【リコリコSS】重い女千束概念part2

  • 1二次元好きの匿名さん22/09/09(金) 06:46:23

    思ったより長くなってしまったのでpart2に移行しました

    パロディ色が強めなのとオリジナルのリコリスが出てきますので苦手な方は注意してください

    カップリングはちさたきになります


    内容は少し長く全部移してこられないので前スレから確認をお願いします

    【リコリコSS】重い系千束|あにまん掲示板筆が遅いせいで続き載せる前にスレ落ちちゃったので再掲します千束嫉妬スレから思い付いたSSなのでそっちのネタですオリジナルのモブリスも出てくるので苦手な人は注意してくださいbbs.animanch.com
  • 2二次元好きの匿名さん22/09/09(金) 06:48:30

    前スレのラストだけ再掲します

  • 3二次元好きの匿名さん22/09/09(金) 06:49:22

     裾を掴んで、ぐいっと。お腹から頭まで一気に捲って寝巻きを脱ぎ捨て、汗でベタついた肌を露出する。
     肌に張り付く不快な感触が消え、代わりに涼やかな解放感が体を包む。同様に下も脱いで、下着のみの姿になる。
     ここは脱衣所、別段おかしなことはない。なんなら全裸でいてもおかしくない場所。
     ブラジャーのホックへと手を伸ばし、
    「…………あのさ」
     外そうと指をかけたまではいいが、やはりどうしても気になる。
    「そんな見られてると、脱ぎにくいんだけど……」
    「何故ですか?」
    「いや、何故って……」
     背後から猛烈に視線を感じる。
     振り向いた先のそこに立っている人物に、視線で抗議の意思を示す。たきなが直立した姿勢のまま、じぃーっとこちらを見ている。無表情のままこちらを見つめて、私の下着姿を見て何を考えているのかなんて読み取れない。
     何故こんなことになっているのかといえば、なにも私たちは露出プレイに興じているのではなく、軽くシャワーを浴びて体を清潔に保とうというだけの、極々当たり前の常識的な行動を取っているだけにすぎない。
     汗でベタベタの肌、ボサボサの髪、ガサガサの顔。
     熱があるので湯船に浸かってゆっくりとはいかないが、濡れタオルで拭くだけではとても足りない状態。
     どうにかサッパリしたいので、温めのシャワーで流してこようという話になったのだが。
    「自分でできるから大丈夫だって」
    「そんなことを言って、また倒れたらどうするんですか」
    「うぐ……」
     実際、昼間に一度倒れた実績があったので、強く否定できないのが痛い。
     だからと言ってこの歳にもなって、同年代の……一つ年下の女の子に、洗ってもらうなんて。
    「わたしも脱ぐんですから、早く」
    「わかった、わかったから……」
     脱ぎますよ、脱げばいいんでしょ。女の子同士なのに、下手に気にするから余計に恥ずかしくなるんだ。もうさっさと全部脱いでしまおう。
     ブラジャーのホックを外して紐が緩む。支えを失ったお肉が、重力に従ってぐっと重みを増す感覚。
     パンツもずり下げて、素早く足を通す。
     産まれたままの姿になり、シャワーを浴びる準備は万端だ。ちらりと後ろを見る。
     たきなの表情は相変わらず、何を考えているのか分からない。
     分からないものを考えても仕方がない。さっさと浴室に入って、シャワーを浴びてしまおう。

  • 4二次元好きの匿名さん22/09/09(金) 06:49:57

     浴室に入って扉を閉めると、すりガラスの向こうで今度はたきなが衣服を脱いでいく様子が、うっすらと透けて見える。
     お、おお。これは中々なシチュエーション。
     ……エロ親父か私は。
     そもそもたきなの下着姿なんて、お店の更衣室でも散々見たし、今さらそんな脱衣一つで興奮なんて……。
     視線をすりガラスから外せない。なんでだ。今とお店の更衣室とで、何がそんなに違うのか。
     いや、今は下着だけではない。このあとたきなは裸でここに入ってくる。たきなは今、着替えているのではなく、裸への一方通行を行っている。
     ああ、きっとそれが珍しいと感じているだけなんだ私は。なにも別にたきなの裸に興味があるとか、たきなが下着の一枚一枚まで脱いでいく姿に興味があるとか、そういうのじゃない。うん。単に物珍しい、と思ってるだけ。
     べちんと頬をひっぱたき、無理矢理にそこから顔を逸らして、シャワーのノズルを握る。
     蛇口を捻ると、まだ温まらない水滴がぱたぱたと体を打ち、不意の冷たさに身体がびくんと跳ねる。
     謎に妙に興奮した頭を冷やすには、丁度いいかもしれなかった。よし、これで落ち着いたかな私。
     がちゃん、と浴室のドアが開く音がして振り返ると、一糸纏わぬ姿のたきながそこに立っていた。
     わ、あ。うわ、わー。たきな、そうなってるんだ。へぇー、わぁ……。
     たきなは自身の体を一切隠すことなく、堂々とその裸体をさらけ出している。
     爪先はしゅっと整った形に揃っていて、足首はくるぶしが形がくっきりとわかるように細く引き締まっている。ふくらはぎは真ん中に太く筋肉がついていて、膝で再びきゅっと引き締まりメリハリのある形になっている。細い印象のある太股もしっかりと上へ向かうごとに太みを増している。筋肉はつきすぎず、触れれば柔らかそうな丸みを帯びた脚線美だ。
     お尻は横にはみ出さず、無駄な肉のない引き締まった体。骨盤から腰までの流れには無駄なデコボコがなく、体を効率的に動かすための機能美とも言える。
     小ぶりな胸は決して無いわけではなく、その慎ましやかな膨らみを感じさせる影と光沢の具合が、妙に艶かしさを感じさせる。
     思わず下からじっくり隅々まで観察してしまって、上まで視線を上げたところでがっつり視線が合う。
    「……なにか?」
    「え、あー……鍛えてるなー、って」
    「それは千束もでしょう」
    「まあ、ね、うん」

  • 5二次元好きの匿名さん22/09/09(金) 06:50:29

     気まずい。
     ぱたぱたと水滴の弾ける音が浴室に響く中、固まっている私の手からシャワーのノズルが奪われる。
    「水じゃないですか、ちゃんと温めてから浴びてください」
     たきなはシャワーの温度を手に当てて温度を確かめると、うげっと顔をしかめてこちらを睨む。
     だってそんな、爆発しそうなぐらい頭が熱いんだもん。
     私は今、たきなの裸を見て、興奮していた。全身の血が登ってきて、鼻から吹き出しそうなほどだ。
     女の子の裸、だからではないだろう。たきなの裸、だからだ。私は。
     お湯に浸かった訳でもないのに、既にのぼせそうな頭を振って今しがた見た光景を、邪念と共に頭から追い払おうとする。
     しかし一度見た芸術的とも、神秘的とも思えるその裸体は、私の目蓋の裏にばちばちと焼き付いて離れない。
     エロい。
     芸術や神秘にエロいという感想はどうなんだ、という話は置いておいて、たきなの裸体を見て感じた、素直な気持ち。
     私はたきなのことを、そういう目で見ているのか。そうか。つまりは、性欲。
     自分のことながら、ちょっとショックだ。もしかして、そういう気持ちが先にあったから、私はたきなのことを……いや、でも、そんなことはないはずだ。もしそうなら、最初からそういう目でたきなのことを見ていたはずだし。私はたきなの恋を応援したことだってあるのだし。まあそれは単に、私の空振りだったのだけど。ともかく、順序は性欲が後のはずだ。うん。気持ちが先で、そこに欲求が付随してきた形、のはず。
     お風呂用の小さな椅子に腰を落としながら、頭の中で自分を納得させる。
     私はなにも性欲に負けてたきなのことを……になったわけでは、絶対にない。
    「よし、温まったので流しますね」
     先程までと違い、お湯になった水滴がシャワーの口から私の頭へと放出される。
     頭の上からじゃぶじゃぶと流れるぬるい液体に全身を包まれて、体の表面が温かくなっていくのを実感する。
     たきなの手が私の頭に添えられて、全体に馴染ませるよう流れに沿って、髪を柔らかく梳かしていく。
    「目、閉じててください」
     そう言って一度シャワーを止めると、かしゅっという音と、じゃわじゃわ泡を立てるような音が続けて聞こえてくる。
    「うぁ、」

  • 6二次元好きの匿名さん22/09/09(金) 06:50:56

     わしゃ、と掴まれるように頭を左右から押さえられる。
     細い指先が頭皮の上を滑るようにして、髪の毛の一本一本に優しく泡を巻きてつけていく。
     くすぐったいような、気持ちいいような。
     口が勝手にもにょもにょ動いて、体がむずむずと揺れ動いてしまう。
    「どうですか千束、痒いところとかないですか」
    「ん、大丈夫ー」
     まるで美容院でシャンプーをしているような質問をしてきて、おかしくなる。
     たきなのことだから冗談とかじゃなくて、素直に思ったことを聞いてるんだろうなぁ。
     全体に満遍なく泡を行き届かせると、根本から毛先へ。髪の繊維に沿うようにして、手でアイロンを掛けるように、これまた優しく撫でつけてくれる。
     あぁ、もうこれは、素直に気持ちいい……。
     そうしてシャンプーを馴染ませると、温めのお湯でざあっと洗い流し、リンス、トリートメントと、同じようにして髪全体に馴染ませてから軽くお湯で洗い流す。
     涙やヨダレでぎしぎしに固まっていた髪は、指で掬っても引っ掛かりのないつやつやヘアーに。おお。
    「では次は体を……」
    「自分でやる」
     さすがにそれは理性が保ちそうにないので断った。

  • 7二次元好きの匿名さん22/09/09(金) 06:51:44

    前回がここまで




    ここから続きです

  • 8二次元好きの匿名さん22/09/09(金) 06:52:08

    >>6

     どうにかこうにか、なんとかかんとか。

     一時はどうなることかと思ったものだが、無事に一通り体を清潔に保つことができて、一息つく。

     私を洗うついでに、たきなもシャワーを浴びるというので、一足先に服を着てベッドの上へと戻ってきていた。

    「……のぼせそう」

     浴室で見た光景を思い出す。

     人形のように白い肌に、程よく引き締まった筋肉は決してゴツゴツせず柔らかそうや女体の曲線を描き、凛と立つ姿は少し姿勢を変えれば、外国の美術館に並ぶ彫像の横に立たせても違和感を持たないほどに芸術的だろう。

     芸術、詳しくないけど。

     ともかく、今の私にとってたきなの裸体は、なんかこう、すごかったのだ。

    「うう~……!」

     枕に顔を埋めてばたばたと足を蹴る。どれだけ目蓋を閉じても頭を振っても、たきなのあそこからどこまでもが眼球へと鮮明に刻印され、この煩悩にへばりついている。

     今日は泊まっていってと、たきなに懇願したことを今になって後悔する。

     正直、こんな精神状態では自分を抑えられそうにない。熱に浮かされた理性は、波で崩れる砂の城の如く、容易に本能に押し流されて、消えてなくなる。

     たきなとは何週間かの間、同棲をしたこともあるけれど、今とあの時とでは心持ちが違う。

     たきながシャワーから戻ってきたら、まともに顔を見られるだろうか。どんな顔でたきなに向かえばいいんだろう。

     両頬の肉を指で吊り上げて、力ずくで笑顔を作ってみる。にへっと。

    「い、一緒に寝よー、とか」

    「いいですよ」

    「どぉうぇ!?」

     口から心臓が飛び出すかと思った。そうなったらまた心臓変えないと。錦木ジョーク。……たきなに言ったら怒られそうだな。

     振り向くといつの間にか、たきなが部屋の前に立っていて、しっとり濡れた黒髪をタオルでぽふぽふ拭いている。

     というか、え? 今なんて言った。一緒に寝てもいいって、え? 

     だって、ここ、ベッド。

     いやでも女の子同士ですし添い寝の一つぐらいはしてもおかしくはないと思うしさすがに普通の友人との距離感ではないだろうけどたきなは相棒で親友で同棲だってしたし同じ布団で眠ることだって不思議はシャワーの後ってそれはヤバくないか

    「敷布団はありますか? さすがにそのまま床というのは」

    「あ、うん」

     だよね。風邪、移しちゃうし。

     でも、すぐ側にいてくれるんだ。

  • 9二次元好きの匿名さん22/09/09(金) 06:52:37

     たきなが私の側にいてくれる。
     たったそれだけのことで、今の今までロデオのように暴れ狂っていた自分の感情が、すぅっと波を引くように落ち着きを取り戻していくのがハッキリと分かる。
     そういえばさっき泣いた時にも、たきなにしがみついて落ち着いたっけ。なんというかかんというか、もはやたきなが一種の精神安定剤のようなものに見えてきた。
     でも待てよ。そもそもの源流を辿れば、私の心のあれそれが乱れていたのは、たきなが原因であることを考えると、たきなで乱れて、たきなで落ち着いて……を繰り返していることになる。
     これではまるで典型的な中毒症状のサイクルではないか。たきな中毒。まあ、悪くないか?
     でも心乱されるのは勘弁願いたい。
     正直、今でも私のモヤモヤは完全に晴れていないのだ。それでも落ち着いていられるのは、たきながこうして私を見てくれているから、私の側にいてくれるから。
     本当に現金だな、千束。
     壁のクローゼットに予備の布団がしまってあるので、たきなはそれを取り出して、ベッドの脇に小さく敷く。
    「枕、いる? 私はこれあるし」
     枕元に敷いたタオルを手でパシパシ叩くと、ぐるぐる巻きにした水枕が、ちゃぷっと音を立てて波を打つ。
     枕は生憎一つしかなかったので、適当なクッションでも敷くか、こちらの枕を差し出さないとたきなは快適には眠れないだろう。
    「大丈夫ですよ、これぐらい」
    「そっか。その辺のクッションとか適当に使っていいからね」
    「分かりました」
     たきなは不要だと言うが、こう言っておけば寝苦しいと判断した時には、手頃なものを枕にするだろう。その方が合理的な判断だからだ。
     その辺は、相棒やってる私には分かる。思い知ったか。内心で、どこかの誰かにマウントを取る。
     それからたきなに髪を乾かしてもらい、自分で歯を磨いて、自分でベッドに入って、たきなに布団をかけてもらう。
     たきなはベッドの縁に腰を掛けて、私の隣で様子を見てくれている。
    「そんなに見てなくたって寝られるよ」
    「一緒に寝たいってワガママ言うくせにですか?」
    「あはは……確かに」
     白い指がぽんぽんと、頭を優しく叩いてくれる。

  • 10二次元好きの匿名さん22/09/09(金) 06:52:57

     うーん、これはまた母子の距離感。ドキドキときめきとは違う、安心感。
     このまま目を閉じれば、そのまま微睡みに沈んでいきそうな暖かな感触。
     でも、もう少し。いや、しばらくは起きていたい。
     このまま、たきなの感触を味わっていたい。
    「……千束」
    「ん?」
     目だけを動かしてたきなの顔を見上げると、こちらを見下ろすたきなと視線が絡まる。
     頭に添えられた手がすっと場所を変え、顔を伝うように口許に滑ってくる。
     え、え? なになになに。
     突然の出来事に思考と身体が硬直する。
     指は唇に添えられ、たきなが身体を曲げて顔を近づけてくる。
     あ、え、ちょ。うそ、マジ? たきなさん待って。
     思わず力が入って、目を閉じてしまいたくなる距離。
     なるのに。私を見据える二つの瞳に、薄紫色に放たれた高貴な輝きに、私は瞬きを忘れる。
     こころの、じゅんびが、
    「唇、切れてますね」
    「……………………えっ」
    「確か薬箱に軟膏も入っていましたよね、取ってきます」
    「…………………………」
     そういってぱたぱたと忙しそうに部屋を出ていった。
     …………………………。
     あやつは乙女心を何だと思っているんだ。許さん。
     再び枕に顔を埋める。
     たきなが戻ってきた後も、しばらく顔を上げることはできなかった。

  • 11二次元好きの匿名さん22/09/09(金) 06:54:08

    ここまで
    スローペースで申し訳ないですが更新は続けていきます
    終わりまではもう少しかかりそうです

  • 12二次元好きの匿名さん22/09/09(金) 07:14:22

    いやーーー>10のたきなさん良い…。好き!

  • 13二次元好きの匿名さん22/09/09(金) 07:16:59

    早朝からお疲れ様
    毎日の楽しみが増えるって感じだし長くなる分には個人的に嬉しい

  • 14二次元好きの匿名さん22/09/09(金) 10:49:25

    いつの間にかイチャイチャするだけになる二人…

  • 15二次元好きの匿名さん22/09/09(金) 12:59:26

    無自覚たらしたきな…

  • 16二次元好きの匿名さん22/09/09(金) 19:32:34

    ええぞこれがみたかったんじゃ

  • 17二次元好きの匿名さん22/09/09(金) 23:50:33

    良き…

  • 18二次元好きの匿名さん22/09/10(土) 07:26:12

    いい…

  • 19二次元好きの匿名さん22/09/10(土) 08:32:58

    >>10

     何だったのだろう。

     身体についた水滴をタオルで拭き取りながら、今日一日の千束を振り返る。

     玄関で見た時の顔色の悪さや体のふらつきは、体調の不良で明らかだった。

     食事の時に泣き出した辺りから、分からなくなった。

     多分、昨夜あった電話の一件の延長だとは考えたのだが、確証はない。

     食事の後に顔を合わせなかったのは、何か顔を合わせたくなさそうな雰囲気を感じとれたが、わたしが触れることを嫌がる様子はなかったのが、またよく分からない。 

     そして今しがたのシャワー。

     服を脱ぐ前から明らかに、今まで以上に挙動が不審になっていた。

     何度もこちらをちらちら盗み見るように様子を窺ってきて、いざ脱ぎ始めたと思ったら、脱ぎにくいとかなんとか言い出して。

     言われてみれば確かに、ずっと視線を向けられている状態というのは、普段よりもそちらに意識が向いてしまうものかもしれない。わたしにはあまり経験はないが、心理的にはそうだと聞いた。

     実際、千束の裸をずっと見ていた。

     更衣室で一緒に着替える時に何度も見ていたはずなのに、この脱衣所という場所で衣服を一枚一枚脱ぎ捨てていく千束の姿は何故か、いやに官能的に思えてしまった。

     おかしな話だ。いや、おかしくはないのか? 以前、千束から同性同士における『そんな』関係について教わったことがある。

     であれば女性が女性の身体に対して、程度の差はあれど何かしらの欲求的なものを感じるのは、ごく自然なものであって、わたし自身が千束にどう、という話ではないのでないか。ふむ、分からない。

  • 20二次元好きの匿名さん22/09/10(土) 08:33:09

     少なくとも今確かな事実として分かるのは、わたしは千束の裸を隅々までばっちり確認して、それを思い返して顔を熱くしているということ。
     私のそれよりも肉付きのいい千束の身体は、女性的な特徴がこれでもかと如実に現れている。
     まず一目に分かりやすく胸が大きい。わたしが控えめだから相対的に、ということではなく、一つ歳違いとは思えない乳房はこの年代全体を探しても、中々類を見ないだろう。
     だからといって身体が太いことは決してなく、腰周りも綺麗に括れて、お腹にはうっすら縦の筋が目に見えて浮かぶぐらいに鍛えられている。
     下半身も同様に、お尻から太ももはわたしよりも一回り太く、しかしだらしなく垂れる無駄な肉もない。下着が食い込むお尻周りは、そのお肉の柔らかさを主張していて、指先でつついて摘まんで弄くってみたい欲を刺激される。
     しかしぽっちゃりという印象は全くなく、むしろ全体では均整のとれたスリムなシルエットだと感じる。
     人目を引く端正な顔立ちも合わさって、モデル顔負けのプロポーションだ。
     それを羨ましいとは特別思ったことはないし、そこに性的な意識を感じたこともない……はずなのだが。
    「…………なんでしょう」
     ざわざわと胸が激しく昂る。
     千束の一糸纏わぬ姿を見て最初に抱いた感想は、綺麗、だった。自分でも思いがけず浮かんできた感情が、おかしな表情となって形に出てしまわないよう、顔の筋肉を力ずくで抑えるのに必死だった。
     千束もことあるごとに……無いごとにもこちらを見てくるし、なんだかおかしな空気でどうしたらいいのか分からなくて、体も洗います、なんてすっとんきょうなことまで口走ってしまった。
     それでもし千束がわたしに「お願いね」なんて言って洗わせていたら、一体どうなっていたことか。
     千束が先にあがった後、頭から水をかぶって冷静になったつもりでいたが、今思い返してもまた頭に血が巡ってきて顔が熱くなっているのを自認する。

  • 21二次元好きの匿名さん22/09/10(土) 08:33:40

     濡れた髪をタオルで軽く巻き上げるように持ち上げ、千束が用意してくれた替えの衣服を手に取る。
     黒地にピンクのレースがあしらわれた上下の下着と、着るだけで太ももまでだるんと裾が落ちるブカブカの紺シャツ。
     わたしと千束で背丈に大きく差はないので、このシャツは元々がこういったデザインなのだろう。
     そして黒のラインが入ったグレーの短パン。
     うーん……なんだかそわそわする。
     そもこの下着はどういうチョイスなのだろう。
     わたしには少し大人びているというか。今の今まで失念していたが、胸の方はわたしと千束でどう考えてもサイズが合わない。しかし自分のブラジャーは、すでに回ってしまっている洗濯機の中だ。シャワーの前に回しておいた。
     ブカブカのシャツは、まあいい。これぐらい肌が隠れていると落ち着く。
     しかしこの短パンは随分と丈が短い。シャツの裾に完全に隠れて見えなくなってしまうぐらいだ。
     端から見れば、まるで上にシャツ一枚だけのような格好。
     足元の風通りが非常に良い。ほぼ全部生足なのだから当然とも言える。
     サイズの合わないブラジャーだけ元通りに畳んで、頭に巻いたタオルをほどきながら脱衣所を後にする。
     ぶかぶかのシャツは動く度にぱたぱたはためき、下着を着けていないことも相まって、どうにもすーすーするのが落ち着かない。
     今日のところは早めに寝て、あした目が覚めたらさっさと下着を乾燥機にかけてしまおう。
    「い、一緒に寝よー、とか」
     ベッドルームに戻ると千束が虚空に向かって話しかけていた。
     いや、恐らくは誰かに対して話しかけているのだろうが。その空間に目に見えない誰かがいる、という意味ではなく、話しかける相手を想定しての言葉。
     そしてその相手というのは、今この場所において該当するのは一人しかいない。
    「いいですよ」
    「どぉうぇ!?」
     髪をタオルで叩きながら答える。
     返事がくるとは思ってもなかったのだろう一人言への返答に、千束は口から心臓吐き出すんじゃないかと思うぐらい、大きく跳び跳ねて驚く。千束が心臓を吐き出すのは困るな……。

  • 22二次元好きの匿名さん22/09/10(土) 08:34:21

     千束は目に見えて分かりやすく、わたわたと慌てていた。顔は耳まで真っ赤に染まり、両手で何を表しているのかも分からないジェスチャーをして、両目はぐるぐる上下左右を縦横無尽に泳ぎ回る。
     ふむ。
     わたしは同じ部屋で寝る、ぐらいのつもりで解釈したのだけど。千束のそれは、明らかに一人言を聞かれただけの反応からは逸脱している。
     千束の言葉を頭の中で反芻し、その意味を考える。
     一緒に寝よう。文字通り、一緒に。同じ布団で、ベッドの上で。
     ふむ。
     身の危険を感じる。
     これがわたしの勘違いなら、自意識過剰もいいところだけど。千束の反応が、その勘違いに説得力を持たせてしまっている。
     もしも千束が“そのつもり”なら、わたしは……。 
    「敷布団はありますか? さすがにそのまま床というのは」
    「あ、うん」
     冷水を頭から被せたみたいに、千束はすっと落ち着いた。
     ふむふむ。
     なんとなく、分かった。
     今の千束はわたしのことを意識してしまっているようだ。これはきっと勘違いではない。
     その意識の中身の詳細がどういうものか、ということについては、今は触れないでおこう。きっと件の電話に触れることになるから。
     だから今は、これでいい。
     そもそも、風邪をひいた人間と添い寝などしようものなら、風邪を移される危険性が高い。そういう意味で、身の危険を感じる。
     クローゼットから予備の布団を引っ張り出して、ベッド脇の空いたスペースに敷く。
     枕は一つしかないらしいけど、布団が十分な厚みを持っていたので、寝るには困らない。
    「そっか、その辺のクッションとか適当に使っていいからね」
    「分かりました」
     気を配るが、押し付けはしない。
     そういう千束の配慮は、ありがたい。
     布団の準備も整えたが、寝るにはまだやり残したことがいくらかある。
    「髪を乾かさないと痛みますよ」
    「ふぇ~い」
     今にも寝転がりそうな千束をベッドから引きずり降ろし、洗面台前まで連れていく。
     握った千束の手は、湯上がりの影響か温かく、つるつると肌触りがいい。自分の意識が、手に集中する。
     櫛とドライヤーを取るために手を離そうとすると、千束の手が少し強く握りしめてきたのは、わたしの気のせいだったのだろうか。

  • 23二次元好きの匿名さん22/09/10(土) 08:35:00

     そうして千束と自分の髪を乾かして、歯も磨いて……歯ブラシは、千束が興味本位で買ったまま未使用の電動歯ブラシが置いてあったので、それを借りた。
     寝る準備も整えて、ベッドルームへ。
     千束が寝転がったところへ布団をかけ直すと、少し驚いた風にこちらを見上げ、照れ臭そうに布団で顔を半分ほど隠してしまった。わたしはそのままベッドの縁へ腰を下ろし、布団から頭だけ出ている千束を眺める。
    「そんなに見てなくたって寝られるよ」
    「一緒に寝たいってワガママ言うくせにですか?」
    「あはは……確かに」
     お互い、自然なトーン。
     意識しすぎることはなく、でも遠くもない。むしろ近い距離感。ここは居心地がいい。
     千束の髪にそっと手を伸ばして、指先で軽く叩くように触れると、まるで安らぐ子犬のように、千束の目が細まる。もっとと求めるように、千束の頭が逆にこちらの手の平へと押し当てられる。布団に隠れていた部分が見えて、今まで気づかなかった、そこに視線が奪われる。
    「……千束」
    「ん?」
     千束の鼻、その一つ下。ピンクの唇。端の方が少し腫れているように見える。
     さっきまでは気がつかなかったけれど、上から覗く角度の都合で、少し開いた唇の内側が見えるようになった。その内側に、小さな膨らみ、腫れているのが見える。
     腫れの具合を見るために、より近くで確かめようと指で触って目を近づけた瞬間、千束がきゅっと口を閉じてしまう。
     しまった、痛かっただろうか。千束の表情を確かめ……。
    「……………………」
     鈍い茜色が、眼前に広がっている。
     近い。
     しばしの硬直。
     なるほど、わたしが何をしているのか、理解できた。
    「唇、切れてますね」
    「……………………えっ」
    「確か薬箱に軟膏も入っていましたよね、取ってきます」
     千束の返事も待たずに、ベッドから飛び降りて小走りで部屋を出る。
     どんどん顔が熱くなってくる。
     わたしはなんてことを。
     水で顔を洗って温度を下げようと試みるが、どれだけ水に浸けても鏡を見ても、ペンキを塗りたくったように染まった赤色は引く気配がない。
     あまり長時間戻らないのも不自然だし、何か適当な言い訳を考えなくては。
     しかし何も思い付かず、諦めて薬を手に部屋に戻ると、千束が枕に埋まってばた足をしていた。
     今はありがたいと思い、しばらく放っておくことにしたのだった。

  • 24二次元好きの匿名さん22/09/10(土) 08:36:06

    ここまで
    小説よかったですねぇ

  • 25二次元好きの匿名さん22/09/10(土) 08:49:40

    更新お疲れ様
    お互い大好きじゃねーか!

  • 26二次元好きの匿名さん22/09/10(土) 10:26:35

    更新乙です
    お互い意識しまくってて草

  • 27二次元好きの匿名さん22/09/10(土) 14:51:38

    うぽつ
    たきなさん無知ムーヴが最強すぎる

  • 28二次元好きの匿名さん22/09/10(土) 21:42:16

    どっちも重めでいいですねぇ!

  • 29二次元好きの匿名さん22/09/11(日) 01:51:21

    ほしゅ

  • 30二次元好きの匿名さん22/09/11(日) 06:08:17

    >>23

     眠れない。

     未だに鼓動の高鳴りが収まらない。

     こちらを見つめる二つの赤い瞳が、震える唇の感触が、いつまで経っても頭の中から離れていかない。どころか目を閉じればより強烈に、鮮烈に、先程の光景がありありと目の前に甦る。

    「いや、自分で塗るから!」

    「自分じゃ見えないでしょう」

    「鏡見ればいいし!」

    「すぐですから、じっとしていてください」

     千束の唇、切って腫れたその箇所に軟膏を塗ろうと、チューブから中身を指に押し出していたら、千束が「自分でやる」と言い始めた。

     千束が枕から顔を剥がす頃には、こちらは落ち着きを取り戻して、的確で合理的な判断ぐらいはできるようになっていた。

     わざわざベッドから起き上がらせるまでもなく、わたしが直接傷口を見て、さっと塗ればそれで済む話。

     ものの10秒でもあれば充分で、体を洗うでもなければ、病人は大人しくしているべきなのだ。

    「いいから!」

    「うひっ!?」

     思わず声を荒げてしまったが、それが結果的には千束を大人しくさせた。

     ベッドに転がる千束の唇を指で開いて、すでに指の腹で伸ばした軟膏を、なるべく刺激を与えないよう馴染ませていく。

     それでも千束は抵抗しようとしているのか、もぞもぞと体をくねらせて、顔を背けようとする。

     まったくどうしてこう意固地なのか、体を押し返してくる手を仕方なく掴んでベッドに押しつけ、口の方は片手で、多少無理矢理にでも指を突っ込んで塗ることにした。

    「んぅ……ぁう……」

    「すぐ終わりますから」

     軟膏を乗せた指先を、千束の腫れた箇所へぐりぐりと動かす。よし、もう充分に塗れただろう。

     予想外の抵抗で、想定よりもだいぶ時間がかかってしまったが、無事に処置を終えることはできた。

     後は千束のことだから、軟膏を塗った箇所を舐めて拭ったりしなければいいのだが。

     今のわたしの指みたいに。

    「……ぅん、ふぁ……きあ……」

    「……………………………………………………………………」

  • 31二次元好きの匿名さん22/09/11(日) 06:09:33

     自らの体勢が、俯瞰で見える気がした。
     千束を、押し倒している。ベッドの上で、四つん這いで、腕を掴んで、口の中に指を突っ込んで。
     指の先に、意識が集中する。
     唇の柔らかさ、よだれのぬめった感触。歯列の整った歯茎の弾力、つんつんと触れるざらついたなにか。上下の唇、微かに開いた隙間から、ちゅぴ、と音が鳴る。
    「…………っっっ!??」
     ぼあ、っと火が吹き出しそうなほど、瞬間的に顔の熱が上昇した。
     いや、もはや顔どころの異変ではない。
     手は指先までワナワナと震え、手の平、額、首筋、背中腕脚……全身の至るところから脂汗が吹き出している。開いた口は、エサを求める魚のようにぱくぱく動き続け、目蓋がものすごい勢いで瞬きを繰り返し、視界が連写機能のようにしばばばっと明滅を繰り返す。喉はがらがらに乾ききり、ごくりと音を立てて生唾を飲み込んだ結果、押し倒され目を閉じて顔を赤らめている千束の姿を見て興奮している、さながら変態のようになってしまった。
     おかしい、どうしてこうなった。
     これは合理的な判断に基づいた、行動の結果のはずなのに。
     わたしはなんてことを。
     わたしは……なんてことを……。
    「……………………っあ、あの、あ……お、終わ、り、ました……よ、千束……」
     慌てて爪で引っ掻いてしまわないよう、千束の口に突っ込んだ指をゆっくり引き抜く。
     つぽっと音を立てて引き抜かれた指は、唇との間に一本の糸を垂らすほどに唾液が纏わりついていて、部屋の明かりを反射しながらぬらりと光る。
     切れた糸は千束の口からはみ出し、顔の横に一筋の白い線を引いて落ちた。
    「……………………っ」
     再び唾を飲む。
     今度は、喉の乾きとは違う、と頭は確かに理解していた。
     千束の目がそっと開く。息は微かに乱れていて、薄く潤んだ瞳だけがこちらに向けられる。
    「…………た、きな……?」
    「……っふゅ!」
     声にならない声が息となって吐き出される。
     ベッドからジャンプする勢いで飛び出し、置いてあったティッシュで指についた千束のよだれを残らずごしごしと拭き落とす。
     千束の顔に落ちたよだれも……と、ティッシュを渡そうと振り返って千束と視線が合う。
     切なげに細められた瞳。
     微かに隙間の開いた、震える唇。
     覚悟を決めたように、強くシーツを握った手。
     何の覚悟だ。

  • 32二次元好きの匿名さん22/09/11(日) 06:10:02

     ティッシュの箱を差し出して、千束の目の前に置き、二人の間の視線を切る。
     そのまま正面へと体を戻し、敷いた布団の上で正座の形。膝の上で強く手を握って、猛省。
     本当にわたしは何をやっているんだ。
     自分の頭を叩いて殴って粉々にしてしまいたい。
     大声で叫んで喚いて転げ回りたい。
     数分前の自分を、お前は全く何にも合理的な思考など持ち合わせていないぞと、全力でぶん殴ってやりたい。
    「ぁぁぁぁ………………」
     そのまま頭を抱えてうずくまり、小さく呻く。
     千束からはベッドの影に隠れて見えていないだろうが、千束は今どうしているのだろう。
     今しがた見た、色を含んだ表情を思い出す。
     絶対『そういう』風な顔だった。
     以前は無知だったわたしも、今では……年相応には、多分、『そういう』知識は持ち合わせている。
     だからベッドに押し倒しているという状況が、どういう状況なのかも理解できた。理解するのが、遅れたが。
     まずい、気まずい。今度はわたしが、顔を上げられなかった。
     こんなことなら千束に任せておけば……。
     とにもかくにも、この状況を打開するには何かしらの行動を起こさなくてはいけない。
     どうしたものか。気持ちを切り替えて、千束の方を向いて、ニコニコ笑って談笑なんてできる訳もない。
     しかし幸いなことに気づいた。私たちはもうすでに、今日一日の活動を終えているのだ。
     元々、あとは寝るだけという段階だったじゃないか。
     そうだ。顔を上げれば部屋の入り口が目の前にあって、そこに電灯のスイッチがある。
     ちょっと立ち上がって手を伸ばせば、そこに届く。
     千束の方を向くことはない。
     今はただこの空気を変えたい、耐えられない。例えこれがほんの一時、その場凌ぎの逃げであったとしても、何がなんでも時間を進めたい。
    「電気! 消しますね!」
     立ち上がって、スイッチに手を伸ばす。自分でも思っていた以上に大きな声が出たことに驚いたが、構わず部屋の明かりを落とし、布団を頭から被って丸くなる。

  • 33二次元好きの匿名さん22/09/11(日) 06:11:31

     眠れない。
     眠れるわけがない。
     手にはずっと千束の感触が残っている。
     心臓は破裂してしまいそうなほどに激しく脈打っている。
     目はぎんぎんに冴えて、無理にでも目蓋を閉じれば千束の顔が鮮明に浮かぶ。
     目蓋を開いていても、暗い視界の中では目の前の布を映すより、頭の中の千束の映像が優先されて映される。
     身体が熱い。
     まさかこんなことになるなんて、昼間には……いや、他のいつにだって、こんなことを想像したことなどなかった。
     こんな調子では、朝まで眠ることは出来なさそうだ……。
     寒さではない何かに震える腕を抱き、そんなことを考える。
     そして、睡魔など訪れないと知りながらも、目を閉じた。

  • 34二次元好きの匿名さん22/09/11(日) 06:12:05

    




























    「たきなは、消す派かぁ」

  • 35二次元好きの匿名さん22/09/11(日) 06:12:58

     ごそ。布団に重みが増す。
     上でもぞもぞと、何かが蠢いて覆い被さられる。頭に被った布団がゆっくりと捲られていく。
    「ち……ちさ、と……?」
     うずくまったまま呼び掛ける。頭上からは、小さく息を吸う音。ぐん、と背中を押されるように身体が押し潰される。首に温かな空気がかかって、くすぐったい。
    「ひぁ……」
     自分の意思とは関係なく漏れた声は、自分の物とは思えない甲高い声。
     逃げようにも、のし掛かってくる重みで逃げられず、なんとか体勢を変えようと体をよじるが、不利な体勢は覆らない。
     焦っていると、顔を……輪郭をなぞるようにして指がするする這ってくる。
     耳を摘ままれて、弄ばれるように揉みしだかれる。
     わたしがしたことを、そのまま返すように。
     そして、呼吸が耳のすぐ側まできて、
    「たきなが、悪いんだよ?」
    「ぁ……」
     ぞわりと背筋が震えた。
     唇に指が添えられ、ゆっくりと口を開くように中へと侵入される。
    「……っ!?」
     空いた逆の手が、弛んだシャツの隙間から滑り込んできてお腹を撫でる。
    「ふあ……んく…………ち、ふゃ……」
     掴まれた舌が口外へと引っ張り出され、上手く喋れない。閉じられない口の端から垂れたよだれが、シーツにぽたりとシミを作る。
     撫で続けられるお腹が、きゅうっと熱くなる。
     まずい、以上は本当に。
     意識とは裏腹に、全身の抵抗力はどんどん落ちていく。お腹を一撫でされる度、骨と筋肉が溶けるかのように全身の力が抜けていく。
    「私のこと、こんなにして……たきなは、ケダモノだ……」
    「ぃ……ぁ……」
     耳に密着するほどの距離で囁かれる。わたしの、せいだろうか。千束を焚き付けるつもりなど、なかった。
    「ブラ、着けてないね」
     サイズが合わないのだから、仕方なかった。
    「……たきな」
     完全に力を抜いて、のし掛かってくる体重を全身で感じながら、目を閉じる。
     もう抵抗する気力も……つもりもなかった。

  • 36二次元好きの匿名さん22/09/11(日) 06:16:23

    ここまで
    やる予定はありませんでした
    古戦場が忙しいです

  • 37二次元好きの匿名さん22/09/11(日) 06:25:18

    ハイたきなが悪いんだよ頂きました~~
    えっちだ…

  • 38二次元好きの匿名さん22/09/11(日) 07:19:15

    更新お疲れ様
    二人とも早くくっついた方がいいんじゃないかな?
    くっついていたね!(現在進行形)

  • 39二次元好きの匿名さん22/09/11(日) 09:53:07

    ゾンビがこなけりゃ千束は止まらないだろうな…

  • 40二次元好きの匿名さん22/09/11(日) 12:11:49

    チユリ…お前のことは忘れない

  • 41二次元好きの匿名さん22/09/11(日) 20:21:45

    ほしゅ

  • 42二次元好きの匿名さん22/09/11(日) 22:25:34

    >>35

     ちち、と窓の外から聞こえてくる鳥の囀りに耳をくすぐられて、意識が闇の中から

     まるでぬかるみの中に倒れているように体が重く、布団に沈んだまま動かない。

     目を開くことすらも億劫になるほどの倦怠感に全身を包まれていて、覚醒しかかった意識を再び微睡みの中へと手放そうとした時、さわと微かに空気の流れる感触が肌に触れ、ほのかに甘い香りが鼻をつつく。

     とても身に覚えのある香り。すぅっと体の不快な怠さが引いて、心地よい安心感に包まれる。

     昨夜は一晩中この香りを嗅いでいたような気がする。

     まだ惰眠を貪りたがる目蓋をこじ開け、目の前にある景色を確かめる。

     カーテンの隙間から差す朝の陽光を浴びて、ぱらと細々に散らばった金の糸が白色に輝いている。

     その糸の幕の向こうに、長く繊細な睫毛が閉じられている。

     千束の寝顔が、目の前にある。

     飛び起きたりはしない。昨夜の記憶が抜け落ちて、思い出せない、なんてこともない。

     はっきりと、覚えている。わたしの全身を包んでいる、この疲労の正体を。

     今もこの手には、千束の触れたあらゆる感触がくっきり刻まれていて、その一つ一つを鮮明に思い出すこともできる。

     それから、千束に触れられた感触も。

     全く我ながら、すごい経験をした。

     すごかった。

    「くぁ……」

     大きなあくびが漏れる。

     体はまだ睡眠を求めているが、これだけ意識が浮上したのなら、もう充分に目覚めの段階だろう。

     熱くなった顔を冷ますためにも、顔を洗ってくることにした。

     いい夢でも見ているのだろうか、すぐ隣でにやにやした表情のまま眠る千束を起こさないよう、ゆっくりと布団から這い出て、近くにあったパンツを手に取り身につける。

     シャツは着たまましわくちゃになっているが、丈の長さで下まで隠れるので、まあこれでいいだろう。

     元より寝巻きに使ったのだから、しわはそう大した問題でもない。

     洗面所で顔を洗い、洗濯に回していた衣類を乾燥機にかける。

     これでしばらくすれば衣服は問題ないだろう。

     さてしかし、目の前にはその程度のことなどと思える程の、さらに大きな問題が転がっている。

    「どうしましょうか……千束……」

  • 43二次元好きの匿名さん22/09/11(日) 22:25:49

     ことの発端にして、目下の課題にして、最大の難題。
     元々抱えていた問題も解決しないまま、更に大きな問題が転がり込んできてしまった。
     昨夜の行為……つまるところの……情事なわけなのだが、わたしは一体どう受け止めればよいのだろう。
     そもそも『そういう』行為というのは、意中の相手とするものだと学んだ。
     昨夜の行為は、千束から、という解釈でいいはずだ。
     そこから考えるのであれば、千束はわたしのことを……その、つまり……そういうことになる。
     これは、自分で考えていて恥ずかしくなってくる。鏡を見れば、昨日からもう何度目かも分からない頬の紅潮を確かめる。
     しかしまだ結論を出すに早い。他の可能性があることも、考慮しなくてはいけない。
     それは千束の心身の状態。
     千束がことに及ぶ直前、わたしは千束に対して、あることを“やらかし”てしまっている。
     そして、それが原因で千束をその気にさせてしまった、という可能性も容易に捨てきれるものではない。
     要するに、単なる欲求の発散。その相手として、すぐ側にいたわたしを選んだという可能性。
     現状、考えられる有力な候補はこの二つ。
     これをわたし一人でいくら考えたところで、結局は千束の本心次第である以上は結論など出せるものではないが、まさか本人に堂々確認するなんてことを憚るぐらいのことは、わたしにもできる。
     本当に、こんな時どうすればいいのか。
     知識だけは身に付けていても、経験が伴わない知識とは、あまりにも脆弱だ。
    「はあ……」
     溢れた溜め息の行き先もわからないまま、洗面所を後にした。

  • 44二次元好きの匿名さん22/09/11(日) 22:26:09

     洗面所を出てリビングに戻ると、千束が身体を布団でくるんだまま、腕ごと抱えるようにして部屋の中をきょろきょろと見回している姿があった。
     物音に気づいたのか、こちらを振り返った千束のその表情は、今にも泣き出しそうなぐらいに不安の色をありありと表していて、心配で胸がきゅっと締め付けられる。
    「ぁ……たきな……」
    「おはよう、ございます」
    「…………」
    「…………」
     挨拶をする。微妙な空気。
     無理もない。昨夜の今朝だ。
     ただ、千束の不安そうな表情は、また少し違う理由の気がした。何か根拠があるわけではなく、本当になんとなく。
    「……帰ったかと、思った」
     回答は思いの外、早い。
     ああ、そうか。目を覚ましたらわたしがいなかったから、不安に思ったのか。まるで母親を探す子供のように。そういうことなら、ホッとした。そんなかわいい理由かと。
     きっとすぐに起きて探しにきたのだろう、頭はボサボサで、布団の下に隠れている身体はよく見ると何も着ていないままのようだった。
    「いますよ、ここに」
     子犬のような千束の頭にぽんと手を乗せ、ゆっくり髪を撫でつける。くぅんと鳴くように目を閉じて、わたしの手にそのつむじをぐりぐり押し付けてくる姿が、なんとも愛おしい。
     泣きだしそうな顔は完全に影を潜め、心地よさそうに綻んだ顔は少しばかり頬を紅く染めている。
     あの千束の、こんな姿がわたしの手の中にあることは、不思議と優越感を満たしてくれる。
     きっと、わたししか知らない、千束の姿。
     昨夜の行為はどんな理由だったのか、千束の小さな笑顔一つで、先程までの思案がどうでもよくなるほどわたしは千束を。
    「体調はどうですか?」
    「ん、もう平気。たきなは? 風邪、移しちゃってない?」
    「わたしなら大丈夫です」
    「そっか、ならよかった」
    「ですので今日は、」
    「……?」
    「遊びに、行きましょう」

  • 45二次元好きの匿名さん22/09/11(日) 22:26:47

    ここまで

  • 46二次元好きの匿名さん22/09/11(日) 23:20:48

    やることやってしまったな…

  • 47二次元好きの匿名さん22/09/11(日) 23:34:09

    うぽつ
    いやー千束かわいいな…千束の描写がめちゃくちゃ可愛い…

  • 48二次元好きの匿名さん22/09/11(日) 23:47:29

    これが歴代最強リコリスですか…

  • 49二次元好きの匿名さん22/09/11(日) 23:57:53

    夜は攻め攻めだったから…

  • 50二次元好きの匿名さん22/09/12(月) 00:01:44

    千束が可愛すぎる

  • 51二次元好きの匿名さん22/09/12(月) 00:52:44

    文章が上手い、美しい
    ODでも最初に襲うのは千束からって示されたからとても納得できる流れ

  • 52二次元好きの匿名さん22/09/12(月) 08:47:37

    朝チュンいいよね…

  • 53二次元好きの匿名さん22/09/12(月) 16:01:50

    えっちなことしたんですね!?

  • 54二次元好きの匿名さん22/09/12(月) 19:24:34

    >>44

     ちん、とトースターの音が耳に届く。

     じゅわじゅわと水分が弾ける音と、香ばしい香りが漂ってくる。

     たきなが朝食を用意してくれている間に、顔を洗って着替えを済ませる。

     お仕事は昨日に引き続き、今日もお休み。今日は連絡を入れたけど。


    『たきなと♡おデート♡にいってきまーす♪』


     バカ正直に、ズル休みの連絡。

     クルミは特にリアクションなし。ミズキからは当然怒られた、二日もサボりやがって、と。すみませんね。

     先生は、気を付けて行ってこいとだけ。さすが自慢のお父さん、理解がある。大好き。

    「千束、できましたよ」

    「おおー、おいしそー!」

    「トーストに目玉焼きを乗せただけです」

    「そーれーでーも! たきなが作ってくれたんだから、絶対おいしい!」

     たきなは反論してくることもなく、照れ臭そうにふいっと顔を逸らす。そういうところが、また可愛い。

     テーブルの上に白い湯気をたてて、出来立ての朝食が運ばれてくる。

     たきなの言う通り、こんがり焼けたパンに、目玉焼きをそのまま乗せた簡単なメニュー。でも、そんなことはどうでもいいんだ。重要なことじゃない。

     大事なのは、たきなが作ってくれたということ。

     早速手を伸ばしてトーストの耳を掴む。

    「あち、おわっち……」

     熱々のトーストにじゃくっと歯を立てて齧りつく。

     ありきたりで当たり前だが、外はカリっと、中はフワッと。

     焼けた表面を咀嚼すれば、スナック菓子のようにザクザクと小気味よい音をたて砕け、中の空気を含む柔らかな食感がそれを包んで、口の中に味を長く押し留める。

     食べ進めればマーガリンも塗ってあったのか、じゅわ、と蕩ける甘味が広がり、目玉焼きの白身もぷるぷるとした食感も合わさって舌の上で様々な感触が踊る。

     黄身に歯を立てると、ぷつっと半熟卵の黄身が溢れだし、スポンジ状の生地がそれを吸って、ふわふわからふにゃふにゃの食感へと変化する。トーストには卵の味が染みて、マーガリンのあっさりとした甘味と程よく絡みあい、引っかかりのない後味が口の中に広がる。

    「んふー、すっごふおいひい」

  • 55二次元好きの匿名さん22/09/12(月) 19:24:53

     たきなに率直な感想を伝える。
     向かいの席で同じようにトーストを齧るたきなは、「そうですか」と簡単な返事で返してきた。
     たきなはいっつもこんな素っ気ない反応だが、冷たい訳じゃない。素直に褒められることに対して、照れているだけなのだ。今だって恥ずかしそうに、ちょっと目を逸らして俯いたのが、私の目にはハッキリと見て取れる。
     そういえば、昨夜はあんなところも褒めてみたら、真っ赤になって顔を覆ってたっけ。あ、思い出したら私も熱くなってきたかもしれない。
     なんだかさらっと朝食を取ってしまっているけど、昨夜のこととか全然触れてない。
     そもそも目が覚めて、たきながいなかったことを不安に思ったのは、夜の事を嫌がられたのかと思ったからだったし。そんなことも頭を撫でられてる内にぽろっと頭から抜け落ちていた。単純か、私。
     しかしなんと言って切り出したものだろう。「昨日は気持ちよかったね!」とか? うーん、お馬鹿。
     一度意識してしまうと、さっきまでスムーズに会話できていたのが嘘みたいに言葉に詰まってしまう。
     たきなも黙々と食べ進めているが、私と目を合わせる気配はない。
     ただ、そう悪い感情を抱いてるとは感じない。でなければ、遊びに行こうなんて誘ってくれはしないだろうし。
     じゃあ、たきなも昨日の夜の事には触れあぐねてる、ってことなのかな。
     まあ、うん。簡単なことじゃないよねぇ。
     正直、勢い任せなところもあったし、たきなが受け入れてくれたってより、私が無理矢理……って感じも、ある。
     今そのことについて話すと、また微妙な空気になりそうだし、大事なことだとは思うけど一旦保留しておくことも選択肢としては、あり……なのかな。
     たきなの表情を盗み見ても、先程褒めたことに対する微かな照れ以外のものは、読み取れなかった。
     私の目も落ちたもんだなぁ。恋は盲目。
     恋。
     自分で考えて、照れる。
     それ以上余計なことは考えないよう、トーストの残りを一気に口の中へとかきこむのだった。

  • 56二次元好きの匿名さん22/09/12(月) 19:25:14

    今回はこれだけ

  • 57二次元好きの匿名さん22/09/12(月) 19:58:23

    あば^~

  • 58二次元好きの匿名さん22/09/12(月) 20:29:50

    更新お疲れ様
    一歩進んだ関係になったと思ったら翌朝のもじもじするような感じっていいよね…

  • 59二次元好きの匿名さん22/09/12(月) 20:56:17

    応援📣

  • 60二次元好きの匿名さん22/09/13(火) 00:27:39

    勢い任せのあとの空気感いいよね…

  • 61二次元好きの匿名さん22/09/13(火) 06:21:17

    千束は消さない派かな

  • 62二次元好きの匿名さん22/09/13(火) 14:25:40

    ほっしゅ

  • 63二次元好きの匿名さん22/09/13(火) 14:52:50

    トーストの美味しそうな描写と2人の照れ照れなやりとりで脳が溶けた
    この続きを読むまで生きねば

  • 64二次元好きの匿名さん22/09/13(火) 19:34:02

    ほしゅ

  • 65二次元好きの匿名さん22/09/13(火) 22:36:26

    >>55

     まず最初に赴いたのは、一件の洋服店だった。

     千束と遊びに出掛ける時は、いつもここから始まる。

    「今日のたきなは、どんなコーディネートにしようかねぇ」

    「このままじゃ駄目なんですか」

     先日、千束の下へ訪れる前に選んだ服装。急ぎではあったが、組み合わせは自分で考えたもので、千束に見繕ってもらった時のままの組み合わせではない。

     いつもはそのやり方でいくと、「また同じ服着てる……」と呆れられて、新しく服を買うことになる。だからというわけではないが、今回は普段とは違って自分なりに選んだ服装だった。それでもこうして洋服店に訪れているのは、わたしのこの服装では駄目だった、ということだろうか。

    「なぁに~? その不満げな顔は~」

    「これ、似合ってないのかと……」

    「ははーん? そんなわけないじゃん、可愛いよ」

    「……? ではなぜ、また服を……」

    「ふっふっふ、毎回たきなを着せ替えるは、それが私の楽しみなわけよ! そんだけー」

    「はあ……」

    「さぁて、どれがいっかなー」

     そう言うと千束は、色とりどりの洋服が並ぶ店内を物色し始めた。

     なんのことはない理由だった。

     そういえば、初めて千束と出掛けた時のことを思い返してみると、同じような理由でとてもはしゃいでいたような気がする。

     自分がお洒落をするのならともかく、他人にお洒落をさせるが楽しみ、とは。

     その気持ちは、わたしにはまだよく分からないけれど、可愛いと言ってもらえたことは照れるぐらいには、嬉しい。

     千束から目を外して、自分でも洋服を手に取ってみる。襟の部分にワンポイントのリボンがついたベージュのブラウス。この間のチユリとの買い物の時のように、わたしが自分で服を選んで着てみたら、それも千束は可愛いと褒めてくれるだろうか。

    「たーきな! これ、これ着て!」

     ハンガーラックの向こうから、千束がひょっこり顔を出す。その手には既に三着……逆の手も合わせるともう少しあるだろうか、洋服を下げたハンガーがいくつも握られていた。

  • 66二次元好きの匿名さん22/09/13(火) 22:36:50

     その千束が、わたしが商品を手にしているのを見ると、目を丸くして小走りで寄ってくる。
    「たきな、それ着てみたいの!?」
    「いや、ただ手にとってみただけで……」
    「いいよいいよ、着てみようよ! たきなが少しでも興味あるならさ!」
    「あっ……」
     はしゃぐ千束に手を引かれて、試着室へと押し込まれる。ついでとばかりに、千束が持っていた大量の洋服ももまとめて。
     それからしばらくの間はいつものように、いくつも着替えては千束に見せ、着替えては見せを繰り返すことになった。
    「うんうん、いいねいいねぇ。やっぱりたきなは何を着てもサマになっちゃうから迷っちゃうねぇ」
     結局、どれを着ていくのか決まったのは、最初に試着室に入ってから30分経ってからのことだった。
     インナーには薄いブルーのTシャツを採用し、その上から丈の長いダークグリーンのカーディガンを羽織る。
     膝下まで丈のあるスカートには、白地に可愛らしい花のレースが装飾されていて、レースの隙間から膝小僧までが覗いて見える。頭にはゆったりした、赤のキャスケット帽を乗せて。
     鏡の前でくるり。動きに不自由はない。
     それを後ろで、よしよしと満足げな表情で眺める千束を見て、やはり実感する。
    「たきな、自分で選んだ服じゃなかったけど、いい?」
    「ええ、千束が選んでくれたものですから」
     そう、やはり。わたしは千束が選んだ服を着ているのが、一番自分の体に馴染んでいると感じる。
     これがわたしの、井ノ上たきなのファッションなのだ。
     千束はわたしの言葉に、はにかんだような笑顔で応えてくれる。その表情が、いつだってわたしのこころを強く掴んで離さない。
     どんなに暗い空も、晴らして照らす太陽のような笑顔。ただ見ているだけで、胸の中が暖かくなって、その熱は顔にも昇ってくるようで。
     この笑顔が見られるのなら、千束が笑っていられるのなら、何だってできる気がしてくる。千束は、わたしにそんな力をくれる。
     その顔が、わたしは……、
    「そんじゃあ、次行きますか」
    「はい……えっと、どこに行きましょう?」

  • 67二次元好きの匿名さん22/09/13(火) 22:37:34

     会計を済ませてお店を出るが、今日は特にスケジュールを用意しないまま外に出てきたのだ。
     スケジュールがないのは、元々昨日の遊びに誘おうと決めた時点からだったが。
     こんなことを聞いても、千束のことだから、
    「どこでもいいよ。たきなと一緒なら、どこでも楽しい」
    「どこでも……なんでもが一番困ります」
    「へへー、じゃあ歩きながら一緒に考えよ」
     まあ、分かってはいた。
     このまま特に行くアテもなくぶらぶらと歩き回るのは、どうにも目的がないようで落ち着かない。
     ただ、考えるのも一緒。それなら千束にとって、こうして歩き回っているだけでも、それは楽しいことなのだろう。
     街をゆけば自然、沢山の人とすれ違う平日の正午前。
     スーツをきた営業らしき男性、俯いてベンチに腰かけるOL、全身を華美なブランドに身を包んだ妙齢の女性、犬を連れて歩く元気そうな老夫。
     この時間帯に少女二人というのは、私たち以外にはほとんどおらず、どうにも人の目を引いてしまっている気がする。
    「たきな」
     少し後ろから声が聞こえる。
     声の方を向くと、千束が足を止めて俯き気味に、手を体の前で弄っていた。どうかしたのかと歩み寄ろうとすると、千束がそっと右手を差し出して、小さく呟く。
    「その……手」
    「……? 手ですね」
     凄い顔をされた。
     そんな顔をされても。
    「あ~……だから、たきなもさ……手、出して」
    「こうですか?」
     同じようにして右手を差し出す。向き合って交差する形。千束は何が不満なのか、頬を膨らませてじっと睨み付けてくる。
     そんな顔をされても。
    「んもー!」
    「牛ですか?」
    「手!」
    「……? はい」
     変わらずに右手を差し出す。
     ばしっ、と音がしてその右手を千束の左手が握ってきた。
    「…………」

  • 68二次元好きの匿名さん22/09/13(火) 22:38:01

     ぎゅっと強く握られる。
     その手で大柄な拳銃を握り続けてきたとは思えない、柔らかな皮膚の感触。
     ひんやりとした冷たさを感じたあとに、触れた箇所からじんわりと暖かさが広がって腕を伝ってくる。
     見ると千束は、むすっとした表情のまま、赤くなった顔を逸らしている。
     なるほど。つい、吹き出してしまう。
    「手を握って欲しかったんですか?」
    「…………ん」
    「電波塔のリコリスが」
    「…………うるさい」
    「頭も撫でてあげましょうか」
    「…………今は、いい」
     握られた手をそっと持ち変えて、こちらからも千束の手を握り返す。指と指が絡まって、より広く深く手が繋がる。
    「これで、いいですか?」
    「……うん」
     先程よりも若干、高く弾んだ声色。
     ふと見渡せば、往来のど真ん中でこんなことをしていたからか、中々に注目を浴びてしまっているようだ。
     手を繋いだ二人の少女を、周囲の人々はどのようにその目に映しているのだろう。手を触れた箇所から、急激に温度が上昇していく。
     急いでその場から離れるように、千束の手をやや強引に引いて歩きだす。
     そういえば、少し前にもこんなことがあったような気がする。この既視感は確か……そう、チユリだ。
     水族館で同じキーホルダーを買った時、あの時もはしゃぐチユリが周囲の注目を集めてしまって、逃げるように手を引いてその場を立ち去ったのだった。
     ふむ。今の千束を見て、少し考える。
     そういえば一昨日の電話の時にも、なんとか聞き取れた部分では、チユリのことを聞かれていたなと思い出す。
     もう一度、今の千束を見る。
     背丈こそ私とそう変わらないが、俯いて目を泳がせる様は、さながら小動物のよう。
     この二日ほどの千束の姿を振り返ってみても、やはり既視感。この姿は、まるでチユリと……。
     千束は、水族館でわたしとチユリを見かけたと言って、わたしはその時チユリの手を握っていて、千束は今わたしの手を握っていて。
     何か、繋がりそうな気がする。

  • 69二次元好きの匿名さん22/09/13(火) 22:38:23

     繋げてしまって、いいのだろうか。
     今は、きっと違う。
     でも、この問題はきっとすぐにまた、わたしの前に立ちふさがる気がする。
     ただの、その場逃れの選択だ。
     分かってはいても、今は、
    「へへ……」
     後ろを歩く千束の笑顔が、ただ眩しかった。

  • 70二次元好きの匿名さん22/09/13(火) 22:38:49

    ここまでです

  • 71二次元好きの匿名さん22/09/13(火) 22:58:09

    ああ〜たまらん

  • 72二次元好きの匿名さん22/09/13(火) 23:16:19

    世界に届けなければ…この素晴らしい百合小説の才能を…

  • 73二次元好きの匿名さん22/09/13(火) 23:50:29

    更新お疲れ様
    意識無意識かかわらず上書きはえっちですね…

  • 74二次元好きの匿名さん22/09/14(水) 00:02:02

    頭は後で撫でてもらうのか…

  • 75二次元好きの匿名さん22/09/14(水) 06:09:25

    たきなさん罪な女だぜ。ODで判明したけどやっぱたきなさんは百合キラーなんすねぇ

  • 76二次元好きの匿名さん22/09/14(水) 07:12:34

    尊い……
    ところでこの作品もう1人登場人物がいたはずなんですが…

  • 77二次元好きの匿名さん22/09/14(水) 07:28:15

    千束可愛い…

  • 78二次元好きの匿名さん22/09/14(水) 13:41:52

    ほしゅ

  • 79二次元好きの匿名さん22/09/14(水) 19:34:25

    ほしゅ

  • 80二次元好きの匿名さん22/09/14(水) 20:11:36

    >>69

     扉を開けるとからんころんと鐘がなり、濃厚なスイーツの甘い匂いと、さらりと香ばしい珈琲の匂いが出迎えてくれる。

     二人でぶらぶらと街をさ迷いながら、目についたお店をいくつか回って、空腹を感じ行き着いたのは川沿いに構える一件のカフェ。最近SNSでも人気のお店らしく、近くまで着たのだから言ってみようと千束が提案してたきたのだ。

     流石に人気店なだけあり、お昼を少し回った時間でも混雑していて、店内に座れるスペースは見当たらない。受付で予約を済ませ、列に並んで空きができるのを待つ。

     その間も、千束とはずっと手を繋いだまま。

     途中、トイレやエスカレーターなど何度か手を繋ぎ直す場面があったのだが、その何度かを経て最終的に、腕を組むように交差させ指を絡めて手を繋ぐ形に落ち着いていた。手を捻ったりしないで済むので、これが一番自然で楽な形。

     その様子を受付の店員さんからは訝しげな目で見られ、列に並んだ人達の中にも、チラチラと物珍しげに視線を送ってくる人もいる。

     隣の千束を確かめると、そんな視線も知ってか知らずか、全く気にも止めずにご機嫌な鼻歌を流していた。

     手を繋いで最初の方こそ照れているようだったが、少し歩けばもう慣れてしまったのか、すっかりいつもの千束だ。あいも変わらずマイペースな千束の姿に、安心感を覚える。

     そのまま千束の横顔をじっと眺める。ほう、と溜め息が出そうなほど綺麗な横顔。千束は美人だ。美人は三日で飽きるなどという言葉もあるが、千束はいくら眺めていても飽きない。まあ千束の場合は中身も伴っていると思うので、その言葉が正しく当てはまるのかは微妙だが。

    「待ってる間は暇だねぇ」

    「そうですね」

    「何かしよっか」

    「何か?」

    「暇潰し、立ったままできるやつ」

     わたしの視線に気づいた千束が、そんなことを言ってくる。ふむ。千束を眺めているだけでも暇は潰せるし、わたしには必要ないと思ったが、千束が暇だというのなら断る理由はない。

    「何をするんですか?」

    「うーん……しりとり?」

    「単純ですね」

  • 81二次元好きの匿名さん22/09/14(水) 20:11:52

     確かに立ったままで、道具や事前の準備も必要なくすぐに始められる。
     語彙の続く限りは時間も潰せるし、記憶を引き出す行為は脳にいい刺激にもなって悪いものではないだろう。
     暇を潰す選択肢として、千束にしてはなかなか合理的だ。まあ千束のことだから、単なる思い付きで言っただけで、そこまで考えてはいないだろう。
    「いいですよ、では千束からどうぞ」
    「おーし、負けないぞー! まずはリンゴ!」
    「御成敗式目」
    「おぁ……? あぁ、渋いな……クルミ」
     渋い。渋いだろうか? 教育を受けた者なら、誰でも知っている有名な言葉と思ったが。渋いと言われて、あまり嬉しい言葉ではないなと思う。ならば方向性を変えようか。
    「耳を掩いて鈴を盗む」
    「え、何?」
    「慣用句です、悪事を働いた人間が……」
    「ああーうん、わかったわかった。『む』から始まる言葉ね、『む』……むきあまぐり」
    「離朱が明も睫上の塵を視る能わず」
    「……しりとりやめよっか」
     結局、映画の話をしながら時間を潰すことになった。

  • 82二次元好きの匿名さん22/09/14(水) 20:12:10

     テーブルの上には、色とりどりのスイーツが華やかに並べられている。
     千束お好みの、カロリーバランスを考えない甘さたっぷりのメニューたち。
     上から中まで苺たっぷりのショートケーキ、生クリームを乗せた厚みのあるパンケーキ、アイスを乗せて粉チョコをまぶしたワッフル、綺麗に並べられてデコレーションをほどこされた輪切りのバナナとはちみつシロップ、雪のように細かな砂糖をまぶした抹茶のスフレパンケーキ……。
    「いや、食べきれないでしょう」
    「食べきるよ! 残すのは勿体ないからね!」
    「最初から量を考えて……もういいです」
     千束はスマホを構えて、何度も角度を変えてスイーツを撮影しながら、納得のいく角度を探している。さっさと食べてしまわないとアイスなどは溶けてしまうし、形が崩れてしまうものもある。
     それから少しして、ようやく気に入る写真が撮れたのか、満足げに頷くと席についてナイフとフォークを手に構える。
    「本当にこんなに食べきれるんですか?」
    「たきな、やりたいことに比べたら、私たちの人生は短いぐらいなんだよ。やりたいことはどんどん、無限に沸いてくるぐらい。食事だってそう! まだまだたーっくさん、世界には私が食べたことも、聞いたこともない食べ物がある。これを食べきったって全然足りないぐらい。だからどれだけ食べたって、少しも損はないんだよ!」
    「……そう、そうですね、そうでした。沢山食べましょう、これからも」
     見るだけでも胃もたれしそうなスイーツ達だったが、千束の力説に少しだけ胃が軽くなった気がする。
     パンケーキにナイフを入れる千束を見れば、これは食べきるのに相当時間がかかるだろうなと察しのつく、ゆったり食事を楽しむ姿。
     でもその姿が、美味しそうに、幸せそうに口を動かす千束の顔が、どんな食事よりもわたしを満足させてくれる。
     そんなことを思いつつ、抹茶のスフレへとフォークを突き立てる。柔らかな生地がくにっと変形し、更に差し込むと中から緑色のクリームがとろりと溢れ出す。
     フォークで丸ごと掬うように持ち上げて口の中へ運べば、溶けるようなふわふわの食感に、爽やかな抹茶の風味とクリームの甘さが鼻腔の中にまでいっぱいに広がって、思わず顔が緩みそうになる。頬が落ちる、とはこういうことなのだろう。千束の表情が蕩けきっているのも納得の美味しさ。

  • 83二次元好きの匿名さん22/09/14(水) 20:12:27

     これなら思ったよりも沢山食べられるかもしれない。
     甘いものは別腹、というには全てが甘味なので、まったく別にならないだろうが。

     大量のスイーツは、何とか食べきれた、のだが。
     幸い、胃袋の中身が溢れることはなかったけれど、あまりの糖分量に珈琲で逐一流し込まなければ、とても食べきれなかった。
     その結果、胃の中はスイーツのみならず、お代わりをかけた珈琲も合わさってたぷたぷになっていて、手で触れて分かるぐらいにはお腹は膨れている。
    「うぇっぷ……」
    「だから言ったじゃないですか……」
    「だってぇ……」
     今は近場にあった公園のベンチに腰を掛けて、食後の小休憩を取っている。ちょうど木陰になっていて直射日光が当たらないので、ゆっくり休むにはちょうどいい。
     消化を促進するように、ゆっくりお腹を揉みながら深呼吸していると、足の上に突然ずしりとした重みがのしかかる。
    「千束?」
    「んー、ここ貸して」
    「……まあ、いいですけど」
     下に視線を移すと、千束がわたしの太ももを枕代わりにして横になっていた。食べてすぐ横になるのは……一瞬そう注意しようと口を開きかけたが、太ももに感じるこの重みからなんとも言えない心地よさを感じて、千束の我が儘を受け入れてしまう。
     きっと今のわたしなら、千束のどんな我が儘も受け入れてしまえるのだろう。でもそれで悪い気はまったく起こらない。むしろ、千束が甘えてきてくれることに、喜びさえ感じていると思う。
    「……む、なに?」
    「頭を撫でているだけです」
    「それは、分かる」
    「嫌ですか?」
    「……んん、もっと」
     そういえば、と千束の頭に手を乗せる。手を繋いだ時に、頭を撫でようかと軽い気持ちで聞いたら、千束は「今はいい」と答えたのだ。
     今はいい。後で。それが、今。
     千束は少しうとうとしているのか、口数も少なく、呼吸も小さく落ち着いている。
     平日昼下がりの公園には賑わうほどの人もなく、わたしたちの時間を邪魔するものは何もない。
     時おり散歩やランニングで通りすぎる人がこちらを見てくるが、それだけ。
    「寝ますか?」
    「ん……」
     小さな子供を寝かしつけるように、そのままゆっくりと頭を撫で続けた。緩やかに吹く風に包まれながら、過ぎ行く昼下がりの時間を感じて。

  • 84二次元好きの匿名さん22/09/14(水) 20:13:28

    ここまでです

  • 85二次元好きの匿名さん22/09/14(水) 20:14:59

    更新お疲れ様
    やだもー!バカップルじゃないですかー!

  • 86二次元好きの匿名さん22/09/14(水) 21:25:09

    二人きりにするとずっとイチャつくな…

  • 87二次元好きの匿名さん22/09/14(水) 22:06:37

    あまーい!

  • 88二次元好きの匿名さん22/09/14(水) 22:26:09

    どこでもイチャイチャしてる…

  • 89二次元好きの匿名さん22/09/14(水) 23:55:44

    甘さたっぷりのスイーツをたくさん食べたような満足感を感じる
    でももっとちょうだい!

  • 90二次元好きの匿名さん22/09/15(木) 00:07:32

    いつもこんだけイチャついてんのに不安になっちゃうのか千束...まぁしゃあないか!

  • 91二次元好きの匿名さん22/09/15(木) 02:55:11

    やることやったあとだからね…

  • 92二次元好きの匿名さん22/09/15(木) 08:53:58

    >>83

     スマホの画面を開いて、現在の時刻を確かめる。

     19時の10分前。18時50分。

    「ギリギリだねぇ」

    「千束が寄り道するから」

    「はーいはい、ごめんね~」

     最終入場時刻寸前でなんとか滑り込む。いつもの場所、千束のお気に入りの水族館。

     お昼の公園では、気がつくとわたしも座ったまま眠ってしまっていたようで、目を覚ました時には、先に起きていた千束に膝枕をされていた。わたしの方が面倒を見ているつもりだったので、「たきな、ぐっすりだったね」なんて千束に笑われて、少し恥ずかしい思いをした。

     その後もしばらく二人で街中をぶらついて、いろんな場所を見て回った。ゲームセンターやペットショップ、リアル脱出ゲームというものも体験した。

     特にペットショップでは、様々な生き物が一様に取り扱われていて、まるで小さな動物園に来ているかのような感覚を味わえた。生き物の生態をスマホで調べながら店内を回るのは、この水族館に初めて来た時と同じようで、やはり楽しい。

     もし機会があれば、千束と動物園に行ってみるのも悪くない、と思う。

    「時間までゆっくり回ろっか」

    「千束のペースでいいですよ」

     今日何度目になるかも分からない、手の繋ぎ直しを行う。一日繋いでいたからか、汗でぺたぺたした少し不快な感触があるが、それも千束と手を繋いでいるという事実だけで、嫌な感じは不思議と消えてなくなってしまう。

     わたしも少しは見慣れてきた館内の景色を、普段よりもじっくり水槽の中の生き物たちを眺めながら、言葉を交わすこともなく、時間を掛けてゆっくり歩いていく。

     途中、ガラスに反射する千束の顔と目があって、どちらともなく笑いあったりもした。

    「静かだね」

    「もうすぐ閉館ですから」

     大水槽前のベンチに座り、二人で肩を寄せ合う。

     閉館時間も迫った頃、館内は人もまばらで水槽を管理する機械の音が響く程に静かな時間。

     わたしたちだけの時間が、ここにはある。

  • 93二次元好きの匿名さん22/09/15(木) 08:54:15

     こぽ、と水槽の中を小さな泡が昇っていくのが見える。ここにも一つ既視感が落ちていた、が思い出せないので忘れてしまう。
     本当に、静かな時間。
     千束との間に言葉はなく、一人頭の中で思考の海に浸る。
     一番最後にこの水族館へ来たのは、二週間ちょっと前。その時には、後輩のチユリを連れてここに来ていた。
     その日、仕事に出ていた千束も、恐らくは仕事の帰りに同様にここに立ち寄っていて、わたし達の姿を見ていた……ということらしい。
     その事が千束にとっては、二週間も思い悩んだ末に、深夜にあんな電話をかけてくる程のことだった、ということか。
     その上で、昨日の一日を思い返す。
     昨日も昨日で色々あった。リコリコの皆に相談をしたり、初めて花束を買ったり、今にも死にそうな顔の千束だったり、それを看病したり、シャワーに入れたり、一緒に……寝たり。
     今日一日はどうだろう。
     洋服を買って、ウィンドウショッピングをして、お昼にカフェへ行って……いや、きっとそうじゃない。千束から望んできたことは、手を繋ぐことや膝枕。
     わたしとの、接触。
    「千束」
     どれだけ思案しても、思い付くのは精々これだけ。
    「ひょっとして……ヤキモチ、妬いてます?」
    「…………」
     返答はない。ちら、と横目で千束を盗み見るが、こちらを向く気配もない。
     だから返事を待つ。このまま閉館までの間は、少なくとも。
     水槽の中を小さな泡が昇っていく。
     今度は思い出した。先日の夜に見た夢。昨日の不安が形を成したような夢。わたしはあの泡を追いかけたのだろうか。あの泡は、きっとわたしが吐き出したものだ。大切なものだった。この水槽の中で、わたしは、自分の中にあった小さな……思い出を吐き出した。
     誰かと……チユリとこの場所へ来たことで、新しい記憶が古い記憶を塗り替えるように、体の中の酸素を入れ換えるように。けれど水中では新しい酸素は取り込めなかった。吐き出すだけの、一方通行。吐き出して、苦しい思いを抱えて沈んだだけ。
     あの子は……わたしの酸素にはなれなかった。わたしは、無意識にそんな想いを抱えていたのだろうか。

  • 94二次元好きの匿名さん22/09/15(木) 08:54:34

    「たきな」
     どれだけの時間が経った頃だろう、千束が口を開いた。
     この場所に座った頃には、閉館まで20分もなかったから、そう長くはないと思う。
     千束はまだ真っ直ぐに前を見つめたまま、こちらを振り向く様子はない。
    「たきなは、私のこと……」
     少し言葉に詰まったように、微かな沈黙。それに続く言葉をわたしは待つ。
    「私のこと、好き?」
     詰まっていたのは、たった二文字の言葉。
     わたしが投げかけた質問の答えにはならない、別の質問。
     その言葉の意味するところがなんなのか、どこなのか、思案する。
     好き、という言葉の意味。人として、友人として、相棒として、仲間として、或いは……。
     千束の質問がどういう意図なのか掴みとれなければ、この質問への返答は簡単にしていいものではない、と思う。先程までにはないこの場の緊張感に、じわりと背中に汗が滲んで伝う。
     いや、きっとわたしが一人で緊張しているだけ。昨夜のことがあるから、最後の可能性を意識してしまって。
    「私はね、たきなのこと、好き」
     ほら、千束はあっさりと伝えてきた。こういう人なのだ、本来の千束は。人を惑わせるような、勘違いをさせるような、気を持たせるようなことを平気で言う、本当にズルい人。
     でも、少し安心した。千束がそういう意味だと言うのならわたしの答えも同じに決まっている。
     わたしも、好きだ。わたしに沢山のものをくれて、楽しいことも嬉しいことも、悲しいことも辛いことも、全部含めて、千束のことが、
     好き。

    「愛してるよ」

     その気持ちを伝えようと千束の方へ向いた時、茜色の双眸が真っ直ぐにこちらを見つめてそう言った。
     その後ろには、閉館の時刻を伝えに来たであろう館の女性職員さんがいたが、千束の言葉に目を丸くして小走りで下がっていくのが見えた。
     わたしはただ、千束に見据えられたまま、固まっていた。

  • 95二次元好きの匿名さん22/09/15(木) 08:54:57

    ここまで

  • 96二次元好きの匿名さん22/09/15(木) 08:59:13

    うぽっつ
    美しい…

  • 97二次元好きの匿名さん22/09/15(木) 10:49:31

    一般通過女性職員もびっくりの直球告白、良い…

  • 98二次元好きの匿名さん22/09/15(木) 10:50:57

    これ千束視点も見てぇ〜

  • 99二次元好きの匿名さん22/09/15(木) 12:32:25

    更新お疲れ様
    Odの時のようなどっちに逃げてもいい選択肢を自分で潰してて成長を感じられますね…

  • 100二次元好きの匿名さん22/09/15(木) 12:50:53

    よかった…けどまだ見たい

  • 101二次元好きの匿名さん22/09/15(木) 13:19:44

    チユリがしれっと水没扱いで駄目だった…
    エリカの扱い見てたらまあ…

  • 102二次元好きの匿名さん22/09/15(木) 14:53:13

    たきなさんよ…
    垂らしておいて酸素になれなかったはちょっと酷くないですか
    まあわかってはいたけどさ

  • 103二次元好きの匿名さん22/09/15(木) 15:20:07

    俺ちょっとやらしい雰囲気にして来ます!
    …もうなってる!

  • 104二次元好きの匿名さん22/09/15(木) 22:34:12

    >>94

     青い和装の袖に腕を通し、緩まないよう腰で帯をきつく締める。袖が垂れないよう脇からたすきで締めて、その上からエプロンを腰につける。腰まで伸ばした髪は、首を中心に二つで分けて耳の後ろで結って肩の前に。

     そうして出来上がった姿を鏡で確かめる。喫茶リコリコで働く、井ノ上たきなのいつもの姿。

     ぺしっと軽い音を立てて両の頬を叩く。

     ロッカーの中、フックに預けられたそれを見て、きゅっと口を結んで意を確かめる。デフォルメされた、きっと何の種類でもない小さな魚のキーホルダー。お揃いのものが欲しい、とねだられて買ったもの。

     指で触れて確かめれば、つるつるとした表面を指が気持ち良く滑って、室内の明かりを綺麗に反射する。

     再び鏡に目をやると、自分の背後。更衣室の入り口に少し隙間があり、そこからじぃっとこちらを見つめる瞳。

    「覗きですか?」

    「浮気ですか」

    「……違います、さっき話したでしょう?」

    「……へんっ」

     先に着替え終えていた千束が、廊下からこちらを覗いていた。

     千束は鼻を鳴らして……鼻を鳴らすような音を口で出してお店の方へ向かっていった。まったく、可愛いやら面倒やら。

     さっき話した。その内容を確かめるように、スマホを取り出して画面の内容にもう一度目を通す。


    『今日、お店に遊びに行ってもいいですか?』


     差出人は、後輩の女の子。

     そこに続く自分の返事をしっかりと確認して、画面を閉じて、再度気を引き締める。

     千束には……まあ、いいだろう。今は何を言っても頬を膨らませるばかりだろうし。

     更衣室を出て店舗のフロアへ。外にポップを設置してきたのか、千束が丁度お店の外から戻ってくるところだった。

     目と目が合ったので手を振ってみると、千束は恥ずかしそうに、口許をもにょもにょさせて小さく手を振り返してくる。自然な笑顔を作ろうとしているのだろうが、とてつもなくぎこちない表情。ちょっと引く。なんだかこっちまで恥ずかしくなってきたので、切り上げて仕事に入ることにした。

     甘味の仕込みや珈琲豆の準備、椅子とテーブルの拭きあげ。それぞれ分担して開店前の作業を行う。

    「店長、午後からの……」

    「ああ、構わんよ。今日は千束もいるしな」

    「すみません、ありがとうございます」

  • 105二次元好きの匿名さん22/09/15(木) 22:34:37

     千束の方を見ると今の会話を聞いていたのか、またしても目が合う。今度はぷいっとすぐに逸らされてしまったのは、その内容のせいだろう。
     困ったやきもち妬きである。
     わたしも、千束が他の誰かを見ていたら同じように嫉妬しまうだろうか。分からないけど、分からなくていいけど。今は千束がわたしをそうやって見てくれていることが、少し恥ずかしいけど、とても嬉しい。
    「うーっし、開店時間よー」
    「あいよー」
     ミズキの絶妙にやる気のない声が、店内に響くか響かないか微妙な大きさであげられた。それに応えた千束が入り口の扉を開けて、看板を『CLOSED』から『OPEN』へと入れ換える。
     開店と言っても、ひっそりと構えたこの喫茶店に、すぐに客が入ってくることはそうない。
     この時間帯から来るにしても、およそ常連さんか、朝の散歩中に通りすがる人か。
     訪れた少し暇な時間に、座敷席の縁で座る千束の隣へと腰かける。
    「拗ねてますか?」
    「……やっぱり私も」
    「ややこしくなるので」
    「むぅ……」
     唇を尖らせて抗議の色を示してくるが、決定を覆すつもりは毛頭ない。このまま拗ねる千束を眺めるのも悪くないかと思うが、やはりご機嫌は取っておいた方が後々いい方向に働くだろう。その辺りのバランスは、取っておかねば。
    「千束、こっちを向いてください」
    「……何よぅ?」
     千束の前髪、リボンで止めた左側の隙間から手を差し入れて、下から撫で上げるようにその髪をかきあげる。触り心地のいい金髪は、指にさらさらと触れて絡まることなく持ち上がって、できもの一つない綺麗な額が目の前に現れて、そこにつ、と唇をつける。
    「…………」
    「…………」
    「…………」
    「…………」
     ほんの一瞬。すぐに離して、千束の乱れた前髪を撫で付けて整える。自分でやっておいてだが、これはなかなか恥ずかしい。
     千束は額に手を当てて、金魚みたいにぱくぱく口を動かしている。
    「今日はこれで我慢してください」
    「ゎ……ぁ……」
     りんご飴みたいになった千束の頭をぽんぽん叩いて、立ちあがる。カウンターの方から「ざけんな……」とぼやく声が聞こえたが気にしない。
    「客来てんだぞ……」
     気にすべきだった。

  • 106二次元好きの匿名さん22/09/15(木) 22:34:55

     入り口の扉の方へ視線を移せば、見知った常連さんの顔が気まずそうに覗いている。
     雑誌ライターの徳田さんだ。
     来客を知らせる鐘が、からんころんと今さらになって鳴る。
    「あ、その……看板がオープンだったから……出直した方がいいかな?」
    「ぜっ……ぜーんぜん! ほらトクさん座って座ってー! 何にしますー!? 何でも頼んじゃってください、ほらほらぁ!」
    「すみませんね、うちの子たちが……」
    「はは……若い子たちのコミュニケーションは、ちょっと刺激が強いですね」
    「千束スペシャルですねー!? お飲み物も必要ですねー! もうガブガブ飲んじゃってください!」
     後悔は先に立たず。場所を弁えるべきだった。
     わたし達の行為が徳田さんにどのように見えたのか、馬鹿正直に聞く勇気は湧かない。
     今はただ、この騒がしい朝から噂が広まらないことを祈るばかりだった。

  • 107二次元好きの匿名さん22/09/15(木) 22:35:29

    ここまで

  • 108二次元好きの匿名さん22/09/15(木) 22:49:57

    ヤバすぎてヤバい
    一生読んでいたい

  • 109二次元好きの匿名さん22/09/15(木) 22:51:57

    素晴らしき才能

  • 110二次元好きの匿名さん22/09/15(木) 22:53:54

    んん〜良い……良すぎてじたばたしてる

  • 111二次元好きの匿名さん22/09/15(木) 22:57:30

    千束がちいかわになっちゃった...

  • 112二次元好きの匿名さん22/09/15(木) 23:12:31

    デートしてるわけでもないのにあまーい!

  • 113二次元好きの匿名さん22/09/15(木) 23:15:27

    おいたわしや…徳田さん…

  • 114二次元好きの匿名さん22/09/15(木) 23:18:47

    徳田さんはちさたきイチャイチャ写真集(意訳)出版した人だからヘーキヘーキ

  • 115二次元好きの匿名さん22/09/15(木) 23:20:18

    千束がしおらしいの新鮮、そして小動物みたいで一挙一動が可愛い

  • 116二次元好きの匿名さん22/09/15(木) 23:26:55

    >>109

    あら^~ん機関が支援するべきだよな

  • 117二次元好きの匿名さん22/09/16(金) 04:02:00

    >>111

    ちさかわ…

  • 118二次元好きの匿名さん22/09/16(金) 09:49:42

    >>106

     井ノ上先輩のお店に、いきなり顔を出したのは失敗だったと、私は反省した。

     と言っても、理由も無しに「遊びに行ってもいいですか?」なんて連絡を入れるのに気後れしてしまって、喫茶店だし急に行っても、いざとなったら偶然も装えてしまうのだし、と自分に言い訳をしながら訪問したのが前回。

     その急な訪問から一週間。今回の休日はちゃんと事前に連絡を入れて、先輩とお話とか、一緒にいられる時間をしっかり狙っていこう。そう決めた先日、先輩にメッセージを送った。送ったのだが……。

    『今週のどこか、先輩のお店に遊びに行ってもいいですか? あまり忙しくない時間帯に伺いたいと思ってます』

     勇気を出して送ったメッセージ。先輩はなんと返してくるのだろうか、迷惑だと思われないか、きっと私が無駄に怖がっているだけで、先輩は優しく受け入れてくれるんじゃないか。そんな不安と期待がぶつかり合う時間だった。その待っている間の時間は心臓がばくばくで、ずっと時計を横目に確認しながら、スマホの前で10分ほど正座していたのを覚えている。

     スマホのバイブレーション機能がヴーヴーと鳴って、飛び付くように画面を確認すると、そこには考えていたどちらの答えでもない返答が映っていた。

    『少し待っていてください。千束の許可を取ります。』

     千束。

     心臓がぎゅっと強く握られた感覚。知ってる。分かってる。明るい笑顔をした、薄い金髪のもう一人の女性店員。きっと彼女が井ノ上先輩の先輩にあたる人で、先輩に大きな影響を与えた人。

     お店のSNSを見ている時にも、顔も名前も何度も目にしていた。たぶん、私は意図的にその人を意識の中から避けていたのだろう。この間のお店に行った時にも、この人がいなくて、きっと私はホッとしていたと思う。

     先輩との会話の中にだって、一度も名前が出てきたことはなかった。なのに、

    「許可って……なんで?」

     お店に行くだけなのに、許可が必要なの? そんなわけはない。出入り禁止になるようなことをしたならともかく。

     突然出てきたその名前と、「許可を取る」ということがどう繋がるのか、さっぱり分からなかった。

  • 119二次元好きの匿名さん22/09/16(金) 09:50:02

     スマホの前で頭を捻っていると、再びスマホが振動する。
    『明日か明後日の午後から。お昼のピークを過ぎてからなら大丈夫です。』
    『明後日伺います!』
     明日でも問題はなかったのだが、いきなり明日というのはがっつきすぎな気がするというおバカな理由で、一歩遠慮してしまう。こういうところがダメだな、私。
    『了解しました。準備をして待っています。』
     後輩相手にもこの固い文面。先輩らしいと思って、少し笑ってしまう。
     しかし準備、とは。もしかして、遊びに出かける準備?
     私としてはお店で働いている先輩の姿を見たかっただけで、そこまでお邪魔するつもりはなかったから、もしもそうだったら、言葉足らずで申し訳ないことをしてしまった。でも、また一緒に出かけられるのなら、それはそれで嬉しいし、訂正したいとも思わないのが、ズルいヤツだと我ながらに思った。
     許可というのも、それに通じるものだったのかもしれないと考えて、胸を撫で下ろそうとした時、また着信。その画面に映った文面を見て、全身からさぁっと血の気が引くのを感じた。

    『千束から許可を取れたので、千束のことについてお話もあります。二人きりです。』

     先程までの浮かれ気分を一蹴する、何度も繰り返してきた先輩とのメッセージのやり取りとは、明らかに違う雰囲気。
     何か大切な話。きっと明るく楽しい話ではない、そんな文面。
     明後日を指定したのは、失敗だったと、私は後悔した。
     翌の丸一日はその内容が気になって、一日なにをしていたのかも全く思い出せないぐらいだった。
     今朝になっても不安感は拭えないまま『今日、お店に遊びに行ってもいいですか?』などと元々約束していた予定を再確認してしまうほど。
     そして先輩からの返事も、
    『もちろんです。準備をして待っています。』
     内容の変わらない返事。
     外出の準備を整え、時間を確認する。
     正午を過ぎて、お仕事の人達がお昼休みを終える頃。飲食店のピークは過ぎ去る頃だろう。
     何が待ち構えているのか、恐怖にも似た感情に押し潰されそうになりながら、玄関の扉に手を掛ける。
     この扉を開けばきっともう後戻りはできない、覚悟の扉。
     私は井ノ上先輩が、好きだ。
     誰に何を言われようと、それは変わらない。例えそれが先輩でも。
     私は覚悟の準備をして、扉を開けた。

  • 120二次元好きの匿名さん22/09/16(金) 09:50:59

    ここまで
    やっと出番がきたのでチユリのイメージも再掲

  • 121二次元好きの匿名さん22/09/16(金) 09:59:08

    更新乙です

    チユリちゃんの脳が破壊されていく…

  • 122二次元好きの匿名さん22/09/16(金) 10:11:46

    ここでグダグダ期待を持たせずにきっぱり筋を通すあたりたきならしいと思うし、めちゃくちゃ好きだわ

  • 123二次元好きの匿名さん22/09/16(金) 17:28:17

    チユリちゃん処刑されちゃうのかな
    あまり酷いことしないであげて…

  • 124二次元好きの匿名さん22/09/16(金) 17:47:12

    かわいそうだけどうやむやにして期待をのこすほうが残酷だから

  • 125二次元好きの匿名さん22/09/16(金) 18:32:36

    >>119

     この場所に来たのは、随分と久しぶりな気がする。

     実際には二週間ほど。

     最近というには長いし、久しぶりというには短いような、微妙な期間。

     ただこの水族館には、年パスを購入するぐらいには足しげく通っている。たまのお休みに、疲れた時に、考え事をしたい時に……何よりも“以前の私”にとって二週間というのは『久しぶり』に分類しても、誰も異論を唱えないであろう期間。

     今も私にとって二週間というのは、まだまだ長いと感じるのに充分すぎる時間だった。それだけお気に入りの場所。

     だったのに、最近は近寄ることさえも避けていた。ここにくると、少し嫌なことを思い出してしまうようになったから。少し嫌なことがあったから。

     だから今日も、ここに来るのは避けたかった。たきなに手を引かれて、たきなの足がこの場所を目指していると気がついた時、正直気持ちは重たかった。

     ここがどんな場所で、何があったのか。あの電話のこと、もう忘れたのかよって、あんぽんたんって内心でちょっと毒づいた。

     それでも、いざ来てみればそんな暗い気持ちなんて忘れてしまうぐらいに、この場所はやっぱり綺麗だった。

     たきなと一緒に年パスを差し出す瞬間は、何回やってもこの上なく嬉しいと感じる。

     繰り返し見慣れた景色も、水槽の中にいるのは一日一日を生きる私達と同じ命だと考えると、途端に毎日だって新鮮で違う景色に映る。今日は何を考えて泳いでいるのかとか、明日の予定はあるのかなとか。

     それがたきなと一緒なら、尚更。手を繋いでいれば、もっと。

     繰り返し見慣れた景色は、その日までのどんな日よりも、新鮮で美しく輝いていた。少し前に見た嫌な景色も思いも、微塵にさえ感じなかった。

     ずっとこの時間が続けばいいって、終わらなければいいって、閉館時間までにはとても見て回れないぐらいゆっくり歩いていたはずなのに、気づけば時間はあっという間に過ぎ去っていった。

  • 126二次元好きの匿名さん22/09/16(金) 18:33:30

     たきなと一緒に、目の前に巨大な水槽を望むベンチに寄り添って腰を掛ける。触れ合った肩から伝わる体温が、体の芯まで伝わってくるように暖かく感じた。
     館内を回る間、お互いに交わす言葉も殆どなく、こうして並んで座っていても言葉は出てこない。けれど、その沈黙に不思議と嫌な感じはなくて、むしろ心地いいとさえ思う。
     閉館直前で周りに人はいなくて、とても静かな時間。水槽から漏れる青い光に包まれて、まるで海の中の世界に来て、人間は私達二人だけになったかのよう。この魚達と同じように、たきなと二人一緒に広い海を泳ぎ回れたら、絶対楽しいだろうなぁ。
     たきなは魚の種類を調べながら、どうしてこんな姿になったとか、どうしてこんな動きで泳ぐのかとか、そういうところばっかり気にするんだ。私は見た目が面白いとか、何考えて泳いでるんだろうとか、そんなことを言って楽しむ。でも、どっちも正しい楽しみ方だと思う。
     私とたきなは、違うから。違うのに、同じものを見ているのが、嬉しいんだ。
     違うものを見ていたから、悔しかったんだ。あの時。
     少し、体重をたきなに傾ける。
     頭にさらりと、たきなの長い黒髪が触れる感触。
     香水などの飾り気がない、たきなそのままのいい匂いがする。
     千束。
     すぐ隣からたきなの声がする。感情の起伏を読めない、真っ直ぐに落ち着いたトーン。
     ひょっとして……ヤキモチ、妬いてます?
     ははぁ、さてはこいつ、今ごろ気づいたのか。本当に今さらになって。普通、あの電話の内容で気づかないかなぁ。電話の内容が普通じゃなかったのは、置いておくとして。
     さて、どうしたものかな。はいそうです、と答えるのは簡単だけど、それでその後どうなるのか。
     今日、手を繋いだ時のようにからかわれるのかな。また、頭を撫でてくれるのかな。どうなるにしても今は答えない。少し時間が欲しいから。私には、私の。
     水槽の中に視線を向けたまま、押し黙る。
     数えきれない沢山の魚達が、同じ水槽の中で泳いでいる。彼らにとってはきっとそこまで広くはないだろう世界。そんな狭い場所で、よくガラスにも他の誰かにも、ぶつからないで泳げるものだと感心する。こっちは水槽の外にいるのに、見えないものに何度もぶつかっては立ち止まって、その度に手で触れてみなければ、先に進むこともできやしない。

  • 127二次元好きの匿名さん22/09/16(金) 18:33:51

     私達は、ぶつからなければ形を確かめることもできないまま。ぶつけ合ったなら、それはそれで見えなくなってしまうものある。
     触って、確かめて、認めて、受け入れて。
     そうやっていくつもの過程を経て、やっと同じ方向を向いて泳いでいける。
     だから今も、触って確かめないといけない。
     認めて、受け入れないといけない。たきなのこころを。
     たきなからも、私に触ってほしい。確かめて、ほしい。
     たきなと一緒に、泳ぎたいから。
     たきな。
     前を見据えたまま呼び掛ける。
     それは、さっきの質問に答えるためじゃなくて。
     たきなは、わたしのこと……。
     言葉に詰まる。
     うーん、覚悟は決めたはずなのに、いざ言葉にしようとすると、やっぱり難しいなぁ。でも、いかなきゃ。私は今、知りたいんだ。
     私のこと、好き?
     一度言葉にすると、それまでつっかえてたのが嘘みたいに、爽快な気分が全身を駆け抜ける。体の中にずっと残っていた重みが全て抜けるように、外へとまとめて吐き出される。なんだ、こんな簡単なこと。こんなことを伝えられなくて、私はずっとうじうじしていたのか。
     これなら言える、いくらでも言える。
     私はね、たきなのこと、好き。
     百回でも、二百回でも千回でも。
     伝えたい気持ちは、まだまだこの言葉では足りない。
     もっともっと、この気持ちを伝えたい。今の私のやりたいことは、最も優先すべきことは。
     たきながゆっくりとこちらに顔を向ける。
     その顔はどこか嬉しそうで、困惑しているようでもあって。
     私は真っ直ぐにたきなの瞳を見つめて、言う。

     愛してるよ。

     たきなの目が見開かれて、固まる。
     教えてほしいな、たきな。
     私の気持ちは伝えたから、今度は、たきなの。

  • 128二次元好きの匿名さん22/09/16(金) 18:34:31

     昨日の夜、たきなとは深く触れ合った。それでも、一度もしなかった触れ合いが、まだあった。
     体重を、さらにたきなへ傾ける。
     青を反射して、さらに深味を増した宝石のような瞳。
     その瞳に反射する私の姿が、はっきり見えるほどの近い距離。
     鼻の中いっぱいにたきなの香りが広がって、たきなの感触が唇に触れる。
     目を閉じると、感触はより濃密に感じられ、頭の中でぱちぱちと弾けるように、その存在感が劇的に大きく増していく。
     夜にこの口唇で触れた頬よりも、首筋よりも、肩より腕より指よりも、胸よりお腹より背中よりも、太ももより膝より爪先よりも、臀部や秘所よりどの場所よりもずっと。
     この、口づけがたきなを一番感じられる。
     苦しい、と思うまで、呼吸が止まっていたことにも気づかないくらい、夢中だった。
     肺が酸素を求めて、深い呼吸を要求している。お互いの唇に塗られたリップも、別れを惜しむようにくっついていて、ぬちっと粘っこい音を立てて離れる。
    「たきなは?」
    「ぁ……」
     たきなは、みるみる内にその顔を赤く染め上げていく。
     可愛いなぁ、たきなは。抱き締めて、その首筋に顔を埋めたい衝動に駆られる。
     今は、我慢するけど。
    「ぁ……愛ぃ…………して、ると……思、います……ひゃっ!?」
     我慢できなかった。
     真っ赤になって俯くたきなが、本当に可愛くて、愛おしくて。
     自分の顔もきっと真っ赤になってて、自分から告白したのに、それを見られるのが何となく恥ずかしくて、見られないように。
     ぎゅうっと音が鳴りそうなぐらいに強く抱き締めて、顔を擦り付ける。
    「たきな、好き。付き合って」
    「ぇ……ぁ……わたし、」
    「付き合って!」
    「……………………はい」
     言葉で足りない気持ちを、体と合わせて精一杯に伝える。たきなは誰かと付き合うとか、きっと考えたこともなくって、びっくりしてるだろうけど。それでも我慢できなかった私の気持ちを、受け止めてくれた。
     愛してると、思う、と応えてくれた。
     はい、というたった二文字の言葉が、この世界中の何よりも優しく響いて、私の耳に届く。

  • 129二次元好きの匿名さん22/09/16(金) 18:35:15

     涙が出そうなくらい、嬉しい。
     この世のどんな言葉で語っても、今のこの気持ちを形容するには、足りないだろう。
    「う……へへ」
     溢れそうになる涙を、懸命に噛み締めて堪える。
     今は泣くよりも、笑いたいんだ。
     頭にふわりと、優しく添えられる柔らかな感触。
     もう何度目だろう。たきなを抱き締めながら、たきなに抱き締められながら、その優しい手つきで頭が撫でられる。
    「もう、閉館の時間みたいですよ」
    「ん」
    「いきましょう」
    「うん」
    「手、繋ぎますか?」
    「うん」
     目の端を拭って、まだ抱き締め足りないと訴える体を、力ずくでたきなから引き剥がす。
     目が合って、一瞬の硬直。
     たきなの顔が目の前に、ふわりと近づいて、離れる。
     本当に触れるだけの、小さな口づけ。
    「……あ、愛してます……ちゃんと、言っておかないと」
    「……真面目だなぁ」
     照れ臭そうに口許を覆うたきなは、とっても乙女チックで、やっぱり可愛い。もう可愛いばっかり。
     笑ってその手を取る。
     ぎゅっと指を絡めて、絶対離さないように。
     
     何人かの職員さんが、物陰から見ていることに気がついて、二人して真っ赤になりながら逃げ出してきた。
     またしばらく、水族館に顔を出せなくなってしまった。

  • 130二次元好きの匿名さん22/09/16(金) 18:37:13

    ここまで

  • 131二次元好きの匿名さん22/09/16(金) 18:40:23

    プロットではあとイベントは5つですが
    このデートから告白までが3つだったのでもう少しかかりそうです

  • 132二次元好きの匿名さん22/09/16(金) 19:07:20

    乙です…
    あと、5つもあるだと…

  • 133二次元好きの匿名さん22/09/16(金) 19:19:36

    まだ半分以上残ってるのが嬉しすぎる反面、ここまで甘々で完結したように見える関係性がどう転がっていくのか不安だよ・・・でもそのドキドキがたまんねぇんだ

  • 134二次元好きの匿名さん22/09/16(金) 20:58:54

    空気の読める職員

  • 135二次元好きの匿名さん22/09/16(金) 21:03:38

    更新お疲れ様
    水族館をここで絡めるの凄いなぁ…
    ある意味食べられなかったし食べられてよかったね

  • 136二次元好きの匿名さん22/09/16(金) 22:38:28

    マウスtoマウスでのキスだけはしてないっていいよね…

  • 137二次元好きの匿名さん22/09/16(金) 23:16:53

    読むのに夢中でいいね押すの忘れるんだよなぁ

  • 138二次元好きの匿名さん22/09/16(金) 23:34:35

    最後には力押しで気持ちを伝える千束
    全て受け止めて律儀に気持ちを伝えるたきな
    すごくイメージしてる通りの2人で嬉しい嬉しい

  • 139二次元好きの匿名さん22/09/16(金) 23:39:34

    プラトニックな感じとそれに留まらない肉欲を孕んだ強い執着のバランスがめちゃくちゃ良くて、どうしようも無く深い繋がりだってのを感じる
    要するに主は天才なんだよ!

  • 140二次元好きの匿名さん22/09/17(土) 08:00:33

    たきなのほうが全身キスされてるの所有物感出ててえっちい…

  • 141二次元好きの匿名さん22/09/17(土) 13:20:18

    ほしゅ

  • 142二次元好きの匿名さん22/09/17(土) 21:34:57

    ほしゅあげ

  • 143二次元好きの匿名さん22/09/17(土) 22:04:49

    次はちゆりちゃん回かな

  • 144二次元好きの匿名さん22/09/17(土) 22:16:42

    >>129

     ほう、と深く息を吐く。

     湯船にぐっと身を沈め口許までお湯に浸かり、唇を震わせて息を吐きだして、ぶくぶくと空気でお湯を跳ねあげる。

     お風呂で考え事をするときは、こうするのがセオリー。漫画で読んだ。

     この二日間を振り替えってみると、とても濃密な二日間だった。苦悩を抱えた二週間が比べ物にならないほど、圧縮された二日間。いい意味で、だ。

    「んふ、ふふ、むふふふ~」

     夢見心地と呼ぶに相応しい。

     あれから何度思い返してみても、顔がにやけるのを止められない。やらかしたと思った昨夜の情事から、今日の水族館でのことまで。

     たきなの声、全身の触れた感触。忠実にこの頭の中で再現でき、それを思い出すだけで幸福の脳内物質がどばどば沸いて、溢れんばかりの多幸感が全身を駆け巡る。

     無意識の内に体は左右に躍り、口は勝手にふんふふんと軽快なメロディを紡ぐ。足先はぱしゃぱしゃとお湯を蹴って、両手は絡み合ってにぎにぎと意味もない動きを繰り返して、全身が私の喜びを表現している。

     うーむ、自分のことながら分かりやすい浮かれっぷり。

     だって仕方ない。嬉しいんだもん。

     たきなと寝て、告白して、付き合うことになった。順番が多少前後しているのは、まあそういうこともあるだろう。

    「うわっ、ぷっ!」

     調子よく足を上げすぎて、上半身がお湯の中へと滑る。体勢はそこまで崩れなかったものの、勢いよくダイブしたせいで鼻からお湯が流れこんできて、むせる。

    「げっへ、うぇ、ごほっ」

     少し、お湯を飲んでしまった。うわ、飲んでしまった。

    「…………」

     ちゃぷ、口まで浸かって、逡巡。いやいや、それはさすがにないな、ないよ千束。

     …………魔が差した。

  • 145二次元好きの匿名さん22/09/17(土) 22:17:07

    
     ぱたぱたと手の平に適量の化粧水を滴し、軽く指で広げて顔にゆっくりと馴染ませる。
     お風呂上がりの肌は、お湯が蒸発と共に皮膚の水分を吸いとって乾燥させてしまうので、肌が荒れないよう保湿は欠かせない。
    「次入りますね~」
     軽快な声で手を振りながら、わたしと入れ替わりに浴室へと人影が消えていく。
     ああもう、脱ぎ散らかして。
     下着から洋服まで、千束が散らかした衣類を拾い集めて、かごの中へと放り込む。
     この調子では、また家事を押し付けられそうだ。
     髪を抑えるために頭に巻いていたタオルをほどいて、こすらないよう柔らかく叩きながら、濡れた髪から余分な水気を吸い取っていく。
     ドライヤーも使い、温風と冷風で髪を乾かす。
     髪をしっとりする程度にまで乾かしてからリビングに戻ると、テーブルの上に置きっぱなしにしていた自分のスマホが、着信を知らせるランプを点灯していた。
     手に取って画面を確かめると、そこにあったのは一件のメッセージ。
    『今週のどこか、先輩のお店に遊びに行ってもいいですか? あまり忙しくない時間帯に伺いたいと思ってます』
     チユリからだ。
     先日、リコリコに来ていたものの、その時は千束のことがあって、チユリの相手をしている暇はなかったなと、思い出す。
     それでなのか、今度はわたしが店にいる時間を確認するために、事前に連絡を入れてきたのだろうが、店で食事をするだけなら、何も対応するのがわたしである必要はないはずだ。
     遊びに、とあるが、チユリは常連ではないので、ボードゲーム大会などのことは、きっと知らないだろう。
     となれば、この言葉の意味するところは……「わたしに会いに、お店に来たい」という風に解釈できる。自意識過剰と言われれば、それまでだが。
     まだ千束が入ったばかりの浴室へと視線をやる。
     耳を澄ませば、小さく鼻唄が聴こえてくる。扉が開いているとはいえ、部屋をまたいで聴こえてくるのは相当ご機嫌なようだ。
    「困りましたね」
     このことを黙って「どうぞ来てください」などと返事をすれば、きっと彼女のご機嫌を損ねることになるだろう。
     かといって、正直に伝えてもご機嫌斜めになる姿が容易に浮かぶ。
     どちらをとるか考えて、
    『少し待っていてください。千束の許可を取ります。』

  • 146二次元好きの匿名さん22/09/17(土) 22:17:25

     今のわたし達の関係を考えると、黙っているのはよくないだろう。何も後ろめたいことはないのだし、隠すように黙っておく理由もない。
     ただ、結局返事は分からなかったが、千束はわたしとチユリのことで、ヤキモチというか、あまり快く思わないことがあるらしい。
     それも踏まえた上で、わたしは今、千束と交際関係にある。そう考えると、相手が誰であろうと、千束に無断で遊ぶことを目的として会うことは、許されないと思う。
     ……交際って、そういうもの、なのだろうか。
     経験がないから。改めて考えてみると、交際しているから何が変わるというものが、まったく分からない。
     千束とは付き合い初めてまだ一時間ほど。見た目には、特別な変化はない。
     あるいは何か変化があるにしても、まだ実感の得られるような時間は経っていない、ということなのか。
     なんにせよ、行動は早い方がいいだろう。
     脱衣所へいき、浴室のドアを開ける。
    「千束、相談したいことが」
    「どぉおい! ちぃーちち、違うんですよたきなさんこれには事情というものが!」
    「は?」
     開けると同時、千束が湯船から飛び出すようにして派手に立ち上がり、意味不明な身振り手振りで、訳の分からないことを述べ連ねた。
    「……何かしてたんですか?」
    「あ、いや、何でもないです……」
     今度は大人しくなったかと思うと、膝を抱えてごぼごぼと湯船に沈んでいく。意味が分からない。
     まあ千束の行動が分からないのは、今に始まったことではないし、今は他にすべきことがある。
    「今週中に……ある人と会おうと思っているんですが」
    「……誰?」
     わたしの態度を見て察したのか、千束の顔からすっと赤色が引く。
    「……あの子?」
    「はい。それで千束に確認を、と」
     画面は見せないが、スマホを指で叩いて、連絡が来たのだと伝える。口が湯に浸からないぎりぎりまで顔を沈めて、恨めしそうな視線。
    「……何しに?」
    「話をしようかと。千束との、関係について」

  • 147二次元好きの匿名さん22/09/17(土) 22:17:49

     千束の態度は案の定だった。だからチユリには、千束との関係について説明して、今後のことも含めて話し合わなければならない。
    「私もいく」
    「あちらから来るそうです」
    「じゃあ私も一緒に」
    「なので千束抜きで出掛けようと」
    「……なんでよ」
    「ややこしくなりそうだからです」
    「そんなこと……」
    「ありますよね?」
     物事を面倒にした前科があるのだ、千束にはいくつも。こと恋愛ごとにおいては、人前で土下座まで披露する羽目になったという、前科が。それを指摘すると、ぐぐぬぅと呻きながら鼻まで湯に沈む。言い返せまい。
     とりあえずはこれを許可が取れたものだと解釈して、明日か明後日の昼過ぎならば大丈夫だと、チユリに返信する。
     するとほんの五秒ほどでスマホが震えて『明後日伺います!』という、元気のよい声まで聞こえてきそうな返事が返ってきた。
    「返事早くない?」
    「まあ……」
     見ていた千束も少し驚いているようだった。
     了解したとのメッセージを返し、一度切り上げようと思ったが、これだけでは意図が伝わらないかと思い、補足のメッセージも送る。
    『千束から許可を取れたので、千束のことについてお話もあります。二人きりです。』
     そのメッセージに、既読の文字はついたが、今度は返事が返ってくることはなかった。
     理由は分からないが、チユリはどうにもわたしのことを慕ってくれているようで、普段はもっと積極的に返信してくるのだが、このメッセージには何かしら思うところがあったのだろうか。二人きりで、その場にいない人のことを。ふむ。湯船でぼこぼこ音を立てている千束に視線を移す。
     どこか二人の態度が重なるような気がして、昼間のことを思い出す。わたしの中で、二人の何かが繋がりそうな。
    「たきな、寒いんだけど」
    「あ、すみません」

  • 148二次元好きの匿名さん22/09/17(土) 22:18:10

     言われてようやく、浴室のドアを開けっ放しにしているのだと気がついた。それでずっと、千束は顔までお湯に浸かっていたのか。
     ドアを閉めてリビングへと戻り、ソファに腰を掛ける。ぼんやりと天井を見つめて、考えるのは千束のこと。
     千束はわたしを愛している。それは紛れもない、本人の口から聞いた言葉。好きとも、付き合ってほしいとも言われた。きっと、本心からの言葉。
     わたしは千束を、愛している……と自信を持って言えるのだろうか。わたしには、まだ『愛』というものが明確に理解できているとは言い難い。確かに、恋愛の基礎的な知識は、以前に千束から教わったことがあるし、漫画や映画の中でも、恋愛をする人物を見て、多少の知見は得ていると思う。
     その通りに考えるのであれば、わたしは千束を見て胸が苦しくなることがあるし、綺麗だと見惚れることもある。一般的には、これは『好き』に分類できる気持ちではあるはずだ。
     つまりわたしは、千束のことが『好き』だと言える
     では、愛。愛と好きとでは、またニュアンスが異なる場合がある。
     わたしの『好き』は、千束がわたしに向ける『愛』と同質のものだろうか。考える。
     千束に告白され、キスをされて、わたしも愛していると返事をしてキスを返した。あれはその場の精神的な高揚からくる気持ちを愛と勘違いした、ということはないのだろうか。
     所謂、吊り橋効果的な感情の昂りを勘違いするというもの。今回は吊り橋のドキドキではなく、もっと恋愛そのものでのドキドキになるので、あまり正しい例えにはならないが。
     少なくとも、わたしは千束にキスや……性的な行為をされる以前から、千束に対して胸が高鳴るような感情を抱いたことは、ある、と思う。それは、今にしてみればというもので、当時の自分にはよく分からない感情だった。
     それを前提に考えるのであれば、告白やキスを受けて気持ちが昂ったのは、その場の雰囲気に流された勘違いなどではなく、間違いなくわたし自身も千束に対して恋愛的な感情を抱いた結果の高揚だろう。
     つまり、一時的な精神の高揚による判断ミスはないと思っていいだろう。

  • 149二次元好きの匿名さん22/09/17(土) 22:18:27

     だからわたしは、千束のことを愛している。
     愛という感情に自信は持てないが、わたしが千束に特別な感情を抱いていることは、確かだ。間違いない。
     何よりも大切な人だということは、それだけは絶対の自信を持って言える。愛しているから大切だとか、大切に思う気持ちが愛なのだとか、そういう順序は分からないけど。
     それでも確かに、千束が何よりも大切な存在なのは、何と比べて確かめるまでもない。
    「たーきな、お・待・た・せ♡」
    「別に待ってはいませんが」
    「あぁん冷たぁい……」
     風呂上がりの千束が、髪を濡らしたまま珍妙なポーズを決める。一人で考え事をしていたし、事実をそのまま言っただけなのだが、冷血扱いされた。
     千束はそのまま髪も乾かさずにソファへと寄ってきて、隣に腰かける。
    「髪ぐらい乾かしてきてください」
    「んー? たきな拭いて」
     わたしが首にかけっぱなしにしているタオルへと、濡れた頭を預けてくる。まったく、手間のかかる先輩である。
     既に水分を吸って湿ったタオルでは、思うように乾かない。仕方なく席を立ち、新しいタオルを取りに行こうとすると、寝巻きの袖をぐっと握られて引き留められる。
    「その、さ」
     赤くなって俯く千束。
     察しがついた。
    「お風呂、後でもっかい入らない……?」
     ああ、もう。
     化粧水も使って、髪もしっかり乾かしたのに。
     千束の濡れた髪にそっと手を伸ばし、小さくかきあげる。ふわっと石鹸の甘い香り。
    「……仕方ないですね」
     ゆっくりと千束の身体をソファに寝かせる。ソファが濡れるのは、千束が悪いのだということにしておこう。

  • 150二次元好きの匿名さん22/09/17(土) 22:19:00

    ここまでです
    放送までに間に合った

  • 151二次元好きの匿名さん22/09/17(土) 22:43:17

    更新お疲れ様
    チユリちゃんのカウントダウンが始まったな…

  • 152二次元好きの匿名さん22/09/17(土) 23:13:15

    ああ…いい…すごくいい…!
    千束が悪いんですよ…

  • 153二次元好きの匿名さん22/09/17(土) 23:27:19

    たきなにはチユリにバッサリいって欲しい気持ちと、チユリに夢を持たせてあげたい気持ちが同居している
    というか千束のことを言われて諦めたつもりがどうしても憧れがやまずにチユリまで重いコになる可能性もあるんじゃ…
    たきなさん本当に罪な人だな

  • 154二次元好きの匿名さん22/09/18(日) 02:36:45

    しれっと連泊なんですね…

  • 155二次元好きの匿名さん22/09/18(日) 03:40:09

    本編でメンタルバキバキに破壊されてるからここの名作SSだけが心のオアシス

  • 156二次元好きの匿名さん22/09/18(日) 03:46:16

    乙です

    たきなが割とクソボケしてる…

  • 157二次元好きの匿名さん22/09/18(日) 08:06:23

    >>149

     扉を開けて現れたのは、確かにあの日見た女の子だった。

     背丈は低く、頭のてっぺんは私の目線よりも下、鼻くらい。

     大きな瞳は金色とも言えるような輝く黄色で、薄い栗色の髪を耳の後ろでぴょんと跳ねるように束ねている。

     一目に見て小動物系の愛らしさを感じさせる、可愛らしい女の子。

     身にまとっている折襟のついた紺のワンピースは、スカート部分が白いプリーツになっていて、その上から紺の布地が被さるようにボタンで止められている。その配色はセカンド・リコリスの制服を彷彿とさせて「たきなの色だ」と直感的に思ってしまい、少し奥歯を強く噛む。自分の顔が歪んでいるのが、分かってしまう。

    「いらっしゃいませ……ああ、いらっしゃいチユリ」

    「ここ、こんちに、は!」

    「すみませんが、もう少し待ってください。もう少しお客さんが落ち着いてから、準備しますので」

    「あ、あ、いや、そんなに急がなくて! わ、私も少し注文とか、しますから!」

    「そうですか、では注文を」

     たきながその「チユリ」と呼ばれた女の子に対応する。

     接客にも慣れた、たきなの穏やかな表情。でも、その優しく笑った表情と、私に向ける笑顔とで、その違いが私には分からなくて、

    「…………」

    「ぅ……」

     たきなが振り向いて、鋭い視線を送ってくる。

     それは怒っているのではなく、釘を刺す視線。分かっているから、と。

     私、そんなに表情に出していたか。他にもお客さんのいる前で、いかんいかん。すぐさま顔を揉んで柔らかくする。笑顔、笑顔だ千束。

     私だって分かってる。朝にはこれで我慢しろとおでこに刺激まで貰ってて。それでもやっぱり、いざ目の前にするとモヤモヤしてしまうのだ。たきなが、他の女の子に笑顔を向けている、その光景に……。

    「うぅ~……!」

    「どうしたの、千束ちゃん?」

    「あ、あー……なんでもないですー! ちょ~っと寝不足気味でぇ……」

     顔見知りのお客さんに心配されてしまった。

     どうしてたきなが女の子と話しているだけで、こんなにも心がぐちゃぐちゃになってしまうのか。以前には「たきなの恋をフォローしよう!」なんてことまでやっていたはずなのに、気づけば私がたきなに恋をして、たきなに恋をされてて。

  • 158二次元好きの匿名さん22/09/18(日) 08:06:38

     恋なんて、私は一生することもないままかも、なんて思っていたのに。
     こうして当事者になってしまえば、なんのことはない。こんなにも楽しい思いも、辛い思いもあるものかと、ごく短い期間で何度も味わっている。
     たきなと誰かとの間柄を応援なんてことを今の私がやろうとしたら、血反吐でも撒き散らして倒れるかもしれない。
     恋は人を変えるなんてよく聞くけど、本当だなぁ、なんてしみじみ思う。いや、しみじみしてる場合ではなかった。お客さんの対応はそのままに、横目でたきな達の様子を窺う。
    「このおはぎ、美味しいですね!」
    「それ、今日はわたしが下ごしらえをしたんです」
    「え、えっ!? ほ、本当!? せ、先輩のおはぎ、すっごく美味しいです!」
     仲睦まじい二人の姿が見える。
    「……千束ちゃん?」
    「は~い、どうしました?」
    「それ、メニュー表……」
    「あ……」
     顔にはめちゃくちゃ力を入れているので、笑顔は崩れていないはずだが。と思っていたのだが、どうやら手にも力が入っていたらしく、持っていたメニュー表がぐしゃりと見るも無残に変形していた。
    「あ、あはは~……すみません! すぐ別のお持ちしますんで!」
     たきなとミズキに「なにやってんだ」と言わんばかりの視線を投げられる。ミズキはともかく、たきなには「なにやってんだ」は私の台詞だと言ってやりたい。私がたきなの彼女なのに、彼女である私の目の前でそんな、そんな……。
     もう早くお客さん捌けてほしい。二人でそんな会話してるとこなんて見たくないから、早く出ていってほしい。
     私がいるとややこしくなる、なんてたきなが言っていたのは、正しかったのだと思う。
     こんな私は、以前の私とは違う。上手く気持ちを抑えられなくて、衝動的に何を言ってしまうか、自分でも分からない。
    「千束」
    「あ……なに、先生……」
    「たきなのこと、どう思ってる?」
    「え、どしたの急に……」
    「随分、焦ってるな。少し落ち着いたらどうだ」
    「…………」
    「二人の時間は、まだ沢山あるんだろう? そのために、たきなは今日の時間を用意したんだろう」

  • 159二次元好きの匿名さん22/09/18(日) 08:06:57

     ……分かってる、分かってる。
     朝、たきなと話したこと。お揃いのキーホルダーは、外してもらった。でも何も、捨てろとまでは言わない。あの子にとっては、きっと大切な思い出だから。それを捨てさせるなんてこと、そんなことは、できない。だから、キーホルダーはどこかに持っていてほしい。それは、たきなも同じように考えてくれていた。
     それから、私たちの関係のこと。
     あの子がたきなをどう思っているのかは、何となく察しがつく。今この瞬間も、たきなに向けている視線の熱量は、単なる尊敬や憧れとは一段階違った輝き。
     顔を見るだけではない。たきなが他のお客さんに対応すればその後ろ姿を追って、たきなが目の前にくれば、その顔に……唇に視線を送っているのが、私の目には確かに分かる。
     それを私はたきなには伝えない。たきなが分かっているのかどうかは知らないけれど、それはきっと私から言っていいことじゃないから。
     たきなから私とたきなの関係を伝えて、それを聞いてあの子はどうするのかは分からない。
     分からないけど、たきなは一つ約束をしてくれた。

    「千束を最優先にします」

     と。
     それが、今日の朝の出来事。
     たきなが私のことをどれだけ大切に思ってくれているのか、そんなことは私が一番、分かってる。
     でも、だから……。
     そのたきなが、他の誰かに視線を向けていることが、苦しい。
     そりゃ現実的に、ずっと私の方を向いているわけにはいかないのは、わかってるけど。
     たきなは私のこと、精神的にはずっと見てくれてるんだって思ってるけど。
    「……ヤキモチぐらい、するよ」
    「……まあな、お前ぐらいの歳なら、そんなもんだろう」
     そうだろうか。他のみんなも同じ? うーん……同じかな? 同じかな…………。
    「だがな、たきなも、」
    「あー少々お待ちをー! ただいまメニューお持ちしますねー!」
    「……たきなも、」
    「もういい、お説教聞きたいわけじゃないし」
    「…………」

  • 160二次元好きの匿名さん22/09/18(日) 08:07:16

     先生は額に手を当て、溜め息をつく。
     仕方ない。長くなりそうだし、お客さん待たせてるし。
     それに、どんな話も聞いてどうにかなるとは思えなかった。なにを言われてもそれ以上に、たきなとあの子が並んでいるだけでどうにかなりそうだし。
     新しいメニュー表を手に、キッチンに入ってきたたきなをすれ違いざまに一瞥する。
    「……店長、少し早いですが……」
    「ああ……まあ、その方がいいだろう」
     歩きながら、そんな会話がちらりと耳に聞こえてくる。
     あーそうでごさんすか、迷惑でございましたか。私の態度がね。ふーん、どうせ千束は駄目な子ですよ。
     知らない知らない、たきなが悪い。暇になってからあの子を呼んで、さっさとお店から出ればよかったのに。私の前で、彼女の前で見せつけて。
     極力笑顔を心がけて、今度はメニュー表を握り潰さないようになんとか接客を終える。
     はー、きっつい……笑顔を維持するのがこんなに大変だと思ったのは、初めてかもしれない。
    「千束、わたしはそろそろあがります」
    「あそー」
     キッチンに入ると、たきなが声をかけてくる。
    「まだ少し忙しいですけど、千束にお願いしますね」
    「楽しんできてね」
    「…………はぁ……」
     露骨に溜め息を吐かれる。まあ私の態度が悪いのは、分かるけど。こっちはもう、理屈じゃない。
    「帰ったら、手料理作りますから」
     唇にぷにっと潰される感触。たきなの指が当てられている。楽しみに待っててください、なんて。私はそれでご機嫌が取れると思われているのか。
    「……楽しみにしてる」
     自分の驚くほど単純な思考回路に、今は感謝しようと思う。少しは、気持ちが落ち着いたから。
    「千束だけですよ、わたしには」
     すれ違いざま、聞こえるか聞こえないかの小さな呟き。
     思わず唇にきゅっと力が入る。
     その言葉一つで、顔が熱くなる、胸が満たされる。
     たきなだって、照れてるくせに。
     後ろ姿から表情は見えないけど、それでも、なんとなく分かる。
     ……たきなは、ズルイ。
     別にいいけど。そういうとこ、好きだし。

  • 161二次元好きの匿名さん22/09/18(日) 08:07:31

    ここまでです

  • 162二次元好きの匿名さん22/09/18(日) 09:13:54

    最新話でちさたきの甘々が足りなかったんだ
    助かる

  • 163二次元好きの匿名さん22/09/18(日) 09:26:20

    交際後にも嫉妬があるのはいいことだ

  • 164二次元好きの匿名さん22/09/18(日) 09:35:24

    この重さが心地よい

  • 165二次元好きの匿名さん22/09/18(日) 10:08:52

    たきなが悪いんだよ...

  • 166二次元好きの匿名さん22/09/18(日) 12:45:37

    やはり嫉妬はしっとりするな…

  • 167二次元好きの匿名さん22/09/18(日) 14:02:12

    乙です
    ここで「たきなはずるい」を持ってくるのは最高ですね

  • 168二次元好きの匿名さん22/09/18(日) 19:31:02

    ほんへ最新話のたきなの心情を考えればこの程度のクソボケムーブは許される
    千束ってば散々誑かしといて生きる意志を見せないし真島さんの誘いに乗っちゃうし

  • 169二次元好きの匿名さん22/09/18(日) 20:38:05

    ここでズルイを千束に言わせる構成力に脱帽

  • 170二次元好きの匿名さん22/09/18(日) 22:22:38

    >>160

     行ってきますとリコリコを出て、特に行く当てがあったわけでもなく、小さなその人影を連れて街中を歩いて回る。

     道中に何か会話があったわけでも、気になった店舗に足を運んだりしたわけでもない。

     ただただ、ふらふらと。どこか適当に腰を下ろせそうな場所を求めて。

     背後に視線を回して、その小さな人影を見る。リコリコを出てからのチユリはずっと俯いていて、顔には小さく影がかかっている。

     より正確には、リコリコを出る直前から。

    「お待たせしました、いきましょう」

    「えっ? あ、うん、はい……」

     用意していた私服へと着替えてから、コーヒーを飲み終えたチユリに声をかける。

     先ほどまでのはつらつとした元気さはすっと姿を潜めて、表情はうっすらと辛そうに耐えているようにも見える。

     チユリの変化は分かりやすい。嬉しければ明るく弾けるし、辛ければ暗く沈みこむ。だから今のチユリにとって、わたしと外に出掛けるということは、そういうことだ。

     先日のメッセージのやりとりでも、いつもならどんなメッセージにもすぐ返信してくるこの子が、返信してこなかったあの一件。

     千束のことについて、お話があります。

     以前、チユリとメッセージでやり取りをしている際に、リコリコのSNSアカウントにあげている写真が話題にあがったことがある。

     その会話の中で千束の名前を出したことがあった。その時はあまり関心のなさそうな反応で、店員よりもスイーツに興味があったのかと思ったのだけど、どうやらそうではなかったらしい。

     チユリは、千束が絡む話題には、意図的に触れないようにしたいようだった。それが何故なのかは、分からないけれど。千束がなにか恨みを買うようなことを何処かでしていたとは考えたくはないが。

     なんにせよ今のチユリの表情は、その千束の話題から逃れられないから、ということだろう。

  • 171二次元好きの匿名さん22/09/18(日) 22:23:48

     それから二時間ほど歩いてたどり着いたのは、緑の豊かな広い公園。二時間もの移動も、体力はお互いに問題はなかった。
     公園に遊具のようなものはなく、開けた原っぱにシートをしいてピクニックを楽しんだり、ボール遊びや犬を放して各々が自由に楽しめる場所。
     その端の端にあるベンチへ、チユリと二人で腰をかける。
     目の前には視界を遮るように立つ木もなく、晴れた空が遠くの方まで広がっている。
     がやがやとした広場の喧騒も、どこか遠くに聞こえるほど、静かな一時。
     話があると言ったものの、いったいどこの何から話したものだろう。千束のことについて、ことと次第では長くなる。
    「井ノ上先輩、は……」
    「はい」
    「千束、さんと……仲が、いいんですよ、ね?」
    「はい」
     わたしから話を切り出せないままどれだけの時間が経った頃か、沈黙を先に破ったのはチユリの方だった。
     相変わらずつっかえながら、しかし以前話したときよりも一段と暗い声のトーン。横目でその様子を窺うと、俯いたまま膝の上で手を握っているのが見えた。
     チユリは今、懸命に声を絞り出そうとしている。
     だからわたしはまた、前と同じようにチユリが喋り終える、その時を待つことにした。
    「どんな、風に……仲がいいんですか……」
    「そうですね……有り体に言えば、付き合っています」
     事実そのままを伝える。まずはこれを伝えなければならない。その後のことを話すためにも。
    「……………………そう、なんですね」
    「ええ」
    「…………それは、どういう意味の、付き合う……」
    「恋人、です」
    「…………いつごろ、から?」
    「交際を始めたのは、最近ですね。ほんの数日前ですが、好きだったのは多分……もっとずっと前から」

  • 172二次元好きの匿名さん22/09/18(日) 22:24:11

     チユリは変わらずに俯いたままだが、握られた手はさらに強く力が込められているのか、ぷるぷると震えている。
    「ど……どういう風に、思って、るんです……」
    「それは、性別のことですか? それとも、千束のこと」
    「……ど、どっちも……とか」
    「性別は、愛には様々な形がある、と教わりました。千束のことは、大切に思っています」
    「……その、どれぐらい?」
    「…………千束は、わたしを、わたしの人生を変えてくれた人です。かけがえのない、大切な人。これ以上はない程に、千束はわたしの全てです。わたしは、千束のいない世界では生きていけないとさえ……思う」
    「……………………」
     それは、一切の嘘偽りない本音。
     チユリがこの言葉に何を思ったのかは、分からない。
    「……凄い人なんですね」
    「ええ、千束は凄い人です」
    「……えへへ」
    「……チユリ?」
     やはり俯いたままのその顔から、表情は窺えない。
     それでも、その震えた声からは確かに、表情が伝わってくる。
    「……そっかぁ……素敵な人なんですね……」
    「はい」
    「よかったぁ……」
    「…………」
     ああ、そうか。
     ここのところ感じていた、千束とチユリが重なるような感覚。少し、似ていたのか。
     チユリは、
    「井ノ上先輩……嬉しそうで……」
    「そう……でしょうか」
    「……はい、嬉しそうな声です」
    「そう、ですか」
     自分では意識もしていなかったし、どう嬉しそうだというのか、分からないけど。

  • 173二次元好きの匿名さん22/09/18(日) 22:24:29

     チユリは、きっと、
    「私、お二人の仲を応援しますよ!」
     ばっと上げられた顔は、予想とは全く真逆の笑顔で、まるで太陽のように眩しいとさえ感じる。
    「ありがとう、でも、ほどほどで」
    「えへへ……あ、女の子同士でお付き合いしてるってことは、こうやって私と二人きりで出掛けてるのってマズくないですか!?」
    「まあ、ヤキモチを妬かれていましたね」
    「うあーやっぱり」
     気づけばチユリからは、いつものつっかえるような口調は抜けていた。はつらつとした声で、はっきりと。
     きっとこれが普段のチユリなのだろう。
    「千束さん……井ノ上先輩の先輩なら、千束先輩? 羨ましいなぁ! 井ノ上先輩みたいな美人の恋人がいて!」
    「千束だって美人ですよ」
    「あはは、惚気だぁ」
    「そんなこと……」
    「ほんと、羨ましいなぁ」
    「…………」
     その声が掠れて、小さくなる。
     千束がわたしを好きだったのだと知って、千束のおかしくなった態度の理由が分かった。
     そしてチユリもおかしな態度だったのだとわかって。だからチユリも、きっと千束と同じだった。
     きっと、わたしのことを、
    「私、お二人のこと、おうえんします」
    「はい」
    「お二人の、じゃまとか、しませんから」
    「はい」
    「また、おかいものとか、ごはんとか」
    「…………」
    「いっしょに、いって、ほしい」

  • 174二次元好きの匿名さん22/09/18(日) 22:24:45

     チユリはその願望に、わたしに何を期待しているのだろう。望まないながらも、今日ここまで着いて来たのは、きっとチユリからも伝えたいことがあったからだ。
     本当はもっと、もっと高く望みのある願いだったはず。一緒に出掛けるなんて、それだけじゃなくて、もっと違う関係を期待していたはずだ。
     わたしに着いてくれば、何か変わると思っていたのだろうか。何か得られると考えていたのだろうか。
     わたしはその期待に、応えてあげられるだろうか。
     無理だ。
     だってもう、わたしの中では答えが決まっている。
     二人を比べてとか、初めからそう考えてとか、そんなものじゃなくて、もっとずっと前から。わたしのこころには、“彼女”が、ずっといる。
     ただの一度だって、それが揺るいだことさえない。
     わたしがここに来たのは、チユリと話しに来たのは、期待を持たせるためじゃない。
    「いのうえせんぱいと、おしゃべりとか」
    「…………」
    「めーるとか、でんわとか」
    「…………」
    「たのしいこと、いっぱい、したい」
    「わたしは、いつだって千束のことを、第一に考えます」
    「…………」
    「千束のことを最優先に、必要なら命だって賭けてでも、千束のことを一番に考えます」
    「…………」
    「それでも、よければ」
     チユリは、その大きな瞳を今にも零れそうなぐらいに潤ませて、それでも真っ直ぐわたしを見つめてくる。わたしもその瞳を見つめ返して、その期待を切り捨てる。千束が望むなら、それはできないことだと。
     チユリは、きっと彼女にとっての精一杯で、向日葵のように大きな笑顔で。
    「おともだちで、いてくれますか?」
     その小さく震える頭を撫でることも、手を握ることもわたしにはできない。
     こんなにも痛いものか。傷ついたのは、わたしじゃないのに。千束が相手ならば、こんな気持ちを知ることはなかったのだと思う。千束がいて、相手が千束じゃないからこそ、初めて知った感情。
    「ええ」
     たった二文字の言葉。それ以上も以下もない、それだけの返事。
     斜陽に照らされたその笑顔は、今まで見たどのチユリよりも眩しく、儚く、悲しげに咲いていた。

  • 175二次元好きの匿名さん22/09/18(日) 22:25:25

    ここまでです

  • 176二次元好きの匿名さん22/09/18(日) 22:27:36

    切ない…ちゆりちゃんいい子すぎる

  • 177二次元好きの匿名さん22/09/18(日) 22:34:12

    たきなはよくキッパリ言った
    チユリも幸せになって欲しい

  • 178二次元好きの匿名さん22/09/18(日) 22:42:38

    更新お疲れ様
    恋って大変だね…

  • 179二次元好きの匿名さん22/09/18(日) 22:44:45

    ありがとうございます

  • 180二次元好きの匿名さん22/09/18(日) 22:48:08

    失恋シーンからしか得られない栄養素は確かにある…

  • 181二次元好きの匿名さん22/09/18(日) 23:14:18

    チユリちゃん…優しいな…

  • 182二次元好きの匿名さん22/09/19(月) 04:24:05

    泣くより笑う姿は切ない…

  • 183二次元好きの匿名さん22/09/19(月) 06:11:00

    >>174

     わたしは、千束のいない世界では生きていけないとさえ……思う。

     傾きかけた西の太陽を見上げる。

     どれぐらいあの公園で座っていたのだろう、いつの間にか青かった空は、ほんのり茜が差している。

     公園で先輩と別れてから、特に目的もなくぼーっと街を歩いていた。

     そんな大それた言葉を聞くことになるとは、夢にも思わなかった。テレビドラマや恋愛映画の世界でしか聞いたことがない台詞。

     そんな台詞を恥ずかしげもなく言えるくらい、あんなに嬉しそうに語るくらい、先輩にとって千束先輩は大切な人なのだ。

     きっと私には分からない、二人だけの特別な関係があって、そこには誰も踏み入ることができない、二人だけの世界がある。

     私じゃ千束先輩のことは分からないけど、私と話しているときよりも何倍も明るく楽しそうな先輩の姿から感じたのは、単なる好きだとか愛だとかそういうものじゃなくって、もっと深い何か、絆……のようなものだった。なんとなく、だけど。女の勘。

     ぶっちゃけて言えば、私だって告白するつもりだった。付き合ってますなんて言われても、私はその時点ではまだ諦めてはいなかった。でも……。

     千束はわたしの全て、千束がいなければ生きていけない。

     そんなことを言われて、そんなもの見せつけられて、敵うわけないって折れるよりも先に、潔く引く覚悟があっさりと決まってしまうくらいに。先輩の中で千束先輩は、特別なんて言葉では言い表せないほどに、唯一絶対の存在なんだと思い知った。

     先輩たちの恋愛というのは、きっとその関係性の延長、あるいは平行。交際を始めたのがごく最近だというのも、きっと側にいるのが当たり前で、そういう感情を意識するよりももっと深い関係にあったのかもしれない。例えるなら、家族とか。それこそ先輩の言っていた、いなければ生きていけないような人とか。

     そんな間柄だったなら、小さなことでも切っ掛けに恋愛対象として意識するようになって、それまで積み重ねてきたものがあれば、トントン拍子にお付き合いまで進めることもあるのだろう。

     その切っ掛けって、ひょっとして私?

     千束先輩がヤキモチ妬いてたった、言ってたし。だとしたら、私も二人の関係の間に入ることで、意識させるぐらいには存在感あったんだなぁ。捨てたもんじゃない。

  • 184二次元好きの匿名さん22/09/19(月) 06:11:13

     なんて、自意識過剰なことを考える。
    「お友達、かぁ」
     スマホの画面に触れて電話帳を開く。そこに表示された一人の名前。
     私の好きな人。
     ハートのついたその名前を指でなぞる。画面が反応して、電話をかけるかなんて聞いてくるが、できるわけないだろ、とキャンセル。機械はただ、プログラム通りに反応しただけなのに。
     私の“好き”はあの二人の好きあっている気持ちの足元にも、及ばないのだろうな。ううん、及ぶとか及ばないとかそういう話じゃなくて、きっと全く違う世界を見てきたんだ。
     先輩たちはリコリスとして、凄い実績を残した人たちだ。その先輩と、そんな人と私はお友達でいられる。凄いことじゃないか。みんなに自慢できる。本当は優しくて、面白い人だって、皆よりも先輩のことで一歩先を知っている。千束先輩には及ばなくたって、私には私の、自慢できる憧れの人としての関係が続いている。
     それは、
    「うれしい、ことだよ」
     誰にでもなく、ただ自分に言い聞かせるよう、呟く。
     もう会わないとか、もう喋らないとか、もう連絡もしない、なんてことはないんだから。
     また会えるし、お喋りもできるし、連絡だってしてもいいんだって。ただ、千束先輩が一番だってだけで……私が目の前にいても。
     私がいても、千束先輩に呼ばれたらそっちを優先して立ち去る。そんな先輩の姿を想像して、胸が締め付けられる。
     分かるけど、私が一番じゃないのは、分かってるけど。
     でも、それでも。
    「ぅ……うぅ……」
     喉が焼けるように痛い。風邪でもないのに、鼻水が止まらなくてずびずびする。
     なんでかな、先輩の前ではまだ、大丈夫だったのに。普通、フラれたらその時が一番悔しいんじゃないのかな。わかんないや。恋なんて、失恋なんて、初めてだから。
     ぽたぽたとスマホの画面に水滴が落ちて、雨が降り始める。
     空を見上げれば、鮮やかな茜色の夕焼けと、紫色の宵が鮮やかなグラデーションで混ざり始めている。赤と青。自然界に存在する美しい二つの色。全く違う色なのに、それがさも当然であるように並び、融け合い、一つになる。もっとも自然な形で存在する、二つの色。
     そんな景色を仰いで、周囲の目など気にしないで、私は声をあげた。
     世界一綺麗な夕焼けに、大粒の雨が頬を伝った。

  • 185二次元好きの匿名さん22/09/19(月) 06:11:58

    ここまで

  • 186二次元好きの匿名さん22/09/19(月) 09:56:40

    乙です

    切ない…

  • 187二次元好きの匿名さん22/09/19(月) 10:11:44

    夕焼けはちさたきの色…

  • 188二次元好きの匿名さん22/09/19(月) 10:29:42

    うわぁ
    ここで赤と青をそういうふうに描写してくるかぁ

  • 189二次元好きの匿名さん22/09/19(月) 10:46:31

    友達がラブコメはハーレム物しか見れないと言っていた理由が少しわかった気がする
    でもたった一人を愛するまっすぐなたきなも、それを応援すると言ったチユリも本当にカッコいいよ・・・

  • 190二次元好きの匿名さん22/09/19(月) 12:42:51

    最初からフラれると分かっているキャラに感じる切なさはいい…

  • 191二次元好きの匿名さん22/09/19(月) 12:57:26

    最後の場面が美しすぎてもう…

  • 192二次元好きの匿名さん22/09/19(月) 13:40:29

    夕焼けの描写すごいな
    文豪がこんなところでSS書いてていいのか

  • 193スレ主22/09/19(月) 14:42:55

    また入りきらないので続きは次スレにあげます
    夕焼けはネタは上手いこと思い付いたと思ったのでうれしい

  • 194二次元好きの匿名さん22/09/19(月) 15:23:17
  • 195二次元好きの匿名さん22/09/19(月) 16:26:57

    夕焼けが出てるのに雨なんて降って…

  • 196二次元好きの匿名さん22/09/19(月) 18:23:41

    おつうめ

  • 197二次元好きの匿名さん22/09/19(月) 18:28:31

    うめあじ

  • 198二次元好きの匿名さん22/09/20(火) 00:48:53

    良質な失恋だ…ウッ胸が痛い

  • 199二次元好きの匿名さん22/09/20(火) 00:59:37

    随分な長編になったな…

  • 200二次元好きの匿名さん22/09/20(火) 01:00:16

    ちさたき最高!ちさたき最高!

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