ひと夏の思い出は永遠に

  • 1二次元好きの匿名さん22/08/14(日) 02:38:00

     夏合宿だからといって、毎日トレーニング漬けというわけではない。オフの日は皆、山に探検に行ったり、冷房の効いた宿舎でゆっくりしていたり。それでも一番多いのは、砂浜へと走り出す子たち。普段はトレーニングに使われているけれど、休みの日になれば大勢で賑わっている。
     鏡に向かって自分の姿を確認する。ビキニのトップスにショートパンツ。あれこれ吟味して選んだ一着。これに麦わら帽子を被れば身支度は完了。荷物を詰めたバッグを片手に、階段を駆け下りた。

     サンダルを履いて玄関を出ると、肌が焼かれるような感覚を覚えた。慌ててオーバーウェアに腕を通す。遠くに蝉の鳴き声を聞きながら、宿舎を出て数分。青い海と白い砂浜。突き抜けるような空も、小説に出てきそうなくらい綺麗な景色。辺りを見回せば、指定の水着とは装いを変えた皆が思い思いのままに楽しんでいる。夏のお手本みたいな風景に、ため息さえつきそうになった。
     ざくざくと足元を踏みしめて、水際から少し離れたパラソルへと向かう。レジャーシートを構えて、海岸に目を光らせているトレーナー。その背後に歩み寄り、バッグの中からペットボトルを取り出して。

    「えいっ」
    「うわあっ!?」

     汗の伝う首筋に当ててみると、彼は弾かれたように飛び上がった。予想以上の反応にこちらが驚いてしまうくらい。慌てたようにこちらを振り向いて私の姿を認めると、彼は大きく息をついて頬を緩めた。

    「なんだ、ファインか……」
    「お勤めご苦労さまです♪」

     生徒たちはお休みでも、トレーナー陣はそうもいかない。交代で見張りの番を受け持って、危険がないよう適宜指導をしている。手に持ったボトルを手渡すと、「ありがとう」という返答と共に隣のスペースを叩く。その誘いに乗って、バッグを下ろして肩を並べた。

    「ファインも今年は水着を用意したんだね」
    「ええ! 三度目の正直、というのでしょう?」

  • 2二次元好きの匿名さん22/08/14(日) 02:38:29

     初めての合宿のときはオフでも海に出るという発想がなくて、ラーメン巡りをするか、部屋の窓から海を眺めているだけだった。去年はレースの予定があったから、あまり時間が取れないと思って持参しなかった。でも、今年は。

    「うん。よく似合ってるよ」
    「ありがとう存じます♪」

     きっと褒めてくれるとは思っていたけれど、やはり直接口にされると胸が高鳴る。それに呼応するようにしっぽが揺れそうになったのを、すんでのところで堪える。シートからはみ出したら、自慢の毛並みは砂まみれになってしまう。トレーニングの後に綺麗にするのも、いつも大変なのに。

    「水際で遊んだりはしないの?」
    「本当は行きたいのだけれど、隊長に駄目って止められちゃった」
    「それはまたどうして」
    「砂浜の点検をしていないのと、沖に隊員が控えていないときに波に拐われたら大変だって」

     警護してくれるのはありがたいけれど、少し過保護な感じもする。でも、これも仕方のないことだと受け入れるしかない。私の身体は、私一人のものではないのだから。

    「日差しもよくない、肌の出しすぎもよくないって、こんな重装備になっちゃった」

     羽織った裾をつまんで靡かせてみる。軽口のつもりだったけれど、彼は思案顔になって、眉をわずかに下げる。

    「今からでもなんとかできないか交渉してこようか?」
    「ううん、大丈夫。私がやりたかったことは叶っているもの」

     彼は「そっか」と言って、帽子越しの頭をとんとんと叩いた。それが少し物足りなくて、帽子を脱いで胸に抱き、そのまま隣の肩に身体を預けた。
     引いては寄せる波の音と、楽しげにはしゃいでいる声。瞼を閉じれば、眩しかった日差しもどこか心地よいものに感じられる。彼の手つきは撫でる動きに変わっている。

    「……キミにこの姿を見せられるチャンスは、今年が最後だったから」

  • 3二次元好きの匿名さん22/08/14(日) 02:39:17

     留学中の合宿という“非日常の中の非日常”は、いずれ過去のものになる。来年の夏は卒業を迎えたあと。私はいったい何をしているのだろう。まだ親善大使としてこの国に留まっているのか、それとも祖国へ帰って務めを果たしているのか。どちらにせよ彼との繋がりは薄れていて、このような時間を過ごすことなんて――

    「――最後じゃないよ」
    「……え?」

     目を開いて彼の顔を見上げる。パラソルの影のせいか、すぐには表情がよく見えない。目を凝らしていると、頭を撫でていた手が肩に回される。鼓動が跳ねる。ぎゅっと距離が縮められる。

    「ファインが望むのなら、海でも山でもどこへでも」

     こちらを向いた優しい笑顔。私の大好きな笑顔。本当にずるい人。そんなことができる確証なんてどこにもないのに、“彼なら叶えてくれるかもしれない”と、そう思ってしまう。

    「……まあ! 素敵なお言葉♪」
    「……ちょっと格好つけすぎたかな」

     しっぽで背中を叩いてみると、さっきまでの態度とは一転して、ふい、とそっぽを向かれてしまった。回されていた手も離されて、ボトルへと向かっていく。彼はやや手荒に蓋を開けると、ぐびぐびと中身を飲み干してしまった。

    「……いつか、二人で海を目一杯遊びましょう?」
    「ああ、もちろん。喜んで」

     ひと夏の思い出は永遠に。果たされるかわからない約束。けれど、叶う日が来るまで、私は今日をずっと忘れない。

  • 4二次元好きの匿名さん22/08/14(日) 02:45:46
  • 5二次元好きの匿名さん22/08/14(日) 02:48:58

    いぃ〜この暖かさと切なさ

  • 6二次元好きの匿名さん22/08/14(日) 02:50:03

    美しい…

オススメ

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