- 1二次元好きの匿名さん22/09/05(月) 01:47:25
あだ‐な【渾名/綽名】
《「あだ」は他・異の意》本名とは別に、その人の容姿や性質などの特徴から、他人がつける別の名前。ニックネーム。あざな。愛称。通称。
或いはわたしにあだ名というものをつけるのなら、それはわたしの容姿からではなく、人格や性格を抜き出して揶揄された形の名前になるのだろう。
明かりの落ちた薄暗い部屋の中で、ばばばと銃声が鳴り響き、火薬が炸裂する音がいくつも木霊する。
ぱちぱちと無数の閃光が瞬いて、目蓋の裏を焼いては消える。
周囲にはコンクリートの肉片が散らばり、舞い上がった粉塵の中をざりざりと音を立てながら、目を光らせた獣が駆けずりまわっている。
そんな光景を、ただじっと膝を抱えて眺めていた。
「どう? 千束さんのお気に入りは」
同じようにしてソファの上で足を抱えていた千束が、隣から期待を含んだ眼差しで覗き込んでくる。
室内を照らす明かりがテレビ画面の光だけのこの部屋で、その瞳は微かな光を反射して、きらきらと鮮やかに、夕焼けを思わせる茜色に輝く。
千束が「ん?」と顔を傾げると、まだ乾ききらない水分を含んだ薄金の髪がぱらぱらと揺れて、細やかな一本一本の光の糸が視界に踊り、甘い花の香りがふわり漂って鼻腔を擽った。
千束はお風呂上がりの体温がまだ抜けきらないのか、微かな明かりに照らされたその白く艶めく肌は、微かに紅を帯びていて、ぷるりと光る桃色の唇と並べ合わせると、どこか妖艶ささえ感じる。
「そうですね。リアリティに欠けると思います」
「手厳しい。もおー、素直にフィクションとして楽しみなよー」
照明を落とした部屋の中で、わたしと千束は二人きりの映画鑑賞会を行っていた。
千束さんオススメ映画四天王、と銘打たれたそれらのタイトルは、どれも銃や戦争を題材とした派手なアクション映画だった。
嫌いではないし、むしろ映画というコンテンツの中では、好きな方、だと思う。
それはわたしが銃というものに対して、非常に日常的で身近な存在だという認識を持っていたからというのも、一つ大きな要因としてある。
耳に残る銃声や、鼻をつく硝煙の匂いはとても鮮明に思い出せ、想像が容易い。
この画面に映る映像からも、現地の音と匂い、肌に感じる空気でさえもり手に取るように伝わってくるほど。
「癖みたいなものですから」 - 2二次元好きの匿名さん22/09/05(月) 01:47:48
物事を合理的に考えてしまうことは、わたしの。
「楽しくない?」
「いいえ、楽しいですよ」
千束と一緒なら、という言葉は言うか言うまいか逡巡の末、言葉にはしなかった。
ちょっとした会話を挟んでテレビの画面に意識を戻してから、わたしはいつの間にか、画面ではなく千束の顔に見入ってしまっていたことに気がついた。
瞳と髪と頬と。
まるで秋の紅葉を思わせる彩りの美しい千束の容姿は、見る者の視線を縫い付ける不思議な魔力を秘めている。
ちら、横目で千束の姿を盗み見る。
千束は、どこかぽけーっとした表情で、手に持ったジュースをストローで啜っている。
別に堂々と見て悪いことはないのだけれど、千束に見惚れていた事実が何となく気恥ずかしい気がして、誰の視線を気にするでもないが、盗み見の形になってしまった。
結果的には、こっちの方が悪いことをしている気分。
つき出されるようにしてストローに吸い付いていた千束の唇が、そこから離された時、ぷる、と微かに揺れる様が妙に艶かしく見えて、そこに触れる感触を想起してしまう。
自分の唇に触れて、感触を確かめる。ぷに。うん、柔らかくはあるか。
同じ女同士の唇なら、千束の唇と同じくらいの柔らかさなのだろうが、何故か千束の唇と比べると、千束の方がもっとずっと、柔らかそうに見えてきてしまう。
「……なにしてんの?」
千束に言われて気がついた。わたしは自分の唇を、触れて揉んで摘まんで引っ張ってと、無意識にこねくりまわしていた。
「やっぱつまんなかった?」
「そんなことないです」
「ふーん……ならいいんだけど」
そう言って千束は視線を前方へと戻す。
ふむ。
わたしは千束の唇を気にしていたのか。自分の唇で感触を代用するくらいには。うーん。
テレビ画面の向こうでは、彫りの深い筋肉質の男性主人公が、悪党と口論を繰り広げている。お互い銃口を向けたまま、自らの信念とか目的とか。
そんなことを語らっている暇があるのなら、一秒でも早く引き金を引いてしまえばいいのに、なんて風に考えてしまう。
もっとも、これは創作の中のお話で、視聴する人間に作中人物の意図を伝えるためには、必要な演出なのだもいうことも理解できるし、納得もする。
それでも、こんな風に現実と比較して、「これはおかしい」と突っ込みを入れてしまうのは、もうどうしようもない性分なのだ。 - 3二次元好きの匿名さん22/09/05(月) 01:48:25
結局、主人公は悪党を捕まえることも、倒すこともできないまま、捨て台詞を吐かれてその場から逃れられてしまった。姿を消す前に一言、主人公のことを通り名で呼んで。
「千束は、『電波塔のリコリス』ですよね」
「ほぁ?」
「通り名、とか通称とか」
「あー、あーね」
そーね、と興味なげな返事が返ってくる。千束はそういうの、好きだと思ったのだけど、あまり乗ってきそうな雰囲気ではない。
「なぁに? 自分も通り名が欲しいとか、そういう感じ?」
「そういうわけでは、ないですけど」
わたしが気になったのは、そことは少し外れていて。
「他の名前で呼ばれたこととか、ないんですか?」
「ほか?」
千束はいまいち、ぴんときていないようで、首を傾げている。
「ニックネーム……あだ名、みたいな」
「おお」
そこで合点がいったと言うように、手のひらをぽんっと鳴らして頷く。
「そういうのもいいね! 面白いこと言うじゃん!」
振り向いた千束は、ぱあっと表情を明るく輝かせて、ずいっと体を寄せてくる。千束の香りが鼻にかかる。
「ね、ね! 私のことあだ名で呼んでみてよ!」
「……わたしがですか?」
少し想定外の展開になってしまった。
わたしは千束に、あだ名とかわたしの知らない呼び名があるのかどうか、気になったのだ。もしも、そんなものがあったのなら、わたしはその名前を呼んでみたかった。わたしの知らない千束の名前を。別に、わたしが千束のあだ名を決めたい、とかではなかった。
「……なんと呼べばいいのでしょう」
「それを考えるのがあだ名の面白いところでしょ」
ほれほれと、千束は四つん這いの姿勢でずいずい顔をよせてくる。
その姿は飼い主に甘える犬のようで、もし千束に犬の尻尾があったら、ぶんぶん振り回されていただろうことは、想像に固くない。
「いぬ、とかどうでしょう」
「……ひょっとして喧嘩売ってる? 買うけど」
千束の目が、すっと細められる。
その姿から連想した名前を、そのまま呼んだのだが。
「あーあーひどいー、そっちこそ私からそんな風に呼ばれたら嫌でしょー?」 - 4二次元好きの匿名さん22/09/05(月) 01:49:25
千束のいぬ、か。
目を閉じて考えてみる。
……何を考えているのだろう。
「では、どんな名前にしましょう?」
「えー? 普通にもっと可愛いのがいい!」
「例えば?」
「んん、例えか……『ちさちゃん』とか?」
「ではそれで」
「えぇー! ちゃんと自分で考えてよー!」
ばか、おたんこなす、ぼくねんじん、などなど。千束はぐりぐりと、わたしの首元に頭を擦り付けながら、充実したラインナップの罵倒を並べ立ててくる。顔に舞い上がる千束の甘い香りと、押し付けられるすべすべとした千束の肌触りが、わたしの意識をぐらつかせる。
「千束はどうなんですか?」
「え?」
「わたしのあだ名」
「あー……」
お返し、と聞き返してみると千束もまた、考え込むように動きを止める。頭の位置はわたしの首に寄りかかったまま。じっとしているだけでも、千束の体温が肌から直に伝わってくる。鎖骨の辺りに千束の顔が押し当てられて、ぷにっとした唇の感触が触れる一点に意識が集中する。まるで熱した鉄を当てられているかのように、熱い。思わず緩みそうになる顔に、ぐっと力を込めて表情を引き締める。
「そうだなぁ……『たきちゃん』とか?」
「ちさちゃんの使いまわしですね」
「いぬよりマシだし」
「はいはい、ちさちゃん」
くっついていた千束の頭が剥がれて、むすーっという効果音の似合いそうな顔が下から覗いてくる。
眉を逆ハの字にし、口をつんと高く結んで不満を訴える顔。なんとなく悪戯をしたくなり、その顔を両手で左右から押し潰してみる。ぎゅむ。うん、やわらかほっぺ。
「あにすんあよー」
「いえ、なんとなく」
むにむにと、すべすべもちもちの感触を指先で弄びながら、思ったままのことを口にする。
「やっぱり、いつもの名前の方がしっくりきますね」
「んー」
「……千束」
「ん」
手に込めていた力を緩めて、指先で撫でるようにして、その顔に触れる。頬に耳に、顎に瞼に。千束は目を閉じて、擽ったそうに身をよじる。
気が付けば、すっかり忘れられていた映画の場面は、主人公がヒロインの美女とベッドの脇に立ち、体を寄せあっていて、妖しい雰囲気で顔を近づけていた。 - 5二次元好きの匿名さん22/09/05(月) 01:49:43
「千束も」
「んー?」
「名前で、呼んで?」
ぱちくりと開かれた千束の大きな瞳が、こちらを見据える。
じっと、見つめ返す。
微かな明かりを受けて、夕焼け色に光る瞳がふるふると揺れている。
「…………たきな」
ああ、ああ。
色香より、身体の感触より匂いより、何よりも。
わたしの名を呼ぶ千束の声が、わたしを強く狂わせる。
その小さな肩に手を添えて、くっと指に力を込める。手はまるで綿でも掴んだかのように容易く、ふわりと千束の身体を抱き寄せた。いや、千束から倒れこんできたのだ。
わたしの胸、千束のそれと比べれば、些か程しかない胸に千束は顔をうずめてくる。
千束はこちらの背中に手を回し、顔だけでなく身体もぐいぐいと、押し付けるようにしながら強く抱き締めてくる。
わたしの顔の真下に丁度、千束のつむじが映る形。わたしはそこに顔をうずめて鼻を擦り付ける。
鼻腔を通って、脳へ。今までよりもずっと強く香る、洗いたての花の香り、千束の香り。
頭の中へと直接叩きつけられる千束の存在感に、わたしの中身は思考と共に、どろどろに溶けて、身体の外へと流れ出てしまっていた。
ずっとこのまま、この香りに溺れていたい。
そう思っていると、くるりと千束の頭が上を向き、視線が合う。
今度は先ほどの見つめあいよりも、更に近く。お互いの鼻と鼻の頭が擦れて、ほんの微かな吐息鼻息からでさえも、じめとした湿りを感じるほどに。 - 6二次元好きの匿名さん22/09/05(月) 01:50:00
「………………。」
「………………。」
どちらともにも、言葉はない。
鼻が触れるほど近い顔は更に近く。
触れあう。
目を閉じて、触れる感触に全神経を集中させて、息を止める。
ぷに。柔らかい。
マシュマロとも羽毛とも。この世のもでは、例えることも烏滸がましいとさえ感じる、しあわせな感触。
そのまま二人揃ってしばらくじっとしていたが、次第に息が苦しくなってくる。微かに開いた隙間から、息を吸い込み呼吸する。
「……んにゅ」
その呼吸を感じてか、千束が隙間を埋めるように、ぐぃと、ただでさえ密着している距離を深く詰めてくる。
その勢いに、腰の力だけでは体重を支えきれず、わたしの身体は後ろへと倒れこむ。
ごろん、とソファの上で、重なりあう。
口の中に、ぬるりと入り込んでくる、異物の感触を覚えて。
観客を失った映画の場面は、主人公とヒロイン、二人の姿がまぐわっていた。 - 7二次元好きの匿名さん22/09/05(月) 03:00:09
良きSS…
- 8二次元好きの匿名さん22/09/05(月) 05:43:37
素晴らしい……
- 9二次元好きの匿名さん22/09/05(月) 06:31:16
ブラボー!
- 10二次元好きの匿名さん22/09/05(月) 08:21:06
神はここにいた
- 11二次元好きの匿名さん22/09/05(月) 08:23:27
まぐわったんですね?
- 12二次元好きの匿名さん22/09/05(月) 09:01:27
初とも小慣れてるようにとも思える
- 13二次元好きの匿名さん22/09/05(月) 12:54:10
抱き締めるだけでえっちですね…
- 14二次元好きの匿名さん22/09/05(月) 13:05:49
すばらしい才能だ
世界に届かなければ! - 15二次元好きの匿名さん22/09/05(月) 19:59:50