- 1二次元好きの匿名さん22/05/13(金) 12:47:51
- 2二次元好きの匿名さん22/05/13(金) 12:50:34
カネヒキリは屈腱炎前は最強格だったのに引退できないのは可哀想だわ
なんて復帰してまた頂点に立てるんですか? - 3二次元好きの匿名さん22/05/13(金) 12:51:51
カネヒカリが強すぎる
- 4二次元好きの匿名さん22/05/13(金) 12:53:59
ホッカイルソー入れる?
- 5二次元好きの匿名さん22/05/13(金) 12:56:50
カネヒカリ(コピペ引用)
2002年に生まれたカネヒキリは、あのディープインパクトと同世代、さらに同馬主。そんな背景もあり、3歳時はダートのディープインパクトと呼ばれるほど注目を集めていた。
実際ダートではほぼ負けなしの快進撃。2005年のジャパンカップダートを制するまで、ダートに限れば8戦7勝と向かうところ敵なしだった。明け4歳のフェブラリーステークスでも順当に勝利、ドバイワールドカップでも4着と健闘したが、順風満帆な競走生活はここまでだった。
その後、帝王賞で2着に敗れた後、カネヒキリは約2年3か月もの長期休養を挟むことになる。原因は屈腱炎。一度は治ったものの再発し、ようやく迎えた復帰戦は2008年。同期のディープインパクトは既に父となっていた。
復帰戦となった武蔵野ステークスでは、過去の実績もあり2番人気の支持を集めたが、不利もあり9着。それでも唸るような行きっぷりには復活へ一片の希望を感じさせた。
そして、次走挑んだのがジャパンカップダート。3年ぶりの出走となったこのレースで、カネヒキリは輝きを取り戻した。今度は好位をスムーズに追走すると、直線外から追いすがるメイショウトウコン、ヴァーミリアンといったダート界の強豪たちを一蹴し、復活の勝利。
その後、東京大賞典においてまたも当時のダート最強馬ヴァーミリアンを返り討ちにすると、結局引退レースを迎えるまで1度も3着以内を外すことはなかった。大きな故障を乗り越えての鮮やかな復活劇だった。 - 6二次元好きの匿名さん22/05/13(金) 13:00:25
(そろそろお米みたいな名前になってるカネヒキリに誰か突っ込めよ…)
- 7二次元好きの匿名さん22/05/13(金) 13:01:55
オフサイドトラップ(コピペ)
オフサイドトラップは1993年12月に中山開催でデビュー。2度の2着、そして3連勝を経て挑んだ皐月賞、日本ダービーではナリタブライアンに破れ7着、8着という結果に。
そして次に挑んだ1994年7月のラジオたんぱ賞で4着となった後、右前脚に屈腱炎を発症。療養に入りました。
しかしオフサイドトラップはそんな不治の病から復活。同年12月に復帰を果たします。
1995年2月のバレンタインステークスで11ヶ月ぶりの勝利を挙げたオフサイドトラップでしたが、直後に屈腱炎が再発。更に左前脚にも不安を抱え始めたため、再度の療養となりました。
12月には復帰するものの安静して出走を続けられるまでには快復せず、療養が続きます。
1996年秋から状態が良くなってきたため戦線に復帰するものの、屈腱炎再発の恐れから強い調教が出来ず、勝ちきれないレースが続きました。
そんな中、1997年5月のエプソムカップ6着の後、またしても屈腱炎が再発。7歳という年齢で引退も検討されましたが、管理調教師の加藤さんはオフサイドトラップの高い資質を信じて現役続行を決定。
オフサイドトラップは3度目の療養生活へ入りました。
一方、加藤さんは引退後の引受先探しも始めており、故障や即引退の可能性も考慮しながらの現役続行だったそうです。
1998年に復帰するも前回と同様に勝ちきれないレースを続けていましたが、これを受けて7月の七夕賞から従来の主戦騎手であった安田富男騎手から蛯名正義騎手が鞍上に。
オフサイドトラップは見事勝利し、3年5ヶ月振りの勝利を重賞初制覇で飾ります。続く新潟記念では1番人気で勝利。
そして日本ダービー以来4年5ヶ月振りとなるGIレース天皇賞秋を迎えます。蛯名騎手はステイゴールドに騎乗するため、本馬初騎乗となる柴田善臣騎手が鞍上となりました。
天皇賞秋では武豊騎手騎乗のサイレンススズカが圧倒的人気を集め、オフサイドトラップは6番人気。
レースでは最後に追い込んできたステイゴールドを1馬身余退けて勝利!
当時8歳馬による天皇賞制覇は史上初、同齢のGI級競走制覇の記録においても、スピードシンボリ以来28年振りという快挙でした。 - 8二次元好きの匿名さん22/05/13(金) 13:04:12
ホッカイルソー(コピペ引用)
ホッカイルソーはフジキセキやタヤスツヨシと同期の牡馬。決して目立つ存在ではなかったが、デビューから着実に勝ち星を重ね、クラシック戦線でも皐月賞4着、ダービー4着、菊花賞3着と安定した走りを見せていた。
古馬になってからも安定した走りは健在で、天皇賞(春)ではサクラローレル、ナリタブライアンに次ぐ3着。中長距離路線で欠かせない存在になりつつあった。だが、その後キャリアは暗転する。屈腱炎を発症、長期休養を余儀なくされたのだ。
今ほど医療技術が進歩していない20世紀の競馬においては「屈腱炎=引退」が相場。ほぼ確実に競走生活を絶たれる、不治の病に近かったのである。実際ホッカイルソーもその後3年近くレースに復帰することができず、通常なら引退も考えられるところだった。だが、スタッフの懸命な努力により、ついに1999年の3月、中山記念で復帰を果たしたのであった。
もっとも復帰できたとはいえ、かつての安定した走りは鳴りを潜めていた。それもそのはず、既に8歳馬(現在の表記で7歳馬)。今ほど競走生活が長くなかった当時において、この年齢はいわばおじいさんに近く、同期のほとんどの馬が引退していた。
それでもホッカイルソーは不屈の精神で走り続けた。レースを使われるごとに徐々に復調気配を見せると、新潟記念で2着に食い込んだのち、出走したのがオールカマーだった。このときの1番人気はダイワテキサス、2番人気はダイワオーシュウ。ホッカイルソーは両ダイワに続く3番人気の支持を集めていた。
直線入り早めに抜け出しを図った人気のダイワ2頭だったが、外から猛然と追い込んで来る馬が一頭いた。それが、ホッカイルソー。最後は粘るダイワオーシュウを僅かに差し切り、見事3年半ぶりの復活勝利を挙げた。当時フジテレビの三宅アナウンサーは、「3年半ぶり!3年半ぶり!」と絶叫、感動的な復活劇に花を添えた。 - 9二次元好きの匿名さん22/05/13(金) 13:07:25
おそらく、血統で不利だから走り続けなければならなかったんだろうな
- 10二次元好きの匿名さん22/05/13(金) 13:18:41
バリアシオンは屈腱炎だったっけ
- 11二次元好きの匿名さん22/05/13(金) 14:26:37
2回なってる
- 12二次元好きの匿名さん22/05/13(金) 14:32:13
カネヒキリが走ってるのは多分医療技術の進歩+金子氏の執念
- 13二次元好きの匿名さん22/05/13(金) 14:40:19
ダンツシアトルも屈腱炎の後に宝塚制覇
- 14二次元好きの匿名さん22/05/13(金) 15:24:03
89世代の賞金王カリブソングも
旧8歳で屈腱炎発症したけど引退せず、1年後に復帰してダート重賞で3年半ぶりの復活勝利を果たした
でもその10日後… - 15二次元好きの匿名さん22/05/13(金) 15:43:22
屈腱炎にかかったらほぼ復活は不可能
ウマ娘化された名馬にもそれに罹って引退に追い込まれたのが多い - 16二次元好きの匿名さん22/05/13(金) 15:47:10
ジョンヘンリー兄貴ですら無理だったんだもんな>屈腱炎
- 17二次元好きの匿名さん22/05/13(金) 16:10:40
90年代だけでも
ハクタイセイ・アイネスフウジン・メジロライアン・ビワハヤヒデ・ナリタタイシン・ウイニングチケット・ネーハイシーザー・ダンツシアトル・ナリタブライアン・ヒシアマゾン・マヤノトップガン・マーベラスサンデー・ダンスインザダーク・ファビラスラフイン・サニーブライアン・メジロブライト
この錚々たる面々が屈腱炎にやられてるからね - 18二次元好きの匿名さん22/05/13(金) 16:19:32
ホッカイルソーはまだ存命
- 19二次元好きの匿名さん22/05/13(金) 17:33:13
屈腱炎に罹らなかったオフサイドの世界線が見てみたい
- 20二次元好きの匿名さん22/05/13(金) 17:35:43
カネヒキリには同期でダートJPN1を当時最多勝利してるヴァーミリアンが一回も勝てなかったんだっけ
- 21二次元好きの匿名さん22/05/13(金) 19:09:01
ヴァーミリアンにだけは先着するの貫いてたのヤバすぎて笑うわ