【トレウマSS】いつかの願いをもういちど

  • 1◆TEZDO6.MrrLr25/12/03(水) 19:39:59

     ——次に来なければ手を放す。そう決めてからどれだけ経っただろうか。

     既読すらつかないトーク画面を握りしめて溜め息を吐く。
     その時になって呼びつけるような横暴ささえ擦り切れて、残っているのはいまだ萎れぬ願いばかり。

     ……潮時、なんだろうな。手放して、そんで。きっとまだ、諦めきれないだろうから。
     消えてなくなるその日まで、後生大事に抱え続ければいい。……アイツの、ように。

     春を待つ夜はあまりに長く、しかし反応の鈍いスマホに気が滅入る。
     ……なんだったかの講義前、回線遅すぎるからキャリア変えようかな、と嘆いていたヤツがいたが。
     選択肢としては悪いものではないだろう。ついでに名義も私に変え、て……。

     ふとよぎった可能性から、逃げるように目を閉じる。それをやるために失うものが、私にとって重いのはわかっているはずなのに。
     気の迷いは眠りに掻き消えていく。いずれにせよ、返信次第で変わるものだ。

     来るのであれば忘れてしまえば良い。そうでない、ならば——

    ***

  • 2◆TEZDO6.MrrLr25/12/03(水) 19:41:06

     枕元で鳴り響くアラームを止めて、上体を起こす。
     体調を維持するには休日も起床時間を揃えるべきだ、なんて言説を思い出して鼻を鳴らした。

     時間に制限がないんだから寝られるだけ寝た方がいいだろうが、と思いはすれど。
     しかし二度寝を決め込む気分にもなれないのが、いかにも小憎らしくて敵わない。

     ……ああ、そういえば。久しぶりすぎて忘れていたが。毎週毎週これをやらかしては、次はしねえと後悔していた時期があった。
     あの頃はそりゃあもう酷いもんで、寝たと思えばすぐ醒めて。ありもしないLANEのアカウントを探しては、自分から切ったんだと唇を噛んでいた。

     知らぬ間に慣れていた空白に、なんとなく懐かしさを感じてふと思いつく。
     空腹を宥めるくらいの朝飯をさておいて近場をまさぐれば、程なくお目当てのものが転がり出てきた。

     ……容量いっぱいに詰め込まれたメイクポーチ。開けてみれば、包装すら破かれていない新品の化粧品がひしめいている。
     使いもしないのに買い集めたそれらと、普段着に成り下がった外出着にアイロンをかけて。そうすればきっと、それなりに見られる女が出来上がるだろう。

     せっかくの無駄な時間だ。いつかのように飾り立てて、ガラにもなく感傷に浸るのも悪かねぇ。
     泡の落ちたマグカップを水切りカゴに置いて手を拭う。カサつきもしない指先が、己を咲うように見えて、つられるように笑みを返した。

    ***

     艶のある黒のレースアップブーツを台無しにしないように、何度か靴紐を結び直す。
     ドアを開けた先の鋭い空気は、私の頭を冷やさなかった。
     馴染んだ道を離れて大通りをぼんやりと歩く。ともすれば風に飛ばされてしまいそうな足取りは、嫌に浮かれた心持ちをまざまざと示していた。

     どっちつかずの隙間にちくりと刺さった、甘えたの野良猫にフラれたという事実が抜けたころ。
     いまでもそれなりに使う、しかしながらずっと頻度の低くなった最寄り——府中駅は、やはり変わらぬ姿でそこにあった。

     ここが最寄り駅であるのは、トレセン学園の生徒であるうちだけだろうと、どこかで感じていたはずだった。
     私は、ひとつところに留まる甲斐性なんざ持ち合わせちゃいない、と。

  • 3◆TEZDO6.MrrLr25/12/03(水) 19:42:46

     だと言うのに。今なおここで、日常を繰り返しつづけている。……与えられた甲斐性を握りしめて、私は。
     俯いた先の影が、南中に座す太陽を示す。どこかへ忘れた空腹を、捨て置くのは賢明ではないだろう。ここからそう遠くない感傷へ向けてまた一歩、足を踏み出した。

    ***

     自動ドアを二つ超えた先、まず目に入るのは特徴的なエスカレーター。ほっつき歩いて冷えた体は、思いの外食事を求めていた。
     場当たり的に目についた店を選ぶのも悪かなかったが、あいにくそれまで持ちそうにもない。

     フロアマップを覗き込み、香りの強いものを避け、汁物を若干避けながら吟味して。これと決めたところで、己に向かってくる聞き慣れた弾んだ鋭い足音を捉える。

     かけられた声に振り返って目が合った相手は、最近とみに懐いてくる職場の後輩だ。赤く染まった耳で、慌てた風に人違いでしたと駆け去ろうとしてはいるが。

     その首根っこを掴んで違わねえだろ、と返せば、凍りついたように動かなくなる。
     ついで知らない人から先輩の声がする……? なんてほざきやがるもんだから、失礼にも程があんだろうがと聞かせてやりゃあ、ようやく納得がいったらしい。

     弛んだ空気に紛れ込む腹の音がどうやら聞こえたようで。
     お昼ご飯ご一緒してもいいですか? と、賑やかに笑うその腕には、いくつもにチョコレートブランドのショッパーがぶら下がっている。

     溶けちまうんじゃねえの、と聞く暇もなく押し切られ、押し込まれたのは定食屋。
     伝えてもいない選んだ店だったことに若干の悔しさを感じたが、それもすぐに食欲に流されていった。

     思いがけず騒がしい昼飯になりはしたが、私のメンタルをまともな位置に戻すにはずいぶんと役立ったらしい。
     私と同じ量の食事を、私より時間をかけて食べ終えた後輩が満足げに微笑む。会計を済ませた別れ際、改まったように、

    「気が向いたら職場にもメイクしてきてくださいね! わたしのモチベがあがるので!」

     なんて言う。一回ばっかり使って捨てちまうようなことはしたかねぇし、そうなりはするだろう、が。
     今日のようにはいかねぇだろうさ。そう思ったのを顔には出さないようにして、離れゆく笑顔へ軽く手を振り返した。

    ***

  • 4◆TEZDO6.MrrLr25/12/03(水) 19:44:09

     感傷に浸る気分でもなくなって、ただ腹ごなしに落ち着いたゲームコーナー巡り。過去の名ウマ娘をリバイバル、なんて題したクレーンゲームの筐体を横目に、次を探す。
     しかしめぼしいものは触り終えたようで、惹かれるものも見当たらない。

     もう十分だろう、と帰ろうとして。ふと、今日がバレンタインの翌日であることを思い出した。
     甘ったるいのは好んじゃいない。好んじゃいないが、今日ばかりはそれも悪くはない。
     ひとときばかりの酔狂を、行動に移したのは運命の悪戯か。

     トレセン学園に近いカフェ、というのは。たいていの場合、学園内のカフェテリアによって客を奪われ長生きしない。
     しかしそれを乗り越えりゃあ、長いこと愛されるような、そんな店に成り上がるってのがもっぱらの噂らしい。

     はたしてたどり着いたそのカフェは、そのハードルを乗り越えたのか、今も変わらない姿でそこにあった。
     今の私は、少しばかり似つかわしくなっただろうか。そんな詮無いことが頭によぎる。

     ……バレンタイン限定のメニューなどもうありはしない。それでもチョコレートとは定番であるからして。
     目についたザッハトルテに、ブラックコーヒーをひとまず一杯頼むこととした。

     時間潰しに店内を眺める途中で、今まさに入店してくる誰かと目が合った気がした。
     別におかしな話ではない。トレーナーを続けているのなら、ここはきっと常連客になるにふさわしいから。

     店員に話しかけらているところをついそのまま眺めかけて、不躾だと目を逸らす。
     スマートフォンを取り出して軽いゲームでもしようかといったあたり。
     ふたつぶんの影が差した。

     どうやら店員に頼み込んだらしく、相席しようという魂胆らしい。
     店員が至極申し訳なさそうに、あるいは断ってくれと言わんばかりの形相で、相席よろしいですかと声に出す。

     ここまでの大胆さはいっそ笑えるようで、その蛮勇に免じて相席に応じれば、少しばかりぽかん、とした店員が、次は本当にしませんからね、と気安げに吐き捨てて去っていく。
     間抜けヅラで嬉しそうにする元トレーナーに、注文したか問うと、忘れていたらしく慌てて近くの店員に声をかけていた。

  • 5◆TEZDO6.MrrLr25/12/03(水) 19:45:12

     私の方が先に来ていたもんだから、必然的に私が注文したものが先に来る。
     それを見て、注文を終えかけたのを遮って一つ余分に注文を増やすのが、先回りされているようで癪に触った。

     私ばかりが食べ進めるのを、懐かしむように微笑むその表情は相変わらずで。
     なんでそんなに変わらないでいられるんだ、とこぼしたその声は、うらみがましく耳に響いた。

     半分が消えたザッハトルテと空になったコーヒーカップ。完璧なタイミングで2杯目のコーヒーが席に置かれる。
     自分の注文が届いてしまったからか、返答が思いつかなかったか。食べることを優先した一口目は、目を離せないくらいに輝いていた。

     甘さにも慣れて、残すことができたコーヒーを楽しむころ。口を開きかけては閉じる目の前の相手に、まとまらねぇなら待ってやるからとスマートフォンを差し出す。
     怪訝そうな顔は一瞬で引っ込めて、そそくさと自分のスマートフォンを取り出してQRコードを読み込みはじめた。

     奢らせてやるかよ、なんて意地も、大人が払うべき、という雑念も今回ばかりはどちらもなく。
     ただ片方がまとめて払った方が都合がいいために、私が奢られてやることにしてカフェから出る。

     名残惜しそうにしているのをからかえば存外ウブな反応が返ってくる。
     ついついだいぶ前の頑なさはどこに置いてきたんだよと追い打ちをかけると、恥ずかしげにカフェの席に、なんてのたまうんだからおかしくってしょうがない。

     ……そう遠くないうちに、今度はきっと一方的に呼びつけるようなこともなく。また会える日が来るんだろう。
     とっかかりを得たんなら、遠慮も容赦もくれてやる必要はない。
     過去の私を全部全部塗り替えて、今の私を手放せなくなるようにもういちど、
                   ——はじめから。

  • 6◆TEZDO6.MrrLr25/12/03(水) 19:47:20
  • 7◆TEZDO6.MrrLr25/12/03(水) 19:51:28
  • 8二次元好きの匿名さん25/12/03(水) 19:57:51

    良いセンスだ

  • 9二次元好きの匿名さん25/12/03(水) 19:58:13

    結構すき

  • 10◆TEZDO6.MrrLr25/12/03(水) 20:16:51

    >>8

    >>9

    ありがとうございます!

    お楽しみいただけたようでホッとしました〜

  • 11二次元好きの匿名さん25/12/03(水) 20:27:33

    お久しぶりだ……!ナカヤマ視点の淡々とした語り口が好きなんです 大人のナカヤマはどんな仕事についているんでしょうね

  • 12◆TEZDO6.MrrLr25/12/03(水) 20:54:48

    >>11

    お久しぶりです〜

    このSS書いたときはスレ立てする気分ではなかったのでだいぶ期間空いてしまいました

    仕事の内容は決めなくてもなんとかなるなるで書き進めたのでふんわりしてますが、今だとちっちゃい子に関するお仕事だと嬉しいですね〜!

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