競走馬ミドリマキバオーの記事

  • 1二次元好きの匿名さん22/05/21(土) 23:07:14

    この記事は「旧馬齢表記」が採用されており、国際的な表記や2001年以降の日本国内の表記とは異なっています。

    ミドリマキバオー(1993年4月4日-)は日本の競走馬[要出典]。
    品種:サラブレッド[要出典]
    性別:牡
    毛色:白毛
    生誕:1993年4月4日
    父:タマーキン
    母:ミドリコ
    母の父:マルゼニスキー
    生国:日本(北海道鵡川町)
    生産者:飯富源次郎
    馬主:飯富源次郎
    調教師:飯富昌虎(美浦)→ムハンマド王立厩舎(ドバイ)
    競争成績:15戦7勝(国内)
    勝ち鞍
    G1 有馬記念 1996年
    G1 東京優駿 1996年
    G2 スプリングS 1996年
    G2 京成杯3歳S 1995年
    G3 函館3歳S 1995年

  • 2二次元好きの匿名さん22/05/21(土) 23:11:10

    1996年のクラシック戦線をカスケード、アマゴワクチンらと盛り上げ、これら三頭は「三強」と呼ばれ第3次競馬ブームを牽引した。
    デビュー時点で馬体重が100kgしかなく、また生まれつき突然変異で真っ白な白毛であったことから競馬に興味がなかった国民からも高い知名度を誇り、「白い奇跡」と形容された。

  • 3二次元好きの匿名さん22/05/21(土) 23:15:26

    ^デビューまで
    誕生までの経緯

    北海道鵡川町(現むかわ町)にあるみどり牧場は生産者馬主形式を取る競走馬生産牧場であった。
    みどり牧場で生産されたミドリコはデビューから無敗で桜花賞を勝利するもエリザベス女王杯でヒロポンに敗北し2着となって以降すっかりレースに勝てなくなり、牧場主兼馬主であった飯富源次郎はヒロポンを引退させ、繁殖牝馬とした。
    その後、みどり牧場は経営難に陥り1億円の負債を抱えることとなった。源次郎は牧場立て直しのため一世一代の勝負に出る。それが凱旋門賞を勝利し、種牡馬としてもウンチングチケットなど優秀な産駒を輩出したタマーキンとミドリコを交配させることであった。
    後輩の結果、ミドリコは無事受胎に成功した。

  • 4二次元好きの匿名さん22/05/21(土) 23:17:16

    モンゴルで狼と戦ったとか崖から突き落として鍛えたとか変なデマばっか出回ってるの酷いよね

  • 5二次元好きの匿名さん22/05/21(土) 23:18:41

    >>4

    ベアナックルとかいうわけわからんのいるしまああるかもなくらいは思われてそう

  • 6二次元好きの匿名さん22/05/21(土) 23:20:13

    >>5

    そういやあいつ行方不明になったよな

    アマゾンの奥地のバーナコー伝説と同一視する学説もあるらしいけど流石に無理があるだろ

  • 7二次元好きの匿名さん22/05/21(土) 23:21:03

    1993年4月4日、ミドリコが産気づき出産の時になると産まれてくる仔は逆子で首と前足が絡まっていた。ミドリコを守るため、死産させることを頭によぎった時、仔が自らミドリコの体から這い出てきた。
    源次郎はひとまずの危機は乗り越えて安心するが、産まれた仔の毛色がどちらの親にも遺伝しない白毛かつ異様に小さい体であった。そのため源次郎はミドリコがタマーキンで無い仔を宿したのではと判断し、産まれた仔は競走馬とせず馬肉とすることを決めた。

  • 8二次元好きの匿名さん22/05/21(土) 23:23:23

    >>6

    アマゾンとかサラブレッドが野生で生きられる筈ないしな…

  • 9二次元好きの匿名さん22/05/21(土) 23:27:15

    幼駒時代

    牧場では他の仔馬が親離れを始める中、いつまでもミドリコにくっついており他の馬と関わろうとしなかった。源次郎は牧場のスタッフから心身ともに発育が遅いことについて相談されたが、いずれ馬肉とする仔であったため気に留めることはなく放置していた。
    その後、みどり牧場には借金を返す宛がなくなったと判断した貸主のひげ牧場は返済の形としてミドリコを買っていった。
    残された仔は他の馬にいじめられるようになったが、ある夜源次郎が馬房を見に行くと馬柵棒が折られ、仔馬が脱走しているのが見つかった。源次郎は仔馬が母親を探しに行ったと考え、探したが発見に至らず、諦めていた。しかし冬になると一匹のネズミを頭に乗せて自らみどり牧場に帰ってきた。
    源次郎はまた脱走されてはたまらないと仔馬を鉄の鎖に繋いで追い運動もさせなかった。

  • 10二次元好きの匿名さん22/05/21(土) 23:28:53

    >>3

    ミドリコを負かしたヒロポンを引退させるとか飯富源次郎は闇の支配者かなにか?

  • 11二次元好きの匿名さん22/05/21(土) 23:34:54

    その後、美浦トレーニングセンターで調教師をしている実兄の飯富昌虎が牧場の仔馬を見定めに訪問。ミドリコの仔が鎖に繋がれているのを見ると源次郎を叱責し、「今すぐコイツを走らせろ」と指示。言われるままに他の馬と追い運動をさせると他のどの馬よりも早く走ってみせた。
    それ以後、源次郎は考えを改めて追い運動に参加させるようになると、仔馬は体力と共に自信をつけすっかりいじめられることも無くなった。

  • 12二次元好きの匿名さん22/05/21(土) 23:40:41

    カスケードとの出会い

    源次郎が借金の債権者の一人である本多平七郎に呼び出され、本多の経営する本多リッチファームへミドリコの仔と共に訪問した。滞在中本多にミドリコが敗北したエリザベス女王杯を勝利したヒロポンの仔馬を紹介される。それこそ後に生涯のライバルと称されるカスケードとの出会いであった。
    本多に仔同士いっしょに走らせることを提案された源次郎は調教を始めたばかりであることを理由に断るが、仔馬の方がやる気であったため渋々競わせるも大敗。軽微であるが心房細動を起こして倒れてしまう。
    これで走る気を無くしてしまうと心配をした源次郎であったが、幸いにも走る気を失っておらず調教を再開することができた。以後陣営は打倒カスケードを目標に調教を進めていく。

  • 13二次元好きの匿名さん22/05/21(土) 23:46:54

    入厩

    3歳となり中央競馬へ登録された仔馬は源次郎によりみどり牧場の王になるという期待を込め「ミドリマキバオーと命名され、飯富昌虎厩舎に入厩した。
    入厩し、公開調教が始まると記者陣からはマキバオーのサラブレッドとは思えない馬体から笑い物にされることもしばしばであったが、いざ走る姿を目の当たりにさせると同世代の馬とは別格の走りに言葉を失わせるほどであった。

  • 14二次元好きの匿名さん22/05/21(土) 23:53:44

    ^競走馬時代

    3歳(1995年)

    デビュー3連勝

    1995年6月に札幌競馬場での新馬戦(芝1000m)に山本菅助が騎乗してデビューすることが決まる。直前の追い切りであがり3ハロン34秒を切ると外見的特徴も合わさり4.5倍の2番人気に推される。
    パドックでは落ち着いた様子だったが本馬場入りすると途端にイレ込み、返し馬ができないほどに興奮してしまう。
    なんとかゲート入りし好スタートを切るも、山本が手綱を引くのもきかずに外ラチへ逸走してしまう。
    その後はなんとか冷静さを取り戻し怒涛の追い上げを見せると、ゴール前で1番人気のヒゲサンダーが斜行して進路を塞ぐ。マキバオーは小さい馬体を活かしてこれを躱すと1着で入線し、勝利した。

  • 15二次元好きの匿名さん22/05/22(日) 00:04:04

    新馬戦で主戦騎手の山本が斜行したヒゲサンダーを躱す際に体勢を崩し、入線後に落馬したことで全治2ヶ月の骨折を負ったことから連戦はできず、昌虎は次戦を9月の函館3歳ステークスに定めることとした。
    昌虎は山本が復帰するまで十分な調教はできないことから、直前の1ヶ月で厳しく調整する計画とし、マキバオーの馬体重を増やすことに専念させた。
    8月になり山本が復帰して本格的な調整に入ると、昌虎は当時注目されていた坂路調教を行うために連日函館山での登山トレーニングで後ろ脚の筋肉を鍛えさせた。

  • 16二次元好きの匿名さん22/05/22(日) 00:13:25

    函館3歳ステークス当日は大雨の重馬場で、コースはぬかるんで大きく荒れていた。重馬場を得意とし札幌3歳ステークスを勝った外国産馬のニトロニクスが1番人気に推されると、さらにクローバー賞1着のビーナスハリケーン、同競走2着のアンカルジアが上位人気に推され、マキバオーは荒れた最内の1枠1番であったこともあり4番人気に推された。
    レースは人気通り、ニトロニクスとアンカルジアが好位につけレースを牽引する一方、マキバオーは荒れた内側に閉じ込められ、さらにニトロニクスが蹴り上げた泥を被り後退。しかし、残り100mで内をついたニトロニクスの逆をつく形で外からスパートをかけるとニトロニクス、アンカルジアを突き放し2連勝を飾った。
    レース後は軽い裂蹄を発症する。

  • 17二次元好きの匿名さん22/05/22(日) 00:25:33

    休養明け、陣営は同期で1番の素質馬とされていたカスケードと直接対決が予想される朝日杯3歳ステークスを目標とすると、その前哨戦として京成杯3歳ステークスに出走。
    前走でニトロニクスに完勝したことから1番人気に推されるも、レースが始まると他陣営から厳しいマークを受けて出遅れる。しかし方位を抜けると、ニトロニクス、アンカルジアとの函館3歳ステークスの再戦と呼べる最終直線での追い比べに勝ちデビューから無敗の3連勝で朝日杯3歳ステークスへの出走を決めた。

  • 18二次元好きの匿名さん22/05/22(日) 00:31:51

    良血馬なのに産駒の話聞かないよな
    やっぱ小さい仔馬が産まれる可能性を敬遠してかね?
    半弟は普通の体格だけど…

  • 19二次元好きの匿名さん22/05/22(日) 00:37:23

    このレスは削除されています

  • 20二次元好きの匿名さん22/05/22(日) 00:38:31

    朝日杯3歳ステークス

    朝日杯3歳ステークスは前日に雨が降り馬場状態が心配されるも、当日は快晴となり良馬場となった。陣営がデビュー前から目標と定めたカスケードに加え、この年クラシック2冠を取りながらも骨折し引退したピーターⅡの全弟アマゴワクチンも出走し、人気は三頭に分かれる「三強」状態であった。
    カスケードが2.2倍の2番人気、アマゴワクチンが2.5倍の3番人気に対し、マキバオーは無敗の3連勝が評価され1.5倍の1番人気に推される。
    レースでは、アマゴワクチンとカスケードが逃げを打つとマキバオーは控えて8番手まで下がる。レースは1000m57秒台のハイペースとなり、最終直線で他の馬がペースを落とす中、末脚を温存していたマキバオーがカスケードとアマゴワクチンに仕掛ける。マキバオーとアマゴワクチンが先頭争いを繰り広げ、一度は脱落したかに見えたカスケードが二の脚を繰り出し、2馬身差で勝利。勝利タイムの1分32秒8はこれまでの記録を1秒以上短縮するレコード勝ちであった。マキバオーはアマゴワクチンとハナ差の3着となり初敗北を喫するものの、三頭共に評価を上げる。
    このレースは平成屈指の名レースとして現在も語り継がれている。

    年末のJRA賞選定では、全170票中、カスケードの98票に対し、マキバオーが72票を集めて、JRA賞最優秀3歳牡馬は逃したものの高い評価を得た。

  • 21二次元好きの匿名さん22/05/22(日) 00:39:22

    >>18

    種牡馬やらずにモンゴルだかに渡って放牧されとるで

  • 22二次元好きの匿名さん22/05/22(日) 00:46:12

    見た目も騎手も調教師も個性的だからイロモノ扱いされがちだけど血統と戦績自体は文句なしの名馬なんだよね

  • 23二次元好きの匿名さん22/05/22(日) 00:51:38

    4歳(1996年)

    スプリングステークス

    年明け後、昌虎はドバイ調教を始めたカスケード陣営に対し、山本を伴いマキバオーをモンゴルへ連れて行き調教を行った。

    帰国後、皐月賞のトライアル競走であるスプリングステークス(GII)に出走した。3ヶ月ぶりの実戦かつ、共同通信杯と弥生賞の重賞二つを含む4連勝中のモーリアローが出走するにもかかわらず1番人気に推されると、最終直線でモンゴル調教で身につけた「だく脚走法」でごぼう抜きを見せて勝ち時計1分49秒3で勝利した。

  • 24二次元好きの匿名さん22/05/22(日) 00:56:59

    記事にしちゃ馬肉とか単語のチョイスがアレだな

  • 25二次元好きの匿名さん22/05/22(日) 01:02:25

    皐月賞

    皐月賞では、共同通信杯で骨折し不安視されていたアマゴワクチンが5番人気、朝日杯から馬体重20kg減と調整不足が指摘されるカスケードが2番人気に甘んじる中、1番人気に推される。

    レースはアマゴワクチンが後続と8馬身差をつける大逃げを見せ、アマゴワクチン鞍上の山中が1000m通過時に1分00秒、1500m通過時に1分27秒と乱ペースを仕掛けたことで、次々とスタミナを失う馬が出る展開となる。マキバオーは最終直線まで粘り、後ろに控えて温存していたカスケードとの競り合いになるが、ラスト50mで横にヨレて写真判定にもつれ込む。判定の結果ハナ差2着と敗れる。

  • 26二次元好きの匿名さん22/05/22(日) 01:14:47

    青葉賞

    皐月賞後はダービーを目標に据えるが、朝日杯、皐月賞とカスケードに連敗を重ねたことから昌虎は山本に自信をつけさせようと前走として青葉賞に登録。

    1.2倍の1番人気に推され独走が期待されたものの、レースが始まるとベアナックルが後続を大きく離す大逃げ。最終直線で追走するも、上がり3ハロン36秒4にもかかわらず終い1ハロンで11秒0の伸びを見せ敗北。単勝4960円の大金星を上げられる。

  • 27二次元好きの匿名さん22/05/22(日) 01:28:06

    東京優駿

    第63回東京優駿当日、東京競馬場には20万人を超える観客が詰めかけ、「最強世代」とまで称される4歳馬の人気の高さを示した。

    カスケードが皐月賞、NHKマイル杯に続きG1レース3連戦にもかかわらず1.6倍の1番人気に推されるのに対し、マキバオーは単勝2.3倍、カスケードとの馬連オッズ1.4倍と打倒カスカードの大将格と注目される。

  • 28二次元好きの匿名さん22/05/22(日) 01:32:51

    レースが始まると山本はこれまでのマキバオーの後方策を捨てて逃げに打って出る。
    最終直線でサトミアマゾンとベアナックルとの競り合いになるが、後に山本の代名詞となる新走法「きつつき戦法」でマキバオーの頭を押してスパートを仕掛けて引き離すも、最後方からカスケードが直線一気で追い込み、皐月賞に続き競り合いとなる。
    しかしカスケードに交わされ三度目の敗北が決まったかに見えたが、マキバオーが後ろから飛び、頭から地面に落ちながらゴール板を並んで通過。皐月賞に続き写真判定へもつれ込む。

  • 29二次元好きの匿名さん22/05/22(日) 01:39:27

    17分と11秒にわたる写真判定が行われた結果、日本競馬史上初のG1レースでの同着1着となり、カスケードとともに二頭のダービー馬が誕生することとなった。
    G1レースでの同着1着は後に2010年の第71回オークスでのアパパネとサンテミリオンでも発生することとなる。

    ダービー後は疲労を考慮し、鵡川町に戻され放牧に出されることとなった。

  • 30二次元好きの匿名さん22/05/22(日) 01:49:17

    チュウ兵衛がどうなったか分からないから原作かアニメか判別がつかんな…

  • 31二次元好きの匿名さん22/05/22(日) 12:26:10

    保守しとくもん続き気になるもん

  • 32二次元好きの匿名さん22/05/22(日) 12:33:08

    マキバオー、重度の骨折から復帰した後しばらく地方で走ってたはずだぞ。

  • 33二次元好きの匿名さん22/05/22(日) 14:07:54

    障害転向



    休養明け函館で調教後、美浦に戻り菊花賞を見据えた本格的な調教に入る。



    昌虎はマキバオーの血統的に不向きな3000mの菊花賞に勝つには従来のやり方では不可能と踏み、ハードルを取り入れた障害走での調教でスタミナと馬力を鍛えることとした。

    さらに菊花賞の前走をセントライト記念や京都新聞杯よりも距離が長く菊花賞に近いとの理由から中山障害未勝利戦(2700m)にすることを決め登録を行なった。

    奇しくも同時期に、オークスを勝ったスーパースナッズも同様の調教を行い阪神競馬場の障害未勝利戦をステップとしてこれに勝利。レース後牝馬でありながらの菊花賞挑戦を公言したため、二頭のG1馬が障害レースで活躍することとなった。

    障害未勝利戦当日では先頭で逃げるシンボリクレヨンを2周目の向こう正面で抜くとそのまま先頭をキープして勝利。菊花賞に弾みをつけた。

  • 34二次元好きの匿名さん22/05/22(日) 14:16:44

    菊花賞

    菊花賞ではクラシックの主役であるカスケードが凱旋門賞出走を目指してフランス遠征のため不在でありながら、人気馬が集結し、14万人が京都競馬場に詰めかけた。
    マキバオーは距離的性の不安があるもカスケード不在もあり2番人気となる。一方で春の戦線を怪我で振るわなかったアマゴワクチンが復帰戦の函館記念で完勝し、兄ピーターⅡの残したクラシック制覇の期待もあり1番人気となった。

  • 35二次元好きの匿名さん22/05/22(日) 14:25:38

    レースでは逃げ馬であるモーリアローとアマゴワクチンが控え、差し馬のサトミアマゾンが逃げに出る展開となる。マキバオーは2周目の第4コーナーの下りからロングスパートでの勝負に出る。その際、山本が体を倒してコーナーを曲がるハングオンで淀の下り坂を加速したため関係者を驚かせた。
    一時は先頭に立つも最終直線でアマゴワクチン、サトミアマゾンに抜かれ、最後はプレミアにも差し切られ4着。クラシックはダービーの1冠に終わる。

    レース後、昌虎は山本の騎乗について聞かれると「どんなもんだい!といった感じ。掲示板にも入ったし満足いく結果」と返した。

  • 36二次元好きの匿名さん22/05/22(日) 14:38:05

    有馬記念

    出走15頭中10頭がG1ホースという豪華な顔ぶれとなった第41回有馬記念。この年の宝塚記念と天皇賞秋を勝ったトゥーカッターが単勝3.2倍の1番人気に推される一方でマキバオーは古馬と対戦経験がないことと菊花賞の敗北から5番人気となった。
    陣営はフランス遠征から帰国したカスケードを今回も対抗馬に見据えて挑んだ。

  • 37二次元好きの匿名さん22/05/22(日) 14:44:33

    レースでは最終コーナーで山本との折り合いを欠き一時後退するが最終直線で一気に加速して先頭のカスケードに並ぶと、そのままカスケードとの競り合いを制し先頭で入線。2着に入ったアマゴワクチンと4馬身差をつけてのレコード勝ちを納める。G1レース4戦目にして初めてのカスケードへの先着であった。

  • 38二次元好きの匿名さん22/05/22(日) 14:51:43

    レース後、カスケード陣営がカスケードのマリー病を公表し今レース限りでの引退を宣言したためこれが最初で最後の勝利となった。

    年末のJRA賞選定では、G1レース3勝に加えニエル賞を制したカスケードがJRA賞最優秀4歳牡馬と年度代表馬、アマゴワクチンがJRA賞父内国産馬に選ばれるも、マキバオーはダービーと有馬記念を制しながら無冠に終わった。

  • 39二次元好きの匿名さん22/05/22(日) 14:59:59

    5歳(1997年)
    ドバイ遠征

    年明けの1月末に東京競馬場で行われたカスケードの引退式にサプライズで参加。ダービー時のゼッケン番号3を着けるカスケードに対してマキバオーもダービー時のゼッケン番号12を着けて登場。再び二頭並んでゴール板を通過してカスケードの種牡馬入りを見届けた。

  • 40二次元好きの匿名さん22/05/22(日) 15:08:01

    この年ドバイで開催されたドバイワールドカップ(後に開催されるドバイミーティングとは別レース)に日本代表馬として参加することが決定。春シーズンを全休して国際レースに向けた調整にあてることとなった。

    ドバイ入り後の第1R(ダート2500m[要出典])にニトロニクスとともに出走。最終直線の稍重となった芝で脚を取られて外はヨレて失速、5着に終わる。

    その後、第3R(芝600m)ではゲートで走る気を無くし大きく出遅れ。前を狙うも転倒して競走中止。

    最終第5R(芝2400m)ではイギリスダービー、キングジョージ、凱旋門賞を無敗で制したUAEの世界最強馬Jerusalemへ挑み、最終直線で競り合うも突き放され敗北。ゴール板前で気を失い転倒し、両前脚を骨折する重症を負う。

  • 41二次元好きの匿名さん22/05/22(日) 15:16:48

    怪我との戦い

    重度の骨折で現地での安楽死も検討されるも、帯同していた源次郎の強い要望で脚にボルトを埋め込む手術を行い、帰国して療養することとなる。また、日本代表もマキバオーの帰国に伴い大会を辞退した。

    帰国後は鵡川町に戻され、両前脚に負荷がかからないよう吊られた状態で延命される。
    歩行できなくなった競走馬は血液を循環できないため脚が腐り臓器不全に陥るなど、失命する危険性が高いが、マキバオーは元々の馬体重が小さく人の手で補助が出来たことと、心臓が大きく循環器が他馬と比べ強かったことから一命を取り留める。

    しかしながら事故から2年間調教をつけることもできず、競走馬としての全盛期を治療に費やすことになった。

  • 42二次元好きの匿名さん22/05/22(日) 15:18:44

    7歳(1999年)

    骨折からの復帰

    2年の治療を受け、奇跡的に競走馬として復帰したマキバオーは3月20日の船橋競馬場ダイオライト記念(ダート2400m)で復帰。脚の不安を鑑みてのダート戦での復帰であった。
    レースでは芝との適正差とブランクもあり8着に終わる。
    その後は6月14日の大井競馬場での帝王賞(ダート2400m)に挑むも11着。
    10月5日の盛岡競馬場の南部オープン(ダート1600m)で6着。三戦ともに掲示板を逃すこととなる。

  • 43二次元好きの匿名さん22/05/22(日) 15:20:13

    この年JRAが試験的に日程を変更して行なわれた第1回ジャパンCS(第44回有馬記念)への出走登録を行い、3年ぶりの中央芝の平地重賞へ出走することとなる。

    12月26日のジャパンCS当日は10番人気での出走。怪我の後遺症と前走までの連敗がありながらも復帰を喜ぶファンの応援馬券が多く買われた。

  • 44二次元好きの匿名さん22/05/22(日) 15:22:21

    レースではベアナックルが逃げてペースを作る展開となり、終盤でブリッツとこのレースを引退レースと宣言したJerusalemが先頭に立つとこれを追走。しかしブリッツに僅かに及ばず2着となる。
    ブリッツとの馬連はいずれもミドリコを母に持つ半兄弟での1、2位となる珍記録となった。

    しかしながら生涯で掲示板に入線したのはこのレースが最後となった。

  • 45二次元好きの匿名さん22/05/22(日) 15:24:31

    ドバイ移籍

    2000年になり、国内レースから身を引き、ドバイへと転厩し現役を続けるが、1勝も挙げることなくレースへの出走登録もされなくなった。
    しかしながら2003年に同厩舎で併せ馬をしていたJineteが凱旋門賞を制すると、それを皮切りに調教をともにしていた他馬も活躍しだしたことから、ドバイ王室より正式に調教助手に任命され名馬を次々と輩出する。

  • 46二次元好きの匿名さん22/05/22(日) 15:25:51

    マキバオーの調教を受けた馬にはドバイワールドカップ、キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス、ブリーダーズカップ・クラシックを制したDecalogusなど名馬が名を連ねた。

    その後、2010年に正式に登録抹消され種牡馬となった。

  • 47二次元好きの匿名さん22/05/22(日) 15:28:31

    ^特徴

    身体

    デビュー時点で馬体重100kg、菊花賞時点で140kgとサラブレッド種からは逸脱した体躯でありながら非常に大きく強い心臓による優秀な心肺機能を有しており、競走馬としての強さは獣医師からも保障されていた。
    調教した飯富昌虎は「1万頭に1頭の強心臓と負けん気こそこの馬の武器」と述べ、ダービーの際は「カブラヤオーの競馬こそマキバオーの目指す競馬」と、逃げに徹する競馬でダービーを制した。
    一方で大きい心臓が逆に他の臓器に圧迫され、伸縮動作に負荷をかけてしまうことから心房細動の危険性がついて回った。
    ドバイではそれが原因で転倒し骨折することとなる。
    また、マキバオーの特徴として蹄が非常に大きく丈夫で力強く地面を蹴り出せる一方で濡れた芝では蹄のせいで脚を滑らせやすい問題があったため重馬場のレースは苦手にしていた。
    山本も「重馬場ではマキバオーの負担にならないコース取りを常に心がけた」と著書で述べている。

  • 48二次元好きの匿名さん22/05/22(日) 15:29:47

    レーススタイルに関する特徴

    日本競馬でも屈指の末脚の持ち主であり、主戦騎手である山本菅助の走法も相まり追い込み馬としての評価は非常に高い。
    一方で山本はマキバオーの脚質について、「差し込み馬というよりはどちらかといえば先行馬。前を行かれてレースを作られるより、自分でレースを作る方が向いてる馬」と評している。

    また気性面については昌虎は「普段はのんびり屋で素直な性格だが、レースでは根性の馬。負けたら悔しさをバネに調教に力が入る」と称した。
    山本も「絶対に諦めないど根性の馬」とレース中のマキバオーを評している。

  • 49二次元好きの匿名さん22/05/22(日) 15:31:24

    血統面の特徴

    母であるミドリコが桜花賞を制したことと、その父であるマルゼニスキーの戦績からステイヤーとしては不向きであると考えられた。
    菊花賞での4着も「距離適正から考えれば上々」であったと昌虎はレース後に述べた。
    一方で新馬戦での1000mから菊花賞の3000mまでいずれのレースでも馬券に絡む走りを見せ、非常に広い適正を持っている馬でもあった。

  • 50二次元好きの匿名さん22/05/22(日) 15:33:08

    ^エピソード

    馬主との関係

    生産者兼馬主であった飯富源次郎は当初は競走馬にもなれやしないとマキバオーを見限っていたが、頭角を現すと自らの不見識を猛省し、才覚を見抜いた実兄・昌虎の調教に全面の信頼を置いた。
    またマキバオーが日本を去り、事実上の引退状態になってからは、「マキバオーより素敵な奴には出会えない」と馬主を引退。ブリーダーに専念した。
    以後マキバオーの海外での生活をサポートするため、みどり牧場の経営も実質的に従業員に委ねて一線を引くほど、マキバオーには強い思い入れがあった。

  • 51二次元好きの匿名さん22/05/22(日) 15:35:35

    主戦騎手・山本菅助

    新馬戦以降、JRA所属期間中のレースは全て山本菅助が騎乗している。
    これはマキバオーは馬体が他の馬と比べて小さすぎ、JRA所属騎手で最も背の低い山本でないと騎乗ができないためであった。
    入厩前に牧場スタッフがマキバオーへ騎乗しようとさまざま試みたが結局乗れず、山本が乗れなければデビューを諦める予定だったという。

    一方で山本もそれまで騎乗していたフウリンカザンがレース中の事故で予後不良となったことによる心的外傷で、馬に騎乗するだけで眩暈を起こす症状に見舞われており、引退を視野に入れていたところでの昌虎からの騎乗依頼であった。
    マキバオーの体躯でならば目線が変わらず症状が出なかったため、山本にとっても唯一乗れる馬がマキバオーという人馬で一蓮托生の関係であった。
    事実山本はフウリンカザン以後はマキバオーでダービーを制するまでマキバオーの騎乗しか受け持っていない。
    ダービー以後はマキバオーのおかげで症状が改善したため他の馬の騎乗依頼を受け持つようになった。
    山本は度々、著書や取材で「馬に乗れなくなった自分を救ってくれた馬」「一生に一度の出会い」と述べている。

  • 52二次元好きの匿名さん22/05/22(日) 15:36:48

    国外挑戦に与えた影響

    マキバオーのドバイ遠征にはカスケードのオーナーであった本多も帯同しており、マキバオーの骨折について本多は「いまだにあの時の飯富さんの悲痛な叫びが頭から離れない」と回顧している。
    その後本多は自身の管理馬以外であっても国外挑戦に挑む競走馬をサポートできるよう本多トレーニングセンター(HTC)を立ち上げ、飯富正虎をセンター長として招き入れた。
    以後、日本競馬では国際挑戦においてはHTCで慎重な調整のもと送り出すのが主流となった。

  • 53二次元好きの匿名さん22/05/22(日) 15:38:21

    逸話
    みどり牧場ではところ構わず排便をすることから、命名前から「うんこたれ蔵」と名前をつけられ、ミドリマキバオーと命名されてからも「マキバオー」と呼んでも反応しないのに「たれ蔵」と呼ぶと反応があったという。

    ドバイ所属時は4歳時にモンゴルで調教した縁で度々モンゴルへと放牧に出されていた。現地モンゴルの預け先では「実はマキバオーの真の馬主は私なんだ」と自慢されるほどに可愛がられていたという。

  • 54二次元好きの匿名さん22/05/22(日) 15:44:04

    身体あんなに小さいのに心臓だけは普通のサラブレッド並にデカいんだっけ?
    血統的な距離適性以上の結果を残せたのも軽い身体に強力な心肺機能があったからかね。

  • 55二次元好きの匿名さん22/05/22(日) 15:51:08

    ^参考文献

    書籍
    山本菅助『ダービージョッキーで申し訳ないです』
    嶋島智之「ミドリマキバオーを忘れない』

    雑誌
    『優駿』(日本中央競馬会)
    1995年6月号
    1995年7月号
    1995年11月号
    1996年3月号
    1996年4月号
    1996年5月号
    1996年6月号
    1996年10月号
    1996年11月号
    1996年12月号
    1997年2月号

  • 56二次元好きの匿名さん22/05/22(日) 16:13:14

    もうあにまんでネタにする文章量じゃなくなってるな…

  • 57二次元好きの匿名さん22/05/22(日) 16:15:52

    >嶋島智之「ミドリマキバオーを忘れない』

    懐かしい名前で芝。

    ゴング廃刊になったけど再就職先とか見つかったのかな。

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