【リコリコSS】重い系千束

  • 1二次元好きの匿名さん22/08/29(月) 17:22:18

    筆が遅いせいで続き載せる前にスレ落ちちゃったので再掲します
    千束嫉妬スレから思い付いたSSなのでそっちのネタです
    オリジナルのモブリスも出てくるので苦手な人は注意してください

  • 2二次元好きの匿名さん22/08/29(月) 17:22:39

     風に踊る艶やかな黒髪が。
    「はっ……はあっ……」
     憂いを帯びたアメジストの瞳が。
    「井ノ上先輩!」
     待ち合わせた駅の前で、その人は既に立っていた。
     グレーのシャツに緑のカーディガンと、すらっと伸びた足のラインが出る黒のパンツ。落ち着いた雰囲気の色合い。
     私の声に気づくと、スマホに落としていた視線をあげて、そっと手を振ってくれる。その手は指先まで、ひらひらと真っ白な絹糸のように美しい。
    「チユリ」
    「遅くなってっごむみすみませんでしたぁ!」
     噛んだ。駆けつけ一番、90度の角度で頭を下げる。周囲の目線を独り占めする勢い。遅刻だ。
     この黄名瀬チユリ、一生の不覚。
     待ち合わせの時間から30分。寝坊してバスに乗り遅れてしまった。楽しみすぎて、昨晩はちっとも眠れなかったのだ。
     ぽんっと頭に、軽い衝撃。思わずビクッと全身が震えたが、痛みはない。それどころか、これはもしかして。
    「いいんですよ、ちゃんと連絡はもらってますから」
     撫でられている。ああえぇ、おっおお? マジで、うっそ、すごぉい。あ、あ、あの憧れの井ノ上先輩に。
    「では、いきましょうか。チユリは買い物に付き合ってほしいんでしたね?」
    「は、は、はいっ!」
     頭から離れていく感触を惜しみながら、ぴんっと背筋をはって返事する。体が上手く操作できなくて、全身が一本の棒のように"気をつけ"の姿勢になってしまう。
     先輩は目を丸くして、それから「ふふっ」と手を口に当てて笑った。……恥ずかしい。でも、先輩の上品に笑った仕草が凄く綺麗で。このためなら、こんな恥いくらでもかける。なーんて。
    「年上だからって、そんなに緊張しないでください」
    「……はい」
     先輩はDAにいた頃とは、全然別人のようだ。昔はもっと尖って、人を寄せ付けない雰囲気を纏っていたけど。上の指示で出向してから、外の世界で経験を積んで成長した、とみんなは言う。でも、私は昔の先輩も……。
     おっと、今はそれよりも、大事なことがある。ようのやっとで手に入れた先輩の連絡先。勇気を出して取りつけた休日の約束。失敗は許されない。
     先輩にとっては単なる後輩とのお出掛けでも、これは私の"初デート"だ。プランも入念に組んだ。詰め込みすぎないよう時間の余裕も含めて。
    「では、どこからいきましょう」
     行き先は任せますよ、と先輩が微笑む。さあ、ミッションスタートだ。

  • 3二次元好きの匿名さん22/08/29(月) 17:23:09

    >>2

    「すす、少し早いですけっ、ど、はらごっ……ご、ご飯から、とか、いかがでしょう」

    「そうですね、少し喉も乾いてきましたし」

    「あわ、わ、私が遅れた、せいで!」

    「それはもういいって、言いましたよ」

     謝ろうとした私の頭を、ピシャッと白い指先が先制して止める。

     遅刻した分、先輩と散歩する時間はやむ無く削り、早々に屋内へ場所を移すことにした。散歩だけならまだ大きな痛手ではない。今日は一日一緒なのだ。移動時間は、散歩の代替にするには充分すぎるだろう。

    「あ、あのお店なんてどう、どうでしょう!」

     いかにも今目についた、という自然な演技で、道角に佇むこ洒落たカフェを指差す。自然な演技で、指を指す。

    「チユリがいいなら構いませんよ」

     先輩は柔らかく微笑んで、承諾してくれる。あのカフェは下調べ済みで、店内は落ち着いたシックな雰囲気。この時間帯であれば、人で込み合うことはあまりなく、角の席は壁に遮られて、周囲からは少し離れた個室のような空間になっている。

     そこで誰にも邪魔されず、先輩と二人きりの時間に持ち込みたい……!

    「外の席にしましょうか、今日は風が気持ちいいですし」

    「あっはい……」

     そして意外というか、予想外というか。

     先輩は慣れた様子で、呪文を唱えるように長い名前のスイーツメニューを注文していた。

    「……? どうしました?」

    「あっ、いや、なんか意外だなって……」

     思ったことをそのまま口にしてしまった。失礼だと思われただろうか。

     先輩は、指を顎に添えてなんのことだというように首をかしげた。頭の動きに合わせて、長い黒髪がぱらぱらと舞う。綺麗。

  • 4二次元好きの匿名さん22/08/29(月) 17:23:38

    >>3

    「あぁ、なるほど」

     それから、得心がいったようにうんうんと頷く仕草は、年相応よりも幼く見えて、可愛らしい。こんな一面も、勇気を出して誘わなかったら、きっと見られなかったな。

    「食事は大切だと、私も先輩に教わったんですよ。楽しく、美味しくあれ、と。その人によく連れられていくうちに、私も」

     ……そっか。誰かの影響。井ノ上先輩は、昔と変わった。そこにはきっと、私の知らない時間と、人がいる。

     すっと自分の中に影が差したような感覚を飲み込んで。ぐっと顔を上げて笑顔を作る。

    「へ、へぇー、そうだったんですねぇ! 勝手なイメージで、もっと機能的なお店とか、使ってると……」

    「ええ、その通りですよ。普段はもっと、手軽でコストパフォーマンスを重視した……あぁチユリが選んでくれた、こういうオシャレなカフェも好きですよ」

     連れてきてくれてありがとう、と先輩はにっこりと聖母のような柔らかい眼差しをくれる。

     風に揺れる髪が日の光を反射して煌めいて、まるで街の風景の中に、有名な絵画が浮いて出てきたようだった。

     その瞳が私に向けられてるって事実だけで、先ほどの影はすんっと身を潜め、今度は頬のあたりに、ふつふつと熱が差してくる。まったく現金な女だなぁ、なんて自分のチョロさに呆れながら、運ばれてきたスイーツを一緒に先輩と半分こして食べた。

     あーんは、さすがに高望みだったけど、先輩が「半分こ」って言葉を使うのが可愛すぎて、キュン死しそうになった。

  • 5二次元好きの匿名さん22/08/29(月) 17:24:07

    >>4


    「そういうわけで、週末はお休みをいただきます」

    「……どういうわけ?」

     外回りの仕事を片付けて、リコリコに帰ってくると、丁度たきなが先生に休日のお願いをしている場面に出くわした。

    「おつかれさん」

    「千束、お帰りなさい」

    「たっだいまー。たきなー、休み取るの?」

     簡単な挨拶を交わして、両手にぶら下げた、仕事の報酬やらついでに頼まれた買い出し物やらが、ごったにまぜられた荷物を下ろす。

     たきなが自分から休みを求めるなんて、珍しかった。

    「ええ、少し出掛ける用事ができまして。」

    「ほほーん。それはなにかね、もしかして、お・と・こ・の・こ?」

     からかってやるつもりで小指くいくいっと立てる。「んなっ」ガタン、と厨房の方からなにか落とす音とが聞こえたが、あれは無視していいだろ。

    「少し急ですが、忙しい休日にすみません」

    「あぁ、構わんよ。その分、出る時にはきっちり働いてもらうさ」

     無視された。ちさと寂しい。

     ぶー、とあからさまに口を尖らせて不満を訴えるが、たきなは私を一瞥だけして、髪をほどきながら休憩室に消えていった。ノリの悪い子だね、全く。

    「私も休んでついていっちゃおうかなー」

    「お前は仕事だ。楠木から直接の依頼がきている」

    「えぇ~……」

  • 6二次元好きの匿名さん22/08/29(月) 17:24:43

    >>5

     思い付きを口に出してみたが、先生にバッサリ切り落とされた。

     週末に予約かぁ。結構でかめのやつかな。

     たきなの用事ってのも気になるけど。

     急な用事なら仕事なのかとも思ったけど、それなら休みを取る必要ないし、プライベートだろうか。たきなのプライベート、一人でどこにいくんだろ。そういえば、たきなとも結構長い付き合いになるのに、私はそんなことも、まだ知らなかった。

    「出掛けるのっていつも一緒だったもんなぁ」

     たきなは休日には、遊びにいくよりも、自宅や射撃場で訓練に励んでいるイメージだ。

     年頃の女の子なんだから、もっと娯楽を楽しみなさいと漫画や映画も沢山貸したこともあった。その翌週には、原稿用紙に感想文をまとめて渡してきたんだっけ。馬鹿真面目というかなんというか、たきならしかった。

     そんなことを思い出していると、勝手に口から「にひひ」と小さく声が漏れる。

    「気持ち悪いな」

    「なんだとぉ」

     下から罵声を浴びせられた。

     ノートパソコンを抱えたチビッ子がこちらを見上げている。

    「顔がキモい」

    「せめて表情って言え、表情」

     このおチビのクルミちゃんは、滅多に働かないのに、なにしに来たかと思えば、お客さんが余らせた手付かずの団子を、ささっとさらって持っていきやがった。こういうとこだけちゃっかりしてる。

    「クルミぃ」

    「あんだー」

     立ち去ろうとしたクルミに声をかける。クルミはもごもごと口を動かしながら、柱の影から顔だけ出して返事する。

    「たきなが休日に一人で何してるか知ってる」

    「知るわけないだろ」

     吐き捨てるように早口で消えていった。興味ないことにはとことん興味持たないなぁ。無知は許せないんじゃなかったのかー。

    「まあいっか」

     別に知らなくて困ることでもないし、今度一緒に出掛けた時にでも、話題に出してみようかな。

  • 7二次元好きの匿名さん22/08/29(月) 17:25:17

    >>6


    「い、井ノ上先輩、その、すごく、お似合いまします……」

    「ありがとう、チユリ」

     どもって語尾がおかしくなってしまった。

     先輩と食事の後、訪れたるは大型のショッピングモール。

     寮生活に必要な備品を買って……これは買い出しの口実のためで、本命の買い物ではない。

     この巨大な集合店舗、まさか小物だけ買って、はい終わり解散なはずはない。

    「よ、良かったら、で……先輩が良けれべ、よかれば……」

    「チユリ、落ち着いてください」

    「は、はい……その、私用の買い物もしたくて、よければ一緒に、お店を、回っ、たりとか、なんとか……」

     もじもじと、つっかえながら喋る私を、先輩は嫌な顔もしないで見つめてくれる。

     宝石のような薄紫の瞳に見据えられるだけで、頭がぼうっと熱くなり、余計に口が回らなくなって、それでもなんとか、言葉を絞り出す。

    「お、買い物、一緒に、しません、か」

    「勿論、構いませんよ」

     ふわりと音のつきそうな柔らかな微笑みで「今日はそのつもりでしたから」なんて言葉が付け足される。

     う、うあぁ、なんだろうこの。なんだ。年上の余裕というか、魅力みたいなものが。井ノ上たきなという人の一挙手一投足が、私の全身にビリビリと電流を流してくるようだった。

  • 8二次元好きの匿名さん22/08/29(月) 17:25:46

    >>7

     そうして今、私は先輩と一緒に洋服店でお互いの選んだ服を見せあっていた。どこから回ろうかと、私がおたおたしていたら、先輩がそれじゃあと連れてきてくれたのが、このお店だった。

     最初は私が前を歩いていたのに、いつの間にか先輩にリードされてしまっている。いっそリードでもつけて引っ張ってもらいたい。何を言っているんだ。

    「チユリも、似合ってて可愛いですよ」

    「あぶゃ」

     予想もしなかった先輩の言葉に、意味不明な音が口から漏れる。いや、妄想はしていたけど、可愛いとか言われたらって思ってたけど。まさか妄想そのままの言葉が贈られてくるなんて。いいのかこんな幸せで。私、今日の代償で明日にでも死ぬんじゃないか。

    「じ、じゃあ、このまま、着ていっちゃおうかなぁ、なんて、あはは」

    「そうですか、じゃあ私も」

     お、うおお、マジですか、なんですか、いいんですかそんな。

     貴方がそうするなら私も、ってまるでカップルみたいで。やばい、ニヤける。もじもじるし、くねくねる。

     そんなことをしている間に、先輩が店員さんに会計をお願いして、またしてもリードされてしまった。もう私の頭の中のデートプランは、全部捨ててしまっても構わないから、先輩にリードされるまま、どこまでも連れ回されてしまいたかった。

  • 9二次元好きの匿名さん22/08/29(月) 17:26:15

    >>8

     化粧品、バッグ、文房具、ぬいぐるみ……その後も色々なお店を先輩に連れられて見て回った。

     私はぶっちゃけて言えば、お店も商品もよく見てなくて、先輩のことばかり見ていたのだけど、先輩は商品を手に取ったりしないで、あまり自分の物を買わないようだった。

     とすると先輩は、私に合わせたお店を選んでくれていたのだろうか。うーん、大人だ。カッコうつくしい。

    「チユリ、この後いいところにいきましょうか」

    「なばんですかっ!?」

    「……?」

    「な、なんでもないです……」

     なな、なになになに? い、いいところ? それってなにか意味深な意味とかあったり、歩くの疲れたからちょっと「休憩」なんて……お、おおお、おちおち落ち着け私。ぶんぶんと頭を振って、現実から飛びすぎた思考を振り払う。

    「ど、どこですか? そのいいところって」

    「秘密、です」

     人差し指を口に当ててシィーのジェスチャー。なんだこのイケメン。

     ちなみに休憩タイムは、結論から言えば……あった。

     モール内の、スイーツショップで。

     まっピンクな自分の頭を殴った。

  • 10二次元好きの匿名さん22/08/29(月) 17:26:54

    >>9


    「はーふぅー」

     大きく息を吐きながら、ぐぐーっと背伸びをする。

     楠木さんからの指令なんて聞いていたから、気合い入れていたのだけど。

    「ボデーガードっすか」

     それも、通常SPに複数のリコリスも警護につけた、大人数で。

     いやまあ、確かに大仕事なんだけど。結論、私は立ってるだけだった。怪しい動きをする奴は何人も見かけたけど、その誰もが、私が動く前に群衆の中に紛れて消えていった。私より先に、他のリコリスにバレたのが運の尽きってことで。南無。

    「やっぱり私も休みもらっておけばなー」

     結果論だけど、私は必要なかったでしょ、と。

     力を入れて一日立ちっぱなしだったのに、ろくに動くこともなかったからか、体はすっかり凝ってしまっている。ぐりぐりと肩を回して多少のエネルギーを発散するが、この程度ではちっともスッキリしない。

    「こんな時はぁ~、遊びに行くのが一番っ」

     日は傾いているが、沈むにはまだ早い時間帯。少し寄り道してから帰る余裕は、充分にある。

     ただ、堅苦しい制服のままでは、ちょっと物足りない。エンジョイするなら気分もまるっと、お仕事モードから入れ換えないと。

     歩きながら目についた洋服店で、下から上まで一式、ガバッと購入。スカートは微妙だったけど、この黄色のブラウスは中々気に入った。今度たきなと遊びに行く時に着ていこうかな。上に合わせたコーデも考えないと。たきな、褒めてくれるかな。

     ふんふんと鼻唄を鳴らして、歩き慣れた通りに入る。そこから歩いてもうしばし、目に入ってくるのはお気に入りの水族館。

    「やっぱ息抜きにはここだよねぇ」

     水槽の中を気ままに泳ぐ生き物たち。

     ゆらゆらと気持ち良さそうに揺れながら、私も水の中を自由に泳げたらなーなんて。でも水槽の中は、自由と呼ぶには、狭いかな。泳ぐならやっぱり、どこまでも広い、海がいい。

     鳥が空を飛ぶように、私は広い海を泳いで回りたい。

    「途中で食われなきゃいいけど」

     ぽつり独り言を呟く。

    「じゃ、じゃあ、このキーホルダー、とか!」

  • 11二次元好きの匿名さん22/08/29(月) 17:27:26

    >>10

     館内を一通り見て回って、息抜きもばっちり。さーて帰りますかと足を翻した時、無駄にでかい声が耳に届く。

     なんだぁテンションの高い奴がいるな。

     見回すと、声はお土産ショップの方から聞こえたようで、並べられたグッズの前で女子高生らしき女の子が興奮気味にぴょんこぴょんこ跳ねている。

    「お、お揃い、にしても、いいかな、って!」

     おーおー、お熱いことで。ラブラブカップルがお揃いのキーホルダー付けようねってことですか。それでテンション高いのね。

     うん、まあでも、気持ちはわかる。好きな相手と同じものを身に付けられてたら、私だって嬉しい、と思う。

    それってなんか、相手を独占しているような、そんな優越感とか、自分と同じに染めてるんだっていう快感みたいなのもある。ありそう。あるある。

     まあでも、館内ではもーちょいお静かにーって感じ。いやー近頃の若いもんは。なんて、私もまだまだ若

     ………………え。

     …………………………え。

    「お揃いですか、まあいいですよ」

    「ほほ、本当に!」

    「ええ、大事にします」

    「わ、わ、あ、ありがとうございます!」

     ……うそ。

     その女の子の隣にいたのは、たきなだった。

    「それから、もう少し声を抑えてくださいね」

    「あ、や……ご、ごめんなさい……」

     周囲に向けて頭を下げるその子に、困ったように笑って、ぽんぽんと頭を撫でている。

     それからたきなは、その子の手を引っ張って会計を済ませると、私に気づくこともなく、手を繋いだまま外へと向かっていった。

     手を引かれて、満面の笑みを浮かべる女の子。

     その手を引いて、にこやかに笑う、たきな。

     お揃いのキーホルダーを指にぶら下げて。

     私は、ただ独り、二人の姿を見送った。




    「たきな」

  • 12二次元好きの匿名さん22/08/29(月) 17:28:25

    >>11

    「レジ締め終わりました」

    「お疲れ、あとはやっておくから」

    「わかりました、お先に失礼します、店長」

     カウンターの向こうで、たきなが一日の売上の清算を済ませて、店長にぺこりと一礼する。

     その様子を私は、座敷席でごろごろと眺めていた。

    「千束、何してるんですか」

    「や、別に」

    「はい、閉店ですよー」

     たきながカウンターを回ってこちらに歩いてきた。だらだらと転がしていた腕を掴まれ、ムリヤリ体を引き起こされる。

     一週間前の光景が、目蓋にちらつく。あの水族館で、私の知らない女の子と笑顔で手を繋ぐたきな。二人でお揃いのキーホルダーを手にもって、楽しそうに。

     その光景を思い出すだけで、胸の真ん中がぎゅうっと締めつけられるようだった。私の胸には鼓動もないのに、どんどんと音を立てて心臓が鳴っている風にすら錯覚する。

     心が、重い。

     ずぶずぶと、底無し沼のように気持ちが沈んでいく。人間は落ち込むと、体まで引っ張られて重たく感じる。

    「早く着替えて帰りましょう」

    「ぅあーい……」

     重くなった体を引きずるように、ずるずると足を前に動かす。

     たきなに引っ張られた腕は、立ち上がってから離されてしまった。たきなの手が触れていた箇所に目をやる。力を込めて握られた部分は、少しだけ手の形に赤い跡ができていた。

     更衣室に入ると、たきなはもうほとんど着替えを済ませていて、その早さに相変わらずだなぁ、と感じる。

    「千束? どこか体調が優れないんですか」

     もたもたと制服に手を掛けていると、もう鞄を背負ったたきなが、心配そうに覗き込んでくる。

     その鞄の縁に、ちゃら、と音を立ててぶら下がる、魚型のキーホルダーが見えた。

    「ぁ……えぇっと、どうして……?」

    「顔色が悪いように見えます。動きも、気怠そうで」

     熱でもあるんじゃ、と伸ばされたたきなの手を、反射的に遮って拒んでしまう。行き場をなくしたその手は、空中をふらふらさ迷っていた。

    「や、いやいや……大丈夫、平気……」

    「……そう、ですか」

    「うん……ちょっと、また夜更ししちゃって」

    「あぁ……また映画でも見ていたんですか? 寝る前には……」

     言いきる前に「わかってるって」と軽く手を振って返す。

  • 13二次元好きの匿名さん22/08/29(月) 17:28:55

    >>12

     では、また明日、と更衣室を出ていくたきなの背中を黙って見送る。

     出ていく時にも、ちゃらりと揺れる魚が目に映る。

     たきなは、あの子とどういう関係なんだろう。休日の水族館に、お揃いのキーホルダー。たきながわざわざ休みを取って、プライベートで会いにいく相手。

     そんなの、どう見たって、


    「デートじゃん」


     誰もいなくなった更衣室で、無意識にぽつりと言葉が漏れる。自分でもびっくりするぐらい、冷たい声。

     たきなが休みを取る時、もしかして男かぁ、なんて茶化したことを思い出す。

     実際には女の子だったわけだけど。

     たきなは女の子で、相手も女の子。

     普通に考えたらお揃いのキーホルダーなんて、仲良しの証、ぐらいのものなんだろうけど。

     それでも、あの女の子の表情には、それ以上の特別な喜びが見えたような気がして。

     たきなにお揃いを認めてもらった時、たきなに撫でられた時、たきなに手を握られた時、たきなに手を引かれた時。

     その間、ほんの一時だって、あの子はたきなの顔を眩しそうに、目を輝かせて見つめ続けていた。

     たきながそれに気づいていたのかは分からないけど、少なくともあの子の手を引くたきなは笑顔で、その足取りも楽しそうに弾んでいた、と私には見えた。

     じりっと喉が熱くなる。お腹にきゅう、と力が入って、どくどくと体を巡る血液の流れが急に速くなるのを鳩尾のあたりで感じる。

     なんなんだ、これ。

    「…………っすぅー……はぁー……」

     息が乱れていたわけではないけど、一度こころを落ち着けるために、深く息を吸って、吐く。

     すー、はー、すー、はー……よし、大丈夫。私は、大丈夫。

     ぴちっと軽く頬を叩いて意識を入れ換える。

     制服を着替えて、更衣室を出る。簡単な事務作業をしている先生と目があって、軽く手を振ってお店を出る。

  • 14二次元好きの匿名さん22/08/29(月) 17:29:36

    >>13

     一歩踏み出したところで、お店の前のベンチが視界に入った。このまま帰る前にちょっと座っていこうかな。鞄を下ろして、ベンチに深く腰かける。

     はー、とため息をついてから、あっ今幸せが逃げたかな、なんてことを考える。最近、自分でも溜め息が多いことに気がついた。

     水族館でたきなを見かけて一週間。

     たきなと一緒にいたあの女の子のことを、私はずっと気にしている。

     なんてことない、ただ一言「一緒にいた子は誰?」って、たきなに聞けばいいだけなのに、私はその一言をずっと言えないでいる。他人のプライベートに踏み込んで、迷惑だって思われたくない。たきなには、私の知らない友人がいる。単純にそれだけのことで、昔は孤立していたたきなに、交遊の幅が広がるのはいいことで、私がその交遊関係に、首やら口やら手やらをどうこうする理由はない。

     嘘だ。

     千束流の強がりだ。

     たきながなんて答えるのか、それを聞くのが怖いから聞けないでいるだけだ。

    「あの子、誰」

     暗くなった空を仰いで、今日のお昼を思い出す。

     スマホを手にしているたきなを見た。誰かと連絡を取っているようで、たきなが指を動かした後に、スマホが振動するということが何度もあった。

     その相手は、もしかしてあの子だろうか。

     スマホの画面を眺めるたきなの顔は、弾ける笑顔!とまでは言わないが、なにもしていない時よりも、どこか柔らかい印象だった。

     目があったけど「どうしました?」と聞かれて、私は「なんでもない」としか言えなかった。

     たきなが誰と連絡しているのか、知りたかったのに、知りたくなかった。

     視線を落とすと、鞄の縁できらきらと反射する光が目に入る。犬のストラップ。

     去年、たきなに貰ったハロウィンのプレゼント。新品の時よりも、少し汚れてしまっているけれど、私の宝物で、今でもずっと大切につけている。

    「お前、なに見てんだよー」

     うりうりと、指先で犬の顔をつつきまわす。

     お前のご主人様は、何を考えてるんだろうなー。

     ん? ストラップの持ち主は私だから、ご主人様は私か? まあいっか。

     ころころ音を鳴らして揺れるストラップを、ぴたっと指で止めて、再び夜の空へと視線を移す。

     どうしちゃったんだろう、私。

     たきなにあの子のことを聞いて、それがもし、単なる友達じゃなかったら、それが私になんの関係があるんだろう。

  • 15二次元好きの匿名さん22/08/29(月) 17:30:45

    >>14

     ある。きっと。

     だから私は、答えを聞くのが、知るのが怖いんだ。

     じゃあ私にどう関係してるのかって聞かれたら、それを考えて、答えることも怖い。

     怖い怖いで怖いものづくし。

     その場凌ぎの都合がいい感情ばかり選んで、私は私を誤魔化している。

     結局、振り返ってみれば私が全部のことから逃げているだけで、あと少し勇気を出して一歩踏み込めば、きっとこの悩みも解決して、でもその解決が望んだ方向にいくとは限らなくて、だから私はその一歩の勇気が出せないでいる。

    「どっかに、落ちてないかな」

     勇気。

     いや、きっと違うなぁ。

     もうどこかに、落としてきてしまったんだ。

     私は、たきなと一緒にいて、嬉しくって、楽しくって、幸せで。幸せでいることが、怖くなってしまった。

     幸せでなくなるのが、怖くなってしまった。

     たきなに踏み込むのが、怖かった。

     踏み込んで拒絶されるのが、怖かった。

     拒絶されて、私を見てもらえなくなるのが。

     怖い。怖い、怖い、怖い。

     だからもう、動けない。私は、動かない。

     私とたきなの距離は一定で、進むことも戻ることもない。でもそれは、私から見た時だけ。

     たきなからは、分からない。

     私以外にも友達ができて、たきなにも大切な人ができて、その時たきなは、私よりも他の誰かを優先して、その時きっと、私たちの距離は離れていく。動かない私を、置いていく。

    「どうしたら、いいんだろ……」

     誰にもともなく溢した疑問に、答えが返ってくることはない。

     腕を前に伸ばして、先ほどたきなに掴まれたところをもう一度確認する。もうそこに手の跡はなく、皮膚のどこも同じ色をしていた。

     いっそのこと、一生消えない跡になってくれれば、よかったのに。

     そんなことを考えながら、跡の消えた腕に唇をつける。皮膚の表面を挟むように咥えて、ひっぱる。

     唇を離すと、アザほどでない、ぽわっとした小さな赤みが肌に浮かぶ。

     ここに、たきなの跡が確かにあったのだと、標し。

     今日は、この腕を抱いて寝よう。

     頭の中のもやもやは何一つ消えないまま、私は帰路についた。

  • 16二次元好きの匿名さん22/08/29(月) 17:31:29

    ここまで前スレで書いた分です

    ここから続きです

  • 17二次元好きの匿名さん22/08/29(月) 17:32:05

     DAの繋がりを通して知り合った後輩のリコリス、黄名瀬チユリ。
     二つ年下の後輩で、肩まで伸びた栗色の髪を左耳の後ろで一つに束ねている。背は少し低く、私の目線の高さに、ちょうど頭のてっぺんが並ぶくらい。顔立ちは頬がぷっくりと丸く年齢よりも少し幼く見える。目はぱっちりしていて、丸く大きな瞳は日の光を反射して黄金色に輝く。
    「遅くなってっごむみすみませんでしたぁ!」
     その彼女が待ち合わせの時間に遅刻して、元気よく頭を下げながら謝罪らしき言葉を述べたのが、今。
     栗色のつむじがこちらに向けられる。見事なまで綺麗な角度の低頭姿勢。
     これがもし千束だったら「いやぁごめんごめん、昨日遅くまでスマホいじってて~」なんて苦笑いで頭をかきながら登場したことだろう。
     それに比べたら、遅刻の連絡も、具体的に何分程度の遅れになるかも連絡をよこして、こんなに申し訳なさそうに頭を下げられる後輩が、どれだけできた人間であるか。
     チユリに「きいものに付きあってくなさい」とメールで誘われたのが今週の中頃だった。すぐに「買いものに付きあってください」と訂正のメールが届いた。
     たどたどしい文章は、見ていて微笑ましかった。多分、機械の扱いは苦手なのだろう。
     微笑ましい、か。
     少し前までの私なら、そんなことを思うこともなかったと思う。私もすっかり、千束の影響を受けてしまったな。それが嫌だと思うことなんて、微塵もないけれど。
     この週末には、お店の接客以外の予定もなく、人手もそこまで不足していたわけではなかったので、休みを取って彼女と出掛けることを了承した。
     そうして今、こうして待ち合わせをしていたわけなのだが。
     目の前で頭を下げている彼女は、私に遅刻を叱られると思っているのか、ぷるぷると小動物のように体を震わせている。
     小動物のようで少し面白い。これが千束ならこのまま眺めていてもよかったけれど、相手は年下の後輩だ。私の方が二つお姉ちゃん。いじわるをするのは、よくないかな。
    「いいんですよ、ちゃんと連絡はもらってますから」

  • 18二次元好きの匿名さん22/08/29(月) 17:32:59

    >>17

     震える頭を怖がらせないよう、そっと手をおいて頭を撫でる。

     以前、保育園の仕事で千束がこうして子供をあやしていたことがあったのを思いだして、私もやってみることにした。

     チユリはそこまで子供ではないけれど、こうしてぷるぷると震える姿は、まるでそんな子供を相手にしているような気分だ。その選択は間違っていなかったようで、チユリは大人しく頭を撫でられている。

     最初の謝罪が元気だったこともあり、さすがにそろそろ周囲の目も気になってきた。

    「では、いきましょうか。チユリは買い物に付き合ってほしいんでしたね?」

    「は、は、はいっ!」

     撫でていた手を引っ込めて、目的を確認する。

     チユリは、びぃんっと音が聞こえそうな勢いで直立の姿勢をとる。その勢いに少し気圧されてしまった。

     きっと先輩である私を相手に緊張しているのだろう。こうして見ると、確かに後輩というものは可愛く見えるかもしれない。

     私も千束と出会った時には、たった一つの年の差で可愛い可愛いと言われたものだ。

     その時の千束のはしゃぎ様を思い出して、くすっと声が漏れてしまう。

    「年上だからって、そんなに緊張しないでください」

    「……はい」

     あまり力を入れなくてもよい、と声をかけたが、チユリは恥ずかしそうに身を細めて萎縮してしまったようだ。

     ふむ、後輩の緊張をほどくには、私はまだまだ千束のようにはいかないということだろう。

     今はあまり、私から動くと余計に緊張させてしまいそうだった。

     今日の買い出しを誘ってきたのはチユリの方だし、どこか目的の場所もあるのだろう。ちらちらと時計を気にしている。ここは大人しくチユリに任せて、私が連れられて動く方がよさそうだ。

    「では、どこからいきましょう」

     行き先は任せますよ、と。

     千束以外とは初めてかもしれない、二人きりの休日。

     初めて千束に連れられて、買い物にいった日のことを思い出す。今にして思えば、私がなにかを楽しいと考えられるようになったのは、あの日が大きなターニングポイントだったようにも思える。

     今度は私が、この後輩と。私が千束にしてもらったように、誰かになにかを教えられる立場になれるだろうか。

     そう考えて少し、心が弾んだ。

  • 19二次元好きの匿名さん22/08/29(月) 17:35:17

     チユリの買い物は早々に済んだ。
     というよりも、済まざるを得なかった。
     ボールペンとメモ帳と付箋。必要なものを買いに行くと聞いていたのだけれど、ショッピングモールに来てチユリが買ったのはそれだけ。会計を済ませたチユリは「お、終わっちゃい、ました」と気まずそうに頬をかいていた。
     モールに来るまでの道中、たまたま見かけたカフェで軽く雑談を交えながら昼食を済ませ、腹ごなしがてらに遠回りをしながらゆっくり歩いてきた。
     雑談の間も思ったのだが、チユリはあがり症なのだろうか、メールでのやりとりでは、千束のようにフレンドリーで明るい女の子という印象だったのだが、面と向かって話してみると、よく言葉をつかえていて、はきはき喋ることは苦手なようだった。
     写真で顔を見た時にも、その表情や立ち姿から、元気そうな子だと感じたのだが。やはり実際に会ってみなければ、人とは分からないものだ。
     昔の私なら、他人との繋がりをこんな風に考られることはなかったけど、今こうして他人に興味を抱いたり、考えられるようになったのは、私に沢山の感情を教えてくれた千束のおかげ。
     そして肝心のチユリはと言えば、なにか言いたげに指を体の前でこねこねいじっている。
    「よ、良かったら、で……先輩が良けれべ、よかれば……」
     噛みながらも、懸命になにか伝えようとする姿をじっと見つめる。
     落ち着いてください、逃げませんから、となだめるようにしてチユリが喋り終えるのを待つ。
    「は、はい……その、私用の買い物もしたくて、よければ一緒に、お店を、回っ、たりとか、なんとか……お、買い物、一緒に、しません、か」
     ようするに。チユリは、ボールペンやらメモ帳よりも、もっと別の物を買いたくてここにきたのだろう。
     例えば衣類、小物。アクセサリーや化粧品。
     もしかしてチユリは、こうやって誰かと一緒に買い物に出掛ける経験というものに乏しかったのだろうか。
     その外見を見たところ、私よりもよっぽどお洒落には詳しそうに見えるのだけど。ただ、一人でも買い物はできるし、誰かと一緒に、という部分が大事なのかもしれない。

  • 20二次元好きの匿名さん22/08/29(月) 17:36:29

    >>19

     私も、今は一人よりも、千束との外出が楽しいと思うし。

     そういうことなら、うん、チユリに付き合ってあげるべきだと思う。もとより、もっと色々買うのだと思っていたから、そのつもりで一日休みを取ってあるのだし。

     「勿論、構いませんよ。今日はそのつもりでしたから」

     チユリは全身をビクッと震わせて、雷に打たれたように、また直立の姿勢になる。不思議な子だな。

     では行こう、と言ったもののいくつもの店舗が並んだ大型のモール、どこから回るべきなのか迷ってあたふたしている様子のチユリを見かねて、いい加減助け船を出すことにした。

     まずは手近にあった洋服店だ。私が千束と遊びに出る時には、大体いつもここから始まる。

     その理由としては「たきな、また同じ服きてるし……」というもので、いつも千束が服を見繕ってくれるのだ。おかげで出掛ける度に、部屋のクローゼットが新しい服で圧迫されていく。千束が選んだ服を着ていくことの、なにが悪いんだろう。新しく買う服も結局は千束が選んでいるのに。

     今日だって千束が選んでくれたものを着てきている。チユリはそれを、おかしなものをみる目では見てこなかったのだし、やっぱりこれでいいんだと思うけど、千束はなにが気に入らないのだろう。

     ただ今回も結局、こうして新しく服を買うことになったのだから、千束と遊びに行く時とそう変わらないのかもしれない。

     そんなことを考えながら、自分で服を選んでみる。と言っても、今まで何度か千束に選んでもらった服を参考に組み合わせを選んでいるだけなのだが。

     ある程度回数も重なれば、統計も取れてくるし、千束ならこれを選びそう、というものを手に取って試着室へ。

     試着室。そういえば、千束と遊びに出掛けるようになったそもそものきっかけと言えば、私の下着だったな。今にして思えば、あの時千束を試着室に連れ込んで下着を見せてもらったのは、客観的に見たらだいぶ危うい行動だったかな。でも千束も同意して見せてくれたのだし、問題はなかったんだろう。きっと。

     着替えを済ませて、おかしなところがないかチユリに見てもらう。似合っていると褒めてもらって、少し嬉しい。自分で服を選んでみるのも、たまには悪くないかもしれない。そう考えると、千束の態度の理由も少し分かった気がした。

     チユリの態度がおかしかったのは、気にしないでおく。

  • 21二次元好きの匿名さん22/08/29(月) 17:37:29

    >>20

     その後も、チユリと一緒にいくつかのお店を回りながら、モール内を歩き回った。

     私はやっぱり、必要最低限のものだけ持っていればいい、という考えは捨てきれないし、あちこち商品を見て回っても「これが欲しい」という気持ちはあまり沸いてこない。

     なので私よりも、チユリが興味を持ちそうなお店を回ろうと、チユリの視線を探ってみたのだが、なぜか彼女の方を見る度に視線がバチッと合う。

     するとチユリはすぐに視線を反らしてしまうので、もしかして私が前を歩いているから、チユリの行きたいお店があることを言い出せないでいるのかな、それを視線で訴えられているのかなと思い、その反らされた視線の先のお店を先ほどから回っているのだ。

     その途中、立ち寄った雑貨店で見かけた猫のストラップ。半目で生意気そうな顔をした、少しつぶれた顔の猫。

     それを見た時、少しだけ千束に似ているかも、なんて思って、一つ買ってしまった。具体的にどこかが似ているというわけでもないけれど。でも、なんとなくその不機嫌そうな顔が、構ってほしそうにくっついてくる時の千束を彷彿とさせたのだ。

     そんな千束は大体いつも笑っているのに、どうしてそう思ったのか、自分でも不思議だった。

     会計を終えてチユリを見ると、またしても視線が交わる。

     特になにか買いたい物がありそうな素振りもないし、そろそろショッピングは引き上げようか。そうなると、次はどこにいこう。頭の中に浮かんだのは、あの場所。

  • 22二次元好きの匿名さん22/08/29(月) 17:38:32

    >>21

    「チユリ、この後いいところにいきましょう」

    「なばんですかっ!?」

     …………?

    「な、なんでもないです……」

     しゃがんで雑貨を眺めていた彼女に話しかけると、よくわからない言語を発して、顔を真っ赤にする。

     突然話しかけたせいで驚かせてしまっただろうか。

    「ど、どこですか? そのいいところって」

     チユリは上目使いで、おずおずと聞いてくる。怯えているようにも、期待をしているようにも見える、震えた黄金色の瞳。その色が本当に綺麗だなと思う。

    「秘密、です」

     しぃ、と子供に言い聞かせるように人差し指を立てる。

     チユリはなにか悶えているけれど、どこか体調が悪いのだろうか。心配して聞いてみたが、平気だという返事が返ってきたので安心する。顔色も赤いが、足取りはしっかりしていて、熱があるようにも見えない。あがり症の影響かな。

     ただ、少し歩き回ったので、どこか足休めに軽食を取ることにした。

     フロアを変えてフードエリアへ、ちょうどよさそうなお店を探す。目についたのは、ガラスケースの中に並ぶ色とりどりのケーキ。

     よし、ここにしよう。

     リコリコの新メニューの参考にもなるし。

     振り返ると、チユリが自分の頭を殴っていた。不思議な子だな。

  • 23二次元好きの匿名さん22/08/29(月) 17:39:06

    一旦ここまでです

  • 24二次元好きの匿名さん22/08/29(月) 17:40:47

    後輩ちゃん、、、、、、

  • 25二次元好きの匿名さん22/08/29(月) 18:34:33

    後輩とのデート中ずっと千束のこと考えてる…

  • 26二次元好きの匿名さん22/08/29(月) 19:06:45

    >>25

    行動原理も全部千束が元になっている…

  • 27二次元好きの匿名さん22/08/29(月) 19:11:03

    でもたきなはそういうことする

  • 28二次元好きの匿名さん22/08/29(月) 20:13:05

    千束かわいそ…って思ったら後輩ちゃん…

  • 29二次元好きの匿名さん22/08/29(月) 20:43:38

    たきなが悪いんだよ…

  • 30二次元好きの匿名さん22/08/29(月) 22:09:41

    名前が黄のチューリップってことか

  • 31二次元好きの匿名さん22/08/29(月) 23:54:08

    肝心の千束への想いが千束本人に伝わってないのがたきな

  • 32二次元好きの匿名さん22/08/30(火) 00:51:28
  • 33二次元好きの匿名さん22/08/30(火) 05:05:35

    >>30

    「チサト」の三文字に百合をもじったのかと思ったけどチューリップか

  • 34二次元好きの匿名さん22/08/30(火) 12:47:18

    黄名瀬(きなせ)って読みであってるのかな?
    苗字の由来も聞きたいね

  • 35二次元好きの匿名さん22/08/30(火) 13:39:54

    >>22

     目が覚めると、全身に力が入らなかった。

     頭がボーッとして熱い。動きたいのに、ダルくて腕も頭もあげられない。首の裏からじわぁっとイヤ~な汗が滲んで、ソファが濡れているのを感じる。

    「…………風邪、ひいたかぁ……」

     リビングにこんな格好で寝ていれば、こういうこともあるかな。先生に休みの連絡入れないと。辛うじて頭だけ向きを変えて、視線を動かしスマホを探す。

     映画のディスクやお菓子の袋で散らかったテーブルの上には、目的のスマホは見当たらない。物の下敷きになっているのかもしれないが、腕を伸ばして探そうにも、力の入らない体では、指先を握るのだけでもやっとやっとだ。

     動けるようになったら連絡して、それから謝ればいいかな。結局スマホは諦めて、今日はズル休みをすることにした。

     それに、もしかしたら誰か電話をかけてきて、電話に出ない私を不審に思って、家まできてくれるかもしれないし。

     そうしたら事情も説明できて、看病もしてもらえる。

     もしそうなるならその人は、やっぱりたきなかな。たきな、心配性だもんなぁ。またそんな格好で寝て、って怒るだろうなぁ。

     たきなの手料理、食べたいなぁ。あーんとかしてもらって。膝枕とか、してもらっちゃおうかな。汗も、拭いてもらって。いっぱい、甘えちゃおう。

     …………。

     ……………………。

     ………………………………。

     忘れてる。

     なにか、忘れてる。

     頭の中で声がする。

     私の声が、私を罵倒する。

     バカか、と。

    「…………なにが?」

     ダメだ、思い出せない。

     昨日の夜のことが、全く思い出せない。

     まるで、そこだけページが破かれたノートみたいに、すっぽり記憶が抜け落ちている。

     頭は熱ですっかり浮いてしまっている。

     喉の奥に小骨が刺さったまま抜けないような、スッキリしなくて気持ち悪い感覚。

     なんとか思い出そうと、ぼんやりした頭を捻って記憶をほじくりかえそうとするが、熱暴走した頭は無理矢理に働かせようとすると、労働を拒否するかのようにぎうぎうと痛みで締め付けて反抗してくる。

     でも、なにか大事なことだった気がする。とても大事なことだと思う。

     思い出さなくちゃ。

     なにかあった。なにがあった。

     私は、昨日、何をしたんだ。

  • 36二次元好きの匿名さん22/08/30(火) 13:40:09

     耳鳴りの音が、うるさい。
     頭のすぐ横で飛行機が飛んでいるのではないかと、錯覚するほどの爆音。
     部屋の中は、明かりもなく、静寂に包まれている。
     耳にくっつけたスマホのスピーカーから聞こえてくる声は、飛行機の音にかき消されて私の頭にはほとんど届かない。
    『……千束? どうかしたんですか?』
     たきなが電話の向こうで困惑したような声をあげているのを、辛うじて聞き取る。
     もう少しこのまま黙っていたら、たきなは私が受け答えもできない状況にあると思って、ここに駆けつけてくれるだろうか。
     邪な考えが、頭の中を閃く。
     そんなことをしたら、たきなは怒るだろうな。心配させてって。そんなことをしたら、たきなに嫌われちゃうかな。
     だから私はなにか喋らないといけない。たきなに向けて、なんでもいいから。
     元気? 今なにしてる? 話し相手になって。
     けれど、私の口は開かなかった。
     喋ってしまえばきっと、この口は私の意思とは無関係に動いてしまう。
     口の中が吐瀉物でいっぱいになったみたいに、汚い気持ちが出口を求めて暴れている。
     それをなんとか飲み込んで、どう切り出したら、いつもみたいにたきなとお喋りできるのか、その糸口となる言葉を探す。
     そんなもの、この世界のどこにもないのに。
    『千束、なにかあったんですか? 返事をしてください』
     返事なんて、欲しいのは私の方だ。
     あの子は、なに。
     言葉にもしていない問いかけに、私はたきなの答えがほしい。
     理不尽な叫びを辛うじて飲み込んで堪える。
     あの日。
     たきなが知らない女の子と、水族館にいたのを見た日から、今日で二週間が経った。
     もういい加減に私の心は限界だった。
     たきなは私の知らない女の子と、水族館で遊んでいた。ううん、きっと水族館だけじゃない。あの時間はもう日暮れ前で、あの日のたきなは一日休みを取っていた。
     だからきっと、もっとずっと、あの日の朝から? お昼から? その後も、水族館から手を繋いで出ていって、夜まで一緒にいたのだと思う。
     笑っていた。優しく、楽しそうに、微笑んで、あの子の手を取っていた。
     二人でお揃いの、キーホルダーを持って。
     頭を抱えた手に力が入る。
     頭皮に爪が食い込んで感じる痛みさえ、この心の痛みの前には無いに等しい。

  • 37二次元好きの匿名さん22/08/30(火) 13:40:31

     もう気が狂いそうなほどめちゃくちゃに叫んで、掻きむしって、転げまわりたい。
     たきなが誰かとあんな風に歩いている姿なんて、見たことない。お店のお客さんじゃないし、お仕事の依頼先で見たこともない。私の知らないたきなの時間、私の知らないたきなの交遊。
     たきなのことは知ってるつもりだった。なんでも全部じゃなくたって、もっとずっと、たきなのことを分かっている自信があった。
     たきなと出会ったあの日から、たくさん一緒の時間を過ごして。大切な相棒で、親友で、特別で。大切な時間を共にして、たきなの隣には、ずっと私が立ってるんだって思ってた。
     私にとっての特別は、たきなにとっての特別で、私はたきなの特別なんだと、疑うこともしなかった。
     知らないたきな。私の知らないたきな。私が知らない時に、私が知らない子といて、私が知らない場所にいって、私が、私が私が。
     気づくと自分の都合ばかり考えて、でもたきなのことが分からないのが辛くって。
     あの子の存在がずっと頭から離れなくって、眠いのに眠れない。時間の感覚も飛んで、朝が気づくと夜になっていた日もある。
     気晴らしに映画を見ても、漫画を読んでも、何も覚えてなくって、たきなから連絡がこないかってずっとスマホの方ばかり見ていて、でも何も連絡はなくって、たきながお店で誰かと連絡していたのを思い出して、あの子の顔が浮かんできて、カッと胸が熱くなって、頭にきて、スマホを投げて、もう何時間もソファの上でいじけていた。
     休みを取る時に、たきなは私になんの説明もしなかった。ただ用事があるとしか、言ってくれなかった。
     私はたきなの特別じゃなかったの?
     たきなは私になにか思わなかったの?
     唇を噛んで、悔しい思いを噛み締めて、この痛みで少しでも胸の痛みが紛れればと思ったけれど、血の味が口の中に滲むだけで、胸はずっと痛くて苦しいままだった。

  • 38二次元好きの匿名さん22/08/30(火) 13:40:54

     たきなが何を考えているのか知りたかった。すぐにでも電話して確かめたかった。でも知りたくなかった。あの子がたきなにとってなにか特別な存在だと、たきなの口から聞くのが怖かった。
     たきなの大切な人で、無関係の私が踏み込んで、たきなに嫌な思いをさせたら、たきなに嫌われてしまう。
     そんなことになったら私は今度こそ生きていけない。今の私はたきな無しでは生きられない。私の命は心臓ではなく、たきなでできている。
     いつの間にか、こんなにも私はたきなに縛られている。
     なのに、それなのに。
     勝手な苛立ちは募りに募って、私の心を押し潰していく。誰かのため、たきなのためなんて、そんな考えは黒くざらついた負の感情に塗りつぶされて、私はどんどん身勝手になっていく。
     攻撃的な感情が制御できないまま体の外に溢れ出てきて、バシバシと自分の腕や足を叩いてなんとか発散していたが、それも限界を迎えて、ソファから飛び降りて、投げ捨てられて転がっていたスマホに、かじりつくように飛びつく。
     ヒビの入った画面の向こうにたきなの名前を探しだし、頭の中で「やめろ」と叫ぶ微かな理性も握りつぶして、床にうずくまったまま電話をかける。
     時間は深夜の二時。普通なら電話になんて、出るはずもない時間。まして規則正しい生活を送るたきなが、こんな時間に起きているはずがない。
     いっそ繋がらないでほしい。このまま時間が過ぎて、なにも起こらないで、この煮えたぎる頭が沈静化してしまえば、馬鹿なことも考えないで済むかもしれない。
     朝になって、冷静になって、着信に気づいたたきなから電話がきて「おはよう」っていつもみたいな当たり前のやり取りをして、そんな当たり前の毎日に戻っていけるかもしれない。都合の悪いことなんて忘れてしまって。
     そんなありえるはずもない儚い願いさえ、あっさりと打ち砕かれる。
    『ふゃい、もしもひ……ちさと?』
     三コール目には電話は繋がり、耳の中に眠たげなたきなの声がこだまする。
     そして黙ったまま、今の状況へと至る。
     既に通りすぎたこの瞬間が、引き返すことのできる最後のチャンスだった。

  • 39二次元好きの匿名さん22/08/30(火) 13:41:22

     まるで水の中にいるようだった。
     水槽の中からごぼごぼと、ガラス越しに外の二人を眺めていた。
     あの光景が、いつまでも離れない。
    「たきな、あのね」
     開いた口は、塞がらない。
     もはや爆発してしまいそうなほどの感情を、力ずくで抑え込むことで精一杯で、電話を切ろうとか、他の話で気を紛らわそうとか、一切に頭が回らない。
     電話の向こうでなにか安心したように、小さくふっと息を吐く音がする。
    『どうしたんですか、こんな時間に』
     優しい音色。
     身体の芯まで包み込んでくれるような、暖かさ。まるで子供に語りかけるような、その暖かさが、柔らかな声が私の神経を逆撫でる。
     けど、その暖かさを持ったたきなが、私の心さえ壊していく。
     どうしたの、じゃない。どうして、あの子と。
     口の端から垂れた血が、ぽたぽたと床に血の染みを作っていく。その色が、視界の内側まで赤く染めていくような気がして。
    「水族館、」
     体がミシミシと音を立てて軋む。全身の筋肉と骨が悲鳴をあげながら、口を塞ぐために動こうとしている。
     それでも体はうずくまったまま動かない。もう止まれない。
    「水族館で、見かけて」

  • 40二次元好きの匿名さん22/08/30(火) 13:41:47

    『水族館……? ええっと……あ、先々週の?』
     たきなはあまりピンときていないようだった。
     二週間も前の出来事だ、それもそうだろう。でも私にとっては、絶対に忘れることのできない光景で、ずっとそれが苦しくて。それがたきなにとっては、すぐに思い至ることのなかった出来事で、私がこんなに苦しんだのに、苦しいのに、たきなはそれも知らないで、それがまた悔しくて。
     じくじくと滴る血は口からではなく、もう目から流れ出ているのだとさえ、感じるほどに。
    『千束も来ていたんですか? それなら声をかけてくれれば一緒に……』
    「一緒に……っ! 一緒に……いた、」
     いた子は、誰。
     私が突然大声をあげたことに驚いたのか、たきなの息を飲む音が聞こえる。でも、そんなことにはもう構っていられない。
    「たきな、水族館で、一緒に」
     喉が痛い。やめろと全身が警鐘を鳴らす。止まれと理性が本能に訴える。
    「女の子と、おみやげ」
     胃の中に溜め込んでいたものが吐き出されるように、黒く濁った私が口の中からこぼれ落ちる。
    「買ってるの、見てて」
     息が苦しい。視界が滲んで、鼻がつんとする。スマホを押し付けられた耳が潰れて、頭蓋にめり込んでいるんじゃないかとさえ思う。
    『あの……千束?』
     それでもたきなには伝わっていないようで、たきなは困惑気味に私の名前を呼ぶ。
     なんでわからないの? わかるわけない。だってたきなはただ、あの女の子に「お揃いにしたい」とせがまれて、たきなはそれを断るような子じゃないから。やさしいから。
     でも、私は。
     その名前を、あの時呼んでくれたなら。きっと私は。
     そんなありえない"もしも"が、私の最後の堰を壊して溢れ出した。

  • 41二次元好きの匿名さん22/08/30(火) 13:42:20

    
    「なんで、どうしてあの子なの? 水族館、一緒に行ったのに、私、たきなと。誰なの、あの子。どうして教えてくれなかったの? たきながお休み取る時に聞いたよ私、なんで休むのって。用事があるって、たきなそれしか言ってくれなかったのなんで? 私には言えなかったの? 私相棒だよ、たきなの、パートナーだよ。なんで言えないの? 私の気持ちはどうなるの? 大事な子なの? お仕事よりも? 私よりも? 水族館、私とだったのに、私のなのに。なんで他の子連れていったの? 私駄目だったの? 特別なのに、たきなと特別の、私のたきなの。ねぇどうして?」
    『千束っ……』

  • 42二次元好きの匿名さん22/08/30(火) 13:42:44

    「ねぇなんで! 私聞いてるのに答えてよ! 私たきなのこといっぱい知ってる! あの子よりもずっと! なんでたきな私の知らないところで笑ってるの! お揃いだって、私もたきなとしたいよ! お揃いだねって笑ってほしい、ほしかった! 私も手繋いで、抱き締めたことだってあるし、胸だって触ったし! 服だって私が! たきな服も知らないの着てた……いつも私の時は同じの着てくるのに、いつも。なんで? あの子に選んでもらったの? たきななんでもよかったの? 私がめっちゃ可愛いって言ったのなんとも思わなかったの、誰でもよかったんだ、だから着てくるの同じで、服とか興味とかなくて、でもたきな可愛いから、私お洒落してほしくて、たきな喜んでくれると思ってたから、いつもついてきてくれて、うれしくて。迷惑だった? ウザかった? ごめん、でもたきなが私の選んだ服着てくれるの、嬉しかったの。でも嫌だったら言って、もうしないから、直すから、だから嫌いにならないで。たきな喋ってくれないからわからないの。服のこと嬉しいとか、好みとか、そういうの言ってくれないから。だからもっと教えて。もっと私のこと喋って、ねぇ喋ってたきな、教えて私のこと、たきなのこと。ねぇたきな、私もたきなのこと話すから、たきなからもなにか話して? ちゃんと聞くから。聞いてる? 聞いてるよね? 電話繋がってるもんね。なんで答えてくれないのたきな。私たきなと特別なの、新しい相棒って聞いた時すごく嬉しかったの、たきながお店にきてからの初めての子だったから、だから特別な相棒だって思ってるの。思ってたの。たきなは違うの? 私のことただの相棒としか思ってなかった? 仕事の関係だけだった? いっぱい一緒にすごして、同棲もして、私のために危ないこともたくさんしてくれて、私たきなに大切にされてるって、たきなが特別に扱ってくれてるって思ってた。嬉しかったよたきな、私もっともっと生きたいって思えたから、たきなのおかげで、私はたきなのおかげで生きてるんだ、私たきなで生

  • 43二次元好きの匿名さん22/08/30(火) 13:43:00

    きてる、たきななの、全部。だから知りたいのたきなのこと、たきなの全部、教えてたきな。たきなの嫌なところも汚いところも私受け止められる。知りたくないことも、たきななら大丈夫。だから言って? たきなのこともっと教えて。電話が駄目なら直接会お、いこうよ遊びに、水族館、私の。他の子といかないで。そんなの嫌だよ、苦しいよ。今だってあの子のこと苦しい。たきな笑ってたもん。私の知らない子に、楽しそうだった。そんなの嫌だ。私やだ。私といる時楽しくない? 私面白くなかった? ごめんね、私はたきなといるだけで楽しかったから、たきなのこと気づいてあげられなかった、今度から言って、頑張るから私、たきなのこと楽しませてあげられるようにするから、だからいかないで一緒にいて、私のところにいて。あの子のところいかないで、おいていかないで。ね、ね? 私たきなと会えて嬉しいよ、嬉しい……もしかして足りなかった? たきなはそれじゃ駄目だった? たきなは嬉しくない? 会えてよかったって前言ってくれた。私嬉しかったの私だけじゃなくて、たきなもなんだって。勘違いじゃないよね、私そういうのじゃないよね、ね。じゃあ教えて、何が駄目だったの私。絶対直すよ頑張る。あのね私ずっとたきなのこと考えてたんだ。この間からずっと、もっと前からずっとだけど、最近はもっと。たきなは私のこと考えてくれてた? 少しぐらいは考えてくれた? ちょっとは考えたよね、相棒だもん。もっと考えたりしたよね。お仕事の休憩中も私のこと考えてくれた? たきな誰かと連絡してたよね、笑ってた、私じゃないの。誰か。誰? あの子? 目の前に私いたのに、私が一番じゃなかった。なんで? お喋りしたかったし、こっち見てほしかったし。ねぇ聞いてるたきな? たきな、たきな? なんで私じゃなかったの、今も私じゃないの? だから黙ってるの? あの子いるの? そこにいるの? 誰なの? どんな関係なの? 大事な子なの? 私よりも? 違うよね? 嘘だよね、私が一番特別だって、言って、言ってよたきな。私こんなに苦しいのに痛いのに、たきな分かってくれないから、分かって。私一番なの、たきなの一番、一番特別。私もたきなが一番だから。だからその子は離れて、私の側にいて、会いに来て。たきな、すぐにきて、一緒にいよ? 私いい子にするから、わがまま言わないから、たきなに迷惑かけないから。ご飯作

  • 44二次元好きの匿名さん22/08/30(火) 13:43:17

    るよ、掃除も洗濯もするよ。たきながやれって言うならなんでもする。なんでも言うこと聞くから。だから嫌いにならないで、嫌われたくない。嫌だ。嫌なの。一緒にいたいの、それだけだから、他にいらないから、たきなだけ欲しい。たきながいればいいから。ねえたきな私怪我してる、唇切っちゃって、血が出てる。たきな見て。診にきて。治して。痛いの、痛いよ、痛い……たきなぁ……ねぇ、唇なんか痛くないのに……痛いんだよぉ……ぅぅ、うぇえ、たきなぁ……苦しい……またいこうよ水族館……たきなから連れてってよ、私だけ連れてって……他の子となんて……服だって、ゲームセンターだって……私と一緒に行ったところだよ……釣り堀も、公園も……他の誰もいかないで、一緒に行かないで、私の場所だよ……私とたきなの場所……なんで連れてくの……私のこと上書きして、塗り替えて、忘れるの……? 私との思い出……やめて、やめてよぉ……やだよぅ……たきなと同じがいい……たきなだけ変わらないで、変えないで……同じにして……変になっちゃうから……私、変……分かってるけど、もう変だって……おかしいって……でもだって、たきな……うぇ……だってだってたきな、たきな、たきなぁ……ぁぁ……ぅあぁぁ……」

  • 45二次元好きの匿名さん22/08/30(火) 13:43:42

     意地汚い言葉が、嗚咽と共に止めどなく吐き出される。顔を伏せた床は、血と涙と鼻水とよだれでびちゃびちゃになり、大きな水溜まりを作っている。
     あの時に引き返していればなんて後悔はとうの昔で、私はもう二度と這い上がれない奈落の底へと転げ落ちていた。
     痛い。心が、全身が。
     理不尽なのは分かっている。たきなはただ、友達と遊びにいっていただけだって、それだけのことでしかないって、理性は確かに理解してる。
     でも、どうしても許せない気持ちがあって、それを言いたくてずっと我慢してた。我慢して我慢して我慢して、どれだけ我慢しても、ただ我慢が積み重なっていくだけで、意味なんかなくって。堪えられなかった。もう抑えられなかった。
     だってたきなが、
    『……千束』
     先程の優しさで満たされた声とは違う、スルリと背筋を抜ける冷たい声。頭に銃口を突きつけられたようなその冷たさに、泣き散らしていた体がびくんと跳ねて硬直する。なにを言われるのか、頭のてっぺんから足の爪先まで、今度は恐怖が全身を支配していく。
     そしてたきなは、
    『もう遅いので、寝ます』
     それだけを残して、ぶつりと電話を切った。
     耳から頭を撃ち抜かれたような衝撃。
     言葉の弾丸は脳を通って、逆側の耳から過ぎ去っていく。脳漿が床に散らばって、思考が消える。無意識に口を衝いて出る言葉さえなく、ただ何もない空間を見つめる。
     もしかしたら、すぐにでも走って駆けつけてきてくれるかもなんて、心の片隅で捨てきれなかった微かな希望さえも細かな砂になって消えた。
     震える両手で握ったスマホを顔の前に掲げる。
     ひび割れた画面には『通話終了』の文字が浮かぶだけ。
     寝ます。
     それだけ。
     他には何もない。
     私の言葉も想いも、何もかも。
     たった一発の弾丸で、私の全ては穴だらけにされた。
     空いた穴の一つ一つから流れ出るように、心が抜け落ちていく。
    「………………………………」
     私の記憶は、そこで途切れた。

  • 46二次元好きの匿名さん22/08/30(火) 13:45:13

    ここまで

    元ネタが例のコピペなんでこうにしかならなかったです
    名前の由来はそれであってます
    名字は色を含んでいるなかで語感のいいものを優先しました

  • 47二次元好きの匿名さん22/08/30(火) 13:50:11

    千束の刃始まってて草

  • 48二次元好きの匿名さん22/08/30(火) 13:54:14

    安達は見習え

  • 49二次元好きの匿名さん22/08/30(火) 14:00:58

    なんか急に作風変わって草

  • 50二次元好きの匿名さん22/08/30(火) 14:31:53

    こう言うのが見たかった素晴らしいね。
    めんどくさい言わないだけ温情で草

  • 51二次元好きの匿名さん22/08/30(火) 14:34:33

    めんどくさいのは分かるけどこの返しはえぐいよ、、、、

  • 52二次元好きの匿名さん22/08/30(火) 14:36:42

    ちゃんと刃が銃になっている…

  • 53二次元好きの匿名さん22/08/30(火) 14:37:06

    このレスは削除されています

  • 54二次元好きの匿名さん22/08/30(火) 14:38:52

    この完成度なら芥川賞狙えるでしょう(激うまギャグ)

  • 55二次元好きの匿名さん22/08/30(火) 14:40:15

    おっっっっっっっ重い!!!!!

  • 56二次元好きの匿名さん22/08/30(火) 14:55:02

    急な安達構文でめっちゃ草生えた

  • 57二次元好きの匿名さん22/08/30(火) 18:08:29

    狂犬レズたきな部から来ました
    たきなの温度差に脳がバグる

  • 58二次元好きの匿名さん22/08/30(火) 19:09:20

    はえー…

  • 59二次元好きの匿名さん22/08/30(火) 20:10:34

    >>58

    無慈悲

  • 60二次元好きの匿名さん22/08/30(火) 21:23:58

    ブラックホール発生してる?

  • 61二次元好きの匿名さん22/08/31(水) 00:18:05

    怖いけど続き期待

  • 62二次元好きの匿名さん22/08/31(水) 05:29:47

    千束は水族館にこだわっててほしいね

  • 63二次元好きの匿名さん22/08/31(水) 05:55:51

    こ、これが重力崩壊…

  • 64二次元好きの匿名さん22/08/31(水) 06:41:08

    >>45

     喉の奥につっかえていたものが取れて、スッキリ……とはいかないもので。

     全身の気怠さに苛まれながら、どうにかこうにか昨晩の記憶を引きずり出し終えた。

     あー。

     やったなぁ、やった。うん、やったぜ。

    「バカか、わたし」

     やらかしたな。

     天井を見上げ、放心とも言える心境で自嘲する。

     ソファの外に投げ出された腕は、もはやピクリとも動く気がしない。スマホを探しに視線を巡らせることさえも諦めて、ただただ天井の一点を見つめる。いや、正確には眼球と天井の間にある、虚空。

     引くなぁ、引く。誰だってあんなことされたら、私だって引く。

     たきなはどう思ったんだろう。私の気持ちを聞いて何を思ったんだろう。

     寝ます、とだけ放たれたたきなの言葉は、私の胸をいとも容易く貫いた。

     言葉の雨を、たった一つの弾丸で全て撃ち落として、おしまいと躊躇もなく電話を切った。

     最悪の結果だ。

     どうしてこうなったのかなんて、分かりきってる。

     私がやった。全部壊した。

     今まで積み重ねてきたもの、抱えてきたもの、全部私が。

     吐き出した吐瀉物はもう戻らない。空っぽになった胃には、新しく後悔だけが延々詰め込まれていく。

     全身は熱の倦怠感に包まれて、頭は冴えて呆けてをループしている。

     なにもかもがどうでもよくなって、呼吸さえしているのかも分からない。ピクリとも動かないこの体は、もう死んでいるのではないかとさえ思う。

     戻りたい。やり直したい。

     もう一度あの電話の前から。

     いや、戻ってどうなるものか。

     やり直したところで、私は結局のところ爆発するだろう。

     たきながあの子と水族館にいたあの日。笑っているたきなを見かけたあの日から、私はもう、こうなるしかなかった。詰んでいた。

    「……………………」

     ちくたくと部屋にかけた時計の音だけが、時間が止まることはないと教えてくれる。今この世界で止まっているのは私だけだった。

  • 65二次元好きの匿名さん22/08/31(水) 06:41:31

     目の前を甘い香りいっぱいの鮮やかな紅が染める。

    「遊びにいきましょう、と思っていたのですが」
    「………………あぁ?」

     頭を叩かれるような痛みで目が覚める。
     気がつくといつの間にか眠っていたらしく、あれだけのことをしでかして後悔に浸りながらも、呑気なもんだと自分に呆れる。
     ただ熱はさっぱり引いていないし、相も変わらずの怠さで全身が重い。
     人体の仕組みとしては、眠る方が正解なのだろう。
     その睡眠を遮ったのは、頭上でなり響くチャイムの音。
     初めの内は無視していたが、止むことなく鳴り響くぴんぽーんという音に、次第に顔が歪んでいくのを感じて、少しは動くようになった鉛の体を無理矢理にソファから転がして、立ち上がる。
     時計を見ると針は正午の時間を指していた。
    「いま、いきますよっと……」
     古い映画のゾンビのように、ずるずると足を引きずって玄関へと向かう。平日の真っ昼間に、人の惰眠を邪魔する不届き者の顔を、ぶっ叩いて追い返してやりたい気持ちで扉を開く。
    「しんぶんかんゆうならまにあって……」
     そこに立っている人物を見て、言葉を失う。
     艶のある長い黒髪に、きりっとつり上がった薄紫の瞳。紺のロングスカートにグレーのシャツと緑のカーディガンを羽織って……。
    「おはようございます、千束」
    「……お、おぉ?」
     たきなが、立っていた。

  • 66二次元好きの匿名さん22/08/31(水) 06:41:50

    ひとまずこれだけ

  • 67二次元好きの匿名さん22/08/31(水) 06:56:07

    更新ktkr

  • 68二次元好きの匿名さん22/08/31(水) 08:25:37

    やったぜ

  • 69二次元好きの匿名さん22/08/31(水) 12:17:16

    勝ったな風呂入ってくる

  • 70二次元好きの匿名さん22/08/31(水) 18:54:37

    積み上げた信頼が崩れる瞬間は…美しいな…!
    いやー本当に崩れたわけじゃなくてよかった…

  • 71二次元好きの匿名さん22/08/31(水) 18:58:02

    今日中に続きは上げられなさそうなので場繋ぎにチユリの脳内イメージ置いておきます

  • 72二次元好きの匿名さん22/08/31(水) 18:58:26
  • 73二次元好きの匿名さん22/08/31(水) 19:29:53

    >>72

    か…かわいい……

  • 74二次元好きの匿名さん22/08/31(水) 20:23:24

    >>71

    さてはアラ^〜チルドレンだなおめー

  • 75二次元好きの匿名さん22/08/31(水) 21:14:22

    大好きな先輩は別の女を見てるしチユリちゃんかわうそ…

  • 76二次元好きの匿名さん22/08/31(水) 21:18:22

    思ったより千束っぽい雰囲気を纏ったサードちゃん来たわね…

  • 77二次元好きの匿名さん22/09/01(木) 00:29:24

    >>76

    なるほどな…

    頭も撫でるわけだ

  • 78二次元好きの匿名さん22/09/01(木) 00:40:07

    >>72

    千束の面影を重ねてるといっても信じるレベルで同系統の可愛さ

  • 79二次元好きの匿名さん22/09/01(木) 09:30:33

    >>72

    この顔で大好きな先輩の前でオドオドしちゃうのか

    ええな

  • 80二次元好きの匿名さん22/09/01(木) 13:29:52

    >>65

     部屋の中にことこと鍋の煮立つ音と、いい匂いが漂ってくる。

     リビングと寝室をつなぐ扉は開け放たれていて、ベッドの上から頭だけを動かして、敷居の向こう、台所に立つ人の姿を見つめる。

     たきながいる。壊れそうなほど、強く恋い焦がれた人が。

     恋って。

     誰に指摘をされたわけでもないのに、一人で勝手に顔を熱くする。

     たきなの腰まである長い黒髪は、後頭部で一つにまとめられ、頭が動く度に尻尾のようにふりふり揺れる。

     純白のエプロンをまとって、キッチンを右へ左へ忙しなく腕を伸ばす姿は、効率を重視するたきならしい。

     やっぱり、様になるなぁ。

     テキパキと料理を作るたきなは、見ていて飽きない。そもそも、たきなの姿を見ていて飽きることはないんだけど。

     たきなの手料理を食べられる。まさか朝の寝ぼけた願いが本当になるなんて思っても見なかった。

     なにせあの電話の後だ。

     最悪、関係を切られることも頭をよぎって、死にそうな思いで一人ぽつんと部屋で寝ていたあの時間。生きながらにして地獄にいるようだった、あの。




     玄関の扉を開けるとそこに立っていたのは、見慣れた私服に身を包んだ、たきなだった。

     おはようございますと、まるで何事もなかったかのように、いつも通りの調子で挨拶をしてくる。

     訳が分からなかった。

     昨晩のあれはなんだったんだ?

     ひょっとして私の夢だったのだろうか、なんて思ったが、続くたきなの言葉で、そうではないと確信した。

    「なんだ、思ったより元気そうじゃないですか。昨夜はすごい声を出していたから、心配しましたよ」

  • 81二次元好きの匿名さん22/09/01(木) 13:30:17

     たきなはふっと笑うと、少し張っていた肩を下ろす。
     やはりあの記憶に間違いはなかったようで、ならば尚のこと、たきなの態度が分からない。
     寝ます、とバッサリ一言だけ残して電話を切られたあの態度はなんだったんだ?
    「遊びにいきましょう、と思っていたのですが」
    「………………あぁ?」
     今度は遊びに?
     今日は何もなければリコリコで仕事で、私は無断で休んでて、それなのにたきなは私を遊びに誘って……?
     もう頭はパニックで、疑問符ばかりが浮かんでくる。
     そして何よりも、無視できないものが、
    「…………たきな。それ、なに」
     たきなの腕に、大事そうに抱えられた"それ"を指差して聞く。
     チューリップ。
     真っ赤な。
     それも何本も。
     え、なにそれ。
     本当に訳が分からなかった。
    「ああ、これは……店長に相談したら、こういうのがいいと」
     ……は。
     もう疑問符すら出てこない。
     昨夜の何をどう相談すれば答えが花束になんの。
     っていうか先生に話したの。あれを。嘘でしょ。
     ぐわんと視界が揺れて眩暈がする。電話の後とはまた違う絶望感で、全身から力が抜けていく。
     あ、そういえば熱もあったんだ。
     なんだか色々と衝撃的で立っていられなかった。
     音も景色もぼやけていく世界の中で、たきなの声だけが響いていた。

  • 82二次元好きの匿名さん22/09/01(木) 13:30:44

     そして今、漂ってくる食事の気配で目を覚まし、私は自室のベッドの上で転がっていることを確認したところだった。
     少し離れた場所から、キッチンに立つたきなの後ろ姿を見て、本当に綺麗だと思う。
     いつまでもその姿を見ていたいと思うし、同時にたきなも私のことを見てほしい、と思う。
     ぼんやりとそんなことを考えていると、たきながこちらに顔を向けて、ばっちり目があった。
     固まる私を余所目に、たきなはお鍋の中身をカップへと移しておぼんの上に乗せている。
     そうして一通りの作業を終えたらしいたきなは、ベッドの脇へと料理を運んできてくれた。
    「目が覚めましたか、千束」
    「……おう」
     おぼんの上には、温かそうに湯気を立てているジャガイモとたまねぎのスープ、梅干しの乗ったたまごのお粥、ゼリーとスポーツドリンクが並べられていた。
    「食欲が無ければ、食べられる分だけでも」
    「ん……ありがと」
     一言感謝をし、おぼんごと受け取ろうと手を伸ばす。のだが、ひょいと料理を下げられてしまった。
    「千束は倒れるぐらい具合が悪いんですから、大人しくしていてください。」
     そう言うとたきなは膝の上におぼんを置き、お粥をスプーンで一口掬って、顔の前に差し出してきた。
     いわゆる「あーん」の形。
    「……………………」
    「……? 千束?」
     家にたきなが来ることから始まって、何度も続く想像もしない展開に、熱で浮いた頭はもうすっかりついていけない。
    「あっ」
     たきなは、固まったままの私を見てなにか思い付いたのか、ハッとした表情を浮かべ、熱そうに湯気の立ったおかゆを自分の口許に運ぶ。

  • 83二次元好きの匿名さん22/09/01(木) 13:31:03

    「ふー、ふぅー……どうぞ」
     いやいやいや、どうぞじゃなくって。
    「たきな、どうして家に……」
     最初からずっと疑問だったことを問う。
     一緒にいた"あの子"のことはずっと聞けなかったのに、こんなことは随分簡単に聞けるんだな、なんて自分に呆れながら。
    「どうして、ですか。……千束が時間になっても出勤してこないので、電話もかけたのですが繋がらず。店長に昨夜のことを説明したら、行ってこい、と」
    「あぁ、うん……そういうことじゃないんだけど……やっぱり"あれ"のことはもう言っちゃったんだ……」
     玄関で聞いた話に間違いはなかったようで、力が抜けて自然とガックリうなだれる。
     私が聞きたかったのは、昨夜のことをたきながどう思っているのかだったのだった。だけど正直にたきなの口から答えを聞くのは怖い。だから、たきなが触れないというなら、敢えて触れることはないのかもしれない。うん、そういうことにしておこう。
    「あはは……まあ、いいや……」
     困惑はするけれど、今はたきなの普段通りの態度が、とてもありがたい。
     たきなは、なにかピンときていないような顔で相変わらずスプーンを差し出している。
     いただきます。自分にも聞こえるか聞こえないかほどの声で呟いて、あーんと口を開ける。
     かつ、と小さく歯に物が当たり、口の中に異物が入り込んでくる感触。それを受け入れて口を閉じ、異物が引き抜かれるの待って、租借する。
    「ん……おいしい」
    「よかった」
     二口三口と、たきながご飯を口に運んでくれる。
     スープのジャガイモは、少しふーふーしたぐらいじゃ熱々のままで、口の中を火傷しそうになりながらはふはふしたけど。けど、どれも美味しくて、温かくて、涙が出そうになる。

  • 84二次元好きの匿名さん22/09/01(木) 13:31:26

     もう終わりだって思ってた。
     たきなにあんな情けない姿を見せて、きっと失望されたって、愛想尽かされたって思って。今度こそ一緒にいられなくなるんじゃないかって、不安で、悲しみで、押し潰されて。
     でも、今たきなは目の前にいて、私のことを見てくれていて、優しく微笑んでれている。
     それが本当に、心の芯まで抱き締めてくれるように暖かくて。
    「ふっ……ぅぅ……うぐぇ……」
     気づけば涙が溢れていた。
     昨夜まで私の胸を締め付けてきた痛みとは、全く別種の痛みがお腹から喉に向かって込み上げてくる。
     美味しい。たきなの手料理をまたこうして、それもたきなが食べさせてくれている。
     空も見えないような奈落の絶望から、たきなは私をすくい上げてくれる。
     こんな幸せを、私はまだ享受できている。
    「千束」
     かちゃん、と物を置く音が聞こえたかと思うと、隣から優しい音色が響いて、ふわりと花の甘い香りが頭を包む。
     たきなが、私の頭をそっと抱えていた。
    「昨日から、泣き虫ですね」
     誰のせいだと、と言いたい気持ちを「いや、私のせいか」と思い直して、胸の内に押し留める。
     たきなが私になにかをしたのではなく、私が一人で勝手に転んで傷ついただけ。
     たきなはなんにも変わっていない。私の知っているたきなだ。
     私の、たきな。
     たきなの背中に手を回して抱き締める。
     変わらずに細いその体は、なによりも頼もしくて、大きく感じた。

  • 85二次元好きの匿名さん22/09/01(木) 13:31:42

    ここまでです

  • 86二次元好きの匿名さん22/09/01(木) 14:09:44

    たきなが花束持ってくるのか、、、、、、いいね!!!!!

  • 87二次元好きの匿名さん22/09/01(木) 15:37:37

    やるなぁミカ

  • 88二次元好きの匿名さん22/09/01(木) 16:17:11

    たきな、千束を頼む

  • 89二次元好きの匿名さん22/09/01(木) 19:32:53

    店長ナイス!

  • 90二次元好きの匿名さん22/09/01(木) 19:34:06

    ミカは恋愛経験あるもんな…

  • 91二次元好きの匿名さん22/09/01(木) 19:39:12

    凄い好きな文章とシチュエーションと激重がクリティカルヒットしてるのだけど、嘘だ、千束流の強がりだ、とか、けど、その暖かさを持ったたきなが、の突然の富野節と言うかそれっぽいワードで辺な笑いが止まらなくてそのバランスが素晴らし過ぎて何が言いたいかと言うとすごくすごいです。すごい。

  • 92二次元好きの匿名さん22/09/01(木) 22:08:29

    >>90

    なるほど……

  • 93二次元好きの匿名さん22/09/02(金) 03:19:38

    >>86

    ミカに聞いて…というたきなならやりそうな

  • 94二次元好きの匿名さん22/09/02(金) 11:45:05

    >>84

     心地よく乾いた風が頬を撫でる。快晴の空の下、無意識に弾む足取りは私の心をそのまま形に現していた。

     鬱陶しいぐらいに眩しい太陽も、見上げてみれば「元気に輝いてますなぁ」と、今の私には苛立ちにもならない感想の下敷きになる。

     店先に出された手書きのポップには、可愛らしい文字で今日のおすすめメニューが紹介されている。隣に描いてある生き物らしい顔は、猫だろうか。よくわからないけど、先輩が描いたのなら可愛いと思う。"猫が"ではなく、これを描いた"先輩が"可愛い。この猫みたいなのは……うん。

    「ほぉー」

     ここが先輩の働く喫茶店で、所属するDAの支部。

     私、黄名瀬チユリは現在、リコリコという喫茶店の前に立っていた。プライベートで。

     ネットで調べれば、そこそこに名も知られているようなお店らしく、一時期は奇抜なスイーツメニューで大盛況だったこともあるらしい。

     ネットに上がっていた画像では笑顔の先輩がたくさん見られて嬉しかったけど、あのスイーツはちょっと奇抜すぎだと思う……先輩みたいな美少女にあんなもの持たせるなんて、一体ここの店主さんはどんな下劣な趣味をしているのか。先輩、もしかしてセクハラとかされてるんじゃないのか、それが心配だった。

    「いや、でも先輩の上司だし……いい人だよ、きっと」

     きっと天然とかそういうのが混じってて、先輩も優しいから、あのスイーツの変な形を指摘できなかったんだ。たぶん。

     肩に下げた鞄の縁に指先を伸ばし、ぶら下げた大切なキーホルダーの存在を確かめる。暇さえあれば指でずっと触ってしまうぐらいには、癖になっていた。

     ちゃり、と軽快な金属音を鳴らして揺れるそれを確かに握り締めて、ごくりと喉の奥に緊張を飲み込む。

     いざゆかん。

     大袈裟にも思える覚悟の気持ちで、お店の入り口へと手を掛けた。

     頭上で来客を歓迎する鐘が鳴り響き「ぃらっしゃいませ~」と覇気を感じない女性の声が耳に届く。

     店内は明るくモダンな雰囲気で、所々に当てはめられた和を感じさせる内装が、全体の落ち着いた色合いとマッチしている。

     外観同様に中々お洒落なお店だ。ネットに上げられた画像の背景として見るのと、実際にこうして全体を見るのとでは、受ける印象は大きく変わる。

  • 95二次元好きの匿名さん22/09/02(金) 11:45:29

     お昼前にも関わらず、店内に他のお客さんは片手で数える程しかいないようで、畳の座敷席でなにかうんうんと唸りながら作業をしているお姉さんだったり、それを近くの席で笑いながら見ているおじさんだったり、常連さんっぽい雰囲気を感じる。
     お店に入る前、忙しくない時間にすればよかったと少し後悔していたので、これは運がよかったとも言える。
    「ですので、店長に相談を」
    「うぅむ……」
     店内を見回していると、カウンターの奥から聞こえてきた声に、どきりとする。
     先輩の声。
     高く透き通った、涼風のように耳を撫でる優しい音。
     目的の人物を求めて、カウンターの奥を覗き込むように視線を伸ばす。
    「あの~、お一人様? どったの?」
     不審な動きをしてしまっていたようで、和服をきた女性が困惑気味に声をかけてくる。
     ネットの画像でも見た店員さんだ。私よりも頭一つ分ほど背が高く、赤縁の眼鏡に川のように流れる長い茶髪と、和服の上からでも分かる胸の膨らみが大人の雰囲気を醸し出している。一言で表すなら、美人さんだ。
    「あ、すみません。井ノ上先輩……井ノ上さんってここのお店にいらっしゃいますよね……?」
    「井ノ上……あー、たきなのこと」
     お姉さんは一瞬、誰のことか分かっていないようだったが、すぐにピンときたようで手をポンと叩く。
     下の名前じゃないと伝わらないぐらい、名前で呼ぶのが当たり前の関係、ということか。このお姉さんが少し羨ましい。
    「たきなー、お一人様ご指名だよー」
    「そういうお店じゃないです」
     カウンターの奥からピシャリと叩くように、鋭い声をあげながら先輩が顔を出す。
     前に先輩と会った時には、全く聞かなかった声色と険しい表情に、思わずおおぅと声がこぼれる。
    「チユリ」
     カウンターの奥から顔を覗かせた先輩は、私の姿を見つけて少し驚いたような表情をした後、すぐに表情を柔らかく崩して微笑んだ。
     長い髪を肩から二つに分けておさげにした、少し幼さを感じる髪型。ネット上の写真でも見たけれど、実際に見てみると、これは想像以上に……可愛い。

  • 96二次元好きの匿名さん22/09/02(金) 11:45:50

    「ああ、あのあの、ここ、こんにちは!」
    「おわ、急にどもるな……」
     やはり先輩を前にすると、思うように口が回らない。
     店員ながら堂々カウンター席に腰をかけたお姉さんが、私の様子に引いてるようだった。
    「どうしました? なにか用事でも……」
    「あー、その、えっと……いや、」
     そんな私を前にしても、先輩は相変わらず「ん?」と優しげな表情で喋り終わるのを待っていてくれている。女神だ。
    「くょ、今日はー、先輩のお店、に、来てみたくて……みたいな……」
     尻すぼみになり、後半はほとんど声にならなかった。遊びにきましたと伝えるだけのことが、なぜこれほどまでに困難なハードルなのか。このハードルを設定したバカ者は、一体どこのどいつなんだと神様に問い詰めてやりたい。
    「たきなの店ではねーけどな」
    「いちいち茶々を入れなくていいです。チユリ、空いている席に座ってください。少し待って」
     またピシャリと叩くような声で、先輩がお姉さんを睨み付ける。先輩のこうした一面は、きっと親しい相手にこそ見せる一面で、私にはまだまだ引き出せない先の領域にある先輩の顔なのだと思うと、今までの先輩の優しさが、少し他人行儀に感じてしまう。こんな私は、きっとワガママなんだろうな。
     先輩に言われるまま、カウンターの席に腰をかける。かけて、どうすればいいのだろう。先輩はまたカウンターの奥へと顔を引っ込めてしまっていた。
    「あんた、たきなの後輩?」
    「え? あっ、はい。そうです。学校の」
     二つ離れた席のお姉さんが話しかけてくる。外見の割に相当フランクな人のようだ。
    「てことは、そういうお仕事ね」
     そういうお仕事。このお店のことは、春川先輩に聞いた。DAの支部で関係者が経営しているのだと。つまりこのお姉さんも、DAの事情に詳しい関係者なのだろう。気怠そうに肘をついている姿からは想像もできないが。
    「てか、なんか注文ある? 奢らないけど」
    「え、あっ。メニュー、失礼します」
     言われて、慌ててメニューを手に取る。できれば先輩に注文したいな。少し待ってと言われたし、しばらくメニュー表とにらめっこしながら悩んでみよう。メニューにスマイルとかないのかな、なんてバカなことを考える。

  • 97二次元好きの匿名さん22/09/02(金) 11:46:17

    「なるほど。指定の品種はありますか?」
    「指定……って程のもんはないが……」
     カウンターの奥からは先輩と男性の渋い声がぽつぽつと聞こえてくる。聞くになにか相談しているようで、どうにもタイミングの悪い時にきてしまったらしい。
     このままなにも注文しないでいるのも据わりが悪いし、一度軽いメニューで注文して、その間に先輩を待つことにしよう。
    「あの、お姉さん、いいですか? この団子三兄弟を」
    「お姉さん」
     暇そうにテレビを眺めていたお姉さんが、突然目をキラキラ輝かせてこちらを見る。
    「はー、あんたいい子ね~! たきな、あの後輩見習いな」
     お姉さんは立ち上がってウキウキした足取りで、そう言いながらカウンターの奥へと向かっていった。
     反応から察するに、先輩はあのお姉さんをあまりお姉さん扱いしていないのだろうか。昔の先輩なら確かにそういうところがあったのかもしれないが、今の先輩からはあまり想像できないなぁ。さっきからの態度を見ていても、あのお姉さんはもしかしたら結構だらしない人なのかもしれない。
    「チユリ。すみません、待たせてしまって」
    「あっ、えっ、あっ、いいいやあの、全然ぜん…」
     いつの間にか先輩が隣に立っていた。
     さっきは頭しか見えなかったが、全身にはお姉さんと同様のお店の制服をまとっていて、全体的に青い和服は二つに分けた黒髪のおさげと見事にベストマッチなカラーリングだった。
    「せっかく来てくれたのですが、私はこれから用事があって外出するので」
    「えっ……あ……そう、なんですね……」
    「すみません……」
    「そそ、そんな別に! 謝るようなことじゃないですよ! 気にしないでください!」
     そうなんだ……。

  • 98二次元好きの匿名さん22/09/02(金) 11:46:38

     確かになにか約束していた訳でもないし、私が突然お店に来ただけなのだから、先輩が用事で出かけるようなことがあっても誰が悪いと言えるわけでもないが。でも、やっぱりタイミングの悪い時にきちゃったみたいだなぁ……。
     先輩は申し訳なさそうに、お店の奥へと消えていく。恐らくは制服を着替えるのだろう。
     溜め息にはしないが、傍目に見ても丸分かりだろうぐらいにはガックリと肩を落とす。自分の運のなさにも、先輩に気を遣わせてしまったことにも、気が滅入る。
    「はいよお待ち! ……どったの?」
    「あ……いえ、なんでも……。ありがとうございます、いただきます。」
     お団子を運んできてくれたお姉さんが、露骨に落ち込んでいる私を心配して声をかけてくれる。しかしこんなことを誰かに言っても、なんとも変わるわけでもないし「先輩がいなくて寂しいんです」なんてことを言えるわけもない。
     一言お礼を言って、お団子を受けとる。こんなことなら飲み物も一緒に注文しておけばよかったな。そんなことを言っても、予想もしていなかった展開だし、仕方ないけど。
     もそっとお団子を一口含んだところで、着替えを終えた先輩がお店の奥から姿を見せた。リコリスのセカンドの証である紺色の制服に身を包んだ先輩は、私服の時とはまた違う凛とした雰囲気に包まれていて、見惚れてしまう。
    「たきな。あーその、なんだ。あまり刺激しないようにな。いってこい」
    「……? はい、いってきます」
     大柄な黒人の男性がひょっこり顔を出して、先輩に一言アドバイスらしき言葉を送る。この人が店主さんだろうか。見ればあのパフェを考えそうな顔をしているような気がしないでもない。
     先輩は店主さんの言葉に首を傾げ、「分かりました」とは言わずに返事を返して、お店を出ていった。
     あーぁ、本当に行っちゃった……。
     その背中を黙って見送ることしかできず、木枯らしのような冷たさが胸の中を撫でていく。

  • 99二次元好きの匿名さん22/09/02(金) 11:46:57

    「ほぉーん、なるほどねぇ……」
    「……あの、なにか?」
    「いやいやなんでも、どうぞごゆっくりしていってくらぁーさいな」
     振り返ると、お姉さんが意味ありげに私の方を見て頷いていた。なにかと思って聞いてみたが、手をひらひら振って誤魔化された。
    「まあ飲めよ」
    「えっ」
     またしてもいつの間にか、隣に、今度は小さな人影が立っていた。お店の制服ではないが、小さな女の子が、コーヒーと砂糖を置いてくれる。
     ライトブルーの瞳にウェーブのかかった、これまた長い金髪の前髪をリボンで止めておでこを出している。
    「ボクからだ。元気なさそうなんでな」
    「あ、どうも……キミは、お店のお手伝いかな?」
    「失敬な。立派な職員だ」
     そっかそっかー、すごいねー、と頭を軽く撫でてあげる。先輩に頭を撫でてもらったことを思い出して、私もやってみた。女の子は背伸びしたい年頃なのか、ムスっとした顔をしているが、よく見れば顔が赤く照れ臭そうだ。かわゆいのう。その愛くるしさが、先輩のいなくなった虚しさを少し埋めてくれたような気がする。
     そのまましばらく撫でていると、女の子は私の手を振り切ってお姉さんと私の間の席に座り、店主さんにお菓子をねだっていた。タダ飯食うな、とお姉さんがぼやいているのが聞こえる。
    「お子さんですか?」
    「ま・さ・か!」
     お姉さんはわざとらしく頭を振って、女の子の頭をバシバシ叩いた。自分の子供じゃないなら、叩くのはアウトな気がするが。
    「こいつもここのメンバーよ」
    「……えっ」
     その言い方から「喫茶店の」ではないのだと察する。
     え? こんな小さな子が?
     間抜けに大口を開けているだろう私を見て、ふふん、と女の子が鼻を高くする。

  • 100二次元好きの匿名さん22/09/02(金) 11:47:13

     世の中わからないもんだなぁ。
     ずず、とコーヒーを一口。
     口の中でお団子の甘味とコーヒーの苦味が、お互いの味を交互に引き立てあう。これは、美味。
     できれば、先輩に運んできてもらって、先輩の前で味わいたかったなぁ。先輩が出ていったお店の入り口に再び視線を送り、少し憂鬱な気分に包まれる。
    「お前はそっちか?」
     隣から脈絡のない質問が飛んで来る。振り返って見ると女の子のライトブルーの瞳がまっすぐにこちらを見据えていた。質問の意図を掴めないでいると、どぐぉ、と呻き声を立てて女の子の体が跳ねる。
    「おほほほ、お気になさらず~。……やめろこのバカ」
    「だって……」
     お姉さんに耳をつままれてなにか怒られているようで、一体どんな意味の質問だったのかますます興味を引かれるのだが、この様子だと教えてはもらえなさそうだ。
     聞き出すのは諦めて、今日は色々と運がなかったのだからしょうがない、と気持ちを切り替える。せっかく美味しいお団子とコーヒーなのだし、これはこれで楽しんでいこう。
     先輩の連絡先は持っているのだし、次は事前に連絡を入れて遊びにこよう。その時にはまたお出掛けの約束なんてしちゃったり……。
     自然と顔がにやけるのを止められないまま、女の子にもらったコーヒーに、少しお砂糖を落として、くいっと香りごと口に運ぶ。うぅむ丁度いいほろ苦さ。今の私の心境のよう。あ、なんか詩的。そうでもないか。
    「あ、ちなみにボクは奢らないからな」
     金取るのかよ、クソッタレ。

  • 101二次元好きの匿名さん22/09/02(金) 11:47:30

    一旦ここまで

  • 102二次元好きの匿名さん22/09/02(金) 13:30:48

    まさかリコリコまで来てるとは……

  • 103二次元好きの匿名さん22/09/02(金) 14:29:35

    お店まで会いにきたけど千束優先のたきな…

  • 104二次元好きの匿名さん22/09/02(金) 17:08:02

    チユリちゃんが可哀想だよ、、、どこかで千束とチユリのバランスって取れないんですか、、!!

  • 105二次元好きの匿名さん22/09/02(金) 19:22:58

    そしてあーんしてるちさたき…

  • 106二次元好きの匿名さん22/09/02(金) 20:36:23

    これたきなが昨夜の千束の暴走を録音してて、店長にそれ聞かせて相談してたりすんのかな?

  • 107二次元好きの匿名さん22/09/02(金) 21:52:33

    >>104

    そもそも最初のデートから…

  • 108二次元好きの匿名さん22/09/02(金) 22:53:53

    たきなが肩の力を少し抜いたらモテるのは死ぬ程わかるが重い女ばかり引き寄せるのはなんなの?そーゆー星の下に生まれちゃったの?そこでバランスなの?

  • 109二次元好きの匿名さん22/09/02(金) 22:57:09

    >>108

    それこそが神からのギフトなんだ

  • 110二次元好きの匿名さん22/09/02(金) 23:05:41

    >>108

    たきなが無意識に引き寄せられている可能性もある…

    蜘蛛の巣に引っかかる蝶々

  • 111二次元好きの匿名さん22/09/02(金) 23:26:10

    これ店長どころかリコリコ全員にバレてません?

  • 112二次元好きの匿名さん22/09/03(土) 02:11:54

    >>111

    肝心の想い人には気付かれていないからセーフ

  • 113二次元好きの匿名さん22/09/03(土) 06:10:56

    >>100

     深い海の底にゆっくりと沈んでいく感覚。こぽ、と小さく吐き出した息は一粒の泡になって、徐々に小さくなっていく水面の光へ向かってゆらゆら泳いでいく。

     何故かその吐き出した泡が、とても大切なものに思えて、私もその泡を追いかけて光へ向かって泳ぐ。手足を懸命にばたつかせて、沈む体を水面へと押し上げる。だが体は思うように浮かばず、何かに足を掴まれているかのように、どんどん水底へと沈んでいく。

     顔を下に向けるとそこには、一条の光も差さない一面真っ暗闇の世界が広がっている。全身がぞわりと総毛立ち、体が硬直しそうになる。その闇から逃れようと更に手足を伸ばして懸命にもがいた。

     必死に、必死に。

     それでも体は沈む一方で、泡は留まることなく上へ上へと向かって小さくなる。ごぼ、と大きな泡が口から溢れ、体は動かなくなり暗い海の底へと沈んでいく。

     手を伸ばして声にならない叫びをあげて。

     待って、いかないで。置いていかないで。

     あなたは、わたしの、

     

     突然に鳴り出した真夜中のコールに、頭を叩き起こされた。

     その日はいつものようにリコリコで働いて、帰ってきて家事をして、ベッドに入って就寝と、別段いつもと変わりのない普段通りの日常だった。

     この着信音は、千束。それもメールではないようだ。

     眠気に引きずられる体でなるべく素早くスマホを手に取り、画面の時間を確かめる。深夜の二時。

    「ふゃい、もしもひ……ちさと?」

     今にも落ちてきそうな目蓋を、手で擦ってこじ開けながら電話の向こうにいる、その人へと声をかける。

     返事はなく、何か動くような物音もない。

     まさか千束の身に緊急の事態が、と頭によぎった瞬間、脳は即座に回転し眠気を振り払って冴え渡る。

    「……千束? どうかしたんですか?」

     再度の問いかけにも、返事はない。

     わずかな物音すら聞き逃すまいと、耳に全神経を集中させてスピーカーを押し当てる。

     よく聞くと、静寂の中に微かな音が混じる。

     すぅ、ふぅ……呼吸のような音。その微かな音は、普通に考えるのなら、千束のもののはず。

    「千束、なにかあったんですか? 返事をしてください」

     三度目の正直。

     再三の呼び掛けにも反応がないのであれば、千束は今、返事もできない状況下にあると見るべきだ。

  • 114二次元好きの匿名さん22/09/03(土) 06:11:22

     反対の空いた手は既に、リコリスの制服や諸々をしまってあるクローゼットの扉を開けて、道具に手を掛けている。
    『……………………』
     すぅ、と小さいながらも、今までよりは大きく息を吸う音。
    『たきな、あのね』
     千束の声。
     そこに切迫したような緊張感はなく、ゆっくり語りかけるような語調に、私が思っていたような事態ではないことが窺えて、ほっと胸を撫で下ろす。
     よかった。
     しかしそうなると次の疑問が頭に浮かぶ。
     こんな深夜に千束は一体何を私に言いたくて電話をかけてきたのだろう。大抵のことならばメールで送って、朝にでも返信を待てばいいのだし、お店で会って直接話すことだってできる。
     それがこんな時間にわざわざ電話をかけてきたということは、すぐにでも私に伝えたいことがあるのではないだろうか。
    「どうしたんですか、こんな時間に」
     思った疑問を率直に伝える。
     もしかして、何か思い悩んでいることがあるのだろうか。そう考え、意識して、努めて優しく声をかけるように心がける。
     電話の向こうから、ぐっと息を飲む音が聞こえて。
    『すい、ぞくかん、』
     痛みを堪えるような、か細い声。
    『すいぞくかん、で、みか、けて』
     千束の声は最初と違い、がらがらと震えていて上手く聞き取れない。水族館、と言っているのは確かなようだが。
     水族館。
     千束と最後に行ったのはいつだろう。また行こう、という話なら、こんな時間に電話である必要はないと思う。
     それ以外で直近で思い当たる節と言えば、チユリだ。
     今から二週間ほど前に、チユリと水族館へ行った。もしかして千束はその事を言っているのだろうか。
    「水族館……? ええっと……あ、先々週の?」
     あの日、千束は楠木指令からの依頼で仕事に出払っていたはず。誰かから聞いたのか、あるいは仕事が早めに終わって千束も遊びに来ていたのか。
     なんにしても、聞いてみないことには始まらない。
    「千束も来ていたんですか? それなら声をかけてくれれば一緒に……」
    『いっしょにぃ゛……っ!!! いっしょ、に……いた、』
     突如、劈くような悲鳴にも近い声が耳に突き刺さる。小さな声も逃すまいと耳を澄ませていたからか、千束の声が頭の中に、きぃーんと金属音のように反響して脳が揺れる。

  • 115二次元好きの匿名さん22/09/03(土) 06:11:46

    『だ、たぎな……すいぞぐかんで……いっじょにぃ……』
    『おっ、おん、おんなのごどおみ、やげ……』
    『かひっ……でるの……みででぇ……』
     視界が眩むほどの凄まじい衝撃だった。キンキンと未だに頭の中で音が響いている。
     電話の向こうで喋っている千束の声も、なにやら濁音混じりになってきて上手く聞き取れない。
    「あの……千束?」
     私も千束も状態がよくないと思い、ここは一度落ち着いてからタイミングを見て話すべきだと判断する。
     まずはそれを千束に伝えて、
    『なんでっ、ど、どうじてあのごなの? すいぞっかん、いいっじょにいっだのに、わだじ、だぎ、だぎなど。だれなの、あのっ、こ、。どう、どしでおじぇえてくれながっだの? だぎながっ、お、おやすみとぅる、とぎにきいだよわだじ、なでやずうのっ、。おうじがあぅっべ、だぎなうぉれしがいっで、ぅえながったん、なん、なんれ? わだじば、えながったの? わだ、じあいおぅらど、だぎなの、ばーなー、あお。なんっなんべええなでぃの? わだじのぎもっ、ばどぅなるど? だいじなごなの? おじーどよでぃ? ばばじおり? ずいぞ、が、わだじとだったのに、わらひのなど、に。なんで、ほがのごでれてっだのぉ? わら、だひだったの? どっべぅだの、だぎあどど、べうの、わだひの、だぎなの。べぅどうひでぇ?』
     …………。
     ……………………。
     ………………………………。
    「千束っ……」

  • 116二次元好きの匿名さん22/09/03(土) 06:12:18

    『ねぇなんべ! ばーじーでぅのにおばえどょ! わだぎなのどいっぺーでぅ! あーごよりもずっど! なんでだぎわだじのぃだないどごーでばばっでーの! おーるいだっで、ばーじもあぎなとじだぃょ! おーろいだっであーでおじいっだ! わだぃ、てーないで、だいえーだごだっであーい、うぇだっへざわったひ! ふぅだ、へわだ、が! あいなふぐもひーないのへた……いーぢょわだいのぎはおなじのいでうーの、いづも。なんで? あのおにらーんでもらっの? だぃなんでもおっだの? あだちがめっちゃかわいいっでったのなんどもおぅわったの、だーでもぉがっんだ、だぁらいでるのおなじで、ふぶとかごょみとがなっで、どーだぎなあわいいが、わだ、おじゃえーてほじぐで、あぎなおーこんでうぇるとってだが、うづもづーでぃでぐぇ、えじぐで。めいわぐだっだ? ぐざがった? ごぇん、でもだぎあがばびのえぁんだふーぐでるの、うぇしがっだの。でおいやだっだらって、もうじないから、なおすがら、だぁら嫌いになーないで。でぃなあぇっでぐれないがーないの。うぐのことえーしいが、こーみか、そういのえっでうぇないから。だからもっとおしえで。もっとわだいのことしゃべっへ、ねぇしゃべっへだぎだ、おうえでわだじのーと、だぎなのーと。ねぇたぎな、わだひもたきなのーとはーずから、だぎなからもながあして? ちゃんときぐから。いーでう? いーでるよね? えんばながってぅもんね。なんでこだへっくれないのたきな。わだしたーなとぐべつの、あらしいらぼうっていーたときすごくべーしがったの、たぎながおいせにいてかーのあじめへのほだっだから、がーらとぅべぅなーぼだっへもっへーの。もおっでたの。あーなはうの? わだじのごどだーのあいうぉーじがもっでながった? いごどのがんえーだけだっだ? いっあーいっおぐごっで、どぅえいもじで、わだじのーえにうぶないもーたぐさんしてぐぇ、わだひたぎなにだいえふにざれでぅっべ、たぎぁがおうべぅにあつあってうぇーるっておべってた。えーじがっだよたぎな、わだひもっどもっどえぎだいっておもえだから、たぎなのおあえで、わだはひぎなのおまっでいぎでるんだ、わだじたぎなでい

  • 117二次元好きの匿名さん22/09/03(土) 06:12:40

    ぎれる、たぎなーの、えっぶ。だぁらりだいのたぎなーのど、だーなのれぶ、どぅえでだぎな。たぎなのいなころもいだないころもあだじうけれーぶ。いーだくないころも、だいなーらだいぞぶ。だからいっべ? たぎなのこどもっどじえで。でんばがだべならちょぐせっちょ、いごぅよあぞびぃ、ずいぞっがぁ、わだじの。ほがのーどいがなーべ。ぞんだーよ、うーじぃよ。いまだっへあのこーとうーじぃ。たぎなあっでたもん。わだいのらーないごに、だのーぞうだった。ぞんなのいやだ。わだじやだ。わだーとるとぎたのしぐない? わだじとーろぐながった? ごえんえ、わだじはたぎなとーるだでたのじがっだーら、たぎなのーときづいらーれながった、こんどかーらって、がんばぅらーし、だぎあのおとたのしまーえてあげらーるよにすぅ、だからいかないでいっぞにえて、わだじのーろいて。あのごーにがないで、おいていがないで。ね、ね? わだじたぎなとばーてえーしぃよ、うえし……もじかしてたりながっだ? だぎなはそれじゃーめだっは? たぎなはうれしぐない? あへおかっだっでまへってぐれあ。わだひーれかっだのわだひだけじゃなくて、たいなもなんだって。かんいがいじゃないよね、わだじそーうのじゃなーね、ね。じゃあおじーて、ないがーめだったのだし。えっだいなおすよがんあう。あのえわだひうっとたぎなのーとかんがーでたん。このいーだからうと、もっおえからずっとだっへ、さいきんあも。たぎなはわだちのっとかんえてくれてた? すごすらいはかんなえてぐえた? ぞっどはかんべたのね、だいぼーだぼ。もっどかんなーでだりしなね。おじおどもどわだじのことがんだべでーた? だきなーれかのえんだうしだのね、ばーってだ、わだしじゃなーの。だーか。だえ? あの子? えのまーじわだーたのに、わだじがえばんがながった。なんで? おじゃれいだがっだし、こっぢっでほじかっだい。ねぇいーでるたいな? たいな、あいな? なんでばらじゃなかっとぅ、いまもうじじゃないの? だからまっでぅの? あのこぅるの? そこうるの? だれなの? どんなかんえーの? だいじぇのこの? わだじよいも? ちがうよね? うそだよね、わだいがいーばんどうえぶだっは、いっべ、いっでよだいな。わだじごんばーびのいいばいのい、たぎなわがっえくべなー、わがって。わたじーばなの、たぎなのいーば、いーばんべ。わだいも

  • 118二次元好きの匿名さん22/09/03(土) 06:13:01

    たぎながいぢばだーら、だからーで、わだいのばにーで、あいにーで。たぎぁ、うぐにーで、いっぞーよ? わだじーごにう、わがままーなび、たぎなにめーがぐがら。ごあんつぐーよ、おぶりーぶもぶーよ。たぎがーれっでうーらんでもーる。なんでもーるでぐ。だがらーにならないで、ぎらーれだぐな。いあだ。やーなの。いっぞにだーいの、ぞらーれがら、ほがにーながら、たぎなだげぼぅ。たきながれいぼうればい。ねえだぎなわーじでる、くちぶーぢゃべ、ぢがれう。だきなみで。みにーで。なおじで。いだいの、いばいよ、いだぃ……だぎばぁ……うぇ、くちぶぅなんがんがいの……いだいんだよぉ……ぅぅ、うぇえ、たぎなぁ……ぅぅじぃ……まだーこーぼいぞっが……だぎながらべれっべ、わだじだげれっで……ほがのごだっで……ふぐだっで、えーぶぜんだーで……わだじどいっぞにだご……つりぼる、こーべ……ほがのだえのがないで、いっぞがないで、わだじのーで……わだいどたぎなのべ……なんべつれべる……わだひのごとうわばき、ぬりかべ、わずるの……? わだいどのいで……やえて、八女でよぅ……やだよぅ……たぎなーとじがい……たきなだえかならいで、かえないで……おなじーて……へんになっだぅ……わだじ、えん……あがってぅど、もぅへんどぅ……おがあし……でもだっで、だぎな……うぇ……だっでだっでだいば、だぎな、だぎばぁぁ……ぁぁ……ぅあぁぁ……」

  • 119二次元好きの匿名さん22/09/03(土) 06:13:33

     ……………………どうしよう。
     どう考えても完全に止めるタイミングを逸した。
     電話の向こうでは千束が完全に白熱していて、なんだか凄いことになっている。
     ただでさえ涙声の早口で呂律もまともに回っていないのに、言葉の合間合間には「うぇっ、おぇっ」と嗚咽が混じり、途切れ途切れで全く聞き取れなかった。
     辛うじて聞き取れたのは、一番最初の「水族館で一緒にいた女の子」の辺りだけだった。
     あとの部分は内容もさっぱりだし、千束の口が動き続けている間ずっとびちゃびちゃとヨダレかなにかの水音も絶えず聞こえてきていて、耳に直接粘液を注がれた気分だ。
     お土産のことも言っていたような気がするし、千束が言っている"あの子"というのは、チユリのことなのだろうけど。
     相変わらず電話口の向こうでは千束が、おうおうと止めどなく涙を流しているようだった。
     どうしたものか。
     今の千束には、何を言っても多分、通じない。
     落ち着けと言ったところで、またヒステリーを起こして喚きだすかもしれないし。
     落ち着くまで待ってもいいのだけれど、この千束が落ち着くのにかかる時間は、どれくらいだろう。
     ……十分や二十分では、到底無理だと思う。
     時間帯は深夜二時過ぎ。
     腰を据えて、ゆっくり落ち着いて話すには、少々頃合いが悪い。
    「……千束」
     ならば私の結論はこうだ。
     ハッキリと強い意思をもった声で千束の名を呼ぶ。
     電話の向こうで息を飲む音がして、泣き声がピタリととまる。
    「もう遅いので、寝ます」
     明日……正確には、もう今日か。
     今日の朝でも昼でも、直接会って話そう。
     寝れば千束も落ち着くと信じて、今はもう寝よう。普通に眠いし。
     千束の身が危険とかじゃなくて、本当によかった。電話を切って、一息つく。
     ある意味、危険かもしれないしれないけど。対応がこれでよかったかどうかは、わからないけど。
     深く息を吸って、吐き出す。よし、落ち着いた。
     そうして私は、再び暖かなベッドへと体と意識を沈めたのだった。

  • 120二次元好きの匿名さん22/09/03(土) 06:13:58

    ここまで

  • 121二次元好きの匿名さん22/09/03(土) 06:34:19

    更新だー
    言われてみれば当然だけど、涙声でなに言ってるか全然伝わってなかったとは想定してなかったw

  • 122二次元好きの匿名さん22/09/03(土) 06:46:04

    うーんこれは一旦電話切りますわwww

  • 123二次元好きの匿名さん22/09/03(土) 08:01:37

    よくあのクソ長構文を改変出来たなw

  • 124二次元好きの匿名さん22/09/03(土) 12:19:06

    すれ違いぃ〜

  • 125二次元好きの匿名さん22/09/03(土) 14:56:04

    原作と同じで伝わってなくて草
    たきな強い

  • 126二次元好きの匿名さん22/09/03(土) 18:15:47

    本人からしたら深刻な心の底からの告白だけど伝えるべき相手に伝わらなかったら「えぇ…?」としかならんの草。冷静過ぎるたきなからしたら落ち着くの待って明日話そうってなるよそりゃw

  • 127二次元好きの匿名さん22/09/03(土) 19:10:10

    >あのおにらーんでもらっの? だぃなんでもおっだの? あだちがめっちゃかわいいっでったのなんどもおぅわったの


    安達がめっちゃ可愛い

  • 128二次元好きの匿名さん22/09/03(土) 20:28:42

    >>119


     「千束、遅いですね」

     その日は晴れ。

     昨夜のことを思い返せば、皮肉とも言えるほどに眩しく空は輝いている。

     衝撃的な夜の一幕から数時間。

     私はいつもと同じように目を覚まし、歯を磨いて、朝食を取り、着替えて、この喫茶リコリコへと出勤してきたのだった。

     リコリスの制服からお店の制服、洋服から和服へと袖を通し、繰り返す毎日と変わることなく開店の準備に勤しむ。

     ここまで来る道中もまた、犬の散歩、ジョギングをするおじいさん、学校へ向かう子供たちと、別段いつもと変わったことなど何もなく、毎日の歯車は狂うことなく正常に回転していることを確かめてきた。

     今日も変わらない平和な日常が、そこにはある。

     ただ一人を除いて。

    「……何かあったのかもしれん」

    「あー……えっと……」

     あった、と言えば間違いなくあった。

     心当たりは、ありすぎる。

     事情を説明してもよいものだろうか。

     深刻な顔で考え込む店長を見て、以前の苦難に思いを馳せる。千束の身を案じるのも無理はない。このまま黙っているのも、それはそれでよくないと思う。

     しかしなんと言って説明したものか、ありのままを伝えたところで、私には言葉にできないことを捲し立てられたとしか言いようがない。

     文字通り、言葉にできない。だって全然聞き取れなかったのだから。

     うーん……。

     腕を組んで、考える。これなら昨夜の時点で、千束の話に付き合ってあげるべきだったのか。

     でもそうしたらお互いに、睡眠時間は取れなくなってたと思う。睡眠不足は脳の正常な回転、思考の妨げにも繋がる。仕事もあるし、作業効率の低下にも繋がる。合理的に考えるのなら、やはり睡眠というのは重要だ。深夜に起こされて眠かったし。

    「店長、実は……」

     しばし考えた後、やはり昨夜のことを説明することにした。

     と言っても「千束がめっちゃ泣いていた」ぐらいにしか言いようがなかったのだが。

     脇で話を聞いていたミズキさんとクルミさんは、何かおかしいのか、ずっと顔を伏せてプルプルと震えながら時折ぶふっと吹き出したり、バシバシ隣の背中を叩いて遊んでいた。

  • 129二次元好きの匿名さん22/09/03(土) 20:29:06

     二人のことは放っておいて、店長に可能な限り整理が可能な情報を順序立てて伝えた。
     途中、お客さんが何人か入ってきたようで、ミズキがもの惜しそうに席を立って対応に向かった。
    「ですので店長に相談を」
    「うぅむ……近頃、千束の様子が変だとは思っていたが」
    「え? そうだったんですか?」
     それは、初耳だ。
     千束と話している時、そんな素振りがあっただろうか。記憶を辿ってみるが普段の元気な千束の
     あ、でもそういえば。一週間ぐらい前に一度だけ、体調が悪そうにフラついて、まるで魂が抜けたような顔をしていた日があった。
     その時はただの寝不足だと言っていたし、翌日からはまた元気そうにしていたから、深くは考えなかったし、追求もしなかった。する必要もないと。
     しかし今にして思えばあの千束が、無理も全部一人で内側に抱え込む千束が、人前であんなにも自らの不調を隠さずにいられるものだろうか。
     翌日からの普段通りの態度も、またそんな無理を隠していたのだったとしたら、わたしが気がついていなかっただけで。店長たちの前では、あの不調を隠しきれていなかったのだろうか。
     水族館、チユリ、おみやげ。
     聞き取れたわずかなワードを繋げてみても、そこに関わるのは、この場で一人だけ。
     千束はわたしに対してだけ、なにか特別に隠している悩みごとがあって、それが昨夜の電話の……聞き取れはしなかったが、内容で。
     その抱えていた悩みを、堪えきれずに打ち明けてきたのが、あの深夜の叫喚だったというわけか。
     だとすれば、すぐに電話を切ってしまったのは悪いことをしたかな、と少し後悔する。
    「店長、わたしが千束のところへ行ってきます」
    「ん、そうか? うむ、まあ、それが一番いいんだろうが……」
     店長は珍しく、歯切れが悪そうに語尾をごにょごにょさせている。なにか問題があるのだろうか。
    「いいだろミカ。こういうのは直接乗り込むのが一番だ。回りくどいやり方したって、また千束が変になるだけだぞ」
    「むぅ……」
     いつの間にかカウンターの内側に回り込んできていたクルミが、キッパリと言いきってくる。
     先ほどまでは面白おかしそうに声を潜ませて笑っていたのに、さもそれが当然だと言うように。一体なんの話をしているのか。

  • 130二次元好きの匿名さん22/09/03(土) 20:30:43

    「……はぁ、わかった。それじゃあ千束を頼もう。任せてもいいな?」
    「はい、わたしの問題なら、千束からちゃんと詳しく話を聞いて……」
    「あーいや。それは、やめておいた方がいい」
    「……?」
     少なくとも、今は。という店長の言葉の意味が、わたしには分からなかった。
     どういうことですか、と聞こうとも思ったが、千束の異変に気づけなかったわたしが、あまり下手に踏み込むのはやめておいた方がいいのだろう。
    「では、千束に会ってなにを話せばいいのでしょう」
    「こう言う時には、そうだな……」
     店長は顎に指を当てて、うーんと深く考えるようにして天井を仰ぐ。
     じっと返事を待っていると、表から名前を呼ぶ声が聞こえてきた。
    「たきなー、お一人様ご指名だよー」
     ご指名って。このお店に店員を指名して個別に対応するシステムはない。
    「そういうお店じゃないです」
     指名など、一体どこの誰がわたしなんかを指名するのか。それにそんな要望に応えろというミズキの対応にもむっとしてお店の中を覗くと、そこにはちょん、と身を縮こまらせた栗毛の少女が、恥ずかしそうに立っていた。
    「チユリ」
    「ああ、あのあの、ここ、こんにちは!」
     胸元にふりふりとした可愛らしい装飾のついたピンクのワンピースに、空色のチェック柄が入った薄手のコートを羽織っている。
     相変わらずエサを求める魚のように、口をぱくぱくさせて懸命に言葉を絞り出す姿が愛らしい。
    「どうしました? なにか用事でも……」
    「あー、その、えっと……いや、」
     お店に顔を出すなどの連絡も特になかったので、突然の来訪には少し驚いた。
     身なりからしても今日はプライベートのようだし、もしかしてなにかわたしに用事でもあったのかと問いかける。
     チユリはもにょもにょと口を波立たせて、言葉に迷っているようで、この子はこういうところがあるから、焦らずに言葉を見つけられるまで、待ってあげないといけない。そのもじもじとした姿は、いつか注射が怖いと恥じらいながら俯いた千束の姿が重なるようで、どこか愛くるしさを感じる。

  • 131二次元好きの匿名さん22/09/03(土) 20:31:11

    「くょ、今日はー、先輩のお店、に、来てみたくて……みたいな……」
    「たきなの店ではねーけどな」
    「いちいち茶々を入れなくていいです。チユリ、空いている席に座ってください。少し待って」
     横から口を挟んでくるミズキに軽く牽制をいれ、立ったままのチユリを適当な席を指差し座らせる。
     生憎なことに今はそれどころではなく、懐いてくれている後輩に構っていられる時間はあまりなかった。
     再び厨房へと顔を引っ込めて、店長の方に視線を戻すと、うんうんと納得するように頷いていた。
     千束に会いに行って、どうすればよいのか妙案を思いついたのだろうか。
     店長はにこっと笑うと、
    「花束だ」
    「ぶっふぉ」
     クルミが勢いよく吹き出して、むせる。
     そんなクルミを無視して店長は、遠い昔を懐かしむかのように目を閉じて語る。
    「こういう時には、花束を贈るのがいい。花は時として、言葉以上に気持ちを伝えてくれる」
     ふむ、贈り物が気持ちを伝える。
     それは確かに、わたしにも理解できる気がする。気持ちを言葉にするのは、想像以上に難しい。
     しかし花束。花束か。なぜ花束なのだろう。
     千束はなにか、わたしに対して言えなかった悩みがあり、それを涙ながらに熱烈に打ち明けてきた。
     その返答が花束というのは、些か突拍子がないように思える。
     肝心の悩み事の内容が、あまりにも不鮮明なのだ。
     もしかしてわたしへの不平不満を延々並べ立てていたのかもしれないし、それならそんな相手に花束を贈られても、逆に神経を逆撫でするような行為ではないのだろうか。
     そう考えるとやはり、昨夜の詳細を聞き出したい気持ちがふつふつと沸いてくる。
     確かな答えを得て、千束がなにを思いなにを考え、そしてなにを吐き出したのか、この耳で確かめたい。
     でも、それは今ではないと店長は言った。
     他人との交流の面において、店長は生きてきた年数も、触れ合ってきた人の数も、わたしでは比ぶべくもない程の経験値を有している。
     ましてや、わたしはつい最近まで人との繋がりなど意識して生きてきていなかったのだから。
     またいつか聞く機会が訪れるというのなら、今は大人しく言うことを聞いておくのも、致し方ない選択だろう。

  • 132二次元好きの匿名さん22/09/03(土) 20:31:51

    「なるほど。指定の品種はありますか?」
    「指定……って程のもんはないが……」
     そういえば、花を贈る時には気を付けないといけないという話を聞いたことがある。
     例えばそう……彼岸花なんかは贈り物としては適さない、というのは聞いたことがある。縁起が悪いのだとか。
     わたしはそういった知識には疎く、相手に失礼なものを選んでしまう可能性もある。
     ネットで調べてからでも構わなかったが、この提案をした店長に聞いてみるのが最も合理的だろう。店長の経験則からくる助言ならば、わたしも信頼できる。
     うーむと、店長はまたしても、指を当てて深く考え込む。
    「はー、あんたいい子ね~! たきな、あの後輩見習いな」
    「何がですか」
     店長の答えを待っていると、ミズキがそんなことを言いながらスキップで厨房に入ってきた。
     いきなり見習えとだけ言われても、なんのことだかさっぱりだ。
    「お姉さん、だってさー。近頃の若者は年上を敬う心ってのがなくて駄目だね」
    「若くないんですか?」
    「あぉおん!?」
     反射的に思ったことを口にしてしまった。あまりの迫力にミズキの眼鏡がギラリと光ったようにすら見えた。
    「かーっ、たきなもこんな生意気んなっちゃってさー、誰の影響かね全く……」
     ミズキはブツブツ呟きながら、抹茶、あんこ、みたらしの三種が並んだ透明の筒を用意する。喫茶リコリコのメニューの団子三兄弟を注文されたのだろう。
     店長を見ると結論が出たのか、手を袖の中へとしまって、ふわりと、花のような……大柄な男性の体躯には似つかわしくない表現にも思えるが、そんな柔らかな微笑みを浮かべる。
    「そうだな。こういうのは、たきな。自分で考えてみなさい」
    「自分で、ですか。では調べてから……」
    「いいや違う。千束にどんな花を贈りたいのか、自分の目で見て、感じて、心で選ぶんだ」
    「こころ……ですか? でも」
    「心から選んだ贈り物には、送り主の心がこもる。たきな、千束は今、お前の心を知りたがっている」
     わたしの、こころ。
     千束が?
    「行きつけの花屋がある。私から連絡を入れておくから、そこに寄っていきなさい」

  • 133二次元好きの匿名さん22/09/03(土) 20:32:23

     店長からお店の名前と場所を教えてもらい、すぐさま出発の仕度へと向かう。
     ただ、その前に一つ。
    「チユリ。すみません、待たせてしまって」
    「あっ、えっ、あっ、いいいやあの、全然ぜん…」
     カウンター席に座って、ぼーっとしている様子のチユリに声をかける。案の定、あたふたと分かりやすく身振り手振りで応えてくれた。
    「せっかく来てくれたのですが、私はこれから用事があって外出するので」
    「えっ……あ……そう、なんですね……」
    「すみません……」
    「そそ、そんな別に! 謝るようなことじゃないですよ! 気にしないでください!」
     その旨を伝えると、チユリは目に見えて表情が暗くなる。
     まるで捨てられたペットのような悲しげな表情。チユリのことだから、きっと色々と話したいこととか、用意していたのだろう。申し訳ないと心の中で重ねて謝りながら、チユリに背を向けて更衣室へと向かう。
     着慣れた紺色の制服へと素早く袖を通し、鞄を担いで外へ。
    「たきな。あーその、なんだ。あまり刺激しないようにな。いってこい」
     カウンターの前までいくと、店長が奥から顔を出してそんなことを言ってきた。
     刺激しないように、とは。先ほど言われた、悩みには触れるな、とはまた違った言い方。
    「……? はい、いってきます」
     言葉の意図はよくわからなかったが、ともかく普段通りにしていれば、千束の精神を強く刺激することはきっとないだろう。
     ……花束を贈るのは普段のわたしとは相当離れているのではないだろうか。
     そう考えると、やはり下手な花を贈ることはできない。やはり事前にネットで調べてから……いや、でも店長にそれは駄目だと言われている。
     正直なところ、不安だった。
     千束に会いに行って、また昨夜のようにわんわんと泣き叫ばれたらどうしよう。
     そもそもの発端は、きっとわたしが知らずの内に千束を悩ませた、もしくは、傷つけたこと。
     時間帯だったり千束の状態だったり、色々考えた末に電話を切ってしまったが、考えれば考えるほどに、あれは悪手だったのではないかと思えてくる。
     あの千束が、深夜という相手の都合も省みない時間帯に電話をかけてきて、恐ろしいぐらいに泣き喚きながらなにかを伝えようとしてきたのだ。
     それをわたしは後にしようと電話を切って……あれ、そういえばなんて言って電話を切ったっけ。

  • 134二次元好きの匿名さん22/09/03(土) 20:33:35

     深夜のことで、前後を睡眠に挟まれているからか記憶がひどく曖昧だった。
     なにか酷いことを言ったりしていないだろうか。
     もしかしたら、無言で切ったかも知れない。いや、さすがに無言はないだろう。
     しかしなんと言ったかの記憶はハッキリしない。夢の中の出来事のように、モヤがかかって掴めない。
     だんだん不安が大きくなってくる。
     もしかして、千束に嫌われていやしないだろうか。
     千束はわたしと会うのが嫌で、それで無断で休んだのではないか……。
     その考えに至った時、ぞくっと体が震える。
     昨夜の夢が、ハッキリと形になって掴めるようになる。
     暗い暗い海の底へと沈む夢。小さな泡を求めて手を伸ばす……。
     あれは、
    「……………………」
     体を翻し、一度来た道を走って戻る。
     自宅に寄って、制服から私服へ。
     組み合わせは、あまり考えない。手近にあったものを掴んでさっと着替える。
     スマホを取りだして、店長にメールを打つ。

     『午後はお休みさせていただきます』

     承諾も得ないままの勝手な報告。
     返事は待たない、来ても見ることは多分、ない。
     準備を済ませて外へ飛び出し、教えてもらった花屋へと真っ直ぐに走り出す。
     こころで、選ぶ。
     わたしの心は、決まっていた。

  • 135二次元好きの匿名さん22/09/03(土) 20:34:30

    ここまで
    公式小説で似たような文章表現あって嬉しいんだよねって自語り

  • 136二次元好きの匿名さん22/09/03(土) 21:50:44

    うぽっつ
    千束との話がどうなるかにもよるけど後輩ちゃんとのイチャイチャはまたありそうだなぁw

  • 137二次元好きの匿名さん22/09/03(土) 21:53:12

    もうないです

  • 138二次元好きの匿名さん22/09/03(土) 21:55:06

    >>137

    無慈悲

  • 139二次元好きの匿名さん22/09/03(土) 21:55:40

    >>137

    あら、そうなのか

    完結たのしみにしてるぜー!

  • 140二次元好きの匿名さん22/09/03(土) 21:59:24

    これはあだしまリスペクト

  • 141二次元好きの匿名さん22/09/03(土) 22:01:02

    >>138

    チユリちゃんかわいそ…(ニッコリ

  • 142二次元好きの匿名さん22/09/03(土) 22:08:00

    爆笑してるミズキとクルミで草

  • 143二次元好きの匿名さん22/09/04(日) 00:26:14

    たきながバラ選んだのか

  • 144二次元好きの匿名さん22/09/04(日) 05:17:59

    たきなが持ってきたの赤いチューリップだったはず

  • 145二次元好きの匿名さん22/09/04(日) 07:14:32

    心で選んだものがチューリップか
    チューリップってチョイスが贈り物に慣れてない幼さがある感じがして良き

  • 146二次元好きの匿名さん22/09/04(日) 07:57:09

    今日は多分SS更新できないです

  • 147二次元好きの匿名さん22/09/04(日) 09:25:56

    了解やで

  • 148二次元好きの匿名さん22/09/04(日) 12:36:28

    気長に待ってます

  • 149二次元好きの匿名さん22/09/04(日) 16:52:50

    >>144

    やべ

  • 150二次元好きの匿名さん22/09/04(日) 21:25:34

    保守

  • 151二次元好きの匿名さん22/09/05(月) 00:00:37

    保守

  • 152二次元好きの匿名さん22/09/05(月) 01:51:10
  • 153二次元好きの匿名さん22/09/05(月) 08:43:05

    >>152

    いちゃらぶぅ

  • 154二次元好きの匿名さん22/09/05(月) 15:07:13

    >>152

    えっちだ……

  • 155二次元好きの匿名さん22/09/05(月) 18:08:29

    >>134

     「…………たきな。それ、なに」

     なにと聞かれても。

     花束である。見ての通り。

     燃えるように鮮やかな、真っ赤なチューリップ。

     千束には別の何かに見えているのだろうか。

    「ああ、これは……店長に相談したら、こういうのがいいと」

     ならば千束が聞いているのは、「なにか」ではなく「なぜか」だと判断して、訳を答える。

     千束は熱でもあるのか耳まで赤い顔をしていたのが、器用にも今度は蒼白に染めて頭を抱えている。

     それから支えを失ったようにぐらぐらと体を揺らし、がっくりと倒れこむ。

     すぐさま手を伸ばし、脇の下からその体を支える。千束は怪我一つすることなく、持ってきた花束も潰さずに上手い具合に腕だけでその体を支えることに成功した。

     人間その気なら、とっさの状況でもなんとでもなるものだ。鳴らしに鳴らしたチャイムをもう一度だけ押して、青色に染まった顔の家主を部屋の中へと運び込んだのだった。

    「お邪魔します」

  • 156二次元好きの匿名さん22/09/05(月) 18:08:53

     千束の家を訪れて、どこか遊びに出掛けようと考えた。
     その理由は今より少し以前の記憶に起因していて、寒空の下で気を落としていた私に「やるなぁ」と笑ってくれたあの日の千束の顔が、今も瞼の裏に強くこびりついていたのが見えたからだ。
     淡く儚く、苦く切ない、大切な記憶。
     事前のスケジュールなんて何も用意していないけど、トラブルも楽しむのが『千束流』らしい。
     結局、一度もノープランで遊びに出たことのない私に扱える代物かどうかは、分からないけど。
     千束の家の前に着き、玄関の前で何度もチャイムを鳴らして、何度鳴らしたのか数えるのもやめた頃。のそのそとやっとの様子で扉を開けて出てきた千束の顔は、本当に酷く、黒ずんだ表情で目元は糊でも剥がした後のように、ボロボロに崩れて赤く腫れていた。
     目も虚ろで呼吸は荒れ、顔は赤くごほごほと咳を吐き出していて。
     誰がどこからどう見ても、とても遊びに連れ出せるような状態ではなかった。
     まあ昨夜の様子に比べたら、最悪の想定よりは元気に見えるかもしれない。
     冗談交じりにそんなことを言ってみるが、やはりというかなんというか、思ったよりも具合は悪かったらしく、少しの立ち話をしている間に千束は玄関先で倒れてしまった。
     それを抱き抱えてベッドまで運んで、冷蔵庫の中にあったものを勝手に拝借し、今の千束でも口にできそうなものを適当に見繕う。スポーツドリンクとゼリーは、いつも私が携帯しているものから用意した。
     その間に目を覚ました千束は、昨夜からはすっかり落ち着いた様子で、ベッドの上に大人しく転がっていた。
     もしも昨日のままの千束なら、玄関で私の姿を見た途端、泣きわめいて掴みかかってきたかもしれないし、走って逃げ出していたかもしれない。容態に関係なく。
     それから気になったのは、やはり昨夜の電話の内容。
     店長からはあまり触れるなと釘を刺されていたし、そのことで千束は、わたしのことを嫌いになってやしないかという疑問に迫ってしまう。
     それを考えると、やはり電話の内容に触れるのは……怖かった。

  • 157二次元好きの匿名さん22/09/05(月) 18:09:15

     そんな自分を誤魔化すように、作った料理を千束の口へと運ぶ。
     倒れるぐらいに体調が悪いなら安静に、と。
     そうして食事を取らせていると、千束の表情が少しずつ解れていくのが目に見えて「ああ、嫌われてるわけじゃ、ないのかな」なんて安心して、自然とこちらも顔が緩んでいくのを感じた。
     半分ほど食べ進めたところで、千束がぽろぽろ泣き出して、それを抱き締めてみると、千束も抱き締め返してきて。しばらくそのままの体勢で、千束が泣き止むまで頭を撫で続けた。

    「ごちそうさまでした」
    「はい、お粗末様でした」
     千束が綺麗に食べ終えた後、ぱちんと丁寧に手を合わせて礼をするその頭を撫でて、食器を流しへ運ぶために椅子を立つ。
     何度も髪の毛を撫で付けている内に気付いたが、千束の髪はところどころ何かが張り付いて乾いた後のように、ぎしぎしに固まってしまっていた。昨夜の千束は、わたしが思っていた以上に壮絶な姿だったのかもしれない。
     食器を水に浸けて、すぐに千束のいるベッドルームに戻ると、こちらを見つめる千束と目があった。
     千束は一瞬「あっ」とした表情をすると、すぐに顔をしかめて目をそらしてしまった。だが不思議と、そこに悪感情のようなものは感じられない。
    「千束、気分はどうですか?」
    「……最悪です」
     その言葉には、体調以外の気分も含まれているのだろうというのは、なんとなく察しがついた。
     むすっとした横顔が耳まで赤く染まっているのは、熱のせいだろうか。
     手を伸ばし、さらっ、きしっ、指にかかる二種類の髪の感触を分けてその耳に触れる。
     指先で摘まむと、くにっとした感触が心地よい。
    「…………いや、なに?」
    「熱くなっているかな、と」
     くにゅくにゅ、ふにふに。
    「……そりゃ熱あるし」
    「そうですね」
     無遠慮に耳をいじくる指を千束は別段抵抗することもなく、そっぽを向いたまま、じっと受け入れている。
     ぱっと離して、少し乱れている髪を二、三度手櫛で梳いて整える。そこからはお互いに言葉もなく、他に何をするでもなく、ベッドと椅子の上で二人して固まっていた。
     気まずい空気ではあるが、不快な空気ではない。
     ただ何もせずとも、一緒にいる二人きりのこの空間が、何か特別なもののように感じた。
     千束も、そう思ってくれているのだろうか。疑問は言葉にならないまま、流れる時間に身を任せて目を閉じた。

  • 158二次元好きの匿名さん22/09/05(月) 18:09:44

    短いですがここまで

  • 159二次元好きの匿名さん22/09/05(月) 18:36:22

    生殺しにも程がありますよ
    勘弁してくれ

  • 160二次元好きの匿名さん22/09/05(月) 20:02:52

    変な声でた…更新ありがとうございます!

  • 161二次元好きの匿名さん22/09/05(月) 23:07:32

    楽しみー!

  • 162二次元好きの匿名さん22/09/06(火) 00:17:03

    入るときにもう一度チャイム鳴らすの、たきならしくて好き

  • 163二次元好きの匿名さん22/09/06(火) 08:45:17

    やってみせろよたきな!

  • 164二次元好きの匿名さん22/09/06(火) 14:14:50

    保守

  • 165二次元好きの匿名さん22/09/06(火) 20:15:54

    >>157

     触れられたところがまるで、あつあつに熱したやかんを押しつけられたようにぼっとなる。

     何をどうして、急に耳なんて触りだしたのか。

     きっちり泣いて、まだ痛みはあるけど、頭も少しすっきりして、たきなが作ってくれたお粥とスープを全部残さずいただいた。

     ドリンクの残りは手元に、ゼリーはまた後でもいいからと、冷蔵庫に保管してもらう。

     たきなが食器を片付けて部屋に戻ってきた時、ばっちりと目があって、今さら泣き腫らした顔と抱き締めて泣きじゃくっていた自分が恥ずかしくなってきて、つい目をそらしてしまう。

     くす、と小さく笑われたような気がした。空耳を聞いたのかもしれない。

    「千束、気分はどうですか?」

    「……最悪です」

     紛れもない本音。

     昨夜のこともそう。それ以前にあの子のこともそう。熱もあるし、顔は荒れてるし、髪はボサボサだし、子供みたいに泣いてるところも見られたし。

     あ、でも。泣いている時に頭を撫でてもらったのは、嬉しかったかな。

     細くて柔らかくてすべすべしていて、印象よりも小さな、たきなの手。

     私は母親の記憶はないけれど、きっとあんな風に優しく包み込んでくれるのが、母親というものなんだろう。

     たきながお母さん。うわ。何考えてるんだ私。

    「…………いや、なに?」

    「熱くなっているかな、と」

     そんなことを考えている間にも、たきなは私の耳を弄くっている手を止めない。

     熱い、熱いよたきなさん。あんたが触ってるせいで、今にも火がついて顔が燃え出しそうなほどなのよ。

     いやじゃないけど。

    「……そりゃ熱あるし」

    「そうですね」

     そう言うとたきなは、パッと指を離してしまう。

     あぁ……勿体ない……。

     だがその指は、そのまま離れては行かず耳許の髪に触れて、手櫛で髪を優しく梳かしてくれる。耳を直接触られた時よりも、その行動と触れる程度に動く指の感触に、身体と思考がぎゅっと硬直する。

     ほんの二、三回程度のその仕草で、まるで時間が止まったみたいに世界がスローに見えて、刹那の出来事のように過ぎ去っていった。

  • 166二次元好きの匿名さん22/09/06(火) 20:16:12

     ばっくんばっくんと音を鳴らすように血液が全身を高速で循環する。
     熱による頭の痛みなんて、微塵も感じないほどに脳が興奮している。
     さっきまで悩んでいたことなんて全部吹っ飛んで、もっとしてほしい、なんて思考で頭の中が満杯になる。
     とっさに顔ごと逸らした視線は虚空を見つめて固まったまま、たきなの方へと移すことができなくなった。
     頭を撫でられた時にはこんなことなかったのに、どうして髪を梳かされただけでこんなことになるの。
     いや、理由はなんとなく、分かった。
     頭を撫でられた時の私は子供だった。泣きじゃくって抱きついて、慰めが欲しかっただけの。
     たきなも「昨日から、泣き虫ですね」なんて言って、完全に子供をあやす母親のようで。
     だからさっきのは、言うなれば親子の包容に近いものだった。
     でも今のは違う。
     耳を触られたのも髪を梳かされたのも、最初の子供扱いとは全然別物だ。
     きっと、傍目に見れば映画のワンシーンのような、ラブシーンのような、そんな男性的な行動を思わせるたきなの仕草。
     ぐっときた、キュンときた。
     一言で言うのなら、私は今、ときめいている。
     顔から火が出そうなのも、たきなの方を見れないぐらいに固まっているのも、このときめきが原因だ。
     我ながら現金な女だと思う。散々勝手な嫉妬で振り回しておいて、いざちょっと甘やかしてもらえば、こんな風に舞い上がって。
     でも、嬉しいものは嬉しいのだから仕方ない。しょうがない。ときめきは止められないんだ。
     こうしてじっとしていたら、もう一回たきなの方から触ってきてくれるかな。
     ちょっとだけたきなの方へと、頭を傾けてアピールしてみる。
    「………………」
     ……何も起こらない。
     この部屋には針が動く時計もないので、ちくたくと時間の経過を教えてくれる音もしない。
     ただただ、無言の時間が過ぎていく。
     たきなは何をしているのだろう。相変わらずたきなの方に視線を移すことはできないまま。
     軽く体を揺らしたり、手の位置を置き換えたり、頭を小さく振ってみたりと色々とアピールしてみるが、反応はないまま時間が過ぎ去っていく。

  • 167二次元好きの匿名さん22/09/06(火) 20:16:30

     お互いに黙ったまま、聞こえてくるのは衣擦れか、微かな吐息の音ばかり。
     正直、気まずい。
     何か喋ってほしい。
     けれど普段の私とたきなの関係は、だいたい私から話しかけていたような気がする。
     探せばいくらでも会話を切り出す言葉はあるはずなのに、さっきのことから昨夜のことまで、言葉にすれば何処かで何かにぶつかりそうな話題ばかりが邪魔をして、口をつぐんでしまう。
     それならさっきみたいに、特に会話という会話でもないことを喋りながら、耳とか髪とか触ってほしい。
     今なら頭を撫でられるのも、子供扱いとは違う意味を持ちそうで、とにかくたきなに触ってほしい。
     一言そんな風に言えたらきっと、たきなは私の要望に応えてくれる気がするのだけど、これはたきなの方から触ってきてもらうことに強い意味があるのだと、謎に拘りを持ってしまっている。
     私のプライドとかではなく、意味があるのかどうか。
     私から頼んでもその意味が得られるというのなら、プライドなんてすぐにでも窓の外にでもかなぐり捨てて、全力で頭を下げて頼んでもいい。
     じゃあその意味とはなんぞや、というのを具体的な言語にすると、私の中でたきなとの関係に致命的な一線を引いてしまう気がした。
     その線は一度引いてしまえば、越えるか越えざるかの二択を選ぶ以外にない最終ラインになる、と思う。
     だから今は喋らない。線は引かない。
     たきなから私に寄ってきてくれるのを、ただ待っている。
     思い返せば今のこの状況も、二週間の間そうやって、たきなから私に行動を起こしてほしいと、待ち続けてきた末の結果だった。これでは何も変わっていない、まるで成長していない。
     でも、私から寄っていくのは、やはり恐怖が勝る。
     結局私は、動けないまま変わらない。
     やっとのこと冷めてきた頭は、また負の感情をループし始める。
     これではまた積もるだけ積もって、そしてまたどこかで崩れてしまう。二度目はもうない。そんなことになったら、今度こそたきなに見限られてしまう。
     どうしよう、どうにかしてなんとかして、ここから動かないと。
     何か切っ掛けがほしい。
     心臓に銃口を突きつけられ、引き金に指をかけられて、身動きも取ることのできないような状況すら引っくり返せるような、逆転の一手が。

  • 168二次元好きの匿名さん22/09/06(火) 20:17:28

    
     先ず最初に目に入ったのが、その真っ赤な色だった。

    「花」
     沈黙を破ったのは、千束だった。
     どれだけの間、目を閉じてそうしていたのだろうか。
     静寂を揺らす声にはっと目を開いて、強くまばたきを繰り返す。心地の良い沈黙に誘われて、わずかばかり眠気に包まれていたようだ。前振りのない千束の言葉を聞き逃してしまい、聞き返すべきか否かを迷っている内に、千束は次の言葉を紡ぎだす。
    「ありがとね。ちょっとビックリしたけど、嬉しいよ」
     千束が指を指した方向には、棚の上に置かれた花瓶。活けられた赤いチューリップの束が飾られている。倒れた千束をベッドまで運んだあと、部屋の隅で埃を被っていた空っぽの花瓶に、わたしが持ってきた花束を移しておいたものだ。
    「こんなの貰ったの、初めて」
     そうか、喜んでもらえたのか。
     花束の贈り物なんてするのは始めてだったし、どんな品種の花がいいのかも分からずに決めたのも自分だったから、それを喜んでくれたと言うのなら、嬉しい。
     店長が言っていた、自分で考えて決めろという言葉の意味が、少し分かったような気がする。いざそう言われると、花束の贈り物というのは、少し照れ臭い。
    「よかった、です」
     顔の温度が上がった気がして、頬に触れて確かめる……千束がこちらを向いていなくて助かった、と思った。
    「……でさ」
    「はい?」
    「……どうして、あの花を選んだの?」
     それは。
     千束はその理由を聞いてきた。花を選んだ理由。花束を贈ることは店長からの助言だ。しかしどの花束にするのかを決めたのはわたしだ。
     千束はその、わたしの部分を知りたがっている。わたしのこころを知りたがっている。店長の言葉がまた頭をよぎる。
    「……最初に、目に入ったんです。花屋さんの前で」
    「……それだけ?」
    「………………色が」
    「いろ?」
     花屋の店先に並んだ色んな花の中から、その色だけがわたしの目を強く引いた。
     見回せばどの花も綺麗だと思った。その中でどれが一番か決めろと言われたら、そんなのは無理だった思う。
     でも、わたしの中でその花の色が、モノクロの中で唯一色づいているように鮮やかに鮮烈に、瞳の中に焼きついていた。
    「赤い色が、千束だ、って」
    「…………」

  • 169二次元好きの匿名さん22/09/06(火) 20:18:10

     それだけで、それだけの理由で、この真っ赤なチューリップはわたしの中で、一番の花だった。
     最初から決めていた。千束に似合う花はきっと、どんな色よりも赤く、どんな色よりも暖かい色なんだと。
     その中で最初に目に入ったのが、このチューリップだった。
    「真っ直ぐ、上に向かって立っている姿も、千束の強い姿が浮かんで」
    「…………はは、照れるなぁ、こいつ」
     その時に思ったことを、そのままに伝える。千束の表情は窺えない。髪の隙間から覗く赤い耳も、熱のせいか、別のなにかか、判別はつかない。
    「わたしが選んだのは、品種だけですけど」
     お店の中には男性の店員さんが一人、レジの向こうで座って新聞を読んでいた。店長が話を通していてくれたから、声をかけると店員さんはすぐに、贈り物用に花を包んで渡してくれた。お金は店長に請求するからと、ぱぱぱと手慣れた手付きで花束を作って。
     三本セットの花を三組束ねて作られた真っ赤な花束。多すぎず少なすぎず、抱えるのに丁度よく腕に馴染む本数で、店員さんを「さすがプロだ」と心の中で称賛した。
     ただ、慣れない手荷物を抱えて街中を歩くのは、少し気恥ずかしくて、いつもより顔を伏せて歩いてきた。
    「私ってそんなに、赤ーって感じ?」
     千束の顔が、ゆっくりとこちらに向けられる。ようやく見えたその表情は、少し困ったように、はにかんでいた。
    「……ええ、ファーストの制服も、お店の制服も。いつも髪を縛ってるリボンだって」
    「確かに」
     ふふ、と二人で小さく笑う。
     この柔らかな空気が、なんだか無性に懐かしい気がした。
    「気に入ったなら、大事にしてください」
    「うん、する」
    「具合、どうですか?」
    「だいぶマシ、かな。たきなのおかげだよ」
     見れば確かに、まだ顔は紅潮していて熱があるようだったが、顔色は幾分か良くなっているようにも見える。
     あとは薬を飲んで、ゆっくり休んでいれば大丈夫だろう。
     午後もまとめて休みを取ったことだし、店長の返事は確かめていないが。今日はこのまま千束の面倒を見て、千束が落ち着けるよう、夜には帰ろう。
     そう伝えると、千束は俯いて、
    「…………てってよ」
    「はい?」
    「泊まって……いって」
     袖を掴まれ懇願された。着替えも何も用意していないのだが。
    「貸すから、着替え」
     承諾しなければ、離してもらえそうにはなかった。

  • 170二次元好きの匿名さん22/09/06(火) 20:19:14

    ここまでです
    考えてる分だと多分このスレ内で収まらないです

  • 171二次元好きの匿名さん22/09/06(火) 20:45:42

    おっつおっつ
    足りなくなったら次スレ立てちゃえ~。既に1.5スレ分くらい?でかなりの大作だ。
    続き楽しみ

  • 172二次元好きの匿名さん22/09/06(火) 22:10:21

    読んでてキュンキュンしたぜ

  • 173二次元好きの匿名さん22/09/06(火) 23:18:02

    更新お疲れ様
    終日の楽しみにしてるよ

  • 174二次元好きの匿名さん22/09/06(火) 23:57:20

    更新お疲れ様です

    良い…

  • 175二次元好きの匿名さん22/09/07(水) 06:41:31

    更新ありがとう!
    いいもの見たわ……

  • 176二次元好きの匿名さん22/09/07(水) 07:22:40

    これが乙女千束ですか

  • 177二次元好きの匿名さん22/09/07(水) 11:01:55

    謝謝茄子〜

  • 178二次元好きの匿名さん22/09/07(水) 12:01:37

    千束とたきな視点の温度差がたまらん

  • 179二次元好きの匿名さん22/09/07(水) 18:13:59

    >>169

     裾を掴んで、ぐいっと。お腹から頭まで一気に捲って寝巻きを脱ぎ捨て、汗でベタついた肌を露出する。

     肌に張り付く不快な感触が消え、代わりに涼やかな解放感が体を包む。同様に下も脱いで、下着のみの姿になる。

     ここは脱衣所、別段おかしなことはない。なんなら全裸でいてもおかしくない場所。

     ブラジャーのホックへと手を伸ばし、

    「…………あのさ」

     外そうと指をかけたまではいいが、やはりどうしても気になる。

    「そんな見られてると、脱ぎにくいんだけど……」

    「何故ですか?」

    「いや、何故って……」

     背後から猛烈に視線を感じる。

     振り向いた先のそこに立っている人物に、視線で抗議の意思を示す。たきなが直立した姿勢のまま、じぃーっとこちらを見ている。無表情のままこちらを見つめて、私の下着姿を見て何を考えているのかなんて読み取れない。

     何故こんなことになっているのかといえば、なにも私たちは露出プレイに興じているのではなく、軽くシャワーを浴びて体を清潔に保とうというだけの、極々当たり前の常識的な行動を取っているだけにすぎない。

     汗でベタベタの肌、ボサボサの髪、ガサガサの顔。

     熱があるので湯船に浸かってゆっくりとはいかないが、濡れタオルで拭くだけではとても足りない状態。

     どうにかサッパリしたいので、温めのシャワーで流してこようという話になったのだが。

    「自分でできるから大丈夫だって」

    「そんなことを言って、また倒れたらどうするんですか」

    「うぐ……」

     実際、昼間に一度倒れた実績があったので、強く否定できないのが痛い。

     だからと言ってこの歳にもなって、同年代の……一つ年下の女の子に、洗ってもらうなんて。

    「わたしも脱ぐんですから、早く」

    「わかった、わかったから……」

     脱ぎますよ、脱げばいいんでしょ。女の子同士なのに、下手に気にするから余計に恥ずかしくなるんだ。もうさっさと全部脱いでしまおう。

     ブラジャーのホックを外して紐が緩む。支えを失ったお肉が、重力に従ってぐっと重みを増す感覚。

     パンツもずり下げて、素早く足を通す。

     産まれたままの姿になり、シャワーを浴びる準備は万端だ。ちらりと後ろを見る。

     たきなの表情は相変わらず、何を考えているのか分からない。

     分からないものを考えても仕方がない。さっさと浴室に入って、シャワーを浴びてしまおう。

  • 180二次元好きの匿名さん22/09/07(水) 18:14:24

     浴室に入って扉を閉めると、すりガラスの向こうで今度はたきなが衣服を脱いでいく様子が、うっすらと透けて見える。
     お、おお。これは中々なシチュエーション。
     ……エロ親父か私は。
     そもそもたきなの下着姿なんて、お店の更衣室でも散々見たし、今さらそんな脱衣一つで興奮なんて……。
     視線をすりガラスから外せない。なんでだ。今とお店の更衣室とで、何がそんなに違うのか。
     いや、今は下着だけではない。このあとたきなは裸でここに入ってくる。たきなは今、着替えているのではなく、裸への一方通行を行っている。
     ああ、きっとそれが珍しいと感じているだけなんだ私は。なにも別にたきなの裸に興味があるとか、たきなが下着の一枚一枚まで脱いでいく姿に興味があるとか、そういうのじゃない。うん。単に物珍しい、と思ってるだけ。
     べちんと頬をひっぱたき、無理矢理にそこから顔を逸らして、シャワーのノズルを握る。
     蛇口を捻ると、まだ温まらない水滴がぱたぱたと体を打ち、不意の冷たさに身体がびくんと跳ねる。
     謎に妙に興奮した頭を冷やすには、丁度いいかもしれなかった。よし、これで落ち着いたかな私。
     がちゃん、と浴室のドアが開く音がして振り返ると、一糸纏わぬたきながそこに立っていた。
     わ、あ。うわ、わー。たきな、そうなってるんだ。へぇー、わぁ……。
     たきなは自身の体を隠すことなく、堂々とその裸体をさらけ出している。
     思わず下からじっくり隅々まで観察してしまう。上まで視線を上げたところでがっつり視線が合って。
    「……なにか?」
    「え、あー……鍛えてるなー、って」
    「それは千束もでしょう」
    「まあ、ね、うん」

  • 181二次元好きの匿名さん22/09/07(水) 18:14:50

     気まずい。
     ぱたぱたと水滴の弾ける音が浴室に響く中、固まっている私の手からシャワーのノズルが奪われる。
    「水じゃないですか、ちゃんと温めてから浴びてください」
     たきなはシャワーの温度を手に当てて温度を確かめると、うげっと顔をしかめてこちらを睨む。
     だってそんな、爆発しそうなぐらい頭が熱いんだもん。
     私は今、たきなの裸を見て、興奮していた。全身の血が登ってきて、鼻から吹き出しそうなほどだ。
     女の子の裸、だからではないだろう。たきなの裸、だからだ。私は。
     お湯に浸かった訳でもないのに、既にのぼせそうな頭を振って今しがた見た光景を、邪念と共に頭から追い払おうとする。
     しかし一度見た芸術的とも、神秘的とも思えるその裸体は、私の目蓋の裏にばちばちと焼き付いて離れない。
     エロい。
     芸術や神秘にエロいという感想はどうなんだ、という話は置いておいて、たきなの裸体を見て感じた、素直な気持ち。
     私はたきなのことを、そういう目で見ているのか。そうか。つまりは、性欲。
     自分のことながら、ちょっとショックだ。もしかして、そういう気持ちが先にあったから、私はたきなのことを……いや、でも、そんなことはないはずだ。もしそうなら、最初からそういう目でたきなのことを見ていたはずだし。私はたきなの恋を応援したことだってあるのだし。まあそれは単に、私の空振りだったのだけど。ともかく、順序は性欲が後のはずだ。うん。気持ちが先で、そこに欲求が付随してきた形、のはず。
     お風呂用の小さな椅子に腰を落としながら、頭の中で自分を納得させる。
     私はなにも性欲に負けてたきなのことを……になったわけでは、絶対にない。
    「よし、温まったので流しますね」
     先程までと違い、お湯になった水滴がシャワーの口から私の頭へと放出される。
     頭の上からじゃぶじゃぶと流れるぬるい液体に全身を包まれて、体の表面が温かくなっていくのを実感する。
     たきなの手が私の頭に添えられて、全体に馴染ませるよう流れに沿って、髪を柔らかく梳かしていく。
    「目、閉じててください」
     そう言って一度シャワーを止めると、かしゅっという音と、じゃわじゃわ泡を立てるような音が続けて聞こえてくる。
    「うぁ、」

  • 182二次元好きの匿名さん22/09/07(水) 18:15:10

     わしゃ、と掴まれるように頭を左右から押さえられる。
     細い指先が頭皮の上を滑るようにして、髪の毛の一本一本に優しく泡を巻きてつけていく。
     くすぐったいような、気持ちいいような。
     口が勝手にもにょもにょ動いて、体がむずむずと揺れ動いてしまう。
    「どうですか千束、痒いところとかないですか」
    「ん、大丈夫ー」
     まるで美容院でシャンプーをしているような質問をしてきて、おかしくなる。
     たきなのことだから冗談とかじゃなくて、素直に思ったことを聞いてるんだろうなぁ。
     全体に満遍なく泡を行き届かせると、根本から毛先へ。髪の繊維に沿うようにして、手でアイロンを掛けるように、これまた優しく撫でつけてくれる。
     あぁ、もうこれは、素直に気持ちいい……。
     そうしてシャンプーを馴染ませると、温めのお湯でざあっと洗い流し、リンス、トリートメントと、同じようにして髪全体に馴染ませてから軽くお湯で洗い流す。
     涙やヨダレでぎしぎしに固まっていた髪は、指で掬っても引っ掛かりのないつやつやヘアーに。おお。
    「では次は体を……」
    「自分でやる」
     さすがにそれは理性が保ちそうにないので断った。

  • 183二次元好きの匿名さん22/09/07(水) 18:16:04

    このスレではここまでで
    次回以降は新しくスレを立てて投下します

  • 184二次元好きの匿名さん22/09/07(水) 18:25:35

    うぽつ
    うおおニヤニヤしちゃうぜ

  • 185二次元好きの匿名さん22/09/07(水) 18:37:58

    要約するとたきなに頭洗ってもらった…か

  • 186二次元好きの匿名さん22/09/07(水) 22:00:38

    チユリは駄目みたいですね…

  • 187二次元好きの匿名さん22/09/08(木) 00:42:07

    更新乙です

    千束の理性が危ない

  • 188二次元好きの匿名さん22/09/08(木) 12:19:39

    保守

  • 189二次元好きの匿名さん22/09/08(木) 20:30:24

    ほしゆ

  • 190二次元好きの匿名さん22/09/09(金) 06:55:25
  • 191二次元好きの匿名さん22/09/09(金) 07:09:45

    続きキタワー!

  • 192二次元好きの匿名さん22/09/09(金) 19:08:34

    さて、こちらはどうしようか…

  • 193二次元好きの匿名さん22/09/09(金) 19:12:26

    普通に落としていいんじゃないかな

オススメ

このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています