リゼロの独白ってさ

  • 1二次元好きの匿名さん22/08/20(土) 17:52:14

    めっちゃ心に響かない?

  • 2二次元好きの匿名さん22/08/20(土) 17:56:30

    何もかもが、自分を置き去りにしていった。
    待てと言われれば、いつまでだって待つけれど、待たせるからには戻ってきてほしい。戻ってきてくれさえすれば、いつまでだって待てるから。
    だから――、
    「お師様が戻ってきてくれて、嬉しかったッス」
    みんなみんな、いなくなってしまったから。
    戻ってくると、そう言った言葉を信じていいのか、わからなくなっていて。
    自分が信じていたから待っていたのか、ただの惰性で待っていたのか、それさえも答えはわからなかった。考えもしなかった。
    考える必要もなかった。だって、朽ちるより前に、約束は守られた。
    「あーし、幸せ者ッスよ、お師様」
    だから、いかないでほしい。ずっと、ここで過ごしてくれたらいい。
    孤独でなくなったから、スナイパーはもう卒業だ。スナイパーを卒業した自分には、それなりのご褒美があるべきだと思う。
    「もう、置き去りは嫌ッスよ、お師様。……あーしも、愛されたいッス」
    何もかもが、自分を置き去りにしていったから。
    今度は、どこまでも、いつまでも、ついていきたい。
    だから――、
    「あーしを、愛してほしいッス。――お師様」

    何度読んでも泣ける

  • 3二次元好きの匿名さん22/08/20(土) 17:58:58

    キャラの一つ一つのこんな複雑な心境描けるのに
    どっちかと言えばキャラに愛着ない側とか作者言ってるの天邪鬼で好きなのね

  • 4二次元好きの匿名さん22/08/20(土) 18:00:56

    微妙に独白じゃないかも知しれないけど、最近だとここ
    この流れだけでイドラのこと好きになった

    卑屈で臆病で、調子に乗りやすい、悪人でないだけの男。
    そんなヒアインが逃げないでいてくれたらいいと、イドラは馬鹿正直に信じただけ。
    やっぱり、人間簡単には変われなかった。
    周りの連中を騙して利用しようと、自分が戦士だなどと言い張った嘘もすぐバレた。
    正直に、広く信用と信頼を。
    たとえ、善人ぶっていると指を差されて笑われたとしても。
    イドラ・ミサンガは、戦士にも、詐欺師にも、なれない。
    左手一本で斧を振りかぶって、血を流しながらイドラは叫んだ。
    「私はイドラ・ミサンガ! 粉挽屋の倅だ!!」
    「知らんよ」
    今の、持てる力の限りを振り絞って、イドラは白けた顔の男に突っ込んだ。
    ――あの日、シュバルツのおかげで、嘘つきにならずに済んで、よかったと思った。

  • 5二次元好きの匿名さん22/08/20(土) 18:06:38

    やっぱ一番はここ

    自惚れても、いいのだろうか。
    こんな俺でも、大切な存在であるのだと、大切な人たちに思ってもらえているのだと。
    信じてしまっても、いいのだろうか。
    こんな俺でも、守りたいと思われるほどに、守りたい人たちに必要とされているのだと。
    願ってしまっても、許されるのだろうか。
    こんな俺でも、失われることに涙してくれる人たちがいて、救い出したいと手を差し伸べてもらえる価値があるのだと。

    ――思ってしまっても、いいのだろうか。

    死にたくなんかないのだと。
    それしか方法がないと、諦めてしまいたくなんかないのだと。
    大切な人たちの未来を守るための、その礎になって消えていくのなんて嫌なのだと。
    守ることのできたその未来に、大切な人たちと一緒に、自分もありたいのだと。
    そんな風に思っても、いいのだろうか。
    俺に、その資格は、あるのだろうか?
    もしもあるなら――、

    「死にたく、ないよ……」

  • 6二次元好きの匿名さん22/08/20(土) 18:08:38

    キャラ一人一人の心情描写の完成度がめっちゃ高いところもリゼロの大きな魅力だよな

  • 7二次元好きの匿名さん22/08/20(土) 18:20:17

    結局クズはクズなのだということを再認識させられるだけだったレグルスさんの過去と独白大好き

  • 8二次元好きの匿名さん22/08/20(土) 18:30:57

    トッドの腕の中、閉じた瞳から涙を流すアラキア。その頬を伝った涙を見ながら、そういえばまた連れが眼帯をしているなと、ぼんやりとトッドは思った。
    思ってから、ふとトッドは首を傾げる。


    そして――、


    「ジャマルの奴、顔のどっちに眼帯してたっけか……?」

  • 9二次元好きの匿名さん22/08/20(土) 18:34:10

    >>8

    敵対者に容赦ないだけで味方には僅かに情があるのかな…?って思わせてからのこれよ

  • 10二次元好きの匿名さん22/08/20(土) 18:34:48

    「いつだって! どんなときだって! やりたい! 変わりたいと! そう思ったときがスタートラインだろうが!!」

    挫折して、何もかもなくして、諦めに浸って足を止めて、膝を抱えて蹲って。
    自分への落胆、他者からの失望、大事な人たちに見捨てられる孤独感、そんなものに心底から染め上げられたような気になって、自分は駄目なんだと、そんな風に思い込んでも。

    「また顔を上げて、前にある道を歩き出すのを、誰がどうして諦めろなんて言えるんだ!」

    諦めろ、やめちまえ、蹲っちまえ。
    くだらない。何もかも、耳を貸すに足りない戯言だ。
    膝を抱えてた奴がいて、声をかけるような気紛れを働かせるなら、どうせなら応援しろ。
    頑張れ。やっちまえ。何がなんだか知らないけど、立って走ればどっかにつく。
    ――胸の奥が、熱い。

    「そうだろ、ガーフィール……!」

    目の前の、弱々しく瞳を揺らす、小さく見える男の名前を呼ぶ。
    ――腹の中身が、燃えている。

    「そうだろ、エミリア……!」

    背後からスバルたちを見下ろしている、弱さと何かの狭間にいる彼女の名前を呼ぶ。
    ――瞳の奥から、溢れ出すものがある。

    「なぁ――そうだろ、レム!!」

    顔を上げ、口を開き、目を見開いて、立ち上がる切っ掛けをくれた人の名前を呼ぶ。
    諦めて足を止めたとき、それで終わりのはずがないと、教えてくれたことがあった。
    そのときにもらった力が、万人に届くべきだとナツキ・スバルは望むから。

  • 11二次元好きの匿名さん22/08/20(土) 18:39:58

    >>5

    ここ本当に最高だよな

  • 12二次元好きの匿名さん22/08/20(土) 18:42:07

    「進んで戦争したがる奴も、それを受けて立つ奴もどうかしてる。頼むから、俺とカチュアの平穏を乱さないでくれよ……」

    城郭都市で起こった反乱の兆しも、その後の魔都カオスフレームの出来事も、いずれもトッドにとっては煩わしい騒音でしかない。
    住みよくなるなら帝国のてっぺんが変わってもいいし、ならないなら今のままでいい。
    何事も起こらず、愛しい女との日々が続けば、それで――。



    平凡な願いのように見えるけど、任務とはいえ虐殺の最中にコレってのが色々な意味で心に来る

  • 13二次元好きの匿名さん22/08/20(土) 18:47:37

    トッドって何気に心情描写や独白が多いんだけど、全然株が上がる気配がない
    このあとトッドの株が上がる展開はあるんだろうか?

  • 14二次元好きの匿名さん22/08/20(土) 19:08:38

    ――おそらく、誰も信じたりしないだろう。

    『俺の名前はナツキ・スバル! ロズワール邸の下男にして、こちらにおわす王候補――エミリア様の一の騎士!』

    あの瞬間、王城の大広間にいた全員を敵に回した大法螺吹き。
    言い切った当人さえも、どこか浮ついた感情と勢い任せの言行を隠し切れずにいた発言――それに、ただ一人、感銘を受けた男がいたことなど。

    読んだ人間の多くが「え?」ってなったであろう独白

  • 15二次元好きの匿名さん22/08/20(土) 19:11:09

    >>13

    悪役としての怖さって意味での株は上がってるから・・・

  • 16二次元好きの匿名さん22/08/20(土) 19:18:30

    >>13

    上がってる奴には上がってる

    考え方的には好ましいって奴もいるからな

  • 17二次元好きの匿名さん22/08/20(土) 20:25:44

    ――『最優の騎士』と、そう自ら名乗ることには勇気がいった。

     他者からそう呼ばれ、褒めそやされることへの誇らしさはあった。
     だが、自分から『最も』『優れたる』などと自称したことは一度もない。

     惜しまぬ努力を重ね、研鑽の日々を過ごした自負はある。
     しかし、非才で未熟な身の上では、上を見ればキリがないほど優れたる先達、尊ぶべき仲間、驚嘆すべき後進に囲まれるばかり。
     それを悔しいとも、幸福なことだとも思っていた。

     誰かに認められるということは、奮励と精進の果ての見返りであるべきだ。
     ましてや、誰しもに認められようとするのなら、その奮励と精進は途方もない、ただそれだけで誰もが恐れ入ってしまうような、そんな研鑽でなくては。

     ――はたして、自分はそれに相応しい努力をしてきただろうか。

     惜しまぬ努力と重ね、研鑽の日々を過ごした自負は、確かにある。
     しかし、限界を超えたか? 常日頃、力尽きるまで己を磨いたか? 他者の奮励に触発されて、より一層の努力を理想に誓ったか?

     その、自問自答に自ら答えよう。

     ユリウス・ユークリウスは、それを果たしてきた。
     限界を超え、力尽きるまで己の磨き、他者の奮励を手本により一層の努力を誓った。

     ――故に、『剣』の頂たる存在を前にして、堂々と胸を張れたのだ。


    「――私は『最優の騎士』、ユリウス・ユークリウス。あなたを斬る、王国の剣だ」

    この言葉でめっちゃ背筋が伸びたし、モチベーションが上がらない時はこの言葉を思い出してる

  • 18二次元好きの匿名さん22/08/20(土) 20:30:46

     ――憎悪に満ちた声を聞いた。
     ――それが、耳から離れないのです。

     ――憤怒に染まった声が追いかけてきた。
     ――それが、怖くて怖くてたまらないのです。

     ――殺意を剥き出しにした声に圧し掛かられていた。
     ――それが、魂を鷲掴みにして離してくれないのです。


     ――生に縋れば縋るほどに、誰かを傷付ける自分がいた。
     ――それが何より一番、申し訳なくて申し訳なくて、今も溺れ続けているのです。

  • 19二次元好きの匿名さん22/08/20(土) 20:44:06

    「どうして、あなたはそうまでするんですか? 私を、どうして……」

    「――――」

    「どうしてなんですか」

     問われる。何故、そんなことをするのかと。
     こうして問いかけを、以前にも受けたことがあったのを覚えている。
     大事な子に、やっぱり同じように問いかけられ、スバルはなんと返したものだったか。

     記憶が曖昧になりかけ、意識が落ちそうで、思い出せない。
     だから、目の前の泣きそうな女の子に、心が赴くままに答えを返す。

    「どうして」

     と、そう問われたから。

    「――君に、幸せになってほしいんだよ」

    「――――」

    「笑って、ほしい。……それだけで、俺はいいんだ」

     たくさんの愛に囲まれて、大好きな人たちと同じ場所で、笑ってほしい。
     花が咲いたみたいに、雲一つない青空みたいに、遠く遠く空の彼方で眩く輝いている星々のように、笑ってほしい。


     ただ、笑ってほしいんだ。君に。

  • 20二次元好きの匿名さん22/08/20(土) 20:52:17

    「母さん……」
    やめろ、やめろ、やめてくれ。
    泣き言なんて、弱音なんて、こんな掠れた声なんて出したくない。
    自分は虎だ。虎なのだ。最強で、最高で、誰よりも硬くて強い盾なのだ。それが──、
    「母さんっ……かあさんッ……があざんッ……!!」
    「なんでだよォ!なんで俺を忘れてんだよォ!せっかく……せっかく会えたのによォ!呼ぶことも……許して、く、くれねェのかよォ……ッ!」
    「があざぁん……かあ、じゃん……お、かあさん……ッ」
    ──虎よ、虎よ、どこへいった。今の自分は何に見える。
    星よ、月よ、空よ、教えてくれ。
    今の自分は、何に見える。

    雄々しく吠える虎でないなら、今の自分は、何に見える──!!

  • 21二次元好きの匿名さん22/08/20(土) 21:05:02

    本当に好き


     ──どうして、自分はこんなにもスバルに肩入れするのだろうか。
     頭痛と耳鳴りを紛らわすためか、オットーの思考にそんな疑問が割り込んだ。
     スバルが命の恩人だから、その貸し借りを返済するために協力しているのは事実だ。
     友人であるスバルのために、友人として力を貸しているのも噓じゃない。
     けれど自分は、ただそれだけのことに、求められた以上のことをやってのけようと、損得を無視して、これほど懸命になれる人間だっただろうか。
    「……ああ、そっか」
     思い悩む中、オットーはふいに道が開けた気がして笑った。
     気付いたのだ。どうして自分がこんなに必死に、スバルに肩入れしてしまうのか。
    「理解されない苦しみなんて……僕は誰よりも、よく知ってたはずじゃないですか」
     他人に聞こえない声が聞こえる『言霊の加護』は、オットーに孤独の道を強いた。
     一時は家族の愛情を遠ざけ、多くの友人との間に溝を生み、加護はオットーに自分を他者に理解してもらえない苦しみをもたらした。自分だけが知り得た言葉を、他者に伝えられない苦しみ。それは諦念となり、自分への失望に変わっていくのだと。
     ──それはオットーに、抱えたものを打ち明ける前のスバルの苦悩と同じだ。
     だからオットーはスバルを信じ、彼の姿に過去の自分を重ねて走り出した。
     今、わかった。ようやくわかった。
     何のことはない。オットーが救いたいのは、ナツキ・スバルだけではない。彼を助けることで、オットーは過去の自分を、オットー・スーウェンを救いたかったのだ。

  • 22二次元好きの匿名さん22/08/20(土) 21:10:04

    エミリアは、ベアトリスは、ラムはメィリィは、無事だろうか。ユリウスやアナスタシア、エキドナは何とかやっているだろう。パトラッシュがいればみんな安心。この場にパトラッシュがいてくれたら助けてもらえたのに。助けて助けられて、その繰り返しでやってきて、その一番の相手がレムのはずなのに指を折られた。今さらだけど、ものすごい痛かったのに、よく泣き叫ばなかった。偉い。レムの前でカッコ悪いことしたくない。エミリアの前でも、ベアトリスの前でも、ペトラやガーフィールの前でもそう。オットーやクリンド、ラムやフレデリカには情けないと知られているからいいけれど。ロズワールに知られると怖いことになるから、何とか隠し通さなきゃならない。プリステラに早く戻って、困ってる人たちを助けて、王選が、明日が、みんなが――。

  • 23二次元好きの匿名さん22/08/20(土) 21:57:41

     ――実は一目惚れだったんですなんて知ったら、あなたはどのぐらい驚いてくれましたか?


    シンプルなのにこれほど胸が締め付けられる独白があるだろうか

  • 24二次元好きの匿名さん22/08/20(土) 22:19:09

    目をつむれば、瞼の裏にははち切れんばかりの笑顔を浮かべた妹が見える。
    兄に痛い思いをさせないよう、強くなると誓って、本当に強くなった自慢の妹。そんな妹と世界へ飛び出す切っ掛けをくれた恩人、義兄弟、色んな姿が過って。

    ――自分の命を大事にしろよ、フロップ。自己犠牲なんて大馬鹿のするこった。

    いつか、無謀な生き方をするフロップを恩人がそう笑ったことがあった。
    今この瞬間、ふと思い出したそのときと、同じことをフロップは言おう。

    「僕は、大馬鹿と呼ばれて構わない」

    そんな自分の答えを、好きな人たちがみんな手を叩いて笑ってくれたから。
    踏み込み、伸ばした手で細い肩を押して、レムをその場から突き飛ばした。
    そして、振り抜かれる爪の途上、代わりに割って入る大馬鹿が一人。

    ――血が散って、フロップ・オコーネルは冷たい地面に倒れ込んでいった。

  • 25二次元好きの匿名さん22/08/20(土) 23:01:33

    >>7

    悲しい過去系と思わせてただのクズだったレグルスさんに糞すぎる過去…

  • 26二次元好きの匿名さん22/08/20(土) 23:36:08

    >>14

    ユリウスの印象に薄々感じていた「こいつ全然キザで嫌味なやつじゃない」とか「意外とノリのいい天然」の答え合わせが来たな

  • 27二次元好きの匿名さん22/08/21(日) 00:59:52

    ――ああ、やっと折れてくれた。


     と、そう思ったのだ。



    これ姉妹二人とも思ってたのがよぉ

  • 28二次元好きの匿名さん22/08/21(日) 02:37:30

     ――捕まってしまった。

     わかっていたのに、掴んでしまった。

     この手を取ってしまったら、その温もりに縋ってしまったら、もう一人の孤独な夜には戻れないことなんて、ずっと前からわかっていたのに。
     いずれ失われる温もりを頼りに生きることなんて、狂おしいほどに愚かなことだと自分を戒めていたはずだったのに。

     あの声で、呼び掛けられて。
     あの目で、見つめられて。
     あの手に、必要とされて。

     拒むことなんて、できるわけないと知っていたはずだったのに。


     ――スバル。

    「ああ、そうだよ」

     ――スバル、スバル。

    「そうだ。俺の名前だ」

     ――スバル、スバル、スバル。

     ――スバル!!

    「やっと、呼んでくれたな」

    初見ボロ泣きした

  • 29二次元好きの匿名さん22/08/21(日) 03:05:58

    見てみたいのはアベルの独白

  • 30二次元好きの匿名さん22/08/21(日) 09:09:08

    「……いってきますって、言えばよかった」
    後悔ばかりの、人生だった。
    やり直したいことなど、それこそ両手両足の指でも足りないけれど、いの一番に、それが浮かんだ。
    家を出るとき、いってらっしゃいと母に声をかけられた。
    自分は、それに答えなかった。
    何故か。

    ――台所の、水につけたコップを、洗っていなかったからだ。

    「ぐ、ふ……っ」
    コップを、洗わなかった。
    ココアを飲んで、こびりついた茶色い汚れを、洗うのが面倒だった。
    母の声に答えて、会話が生まれてしまったら、コップを洗えと言われるかもしれなかった。だから、母の声に答えなかった。コップを、洗いたくなかったからだ。
    コップを洗いたくなかったから、自分は母の言葉を無視した。
    何も言わなかった。何も言わないまま家を出て、コンビニに向かって、自分で稼いだわけでもない金を使って、そのまま、気付けばこんな場所にいた。
    母にも、父にも何も言わずに、コップを洗わないで、こんな場所にいた。
    コップの一つも洗わずに、優しい母に何も言わずに、こんな場所で、死にそうだ。
    迷惑をかけて、何一つ返せないまま、コップも洗わないで、死ぬのだ。

  • 31二次元好きの匿名さん22/08/21(日) 09:32:36

    >>8

    「あれこれと小賢しく立ち回っても、最後は運に突き放される、か。……は、空しいもんだ。けど、悪くなかったぜ」


    血の滲む手の中で双剣の感触を確かめ、ジャマルは背後のトッドにそうこぼす。

    悪くなかったとは負け惜しみではなく、本心だ。

    色々と、トッドの考えや行動には振り回され、苛立つことも多かった。

    しかし、最後には彼も帝国軍人らしく、自分の力を振り絞ることを選んだのだから。


    「カチュアには悪いことしちまったが、仕方ねえ。あいつも帝国貴族の端くれだ。オレやお前がこうなることも覚悟してただろうさ」


    帝都に残してきた妹を思い、ジャマルは微かな胸の疼きを覚えた。しかし、それはすぐに目前の敵への戦意に掻き消され、血の臭いが全てを塗り潰す。

    そうなってホッとした。――自分は骨の髄まで、ヴォラキア帝国の剣狼だ。


    「やるぜ、トッド。せめて最後に、奴らに目にもの見せてやろうぜ」


    ぐっと前傾姿勢になり、ジャマルは眼帯に塞がれた右目から流れる血を舐める。

    そして猛然と、帝国軍人としての最期の威信を示すべく、真っ向から敵へ飛び込む。

    致命的な攻撃が嵐のように降り注ぐが、もはや何の後悔もない。

    最後の最後まで自分らしくあれたことこそが、ジャマルにとって何よりの褒章だった。



    ジャマルの独白ではこんな風にトッドのこと最後まで信じてたのに、トッドお前…

  • 32二次元好きの匿名さん22/08/21(日) 10:26:22

    >>31

    「……最後の最後まで、お前さんは馬鹿だったな」

    遠くにジャマルの猛々しい咆哮を聞きながら、壁を潜り抜けてトッドは呟く。

    通り抜けた穴は即座に潰し、追ってこられないように入念に痕跡を消しておく。しばらくは都市の中ではジャマルにかかりきりだろうから、逃げる時間はあるはずだ。


    らしくない、とジャマルが言った通りだ。

    破れかぶれの策に命を託すなんて真似、トッドは絶対に死んでもしない。――否、死なないためにこそ、そんな真似は絶対にしないのだ。


    「路地から飛び出したお前さんを追わせれば、連中の注意もこっちからは逸れる。まぁ、カチュアには悪いことをしちまったが……」

    義兄を連れ帰るという約束は果たせなくなり、婚約者はひどく胸を痛めるだろう。

    そんな彼女を慰めるためにも、一刻も早く帝都に戻りたい。

  • 33二次元好きの匿名さん22/08/21(日) 10:43:16

    >>32

    ・カチュアへの罪悪感はあるけど騙して囮に使ったジャマルに対しては罪悪感とかは特にない

    ・自分も義理の兄で長年一緒に仕事をしてきた相棒を失ったのに、それに対する葛藤とか悲しみも別にない

    ・兄を見殺しにしてしまったというよりは、借りてた道具壊しちゃったくらいの感じというか、カチュアへの罪悪感も微妙に軽い

    ・極めつけが>>8


    このトッドの独白から、大罪司教みたいな狂人ではないんだがどこか異常なトッドの人間性が分かる。

  • 34二次元好きの匿名さん22/08/21(日) 14:05:42

    リゼロって地の分とか独白部分こそが肝なので、それをそのまま使えないアニメはようやっとる
    それでも書籍→アニメとアニメ→書籍じゃ印象がものすごく違ってくるよな

  • 35二次元好きの匿名さん22/08/21(日) 16:34:42

    みんななら、どうするだろう。
    一生懸命、みんなの気持ちになって考えて、そして、思った。
    みんななら、何回も死んで、無力感に打ちのめされて、どうしようもなくなったスバルを、きっとどんなボロボロになっていても、信じてくれるから。
    痛くて辛くて怖くて、泣いて喚いておしっこも漏らして、それでもみっともなく、無様に死んでしまうスバルを、信じてくれるから。
    みんなが大好きだ。
    この、紅瑠璃城のてっぺん、何回も死んで、絶望の十秒間と、その先の十一秒と、もっと先へと辿り着くための勝負、それに勝つのは――、
    ――勝つのはいつだって、お師様ッス!

  • 36二次元好きの匿名さん22/08/21(日) 16:44:40

    >>7

    流石に名前回なら何かあるだろうと思ったら本当に何も無いがあるだけだったレグルス・コルニアス大好き

  • 37二次元好きの匿名さん22/08/21(日) 16:45:33

    >>30

    コップを洗わなかった罪が重すぎる……

  • 38二次元好きの匿名さん22/08/21(日) 21:52:58

    「──大丈夫だよ、エミリアたん」
    駆け付けてくれた少年が一言、名前を呼んだ。
    ただそれだけで、胸の内から何とか出さないようにしようとしていた不安とか、悲しい思いとか、今は構っていられない感情が弾け飛んだ。
    だって──、
    「──俺の名前はナツキ・スバル。エミリアたんの、一の騎士!」
    今、こんなにも、『エミリア』の胸は熱く、熱く、鼓動を打ったのだから。

  • 39二次元好きの匿名さん22/08/22(月) 00:41:38

    普段は使えず、何が取り柄なのかもわからないような男のくせに、ナツキ・スバルという人間は、不思議といてほしい場所にいてほしいときにいる男なのだ。
    惹かれる要素は微塵もないし、異性としての魅力は欠片もない。
    彼の何がいいのかラムにはわからず、歯痒い思いをしたこともあった。
    ──いつ、だろうか。今はいい。
    ともあれ、ナツキ・スバルはそれだけの男だ。

  • 40二次元好きの匿名さん22/08/22(月) 02:50:09

     たとえ、『死』がルイが期待したモノより鮮烈でなかったとしても、『死に戻り』という権能を使い、やり直しが可能な人生を歩める権利で十分にお釣りが出る。
     そう、思っていた。――実際に、自分が『死』を味わうまでは。
    「あんなの……あんなの、耐えられるわけない! あんな苦しみ! 喪失感! 耐えられるはずがない! 無理! 無理無理! 絶対に無理! 嫌だぁ!」
    一度として、楽な死に方がなかった。
     一度として、『死』を甘美に感じることがなかった。
     一度として、自ら死にたいなどと思えたことがなかった。
    それをナツキ・スバルは、二十回以上も味わい、それを再演した。
    「あんなこと、耐えられるのは人間じゃない! 化け物! 化け物よぉッ!」

    「1度として」って所が好き

  • 41二次元好きの匿名さん22/08/22(月) 02:51:18

    >>38

    アニメで1番見たいシーン

  • 42二次元好きの匿名さん22/08/22(月) 02:54:01

    >>35

    ここで思い出すのがシャウラなのがまた感慨深いんだよな…

  • 43二次元好きの匿名さん22/08/22(月) 04:24:38

    >>34

    アニメのようやってる部分、声優さんの比重も高すぎて感謝しかない


    web→書籍→アニメ→webで反芻できちゃう

  • 44二次元好きの匿名さん22/08/22(月) 04:36:03
  • 45二次元好きの匿名さん22/08/22(月) 05:57:50

    「――ナツキ・スバル! おい、ナツキ・スバル! 立て! 今すぐ、立て!」
    もはや、意識すら一本の千切れかけの糸で繋がっているような状態のスバルへ、乱暴に駆け寄った誰かがそう呼びかけ、体を揺すられる。
    どこを掴んで揺すっているのかわからないが、とにかく揺すられる。灼熱がぶり返し、声なき声をこぼして、スバルは顔の穴という穴から液体を垂れ流した。
    もう、何も考えられない。
    今すぐに、意識を手放させてほしい。痛みと、熱さと、渇きと苦しみと、とにかくこの世に存在するあらゆる悪い言葉が頭の中で渦巻いていて――、

    「立って、言うべきことがあろう! 女を、レムという女をどうする!」
    「――ぁ」
    「貴様の口から語れ! 貴様の望みを、俺の口が語ることはできん!」
    強く熱い訴えを無理やり耳にねじ込まれ、その上、体を引き起こされる。頭と足のどちらが上なのか、それもわからないような状態なのに、引き起こされた。
    体は持ち上がらない。たぶん、上半身だけ何とか起こしたような状態で。
    「聞け、シュドラクの民よ! 見ての通りだ! 『血命の儀』を果たし、俺たちは戦士の証を立てた! ならば、同胞たる貴様らにはすべきことがあろう!」
    「――あア、シュドラクの族長、ミゼルダが見届けタ! 戦士ヨ、我が同胞ヨ! 何を望ム! 何をしろと叫ブ!」

    すぐ真横と、頭上からの声がガンガンと頭の中に響き渡る。
    まるで、脳みその防御がなくなったみたいに素通りして聞こえる声、それらの意味がよくわからないながらも、肩を揺すられ、頭を揺すられ、魂を揺すられる。
    「答えろ、ナツキ・スバル。貴様の望みを語れ。貴様の全てを、絞り尽くせ」
    「――ぉ」
    「その閉じた瞼の裏に、己が欲するものを描け。己が望みを語れぬものに与えられるものなどない。――怠惰な豚に、くれてやる餌などないのだ!」
    閉じた瞼の裏に、欲するものを思い描け。
    銀髪の少女が見える。クリーム色の髪をした幼い少女、桃色の髪の少女、灰色髪の青年や金髪の少年、他にもたくさんの、人の顔が、見えて。
    ――青い髪の少女が、その人たちの中にいるのが嬉しくて。

    「れむ、を……」
    「なんだ!!」
    「た、すけて……」
    「――――」
    ぽろぽろと、自分が剥がれ落ちるような感覚を味わいながら、スバルの唇がそう紡ぐ。それをした途端、肩を、おそらく肩だろう部分を掴む手に力がこもった。

  • 46二次元好きの匿名さん22/08/22(月) 16:28:13

    こんなに心に響く名シーンが多いのに勧めた弟に
    どうせ唯のなろう異世界物だろって言われたの悲しい…

  • 47二次元好きの匿名さん22/08/22(月) 18:12:41

    これは、きっと、始まりになる。
     一度は始めたことを、今一度、ここで、新たに、終わりから、始める。

     そのための、約束を、交わそう。
     ここで、この世界で、この場所で、エミリアと交わした言葉を、本物にする。

     救われたこと、救いたいと願ったこと。
     全部抱えて、終わりから始めよう。燻っていた時間は、おしまいだ。

     呪いのような執着、いいじゃないか。望むところだ。

     ナツキ・スバルに、愛される資格があるかは、わからない。
     でも、エミリアに、エミリアたちに、愛される資格はあるから。

     この終わる世界で、この始まりの世界で、君たちが、俺にかけてくれた言葉を、君たちが覚えていないで、忘れてしまったとしても。

     この終わる世界で、この始まりの世界で、君たちに、俺がぶつけてしまった言葉を、君たちが覚えていないで、忘れてしまったとしても。

     俺が覚えてる。全部、覚えてる。今度こそ、しがみついてでも、忘れないから。



    「たとえ、君が忘れても――俺が、君たちを忘れない」


     ――ずっと、覚えていろよ、ナツキ・スバル。

  • 48二次元好きの匿名さん22/08/22(月) 20:12:32

    「こうしている場合ではない。無き陛下のご無念に報いねばならん」
    誰かがそう言って、それに賛同する声が上がる。それが次第に広がり、クルシュもまた空元気であろうと、顔を上げねばと奥歯を噛んだ、
    下を向き続けるなど、それこそフーリエの願いへの最大の裏切りだ。
    いつだって前向きであろうとしたフーリエの、その笑顔が脳裏に思い浮かび上がり――

    「王家の血脈が断たれたのです。すなわち、龍の盟約が失われるということ。親竜国家ルグニカにとって、これ以上ない悲劇です」

    ――思い浮かべたフーリエの笑顔が、その発言にひび割れる。
    耳を疑い、顔を上げたクルシュの前で別の男が頭を抱えていた。
    「まさか血族の全員がお隠れになるとは・・・・・・龍はなんとするでしょう? 盟約が失われたら王国はどうなります? 帝国や聖王国と、関係悪化の現状で!」
    ――何を、言ってる。
    「補完してある『龍の血』も問題だ。よもや返還を求められないとも限らん。そうなったときのために、先んじて使用する事も視野に入れて・・・・・・」
    ――お前たちはいったい、何を言ってるんだ。
    彼が口にするのは揃いも揃って「王家の断絶に龍がどう出るか」だけであった。龍の庇護に幾度も救われてきた王国だ。彼らの懸念はもっともであり、クルシュとて龍に頼る気持ちはある。だが、いの一番に嘆くことがそれか。
    王国の行く末に論を交わすならいい。国王の不在に際し、他国との折衝に心を砕くのでれば許せた。しかし、龍におもねるための相談が何よりも優先されるのか。
    嫌悪感がこみ上げ、それと同時にクルシュは気付いた。気付いてしまった。
    誰も、王家の断絶を本気で悲しんでなどいない。彼が不安を抱き恐れてるのは王家断絶の結果、龍に見限られることだけだ。
    国王の死も、王家の断絶も、二の次だ。
    ――フーリエ殿下の死は、彼らにとって、ついでの悲劇でしかない。
    おぞましいのはクルシュですらフーリエと親しくしていなければ、彼らと同じ不安を抱いただろう事だ。魂にこびりついた、ぬるま湯の甘えだ。
    それはクルシュがもっとも嫌悪し、耐え難い、魂を曇らせる生き方そのものだ。

  • 49二次元好きの匿名さん22/08/22(月) 23:56:57

    自分の行動の根源となっていたはずの思いまで裏切って、叫びが出た。

     報われることのなかった気持ちが、賞賛を求める虚栄心が、満たされることを望む渇望が、愛されることを願う利己心が、混迷の極みにあるスバルをそう導いた。

     そしてそれは、互いにとって、決定的な一言だった。

    此処の前後めちゃくちゃしんどいしアニメ見返したく無いけど演技が凄すぎて好き

  • 50二次元好きの匿名さん22/08/23(火) 05:57:17

    >>46

    じゃあ、弟くんにこのスレを見せてみたら?

    断片的なシーンだけでも熱さや感動のカケラは伝わると思う

  • 51二次元好きの匿名さん22/08/23(火) 05:58:35

    何の目的もなく、生み出された時点で役目を終えた人工精霊。
    そんな役回りだと思っていたが、これが存外、それで終わるだけのものでもない。
    大切な少女と、大切な騎士と、欠ける二人の橋渡し。
    なんと、責任重大な大役ではないか。
    そのために生まれてきたのだと笑えるぐらい、責任重大ではないか。
    だから──、
    「──君の騎士の一番カッコいいところを見ないなんて、そんなもったいない真似、ケチな君らしくないじゃないか」

  • 52二次元好きの匿名さん22/08/23(火) 17:28:29

    >>29

    ――治癒の光が発動し、ナツキ・スバルの致命の傷が癒えていく。


    「――――」

    腕を組み、それを見下ろしながら男――ヴィンセント・アベルクスと名乗った人物は、途切れかけた命を繋いだスバルに嘆息する。

    何とも、悪運の強い男だと思う。死にかけの状態でシュドラクの民の心を掴み、その上で取り戻したいものを取り戻した挙句、自分の命まで拾ったのだ。

    まさか、あの青い髪の娘――レムを取り戻せば、自分の命が助かると打算的に考えていたのかとも推測できるが。

    「そのように器用なら、まずは折られた左手の指を治していようよ」

    レムに折られた指もそのままに、血と泥に塗れて彼女の奪還を願った男だ。

    そんな打算を可能とするならばまさに神算鬼謀というべきだが、そうした知恵者としての凄みや佇まいは一切が感じられない。

    それこそ、風説で語られる『英雄』としての片鱗など微塵もない男だった。

    「落命する男への手向けのつもりだったが……生き残るなら、それはそれでいい」

    顔を覆う感覚を失い、久々に風に当てた素顔に触れながら男は目を細める。

    ナツキ・スバルは命を拾い、シュドラクの民との血盟は結ばれた。どうやら陣の帝国兵たちは何も知らされていなかったようだが、それも予測の範疇だ。

    まだ、この地の――否、この帝国の大半の人間が気付いていない。

    強国である神聖ヴォラキア帝国に訪れた、未曾有の政変の一大事に。

    だが――、


    「宰相ベルステツ、寝返った九神将、そして頂を知らぬ愚かなる帝国兵共よ」


    熱を孕んだ風の吹く丘の上、男――アベルははるか西、帝都の方へと向き直る。

    神聖ヴォラキア帝国の中心、帝都ルプガナ、奪還すべき玉座のある地――、


    「――俺の帰還を震えて待つがいい」


    そして――、


    「せっかく生き延びたのだ。付き合ってもらうぞ、ナツキ・スバル。――我が手に、ヴォラキア帝国を取り戻すために」

  • 53二次元好きの匿名さん22/08/23(火) 20:37:15

    >>51

    ずっと「自分には何もない」と諦めて生きてきた襟ドナが「大切な人のために生きるってだけで十分じゃないか」って悟れたのいいよね

  • 54二次元好きの匿名さん22/08/23(火) 20:39:48

    >>48

    悲しいけど人間こうだよねな話ですき


    似たかんじだと最近の『合』の仲間の死も

    彼らを知らずに死んでたらスバルも読者も悲しまなかったよねって残酷さ思い知らされるのいい

  • 55二次元好きの匿名さん22/08/23(火) 22:28:03

    それは、たどたどしい演説だった。
    『聞こえてるみたいで助かる。で、まず最初にいきなりこんな放送してごめん。驚かせちまったと思う。今度は何を言われんだって、不安に思った人が大勢いるはずだ。けど、安心してほしい。今、この放送をしてる俺は魔女教の人間じゃない。最初にそのことをわかってくれ』
    不必要なところで正直で、聞いてる人が不安になるような事も、包み隠さず話してしまって。
    それなのに、最後の最後で、みんなの不安を蹴飛ばすような事を言うのだ。
    『――それでも逃げられないから、戦う。俺は、それだけの奴だ』

    それは真摯で、きっとエミリアが、この瞬間に一番欲しがっていたもので。
    きっと、この都市の人々が、この瞬間に一番欲しがっていたもので。
    『信じさせてくれよ。弱くてどうしようもない俺が、まだ諦められねぇんだ。諦めの悪い弱虫が俺だけじゃないって……そう信じさせてくれよ』
    ああ、この声は本当に卑怯だ。 震えていて、一生懸命で、泣きたくなる。
    聞こえないはずの、声の主の鼓動が聞こえる気がする。――泣きたくなる音が聞こえる。

    『それとも、俺だけなのか?』
    ――ううん、そんな事ないよ。
    『まだやれると……まだ戦えると、そう思ってるのは、俺だけなのか?』
    ――ううん、大丈夫、私もまだ、頑張れるから。
    『違うよな?』
    ――うん、絶対に違う。絶対の絶対に、心の底から、全然違うから。
    『まだ、みんなも戦ってるよな? 弱さに呑まれやしないよな?』
    ――あなたの声が聞こえるから、大丈夫。へっちゃら。何にも、怖くないわ。

    『――俺の名前はナツキ・スバル。魔女教大罪司教、『怠惰』を倒した精霊使いだ』

    その名乗りを聞くだけで、エミリアの中の冷たい絶望は打ち払われる。
    ほんの少し前まで、自分の無力を呪ってたのに。
    ただ、この声が聞こえただけで安堵してしまった。満たされてしまった。
    だって、彼が言ったのだ。エミリアの騎士が、言ったのだ。
    『――あとのことは全部、この俺に任せておけ!』
    任せておけと、彼がそう言ったのなら、きっとどんな暗黒さえも晴れるだろう。
    どんな理不尽も不可能も越えて、きっと彼ならやり遂げる。

  • 56二次元好きの匿名さん22/08/24(水) 05:41:48

    このレスは削除されています

  • 57二次元好きの匿名さん22/08/24(水) 05:50:02

    そうして、必死に言葉を並べるスバルに、タンザが嗚咽を堪えながら接してくれる。
    最後の最後まで、自分を案じるスバルに何かをしなくてはと、必死に。

    でも、違うのだ。
    順番が、あべこべだ。
    タンザが、先によくしてくれた。何もかも、スバルに思い直させてくれた。
    ナツキ・スバルが、最後の最後まで諦めなくていいのだと、思い出させてくれた。
    そのおかげで、まだ、また、戦うことが、できる。
     
    だから――、
    「――次、だ」

    そう、小さく決意を口にするスバルに、タンザが目を見開いた。
    だが、彼女にはそれが、死にゆくスバルの最後の意地のように聞こえたのだろう。

    目に涙を溜めたまま、じっと感情を堪え、タンザの小さな手が、細い指が、そっと震えるスバルの手を優しく包みこんだ。
    そして――、

    「はい、そうです、シュバルツ様。次こそはきっと、負けません」

    スバルの最後の願いを汚さぬように、涙ながらにタンザが言った。
    噛み合って、いない。でも、その互いを救いたいという想いは噛み合っている。
    それで十分だった。
    その、十分な想いと、この瞬間の気持ちを抱えたまま――、
    「――俺が、みんなを」

     ――救ってみせる。

    その決意を最期に、ナツキ・スバルの命は燃え尽きて――。

  • 58二次元好きの匿名さん22/08/24(水) 06:07:13

    レグルスは口を開けた。開けた口に水が、泥が、流れ込んでくる。それに肺や内臓を犯されながら、レグルスは叫んだ。声にならない声で叫び続けた。
    人の名前ではない。この状況で、最期に叫ぶ誰かの名前なんて持っていない。
    返事はない。誰も、彼の傍にはいない。最期の瞬間、独りだ。
    それでも叫び続けた。この叫びで、世界中の人間が死 ねばいいと恨みを込めて。
    自分が死んだあとで、嘲笑われるなんて絶対に御免だ。
    あの娘に、母親やペテルギウスの仇を取ったなんてはしゃがれるのも御免だ。
    あの娘がレグルスの死を喜び、飛び跳ねて感激すると考えただけで反吐が出る。
    人生の目標か、生きる方針か、それを達成したみたいに振る舞うに決まっている。
    レグルスの死によって、自分の人生は動き出す。輝き出す。
    筋違い、見当違い、甚だ理屈に合わない喜びで、レグルスの死を何かの切っ掛けみたいな世迷言を言って、自分を満たす理由にするなどと、耐え難い。
    自分の死が、あの娘の心に大きな大きな影響を──ぉ。

    ──それは奇しくも、土中に沈むレグルスが絶叫したのと同じタイミングだった。
    届かない叫びで、エミリアに自分の死を喜ばれたくないと願った凶人。
    母親の死と恩人の豹変、その両方に関わった自分の存在は、少女にとって忘れ難い人生の楔であり、そんな自分の死が彼女を満たすことなど絶対に拒絶すると。
    そんな凶人の、地上まで届くことのなかった最期の願いは──、

    「──レグルスって、私とどこで会ってたんだろう」

    レグルス・コルニアスが、エミリアに残した影響など何一つない。
    そんな皮肉な形で、しっかりと叶ったのだった。

  • 59二次元好きの匿名さん22/08/24(水) 12:42:52

    >>58

    ざまぁwww

  • 60二次元好きの匿名さん22/08/24(水) 20:02:48

    このレスは削除されています

  • 61二次元好きの匿名さん22/08/24(水) 20:05:08

    >>7

    でも強欲因子手に入れなかったらどうなるか考えさせられるいい独白だと思う

  • 62二次元好きの匿名さん22/08/24(水) 20:07:20

    >>58

    これがレグルスにとっていいことだったのか悪いことだったのかどっちなんでしょうね

    みたいなことがこの後のあとがきで書かれていたような記憶

    どっちでも美味しい

  • 63二次元好きの匿名さん22/08/24(水) 20:20:07

    「・・・・・・触わるな、嘘つき。あんたはいつも、嘘ばっかり・・・・・・兄さんも連れて帰ってこなかった。そのあとも、どこにもいかないって言ったくせに・・・・・・」

    「ぐうの音も出ないよ。俺は嘘つきで、とんだ約束破りだ」


    カチュアの言うとおり、トッドは嘘に嘘を重ねた。無事に連れ帰ると約束したジャマルを死なせ、帰り着いた帝都で誓った離れないという約束も守れない。

    もっとも、そのどちらも不可抗力だと、トッドは言い訳させてほしい。

    ジャマルを囮にしなければ、トッドはこうして生きて帰って来れなかった。そのジャマルの代わりに拾った──助けた女が裏目に出たのは皮肉だが。


    「アラキア一将に見込まれた。俺にジャマルの仇を討たせてくれるらしい」

    「──兄さん、の」

    「ちゃんと役に立つことを証明できればだけどな」

    掠れた声で呟くカチュアに答えながら、トッドは内心では忌々しさで顔を歪めていた


    正直、ジャマルの敵討ちなど心底どうでもいい。ただ耳心地のいい理由として語った作り話が、思った以上にアラキアに響いたのは誤算だった。

    おかげで彼女は、親友を失なったトッドを自分の部下に加えると、宰相に直談判したらしい。

    結果、トッドは彼女の唯一の部下として、帝都を離れなくてはならない。与えられた立場に見合った実力があるか、それを証明するために。

    そのためにアラキアと同行するのが──。

    「剣奴孤島、ギヌンハイブ」


    「一個だけ約束して」

    トッドに後ろから抱かれながら、震え声でカチュアがそう言ってくる。

    何度も約束を破られながら、それでも約束を求める彼女に、トッドは無言で頷いた

    「お願いだから、あんたは・・・・・・あんたは、無事に帰ってきて・・・・・・」

    きゅっと、後ろから抱いたトッドの腕に、弱々しいカチュアの手が重ねられる。

    その感触を確かめながら、トッドは「ああ」と愛おしい女の髪に口づけした。

    そして心に決める。――たとえ、どんな犠牲を払っても、この女の元へ帰るのだと。

  • 64二次元好きの匿名さん22/08/24(水) 20:34:34

    前提も立場も安寧もわかる
    だからこそトッドは調略が簡単だし取り込むの楽だと思うのよね

  • 65二次元好きの匿名さん22/08/24(水) 20:49:26

    >>64

    でも、あいつ、自分を操ろうとする目をしたら襲ってくるぜ

  • 66二次元好きの匿名さん22/08/24(水) 22:10:48

    >>64

    トッドは自分が有利な状況でしか交渉をしない

    トッドは自分を操ろうとする者を受け入れない


    つまり、トッドに有利な状況下で、トッドを思惑通りに動かそうなどカケラも考えずに、なおかつトッドにも得になる条件を提示しなければ、トッドは調略できないと思う

  • 67二次元好きの匿名さん22/08/24(水) 22:16:46

    違う違う、スバルがやってるのはあくまで個に対するもんで後ろ盾もねえから死人に口無しでそうなるんだよ
    カチュアを人質にするでも権力を傘にでもして必要なときに動いてくれればずっと家に居ていい、それが条件だとでもすれば平穏が守られる限りあれは味方よりの中立になるよ

  • 68二次元好きの匿名さん22/08/25(木) 06:06:59

    「言っただろうが! あいつらは俺を囮にして、そのあともヘマしたんだよ! そんな馬鹿共のことなんざ、知ったことか!」
    「――でも、崖下に鞄を落としたとき、食い物を分けてもらったんだろ?」

    そう、遮るスバルの言葉を聞いて、ヒアインが「あ」と目を見開いた。
    愕然としているヒアインに、スバルは「他にも」と言葉を続ける。

    野盗から逃げるのに手を引いてもらったり、火が起こせなかったときに代わりにやってくれたり……最後の記憶は、悪いもんかもしれないけど」
    「――――」
    「その最後の顔が、その人の全部だと思うのは寂しすぎるよ」

    極限状態で人間の本性が出る、なんて話がある。
    なんて馬鹿馬鹿しい話だと、スバルはあの理屈にふざけるなと言ってやりたい。
    非日常、どうしようもない事態に置かれたとき、そこでその人がしてしまった行動で、その人の全部を決めつけるような馬鹿げた話だ。

    だったら、『スパルカ』の場面でヒアインが、ヴァイツが、イドラがやってしまったことが、彼らの本性だとでもいうのか。
    臆病で卑怯で詐欺師で、それがその人の全部だと決めつけるのか。
    逃げずに、出し抜かずに、騙さずに、スバルと協力した瞬間があったから、こうして全員で命を拾っているんじゃないか。

    だから――、

    「話してみたら、違う話が聞けるかもしれない」

    今、スバルが大好きだと思う人たちも、最初から大好きだと思えたわけじゃない。
    その人たちの嫌な顔も見た。それでも、スバルはみんなを好きでいたいと思った。そしてそれは何も、スバルだけが特別なことじゃないと思うのだ。

  • 69二次元好きの匿名さん22/08/25(木) 12:43:02

    プレアデス監視塔の攻略において、用意されていた複数の難題のクリアが為される。
    これも、仲間たちが一丸となり、互いを信じて力を合わせた結果だ。
    エミリア的な言い方をするなら、『みんな仲良く』が叶った結果と言えるだろう。

    そのおかげで、ここまで辿り着くことができた。
    ならば、あとは――、

    「――全員で勝てなきゃ、嘘ってもんだろうが!」

    最初、このプレアデス監視塔へやってくるとき、エミリアが言った。
    なくしにいくのではなく、失われたものを取り戻しにいくのだと。
    その彼女の言葉に同意したのだから、全員で無事に砂海から帰らなくてはならない。きたときよりも、帰りの人数が増えたとしても、それはそれだ。

    スバル、エミリア、ベアトリス、ラム、レム、メィリィ、アナスタシア=エキドナ、ユリウスにパトラッシュ、そこにシャウラも加えてもいいだろう。
    帰りの道中、どれだけ騒がしくても、ウザったくても構わないから。


    けっこう好きな独白だったんだけど書籍ではカットされてて残念

  • 70二次元好きの匿名さん22/08/25(木) 19:13:37

    ――ガラガラと、疾風馬の引く馬車の揺れを尻に感じる。
    あまり、居心地のいい旅ではなかった。
    乗り心地の話ではなく、居心地の話だ。乗り心地に関して言えば、おそらくは帝国でも有数の優遇措置なのだろう。それを、ありがたいとはあまり感じない。

    豪奢な馬車の居心地が悪いのは、窓の少なさと手綱を握っていないこと。無論、どちらも狙われやすさと引き換えの余地なので、どちらを好むかは人それぞれだろう。
    単純に、自分は他人任せで対応が遅れるのを嫌うというだけ。
    この馬車自体、土魔法の防護がかかった強固なものだし、周囲の警戒に関しては自分よりよっぽど優れた感覚の持ち主が対応している。

    「至れり尽くせり、なんだろうな。望まぬ旅なことを除けば」

    とかく強者が尊ばれる国風だけに、『将』の持て囃され方は極端なものだ。
    言うなれば、こうして扱われる自分も強者側に置かれていると言えるのだろうが、それ自体がありがた迷惑というのが本音である。
    それこそこの世の頂点でもない限り、強いと思われて得することより、損することの方が多いというのが持論だ。弱いと思われている方が、ずっとやりやすい。

    「――退屈してる?」

    不意に、屋根の上から声がかかり、閉じていた目をゆっくりと開ける。
    聞こえてくる声の主は屋根の上にいて、馬車の中は自分以外は空っぽの状態だ。他人がいると息が詰まるから無人は結構だが、文明人らしからぬ同行者は目に余る。
    とはいえ、口で言ってどうなる相手でもない。教育も躾も、誰かがやればいい。
    さして長く付き合うつもりもないのだ。彼女が親身になってくれているつもりらしい復讐に関しても、適当な相手の首を仇だとでっち上げたらいいだろう。

    「聞いてる?」
    「聞こえてる。考え事をしてただけだ。そっちこそ、ちゃんと指示は覚えてるか?」
    「そのぐらい、わたしも覚えられる」

    心外、とでも言いたげな口ぶりだが、信じていいものかは疑問の余地があった。
    大体、考えるのが苦手だからと、方針を部下の、それもたかだか上等兵に丸投げしてくる『将』なんて聞いたこともない。丁寧な言葉づかいもやめろと言われ、望み通りに対応してやっているが、何を考えているのか全く不明だ。
    たぶん、懐かれているんだろう。ジャマルの女版だと思えば大差なさそうだ。
    ジャマルよりも捨て場所に困りそうなのが面倒だが。

  • 71二次元好きの匿名さん22/08/26(金) 00:07:10

    >>70

    不穏な内心だけど、トッドの肉付けうめえ・・・

    この考えだからあの言動あの行動なのがよく分かる

  • 72二次元好きの匿名さん22/08/26(金) 05:59:12

    こうやって見るとトッドの独白本当に多いな

  • 73二次元好きの匿名さん22/08/26(金) 06:07:45

    「いずれ、必ずあなたたちを打ち滅ぼしてくれる英雄が現れます。あなたたちがどれほど身勝手で、どれほどの自己満足で不幸を生み出してきたのか、その人がきっと思い知らせてくれるでしょう。レムの愛する、たったひとりの英雄が」

    「へェ、英雄。そいつぁ、俺たちも楽しみだ。そんだけ信じられてるってことは、さぞやそいつも僕たちにとって美味なんだろうしさッ」
    手を叩き、上体を屈めるバテンカイトスが舌を伸ばしてレムを品定めする。
    それは敵を見る目でも、ましてや女を見る目でもない。その視線に宿る光はまさしく、食材に舌舐めずりする餓鬼のものに他ならなかった。

    「ロズワール・L・メイザース辺境伯が使用人筆頭、レム」
    自らの立場のあとに名乗ろうとして、レムは首を横に振った。
    今この瞬間だけは、本当に名乗りたいとそう願う名前を――。

    「今はただのひとりの愛しい人。――いずれ英雄となる我が最愛の人、ナツキ・スバルの介添え人、レム」

    白い角が額から突き出し、大気に満ちるマナをかき集めてレムに活力を与える。
    全身に力がみなぎり、鉄球を握る腕が蠕動し、氷柱が今か今かと呼び声を待つ。
    目を見開き、世界を認識し、大気を感じて、ただただ脳裏に彼を描いた。

    「覚悟をしろ、大罪司教。――レムの英雄が、必ずお前たちを裁きにくる!!」

    鉄球を振り上げ、氷柱が打ち出されるのと同時にレムの体が弾けるように飛ぶ。
    それを迎え撃つように、バテンカイトスはその牙だらけの口を大きく開き、

    「あァ、いい気概だ――じゃァ、イタダキマスッ!」
    ぶつかる、ぶつかる、そしてその瞬間、思う。

    願わくば、自分が失われたことを知ったとき、彼の心にさざ波が起きますよう。

    ――それだけが、レムの最後の瞬間の願いだった。

  • 74二次元好きの匿名さん22/08/26(金) 12:27:16

    『劇場型悪意』はスバルのモノローグがだんだん狂っていくのが分かってマジで怖い

  • 75二次元好きの匿名さん22/08/26(金) 14:12:25

    『期待してるぜ、息子』
     音が、した。
     ノイズの向こうから、音の乱反射の中から、やけに明瞭な音が聞こえた。

    『――いってらっしゃい』
     また聞こえた。
     違う音が、聞こえた。でも、胸にもたらすものは同じ、音が聞こえた。

    『私は君を、友と呼びたかった』
     違う音、感じる思いも変わる音。
     ひどく、落ち着きがなくなりそうになる音。けれど、心地よくもある音。

    『スバル殿……申し訳、ありませぬ……っ』
     また別の音。
     胸に去来するのは寂寥感と、憧憬に似た何かで、申し訳なくなる音。

    『お前が、その人じゃないことぐらい……わかって……でも』
     胸が締め付けられる音が聞こえた。
     その音を聞くと、無性に我慢ができなくなる。泣きそうな音。泣かせてはいけない音。守ってあげなければいけない音。音。音。音。
    『かっこいいところを、見せてください。スバルくん』
     どくんと、自分の内側で何かが弾ける音が音に反応した。
     体中が熱くなる。使命感に突き動かされる。この音に、ずっと支えられてきていた。
     そして、

    『ありがとう、スバル』
     音が、した。

    『――私を、助けてくれて』

     ――全ての始まりを告げる、音が、した。

  • 76二次元好きの匿名さん22/08/26(金) 15:10:28

    「いったいいつから、僕はこんな風に他人のために駆け回るようになったやら……」

     灰色の頭に手を当て、オットーはこの一年で何度も考えた疑問に再び思い悩む。
     立ち位置が予想外、人との関わり合いが予想外、今の自分の感情が予想外。
     自分がこんなことをしてると知ったら、家族はどう思うだろうか。

    「無事に片付いたら、手紙でも書いてみますかね……」

     この場にスバルがいたら、間違いなく『死亡フラグ』と指摘するだろう発言をぼそりとこぼし、オットーは都市三番街へ向かって足を進める。
     大罪司教は制御搭に集中しているはずで、こちらの考察では魔女教徒は都市に配置されていないはずだ。いない、はずだ。

    「はぁ……はっ」

     胸をギュッと掴んで、オットーは自分の動悸が早くなるのを感じていた。
     魔女教、大罪司教、魔女教徒――それはオットーにとって、恐怖の記憶に繋がる。

     一年前、スバルたちとの出会いの記憶は、オットーにとって命を奪われかけた記憶と表裏一体だ。あのとき遭遇した大罪司教の恐ろしさは、今も忘れられない。

     人の命を奪うことを、何とも思っていない狂人の瞳を。
     その狂人に従い、自分の意思なく血と肉を捧げる狂信.者たちの姿を。
     誰かに助けてほしいと心から願ったとき、静寂だけが支配した無音の孤独を。

     あれほど恐怖したことはない。あれほど空っぽになったことはない。
     あのときの怖さに比べれば、ガーフィールと戦ったときも、腸狩りと向かい合ったときも、魔獣の群れと遭遇したときも、何ほどでもなかった。

     魔女教との遭遇は、それほどオットーの心に暗い影を落とす。
     これだけ恐ろしいと思っているのに、その魔手は決して離れていきはしない。

  • 77二次元好きの匿名さん22/08/26(金) 15:11:35

    >>76

    続き


    『嫉妬の魔女』との類似性から、魔女の誹りを免れないエミリア。

     彼女の騎士を拝命し、半魔をつけ狙う魔女教と戦い続ける運命のスバル。


     スバルと運命を共にし、小さな体の全部を費やそうとするベアトリス。

     家族を守るために、己の全てを拳に込めるガーフィール。

     口の悪さと裏腹に、誰も見捨てられない甘さのあるラム。

     弟への負い目と、立場の責任感を抱えて生きるフレデリカ。

     子ども扱いされながらも、全員の笑顔のために晴れやかに振舞うペトラ。


     みんなが好きだ。

     一所に留まるまいと思っていたのに、いつの間にか居心地が良すぎて。

     恐ろしいものを相対するとわかっていても、彼らの傍を離れがたくて。


     この場所を守るためなら、彼らと並んで立っているのに必要なら、恐怖の象徴さえもねじ伏せて、彼らの手の届かないところを全部補っていたいと思う。

     だから――、


    「どうにかして、僕は僕の役割を果たさなきゃならないんですよ」



    4章の時点でオットー大好きだったけど、ここで更に好きになってしまった……

  • 78二次元好きの匿名さん22/08/26(金) 20:56:41

    「――だから、全部、私が悪いの」
    自分の罪を告解し、ペトラはうつむいたままキュと手を硬く握った。
    メィリィも、子犬も、スバルを頼り彼に大怪我をさせたのも、全部、自分が悪かったのだと。
    罪の告白を聞き終えて、スバルは難しい顔で押し黙ってる。

    目をつむれば、ペトラのまぶたの裏にはベットに横たわるスバルの姿が甦った。
    すぐ隣にいる実物のスバル、その袖まくりした腕には白い傷跡がいくつもあった。それはきっと消えない傷。さっき、スバルがペトラを心配したように――。
    「――あのさ、ペトラ」
    「――うん」
    スバルに名前を呼ばれ、ペトラはその時がきたと奥歯を噛んだ。
    何を言われるのか、どんな風に詰られるのか。今までどんな問題も、必ず許されてきたペトラには、許されないことがどれほど怖いのかわからない。
    だから顔を上げて、スバルが困ったように苦笑してるのを見た時、ペトラは呼吸を忘れた。

    「別に、ペトラは悪くない・・・・・・いや、違うな。謝ってくれたんなら・・・・・・でもなくて・・・・・・」
    「え、と・・・・・・」
    「ん。たぶん、これだな」
    首を捻り、言葉を選ぶスバルに、ペトラは動揺する。そんなペトラを尻目に、スバルは納得したような顔になると、ペトラに頷きかけた。
    「――許すよ」
    「――――」
    「ペトラがまぁ、色々と失敗したのは事実だ。それを無責任に、なんにも悪くないよー、ってのも違う気がしたからな。で、そうなると、こんな泣くほど反省してるペトラに、なんて言ってやるのが一番いいかって考えると・・・・・・」
    「――――」
    「ペトラのことを許すよ。大丈夫、怒ってない。傷も、ペトラとメイーナに残ってないならよかった。俺とリュカたちは別な。男の傷は勲章だから」
    そう言って、スバルは笑った。
    その顔は、前にペトラがスバルに初めて好感を持ったときとおんなじ顔で。
    「――ふぁ」
    そのときはと全く違う衝撃に、ペトラは再びの決壊を味わい、泣いてしまった。

  • 79二次元好きの匿名さん22/08/27(土) 03:14:11

    >>78

    続き


    夜、ペトラは自室のベットの中、ずっと一人で考え込んでいた。

    なぜスバルは怒らないのか。どうして自分は許されたのか。

    「私が・・・・・・」

    可愛いから、ではない。それではどうしようもないことがあると、すでにペトラは十分以上に思い知った。スバルが許してくれた理由はそれではない。

    ならばペトラが許されたのは。


    「・・・・・・優しい、から」


    優しい、その言葉が思い浮かんだ瞬間、ペトラは理解した。

    スバルがペトラを許してくれたのは、きっと、スバルが優しいからだ。スバルがペトラたちを助けるために森の中に入り、ペトラの頼みを聞いてメィリイを助けに向かい、怪我をしても文句を言わず、心配する村人たちに顔を見せに来て、泣いてるペトラの頭を撫でてくれたのは、スバルが優しいから。


    「――ぁ」


    途端、ペトラはこれまで自分が大きな勘違いをして生きてきたことに気付いた。

    大人たちがペトラの悪戯を許し、つまみ食いを許し、仕事をサボることを許してくれたことを、ペトラは自分が可愛いからだと思ってきた。違った、

    なんて勘違い。何て馬鹿な思い違い。あれは、みんなが優しいから許されてたのだ。


    ペトラの人生は、いつも誰かの優しさに甘えながらなりたってた。そのことにやっと、ペトラは気付いた。

    気付けたのは、今までで一番大きな大きな優しさのおかげだった。

  • 80二次元好きの匿名さん22/08/27(土) 13:17:18

    強く、なければいけない。剣で、それを証明しなければならない。
    名前を、家を、家族を、主君を、戦友を、友を、魂で結ばれた精霊を、失って。
    残ったものは、これだけだ。残ったものは、自分だけだ。自分が自分として積み上げてきて、形のない、これだけが残ったものなのだ。これだけが、自分の存在証明なのだから。

    剣の頂を、目指したことがあった。
    その場所ならば目指せるのではないかと、思ったことがあった。
    すぐに、それは高望みだったと手放した。
    赤い髪の少年が、剣を手にした少年が、大いなるものを背負っていると、その目ではたと気付いたときに。
     
    憧れがあった。輝く物語が溢れていた。
    それらに並び立とうとするには、今の自分では足りなすぎると思った。
    だから懸命になって、足掻いて、いずれあのときに手放した夢にもと、思って。

    剣すら振るってもらえずに、振るった剣を届かせることも叶わずに、重ねてきた努力など無意味だったと、積み上げた血と汗は無為だったと、突然に崩された自分の人生の中、唯一、これだけはと信じたものさえも、踏み躙られて。

    在り方に、過ちはないと。これこそが自分の道だと、信じて歩いてきた。
    それは今もそうだ。それが揺らぐことなど、生涯ありえぬと、思ってきた。
    だから、それがこの手をすり抜けて消えたのは、正誤とは別の問題のはずだ。

    ――それとも、誤りだったのか?

    在り方を損ない、選ぶ道を過ち、信じるものを見誤ったから、これなのか。
    名前を、家を、家族を、主君を、戦友を、友を、魂で結ばれた精霊を、失って。
    唯一、これだけはと残ったはずのものさえ、取るに足らない、縋るに足らない、支えになどならないまやかしだったのだとしたら。

    ――強く在り、あなたを支えると、主君に誓った。
    ――強さを覚えていると、ただ一つ残った友に言われた。

    何もかもなくした世界で、その『強さ』だけが、この身を支える唯一なのに。
    その『強さ』だけが、この、脆く弱々しい自分の、消えない『確か』だったのに。

  • 81二次元好きの匿名さん22/08/27(土) 13:33:40

    このレスは削除されています

  • 82二次元好きの匿名さん22/08/27(土) 18:46:11

    「お前の腹の底がわかってるなんて、知ったような口は利かねぇよ」
    「――――」
    「けど、今、お前が一人でこの階段を、長ったらしいこの階段を、独りっきりで歩いて下りる必要なんかねぇんだ。肩ぐらい貸してやるし、貸しだとも思わない」

    貸し借りの話など、馬鹿げている。
    それを言い出せばスバルなど、ユリウスにいったい、どれだけ借りがあるのか。
    それこそ一番最初の借りはきっと、あの王城での練兵場から始まって。

    ――ユリウスが、レイドに勝てないとわかって挑みかかった理由は、わかる。

    あのときと、あのときのスバルと同じだ。
    あのときのスバルは、勝てないとわかっていても、ユリウスに挑みかかった。何度倒されても、殴られても、懲りずに立ち上がり、挑み続けた。
    それ以外に、胸の奥から込み上げる激情を、吐き出す方法がなかったからだ。
    そして、あのとき、スバルは、何もかもが終わったあの場所で、エミリアと口論の末に決別したあの場所で、『独り』になって、辛かった。泣きたかった。

    ――だから、ユリウスをこの階段に、独りきりにしてやるものか。

    腹の底が熱い。あのときと、同じように。
    あのときと違って、この激情をどこへ吐き出せばいいかわからぬまま

    「――スバル」
    「なんだ」
    「……すまない」
    「うるせぇ」
    それが八つ当たりに聞こえなければいいと思いながら、答えた。

  • 83二次元好きの匿名さん22/08/27(土) 19:00:36

    このレスは削除されています

  • 84二次元好きの匿名さん22/08/28(日) 06:42:10

    誰にだって、なにかひとつぐらいは取り柄がある。
    そしてそのひとつの取り柄を伸ばして、相応の場所に誰もが行くのだ。
    ――だが、ナツキ・スバルにはそれすらない。それすらないのに、望みの場所の高さだけは分不相応に高すぎて。

    「俺は……っ! 俺は、俺が大嫌いだよ!!」

    へらへら笑って誤魔化して、おどけて囃し立てて逃げ続けて、真剣に向き合ってこなかった現実――それを前にして、スバルは初めて本音をさらす。
    ナツキ・スバルは自分のことが、誰よりも誰よりも、嫌いだった。

  • 85二次元好きの匿名さん22/08/28(日) 07:08:49

    「――だって、スバルくんはレムの英雄なんです」

    無条件で、全幅の信頼を寄せるその言葉に、スバルの心は静かに震えた。
    どんな悪条件を重ねられても、どんな欠点をひけらかされても、そのたった一言にはそれら全ての悪意を跳ね返すだけの願いが込められていた。

    そして、スバルは遅まきに失して、ようやく気付いた。
    勘違いをしていた。思い違いをしていた。間違ってしかいなかった。
    彼女は、レムだけは、スバルの堕落をどこまでも許容してくれるのだと思い込んでいた。どんなに弱くて情けない醜態をさらしても、許してくれると勘違いしていた。
    それは誤りだ。間違いだ。致命的な愚かさだ。

    ――レムだけは、そんなスバルの弱さを許さない。

    なにもしなくていいと、大人しくしていろと、無駄なことをするなと、みんながスバルにそう言った。
    誰もがスバルに期待なんかせず、その行いが無為であるのだと言い続けた。

    ――レムだけは、スバルの甘えを絶対に許さない。

    立ち上がれと、諦めるなと、全てを救えと、彼女だけは言い続ける。
    誰もスバルに期待しない。スバル自身すら見捨てたスバルを、彼女だけは絶対に見捨てないし、諦めない。

  • 86二次元好きの匿名さん22/08/28(日) 07:14:01

    なにこのスレむず痒い…

  • 87二次元好きの匿名さん22/08/28(日) 13:28:47

    「――あなたなら、どうにかできますか?」
    と、まるで縋るように聞いてきたのだった。

    その問いかけを受けた瞬間、スバルは稲妻に打たれたように硬直する。
    それは、それはあまりにも、あまりにも無体な問いかけだった。
    自らを卑怯と、臆病者と、そう定義したスバルと比べてもなおひどい問いかけ。
    戦いたくない気持ちと、戦わざるを得ないとわかっている気持ち、そのどちらの選択肢でもない第三の答え。――それを、レムはスバルに求めている。

    何故なのか。
    何もかもを忘れ、ナツキ・スバルへの信頼と慈しみを失い、スバルの取り巻く悪臭を理由に警戒と嫌悪を抱く彼女が、何故にスバルにそれを尋ねるのか。
    何故に、レムはスバルへと縋るような眼差しを向けてくるのか。

    その、ひどく一方的な、身勝手とも言える問いかけが、ナツキ・スバルを熱くする。
    怒りを覚え、声高に罵り、彼女の甘えを糾弾したってきっと許された。
    そのぐらい、レムの選んだ選択は自分本位なものだったはずだ。
    だが、その瞬間のスバルに芽生えたのは、魂の奥底から湧き上がる使命感だった。

    戦いを忌避し、自らの知識の開帳を拒否したフロップ・オコーネル。
    避けられぬ戦いに備え、生存を勝ち取ろうとするヴィンセント・アベルクス。
    置かれた状況の中、必然とも言える選択肢を握った二人。
    その二人と異なる答えを、道筋を、見つけ出さなくてはならないナツキ・スバル。
    それは何故なのか。それは――、

    「――俺が、レムの信じた英雄だからだ」

    そして、諦めの悪さだけを武器に、この異世界で戦い続けてきた男だから。
    エミリアと出会い、彼女に救われ、彼女を救うために駆け抜けた日々が。
    ベアトリスの手を握り、禁書庫から連れ出し、共にあると決めた誓いが。
    レムを救い、救われ、愛され、その信愛に応えると自らを定義した今が。
    ――ナツキ・スバルに、この限られた状況を変えろと血を熱くする。

  • 88二次元好きの匿名さん22/08/28(日) 18:00:57

    「お前さん、本当に顔に似合わず真面目だな」
    「何ぃ!!?」
    ついつい正直な感想を漏らすと、途端にジャマルは顔を赤くした。

    粗野な見た目と言動に反して帝国への忠義が篤いのがジャマルの妙なところだ。弱小の下級伯とはいえ、帝国貴族の家の出という自覚があるからだろう。
    もっとも、ジャマルには生家のオーレリー家の後を継ぐ気は無いに等しく、もっぱら自分の腕で武勲を立て、成り上がることしか頭にない。
    いい言い方をすたなら誠実な男。悪い言い方をするなら生まれ持った特権をドブに捨てている愚か者だ。 トッドの違憲も後者寄りである。
    ただし――

    「褒めたんだよ。これでもいずれ義兄になる相手を立てるくらいの頭はあるんだ」
    「褒めただぁ?てめえの言葉には敬意ってもんを感じねえが」・・・・・・」
    「あんまり正面から、尊敬とか敬いって言葉を言える性分じゃないんだ。それができてたら、カチュアにも、俺の気持ちを簡単に信じてもらえてたさ」
    「あぁ、そうかもしれねえな。オレが言うのもなんだが、あいつは頑固だ」
    腕を組み、うんうんと納得するジャマルに、トッドは肩をすくめた。適当な言葉であったが、ジャマルには十分に効果があったようだ。

    彼と関係を悪くするつもりはない。――カチュアに会えなくなるのは困る。
    この粗雑な男の妹である少女、カチュア・オーレリーの存在はトッドにとって、絶対に損なうことのできない唯一無二であるのだから。

    (短編集7)

  • 89二次元好きの匿名さん22/08/28(日) 21:34:50

    「セシルスはなんで戦うの?」
    そう問いかけたアラキアにセシルスは変な顔をした。
    「・・・・・・何、その顔」
    しばらくして、それがセシルスの驚きの顔だと遅れて気付く。その驚きの変顔のまま、セシルスは「いえいえ」と首を横に振ると、

    「アーニャが僕の何かを知ろうだなんて、そう言ってきたのが意外すぎて驚いたんですよ。子供の頃から合わせて初めてじゃないですか?」
    「――。聞かなくても、勝手に話すから」
    「ですね。僕の食べ物の好みとか信念とか花形役者の心構えなんてのならいくらでも聞かせたはずですが、何のために戦うときましたか。ははは」
    「答えられない?」
    「いえ、答えられますよ。――僕が、天剣を志すが故にと」

    静かなセシルスの答え、そう応じる瞳には静謐さが宿っており、普段から人の二倍も三倍もうるさい人物である印象と一線を画する。
    時折、セシルス・セグムントという男はこういう顔を見せることがある。
    捉えどころのない、まさしく電光のような実態のない、目に追いつかない性質を。
    それはアラキアの終生の主や、この国の皇帝であるヴィンセントにも感じる。
    立ち位置も、見えてるものも違うのだと、そう思い知らされてる気がして。

    「セシルス」
    「はい?」
    「死んで」
    「なんでですか!? 今、質問に素直に答えてあげた恩義も何もない!」

    その空気を霧散させ、やかましく騒ぐセシルスにアラキアは吐息をつく。
    ついてから、自分がわずかに安堵してる気がして、アラキアは顔をしかめた。
    アラキアが愛おしく思う主人や、本質的にそれに並ぶであろう皇帝。そうしたものたちとセシルスを、同じ次元に見なくていいことへの安堵、だろうか。
    それも腹立たしい案件には違いなかった。

    (短編集7)

  • 90二次元好きの匿名さん22/08/29(月) 05:34:49

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  • 91二次元好きの匿名さん22/08/29(月) 05:37:48

    ――絶望の足音がゆっくりと近づいてくるのを、スバルははっきりと実感していた。
    頭上に一匹、背後に一匹、目の前に一匹――合計で三匹、冗談じゃない。
    一匹だけでどれだけこちらの戦力を注ぎ込み、あそこまで傷を負わせたと思っているのか。それで都合が悪くなれば、仲間を二匹呼んで本番開始? ふざけるな。
    運命はいったいどれだけ、理不尽にこちらを翻弄すれば気が済むというのだろうか。

    リカードに庇われる形で地に投げ出されて、倒れたままの姿勢でスバルは歯を食い縛る。そうして奥歯を噛みしめていなければ、弱音が、嗚咽が、こぼれ出そうだ。
    見慣れた絶望が嘲笑を浮かべて、馴れ馴れしく肩に手を回してくるのがわかる。

    ――『なぁに、そろそろ今回も諦める頃合いだろう?』

    顔も見えない薄暗い影が、聞き慣れた誰かの声で薄笑いしながら諦めを促してくる。
    その言葉にはっきりと、スバルは目の前の事態の重さを受け入れた。
    周囲、騎士たちもスバルと同じように、膝を屈している姿がちらほらと見えた。
    彼らにも、目の前の状況がどうにもならないと理解できたのだ。抗うことを始める気概さえ奪われて、誰もが瞳から力を失い、武器を握る気力を吹き消されている。
    ふと、それらの視線をめぐらせ、肩を組む絶望の声に沈みかけて、気付く。
    すぐ傍らに、スバルと同様に地竜から投げ出されたレムがいる。横倒しになった彼女は半身を起こし、その整った横顔に悲痛な感情を浮かべていた。
    強張る頬に青ざめた唇、震える瞼。こうしてじっくり見てみると、まつ毛が長いんだな、と何気なく思う。
    ――笑っている方がずっと似合うと、そうも思った。
    だから、 馴れ馴れしく、肩に回っていた腕を乱暴に解く。
    そのスバルの行動に驚いたようにへの字に口を曲げる影へ、笑顔を向けてから思い切りに右ストレート――黒い影が粉々になり、同時に体の震えが止まった。

    くだらない。情けない。迷っている暇も、足を止めている時間もどこにもない。鯨が二匹、増えたからなんだ。
    手足は動く。顔も上がるし、目も見えている。声は出る、声は届く。レムがいる。レムが生きてる。なにもかもまだ、拾うのを諦める場面じゃない。

  • 92二次元好きの匿名さん22/08/29(月) 05:47:57

    このレスは削除されています

  • 93二次元好きの匿名さん22/08/29(月) 06:01:51

    ――立て。

    幾度も、何度も、繰り返し繰り返し、心をへし折られてきた。

    ――立て。

    理不尽な運命に振り回されて、そのたびに絶望の終焉を押しつけられてきた。

    ――立て。

    もう駄目だと全てを投げ出し、なにもかもを打ち捨てた先へ逃げ出そうとして、それすら許されないと、自分の心に向き合わされた。

    ――立て。

    なんのために?

    ――立て!

    「このときの、ためだろうがぁ!!」

    拳を地面に叩きつけて、起こした半身に勢いをつけて立ち上がる。
    吠えて、顔を上げるスバルの方を、驚いた顔でレムが見た。その彼女を見下ろし、手を差し伸べて、スバルは眼前の白鯨を睨みつける。
    「まだ終わらない。――終わりにしない」
    「……スバルくん」
    「やるぞ、レム。見せ場だ」
    おずおずと、伸びてくる手をもどかしく掴み、引き上げる。
    起き上がった少女を胸に抱きとめて、スバルは間近に迫るその顔と向き合い、

    「諦めるのは似合わねぇ。俺も、お前も――誰にでも!」

  • 94二次元好きの匿名さん22/08/29(月) 17:36:41

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  • 95二次元好きの匿名さん22/08/29(月) 18:48:13

    「まだ人を好きになるってことがわかってない私だけど、きっといつか誰かのことを好きになる。誰かのことをきっと、女の人として愛する。そしてそうなったとき、誰のことを好きになるかはもう決めてるの。だから」

     息を継ぎ、レグルスを見据えて、エミリアは言った。

    「――私は、あなたのものにはならないわ」

  • 96二次元好きの匿名さん22/08/29(月) 19:27:19

    「いやいやいやいや、笑わずにいられるかってんだよ。お前がおかしいんじゃない。……自分の馬鹿さ加減がひどすぎて、笑うしかねぇんだ」

    爆笑に浮かんできた涙を左手で拭い、スバルは止まらない笑いの衝動をどうにか制御して姿勢を正す。正面からオットーを見る。
    友達、などと口にしたことを後悔していそうな顔。だが、そんな彼を前にしてスバルの心に訪れたのは、感謝と、どうしようもないほどの自嘲だった。

    ――なにがオットーが理解できない、何を信じればいいのかわからない、だ。

    スバルを友人だと、それだけを理由に手助けにきてくれたオットー。彼の存在を前にして、その心根を信じるより先に疑った愚かしさよ。
    状況に翻弄されるあまり、周囲の人々の気持ちがわからなくなるあまり、悪意の存在のみを信じて無条件の善意の存在を忘れる、本当に大馬鹿だ。
    ほんの数回、『死』を経て世界をやり直したぐらいで、なにを悟った気でいる。こんな身近な友人の、その義理堅さすら気付かないで。

    ――まだ何も、捨てられるほどに戦いは終わってない。

    「ナツキさん?」
    スバルの自嘲と自戒、それがわからずにオットーは疑問符を頭に浮かべている。その彼にスバルは首を振り、どこか晴れやかな気分で息を吸い、

    「悪かった。お前は俺の友達だよ、オットー。――助けにきてくれて、ありがとう」

  • 97二次元好きの匿名さん22/08/29(月) 19:43:25

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  • 98二次元好きの匿名さん22/08/29(月) 19:49:53

    「花は、好き?」

    「嫌いじゃなくなった」


    あの花畑に、君がいるから。あの花畑で、君と出会ったから。

    君が愛する世界だから。君の美しいと望む全てだから。


    「どうして、剣を振るの?」

    「お前を守るために」


    ――そして君こそが、俺にとって世界の始まりだから。


    ゆっくり 互いの顔が近づき、距離が縮まり、やがてゼロになる。

    熱く、求め合う感触。

    至近で触れ合う口づけは、頑なな鋼が形を変えるほどに、熱く焼けるようだった。


    「私のことを、愛してる?」

    「――わかれ」


    唇が離れて最初の問いかけ、それには照れ臭くて答えられなかったけど。

  • 99二次元好きの匿名さん22/08/29(月) 23:45:45

    >>98

    バルガ戦での独白と比較すると感慨深いな



    「迷惑なんだよ、どいつもこいつも!俺に、余計なモノを混ぜようとするな!」

    ただ一本の剣であれ――その思考に、余計なモノが次々と流れ込んでくる。

    誰も彼も、理由、意義、信念、誇りだの、矜恃だのと。

    戦う理由があることがそんなに偉いのか。――剣を振る理由が、必要なのか?


    『花は好きになった?』

    いいや、嫌いだ。嫌いだとも。それは全て自分にとって、余計な感情だ。


    『どうして、剣を振るの?』

    それしかない、それしかいらない、それだけで十分だ。


    鋼の美しさに魅了されて、その潔さに憧れて、剣であることを望んだのだから。

  • 100二次元好きの匿名さん22/08/30(火) 06:07:48

    「命の恩人、レスキュー俺。そしてそれに助けられたヒロインお前、そんなら相応の礼があってもいいんじゃないか? ないか!?」
    「……わかってるわよ。私にできることなら、って条件付きだけど」
    「なぁらぁ、俺の願いはオンリーワン、ただ一個だけだ」
    指を一本だけ立てて突きつけ、くどいくらいにそれを強調。
    スバルの言葉に、少女が不安に瞳を揺らしながらも、決意を瞳に宿して頷いた。
    「そう、俺の願いは――」
    「うん」
    歯を光らせて、指を鳴らして、親指を立てて決め顔を作り、

    「君の名前を教えてほしい」

    呆気にとられたような顔で、少女の紫紺の瞳が見開かれた。
    しばしの沈黙が二人の間に落ちる。スバルの眼差しは揺れない。ただ真っ直ぐに、目の前に立つ銀色の少女だけを見つめてる。そして――
    「ふふっ」
    口元に手を当てて、白い頬を紅潮させ、銀髪を揺らしながら少女が笑っている。
    それは諦めた笑みでもなく、儚げな微笑でもなく、覚悟を決めた悲愴なものでもない。ただ純粋に、楽しいから笑った。それだけの微笑みだ。
    「――エミリア」
    「え……」
    笑い声に続いて伝えられた単語に、スバルは小さな吐息だけを漏らす。
    彼女はそんなスバルの反応に姿勢を正し、唇に指を当てながら悪戯っぽく笑い、

    「私の名前はエミリア。ただのエミリアよ。ありがとう、スバル」

    「私を助けてくれて」と彼女は手を差し出した。
    その差し出された白い手を見下ろし、おずおずとその手に触れる。指が細く、掌が小さく、華奢でとても温かい、血の通う女の子の手だった。
    ――助けてくれてありがとう。
    そう言いたいのは彼女だけではない、スバルの方だった。スバルの方が先に彼女に恩を受けていたのだ。だからこれは、それがようやく返せただけのこと。
    あれだけ傷付いて、あれだけ嘆いて、あれだけ痛い思いをして、あれだけ命懸けで戦い抜いて、その報酬が彼女の名前と笑顔ひとつ。
    「ああ、まったく、わりに合わねぇ」
    言いながらスバルもまた笑い、固く少女――エミリアの手を握り返したのだった。

  • 101二次元好きの匿名さん22/08/30(火) 17:53:21

    このレスは削除されています

  • 102二次元好きの匿名さん22/08/30(火) 17:59:50

    ――とんだ、過大評価だ。

    ヴィルヘルムにも、ユリウスにも、ラインハルトにも、感じたことがある。
    彼らはあまりにも、スバルの存在を思い違いしている。勘違いしている。

    彼らの方がずっと立派で、ずっとずっと努力していて、ずっとずっと気高いのに。
    そんな彼らが当たり前のように、当然のことのように、スバルを称賛し、手を差し伸べて、親しげに声をかけてくれることが、スバルをずっと苦しめていた。
    尊敬する相手に、負けたくない相手に、決して届かない相手に、そんな風に認められていることが、喜びばかりを呼び起こすわけではない。

    不安だった。いつか本当の自分が暴かれたとき、きっと彼らを失望させる。
    本物のスバルが情けなくて、弱くて、どうしようもないと気付いたとき、きっと彼らに悲しい目をさせ、これまでの言動を後悔させてしまう。
    ずっと、そう思い続けてきた。なのに――、
    「――大将」
    ガーフィールが、アナスタシアが、ユリウスが、なおもスバルにそれを期待する。
    重みに潰されそうになって、いつだってスバルは必死なのに、必死なだけじゃ足りないのだとばかりに、スバルへ次から次へと重石を乗せ続ける。

    これが、ナツキ・スバルの歩く道。
    ――かつて、たった一人の少女に誓った、彼女だけの英雄であった道。
    いずれは、彼女だけの英雄ではいられなくなり、スバルが背負うべきは――。

  • 103二次元好きの匿名さん22/08/30(火) 18:56:04

    「オレは姫さんの・・・・・・プリシラのために行動する。だから他の奴らのことは全部後回しにするつもりだ。オレと姫さん、あとはシェルトちゃんが助かりゃ御の字だ」
    「アル・・・・・・」
    「兄弟もそうしろよ。嬢ちゃん・・・・・・エミリアだけ助けて、尽くせばいい。どうせ魔女教の奴らなんざ、潰しても潰しても湧いてくる害虫だ。通り魔みたいなもんだよ。関わるだけ損をするのさ」

    そう言って、アルはどこか縋るように声を振るわせた。
    アルの考えは、また一つの答えであった。
    魔女教の奴らが害虫といのは、スバルも全くの同感だ。関わり合いになっても、何の得にもならない。それは否定しようのない事実である。

    だが、奴らはスバルに関わってきた。降りかかる火の粉を払うため、そして目の前で行われる奴らの暴虐を止めるために、スバルは行動しなければいけない。
    アルからすれば、それが何故という疑問に繋がるのだろう。無理に戦わずに自分たちの安全を第一に考えればいいではないか、と。
    無論、エミリアが囚われてるという差し迫った状況があるのは事実だ。ただ仮にエミリアと無関係であったとしてもスバルは逃げる選択肢は選ばない。
    それはきっと――、

    「赤信号の交差点に子供が飛び出したら、理由を考える前に手を引いて連れ戻すよな。たぶん、そんな感じだ」
    「――――」

    スバルの答えにアルが息を呑む。アルだけが息を呑めた。
    他の三人には意味のわからない返答、それがやけにスバルの胸にはすんなり落ちた。

    「小難しいことは考えてねえよ。俺がここにいたからできる限りのことをしたい。届かないことが多いのも、この都市で十分味わってる。だけど」

    全部、届かないことにして逃げるのは卑怯なのではないかと思うのだ。
    それはきっと、ナツキ・スバルがしれはならないことだと、そう思うのだ。

  • 104二次元好きの匿名さん22/08/31(水) 05:36:44

    「ですから、この都市の命運でそれを返しましょう。──それとも、さっきの演説からすると、ナツキさん一人で僕の分までやってのけてくれるんですかね?」
    「お前な……」
    真剣な表情を一転、ウィンクするオットーにスバルは肩の力を抜く。
    そう、肩の力を抜いた。──ずっと、演説から入りっ放しだった肩の力を。
    オットーの言葉、その真意がわかった。彼は、自分にも戦う理由があると言った。そう伝えることで、スバルだけに都市の命運を任せはしないと、言外に主張したのだ。
    つまるところオットーは、気負いすぎるなとスバルに言いたいのだろう。
    その力みを見抜かれて、スバルは顔が熱くなり、猛烈な恥ずかしさが込み上げる。
    何が都市の命運。何が大勢の希望であり、期待の象徴だ。ちゃんちゃらおかしい。
    都市も、それを形作る一人一人も、スバルが一人で背負えるほど安くも軽くもない。そんなことも、言われるまで忘れていたというのか。
    「ナツキさんの微力に、僕の微力も加えて、ガーフィールの馬鹿力を足せば、そこそこ重い物も上がりますよ。と、そんな具合に考えてはいかがでしょう」
    「『クウェインの石は一人じゃ上がらない』か。お前、ホントにたまにすげぇな」
    ガーフィール仕込みの異世界慣用句を口にして、スバルはオットーの安定感に舌を巻く。本当に、オットーには助けられる。一度下げたら、二度と頭が上がらなそうだ。
    だから今後も、オットーとは互いに対等の関係でいようと、そう思える。

  • 105二次元好きの匿名さん22/08/31(水) 05:55:02

    「――もしもやるなら、兄弟。兄弟がこれから背負うのは、英雄幻想だ」
    ――英雄幻想。
    最初、部屋に入ってくるなりアルがスバルに投げかけた聞き覚えのない言葉だ。
    アルは最後までスバルから目を逸らさずに続ける。

    「負けちゃいけねぇ。勝たなきゃならねぇ。希望を担い、期待を背負い、未来を示して戦うんだ。ここで決断したら、そうならなきゃいけねぇ」
    「……負けちゃいけねぇのは、いつだってそうだろ」
    「重みが違ぇ。兄弟の負けは、兄弟の負けだけじゃ済まなくなる」

    アルの、言葉の意味がよくわからない。
    スバルの戦いはいつだってそうだ。スバルが負けたとき、失われるものはスバルだけではない。スバルが守りたい全てが、スバルの敗北で失われる。
    いつだってそうだ。そうでないときなんてない。
    だって負けて失わないで済むのなら、戦うことだってしたくない。
    それでもスバルが戦うのは、戦わなくては守れないものがあるからだ。
    そしてそれは、今日このとき、とてつもなく大きく、多い。

    「なんだ、じゃあ、いつもと変わらねぇな」
    「――――」
    息を吐き、心を決めた。
    さっきまであれだけざわめいていた胸が落ち着き、やけに視界がクリアになる。
    目の前でアルが息を詰めて、呆然としているのが顔が見えないのにわかった。

    「心配してくれてありがとよ、アル。――おかげで、覚悟がきまった」
    それ以上の言葉はかけない。今の礼だって、たぶん、アルの望んだものではない。だが、必要に思えたから伝えた。

    部屋の奥、話題の中心で有りながら、沈黙を続ける『ミーティア」と向かい合う。
    これの前に立って、何を言えばいいのか頭の中で考え続ける。もちろん言うべき内容はまとまっていない。正解があるのかもわからない。
    だけど、戸惑いも不安もないのが何故か不思議だった。
    いつもと同じ、そう思えているからだろうか。
    ――いつもと同じように、格好つけなきゃならないとわかっているからだろうか。

  • 106二次元好きの匿名さん22/08/31(水) 17:29:26

    「――俺は、お前が大嫌いだ」

    「ああ、知っているとも」


    思い返せば、言葉を最初に交わす前からスバルはユリウスが嫌いだったのだ。

    エミリアに邪険に扱われた経緯もあって、ユリウスへの悪感情は最初からあった。王選の広間でそれは高まり、練兵場で爆発し、火種は燻り続けていた。

    今この瞬間にも、それはひどく熱く、スバルの胸を焦がしてやまない。


    「手足折られて、頭割られて、永久歯までこそがれた。治ったからいいものの、普通に考えりゃトラウマ確実だぞ。手加減を知らねぇのか、てめぇ」

    「言っておくが、あれでもだいぶ手を抜いていたよ」

    「マジでか。手加減してあれか。やっぱお前、最高に嫌な奴だ」


    自称騎士を名乗り、無力さと無知さと無謀さを重ねて恥をさらしたスバル。

    そのスバルを打ちのめし、力と能力と役割を果たし、騎士としてのあり方を示したユリウス。

    やられ役に収まった自分が不憫でならないが、それを抜きにして見てしまえば、その姿はまさしく、スバルが求めてやまない『騎士像』そのままで。


    「――俺はお前が大嫌いだよ、『最優』の騎士」

    「――――」

    「だから、お前を信じる。お前がすげぇ騎士だってことを、俺の恥が知ってるからだ」


    この場で誰より、あの場の誰より、スバルがユリウスの剣を知っている。

    だからスバルは運命を託す。あのときの剣の、その重さを知っているから。


    「頼むぜ、ユリウス。――俺の全部を、お前に預けっからよ」

    「――――」

    パトラッシュの上から地に降り立ち、スバルはユリウスと向かい合う。

    そのスバルの答えにユリウスは瞑目し、そしてほんの数秒後、ゆっくりと目を開く。その双眸にスバルが映る。彼は短く息を吸い、止めて、

    「ならば私は全霊で、それに応えよう――」

    bbs.animanch.com
  • 107二次元好きの匿名さん22/08/31(水) 21:23:48

    このレスは削除されています

  • 108二次元好きの匿名さん22/08/31(水) 23:17:58

    「私、強がってるわけじゃないの。それに、こんなこと言ったら変かもしれないけど」
    そこでエミリアは言葉を切って、気丈に――否、自然に微笑んだ。
    敵地で、一人きりで、強大な存在が近くにいて、人生最大の窮地に違いないのに。
    「――スバルが、私を助けにきてくれるのは疑ってないの。だから、助けにきたスバルが危なくないように私にできることは全部しておきたいの」
    『――――』

    それは、エミリアの疑うことのない本心だ。スバルは必ずエミリアを助けにくる。
    そんな彼に、ただ助けられるだけにならないこと。それがエミリアの覚悟だ

    「アル、お願い。プリシラにはあとで、勝ってなお願いしたこと私から謝るから」
    『・・・・・・本気で、あとがあると疑ちゃいねぇ。ああ、クソ、大したもんだ』
    兜のつなぎ目に指で触れ、アルは金具を弄りながら深い、本当に深いため息をついた。
    『わかった。さっきの話はちゃんと兄弟に伝えてやる。嬢ちゃんは安心して、大人しく囚われのお姫様やってろ。あとは白馬の王子様がなんとかするだろうぜ』
    「王子様じゃなくて、スバルがなんとかしてくれると思うんだけど・・・・・・」
    『あー、そうだな! 兄弟だな! オレが悪かったよ! 気取ってしくじったんだよ、恥ずかしい! ――ホントに、大人しくしてろよ」
    「ん。わかった。アルも気をつけて、お願いね」
    ふざけた口調で言ったあと、真剣な声音で忠告するアルに、エミリアは頷いた。
    その最後の言葉を聞いて、アルは『へん』と鼻を鳴らし、対話鏡を閉じた。それで、エミリアの対話鏡からも光が消え、ただの鏡に戻る。

    「・・・・・・よかった。これで、スバルたちにちゃんと話が伝わってくれるわね」
    思わぬ形で情報共有の好機に恵まれ、エミリアは珍しく自分の幸運に感謝した。
    魔女教でない誰かに伝聞を頼めるだけでも破格の幸運だが、その相手がアルだったのだから、これ以上のことはない。

    ――アルならば、絶対にやり遂げてくれるに違いない

    「・・・・・・あれ? なんで私、こんなに自信満々なんだろ」
    アルに託せたことで、万全の備えをした気分になる自分にエミリアは疑問を抱く。しかし、すぐその疑問はぼんやりと頭に浮かんできた。
    アルにはどこか、スバルと似たような印象と雰囲気がある。きっと、そのせいだ。

    ――その先を、氷の足場を渡るエミリアは深く考えなかった。

  • 109二次元好きの匿名さん22/09/01(木) 06:03:16

    ――夕刻が近づく空の下、異邦人と銀髪の半魔が身を寄せ合って想いを交わす。


    長く長く続いた、苦難と絶望の繰り返し。

    それを乗り越えてようやく得た、穏やかで静かな時間。


    これはただ、この時間を得るためだけの物語。

    遠回りして、すれ違い続けて、迷い続けてきた、それだけの物語。


    ひとりの自信のない少年が、ひとりの自信のない少女に想いを伝える。

    ただそれだけのために頑張った――それだけの物語。




    独白っていうよりも、ナレーションに近いかもしれないけど、メチャクチャ好き

  • 110二次元好きの匿名さん22/09/01(木) 17:47:09

    「……記憶をなくした。そんな、出来の悪い演技をまだ続けるつもりなのかい。妹の記憶が消えたラムや、自分を忘れられたユリウス、大勢が大切な人の記憶を消されたことを知りながら、君はまだそんな残酷な演技を!」
    「演技? 演技だと!? 俺のこれが演技だと、お前はそう言うのか!?」
    激情に塗り潰されるスバルの声が、エキドナの怒声を上書きした。その勢いに気圧されるエキドナを睨み、スバルは歯を剥いて吠える。

    「演じるなら、もっとマシなヤツを選ぶに決まってんだろ!? 誰が……誰が好き好んで、『ナツキ・スバル』になろうとなんかするかよ! こんな気持ち悪い奴に!!」
    選ぶ自由があれば、誰が『ナツキ・スバル』になろうなどと考えるものか。これほど歪で、耐え難い『ナツキ・スバル』になど、誰が。

    「お前らよってたかって、知らねぇんだよ! 誰なんだよ! 何もかもなくしたんだよ! 俺はコンビニ帰りなんだ!  それがいきなり異世界? 砂の塔? 死体! 『試験』! 偽物! 『ナツキ・スバル』! ふざけるんじゃねぇ! ふざけるんじゃ、ねぇ!」
    「――――」
    「そうだよ! どうせ俺が悪いんだよ! ここじゃないとこにいきたかったんだ! 家に帰りたくなかったんだよ! 偽物の顔張り付けて、父ちゃんとお母さんに迷惑かけてんのが怖かったんだよ! だから、最初はワクワクしてたさ、最初だけな!」

    ベアトリスが、エキドナが、爆発したスバルの感情に凝然と目を見開いている。
    意味が、わからないだろう。彼女たちには、スバルの苦悩の意味がわからない。
    スバルは、彼女たちが求めている『ナツキ・スバル』ではない。彼女たちもまた、スバルが求めている救いではありえない。――そこには、埋められない隔絶があった。

    「望まれたって何もできない! できやしない! だから!」
    「――――」
    「だから……もう、許してくれ。許してください。俺を、うちに帰してください……。神様が、俺に罰を与えようと、したんなら、わかりました……俺が、悪かったんです」

    これが自分の、怠惰な自分にもたらされた罰なら、どうか許してほしい。
    反省も後悔も、きっと人生が変わるほどしたから。
    だから、お願いだから、許してほしい。
    愚かなナツキ・スバルへの天罰に、もう、誰も巻き込まないでほしい。
    傷付きたくも、傷付けたくも、ないのだ。

  • 111二次元好きの匿名さん22/09/01(木) 22:35:53

    「スバルと、初めて大ゲンカしたのも、このとき。私はもう、スバルに無茶して傷付いてほしくなくて、なんでそんなに優しくしてくれるのかわからなくて、怖かった。だから、全部、ケンカしたときに終わりになっちゃうって、思ったのに……」

    思い出を語るエミリアの声に、微かな震えが混じる。
    それは喜びと悲しみと、不安と期待と、様々な相反する感情の混ざり合ったものであり、スバルはひどく喉が渇くような感覚に襲われた。
    焦がれる、焦がれる、焦がれている。胸を、灼熱に焦がれている。
    エミリアに、この表情をさせる全てに――否、たった一つの要因に、焦がれている。

    「何が起きてるのかわからなくて、不安な状況に押し流されるだけだったとき、一番心がもやもやしてたとき、スバルが駆け付けてくれて、それで……」
    「――――」
    「それで、なんて言ってくれたか。……思い出した?」
    「思い……」
    出せない。
    出てこない。出てくるはずがない。
    エミリアの声の震えが、呼びかけが、縋るような響きが、それを明白にする。
    スバルは、ここにいる自分は、彼女の求める『ナツキ・スバル』ではないのだと。
    わかり切った事実を突き付けられ、スバルは自分自身への羨望と嫉妬に焼かれる。

    何故、お前なんだ、『ナツキ・スバル』。
    俺とお前で、どうしてそこまで違っている、『ナツキ・スバル』。
    エミリアも、みんなが、思っているのだ。
    本物の『ナツキ・スバル』を返せと。お前など、ナツキ・スバルなど死んでしまえと。
    この場にいたのが、お前であれば、どれほど。
    そう思って、傷付いて、苦しんで、嘆きたい気持ちでいるはずなのに。それなのに――、

    「――でも、私は全部、覚えてる。スバルが言ってくれたこと、してくれたこと、しようって約束してくれたこと。全部、覚えてるの」

    悲しみも不安も、全部がなかったことになるように、喜びと期待が微笑みに宿る。
    その、エミリアの微笑を目の当たりにして、スバルの唇が震えた。
    何も、ない。どこにも、ない。言ったことも、してあげたことも、しようと約束したことも、全部。
    この、体の内側には、頭の中には、心の奥底には、魂の果てには、何にもない。

  • 112二次元好きの匿名さん22/09/01(木) 22:36:09

    「覚えちゃ、いない。思い出せも、しない。お前は……お前は! お前らは! 誰の話をしてるんだよ!?」
    エミリアが、その咆哮に紫紺の瞳を見開く。
    それを見据えながら、なお、スバルは込み上げる熱い雫を瞬きで焼き払い、口汚く、でき得る限りの悪意を込めて、吠えた。

    「誰かのために命を張れて! 誰かのためにとっさに動けて! 誰かのために頑張ろうって走れて! 誰かのために命懸けで何かを成し遂げられる! そんなことってあるかよ!? そんなこと、できるかよ!?」

    覚えていると言われて、思い出せないと答えて。
    ユリウスが託し、ベアトリスが信じ、エキドナが赦し、エミリアが願う。それが、『ナツキ・スバル』だと。

    「――ふざけるな! そんな奴が、ナツキ・スバルのわけがねぇ!」

    ナツキ・スバルが、誰かに希望を託されることなどあってたまるものか。
    ナツキ・スバルが、誰かにその心を信じられることなどあってたまるものか。
    ナツキ・スバルが、誰かにその罪を赦されることなどあってたまるものか。

    「俺は知ってんだよ! ナツキ・スバルがどれだけ情けなくて、どれだけクズで、どれだけどうしようもなくて、どれだけクソ野郎なのか!」

    ナツキ・スバルが、誰かに共にあることを願われることなどあってたまるものか。
    そんな価値はない。そんな、願われる価値などどこにもない。
    ナツキ・スバルは疫病神だ。自分を愛してくれた両親に何一つ返せずに迷惑だけかけて、挙げ句、こんな異世界に来てまで、周りの人たちを、傷付け、失わせ、死なせるばかりだ。
    だから、やめよう。
    そんな男のために、エミリアや、みんなが、傷付く必要なんてない。

    「……俺じゃなくても、いいだろ」

    ぽつりと、呟いた。自分じゃなくても――否、ナツキ・スバルでない方が、ずっといい。
    何もできない男に、何故託す。何故信じる。何故赦す。何故願う。
    もっと、うまくやる方法があるはずだ。もっと、うまくやれる誰かがいたはずだ。
    それが、皆の望む『ナツキ・スバル』なのだとしたら、それはもうどこにもいない。 

  • 113二次元好きの匿名さん22/09/01(木) 22:37:19

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  • 114二次元好きの匿名さん22/09/01(木) 22:40:47

    「俺なんか無視して、削ぎ落としてくれよ。もっと、強い誰かとか、頭のいい誰かが、やってくれる。俺は……」

    俺には無理だと、無力感だけがナツキ・スバルを打ちのめした。
    人には分がある。分相応がある。それを、わかってもらいたいのだ。スバルには、エミリアたちの隣を歩く資格がない。彼女たちに、そう望まれる資格がない。
    強くも、賢くも、ない。そんなスバルを、望まなくてもいい。
    だから――、

    「――私の名前は、エミリア。ただのエミリアよ」

    「――ぁ?」
    無力感を吐き出して、吐き出したはずのものに心を支配されて、空っぽのつもりでいたスバルは、不意打ちのような銀鈴の声に喉を鳴らした。
    言葉の、意味がわからない。――否、意味ではない。意図がわからない。
    顔を上げ、スバルは正面、自分の名前を名乗ったエミリアを見つめた。彼女は自分の豊かな胸に手を当て、丸く大きな紫紺の瞳にスバルの姿を映している。
    その、輝く瞳に息を呑む。そのスバルを前に、エミリアは続ける。
    「話さなきゃいけないことも、聞かなくちゃダメなことも、たくさんある。でも、今は一つだけ、聞かせて」
    「――――」
    「ユリウスが、ベアトリスが、エキドナが。そして今、私が手を引いて、一緒に走って、どうしても守ってあげたくて、死なせたくなくて、そうやって……」
    万感の思いを込めて、エミリアが目をつむった。
    数秒、彼女は言葉を中断する。そのわずかな沈黙の間に、彼女の胸に様々な想いが去来したのがわかる。この場にいない、仲間たちを案じる感情も、伝わる。
    それらの想いを抱えたまま、エミリアの桜色の唇が震えて、
    「そんな風に、私たちに思わせてくれたあなたは、誰?」
    「――――」
    「お願い。――あなたの名前を、聞かせて」
    エミリアの問いかけに、胸の奥で心の臓が震えた。
    それは、眼前にいるナツキ・スバルを否定して、過去のスバルを取り戻さんと、そうした意図の表れではなかった。
    ――それは、ナツキ・スバルの、肯定だ。
    目の前のあなたは偽物だと、本物のナツキ・スバルを返してほしいと、そう言われた方が、そう願われた方が、そう悪罵された方が、まだマシだった。
    だって、それは他ならぬ、スバル自身が望んでいたことなのだから。
    彼女たちの望む『ナツキ・スバル』にはなれないからと、否定して、掻き消して、なかったことにしてくれと、そう願ったのはスバル自身だからだ。

  • 115二次元好きの匿名さん22/09/01(木) 22:41:09

    「……どうして、なんだ?」
    「――――」
    「どうしてここで、ナツキ・スバルなんだ? あいつに、何ができる? あいつに、何を期待するんだよ……」

    意味がわからない。
    この、これだけ、圧倒的な絶望、どうしようもない劣勢で、ナツキ・スバルがいたら何がどうなるというのか。どうして事態が好転する。打開できる。

    「あの、弱くて、頭も悪くて、情けなくて、意気地のない奴に、何を」
    「――あなたの、言う通りかもしれない」

    嫌々と首を横に振り、否定ではなく、懇願するスバルにエミリアが目を伏せる。
     長い睫毛に縁取られた瞳、心を直接くすぐるような銀鈴の声音、エミリアという存在の全てが、ナツキ・スバルをこの世に繋ぎ止める楔のようだ。
    そんな場違いな感慨に、しかし確かに心を繋がれるスバルへと、エミリアは続ける。

    「スバルより強い人はいるし、きっと頭のいい人だってたくさんいる。でも、私はどんなときでも、一緒にいるのはスバルがいい。スバルがそうしてくれるって信じてるし、願ってる。だって……」
    「――――」
    「だって、助けてくれるなら、できるから、そこにいたから、そうしてくれる人より――好きな人にそうしてもらえた方が、ずっとずっと、嬉しいもの」

    そう、エミリアは微笑みながら、言った。
    微笑みながら、ほんのわずかに頬を赤らめて、言った。

  • 116二次元好きの匿名さん22/09/01(木) 22:58:01

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  • 117二次元好きの匿名さん22/09/02(金) 00:08:44

    「――私の名前は、エミリア。ただのエミリアよ」
    押し黙ったスバルに、今一度、エミリアが自分の名前を名乗った。
    紫紺の瞳がこちらを見る。その瞳を、スバルの黒瞳が真っ向から見返した。
    そして――、

    「――お願い。あなたの名前を、聞かせて」
    「俺は……」
    エミリアの、再びの問いかけに、言葉を躊躇った。
    散々、否定を重ねた。
    そうはできない。そうはなれない。そうじゃないと、否定を重ね続けた。
    だから、これはきっと、都合のいい言葉遊びでしかない。

    「――俺の名前は、ナツキ・スバル」
    「――――」
    「ユリウスに託されて、ベアトリスが信じて、エキドナが赦して、エミリア……君に、願われる、その男の名前が、ナツキ・スバルなら」
    紫紺の瞳を黒瞳で見つめて、銀髪を煌めかせる少女に黒髪の少年が答える。
    桜色の唇を震わせた問いかけに、血で赤黒く汚れた唇が答えを返した。

    「――俺が、ナツキ・スバルだ」

    今、弱々しく、力のない、絶望に蝕まれた体と心で、しかし宣言しよう。
    エミリアを、エミリアたちを、君を、君たちを、その無事を、安寧を、望むと、願うと。

    救われたいわけではない。救ってほしいと、縋り付くこともしない。
    救われてほしいと、思った。
    助けたいと、心が叫んでる。
    ――『ナツキ・スバル』にならそれができるなら、俺がそれをやるのだ。

    「ありがとう、エミリア。――俺に、そう思わせてくれて」

  • 118二次元好きの匿名さん22/09/02(金) 06:06:17

    「スバル……っ」
    細く、柔らかくて、熱い体を抱き寄せ、スバルの名を呼ぶエミリアが身じろぎする。たぶん、腕の中で位置を変え、自分が下になろうとしていた。
    それでは、助ける側と助けられる側があべこべだ。
    エミリアも、他のみんなも、本当にどうかしている。でも、悲しいかな、エミリアのそんな努力も、この状況では残念ながら役に立たない。
    地面に背中を向け、落ちていく先が見えないエミリアにはわかるまい。スバルたちを迎えるのは、塔の硬い床ではなく、投げ出された挙句の外の砂丘でもなく、この塔を包み込み、あらゆる全てを終へ導く、漆黒の影なのだから。
    だから、二人はこのまま、抱き合いながら影に呑まれ、終わりだ。

    ――だが、終わりではない。ここからが、これからが、きっと始まりになる。

    一度は始めたことを、今一度、ここで、新たに、終わりから、始める。
    そのための、約束を、交わそう。
    ここで、この世界で、この場所で、エミリアと交わした言葉を、本物にする。
    救われたこと、救いたいと願ったこと。
    全部抱えて、終わりから始めよう。燻っていた時間は、おしまいだ。
    呪いのような執着、いいじゃないか。望むところだ。

    ナツキ・スバルに、愛される資格があるかは、わからない。
    でも、エミリアに、エミリアたちに、愛される資格はあるから。

    この終わる世界で、この始まりの世界で、君たちが、俺にかけてくれた言葉を、君たちが覚えていないで、忘れてしまったとしても。
    この終わる世界で、この始まりの世界で、君たちに、俺がぶつけてしまった言葉を、君たちが覚えていないで、忘れてしまったとしても。
    俺が覚えてる。全部、覚えてる。今度こそ、しがみついてでも、忘れないから。

    「たとえ、君が忘れても――俺が、君たちを忘れない」

    ――ずっと、覚えていろよ、ナツキ・スバル。
    影が迫り、スバルと、エミリアを、漆黒が呑み込む。
    そのまま、ナツキ・スバルは、エミリアは、影の中へ、中へ、どこまでも沈んで。流転し、全てが失われ、何もかもがゼロになり、終わりがくる。
    そして、何もかもがゼロとなった場所で、始まるのだ。
    ――ナツキ・スバルを殺し、『ナツキ・スバル』を取り戻すための、戦いが。

  • 119二次元好きの匿名さん22/09/02(金) 17:34:29

    「違うね。そうじゃない。お前に足りないのは勇気じゃない。勇気はここにちゃんと詰まってる。――足りないのは勝ち気だ。負けん気だよ」
    一歩、距離を詰めたスバルが突き出した拳でユリウスの胸を突く。
    その言葉と拳を受けて、ユリウスが息を呑んだ。
    「――――」

    スバルの、今の言葉に嘘はない。
    前のループ、魔獣とレイドという絶体絶命の状態にありながら、ユリウスは剣を手放すことなく、絶望に背を向けることなく、スバルに「任せる」とそう言った。
    あれは裏を返せば、「ここは任せろ」以外の何の受け取り方をすればいい。
    ユリウスはあの状況下で、確かに言ったのだ。
    ――レイド・アストレアを、自分に任せろと。
    そして、そう言い切った彼を見たのが最後だった。
    だから――、

    「……俺は、決着を見てねぇ。昨日までの記憶もねぇ。だから、俺は、お前が、レイドに負けたところなんか、一回も知らねえ」

    ユリウスは、ユリウス・ユークリウスは、負けていない。
    ナツキ・スバルの前で、一度として、この騎士は、男は、負けたことがないのだ。
    だから、ナツキ・スバルは、誰がなんと言おうと、決着を譲らない。
    ユリウス・ユークリウスが、レイド・アストレアを打ち倒すと、期待し続ける。

    「レイド・アストレアを、俺はお前に任せる。あの、一番厄介な敵を、お前が倒せ。その代わりに俺は……それ以外の全部に、また俺のやり方で手を伸ばす」
    「――――」
    「聞こえねぇのか、ユリウス。ダチの期待に、応えろよ」

    さっきは期待を預けるように、今度は力強く希望を打つように。
    スバルの拳がユリウスの胸を再び叩いた。
    その一発に、ユリウスが自分の胸に触れた。
    それから胸に手を当てたまま、彼は後ろに下がり、長く息を吐く。

  • 120二次元好きの匿名さん22/09/02(金) 19:41:18

    この異世界で大切な思い出を失なって目覚めてから、スバルはすでに四回死んでいる。いずれも、短時間の出来事だ。
    見知らぬ世界へ投げ込まれ、出会ったことのなかった人たちと出会い、その直後に見舞われる避け難い事態がスバルを死に追いやった。
    意識のある状態で過ごした時間は、合計したら二日にも満たないだろう。
    短い、短い時間だ。――だが、その二日の間にスバルは嘆いて絶望して醜態を晒して救われた。

    『ナツキ・スバル』が帰ってきても、それらがあったことは消えない。でも、それらの時間を確かに想っていた、今の自分は消えてなくなる。

    ラムと約束を交わし、メィリィを守ると誓い、エキドナの許しを心に刻んで、ユリウスに戦えと叱咤し、ベアトリスを愛おしいと信じて、エミリアを――。
    ――エミリアを、好きになった、自分が、消えるのか。

    「嫌だ……」

    その自覚が、この場に存在するスバルの肉体を比喩表現抜きにひび割れさせる。
    現実の肉体を持ってきたわけではないと、そう推測した通りだ。
    ここにあるスバルの体は本物ではない。そして本物ではないから、ダイレクトに今の心情が反映され、スバルの体がひび割れ、砕けていく。

    みんなと、もっと一緒にいたい。
    好きになった。好きになったのだ。たった二日にも満たない時間で、一度ならず彼女らのことを疑い、殺そうと、逃げようと、疑心暗鬼に包まれたのに。
    スバルは、彼女らのことを、好きになった。今、彼女らが愛おしい。
    彼女らと一緒にいたら、彼女らがスバルのことを大切だと思ってくれるなら、大嫌いな自分のことだって、好きになれるかもしれない。
    そう思えた。前向きに、そう思えた。
    ずっと後ろ向きだったスバルの人生に、ようやく射し込んだ陽だまりなのに。
    どうしてそれを、自ら手放さなくてはならないのだ。
    そんなことは――、

    「――嫌だ」

  • 121二次元好きの匿名さん22/09/02(金) 19:41:38

    「――立ちなさい!!」
    ――開口一番。
    ――彼女は、世界で一番厳しい声で、ナツキ・スバルを怒鳴りつけた。

    「立ちなさい!」
    青い髪の少女が、スバルに向かって声を上げる。
    スバルを睨みつけて、少女が声高に吠える。吠える。吠えている。

    「立ちなさい!!」
    繰り返される、怒号。
    何度も何度も、それはスバルの心を非情に、手加減抜きで打ちのめす。
    何故、そんな言葉をぶつけられなければならない。
    痛いのだ。苦しいのだ。辛いのだ。悲しいのだ。心は今にも張り裂けそうだ。
    人生で、こんなにもキツイ決断を、心の準備なしに次から次へとぶつけられることなどそうそうない。――そんな苦境を、何故と嘆くことはやめたのだ。だからせめて、結論を出した。だから、もう、いいじゃないか。

    「立ちなさい!」
    弱音が、頑なな結論が、喪失に怯える心が、スバルの心を竦ませるのを、目の前の少女は決して良しとしない。断固、拒絶の意思を込め、力強く言葉を重ねる。
    もう十分悩んで、なのに、彼女は何故、割れ砕ける心のままに、決断するスバルを、許してはくれないのだ。

    「立って……! 立って! 立って! 立ちなさい!」 
    誰なんだ、この少女は。思い出のどこにいるんだ、この少女は。
    言葉を交わしたこともない。思い出だって、今のスバルの中にはない。
    誰なのか、どんな相手か、上辺しか知らない相手だ。
    踏みとどまる理由になんかなり得ない、そんな関係だ。
    それなのに、どうして、どうしてこの胸はこんなにも熱い。
    どうして、胸の奥から、込み上げてくる熱があるのだ。

  • 122二次元好きの匿名さん22/09/02(金) 19:53:37

    「立ちなさい、ナツキ・スバル! 立ちなさい! ――レムの英雄!!」
    記憶にいない少女の涙声、その声に英雄であれと叫ばれて、心が震える。
    そんな馬鹿な話があるものかと、笑いたくなるほど調子よく、スバルの心が震える。

    「立ち上がれたなら、いってください。いって、救ってきて、全てを」
    全てって、なんだ。全てって、なんなのだ。
    ぼんやりした言い方すぎる。全てって、いったい何のことなのだ。

    「全ては全て。何もかも。全部、全員、自分も、最も身近な他人さえも!」
    なんだ、それは。できるのか、そんなことが。できると本気で思っているのか、この娘は。
    こんな、色んなものの足りない、自分さえも救えない、自分に。
    スバルが好きになった人たちのために、スバルを大切にしてくれる人たちのために、スバルが大切にしたいと思えた人たちのために、失われたくない人たちとの思い出のために。
    たった一つを手放そうとしたスバルにも、できると本気で思っているのか。

    「やれますよ。だって」
    だって。だって、なんだ。
    力を、答えをくれ。くれるのならば、その言葉で。
    願わくば、青い少女の、君の言葉で、俺に――。

    「――スバルくんは、レムの英雄なんです」

    「――――」
    すとんと、何かが胸の奥に落ちた。
    黒く澱んでいたそれは、まるで少女の、愛の告白のような響きに浄化されて。――否、愛の告白のような、ではない。あれは、愛の告白だった。

    また一つ、『ナツキ・スバル』に居場所を返したくない理由が増えてしまったが。
    「――は」
    同時に、増えたものはそれだけではない。
    少女の言葉に浄化され、黒く澱んだそれが輝きを増して、姿形を変える。
    そして、ナツキ・スバルの、一番強い芯を欲するところで脈動を始めるのだ

  • 123二次元好きの匿名さん22/09/03(土) 01:33:07

    「何を呆けている、ナツキ・スバル。貴様が望み、貴様がもたらした情報で以て、貴様の同胞たちが成し遂げた戦果だ。これを笑わず、何を笑う」

    まさしく戦場と化した野営地の光景を見下ろし、スバルは意識が遠くなった。その上、現実を強く押し付けてくるアベルは、この所業をスバルが望んだと言い放つ。
    それが耐え難くて、スバルは勢いよく立ち上がり、アベルの胸倉を掴んだ。
    治ったばかりの右腕でアベルを掴み、その目を間近で睨みつける。

    「俺が望んだだと? こんな、こんな光景をか!? 馬鹿を言うんじゃ……」
    「――ならば、流血なく願いが叶うとでも思ったのか?」
    「――っ」
    しかし、怒りのままに噛みつこうとしたスバルへと、アベルは噛みつき返した。その舌鋒の鋭さに切り刻まれ、スバルは何も言い返せない。
    「――――」
    流血なく、願いが叶うと思ったのかと言われ、何も言えない。
    流血なしで、叶えられると思っていた。できると、考えていた。
    だって――、

    「言い換えてやろう、ナツキ・スバル。――貴様は、自分自身以外の流血なしに願いが叶うとでも思っていたのか?」
    「――ぁ」
    「ふざけた考えだ。愚かで度し難い思い込みだ。自分自身が血を流せば、争う第三者たちを止められるとでも本気で考えていたのか? それは貴様の掲げたくだらぬ英雄願望などよりなお性質の悪い、英雄幻想だ」
    「――――」
    「貴様は人間だ、ナツキ・スバル。英雄でも賢者でもない。故に、貴様がいようと人は血を流し、命を落とし、奪ったり奪われたりを繰り返す」

    胸倉を掴まれたまま、アベルは力の抜けていくスバルを滅多打ちにする。
    言葉に打たれ、スバルは歯の根を震わせ、嫌々と首を横に振った。
    それは、そうなのだろう。
    否定できない事実なのだ。それはわかる。でも、スバルはそれを呑み込めない。
    それを当たり前のものと、そう呑み込める世界を生きてこなかった。
    異世界にきてすらなお、ナツキ・スバルの倫理観は日本の高校生のままだ。
    戦場の流儀や常識を、当たり前のものとしては受け止められない。

    「俺は英雄を望まぬ。奴らに縋り、頼り、委ねることなどない。あらゆるものを背負い、豊かな方へ進める。――英雄に、それはできん」

  • 124二次元好きの匿名さん22/09/03(土) 07:51:57

    「どうして、俺はレムとこんな追いかけっこしなきゃならないんだよ……!」

    目覚めたレムが『記憶』や『名前』を失っている可能性は考えていた。
    もちろん、元の万全なレムが戻ってくれるのが一番だったが、クルシュやユリウスの前例がある以上、レムが元通りの状態で目覚めてくれる期待は大きく持てなかった。
    その不安が的中し、結果、レムは自分自身のことも、スバルのことも忘れてしまった。
    そうだったとしても、スバルは踏みとどまり、レムを支えてやれると思っていた。
    エミリアやラム、ベアトリスたち――陣営の仲間と助け合い、みんなで一緒にレムを支えられると、それがスバルを踏みとどまらせる根拠だった。
    それなのに今、スバルは頼れるもののいない森で、逃げるレムを追いかけている。

    「なんで、こうなるんだよ……どうしていつも……」
    すんなりと、何もかも綺麗に落着させてくれないのか。
    何もかも思い出したレムが目覚めて、過ぎ去ってしまった時間に驚きながらも、これから先の物語を一緒に紡いでいく。それでいいのに。
    もし仮にレムの状態が今と同じでも、周りに一緒に頑張ってくれる仲間がいてくれたらこんな災難に苦しめられずに済んだ。それでもいいのに。
    運命はいつも、ナツキ・スバルに最も過酷な道を用意する。
    そしてそれをスバルだけでなく、スバルの周りの大切な人たちへ向けるのだ。

    「――泣き言は、もう十分かよ、ナツキ・スバル」

    ぐっと奥歯を噛みしめて、スバルは自分の頬を両手で強く張った。
    鋭い痛みと衝撃が意識を揺らし、直前までの弱々しい思いを一時的に置き去りにする。
    そう、運命はいつも過酷な道を示した。
    だからこそ、ナツキ・スバルは幾度も苦難という鞭に打たれ、そのたびに血反吐を吐きながら立ち上がり、前を向いてきたのだ。

    「ついには立ち塞がる苦難を自分の鞭にした男、それが俺だ」

    厳密には鞭の原材料となったギルティラウは言うほど立ち塞がった壁ではなかったし、立ち塞がった苦難の中では低難易度の方だったが、そう嘯く。
    嘯いて自分を盛り上げ、感情を昂らせて、小賢しい頭に熱を注いで、戦い方を見出すのがスバルのやり方だ。

  • 125二次元好きの匿名さん22/09/03(土) 14:13:59

    僕の妻は笑わなかった。僕の最初の妻は笑わない女だった。
    僕が、僕の家族を殺して、彼女の家族を殺して、彼女に言い寄る奴らも皆殺しにしても、彼女は笑わず、ただ幼ない頃から見つめ続けてきた美しい顔のまま。
    それでいい。笑わせられないんじゃない。笑わなくていいんだ。笑ってない、ただ美しい彼女の顔が好きなんだから。
    やめろ! 笑うな! 笑うな!! なんで最後の時にだけ笑う!? 
    違う! 僕は一人になんてならない! お前は僕の妻なのに、どうして僕が一人になるのを、いい気味だなんて笑うんだ!!



    書籍版で追加されたレグルスの過去への独白
    なおレグルスは最初の妻のことは自害されそうになったら手当てして看病し、死んだら墓を作ったくらいにはマジ惚れしてた模様

  • 126二次元好きの匿名さん22/09/04(日) 01:34:43

    「フェリス、化粧はうまくいったぞ。クルシュは顔色がいいと・・・・・・はは、まんまと騙されおって。本当に素直な女子であるな」
    見舞いに訪れたフェリスに、ほとんど寝たきりのフーリエが弱々しく笑った。

    化粧とは、フェリスがフーリエに施した血色をよく見せるためのものだ。
    見舞いに来たクルシュに、格好悪い顔は見せたくないと頼まれて、それが強がりではなく、フーリエの思いやりであることは、フェリスも痛いほどに理解していた。

    「騎士団は・・・・・・どうか、フェリス。辛いことはないか? 友を・・・・・・うむ、ユリウスなどを頼るのを忘れるなよ。そなたはたまに一人で考えすぎる」
    押し黙るフェリスに、フーリエは心を読んだように、そんな言葉をかけてくる。
    「私の友達は・・・・・・殿下だけです。そうですよね? 殿下が元気がなくなりしたら、私は一人になってしまいますよ」
    「そうはならん。安心せよ、フェリス。そなたは優しく、芯が強い。みんなが余と同じように、そなたを友とする。余は最初の友であるが、余が最後の友にする必要はない。心得よ。そなたは一人になってはならぬ」
    「殿下ぁ・・・・・・」

    どうして自分にはこの人の体を治す力が、病を癒す力がないのか。友達一人も助けられないで、なにが王国最高の治療術士だ。

    「悔やむな、フェリス。そなたの心は尊い。そなたの才を誇れ。・・・・・・それはこの世でもっとも優しき力である。救えぬものの数を数えるな。救ったものの数を数えろ。後向きに歩くなど余が許さぬ」
    「殿下・・・・・・っ」
    フーリエがゆっくりと眠台から体を起こす。自力で起き上がることなど不可能なくらい衰弱していた彼が、命を燃やすようにして、フェリスを見つめる。
    「それにまだ負けるとは限らぬであろう。余は・・・・・・そなたの友にして、ルグニカの王子であるぞ。病など、ひとひねりよ」
    持ち上がった拳がフェリスの額を軽く小突いた。軽く、でも熱く。

    「長く話して今日は疲れた。だが久々にそなたと笑えた。それでよい」
    笑ってない。フェリスはフーリエの前で、ずっと涙を流して泣いていた。
    だけど、フーリエが間違った事を言うはずがない。この人はいつも間違ってるようで、正しいことを、言ってくれる人なのだから。
    「楽しかったな、フェリス」
    だから精一杯、フェリスはこわばる頬を動かして、笑った。
    「楽しかったですね、殿下」

  • 127二次元好きの匿名さん22/09/04(日) 08:37:37

    「今度こそ、もうずっと、眠ってろ……ペテルギウス」
    終わったと、それを確信してスバルは荷台にへたり込む。
    途端、それまで無視できていた痛みが蘇り、スバルは痛みに半泣き――否、涙を流して転がり出す。
    「痛ぇ、ヤバい、死ぬ、死ぬってこれ、痛ぇ、ヤバい、ヤバい……ッ!」
    涙が止まらない。痛みも止まらない。ずきずきと、血の流れる傷口が疼き、そしてその痛みは全身を余すところなく刺激する。だから、胸が痛いのも、その傷口の痛みにつられているだけのことに過ぎない。

    憐れむことなどなにもない。狂人、邪精霊、大罪司教――『怠惰』ペテルギウスには同情すべき点などなにもない。奴は奴の独りよがりのままに暴れ回り、その上で果てたのだ。
    盲目的な愛を叫び、その上で身勝手を他人に押しつけ、そして独りで朽ち果てる。
    そんなペテルギウスの末路になど、誰も憐れを抱いてやる必要はない。

    ――たったひとり、スバルを除いて誰も、そんなことは思わなくていい。

    「誰もお前のことなんか、理解してやるもんかよ。死んで当然だ。くたばって当たり前だ。誰も、誰にも、お前は許されない。――だから、同情するぜ、それだけは」

    誰にも理解されない、愛を求めた相手に愛されない、孤独な怪物。
    ペテルギウス・ロマネコンティは今度こそ、消滅する。
    誰の胸にも、誰の心にも、なにも残さず。

    ただスバルの胸にだけ、憐憫という楔を打ち込んで、今度こそ本当に――。

  • 128二次元好きの匿名さん22/09/04(日) 15:25:47

    「俺を選べ、ベアトリス」
    何度でも、伝わるまで言葉を重ねよう。揺れている少女の気持ちが、心が理解できるから。
    彼女が迷うことに感じる罪悪感を、約束を反故にすることへの慙愧の念を、ナツキ・スバルという人間の身勝手さが肩代わりしてやれるように。
    ――この少女が一人で泣くようなことが、もう二度とないように。

    「いなく、なるくせに……」
    「永遠なんてない。お前が恐がってる未来は、いつか必ずやってくる。永遠を生きるお前を置き去りにしちまうときが、きっときちまうだろう。でも、別れの恐さばっかりを考えて、一緒にいる楽しさを捨てちまうような真似をするには、俺もお前も人生味わってない部分が多すぎだ」
    「置いていく、くせに……」
    「一緒にいよう。一緒に生きてみよう。一緒にやっていこう。楽しかったんだって胸張って笑えるぐらい、思い出を積み重ねていこう。お前がここで過ごした、寂しい四百年を取り返して、お釣りがくるぐらいに」
    「そんなこと……したって……っ! いつか、一人に!」
    前に出る。距離が詰まる。
    震える少女の瞳に、自分の姿が映っている。
    みっともなくて、みすぼらしくて、四百年待たせた白馬の王子には程遠い。ただの、いつものナツキ・スバルがそこにいる。

    「永遠を生きるお前にとって、俺と一緒に過ごす時間なんて刹那の一瞬かもしれない。なら、お前の魂に刻み込んでやるよ。俺の一瞬を」
    「――――」
    「――ナツキ・スバルって男が、永遠って時間の中でもセピア色にならないぐらい、鮮烈な男だったんだってことを!」

    いつの間にか、スバルとベアトリスの周囲は空間の亀裂と炎に包まれていた。だが熱も、恐怖も、今は何も感じない。
    スバルの中には今、ベアトリスしかいない。
    そして、ベアトリスの中にも、今はスバルの存在しかない。
    震えるベアトリスの腕が、母から渡された本を握りしめている。その指先を解くことが、四百年の孤独を癒すことだとスバルは信じて、手を伸ばす。

    「俺を選べ! ベアトリス!!」
    「――ぁ」
    「誰かに外に連れ出してほしいから! お前はいつも! 扉の前に座ってたんじゃないのか!!」

    決定的な音を立てて、世界が本当の終わりを迎える。禁書庫という少女の孤独な檻が、世界の剥離と炎の中に包まれて消える。
    その、直前だった。
    ――音を立てて一冊の本が、禁書庫の床の上に落ちたのだ。

  • 129二次元好きの匿名さん22/09/05(月) 00:31:15

    「あの日、君は俺に『どうして』って聞いたよな。どうして助けてくれるのか。どうしてそんなに色々頑張るのか。どうしてなのか、って」
    「うん、聞いた。そしたら、スバルは私がスバルを助けたからって。……でも、私はそんなことしてない。全然できてない。私はスバルに助けられてばっかりで、なんにもしてあげられなくて。それなのに、スバルは私のためだって傷付いて……」
    「いや、あんときは俺がどうかして……」

    どうかしてた、と言い切ろうとして、言い切れない自分がいる。
    どうかしていたわけではない。あの時点でのナツキ・スバルという人間は、弱くて愚かで自分のことしか考えていないその男は、それが正しいと信じていた。
    押しつけがましい独りよがりな感情を、ただ受け止めてもらえるものとばかり。

    そんな身勝手な愛の存在を声高に主張した男の最期を、スバルは知っている。この目で見届け、この手で引導を渡した。
    正しく、愛を捧げることを証明した剣鬼の姿も、この目に焼き付けた。

    「あのときの俺は、自分のことばっかりだった。認めるよ。俺は君のためって言いながら、『君のために頑張る自分』ってやつに酔ってただけだ。そうやって酔っ払って振舞ってれば、君はそれを受け入れてくれると勝手に思ってた」
    「スバル……」
    「ごめんな。俺は君を利用して、悦に浸ってた。あのときの言葉は全部、正しかったよ。俺が間違ってた。……でも、間違ってなかったこともある」

    自分の独りよがりの言い訳のためにエミリアを利用した。あのときの彼女の涙声の叫びをスバルは肯定する。
    でも、同時に、あの場面であっても、一つだけ譲れないものがある。

    「君を助けたい。君の力になりたい。それは本気で本当で、嘘じゃない」
    「……うん、わかってる」
    スバルの言葉にエミリアは頷く。
    それから彼女は紫紺の瞳を大きく揺らし、一度だけ瞬きしてスバルを見つめた。
    「――どうして、私を助けてくれるの?」
    あのとき言われた言葉。数時間前に、再び重ねられた問いかけ。今もまた同じように、答えを求めて差し出された言葉。スバルの答えはひとつだ。

    「――エミリアが好きだから、俺は君の力になりたいんだ」
    真っ直ぐに、彼女の瞳を見つめ返して、スバルははっきりとそれを告げた。

  • 130二次元好きの匿名さん22/09/05(月) 06:06:57

    「誰か! 誰かきてください! ……こんな、こんなの、大丈夫ですよ! だって、こんな浅い、矢傷くらいで……っ」
    杖を捨てて、倒れ込むようにして近付いてきたレムが、スバルの背中の傷を見ながらそう必死に呼びかけてくる。

    ああ、レムは本当に優しいなと思った。瘴気のせいでスバルのことを信じられなくても、不用意な一言であんな燃える世界を生み出しても、それでも目の前でスバルが倒れていたのなら、こうして助けようと声を上げてくれる。
    このレムの前で、弱いところを見せたくないなと思う。矢傷くらいなんだと、余裕綽々に立ち上がって見せたらどうだ、ナツキ・スバル。
    よく大河ドラマや時代劇を見るとき、あんな細い矢が刺さったくらいで死ぬとか動けなくなるなんて、根性が足りないとか思っていたじゃないか。
    まぁ、でかい矢で胸をぶち抜かれたりした場合は話は別にしても、レムの言う通り、背中に刺さった矢は大した威力じゃなかった。実際、あんまり柔らかく当たったもんだから背中を撫でられたのかと思ったぐらいだった。それが、どうしてこんな風に――、

    「――げっ、ぶ、うえぇっ」
    「――っ、まさか、毒?」
    込み上げてくる灼熱感を吐き出したところで、レムがスバルと同じ結論に達した。矢の、威力で殺されるわけじゃない。矢に塗られた毒が、蝕んでいるのだ。
    ガンガンと、耳鳴りがうるさくなり始め、スバルを心配するレムの声が聞こえない。ルイの、耳障りな喚き声も聞こえない。聞こえなくなる。

    「――ダメ! 待って! 待ってください。待って……」
    耳元で、必死の声が聞こえる。
    待ってやりたい。立ち止まってやりたい。手を引いて、笑いかけてやりたい。
    その何一つ、できない。
    その何一つ、できないまま。
    ブクブク、ブクブクと血泡を噴いて、痙攣して、白目を剥いて、失禁して嘔吐してグズグズに溶けた内臓を吐き出しながら、闇へ落ちる。
    「待ってぇ……っ」
    無様で汚い、考えなしの愚か者が、闇の中へ落ちていく。

  • 131二次元好きの匿名さん22/09/05(月) 17:58:28

    ゆっくりとその場に跪いて、ラムは眠り続ける妹の頬に手を添えた。

    思い出を奪われ、実感のなかった姉妹としての絆、それが今は確かな実感を伴い、愛おしさと大切さが溢れてくるのを感じる。
    角を折られ、鬼神の再来としての力を失い、今日までを過ごしてきた。
    あの炎の夜が何のためにあったのか、これまでラムは、自分が自分になるためにあったのだと結論付けてきたし、それを間違っていたとも思っていない。
    ただ、今日この瞬間から、それは変わった。
    あの日、ラムの角が折れたのは――、

    「――今日、ここで、ラムがレムの姉様だってわかるためにあったのよ」

    『共感覚』を通じて、魂と魂の触れ合いで、一つの世界を分け合った双子だと、かけがえのない姉と妹なのだと、そう実感することができたから。
    「今まで以上に、あなたと話をしたい。あなたとラムが、どんな時間を過ごしたか。どんな昨日を重ねたのか、足りない思い出を一緒に埋めましょう」
    時が止まらず過ぎ行くから、未来の思い出なんていくらでも降り積もる。
    だから、何も知らないまま、忘れられたままで全てが消えていかないよう、夜毎、何度でも思い出に花を咲かせよう。

    「たくさんの、昨日の話をしましょう」

    『眠り姫』は答えない。
    けれど、その沈黙に胸を締め付けられず、温かなもので満たしながらラムは微笑む。
    微笑んだまま、もう、自分の気持ちを疑うことなく、唇を動かせた。

    「――愛してるわ、レム」

    きっと、どんな時間を二人で重ねたとしても、この想いだけは裏切れない。
    奇しくも、歪んだ大罪司教の最期の言葉と同じモノを口にしながら、それはやはり同じ音であっても、同じ響きにはならない。
    愛を知らぬモノと、愛に生きるモノとでは、決して同じ響きには、ならない。
    決して、同じ響きには、ならないのだ。

  • 132二次元好きの匿名さん22/09/06(火) 00:18:35

    「殿下の存在は多くのものたちにとって、龍と結んだ盟約の手形代わり・・・・・・その死が惜しまれることはない」
    龍の盟約は王国を包み、長きに渡る庇護は人々を守り、だが同時に人々の心を弱くした。
    あの心優しく、誰からも愛された青年の死を蔑ろにしてしまうほどに。
    フーリエの死を、龍と交た盟約のついでのように思わせるほどに。

    「あの方の死は、あの方のものだ。私の獅子王は、今も私の中にいる。私の獅子王が見た夢を、私もまた見続けてる。――私にしか、それを為せない」

    誰も、王国の歪な在り方に気付いていない。
    龍におもねり、龍に願い、龍に頼るあまり、誰もが自ら歩くことを忘れている。

    「私以外が王になっても、それを正されない。実に正しくあろうとした人を、誰も覚えてないからだ。だから、私たちこそがそれをしよう」
    「クルシュ様・・・・・・
    「殿下の見た夢がある。私と、殿下と、それからお前で、未来を創る」
    「殿下とクルシュ様と私で・・・・・・」
    クルシュの決意に、フェリスは自分が彼女の傍でやるべきことを理解した。
    フェリスには、もうクルシュしかいないのだから。彼女こそが全てなのだから。

    「殿下の愛した場所で、殿下の最後の場所で、殿下に誓おう。――お前を、我が騎士とする」
    誰も知らない騎士叙勲――否、ただ一人、二人の獅子王だけが見てくれていたはず。

    「ゆくぞ、フェリス。――龍から、この国を取り戻し、殿下の夢を本物にする」
    「はい、クルシュ様。連れて行ってください。殿下の見た夢の彼方に」
    振り返るクルシュの背を、フェリスはもはや迷いなく続く。
    王選参加者最初にして、もっとも強い絆で結ばれた主従は堂々と歩き出した。
    その二人の歩みを、始まりの庭園の花々だけが見つめている。

    ――風に揺れる一輪の花、その蕾はいまだ開花のときを静かに待ち続けていた。

  • 133二次元好きの匿名さん22/09/06(火) 06:06:23

    トッドは市内の見回りを続けていた。
    それなりに歴史のある都市だけに、強大な防壁である壁を抜ける手段には事欠かない。ただの民家が地下道を作っていたり、子どもを使った壁抜けの密輸手口もあった。それらを的確に摘発しながら、トッドは来たる襲撃に警戒を高めていた。
    「手を引く、ってことはありえない。となると、必ず都市を落としにくる。抜け道を使って、一気に都市庁舎を占拠するか、街に火を放つ……ん~、他の手段もあるか?」
    単純に都市を陥落させるだけなら、兵も市民も区別なく虐殺する方法は思いつく。
    それこそ火や水、土に埋めるだけでも人は死ぬ。手段を選ばなければ、人間はいくらでも残酷に物事を推し進められるものだ。

    あの黒髪の少年は、いったいどんな残虐な手段を用いてくるだろうか。
    一見、それが不得意そうに見えるのに得意だから、恐ろしい。

    潰しても潰しても、まだ未発見の抜け穴こそが本命に思える。
    だから、腹に穴が開いていたとしても、おちおち宿舎で寝てもいられない。

    「どいつもこいつも、粗忽で大雑把な奴ばっかりだからなぁ」

    全員がジャマル級とは言わないまでも、細かなところに目がゆかないものが多い。
    トッドも、自分が優秀だとか気が利くなんて思っていないが、自分が愚かで足りないところだらけと自覚していれば、穴の埋めようなんていくらでもあるものだ。
    どうしてみんな、自分が馬鹿であることを疑わずに生きられるのかがわからない。

    人間なんて、一人残らず全員馬鹿なのだから、馬鹿なりの最善を尽くすべきなのに。

  • 134二次元好きの匿名さん22/09/06(火) 18:02:14

    「てめえ、怖気づいたか? それでも帝国軍人か、あぁ!?」
    「矜持じゃ勝ちも命も拾えんよ。大体、お前にもわかるだろ。都市庁舎はもうダメだ。二将たちも死んだ。遠からず、シュドラクが街に入ってくる」
    「――――」
    「その前に逃げなきゃ、勇敢に討ち死にする以外の選択肢はなくなるぞ」

    ジャマルは、大人しく武装解除なんて屈辱を受け入れられる性格ではない。
    代わりの選択肢は武器を持ったまま、敵陣へ飛び込んで蛮勇を振るい、十人ぐらい道連れにしたあと討ち死にするぐらいだろう。
    まさしく剣狼の死に様と言いたいところだが、トッドから見れば犬死もいいところだ。

    命も、有限な手札だ。
    勝利のために使うならともかく、負け惜しみのために使うのはもったいない。
    それなりに付き合いも長い。そう忠告してやるぐらいの関係性だとは思う。たぶん。

    「ちょうど、塞ぎたての壁の穴があるだろ。俺はそこから逃げる。お前は?」
    「ぐ、ぐ……また、また生き恥を晒せってのかよ」
    「生きてれば恥をすすぐ機会もあるさ。けど、死んだらそれまでだよ。ってわけだから、俺はいく。勝算のない戦いは乗れない」

    勝算の有無どころか、勝算の低い戦いにも乗らないのが本音だが、細かなことを並べてジャマルと押し問答をする暇も惜しい。
    さくっと背中を向けて走り出すと、ジャマルはしばしの逡巡のあとで「クソったれ!」と罵声を上げ、仕方なしにトッドの後ろに続いた。

  • 135二次元好きの匿名さん22/09/06(火) 20:59:19

    「どうも、この兄ちゃんは、あんましッ、好きになれねェんだよなァ」
    前を行く、オットーの背中を見ながら、ガーフィールは口の中だけで呟いた。

    人間関係の問題だ。相性もある。全ての人間と仲良くなんてことはできない。それはガーフィールも理解してるが、それで割り切るには牙の奥がむず痒い。
    それに祖母のリューズにも言われてる。エミリア陣営の、仲間とは仲良くしろと。
    別にリューズの言いなりになる気はないが、その方が健全なのはガーフィールも理解できる。故に祖母の助言に従がい、ガーフィールは自分なりにこの一月、オットーと歩み寄る努力をしてきたつもりだった。

    木の上から何気なくオットーの部屋を眺めたり、オットーが仕事をするところについて回ったり、食卓では極力正面に座り、風呂の時間を合わせてみたり、寝る前の挨拶もしてる。
    だが、そんな生活を一カ月続けてわかったことは、ガーフィールにとって、オットーという男は致命的に合わない、という事実だけである。
    部屋では鍛練ではなく書類とのにらめっこに明け暮れ、仕事ではロズワール相手にへこへこし、食卓では肉よりも野菜を好み、風呂では最初に頭を洗う。ちなみにガーフィールは足から洗う。下から上へと洗うのが気持ちいいのだ。

    そんな調子で、あちこち合わないことだらけなので、ガーフィールのオットーへの評価は複雑だった。気に入らないところは多い。――だが、一度負けてる。
    『聖域』でのオットーとの戦いは、ガーフィールの中では敗北と刻まれてる。
    あれだけ好き放題、相手の手中で踊り続けたのだ。最終的に力でどうにか勝ちを拾ったが、あれを自分の勝ちと誇るほど、ガーフィールは姑息でありたくない。だから敗北と真摯に受け止めているのだが――。
    「それッなら素直に認めさせてくれりゃァいいのによォ」
    普段の、そして今のオットーの態度がなかなかそれを許さない。
    今もオットーは、町での自分の発言を思い返して、無意味な後悔に胃を痛めてる。
    一度、結論を出したのだ。それもガーフィールにとって歓迎すべき結論を。だったらあとは、その成就のために全霊を尽くすだけではないか。
    「ちっ、気に入らねェ・・・・・・」


    短編集5での、まだオットーを認めきれてない頃のガーフィール。 ここからオットーを兄貴分と慕うまでになったと思うと、感慨深い

  • 136二次元好きの匿名さん22/09/06(火) 20:59:59

    >>134

    これすこ

  • 137二次元好きの匿名さん22/09/07(水) 06:08:45

    「なに笑ってやがんだ?」
    「いいえ。ただ思ったのです。――ここでも目的を果たして帰参した暁には、我が友、ラインハルトに挑もうと」
    レイドの問いに、ユリウスはその思いつきを口にする。
    剣の腕に限らない。ユリウスはこれまで、ラインハルトと競い合ったことがなかった。
    ――並び立とうとしなかったことを悔やんだこと。
    それもユリウスがアナスタシアに仕え、王選に臨んだ理由の一つだった。
    だが、仮にそんな想いがなくともユリウスはアナスタシアの大器に魅せられ、彼女と同じ夢を見る事を望み、同じ場所に立っただろう。
    ならば、つまらない言い訳や迂遠な建前などいらなかったのだ。
    最初から二振りの木剣を携え、ラインハルトの下へ赴けばよかっただけだ。

    過去に一度、ラインハルトがヴォラキア帝国最強の剣士と剣を交えたことがあった。
    練兵場で誰もが胸を熱くしたあの日、ユリウスも胸が熱くなった。
    それが答えだったのだから――。

    「オメエ、なンてったっけ?」
    伝説に名前を問われ、ユリウスは眉を上げた。
    もう何度となく彼の前で名前を名乗ったはずだが、それを覚えられていない。だが、覚えられていないことはどうでもよかった。
    「ユリウス・ユークリウス。忘れられやすい名なので、覚えていただきたい」
    少し前なら笑えなかった冗句を口にして、ユリウスも騎士剣の先端をレイドへ向ける。

  • 138二次元好きの匿名さん22/09/07(水) 18:00:47

    「絶対の、絶対に……誰も、失わせたりなんてしない!!」
    淡い輝きをまとう両手を伸ばし、銀髪の少女は膨大な量の魔法力を解放する。
    猛吹雪の中で増大される氷結の魔法が光を帯び、青白い輝きがまるで光の剣のように世界を横断し、途上を行き交う白い魔獣を次々と切り裂いた。
    ――キチキチと、短い牙を噛み合わせる不快な音が連鎖している。
    それはこの世で最も救い難く、最も共存の難しい古よりの災厄にして大災害。
    『食欲』と呼ばれる欲望の権化、その具現たる存在を前に、少女は一歩も引かずに立つ。
    しかし、少女の呼吸は荒く、いまだ扱いきれない莫大なマナの一部が制御を失い、少女の半身を白い結晶が覆い始めてた。
    このままでは遠からず、自らの魔力によって少女は氷像へと姿を変える。

    ――だとしても引けない。引くわけにはいかない。

    「母様やジュースのこと。今日の日のみんなのこと……。それに、あの人の書いてくれた言葉を忘れないでいられる限り、私は諦めたりしない」
    だからたとえ、この体が氷に包まれたとしても、後悔だけは絶対にしない。
    吹雪をかき分け、魔獣の猛威は徐々に徐々に範囲を狭め、少女と少女を頼る人々を追い詰めつつある。
    いざとなれば、自分の命を賭してでも。――そんな、少女の覚悟に。
    「――そんな無理しなくても大丈夫だよ、エミリアたん」
    軽い音を立てて、誰かが高いところから自分の隣に着地したのがわかった。
    隣を見る。吹雪が強すぎて、白い幕が邪魔してその誰かの顔が見えない。
    だけど、少女にはそれが誰なのかはっきりとわかった。
    声も、態度も、そして何より――、一番いてほしいときに、きてくれないはずがない。
    「後は任せて、下がっててもいいぜ。――初陣補正があるからね」
    「ごめん。ちょっと何言ってるのかわかんない」
    苦笑する気配。
    歩み出るその人影は、すぐ傍らにもう一つ、小さな別の影を連れていた。
    そして、聞こえる声は二つ。
    それはずっとずっと、このときを待ち望んでいたように弾む声で――。
    「もう、どうなっても知らないのよ」
    「ああ、どうにかしてやろうぜ。――俺と、お前で!!」

    精霊ベアトリスと、契約者ナツキ・スバルの、これから何度も何度も手を繋ぎながら戦っていくことになる二人の、初陣の火蓋が切って落とされた。

  • 139二次元好きの匿名さん22/09/07(水) 22:25:29

    「ドレスの感想は・・・・・・式の後で聞きますからね」
    「正直、言葉にする自信はないぞ」
    「言葉にできないなら、態度と行動で示してくれればいいから」
    「・・・・・・それはそれで、とんでもないことになるな」
    「え?」
    自分の魅力に自覚のない花嫁に、花婿はすっかり慣れてしまった溜息をこぼした。それからヴィルヘルムは、テレシアの体を胸から放すと、今度はその体を抱き上げた。
    膝と腰に手を回されて、微かに驚く彼女を抱いたまま、ヴィルヘルムは壇上に上がった。細く軽い体、しかしこの世の何よりも丁重に扱うべき愛おしい少女。
    「もう、恥ずかしいから下ろして・・・・・・っ」
    「こうやって、お前が誰のモノなのか見せつけておかないと不安でな」
    「そんなこと、あの式典の日から、とっくに国中の人が知ってます!」
    赤面するテレシアの言葉に、それもそうかとヴィルヘルムは首を捻った。下手な言い訳など役に立たない。究極的にはたた、ヴィルヘルムがそうしたいからしてる。

    この場の誰よりも美しく可憐な少女が自分の嫁だと、自慢したいだけなのだ。

    式が進行する。
    壇上で花婿と花嫁が向かい合い、婚儀を進めるマイクロトフが長い向上を並べた。話半分に聞き流しながら、ヴィルヘルムとテレシアは互いに愛の誓いを交し――。
    「では、二度目になりますが、みんなの前で血界の口づけを――」
    余計な一言を付け加えられながら、ヴィルヘルムはテレシアに一歩、歩み寄り、
    「ヴィルヘルム、あなたを愛してる」
    「――――」
    「あなたは?」
    悪戯な花嫁の質問に、ヴィルヘルムは答えない。
    ただ彼女の求めた通りに、態度と行動で示すために、その唇に自分の唇を寄せた。

  • 140二次元好きの匿名さん22/09/07(水) 23:58:22

    「現状はただの超可愛い女の子と、冴えない使用人ってだけ。未来は無限大だから可能性の話だけしてたら身動きとれなくなっちゃいますよ? ヴィルヘルムさんは、ひょっとすると奥さんは世界一可愛いかもしれないとか思って結婚しなかったの?」

    「妻は――」

     スバルの極端な物言いに、ヴィルヘルムは一瞬だけ口ごもる。

     が、すぐにスバルを見つめ直すと、その瞳に感嘆というべき感情を閃かせ、

    「なるほど、あなたの言う通りだ。私も妻が世界一美しいと思っていました。誰もが彼女を見ている気がした。釣り合わないかも、などとは情けない」






    スバルくんがクリティカル叩き出したであろうこのシーン個人的に好き。

  • 141二次元好きの匿名さん22/09/08(木) 06:06:58

    初めて自我を意識したときから、予感があったのだ。
    自分という不自然な存在の目的は、生まれた瞬間から尽きていたと。
    強いて言うなら、生まれること自体が目的であり、その時点で目的は果たされた。故に放置された。

    そうした数百年の空白、無為な引き延ばしの生涯で、少女と出会ったのだ。
    鮮烈な生き方をする少女の在り方に魅せられ、冷え切った命は熱を得た。
    矮小な身でありえない大言を吐いた少女が何者になるのか、あるいは何者にもなることができないのか、それを見届けたいと焦がれた。
    いつしか、そんな興味関心はどうでもよくなって――、
    「――君も、君の大切に想う子たちも、失わせたくないんだ」

    薄い胸に手を当てて、その内側で眠っている存在を意識する。
    この肉体の本来の持ち主、彼女が深い眠りから目覚めない理由、それを求めてこの砂海の塔へやってきたエキドナ。だが、すでにエキドナは、どうして彼女が目覚めないのか、その理由がわかっていた。
    自身を強欲であると嘯いて、あらゆる全てを手に入れたいと豪語した娘。
    一度懐に入れたものは何としても手放さず、失うことを、失わせることを何よりも厭うのが彼女だったから、理由は一つしか考えられない。
    「体をボクに譲り渡し、一時的に自身のオドの中に潜んだ君は、外界からの干渉を受けない状態だ。――オドは、ある種の固有の世界だから」
    そして、彼女はその場所に自分から閉じこもっている。その理由は明白だ。――オドの外に出れば、影響を受けてしまう。『暴食』の大罪司教のおぞましい権能、その影響を受けてしまう。
    忘れたくないものを忘れさせられ、手放したくないものを手放させられる。
    アナスタシア・ホーシンが、ユリウス・ユークリウスを忘れてしまう。
    ――だとしても、『名無しの騎士』になりながらも、懸命に慌ただしくする彼のことを、彼の良いところも悪いところも、傍で見てきたから、たとえ彼女が彼を忘れても教えてやれる。

    「あぁ、そうか」

    生み出された時点で役目を終え、何の存在理由もない人工精霊。
    そんな役回りだと思っていたが、これが存外、それで終わるだけのものでもない。
    大切な少女と、大切な騎士と、欠ける二人の橋渡し。
    なんと、責任重大な大役ではないか。
    だから――、
    「――君の騎士の一番カッコいいところを見ないなんて、そんなもったいない真似、ケチな君らしくないじゃないか」

  • 142二次元好きの匿名さん22/09/08(木) 17:43:44

    ――白光が、極光を塗り潰さんと襲いくる。
    自らの全霊と、再契約した六体の精霊の力を借りて、なおも押される。
    こちらは秘中の秘を開帳し、一方で相手は真面目に、本気で剣を振っただけ。――まったく、その不条理なまでの規格外さにはほとほと呆れる。
    同時に、そうでなくてはと胸滾る思いもあるのだから、自分も救えない。

    剣を振るえば世界が割れる。
    それは、ラインハルトが剣を振った場合にも起こった『剣聖』の絶技。
    ふと、命と命のしのぎ合いの最中に、ユリウスは思った。
    はたして、ラインハルトとレイド、戦えばどちらが強いのだろうかと。
    伝説と伝説、『剣聖』と『剣聖』、実現しない戦いはどちらに軍配が上がるのかと。
    生憎と、それを見極める機会は訪れまい。

    「ならば、私がこの身で確かめる他にないだろう」
    ラインハルト・ヴァン・アストレアとも、レイド・アストレアとも剣を交える機会を得られるとしたら、それはこの塔へ到達した面々しかいない。
    その上で可能なのはユリウスと、上層へ向かったエミリアという女性だけ。――その役目を他人に譲るつもりはない。
    だから、あとは勝利するだけだ。
    この白光を押しのけ、虹の光でレイド・アストレアを討ち果たす。
    そのために全霊を、あと一歩の、剣力を――、
    『最優の騎士』の剣先に、わずかの誇りと力が宿れば――、

    「――ユリウス」

    それは、届くはずのない呼びかけだった。だが、声は確かにユリウスを打った。
    あるいはそれは鼓膜ではなく、もっと奥深く、胸の最奥へ届いたのかもしれない。
    騎士という殻を被り続けることを心に決めたなら、それに応えぬことなどありえない――。

    「――いったれ、ウチの騎士」

    ――その一言に、必要だった最後の剣力の一押しが宿った。

  • 143二次元好きの匿名さん22/09/08(木) 22:19:16

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  • 144二次元好きの匿名さん22/09/08(木) 23:53:58

    「――カチンときたわ」

    ――命を惜しまない、命の価値を認めない、そういう考えがアナスタシアは嫌いだった。
    人の命は尊いから、ではない。 命は、人間の持てる最初の資産だからだ。どんな人間にも、少なくとも自分はある。
    才能も家柄もなくとも、自分だけは持ち合わせているのだ。
    「ホーシン語録、『裸一貫も、自分の掌を見てから』や」
    立身出世の代名詞である『荒れ地のホーシン』は、裸一貫から自分の国を築き上げた。そんなホーシンでさえ、自分の価値を知れと、謳っているのだ。
    何ができて、何を安売りしてはならないのか。それを知らなくては始まらない。
    だから、勝手に自分を終わらせているエキドナが、アナスタシアには我慢ならない。

    「――エキドナ。あんた、自分の命をドブに捨てる覚悟があるって言うたな?」
    「溺れ死ぬなら、もう少し綺麗な水場がいいけど、そうだね」
    「だったら、あんたの底値の命、ウチが買うたる」
    「――なに?」
    怪訝な顔つきで、エキドナは正面に立ったアナスタシアを見つめた。
    「綺麗な毛並みで、めちゃくちゃ触わり心地が良くて、ちょっと生意気なお喋りやけど、賢くてトイレの位置もわかる。――そんなエキドナにウチが値段をつけたる」
    「本気かい?大勢が滅ぼさんと狙ってくるだろう、このボクを? とてもじゃないが、キミに守り切れるとは思えないな」
    「足りんかったら、それはウチの器が不足してたって話や。そのとき遅かれ早かれ、ウチとエキドナは一緒に死ぬやろね。せやけど・・・・・・」
    そこで言葉を切って、アナスタシアはエキドナに手を差し伸べた。
    伸ばされた手を見て押し黙るエキドナに、アナスタシアは笑いかけた。
    「――いつか死ぬとしても、それは、今日やない」

  • 145二次元好きの匿名さん22/09/09(金) 06:04:52

    ゆっくりと、ユリウスは前進する。
    向かう先、ユリウスを見つめているのは浅葱色の瞳をした華奢で小柄な女性。薄紫色の長い髪を波打たせた、砂丘に見合わない白い装いを纏った人物。
    彼女の足下には、その黒目がちの瞳を不安げに揺らしている白い狐がいる。ずっと、襟巻きに擬態していたはずのエキドナが、そこにいる意味。それを改めて意識して、ユリウスは目を閉じた。そして――、

    「――お初にお目にかかります」

    ほんの少し前、挑戦者として『剣聖』へ伝えた口上を再び述べる。
    だが、このときの胸の奥の感覚は、戦いに挑む昂揚感とは異なるものだった。ただ、変わらないものもある。新しい冒険譚のページを開くような、騎士に憧れる少年の冒険心だ。
    「ウチは」
    その場に跪いて、最初の言葉を放ったユリウスへと相手が応じる。
    低い姿勢のまま、ユリウスは続く言葉を待った。どれだけでも待てると思った。待てば、相手の言葉が聞けると信じられることが、どれほど幸いなことか。
    「――ウチは、アナスタシア・ホーシン」
    「――――」
    「ウチは、この世の全部が欲しい。……で、えらいカッコいいお兄さん、お名前は?」
    はんなりと、彼女がどう微笑み、どう首を傾げたのか手に取るようにわかる。
    跪いて顔を伏せたまま、ユリウスは「は」と短く息で応じて、

    「私はユリウス・ユークリウス。――あなたの、一の騎士」
    「――――」
    「お忘れかもしれません。ですが、私はあなたに剣を捧げた身。あなたのために、持てる力の全てを尽くし、その志をお支えするもの」

    床に騎士剣を置いた最敬礼、その上で、ユリウスはようやく顔を上げた。その先に、主のどんな眼差しがあったとしても、悔やみはしない。
    狼狽え、戸惑い、下を向くなんて騎士らしくない。誰よりも見栄を張り、格好を付け続ける存在こそが、ユリウスの憧れなのだから。
    そして、そのユリウスを見下ろし、彼女は丸い瞳を細めると、
    「そうなん? よう覚えてへんのやけど……でも」
    「――――」
    「一目見て、思うたんよ。――このお兄さん、ウチのもんにせなあかんて」
    その間近に、求め続けた主の、何もかもを手放すまいと爛々と輝く瞳があって。
    全てを手に入れる『強欲』へと、ユリウス・ユークリウスは再び、その剣を捧げた。
    奪われた『主従』の絆の再生が、二層『エレクトラ』にて果たされる。

  • 146二次元好きの匿名さん22/09/09(金) 17:57:07

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  • 147二次元好きの匿名さん22/09/09(金) 17:58:41

    唸りを上げ、踏み込むテレシアの長剣が完璧な斬撃となってラインハルトに迫る
    それはあるいは、ヴィルヘルムがこれまでに見たテレシアの剣撃の中で、もっとも洗練された美しい一閃だったかもしれない。

    相対する敵の強さこそが、剣士の眠れる剣力を覚醒させる。
    テレシアの内に秘められた剣力の全て、それを引き出したのが自分ではないことに、ヴィルヘルムは嫉妬の念を抱いたかもしれない。
    ラインハルトとテレシアの――、二人の『剣聖』の対決が、この時、こんな形で行われていなければ。
    爆発的に胸の奥からこみ上げる感情、それがヴィルヘルムの口から溢れ出る。

    「殺さないでくれ……!」

    封じ込めていた感情が、抑え込んでいた激情が、願ってはならぬものと戒めていたはずの愛情が、ヴィルヘルムの堰を切るように飛び出した。
    テレシアが、そこにいるのだ。
    ヴィルヘルムの心を焦がし、剣以外の世界に気付かせてくれた女が、生涯でたった一人だけ、全てと引き換えにしても惜しくないと思った女がそこにいるのだ。
    まだ一度だって、愛してると伝えたことのない最愛の女が、いるのだ――。

    「それは俺の、テレシアなんだ――ッ!!」

    決して、言ってはならない言葉だった。
    惑わせば、命を失いかねない境地で、自分の感情を優先するなど許されない。
    剣士の矜持も、戦士の流儀も、戦いにあるべき高潔さも汚す行いだった。
    それはただの男の声だった。愛する女を奪われまいと、必死に縋るだけの男の声だった。
    そして、その決死の呼びかけは――、

    「――お祖母様は、十五年前に僕が殺しました」

    テレシアの剣撃が、ラインハルトへと肉薄する。
    『龍剣』はなおも振りかぶられてすらいない。
    長剣は光となって迸り、
    「ここにいるのは、ただの偽物だ」
    ――『龍剣』レイドが鮮やかな軌跡を描いた。

  • 148二次元好きの匿名さん22/09/10(土) 02:00:18

    「関係ねぇよ――。姫さんは俺が必ず勝たせるから」
    と、アルの断言を聞いてハインケルンが軽く目を見張り、
    「意外だな。アル殿は王選の成り行きに興味がないと思ってた」
    「おいおい、そりゃ言いすぎだろ」日々、ちゃんと頭を悩ませてるって」
    「・・・・・・そうだな、言い換えよう。王選の成り行きに自分が関与する必要がないと思ってるんだとばかり。プリシラ嬢一人で、何もかもやりきってしまうと」
    探り、探り言われたハインケルンの推測に、アルは少しだけ驚いた。 ハインケルンが思ってたよりも、周りをしっかり見てた事に驚いたのだ。
    あるいは、アルは自分で思ってるよりもポーカーフェイスではないのかもしれない。
    「いや、若干その自覚があっから、こんなもん被ってんだがよ?」
    割り切って兜を被ってるのに隠しきれない溢れ出す感情。いっそ、さすらいの無頼漢なんかではなく、役者にでもなるべきだったかもしれない。

    「まぁ、オレの秘密なんか紐解いても、特に面白い情報は出てこねぇよ。強いて言えば」
    「強いて言うなら?」
    「オレとあんたは、けっこう似た者同士だと思うぜ」
    聞こえ伝わる情報だけでも、ハインケルンの複雑な事情は大雑把には知れる。
    『剣鬼』と呼ばれる偉大な父親と、歴代最強の呼び名も高い『剣聖』の息子。その間に挟まれた凪の世代であり、鬱屈とした感情に苛まれる哀れな男。
    強烈な同情に値する。――偉大な肉親に怯える気持ちは痛いほどにわかるから。
    「・・・・・・あんたに俺の何がわかる」
    「そう言われると思ったけどな」
    ハインケルンは憎々しげに言い放つ。理解できないし、されたくもないという拒絶の態度、それを向けられたアルは軽快に笑った。

  • 149二次元好きの匿名さん22/09/10(土) 13:52:36

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  • 150二次元好きの匿名さん22/09/10(土) 20:59:00

    「――主さんは、何のために戦いんすか? わっちは愛のため、でありんす。主さんは何を理由に、戦うでありんす?」

    抱えてるものが強さに直結するなら、ヨルナの強さの裏付けはそれだ。
    そう問われてる気がして、アラキアは口をパクパクさせながら、その瞼の裏に遠い日の幻影――自分の、最も大事な存在のことを思い浮かべる。
    が、声が出ない。その理由はおそらく、ヨルナと都市の住民たちとの関係――たった一人でも前線を支えるヨルナと、彼女を信頼し、手の届かぬところを守らんと一丸になった住民たち。その強硬な関係性を、羨ましいと思ったからだ。もう自分の傍にいない真の主を思い出して。

    「――だからアーニャに考え事させないでくださいよ、ヨルナさん」

    一閃、目の前を横切った斬撃が、アラキアの首を掴んだヨルナの腕を薙いだ。
    首と同じで、ヨルナの腕は斬られることはない。が、衝撃で握力が緩み、その隙にアラキアの体がさらわれる。腰を抱かれ、後ろに下がったアラキアが見れば、自分を救ったのは憎らしいほど涼しい顔をしたセシルスだった。
    まだ炎と同化したアラキアを抱くということは、その腕に炎を抱くのと同じ事だというのに、涼しい顔を崩さない。

    「腕を焼かれて、痛みはありんせんか?」
    「痛みに慌てふためくよりも、ふてぶてしく笑う方がカッコいいでしょう?」
    「――――」

    皮と肉が焼けて、骨まで熱が届くような香りを漂わせながら、セシルスは恥じることも怖じることもなく、自らの哲学を貫く。
    そうして笑みを浮かべたまま、彼は自分の腕の中のアラキアの頭をそっと撫でて、
    「アーニャ、考え事をするなとは言いませんよ。でも時と場合ってものがあります。自分を主役と端役、、どっちにするかはアーニャ次第ですよ」
    「・・・・・・意味、わからない」
    「今はただ一振りの刀であれ、ですよ。それとも、アーニャの心のご主人様はここでアーニャが斃れることをお望みでした?」
    「――――」
    ぷすぷすと腕の焼ける音を立てながら、セシルスはにやけ面で聞いてくる。その顔が気に入らなくて、焼けた腕を焦がしてやろうかと思うが、やめた。アラキアの真の主はそんなことは望まない。それに、それをしてセシルスに「やると思った!」と笑われるのも御免だ。
    その代わりに口から出たのは――、
    「セシルス、死んで」
    「素直にありがとうも言えないんだから」

  • 151二次元好きの匿名さん22/09/11(日) 02:46:14

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  • 152二次元好きの匿名さん22/09/11(日) 12:59:16

    このレスは削除されています

  • 153二次元好きの匿名さん22/09/11(日) 22:20:40

    「僕はね、『剣聖』殿に教えられたんですよ」
    「教えられた?」
    「そう。最強を気取ってた僕は、強さという頂のてっぺんで孤独でいた僕は・・・・・・それでも決して一人じゃなかったと」
    傷だらけの顔で晴れやかに笑い、セシルスは腰の二刀の鍔を鳴らした。

    「飛び抜けて強いっていうのは孤独なんです。誰も周りにいないんですから。でも、どこに行っても一人なんてことはない。『剣聖』殿は帝国で、僕にそう教えてくれました」
    生まれて初めての敗北に打ちのめされても、折れず、曲らず、セシルスは意味を見出した。そして、それをわかった上で、彼は自分とは別の頂に佇むラインハルトの元へやってきた
    「だから僕も『剣聖』殿に教えてやらなきゃいけないと思ったんです。そこは一人の居場所じゃない。僕がいる。他にも誰かいるかもしれない。それをわかるべきだ、とね」

    悠長に語り合う時間は、ラインハルトとセシルスの間にはなかった。故にセシルスのその目的が、言葉ほどハッキリとラインハルトに伝わったとは思えない。
    ただ、微塵も伝わっていなかったかと言えば、決してそうとも思えない。
    ――『龍剣』を抜いて、セシルスと向かい合うラインハルトは、楽しそうだったから。

    念願の立ち会いを終えて、セシルスとチシャの二人は帝国へ堂々と返っていった。
    ラインハルトとセシルス、両国最強の銀華乱舞の結果がどうであったのか、それを言葉にして語るのは無粋が過ぎるため、多くは語らない。
    しかし、突然の帝国一将の来訪から始まった一連の出来事は、当事者の一人であるユリウス・ユークリウスの心に大きな影響を残していった。

  • 154二次元好きの匿名さん22/09/12(月) 06:04:25

    「お前さん、恨むって何を言ってんだ?」

    そう、血塗れの路地で、頬に跳ねた血を拭いながらトッドは不思議そうに首を傾げた。
    そのとぼけた態度と返答を受け、スバルは一瞬息を呑んだが、すぐに堪え難い激情が込み上げてきて、「ふざけるな!」と唾を飛ばしながら、

    「待ち伏せして、罠を張って……俺を、執拗に……!」

    執拗に、執拗に追い込まれた。
    スバルがどんな行動をしても、確実に殺せるよう前もって先回りし、周到に準備を整えて罠を張り巡らせていた。
    それほどまでにスバルを狙い、ここでとぼけるなんて無意味な往生際の悪さだ。
    何も悪くないのに巻き込まれて殺されたフロップに対する冒涜だ。スバルを辱め、鬱憤を晴らしているつもりなのか。

    「お前は……っ」
    「何を勘違いしてんだか知らないが、俺がお前さんを殺すのに恨みも何もないだろ。街でヤバい奴を見つけたんだ。問答無用で殺すに決まってる」
    「――――」
    「毒蛇を殺すのは恨みじゃなくて怖いから。そのためなら使えるものを使って殺す」

    それ以上でも以下でもないと、トッドは斧についた髪の毛や皮を丁寧に剥がす。それはフロップの砕いた頭部の破片なのだろうが、スバルは唖然とするしかなかった。
    笑みさえ浮かべ、平然と答えるトッドの態度に嘘はない。元より、トッドのこれまでのスバルへの攻撃が、その言葉が本気だと証明している。トッドは、スバルを危険だとみなして殺す気しかない。
    そして、あの密林での所業を憎んですらいない。あの行いからトッドがスバルに抱いた印象は、スバルが危険人物であるという認識のみ。故に、トッドは感情的にもならず、淡々とスバルを殺そうとする。

    「お前さんは俺と同類だ。――時間はやらない」

    言いながら、トッドがスバルの胸に靴裏を当て、そのまま後ろへ蹴り倒す。抵抗できずに仰向けに倒れ込んだスバル、それを跨いでトッドが斧を振り上げた。
    目を見開いて、正解の言葉を探した。
    『死に戻り』をして、あらゆる場面から後ろへ繋がる可能性を探り出すのがスバルの勝利の掴み方。しかし、大罪司教にすら通じたそれが通用しない場面もある。
    それは――、
    「――ま」
    「待たない」
    ――それは、相手が冷酷な殺人鬼であった場合だ。

  • 155二次元好きの匿名さん22/09/12(月) 17:11:19

    保守

  • 156二次元好きの匿名さん22/09/12(月) 20:27:29

    「貴様も、口惜しかろうな。ルグニカの王族が健在で、龍の盟約が盤石であれば、ここで余を救う必要もなかったであろうに」
    「――――」
    「貴様の治療術は大したものよ。余も、皮肉なしに認めてやろう。その、高めた腕を忠義を捧げた相手へ振るえず、いつ敵になるかわからぬ国の皇帝に施さなくてはならぬとは・・・・・・お前の星の巡りの悪さにはもはや言葉もないがな」
    「――っ、馬鹿にしないで!」
    傷の治療を受けながらも、無遠慮にこちらの傷を抉るヴィンセント。聞き流すのに徹しようと考えてたフェリスだが、しかし、今のは聞き流せなかった。
    「口惜しい? 助けたくない? あなたに、私のなにがわかるの・・・・・・!」
    声を震わせ、その手で癒しの力を注ぎながら、その瞳に怒りを込めて、相手を睨む。

    ヴィンセントの言葉は正しい。彼の言うとおり、フェリスの力は病魔に太刀打ちできず、国王や、その血族の方々をお救いすることができなかった。
    救いたかった大勢を死なせ、絶対に救わなければならなかった一人を亡くし、フェリスは無力感に打ちのめされた。
    あの御方を救えなかったのに、この男は救えてしまう、自分の力――。

    「だけど、殿下は・・・・・・そんな風にお考えになる方じゃなかった。自分はダメなのに他の人は助かる、その不幸を許せないような狭量な方じゃなかった・・・・・・!」

    目をつむれば、フェリスの脳裏にはいつでも、一人の青年の笑顔が浮かび上がる。ずっと彼の幸せを、彼と自分の主人との幸福を願ってきた。 
    自分の無力で、それが永遠に叶わなくなったとき、死にたいとさえ思った。けど、それを許してくれる人ではないと、魂がひび割れるほど知っていたから。
    だから、フェリスはここで、憎い相手を治療する手を緩めない。

    「馬鹿にするな、ヴォラキア皇帝。――私は、私の主君と獅子王の癒し手。あの方々の優しさが人を選ばないのに、どしてその手である私が救う相手を選べるの。たとえ、王族の方々がご健在でも、私は私の求めに応じる。そう決めてる」
    「――――」

    感情的になったことを自覚して、しかし、フェリスの内には後悔はない。 皇帝に暴言をぶつけ、非礼を重さねたことを悔やみはしない。
    あるのは、胸の中、想うだけで愛おしさが込み上げる、たった二人への親愛だけだ。
    それがフェリスの――フェリックス・アーガイルの、人生で一番大事なモノ。

  • 157二次元好きの匿名さん22/09/13(火) 06:04:45

    「ヴァイツ様も、イドラ様もヒアイン様も、皆様がシュバルツ様を命懸けでお守りしたのが、全部自分のついた嘘が理由だと、本気で?」
    「だ、だって……だって俺が、皇帝の子どもだって」
    「私も皆様も、信じていました。ですが、あのお三方が……臆病で、卑怯で、嘘つきのあの方たちが、帝国への忠誠心や愛国心で、命を賭すとお思いですか?」

    スバルが、皇帝の隠し子であれば、帝国の皇子ということになる。だから、帝国民である三人が、スバルを守ろうとするのは当たり前で。でも、タンザの言葉を、改めて、ゆっくり噛み砕いて、考える。
    臆病で、自分可愛さに逃げ出そうとしたヒアイン。
    卑怯にも、周りを出し抜いて生き残ろうと足掻いたヴァイツ。
    嘘をついて、自分を大きく見せることでみんなを操ろうとしたイドラ。
    誰とも、仲良くなれる気はしなかった。三人も、同じ気持ちだったはずだ。
    それなのに、三人は最後には命懸けで、スバルを庇った。守った。逃がした。
    どうしてか。それは、スバルが皇帝の隠し子だと三人が思っていたから。
    でも、もしも。――もしも、そうじゃなかったら。

    「なん、で……?」
    「シュバルツ様が、きちんと、あのお三方に寄り添える方だからです」
    「――――」
    「きちんと話して、しっかり答えて、ちゃんとわかろうとして……そうやって、シュバルツ様が、皆様と寄り添っわれたからです」
    わからないと、疑問を口にしたスバルに、タンザが目を見たままそう告げる。
    スバルが何をしたのか、どうして三人がスバルを助けようとしたのか、その答えを教えてくれようとしている。
    なのに、スバルにはタンザの言っている意味がわからない。
    だって――、

    「そんなの、当たり前だ。何にも、特別なことなんて、してない」

    協力し合う相手と話すのも、わかろうとするのも、当たり前のことだ。
    できていなかったことも、もちろんある。やろうとしてやり切れないことも。でも、そんなのみんな当たり前にやっていて、寄り添うなんて特別なことじゃない。

    「私には、皆様の気持ちがわかります。私も、ヨルナ様に救っていただきました。寄り添っていただきました。きっと、お三方も同じです」
    「――――」
    「ただ、それだけで命を懸ける意味がある。……そう、思わされることも、あるのです」

  • 158二次元好きの匿名さん22/09/13(火) 17:57:54

    「ゲス野郎が。誇りある帝国兵の風上にも置けねえ」
    「お前さんの自己評価がどうなってるんだか、俺にはちっともわからんよ」
    トッドは呆れたように首を左右に振って、たった今ジャマルが首を刎ねた男――此度のヨルナ一将の反乱の原因の一人を眺めた。
    トッドが睨んだとおり、ヨルナの暴挙の理由は怨恨であり、義憤だった。
    トッドとしては、それがわかっただけで十分だったのだが、ジャマルには我慢ならなかったらしい。

    下卑た発言はジャマルもお手の物だし、カッとなって部下や捕虜に暴力を振るったりと素行も悪い。
    剣の腕は上等兵の中でも並ぶ者がない程なのだから、これでもう少し頭と素行が良ければ、とっくに三将くらいには出世してるだろうに、というのが今まで何度も彼の問題行動の抑えに回ってきたトッドの感想である。
    そんなジャマルだが、帝国軍人としての強い誇りを持ってる。
    ジャマルにとっては、帝国の定めた掟を破り、挙げ句に、それによって起きた事態の責任からも逃げだした弱卒を、生かしてはおけなかったのだろう。

    「こうなるかもと思ってたのに、失敗、失敗」
    トッドには、ジャマルのような男に対する嫌悪や軽蔑はない。ただ思慮と運の足りない奴だったなと思うだけだ。
    「さて、残りの逃亡兵は2人か」
    「ああ、八つ裂きにしてやるぜ」
    「待て待て、お前さんの憂さ晴らしに殺すのはやめろ。生きたまま上官に突き出して、俺たちの手柄になってもらうんだから」
    その指摘にジャマルが気に入らないと顔全体で出張してきた。トッドは、この未来の義兄の向こう見ずさに嘆息した。

    こんな面倒に関わったのも、全ては手柄を立て、帝都に帰るため。そこで待つ、愛おしい女の下へ戻るためなのだから。
    そのためにも――、
    「――扱いづらいお義兄さまのお守りくらいこなしてやるさ。その代わり、お守りが済んだら、お前の胸で、俺を優しくねぎらってもらうからな」

  • 159二次元好きの匿名さん22/09/14(水) 00:37:07

    「練兵場の一件、止めることができなくて本当にすまなかった」
    呼び出しに応じたスバルを前に、ラインハルトは開口一番に謝罪した。合わせる顔がないなと思っていたスバルは、そのラインハルトの行いに驚いた。
    「ま、待て待て。何をどうしてお前が謝る必要があるんだよ」
    「僕は君ともユリウスとも友人だ。友人同士の行き違いを止められなかったのは僕自身の不徳の致すところだ」
    むしろ、あの場で横槍を入れられなかったことにスバルは感謝すらしていた。もし手を出されていたら惨めさは今のは比ではなかっただろう。

    「気持ちはわかる、なんて軽はずみなことは言わない。ただ、あのときのことに忸怩たる思いがあるのは僕も同じだ」
    沈黙するスバルに、ラインハルトは目を伏せる。
    その言葉はどこか微妙にスバルの無念とは的を外してる。だが、それも当然の話だ。立場が違えば見方も変わる。
    だからスバルはラインハルトに何を言われても動じない心構えをしていた。
    ただし、その心構えも――、

    「あの決闘には何の意味もなかった」

    そう言われてしまうまでの、短い覚悟でしかなかったが。
    「――何の、意味もない?」
    「あの場で君とユリウスがぶつかってなんの意味があった? 君は傷つき、ユリウスも自身の経歴に泥を塗っただけだ。ユリウスは謹慎処分を受けたよ。今頃、ユリウスも自分の行いを悔やんでるはずだ」
    ユリウスが、処分を受けていたというのはスバルにとって初耳で、驚きの事実だ。あれだけ観衆の騎士たちを味方につけていたユリウスだ。てっきり、その後の根回しもしていると思っていた。それが処罰を受けていたとは。
    ――だが、それをユリウスが後悔してるとは思えない。そればっかりは木剣とはいえ剣を交えたスバルにはハッキリとわかる。

    「一度、互いに、冷静になって話合うべきだ。和解できれば、あの決闘のわだかまりもなかったことにできる」
    「あの決闘を、なかったことに・・・・・・」
    「そうさ。普段のユリウスは誠実な男なんだ。腹を割って話し合えば・・・・・・」
    「ラインハルト」
    懸命な声を遮ぎり、スバルはラインハルトの名前を呼ぶ。
    ラインハルトの瞳には、一切の負の感情はない。
    つまり、ラインハルトは本気で言ってるのだ。
    本気で、あの決闘の意味がわからないのだ
    スバルの意地も、ユリウスの矜恃も、退くことのできない意地のぶつかり合いも、彼には理解できないのだ。

  • 160二次元好きの匿名さん22/09/14(水) 06:03:33

     ――ここに、主従の誓いは成った。

    ヴィルヘルムの願いを果たし、フーリエの望みを引き継ごう。
    クルシュ・カルステンを天が選んだのならば、それこそが天の望みでもある。
    魂の導きに従い、己の為すべきことを為そう。
    そうして拾いきれる全ての者を拾い、その辿り着く先に安寧のあらんことを。

    ――この日、剣鬼は白鯨を討つ最大の助力を得ることとなった。

    それは王選におけるクルシュ陣営の、本当の結束の始まりであった

  • 161二次元好きの匿名さん22/09/14(水) 17:57:49

    つい先ほどまで、それの目の前には胃が絞られる痛みを感じるほどに食欲をそそる獲物がいた。肉が柔らかく、血が甘く、一時でも満腹感に酔わせてくれそうな、そんな獲物が確かにいたはずだった。
    鼻、感じない。目、映らない。耳、聞こえない。いたはずの獲物がいない。首を巡らせる。見つからない。

    失望に似たものは、即座の空腹感によって上書きされる。それは口さみしさと空腹を誤魔化すために、とりあえずすぐ傍らにあった白い塊に食らいついた。
    食いちぎり、肉を引き裂き、血を啜って内臓を掻き出す。思うさまに咀嚼し、平らげて、周りでも同じような食事が繰り広げられていた。
    繰り返し、繰り返し、尽きぬ食欲に動かされて、それは隣の獲物を、隣の隣の獲物を、隣の隣の隣の獲物を、隣の隣の隣の――。

    やがて、それはいつしか周囲の全てを食い荒らし、独りになっていた。
    地面を浸した血を舐め、散らばる肉片も、血を吸った大地も草も残らず咀嚼する。そうして食べ残しすら綺麗に片付けてしまえば、今度こそ本当に独りだ。
    それの内側を、その体積を上回るほどの肉を収めても消えない飢餓感が襲う。鳴き声を上げ、キチキチと歯を鳴らし、それは気が狂いそうになる。尽きぬ空腹感、決して満たされない飢餓感。食んでも食んでも、許されない狂気。

    母も、こんなものを抱えていたのだろうか。

    一瞬だけ、食欲に支配されるそれの脳裏を謎の思考が過った。
    ノイズめいたそれは単なる感情の走りで、決して言葉として明文化されるようなものではない。そして、それも、すぐに狂いそうな飢餓感の前に永遠に消える。
    それは身を震わせ、激しく身を震わせ、内臓を掻き乱される感覚に絶叫しながら、無意識に己とは別個の存在を生み出した。
    突然に出現した白い塊は、歩き方を忘れたように背中から地面を転がった。
    獲物を全感覚器官で知覚したそれは、躊躇いなく転がる塊に食らいついた。
    悲鳴すら上げさせずに、平らげる。平らげた後、また飢餓に苦しむ。そして苦しみ足掻いた果てに、再び己とは異なる存在が世界に生まれる。繰り返し繰り返し、それはその行いを続ける。
    そしてやがて、『それ』もまた、己と異なる食欲に食まれて消えてなくなる。また新しい独りが、独りでなくなるのを繰り返し、世界は回る。

    ――満たされない飢餓感が、満たされることはない。


    ベア子に封印されたときの大兎のこの独白、なんか好き

  • 162二次元好きの匿名さん22/09/15(木) 00:22:04

    このレスは削除されています

  • 163二次元好きの匿名さん22/09/15(木) 06:04:19

    「やれやれ、ずいぶんと嫌われてるみたいですね」

    こちらを強烈に睨みつける炎を纏った女、彼女の怒りの矛先が自分なのはわかるが、その怒りの源泉がどこから湧くのかがイマイチわからない。
    ただ、敵対しているから怒っているわけでも、彼女が剣奴を殺すのを邪魔したから怒っているわけでもないように感じる。
    たぶん、もっと他に理由があるのだろう。
    ただし――、
    「僕は大抵の接した相手を怒らせるという特技があるんですが、そうした状況の例に漏れず……ちっとも心当たりがありませんね!」
    「――っ、どこまで、ふざけるの……!」
    「ふむ、僕がふざけていると。参考までにどこらへんがふざけてるかお聞きしても?」
    「その! その、姿形は何なの……っ」
    赤い瞳で睨まれて、姿形のことを指摘される。
    何なのと言われても、こんがり半分焼いてくれたのは他ならぬ彼女だというのに。
    「でも、たぶんそういう意味じゃありませんよね? もしかしなくとも、僕とあなたには何かしら関係があったのでは?」
    「ふざけて……」
    「ないんですが、そう言っても信じてもらえる証拠なんて出せませんから言い張る以外にありませんね。しかしなるほどそう考えると色々と辻褄が合う気分にも」
    言いながら、セシルスは右手の立てた指でくるくると、戦いの最中に彼女から奪った眼帯を回しながら頷く。

    どうにも、剣奴孤島で暴れ始めるまでの記憶は判然としない。前にスバルに聞かれた通りでこれは事実。あまり気に留めてないのも事実。とはいえ、何かしらあるのだろうと思っていたところへ、訳知り顔で登場したのが目の前の彼女だ。
    消えた記憶の中に彼女がいたなら、それは多少もったいない気分。これだけやれる相手なら、もしかしたらという期待があった。
    天剣へ至る、その道筋を行く上で――。

    「そうやって……誰も、何も、教えてくれない……!」
    「おや?」
    しかし、考え込むセシルスの前で、彼女は悔しそうに声を震わせ、怒りと混乱に強い苦みを混ぜ込み始めた。
    「姫様も、閣下も、隠してる……わたしは、いつも……」
    「置いてけぼりで辛い思いをしてると?」
    「――っ」
    何となくの一言が図星を突いたのか、彼女の表情が強張った。
    その揺れる赤い瞳を見ていると、ぼやけた彼方にある思い入れが疼くような、そうでもないような、結局、彼女との関係はよくわからない。

  • 164二次元好きの匿名さん22/09/15(木) 17:51:18

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  • 165二次元好きの匿名さん22/09/15(木) 23:20:45

    「おい、ラインハルト。お前、ひょっとして、なんかへこんでねーか?」
    「――――」
    自分を呼び止めたフェルトに、ラインハルトの目がわずかに見開かれる。驚いた彼の反応を見て、フェルトもわずかに呆気に取られた。

    ラインハルトが驚いたり、感心してる様子を見せることは珍しくない。ただ、どんなときでもラインハルトの態度には一定の余裕やゆとりがある。
    その余裕がフェルトがラインハルトを嫌がる理由の一つだった。まるで自分は同じ舞台に立ってないような、そんな隔たりを感じさせる態度だった。
    だが、今のラインハルトからは、その壁のようなものが取り払われてるように見えて。

    「ひょとして、お前がへっこんでんのって昨日の決闘と関係あんのか?」
    「ない、とは言えません。いえ・・・・・・関係あります」
    一度は誤魔化しかけて、ラインハルトはすぐに認めた。
    「どっちもお前の知り合いなんだろ? アタシはあの兄ちゃんしか知らねーけど」
    「ユリウスは団長に謹慎を命じられています。不名誉な行いだったと、自分を戒めてると思います」

    名前の挙がった騎士は、一見して、騎士らしい騎士という印象の人物だった。
    振る舞いや言動の問題だろうか。――フェルトには、あまり好ましくは思えなかった。
    ただ、不名誉な行いを反省しているというラインハルトの判断には頷けない。あの騎士は別に後悔はしていないのではないか。

    「そして、フェルト様とも共通の友人のスバルですが、彼は今は候補者であるクルシュ・カルステン公爵のお屋敷に」
    「あの兄ちゃんとアタシが友達って関係かどうかは別として、なんでまた? あの兄ちゃんのケンカって、あのハーフエルフの姉ちゃんのためだろ?」

    正確には、そう思っていたい自分の独りよがりのために、だとは思うが。
    とはいえ、色々と複雑な立場になってしまったが、スバルには『腸狩り』から助けてもらった恩がある。
    そんな関係でも擁護しきれないのが昨日の王城での一件だが。
    そこまで考えて、フェルトは嫌な可能性に思い至った。

    「もしかして、お前、あの兄ちゃんを慰めにいったりしてねーだろーな?」
    「いえ、その通りです。心身共に傷ついてるだろうと・・・・・」
    「うーわ、やっぱやってたよ! そんなの、傷抉るだけってわかりそーなもんだろうが」
    わかってない顔のラインハルトに、フェルトは初めてスバルに同情した。

  • 166二次元好きの匿名さん22/09/16(金) 06:03:47

    「――眩い世界を見下ろす太陽に。眠りに落ちる世界を見守る星々に。風に、水に、土に、光に、全てに満ちる精霊に」
    静寂が破られる。エミリアの唇が、歌うように儀礼の祝詞を紡ぎ出す。

    「――あなたを受け入れ、あなたを育み、あなたを送り出す大いなる世界に」
    震える。心が震える。
    心の均衡が崩れ、乱れる魂がもどかしい。今はただ、彼女の祝福に溺れていたい。
    「――あなたを支え、あなたを作り、あなたを築いたその誇りに」
    叫び出したい狂騒に耐え、心を焼く熱い衝動を堪え、ただ問いかけの時を待つ。
    「――あなたを見守る全てに、あなたを育む世界に、あなたを支える誇りに、恥じない在り方がありますよう。怖じず、竦まず、迷わず、心のままに在れますよう」
    祝詞が終わる。 儀礼の作法はここで終わりだ。

    「――その志のあるがままに、あなたを取り巻く何もかもと同じように、この時よりこの身を守ってくれること、誓っていただけますか?」

    最後の問いかけは、スバルも答えを知らない。
    ――だが、エミリアの問いかけに、なんと答えればいいのかは心が知っていた。
    「太陽に、星々に、世界に、誇りに――そして」
    祝詞が告げた全てに、今ここにあることの覚悟と感謝を述べよう。
    そして誓いを口にする前に、スバルは掛け値なしの感謝を伝えなくてはならない相手を脳裏に思い描く。
    だから自然と、唇はその言葉を紡いだ。

    「――父に、母に、二人にかけて誓います」
    「――――」
    「俺は君を守る。君の願いを叶える。――俺の名前は、ナツキ・スバル」
    顔を上げた。
    剣はいまだ、右の頬のすぐ傍らにある。だが、剣の輝きも目に入らない。
    今はただ、見つめ合う紫紺の輝きだけしか見えない。
    「エミリア。――君だけの、騎士だ」
    「――うん」
    告げた言葉に応じ、エミリアの瞳が、堪え切れない感情の波に潤み出す。

  • 167二次元好きの匿名さん22/09/16(金) 17:58:56

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  • 168二次元好きの匿名さん22/09/16(金) 18:26:30

    「あれの手を借りなければいけなかったことと、あれが『試練』に折れる姿を見れなかったのだけは心残りだが・・・・・・結界は解けたんだ。それで差し引きゼロとしておこうか」
    そうでなければ自分が――否、この器が『聖域』の外に出ることは叶わなかった

    まさに自分の策に自分が溺れる形だ。
    その尻拭いをしてくれた少女を思うと、珍しく胸中に言葉にし難い感情が溢れてくるのを感じる。

    「まぁ、構わないさ。この体ではあまり無理も利かないし、しばらくはブランクを埋めるつもりで歩き回ってみる予定なんだ。あれらに固執する必要も、今はない」
    両手を開閉し、少女は体の調子を確かめる。
    結界の核になった少女の肉体に、同質の魂を持つ複製体を強引に重ねた結果だ。過去に一度、墓所へ入った複製体の内側に自分の魂の一部を植え付け、時間をかけて少しずつ支配を進めた。
    異なる肉体へ、異なる魂を定着させる蘇生法――厳密な意味での死者蘇生とは異なるが、それに近い荒技には違いない。完全に馴染むのに時間がかかるが、それは仕方なかった
    今はただ、こうして新しい肉体と共に、かつての魂で歩める今に感謝すべきだろう。

    「名前は・・・・・・せっかくだ。彼の知識にちなんで、オメガとでも名乗っておこうかな」
    単語の意味は『最後』だ。今の自分の立場に、これ以上に相応しい名前もあるまい。

    唇を緩めながら草を踏み、木々の隙間を抜けて森を出る。
    少女の足では少しばかり不安がある道程だが、何ほどでもない。疲労も苦痛も、肉体と魂が繋がっていてこそだ。久々の生の充足、楽しませてもらわなくては。
    世界があるのだ。色褪せず、豊潤で、尽きぬ好奇心を満たしてくれる宝の山が。


    「こうしていれば、いずれはわかる日がくるのかな」
    道すがら、一輪の花を見つけて少女はうっすらと微笑んだ。
    花弁を一枚、指で摘まんで匂いを嗅ぎ、そっと口の中に放り込む。
    美しい花もまた、いつか枯れてしまう。花は、なぜ枯れてしまうのか。
    人と人との、美しい思い出もまた、いつか色褪せてしまうのか。

    「――ああ、愛はなぜ減るのだろうか」
    呟き、薄赤の長い髪を揺らす少女は踏み出した。

    『魔女』は、再び世界に解き放たれた。

  • 169二次元好きの匿名さん22/09/17(土) 02:12:57

    「……どうして?」
    意に、考え込むスバルの鼓膜をそんな言葉が打った。とっさに顔を上げれば、じっとこちらを見つめるレムの瞳と正面からかち合う。
    直前まで自責の念で潤んでいたレムの瞳、それは何故か、より強い自責を宿してスバルを真っ向から見つめていたのだった。

    「どうして、これがあなたのせいになるんですか」
    レムの眼差しに動揺し、身動きを封じられたスバルへと言葉が重ねられる。
    彼女は潤んだ瞳のまま手を伸ばし、惨状と化した都市庁舎を示しながら、
    「ミゼルダさんの足も、ルイちゃんやウタカタちゃんのケガも、ミディアムさんやフロップさんの傷も、何もかもあなたのせい?」
    「それは、そうだ。俺がもっと、入念に準備してたらこうはならなかった」
    「あなたは策を考えて、成果を出しました。誰も戦わせずに都市に入れることができた。計画通りに」
    「でも、そのあとが……」
    「――そのあとのことなんて!」
    食い下がるスバルに、レムが眉を立てて声を大きくする。

    「そのあとのことなんて、誰にも見通せませんでした。あの半裸の女性が現れるのも、それが大暴れするのも全部、予想のできないことでした」
    「――――」
    「それなのに、どうしてあなたがその全部の責任を負うんですか」

    どうしてなのかと言われれば、それが力を持ったモノの責任なのだとスバルは思う。
    レムが自分の治癒魔法の力不足を嘆いたように、スバルも自分の権能が補えなかったことを悔やみ、嘆くことがある。『死に戻り』は、その範囲がより大きい。スバルが力を行使すれば、未来はより良くも、悪くもなり得るからだ。
    ただし――、
    「それは……」
    ――それは、たとえ相手がレムであっても伝えることのできない真実だ。

    レムに限った話ではない。スバルの有する権能のこと、これだけはどれだけ胸襟を開いた相手であっても伝えることはできない。――否、心を通わせた相手にこそ話せない。
    話せば、その相手を死に至らしめるかもしれない真実など、明かせるものか。
    痛みは、怖い。『死に戻り』を打ち明けようとすることで与えられる痛みは恐ろしい。心の臓を掴まれる激痛など、誰が何度味わったところで慣れるものか。しかし、真に恐ろしいのは痛みではなく、喪失だ。
    失うことよりも怖いことなど、この世に存在するだろうか。それを極限まで恐れるからこそ、この権能はナツキ・スバルに与えられたのではないのか。

  • 170二次元好きの匿名さん22/09/17(土) 02:18:03

    「無血開城を献策した結果も、あの場で私を庇ったことも、ミゼルダさんが足を失ったことさえ、あなたは全部、自分で抱え込もうとして……」
    「――――」
    「その全部ができるほど、あなたは強い人間じゃない。……最初こそ、そのおぞましい臭いで警戒していましたが」
    そこで言葉を区切り、レムが一度、自分の膝の上のルイへと視線を落とした。
    その金色の髪を優しく撫でてやりながら、レムは息を詰めると、そっとその視線をスバルへと向け直して、
    「そんな何もかも、一人でやり切ろうなんてしないでください。私たちの行いの責任を、あなたが取る必要なんて」
    何を言われているのか、脳が速やかな理解を拒否している。ただ、これ以上は聞いてはならないと、正体不明の焦燥感がスバルの心を焼いている。

    力不足を呪ったスバルへと、切実な感情を宿して食い下がるレム。

    それ以上、言わせてはならないと――、
    「あなたは特別な人間じゃ――」
    言わせてはならないとわかっていたのに。

    「――あなたは、英雄じゃないんですから」

  • 171二次元好きの匿名さん22/09/17(土) 11:08:13

    >>169

    >>170

    レムは一人で抱え込んでるスバルを心配して言ってるんだけど、スバルには逆効果になってるの切ないなあ

  • 172二次元好きの匿名さん22/09/17(土) 22:31:09

    このレスは削除されています

  • 173二次元好きの匿名さん22/09/18(日) 00:57:00

    「・・・・・・これから一発かましてやろーってのに、最初の一歩目で躓かされたよな」
    「それは・・・・・・いえ、フェルト様、ですが」
    「――だから、次はこうはいかねーよ」
    「――え?」
    拳を握り力強く言い切ったフェルトに、ラインハルトが呆気に取られた。

    「なんだよ、すっとぼけた声を出しやがって。アタシがなんか妙なことを言ったか?」
    「そんなことは。ただ、僕はてっきり、フェルト様は落ち込まれているものと」
    「アタシが落ち込んでる? おいおい、そりゃ・・・・・・」
    フェルトは後ろへ向き直り、ラインハルトの長身を見上げ、陽光を背負った顔をじっと見つめる。
    その影が差した騎士の顔にフェルトは「あー」と納得する。

    「落ち込んでるのは、アタシじゃなくて、お前の方だろ、ラインハルト」
    「僕が、ですか?」
    「自覚がねーのが重症だな。まぁ、テメーは負けた経験がなさそうだもんな」
    やれやれと頭を振り、フェルトはラインハルトの胸に拳を向け、軽く小突く。
    「お、当たった」
    「避ける必要を感じませんでしたし、フェルト様の手ですから」
    「いらねーことを付け加えんな。あと、これも覚えておけ。――こっから先、アタシに付き合ってくんなら、こんな負けは何回もぶつかることになんぞ」
    「――――」
    「なんだよ、お前。まさかアタシがこの先、ずーっと全戦全勝して気持ち良く王様になるまで駆け上がってくなんて期待してたんじゃねーだろうな?」
    これから何度でも負ける事はある、と言い切ったフェルトに、ラインハルトは瞠目していた。

    まさか、なんて言い方したものの、フェルトは確信してる。ラインハルトは負けることなど考えたこともない。それはフェルトへの信頼というより、自分自身の歩く道への絶大な安心感、それが原因なのだろう。
    自分がいれば負けるはずがない。――そんな類いの全能感を背負ってたはずだ。

    だが、ラインハルトがいてもどうにもならない場面もある。世の中には剣では解決できない問題がいくらでもある。王選が始まって早々に、それと激突したわけだ、
    自分の認識する理想と現実の違い、その落差への戸惑いがあるのに、その自覚だけがないのだ。

    「お前、たまにホントにガキみてーなところがあるな。イリアと変わんねーぞ」

  • 174二次元好きの匿名さん22/09/18(日) 11:30:53

    「『ミーティア』・・・・・・願いを叶えるから、『流れ星』と名付けたんだけどね」

    そんな願いも儚く、どうにも制作者の意図を外れたトラブルの温床となっているのが、今も昔も『ミーティア』の悩みどころだ。
    人の願いの方が悪いのか、道具の方が悪いのか、ひょっとすると、取扱説明書の一つでもあった方がよかったのかもしれない。
    「見れば大体、どんな使い道の道具なのか想像がつくはずなんだが」
    とかく、そうならない場合が多いのは、オメガが大衆を過大評価しているのか。
    いずれにせよ――、

    「――馬鹿げた話だ」
    『ミーティア』――『獣護輪』によって、家族を失ない、村人たちに『魔女』と疎まれ、森へ追いやられた少女は、孤独と引き換えに恐ろしい『獣』を封じた。そして孤独と寂しさの中で、本物の『魔女』になることを望み、儀式を繰り返した。
    「野兎を殺し尽くせば、『魔女』になれるとでも? それこそ子供の夢だ」
    そう言いながら、オメガは頭上を仰いだ。相変わらず、分厚い雲に隠れた空は星も見えない。それが煩わしくて腕を振るう。
    瞬間、はるか上空で巻き起こる風が雲を散らし、蒼い月が露わになった。
    「――ぁ」
    その蒼い月から降り注ぐ月光が、森の隙間に佇む少女たちを照らす。そして『獣』の少女を抱きしめ、古の存在と対峙する少女は息を呑んだ。
    何故なら、少女の眼前に立っていたのは――、

    「――なるほど。ワタシを見ても平静が保てるとは、見所がある」
    ――それは薄く微笑む白髪の『魔女』だった。

    「村人たちは、コレットを『魔女』と罵ったんだろう? それはよくない。こんなものが『魔女』だと勘違いされては、ワタシも彼女たちも浮かばれない」
    「ひ」
    「村は、こっちで合ってたかな? ワタシは方向音痴でね」
    喉を引きつらせるパルミラに笑いかけ、『魔女』はそう尋ねる。その問いに、怯えるパルミラは何も思考できないまま、ただ何度も頷いた。
    「ありがとう」
    礼を言って、『魔女』はゆっくりと歩き始める。村の方へ。無知なる人々に真実を知らしめるために。
    「――――」
    そうして、遠ざかっていく『魔女』を見送りながら、心臓の凍る想いを味わったパルミラは空を、月を仰いだ。
    ――蒼い月は静かに、抱き合う少女たち二人を見下ろしていた。

  • 175二次元好きの匿名さん22/09/18(日) 18:49:09

    最初は、何の関心も抱けない、愚昧な人間の一人に過ぎないと思ってた。半魔の娘が王都から連れ帰った行きずりの旅人、それも馬鹿な旅人だとばかり。
    それが屋敷に残り、おまけに彼には陰魔法の適性があり、ベアトリスの『扉渡り』との相性もやけに良くて、結果、禁書庫にも、幾度もずけずけと入ってきて。

    妙な少年だった。
    少年の目的が、半魔の娘にあることは誰の目にも明らかだった。それも野心や陰謀の類ではなく、ただただ呆れるほどに単純な恋心を起因としたものだ。
    その恋心一つのために、愚直に命懸けになる彼が見捨てられなかったのか。呪いを受けた少年を救い、気紛れに助言をくれてやって。
    その後、すっかり屋敷に居着いて、ますます馴れ馴れしくなる彼に後悔したりもした。

    ただ、禁書庫のことを知ってなお、禁書庫の知識を求めない姿勢に意外な驚きがあった。呪いで頼ってきたのも『禁書庫』ではなく『ベアトリス』だった。それいてベアトリスの力を欲っするでもなく、普段はくだらない思いつきの戯れにベアトリスを無理やり巻き込んでくるような奴だった。

    ――知識にも、ベアトリスの力にも、さしたる興味を抱かない少年。
    これまで禁書庫に辿り着いた誰とも異なる在り方に、ベアトリスは儚い希望を抱きそうになり――しかし、これを自ら否定し、打ち消した。
    そもそも少年には、ベアトリスが待ち人に期待する多くの要素が欠落してる。
    まず、目つきが悪い。態度も悪い。教養も足りない。足も短い。ベアトリス以外の相手を全力で想ってる。ベアトリスに優しくない。いいところが見当たらないではないか。
    半魔の娘も、メイド姉妹の妹も、あれの何がいいのか本気で理解に苦しむ。

    いいところなんて何もないのだから、誰にも好まれずに一人でいればいいのに。
    それなら、禁書庫に顔を出すとき、少し優しくしてやるのも吝かではない。
    そんな風に、思うこともあったのに――。



    書籍版で追加された、この辺のベアトリスの独白を読んでると、スバルに連れ出されるシーンで、より感動が増す
    またWeb版と違ってスバルが知ることはないが、書籍版でもベアトリスは禁書庫に引き籠もってた間は暴食の権能の影響を受けず、レムの事を忘れてなかったのも描写されてる

  • 176二次元好きの匿名さん22/09/19(月) 00:35:12

    ヨルナを愛し、ヨルナに愛されることこそが、『魂婚術』の恩恵を最大限に受け取るために必要な資質――だが、タンザのヨルナへの愛に打算はなかった。

    愛は見返りを求めないと、訳知り顔の誰かが語るかもしれない。
    しかし、タンザはこう思う。――誰かを愛する気持ち自体が見返りなのだと。
    その人を想い、熱くなる胸の鼓動こそが『愛』の見返りなのだ。
    ならばタンザはもらった見返りに、この小さな体の全部で応えなくてはならない。
    それこそが――、

    「私の、この命をいただいた理由なんです」

    初めてヨルナにお目通りしたとき、タンザは幼すぎた。
    優しい姉の背に隠れ、堂々と振る舞うヨルナを上目に見るしかできなかった。
    ただ、生まれて初めて、誰にも脅かされない日々を送れると、その約束があっただけ。その約束を信じて、姉との日々に思いを馳せた。

    二度目にヨルナにお目通りしたとき、優しい姉をおぞましきモノたちに奪われて、タンザは自暴自棄にヨルナへ噛みついた。
    ヨルナはその無礼を咎めず、それどころかタンザの訴えに真摯に耳を貸し、姉を奪ったモノたちへの応報にさえ手を貸した。――結果、謀反者の汚名を着せられてでも。

    どうして、愛さずにおれようか。先にそれほどの愛を注がれ、慈しんでくれた優しい御方を。
    姉の死に際し涙を流し、守れなかった約束を悔やみ、タンザに詫びたあの方を。
    ――どうして、愛さずにおれようか。

    眼前、おぞましく蠢く黒い澱みが、噴煙の向こうに寄り集まるのがわかる。
    ヨルナの愛した都市をぶつけられ、それでもなお打ち砕かれないしぶとい執念。誰もが目を背けたくなる昏い闇に、しかし、タンザは怯まなかった。
    怯む理由が恐怖なら、タンザの胸を支配するものはそれではない。
    故に、タンザは瓦礫を足場に前へ飛び、揺らめく『大災』へと真っ向から突き進む。

    「――ヨルナ様」
    唇が動いた。その先の言葉が音になったか、ヨルナに届いたかはわからない。
    ただ、毎日寝る前に、朝目覚めたときに、暇さえあれば祈ったように、刹那も祈る。
    ――どうか、愛しい御方の日々が健やかでありますよう。

  • 177二次元好きの匿名さん22/09/19(月) 12:20:58

    「――此度の一件、始まりは砦の兵が鹿人の娘を辱め嬲り殺したこと。魔都の庇護下にある獣人に危害を加えれば、ましてや命を奪えば、かの魔都の女主人の怒りは如何ほどのものか。どうやら、全く想定の外側だったという様子」
    「――誰が口を割った?」
    「散り散りになった逃亡兵三名、これを事態を把握した上等兵が身柄を拘束し、上へ報告。一名が死亡し、二名の身柄は確保してる次第」
    「捕らえた二名は、魔都のヨルナ・ミングレの下へ送れ」
    刹那の躊躇も見せず、逃亡兵の末路を差配したヴィンセントにチシャは黙々と従う。

    今回のヨルナの反乱、その切っ掛けとなった者たちだ。せいぜい派手に惨死し、この戦いで流された血の慰めになればいいだろう。
    その殺伐とした思考に、チシャは自分が嫌になる。もっと、自分は温厚で物静かな性格だったはずなのに。

    「時に閣下、逃亡兵を捕らえた兵たちですが・・・・・・」
    「褒賞はあって然るべきだろう。望みの褒美を与えてもいい」
    「そう仰ると思い、直接聞いておきました。もちろん、この顔ではありませんが」
    その話に、ヴィンセントが初めて目線を書類からチシャの方へと上げた。

    興味が引かれたなら結構と、チシャは脳裏に直接対峙した二人の兵を思い描く。粗野な雰囲気に眼帯をした男と、人好きのする印象の優男の二人組だった。
    少ない情報から逃亡兵に辿り着き、適切に動いたのは評価できる。当然、相応の見返りをと思ったが――。

    「――帝国兵は精強であれ」
    「・・・・・・なに?」
    「その兵の片割れが、褒賞に何が欲しいか聞いた当方に話したことですなぁ。ヴォラキア帝国の理念、自分はそれに従ったに過ぎないと」

    そう言い放ったのが、野心家にすら見えた粗野な兵の方なのだから不思義なものだ。
    兵は本気で帝国の地の掟に心酔し、それに背く行いをした弱卒を憎んでいた。彼らの血で得られる褒美など不要と、そう言い切ったほどに。
    無論、隣の相棒は彼のその言いように眩暈を覚えていたような顔をしていたが。

  • 178二次元好きの匿名さん22/09/19(月) 23:40:18

    「何もかも全て、スバルくんが背負う必要なんてどこにもないんです。――全部、レムに任せて、今はゆっくり休んで、眠ってしまっていいんです」
    ささくれ立っていた感情が、手を差し伸べてほしいと紛糾する魂が、スバルの全てをわかってくれている彼女によって、今、再び救われる。
    無力なスバルに、脆いスバルに、愚かなスバルに、レムが力を貸してくれる。それに甘えて、縋って、頼り切って――それで、正解に辿り着けるのなら。
    擦り切れてしまって、自分の足場もわからなくなって、どちら向いて歩いていけばいいのかわからなくなってしまったから、だから、何もかも、諦めて、委ねて――。

    『諦めるのは簡単です』
    『でも――」
    『スバルくんには、似合わない』
    声が、聞こえた。

    「――お前、誰だ」
    「え――?」 
    「お前は誰だって、そう、聞いてんだよ」
    「スバルくん、何を……誰って、そんな……」

    低いスバルの問いかけに、レムが怯えたように嫌々と首を振る
    レムの瞳に浮かぶ傷心の色に、悲痛な表情に、スバルの胸が掻き毟られる。
    その痛みをねじ伏せるように、スバルは自分の胸に手を当てて牙を剥いた。
    あるはずのない邂逅に、与えられるはずのない救済に、ナツキ・スバルの全霊で――。

    「レムは、俺の弱音を聞いて、泣き言を吐き出させて、涙も何もかも涸れるぐらいまで絞り出させて――さあ、立ってくださいって、そう言うんだ」

    あの澄み渡る青空の下で、絶望に挫けかけたスバルに彼女は言った。
    触れた指の細さを、寄り添った肌の温もりを、与えられた愛の大きさを、ナツキ・スバルは全身全霊で覚えている。
    だから、はっきりと、目の前にいるレムに――彼女の紛い物に、言ってやる。

    「もう休んでくださいなんて、言わない。諦めて、全部レムに任せてくださいなんて、言わない」
    「――――」
    「俺を好きで、俺も好きで、俺に優しくて、俺を愛してくれて――世界で誰より、俺に厳しくて、俺に甘くない女が、レムだからだ!!」

  • 179二次元好きの匿名さん22/09/20(火) 06:07:21

    「あのとき、オレは言ったはずだぜ。あそこで放送するってことは、兄弟は『英雄幻想』を背負ってくことになるんだってな」

    思い出される絶望的な状況、都市が大罪司教に襲われ、大勢が窮地にあった。
    そんな中で役割を求められ、あと一歩を踏み出せずにいたスバルにアルがかけた言葉、それが『英雄幻想』だったと記憶している。
    人々の、大勢の期待と希望を一身に背負い、負けることは許されない存在。
    誰もがそうあってほしいと願う、『英雄』という名の『幻想』を背負うのだと。
    そして、あのときのスバルはあまりにも気楽に答えた。
    ――それは、いつもと変わらないと。

    「ここでだって同じだ。一人に否定されて、それでなんだってんだよ。それで、兄弟がやってきたことが覆るわけでも、覚悟が裏返るわけでもねぇだろ」
    「――――」
    「折れんなよ、兄弟。かましてやれよ、兄弟。――期待に応えろよ、兄弟」

    重ねて、水門都市でのスバルの功績を知るアルが背中を叩いてくる。
    全てを忘れているレムも、幼児退行しているルイも、当然ながらアベルもフロップもミディアムも、『シュドラクの民』も誰も知らないスバルの働きだ。
    プリシラは、知っていても覚えてくれているか怪しいところだが。

    「オレは忘れちゃいねぇ。そして、悪ぃが今さら逃がさねぇよ、兄弟」
    「逃がさない、って……」
    「始めちまったんだ。掲げた看板は死ぬまで下ろせねぇって話さ」
    「――――」

    クリティカルなアルの言葉に、スバルはまたしても息を呑む。
    あの水門都市での放送、それが、あの都市で不安と恐怖に呑まれかけていた人々だけではなく、それ以外の相手にも波及したのだと初めて知った。

    アルは言った。掲げた看板は死ぬまで下ろせない。
    そして、ナツキ・スバルには『死』が訪れることはない。
    故に、抗い続けるしかないのだと――。

  • 180二次元好きの匿名さん22/09/20(火) 17:48:48

    折れてしまうだろうか、とユリウスは思う。
    折れてしまうのであれば、ここで折れてしまった方がいい
    その方が、彼にとっても、彼の周りの人々にとっても、幸いだと思う。
    けれど、もしも彼が折れないのであれば――、

    「理想を掲げる愚か者と、またああして剣を交えるのも悪くはない」

    ユリウスの言葉を受け取り、フェリスは小さく含み笑いする。
    「ユリウスがそんな風に思ってあげてても、スバルきゅんの方は二度とゴメンだって思ってるんじゃないかなーって。あれだけ、公然とぶちのめされたらネ」
    口元に手を当てても隠し切れない笑み。

  • 181二次元好きの匿名さん22/09/21(水) 00:05:24

    ――これがエミリアの見たい景色。広義の意味で、彼女が実現したい理想郷だ。
    貴族も商人も庶民も、人も亜人も半獣も、身分も種族も区別のない平穏、その体現だ。

    「――スバル、なんだかすごーく優しい顔をしてる」
    「なんだろうね。エミリアたんと同じものを見て、いいなぁって思えるのが嬉しいのかも」
    「あ、それ、わかる。私も、スバルがおんなじに思ってくれたら嬉しいな」
    「どうかな。そこは違うかもしんない。違ってていいって、そう思うし」

    同じものを見て、同じ幸福感を共有しながら、その先に違う景色を見ている。
    恋しい人と何もかも同じになる必要はない。違っててもいいのだと、今は思える。
    「――――」
    エミリアが瞳を細め、優しげにスバルを見つめてる。
    言葉の意味、全ては伝わらなかったかもしれない。ただ、大事なことは伝わってくれた。
    それだけ共有できたなら、それでいいのだ。それ以上は、贅沢以上に傲慢だ

  • 182二次元好きの匿名さん22/09/21(水) 06:06:26

    「――帝都、ルプガナ」

    アベルが玉座を追われ、そして奪還しなくてはならないと志す都市。
    その都市の中心にある水晶宮を遠目にしながら、レムは囚われの身となっている。開かない窓に触れ、指先でガラスの感触を確かめながら、ふと思った。

    「……あの人が」

    レムがいなくなったと知ったら、その胸に痛みが走るだろうか。
    胸の奥に刃を突き込まれたように痛むレムと同じように、その胸に痛みが。

    それが、自分のどんな想いから去来する考えなのか、レムにはわからなかった。

  • 183二次元好きの匿名さん22/09/21(水) 17:55:54

    >>182

    何だかんだで塩レムも、本当はスバルに心を許してたのが感じられて、いいよね

  • 184二次元好きの匿名さん22/09/21(水) 23:42:45

    ――『ナツキ・スバル』の歩みは、無様で無計画で、救いようがなかった。

    「てんでダメ。見たまま素人で動きは雑。加護もなければ技術もなく、せめて知恵が絞れるかと思えばそれもなし。いったい、どうして挑むのかしら」
    強大な敵に好き放題にいたぶられ、真っ当な反撃もできずに刻まれ続ける。
    そうして傷付けられる自分の周囲には、血塗れの老人と金髪の少女が倒れていて。そのどちらも救えなかった。動くこともできなかった。

    「おい、刺しちまったのか」
    「仕方ねえだろ。表に逃げられてみろ。面倒どころの話じゃねえ」
    「あーあ、こりゃダメだ。腹の中身が傷付いてっから死ぬな。……着物もびちゃびちゃだ」
    まさしく無駄死に、犬死に、救えない。
    サテラでない少女をサテラと呼んで、そのことを彼女自身に罵られ、明々白々な事情さえ察することができず、思考を放棄した先で舐めてかかった相手に殺される。
    似合いの最期だ。どうして、最初から最後まで、一分一秒を惜しまず、全身全霊を注ぎ込んで、生きられないのか。

    眠っている間にもたらされる落命は、そのあっさりとした最期と裏腹に、冷たい毒を血管に流し込むみたいな残酷さを伴っていた。
    死んだことにさえ気付けない『死』の到来は、痛みや苦しみと切り離せなかったこれまでの『死』と比べて、さぞや楽なものだろうと思うだろう。
    だが、そんなことは決してない。
    『死』を恐れる人間の中には、眠るように死にたいと望むものが少なからずいるだろうが、その経験をしたスバルに言わせてもらえば、そんな『死』は望むべきではない。
    『死』には、『死』の意味があるのだ。人生の終焉には、終幕には、それとわかる終わりが付属していなければならない。

    混乱と失望、驚愕と切望の中で、スバルは次なる『死者の書』を求める。何が起きたのかを知らなくては。何が自分を殺したのかを、知らなくては――。

    ――謎が謎を呼び、無理解と理不尽な『死』を追体験する。
    重ねられる終わりと、繰り返される惨劇。
    次から次へと、命を狙われ、奪われ、砕かれ、ついには裏切られる。

    何故、とわからなくなった。
    何故、自分を殺した青髪の少女を、救わなくてはならない。
    何故、彼女を救うために自分は必死になっていて、何故、彼女は挫け、膝を屈したスバルの背中をああも強く押したのか。
    何故、彼女の言葉に力をもらい、進めるような気になったのか。

  • 185二次元好きの匿名さん22/09/22(木) 06:05:47

    「――これで、八冊」
    『菜月・昴』の『死者の書』を見つけ、読み始めてからそれだけの巻数を重ねている。
    合間の『死』を読み飛ばすことなく『ナツキ・スバル』の足跡を追えている。

    そうして、足跡を追いながら、思う。
    『ナツキ・スバル』はなんて愚直で、度し難い青二才なのかと。
    特に最後の一冊、八冊目の『死者の書』の末路を見ると、そう思わざるを得ない。
    王選の開始が宣言されたあと、城でエミリアと仲違いし、結局は彼女の■を傷付けるだけ傷付けて、謝罪も反省もないまま、混乱の内で死んだ『ナツキ・スバル』。
    どうしてわかってもらえないのか、と思う自分がいる。
    一方で、どうしてそれでわかってもらえないと嘆くのだ、と思う自分もいる。

    「過去に、囚われるな……」

    今しがた、この目で見てきた悲劇だから、体が引き裂かれそうなほど辛い。
    しかし、それは過去だ。あくまで、過去に起きた出来事なのだ。
    忘れろ、忘れろ、囚われるな。そうでなきゃ、■が壊れる。
    ここでスバルの■が壊れて、立ち上がれなくなったら、どうする。
    『ナツキ・スバル』はここにはいない。だから、スバルがどうにかするしかないのだ。

    「ま、だ……」
    ――見つかっていない。
    決定的な、『ナツキ・スバル』にだけ与えられる、何かがあるはずだ。
    それがナツキ・スバルと、『ナツキ・スバル』とを明確に分ける鍵となる。せめて、その鍵が得られるまで、この『死者の書』を巡る旅は終わらない。

  • 186二次元好きの匿名さん22/09/22(木) 17:59:03

    ――『死』が積み重なっていく。
    ――終わりを、積み重ねていく。

    痛むたび、苦しむたび、失うたび、奪われるたび、■のひび割れる音が聞こえる。
    どうしてなんだと泣き叫び、ここで終われるかと奥歯を噛み、血反吐を吐きながら立ち上がって、傷だらけになって前進する。
    泥臭く、懸命な男の足掻きがそこにある。

    一度ならず二度、二度ならず三度、三度ならず四度と、状況に追い詰められて落命し、それでも閉ざされた混迷を打ち破るために踏みとどまる。
    それはすごい。すごいとも。尊敬に値するとも。
    諦めない、それはとてもすごいことだ。これだけの目に遭って、歯を喰いしばって戦い抜くのはすごい。感心した。見直した。――でも違う。
    でも、違う。違うのだ。そうじゃない。そうではないのだ。

    「何かが……っ」
     ――『何か』が、あってくれるはずだろう。

    『何か』が、あるはずだ。ないとおかしいのだ。なくては、話が成立しない。
    『何か』があって、無力で救い難いナツキ・スバルは、みんなを、誰かを、エミリアたちを助けられる『ナツキ・スバル』へと羽化するはずなのだ。
    だからそれを、死に物狂いで、血眼になって探している。
    『死者の書』を読み込むたびに、変化した状況に翻弄され、『ナツキ・スバル』が味わった衝撃と恐怖と、『死』の苦痛とを追体験しながら、必死になって捜し求めている。
    なのに、手掛かり一つ見つからなくて――、

  • 187二次元好きの匿名さん22/09/23(金) 02:07:53

    倒れている死体はことごとく、みすぼらしい格好をした島の剣奴たちだ。それが互いに争い合った結果なのか、アラキアの暴力か、剣闘獣の残虐さかは興味がない。
    死体は死体、死んでいれば頭から消していい。

    「ファング上等兵、ここまでやる必要が……」
    「あるに決まってるだろ。グスタフ総督がやられたんだ。剣奴連中は組織立って準備をしてた。武装蜂起で島をひっくり返す目算だ。誰が抱き込まれてるのかはわからないが、お前さん、敵とそうでない奴の区別がつくのか?」
    「う……」

    トッドの問いかけに、後ろに続いている二人の看守の片割れが押し黙った。
    執務室からアラキアを送り出し、トッドが『スパルカ』を宣言してすぐに駆け付けた看守のうちの二人だ。呪則に脅しで従ってくれてるが、微妙に良識を残してる風なのが扱いづらい。
    全部トッドがやらせてるのだから、トッドのせいにすればいいだろうに。
    気が咎めるみたいな顔をしても、やることはやるのだから、何の意味もない逡巡だった。

    「真人間ぶるのはやめろよ。第一、ここで看守なんてやらされてる時点で、お前さんもお隣さんも脛に傷がある立場だろう。制服以外、連中とほとんど変わらない」
    「――っ」
    「ただ、その制服が安全弁だ。ちゃんと、それを噛みしめておけばいい」

    命令無視や隊内での暴行、鉄の掟に従えなかった半端者が送られる流刑地。
    呪則で命を縛られ、それでようやく人に従うことを知った物覚えの悪い連中。それで半端に人間ぶるのだから意味がわからない。

    「剣闘獣さえ手に入れば、いっそいない方が計算が楽なんだが・・・・・・」

    頭一つ飛び越して、剣闘獣だけ手に入れば看守なんてまとめて処分してもいいのだが、そういうことが起こらないよう、間に看守を挟んでいるのだろう。
    おそらくそれも、死んだグスタフの用意した安全弁か、そうでなければグスタフが頑なに従った皇帝閣下の判断か。

    「進んで戦争したがる奴も、それを受けて立つ奴もどうかしてる。頼むから、俺とカチュアの平穏を乱さないでくれよ……」

  • 188二次元好きの匿名さん22/09/23(金) 12:38:36

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  • 189二次元好きの匿名さん22/09/23(金) 23:23:32

    「割り切る・・・・・・それが、セッシーが人を助けない理由?」

    剣奴孤島で悪評を一身に集めるセシルス、同じ『合』の仲間を見殺しにし、死合を組まれるたびに相手の命を奪う少年は、その問いかけに「ええ」と、頷いた

    「どのような障害も己の力で拓くことができなくては。他人の力を借りて物事を成し遂げれば、次また同じ障害で必ず躓く。永遠に力は借りられませんよ。人はいずれ死ぬ。僕ですら不死ではない」

    意図はわかる。理屈も、全部じゃないけどわからないではない。
    でもそれは、セシルスが強くて問題を斬り拓ける人だから言えてしまう理屈だ。それはとても厳しくて、優しくない。
    それに――、

    「出会いが人を変えることもあるじゃないか。そうしたら変わったその人は、次の障害を乗り越えていくかもしれない」

    今の自分が、一人の力でここにいるなんてスバルは思わない。良くも悪くも、たくさんの出会いが今の自分を形作って、ナツキ・スバルになってる。
    たとえ、手足が短くなっても、薄くなった胸を張って言い張ろう。
    この、なんでもできる超人に、一人で生きられない凡人として。

    「この割り切れない気持ちが、誰かを救う原動力になるんだ。これを、青臭いガキのワガママだって言われても、そうなんだ」

    そう、スバルは信じていたい。大人ぶった賢しさで割り切らない、青臭い理屈を。

  • 190二次元好きの匿名さん22/09/24(土) 09:25:55

    腕を引かれるエミリアは一度だけ空を見上げ、それからスバルのエスコートに従って大広間へと並んで入っていく。
    宴はまだ途中、主賓の二人が戻ったことで、熱はますます盛り上がる。

    飲み過ぎたのか、礼服を着崩して、へべれけのオットー。そのオットーに絡まれるガーフィールが、酒を口にしようとしてフレデリカに教育的指導を受ける。
    ペトラとベアトリスの不揃いのダンスもクライマックスで、額に汗するペトラにベアトリスも負けん気を発揮している。

    リューズとロズワールが隣り合い、旧知の間柄を復縁するようにグラスを打ち付け合い、グラスを傾けている。
    そんな光景を遠目に、安堵したように唇を緩めるラム。彼女はロズワールの傍ではなく、思い出の失なわれた、しかし確かな絆の名残を感じさせる妹に寄り添い、一緒にいることをレムが望むとわかってるように、佇んでる。

    他にも、宴席に関わるのはミロード家の関係者たちだ。亜人の多い使用人たちは忙しなく駆け回り、屋敷の主人である幼ない当主は慇懃な家令にご立腹。
    あとで、屋敷の外で待つ愛竜にも、この特別な夜の祝福をお裾分けしなければ。

    ――そんな、思い思いに、みんなが祝福の夜を過ごしていて。

    「いい雰囲気だね エミリアたん」
    「ええ。きっと、これが私の理想の光景だわ。私、忘れないから」

    その言葉の通り、忘れられない夜にしよう。
    とりあえずは大広間の一番目立つ場所で、ダンスを踊る少女二人に乱入だ。
    ステップも何もわからないけれど、楽しい気持ちはきっと共通のものだから。
    適当で出鱈目なステップを。
    騎士と魔女――新しい主従は、戸惑いと笑みの中で踏み出していった。

  • 191二次元好きの匿名さん22/09/24(土) 21:12:37

    「元々、ここには花壇があったんです。祖母が好きで・・・・・・ただ家族の手が入らなくなってからは、荒れてしまい、こんな状態ですが」
    屈んだラインハルトが草を分けると、そこにレンガの囲いの跡があった。なるほど、確かにここは花壇だったらしい。今は見る影もないが――、
    「――花はどうして枯れるのでしょう。咲き続けてくれないのは、どうして」
    花壇の跡地を眺めて、ラインハルトはやけに寂しそうに言った。その言葉にフェルトは首を傾げ、考える。だが、すぐに傾げた首を戻した。
    「知らね。構ってしいからじゃねーの? いつも綺麗に咲いたまんまじゃ手抜きされちまうだろ。だから、咲いたり枯れたり忙しないんだよ」
    そのフェルト回答にラインハルトは沈黙した。さすがに怒らせたかと、フェルトは頬を掻く。

    「――フェルト様、花は、お好きですか?

    故に、唐突な問いかけに反応が遅れた。ラインハルトの二度目の問いに、フェルトは考えた。
    「いや、好きじゃね・・・・・・」
    「――――」
    「と、思ったけど、そもそも好き嫌いってなるほど鼻を見てる暇がなかったからな。だから好きでも嫌いでもねーよ」
    どっちつかずな答えを返して、それからふと思いつくことがあった。
    目の前に荒れた花壇。かつての思い出話はともかく、今は何もないのだから――、

    「お前がここに新しい花壇を作ってみろよ。アタシの花の好き嫌いは、それから決める」
    「僕が、花を?」
    「アタシに花を好きにならせたきゃ、綺麗な花を咲かせてみろよ。それまで答えはお預けだ」
    フェルトは勝手な思いつきをラインハルトに仕事として命じた。

    日々、ご立派な騎士として振る舞うラインハルトが、フェルトの命令で土いじりをする姿は想像するだけで面白い。屋敷の景観もいい感じになって完璧ではないか。
    そんな思わぬ命令をされ、さぞラインハルトも憮然とした顔をするものと――、

    「――? お前、なんでちょっと嬉しそうなんだよ」
    「いいえ、そうですね。僕も、庭いじりするのは初めてなので」
    そわそわと未知の可能性に触れることをラインハルトはそう語った。そんな彼の反応にフェルトは目を丸くし、そして八重歯を見せて笑った

    「はん。その調子で負けも楽しみにしてろ。あ、でも、最後に勝つのは譲んねーかんな。そこは勘違いすんなよ」
    「――はい、フェルト様」

  • 192二次元好きの匿名さん22/09/25(日) 09:12:25

    「自分をなくした娘と聞いていたが、……なかなかどうして、妾に口答えするとはな」
    「自分をなくした、という表現は少し違います。思い出せないだけで、消えてなくなったわけじゃ、ありません」
    ぎゅっと自分の胸に手を当てて、レムはプリシラにそう抗弁する。

    消えてなくなったなら、それは誰の手にも届かない夢幻とそう変わらない。だが、レムの失われた記憶は消えたのではない。レムの中にはなくても、必死でそれを取り戻そうとしているスバルの中にはあった。
    彼の言葉が事実なら、自分には双子の姉がいるらしい。その姉の中にも、記憶をなくす前の自分の存在は残っているだろうか。スバルの話した仲間や身内、そうしたまだ見ぬ人々の中にも、自分が。
    もしも、レムの全てが消えてなくなり、何もかもが存在しないところから積み上げていくのだと、いっそそう割り切れたなら――、

    「――そう割り切れたなら、この胸、痛まないで済みました」
    「――――」
    「ずっと、いつも、一秒一秒、思わされます。あの人の目に映るたびに、私はこの人の期待を裏切り続けているんだと」

    無論、スバルにそんなつもりはなかっただろう。
    一時は姿さえ確認しづらくなるほど、濃厚で色濃く立ち込める悪臭――それを堪えて覗き見た彼の顔は、いつだってただ必死なだけだ。
    そしてその必死さは、レムの中に残っていない、消えた自分へと向けられている。
    「なんて身勝手なんでしょうか。自分で自分に呆れ返る・・・・・・」
    だから、離れ離れになれてホッとした自分がいる。
    そして、ただホッとしただけではない彼への想いも。過去の自分への醜い感情も。

    「――貴様、名はなんと言った」
    「え?」
    「貴様の名よ。まさか、自分と同時に名前もなくしたか? しかし、そのわりには名無しではなく、確かに名で呼ばれておろう。それは確か……」
    プリシラが軽く視線を上げ、虚空に問いかけの答えを探す。
    おそらく、彼女はレムの名前を覚えているだろう。短い間だけでも、彼女が非常に優れた知性の持ち主であることは感じ取れた。それと同時に、底意地の悪い人物であることも。
    故に――、

    「――レムです」
    と、わざと間違った名前を言われる前に、レムは自らそう名乗った。
    記憶は失われ、戻る兆しもなく、過去の自分を知る相手と離れ離れになって。
    この二週間、呼ばれ、自認してきた自分の『名前』だけは本物だと。

  • 193二次元好きの匿名さん22/09/25(日) 16:58:33

    >>1

    分かる…一人のキャラとしてちゃんと感情持って動い

    その分特典・短編・本編なども深く読み込んだりしないといけないので

    リゼロ沼にどっぷりハマる派、読み込みが不足で浅い派、ついていけずに引き下がるも派にも別れやすい

  • 194二次元好きの匿名さん22/09/26(月) 00:15:58

    「……ナツキくんまで、聞き分けのないことを言うん? それやったら最初のお城でやったことと変わらんやん。曲がりなりにも、騎士になったはずやろ」
    「そうだ。俺は一端の騎士だ。で、騎士だから譲れねぇ。譲っちゃいけねぇよ。ここでそれを譲っちまったら騎士の看板は傷だらけになっちまわぁ」

    リンガを多く抱えてしまえば、いつか持ちきれなくなるのは当然だ。
    だが、スバルが騎士として、ユリウスも騎士として、抱えているのはリンガではない。もっと尊いものだ。
    落として諦めのつく、物言わぬリンガではない。泣きもすれば怒りもする、人命だ。
    家族がいて、友人がいて、愛する人がいる。――人命なのだ。

    「白鯨のときも、その後の魔女教も。戦って犠牲者は出たはずや。そのときも、ナツキくんは往生際の悪いこと言わんかったやろ」
    「馬鹿にするなよ、アナスタシアさん。あのとき、戦って犠牲になった人たちには覚悟があったさ。死んだ人がいるのは悲しいし、死んだ人たちも死にたいと思ってたわけじゃねぇけど、覚悟はあった。覚悟の有る無しは、全然違う。――この都市の人たちに、その覚悟を問われる義務はないはずだ」

    都合のいい意見なのはわかっているし、筋が通っていないかもしれない。
    しかし、事実としてそれはあるのだ。生死を懸ける場面と、それに伴う覚悟が。

    「覚悟完了してる奴らは、同じ覚悟完了してる奴らが迎え撃つべきなんだ。それを常日頃覚悟して、覚悟完了してるのが騎士ってもだんと俺は思う。俺は騎士ってやつにそう期待するし、村のガキ共にもそうカッコつけちまった」

    騎士叙勲を受けて、ちょっとあちこちでちやほやされて、イメージでしかなかった騎士に実際になってスバルは自然と、その在り方を定めだ。
    それを誓ったスバルに子どもたちが目をキラキラさせていたから、できるだけスバルはその誓いに恥じないようにあろうと思う
    ――傍でそれを聞いていたエミリアも、やっぱり目をキラキラさせていたから。

  • 195二次元好きの匿名さん22/09/26(月) 06:03:15

     ――暗い、暗い、どこまでも暗い世界。

    闇しか存在せず、光の差し込まない空間であり、祈りや願いの届かない最果て。
    いつだって、その場所は心を蝕み、無力感を押し付け、嘆きと悲しみをもたらしてくる呪われた絶境だった。
    でも、このとき、この瞬間は、訪れを待っていたように思う。

    『――愛してる』
    「――全部じゃない。でも、わかってる」

    一人でやり遂げられることなんて、そう多くない。
    そこまで大それた人間じゃない。だから、間違いもするし、覚悟も捻じ曲がる。
    でも――、

    『――愛してる』
    「ちゃんと、俺もわかってる。――わかってる」

    手放しかけて、ようやくわかることがある。
    それと同時に、これまでの感情をどう保てばいいのかわからなくもなる。
    でも、わかっていきたいと、ちゃんと思えているから。
    一番大事なモノは、ちゃんとわかってる。

    「ありがとう。――いってくる」

    かの地へ、あらゆる命が潰える絶水の地へ――もう、これ以上負けないために、大事なモノを踏み躙られないために、ナツキ・スバルは再臨する。

     ――再臨、する

  • 196二次元好きの匿名さん22/09/26(月) 17:56:44

    「おい! 絶対に、さっき、このバカの言ったことは書くんじゃねーぞ!」
    鋭い八重歯を見せて、ラインハルトをバカ呼ばわりするフェルト。

    『剣聖』に庭いじりをさせ、給仕の真似事をやらせ、挙げ句にバカ呼ばわりするなんて――、

    「フェルト様は、騎士ラインハルトをなんだと・・・・・・」
    「ああ? 寝ぼけたこと言ってんじゃねーよ。――こいつはラインハルトだ」
    「――ぁ」
    「それ以上でも、それ以下でもねーよ言うことを聞かねーくせに小言の多い、アタシにとっちゃ頭痛の種ってやつだ」
    腕を組み、鼻から大きく息を吐くフェルト。そんな彼女の受け答えに、ラインハルトは何も言わずに、目を緩めてる。

    ショーティーは、己を顧みて、自分もまた、フェルトの言う『見えないしきたり』に毒された一人だったと、そう気づかされた。
    王国に蔓延る身分の差、貴族街や貧民街、貴族や平民や貧民といった括り、それらが生み出す偏見や先入観を自分はわかったつもりでいた。
    だが、王選候補者たちへの取材を重ねるうち、ショーティーは自分が決して賢くも、物知りでもないことを痛感させられっ放しでいる。
    ついには、同じ貧民街出身のフェルトにまで、同じ気づきを与えられる始末だ。
    ――ショーティーや人々の持つ、『剣聖』ラインハルト・ヴァン・アストレアへの幻想も、フェルトが気に入らないから壊そうとしてるモノの一つなのだと。

    ここに至り、フェルトへ抱いた最初の失望はすでに消え、あとには妙な期待感だけがあった。
    いったい、この貧民街出身のみなし子が、未来に何を示すのか、そんな期待が。

  • 197二次元好きの匿名さん22/09/26(月) 19:42:44

    うめ

  • 198二次元好きの匿名さん22/09/27(火) 06:02:15

    その毒気を抜かれるようなエミリアたちの雰囲気と裏腹に、ショーティーは衝撃に打たれていた。それと同時に、ショーティーはもどかしさに、ぐっと拳を強く握りしめる。
    今、この場でエミリアの話を聞けてよかったと、そう思う反面、こうも思った。
    ――どうして、この場にいるのが自分なのかと。

    エミリアの言葉は確かにショーティーの胸を打った。素晴らしい決意、考え、覚悟だと、誇張なしに頷ける。
    だが、それと同じモノを、エミリアに偏見を抱く多くの人々に届けるのは並大抵ではない。
    そして、残念ながら、今のショーティーの文章に、そこまでの力はない。
    自分の力不足で、正しい情報を伝えきれない。それこそ記者として、もっとも恐るべき事態と言えるだろう。

    「――ぁ」
    人知れず苦悩するショーティーは、救いを求めるように自分の傍らを、絵筆に精魂を込めるルルララの方を見ていた。
    相変わらず、取材そっちのけで報道絵を描き続けるルルララ。それが彼女の仕事の取り組み方で、ショーティーも彼女からの援護や慰めなど期待してはいなかった。
    ただ、ルルララは真剣に、目の前の光景と向き合い、絵筆を動かし続けてる。
    その、鮮明に描き出された報道絵を横目にして、ショーティーは息を呑む、

    「ごめん、ルルララ! 見せて!」
    気が付けば、ショーティーは半ば勢い任せにルルララの膝から画帳を奪い取っていた。
    噛みつかんばかりの勢いで怒るルルララの額を押さえながら、ショーティーはこの取材が始まってからの――、否、スバルたちに停留所で迎えられてから描かれた、十数枚の絵に目を通した。
    そこに描き出された絵の一枚、一枚を見て、「ああ、やっぱり」とショーティーは呟く。
    「この、エミリア様の表情だ」
    報道絵の一枚を手に取って、ショーティーは目尻を下げながら頷いた。

  • 199二次元好きの匿名さん22/09/27(火) 17:49:37

    膝をついたスバル、その顔はひどい有様だった。
    左目の眼球が真っ赤に破裂し、右目の眼球は眼窩からこぼれ、糸を引いていた。爆発の衝撃をちっとも消せなかったせいで、目玉が押し出されたのだ。

    ヨルナは唇を震わせて、「童……っ」とスバルの顔を見つめると、
    「――わっちを愛しなんし。今すぐに」
    そう、真っ直ぐな瞳で無茶なことを言ってきた。
    愛せと、それも今すぐにと、とても無茶なことだ。そもそも、具体的にどうすればいいのかわからないし、人を愛するなんて簡単なことじゃない。
    ヨルナは、いい人だと思うし、美人だ。でも。
    「童! わっちを愛すれば、その傷も……」
    「かかかっか! おいおい、とんでもねえ話しよる娘っ子じゃぜ、ホント。あんま知らねえんじゃが、愛って簡単に芽生えるもんじゃねえんじゃね?」
    「黙りなんし!」
    後ろから茶々を入れてくるオルバルトを怒鳴り、ヨルナの瞳が深い色を帯びる。
    それを間近に見ながら、スバルは掠れた呼吸を繰り返し、ゆっくりとやってくる痛みの波を受け入れる準備を始めていた。
    ルイも死んで、スバルも酷い状態で、これ以上、誰かに迷惑は――、
    「童」
    一言呼ばれ、スバルの意識がちらと持ち上がる。
    その、一瞬の隙を突くみたいに、ヨルナの真剣な顔が近付いてきて。
    「――――」
    ヨルナの唇が、スバルの唇と重なった。柔らかい感触が顔に当たり、その息遣いをすぐ間近に感じる。キスされたのだと、それがわかるのに時間がかかった。
    そして――、

    「わっちの唇は安くありんせん。これで……」
    口付けが終わり、顔を離したヨルナの言葉が縋るように途切れる。だが、その先に続くはずだった言葉が何なのか、今のスバルにだって、ちゃんとわかった。
    彼女は、こう言いたかったのだ。――これで、自分を愛してほしいと。
    スバルがヨルナを愛したら、状況が変わる。きっとそれが、ヨルナの力の源というか、その強さの原因みたいなもので。
    だけど――、
    「好きな子が、いるから……」
    真っ赤な視界の向こう側、遠い場所にいる好きな女の子の顔が浮かんだ。
    微笑んだその子を見ると、胸が高鳴る。だから、スバルはヨルナを愛せない。
    この恋心に、どうしても嘘はつけないから――。

  • 200二次元好きの匿名さん22/09/27(火) 17:50:03

    リゼロ最高!!

オススメ

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