【SS】続いている公園

  • 1二次元好きの匿名さん22/09/04(日) 22:34:32

    SSを投稿します
    オリウマに属すると思いますので、苦手な方はご注意ください
    以下、10レスほど使用します

  • 2二次元好きの匿名さん22/09/04(日) 22:35:11

     ルーズリーフに「馬」と書き、ひっくり返して、その対蹠地に「ウマ娘」と書く。方眼紙を用いると座標がわかりやすい。
     いわく、ウマ娘は異なる世界の存在から名前と力を受け継ぎ、この世界に生まれてくる。この場合「馬」は漢字の部首ではなく、先に述べた異なる世界の存在、一種の幻想生物みたいなものを意味する。
     卵と鶏はどちらが先かという議論に対し、考え方によると回答すると顰蹙を買う。だからひとまず、「馬」が先なのだと言っておく。
     ルーズリーフをつまみ上げ、ひらひらと踊らせてみる。馬、ウマ娘、馬、馬、馬、ウマ娘、ウマ娘、馬。ちらちらと文字が入れ替わる。青空の下で風に揺られる洗濯物のような爽やかさはない。シャツならば裏表がわかりやすいが、タオルとなると少々怪しい。それでもまだ、縫い目を見ればよい。ルーズリーフはどうだろう、綴じ穴と日付の項目があるヘッダーを切り取れば、どちらが表かわからなくなる。きっとどちらの面も自分を表だと思っているし、その反対側は裏に違いないと信じている。

  • 3二次元好きの匿名さん22/09/04(日) 22:35:40

     ビターグラッセは担当ウマ娘の中でも少しばかり変わっている。
    「馬に会いたい!」などと言い出す。「どうやったら馬に会えるかな?」
     なぜそんなことを考えたのかと訊ねると、「これ!」と一冊の文庫本を突き出す。「トレーナーが貸してくれたやつ」
     少年が捕まえたカブトムシを見せびらかすかのような風情で突き付けられた短編小説集には、確かに『遊戯の終わり』とある。そしてそこに収録されたある小品を思い出し、そのことを指摘すると彼女は満足げに頷く。
    「ナイフはいらないけどね。おっかないから」
     そして勢いよく開いた部室の扉を静かに閉めて着席する。このようなミーティング前のひと悶着は稀によくある。

  • 4二次元好きの匿名さん22/09/04(日) 22:36:18

     ある男が部屋の中で小説を読んでいる。小説の登場人物はてくてくと歩き、ある部屋の前にたどり着く。扉を開けると、そこには小説を読む男の背中がある。
     小品の内容であり、読者は小説の中に引きずり込まれたような、あるいは登場人物が小説から飛び出してきたような、奇妙な読後感を味わうことになる。もちろん、振り返ったところで誰もいるはずはない。

  • 5二次元好きの匿名さん22/09/04(日) 22:36:57

     ビターグラッセは自分のルーツに並々ならぬ興味を持っている。異世界の幻想生物を「馬」の一字で表すことを提案したのも彼女だ。もちろん、広く受け入れられているわけではない。しかし便利なので、引き続きこの提案を採用する。
     彼女が小品を目にして想像したのは、つまりルーツへと至る道のりのことだろう。こちら側とあちら側、二つの世界を小説と現実に準えて、そこを繋ぐ経路を設ける。それがどのような形をしているかはわからない。少なくとも、「経路」という形はしていない。
    「してるかも」
     府中市美術館からの帰り道、彼女は言う。
    「想像できないんだったら、どんな形じゃないかもわかんないよ」と続ける。その横顔は真剣そのもので、にんじんフラッペを揉みほぐす手つきも熱心そのものだ。
     先日のひと悶着を振り返り、方法はわからないと回答された上で、それでも彼女は諦めていない。「経路」型の経路を進む想像でもしているのか、にんじんフラッペが思っていたより美味しかったのか、ポール・ゴーギャンの作品展に満足したのか──おそらくその全てだろう、幸いなことにご機嫌ではある。

  • 6二次元好きの匿名さん22/09/04(日) 22:37:28

     今から五百六十四年前に発表されたアグネスタキオンの著作『最果て理論』は、著者の舌を突き出したポートレートと並んで、前置きがこう記されている。
    「単なる手慰み」
     読者を科学の迷宮へ誘うこの一冊は、初学者必携の書として長い間愛され続けたそうだ。現在でも無料のアーカイブを閲覧することができる。原文はともかく、名作古典として翻訳や副読本が多数出版されているので、それらを一読したことのあるウマ娘は少なくない。
     その内の一人である彼女の人格形成に『最果て理論』が影響を及ぼしたことは確かだが、もうひとつ触れておかなければならないのは「ビターグラッセ」という名前だろう。他ならぬ彼女の名前であり、アグネスタキオンと同年代に活躍したウマ娘の名前であり、その後も度々レース史に登場する名前でもある。
     トレセン学園の歴史を紐解いていけば「名前被り」の前例はすぐに見付かる。ウマ娘に限らずとも同名の人間を探すことは難しくない。命名規則の組み合わせパターンは有限であり、傾向がある以上これは当然と言える。ところが「ビターグラッセ」に関しては少々事情が異なり、どういうことかというとその数が多すぎる。

  • 7二次元好きの匿名さん22/09/04(日) 22:38:00

     ビターグラッセは中距離を得意としている。ダートやフリースタイルはあまり性に合っていないようで、もっぱら芝を主戦場としている。逃げウマ娘であり、集団を嫌う。
    「見える気がするんだ」などと言い出す。「先頭の“果て”の景色」
     それは先日から続く経路の話なのかと訊ねると、「まあね」とウインクがある。まだ余裕がありそうなのでメニューを追加する。「嘘だぁ」と彼女は抵抗するが無言で見つめ続けると観念してふたたび駆け出す。
     最古のビターグラッセも中距離の芝を得意としたが、最新のビターグラッセである彼女とは違い先行策を好んだようだ。少なくとも記録にはそう残されている。そば打ちの名人でもあったらしく、グラウンドの使用権限を与奪するほどの発言力を持っていたともされる。
     差し戦法のビターグラッセがおり、追込を選んだビターグラッセもいる。スプリンターがおり、マイラーがおり、ステイヤーもいる。同時代に二人のビターグラッセが現れたこともあり、それぞれ芝のビターグラッセと砂のビターグラッセとして戦場を異にしながらも切磋琢磨したと聞く。フリースタイルの歴史に燦然と名を残すビターグラッセがおり、レースでは奮わなかったが歌唱とダンスパフォーマンスでファンを魅了したビターグラッセの記録も残されている。記録に残らないビターグラッセも相当数いたはずだと主張する専門家もおり、当然それはその通りだろう、後世に名前の伝わらない人間の方が圧倒的に多い。さすがにこの専門家の名前はビターグラッセではない。
     これら一連の「名前被り」はビターグラッセ一門の襲名をめぐる御家騒動といった話ではなく、単なる偶然に過ぎない。それぞれのビターグラッセは独立した存在であり、親子でもなければ姉妹でもない。同名の人間が必ずしも家族ではないように。うらめしく睨みつけてくるビターグラッセもまた独立した個人であり、歴代のビターグラッセと同じ名前を持つだけの一人のウマ娘だ。まだ余裕がありそうなのでメニューを追加する。

  • 8二次元好きの匿名さん22/09/04(日) 22:38:38

    『最果て理論』のある副読本いわく、中世のリンゴ農家アイザック・ニュートンは、新種のリンゴを発見した。これは万有引力と名付けられ、その結果世界には重力が発生したのだとされる。
     ひとつの卵からは一羽の雛しか孵らないが、一羽の鶏が二つの卵を産むことは充分に考えられる。仮にどちらが先であったとしても、鶏にさえなってしまえば数は増えていく。だから卵と鶏どちらが先かという問題への答えはどちらでもいいことになるのだが、ひとまず「馬」だと言っておく。
     馬がウマ娘を生み、ウマ娘は成長して馬になるのかというとおそらくそんなことはない。ウマ娘は成長してもウマ娘であり、幼ウマ娘から老ウマ娘まで加齢のグラデーションを描いていくだけだ。そしてウマ娘が馬を生み、馬が成長してウマ娘になるのかという話についても同じことで、それらはただ、片方がどこかに立った時にもう片方がその裏側に立っているだけのことに過ぎないのだろう。お互いの足の裏には、たとえばルーズリーフが挟み込まれている。

  • 9二次元好きの匿名さん22/09/04(日) 22:39:12

     ビターグラッセはうどんを好み、休日などはうどん屋の新規開拓にしばしば付き合わされる。異論はなく、担当と過ごす時間が増えるのは悪いことでは全くない。
     腹ごなしに散歩をしつつ公園に立ち寄ると、彼女は手ごろな枝を拾い上げて地面に二本の線を引く。「あっちとこっちを繋ぐ橋みたいなのがあって」経路の話をしていることは確かめるまでもない。「こっちの“果て”とあっちの“果て”を結んでる」
     横に走った平行線は一本の巨大な川を描いているようにも見える。なるほど素直なモデルだと感心する。何事にもまっすぐであり、ひねくれたところのない彼女らしい考え方だ。
     肝心の“果て”はどこにあるのか訊ねると、「たまに見える」と返ってくる。「レースで一着になった時、たまに感じる」
     ウマ娘ジョークでないことは彼女のまなざしを見れば明らかで、遠い過去に異次元の逃亡者と呼ばれたウマ娘がいたことなどを思い出す。
    「ほんとだよ」疑うつもりはない。「きっとあの先に、馬のビターグラッセがいる」
     ウマ娘のビターグラッセは歩き出す。遊歩道の上を進み、公園の出口を難なく抜けていく。もちろんこの“果て”は普通の歩道に繋がっている。

  • 10二次元好きの匿名さん22/09/04(日) 22:39:44

     ルーズリーフをひっくり返す。
     馬とウマ娘が翻り、姿を変えて踊っている。ふと思い付き、「ウマ娘」の下に「トレーナー」と書き添える。自分でやっておいて、ひどく動揺する。反対側には何がいるのか。おそるおそる捲ってみると、「馬」の字の下には何も書かれていない。彼女が描いた川のような、横向きの罫線が並んでいる。当たり前だ。
     動揺しつつも、手は止まらない。三つの言葉を損なわないよう、丁寧にルーズリーフの左右を切り落とす。どちらが左でどちらが右なのかは、やはり立っている側による。
     中心に「馬」、あるいは「ウマ娘」、その下に「トレーナー」という文字が記された帯の一端に、糊付けを施す。帯を180度ひねり、両端を繋ぐ。
     メビウスの帯の上を、ウマ娘のビターグラッセが進んでいく。あまり歩かず、急いで走るのかもしれない。その表情は楽しげだ。流れる汗もぬぐわず、一心不乱に駆けていく。経路はねじれていつの間にやら裏表がひっくり返り、彼女の前には、馬のビターグラッセの背中がある。一人と一頭は晴れて邂逅を果たし、この偉業は未来永劫語り続けられることになる。
     もっとも、それはお話の上での出来事だ。実際はそうはならず、後ろを振り返ってみたところで、誰とも目が合うはずはない。

  • 11二次元好きの匿名さん22/09/04(日) 22:40:34

    以上です

    現役馬実装…|あにまん掲示板bbs.animanch.com

    以前こういったスレがあったことを思い出し、書きました

    逆輸入って面白いですよね

  • 12二次元好きの匿名さん22/09/04(日) 22:50:05

    終わり方の余韻が好き

    競走馬や騎手が歩んだ道程を萌え絵に擬人化して物語に仕立ててるんだから
    二次元の美少女の容姿という外見と、競走馬に関わるさまざまな人生の起伏の盛り上がりという内面を持ち合わせた、
    人を惹きつける完璧な存在としてウマ娘という概念は愛されるよねって
    再認識させられた感じです

  • 13二次元好きの匿名さん22/09/05(月) 06:53:06

    >>12

    ありがとうございます

    そういった立派な意図は特になく、ウマ娘が肉体的にではなく情報的に繁殖し、現実の方へとてくてく歩いていくようなよくわからない妄想からスタートしたので、何やらお恥ずかしい限りです

  • 14二次元好きの匿名さん22/09/05(月) 09:55:36

    面白い切り口だ。
    なんだか興味深く読めたよ。

  • 15二次元好きの匿名さん22/09/05(月) 10:17:26

    こういう世界の根幹に関わる話好き

  • 16二次元好きの匿名さん22/09/05(月) 10:33:03

    ウマ娘のビターグラッセが生まれてそっからこっちの世界のビターグラッセ(馬)が生まれて、それからまたビターグラッセ(ウマ娘)が生まれて...(情報・概念として)
    みたいなそういう感じの理解であってる?

  • 17二次元好きの匿名さん22/09/05(月) 12:15:19

    >>16

    そうですね。先に挙げたスレの9にあるように、「ウマ娘→馬→ウマ娘→馬→…」と、翻訳が繰り返し行われ、たくさんのビターグラッセが生まれたら面白いなと考えました

    ビターグラッセからすると迷惑かもしれませんが

オススメ

このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています