首なしランナー

  • 1二次元好きの匿名さん22/06/06(月) 22:35:40

    それは主に中等部の生徒の間で流行している、都市伝説の一つだった。誰が呼んだか【首なしランナー】。府中の国道を夜な夜な駆ける、首のない黒いウマ娘。なぜウマ娘だとわかるのかといえば、尻尾がたなびいているからだ。彼女は他のウマ娘を見付けると追跡を始める。
    サイレンススズカはこの怪談をスペシャルウィークに聞かされた。得意げに熱っぽく語る後輩の微笑ましい姿は記憶に新しい。
    「それでですね」スペシャルウィークは言う。「首なしランナーに追いつかれてしまうと、新しい首なしランナーになっちゃうんです!」
    よくあるオチだったがスズカは後輩を邪険に扱ったりはしない。むしろその屈託のなさは心地よく、いとおしい。だからスズカは薄く笑うことで応え適度に相づちを打つ。スペシャルウィークは満足げに眠る。つい先日のある夜のことだ。
    (きっと未練があるのね)消灯時間を過ぎたあと、スズカはそんな風に考えた。寮全体が寝静まっている。(まだまだ走り足りないんだわ)
    首なしランナーがなぜ首から上を失ったかについては諸説あり、そこでは怪談らしい尾ひれのついた悲劇がすいすいと噂の海を泳ぎ回っている。共通しているのは彼女が競走ウマ娘であったこと、なかなか芽が出なかったこと、そしてだからこそ深夜も隠れてトレーニングに打ち込んでいたことの三つだった。
    「くだらん」ある昼休みにエアグルーヴにこの話をすると、一刀両断に切り捨てられた。「まさかとは思うが、噂を確かめようなどと考えるなよ」
    「今晩の運勢ですか?」放課後スズカはマチカネフクキタルのもとを訪ねる。「ふんにゃか~はんにゃか~……はい。えーっと、凶相が出ています。でも、待ち人来るともありますね」

  • 2二次元好きの匿名さん22/06/06(月) 22:36:15

    日付が変わる時間帯になってスズカはむくりと起き上がった。眠りは浅く、狙った時間に起きることができた。スズカは衣ずれの音に注意を払いながらジャージに着替える。トレセン指定のものではなく、自前の一着だ。そしてランニングシューズを抱えて窓に手を伸ばす。からからからから。乾いた音とともに窓が開く。スズカは一度振り返る。スペシャルウィークは夢の中だ。ほっと胸を撫で下ろして外へ飛び出る。
    階下の庇の上で靴を履き、月明かりを頼りに紐を締める。スズカは窓を閉めてそろそろと歩き出した。その動作に迷いはなく、いかにも慣れたものだった。地面までまっすぐ伸びた雨どいに手を伸ばすと熟練の特殊部隊員のように下降していく。するするするする。着地。手の汚れをズボンで払って生け垣の抜け道に向かう。正直に門を潜ろうものなら大問題だ。新たに怪談が増えかねない。
    寮の敷地を出て自由になったスズカはフードを目深にかぶる。そして堂々と走る。あのおっかない赤いランプを灯した白黒の車の巡回ルートは把握しているが偶然はいつも付きまとう。だからさも当然であるかのようにそこにいる必要がある。たとえば生活リズムの都合で夜中にしか運動の時間を設けられない人というのはいて、スズカは自分もまたそうであるかのように振る舞う。一種の処世術だ。いつか経験したカーチェイスはあまりにスリリングでもう二度とあんな目に遭いたくない。

  • 3二次元好きの匿名さん22/06/06(月) 22:36:51

    それでも走りたい夜がある。
    走りたい気持ちがある。誤魔化すことなどできない。命を失って怪異と化してもきっと気持ちは変わらないのだろう、スズカは名前も知らない一人のウマ娘に同情する。もし自分が同じ立場だったとしたら? スズカは想像する。駆ける。走りながら思い描く。
    (レースがしたいんでしょう?)
    背後に生じる気配。いつの間にか足音が増えている。軽やかでいて力強い。スズカは振り返る。そして目を見開く。首なしランナー。本当にいたのだ。街灯に照らされる黒いシルエット。夜の闇がウマ娘の姿形を得て駆け出しているようだった。しかし首から上がない。彼女の表情は知れない。
    スズカはペースをキープした。スズカにしては珍しい走りと言える。何度か首なしランナーが迫ってくるのが感じられると、その都度ペースを上げてバ身を維持した。
    まだ本番ではない。
    交差点に差し掛かり、スズカは立ち止まった。すると、首なしランナーが猛スピードで接近してくるのがわかった。スズカは彼女を止めるように腕を広げた。指をぴんと伸ばし宣言する。

  • 4二次元好きの匿名さん22/06/06(月) 22:37:19

    「ここがスタート」振り向かない。首なしランナーが脚をゆるめるのがわかる。「左回りよ。ここから二つ目の信号を曲がるの。しばらく直進したらまた交差点があるから、そこでも左折。わかるわよね。最後のコーナーも二つ目の信号を曲がって、坂を登ってここの合流までたどり着いたらゴール。だいたい2000mよ。それとも、スプリントや長距離の方が得意かしら?」
    返事はない。
    しかし首なしランナーはゆっくり歩いてスズカの隣に並んだ。細い肩がスズカの方へ向けて開かれる。ほんの少しだけ背中が丸まったように見えて、すぐ戻る。スズカはそれを頷いたのだと判断する。
    「……ちょうどトラックが来ているわ。バンパーが私たちに並んだら、スタートにしましょう」
    顔のうかがえないウマ娘が二人。尻尾が二本揺れている。トラックの運転手の目に、その光景はどのように映ったろうか──。

  • 5二次元好きの匿名さん22/06/06(月) 22:37:58

    そして二人は駆け出した。
    スズカはやや斜めにアスファルトを蹴りながらスタートを切る。その姿勢は地面を滑るように低い。水泳選手のドルフィンキックのような滑らかさで一歩進む度にぐんぐん加速していく。
    対して首なしランナーのスタートは圧倒的なものではない。しかしスズカの爆発するような逃げを前にしても動揺は見られなかった。その確実な歩みには獲物を狙うハンターのような鋭さがにじみ出ている。
    レースは静かに進行していった。
    最初のコーナーをスズカはやや減速しながら回る。芝の上を走るような調子で曲がってしまえば、脚を痛めるおそれがあるからだ。反対に首なしランナーは加速した。スズカは背後に迫るプレッシャーを感じて距離を詰められたことを悟る。首なしランナーがその黒い足を縁石に引っ掛けてカタパルトのように自らの体を射出したことなど知る由もない。怪異らしい肉体を省みない走法だった。
    スズカは直線で首なしランナーを再び引き離すも、コーナーで生じるロスと接近を補うまでには至らなかった。このままでは、とスズカは思う。最後のコーナーを曲がったところで、追い付かれてしまう可能性がある。
    (ペースキープとコーナー巧者)スズカは首なしランナーを強敵と認めた。(最後に溜めた脚で差し切るつもりなんでしょう、でも──)
    湿度を増す6月の夜の空気が肌にまとわりつく。手足が重い。怪異の妖しげな力をスズカは疑う。しかしその雑念は一息に振り払われた。もし自分が同じ立場だったとしたら? 
    (──先頭の景色は譲らない!)
    答えは一つ、走り抜いた日々の他に頼る力などあるはずがない!
    最終コーナーを曲がって首なしランナーが迫る。スズカは最後の力を振りしぼって加速する。首なしランナーが追いすがる。距離が徐々に開いていく。バ身は縮まらない。散歩中の犬が吠える。飼い主が腰を抜かす。スズカは止まらない。登り坂を駆ける、登り坂を駆ける、登り坂を駆ける──両腕を広げ夜空を仰ぎ、国道へと合流する。勝ったのはサイレンススズカ。ジャージのフードが脱げる。一陣の風が吹いた。湿り気のない心地よい風だった。

  • 6二次元好きの匿名さん22/06/06(月) 22:38:38

    振り返るとそこには首なしランナーが立っている。
    「クールダウンをしましょう」スズカはそう言ってゆっくり走る。少し後ろを首なしランナーがついてくる。「いいレースだったわね」
    夜の街を二人は無言で駆けていく。友人のような親しさで、姉妹のような気安さで。
    「ありがとう」
    ふと声がする。
    スズカはあわてて立ち止まった。後ろに立っていたのは──古ぼけたジャージを着たウマ娘だった。
    「いいレースだったよ」
    彼女の笑顔がそこにはある。
    スズカは咄嗟に手を伸ばそうとした。しかし遅かった。彼女は──首なしランナーと呼ばれたウマ娘は、ほんの短い時間だけ本当の自分を取り戻すと、溶け出すようにして夜の闇に消えていった。
    スズカはしばらく立ちすくんだ。そして、全身に帯びた熱が本物であることを悟ると、来た道を引き返して寮へと戻っていった。雨どいを登り庇を伝って自室の窓を開ける。後輩は幸せな夢を見ているのだろう、安らかに寝息をたてていた。

  • 7二次元好きの匿名さん22/06/06(月) 22:38:59

    自分もまた夢を見たのかもしれないと翌朝スズカは思った。しかし、シューズの傷や汗を吸ったジャージが現に目の前にある。だからあの出来事は夢ではない。確かめたあの情熱も幻ではない。
    スズカは首なしランナーについて調べてみることにした。ネットの情報を鵜呑みにするのなら、その真相は拍子抜けするものだった。単に海外の伝承がアレンジされた怪談に過ぎないらしい。スズカの想像していたような痛ましい事故の類いはどこにもなく、噂はあくまで噂に過ぎなかったようだ。
    (じゃあ、あの子は何者だったのかしら)再び夜が来て、スズカはベッドの上で髪をとかしながらぼんやり考えた。(私は確かに、あの子と競ったのに)
    櫛を化粧台に仕舞い、スズカは窓の向こうを見る。国道では今日もヘッドライトとテールランプが尾を引いている。それはまるで生き物のようでもあった。
    (もしかしたら)スズカはカーテンを閉めた。(怪異が噂になったんじゃなくて、噂が怪異になったのかも)
    夜道を車が走ると光の筋が残る。
    そうすると、夜道に光の筋が残っていれば、そこを車が通ったことになるのかもしれない。
    (怪異でもウマ娘だもの。きっとレースがしたかったわよね)
    ちょうどその時、スペシャルウィークが部屋へと戻ってきた。鼻歌まじりで上機嫌、風呂上がりということもあり、顔はほのかに上気している。
    「今夜も楽しそうね、スペちゃん」
    「そうなんですよスズカさん! 今日聞いた話なんですけどね──」
    スペシャルウィークは軽く膝を曲げ背中を丸めると、眉をひそめてじろりとスズカを見据えた。
    「──ターボばあちゃんってご存知ですか?」
    それがツインターボの祖母を意味しないことくらい、スズカにもよくわかる。

  • 8二次元好きの匿名さん22/06/06(月) 22:41:15

    むかしむかしあるところに、【首なしライダー】という都市伝説がありました
    そういった話です。書いたわたしにもよくわかりません

  • 9二次元好きの匿名さん22/06/06(月) 22:50:14

    死してなお走っていたのは
    呪縛か それとも理解者を待っていたのか 不思議だねぇ

  • 10二次元好きの匿名さん22/06/06(月) 22:50:22

    なんでアスファルトでの走り方やら寮の抜け出し方を知ってるんですかね?
    カーチェイスって何したんだよスズカぁ……

  • 11二次元好きの匿名さん22/06/06(月) 22:51:38

    胸無しランナー

  • 12二次元好きの匿名さん22/06/06(月) 23:01:59

    >>11

    だがそこそれがいい

  • 13二次元好きの匿名さん22/06/06(月) 23:03:07

    ある意味信仰が産み出した神様のような物だったのかも

  • 14二次元好きの匿名さん22/06/06(月) 23:07:13

    元ネタはウマ娘初期にあった頭だけになるバグかな

  • 15二次元好きの匿名さん22/06/06(月) 23:19:42

    追い越されたらアウトな怪異なのに立ち止まって、ウマ娘ならこんな通り魔な形じゃなくてスタートとゴールを決めてレースをしましょうってするスズカさんは根性がカンストしてる。

  • 16二次元好きの匿名さん22/06/06(月) 23:20:23

    面白かったわ

  • 17二次元好きの匿名さん22/06/06(月) 23:23:59

    読んでくださってありがとうございます
    元ネタは件の都市伝説と先日見かけたフードを目深にかぶった老若男女いずれかに属するであろうおおむね人間の形をした黒いシルエットの推定トレーニーです
    みなさんも首なしランナーに追われたら先頭の景色を譲らないよう努めましょう
    おやすみなさい

  • 18追伸22/06/06(月) 23:24:56

    よい夢を

  • 19二次元好きの匿名さん22/06/07(火) 09:46:57

    めっちゃ良かったです....

  • 20二次元好きの匿名さん22/06/07(火) 09:52:24

    いい話だった。
    さらっと言ってるけどスズカがパトカーに追いかけられた経験あることに笑った。

  • 21二次元好きの匿名さん22/06/07(火) 09:57:21

    面白かった

  • 22二次元好きの匿名さん22/06/07(火) 11:41:00

    怪異と大体走って仲良くなって解決するスズカさんはいいもんだもん…

  • 23二次元好きの匿名さん22/06/07(火) 12:22:21

    誰にも見られない中で行われる2人だけの戦いって雰囲気が良かった
    スズカにも首なしにも確かな技量や矜恃が感じられるのは文才ある

  • 24二次元好きの匿名さん22/06/07(火) 17:48:54

    >>23

    それな

  • 25二次元好きの匿名さん22/06/07(火) 17:54:18

    いいじゃん!

  • 26二次元好きの匿名さん22/06/07(火) 18:14:53

    現文の問題みてえだ
    整った文ってこういうことを言うんかな

  • 27二次元好きの匿名さん22/06/07(火) 22:42:35

    こんばんは
    まだスレが残っていてびっくりしました
    感想ありがとうございます
    楽しんでいただけたようで何よりです
    今夜もよい夢を

  • 28二次元好きの匿名さん22/06/07(火) 22:44:47

    次はターボばあちゃんの話書いて♡

  • 29二次元好きの匿名さん22/06/08(水) 08:56:27

    ほんとめっちゃ上手いな...

  • 30二次元好きの匿名さん22/06/08(水) 15:10:12

    で、続編のスズカVSターボババアはまだですか?

  • 31二次元好きの匿名さん22/06/08(水) 18:06:59

    >>30

    それはそれで面白そう

  • 32二次元好きの匿名さん22/06/08(水) 20:27:28

    >>28

    書きました♡


    以下【閲覧注意】です

    人によってはおそらくセンシティブな内容になっています

  • 33二次元好きの匿名さん22/06/08(水) 20:28:04

    ターボばあちゃんは町内の人気者でした。年寄りなので顔はしわだらけです。昔はつやつやとしていた青い髪も今ではややスレートな色合いに変化しています。ギザギザの歯をむき出しにして笑うとたいてい初対面の子どもに怖がられましたが、10分もすれば仲良くなっていっしょに走り回っているのが常でした。つま先から頭のてっぺんまでが段々とくたびれていく中で、その特徴的な瞳だけはエネルギーに満ち煌々と光を放っています。
    ターボばあちゃんはいつも自分の孫や町内の子どもたちに囲まれながら生活を送っていました。先ほども言ったようにたいへんな人気者です。隣にはいつも誰かがいました。また、年寄りではありますが非常な体力を持っています。時には率先して子どもたちを遊びに連れ出すこともありました。みんなでイタズラをしてそれが明るみになろうものなら、いの一番に自慢の逃げ足を披露するのです。そして、真っ先に力尽きて捕まるのでした。この短い逃走劇は町内では「逆噴射」と呼ばれています。
    ある梅雨の日の夕方のこと、雨が降っていたのでターボばあちゃんは家の中にいました。庭には煙るようにして紫陽花が咲いています。ちゃぶ台を挟んでターボばあちゃんの前に一人の女の子が座っていました。ウマ娘です。レースの才能があります。来年からトレセンに通う予定です。
    ターボばあちゃんは女の子のことをよく知っていました。おしめを替えたことも一度や二度ではありません。すくすくと成長して厳しいレースの世界に挑む女の子はターボばあちゃんの自慢の一つでした。ターボばあちゃんには自慢できることがたくさんあるのです。
    しかしながら、女の子は近ごろ浮かない様子でした。こうして訪ねてきたのも訳あってのことに違いないとターボばあちゃんは察しています。思い当たる節があるのです。女の子は速く走る才能を持っていましたが、長く走る才能には恵まれないようでした。

  • 34二次元好きの匿名さん22/06/08(水) 20:28:34

    「うまくやれるかなあ」
    ぽつりと女の子が言います。
    「また怪我しちゃったらどうしよう。みんな期待してくれてるのに……」
    小さな声で途切れ途切れに、女の子は本音を吐いていきました。それはトレセンに進学すること、レースの世界に身を投じることの、等身大の不安でした。きっと両親や親しい友人にも話していないのでしょう、思い詰めた表情の女の子は今にも泣き出しそうでした。
    ターボばあちゃんは女の子が心配でたまりませんでした。でも、今の自分に何が言えるのだろう? そんな風に悩みました。うまい言い回しなど知りません。気の利いたセリフも吐けません。どうしても力になってやりたい。レースの世界は怖いことばかりではないのだと伝えたい。しかし、そうした気持ちをまっすぐそのまま言葉に変えて女の子を諭したところで、きっと響くことはないのでしょう。励ましの言葉など、うんざりするほど耳にしたに違いないのです。
    女の子はお茶請けのみたらし団子にもほとんど手をつけず帰っていきました。ターボばあちゃんは一人ぬるくなったお茶をすすります。思い出しているのは、古い友人が起こした奇跡の物語です。あのレースの話をしようか。ターボばあちゃんは考えました。語り継がれる伝説は、今の若い人たちの耳にも届いているだろう。考え続けます。

  • 35二次元好きの匿名さん22/06/08(水) 20:29:00

    違う、とターボばあちゃんはつぶやきました。
    跳ねるように立ち上がり、バタバタと玄関に向けて駆け出します。重くなった体は昔ほど自由に動きません。しかし迷いはありませんでした。書斎で本を読んでいたじいさんに遅くなることを伝えると、ターボばあちゃんはぬかるみもものともせず家の外へと飛び出していきました。
    近く、町内で草レースが開かれます。
    ターボばあちゃんは、その競走に参加することに決めたのでした。
    まずは大会の実行委員長でもある町内会会長の家を訪ねると、ターボばあちゃんはわき上がる情熱のままに彼を説き伏せました。一度決めたら譲らないのがターボばあちゃんです。町内会会長はすぐに折れました。ターボばあちゃんの剣幕に勝てようはずもありませんでした。
    次にターボばあちゃんは、出場者の家を一軒一軒回っていきました。まず非礼を詫び、自分がレースに参加すること、そして決して手を抜かないでほしいことを伝えました。出場者のウマ娘──“娘”と呼べない年齢の者もいましたが──たちは、ターボばあちゃんの正気を疑いました。中には「もっと体を大切にして」と諌めてくる者もいましたが、ターボばあちゃんは退きませんでした。こうと決めたらやるのです。諦めないのです。
    レースへの参加を女の子に悟られないよう、箝口令を敷いてから、ターボばあちゃんはトレーニングに取り組みはじめました。早朝のウォーキングをジョギングに、ジョギングをランニングに変えていきます。昼間はかつてともにレースに挑んだじいさんの協力を得て、今の自分に発揮できるパフォーマンスの最大値を探りました。日が沈んでからは隠れてマシントレーニングに励みます。そうした日々が続きました。

  • 36二次元好きの匿名さん22/06/08(水) 20:29:44

    おおよそ考え得る限りの最高のコンディションで、ターボばあちゃんはレース当日を迎えました。当然、会場はどよめきに包まれました。口を開いて顔を青ざめ、絶句している者も少なくありません。女の子もその一人でした。
    現役時代の勝負服をイメージした、派手な色彩のジャージに身を包んで、ターボばあちゃんは堂々と立ちます。あざ笑う者もいました。それでもターボばあちゃんは、恥じる必要などないのです。
    もちろん、レースはひどい有り様でした。
    そもそもが高いレベルの催しではありませんが、それにしたって限度があるだろうと誰もが感じる程度には、ターボばあちゃんの走りは体を成していませんでした。自慢の逃げ足も、ターボばあちゃんからすれば若いウマ娘たちにとっては、取るに足らないものです。勢いよく飛び出したつもりのターボばあちゃんは、結局一度も先頭に出ることなくレースを終えました。
    一歩ずつ進んでいくごとに、胸がひどく痛みました。くらくらとめまいがして、周囲の景色が湯気のように揺らいでいきます。前に向かって倒れ込みそうになる寸前に、踏ん張って起き上がる。その繰り返し。ターボばあちゃんの走りとは、いわばそんなものでした。
    朦朧とする意識の中で、挑戦することを諦めそうになっている女の子と、古い友人のかつての姿が重なります。ターボばあちゃんの心は、宝石のような日々の中でも一段と光り輝く、キラキラとしたあの日のレースを走っていました。だから止まれません。止まれるはずがないのです。なぜなら、それが諦めないってことだ!
    ゴールラインを越えた瞬間、ターボばあちゃんは芝生の上に倒れ込みました。すぐさま担架を手に救護員が駆け付けます。観客たちも心配げにターボばあちゃんを覗き込んでいました。
    ターボばあちゃんは、かすれた視界の隅に、よく見知った顔を見つけました。おしめを替えようとしたとき、あんなにも脚をばたつかせていただろう。そう声をかけたくなりました。走りたかったんだろう。そう訊ねたくなりました。泣き顔は赤ん坊の頃から変わらない。しかし、今や女の子は自らの足で立っています。だから、駆け出さなければならないのです。
    頼りなく細い腕が持ち上げられました。ターボばあちゃんはかさかさに乾いた拳を固く握り締めます。そして、親指をまっすぐ立たせました。顔中に広がったしわが、笑ったことによってますます深くなっていました。

  • 37二次元好きの匿名さん22/06/08(水) 20:30:12

    あわや命の危機かと思われたターボばあちゃんでしたが、一週間ほど入院すれば、また家に帰れるとのことでした。容態が安定したターボばあちゃんを待ち受けていたのは、かかりつけ医師と家族と友人の説教でした。じいさんもいっしょに叱られていました。ターボばあちゃんはそのことがおかしくて笑いました。そして説教中に笑ったことでこっぴどく叱られるのでした。
    日替わりで訪れる見舞い客の中に、女の子がいました。女の子の強い決意を秘めた眼差しを見て、ターボばあちゃんは安心しました。よかった。自分のやったことは、間違っていなかったのだ。
    「約束する。最後まで走る。勝てなくても、怪我しても……ぜったい諦めない」
    女の子の宣言は、心強いものでした。
    ターボばあちゃんは、梅雨が明けたら古い友人を訪ねることに決めました。かつて諦めないことの大切さを伝えることができた、一人の才能あふれるウマ娘です。もっとも、今ではターボばあちゃんと同じで娘とは呼べません。互いに年をとりました。だからこそ話せることもあります。
    ところで、夜の病院は何かと心細くなるものです。甘いものでも食べないとやってられません。さいわい、女の子はみたらし団子を差し入れてくれました。これをこっそり食べてやろうと包みに手を伸ばしたところ、タイミング悪く看護士が巡回に訪れました。
    「喉に詰まるようなものを食べないでください」
    ささやかな楽しみはあえなく没収され、ターボばあちゃんは肩を落とします。早く家に帰りたいと思いました。あの賑やかな日々が恋しくてたまりませんでした。

  • 38二次元好きの匿名さん22/06/08(水) 20:31:52

    一説によると【ターボばあちゃん】は時速140キロメートルで走るそうなので、いかにウマ娘といえど敵わないでしょう
    マルゼンさんあたりに挑戦してもらってください
    「おばあちゃんになったツインターボ」でした

  • 39二次元好きの匿名さん22/06/08(水) 20:33:26

    >>38

    お、おう…

  • 40二次元好きの匿名さん22/06/09(木) 02:04:03

    現国の小論文読解テストの問題になりそうなくらいにきれいに整ってるいい話だ…

    ところでテイオーばあちゃんといっしょにいたずらする続編が読みたくなってまいりもうしたぞ。

  • 41二次元好きの匿名さん22/06/09(木) 02:39:32

    池袋?

  • 42二次元好きの匿名さん22/06/09(木) 08:08:02

    重ね重ねありがとうございます
    書きたいことは書けるように書いたので、後は適当に落としてください
    また何か思い付いたらスレを立てます
    さようなら。よい一日を

  • 43二次元好きの匿名さん22/06/09(木) 16:51:22

    >>42

    お疲れ様でした!

  • 44二次元好きの匿名さん22/06/10(金) 02:08:46

    ちょっと未来のトレセンの国語の教科書とか国語の現代文の読解問題で使われてそうだ…

オススメ

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