トレーナーは──走った

  • 1二次元好きの匿名さん22/06/02(木) 22:17:33

    サイレンススズカにふさわしい男になるためには、彼女の背中に追い付かねばならない。ゆえにトレーナーは速さを求めた。さいわい彼はトレーナーだったので、ウマとヒトにかかわらずトレーニング理論を知悉している。しかしそれでは不十分だった。およそヒトの足を速くするための常識的な方法すべてを試みたが、スズカの背中はいまだ遥か先を駆けている。
    トレーナーは日本を出た。まず中国に向かい、山中奥深くに隠遁するとされるウマ仙人を訪ねることにした。文字通りの紆余曲折を経て山道を乗り越え彼女のもとにたどり着いたトレーナーは、ただ一言「走るとは何か?」という疑問を投げかけられたのみだった。その真意がわからずトレーナーは失意のままに下山した。道中本場の点心に舌鼓を打ち4000年の歴史を誇る拳法を学びながら、トレーナーは日出る方角へと旅を続けていった。
    遠く天竺を越えたトレーナーはバビロンの大沃野を前にして感動に打ち震えた。なんという絶景だろう。思わず駆け出し、気付けば羊飼いのウマ娘とともに走り回っていた。現地住民の歓待を受けたトレーナーはこの日見た景色を決して忘れまいと心に強く誓った。同じ大地を踏んだ羊たちの血肉が自分の体を形作っているのだと思うと、つらく険しい長旅にも活力が湧いてくるのだった。
    ピラミッドパワーも捨てがたいものがあったがトレーナーは北上することに決める。やはりレース発祥の地を訪れなければならない。ブリテン島に向かう道すがらフランスにも立ち寄り、トレーナーは「調子に乗んな!(意訳)」の挨拶を片っ端から披露していった。結果として健全な一般市民から不健全な例外市民に追いかけ回されることとなり、ここに逃げることの妙味と言語コミュニケーションの重要性についてとくと学びそのことを胸に深く刻み込むのだった。
    ようやくイギリスにたどり着いたトレーナーは心身ともにボロボロだった。彼をまず出迎えたのは妖精で、むしろ期待していたようなシルクハットをかぶりステッキや雨傘を携え三つ揃いのスーツを着た典型的紳士のトレーナーとはついぞまみえることなく、渡英は終わる。
    妖精の導きのままにトレーナーは船に乗った。アステカに眠る秘宝こそ、彼の求めるものに違いないというお告げがあったのだ。積み荷に紛れてトレーナーはブリテン島を離れた。船底は暗くひどく揺れた。

  • 2二次元好きの匿名さん22/06/02(木) 22:18:00

    しかし南米大陸にも彼の求めるものはなかった。妖精にたぶらかされたのだ。トレーナーは憤り、土産物のウマ・クリスタルスカルを地面に叩き付けそうになった。しかし思いとどまった。たとえ地球の裏側にいようとも、そんなことをしてしまえば自分の愛バはこれ以上なく悲しむだろう。トレーナーは土産物をそっと棚に戻し、駆け出した。
    ガウチョ(南米ウマ娘の牛飼い)の案内でアメリカに向かい、トレーナーは五体のみを条件とした大陸横断を敢行する。度々ならず者たちの襲撃を受けたものの、いつか中国で学んだ拳法によって次々とこれを撃退し、ついにはカリフォルニアのビーチでラジカセを担いだ男と邂逅するに至った。
    ──いったん、日本に帰ろう。
    トレーナーはそう考えた。ならず者たちから巻き上げた路銀には余裕があったので、ファーストクラスを選ぶことも可能ではあった。むろん、快適な空の旅など望むべくもない。彼はエコノミークラスの座席に縛られながら今回の旅を振り返った。「あんたは速いよ。でも慌てん坊だ」ならず者たちのボスであり、パスポートの都合をつけてくれたまだ若いウマ娘の言葉がよみがえる。願わくは彼女が光あふれる世界に躍り出んことを。トレーナーはただただ祈った。

  • 3二次元好きの匿名さん22/06/02(木) 22:18:36

    帰国したトレーナーを出迎えたのは、ずだ袋を持った黒毛のウマ娘の襲撃だった。白い流星を垂らしサイドの髪を編み込んだ彼女は濃いサングラスをかけており、その正体をうかがい知ることができない。トレーナーはたまらず応戦した。実践を経た彼の拳法のキレはウマとヒトの間に隔たる高い壁に肉薄するほど練度を増していた。
    しかしそこには決定的な差があった。圧倒的な体力差に彼は徐々に追い詰められていった。ああ、と彼は思った。こんな風に彼女を──スズカを追い詰められたなら、きっと楽しんでもらえたろうに。愛しい担当の懐かしい姿を思い浮かべると、「ふんぎゃろ!」のかけ声とともに後頭部に衝撃が走った。それはまるで巨大な水晶玉で打ち付けられたかのような衝撃だった。
    「や、ややややり過ぎですよフクキタルさん!」
    「な、ななな名前を出しちゃダメですよスペちゃん!」
    遠ざかる意識の中、トレーナーはそんなやり取りを耳にした。しかし、それが現実であるのか夢であるのかは、もはや判断できない。思えば最後にまともに眠ったのはいつだろう。彼は振り返るも、思い出されるのは担当と過ごした輝かしい日々ばかり。ああ。もしかして、自分はとんでもない勘違いをしていたのではないか、そう──結論に至る前に、トレーナーの意識はぷっつりと途絶えた。

  • 4二次元好きの匿名さん22/06/02(木) 22:19:25

    そして目を覚ました。
    簀巻きにされたトレーナーが顔を上げると、そこにはインドの鬼子母神像のような形相で凄むエアグルーヴが立っていた。トレーナーは戦慄した。気を失う前の出来事がありありと脳裡によみがえる。エアグルーヴの後ろに控えめに立っているのは、スペシャルウィークとマチカネフクキタルの二人だ。なんと、襲撃者の正体は彼女たちだったのだ!
    「……ようやく起きたか、たわけ」エアグルーヴは重々しく口を開いた。「スズカをああも寂しがらせるとはどういう了見だ?」
    一度口を開いてしまえば止まらない。エアグルーヴの知性と感性に富んだ限りなくヴァリエーション豊かな説教は三日三晩に及んだ。休憩はなかった。眠たそうに船を漕ぐ二人の後輩は鋭い視線を向けられる度に背筋を伸ばした。いわんやトレーナーにおいてをや。眠ることなど許されない。
    「……トレーナーさん」
    四日目の朝、泣き腫らした目のスズカが姿を現した。トレーナーは絶句した。言葉を失うとはこのことかと、この世に存在するあらゆる表現がふさわしくない状況が存在するのだということを、理屈ではなく直感で悟った。
    「寂しかったです……とても」スズカもまた言葉を探しているようだった。「どうして急にいなくなってしまったんですか?」
    トレーナーは──語った。
    誰よりも走ることを愛し、先頭の景色を愛するスズカと、同じ景色を見てみたい。そう考えたから、スズカの背中に追い付くために、速く走るために、洋の東西を問わずその方法を探し求める旅に出たのだ、と。
    「……そんなこと」スズカの声は震えていた。「あなたが速く走る必要なんて、どこにもないんです。だって、あなたの隣で見る景色は、いつだって私の先頭なんですから」
    トレーナーは──走った。
    離ればなれになった時間という溝を埋めるため、一心不乱に駆け出した。スズカも同じだった。そのフォームは不格好で、情熱にあふれている。まったく速くはない。しかし、誰が追い付けるはずもなかった。
    二人は抱き合い、言葉にならない声でひたすら泣いた。それは産声のようだった。これから始まるのだ。本当の意味で、二人の人生というレースの、先頭を求める競走が始まる。スペシャルウィークとマチカネフクキタルは感涙にむせび泣いた。二人の再会を見届けたエアグルーヴは、72時間に及ぶ説教がたたったのだろう──その場で失神し、しばらく夜ふかし気味のままだった。

  • 5二次元好きの匿名さん22/06/02(木) 22:20:05

    トレウマに挑戦してみました
    夜ふかしと寝不足には注意しましょう

  • 6二次元好きの匿名さん22/06/02(木) 22:20:35

    トラウマになりそう

  • 7二次元好きの匿名さん22/06/02(木) 22:22:27

    モルモット自治区と同じ者か?

  • 8二次元好きの匿名さん22/06/02(木) 22:31:09

    ハーブか何かやってらっしゃる?

  • 9二次元好きの匿名さん22/06/03(金) 06:37:55

    おはようございます
    読んでくださってありがとうございました。ご愁傷さまです
    モルモット君を建国させた人物の名誉のために言っておくと、あのお話を書いたのはわたしではありません。わたしはあのように狂った瞳をしておりません。むろん誉め言葉です
    今日も駆けるように一日を過ごしたいものですね

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