ラムタラはマルゼンスキーとノーザンテーストが存在しなかったら種牡馬として成功出来たのか?

  • 1二次元好きの匿名さん22/08/03(水) 16:46:10

    ラムタラが種牡馬として失敗した理由はマルゼンスキーやノーザンテーストが父親の牝馬が多くて配合相手が限られたのが理由として大きいらしいけど、この2頭が存在しなかったらサンデーサイレンス並みとは言わずとも、種牡馬として成功出来たのかな?

  • 2二次元好きの匿名さん22/08/03(水) 16:48:33

    ノーザンダンサーの血はどんな感じだったのかな?
    当時の状況

  • 3二次元好きの匿名さん22/08/03(水) 16:48:39

    一応種牡馬としては黒字だったらしい

  • 4二次元好きの匿名さん22/08/03(水) 16:50:07

    >>3

    確かシンジケートの加入者は多かったらだっけ?

  • 5二次元好きの匿名さん22/08/03(水) 16:50:30

    それでもニジンスキーとかリファールとかの近親のND系の種牡馬を買ってそうだし…

  • 6二次元好きの匿名さん22/08/03(水) 16:52:51

    そもそもマルゼン肌の多い日高の牝馬が主な相手ってのがかなりハンデ背負ってた
    マルゼンスキーの代用として来たヤマニンスキーがライトカラーとかヤエノムテキを出してるあたりニジンスキー産駒だから割り込めないってまではないだろうし場所さえ違えばワンチャンあったかもよ
    まあラムタラは主戦曰く「精神力で走る馬」で、勝負根性は遺伝しにくいからそういう意味では日高じゃなくても失敗の可能性は高かったかもだけど

  • 7二次元好きの匿名さん22/08/03(水) 16:53:33

    そもそもニジンスキー系が当時大爆発してたから導入したわけでマルゼンスキーがいなかったら日本に来てない

  • 8二次元好きの匿名さん22/08/03(水) 16:54:36

    >>2

    理事長とマルゼンが両方ノーザンダンサーの直系

  • 9二次元好きの匿名さん22/08/03(水) 16:55:18

    タイミング的にSSをはじめとしたスピード豊富な血統が流行になっていく時代だから無理かな…
    仮にマルゼンさんが同じ条件でいたとしても無理ゲーだと思う。時代が悪い

  • 10二次元好きの匿名さん22/08/03(水) 17:13:23

    >>2

    1995年から2003年までのBMSランキングはずっと1位がノーザンテースト、2位がマルゼンスキーだった。

    その後2008年までは両方ともに5位以内死守していた。

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