- 1二次元好きの匿名さん22/07/31(日) 20:38:17
玄関に飾られた金色の鯛が占い結果を吐き出す。
「ラッキーカラーはマグロです」
おみくじ紙にはそう書かれている。スズカはそれを靴箱にピン留めする。気を取り直してランニングシューズを履く。アッパーには鮮やかなライムグリーンのラインが走っている。
玄関を出ると今日も晴れだった。真夏とはいえ早朝はいくらか涼しい。走るのにもってこいだ。しっかり体をほぐして駆け出すとすぐに他のランナーとすれ違う。やはり走りやすい時間帯を狙う者は多い。もっとも、走りにくい時間帯に走らないスズカではない。
目的地はいつもの神社だ。たんたかたんたんぱっぱかぱからっ。足取り軽やか駆けていく。やがて鳥居が見えてくる。急勾配の長い石段。神社は小山の頂にある。
息をととのえ一歩を踏み出す。跳ねるように駆けていく。たんたかたんたん。呼吸は激しい。ぱっぱかぱからっ。けれど楽しい。
「おはようございます!」
視界が開けて本殿が目に飛び込んでくると、フクキタルの声も飛んでくる。いつもの景色、いつもの朝。スズカはゆっくり歩き出す。
「おはようフクキタル」
「おはようございますスズカさん」
手水舎の前で掃き掃除をしていたフクキタルが駆け寄ってくる。巫女装束に似つかわしくないスクィズボトルはどこから取り出したのか、スズカにはさっぱりわからない。
いつもの景色、いつもの朝。
「ところで」喉を潤すとスズカは訊く。「今日の私のラッキーカラーは?」
「ご安心ください」鼻高々にフクキタルは笑う。「ちゃんと調べてありますよ」
「そう」スズカはシャツで汗をぬぐう。
「驚かないでくださいね」もったいぶってフクキタルはその場で一回転する。「な、なななんと! 今日のスズカさんのラッキーカラーは──」
ひらりと袖が舞う。
「マグロ?」
ぐびりと喉が鳴る。
「えっ?」
「えっ?」
「え、えーっと」ぴたりと動きを止めたフクキタルの視線が明後日か一昨日の方向を見る。「……はい、そうです……」
「やっぱりマグロなのね」屈伸しつつスズカは言う。「ありがとう。じゃあ、またね」
「ちょ、ちょちょちょちょっとスズカさん!」
フクキタルが何やら叫ぶ。
スズカは振り返らず石段を降りていく。背中の方から掛け声とも鳴き声とも知れぬ「ふんぎゃろ~!」なんらかの心の表れが声となって響いてきたので、スズカはトレセン時代を思い出して懐かしさを感じる。 - 2二次元好きの匿名さん22/07/31(日) 20:38:44
「ラッキーカラーはマグロです」
二枚目のおみくじ紙を折り畳んで鞄に仕舞って、スズカは部屋を出る。トレセンを卒業してはや一年。ドリームトロフィーリーグにエントリーしつつトレーナー資格取得のため体育大学に通い、たまたまフクキタルの実家の近所で一人暮らしをはじめることになってはや一年。学生の本分は勉強だ。苦手ではあるが目標が定まって手を抜くスズカではない。
ちょうど調べものがあったので大学の図書館に足を運ぶ。ついでにマグロについて調べてみる。「目が黒いから目黒(まぐろ)」という。「身がたちまち黒ずんでしまうので眞黒(まぐろ)」ともいう。あいにく黒い服はあまり持っておらず、どうしたことかとスズカは参考文献をコピーしいくらか蔵書を借りて学生用アパートに戻ろうとする。
「そういえば、そろそろお昼の時間だわ」
周りを見ればスーツ姿のマグロたちが腕時計を見ながらひとときの安らぎを得ようと食事処を探している。人混みはあまり得意ではないのでテイクアウトで軽く済ませようかとコンビニに入ると「いらっしゃっせー」と出迎えたのはゴールドシップだった。
「おっ」
「あら」
お久しぶりです、元気そうで何より何より、その後どうです、いやいや元気そうなら何より何より、と互いに頭を下げる。
「何かお探しですかオキャクサマ」
「ラッキーカラーがマグロなの」
だったらこれが一番だ、とゴールドシップはバックヤードに引っ込んだかと思うと紙包みを手にすぐさま戻ってきた。
「朝イチの採れたてだぜ」頼もしく笑う。「すぐ近くの畑で育ててるんだ。鮮度は保証するぜ!」
いいのかしらとスズカは言い。
持ってけドロボーとゴールドシップは言う。
部屋に戻って包みを開けると、熟成肉が入っていた。スズカはそれに塩コショウを施して、弱火でじっくり焼き上げる。小分けにしておいたご飯をチンして、残り野菜で味噌汁をこしらえるとこれはどうだろう、豪勢な昼食だとスズカは日々のささやかな喜びに舌鼓を打つ。 - 3二次元好きの匿名さん22/07/31(日) 20:39:11
つまりラッキーカラーはマグロなのだ。
それはつまり、ラッキーカラーがマグロだということだ。
調べものが煮詰まってきたので気分転換に走りに出掛けると、スズカの前を黒猫が横切った。不吉だった。ならば黒猫の前を自分が颯爽と横切れば足し引きゼロになるだろうと考えて、スズカは黒猫を追い掛けて路地裏へと入っていく。夕刻のことだった。
「スズカ」袋小路に追い詰めると黒猫が口を開いた。「ラッキーカラーは見付かったか?」
「その声は」黒猫の目もとには赤いラインが引いてあった。「エアグルーヴなの?」
「ああそうだ」
黒猫=エアグルーヴは穏やかな声で言った。
「どうして猫の姿に?」
「愚問だな」ふんと黒猫エアグルーヴは鼻を鳴らした。「模範たるもの、動物の姿を象れなくてどうする」
「相変わらずの向上心ね」
「おだてても何も出んぞ」
スズカは猫エアグルーヴを抱きかかえようと試みるも、歯をむき出しに威嚇されたので断念した。
「ラッキーカラーの話だ」スズカが手を伸ばしても届かないエアコンの室外機の上に降りたって猫グルーヴは言った。「まだ見付かってないんだろう?」
「そうなの」スズカは尻尾をしゅんと垂らした。「占いの結果はともかく……マグロがどんな色かは気になるわ」
「逆に考えてみろ」
「逆に?」
「マグロの色を探すから迷うんだ」室外機の熱が想像以上だったのか猫ーヴは四肢をぴんと立たせた。「花の美しさというものはない。美しい花がある。つまりそういうことだ」
「わからないわ」
「もしそれがマグロなら、たとえ何色であろうとマグロ色だ」
宙を泳ぐマグロが一人と一匹の間を横切っていく。
「……そう、そういうことなのね」
この世界にマグロの色というものはない。
ただ、色のついたマグロがあるのみだ。
スズカは路地裏を出た。するとどうだろう、見えている景色がこれまでとはずいぶん違っている。見渡す限りのマグロ、マグロ、マグロ。ときおりカツオ。ツナ。ツナ缶。一説によるとマグロはその生涯を止まらずに過ごすという。止まってしまえば命を落とすことになるからだ。ならばマグロたちは今日も先頭の景色を見ているのであり、スズカはフクキタルにあわてて電話をかけた。
「……もしもし、フクキタル? あのね、いっしょにお寿司を食べない? マグロよ。私達のラッキーカラーはマグロなの」 - 4二次元好きの匿名さん22/07/31(日) 20:39:26
そしてスズカは目を覚ます。
何やらうろんな夢を見た気がする。しかしその内容は思い出せない。近い未来の出来事のような気もするし、遠い世界のあったかもしれない可能性を追体験したような気もする。そのどちらでもあり、どちらでなくていい。なぜならすべては夢だからだ。
スズカはスペシャルウィークを起こさないよう起き上がる。アラームを切る。そして、画面の向こうにいる寝ぼけた友人の姿を思い浮かべる。夢の内容は定かではない。しかし残っている感情がある。
「なんだか、フクキタルに会いたいわ」
スズカはポチポチとタッチパネルを操作する。今日の夕飯はできることならそう、マグロの握りがいい。 - 5二次元好きの匿名さん22/07/31(日) 20:40:48
神社の石段を駆け上がるスズカさんを出迎える巫女装束のフクが書きたかったんです。許してください
- 6二次元好きの匿名さん22/07/31(日) 20:46:52
乙です。何というかマグロだった