- 1122/06/03(金) 20:43:11イャンガルルガみたいな性格したオリ馬・ウマ娘作ろうと|あにまん掲示板思ったけど競馬知識がウマ娘止まりで片耳片目がふっとんだときの規則がよく分かんなかったですbbs.animanch.com
↑のスレに影響を受けて創ってみた。さすがに火とかは吹かないし天変地異は起こさない。
まずラージャンを組み込んだ馬。
ブラックタイザン
出典:フリー百科事典『Wikipedia』
ブラックタイザンは日本の競走馬。
概要
生年月日:1995年5月13日
毛色:黒毛
父:サンデーサイレンス
母:ヒイラギホクト
母父:サクラユタカオー
性別:牡
主戦騎手:藤田伸二
調教師:池江泰郎
主な勝ち鞍:有馬記念、ジャパンカップダート、宝塚記念、天皇賞・春、皐月賞
馬主:山浦善則
- 2122/06/03(金) 20:43:40
幼駒時代
北海道の牧場で生まれる。セリでは山浦善則氏に3億で購入された。
その後池江泰郎厩舎に預けられてデビューすることになる。
2歳
1997年7月13日の新馬戦でデビューする。当初はまだ後に見せるような超攻撃的姿勢は見られず、デビュー前から言われていた体質の弱さから2着に敗れる。その後は2戦目の未勝利戦で勝利を上げ続いてOP戦も勝利する。しかし骨折が判明し年内休養となる。
3歳
共同通信杯になんとか間に合う。共同通信杯では一番人気に支持されるも4着に敗れた。その後若葉Sに出走し勝利を上げ皐月賞に出走する。なお若葉Sの時点で既に後に有名になる本馬の超攻撃的姿勢が発現しており気性難であることが強く意識されていた。
そして皐月賞では超攻撃的姿勢、性格が発揮された。まずスタート直後先頭一番手に立ちそのまま大逃げをしかける。その結果レースのペースは異常なほどに早くなり先行勢は壊滅し後方待機勢は影すら見ることができなかった。2着馬セイウンスカイとの着差は12馬身という空前絶後のものになった。その後ダービーに出走する。前走の結果から単勝1番人気に推されるが、ゲートイン前に起こした喧嘩が原因で競走取りやめとなってしまった。その後調教検査が行われなんとか合格する。秋の初戦は京都新聞杯となり、今度は落ち着いており好位につけたが最後の直線で抜け切れずシンガリに敗れた。菊花賞には出走せず年末のグランプリレース有馬記念に向かうことになった。このレースでは大外枠に入ったことで出遅れてしまい9着に終わった。 - 3122/06/03(金) 20:44:06
4歳
「敗北は逃げなかったのが原因」と言う判断の下、今度は馬に自由にやらせてみるとして日経賞からスタート。再びセイウンスカイと対決となった。逃げたものの結果はハナ差でセイウンスカイに敗北してしまう。なおレース後ブラックタイザンはセイウンスカイに対して闘争心むき出しになりながら歩いていたらしい。続く天皇賞ではセイウンスカイ、スペシャルウィークとの再戦となった。ここでもブラックタイザンはレース前からセイウンスカイらに対し激しく威嚇し一触即発の危機に陥ったがなんとかゲートインに成功し発走。逃げを打ち結果またしてもハナを奪い後続を引き離し勝利する。この時2着のスペシャルウィークとの着差は10馬身だった。引き続き宝塚記念に出走。また逃げを打つが後ろを追走していたグラスワンダーに徐々に抜かれ最後は3着となった。なおレース後ブラックタイザンはグラスワンダーそして自身に先着したスペシャルウィークに対して激しい怒りを見せていたようだ。
秋の初戦はオールカマーとなる。毎日王冠や京都大賞典が選ばれなかった理由は宝塚記念で見せていたスペシャルウィークやグラスワンダーへの激しい怒りからまたも暴れてしまうことを恐れたからだと言われている。オールカマーは逃げを打ち直線独走状態で勝利。
天皇賞秋では大外に回され2着となる。スペシャルウィークに対してはやはり激高しそうな雰囲気を出していたらしい。
ジャパンカップではついにスペシャルウィークへの怒りが爆発してレース前からスペシャルウィーク含む全ての馬に対してひどい威嚇を繰り返した挙句スタート直後から暴走を開始。結局最終コーナー手前で故障を起こし競争中止となってしまった。検査の結果なんとか予後不良には至っていなかったものの長期休養をとらざるを得なくなってしまった。 - 4122/06/03(金) 20:44:56
5歳
「フラストレーションを貯めさせるとレースどころではない」と判断される。トライアル競争には出ずぶっつけ本番でのGⅠ出走が基本方針となる。初戦は天皇賞春。しかしテイエムオペラオーに屈するも4着に健闘する。続く宝塚記念ではテイエムオペラオーも出走していたが「まだ大丈夫」と判断。またも逃亡劇を演じ今度は5馬身差の勝利。続いて札幌記念に出走し快勝する。そして天皇賞では再びテイエムオペラオーとの対決となる。しかしわずかに届かず2着に敗れた。この時点でやはりブラックタイザンの怒りは頂点に達した模様。レース後すぐに他の馬から引き離される。ジャパンカップが予定されていたがこのままでは去年と同様の展開になると判断され怒りの矛先を変えるべくジャパンカップダートへ出走する。ジャパンカップダートでは初めてのダートということもあり3番人気の評価。しかしスタート直後先頭に立つとそのまま逃げ続け勝利。着差はハナ差だった。
そして有馬記念ではテイエムオペラオーを封じ逃げ切りを決め勝利。春秋グランプリ制覇を成し遂げた。その後骨折が発覚し年内引退となった。 - 5122/06/03(金) 20:46:17
種牡馬入り後
シンジケートが組まれる予定であったがあまりにひどい気性のため買い手があまり現れず断念。初年度種付け料は1000万。かなり強気の料金だったため初年度種付け依頼もわずか3頭だけだった。
しかし初仔のテイエムシザースが活躍し2年目産駒からはコンスタントに重賞勝ち馬が出る。また2年目の産駒から初のG1勝ち馬が出たりなど産駒成績は徐々に伸びてきている。特に5年目以降の成績はすさまじく今年も重賞勝馬を多数出している。
産駒の特徴はスピードが優れていてとにかくタフなことにある。また懸念された気性難の遺伝率はきわめて低いが逆に競走能力は非常に高くどんな馬でも確実に勝ち負けができるほどの強さがある。そして丈夫であり故障がほとんどなくその分管理にもさほど手はかからない。
主な産駒にはテイエムシザース(主な勝ち鞍:朝日杯フューチュリティS)、イキマツアケボノ(主な勝ち鞍:ホープフルS)、ダイメイフジ(主な勝ち鞍:日本ダービー)、ゴールドホクト(主な勝ち鞍:NHKマイルカップ、皐月賞、菊花賞、天皇賞・秋、安田記念、宝塚記念、有馬記念、ジャパンC、ドバイシーマクラシック、キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス)などがいる。 - 6122/06/03(金) 20:46:45
競争馬としての特徴
・脚質は大逃げ。これは超攻撃的姿勢と呼ばれるブラックタイザンの特徴的な癖に由来する。
・超攻撃的姿勢とはとにかく先手にたちペースを破壊し自身の勝利を確定的なものにすることから名付けられた。
・その凶暴性はレースにおいて顕著に現れ、馬体を合わせることさえ非常に嫌った。
・藤田伸二騎手は「あんな馬に乗れと言われたって乗りたくないね!あれに乗ってレースするのは自殺行為だよ!」とコメントし本馬の特徴について「とにかく性格が最悪で気が短いうえ凶暴だ」と語っている。
・池江調教師はこの馬の特徴について「スタートが上手で、道中の位置取りが非常に巧いため後方から追い込んでくる馬よりもよっぽど強い」と述べこの馬の最大の長所としてスタミナの高さを上げている。また脚元に関して不安がないためレース選択の幅が広く中距離以上の距離ならばなんでもこなせると述べている。なお気性に関しては「非常におとなしく素直である。言うことは良く聞いてくれる」と評している。レースで見せた凶暴性については「馬が勝手にやったことでこちらとしてはなんとも言いようがない。」とインタビューで語っている。 - 7122/06/03(金) 20:47:07
その他特徴・エピソード
・若葉Sまでは非常におとなしかったがそれ以降急に攻撃的になり気性が荒くなるという極端な変化を見せた。この原因に関しては様々な意見があるが有力説とされているものは成長に伴うストレスの増加によりそれを抑えるために攻撃的な性格に変わったのではないかというものだ。ちなみにこの説は池江調教師も同じことを話している。なお若葉S前に池江調教師がブラックタイザンに激励としてバナナを与えたあたりから気性がおかしくなったという厩務員の話もあるが真偽は不明。
・池江調教師には非常に懐いており彼の前では普段とは全く違う大人しい姿を見せていたと言われている。しかしそのせいか彼と一緒にいるときに他の厩舎の職員に威嚇をするなどということがよく見られたらしくレース以外では池江調教師に対してのみ相当に甘えん坊な性格をしていたらしいことがうかがえる。喧嘩を起こし除外となった日本ダービーの際も池江調教師を見ると嬉しそうに鳴き大人しくなったという。
・藤田伸二騎手に対しては異常なほどの拒否反応を示すことで有名。
・体格が小さく平均体重は400kg程度であった。
・種牡馬入り後、牝馬に対しては激しく拒絶する傾向があるとされる。
・あまりに凶暴なため一般公開は全く行われていない。種牡馬入り後唯一公の場に現れたのはテレビの企画で池江調教師が訪れたときだけとなっている。
・凶暴なことで有名なドリームジャーニーとよく比較されるが、凶暴性に関しては関係者一同は「あそこまでひどくはない」と口を揃えて語っている。 - 8122/06/03(金) 20:50:18
- 9122/06/03(金) 20:50:44
幼駒時代
幼駒の頃は鹿毛であり父に似ていた。血統的にはあまり期待されておらず三津井豊子氏が庭先取引で購入する。その後池江厩舎に預けられデビューする。
2歳
2003年8月にデビュー戦を迎える。鞍上は当時のGIジョッキーである武豊であった。1番人気に応えて快勝すると以後オープン特別では連勝し、10月の京都2歳Sでも勝利。血統もあり一躍人気馬となる。ここまではまだ後に言われるような「外道」的な要素は見せていなかった。12月の朝日杯フューチュリティSでは単勝1番人気に推される。しかしレース途中で腹痛を起こし競走中止となった。 - 10122/06/03(金) 20:51:02
3歳
共同通信杯で復帰する。この時も3番人気と人気を集めた。結果は4着に敗れるも着差はそれほど大きなものではなかった。なおこの時から前方で競り合いが起こると急加速するという癖を見せ始めていた。そして毎日杯に挑戦。前走よりもメンバーが揃った中でのレースであったがそれでも堂々の1番人気に支持される。レースでは中団やや後方の位置で追走していたが直線で外に持ち出し大外から強襲して先頭に立つとその勢いのまま突き放した末脚を見せつけレコードで圧勝。しかし皐月賞では同じく大外から強襲するも間に合わず5着に終わる。
続く日本ダービーでは後方待機し直線で先頭争いが発生した所で強襲をかけるも届かず6着に敗れた。夏は休養し京都新聞社杯からスタート。ここでは道中終始中段辺りを進み最後の直線で追い込んで僅差で勝利という形をとったがこのあたりで少し調子を落とし始めたかのように見えた。本番の菊花賞では後方待機で折り合い重視のレース展開を心掛けるも全く伸び切れず7着と大敗する。年末の有馬記念では秋のGⅠ3勝がかかるゼンノロブロイが直線でタップダンスシチーをとらえたあたりで大外から追い込みをかけて一気に先頭に並びそのままゴールし優勝した。ここからファンの間で「外道」「怪物」と呼ばれるようになる。 - 11122/06/03(金) 20:51:23
4歳
産経大阪杯からスタートする。ここでは2着に終わる。マイルを走らせたい馬主の意向で次走は安田記念に決まる。安田記念では1番人気となる。結果は逃げ馬を潰す形で3コーナー過ぎで先頭に立ちそのまま後続を寄せ付けず完勝する。ここで休みに入る予定であったがダービーを勝ったディープインパクトをみた馬主が「来年では勝つチャンスがない」として宝塚記念に出走する。急遽決まった宝塚記念への出走。体調管理に失敗しており宝塚記念では猛烈な腹痛に襲われていたと言われる。当然人気も低かったが、しかしレースではいつもと違いスタートを切るとそのまま逃げ、2番手以下に差をつけ続け他馬が止まったり沈んだりする中で悠々とゴールした。なおやはり腹痛でがまんできなかったのか道中で糞を漏らしながら走っていた。なお腹痛のため夏は休養となった。
秋は京都大賞典からスタート。いつもと同じように先頭が争いを始めたあたりで後ろから強襲し先頭に立って勝利する。しかし天皇賞ではまたしても軽度の腹痛を起こしており第三コーナーで糞をもらしたあげく10着に終わる。また腹痛のためジャパンカップを回避する。年末の有馬記念では相変わらず大外を持ちまわってハナを奪ったものの直線は伸びずに結局13着に終わる。
5歳
馬主はディープインパクトには勝てないとして今後はダートを走らせると表明。まず適正を見るために東海Sに出走する。ここでも3馬身差をつけて勝利するが続くフェブラリーSでは10着と惨敗する。このレースのあと調教中に骨折が判明し長期休養となる。復帰は秋のみやこSとなる。ここを勝利し、そして続くジャパンカップダートでは大外最後方から強襲をかけ勝利した。馬主はこの勝利を見てオベリオンの年内引退を決定。最期はせっかくなので有馬記念に出走した。有馬記念ではまたしても腹痛をおこしていたのか逃走。あきらかな暴走であったため誰もが武豊の乗るディープインパクトに追い込まれると思っていたが逆に猛烈に突き放し独走を決め勝利した。なおやはり糞をもらしつつ走っていた。 - 12122/06/03(金) 20:51:40
種牡馬入り後
ディープインパクトに勝ったこともあり評価は高騰。総額30億とも言われるシンジケートが組まれ種付けが行われた。血統ではサンデー系の血を一切持っていないのが味方した。主な産駒にはダートで活躍したザッツゴータ(現在は死亡)や芝で活躍したイクスキューズ、他にマイラーの活躍馬が多数いる。
主な産駒
ザッツゴータ(主な勝ち鞍:ドバイWC)
シームレスバイアス(主な勝ち鞍:安田記念、NHKマイルカップ)
イクスキューズ(主な勝ち鞍:宝塚記念、マイルチャンピオンシップ、天皇賞・春、ジャパンカップ)
オーバルダディ(主な勝ち鞍:フェブラリーS)
スーパーペガサス(主な勝ち鞍:皐月賞、菊花賞、有馬記念、天皇賞・秋、)
ゼッケンウーマン(主な勝ち鞍:エリザベス女王杯、安田記念、マイルチャンピオンシップ、東京大賞典、) - 13122/06/03(金) 20:52:06
競走馬としての特徴
・脚質は追い込み。だが腹痛時など体に異変が生じている時は逃げをとった。
・武豊はオベリオンについて「非常によく走る」「いい素質を持っていると思うんですけど、気性面を考えるともっと落ち着いてくれればいいんだけど」とコメントしている。
・プレッシャーに弱い性格であったが鞍上である武がそれを緩和させていたという面もあった。
・2005、2006年の天皇賞秋、有馬記念は武豊に代わり鞍上は田辺裕信が務めた。田辺は本馬の特徴を「切れ味はないけどしぶとく伸びるタイプだと思う」と分析し騎乗を続けた。 - 14122/06/03(金) 20:52:25
その他特徴・エピソード
・性格は気が荒いが臆病であった。新馬戦では騎手の田辺に噛みつこうとした。
・臆病であるが争いごとには嬉々として加わる気質があったようである。そのため前方で競り合っているとそれを見に行こうと加速する性質があった。また厩舎で喧嘩が発生していた際にも興奮気味になっていたという。
・容姿は気高く威厳があった。容姿と追い込みスタイル、血統が合わさってファンから「気高き外道」と言われるようになった。
・4歳の6月ごろから腹の調子がおかしくなることが多々ありパドックや入場時、はてはレース中にまで脱糞することがあった。その姿からファンに「うんこ爆撃機」と呼ばれ始めた。ただしこれについては調教師のコメントにもあるようにレース時の緊張による精神的なものであるかもしれない。
・「うんこ爆撃機」「気高き外道」以外にファンやスポーツ紙につけられたあだ名・二つ名には「うんち王子」「糞垂れ野郎」「尻拭い王子」がある。
・脱糞しながら走るのは妨害ではないかという意見もあったがJRAの見解では本馬がほぼ外側を走っていたことや馬の進路変更ではないことなどを根拠に問題視していない。
・武豊は本馬のあだ名(うんこ爆撃機など)について「競走馬はうんこの話をされても怒れない動物だし(人間だって糞のことをしゃべられるのは)恥ずかしいけれどしょうがないでしょうね」と話している。 - 15二次元好きの匿名さん22/06/03(金) 20:54:38
うんこうんこうるせえ!
- 16122/06/03(金) 20:59:24
- 17122/06/03(金) 20:59:50
概要
生い立ち~幼駒時代
父のアピアスボーイは輸入されてきたリファール系の種牡馬で現役時代は14戦を戦い9勝しているものの特筆すべき戦績はなくGⅠ勝ちはない。また種牡馬成績も中央では産駒101頭中勝ち上がったのは33頭で最高成績は2勝。地方でも苦戦しているという明らかな失敗種牡馬であった。
母のマダムジョオーは現役時代未勝利に終わっており本馬を産むまで産駒の成績は全て未勝利で終わっていた。この配合が実現した背景には両者を繋養していた牧場の執念によるところが大きい。
そんな走りそうにない配合で生まれた本馬はセリでも買い手がないほどの評価であったが、馬主となる高橋祥一氏だけが本馬を気に入っており購入に踏み切った。その後浅野洋一郎調教師に預けられデビューする。 - 18122/06/03(金) 21:00:06
3歳
調教では気性が荒く乗り手に反抗し騎乗を拒否するなどの態度をとっていた。しかし能力は悪くなく4ハロンのタイムは好タイムを記録。
そして1995年1月に中山競馬場で行われた芝1800mのレースでデビュー。当時は血統が悪すぎることから人気が全くなく注目されていなかった。しかしレース本番になるといスタートと同時に猛ダッシュをして一気に先頭に立ちそのままゴール。後続に5馬身の差をつける圧勝であった。その後OP戦、弥生賞を勝利し一気にクラシック路線の主役に躍り出た。皐月賞ではスタート後ハナを取り逃げる展開に持ち込み直線に入った時点で7馬身差をつけ優勝を決めた。続く日本ダービーではスタート直後は後ろの方に待機し不安視されるも最終直線前ですさまじい切れ味を見せ一気に先頭に立つとそのまま独走状態で勝利。無敗でのダービー制覇となった。トライアルを挟まず続く菊花賞にも挑戦したが直線でマヤノトップガンとの叩き合いに敗れ2着となる。ここで陣営は次走をジャパンカップとする。そもそもトライアル競争を使わなかったのはジャパンカップ挑戦を見据えてのものだった。ジャパンカップでは逃げの作戦をとったが直線に入ってからは伸びず6着と敗北。そして有馬記念にも出走、疲れも懸念されたがレースでは後方からの爆発的な末脚を見せて勝利。 - 19122/06/03(金) 21:00:22
4歳
中山記念よりスタート。道中は後方3番手の位置取りだった。最後の直線で早めに仕掛けていくもその時にはすでに遅かったようで3着に敗れる。
その後京王杯SCに出走。このレースでも逃げの展開に持ち込みなんと11馬身差を付けて勝利する。そのままの勢いで安田記念に出走。またしても逃げを打ちレコードタイムで勝利した。無茶だとは言われたが宝塚記念に出走。ここでは逃げず後方待機を取り直線手前で爆発的な末脚を見せ先に抜けていたマヤノトップガンに並びかけ粘り勝つ。秋の初戦は毎日王冠となった。ここでもまた逃げに持ち込もうとしたが逃げきれず10着に終わる。しかし天皇賞では逃げに成功し勝利した。ここで陣営は馬主の意向で驚きのローテを取る。それはマイルCS→ジャパンカップという過酷なものであった。マイルCSは逃げ切り勝ちをし見事春秋マイル連覇を成し遂げた。そしてジャパンカップではオグリキャップの例もあり不安視されたがそれを覆し後方からの追い込みで勝利。そして馬主は東京大賞典への出走を表明。初めてのダート、疲れから批判もあったがそれを吹き飛ばすように勝利を飾 - 20122/06/03(金) 21:00:46
5歳
今年よりGⅠに昇格したフェブラリーSに出走。先行策を取って直線残り200地点で抜け出しそのまま突き抜けた。この一戦は圧倒的なパフォーマンスを見せつけた。しかしその後の検査で屈腱炎が発覚し引退となった。
種牡馬入り後
総額7000万円のシンジケートが組まれる。しかし産駒成績は振るわず、3年間で24頭しか種付けできなかったこと、やはり突然変異的な要素が強すぎたのか全く活躍馬が出ず2000年にシンジケートは解散された。しかしシンジケート解散後唯一のGⅠ馬グリンスターが生まれている。
主な産駒
グリンスター(性別:牡、生年月日:2003/05/01)(主な勝ち鞍:三冠、マイルCS、安田記念、有馬記念、フェブラリーS、天皇賞・春、宝塚記念) - 21122/06/03(金) 21:01:09
競走馬としての特徴
・脚質は爆発的なスピード、瞬発力による自在。
・前走負けていると自分自身に怒りを抑えられなくなるのか闘争心が異常に高まる。また負けた相手が出ているとさらに闘争心を高める性質があった。
・闘争心が昂ぶっていても後方待機が出来ることについて横山典弘騎手は「僕の指示した通りに走るのではなく自分の考えがあるんですね」と解説している。
・追い込み時は加速する際に首を極端に下げ突っ込むような走法を取っていた。
・逃げる時はスプリンターのようなストライドで走っていた。それを可能にしたのは首と腰の筋肉の柔軟性の高さと関節可動域の広さであると分析されている。
その他特徴・エピソード
・馬体は青みがかった黒い艶やかな毛並みで「黒曜石」とも称された。マイルCSからの過酷なローテのもとでジャパンカップを勝利した際のフジテレビの実況「黒曜石は砕けない!」というフレーズは今も語り継がれている。
・気性は荒く非常に攻撃的だが反面レースで負けると冷静さを取り戻す。
・一度キレると手におえないが普段は従順。
・マヤノトップガンに対して異常な執着を示すが他の馬には特に興味がない。
・ささいなことですぐにキレてしまい手がつけられなくなるので調教師も手を焼いていた。 - 22二次元好きの匿名さん22/06/04(土) 08:09:01
あげ
- 23二次元好きの匿名さん22/06/04(土) 08:18:56