【SS】今日は専属契約最終日

  • 1二次元好きの匿名さん21/10/08(金) 17:33:27

    「……今日で専属契約は終了か」
    エアグルーヴがぼそっと呟いた。
    「長い間世話になったな。トレーナー」
    自分とエアグルーヴは長きに渡って二人三脚でレースに臨んできた。トゥインクルシリーズはもちろん、ドリームトロフィーリーグまで。日々練習をし、生徒会の仕事を共にこなしていく毎日だった。今や顔を合わせない日などなく、お互いが日常の一部になっていた。
    それでも、今日が来ることは避けられないらしい。
    「貴様と最初に会った日が懐かしいな……」
    エアグルーヴはココアを飲み、柄にもなく感傷に浸っている。エアグルーヴをスカウトしたあの日のことを思い返しているのだろう。今思い返せば、当時の自分は少し強引に行き過ぎた気もする。それでも、当時の自分がやった事は微塵も後悔していない。
    「君をスカウトして良かったよ。エアグルーヴ」
    「ふん……たわけが。当然だろう。貴様を後悔させたとなれば女帝の沽券に関わる」
    いつも通りの言葉に思わずほっとした。ただ、このやりとりができるのも今日が最後だと思うと心にくるものがある。
    表情に出ていたのか、エアグルーヴが怪訝そうな顔をしてこちらを見た。慌てて話題を変える。
    「エアグルーヴはこの先どうするんだ?」
    「この前、会長にお誘いを貰った。全てのウマ娘に幸福を届ける世界……その実現の為に新事業を立ち上げるそうだ。その手伝いをして欲しいと頼まれた」
    「それは重役を任されたね」
    「ああ。だがその分信頼して頂いているという事だ。女帝の名に恥じぬよう気を引き締めねばならんな」

  • 2二次元好きの匿名さん21/10/08(金) 17:34:02

    彼女の自信に溢れた姿を見て確信する。
    そうだ。それでこそエアグルーヴだ。常に前を向き、挑戦し続ける。女帝としてあるべき理想の姿だ。

    きっと、もう彼女に杖は必要ない。

    その事実が喜ばしいような、寂しいような、どこか苦しいような。
    それでも自分はトレーナーとして、担当を笑顔で送り出す責務がある。泣き言を言ったらトレーナー失格だ。
    「エアグルーヴ」
    「なんだ?」
    本心を悟られないよう、笑顔を作る。そうしないと今すぐ崩れ落ちてしまいそうだったから。

    「頑張ってね。身体に気をつけて」

    それが今自分が言える精一杯だった。

    「…………」
    エアグルーヴが黙ってこちらを見つめる。じっと動かず、言うべき言葉を探している様だった。彼女も何か言いたい事があるのだろう。急かさずにじっと待った。
    「貴様は」
    エアグルーヴが振り絞る様な声を出す。聞いたことも無い声に少しだけ驚いた。
    「貴様は……私と……」
    エアグルーヴは俯き、手をぎゅっと握った。机の上に水滴が落ちる。身体を震わせ、こちらを睨みつけた。急に変わったその様子に、何かやらかしたかと逡巡してしまう。
    だが、エアグルーヴは怒ってはいなかった。逆だ。エアグルーヴはひたすらに、ひたすらに悲哀に満ちた声でこう言ったのだ。

    「貴様は私と……共に来てはくれないのか……?」

  • 3二次元好きの匿名さん21/10/08(金) 17:34:46

    衝撃が走った。考えもしなかった可能性。
    「いや、そう、そうだ。貴様はトレーナー。次のウマ娘も担当せねばならぬからな。それは当然の事だ」
    エアグルーヴは自分に言い聞かせるように言った。
    「私は一体いつから、貴様なら共に来てくれると、共にウマ娘の理想の世界を作り出せると、そう思い込んで──」
    そこまで言って、エアグルーヴは黙った。自分が自分だと、認識できていないようだった。
    「……すまない。とんでもなく自分勝手な事を言っているな……風に当たってくる」

    エアグルーヴはふらふらと部屋を出て行った。その後ろ姿を見ながら、さっきの言葉を反芻する。

    「貴様は私と……共に来てはくれないのか……?」

    エアグルーヴと共にウマ娘の幸せを目指す道。その情景が克明に脳裏に浮かんで来る。一緒に書類仕事をこなしたり、ふとした休みに談笑したり。それはとても素敵で、魅力的で、理想的に思えた。
    可能性が見えてしまうと、それに縋りつきたくなってしまう。自分だってエアグルーヴと離れたくはない。今までの日々をずっと繰り返していたい。別れが、怖い。
    その時、エアグルーヴも同じ気持ちなのではないかと気がついた。いくら会長がいると言っても、そこはまだ見ぬ新天地に他ならない。不安で、誰かに支えて貰いたくなるのは当然の事だった。
    女帝がつまづきそうなとき、それは杖が支えるべき場面だ。しかし、今ここで女帝を支えて良いのだろうか。そのまま杖に身を任せて、自分で立つことが出来なくなってしまわないだろうか。
    そしてそれは自分も同じ。支える杖の立場に甘んじて、自らの歩みを止めてはしないだろうか。
    何度も現れる甘い未来を振り払う。きっとその先に待っているのは幸せでも、二人が望むような理想ではないのだ。
    となれば、女帝が支えるべき杖がやるべき事は決まっている。

  • 4二次元好きの匿名さん21/10/08(金) 17:35:45

    「すまなかった。さっきの事は忘れてくれ」
    しばらくして、エアグルーヴが戻ってきた。目の周りが赤くなっている。
    思い切り泣き腫らしたのだろう。
    「こんなはずではなかったというのに……」
    「エアグルーヴ」
    「…………なんだ?」
    「ごめん。エアグルーヴと一緒に行く事はできない」
    「……だろうな。さっきあれほどの醜態を晒したのだ。愛想が尽きるのも無理はない」
    「違う。そうじゃない」
    「え?」
    「今の自分じゃエアグルーヴを支えられない」
    「何を言うか。それは違う。貴様は今でも理想のトレーナーだ」
    「少し、話したい事がある」
    「……わかった。聞かせてくれ。トレーナー」

    その後、自分はエアグルーヴに本心を話した。
    別れるのが本当は怖いということ。エアグルーヴの提案は魅力的で、今でもついていきたいと思ってしまうこと。しかし、それは二人の理想と離れてしまうと言うこと。
    全てを赤裸々に話した。

    「そうか……そうか」
    エアグルーヴは一言一句聞き逃さないほど、こちらの話に耳を傾けてくれた。
    「私も無意識のうちに、トレーナーに甘えてしまっていたのかもしれんな」
    最後にお互いの前にできた壁。壁ができてしまう事はあっても、それを崩せないほど浅い関係ではない。最悪の別れだけはせずに済んだようだ。
    「ただトレーナー、一つだけ訂正させてくれ」
    「うん?」
    「確かに私はトレーナーに支えて欲しかった所はあるかもしれない。だが、そんな損得の関係無しに、私はトレーナーに側にいて欲しかった」
    「え」
    「ふん……言わせるな。たわけ」
    そう言ったエアグルーヴの顔が少しだけ赤くなっていたのは──いや、これはそっと思い出にしまっておくことにしよう。

  • 5二次元好きの匿名さん21/10/08(金) 17:36:35

    その後もいろんな会話を交わしているうちに夜になった。あの規則に厳しいエアグルーヴが、寮の時間を少し過ぎても無視をしたのが記憶に残っている。
    最後に、二人の間で約束を交わした。
    「お互いが胸を張って会えるようになったらまた会おう」と。

    これにて、エアグルーヴとの専属契約は終了となった。


    三年後。
    「トレーナーさん、3年間ありがとうございました!」
    ある一人のウマ娘が言った。トゥインクルシリーズを駆け抜け、エリザベス女王杯のトロフィーを獲得した自慢の担当ウマ娘だった。今後は自分の手を離れ、育成ノウハウの揃った一流のチームへ移籍するらしい。
    2度目の別れとはいえ、やはり辛いものはある。自分はもしかしたらトレーナーに向いていないのかもしれない。それでもやはり、この仕事が好きだった。ならば後ろは振り向かない。今後こそは、真っ直ぐな担当を送り出せたはずだ。
    担当と別れて夜も静まり返る午後十時。行きつけのバーの席に座る。一人で静かに自分の世界に浸っていると、隣の席から声がした。
    「随分と神妙な面持ちをしているな。たわけ」

  • 6二次元好きの匿名さん21/10/08(金) 17:37:06

    「えっ……!?」
    「マスター、おすすめを一つ」
    そこにはかつてより磨きがかかり、より美しくなったエアグルーヴがいた。事業の話は噂で聞いた程度だが、上手くいっているとのことだった。
    「何でここに」
    「言っただろう。お互いが胸を張って会えるようになったらまた会おう、と。今日がその日だと思ったまでだ」
    そう言ってワイングラスを差し出す。乾杯の合図だ。バー内に静かにグラスの音が響き渡る。
    「お互い積もる話もあるだろうが……まずは貴様の愚痴を聞いてやろう」
    「ははは。それは助かるよ、エアグルーヴ」
    エアグルーヴに愚痴を聞いて貰いながら、時にはエアグルーヴの愚痴も聞いて。
    楽しい時間はあっという間に過ぎて行く。酔い潰れて寝たエアグルーヴの顔があまりに可愛かったので思わず写真に撮ってしまったが、果たしてこれは消すべきかどうか……などと悩んでいると、どうやら向こうも一足先に起きて撮っていたらしい。おあいこと言うことで「たわけ」と言い合ってこの件は許された。
    3人目を受け持った今でも、トレーナーとして、人として心がけている事がある。
    「自分は相手の杖になれているか」
    この初心を忘れることのないよう、今日も担当のトレーニングに赴くのだった。

  • 7二次元好きの匿名さん21/10/08(金) 17:40:51

    お読みいただきありがとうございました。
    溢れ出る妄想が止まらず書き上げてしまいました。
    この後のトレーナーと女帝がどういう関係になったかは、個々のご想像にお任せしたいと思います。
    感想でも批判でも頂けると嬉しいです

  • 8二次元好きの匿名さん21/10/08(金) 17:41:49

    お互い現状で妥協しないコンビ良いやん...

  • 9二次元好きの匿名さん21/10/08(金) 17:42:08

    素晴らしい

  • 10二次元好きの匿名さん21/10/08(金) 17:49:07

    こういう関係性もアリだな……

  • 11二次元好きの匿名さん21/10/08(金) 17:50:23

    こういうのすき

  • 12二次元好きの匿名さん21/10/08(金) 18:22:23

    うおお感想が来てる……嬉しい

  • 13二次元好きの匿名さん21/10/08(金) 18:34:33

    互いの夢に歩んでいくために距離を置く展開好き

  • 14二次元好きの匿名さん21/10/08(金) 18:36:29

    ないちゃった…こういうのいいよね

  • 15二次元好きの匿名さん21/10/08(金) 18:38:03

    ありがとう…ありがとうございます…。

  • 16二次元好きの匿名さん21/10/08(金) 18:38:25

    >>12

    素晴らしい

    それ以上の言葉が見つからない

  • 17二次元好きの匿名さん21/10/08(金) 18:38:48

    2人とも大人だな…しかも腹の中を包み隠さず打ち明けられる…これが理想というものか

  • 18二次元好きの匿名さん21/10/08(金) 18:38:55

    これのグッドエンディング感凄まじいな…

  • 19二次元好きの匿名さん21/10/08(金) 18:43:30

    >>12

    せつないけど前を向いてる二人いいよね…

    いやほんといいもの読ませていただきました。

  • 20二次元好きの匿名さん21/10/08(金) 19:04:47

    長文なのにこんなに読んでくれる人がいるとは思わなかった
    ありがとうございます

  • 21二次元好きの匿名さん21/10/08(金) 20:21:27

    ハッピーなんだけど、ベストじゃなくてグッドENDな感じがいい……もっと幸せな道はあったかもしれないけど2人の納得がいってるENDだ……

  • 22二次元好きの匿名さん21/10/09(土) 01:43:52

    最高の関係性だ…

オススメ

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