遂に反抗期ならぬ『反逆期』を迎えていた。

    「ではリオ。こちらをお使いください。倍にして返せばヒマリも恐らく気にしないでしょう」
    「それもそうね。使わせてもらうわ」

     そしてリオも、こと学術や研究を除けば幼児も同然。特に咎める倫理も薄く、それがヒマリの物であると言うのなら一切の躊躇はしなかった。

     かくして得た追加資産5000コイン。これを元手に記念メダル4枚分――即ち2万枚と返済分5000枚を稼げば何事もなく目的は達成される。

     リオはコイン箱を抱えてマルクトへと振り返る。

    「では、もう一度始めましょう。私たちの本当の勝負を――」



    「――負けたわ」
    「完敗ですね」

     ヒマリのコインを使ってから20分後。再びリオは膝を突く。根本的に賭け事に向いている性格ではなく、そんなのが二人。二倍の速さで訳の分からぬ賭け方をしたために「勝てそう」なんて盛り上がりすら無くリオとマルクトの二人はギャンブルを前に敗北していた。

  • 108二次元好きの匿名さん25/11/17(月) 21:13:39

    なぁにしてんだぁ!?

  • 109二次元好きの匿名さん25/11/17(月) 23:45:38

    保守

  • 110二次元好きの匿名さん25/11/18(火) 08:52:51

    維持しとく

  • 111二次元好きの匿名さん25/11/18(火) 15:10:59

    ヒマリぶちギレそう

  • 112二次元好きの匿名さん25/11/18(火) 21:15:42

    夜保守

  • 113125/11/18(火) 23:45:57

    一旦保守

  • 114二次元好きの匿名さん25/11/18(火) 23:47:52

    保守

  • 115二次元好きの匿名さん25/11/19(水) 07:12:45

    昨晩はクラウドフレアが落ちたのが世界中で影響してたらしいですね

  • 116125/11/19(水) 09:46:19

     残コイン0枚――このままではメダル以前に、ヒマリに何をさせられるか分かったものではない。
     何としてでもヒマリから『借りた』5000コイン分は補填する必要がある。にも拘らず現金でコインを交換することができない『健全な』このカジノにおいて人から借りる以外に増やす方法が存在しない。

     遅れて事の重大さを認識すると同時に、リオの額を冷や汗が伝う。

     まずい。本当にまずい。勝ったり負けたりしている周囲の観衆が発する熱に当てられてでもいたのだろうか。
     そもそも何故トータルでは負けることが決まっているギャンブルにおいて、自分が勝ち抜けると思ってしまったのだろうか。

    「仕方が無いわ。何とかしましょう」
    「何か策があるのですか?」

     マルクトの問いに頷くと、リオが向かった先は保有コイン数のランカーボードであった。
     つい先ほどまでコイン5000枚でランカーボード四位だったヒマリも今やリオと同じくコイン0枚の最下位タイに落ちてしまっているが、重要なのはそこではない。

     ランカーボード一位の名を見れば、そこには保有コイン数12万枚で二位をぶっちぎっている『見知った人物』の名が表示されていた。

    セミナー会計、久留野メト。

    「無ければ借りれば良いのよ。私たちに必要なのは2万5000枚。メト会計にはEXPOでのテロ騒動で私たちに借りがあるといっても過言では無いわ」

     正確には『借り』というより『負い目』に付け込む形となるのだが、その違いすら意識することなくさらりと言うリオにマルクトは同調し頷いた。

    「そうでしたか。では早速徴収――もとい、『お話』しに行きましょう」

  • 117125/11/19(水) 09:47:24

     あわれメト会計。そうして二人が次に向かった先は会計に与えられた部屋である。
     ばん、とマルクトが意味も無く勢いに任せて扉を蹴破ると、中から「ひゃぁ!?」と悲鳴が上がった。

    「失礼するわ、メト会計」
    「失礼します、メト」
    「なっ――ななっな……なにぃ……!?」

     びくりと身体を縮こまらせて、怯えた様子でシーツを被るメト会計の元へずかずかと部屋へと侵入するリオとマルクト。
     街往く不良だってもう少し慎みがあるだろうその姿に、メト会計は距離を取るように隅まで逃げてまんじゅうみたいに丸まりながら震え始めた。

    「きゅ、急に何なのぉ……!」
    「コインを借りに来たわ。2万5000コインあれば良いのだけれど」
    「リオは『EXPOでの借りを返してもらう』とのことです」
    「何かコインを貯めている理由はあるのかしら? ランキング一位を保持するというのが目的なら二位ですら1万3000枚。私に貸しても問題無いはずだけれど」
    「リオは『ちょっと跳んでみろや』とのことです」
    「ひぃぃぃぃ……!!」

     メト会計はしゃがんだまま部屋の隅でぴょんぴょんと飛び跳ねる。その度に被ったシーツがばさばさと揺れて、まるでレトロゲームに出て来る雑魚敵の白い版が出現したような動きを見せていた。

     それをしばらく眺めて息切れした会計がぱたりと地に伏せて、ふとリオが今更と言ったように呟いた。

    「……もしかして、驚かせてしまったかしら?」
    「と、突然蹴破られて驚かない人なんていないよぉ……!!」
    「それもそうね。マルクト、扉を直してあげてちょうだい」
    「既に直してます、リオ」
    「流石ね」
    「扉が壊されたから驚いているんじゃないってぇ……!」

     話の通じない二人組に押し入られるなんて恐怖体験を味合わされたメト会計が珍しく叫ぶ。
     それから、多少は落ち着いたのか一旦仕切り直して向かう合う会計とリオたち。メト会計はおずおずと口を開いた。

  • 118125/11/19(水) 09:48:24

    「あ、あの……ココ、コイン? 欲しいならあげるけど……ど、どうして……?」

     メト会計からすれば当然の疑問であった。

     ただの遊びで、しかも運の要素が無い『計算可能な卓』が存在する破綻したカジノのベット。必要ならそこで増やせばいいのにと思うのは弱者を認知しない強者の思考。だからどうしてわざわざ『借りる』なんてことが起きるのか理解できていなかったのだ。

     そんな機微を理解できるわけがないのがリオである。
     だから返される言葉もまた、極めて端的な事実のみであった。

    「会長が何かを船に隠したと推測できるわ。その手がかりがカジノにある。だからコインが必要なのよ」

     ――会長が。

     その言葉を聞いた瞬間、メト会計の顔つきが変わった。
     先ほどまで怯えていた、二つ上とは思えない『先輩』は何かを探るように無表情でリオの目を見る。

    「どういうこと、かな?」
    「……っ」

     突然の豹変に驚くマルクト。まさに別人。そしてそれが弱者の皮を被ることを無意識の処世術としていたメト会計の素の顔。その心の内に何処か焦りに似た何かを感じ取り、素直に答えることにした。

    「メト。私たちもまだよく分かっていないのです。ただ、少なくともメダルの中に妙なデータが隠されていたことに気付き、それを調べたところ――」
    「うん。それだけでいいよ。あとは自分で調べる」

     それだけ言うと、会計はタブレットを取り出して画面を操作する。
     どうやらコインの譲渡を終えたようだ。どうやって遠隔操作したのかも、何ならリオのコイン用口座をいつから特定していたのかも分からないが、それを知ることは特に意味の無い行為だとも分かっている。

     だから、代わりにマルクトが尋ねたのはこんなことだった。

  • 119125/11/19(水) 09:49:25

    「会長の身に何か起こるのですか?」

     ふと、マルクトへと視線を向けメト会計の表情は、深い諦観に満ちていたのだとマルクトは感じた。
     いつか来る終わりの日を迎えてしまったような、無力感に苛まれる虚無の苦しみ。それはセフィラたちが抱える『病』とよく似ていて、それが『よくないもの』であることだけは確かである。

    「私は……」

     ぽつり、と会計が声を漏らした。

    「もう二度と、私はシオンちゃんに会えないと思う」

     メト会計からしか出て来ない会長の『名前』が静まった室内に零れ落ちる。
     憂いを帯びた瞳が揺れる。それを見て思わず声をかけようとしたマルクトだったが、こういう時に言うべき言葉を知らぬが故に手を伸ばしかけて、それから下ろした。

    「メト。私たちが力になれそうなことはありますか?」
    「ううん、ないよ。ヒントは貰えたから、そのコインは二人にあげる」

     会計はそう言って震えも無く立ちあがる。やるべきことが見つかったと言うべきように、リオたちへと改めて目を向けた。

    「やることが出来たから。あと何か必要なものはある?」
    「いえ、無いわ」

     リオもまた立ち上がって、用は済んだと背を向ける。

    「礼を言うわ。何かあったら言ってちょうだい」

     そうして、嵐のように現れたふたりが部屋を出てぱたりと閉じる部屋の中。
     ひとり残されたメト会計は小さく息を吐いた。
     思い返すのは二年前。会長と初めて会った日のこと。そして――『みんなでマルクトを作り出した』あの時のことだった。
    -----

  • 120125/11/19(水) 14:28:48

     その日は、夏の太陽が照り付ける何てことの無い夕暮れ時のことだった。

    「じゃ、じゃあね。エリちゃん。また明日」
    「うん~。また明日~」

     部活に入るわけでも無く、数少ない友人と共に過ごす日々。

     一般科で何の取り得もない自分と、専攻科で何でもできるが変わり者すぎる仁近エリ。片や人目を気にし過ぎるのがコンプレックスな自分と、人目を意識から零れてしまうことがコンプレックスなエリとの歪な友人関係。息が合うわけではない。ただ、一緒に居ても苦ではない不思議な関係であり、妙な親交関係が珍しく続いていた仲でもあった。

     とはいえ、一般科と専攻科。決まったスケジュールで動く自分と、スケジュールを自分で決められる専攻科は度々時間が合わないこともあり、ちょうどその日もそんな日だった。

     友人と別れた帰り道。自宅までの帰路へ就こうとした時、どこからか呻くような声が聞こえたのだ。
     それが押し殺したような泣き声にも聞こえて周囲へ耳を傾ける。付近には誰も居ない。耳をすませば聞こえる声の発信源は路地裏の方。

     そこに怒号や何かがセットで聞こえていたのなら、確実に聞こえなかった振りをしてその場を離れたのかも知れない。
     ただ、誰かがひとりで泣いている――そう思って、聞こえなかった振りをするにも喉に小骨が刺さったような気がするからと、そんな消極的な理由で路地裏を覗くことにしたのだ。

     決して助けようだとかなんて考えてすらいない。ちょっと覗いて、「自分に出来ることは無い」という理由付けを完了させるまでの儀式でしかない。

     それが、分岐路だった。

  • 121二次元好きの匿名さん25/11/19(水) 22:07:50

    分岐路!?

  • 122125/11/19(水) 23:20:53

    「ぅくっ――あ、あぁぁぁぁ……」

     顔を覆って蹲る小さな人影。小学生か中学生かも分からない。
     だが、そんなことよりも目についたのは蹲る子の周囲の空間である。ノイズが走っていたのだ。

     まるで空間そのものが歪んでいるように、ジジ、とノイズが小さな身体を覆っていく。
     顔の上半分は既に見えなくなっており、尋常ならざる何かがその場に起こり続けていた。

    「き、消えたくない……。まだ、何も出来ていないのに……っ!」

     悲痛に呻く少女に這いずる空間の揺らぎ。
     不気味だったのはまさにそれだった。走るノイズがまるで少女の身体を食いつくすかのように走り続けていることである。

     ――ここにいちゃいけない。見てはいけない。

     本能的な恐怖に思わず後ずさる。
     その足音に、『何か』に食われつつある少女が顔を上げた。

    「わ、私は……誰?」
    「――――っ」

     蹲る少女の顔が見えて、思わず息を呑む。
     そこにいたは『自分』であった。自分と全く同じ顔。自分と全く同じ姿に全く同じ声をした存在が縋るようにこちらを見ていた。

     それを見て、メトの中で膨れ上がったのは恐怖心ではない。純粋な嫌悪感である。

     一体何度嫌ったか分からない臆病な自分自身がそこに居た。
     卑屈な笑みを浮かべて周囲に迎合する醜悪な自分。だからこそ、メトには絶対に見たくない『都市伝説』があった。それが――

    「ドッペル、ゲンガー……」

  • 123125/11/19(水) 23:45:47

     そう呟いて『認識』した瞬間、もうひとりの自分の姿にかかるノイズが減った気がした。
     それにはノイズに食われかけていた本人も予想外だったようで、驚いたように自分の身体を確かめて、それから呆然と呟いた。

    「そっか……『テクスチャ』。楔があれば残れるんだ……」

     打って変わって様子の変わった『ドッペルゲンガー』は、何かに気付いたように慌ててメトを見た。
     その目はまるで救世主でも見つけたかのように見えて――その目は自分が縋れる誰かを見つけた時と同じく醜悪なもので、自身が嫌悪する自分自身の依存心をまざまざと見せつけられるようなものでもあった。

    「ね、ねぇ……」
    「――何?」

     びくりと肩を震わせる『もうひとりの自分』。
     それに対してぞっとするほど冷たい声が自分の喉から出てきたことに少しばかり驚いた。


     他人に向けて絶対に発するはずのない声色。絶対に思うことすら無い感情。


     けれども目の前にいる『もうひとりの自分』に対してだけは取り繕う気すら起こらない。ただ、無性に苛立った。大嫌いで何も出来ない自分自身が目の前にいるのだから。

     取り繕う自分が嫌い。卑屈に笑う自分が嫌い。いつだって被害者側に居ようとしている自分が嫌いで、被害者側に居られることに安堵する自分が誰より大嫌い。

     誰かに何も求めない。求めず縋るような顔をして『勝手に誰かが救ってくれる』ことだけを願う醜悪な存在。
     まるで鏡の中から出てきたような『もうひとりの自分』は視界に映るだけで酷く心をかき乱す。何もはっきりと言わず、おどおどした『フリ』だけをして、そこまで分かっていながら自己嫌悪というぬるま湯から出ようともしない自分への憎悪が膨れ上がる。

    「な、何か、言いたいことがあるなら言ってよ……!」

     自分のみに向け続けた怒りを表出させるにも慣れがいる。
     それでも今だけは言えた。自分と全く同じ姿をした存在にだけは言うことが出来た。

  • 124二次元好きの匿名さん25/11/20(木) 05:59:36

    ふむ…

  • 125125/11/20(木) 09:43:05

     きっと訳の分からない状況見続けたせいで現実感が無くなっているのだ。

     今なお縋るような視線しか向けない『もうひとりの自分』。何も言わず、『助けない方が悪い』とでも言わんばかりに目を伏せる鏡映しの姿。

     それはまるで目覚めていながら見続ける悪夢のようで――ただ『認識』するだけで感情が揺らぐ存在。慣れぬ興奮で身体を震わせながらメトは叫んだ。

    「いつもいつも見てばかりで何にも言わないで、そっ、それで相手が勝手にたす――」
    「『助けて』」
    「っ……!」

     びくり、と身体が硬直した。
     自分と同じ姿をした存在が言ったのは、絶対に自分が人に対して言わない言葉。思考が止まった一瞬を突いて、『メト』が自分の手を掴む。

    「助けて。『私』を助けられるのはあなただけなの」
    「なっ、なにを――」
    「何を言ってるのって思うよね? 取り得が無い、何にも出来ない、そう思おうとしてるのは自分だけって分かってる……。でも本当は、やろうとすれば何でも出来るって分かっている。失望されたく無いから期待もされたく無くて、だからずっと出来ないフリをし続けて、自分は駄目だって思おうとしてる。それが『私』で私」
    「ち、ちが……」

     路地裏に聞こえる『一人分』の声。姿は二つ。手を掴む『メト』を振り払うことが何故だか出来ない。

    「無理だよ。だって『私』は、どんなに見たく無いものでも目を離したことは無かったんだから。ずっと嫌な自分を見続けて来た。『私』は嫌なものほど目を逸らすことが出来ないんだもん」

     眼前の『ドッペルゲンガー』がゆっくりと立つ。
     全く同じ高さにある瞳に映る自分の瞳に映る自分。鏡合わせの向こう側で『久留野メト』が眉尻を下げて悲しそうに笑った。

    「『私』が私に自分の使い方を教えてあげる。『私』には『私』が二人必要なの。全部話すから」

  • 126125/11/20(木) 09:48:47

     そうして聞いたのは、そのドッペルゲンガーがいったいどこから来たのかという話。何があったのかという話。そして、これからやるべきことの話。
     途中、『ドッペルゲンガー』は最初に見かけたオデュッセイアの小さな子の姿にもなって見せて、自分が出来る全てを包み隠さず全てを話した。

     頭を疑うような奇妙な物語。固有名詞が多かったため若干混乱しながらも遅れず話に付いて行くと、それだけで『その子』は意地悪そうな笑みを見せた。

    「流石だねぇ。いやぁ、まさか純粋な運で救われることがあるなんて思ってもみなかったよ」
    「そ、それは『あなた』がそういう人生を送って来たから……?」
    「そうとも。だから表情の変化には気が付ける。相手がいま何が欲しいのか大体分かる。『僕』は良い子なんだよ。裏を返せば、相手が嫌がることも大体分かる。どんなに相手が隠していても、こっそり見るぐらい容易いんだ」

     そう言って軽く息を吐くと、気付けば『その子』の隣にはもうひとりの自分が立っていた。

    「一度でも『観る』ことが出来れば『出て』来られるの……。ひ、一人分だけで良いなら『私』だけで良かったんだけど、そ、それじゃあ足りなくて……」

     もじもじと話す『ドッペルゲンガー』は言い終えると同時に再び姿を消す。そんな凄い力を持っていながら助けを求められた理由を理解してメトは頷いた。

    「あ、あなたは私のこと全部分かるんだよね……? だから出来るって信じてるんじゃなくて『知っている』……んだよね?」
    「さっき全部話しただろう? 大体、君がこの路地裏に来てくれなかったら僕はそこで終わっていたのさ。僕の知識だけじゃ駄目だった。君の演算能力があの場で揃ったから千年難題をひとつ解き明かせたんだ。だからさ、乗り掛かった舟だと思ってこのまま協力してよ。もちろんただとは言わないさ」
    「え、な、何かくれるの……?」
    「君が望むのは『嫌いな自分を消したい』だったね? 正直それは協力してくれる過程で解消できるからさ。この先どこかで思いついて、それが本当に欲しい物だって君自身が自覚したそのときに全部あげるよ」

  • 127125/11/20(木) 10:23:37

     名前の無い子供は底意地の悪い笑みを浮かべて手を差し出した。
     握り返せば契約成立。それは悪魔の誘いか人外の誘惑か。相手は知っているのだ。自分がその手を握り返すかなんて。

    「――契約成立、だね。ひとまずやらなきゃいけないことを片付けていこう」
    「な、なにするの……?」
    「『名前』だよ。今の『僕』にはここで使える名前が無い。学生証の偽造と併せて名前を付けてくれないかな?」
    「じゃ、じゃあ……」

     と、二人でアイデアを出し合いながら、学生証を偽造するために必要な作戦を計画する。
     全ては『ドッペルゲンガー』をあるべき場所に還すため。失われた『王国』を再建し、ついでに『王国』を落とした犯人を見つけ出し、二度と消されたりしないように対処すること。

     そのためにもいま『ドッペルゲンガー』に必要なのはセミナー役員たちの情報であった。
     一度『観て』しまえばそれで済むのだが、一般科のメトがセミナー役員のことについて詳しいはずもなく、どうやって『ドッペルゲンガー』と会わせるかが問題となる。

    「だ、だったら……ね、猫とか鳥とかになるのはどうかな……?」
    「いいね。動物だったら屋外にいるぐらいなら違和感も無い……けど、あまり人から離れすぎると自己を失いかねないからその手は最終手段にしよう。あんまり矛盾を増やし過ぎると最悪さっきみたいに消えかねない」

     万能とも言える力を持つ『ドッペルゲンガー』も、あまり人前で奮い過ぎれば『世界』に見つかって消されてしまう。かかる制限の抜け道を見つけるまでは、地道に探っていくしかない。

    「『王国』を作り出せることが出来るぐらいミレニアムの技術が発展しているかすら分からない。けれど、少なくとも『僕』は今日君とここで出会うことが出来た。ツキが回っていると信じるしかない」
    「もし無理だったら……?」
    「長い戦いになるってだけさ。足りなければ伸ばしてやればいい。全部上手く行くよう基礎から固め直すしかないけど……。ま、もし君が卒業するまで長引いてもちゃんと報酬は渡すよ。次の協力者を探すのが面倒だけどね」

     軽い口調に含められた『もしそれまで自分が消えていなかったら』という言葉に不安を覚えるも、それでもやれるだけのことはやるしかない。時間は無限ではないのだから。

  • 128二次元好きの匿名さん25/11/20(木) 17:33:58

    うむむ…

  • 129二次元好きの匿名さん25/11/20(木) 23:28:18

    保守

  • 130二次元好きの匿名さん25/11/21(金) 07:26:35

    あさですよ

  • 131125/11/21(金) 11:31:07

    「さぁ、天才たちを集めるために頑張ろうか! 君にはしっかり働いてもらうよぉ~? ニヒヒッ」
    「が、頑張る……」

     小さく、けれども拳を握って呟くメト。
     それが『ドッペルゲンガー』が初めて出会った日のことである。

     ミレニアムの天才たちを集めて失われた『王国』を作り出すという、崩壊直後から始まる物語。

     感情のコード化と有機性を持つ無機的素材の作成。
     固体よりも流体に近い金属の精製。大規模なドロイド兵の全自動製造工場の建設。

     この世界に無かったはずの技術の全ては『廃墟』の中でのみ作られ、全てが『廃墟』の外へと漏れ出ぬように密閉された。

    「懐かしいねぇ……」

     久留野メトと共に歩んだこれまでを懐かしみながら、会長は割れた培養槽を見上げていた。

     空間そのものを錠とする技術もここで生まれたのだ。『廃墟』から抽出した『特定の記録のみを消す技術』によって、ここで行われた全ての研究のデータは今や何一つ残っていない。覚えているのは自分だけで、データがあれば再現できるのはセミナー役員に選んだ二人を除いて存在しない。そもそも、再現などする必要なんて何処にも無いのだが。

    「ま、壊れたままってのも寂しいからね」

     そうして会長が培養槽に背を向けたときには、既に培養槽は壊れる前の状態へと戻っていた。
     急速な技術進化の最果てで、『ドッペルゲンガー』と名付けられた怪物はメトと共にマルクトの『模型』を作り上げたのだ。

     ――そう、『模型』である。

     完成からは程遠く、本来であればそこから次の研究に移るはずで、まだマルクトと呼べるものでは決して無かった。
     この世界に存在しない者と同じ名前を持ち、同じような機能を搭載し、機体は限りなくセフィラとして顕現するときの物に極めて近い。足りなかったのは『役割』であり、セフィラたる『意味』だけだった。

  • 132125/11/21(金) 11:32:30

    「いまこの瞬間というものは、過去に堆積した限りなく低い可能性によって存在しているのさ。……はい、原形復旧完了」

     建物から出ると、セフィラと特異現象捜査部との戦いでほとんど更地と化していた『廃墟』が元の形へと戻っていた。
     全ての旅が始まった二年前の八月以前と寸分違わぬ無人の都市。苔に覆われ、ただそこに在り続けるだけの建造物群。

     会長は何かを覗き込むように空を見上げた。

    「見ているんだろう? ケテル。少し巻きでコクマーを投げ落としてくれるなんてことはお願いできるのかな? なんて」

     そんな言葉に意味なんて無いことを会長は知っていた。

     第一セフィラ、『王冠』の名を座す『はじまりのケテル』はただそこに在るだけの存在。意思を持たず、疑似人格も有さない完全たる世界機構。最も神に近い存在。

     相も変わらず無い反応に溜め息を吐いて、それから脳裏を過ぎるのは修学旅行中の預言者たちのことである。

    「チヒロちゃんたちならざっくりとした断片ぐらいなら拾えるだろうけど、時間が無いからねぇ。そもそも君たちに向けた謎でもないし、ほどほどにしてくれればいいんだけどさぁ」

     なんて言っても、明日いっぱいまではきっと解き明かそうとするのだろう。
     それはそれで都合がいい。マルクトがミレニアムにいるだけで視られてしまう。こちらの準備が終わるまではのんびりしてもらっていた方がこちらとしても助かるのだ。

    「さて、今頃何をしているんだろうねぇ……」

     呟かれた言葉が11月の空へと消えていく。
     此処より遠くの洋上、果てへと向かう『メリッサ号』ではいま、コタマがアスナによって拉致されている最中であった。

    -----

  • 133二次元好きの匿名さん25/11/21(金) 11:47:15

    またしても連れ去られる音瀬コタマ(過去の姿)

  • 134二次元好きの匿名さん25/11/21(金) 17:42:05

    コタマー…

  • 135125/11/21(金) 19:55:12

    「すっごい広いねやっぱりこの船!」
    「うぁーぁぁーあぁ……」

     アスナの小脇に抱えられたコタマは爪先をずりずりと引きずられながら半ば諦めた様子で声を漏らしていた。そこに抵抗の意志は無く、抵抗しても意味が無いという学習を終えた哀れな等身大人形が如き待遇で船内を引きずり回されている。

     どうしてこんなことになっているのか、そんなことはコタマ当人でさえも分かっていない。
     ひとつ言えることがあるとしたら盗聴器を仕掛け終えて今日の成果を楽しむべく自室へ戻る途中にアスナが襲来してきたということだけである。

    「あの、アスナさん。これどこに向かっているんですか?」
    「うん? わかんない!」
    「さいですか……」

     初見ならまだしも二度三度と拉致られればアスナの性格なんて分かるというもの。何か理由はあるのだろうが本人がそれを自覚していないパターンだと理解する。つまり聞いても意味が無い。行きつく先のまま身体を委ねることしか出来ないと、されるがままに何処かへコタマは運ばれていく。

    「それにしても……本当に速いですよね。いま時速何キロ出てるんですか? というか本当に人間ですか?」
    「分かんないけど80キロぐらい?」
    「そういえばチーターって持久力があんまりないと最近マルクトが話してましたけど、アスナさんはこの速さで何分ぐらい走れるんですか?」
    「五分ぐらいとか?」

     そう言ってアスナは突然飛び上がり、ブレーキをかけるように踵から床へと着地して歩き始める。アスナに捕まってからちょうど15分前後。あまり息を切らしているようにも見えなかったが、やけに満足そうな表情で額を拭っていた。

    「ふぅ! 重りが欲しかったからありがとう!」
    「体重の話をしているのなら断固として抗議しますよ!?」

     ようやく床に降ろされたコタマは批難するように声をあげるが、はたと思う。果たして特異現象捜査部の中で一番体重があるのは誰なのか、と。

  • 136125/11/21(金) 20:05:03

    (ネルさんは論外として……)

     真っ先に幼児体形を排除してから考えてみても、胸も大きく背も高いアスナはそれなりに体重もある……が、胸という重しを外して考えてみても戦闘要員ということもあってかなり絞られている方である。

     そしてヒマリとチヒロ。どちらも運動不足にならない程度には運動をしており、以前ランニングに誘われた際には正気を疑ったがそれぐらいには健全かつ健康的な身体付きだ。

     不健全組である自分とリオ、ウタハの三名の中で、リオは謎の体質によりそもそも何故か太らない。
     ウタハもメカニックとして運動らしい運動はしていなくともそれなりに力仕事をしているためか割と痩せているし、何なら着やせするタイプである。

     では自分はどうか。思わず腹部を擦ってみる。
     若干摘まめる。いや、平均体重の範囲内にはちゃんといる。別に特別肥えているわけでは決して無い。

     なのに、身近の水準が高すぎて相対的に体形カーストの底辺に落とされている気がして愕然とした。

    「あ、あれ……? あ、あの、アスナさん? もしかして私、特異現象捜査部の中だと太っている扱いなんですか……?」
    「え? うーん。ミレニアムだと普通……の方じゃない?」
    「その間は何なんですかいったい!?」

     何故わざわざ対象をミレニアムに拡大したのか。邪推せざるを得ずに早口でまくし立てた。

    「いえあのですね? 健康というものはひとそれぞれ異なりますし、そもそも食事を抜きがちな方々も多いじゃないですか。つまり平均してもバラつきが多いのであまり参考にならないと思いますが!?」
    「え、でも真ん中の数ならコタマは――」
    「はいこの話終わりです! それで何なんですか!? 重し代わりに私を弄んで終わりですか!? だったら私は部屋に帰らせて頂きますが!?」

     地団太を踏みながら正式に抗議を行うコタマ。それに対してアスナはアスナで「はて?」とでも言わんばかりに首を傾げながらコタマの手を取った。

    「一緒に下の方に行かない? なんかそっちに行った方が良い気がするんだよね~」
    「っ……それ、私が行かなくちゃいけないものなんですか……?」
    「うん!」

  • 137125/11/21(金) 22:55:28

    保守

  • 138二次元好きの匿名さん25/11/22(土) 07:07:36

    さて

  • 139二次元好きの匿名さん25/11/22(土) 13:54:42

    次スレ用の表紙が完成しました

    今回モチーフにした絵画はレオナルド・ダ・ヴィンチの「サルバトール・ムンディ」

    人選からpart5で使っていただいた表紙のオマージュも入っています

  • 140二次元好きの匿名さん25/11/22(土) 13:58:11

    このレスは削除されています

  • 141二次元好きの匿名さん25/11/22(土) 13:59:12

    統合したものも

    そしてなんと、part3と今回のpart15の表紙と組み合わせることで、同じくレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」その完全版が完成いたします

    3人のマルクトはそれぞれ過去、未来、そして現在の方向を向いています

  • 142125/11/22(土) 16:14:42

    >>141

    おお! 世界の救世主! マルクトにピッタリ過ぎて最高です!

    そして遂に完成した最後の晩餐。これは熱い!


    思えばPart3はもう半年も前ですね。ここまでお付き合いくださり本当にありがとうございます。

    ……お、恐らくPart20! Part20行くか行かないかで完結するはずです!


    頑張りますのでこれからも引き続き宜しくお願い致します!

  • 143二次元好きの匿名さん25/11/22(土) 20:03:36

    保守

  • 144125/11/22(土) 22:19:04

     それはもう元気いっぱいに頷くアスナ。どうやらただの重りに使われていただけでは無いようで、そこに目的があるようでひとまず安心を――

    「――って、なぜ私はこんなことで安心を……?」

     すっかり悪い方面で慣れが出て来てしまって思わず項垂れるコタマ。
     そこに無邪気な笑顔を浮かべるのがアスナである。

    「食料プラントとか気にならない?」
    「まぁ、思わなくとも無いですけど……何故食料プラントに向かおうとしているのかを教えていただければ……」
    「なんとなく!」
    「あぁ……」

     予想通りというべきか、アスナはあくまで天真爛漫。その思考を読むことなんてそもそも不可能。言われるままについて行く他こちらが選べる選択肢など最初から無いのだと知る。

    「ええと……じゃあ、まぁ…………。行きますか」

     どのみち逃げても嬉々として追ってくるアスナから逃げ切れるわけもなく、コタマは諦めたように溜め息を吐いた。
     もちろん武力に屈したというのが全てではない。ここまで連れて来られる途中にちらちらと見えたのだ。チヒロの姿が。

    (確実に私の仕掛けた盗聴器を探してますよね……)

     まるで何処にあるかなんてある程度分かっているかのようにニアミスないしドンピシャで仕掛けた周辺に見かけるチヒロの姿。何とかバッティングせずに済んでいるし、何ならアスナに拉致されている間に見かけているのだ。拉致されているが故にアスナの脚力があってこそ追いかけられずに済んだと思っている以上、その一点においては救われた面も確かにある。

  • 145二次元好きの匿名さん25/11/23(日) 03:06:52

    せやな…

  • 146125/11/23(日) 08:00:13

     そうしてアスナが進むがままにその背を追っていくと迎えたのは階下へ続くエレベーター。
     大人しく乗り込んで下へと降りていくと、そこは『メリッサ号』内での製造を一手に引き受ける工場区画だ。

     通常、このような区画への立ち入りは許可制になっていたりと気軽に出入りできる場所ではない。
     しかしミレニアム生の学習を兼ねた今回の修学旅行に限り例外である。食料プラントは工場区画の一区画に位置していた。

    「おや?」

     と、食料プラントに繋がる通路を歩くコタマはふと声を上げた。
     通路の先に看板が立てられており、そこには『緊急メンテナンス中につき立ち入り禁止』と書かれていた。どうやら入れないらしい。

    「残念ですね。今は入れないようですしもう帰りま――ってちょっとちょっと!?」

     看板を無視して扉に近付くアスナの手を慌てて引くと、アスナは「うん?」を首を傾げながら振り返る。

    「中に入ってみよ~!」
    「いやいやいや、だからまだ入れないって書いてあるじゃないですか!」
    「開いた!」
    「なんでですか!?」

     扉にロックは掛かっておらず、アスナはそのまま食料プラントへと入って行ってしまう。
     慌てて追いかけたその先は無機質な清潔感に満たされた区画である。強化ガラスで区分けされた部屋の中には人工光で生育された植物が植えられており、それぞれキャベツ畑など多くの野菜が育てられているらしい。

    「あっ、大豆畑!」
    「じゃがいもも多いですね。ポテチ作り放題ですよ」
    「赤ピーマンとかイチゴも多いよ~」

     そう言われて改めて見直すと、確かに野菜畑は多いがその種類には酷く偏りがあった。
     一番多いのがじゃがいも。次にカラーピーマン。更に次にイチゴと、様々な品種の生育サンプルを見せたいのであれば単純に種類を増やせばものを偏らせている理由が分からない。

  • 147125/11/23(日) 08:03:17

    「この船を作った方の好物が多いとか……?」
    「そうとも限らないわ」
    「あっ、リオ……さん?」

     ふと声をかけられて振り返った先に居たのはなんとリオとマルクトだった。

     立ち入り禁止の看板を無視する者が多すぎる、とコタマは普段の自分を棚に上げて頭を抱えそうになったが、そこで口を開いたのはマルクトである。

    「やはり気付かれたようですね。リオ、私の勝ちです」
    「仕方ないわね」
    「あの、もしかして私で何か賭けてました?」
    「はい。特異現象捜査部のロゴに気付いたんですよね?」
    「えっ?」

     何を言われているのか分からず首を傾げると、マルクトはやけに澄ました顔でリオへと向き直りもう一度「私の勝ちです」と言う。リオもまた「気付いていないのなら成立しないわ」などと妙な言い合いを始めてひとり置いていかれるコタマ。

     そこに戻って来たアスナが「あの看板だよね」と言って、ようやく二人が何の話をしていたのかを知ることとなった。

     つまるところ、『立ち入り禁止』の看板はマルクトが作った物らしい。
     一般生徒が来ないように人払いをするためのダミーであり、ただ特異現象捜査部だけが偽物だと気付けるよう、看板の隅に特異現象捜査部のロゴを豆粒サイズまで小さくして描かれていたのだとか。

     リオとマルクトが賭けていたのは「それにアスナとヒマリ以外が気付けるかどうか」というもので、それでこうしてどっちが勝ったか審議に移っているらしい。

  • 148125/11/23(日) 08:04:32

    「いやあの、正直どうでもいいんですけど……お二人は何故ここに? わざわざ人払いをするなんて何かやるつもりなんですか?」

     二人にそう言うと、停戦協定と言わんばかりにリオとマルクトが互いに無言で目を合わせて頷く。

    「コタマ。それにアスナも。ちょっとついて来てちょうだい」
    「うん! いこっか!」

     笑顔でリオの後ろをスキップするようについていくアスナ。続くマルクト。
     自室へ戻る途中に拉致されて、流れで食料プラントに行くことになり、行ったら行ったで何かのイベントを踏んだかのようにまた何処かへと行くことになってしまった今の自分を振り返り、コタマは大きく溜め息を吐いた。

    「あの……私はいつ部屋に帰れるんですかね……」
    「どうしましたかコタマ? 疲れているのなら背負います」
    「いえ……背負われた方が疲れそうなので歩きます……」

     精神的な疲労は増すばかり。すっかり巻き込まれ慣れ始めてしまった自分を恨みがましく思いながら、コタマはリオたちの後を付いて行った。

    -----

  • 149二次元好きの匿名さん25/11/23(日) 15:51:40

    保守

  • 150125/11/23(日) 21:33:36

    「私たちが食料プラントに来たのは、ここに隠し部屋があると思われるからよ」

     人工生育の野菜畑が納められた部屋の間を歩きながらここまでの説明を行うリオは、手身近にコタマたちへと情報を共有する。カジノの記念メダルに隠された『メリッサ号』の設計図。メダルの中に隠されたデータは全て同じで、全ての記念メダルを回収する必要が無かったのは幸いか。

     また、隠されてはいないがミレニアム生でも立ち入れないエリア――主に機関部を始めとした船の運航に関わる部分への権限も何処かに隠されていることが予測できる。理由は、この船の特性について目星が付いてきたからだ。

    「ねぇコタマ。あなた、この食料プラントを見て何か気付いたことはあるかしら?」
    「気付いた事……ですか? 大したことは……」

     話を振られたコタマが周囲へ視線を配りながら、さっぱりと言った様子で首を傾げ……「そういえば」と指を立てる。

    「そういえばあまり見本市っぽくありませんねここ。というか、さっき偏ってると言った時に何か言ってませんでしたっけ?」
    「ええ、まさにそれよ。この船は『客船』にしてはあまりにオーバースペックで、『見本市』にしてはあまりに偏っているのよ。作れる資材も、食料も。けれども、ある目的においては非常に優れていると言わざるを得ないわ」
    「ある目的……ですか?」
    「……昨日のウタハの話、覚えているかしら?」

     それは、ウタハが語ったオデュッセイアの歴史の話である。

     『世界を果てを見ようとした冒険家が作った一艘のいかだ』から始まったオデュッセイアの物語。それが本当なら、恐らくその冒険は多くの苦難に満ち溢れていただろう。

     漕ぎ出しては流されて、きっと何処かに漂着しては再び漕ぎ出す。
     荒れ狂う海へと向かうとき、それは命をかけて何処までも続く果て無き世界へと身を投じるような行いだったのであろう。

     人は陸で生きる存在。
     故に望んだ。より長く航海へ出られるように、陸に縛られる我が身を呪いながら、陸から離れて生存できる全てを望んだ。

     陸地に帰らずとも旅が出来るように。一年の大半を洋上で過ごせるだけの航海術を手にしたのだ。

     ――ならば、この『メリッサ号』もそうなのだろうか。

  • 151125/11/23(日) 21:59:53

     それは違う、とリオは考えていた。この船は、一年の大半を洋上で過ごせるようなものではない。

    「コタマ。この船は、陸地に『帰れなくても』生存可能な船よ」
    「……はい?」

     一瞬思考が止まったように足をも止めるコタマ。リオは足を止めることなくそのまま話を続けた。

    「どんなに短くても十年は生きていけるわ。もちろん適切なリソース運用と各工場の設備を始めとした整備を行えれば三十年ぐらい――」
    「ま、待って下さい! え、いや……え?」

     駆け足でリオの隣まで走って来るコタマは混乱したように目を見張る。

    「あ、あの……その口振りですとまるで私たちがミレニアムに戻れないみたいな風になっちゃいません?」
    「正確には『戻れなくても生きていける』という話よ」
    「戻れない可能性に備えている時点で不穏でしか無いんですけど!?」

     とはいえ、戻れないなんてことは実際のところ有り得ない話なのだ。

     『メリッサ号』には現在オデュッセイアの生徒はいないが、これはあくまでこの前のビナー戦によって旅程がズレ込んでしまったことが原因である。修学旅行十日目にオデュッセイアの学園艦に合流し、合同での懇親会や意見交換会が開かれる予定だ。それまでに『メリッサ号』が失踪すればオデュッセイアは探しに来るだろう。オデュッセイアが海の上を探す、というのはつまり『絶対に見つけられる』ことを意味する。海上の覇者は陸地に疎くとも海については誰よりも詳しいのだから。

     キヴォトス全ての海を知る者。それがオデュッセイアであり、オデュッセイアの生徒会長――艦長と呼ばれる存在だ。
     如何なる海難事故も即座に座標を特定し、必ず救助する海の守り手。オデュッセイアが在る限り、誰も海には取り残されない。

  • 152125/11/23(日) 22:33:16

    「で、ですがリオさん。それはオデュッセイアが在ってこそ、ですよね? セフィラだったら滅ぼせませんか?」
    「セフィラはミレニアムを起源とする存在よ。オデュッセイアに干渉できないことは、晄輪大祭での挙動を見れば確定的と言えるわ」
    「で、でしたらオデュッセイアでも今なにか異変が起こっているとか……」
    「内憂を抱えた状態で他校の生徒を預かるなんてそれこそ有り得ないわ。そもそもこの『メリッサ号』にはミレニアムの全生徒が乗船しているのよ。それにミレニアムとオデュッセイアは友好校。絶対に問題なんて起こらないなんて自負が無ければここまで請け負うはずが無いもの」

     思い返すのはミレニアムEXPO。多くの生徒がミレニアムの外からやってきた一大イベントではあったが、会長がセフィラを抑え込める力を有しているのなら中止する理由も無いだろう。あの時の会長はセフィラとは違う何か――推定マルクト殺し。推定『連邦生徒会長』に対して警戒をしていたと思われる。

     何ならミレニアムEXPOはミレニアムの内憂と外患を一度に処理するための催しにも見えた。

     致命的な問題を捌き切れるだけの絶対的な自信があって初めて成立する誘い込み。
     そして今回オデュッセイアにはミレニアムの全生徒――即ちミレニアムがミレニアムたる全てを預けてしまっている。オデュッセイアの艦長もそれを請け負っている。問題なんて万が一にも起こってはいけないのだ。

    「だから、本来だったらこう思うのが正しいのでしょうね。『万が一』すら無いよう過ぎた保護を施している、と」

     そう考えるのが正しく、リオの想像は十中八九ただの杞憂。それも過度なほど……そう言うべきなのだろう。

     ――会長が別の誰かであれば。

    「本当に会長がセフィラを抑え込めるのであれば、それはセフィラに匹敵する何かを持っているということよ」
    「なんだかあれですね……。魔王を倒せる勇者は魔王ぐらい危険、みたいな」
    「そんな勇者が王になったのなら、それは魔王の素質を備えているとも言えるわね」

     ゲームはそこまで詳しくは無いし遊んだことも無いが、そんなリオでも概念としては知っている。

     勇者も魔王も、世界の命運を分かつ存在である、と。
     そして、世界の行き先を決めた者を勇者と呼ぶか魔王と呼ぶかはいつだって余所の誰かという移り変わる客観に依存するというのだと。

  • 153125/11/23(日) 23:31:55

     そんな、不穏な『メリッサ号』に隠された部屋の入口はここ、食料プラントの何処かにある。
     コタマたちが来る前から調査を行っていたリオたちは、その入り口についてある程度の見当を付けていた。

    「着いたわ」

     そうして辿り着いたのは大麦畑。食料プラント内の生育部屋は極めて厳重なセキュリティによって閉ざされている。
     中に入ろうものなら立ちどころにアラートが鳴り響いて、警備ドローンが来るか、それ以外の何かが始まるのかも知れない。いずれにせよ派手に事が露見することが良くないのだけは確かである。

    「アラートを無効化するわ。手伝ってちょうだい、コタマ」
    「えぇ……」

     げんなりと声を上げるコタマ。しかし、コタマもハッキングの技術は持っているため協力してくれた方が楽だとリオは考えていた。

     特異現象捜査部において、ハッキングの技術に限定すれば明確な実力差が存在する。

     筆頭たる卓越した技術を持つのがヒマリ。それに指を掛けられるのがチヒロ。どちらもキヴォトス全土を見渡しても最高峰のハッカーである。

     次点でリオ。チヒロには及ばないが充分優れている。その後に続くのがコタマ。ハッカーとしては充分上澄みなのだが、ヒマリとチヒロがあまりに優れているせいで相対的に劣っていると思われがちである。あくまで常識の範囲内の上澄みに存在するリオとコタマは、理外の怪物とは違うのだ。だから本来ならば『メリッサ号』のシステムに入り込む隙も技術も二人には存在しない。本来ならば。

    「マルクト。システムに繋いでちょうだい」
    「分かりました」

     マルクトが扉に手を当ててネツァクから得た機能を使う。
     物体への侵食。物理的なバックドアの作成。光る金色の瞳の元に行われるのは条理を超えた世界に対するハッキングである。

    「端末を頂けますか? 繋げます」

     リオがタブレットPCを渡すと、受け取ったマルクトは早速『生育部屋のセキュリティ』とタブレットPCを繋いで見せる。
     そこでリオが解析を行い、コタマが自作のウィルスを流し込む。二秒。たったそれだけでセキュリティを躱し切って扉の解錠を果たす。

  • 154125/11/23(日) 23:35:18

     そうして中に入ると、僅かに香る土の匂いだけが漂う大麦畑が眼前に広がっていた。
     その一区画、50センチ四方のトラップドアが土の下にあると思われる。

     リオが指示を出すと、マルクトは無造作に畑まで歩いていき、ずぼり、と土に手を突っ込んだ。
     直後、手を入れた土を中心に50センチ四方を囲むよう籠が生成され、一息に持ち上げると土の下に隠されていたトラップドアが露わとなった。

    「鍵はかかっていないようね。入りましょう」
    「ぐんぐん行きますねぇ……。というか先ほどからアスナさん大人しすぎません?」
    「そうかな~?」

     先ほどまでやけに大人しかったアスナがゆらゆらと身体を揺らして声を上げる。
     何を考えているか分からない、という点においてはリオもコタマも同感であり、大人しい分には『アスナ本人には』問題は無いというのが共通認識である。

     アスナ以外の環境に問題があるかは分からない、というのが厄介な部分なのかも知れないが。

     それはさておき、とリオたちはトラップドアから続く梯子を伝って地下へと降りていく。
     大体一階分だろうか。リオが足を踏み外しても良いように先行するマルクト。続いてリオ、コタマ。アスナは地下には降りず、食料プラントを見て回ることにしたらしかった。

    「これは……」

     リオが呟く。
     降りた先は小さな小部屋だった。

     本当にただの部屋。置かれているものは何一つなく、あるのはたったひとつ。円筒に楕円の鼻のようなものを付けて手足を生やしたような一体のペットロイドであった。

    「……なにかしら、これ」
    「わかりませんよ……」

     困惑したようにコタマが言う。丸っこいペットロイドがとことこと部屋の中を歩いては、立ち止まっては座り込む。

  • 155125/11/23(日) 23:45:45

     まさに異常そのものであった。
     ただの四角く何も無い隠し部屋。そこにたった一体存在する豚のようなペットロイド。

     意味が分からないのだ。何故こんな部屋があるのかも。そんな部屋にペットロイドだけが置かれていることも。

    「とりあえず……解体してみようかしら?」
    【ッ!!】

     そんなリオの言葉に反応を示すペットロイドは怯えたように部屋の隅まで逃げていく。それに歩み寄るのはマルクト。まるで動物をあやすようにゆっくりと近付いて、安心させるように手を伸ばした。

    「問題ありません。あなたが解体される前に私がリオを解体します」
    「マルクト……?」
    「ふふ……まさに豚の餌、ということですね」
    「マルクト……!?」

     突然物騒なことを言い出したマルクトに困惑するリオ。マルクトは振り返って「冗談です」と言ったが、表情の薄いマルクトと表情を読み取ることが不得手なリオはこと冗談の相性が極めて悪い。いつか本当に解体されるのではないかとリオが戦々恐々としていると、マルクトは近付いてきたペットロイドを撫でながら言った。

    「あなたは誰ですか?」

     セフィラを始めとした、意志ある者に使われる接続式。
     ぴくり、とペットロイドが身じろぎしたかと思えば懐いた様にマルクトへと身を摺り寄せる。

     マルクトはまるで何かの声を聞いているかのように「ふむふむ」と頷いて、それからリオたちへと振り返った。

    「この方はポリーという名のAIだそうです」
    「名前があるのね。他には?」
    「伝言を預かっているそうです。『深海に声を上げ、沈んだ泡沫は物語る』と」
    「新しいリドルね。脱出ゲームでもさせられているのかしら」
    「あの……さっき海から出られないとか言われたあとで脱出ゲームとか言われるの結構不穏なんですけど……」

  • 156二次元好きの匿名さん25/11/24(月) 02:42:03

    何もない状況のアスナはまずくない?

  • 157125/11/24(月) 11:00:31

    保守

  • 158二次元好きの匿名さん25/11/24(月) 11:00:51

    セーフ

  • 159二次元好きの匿名さん25/11/24(月) 15:21:50

    保守

  • 160125/11/24(月) 21:16:55

     コタマが心底嫌そうに眉を顰めて……それから「あっ」と声を上げた。

    「そういえばリオさん。脱出ゲームがてらにちょっとしたヒントと思しきものを私、見つけてまして」
    「なにかしら?」

     聞かれたコタマは自分が仕掛けた盗聴器に混じったノイズの話をし始めた。
     もちろんこれは保身である。気を見るに敏。ただでさえチヒロに追われているコタマにとっては謎解きという免罪符が何よりも重要であった。最初からこれを調べるために仕掛けていたと言えばチヒロに捕まっても言い逃れできるかもしれない。そんな下心から機先を制してぶっちゃけることにしたのであった。

    「こんなこともあろうかと船内を調べていたのですが、妙なノイズが色んな所で聞こえるんですよね」
    「解読不能ということかしら?」
    「はい。私の知る限りでの変換法則をありったけ試したものの何一つ分からずで……。ええ、『会長のリドルを解くために』わざわざ入手したは良いものの、やっぱり私ひとりで解き明かすのは難しいですねぇ……!」
    「ならあとで私に送っておいてちょうだい。私の方でも解析にかけるわ」

     よし、とコタマは小さくガッツポーズをしたところで隠し部屋の探索に一旦区切りが付いた。
     再び梯子を上っていく一行。大麦畑の一角まで戻るが、そこにアスナの姿はなく、代わりに一通のメッセージがグループチャットに届いていた。

    【チヒロがいっぱいいたからちょっと追っかけるね!】
    「何かしらこれ?」

     リオはそれを見て首を傾げる。
     アスナが連絡もなく何処かへ行ってしまうのは珍しくないため、報告を入れているだけでも珍しいと言えよう。
     ただ、『チヒロが沢山居る』という文面は意味の分からなさに拍車をかけていた。

     しばし思考に耽るリオ。思えばアスナが大人しかったのも尋常ではないことが起こっていることを表していると言っても良い。

  • 161125/11/24(月) 21:18:16

     何故ならアスナは殆ど無意識的にだが退屈を避けようとしている節があるからだ。退屈を厭うのとはまた違う、うっすらとした逃避行動。故に『何かを待つ』という行動を基本的には取らない。取るとすればそれは表向き待っているように見えているだけでその実、処理すべき情報が脳内に満ちている時とも言えよう。

     つまりあの瞬間、あの時点においてアスナは暇などでは無かったのだ。
     本人も自覚しないままに解くべき謎を満たしていた。それを解くために思考を回して答えを見つけたのかも知れない。

     無自覚な才能。ビナー戦でも活躍した『未来視に匹敵する情報構築能力』が何かを見つけた。
     ならばそれは現時点において解き明かせる謎。それは在り様の根底からセフィラに近づいたリオでも解けるべき設問である。

    「……考えるべきは、チヒロが出来ることからね」

     今のチヒロは数多の世界線を横断する曖昧な『現在』がどの世界線に架かっているのかをある程度視認できる。
     言うなればそれは、ビナーが行った『過去確定機能』に近しいものだ。世界は一切安定していないという真理を知ることで知覚できる『不安定性』を象徴する知識。確率を傾ければ傾けるだけ意図的に揺らぐ世界を一本へ導ける『預言』の権能。

     その上で、各務チヒロという存在が増えているとアスナは認識した。
     これが一体何を意味するのか。思考を回して、その答えへすぐに思い至った。

    「……問題無いわね」
    「無いんですか!?」

     出した結論にコタマが驚いたような声を上げるが、これに関しては今晩にでもチヒロがやろうとしている『実証』が終わるだけで、明日からは再び合流できるだろうとリオは結論を固めた。

  • 162125/11/24(月) 21:27:12

    「今晩でケリがつくはずだから、とにかく私たちは戻りましょう。コタマは自室に戻り次第私にデータを送ってちょうだい。マルクト、私たちが侵入した痕跡を消せるかしら?」
    「問題ありません。すぐにでも」
    「よろしく頼むわ」

     そう言ってリオ、コタマ、マルクトの三名は食料プラントを後にする。
     もちろん看板も鉄球に変性させてマルクトのポケットに仕舞い込まれる。不法侵入の証拠の全ては隠滅されたところで、マルクトがリオの隣に並び立ってこっそりと耳打ちをした。

    「念のためではありますが、豚のポリーに搭載されていたAIの解析データも後程送っておきます」
    「流石ね。とはいえ、何か出て来るとは思わないのだけれど……」
    「出て来なかったら私の気遣いが徒労に終わったと言うことですので、後で慰めがてらに私の肩を揉んでください」
    「い、良いけれど何故……?」

     肩が凝ったのなら一度機械に戻ってもう一度人間体に戻れば良いのでは?
     そんなことを思いはしても口には出せず、リオは戸惑いながらも頷いた。

     かくして、自由行動二日目が終わる。
     そしてその日の深夜。そこで起きたことはアスナとチヒロだけの密会であった。

    -----

  • 163125/11/24(月) 22:20:15

     世界はあまりに未確定で未完成――それが視力の悪いチヒロがぼやけた世界で見出した真理のひとつであった。

     修学旅行が始まってからの二日間。チヒロは殆ど眼鏡をかけずに過ごしていた。
     ぼやける視界は立て看板と立ち止まる人体の区別すらも曖昧だ。無意識的に視界へ入っているであろう僅かな段差にすら躓きかねないほど、本当に何もかもが明瞭ではない。

     しかし、そんな視界の中で歩き回れるのも『豪華客船』という空間であるからこそ。段差を極力排し、スロープすらも昇っている意識すらさせないほどに緩やかへ設置されているからこそであった。

     基本は壁伝いを歩き、何かが近づいてくるようであれば携帯を見る振りをして止まれば相手が勝手に避けてくれる。
     そこまでして不都合を通し続けたのは、ひとえに変わってしまった眼に順応するためであった。

    (見えるからこそ、私たちは私たちの現在が何処にあるのかを自分たちで規定する。誰が何処にいてって情報ひとつ取ってもそう)

     面識のない者ならともかく、例えば大通りを歩く中で偶然ウタハを見かけたら確実に気付く。ウタハに限らず、特異現象捜査部や慰安旅行メンバーなど、自分と関わりのある者なら無意識に拾った視界の中でも重要だと認識されて『気が付いてしまう』のだ。

     ならば、自分が誰も認識できない状態ならばどうだろうか。

     自分がウタハを見たとしても認識できないのだから、『各務チヒロが白石ウタハに気付ける可能性』は極端に低くなる。
     当然『白石ウタハが各務チヒロに気付ける可能性』は別だが、相互認識による世界の補強が発生しないのだから、例え気付けても『白石ウタハの世界』だけの話なのだ。

    (言ってしまえば、これは自分という存在を相手の世界に依存するということ。私の世界を私以外の誰かに預けて事実を決めてもらうということ……)

     リオの黄泉還りのプロセスはまさしくこれだ。自分を排して他者に自分を観測させるという行為。
     あの時は生き死にという『有るか無いか』の二択であったが、もしこれを『どう有るか』という『存在することを前提とした二択』を他者に強要することが出来たのなら、そのとき各務チヒロという存在はどのように映るのか。

  • 164二次元好きの匿名さん25/11/24(月) 23:45:42

    ほしゅ

  • 165二次元好きの匿名さん25/11/25(火) 05:45:47

    あさ

  • 166125/11/25(火) 09:54:59

    (ウタハを主軸とした私という存在。そしてコタマを主軸とした私という存在の両方が同時に存在できるほどに、二つの世界の天秤を完全に揃えることができたのなら……きっと)

     時刻は0時近く。自室に繋がる通路は消灯され、足元が見える程度の薄暗い照明だけが取り残されている。
     そこに、ぼんやりとした影が見えた。手を振っているのだろうか。揺れ動くそれは明らかに人間のものである。

    「大丈夫チヒロ? 見える?」

     アスナの声だった。
     こんな時間に待ち伏せなんていうことは、恐らく自分の推察は正しかったのだろうと思って手を振り直す。

    「全然見えない。手でも引いてくれるの?」
    「駄目かな? 私が触っちゃったらほら、失敗するかも知れないし!」
    「ヒマリとリオにはバレてる?」
    「リオは分かってるよ~。ヒマリは知らない。でも明日には分かるんじゃない?」
    「あー、そう。見届けに来たの?」
    「ううん? 私が『見た』ら駄目なんじゃない?」
    「あんたもそう思ったってことね。じゃあ、いいや。どっちが『生き残るか』は分かってる?」
    「それを決めるのはチヒロだよ。私は待ってるね~」
    「はいよ」

     それからアスナと思しき影が遠くに消えていく。
     ひとつ、分かっていたことがあった。それはドッペルゲンガーに纏わる噂のひとつ。『ドッペルゲンガーに出会うと死ぬ』――これは真実であると。

     自分たちがどの世界線に存在するのかは分からない。その一点はどこまでも曖昧で不透明。
     それは言ってしまえば、世界の裏で自分の知らない誰かひとりが死んでも関係が無いと言うこと。Aという人物が死んでもBという人物が死んでも、自分の観測する世界にAもBも無ければどちらが死んでも世界は成立するのだ。

     そして、個人の世界は個人の主観に依存する。自分が見たと思ったものに対する反証がなければそれが真実で、反証があれば双方の世界は混じり合って折衷案的世界線へと双方が飲み込まれる。皆が皆、同じ『現在』にいると思わせてそんなことは全くない。誰もが同じ今を歩いていると見せかけて、誰も彼もが何一つ世界の何たるかを共有していない。

  • 167125/11/25(火) 09:56:16

     だから、ドッペルゲンガーは生まれてしまう。

     異なる空間、異なる時間において同時に発生していると観測される『個人』はその実、観測者の世界同士がすり合わされること無く生じてしまうバグなのだ。

     本来ならば観測される『本人』の主観が存在するが故にドッペルゲンガー現象はそうそう起こらない。
     だが、主観から得られる情報が曖昧ならばある程度意図的に引き起こせる。そうして生まれたドッペルゲンガー同士が出会ってしまったらどうなるか。

     答えは簡単だ。世界は矛盾を消し去るために、最も確度の高い世界線へと強制的に移行させる。
     その結果、負けた可能性にいた存在は消え去って、勝ち残った世界の自分が存在する世界へと『確定』される。

     これが『ドッペルゲンガーに出会ったら死ぬ』という噂の論理。
     ロジックエラーを解決するための強制的な修正である。

    「ドッペルゲンガーは話さないのは、話してしまえば見間違いなんて曖昧さが損なわれて修正されるから。本人と関係する場所にしか現れないのは、ドッペルゲンガーもまた自分だから。物体に触れられるのも当然そう。だって本人なんだから。姿を消すのは矛盾を最小限で回避しようとしたから起こる異常性。全部、ルールに当て嵌められる」

     如何なる特異現象であろうとも、そこにルールがあるのなら検証できる。
     そして実証できる眼があるのだから再現だって可能である。

    「来たね。『私』」

     遠くからこちらに歩いてくる影が見えた。
     この時間、この通路を歩くのは自分ぐらいなはず。胸元にかけた眼鏡を手に取り、それから相手に聞こえるように呟く。

    「記憶だとかが統合されるのか、試してみようか」

  • 168125/11/25(火) 09:57:59

     そう言って眼鏡を取って顔にかける。
     上げた視線が捉えたのは確かに自分の





    「統合とかは無さそうだね」

     眼鏡を掛け直したチヒロは、誰も居ない通路の向こうに広がる闇を見ながら呟いた。
     つい先ほどまで居たはずの影は消え去っており、仄暗い通路にいるのは自分だけ。恐らく居たであろうもうひとりの自分は跡形もなく消え去っていた。

    「消えたのは、私がやっていたであろう可能性ってところかな」

     この二日間にチヒロがやっていたのは、コタマが仕掛けたであろう盗聴器の回収である。
     やけに巧妙に隠しているのか殆ど見つけることは出来なかったが、それでも数個は見つけ出せた。

     何ならドッペルゲンガーを作り出すために何度かわざとコタマを見逃したときもあったが、それでも見つけられたのはたったこれだけ。いったいどんな隠し方をしているのかと問い詰めたくなる半面、その手の犯罪講習にでも出せば確実にその手の被害を抑えられるのではと思わなくもない。

    「もうひとりの私とバッティングしなかったってことは、コタマの盗聴器探し以外に何かやってたってことか。私が」

  • 169二次元好きの匿名さん25/11/25(火) 16:05:06

    ふむ…

  • 170二次元好きの匿名さん25/11/25(火) 21:03:53

    自分自身の行動を推測するのか

  • 171125/11/25(火) 21:19:56

     消えた自分がいったい何をしていたかなんて、もはや何処を探しても見つからないだろう。可能性の消失とはそう言うことなのだ。きっと人は、何かを選択する度に『その選択しなかった自分』を消し続けている。それが『世界視』とも呼ぶべき世界の真理のひとつなのかも知れない。

     そして、もうひとつ。この『実証』を以てチヒロは今、はっきりとひとつの可能性を否定できる。

    「会長は『ドッペルゲンガー』なんかじゃない。『自分はドッペルゲンガーだ』って嘯いて世界を欺く大嘘吐き。それこそ、自分自身すら騙し続けてる」

     そう結論づけて自室の扉を開けようとして、鍵が開いていることに気が付いて「おや?」と片眉を上げる。
     どうやら誰かが勝手にロックを解除して侵入しているらしい。というかそんなこと出来るのもするのもヒマリぐらいだろう。

     扉を開くと思った通りで、勝手にチヒロのベッドに腰かけたヒマリが何やら不満そうにチヒロの枕を抱きかかえており、チヒロは呆れたように腰に手を当てる。

    「まったく、鍵が掛かってるっていうのは勝手に入られないようにって意味なの分かってる?」
    「分かってます! そんなことより聞いてくださいチーちゃん! 反抗期です! マルクトが悪い子になってしまったのですよ!?」
    「うん? 珍しいね。何があったの?」

     聞き返しながらその辺のソファに腰を下ろす。昨日から今日にかけてそれなりに疲れていた。全身を放り投げるように座るも最高品質のソファは音ひとつ立てることなくふわりと身体を支えてくれた。
     するとヒマリも立ちあがってチヒロの隣へ。何故か枕を抱きしめながらソファへ座りながら、ぷんぷんと擬音を立てるように分かりやすく頬を膨らませながら口を尖らせた。

    「昨日私が集めたカジノコインを無断で使い切ってしまったんですよ!? リオが唆したに違いありません! というよりそういうことにしましたので少々躾をしなくてはと思っていたところです!」
    「まぁ、勝手に使うのは良くないことだね……。何枚持っていかれたの?」
    「5000枚です。いえ、正確には全て引き出してその後5000枚分ちゃんと戻されていたので何か損害があったわけでもありません」
    「というかそもそも別に怒ってないよね?」
    「別にもうカジノに行くつもりもありませんでしたからそれはもう。何ならいくらでも差し上げるつもりでしたね」

  • 172125/11/25(火) 21:21:07

     ヒマリは既に怒る振りすら辞めていつもの調子で答える。
     チヒロも分かっていた。問題なのはそこではなく、勝手に使っておいてそのことを言うことすらせずに隠蔽しようとしたこと自体がマルクトの教育に悪い、という部分なのだろうと。

    「つまり、マルクトにお灸を据えた方がいいってことね」
    「流石はチーちゃん。話が早いですね」
    「はぁ……まぁ確かにリオも監督不行届というか、そんなこと言ったら今更直りそうもないけど……」

     ソファに背もたれながらしばし考える。マルクトを、コタマやリオと言った問題児の仲間入りさせるのはまだ止められる。問題はどうやって止めるか、だ。

    「……うん、オッケー。叱り方思いついたから何とかするよ。ヒマリは今晩マルクトと一緒の部屋で寝てくれる?」
    「リオとコタマの部屋の鍵は必要ですか?」
    「気軽にハッキングしないで。あんたも『見せしめ』にするよ?」
    「じょ、冗談ですよチーちゃん? あっ、今日はもう帰りますね! ではまた明日――」
    「待ちなさいって」

     慌てて立ち上がろうとしたヒマリの手を掴んで無理やり座らせる。微笑みを強張らせるヒマリは視線を外して僅かに震えながら言った。

    「ど、どうしましたかチーちゃん? 勝手に部屋に入ったことは謝りますので許してくださいお願いします……」
    「おい。いや別に悪いことだって分かってるなら別にいいんだけど、違う違う。そうじゃなくてね」
    「お、怒らないのですか……? てっきり二、三発は撃たれる覚悟で勝手に入ったのですが……」
    「むしろどうしてわざわざそんな覚悟をしてまで侵入してるの!? 普通にメッセージ送れば済む話じゃん!」

     何ならそんなに血の気が荒いと思われていたことの方が心外だ、とチヒロは若干ショックを受ける。

    「そうじゃなくてさ。私、二日もみんなと船の中を回れなかったし、確か普通のゲームセンターもあるんだよね? 明日みんなで記念にプリ撮りに行こうよ」

     チヒロがそう言うと、ヒマリはまるで青天の霹靂とでも言わんばかりに目を見張って、それから呟いた。

  • 173125/11/25(火) 23:46:11

    「もしかして私たち……これまで一度も写真らしい写真を撮っていないのでは……?」
    「だって大体誰かしら籠ってるじゃん。それかイベントで忙しかったり。船の中なら研究のしようも無いし、時間も明日ぐらいまでなら自由にしてても問題無いでしょ? せっかくだし撮ろうよ」
    「確かに良い考えですね。ではそうしましょうか」

     思えば特異現象捜査部の七人とマルクトの計八人で団体行動なんてしたことも無かった。
     こんな機会でなければ都合が合うことなんてないだろう。つまり明日は本当の意味での休暇となる。

    「じゃ、マルクトとリオを引き剥がしておいてねヒマリ」
    「分かりましたよチーちゃん。それでは、おやすみなさい」
    「おやすみ」

     部屋から出て行くヒマリを見送って、チヒロはベッドへ飛び込む。
     身体を沈めて、大きく深呼吸して、シャワーでも浴びるかと思った時に気が付いた。

    「あっ、私の枕! ちょ、ヒマリ!?」

     何故か持っていかれた枕を取り返すべく部屋を飛び出るチヒロ。
     そうして就学旅行二日目が終わる。明日は自由時間最終日たる三日目。レポート作成に追い立てられる直前、最後の休暇であった。

    -----

  • 174二次元好きの匿名さん25/11/26(水) 05:53:38

    二日目終了!

  • 175二次元好きの匿名さん25/11/26(水) 12:24:12

    保守

  • 176二次元好きの匿名さん25/11/26(水) 18:57:46

    そろそろ残りレス数も少なくなってきましたね

  • 177125/11/26(水) 22:19:02

    「よし、集まった?」

     久方ぶりに始まった特異現象捜査部の会議は、チヒロのプレミアムクラスの部屋で始まった。

     ひとりで寝泊まりするには些か大きすぎる個室。当然のように置かれたキングサイズのベッドにはヒマリとマルクトが腰かけ、壁に面する形で置かれたテーブル前の椅子にはアスナが脚を忙しなく揺らしながら座っており、ウタハは船に持ち込んでいた『雷ちゃん』に腰かけている。ネルはソファの上で胡坐を掻き、その隣でチヒロは足を組んで並んでいる。それが今回のメンバーであった。

    「なぁ、リオとコタマの奴がいねぇじゃねぇか」

     ネルが当然の疑問を呈すると、チヒロは「後で話すから」と流して話を続けた。

    「とりあえず、この二日間で私がやっていたことの話からするね」

     話すのはチヒロの『眼』のこと。それからドッペルゲンガーの発生原理と、それにそぐわない会長と言う存在についてである。

     会長はドッペルゲンガーなどではない。ドッペルゲンガーだと偽る存在であり、本当は誰なのかというリオの回答が解である可能性が下がったことを意味した。

    「ひとつ言えることは、それでも会長が『二体目』を呼べる可能性については変わらないってこと。もしも、もしもだけどね。もし会長がセフィラを自由に扱えるんだとしたら、わざわざ私たちを誘導する必要なんて無いんだよ」
    「要は私たちが預言者としてマルクトを導く必要が無い、ということかな?」

     ウタハの補足に「そう」とチヒロが返す。

     セフィラたちの力は現代技術からかけ離れた古代の超技術の塊である。
     一人が扱うにはあまりにも大きすぎる力だ。そしてそれは、どんな不可能も可能とする奇跡の力とも言える。

    「これまでのセフィラ戦を振り返ってもさ、セフィラ全ての『二体目』が使えるんだったらもっと簡単に越えられたはずなんだよ。だって『二体目』を出せるってことはそもそものセフィラの機能を熟知してるってことでしょ? 現に会長はセフィラの機能を熟知していた。じゃあ全部自分でやればいい。マルクトを作ったのも会長っぽくて、セフィラの知識も誰よりある。……ねぇ、やっぱりおかしいんだよ何もかもが」

     リオでなくとも誰だって言うはずだ。会長の行動は合理性を欠いている、と。

  • 178125/11/26(水) 23:46:07

     わざわざ連邦生徒会長の依頼に乗る形でエンジニア部に『廃墟』の調査を依頼したことからもおかしい。全部分かっていたのなら、別に調査依頼の理由なんていらないはずだ。どうしてあのタイミングだったのか。あれは本当に偶然だったのか。どうして『場』だけを整えて自分でマルクトの預言者として歩まなかったのか。

    「チーちゃん。そもそも預言者とはマルクトに認められた――そう、いわば私のようにミレニアム最高の神性にして可憐で美しい美の権化にして最高たる美少女ハッカーでなければそもそも成れるものでは無いのではありませんか?」
    「だとしても別に裏方に徹する必要は無いでしょ。私もそうだけど結構ガバガバじゃない預言者判定」
    「オールウェイズ割と受け入れます」

     すまし顔で答えるマルクト。実際、マルクトとの初邂逅を果たしたヒマリ、ウタハ、リオの三人とは別に後方支援に徹していたチヒロもいつの間にか預言者扱いになっており、その後に行動を共にし始めたネル、コタマ、アスナも今や預言者判定を受けている。特別な試練があるわけでもなく、ただ共にセフィラ攻略を行ったというだけの条件。ミレニアムの全てで挑んだビナー戦でもこの七人が代表として預言者判定を受けている。つまりは代表っぽければそれだけで認められるのが『預言者』という存在なのは結果として表出してしまっている。

    「正直さ。それなら会長だってイェソドの後からでも直接的な協力者として私たちと一緒にいたら預言者って括りになっていたよね? そしてセフィラの情報を持った会長がいればもっと簡単にセフィラを集められたはずなんだよ。会長の目的が千年紀行を終わらせることなら、出し渋ったりしないでもっと近くから教えてくれた方が早かったんじゃない?」

     チヒロがそう言うと、わざと反対意見を言おうとする悪魔の代弁者たるヒマリはゆっくりと首を振った。

  • 179125/11/26(水) 23:47:26

    「セフィラを集めきる前に自分がいなくなる……。それを前提にしているのであれば敢えてセフィラの情報を伏せて、謂わば『ぱわーれべりんぐ』を行おうとしていたとも言えるのではありませんか?」
    「だとしても失敗したら終わりでしょ? 結構賭けじゃないそれ」
    「ですから、裏から絶対全滅しないよう調整していたのではないでしょうか?」
    「あ……、うーん。反論できない」
    「はっ、実戦やらせる方が手っ取り早いからな。ぜってぇ勝てるなんて甘えがあったら必死になれねぇのは道理だろ」

     そう言うネルは口角を上げる。セフィラの出現には一定の期間が設けられる以上、確かに会長のパワーレベリングとして引き継ぎ相手に自分たちが選ばれた可能性も否めない。ひとつ違和感があるとすれば、会長はどちらかと言えば堅実に積み立てるよりもオールインするような印象がある、とチヒロは思った。

     自分が消滅することを前提にするよりも、自分が消えるぐらいならミレニアムごと。
     それこそ特異現象捜査部の七人に絞らずともビナー戦のようにミレニアム全てを巻き込んでセフィラに挑むぐらいのことは容易にしそうだと思うのだ。

    「まぁいいや。とりあえず会長が何を考えているのかは正直何もかも怪しいってことで、警戒だけは怠らないように」

     そう締めくくってから、次に移るのはこの船――『メリッサ号』についてのことだ。
     これについてはまずヒマリから説明が入った。

    「現状では何かを仕掛けられている可能性が高い、ということでしょうか。昨晩もコタマが得た情報をリオが解析したところ、妙なメッセージが浮上してきたところですので」
    「不思議なパスワード? 謎解きみたいなの?」

     小首を傾げるアスナ。ヒマリから告げられたのは解析された二つの文章であった。

    「一昨日の文――『一行やがて開けたる渓谷の中にメリッサの館。滑らかに磨かれし石より成れる館を見ゆ』」
    「何かの物語かな?」
    「そのようですねウタハ。ヒマリ、続きをお願いします」
    「ふふ、では昨日の文――『その傍らに奥山の獣は群れる。妖しくも神性、薬剤与えて魅入らせては飼い馴らすもの』。一日一日ごとにコタマの捉えたノイズが何かを物語っているようにも思えますね」

  • 180二次元好きの匿名さん25/11/27(木) 06:03:15

    ふむ…

  • 181二次元好きの匿名さん25/11/27(木) 13:54:30

    待機

  • 182二次元好きの匿名さん25/11/27(木) 21:20:05

    大気圏

  • 183125/11/27(木) 23:39:25

     リオが言うには現代のバイナリ変換と古代に失われしゲマトリア変換を元にして組み合わせた暗号式とのことで、それ自体はチヒロも聞いてはいた。

     前者はともかく後者はリオにしか分からない解読式である。分かっているのはそれらしき言葉になると言うことだけで、これ以上に何らかの暗号式が組み込まれていたのならお手上げだという事実でもあった。

     そんなときこそ思ってしまう。もしここに何処か先に存在するであろう未来の世界線から来た『万能鍵』たる後輩が居たらなていうことを。如何なる全ての暗号を解き明かす超常の能力者。セフィラよりも奇怪な『黒崎コユキ』はもしかすると千年難題を解き明かした結果にそのような真理を垣間見てしまったのではないかと今更ながらに思い当たる。

     だが、ここで一番気にすべきなのはそこではない。

     ヒマリが起こしたリオの『冥府下り』――途中から蚊帳の外になってしまったその道中に起こったことのひとつとしてリオとヒマリが後日教えてくれたことがあった。

     そう、『具現化する物語』の話である。

    「それさ、他の誰かが何かの『お話』を仕込むだけだったら別にいいんだよ。でも会長でしょ? セフィラに詳しいってことはつまり、『物語』がただの『お話』じゃ済まないってことも分かっててやってるんだったら大分怖いんだよね」
    「ええ、そうですね。私がケセドの中で知ったのは『物語が世界を滅ぼす』ということ。そして会長の『ドッペルゲンガー』という事象ないし『物語』……。私たちを何かで覆おうとしている、とも捉えられなくは無いですね」
    「会長が自分を『ミレニアムのドッペルゲンガー』だって規定したように、私たちを『メリッサ号』ごと何かのお話に閉じ込めようとしている、とか?」
    「どうしてなのかな?」

     アスナの問いに、チヒロは苦虫を潰したような表情を浮かべた。

     善意であれば、恐らくは『ミレニアム生はミレニアムではない』という欺瞞によって上層セフィラが行う世界崩壊の影響から逃がそうとする動きにも見える。

     だが、どこまでも追ってくるのが『あの会長』という文言。
     悪を標榜し悪意に満ちて、ただひたすらに弄ぶことを善しとする。言ってしまえば性格が終わっている『あの会長』だからこそ、本当にそんな善意を信じて良いのか分からない。というか信じられないというのが正だろう。

  • 184125/11/27(木) 23:41:08

    「この部分についてはリオにも話を聞いてみたんだけどさ、まだ分からないって言ってたんだよね。正直見たところ多分何か思い当たるところはあるんだろうけど、まだ思い付きの範疇って感じだったよ」

     チヒロがそう言うとヒマリもウタハも、少々困ったように肩を竦めた。
     近頃のリオは以前に増して思い付きを口にしないようにしている風に見えるのだ。

     実際の所、セフィラと千年難題――知ることが不可逆的な影響を与えてしまうという事象を目の当たりにしてしまうとそういう動きも理解できないわけではない。チヒロも含め、特異現象捜査部の面々は知覚したセフィラという事象が条理を越えてしまっているのだ。知ってしまったことで既に片輪が脱輪状態。そこにちょっとしたきっかけひとつで二度と戻れない変化が訪れかねない。そこに最も敏感に警戒しているのがエンジニア部のカナリアたるリオであった。

    「チーちゃん。実のところ、この『メリッサ号』については私たちが考えるべき問題では無いのかも知れませんよ?」
    「まぁ、私たち。遅くても七日目にはミレニアムに戻りたいしね」
    「ええ。そもそも私たちではなく会長の周りの人物――そう、セミナー役員の皆様方や同窓の新素材開発部に向けた『謎』かも知れません。暗号化された『物語』に意味が在ろうとも無かろうとも、きっと私たちはその対象では無いのかも知れませんね」
    「だったら横から『しゃしゃり出る』のは良くないかなぁ……」
    「チーちゃん何だかお口がワルワルじゃないですか?」
    「チヒロは昔スケバンとしてミレニアムに名を馳せていたからね」
    「捏造しないでウタハ。むしろちょっかいかけられてた側でしょ私たち」
    「だから血祭りに挙げたじゃ――」
    「挙げてないよねウタハ!? 血祭りに挙げるよ!?」

     チヒロがそう言って冗談めかした笑みが室内に響く。
     それを聞いて「あぁ忘れてた」とチヒロが言うと、マルクトが首を傾げた。

    「忘れ物ですかチヒロ?」
    「うん。ちょっとシャワー止め忘れてた」
    「お湯を張るのにシャワーを使う派なのですね。不可思議です」
    「そんなところ。ちょっと待ってて」

     チヒロはソファから立ちあがると、そのままプレミアムクラスの個室特有の個人浴室へと向かう。
     扉を開いてシャワーのノブを捻って閉める。浴槽も中々に大きく、二人が並んで足を伸ばせるぐらいには大きい。

  • 185125/11/27(木) 23:42:19

    「タスケテ! タスケテ! ゴメンナサイ!」
    「…………」

     浴槽から声が聞こえたが異常は無し。
     チヒロが浴室から出て皆の元に戻ると、何故だから全員引き攣った表情を浮かべていた。

    「どうしたの? あ、じゃあ次の話なんだけど――」
    「いやっ、無理だろ!?」

     ネルが叫ぶとチヒロ以外の全員がぶんぶんと首を縦に振る。アスナは既に姿を消しており、何処かへ行ってしまったようだったが――想像の範囲内だとチヒロはスルーした。

    「どうしたのネル?」
    「なんか『タスケテ』って……コタマのやつが――」
    「ああ、大丈夫だから。でね……マルクト?」
    「ひっ――」

     びくりと肩を震わせるマルクトは、いったい何を想像したのか視線が端へと泳いでいた。
     もちろん無視してチヒロは言葉を続ける。

    「人の物をね。勝手に使っちゃいけないんだよね」
    「あっ……あの、チヒ――」
    「元に戻したから良い、って話じゃなくてさ。うん。どうにもね、結果良ければで大事な過程を軽く見ちゃう人がウチにはどうにもいるんだけどさ」

     チヒロはベッドに腰かけるマルクトの隣に腰を下ろす。
     マルクトは目を合わせてくれない。なので肩に手を掛けると「ぴっ――」と妙な声を発したかと思えばそのまま固まってしまった。

     駄目なことを駄目だという。それはいつだって難しいことで、それをすぐに理解するのもまた難しいだろう。
     ちゃんと聞いてくれていないのかも知れない、なんてことは思いつつもチヒロは優しく話しかけた。

  • 186125/11/27(木) 23:43:23

    「分かって欲しいのはね、勝手に使われたって思う相手の気持ちなんだよ。だから借りる時はちゃんと借りる相手に言わないと。じゃないと誰も『嫌』って言えなくなっちゃうからさ」
    「あ、あの――リオとコタマは何処ですか……?」
    「沈めたよ? それはともかくマルクトも分からないことはちゃんと教えるからね。『どうだろ?』って思ったら教えてね? 思わなくても『教える』からさ」
    「ひ、ヒマリぃ……」

     マルクトが泣きそうな目でヒマリへ視線を向けるも、ヒマリは目を逸らしてぽつりと言った。

    「あ、あの……み、水責めですか? やりすぎではないですか……?」
    「えっ?」
    「チヒロお前……やべぇな」
    「なんで!?」
    「あー、とりあえず私は二人を助けに行くからね」
    「私そんな悪いことしたかなぁ!?」

     チヒロが叫ぶもウタハはゆっくりと首を振った。

    「刺激が強すぎるのが駄目だよチーちゃん。私たちにとっては日常茶飯事でもそれはマルクトと会う前の話だろう?」
    「き、キヴォトス準拠外が分からない……」

     顔を覆うチヒロに怯えるマルクト。呆れたウタハにドン引きのネルと涅槃の如き無を浮かべるヒマリ。
     浴室で聞こえる悲鳴と泡ぶくの音が止んだのは、それから数分後のことであった。

    -----

  • 187二次元好きの匿名さん25/11/28(金) 00:54:49

    怖い…怖い…

  • 188二次元好きの匿名さん25/11/28(金) 06:12:50

    さて…

  • 189二次元好きの匿名さん25/11/28(金) 14:15:13

    待ち

  • 190125/11/28(金) 20:54:44
  • 191二次元好きの匿名さん25/11/28(金) 22:35:32

    >>190

    立て乙

  • 192二次元好きの匿名さん25/11/29(土) 00:47:54

    うめ

  • 193二次元好きの匿名さん25/11/29(土) 00:56:22

    おつー

  • 194二次元好きの匿名さん25/11/29(土) 10:56:35

    たておつ

  • 195二次元好きの匿名さん25/11/29(土) 12:03:56

    おつー

  • 196二次元好きの匿名さん25/11/29(土) 12:08:58

    うめー

  • 197二次元好きの匿名さん25/11/29(土) 12:11:04

    おつー

  • 198二次元好きの匿名さん25/11/29(土) 12:12:46

    うめー

  • 199二次元好きの匿名さん25/11/29(土) 12:14:19

    おつー

  • 200二次元好きの匿名さん25/11/29(土) 12:15:32

オススメ

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