Aiを使ってウマ娘に出てくる人間を競走馬にする。

  • 1二次元好きの匿名さん22/06/09(木) 23:18:16

    ウマ娘が競走馬の擬人化であるなら「ウマ娘」にでてくる人間を擬馬化してもいいはずだ。
    というわけでスレ画の人を競走馬にする。(名前は自分で決めた)

    リコチャン
    出典:フリー百科事典『Wikipedia』
    リコチャンは日本の競走馬、繁殖牝馬。
    概要
    体毛:黒毛
    生年月日:1983年2月10日
    死亡年:2007年
    生産牧場:北海道新冠町吉田牧場
    生産者:吉田隆(日高軽種馬農業協同組合)
    馬主:金子光央
    戦績:13戦6勝
    主な勝ち鞍:小倉記念、オールカマー
    初出走日:1985年8月17日
    登録抹消日:1988年1月27日
    父:クオータースロー、(ヘイルトゥリーズン系)
    母:レディアンナ
    母父:シンザン

  • 222/06/09(木) 23:18:49

    幼駒時代
    吉田牧場で生まれる。父のクオータースローは吉田牧場が育成した馬で現役時代の戦績は20戦4勝とあまり良い成績ではなかった。それでも繁殖入りしてから産駒が八大競走を計3勝するなど成績は期待値より高いものであった。母のレディアンナは三冠馬のシンザンの血を引いており自身の競走成績も決して悪くなく通算32戦12勝、二着9回三着7回、重賞6勝の好成績であった。
    リコチャンの幼駒時代は当時の牧場長によると「本当に良く走りますよ」という評価であった。その後セリで金子光央氏に1400万で競り落とされる。リコチャンという馬名の由来は「(自分の娘のように)薔薇色の人生を送って欲しいから」であると言われている。
    その後佐藤嘉秋厩舎に預けられデビューする。

  • 322/06/09(木) 23:19:20

    3歳
    1985年8月15日の新馬戦でデビューする。新馬戦は不良馬場ながら3着に敗れる。このレースの2週間後に骨折が判明し年内休養する。
    4歳
    1月の4歳未勝利戦で復帰。ここを勝利すると条件戦を立て続けに勝利し3か月後にオープン戦に勝ちオープン馬入り。オークスには間に合わず次走を白百合ステークスにするプランがあったがオーナーの反対と脚部不安を発症した為出走を断念。その後治療が続けられ秋には帰厩しクイーンステークスに出走。5着と好走する。次走はエリザベス女王杯を予定していたがその直前に右前脚の故障が発生しまたしても離脱。
    5歳
    復帰は2月のオープン戦。オープン戦ここでは3着に敗れるも次走のオープン戦は勝利。その後阪神牝馬ステークスへ出走。3番手追走策で直線では先に抜け出したが最後の直線で差し返され2着に敗れた。次走は目黒記念を予定していたがまたしても故障が発生し夏まで休養となる。
    復帰戦は七夕賞。ここではスタートしてすぐに落馬し競走中止となった。その次は小倉記念が選ばれた。小倉記念では先行策をとり最終直線で抜け出し勝利した。その後オールカマーへと出走。ここでも逃げ切り勝利した。天皇賞秋への出走も検討されたが、疲れが見られた為回避となり有馬記念へ向かうこととなった。しかし投票数が足りず有馬記念は除外となった。

  • 422/06/09(木) 23:19:59

    6歳・7歳
    日経新春杯からスタートする予定だったが直前になって脚部不安が発覚。長期休養となった。さらに長期休養明けの調教で脚部不安再発が確認された。治療等がされたが結局復帰を断念。1988年1月27日に登録が抹消され繁殖入りとなった。

  • 522/06/09(木) 23:21:32

    繁殖入り後
    競走馬としては体質の弱さに悩まされ振るわなかったものの、繁殖では初年度から立て続けにGⅠ馬を出し最終的に10頭のGⅠ馬を育て上げた。
    特に、晩年に海外GⅠ馬や牝馬3冠馬をあまり期待されていない種牡馬から生み出しているのが大きな特徴である。
    牧場主によればリコチャンの仔馬への接し方は「まるで鬼軍曹のようであった」という。ゆえに彼女の産駒の能力は母系の良さもあってか極めて高い。ただし反面、競争相手の質が落ちると戦績が落ちやすい傾向もあった。
    また気性難だった産駒も多い一方で甘えたがりな性格のものも多く、「親離れができなかったりもした」という面も見られる。
    2006年で繫殖牝馬を引退。2007年には乳癌で死亡した(享年24歳)。

  • 6二次元好きの匿名さん22/06/09(木) 23:22:00

    名牝が過ぎるだろ…

  • 722/06/09(木) 23:22:16

    産駒(生年、馬名、父、主な勝ち鞍)
    1989年:イデナアイズ(父:メジロティターン)(主な勝ち鞍:朝日杯3歳S)
    1990年:タチマチコール(父:マルゼンスキー)(主な勝ち鞍:マイルCS)
    1991年:フジノタイヨウ(父:サクラユタカオー)(主な勝鞍:桜花賞)
    1992年:スクーグタイム(父:ミスターシービー)(主な勝ち鞍:皐月賞、菊花賞)
    1993年:シロウサニングミ(父:トウショウボーイ)(主な勝ち鞍:日本ダービー)
    1994年:不受胎(サンデーサイレンス)
    1995年:不受胎(サンデーサイレンス)
    1996年:産後死亡(父:サンデーサイレンス)
    1997年:デビュー前に死亡(父:フジキセキ)
    1998年:産後死亡(父:ナリタブライアン)
    1999年:アヅマテンキュウ(父:サクラバクシンオー)
    2000年:アカネホマレ(父:タマモクロス)(主な勝ち鞍:毎日王冠、札幌記念)
    2001年:ケイアイマックス(父;アドマイヤベガ)
    2002年:ニホンピロサート(父:グラスワンダー)(主な勝ち鞍:天皇賞春、宝塚記念)
    2003年:サンフラワーラバー(父:ステイゴールド)(主な勝ち鞍:牝馬三冠、有馬記念、エリザベス女王杯、ジャパンカップ、マイルチャンピオンシップ、フェブラリーステークス、阪神ジュベナイルフィリーズ)
    2004年:コスモシルバー(父:オグリキャップ)(主な勝ち鞍:安田記念)
    2005年:オギルビー(父:シンボリルドルフ)(主な勝ち鞍:日本ダービー、ドバイワールドC、香港カップ)
    2006年:レディアルバローザ(父:テイエムオペラオー)(主な勝ち鞍:桜花賞、エリザベス女王杯)

  • 8二次元好きの匿名さん22/06/09(木) 23:23:37

    サンデーサイレンスとそれ系統に抵抗してんのか()
    ステゴが成功してるけど

  • 922/06/09(木) 23:25:37

    エピソード・特徴
    ・非常に体質が弱く初仔の出産時は死にかけだった。
    ・気性は荒かったが牧場スタッフと調教師には人なつこく、よくくっついていた。
    ・仔馬への接し方が厳しいことで知られたが馬房内だと一転して穏やかな様子になることも多かった。
    ・厳しい性格にもかかわらず、彼女の子供がなかなか親離れしなかったのは「厳しいだけでなく、愛情表現で優しくしたり、撫でたりしていたからだと言われている。」(出典不明)。
    ・馬主からの愛は深かったらしく、亡くなる間際はいつも一緒にいる姿が目撃されている他、他のスタッフが傍に寄るのすら嫌がっていたとも言われている。
    ・体格は小柄。馬格がなかったせいなのか、筋肉はあまり付いていなかったらしい。
    ・走る時の足取りは不気味で重苦しそうであり、常に全力で走っているような印象を受ける。そして実際かなりのスピードの持ち主だった。
    ・彼女は体質が弱かったが彼女の子供にその特性は遺伝しなかった。
    ・後年の分析では交配相手の能力を引き出せるタイプであり、それゆえ突然変異的な強さをある程度引き継いだ子が生まれたと考察されている。
    ・自分の子供を放牧地内で追いかけ回して遊んだりして育てていた。

  • 1022/06/09(木) 23:31:55

    割とステイゴールドはヘイルトゥリーズンとの奇跡の血量が発生するし、虚弱体質を補えそうだし、何より体格が小さいから負担も少ないと理にかなった配合ではある。

  • 1122/06/09(木) 23:34:46

    次はこの人。
    アンシンササミ
    出典:フリー百科事典『Wikipedia』
    アンシンササミは日本の競走馬・繫殖牝馬。
    概要
    生年月日:2002年4月12日
    毛色:鹿毛
    生産者:キャロット牧場
    馬主:中村勝彦
    父:サンデーサイレンス
    母:ハッピーエンド
    母父:ノーザンテースト
    主な勝ち鞍:桜花賞、秋華賞、高松宮記念
    初出走:2005年7月30日
    登録抹消:2007年11月14日
    主戦騎手:武豊 →岩田康誠
    調教師:角居勝彦

  • 1222/06/09(木) 23:35:19

    幼駒時代
    キャロット牧場で生まれる。幼駒時代の評判は良くセリでは2300万円で中村勝彦氏に落札された。その後角居勝彦厩舎に預けられデビューする。
    2歳
    7月30日の新馬戦でデビューする。道中後方から差し切るというレースでレコード勝利をした。その後札幌2歳Sに出走。これもレコードで勝利をする。この戦績により一躍来年度のクラシック戦線の主役とささやかれるようになる。そしてデイリー杯2歳Sに出走。ここでも圧倒的一番人気を背負いレコードの勝利を飾った。そして年末の朝日杯フューチュリティSに出走。ここまでの走りから圧倒的1番人気となる。しかし直線に入るあたりでずるずると後退し13着に沈んだ。
    3歳
    クイーンCからスタート。先行抜け出しの楽勝で勝利し桜花賞に備える。桜花賞では朝日杯の大敗もあったが単勝1.8倍人気におされる。レースではハナを切り逃げ切りに成功。しかしオークスでは直線で不利を受け8着に敗れた。なお放牧中に主戦騎手が武豊から岩田康誠に代わるがこの理由は不明のままである。放牧後、調教での不振が続き秋の始動が遅れることになり秋華賞に直行することになってしまった。直行したことと追い切りの不調もあって単勝人気は12番人気であったがレースでは好騎乗もあり3馬身差で快勝した。その後エリザベス女王杯に出走。またしても圧倒的な一番人気に支持される結果となったものの、6着に敗れている。暮れのレースは阪神カップを選択。鞍上は岩田に戻ったため連勝街道まっしぐらかと思われたのだが5着と敗れることになる。

  • 1322/06/09(木) 23:35:49

    4歳
    今年から新設されたヴィクトリアマイルをめざし京都牝馬Sに出走。ここを勝利しヴィクトリアマイルへの権利を勝ち取る。しかし本番のヴィクトリアマイルでは6着に敗れる。ここで岩田より本馬について「1600メートルの距離が長いかもしれない」と言う旨の発言があり以後スプリント路線へ進む。CBC賞では道中圧倒的な強さをみせたが10着に終わった。しかし強さを信じ北九州記念に出走。ここでは終始先頭に立ったまま逃げきって勝利した。そしてスプリンターズSに出走。しかしここでは逃げたが最終直線で捕まり11着に敗れた。その後放牧を挟み阪神Cに出走。ここでも9着と敗れた。
    5歳
    シルクロードSよりスタート。直線に入るとすぐに先頭に立つも後続に交わされ5着となった。「早熟馬」というレッテルがはられ全く期待されていない状態で高松宮記念に出走。しかしここでは好位から抜け出し見事優勝した。その後京王杯SCに出走。後方からスタートするも最後の直線で抜け出して見事に勝利する。その後秋のスプリンターズSを目指し調整が続けられたが屈腱炎を発症、治療が続けられるが引退。

  • 1422/06/09(木) 23:37:48

    繫殖入り後
    2008年より繁殖入り。
    重賞馬をコンスタントに産み馬産関係者からの評価は高かった。
    2015年4月26日に心不全で死亡(享年13歳)。

    産駒
    2009年:プリティリーグ(父:ジャングルポケット)(主な勝ち鞍:スプリングS、中京記念)
    2010年:ラクモ(父:サクラバクシンオー)(主な勝ち鞍:新潟記念、札幌2歳ステークス、中山記念)
    2011年:ラブジェット(父:クロフネ)(主な勝ち鞍:毎日王冠)
    2012年:ダイワワイルド(父:キンシャサノキセキ)
    2013年:モカチェリー(父:キングカメハメハ)(主な勝ち鞍:関屋記念、アイビスサマーダッシュ、セントウルステークス)
    2014年:アユサン(父:グラスワンダー)
    2015年:ラブオンザブレイク(父:ロードカナロア)(主な勝ち鞍:牡馬三冠、天皇賞春、宝塚記念、ジャパンカップ,香港C、ドバイシーマC、コックスプレート)

  • 1522/06/09(木) 23:38:30

    競走馬としての特徴
    ・脚質は逃げか先行。
    ・気性は激しい。またレースによっては極端にペースを落としたり、スローペースで進む場合がある。
    ・岩田康誠は「自分の思ったような競馬をさせてもらえたことがないですね。乗っていて怖いという印象しかないくらいです。」とコメントしている。
    ・3歳まではマイル戦で戦えたが古馬になると短距離しか戦えなくなった。この原因は筋肉がつきすぎたことにあったようである。

    その他特徴・エピソード
    ・パドックでの動きが悪いと好走し抜群だと凡走する傾向にあった。
    ・性格は気分屋のところがあり機嫌が悪くなると騎手に対して怒鳴ることもあった。だが調教師などスタッフには比較的穏やかに接していた。
    ・自分の子供への接し方は優しかった。牧場関係者によると「子馬には人気だった」とのこと。
    ・勝つときは圧倒的な内容で勝つが負けるときはとんでもない負け方をするのでファンからは「不思議ちゃん」「冠名のアンシンは死んだのか?」などと言われていた。

  • 16二次元好きの匿名さん22/06/09(木) 23:40:34

    馬になってもレース結果すら運ゲーなのか草

  • 17二次元好きの匿名さん22/06/09(木) 23:41:53

    >>15

    〉〉「冠名のアンシンは死んだのか?」


    キレッキレで草

  • 1822/06/09(木) 23:46:14

    実は血統的にはフサイチパンドラと似ていたりする。

  • 19二次元好きの匿名さん22/06/09(木) 23:51:59

    理子ちゃん→名牝だが、身体が弱い
    安心沢→実力はあるがレース結果が不安定で運ゲー

    今んとこどっちも合っててAIって凄いな

  • 2022/06/10(金) 01:17:02

    北原

    キタハラジョー
    出典:フリー百科事典『Wikipedia』
    キタハラジョーは日本の競走馬。笠松競馬場所属だった。
    概要
    生年月日:2000年3月25日
    馬主:金成隆二
    調教師:加藤幸保
    父:メジロパーマー
    母:トウカナシカラ
    母父:サクラチヨノオー
    初出走:2002年10月8日
    登録抹消:2013年11月27日
    概要
    金成隆二氏が懇意にしていた牧場より購入。加藤幸保厩舎に預けられデビューする。2002年10月8日の新馬戦でデビューする。新馬戦は4着であった。
    しかしレース内容は決して悪くなく、その後12月に初勝利を挙げた。
    その後連戦を続けるがオープンクラスにはなかなか上がれず、オープンクラスへ昇格したのはデビューから実に5年目の2007年の秋であった。
    初重賞は2008年の名古屋競馬場で行われたマイル争覇(SPⅡ)。敗れたものの2着だった。重賞初制覇は2009年の東海菊花賞(SPⅠ)であった。2009年以降より地方交流重賞にも出走するようになる。地方交流重賞での最高着順は7着(名古屋グランプリ)。
    2013年11月をもって競走生活を引退。本馬は馬主の意向でプライベート種牡馬になる。通算勝利数は35勝。内重賞勝利数は4、重賞連帯数は15。
    2014年よりプライベート種牡馬として金成氏やその知人の所有繁殖牝馬への種付けを行う。
    2022年までの総種付け数は32頭であった。
    なお数が少ないながらも産駒の成績は良かった。

  • 2122/06/10(金) 01:17:13

    著名な産駒
    地方
    ・ナリノブコガネ(主な勝ち鞍:船橋記念、笠松グランプリ)
    ・フジコー(主な勝ち鞍:マーキュリーカップ、全日本2歳優駿)
    ・ヒカルコウアンジュ(主な勝ち鞍:佐賀記念)
    ・カネトシキ(主な勝ち鞍:兵庫ダービー)
    ・カワジヤキ(主な勝ち鞍:東京大賞典、帝王賞、かしわ記念)
    中央
    ・カブラヤタカツ(主な勝ち鞍:帝王賞、武蔵野S)
    エピソード
    ・あまり容姿が良くなかった。
    ・レースではゴール前で競り合いになると負けていたことが多かった。
    ・勝ったかと思うとすぐに負けたりすることもしばしばあったため、ついたあだ名が弱冠。
    ・騎手との関係構築は上手くいっており、初騎乗の騎手ともよい連携を見せた。

  • 22二次元好きの匿名さん22/06/10(金) 05:00:19

    北原が馬になってて芝生えますよ

  • 23二次元好きの匿名さん22/06/10(金) 05:04:38

    北原現役長くね…?

  • 24二次元好きの匿名さん22/06/10(金) 05:07:30

    競走馬は牡いるし…
    てかアンシンササミ3つの距離のG1勝ってるとかえげつないの

  • 25二次元好きの匿名さん22/06/10(金) 13:30:17

    >>27

    地方では割りとよくあること。

  • 26二次元好きの匿名さん22/06/10(金) 20:38:28

    そこはキタハラジョーンズじゃないのか…

  • 27122/06/11(土) 03:44:55

    >>26

    作ってる途中で思い出しました。

  • 28122/06/11(土) 03:48:28

    奈瀬トレーナー
    ナセフミノ
    出典:フリー百科事典『Wikipedia』
    ナセフミノは日本の競走馬・繫殖牝馬。
    概要
    毛色:青鹿毛
    生年月日:1990年4月7日
    性別:牝
    父:トウショウボーイ
    母:ナセワカナ
    母父:ニジンスキー
    生産牧場:牧原牧場
    馬主:坂井千晴
    調教師:池江泰郎
    主戦騎手:的場均
    初出走:1992年6月21日
    登録抹消:1998年3月20日
    主な勝ち鞍:牝馬三冠、有馬記念、天皇賞(春)、天皇賞(秋)、ジャパンカップ、BCターフ、BCクラシック、愛チャンピオンS。

  • 29122/06/11(土) 03:48:57

    幼駒時代
    牧原牧場で生まれ育つ。「天馬」とも称された父親のトウショウボーイと英国三冠馬のニジンスキーの血を受け継いだ子として早いうちから注目を浴びていた。牧場長によれば「気性が荒かったが、闘争心が強く、走らせたらどんな走りを見せるかわからない素質馬だった」との事で、「サラブレッドの中のサラブレッド」と評していたほどであった。セリでは高く評価され坂井千晴氏に2億8000万円で落札された。その後池江泰郎厩舎に預けられデビューする。
    2歳
    1992年6月21日の新馬戦でデビューする。道中後方から外を回りつつ追い込み最後の直線で前を捉え先頭に立って勝った。その後札幌3歳Sに出走するが2着に敗れる。その後函館3歳Sではレコード勝ちを収める。その後はデイリー杯3歳Sに出走。ここでは武豊騎乗でビワハヤヒデを下し勝利を挙げる。続く阪神3歳牝馬Sでは直線で先頭に立ちそのまま逃げ切り圧勝した。

  • 30122/06/11(土) 03:49:44

    3歳
    フラワーカップより始動する。フラワーカップでは単勝オッズが1.0倍という圧倒的な支持を受け優勝した。そして本番の桜花賞では2枠2番の絶好の位置でレースに臨む事ができたナセフミノだが、スタートダッシュに失敗しつつも直線抜け出し、他の馬を全く寄せ付けず完勝。続くオークスでも終始先手を取る展開になり快勝した。その後放牧となる。秋の始動はサファイアSからとなる。ここでは惜しくも3着に敗れてしまう。しかしエリザベス女王杯では先行し逃げる展開となるが最終直線でのホクトベガとの競り合いを制し勝利。牝馬三冠を達成した。
    その後有馬記念に出走する。このレースでは大外から強襲を仕掛けるも10着に沈んだ。
    4歳
    馬主の意向で天皇賞(春)を目指すことになる。スタートは阪神大賞典となった。阪神大賞典では武豊の積極的な騎乗もあり逃げて逃げまくり勝利する。そして天皇賞春では的場均騎手に鞍上を戻し出走。牝馬ということもあり9番人気にとどまったが見事勝利した。しかしその後、調教中に怪我を負い年内休養を余儀なくされる。

  • 31122/06/11(土) 03:50:36

    5歳
    天皇賞春を再び目標とする。再び阪神大賞典に出走。休養明けだったがナリタブライアンを圧倒し勝利。続いて天皇賞(春)に出走した。ここで騎手が的場均から武豊に乗り代わりとなる。しかしこの馬が勝つイメージはなかったのか8番人気。しかも大外からの発走であった。そしてスタートするといきなりの先頭に立ったのだが、すぐに馬群に包まれてしまった。その直後、後ろ脚がすべったような感覚があり転倒しかけてしまう。結果13着と敗れてしまった。その後鞍上武豊のまま宝塚記念に出走。ここでは最終直線で斜行し1着入線となるも降着となった。
    秋の始動は京都大賞典からとなった。道中中団に位置したが、勝負どころで外にヨレてしまい12着敗退に終わった。この敗北により「気性難」の噂が立ち始める。しかし天皇賞では見事に復活を遂げる。大外でのレースになるものの好位につける展開となる。直線に入る前に抜け出し先頭に立つと、そのまま突き抜けていきゴールまで持たれることなく楽勝。続くジャパンカップでは圧倒的人気ながら惨敗し「もう終わっている」「引退か」などというネガティブな声もあったが、その後の有馬記念にて後続に5馬身差をつけて圧勝した。

  • 32122/06/11(土) 03:51:09

    6歳
    再び天皇賞春を目指し阪神大賞典へ。一番人気に推されるが的場騎手が落馬するアクシデントがあり競走中止となる。的場騎手が故障した影響で天皇賞春は柴田善臣に乗り代わりとなった。天皇賞春ではスタート直後にバランスを崩すがそれを立て直し先頭に出ることに成功。そのまま他を寄せ付ける事無く勝利を挙げた。続く宝塚記念では3着に敗れる。ここで馬主は凱旋門賞への挑戦を発表。海外遠征が決まる。前哨戦には愛チャンピオンSとなる。愛チャンピオンSでは圧倒的な人気を集めて出走。道中では4番手辺りを走るが、残り200メートル付近から一気にスピードを上げ差し切り勝ち切った。これが日本調教馬初の海外GⅠ制覇となる。凱旋門賞制覇に期待が寄せられたが凱旋門賞では11着に終わった。ここで馬主は驚きのプランを実行する。それはブリーダーズカップに出走することだった。馬主はBCクラシックを選択。BCクラシックでは初のダート挑戦や輸送の疲れから単勝人気は9番人気だった。しかし、レースでは終始後方追走となりながらも直線外から伸びてきた際に追い出すと瞬く間に加速し、最後には豪快に抜け出し2馬身半差をつけ快勝。アメリカデビューを圧勝してみせた。
    そして年末の有馬記念では圧倒的な支持を受けた。レースでは序盤こそ外々から位置取りを下げていたが徐々に押し上げると最後の直線でインから鮮やかに差しきり勝利を手にする。

  • 33122/06/11(土) 03:52:12

    7歳
    凱旋門賞制覇を目指し阪神大賞典からスタート。単勝1番人気に推されるがスタート直後に落馬し競走中止となる。その後天皇賞春では3着に敗れる。続く宝塚記念でも2着に敗れてしまう。それでも凱旋門賞制覇を目指し渡欧。スタートは今度はフォア賞からに。フォア賞では単勝1.4倍の圧倒的な支持を受けてのレースだった。スタート後ハナを奪い逃げきる事に成功。そして直線に向き仕掛けにかかるも伸びあぐね4着に敗れた。
    凱旋門賞も去年より順位を上げたものの結局7着に敗れる。ここでまたしても馬主はブリーダーズカップへの出走を表明。今度はBCターフが選ばれた。BCターフでは最終直線で追い込み勝利した。そしてジャパンカップへ。ここではピルサドスキーが本馬とエアグルーヴを見て興奮してしまうも特に動揺せず好位から差し切り優勝を果たした。有馬記念への出走は回避。
    8歳
    今年を引退年として阪神大賞典へむけて調整していたが、調整中に骨折してしまい現役引退となった。繫殖にまわるのは来年からとなった。

  • 34122/06/11(土) 03:54:47

    繁殖入り後
    1999年より繁殖入り。初年度の種付け相手はオサイチジョージである。
    2000年に種付けしたスーパークリークとの子供であるトップオブシンセイはニジンスキーの3×2と濃いインブリードであったが成功し海外を含むGⅠを8勝する活躍を上げた。
    2002年に仔馬を出産後、本馬はなぜか乳が分泌されなくなり繁殖を引退することになってしまった。その後は功労馬として余生をすごし2010年8月18日に内蔵腫瘍により死亡。
    産駒
    2000年:サセノコ(父:オサイチジョージ)
    2001年:トップオブシンセイ(父:スーパークリーク)(主な勝ち鞍:ドバイシーマクラシック、香港ヴァーズ、メルボルンカップ、キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス、ドバイワールドカップ、高松宮記念、安田記念)
    2002年:ヒトツキ(父:タマモクロス)
    牝馬三冠馬にも関わらずサンデーサイレンスのような大種牡馬との交配がおこなわれずいわゆる失敗種牡馬との交配が行われた理由は馬主の意向であり、また濃いインブリードが発生するにも関わらずスーパークリークとの種付けが行われたのは武豊の話に馬主がヒントを得たからだと言われている。
    (※オサイチジョージは1998年ごろに用途変更になっていますがこの世界では1999年まで種牡馬をしています。)

  • 35122/06/11(土) 03:55:19

    競走馬としての特徴
    ・脚質は自在。自在脚質であった理由はその気性から。
    ・性格は生真面目で頑固。非常に頭が良いとされる。気性は粗く、プライドが高いが賢くて社交的で騎手によくなつくという、まるで人間のような特徴があった。
    ・頭が良いためレースの仕掛け所、勝負所をしっかり把握していたようである。またレースの状況、他の馬の様子、自分の調子から戦法を臨機応変に変化させることが出来た。
    ・臨機応変に対応できる反面、騎手と考えが合わないとすぐに腹を立てて暴走しかけたりした事もあった。いくつかの敗北、落馬はこれが一因ではないかという説があるが、これについてはまだはっきりした答えは出ていない。
    ・的場均騎手は「あれは気性の荒さではない。負けても怒らないし我慢強い。でも馬が負けたりして落ち込んでいるとそれを敏感に察知すると荒れてくる。それが本当の意味での気性の激しさなのだ。つまり、あの馬にとって一番の問題点はその点。それは鞍上の人間がコントロールしていかなければならないと思うよ。僕にもう少し力があれば……、申し訳ない気持ちしかないね、あんな馬を預けていただいているのだから。それにこの仕事をやっていればこんなことも当然起こりえるし……。」と本馬についてコメントしている。
    ・よく代役をしていた武豊騎手は「馬自体は凄い能力の持ち主だと思う。ただ、乗り手に要求することは非常に多く乗っていてとても難しい。それだけは確かです。しかし本当に頭がいいですよ。自分が走るレースの勝ち方っていうものをよく分かっていますからね。」とコメントした。
    ・調教師の池江泰郎は「素質はあるんですけどねえ。性格は大人しいです。ちょっと頑固かも。口で言うよりも耳の方が信頼できるかもしれないですね。まあとにかく気難しさを直すことが第一かな。繊細です。少しでも機嫌が傾いたら走ってくれないかもしれません。」とコメントしている。

  • 36122/06/11(土) 03:55:46

    その他エピソード・特徴
    ・好きなものはケーキ。嫌いな食べ物はニンジン。
    ・ファンからの人気は圧倒的に高いが、アンチも多い。牝馬でありながら女性人気は異様に高い。
    ・武豊自身はベガに騎乗していた際この馬に勝つことが出来ず内心悔しがっていた。
    ・馬主の坂井千晴氏が天皇賞春にこだわった理由は「強い馬がたくさん出てくるから」(『優駿』2011.10.2)。また大金がかかるにもかかわらず海外遠征、ブリーダーズカップへの出走を行った理由は「最強馬を作るため」(同上)。なお坂井千晴氏の本業は運送会社の社長とのことなので、資金的にかなり潤沢だったことが考えられる。エルコンドルパサーが凱旋門賞出走後、馬主に本馬のようにブリーダーズカップへ挑戦しないのかという質問に対し「登録料が壁」と答えている。

  • 37二次元好きの匿名さん22/06/11(土) 04:07:17

    ナセフミノ戦績がしっかり無法で春天得意なの笑う

    ちゃんとライスシャワーの春天2回目(?)で的場が外れるのAI賢いな……

  • 38二次元好きの匿名さん22/06/11(土) 15:31:23

    2×3を許容できるのはエネイブルのおかげ。

  • 39二次元好きの匿名さん22/06/11(土) 15:36:25

    なんかバケモンみたいな勝ち鞍が

  • 40二次元好きの匿名さん22/06/11(土) 15:42:03

    サンフラワーラバー対ナセフミノとかいう最強牝馬議論
    後にアイちゃんの参加でさらに激化する模様

  • 41二次元好きの匿名さん22/06/11(土) 15:44:44

    レディアルバローザ乗っ取られてて草

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