- 1◆bEKUwu.vpc22/08/20(土) 06:46:38
- 2◆bEKUwu.vpc22/08/20(土) 06:47:01
今度は、別の声が俺を苛む。
『俺の担当が言ってたんだけどさ。あのトレーナー、自分の担当を騙して全く目標とは乖離したレースを走らせてるんだってよ。』
『知ってる知ってる。自分の名声のためかな。いくらなんでも酷いよねぇ。』
それは現実の言葉だったのか、それとも罪悪感が作り出した幻か。
『フフ……私は貴方を信頼していますからね―――』
再び希望と信頼に満ちた彼女の目がフラッシュバックする。
分かっている、俺は―――
『……そうです、トレーナーさん。貴方はあらゆるレースを一緒に勝つと仰ってくださいました。それなのに―――』
―――俺は彼女を、裏切り続けた。 - 3◆bEKUwu.vpc22/08/20(土) 06:47:17
『私なら、与し易いと思いましたか?私なら、3年間裏切り続けても、裏切られたことにすら気づかないだろうと?』
違う、違うんだ。
確かに最初は君の才能を惜しんでごまかしたかもしれない、
だけど―――
『それでも、私の3年間は戻ってこない。』
―――駄目だ。
返す言葉なんて、ありはしない。
所詮言い訳でしかないのだから。
『みんなの模範となりたかった夢は、もう叶わない。』
トレーナーはウマ娘が夢を叶える、その手伝いをするのが仕事だと、誰かが言っていた。
俺は、そこからは果てしなく遠い存在だろう。
きれいな桜色が、こちらを見ている。
『何のために、私に声をかけたのですか……?』
俺は、一体、何のために――― - 4◆bEKUwu.vpc22/08/20(土) 06:47:35
「ッ―――!!」
トレーナー室、机の前で顔を上げる。
まだ日は高く、窓の外にはウマ娘たちが校庭に向かっていくのが見える。
ちょうど昼休憩が終わった直後のようだ。
10分ほどの仮眠を取るつもりが、ずいぶんと深く眠っていたようだ。
……ここ最近、眠れていなかったからな。
「トレーナーさんッ!さあ、午後も元気にバクシンバクシ……ちょわっ!?」
バンッ!と大きな音を立てて扉が開かれたと思えば、騒がしい担当が入ってきた。
我が愛バ、サクラバクシンオー。
一途で努力家で、こんな自分を信頼してくれる無二の存在。
「どうしたのですかトレーナーさん!?目の下が真っ黒ですよ!?」
「いや、なんでもないよ……これくらいは。さあ、午後のトレーニングを―――」
そう、これくらいではなんでもない。
これくらいの体調不良では贖罪にすらならない。
先程の夢が後を引いているためか彼女の顔を見ることもできず、机に視線を落としたまま席を立ち、外へ出ようとすると――― - 5◆bEKUwu.vpc22/08/20(土) 06:47:59
「いけません!」
バクシンオーが立ちふさがる。
「トレーナーさん、今にも倒れそうですよ?フラフラです!学級委員長として見過ごせません!」
肩を掴まれ、無理やりソファに押しやられる。
「今日はここでゆっくりと……そうですね、お話なんてどうでしょう?」
全距離制覇を目指す彼女は、常に積極的にトレーニングを行っていた。
何より自分の夢のために。
それを俺なんかを、気遣って中止にするなんて。
……優しいな彼女は。
ああ、そうだ、こんないい子を俺は騙してきたのだ。
本当に、俺は、トレーナーとして、人間としてク――― - 6◆bEKUwu.vpc22/08/20(土) 06:48:19
「トレーナーさん。」
不意に両頬を両手のひらで挟まれ、顔を無理やりバクシンオーの方へと向けられる。
「私の目を見てください。」
いつも潑剌とした彼女の、珍しく落ち着いた真剣な声色。
その言葉に促され、言われるまま彼女の目をぼうっと見つめる。
そこにあるのは真っ直ぐな瞳。
「トレーナーさん、大分お疲れのようですね。……大丈夫ですよ、学級委員長は普段の行いが良いですから。一日練習場で見かけなかったくらいで誰も何も言いませんよ。」
優しく諭されるような、落ち着いた声。
「そうですね、私の小さい頃の話でもしましょうか。……よければトレーナーさんのも聞かせてくださいね?」
いつものバクシンオーはどこに行ったのだろう。
ふわりとそんな疑問を浮かべながら、しかし今の頭では深く考えることもできずに彼女の思い出話を聞くよりなかった。 - 7◆bEKUwu.vpc22/08/20(土) 06:48:37
「―――というわけで、学級委員長になるべくして産まれてきたのが私!ということですね!いやはや!」
あはは、と自慢話のような幼少期の話を終えて、バクシンオーが笑う。
彼女らしくない落ち着きに包まれて始まった昔話も、次第に熱が入り、気づけばいつものバクシンオーに戻っていた。
そうして快活に笑う彼女を見ることで、こちらの気持ちも幾分か持ち直すことができた。
いつもズレがちな行動をしては他の学生の助けになったり、厄介事を引き起こすことの多い彼女だけど、少なくとも俺にとっては理想の学級委員長なのかもしれないな。
そんなことを思いながらふと視線を移すと、じっとこちらを見つめる彼女と目が合った。
きれいな桜色が、こちらを見ている。
「……ちょっと元気になったみたいですが、まだまだお疲れのようですね。トレーナーさんのお話はまた今度聞くとしましょう。さて、では最後は次のレースの話をしましょうか。」
バクシンオーが目を細める。
「私、次はステイヤーズステークスに出たいです。」 - 8◆bEKUwu.vpc22/08/20(土) 06:48:58
背筋が凍る。
固まっていた脳に血が巡る。
待て、待ってくれ。
条件反射のように、言い訳を考え始める。
しかし、今回は何かを言う前に彼女から言葉を重ねられた。
「最近よく言われるんですよ、私がトレーナーさんに騙されているんだって。短距離をいくら走っても、長距離を走れるようになんかならないって。」
「……バクシンオー、それは―――」
「トレーナーさんをよく知りもしないくせに、酷いですよね。……だから証明するんです。私のトレーナーさんはいつも的確で、優秀なんですって。私のことをいつだって考えて、こんなにフラフラになってまでメニューを考えてくれる……私のトレーナーさんを馬鹿にするなんて、許せませんから。」
桜色に、影が堕ちる。
「だから、お願いします。私に、チャンスを下さい。」
射抜くような、燃えるような、喰らい尽くすような瞳。
初めて見る彼女の昏い眼差しに、覚悟を決めるより他がなかった。 - 9◆bEKUwu.vpc22/08/20(土) 06:49:20
そして、審判の時が訪れる。
『1着はエア―――!サクラバクシンオーは大きく遅れて11着!スプリンターの王者も、やはり長距離は無謀だったか!』
結果は、惨敗。
分かっていた。
分かっていたんだ。
「……すみません、トレーナーさん……私、わた、しは―――」
バクシンオーが、涙を浮かべている。
学級委員長、生徒の模範、全距離制覇の理想の姿。
そして、俺に対する批判への抗議。
サクラバクシンオーが体現したかった想いの強さ全て、言葉にしなくても伝わってきた。
「うぅ、今まで、いっしょに……頑張ってきた、のに―――」
「……。」
違うんだ、君のせいなんかじゃない。
すべて、そう全部――― - 10◆bEKUwu.vpc22/08/20(土) 06:49:46
伝えなければ。
もう、彼女を裏切り続けることなんてできない。
もしかしたら、これは自分が楽になりたいためだけの逃げなのかもしれない。
だけど、こんなにまっすぐに、裏表なく自分を信じてくれた彼女に対して、これ以上嘘を重ねることなんて出来はしなかった。
「サクラバクシンオー、大事な話があるんだ。」
怒るだろうな。
恨むだろう。
当然だ。
最初から彼女は夢を語っていた。
だというのに、信じていたトレーナーは、最初から彼女の夢を叶える気がなかったんだから。
どんな罰だって、自分には生ぬるいだろう。
彼女がしたいように、させてあげよう。 - 11◆bEKUwu.vpc22/08/20(土) 06:50:10
トレーナーさん。
度重なる私への罪悪感で、トレーナー業務のこと以外では思考もうまく回らなくなったトレーナーさん。
覚えていますか?
私と貴方が出会ったとき、私は高等部1年でしたよね。
それから数年が経つんですよ?
いくら私だってその間、ずっと気付かないわけ無いじゃないですか。
私の夢は全距離制覇なのに、それを目指すと約束してくれた貴方が提示するメニューはいつも短距離向け。
レースだってそう。
フフ、なんですか、1200mを3回走って3600mって。
演技するのに大変でしたよ?
まったく、学級委員長のパートナーともあろうものが、どんどん建前も雑になって。 - 12◆bEKUwu.vpc22/08/20(土) 06:50:30
それでも私にできることは目の前の目標に向かって頑張ることだけでしたから。
もちろん、ちょっとだけ恨んだりもしました。
ああ、もう、私の夢は、目標は果たせないんだって。
だけどいつからか、そうして短距離を走って勝利を手にする度、私を“模範”として頼ってくれるスプリンターの後輩が増えていることに気づきました。
貴方の、私を“短距離走者の模範”として育て上げる力は本物なんだって、そんなところで実感したんです。
……そして、全距離を満足に制覇するウマ娘なんて、存在するのは一握りどころの騒ぎではないことも、時を重ねて学びました。
努力だけではどうしようもなく、天性ともいえる適性が必要なんだって。
あの生徒会長だって、短距離は適性外なんですから。 - 13◆bEKUwu.vpc22/08/20(土) 06:50:50
そうして、私も現実が見えてきたからでしょうか。
私の理想に100%応えることはできなくても、適性を考えて、どんな手を使ってでも私をスプリンターの頂点にしようという貴方の決意と努力も、分かってきたんです。
フフ、そこが、初めから私の夢に対して、形を繕うことすらしなかった有象無象のトレーナーたちとの違いですよね。
それから、知っていますよ?
私をスプリンターとして鍛えるメニューを考えながら、睡眠時間を削って私の距離適性を伸ばす方法を模索していることを。
貴方の心の中にも私の理想が深く根を張って、現実との間で葛藤していたことを。
ああ、貴方の目の隈が広がるたび、心配と同時に言い知れぬ幸福感に包まれるこの感覚、たまりません。
合理的判断を優先しながら、それでも担当の夢を諦めきれず、命を削ってあがき続ける。
貴方は間違いなく、私の中で模範的なトレーナーになったんです。 - 14◆bEKUwu.vpc22/08/20(土) 06:51:09
でも、それで本当に貴方が壊れてしまっては意味がありません。
今回は、本当に危なかった。
何も考えていないような、いつもの仮面を取り払う必要があるほどには。
……最近、よくスプリンター志望の後輩から、アドバイスを求められていますよね?
「なぜ知っているのか」って、貴方は気にするでしょうか?
そうですね、学級委員長には人脈も不可欠ですから。
まあそんなどこの骨とも知れぬ子は無視して、私のことだけを絶えず考えてもらうためには罪悪感を利用する必要があったのですが、それが貴方を潰してしまわないように“調整”が必要でした。
貴方には、一緒に長生きしてもらわなければいけませんからね。 - 15◆bEKUwu.vpc22/08/20(土) 06:51:31
そして、そう。
今日打ち込む、絶対に貴方を手放さないための最後の楔は、貴方からの自白。
私の夢を壊してしまったことを、ちゃんとレースという形で結果に残して、貴方の口から贖罪を誓ってもらうこと。
私と貴方が結ばれる、大事な儀式。
貴方からの罪の告白に対して、私は許すとも許さないとも告げません。
ただ、私がなし得なかった夢を、私の子が、子がなし得なくても孫が果たしてくれるかもしれない。
私とその子孫をあわせての全距離制覇、なんて考えも素敵ですよね。
そんな新しい夢で、枷で、貴方を私に縛り付けます。
それを、これからもずっと私の一番近くで見てほしいと、最後に貴方に伝えれば――― - 16◆bEKUwu.vpc22/08/20(土) 06:51:46
ほら。
首を縦に振ってくれました。
これで貴方は私のもの。
誰にも渡しはしません。
これからはトレーナーとウマ娘としてだけでなく、一緒にもう一つ上のステージの模範になりましょう?
ね、トレーナーさん? - 17◆bEKUwu.vpc22/08/20(土) 06:52:06
おしまい!
- 18二次元好きの匿名さん22/08/20(土) 06:52:43
!独占力
しっとりバクシンオーはいいぞ・・・ - 19二次元好きの匿名さん22/08/20(土) 06:53:07
このレスは削除されています
- 20◆bEKUwu.vpc22/08/20(土) 06:53:33
- 21二次元好きの匿名さん22/08/20(土) 10:29:39
こっちもよかったから是非見てほしい
- 22二次元好きの匿名さん22/08/20(土) 14:20:24
う……っ!
好き!!! - 23二次元好きの匿名さん22/08/20(土) 14:54:11
いいね……すごくいい……
- 24二次元好きの匿名さん22/08/20(土) 14:57:20
ウワーッ!…ウワーッ!!
- 25二次元好きの匿名さん22/08/20(土) 15:00:03
伴侶を得るために手段を選ばないけど、伴侶を選んだ理由は相手に惚れ込んだからという似たものトレウマいいぞ…
- 26二次元好きの匿名さん22/08/20(土) 15:00:29
うわぁ…ハッピーエンドじゃないはずなんだけどなぁ…ハッピーエンドに見えるのは俺も騙されてるのかなぁ…?
- 27二次元好きの匿名さん22/08/20(土) 16:22:07
いいですねえ
- 28二次元好きの匿名さん22/08/21(日) 00:49:53
バクトレはこのままバクシンすれば中長距離もぶっちぎれる!とか考える頭バクシン野郎だからこんなこと考えね〜
とか思いながら読んでたけどこのssのバクトレもちゃんと距離適性上げようと努力してたから好き
実は全部知ってるしっとりバクシンオーは生活習慣病に効くようになるからもっと増やせ - 29二次元好きの匿名さん22/08/21(日) 00:56:43
しっとりバクシンオーだ!うわぁ!蒸気で何も見えない!