【SS】夏の雨は

  • 1二次元好きの匿名さん22/07/09(土) 22:19:55

    ジメジメとした寝苦しさを覚えて目を覚ました。
    ソファから身を起こすと、スプリングとともに身体もギシリと軋む。

    やはり昼寝などするべきじゃなかった。
    窓の外は枯れ黄色の曇り空。そして、絶え間なくガラスを叩く雨の音。
    眠りに落ちる少し前に干した洗濯物の存在を思い出して、トレーナーは肩を落とした。

    このまま放っておいて二度寝にしゃれ込みたい気分だったが、ベランダの前を道行く人からだらしがない奴と思われるのは気が引ける。
    いや、既にだらしがないというのは覆しようもない事実なのだが───今をときめく二冠ウマ娘のトレーナーであるという自負が、彼の鉛のように重い身体を動かした。


    エアコンを除湿に設定すると、意を決してベランダの窓を開ける。
    大きくなった雨音とともにうだるような湿気が部屋に流れ込んできた。

    洗濯機の努力が無駄になった証をビニール袋に放り込み、部屋に戻ろうとすると、ふと道路に立ち尽くす人影が視界に映った。
    3階からでもはっきり見える、見慣れた鹿毛にトレセンの制服。
    どうやら出てくるのを待っていたらしい。目が合うと、彼女は軽くこちらに手を振った。

    「シービー」

    聞こえるはずのない声量で呟いたのに、ミスターシービー───彼女はそれに応えて頷いたように見えた。

  • 2二次元好きの匿名さん22/07/09(土) 22:23:15

    トレーナーは袋の中身を洗濯機に突っ込んで、そのまま出かける準備を始める。
    玄関から浴室までの道にタオルを敷き詰め、部屋の隅の段ボール箱から炭酸飲料の缶を何本か取り出して冷蔵庫に放り込む。
    服は着替えたが傘は持って行かない。自分と彼女の間には必要なかったし、何しろ夏の雨はぬるい。今日みたいな日は風邪を引く心配もなかったからだ。



    寮を出て自分の部屋の真下へ行くと、シービーは相変わらず立ち尽くしていた。
    長い髪から滴り落ちた雫が、雨に紛れてローファーの足元を濡らしていく。
    まるで映画のワンシーン。彼女の行動はいつだって画になる。

    「何してるんだ」
    「さんぽ」
    「だろうな」
    「いい雨だね。まるでシャワーみたいでさ」
    「シャワーにしては中途半端だろう」

    それもそうだ、とシービーは笑う。

  • 3二次元好きの匿名さん22/07/09(土) 22:23:58

    「で、本当は何しに来たんだ?」
    「キミの顔が見たかっただけだよ。走れなくて暇なんだ」

    トレーナーは彼女の足元に視線を移した。
    秋には間に合うはず。だが、19年ぶりの栄誉に水を差したあの日のトラブルが、彼の脳裏に鮮明に蘇った。

    「すまない」
    「なんで謝るのさ……ねえ、ミスター・トレーナー」
    「なんだ」
    「キミはいつも自分を責めるよね。それはどうして」
    「だいたいは俺が悪いからだ」
    「じゃあ、レースで負けても自分のせいだって思ってる?」
    「思ってるよ」
    「アタシがうっかり釘を踏んで怪我したのも?」
    「監督不行届だ」

    いつだったか、初めてレースに敗北したときから時々行われるようになったやり取り。

    トレーナーは誰よりも不器用だ。
    何かあると決まって自分のせいだと言い張り、それきり口を噤む。
    釈明も必要以上の謝罪もすることなく、ただ罪を背負い込むだけ。

  • 4二次元好きの匿名さん22/07/09(土) 22:24:46

    「でもそれ、直す気はないよね。いつになってもアタシの家には来てくれないし、こんな日に遊びに行っても追い返すし」
    「職掌範囲外だからな」
    「仕事の範囲ならいつでも一緒にいてくれるってこと?」
    「そうは言ってない」

    シービーはトレーナーのそんな一面が大嫌いだった。
    何故余計なものまで背負おうとするのか。
    どうしてもっと自由に生きられないのか。

    自分が自由に囚われているのなら、きっと彼は不自由に囚われているのだ。


    「ねえ、ミスター・トレーナー」
    「なんだ」
    「アタシはキミが好きだよ。今まで会った誰よりも」

    シービーは、事も無げにそう言った。
    まるで朝の挨拶のように口から出た言葉は、二人の間を降り注ぐ雨の中に消えていく。

    風邪を引かせるにはあまりにも温かい。
    慈雨と呼ぶにはあまりにも激しい。


    夏の雨は、ぬるい。

  • 5二次元好きの匿名さん22/07/09(土) 22:25:35

    「菊花賞、展望はある?」
    「道中はウマなりで直線でごぼう抜き。距離は根性でなんとかする」
    「相変わらずワンパターンだね」
    「じゃあ逃げてもいいぞ」
    「逃げは考えてないけど……誰もやらなかったことをしたいな。最後の一冠くらいは」

    「三冠かかったレースくらい、まともに走れないのか?」
    「アタシはいつだってそうありたいと思ってるよ。でも、この脚が言うことを聞かないんだ」
    「つくづく不思議だな、ウマ娘って」

    俗に言うウマソウル、"CB"の名に刻まれた運命。
    彼女が自由を好むのも、あるいは三冠ウマ娘に手を届かせようとしていることすら───もしかしたらその運命によるものなのかもしれない。

    「そろそろ雨も上がりそうだね」
    「もう帰るのか?」
    「何もなければね」

    彼女の指先が示す遠い空には、分厚い雲の切れ間から覗く夕陽が燦然と輝いていた。
    もうすぐ雨は止む。雨が止めば、ふたりは別れる。

    「シービー、よかったらそうめんでも食べてかないか」
    「いいね、こんな日だもの」

    もう少しだけ、せめて秋まではこの雨が降り続いてくれればいい。
    そう思って、ふたりは部屋へと戻っていった。

  • 6二次元好きの匿名さん22/07/09(土) 22:28:25
  • 7二次元好きの匿名さん22/07/09(土) 22:44:08

    夕立で洗濯物はよくダメになる……

オススメ

このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています