トレーナーさん、壁ドンしてくださいませんか？

1◆y6O8WzjYAE22/06/24(金) 00:48:09

「トレーナーさん、壁ドンしてくださいませんか？」
「壁ドン？」
「はい、壁ドンです♪」

　壁ドン……集合住宅などで隣人からの騒音などに壁をドン！と叩き抗議する意味。
　ではなくアルダンが言っている壁ドンは恋愛漫画やドラマなどで見られる、ヒロインの女性を壁に追い詰め手をついて逃げ道を塞ぐ行為の方だろう。
　訝しげな目線を向けているとアルダンが何故そのような事を思い至ったかの説明をし始めた。

「先日読んでいる漫画に出てきまして。トレーナーさんにしていただけたらどんな気持ちになるのか気になったもので」

　まあ、そんな理由だろうとは思っていた。特にアルダンは好奇心旺盛だし、興味があるならば勇んで飛び込んでいくだろう。
　……別にやる事自体に抵抗はない。ただ今の状況だとアルダンの所望している展開にはならないだろう。

「アルダン。壁ドンってヒロインの子……この場合だとアルダンになる訳だけど。その子が身構えてたら成立しないよね？」
「確かにそうですが……」

　そう。壁ドンが胸がときめくシチュエーションとして知られているのはその行為自体ではない。ヒーローの男性に急に距離を詰められる、いつもは頼りなさげなのに急に強気になってくるなど。不意打ちや意外性が強く作用している。
　その為壁ドンを逆に強要されている今では……効果はかなり薄れてしまうだろう。

「だから今は出来ないかな、アルダンには申し訳ないけど」
「……そうですね。無理を言って申し訳ありません」

　少し残念そうにアルダンが微笑む。
　その表情を見てどうやら上手くいきそうだな、と内心安堵する。そう……“今”は出来ない。

2◆y6O8WzjYAE22/06/24(金) 00:48:31

「では、私はそろそろ失礼しますね」
「ああ」

　下校時刻も近づいて来て、アルダンが少し早めに帰宅の準備を始める。
　……さて、仕掛けるならそろそろだろう。
　アルダンは先程の会話で俺が壁ドンをしてくれない、と勘違いしているのだと思う。ただこちらとしてはアルダンの“今”一番したい事は可能な限りさせてあげたい。
　なので壁ドン自体は当然やる気ではあったのだが、先程会話した通りされる側が意識してない状態でないと壁ドンは効果が薄れてしまう。その為、敢えてあの時すぐには応じなかった。
　しかし今ならばアルダンも壁ドンの事など意識から外れているだろう。見送る振りをしてトレーナー室を出るアルダンの後ろをついていく。そしてトレーナー室から出る為に扉に手を掛けた瞬間、後ろから抱き着くような要領で扉に肘をつく。

「アルダン」
「っ！」

　ぴくりと。アルダンの肩が跳ねる。どうやら上手くいったようだ。ただ壁ドンは逃げ道を塞いだだけでは意味がない。そのまま顔のすぐ下にある耳元でそっと。

「────。」

　五文字の言葉を囁く。

3◆y6O8WzjYAE22/06/24(金) 00:48:45

「ご期待には添えたかな？」

　拘束から解放するように数歩下がりつつ尋ね、アルダンから離れる。数秒の沈黙の後、アルダンが俯きがちにこちらを振り向く。
　少しやり過ぎたかな？と心配していると肩に両手を乗せられ弾みをつけてとんっ、と。

「お返しです♪」

　思わず呆気に取られているうちに頬を桜色に染めたアルダンがトレーナー室を去っていく。

「……参ったな」

　口元に手を添え呟く。
　少々壁ドンの度が過ぎた事へのお返しなのか。先の言葉への返事なのか。どちらの意味なのかはアルダンのみぞ知るが。
　不意打ちのお返しが響いたのは、確かだった。

4◆y6O8WzjYAE22/06/24(金) 00:49:00