AIのべりすとと協力して存在するはずのない馬を創って活躍させる。

  • 1122/05/08(日) 22:14:41

    まずエアシャカール×ファインモーションの子。
    ※現実のエアシャカールの没年とファインモーションの体質についてはこの際無視します。

    カブラギオン
    出典:フリー百科事典『ウィキペディア』
    カブラギオンは日本の競走馬。
    概要
    生年月日:2006年4月1日
    性別:牡
    毛色:黒鹿毛
    父:エアシャカール
    母:ファインモーション
    主戦騎手:武幸四郎
    調教師:池江泰郎
    馬主:小糸修一郎
    主な勝ち鞍(国内):日本ダービー、ジャパンカップ、天皇賞秋。
    主な勝ち鞍(海外):インターナショナルS、コックスプレート、香港ヴァーズ。
    初出走:2008年10月19日
    抹消:2013年1月31日

  • 2122/05/08(日) 22:15:38

    生い立ち
    2005年にファインモーションにキングカメハメハを付けたが不受胎が発覚した際、空いていたエアシャカールを付けたことにより誕生。
    なおエアシャカールはこの後すぐに事故で死亡。ファインモーションもカブラギオンを産んだ後受胎できなくなっている。
    セレクトセールで小糸修一郎に落札価格1600万円で取引される。
    その後池江厩舎に預けられ競走馬としてデビューする。

    2歳
    デビューしたのは2008年10月19日の新馬戦。0.8秒差の二着に終わったものの「なかなか良い脚を使っている」と鞍上の武幸四郎も言う通り素質を感じさせる走りを見せたらしい。初勝利をあげたのは11月22日の未勝利戦であった。2歳GⅠには間に合わないと判断される。

    3歳
    3歳初戦となったレースは共同通信杯。格上挑戦であったが8馬身差という大差で勝利をあげると4月の皐月賞を目指すことになった。前哨戦として出走したのが弥生賞だった。しかしロジユニヴァースに敗北する。続く皐月賞では中団の内目を進んできたものの流れがきつく最後の直線で追い抜かれ3着。
    しかし日本ダービーでは2着のロジユニヴァースを抑え込み圧倒的な完勝を決めた。
    そして夏の休養をはさみセントライト記念を勝利する。ここでカブラギオンに3000mは向かないと判断され、天皇賞への出走が決まる。
    天皇賞での単勝人気は16番人気であったが、スタート直後からインを突いて行く見事な逃げを見せ後続に5馬身半差をつけて勝利した。しかしこの後足の故障が発覚し年内休養を余儀なくされる。

    4歳
    春には故障が完治するも、調教中にまた故障する。その結果復帰は秋口となった。休養明けのレースには毎日王冠が選択された。復帰明けだったがここを完勝し、天皇賞へ出走する。天皇賞ではブエナビスタとの対決が注目された。天皇賞ではまたしても逃げたが最終直線でブエナビスタと競り合いとなるもクビ差で差し切られ2着。続くジャパンカップではブエナビスタに捕まり3着になったと思われたがブエナビスタが降着となったため繰り上がりの2着となる。有馬記念の出走は見送られた。

  • 3122/05/08(日) 22:16:05

    5歳
    産経大阪杯を目指す。調整自体は好調であったが発汗や下痢を発症するなどの異常が起きたため休養。復帰戦は安田記念となった。しかし苦戦し最下位入線となってしまった。その後休養をはさみ秋の毎日王冠で復帰する。この時の着順は7着。続く天皇賞では終始ハイペースで飛ばし13着に敗れる。そのままジャパンカップへと向かった。ジャパンカップでは前走までの成績がふるわなかったため単勝人気は10番人気であったが逃げが決まり勝利。しかし有馬記念ではブービーに敗れてしまう。
    6歳
    馬主よりKGⅥ&クイーンエリザベスSへの挑戦が提案される。KGⅥ&クイーンエリザベスSでは芝の違いもあり惨敗してしまう(着順:12着)。しかし海外GⅠ制覇をあきらめきれなかった馬主の提案でインターナショナルSを目指す。この年のインターナショナルSには欧州で無敗のフランケルが出走している上、前走の結果もあり国内外の評価は勝つことはほぼ不可能と絶望的なものであった。しかし逃げを打って早めに先頭に立ち、追いかけてきたフランケルとは最終直線において競り合いハナ差で勝利する。このとき3着ファー以下に悠々と7馬身差をつけていた。
    その後凱旋門賞や英チャンピオンSの挑戦が検討されるが馬主が仕事でオーストラリアに滞在する予定であることから馬主の提案でコックスプレートへと向かう。
    コックスプレートでは逃げを打てず序盤後方を追走するも後半捲りを決め快勝した。検疫の都合もあり年内最後のレースを香港ヴァーズに決定する。
    香港ヴァーズではスタート時から先頭にたちそのまま逃げ切り勝利した。2着馬カドー以下を10馬身ほど突き放していた。
    7歳
    活躍が望まれていたが1月に屈腱炎を発症し引退が発表される。
    通算成績 21戦11勝

  • 4122/05/08(日) 22:17:04

    競走馬としての特徴
    ・脚質は逃げである。これはカブラギオンの性格が父譲りの激しい気性が原因であった。
    ・コックスプレートで捲りを打ったがこれが決まった理由は騎手、調教師共に「わからない」と答えている。
    ・武幸四郎騎手からは「何を考えているのか全く分からない。難しい馬だったね」と評されるほどであり、いくつかのレースで見せた負けはこれが原因であると考えられる。
    ・筋肉が非常に発達しており異常な程パワーにあふれる脚を持っている一方で非常に柔らかさがあるためその特徴を活かしていると推測することもでき得るとのことである(実際香港でも逃げはしているが最後まで持ったまま勝っている)。
    ・ゲート入りでは気むずがりを見せるも好スタートする
    ・すぐにペース配分を無視して全力疾走する。
    ・他の馬に対しては喧嘩腰な態度を取ることが多い。牝馬に対しては特に強く当たる。
    ・人間に対しては、比較的臆病な性格でもあるものの敵対心を持つと強い敵意を向ける傾向がある。実際武幸四郎騎手や池江師に対しては当初懐いてはいなかったらしい。

    種牡馬入り後
    種牡馬入り後は総額9億円のシンジケートが組まれた。初年度の種付け料は600万円。
    牝馬に対して攻撃的なため種付けが難航していることが報告されている。
    しかし種付け行為自体を拒絶することはないとのこと。
    初年度産駒の中央勝ち上がり率は0%。
    しかし2年目以降の産駒では勝ち馬を輩出しており重賞を制覇した産駒数は22頭(2022年現在)。GⅠ制覇馬は0。
    今後の活躍が期待される。

  • 5122/05/08(日) 22:17:15

    その他エピソード・特徴
    ・好物はパンの耳。嫌いなものはニンジン
    ・猫に対しては積極的にアプローチするらしく、牧場の飼猫のオコチョちゃんを追いかけ回し、毎日のように怒られているようである。
    ・取材に来た記者にも容赦なく噛みつこうとした。
    ・幼少期は母親のファインモーションに溺愛されていた。他の馬、特に牝馬に対して攻撃的なのはそれが関係あるかも知れないとされている 。なおファインモーションに対しては従順であったという。親離れの際、ファインモーションは涙を流して悲しむほど嫌がったが、カブラギオンの方は母の態度や周囲の声など全く興味無しに平然としていた。
    ・インターナショナルSで無敗記録が途切れたフランケル陣営はレース後に「あの時の直線で抜け出すタイミングとコースロスしなければ負けなかったのかもしれない。しかしそれはもう今となっては不可能なのだ」とコメントを出している。なおフランケルはレース後カブラギオンに近づき何度もちょっかいをかけようとしていた。それに対してカブラギオンは不快感を露わにしていた。
    ・流星はない。

  • 6二次元好きの匿名さん22/05/08(日) 22:21:49

    ファイン亡き父との愛の結晶だからかすげぇ溺愛してんな…

  • 7二次元好きの匿名さん22/05/08(日) 22:22:13

    どこまでが手動でどこからがAI?

  • 8二次元好きの匿名さん22/05/08(日) 22:22:19

    ほえ~AIでここまで面白いの出せるんだ…

  • 9二次元好きの匿名さん22/05/08(日) 22:22:53

    >>8

    aiタクヤって調べてごらん?

  • 10二次元好きの匿名さん22/05/08(日) 22:23:13

    >>4

    兄弟揃って似たようなこと言ってる…

  • 11二次元好きの匿名さん22/05/08(日) 22:23:55

    >>9

    ありがとナス!

  • 12二次元好きの匿名さん22/05/08(日) 22:24:37

    俺競馬あんまり知らないからよくわかんねぇけどよぉ…
    天皇賞16番人気からの勝利って凄くないか?

  • 13二次元好きの匿名さん22/05/08(日) 22:28:43
  • 14二次元好きの匿名さん22/05/08(日) 22:29:22

    これ面白いな
    自分もやってみたい
    エアグルーヴとサイレンススズカの産駒作りてぇ…

  • 15122/05/08(日) 22:30:30

    >>7 >>8

    勝ち鞍、勝ち方、騎手のコメント、金額、その他エピソード、初出走・引退年、種牡馬引退後はAIが創った設定をそのまま使用。

    レース展開・年表部分はAIが出した勝ち鞍を基に辻褄が合うよう誘導し作成。

    脚質や性格はAIの作った文書を基に手動で設定。

    AI君は架空馬に対して非常に厳しい(すぐ予後不良にさせたり、故障させて引退させようとする。)のでかなり人力を要した。あとウマ娘と混同したり、レース体系が全く分かっていなかったり、差し切り勝ち大差負けという意味不明な文章を作り出すのでレース展開はほぼ手動。

  • 16二次元好きの匿名さん22/05/08(日) 22:33:32

    >>15

    差し切り勝ち大差負けは草

    参考にしてやってみる

  • 17二次元好きの匿名さん22/05/08(日) 22:34:33

    さらっとフランケルの無敗阻止してて草

  • 18122/05/08(日) 22:40:40

    次はゴールドシチー×ユキノビジンの子供

    シルバーウルフ
    出典:フリー百科事典『ウィキペディア』

    シルバーウルフは日本の競走馬
    概要
    生年月日:2000年4月1日
    性別:牡
    毛色:白毛
    父:ゴールドシチー
    母:ユキノビジン
    主な勝ち鞍(国内):朝日杯フューチュリティS、NHKマイル、菊花賞、安田記念 マイルCS
    主な勝ち鞍(海外):香港スプリント
    主戦騎手:池添謙一
    調教師:的場均
    馬主:有村俊国
    初出走:2002年10月5日
    登録抹消:2005年12月30日

  • 19122/05/08(日) 22:43:46

    生い立ち
    馬主となる有村氏の「グッドルッキングホースをかけ合わせればよい馬が産れるのではないか?」という考えにより、ゴールドシチーとユキノビジンの交配が行われる。ゴールドシチーはこの後事故で死亡している。尾花栗毛の馬が生まれることが期待されたが、突然変異の白毛で生まれたため別の意味で驚かれることになる。その後有村氏所有の馬として的場均厩舎に預けられる。

    2歳
    10月5日の新馬戦でデビュー。1番人気に支持される。最終直線で馬群から抜け出した直後に2頭が転倒し競走を中止したもののそのまま優勝して初勝利を挙げた。その後はOP戦に挑戦し13着と敗れてはいるが、馬主の意向により朝日杯フューチュリティSに出走。単勝94.1倍の人気であったが道中先行したまま直線で抜け出し、最後はエイシンチャンプを交わして勝利した。

    3歳
    弥生賞に出走する。しかし最下位に終わってしまう。2000mは長いと判断されNHKマイルへの出走を目指す。NHKマイルでは逃げを打ち後続を寄せ付けず勝利。その後休養に入る。夏の間に成長が見られ秋の復帰戦は神戸新聞杯に出走。ここでも逃げるが捕まり3着に敗れる。馬主の強い意向で菊花賞に出走。周囲の評価は「3000mは長すぎる」というものがほとんどであり惨敗が予想されていた。しかし最後の直線で抜け出し勝利を決めた。その後は年内休養となった。

  • 20122/05/08(日) 22:44:00

    4歳
    高松宮記念に出走する。圧倒的人気だったが11着で終わった。その後安田記念に出走するも15着に終わる。夏は休養し、次のレースは富士Sを決定。富士Sでは圧勝を見せた。その後マイルCSに出走。ここで主戦騎手の池添謙一はデュランダルに騎乗。シルバーウルフは安藤勝己に乗り代わりとなった。デュランダルとの対決が注目される中、シルバーウルフは逃げを選択。最後の最後まで先頭を維持するという大奮闘を演じ8馬身の大差をつけ勝利を収めた。そして馬主の意向で香港スプリントへ出走。不安視されていたがここも逃げで勝利。日本馬初の香港スプリント勝利を決めた。
    5歳
    年内での引退を発表。まず高松宮記念を目指し阪急杯からスタート。好勝負を繰り広げるも10着に敗れた。軽度の故障が発覚し1月ほど休養となる。
    復帰戦は安田記念。ここでも池添はスイープトウショウへ乗り替わることになりシルバーウルフには岩田康誠が騎乗した。安田記念では逃げで6馬身差を付け圧勝した。その後はマイルCSに出走。ここでも池添はデュランダルを選択。引き続き岩田が騎乗した。逃げを打つがハナ差で2着に敗れてしまう。
    引退レースとなったのは香港スプリント。独走を決め勝利し香港スプリント史上初の連覇を決めた。

  • 21122/05/08(日) 22:46:57

    種牡馬入り後
    総額50億のシンジケートが組まれる。初年度種付け料は1000万円。ノーザンダンサー系かつ強いテスコボーイの血が濃かったが人気を博した。
    一時期種付け料は7500万まで高騰した。また海外でも種付け依頼があった。
    主な国内の産駒にはブラックジャガー(主な勝ち鞍:ジャパンC)やナイスガール(主な勝ち鞍:有馬記念・天皇賞春)、ホワイトゴールド(主な勝ち鞍:日本ダービー)がいる。
    主な海外産駒にはブルーリダクション(主な勝ち鞍:KGⅥ&クイーンエリザベスS)やメイズオブオナガー(主な勝ち鞍:フランスダービー、KGⅥ&クイーンエリザベスS)などがいる。

    競走馬としての特徴
    ・シルバーウルフの性格は温厚であったもののすさまじい気分屋であり当日の機嫌で適正距離や脚質が変っていたようである。不可解な大敗や菊花賞での活躍はこの気性が原因であるとされる。競争生活晩年は的場均調教師がこの性質を理解したためレース直前までに逃げ、最低でも先行がとれるような機嫌に調整していた。
    ・脚質を気分で変えるが本来の適正は逃げであると考えられている。
    ・賢さは相当に高めであるが気まぐれ過ぎてあまり活かせていない。

  • 22122/05/08(日) 22:47:37

    その他特徴・エピソード
    ・白毛馬のため人気は非常に高く特に女性から高い人気があった。また気分屋な性格も好まれ愛すべきマスコット的な存在として可愛がられていた。
    ・牝馬からの受けが非常に良かった。
    ・レースで対決したデュランダルとは親友のような感じであったと言われるほど仲が良かった。
    ・他の馬への態度は丁寧であった。
    ・池添謙一からは「僕の生涯最高の相棒」、「常に先に行く存在」と評価されている。
    ・岩田や安藤からは「一緒に走りたいと思える馬」と評価されている。
    ・的場均調教師からは「いつも笑顔だし人間みたいな顔だ。気分屋で調整が大変だがうまく扱えるようになれば必ず良い素質を持った馬となる。」と評されている。
    ・好物はニンジンチップ 、チーズ。嫌いな食べ物はゴーヤ 。

  • 23二次元好きの匿名さん22/05/08(日) 22:48:47

    のべりすと君はちんちん生やすかタクヤのss書く以外のこともできたんやな

  • 24二次元好きの匿名さん22/05/08(日) 22:54:53

    シルバーウルフ君産駒成績やばくない…?

  • 25二次元好きの匿名さん22/05/08(日) 22:57:19

    バグみたいな活躍してんな
    適正距離変動するってどうなってんだ

  • 26二次元好きの匿名さん22/05/08(日) 23:00:09

    ウマ娘になったカブラギオンとシルバーウルフを考えてみよう
    シルバーウルフはゴルシみたいになりそうだし育成シナリオ中に適正距離変化するとかありそう

  • 27二次元好きの匿名さん22/05/08(日) 23:20:58

    >>26

    シルバーウルフ君はウマ娘みたいなタイプのゲームの方が個性を表現しやすそう。

    スキル:気分屋(出走時、脚質、得意距離それぞれの適正の1つがランダムで1段階上がり、残りの適正が1段階下がる。)みたいな感じで。


    カブラギオン君はキャラ付けが某漫画のブッダみたいな超然的キャラになりそう。愛別離苦とその愚かさを唱えそう。

  • 28二次元好きの匿名さん22/05/09(月) 10:50:11

    これ面白いな...

  • 29122/05/09(月) 10:52:39

    続き
    次はキングヘイロー×ハルウララの子供
    かなりぶっ飛んでるので閲覧注意。



    ハルヒカリ
    出典:フリー百科事典『ウィキペディア』
    ハルヒカリは日本の競走馬。高知競馬所属だった。

    概要
    生年月日:2008年4月1日
    性別:牡
    父:キングヘイロー
    母:ハルウララ
    馬主:松沢秀明
    調教師:宗石大
    主戦騎手:西川敏弘
    主な勝ち鞍(国内):かしわ記念、有馬記念、ジャパンカップダート。
    主な勝ち鞍(海外):BCクラシック、ドバイWC、ドバイターフ、凱旋門賞。
    登録:2011年2月頃
    抹消:2016年2月下旬頃

  • 30122/05/09(月) 10:53:23

    生い立ち
    2008年4月1日に生まれる。当時、113戦0勝で知られるハルウララにキングヘイローを種付けすること自体無謀と言われたが後に馬主となる松沢秀明氏の強い説得により行われた。セリには通されることなく松沢秀明氏の馬として高知競馬でデビューが決まる。
    3歳
    3月の3歳戦でデビュー。デビュー戦では3番人気だったが、二番手逃げから最後の直線で後続を突き放し勝利を決めた。その後も毎回圧勝を続け、母親とは真逆の連勝記録を作る。さらに重賞戦線でおいても黒潮皐月賞、黒潮ダービー、黒潮菊花賞を無敗で勝ち高知無敗の3冠馬となった。またジャパンダートダービーにも出走し勝利する。この時2着馬との着差は5馬身だった。あまりに強いため南関東、果ては中央移籍も勧められたが馬主が「高知所属であることに意味がある」という方針であったため移籍することはなかった。12月の高知県知事賞では高知競馬場に観衆8千人が入る中、単勝1.0倍と言う圧倒的人気に推されたが10着に惨敗し初めて敗北を経験する。
    4歳
    高知県知事賞の敗北を受け一度精密検査をするが異常がなかったためとりあえず休養ということになった。復帰は3月の黒船賞となった。ここでは休み明けに関わらず2着馬に2馬身差をつけて快勝した。続いて目標をかしわ記念に定める。かしわ記念では4番手から最終直線で他馬を一気にちぎり勝利した。その後高知に戻りオープンクラスのレースや他地方の交流重賞に参加しつつ目標をジャパンカップダートとした。出走権を得るためにみやこSに出走する。この時の単勝人気は1.5であったが全く通用せず8着に敗れそのまま年内休養となった。

  • 31122/05/09(月) 10:53:49

    5歳
    八百長疑惑が上がる中陣営はドバイターフへの出走を表明。ドバイターフでは最終直線で後方集団を突き放し独走体勢を築き勝利し、実力は本物であることを証明した。陣営はこれまでの敗因を疲労と判断し夏までの休養を決定した。さらに陣営はダンシングブレーヴの孫であることを利用し凱旋門賞への出走を決め、その援助を引き出すことに成功する。かくしてハルヒカリの凱旋門賞への出走が決まった。前走はフォワ賞に出走。これを制する。そして本番の凱旋門賞ではトレヴやオルフェーヴルら有力馬がひしめく中、最終直線で先頭に立ち、オルフェーヴル、トレヴとの叩き合いを制し勝利した。
    帰国後、当初よりの目標であったジャパンカップダートへ出走。中団より早めに進出を開始し最終直線で抜け出し勝利した。
    6歳
    ドバイワールドカップに招待され出走。道中後方に位置取りしていたものの最終直線手前で抜け出し5馬身引き離して勝利を決めた。その後休養に入り目標をBCクラシックに決める。高知で一叩きした後渡米する。BCクラシックでは中団からの強襲を成功させ最終直線で一気に突き放し勝利した。この時レコードタイムを樹立した。そして年末の有馬記念に出走、大外から突き抜けた最後はハナ差で勝利した。
    7歳
    現役を続行するか馬主が迷ったが2月に引退を決断。3月に行われた引退式では1万人以上が集まった。

  • 32122/05/09(月) 10:55:28

    種牡馬入り後
    23億円のシンジケートが組まれた(そのうちのいくつかは高知競馬場や高知県所有となっている。)。初年度種付け料は2000万円とされたが初年度種付け数は176に及んだ。サンデーサイレンスやキングカメハメハ系の血を一切持っていないことが人気の理由と考えられる。
    現在勝ち上がり率は25%程度。重賞勝利馬は4頭。GⅠ勝利馬には初年度産駒のアネッサ(牝、マイルチャンピオンシップ南部杯)やスズライトダンサー(牡、日本ダービー)がいる。

    競走馬としての特徴。
    脚質は先行差し。圧倒的な速さを持つ。また芝やダートといった馬場の違いを苦にしなかった。
    精神面はかなり強靭。まるで両親を反面教師とするかのような精神性であった。
    気性は激しく調教中に騎手の指示を拒否することもしばしばであった。しかしレースになるとしっかりと乗り役を気遣い従順であった。
    性格は温厚。
    賢さは優秀ですっきりして落ち着きがあった。
    健康面では丈夫な方であったが疲労がたまりやすかった。しかもそれを表に出さなかったためこれが災いして大敗北を引き起こしたと推測されている。
    筋肉は柔軟性があり伸びがある一方で力もある万能型であった模様。
    西川敏弘騎手は「スピードに乗らせた時の推進力は素晴らしく素晴らしい才能を感じさせられたよ」と称賛。
    宗石大調教師は「素質はあったがそれだけではない、あの馬の馬体をみてもらえればわかりますが何であんなに強いのか疑問を持ちました。おそらくメンタル面の支えになるものが大きいのだと、でもそれが何なのか全く謎のままになってしまい悔しさすら覚えています」とコメントを発表している。

  • 33122/05/09(月) 10:56:58

    その他のエピソード・特徴
    ・好物は人参とバナナ。嫌いなものはキャベツ。嫌っていた人は田中守調教師。
    ・鹿毛。
    ・幼少期、母親であるハルウララはハルヒカリを守ろうとして厩務員に対してですら攻撃的になった。このため離乳は難航した。
    ・ハルウララの出産はかなり危険なものであったが獣医、獣医師、生産者の3者が一つとなり無事達成した。またハルヒカリが誕生した際には外の天気は快晴の中大量の雨が降ったと言う不思議な光景が見られたと言われている。
    ・ハルウララの息子ということもあり注目度は非常に高く高知競馬の平場で連勝を重ねるだけで全国スポーツ紙に取り上げられたほどでありマスコミから多くの質問が舞い込んだ。
    ・無敗で高知三冠を制した日は高知の地元ローカル紙は号外を出し、全国スポーツニュースで速報されNHKからも取材を受けた。
    ・3歳の時の高知県知事賞で飛ばした金額はおよそ100億円に上ったとされている。
    ・八百長疑惑がかけられた際は、「レース映像を見ればそんなはずはないとわかる」と本馬・高知競馬関係者に対してNARのみならずJRAや武豊を筆頭に多くの騎手、果ては芸能人やスポーツ選手から擁護の声が上がった。
    ・レースに出走しない日でも高知競馬場に来ていることがあった。
    ・高知県は彼を名誉県民として特別住民票を発行した。
    ・凱旋門賞やドバイターフなどの海外遠征時はそのレース映像が高知競馬場の電光掲示板に映され応援会が開かれた。
    ・凱旋門賞を制覇した際、直後の高知競馬場のレース名は全てハルヒカリの制覇を祝うものになった。

  • 34二次元好きの匿名さん22/05/09(月) 10:59:05

    レジェンド過ぎて高知が丸焼けになってる…

  • 35二次元好きの匿名さん22/05/09(月) 11:01:46

    つの丸先生を困らせるのはやめてさしあげろ

  • 36二次元好きの匿名さん22/05/09(月) 11:02:24

    最後の方で高知県民の脳が壊されてて草

  • 37二次元好きの匿名さん22/05/09(月) 11:05:16

    凱旋門連れてった行動力がやばい

  • 38二次元好きの匿名さん22/05/09(月) 11:05:26

    ウソでしょ…繁殖入りしてすぐダービー馬出してる

  • 39二次元好きの匿名さん22/05/09(月) 11:06:46

    あぁ〜脳が丸焦げになる〜

  • 40二次元好きの匿名さん22/05/09(月) 11:07:21

    ドバイG1で二勝してるし生涯獲得賞金もこれえらい額ですよ

  • 41122/05/09(月) 11:10:01
  • 42二次元好きの匿名さん22/05/09(月) 11:15:25

    こうして見ると走ってもおかしくない血統してんなウララちゃん

  • 43122/05/09(月) 11:24:26

    >>29の世界線で ウラライスの子

    ハクヨウ

    出典:フリー百科事典『ウィキペディア』

    ハクヨウは日本の競走馬。


    概要

    生年月日:2013年4月1日

    性別:牝

    父:ライスシャワー

    母:ハルウララ

    馬主:北村宏一

    主戦騎手:幸英明

    調教師:的場均

    主な勝ち鞍(国内):中山牝馬S、札幌2歳S

    主な勝ち鞍(海外):ケンタッキーオークス、ブリーダーズカップフィリー&メアターフ。

    初出走:2015年7月5日

    抹消:2017年4月30日

  • 44122/05/09(月) 11:25:35

    生い立ち
    ハルヒカリの活躍を受け、小柄な馬なら大丈夫という考えのもとハルウララとライスシャワーを交配させて生まれた。なおライスシャワーはこのあと死亡している。

    2歳
    7月5日の新馬戦でデビューする。その勝ちっぷりは圧倒的なものであった。次走には札幌2歳Sを選択。こちらは14頭立ての最内枠で、後方待機する作戦をとった。最終コーナーで動き始めてラスト直線も末脚を見せる逃げ馬の猛追を交わしきりハナ差先着を果たした。続いて阪神ジュベナイルフィリーズに出走するも10着で終わり大敗を喫してしまう。

    3歳
    ダート路線に切り替える。ヒヤシンスSでは8番人気ながら見事レコードタイムで優勝してみせる。ここで馬主よりケンタッキーダービー出走を提案されるがこれを調教師に拒否される。相談の結果ケンタッキーオークスへの出走を決定する。ケンタッキーオークスではハイペースの中直線で抜け出し後続を寄せ付けず勝利する。続くトリプルティアラ初戦のエイコーンSに出走するもここでは最後方から最後伸びたものの9着に破れるのだった。マザーグースSを回避し、CCAオークスにも出走するが最下位に終わる。続くアラバマSでは出遅れたものの最後まで伸びるような走りをみせた結果5着と健闘。そのままアメリカに残りブリーダーズカップへの出走を決める。ここで調教師の判断によりBCフィリー&メアターフを選択。古馬混合競走であったが見事に快勝する。その後帰国し年内休養となった。

    4歳
    中山牝馬Sで復帰する。勝利を飾ったがその矢先骨折が判明。引退となった。

  • 45122/05/09(月) 11:26:48

    繫殖入り後
    種付けは2018年より開始。
    種付け相手
    2018年:エスポワールシチー(受胎せず)
    2019年:スマートファルコン(受胎)
    2020年:オルフェーヴル(受胎)
    2021年:サトノダイアモンド(受胎)
    2022年:ロードカナロア

    デビューした産駒
    ・ホワイトウインド(父:スマートファルコン、主な勝ち鞍:朝日杯フューチュリティS、性別:牡)
    ・コスモヘレノス(父:オルフェーヴル。性別:牡)

  • 46122/05/09(月) 11:27:57

    競走馬としての特徴
    ・脚質は先行。芝とダートを行ったり来たりしたがこれは成長により両方走れるようになったからと言われている。
    ・気性は少し臆病な面がある。性格は穏やか。
    ・成熟した精神を早いうちから持っていた。
    ・知能面ではかなり賢かった。

    その他の特徴・エピソード
    ・毛色は黒色である。
    ・顔や体形が良く人気があった。
    ・他の馬に対して特に敵視することはなく落ち着いていた。
    ・好物は生野菜、嫌いなものは干し芋。
    ・自分が産んだ子供への接し方は愛情深いという。
    ・主戦騎手の幸騎手は「乗り慣れているのは僕です」と語っている 。
    ・的場均調教師は「精神的に強いけど気が強いわけじゃありません。大人しい方ではないでしょうか?」と答えている 。

  • 47二次元好きの匿名さん22/05/09(月) 11:31:25

    ライスシャワーが宝塚を越えて23歳まで種牡馬してる……!

  • 48二次元好きの匿名さん22/05/09(月) 11:42:11

    この娘達のウマ娘化を語りたい…

  • 49122/05/09(月) 11:59:57

    ここまでウマCPの子供だったけど趣向を変えてアドマイヤベガの双子の片割れ。


    アドマイヤサトリ
    出典:フリー百科事典『ウィキペディア』
    アドマイヤサトリは日本の競走馬。
    珍しい双子馬である。兄はアドマイヤベガ。
    概要
    生年月日:1996年3月12日
    父:サンデーサイレンス
    母:ベガ
    調教師: 橋田満
    主戦騎手:横山典弘
    馬主:近藤利一
    主な勝ち鞍:宝塚記念、NHKマイルC、香港マイル、安田記念。
    初出走:1998年8月22日
    登録抹消:2003年8月20日

  • 50122/05/09(月) 12:01:13

    生い立ち
    ベガはサンデーサイレンスとの初めての仔を受胎したが、エコー検査で受胎確認を行った際二卵性双生児であることが判明した。普通は双子の片方を潰す判断がとられるが、この時獣医師の判断で2頭とも出産することが決まった。この判断は当時非常にセンセーションなものであり大きな話題を呼んだ。生まれた時、兄アドマイヤベガは母と同じく左前脚が内側に曲がっていたがアドマイヤサトリは普通の足の状態に生まれた。ここでベガが2頭両方の面倒を見ることは不可能と判断され、兄を人間の手で育てることが決定した。その後成長し兄と同じく橋田満厩舎へ預けられる。

    2歳(旧3歳)
    8月22日の新馬戦でデビューする。ここでは4着に終わる。初勝利をあげたのは9月の第1週の未勝利戦。その後OP戦に向かい勝利する。
    ラジオたんぱ杯3歳S(現:ホープフルS)で兄と最初で最後の対決となった。 レースではアドマイヤサトリが先行集団から直線で抜け出し勝利を決める。

    3歳(旧4歳)
    クラシック参戦が期待されたが軽度の故障が見つかり見送られる。復帰戦はNZTとなった。5着に敗れる結果となったが次走NHKマイルCでは見事ゴール直前で差し切り勝ちし優勝してみせる。その後は兄ともども休養となる。マイラーと判断され菊花賞は回避することになりスワンSを使ってマイルCSへと向かうことになった。スワンSでは直線伸びを見せ逃げきり勝ちをする。しかしマイルCSでは凡走してしまい8着と惨敗に終わった。ここで馬体に軽度の故障が発生し大事を取り放牧を余儀なくされる結果となった。

  • 51122/05/09(月) 12:02:42

    4歳(旧5歳)
    兄が前年に引退する。復帰初戦は中山記念となった。結果は6着になるものの橋田満調教師にとっては最高の内容になったようである。続いてマイラーズCに出走しここで勝利をあげる。続く安田記念では後方から追い込みを見せるも15着に終わる。さらに馬体検査で異常が発覚、年内休養となった。ここで引退しなかったのは兄が種牡馬入りしていたことが理由である。

    5歳
    休養後の調教でまたしても故障するなどして復帰が10月まで遅れる。復帰後初となるレースは京都大賞典で10着に終わった。ここで厩舎は香港遠征を決定。香港マイルに出走する。単勝6番人気であったがなんと勝利する。

    6歳
    初戦はシルクロードS。ここを勝利し高松宮記念に向かうが3着と惜敗。だがその後の京王杯SCでは勝利をおさめ再び安田記念に出走し去年の雪辱を果たす。その後は放牧の後、セントウルステークスへ出走する。勝利するも斜行と判断され降着。ここで年内休養となった。

    7歳
    春までの復帰を目指したが去年の年末に発見された靭帯炎の治療が長引く。ここで引退も考えられたが馬主の意向で一度宝塚記念に思い出出走することが決定する。ファン投票では圧倒的な得票を得た。宝塚記念では先頭集団につき最終直線で抜け出し後方からのヒシミラクルの追い込みを振り切り勝利した。この結果を受け年内の現役続行と天皇賞挑戦が発表されたが8月の放牧中に異常が発見され引退となった。

  • 52122/05/09(月) 12:03:53

    種牡馬入り後
    兄と同じく社台スタリオンステーションで種牡馬となる。総額1億2000万円のシンジケートが組まれた。兄の産駒との対決が期待されるが種牡馬入りした年の10月29日に兄は死亡してしまう。皮肉にもこれがアドマイヤサトリの種牡馬生活において追い風となった。
    2022年現在アドマイヤサトリは存命である。種牡馬としての種付けも行っている。またリーディング上位を記録し続けている。
    主な産駒
    ・シームグローリー(桜花賞)
    ・アドマイヤアロー(NHKマイルC、エリザベス女王杯連覇、ヴィクトリアマイル)
    ・アドマイヤオーニ(皐月賞)
    ・アドマイヤジスター(オークス、日本ダービー)
    ・アドバルーン(NHKマイルC)
    ・アドマイヤセラス(日本ダービー)
    ・サディズム(阪神ジュベナイルフィリーズ)
    ・ラブユアエセッ クス(有馬記念、日本ダービー)
    ・サンクスネイチャ(NHKマイルC)
    ・フジノダンサー(秋華賞、マイルCS)など
    また海外でも種牡馬として種付けを行った。
    主な海外産駒
    ・フーナリ(アイルランドダービー)
    ・ローナン(愛1000ギニー)
    ・ファリンガ(コロネーションS)
    ・アモウン(凱旋門賞)
    ・ラダント(エクリプスS、ゴールドC)
    ・ソンザニー(香港C、クイーンエリザベスⅡ世C)

  • 53122/05/09(月) 12:05:24

    競走馬としての特徴。
    ・脚質は先行差し。気性は大人しいものの頑固であり調教の手がつけにくい面があった。適性距離はマイルから中距離であるとされる。
    ・精神面では少々幼い面があった。
    ・健康面は当初危惧された通り不安定であった。
    ・知能面では平均水準を大きく越えていたとされている。
    ・横山騎手は「天才」と評している。
    ・橋田満調教師は「頭がよくて強い馬に仕上がったと思っている」と述べている。
    ・アドマイヤベガとは双子であったが兄が追い込みを得意としたのに対してこちらは先行からの差しを得意としたため戦法は真逆だった。

    その他エピソード・特徴
    ・双子でありよく似ているが兄と比べると若干小さい。また額の流星がより目立つのも特徴の一つであった。
    ・好物は桃。嫌いなものは犬。
    ・ピンク色の物が好き。
    ・レース外では甘えん坊な一面を見せた。
    ・兄とは生まれた後引き離され、入厩後に再開する。兄は弟のことを覚えていなかったがアドマイヤサトリは覚えていたらしく初対面時は大はしゃぎしていた。
    ・兄と調教を行うこともあった。
    ・ラジオたんぱ杯3歳S後、帰厩した際に兄と顔を合わせた時、兄は顔を赤くしてその場を離れたらしい。
    ・兄が引退し栗東を去る際は涙を流していた。
    ・兄弟仲はかなり良好だった。
    ・社台スタリオンステーションへ移動後に兄と再会した際はまた泣いていたらしい。
    ・兄が死亡した直後は元気がなかった様子だが徐々にいつもの明るい性格を周囲に見せた。しかし裏では食欲などが失われていたという話もある。
    ・種付けを嫌がってはいたが結局受け入れることになる。
    ・双子の馬ということもあり人気はかなり高く、兄が日本ダービーを制覇した際には再度の兄弟対決を望む声も多くあがり、兄弟セットのグッズ等が作られた。

  • 54二次元好きの匿名さん22/05/09(月) 12:34:35

    お兄ちゃん大好きっ子だったんだね…
    産駒成績凄いな…

  • 55122/05/09(月) 12:48:06

    この世界だと間違いなくディープインパクトではなくサトリの血統飽和問題が発生している。
    どれもこれもAI君が種牡馬として活躍という文章を創ったのが悪い。

  • 56122/05/09(月) 12:49:37

    ちなみにラブユアエセ ックスはもっとド直球な名前だった。

  • 57二次元好きの匿名さん22/05/09(月) 12:56:58

    見たイィ!!
    サトリとアドベの仲良しな日常が見たイィ!!

  • 58122/05/09(月) 15:29:26

    フクキタルの姉。

    サトノシンケン
    出典:フリー百科事典『ウィキペディア』
    サトノシンケンは日本の競走馬。国内外GⅠを12勝した日本記録を持つ。

    概要
    生年月日:1991年4月1日
    毛色:栗毛
    父:クリスタルグリッターズ
    母:アテナトウショウ
    馬主:里見治
    調教師: 二分久男
    主戦騎手:柴田善臣
    初出走:1993年9月5日
    抹消:1998年6月29日
    主な勝ち鞍:有馬記念、宝塚記念、高松宮杯、ジャパンC、皐月賞、菊花賞、マイルCS、朝日杯3歳S。
    主な勝ち鞍(海外):KGⅥ&クイーンエリザベスS、バーデン大賞。

  • 59122/05/09(月) 15:31:45

    生い立ち
    1991年4月1日に誕生。この年のクリスタルグリッターズ産駒の中でも五指に入ると言われ、調教師や馬主からの問い合わせが殺到するほどであった。
    セリではこの年初めて馬主となった里見治が落札。落札価格は6億5000万円と高額だった。期待された本馬は「サトノシンケン」と名付けられ二分久男厩舎に預けられデビューする。

    2歳(旧3歳)1993
    9月5日の新馬戦でデビューする。レース内容は圧勝でありコースレコードを樹立した。このレース内容から即座に重賞戦線へと参戦。京都3歳Sではナリタブライアン相手に完勝。
    さらに朝日杯3歳Sでは2着のナリタブライアンが全く相手になっていないほどの完勝をあげた。

    3歳(旧4歳)1994
    弥生賞を初戦に選択し勝利する。皐月賞では「勝って当たり前」とまでスポーツ紙に評された。その評判通り圧倒的大観衆の前に圧倒的なスピードを見せ優勝。日本ダービーにも出走するものと思われたがレース後異常が発見されたため見送られることになった。その後馬主の「菊花賞前に3000mに挑戦させてみてはどうか」という意見が採用され、英セントレジャーSへ出走する。結果は7着であった。イギリスでは格下とされていた。検疫の都合上そのまま菊花賞に出走する。疲労面等で不安視されたがレコードタイムを樹立して勝利する。なおこの時2着のナリタブライアンも前年のビワハヤヒデのレコードを塗り替えていたが0.1秒差で敗れている。その後は年内休養となった。

    4歳(旧5歳)1995
    初戦は日経賞を選択、ここを快勝し天皇賞へと出走する。しかし、スタート直後に暴走してしまうアクシデントがあり13着に終わった。宝塚記念ではライスシャワーが予後不良になるアクシデントがあったものの快勝。しかし「この距離なら勝って当然」とされていたことやライスシャワーの予後不良が悲劇的であったためあまり話題にはならなかった。夏の休養をはさみ、秋の初戦には毎日王冠を選択し勝利を収める。天皇賞に出走するが11着に敗れた。しかし続くジャパンカップでは外国の強豪を打ち破り優勝する。さらに有馬記念ではマヤノトップガンから逃げ切り優勝する。

  • 60122/05/09(月) 15:32:56

    5歳(旧6歳)1996
    再び天皇賞を取るべく阪神大賞典に出走する。ここで勝利し天皇賞に出走したが12着に終わる。続く宝塚記念では快勝し2連覇を成し遂げるが故障が発覚する。休養が長引き天皇賞への出走が厳しいと判断されマイルCSで復帰する。マイルCSでは後方待機から直線で抜け出しジェニュインを差し切り勝利する。有馬記念にも出走し勝利する。

    6歳(旧7歳)1997
    マイルCSの結果から馬主が「短距離も見てみたい」と提案したため高松宮杯に出走。距離が短いと不安視されるがハナを切り見事勝利を飾る。
    その後馬主から海外挑戦が発表され、KGⅥ&クイーンエリザベスSに出走。ここでは出遅れるも捲りを決め勝利。これが日本調教馬及び内国産馬初の海外G1制覇となった。その後凱旋門賞を目指すと思われたが手違いによりバーデン大賞に登録され、馬主の意向で出走し勝利。凱旋門賞にも出走するが見せ場なく惨敗という結果に終わった。その後帰国し年内休養となった。

    7歳(旧8歳)1998
    悲願の天皇賞制覇を目指し阪神大賞典に出走する。だがハナ差で勝利を逃す。その後天皇賞に出走するがメジロブライトに大差で敗れる。その後引退が発表された。

  • 61122/05/09(月) 15:33:56

    種牡馬入り後
    総額15億8000万円のシンジケートが組まれる。初年度種付け料は2000万である。
    初年度産駒はデビューが遅れるなどしてクラシックでは振るわなかったが、古馬になってから本格化する傾向にあり2002年には4頭がGⅠを制覇した。
    2018年に種牡馬を引退した。その後はニュージーランドの牧場で生活している。
    主な産駒
    ・トーサイダー (主な勝ち鞍:ドバイワールドカップ連覇)
    ・シャラント(主な勝ち鞍:香港ヴァーズ)
    ・ウインサザン(主な勝ち鞍:有馬記念)
    ・マイニングブラッド(主な勝ち鞍:安田記念)
    ・トウシンウインド(主な勝ち鞍:日本ダービー)
    ・フジヤマケンゴー(主な勝ち鞍:有馬記念3連覇、春秋天皇賞、日本ダービー)

  • 62122/05/09(月) 15:34:45

    競走馬としての特徴。
    ・脚質は日本であれば圧倒的能力の高さのため自在であった。海外では馬場やレベルの違いから捲りを打つことが多かった。
    ・気性は素直ではない部分が多かったが好戦的、レースではとにかく前を狙うようにしているところがあった。
    ・精神面では短気であるが冷静さも見られた。
    ・健康面では問題なかった。また心臓が他の馬よりも大きかったとされる。
    ・知能面は良好。
    ・体格はがっしりとしており、筋肉が非常に発達していた。また全身の筋肉はしなやかでありバネのような弾力性に富んでいた。
    ・柴田善臣騎手は「言うことを聞かないがやってはいけない事に関してはすぐに止まる賢い馬」と発言している。
    ・二分久男調教師は「頭のネジが取れた子供」と称している。

  • 63122/05/09(月) 15:35:33

    その他特徴・エピソード
    ・好物は野菜、リンゴ。嫌いなものは虫、犬、雷である。
    ・食欲が旺盛であった。
    ・里見氏はこの馬を初めて見た時「すごいなこいつのスピード!将来これ絶対速いでしょ~」と思ったそうである。
    ・里見氏はこの後高額の馬を落札する傾向にあったがこれはこの馬の影響である。
    ・全弟のマチカネフクキタルは厩舎が一緒であったがデビューがサトノシンケンの競争生活晩年であったため顔を合わせることはほとんどなかった。
    ・日本ダービーの出走が取りやめとなった際は陣営にとって落胆しかなかった。また世間では陣営に対してすさまじい非難の声が上がった。またその影響で1994年の日本ダービーは観客動員数が過去最低になり「最悪のダービー」とまで評された。
    ・英セントレジャーの敗戦は日本の競馬関係者に外国との格差を見せつけるような形になっていたが陣営はそれほど気にしてはいなかった。
    ・1995年の宝塚記念制覇の際にライスシャワーの予後不良ばかりが取り上げられたことに関して陣営は「どうして我々の勝利の記事がないのか。」とコメントし不快感を露わにした。また近年里見氏はこの件について「我々(陣営・サトノシンケン)を褒めない報道陣に対して憤りを感じていた。」とコメントしている。
    ・天皇賞に出走すると暴走や考えられないようなミスをして大敗していたことから「天皇に呪われた馬」のあだ名があった。
    ・KGⅥ&クイーンエリザベスSの勝利は日本競馬界に衝撃を与えターニングポイントとなった。
    ・バーデン大賞に手違いで登録された原因は酔ったまま書類にサインしたことが原因という話があるが真相は不明。
    ・メルボルンカップ挑戦が初期の段階では構想されていたが天皇賞春の惨敗を受け断念した。
    ・他の陣営からは「悪魔」「怪物」と称されていた。

  • 64二次元好きの匿名さん22/05/09(月) 15:43:25

    バクシンオーとフーちゃんの子を作ろうとしたら2戦1勝になった
    もう一回やってみよう…

  • 65122/05/09(月) 15:55:01

    >>64

    AI君は基本的に数字に弱いのと架空馬に厳しいので何戦何勝とするよりは主な勝ち鞍をまず創って、引退年を決めて勝ち鞍とつじつまが合うように各年齢ごとの戦績を創った方が楽。

  • 66122/05/09(月) 17:49:50

    片方ウマ娘になっていなけど
    オグリキャップ×ホーリックス

    シンデン
    出典:フリー百科事典『ウィキペディア』
    シンデンは日本の競走馬。

    概要
    生年月日:2007年4月1日
    毛色:葦毛
    性別:牡馬
    父:オグリキャップ
    母:ホーリックス
    馬主:伏見猿彦
    主戦騎手:安藤勝己
    調教師:池江泰寿
    主な勝ち鞍:皐月賞、NHKマイルカップ、菊花賞、ジャパンC、ラジオNIKKEI杯2歳
    初出走:2009年6月28日
    抹消:2010年12月25日

  • 67122/05/09(月) 17:50:29

    生い立ち
    2005年ごろにホーリックスの馬主とオグリキャップの馬主の対談が行われた際に彼らの最後の子供を創ることに決定。子の所有権は日本側にあるとされた。
    2007年4月1日に誕生する。セリではオグリキャップの子として注目を浴び伏見猿彦氏が競り落として購入した。落札価格は5300万円。
    シンデンと名付けられ池江泰寿厩舎に預けられる。
    2歳
    6月28日の新馬戦でデビューする。単勝2.6倍の好人気を集めデビュー勝ちを果たす。この後函館2歳Sで2勝目をあげる。続いて東スポ杯2歳Sではレコード勝ちを飾る。続くラジオNIKKEI杯2歳Sでも勝利をおさめ2歳を無敗で終える。
    3歳
    弥生賞を初戦に選択。なんと10馬身差をつけて勝利する。続く皐月賞では2番手につくと最終直線で差し切り勝利を収めた。ここで馬主はいわゆる松国ローテを提案する。当然調教師は反対するが協議の結果NHKマイルに出走が決まりそこでの状態を見て今後ダービーに出走するかを決定するとした。
    NHKマイルでは4コーナーから抜け出し後続を圧倒。コースレコードを樹立して勝利した。検査の結果ダービーへの出走は取りやめることになった。
    復帰は神戸新聞杯。人気に応え見事に完勝。続く菊花賞では圧倒的な強さを見せ勝利。さらにジャパンカップへの出走を決める。父が負け母が勝ったジャパンカップ、疲労や3歳という若さが理由で不安視されたが、両親の想いを背負ったのか最終直線で抜け出し後続と6馬身差をつけ圧勝した。しかしこの後の検査で屈腱炎と診断され引退が決まった。生涯無敗であった。

  • 68122/05/09(月) 17:51:12

    種牡馬入り後
    総額20億円のシンジケートが組まれる。これはインブリードが一切発生していない血統であることが理由である。初年度種付け料は2000万となった。
    現在産駒の勝ち上がり率は98.1%を記録している。重賞馬は11頭にのぼりそのうちダービーホースは5頭となる。
    主な産駒
    ・シンオウハヤブサ(日本ダービー、朝日杯FS)
    ・レッドシャンティ(牝馬クラシック三冠)
    ・ナオキカイシロウ(日本ダービー)
    ・オーノカブラヤ(日本ダービー)
    ・トウキョウテイガ−(日本ダービー、有馬記念)
    ・サウスウイング(日本ダービー、天皇賞秋)

    競走馬としての特徴
    ・脚質は先行逃げ。圧勝が多くよくわからないとも言われる。
    ・気性は荒い。池江調教師によれば「普段は大人しいがレースが近づくにつれ闘争心を露わにして気が荒くなっていく」とのこと。
    ・安藤騎手は「手ごたえが悪そうに見えても結局圧勝する。底が見えない」と評している。また「芝よりも砂や土の馬場の方が良さそう」ともコメントしている。

  • 69122/05/09(月) 17:51:37

    その他特徴・エピソード
    ・父オグリキャップは大食いであることで有名であったがシンデンも良く食べた。
    ・葦毛だが競技生活中は毛の色は黒っぽかった。
    ・オグリキャップの子供であるためクラシック参戦時の人気はとても高く連日テレビや雑誌などで報道されていた。一般誌やニュースでも取り上げられていたくらいであったため生産者の注目度もありその年産のうちから期待がかけられたのである。皐月賞を制覇した際はあらゆるニュースメディアがトップニュースとして報道し、ワイドショー等でも頻繁に取り上げられた。
    ・NHKマイルに出走することが報じられた際各種マスコミやネット上では「ダービーを最優先すべき」「ダービーに出てこそ」などNHKマイル出走を批判する声が上がった。そしてダービーを回避することが決定すると「親不孝だ。情けないにもほどがある」、「オグリキャップ産駒最後の子がかわいそうだ……悲しい……悔しい……」などと陣営に対し批判や誹謗中傷が展開された。また日本ダービー自体も「シンデンが出ないなら見る価値が無い」とまで言われ売り上げを落とし、ダービー馬エイシンフラッシュに対しても「シンデンが出ていれば・・・」「シンデンより上だとは思えない」などの心無い声が飛び交った。
    ・ジャパンカップの圧勝劇は今でも語り継がれている。しかしここで屈腱炎を発症し引退した件については触れまいとする姿勢が一般的である。陣営に対しては「菊花賞→ジャパンカップのローテは無謀じゃないのか」という批判があった。
    ・有馬記念開催日に引退式が行われた。引退式には中山競馬場に観衆が大勢集まって行われた。その日の観客動員数は21万人を超えると言われている。
    ・フランケルとの最強議論が繰り広げられるサイトが存在する。

  • 70122/05/09(月) 18:07:18

    NHKマイルを勝つこと、ダービーが勝ち鞍にないことはAIが出した。
    松国ローテをさせるかどうかはAIに任せた。その結果異常による回避となった。
    エイシンフラッシュには申し訳ないと思う。

  • 71122/05/09(月) 19:47:44

    >>1 >>48

    一応カブラギオンをウマ娘化してみた。

    AI君は擬人化キャラや人間関係を創るのは向いていない。


    カブラギオン

    出典:フリー百科事典『ウィキペディア』

    カブラギオンは「ウマ娘 プリティーダービー」に登場するキャラクター


    プロフィール

    誕生日:4月1日

    身長:150cm

    体重:記載意味なし

    3サイズ:B83、W55、H79

    学年:中等部

    CV.高橋花林→佐倉彩陽

    キャラクターソング:Unnamed world


    あのフランケルに唯一勝ったことで知られる競走馬「カブラギオン」がモチーフのウマ娘。

    髪型は漆黒の髪の毛を編み込んだ縦ロール髪。鋭い目つきをした真っ赤な目を持つ。

    性格は冷静、冷血、無感情、無感動と言われるほど冷たい。レースに対する想いは確かにあるみたいだが、あくまで自分が勝つことしか考えていない。故に逃げを打つ。しかし人を信じやすく信じた人には付き従い期待を裏切らないように行動する。

    冷たい性格ゆえに人づき合いを避けようとするため友達は少ない。

    口数はあまり多くない。

    幼少期から母親に溺愛されていたがそれが原因でこのような性格になった模様。父は生まれる前に亡くなっているが本人はさみしいとは思っていない。

    勝負服は紫色と赤色がメインとなった派手な上着にズボンスタイルの組み合わせ。

  • 72122/05/09(月) 19:48:06

    関連キャラクター
    ・エアシャカール
    史実では父親にあたる。ウマ娘ではお互いをライバルだと認識しているようだ。
    ・ファインモーション
    史実では母親にあたる。ウマ娘では史実のようにファインモーションの方から積極的に関わってくるがカブラギオンは彼女を鬱陶しく思っている。しかしないが/
    しろにしているわけではなく気に掛けていることはあるようだ。
    ・母親
    カブラギオンを幼少期から溺愛しており彼女がトレセン学園の寮に入る際最後まで泣きながら説得を続けていた。これは史実でファインモーションが子離れの際にとても嫌がったことに由来していると言われる。

    性能
    芝:A ダート:G
    逃げ:A 先行:B 差し:D  追い込み:E
    短距離:F マイル:E 中距離:A 長距離:E
    固有スキルは「無慈悲のレースペース」と言い戦法で逃げを選択しかつ先頭に立つと少しずつスピードが上がり、また後続のスタミナ消費を増加させるというもの。
    固有2つ名は「恐怖の象徴」。入手条件は天皇賞秋を逃げで5バ身以上つけて勝つこと。
    特殊実況はジュニア期の天皇賞秋に設定されているが5バ身以上の着差をつけないと流れない。
    特殊実況:「勝ったのはカブラギオン!とても恐ろしい逃げウマ娘が現れました!」

    余談
    ・あまり交友関係がないのは史実での性格もあるが、そもそもクラシック期のライバルが実装されておらず、ウマ娘のシステムが史実の活躍期間・レースと嚙み合っていないことが大きい。特にシニア期で育成が終わるのは、4歳時はほぼ休養、ろくな活躍がなかった彼女にとって致命的である。
    ・よくファンからは「フランケルが来ていないが故に起こった悲劇」と言われている。
    ・声を演じている佐倉彩陽氏はカブラギオンの性格と合っているとのこと。また共演者からは「似ている」と言われているらしい。
    ・声は落ち着いた少年のような声。

  • 73122/05/09(月) 21:21:30

    サイレンススズカ×エアグルーヴ

    ハクレイダイ
    出典:フリー百科事典『ウィキペディア』
    ハクレイダイは日本の競走馬である。
    概要
    生年月日:2012年4月1日
    父:サイレンススズカ
    母:エアグルーヴ
    馬主:竹村駒子
    主戦騎手:武豊
    調教師:池江泰寿
    主な勝ち鞍(国内):皐月賞、菊花賞、
    主な勝ち鞍(海外):ドバイシーマクラシック、香港カップ、コックスプレート。
    初出走:2015年1月3日
    抹消:2017年1月25日
    毛色:鹿毛

  • 74122/05/09(月) 21:21:56

    生い立ち
    2011年に不受胎が確認されたエアグルーヴにサイレンススズカをつけた。この組み合わせは過去何度か試されていたがいずれも失敗していた。
    ケガでデビューが遅れたが2015年1月3日にデビューする。
    3歳
    1月3日の新馬戦でデビューする。新馬戦を楽勝したのち条件戦を勝って弥生賞へ出走する。弥生賞では好スタートして先行集団につき最終直線で抜け出し勝利した。そして皐月賞では単勝1.4倍で圧勝した。しかしダービーでは精彩を欠き3着に終わる。夏の休養後はセントライト記念からスタート。ここを勝利して菊花賞では最終直線で抜け出し勝利した。その後休養に入る。
    4歳
    AJCCで復帰。ここを勝利しドバイシーマクラシックに遠征する。ドバイシーマクラシックでは再びドゥラメンテとの対決となった。ドゥラメンテが落鉄するというアクシデントに助けられる形となったが勝利する。帰国後宝塚記念に出走するが最後の直線で伸びきれず9着に敗れる。その後休養しオーストラリアのコックスプレートを目指す。コックスプレートではコースレコードで優勝。さらに香港カップにも出走、ここでも見事に勝利する。

  • 75122/05/09(月) 21:22:22

    5歳
    ドバイを目指すが脚部不安が発覚。そのまま引退となった。
    種牡馬入り後
    総額17億7,000万円のシンジケートが組まれる。初年度種付け料は800万円。
    現在の勝ち上がり率は10%程度。重賞馬は2頭。GⅠ制覇馬は0。

    競走馬としての特徴
    ・脚質は先行。
    ・気性は臆病寄りだったと言われることが多いが基本的におとなしいだけだと思うことが多いらしい
    ・体は細いわりに力が強く持久力があった。

    その他
    ・好物はバナナジュース。嫌いなものはピーマン、子供。
    ・癖は人の顔をずっとジーッと見ようとすること。
    ・武豊はサイレンススズカと比べてこの馬について「乗りにくいとは思わなかった」と言う。

  • 76二次元好きの匿名さん22/05/10(火) 09:04:54

    豊乗ってるのか

  • 77122/05/10(火) 19:29:36
  • 78ススズファン22/05/10(火) 20:26:18

    名前はAIなのか自前なのかが気になりますね

  • 7922/05/10(火) 20:49:58

    >>78

    AIです。

  • 80ススズファン22/05/10(火) 22:26:10

    >>79

    aiってすごいですね

  • 81二次元好きの匿名さん22/05/11(水) 09:54:37

    あげしてもいい?

  • 82二次元好きの匿名さん22/05/11(水) 20:53:28

    保守

  • 83二次元好きの匿名さん22/05/12(木) 01:01:47

    ハルヒカリって地方から中央どころか凱旋門賞で怪物2頭に勝ってるんだからそりゃ脳みそ焼かれるわ
    凱旋門賞馬ダンシングブレーヴ産駒キングヘイローに高知の負け組の星から世代最強クラス出るとか高知民じゃなくても脳みそは無事ではすまない

  • 84二次元好きの匿名さん22/05/12(木) 02:35:45

    このレスは削除されています

  • 8522/05/12(木) 02:36:47

    途中送信
    この世界だと逸話的に確実にウイポで新たに産駒イベントが用意されると思う。

    晴天の霹靂の幼駒(奇跡の血量になる配合かつ母が6年以上現役で未勝利かつその幼駒が初仔ならステータス大幅上昇)みたいな感じで

  • 8622/05/12(木) 02:53:36

    そういえば高知の英雄グランシュバリエの南部杯はハルヒカリ初出走の約半年前だったりする。
    この2頭は神が遣わした救世主か何か?
    あとちょうどデビュー年に大震災が起こるから人々を元気づけるアイドルホース的な扱いをされるのは間違いない。
    下手したらオグリ以上の人気じゃないか?

  • 8722/05/12(木) 03:01:45

    あとハルヒカリ関連だと地味にすごいのは
    鞍上は地方だと上手い方の騎手だけど、調教師はほぼ実績が無くて、ハルウララの調教師という縁だけで預けられているんだよね。そこからドバイやら凱旋門なんだからもう地方リーディングは無茶苦茶。

  • 8822/05/12(木) 03:35:42

    自レスだけどウイポとかでつきそうな2つ名は
    『無感情の逃げ馬』→『盛者必衰の理』カブラギオン
    『気まぐれ王子様』シルバーウルフ
    『光の救世主』ハルヒカリ
    『奇跡よもう一度』ハクヨウ
    『聡明なる双子星』アドマイヤサトリ
    『最強の剣』→『世界を切り裂く大業物』サトノシンケン
    『両親を超えて』→『未完の葦毛伝説』シンデン
    『三度目の正直』ハクレイダイ
    こんな感じか?

  • 89二次元好きの匿名さん22/05/12(木) 13:47:58

    ここで生まれた競走馬をウマ娘化するスレを立ててもいいですか?

  • 9022/05/12(木) 14:34:25

    >>89

    別に問題ないですよ。

  • 9122/05/12(木) 21:31:46

    予後不良や病気、乗馬行きなどで子孫を残せなかった有名な馬の血を全て混ぜて未来の馬を創る(騙馬・障害馬は対象外。)
    対象の馬は以下の通り
    ・トキノミノル   ・レダ
    ・ハマノパレード  ・テスコガビー
    ・テンポイント   ・シャダイソフィア
    ・サクラスターオー ・サンエイサンキュー
    ・ライスシャワー  ・ホクトベガ
    ・サイレンススズカ ・エガオヲミセテ
    ・ミンナノヒーロー ・ファインモーション
    ・ワグネリアン   ・アストンマーチャン
    ・ゴールドシチー  ・ジョワドヴィーヴィル
    現在すべてを配合した馬の名前と勝ち鞍は製作できているので完成までお待ちください。

  • 9222/05/13(金) 00:05:40

    >>91の対象馬の血を全て掛け合わせた血統表完成。

    途中でアストンマーチャンの3×3とディープインパクトの3×3の配合をしているのは許して。

    21世紀の中ごろに驚愕のヘロド直系馬が誕生。

    明日以降馬を創ります。

  • 9322/05/13(金) 06:10:29

    保守がてら、トキノミノル×レダの子供を
    (データが少ないのは昔の馬のため)
    サソード
    出典:フリー百科事典『ウィキペディア』
    サソードは日本の競走馬
    概要
    生年月日:1959年4月1日
    父:トキノミノル
    母:レダ
    初出走:1962年3月
    登録抹消:1967年7月31日
    主な勝ち鞍:中山記念、有馬記念。

  • 9422/05/13(金) 06:10:52

    生い立ち
    トキノミノルとレダの間に生まれた馬として注目を浴びる。両親はいずれも九死に一生を得ていた馬であり、そういった面でもこの交配は注目された。
    当然人々は両親のようにダービーと天皇賞を取ることを彼に期待していた。
    2歳(旧3歳)の内にデビュー出来るよう準備が進められていたが中耳炎を発症しデビューは年が明けてからとなった。
    3歳(旧4歳)
    3月の東京競馬場で行われた新馬戦でデビューする。当日の東京競馬場には観衆が押し寄せた。新馬戦では2着に終わるが、10日後の未勝利戦に出走して勝利する。その後オープン戦に出走、ここで勝利した事で皐月賞へと出走する。しかし皐月賞では7着に敗れてしまう 。人々が不安視する中出走した日本ダービーでは、人々の不安は的中し惨敗となってしまう(着順:8着)その後も秋までの休みなく使われ菊花賞に臨む事になる。レースでは5コーナーでスタミナをなくしてしまい先頭争いに加わることもできず12着と沈み無残な姿のレースを終えてしまった(着順:10着)。あまりにも不甲斐ない成績の彼に当時の新聞は「さっさと種牡馬にすべき」「親不孝」などと否定的な見出しをつける有様だったが、本当の実力ではないと信じる一部の熱烈なファンからは人気があった。
    4歳~7歳秋
    この期間彼はオープン戦では無敗であったが、格の高い競争になると勝つ事はできなかった。だが古馬混合の重賞でも常に善戦しており、その姿に感銘を受けるファンもいたのだが、「引退して種牡馬になった方が幸せなのではないか?」と言うファンも増え始めていた。
    そんな中7歳(旧8歳)の暮れに出走した有馬記念。人気だけで出走しているようなものであり彼が勝利すると多くの人は考えていなかった。しかし単勝10.0倍人気ながら、前目に進出すれば一気に差しきり勝利。8大競争をようやく勝利したのだった。
    8歳
    オープン戦を使ったあと中山記念に出走。ここでも快勝する。遅咲きの活躍に新聞等も手のひらを返し始めた矢先に突然現役引退の発表を行い引退した。引退理由は公にされていないがおそらく加齢による競争能力の低下が著しかったためと考えられている。

  • 9522/05/13(金) 06:12:00

    競走馬としての特徴
    ・脚質は逃げから差しと言われている。
    ・性格は冷静沈着だが神経質。気性は気難しく騎手の指示を聞かなかったという。神経質ゆえの気性難が能力の発揮を妨げていたと考察されている。
    ・馬格は大きく立派だった。
    その他
    ・幼駒時代は両親のこともあり牧場では他の幼駒より特別扱いされ可愛がられていた。甘えん坊ゆえに寂しがりやだったという。
    ・彼の調教師、騎手は8大競争で活躍させられないことに関してマスコミからたびたび批判されていたようだ。
    ・近年、サソードが勝てず走り続けていることに対し「かわいそうで見てられないわー!」と言って涙を流している女性厩務員を映したフィルムが発掘された。

  • 9622/05/13(金) 17:43:36

    テンポイント×テスコガビー

    タイチョウ
    出典:フリー百科事典『ウィキペディア』
    タイチョウは日本の競走馬。内国産馬初のジャパンカップ勝利馬である。
    概要
    生年月日:1980年4月1日
    父:テンポイント
    母:テスコガビー
    性別:牝
    馬主:佐藤直弘
    調教師:小川佐助
    主戦騎手:岡部幸雄
    主な勝ち鞍:ジャパンカップ
    初出走:1982年7月4日
    登録抹消:1984年12月26日

  • 9722/05/13(金) 19:03:28

    生い立ち
    あのテンポイントの初年度産駒ということもありセリでは人気を博し落札価格は2億1200万円に上った。また佐藤直弘氏はこの馬の名前について競馬雑誌に掛け合い雑誌の読者応募企画で決めることにした。募集の結果抽選で選ばれた「タイチョウ」という馬名となった。テンポイントの調教師であった小川佐助厩舎に預けられる。
    2歳
    7月4日の新馬戦でデビューする。初戦は圧勝した。続いてオープン戦に挑むがここで初めて大敗する。秋に入ると素質開花の動きが見られ徐々に戦績も復調の兆しを見せた。だが骨折が発覚し年内休養となった。
    3歳
    3月の条件戦で復帰。ここから3連勝をはたしオークスに向かう。それなりに期待を寄せられていたが3着に終わる。そしてまたしても骨折が発覚。復帰は牝馬東京タイムズ杯を目指す。出走できるかが不安視されたが運よく出走できる。ここで勝利しエリザベス女王杯に出走するが13着と惨敗を喫す。その後年内休養となった。

  • 9822/05/13(金) 19:03:38

    4歳
    1月の日経新春杯で復帰。前走時と比較して馬体重は15キロ減り478キログラムと大きく減っており心配されるところはあったがレースには勝つ事が出来た。その後天皇賞(春)にも出走したが主には9着に終わった。ファン投票で宝塚記念に出走するが10着に終わる。
    秋の初戦はオールカマーとなるが終始掛かる状態で6着に敗れてしまう。天皇賞にも出走するが最後の直線でヨレてしまい最下位入線という残念なことになってしまう 。ここでこれまでのレース結果から2400mが彼女にとって最適であると判断。奇跡を信じてジャパンカップへの出走を決める。
    ジャパンカップでは岡部幸雄騎手がシンボリルドルフを選択し騎手が乗り代わることになる。代わりの騎手は橋正吉氏となる。このジャパンカップではカツラギエースや同期の三冠馬ミスターシービー、さらに無敗の三冠馬シンボリルドルフが出走している上強力な外国馬も参戦していた。また騎手が乗り代わっていることや成績、牝馬であることによって単勝人気は最低の364倍。枠番連勝複式のオッズでは一番低いものでも5400倍であった。なお複勝馬券だけはテンポイントの娘ということでそれなりに売れておりオッズは14~17倍であった。しかしジャパンカップでは先行を決め込み終始インに付き、最終直線では逃げるカツラギエースを差し切り勝利した。これは当時最高の大番狂わせと報じられた。その後有馬記念への出走を目指すが原因不明の右目の著しい視力低下が確認され引退となった。

オススメ

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