【SS】色褪せることなく

  • 1二次元好きの匿名さん22/08/22(月) 22:55:20

    写真を撮るのが好きだった。

    幼い頃から暇さえあれば周りのものを撮っていたし、トレーナーになれなかったら写真家になろうと思っていた。
    思い出は時間が経てば忘れて消えていくけれど、シャッターを切ればそれは永遠に形となって残る。だから、写真を撮るのが好きだった。

    そう、あの子と出会ったのも、スカウトが上手くいかず気分転換に構えたカメラの前に近寄ってきたのが始まりだった。
    アストンマーチャン。僕にとっては忘れられないウマ娘である。

    3/5
    「マーちゃんね、今日は誕生日だったけど変な人に会ったよ。誰もいないグラウンドの写真を撮ってる人。学園のトレーナーさんなんだって」

    不思議な子だった。自分を模した人形を肌身離さず持っていて、何かある度にボイスメモにその時の出来事を記録している。僕のカメラがいたく気に入ったようで、いつの間にかよく話す仲になっていた。
    思い出を形に残したいという点で僕たちはとてもウマが合い、お互い目ぼしい相手もいなかったということで、しばらく経って担当契約を結んだ。

    3/15
    「今日はね、マーちゃんはトレーナーさんと契約したよ。これから色んな思い出を残していきたいな」

    その日から、節操なしだった僕のカメラはマーチャン専属になった。
    走っているところはもちろん、食べているところ、眠っているところ────なんでもないような瞬間こそマーチャンは輝いて見えて、一緒にいるといつだってシャッターチャンスだった。

    ふたりが残した記録は1本のUSBメモリに収めることにした。
    音と姿、お互いの足りないものを補い合って、ファイルを開けばその日の出来事が鮮明に蘇る。これほどいいコンビもそうそうないだろう。

    7/22
    「マーちゃんね、今日はメイクデビューなんだ。ようやくここから始まるんだよ」

    走りについても言っておかなければいけない。一言で言うなれば、マーチャンはとんでもなく速いウマ娘だった。マイルや短距離ならば間違いなくG1を狙える逸材。
    実際、メイクデビューこそ2着と惜敗したが、その後の未勝利戦を完勝し、その勢いで重賞を連勝。あっという間に世代トップクラスに上り詰めた。
    僕らの歩んでいる道は、これ以上ないほど順調だったのだ。

  • 2二次元好きの匿名さん22/08/22(月) 22:56:30

    12/3
    「強かったね、ウオッカちゃん。クビ差だったけど完敗だった。でも次に勝つのはマーちゃん」
    4/8
    「今日はスカーレットちゃんが勝ったよ。マーちゃんは……よくなかったかな。このままじゃ皆に覚えてもらえないかも」

    ただ、上には上がいるもので────阪神JF、桜花賞。次々と現れたライバルに敗れた。
    以前から1600mは少し長いのかもしれないとは思い始めてはいたのだが、むしろそれ以上の距離を主戦場としている相手の登場はあまりにも大きい。
    マイルは諦めて、短距離一本に。やむを得ない選択だった。

    「短距離専念……そっか。マイルは諦めるんだね」

    出るはずだったNHKマイルカップの回避を決めた日、僕はマーチャンに話をした。
    想像と違って彼女の顔は明るかった。

    「それなら、1分ちょっとの走りを永遠に覚えてもらえるような、マーちゃんはそんなウマ娘になるよ」

    屈託のない笑顔。なんて強いウマ娘だろうか。彼女がそうするのなら、僕はその一瞬の輝きを写真に残そう。
    決心して昔から愛用していたカメラを、ハイスピード対応のものに買い換えたのもこの日だった。これから生まれ変わるのだという思いを込めて。

  • 3二次元好きの匿名さん22/08/22(月) 22:56:45

    9/30
    「今日はスプリンターズステークス。勝つのはマーちゃん、覚えていてね」

    坂路の数を増やし、食事や睡眠にもいつも以上の注意を払って迎えた、秋のスプリンターズステークス。
    いつもはその日の朝とレースの後にボイスメモを残すのだが、今日のマーチャンはレースの前に声を吹き込んでいた。いつになく真剣な顔で、何か覚悟をしたように。
    今の彼女に何か言う必要はないと思い、僕はカメラを持ってスタンドへと向かった。瞬き厳禁、先頭でゴール板を駆け抜ける彼女の姿を取り逃さないように。


    「アストンマーチャン突き放した突き放した!見事な逃げっぷりでゴールイン!」

    雨で馬場はひどく荒れていて、思い切って逃げを打ったのが大成功だった。
    後続を突き放し、4分の3バ身差をつけて堂々の逃げ切り勝ち。路線変更を決めた初のG1で一発回答とは実にマーチャンらしかった。

    「言ったでしょ?勝つのはマーちゃんだって。今日のレース、皆は覚えていてくれるかな?泥んこなのは恥ずかしいから、次は綺麗な馬場で走りたいな」

    先頭を走っていたからまだマシだったが、写真に写ったマーチャンは泥だらけだった。でも、とても美しく見えた。
    決して僕がおかしな嗜好を持っているわけではないけど、間違いなく今まで撮ってきた中で一番の写真だと思えた。それくらい今日の勝ちは格別なもので。このまま時が止まってしまえばいいとさえ感じた。


    ────いや、本当に止まってしまったのだ。少なくとも、僕にとっての時間は。
    単に彼女があまりに速すぎて、置き去りにされてしまったのかもしれないけれど。

  • 4二次元好きの匿名さん22/08/22(月) 22:57:03

    今日もUSBメモリをパソコンに差す。毎日同じことをしているから、もう目を瞑っていても差せてしまいそうだ。

    更新日:4/20

    何度見ても変わることのない表示。今日はメイクデビューを振り返ろうか。

    「マーちゃんね、今日はメイクデビューなんだ。ようやくここから始まるんだよ」

    写真の中のマーチャンの表情は、デビューということで緊張の色が強かった。ああ、こんな頃もあったんだな。斜行する癖を矯正するのも大変だったっけ。
    やはり、記録を残しておいて正解だった。何度見返しても、マーチャンは色褪せることなくその日のままの姿で現れてくれる。

    「トレーナー、ごめんね。次は絶対に勝つから、マーちゃんと一緒にいてね」

    僕が前に進まないでさえいれば、あの日から止まったままの彼女が離れていくことはない。
    だから僕は立ち止まり続ける。使いもしないカメラの手入れを続ける。だから────

    「たまには、会いに来てほしいな」

    誰にともなく呟いた声は、ひどくしわがれていた。

  • 5二次元好きの匿名さん22/08/22(月) 23:11:09

    4/22
    「おはよう。今日はね、マーちゃんトレーナーとお出かけするんだ。久々にカラオケに連れて行ってくれるんだって。たのし────」

    ドアを開けるや否や、嬉しそうにスマホに声を吹き込んでいた彼女の小さな身体を抱き締める。

    「……トレーナー?」

    身体は大丈夫か、痛むところはないか。話したいことはいっぱいあるのに、僕の口はただ呻き声をあげるばかりだった。

    「……汗臭いよ」

    寝汗や冷や汗でびっしょりの身体に、マーチャンが嫌そうに身をよじる。でも我慢してほしい、君には何も分からないのだから。
    そうやって身じろぎする彼女を抑え続けて、どれくらい経っただろうか。僕にもようやく理性が戻ってきて、自分がどうやら非常にまずいことをしていると気が付いた。

    「落ち着いた?」

    離れようとしたのを拒むように、そっとマーチャンの腕が背中に回される。悪寒と震えが止まらなかった背筋が、温かさに落ち着き出したのが分かった。

    「マーちゃんにはね、君の考えてること、分かるよ?だから大丈夫」

    「誰かが覚えていてくれる限り、マーちゃんは大丈夫。いっぱいの写真とボイスメモ、どこかに必ずマーちゃんはいるんだよ」

    だからね、と囁く声。

    「ありがとう、忘れないでいてくれて」

  • 6二次元好きの匿名さん22/08/22(月) 23:12:53
  • 7二次元好きの匿名さん22/08/22(月) 23:18:30

    良ss感謝するぜ...

  • 8二次元好きの匿名さん22/08/22(月) 23:25:09

    素晴らしいですっ!!!

  • 9二次元好きの匿名さん22/08/22(月) 23:34:41

    辛い

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