【シリウストレ】問題児達の参謀【SS】

  • 1二次元好きの匿名さん21/11/18(木) 23:46:41

    シリウスシンボリとトレーナーと問題児達の強めの幻覚SSです
    ■未実装ウマ娘注意
    ■トレウマ?注意
    ■モブウマ娘注意

  • 2二次元好きの匿名さん21/11/18(木) 23:46:53

     トレーナーの才能が無いことは分かっていた。それでも努力をすればなんとかなると思って中央のライセンス取得までこぎつけた。担当した子を必死に勝たせようとして、もがいて。どうにもならず、既に四人の子から契約解除を言い渡された。一年契約が続いたこともない。
     それでもトレーナーとして全力を尽くして。今担当している子が一週間前、メイクデビューを制し、自分のキャリアで初めての勝利をくれた。

     俺は今、その子から渡された契約解除の用紙を握り締めて、立ち尽くしている。

    「あの子の判断は間違ってはいない。間違ってくれてたら、良かったのに」

     彼女の新しいトレーナーは、同僚の間ではハイエナと嫌われている男だった。メイクデビュー後の、新人だったりパッとしないトレーナーから担当を掠めとっていく。そうやって少しでも自分の成績を高めている。悔しいことにトレーナー間での評判は悪いが、ウマ娘からの評価は悪くない。指導は実際堅実でちゃんとしているし、何より実績がある。今のトレーナーに不満を感じているのなら、選ばない理由もない。

     そう、結局は。自分じゃ力不足だったというだけの話だ。

    「……これから、どうしようか」

     掴みかけた光が遠ざかっていった。これからどうすれば良いのだろう。曇天の中、行くあてもなく歩き出す。家に帰るつもりにはなれなかった。模擬レースを見に行くつもりもなかった。ただ、足はなんとなくグラウンドへと進んでいた。

    「……ん?」

     グラウンドが騒がしい。何事かと思って耳をそばだてて見れば、二人のウマ娘が言い争いをしているようだった。片方は見たことがある。名前は確か、シリウスシンボリ。問題児の王と恐れられている存在だ。時々グラウンドを不法占拠しているという話は聞いていたが、今回はそれでいざこざが起きているのだろう。トレーナーの姿が見えないのは気になるが、それだけだ。

     関わるべきではないと分かっていながらも、自然と体は近付いていった。

  • 3二次元好きの匿名さん21/11/18(木) 23:50:41

     言い争っている二人も、俺の存在に気が付いたようで、視線がこちらに向けられる。

    「なんだアンタ? 何か用か?」

     シリウスシンボリが挑発するように笑った。或いは、もう一人の方のトレーナーに間違われているのかもしれなかった。

    「いや……」

     言葉に詰まる。俺自身、何か言いたいことがあって来たわけじゃない。誘蛾灯に引き寄せられたように、無意識のうちにここまで来てしまっただけだ。だから、口から零れ出た言葉は、間違いなく俺の本心だったのだろう。

    「時間の無駄だ、って思って」
    「時間の無駄、だと?」

     シリウスシンボリの目付きが険しくなる。もう一人のウマ娘も不服そうに鼻を鳴らした。そりゃそうだ、第三者がいきなり割り込んできて馬鹿にしてきたのだ。誰だって良い気分にはならない。

    「やる気がある、時間もある。それなのにここで騒いで時間を潰しているのが、無駄に見えてしょうがないって言ったんだ」

     後悔する心とは裏腹に、流暢に言葉は出ていった。後になって思えば、ヤケになった八つ当たりみたいなものだった。担当に捨てられ、トレーナーとしての職務も果たせない俺の前で、ウマ娘が練習していないことに、勝手に苛立っていたのだ。

    「あなた──」
    「……ハハハッ!」

  • 4二次元好きの匿名さん21/11/18(木) 23:52:01

     耐えかねて抗議しようとしたウマ娘の声を、シリウスシンボリの笑いが遮った。

    「アンタ、随分勝手な理想を私達に押し付けるんだな。私達が時間をどう使おうが私達の勝手だろう? それこそ練習よりも、くだらない口喧嘩に人生捧げてっかもしれない。そういう可能性は考えないのか?」
    「だったら好きにすれば良い。別にお前達の行動を制限しようってんじゃないんだ。こんな気狂いは放っておいて、どうぞ気が済むまで騒いでいれば良い。それでお前達の走りがどうなろうと、俺には関係ない」

     売り言葉に買い言葉だった。ウマ娘にぶん殴られたら死んだっておかしくないのに、どうしてか強気だった。

    「ああ、全くもって関係ないな」

     俺はそこでようやく初めて、シリウスシンボリが怒っているわけではないということに気が付いた。だからといって受け入れた訳でも、無視を決め込むことにした訳でもない。獰猛につり上がった口角がどういう感情を秘めているのかは分からなかった。

    「だけど、今回はアンタに免じて引いてやるよ……行くぞお前ら、今日は引き上げだ」

     舎弟のウマ娘達を連れて、シリウスシンボリは踵を返していく。何かが琴線に触れたのかは分からないが、あちらが折れてくれたようだった。
     もう一人のウマ娘は俺を不審げに見た後、練習に戻っていく。俺は、どうしようもない虚無感を抱えながら、その場を後にすることしかできなかった。

  • 5二次元好きの匿名さん21/11/18(木) 23:52:06

    これは…ッ!!

  • 6二次元好きの匿名さん21/11/19(金) 00:04:19

     朝日は燦々と輝いているが、体は昨日の曇天のように重い。スマホの時計を見れば十時過ぎ。可能ならそのまま眠り続けていたかった。だが、トレーナーとしての職務を放棄するわけにも行かない。新しい担当を見つける為に、午後の模擬レースまでにデータを集める必要がある。選抜レースはまだ先だから、そっちで探すのは後回しだ。

     頭痛と吐き気をこらえながら体を起こす。スリープモードだったパソコンからトレセン学園のサイトにアクセスすると、トレーナー向けのページにログインした。今日の模擬レースに参加予定のウマ娘達の名前がリストアップされている。その中から、前評判の良いウマ娘の名前と出走レースをメモ帳に書き写す。もちろん、そんな有力なウマ娘は俺のことなど見向きもしないだろう。ただ、有力なウマ娘の出るレースには、伏兵がよく現れる。そういう交渉に乗ってくれそうなウマ娘を捕まえるのが、実績のトレーナーに必要な能力だった。

     十数人の名前を頭に入れると、パソコンの電源を落とす。模擬レースまではまだ時間がある。ウマ娘達は、この時間帯だと教室で授業を受けている頃だろう。

    「朝飯でも食うか……」

     そういえば、昨日の夕方から何も食べていない。この倦怠感には空腹も混ざっているのだろう。
     部屋の冷蔵庫を投げると空だった。そもそも酒とツマミと冷凍食品くらいしか買わないのだから、仕方のないことだ。ここ数日は忙しかったし。
     学園のカフェテリアはウマ娘が多くて好きではないのだが、この時間なら居ないか。朝食はそこで取ることにしよう。

  • 7二次元好きの匿名さん21/11/19(金) 00:19:42

    ほほぅ…

  • 8二次元好きの匿名さん21/11/19(金) 00:24:00

    センス〇

  • 9二次元好きの匿名さん21/11/19(金) 00:39:03

    「よう、昨日ぶりか? また会ったな」

     カフェテリアでサンドイッチとコーヒーを注文して席に着くと、一人のウマ娘が向かいに勝手に座ってきた。ああ、確かに昨日見た顔だ。

    「……シリウスシンボリ」
    「なんだ、私の名前を知ってるのか。なら話が早いな」
    「何がだ」

     ただでさえ機嫌が良くないのに、朝食の邪魔をされてさらに機嫌が悪くなった。そもそも、こいつは今授業中じゃないのか。サボりでカフェテリアに隠れていたら俺が来たとかそんなとこだろうか。
     シリウスシンボリは昨日とはうって変わって上機嫌そうに俺のサンドイッチをつまみ──

    「おい待て、俺の朝飯取るな」
    「なんだ、今頃朝飯か。遅起きは体に悪いぞ」

     指摘されて渋々皿に戻す。俺が言わなければ本当に食う気だったのかこいつ。そのまま頬杖をついて、俺がサンドイッチを食うのを眺めている。ジロジロと見られると食べにくいったらない。

    「用が無いならどっか行け」
    「いや、用ならあるさ」
    「なら手短に言え」

     どうせろくな用じゃないんだろうと、話半分に聞いていた。コーヒーを飲んでいなかったことは幸運だった。

    「アンタ、チーム作れ」
    「……………………はあ?」

  • 10二次元好きの匿名さん21/11/19(金) 00:58:42

     間の抜けた声で聞き返す。チームを作れ、とはどういう要求だ。

    「アンタ、担当が居ないんだろ」
    「だからどうした」

     なんでこいつがそれを知っているのかは分からないが、事実なので素直にうなずく。

    「選抜レースまではまだ時期がある。そりゃ模擬レースで担当探すって手もあるだろうが、模擬レース走ってる奴はアンタと同じ担当がつかないとヤバい、って連中だ」
    「だから、何が言いたい」
    「察しが悪いな。じゃあこう言い換えるか。私達のトレーナーになれ」

     私、ではなく私"達"。そして、チームを作れという言葉。ようやく、言いたいことが分かった。

    「俺に、お前達問題児をまとめてチームを作らせようって話か」
    「やっと分かったな。飲み込みの悪い奴も嫌いじゃないぜ」
    「断る。問題児の面倒を見る程暇じゃない」

     考慮の余地も無い。どうして冴えない無能トレーナーから、さらに問題児を抱える訳ありトレーナーにならなければいけないんだ。

    「そう言うなよ。アンタにだってメリットはある」
    「メリット?」
    「G1を取らせたトレーナーの箔がつく」

     シリウスシンボリは、親指で自分を指差し、自信満々に言った。自分がG1を取ることは確定していると言わんばかりだった。

  • 11二次元好きの匿名さん21/11/19(金) 07:31:08

     俺が知っているシリウスシンボリについてのイメージは、長く学園に居るのに、未だメイクデビューしてない異端児。生徒会と真っ向から反発する問題児、生徒会長シンボリルドルフと正面から渡り合う実力者、と言った所だった。噂混じりではあるが、それが事実ならそのG1宣言もただのビッグマウスでもないのだろう。それ故に解せないのは、

    「なんで俺だ」
    「なんで、って?」
    「お前が自分を餌にするなら、もう少しマシなトレーナーが見つかるだろ。俺は、才能のあるトレーナーじゃない」
    「思ってても、自分でそんなこと言う奴に担当されたいって奴は居ないな。気を付けた方が良いぜ」
    「普通なら言わないさ。普通じゃないから言ってるんだ」

     はあ、とシリウスシンボリは実に大きなため息を吐いた。

    「そりゃ面白そうだったからだよ。アンタ、昨日こう言っただろ。やる気があるのに無駄なことしてるのは勿体無い、って」
    「それがどうした」
    「今まで私に何か言ってきたトレーナーはどいつもこいつもこう言った。『やる気のない奴らとつるんでても良い事はない』ってな」

     自信に満ちた笑みはなりを潜め、怒りのこもった表情に変わっていた。

  • 12二次元好きの匿名さん21/11/19(金) 14:55:38

    「やる気の無い奴らってのはさっさとこの学園を去るか、そもそもこんなとこには入らない。だったら、残ってる連中は当然やる気のある奴だって少し考えりゃ分かることだ。それなのに、規則を少し破るだけで、やる気のない扱いをされる」
    「言いたいことは分かる。だが、不法にグラウンドを占拠する集団が、他から真っ当に見られないのも当然だろう」
    「ああ、だがそうでもしなきゃあいつらは練習する場所もまともに手に入らないぜ」
    「だから、チームか」

     複数人のチームとして認められれば、グラウンドの使用に優先権が認められる。人数が多ければ多い程、それは顕著だ。しかし、だからといって多くのウマ娘を担当しようとするトレーナーは少ない。担当するウマ娘が多ければそれだけで負担が掛かるし、必要になる結果もより大きなものに変わるからだ。名義だけ集めて、という手法もウマ娘からの理解を得られることはない。

    「ああ、別に全員面倒見ろって訳じゃない。何なら今まで私だけでも面倒見てたんだ、名前だけ貸してくれりゃ良い。そうすりゃレースにも出れるしグラウンドも大手を振って使えるようになる。アンタはただ結果だけ享受しときゃ良い」

     悪くない話だろ、とシリウスシンボリは言った。

  • 13二次元好きの匿名さん21/11/19(金) 15:36:59

    良質なシリウスssだぁ

  • 14二次元好きの匿名さん21/11/19(金) 22:18:42

    「仮に、仮にその話を受けるとしてだ」

     念入りに前置きをしておく。少しの失言で言質を取られては敵わなかった。思っていたよりは、真っ当な話だとも思う。チームとして認められるかはさておき、そういう零れ落ちた者達を拾い上げる場所があっても良い筈だ。シリウスシンボリというウマ娘は、もっと傍若無人で、規則に対して無法を貫くタイプだと思っていたが、意外にも柔軟な思考も持ち合わせているらしい。

    「俺は非才だが、怠惰に過ごしていたいわけじゃない。口に出せる所は出していくことになる。全員に目は向けられなくてもな」
    「それに対して従うかどうかは私達の自由だ。だが、アンタだって中央のライセンスを取ったトレーナーだろ? そこまでトンチンカンなことは言わないと思ってるぜ」
    「そう思いたいがな」

     これまで何人ものウマ娘から担当を切られているのだ。自分に自信を持つことはできない。よく言われる、無能な働き者って奴なのだろう。

    「それに、何か気に入らないことがあればすぐにチームを解散するだろうな」
    「そうしたらまた私達は問題児に戻るだけさ。キャリアが傷付くのはアンタだけだ」
    「じゃあ、これが最後だ」

     気付けば乗せられていた。いや、もしかしたら魅せられていたのかもしれない。

    「適性も見ずに迂闊に首は振れない。お前達の練習風景を見せろ」
    「アンタ、やっぱり面白いな」

     シリウスシンボリは獅子のように笑った。

  • 15二次元好きの匿名さん21/11/19(金) 22:53:02

    「よう、お前ら。今日は見学者込みで練習するぞ」

     シリウスシンボリの言葉に、彼女達の反応はまちまちだった。怪訝そうな顔で俺を見る子、怖がって他のウマ娘の影に隠れる子、全く興味のなさそうな子。分かっちゃいたが好意的な反応は無い。

    「トレーニングの邪魔はしねえから、遠巻きに見てる奴らと一緒だと思ってくれ」

     俺がそう言うとさらに視線は厳しいものになった。とはいえ、それを気にするつもりもない。別に、まだチームの件を受けると決めた訳じゃないんだ。コミュニケーションの改善はそれがどうなるか定まってからで良い。

     俺の扱いについては無視で総意が取れたのか、しばらくしてトレーニングが始まる。遠巻きに陰口を叩く他のトレーナーやウマ娘の矛先が俺にも向けられていることに嫌悪感を覚えながらも、愛用のノートパソコンを開いて気を紛らわす。

     正直な所、想像以上だった。シリウスシンボリの言った通り、彼女達は問題児ではあっても落伍者ではない。出だしが優れている者、位置取りが得意な者、末脚が切れる者。強いウマ娘たる要素は上げればキリがないが、彼女達は確かにその素養を持つ原石だった。

    「勿体ない」

     だから、その言葉が漏れたのは当然だった。同じ言葉でも、昨日抱いた感情とは全く違っていた。

  • 16二次元好きの匿名さん21/11/20(土) 00:52:10

    「どうだったよ。ウチの連中は」

     トレーニングが終わり、ウマ娘達がまばらに解散していく中、シリウスシンボリはその足で俺の所まで歩いてきた。併走を何度も繰り返したせいか、息は上がり頬も上気していて迂闊にも見惚れてしまうほど色めかしい。

    「良いウマだろ?」
    「……ああ、そうだな」

     それに関しては否定のしようがなかった。未勝利戦どころか、オープン戦、重賞の勝ちすら狙えそうなウマ娘がこんな所に眠っているとは。

    「あいつらがレースに出れないのはおかしいんだ。それが規則って奴のせいならなおさらな」
    「だから、わざわざ俺を引っ張り出してきたのか」
    「ああ、それが一番でかい理由だな」
    「他に理由があるのか?」
    「アンタの目だよ」

     ぐっ、とシリウスシンボリの顔が近くなる。クッソ顔が良いなこいつ。ウマ娘が優れた容姿だってのは知識としても実感としてもトレーナーは知ってるもんだが、こうやって近づけられるとより思い知らされる。

    「昨日のアンタの目はギラギラしてた。今よりもずっとな。それで分かった。アンタも──"こっち側"の人間だ」

  • 17二次元好きの匿名さん21/11/20(土) 09:47:05

    「周りに反発し続けた、ひねくれ者の目だ。私達と同じだろ?」
    「…………」

     もっと良い仕事につけと言われ続けた記憶が蘇る。中央のトレーナーは間違いなくエリートだが、だからと言って安定した職業とは言い難い。むしろ、要求される実力に対して報酬が得られる可能性の低い、博打のような職業だ。だから、トレーナー業は血統主義と言われることもある。安定した地盤のある名家からしか、名トレーナーは産まれないという皮肉だ。

     恵まれた指導力がある訳でも、トレーナー業をするだけの家格がある訳でもない俺は、ただのワガママと反骨心でこの道に進んだ。

    「……そうかもな」

     この問題児達も、周りを見返そうとしている。少なくとも、このシリウスシンボリというウマ娘はそのつもりだ。

    「お前以外のウマ娘は……トレーナーをつけることに了承してるのか?」
    「反対はしてない。不満そうな奴は居たがな」
    「そりゃそうだ。お前を信じてついてきたような連中だ。外様が何を言ったって通じないだろうな」
    「なら交渉決裂か?」
    「まさか」

     挑発的な言葉に笑って返す。

    「良いよ、お前たちのトレーナーになってやる」

  • 18二次元好きの匿名さん21/11/20(土) 10:11:00

    追いついた
    なぜこんな良SSを見逃していたんだ
    解像度が高すぎる

  • 19二次元好きの匿名さん21/11/20(土) 10:16:23

    今追いついた

  • 20二次元好きの匿名さん21/11/20(土) 12:21:37

    最高のSS

  • 21二次元好きの匿名さん21/11/20(土) 12:24:53

    投稿頻度にもよるけど区切る時はちゃんと言ってくれると助かりやす。更新が来るまで見続けちゃうんで

  • 22二次元好きの匿名さん21/11/20(土) 12:40:38

    やばいシリウス沼に堕ちる

  • 23二次元好きの匿名さん21/11/20(土) 16:39:05

     チーム結成の手続きは、思っていたよりもサクサクと進んだ。理事長はあの感じだから、そう大きな問題にならないだろうとは思っていたが、意外だったのは生徒会が横槍を入れて来なかったことだ。もしかしたら生徒会としても、トレーナーというブレーキができることは有り難かったのかもしれない。

     そうして、チーム『レグルス』は、一人のトレーナーと六人のウマ娘で発足した。だが、必ずしも順風満帆な滑り出しという訳ではない。

    「どうしたものか」

     新たに与えられた専用のトレーナー室は消して広くないが、今までの共同トレーナー室よりはずっと快適だ。それでも今の悩みを吹き飛ばす程の力は無い。
     今、頭を悩ませていたのは一人のチームメンバーからある相談、というより要求を受けたからだった。

    「せっかくの昼時だってのに浮かねえ顔してんな」
    「だからなんでお前はここに居るんだよ」

     トレーナー棟だぞここは。そりゃウマ娘もよく来る場所ではあるが、当然のように居座るな。しかも肩に顎を乗せるな良い匂いがする。じゃなくて重い。

    「別に良いだろ、昼休みだ。んで、何溜め息吐いてんだよ」

     なおも聞いてくるシリウスシンボリに、俺は呆れながらノートパソコンの画面を見せた。

  • 24二次元好きの匿名さん21/11/20(土) 20:13:43

    「メイクデビューの日程表? それがどうしたって?」
    「……トロピカルエアが、早くデビューさせろって言ってきてな」

     トロピカルエアは、シリウスシンボリと一緒に居たウマ娘達の中でも最も仕上がっていたウマ娘だ。確かに、最初にデビューさせるならこの二人のどちらかだろう。それでも、まだ早いと俺は考えていた。
     しかし、トロピカルエアは俺に直談判でデビューさせるよう求めてきた。

    「あー、あいつの家、貧乏らしいからな。早く稼いでバイト生活から抜け出したいんだろ」
    「確か……そのバイト生活のせいで門限を守れずお前のところに来たんだったか」

     そういうウマ娘は多いわけではないが、一定数は存在する。有名なところで言えば、白い稲妻と呼ばれるタマモクロスだろう。レースによる賞金は、もちろんレースにもよるが、一介の女子学生が稼げる額を大きく越えている。メイクデビューを勝利し、プレオープン、オープンの掲示板に載れば、苦学生生活からも抜け出せるだろう。

     そういう背景を聞いているから、どうにかしてデビューさせてやりたいのだが、厳しいと思っているのもまた確かだった。

    「何をそんなに悩むんだ。どうせ負けても未勝利戦があんだろ」
    「それはそうだがな……未勝利戦ってのは、一つの魔境だ」

  • 25二次元好きの匿名さん21/11/20(土) 21:33:04

     未勝利戦。それを勝ち抜かないと、プレオープンやオープン戦には出走すらできない。さらに言えばメイクデビューと違って、一度負けた者達が集まるレースだ。それを弱者の集まりと笑う者も居る。間違ってはないのだろう。勝ち抜け勝ち抜けで、どんどん強いウマ娘は居なくなっていくのだから、未勝利戦を勝ち抜けなかった七十パーセント近いウマ娘達は、世間一般からは才能無しの烙印を押される。

    「だけど、走っている当人や、トレーナーからすれば、メイクデビューよりずっと地獄だ」

     次は無い、と死にものぐるいのウマ娘達がしのぎを削る未勝利戦は、走るだけでも精神を摩耗する。俺が担当した子にも、未勝利戦を三回程走ったところで、耐えられなくなったと走るのを諦めてしまった子が居た。

    「専属じゃないし、トレーニングもお前達は自分でやるんだろうが、それでも人生に関わる出来事を軽率に判断することは出来ない」
    「アンタ、真面目だな……」

     何故か驚くような顔をされたが、そういう意識の無い人間はトレーナーにはならない、或いはなっても大成はしないだろう。あったところで俺みたいに底辺なのも居るが。

    「でも、それならどうするよ。待ってくれって言うのか?」
    「だから今こうやって調べてるんだよ」

     マウスを動かして別のページを開く。うわ、とシリウスシンボリから声が聞こえた。

  • 26二次元好きの匿名さん21/11/20(土) 21:40:12

    なんて良質なSSだ..

  • 27二次元好きの匿名さん21/11/20(土) 23:46:19

    「これ、出走予定のウマ娘全部データ取ってんのか?」
    「今月分だけだ。そう大きなデータじゃない」

     今月のメイクデビューに出走を発表しているウマ娘達の脚質や距離適性、上がり3ハロンのタイムを並べたエクセル表。今のところは目立つウマ娘は居ない。トロピカルエアも、上がり3ハロンだけを見れば、上から三番目に入る。

    「これなら別に出走させても良いんじゃねえの」
    「このデータだけならな。だが、どのレースに出走するべきかは話が変わる」

     トロピカルエアは典型的な差しウマだ。レース展開、特にバ群の形に大きな影響を受ける。そうなれば、単なる脚の速さだけでは判別できない。レース勘という数値化しにくいデータや、位置取りの強さも関わってくる。

    「そういうとこまで含めると、今のところはこのレースが一番勝率は高い」

     俺が指差したのは一週間後にあるメイクデビュー。出走締め切りは後二日だが、既に六人の出走者が集まっている。残りは二枠、決めるなら今日中だ。

    「トレーナーって、こんな面倒くさいことまで考えてんだな」
    「深く考えてない奴も居るさ。俺は考えないといけないだけだ」

  • 28二次元好きの匿名さん21/11/21(日) 01:27:14

     実に恥ずかしい話だが、シリウスシンボリの方が明らかに指導力は優れている。名ばかりのトレーナーになりたくないなら、こうやってデータ面で貢献するしかない。幸いなことに、データをまとめるのは得意な方だった。それだけで中央のライセンスを手に入れたと言っても過言ではない程に。

     才能あるウマ娘に恵まれたり、指導力に定評のあるトレーナーには、そこまで他者を気にしない奴も居る。相手を警戒するより、担当の実力を伸ばす方が勝利への近道だと考えているからだ。上に行けば行くほど、見なきゃいけないライバルの数は減っていく。だからそっちの方が本来は正しいのだろう。

    「アンタ、ギラギラしてる割に卑屈だな」
    「現実的と言ってもらいたいね」

     ビッグマウスで才能が得られるなら幾らでもしただろうが、そんな都合の良い世界でもない。だから、大言壮語するつもりはないが、

    「勝つことを諦めるつもりはない」
    「ああ、そうだな」

     レースに絶対は無いと分かっていても、出すからには必勝を。気が付けば口角がつり上がっていた。それを見たシリウスシンボリも身を乗り出して笑う。おい胸当たってるんだよいい加減にしろ。

    「見せてやろうぜ、問題児の力って奴を」

  • 29二次元好きの匿名さん21/11/21(日) 08:19:35

    期待きたーい

  • 30二次元好きの匿名さん21/11/21(日) 08:20:20

    「トロピカルエア、少し良いか」

     練習が始まる前の彼女を呼び止める。本当は練習が終わった後にしたいのだが、彼女のバイトを邪魔するわけにも行かない。

    「何?」

     つんけんした口調で返される。やはりまだ信頼は得られていないのだろう。それにこれから練習というタイミングで話しかけられて良い気がしなかったのかもしれない。

    「レースの話だ。出たいって言ってたろ」
    「レース……!」

     その一言で目の色が変わる。他のウマ娘達も耳聡く聞きつけて、トレーニングは中断の形になった。普段は路傍の石みたいに俺のことを気にしないウマ娘達から注目を浴びるのはむず痒い気持ちになる。

    「調べた結果。メイクデビューするならこのレースしかないと思う。有力選手のタイムも、お前の方が上だ」

     タブレットに移したデータを皆に見せると、興味深そうに見る娘と、見たくないとばかり顔をしかめる娘に分かれる。こういうちょっとした反応も、データ重視か感覚派か、みたいなデータになるんだよな。

    「…………」

     トロピカルエアは、データを精査するように見つめる、前者のウマ娘だった。

  • 31二次元好きの匿名さん21/11/21(日) 11:29:32

    とんでもないスレに出会っちまったぜ

  • 32二次元好きの匿名さん21/11/21(日) 19:31:53

    「先行ウマが多い」

     彼女が最初に口にしたのはそれだった。

    「確定してる六人の内、三人が先行バ。一人は逃げ。私の前が塞がれる可能性は?」

     想定内の質問。ここを上手く返せるかどうかが、トレーナーとして信頼を得られるかどうかの分け目だと思うと肩が震える。

    「今までのレースを見た感じ。競り合いを嫌う傾向が見えた。隣がシリウスシンボリみたいな強気なウマだと特にその傾向が強い。だから差しが多いレースは除いて考えた」

     バ群に呑まれると抜け出すことは難しいだろう。メイクデビューは逃げ勝ちするウマ娘が多いが、それはバ群をいなすレース勘がまだ育ってないから、抜け出したウマ娘がそのまま勝ちやすいことに起因する。

    「その代わり、スタミナは十分にある。今回のレースは1600mだが、ここのウマ娘は皆2000mは走れるからな。多少外に回って走ってもスタミナもスピードも持つ筈だ」
    「……外から走っていけ、ってこと?」

     それは強者のする派手な勝ち方だ。不安に思われることも予想済みだった。しかし、これについては明確な答えは用意できなかった。

    「勝つ可能性が一番高いのは、このレースだと判断した。お飾りのトレーナーだから信用ならないならそれで良い。だが、俺なりに考えた結果だ」
    「ふーん……」

     トロピカルエアの視線は、俺ではなくシリウスシンボリに向いた。

  • 33二次元好きの匿名さん21/11/21(日) 23:34:24

    wktk

  • 34二次元好きの匿名さん21/11/21(日) 23:52:14

    記録

  • 35二次元好きの匿名さん21/11/22(月) 00:11:45

    これは面白いわ

  • 36二次元好きの匿名さん21/11/22(月) 00:19:55

    「良いんじゃねーの?」

     シリウスシンボリはあっけらかんと言い放った。

    「レース展開とか考えるのは私は得意じゃないし、こいつの言ってることが正しいかも知らん」

     それは擁護なのか。嘘でも正しいと言ってほしかったが、まあそういうことをしないから好かれているのだろう。

    「でも、こいつがアンタを勝たせる為にめちゃくちゃ考えてたのは知ってる。だから心配すんな。私が保証してやる」
    「…………」

     トロピカルエアは俺とシリウスシンボリを何度か交互に見ると、意を決したように頷いた。

    「分かった。トレーナーの意見に従うわ」
    「……ありがとう」

     完全に信頼してもらったわけじゃないが、信じてもらったことに胸をなでおろす。トレーナーとしてはここからも仕事があるのだが、まだ、俺が関わるべきではない。

    「それじゃあレースまでそれに向けたトレーニングを頼めるか」
    「ああ、任せときな。アンタの判断、合ってたことにしてやるよ」

     シリウスシンボリは力強く頷いた。

  • 37二次元好きの匿名さん21/11/22(月) 08:13:34

     一週間後、メイクデビュー当日。レグルスのメンバーとは離れて二階席でレース開始を待つ。

    「よう、探したぜ。なんでこんなとこ居るんだよ」
    「……シリウスシンボリか」

     後ろから肩を組んでくるのが誰かはもう声を聞いただけで分かる。レースが始まるまでは後三十分を切っていた。レグルスのメンバーは他に居ないようだ。こいつだけが、一人俺を探しに来たのだろう。わざわざ御苦労なことだと皮肉の一つでも浴びせたくなる。

    「チームメンバーの応援しないなんて、薄情だなアンタ」

     からかうような声が響く。本当に薄情だとは思ってないだろう。もしそう思われてたら、こんなフレンドリーにはなってない。

    「まだ俺は外様だからな。俺が居ると応援しにくいだろう。お前こそあいつらと一緒に居なくて良いのか?」
    「外様だからって引いてたら一生輪に入れないぜ?」

     ぐ、痛いところをついて来やがる。ああいう女子学生の集団に成人男子一人で入るのは結構キツいものがあるんだから察してほしい。

    「ハハハッ! そんなやわな理由じゃないだろ? いや、もっとやわな理由だろ」
    「どういう意味だよ」
    「怖いんだろ。トロピカルエアが負けるのが」

     本当の図星をつかれて、俺は返事をすることが出来なかった。

  • 38二次元好きの匿名さん21/11/22(月) 15:55:49

     そうだ。俺は担当が負けるのが怖い。あれだけ努力した結果が報われないのが怖い。誰だって努力して、誰だって報われようと足掻いていることは分かっている。だけど、これまでに積み重ねた負けが、足を竦ませる。
     自分がこれ程臆病だとは思っていなかった。今にして思えば、そんな弱虫だから、あいつも他のトレーナーの所に行ってしまったのだろう。メイクデビューを勝ったのに、次の負けにビクビクと怯えている奴のトレーニングなんて受けたい筈がない。

    「だーかーら、卑屈になるなって言ったろ」

     シリウスシンボリが俺の体を強く引き寄せる。俺よりも小柄な体躯が、ずっと大きな物に感じられる。なんでこいつは学生なのにこんなに強気で居られるんだ。

    「提案したのはアンタだが、決めたのはあいつだ。アンタが全力でやって、あいつも全力でやる。今勝つ為にな。だから堂々としてれば良いのさ」
    「……ああ、そうだな」

     お前に何が分かるんだ、と叫び返したくなるのがきっと普通なのだが、そんな気持ちは一切湧かなかった。すっと心の弱い部分に吸い込まれていくような魅力のある言葉だった。
     問題児の王、ってのは的確なあだ名だな。王の器って奴か。シリウスシンボリには、言葉で相手を納得させる力がある。

    「じゃあ戻るか。間に合わなくなるからな」
    「えっちょ、おい!」

     何かと感心していたのも束の間、シリウスシンボリは俺を力ずくで、階下のレグルスメンバーが居る場所へと引っ張っていった。

  • 39二次元好きの匿名さん21/11/22(月) 17:56:19

     ゲートが開く。ウマ娘達が一斉に飛び出す。スタートは悪くない。八人のウマ娘が走る中、トロピカルエアは六番手につけていた。ハナとの差はおよそ五バ身。レース前の予想よりも少々団子になっているが、想定の範囲内だ。

     八百メートル、半分を過ぎる。逃げで飛び出した子は早々に集団に飲まれ、四人がハナを争う展開になった。最後のコーナー。内側の良いポジションを取ろうと先頭集団が縦に伸びる。

     今だ。

     心中の声に呼応するように、トロピカルエアは前集団よりも大きく外に出る。外から全員かわして差し切る為の前の準備。先頭は内争いに夢中になって、彼女を遮る壁は無い。

    「走れ──」

     気が付けば叫んでいた。彼女が力強くターフを蹴る音が、ここまで聞こえてきた。シリウスシンボリと併走し続けた経験は、確かに彼女の足を動かしている。

    「行っけぇ!」

     レグルスのメンバーが、シリウスシンボリが吼える。
     外、スローペースになった所を一気に抜け出す。スパートのタイミングも完璧だ。ゴール前200mでハナについに立った。前にいたウマ娘達は、外から突然現れた刺客に驚いたようだった。反応することが出来ず、彼女にペースを合わせる事ができない。無理に合わせようとしても、余力の残っていない彼女達には追いつけないだろう。

     トロピカルエアは末脚を伸ばして、後続を突き放す。1バ身、2バ身、ゴール板を通り過ぎた時には、写真判定の必要ない、間違いない勝利がそこにあった。

    「やったぁ!」
    「トロちゃんが勝った!」

     仲間の勝利に手を上げて喜ぶレグルスメンバーの横で、俺は言葉も出せず、ただ強く拳を握っていた。

  • 40二次元好きの匿名さん21/11/22(月) 18:04:11

    やったぁ!

  • 41二次元好きの匿名さん21/11/22(月) 18:22:58

    臨場感のあるいい文だあ!

  • 42二次元好きの匿名さん21/11/22(月) 18:46:41

    追いついた これは文豪

  • 43二次元好きの匿名さん21/11/22(月) 18:53:03

    これは……良い……

  • 44二次元好きの匿名さん21/11/22(月) 21:35:42

    「……お疲れ様」

     ウイニングライブも無事に終わり、レグルスのメンバーにもみくちゃにされるトロピカルエアに掛けられた言葉はそれだけだった。口下手だと自分でも思うが、なんて言葉で祝福すれば良いのか、上手く出てこない。

    「ありがと……」

     トロピカルエアからの返事もそれだけだった。ただ一言の感謝だけで、トレーナーとして仕事をした満足感が込み上げてくる。練習に殆ど口出ししてないのにな。

    「トロもトレーナーも余韻に浸ってぼうっとし過ぎだっての。もっと喜べもっと!」
    「うおっ、目が回るからやめろ!」

     テンションの上がったシリウスシンボリに振り回される。ある意味で、一番喜んでいるのはこいつかもしれなかった。問題児の王にとっては、これが世間への反逆の狼煙だ。

    「それに、まだ終わりじゃねえだろ?」
    「……ああ、そうだな」
    「よーし、お前達、よく聞け!」

     よく通る声で、シリウスシンボリは高らかに宣言する。

    「トロピカルエアに続いて、私もデビューするぞ! 全員で、トゥインクルシリーズを荒らしてやろうぜ?」
    「「「「「おー!」」」」」

     全員が高く拳を掲げるのを見て、俺はこの瞬間、初めてトレーナーになったような気がした。

  • 45二次元好きの匿名さん21/11/22(月) 21:40:15
  • 46二次元好きの匿名さん21/11/22(月) 22:54:50

    >>45

    いい距離感だぁ

  • 47二次元好きの匿名さん21/11/22(月) 23:07:37

     実際の所、トゥインクルシリーズを荒らす、なんて野望はそう上手くは行かないものだ。あれから三ヶ月。暦も十二月にそろそろ入ろうかという頃になり、世間では本日行われるジャパンカップへの期待が高まっていた。
     レグルスのメンバーは全員がメイクデビューに出走したが、一発で勝利したのはシリウスシンボリとトロピカルエアの二人だけ。次点で体の弱いザッツコーリングが、体調の良い日に一度目の未勝利戦が重なったお陰で突破。気性難のビューティモアは三回目の未勝利戦で勝ち星を上げた。
     しかし、まだ二人未勝利戦を勝ち上がれていないウマ娘が居る。

    「どうしたもんか」
    「あの二人のことか?」
    「……お前はだからなんでいつもトレーナー室に居るんだよ。今日は練習休みだろ。というかいつ入ってきた」
    「毎回その反応返すの面白いな」

     いつの間にか後ろからノートパソコンを覗き込むシリウスシンボリ。この光景ももはや慣れたものになりつつあった。

    「クライネもコンもまだチャンスはあるんだろ?」
    「あるが、二人が焦り始めてるのはお前なら分かるだろ?」
    「まあな。特にコンの方は重症だなありゃ」

     レグルスのメンバーは、元々問題児の集まりだったということもあり、皆何かしらの不利を抱えている。その中でも、コンテストアバターが抱える問題は対処の難しいものの一つだろう。

  • 48二次元好きの匿名さん21/11/22(月) 23:35:20

    「コンテストアバターの怪我は、後遺症が残るようなものではなかったんだよな」
    「ああ、医者からすりゃ酷い捻挫くらいのものだったらしい。そいつがヤブ医者じゃなければの話だがな」

     未だ勝てないウマ娘の一人、コンテストアバターの問題は、怪我によって引き起こされた精神的・神経的な疾患。いわゆる『イップス』と呼ばれるものだった。

     イップスは、何らかの理由で脳が上手く命令を送れず、体を思ったとおりに動かせない症状のことを指す。コンテストアバターの場合は、それがラストスパートのタイミングで発生していた。末脚が伸びないのだ。ポテンシャルだけで言えばシリウスシンボリにも匹敵し得るにも関わらず、未勝利戦を勝ち抜けないのは、最終局面での失速が原因だった。

     元々は選抜レースの際に足をひねったことによってレースから離れていたことが、彼女がトレーナーを見つけられなかった理由だった。しかし、イップスのせいでその後も目立った結果が出ず、燻り続けている。

    「アンタじゃどうにかできないのか?」

     シリウスシンボリの質問に首を横に振る。イップスは治療法の確立されていない疾患だ。言い換えれば、専門家ですら治療できない不治の病である。世の中には克服したスポーツ選手も居るが、その治療法は本人のメンタルに大きな影響を受けていた。

  • 49二次元好きの匿名さん21/11/23(火) 00:23:34

    いいものを見つけた…

  • 50二次元好きの匿名さん21/11/23(火) 01:04:40

    「突き放すような言い方になるが、結局は当人の問題だ。その言い方をすると、クライネキッスもそうだが」

     クライネキッスはウマ娘にしては珍しい程に臆病で弱気な娘だ。バ群に呑まれると全く身動きできなくなり、壁を抜け出すような走りはできない。これまでの敗北も全て、前を塞がれたことが原因だった。

    「まだアンタから逃げ回ってるもんな」
    「あれ結構心に来るんだよな……」

     三ヶ月も関わっていれば、多少はチームに馴染めたとも思う。少なくともオブザーバーとしての地位は得られたようだった。しかし、クライネキッスには未だに他のウマ娘の後ろに隠れられてしまう。

    「まあ……何か出来ないか考えはしてるさ。っと時間か」

     時計を見ると三時半を回っていた。開いていたデータベースを閉じると、ネット中継のページを開く。

    「お、ジャパンカップか。今年は誰が出るんだっけか」
    「前年の勝者で、昨年のURAファイナル中距離を制したスペシャルウィーク。メジロの名優、メジロマックイーン。異次元の逃亡者サイレンススズカ。この辺りが上位人気か。今年は海外バは余り有力なのが居ないな」

     ディスプレイの先では今まさに、ファンファーレが鳴り響いていた。

  • 51二次元好きの匿名さん21/11/23(火) 01:06:09

    今更になりますが、登場するウマ娘の戦績は史実とかガン無視の適当です。(このレース取ってないとか走ってないとか言われても僕の府中ではこうなってる!って返すだけになる)

  • 52二次元好きの匿名さん21/11/23(火) 01:16:37

    >>45

    リンク先の1です。


    まだ生きてるスレには支援ageの意味も込めて直接送りつけることにしました。

    拙作ですがお納めください。

  • 53二次元好きの匿名さん21/11/23(火) 01:22:16

    しおり

  • 54二次元好きの匿名さん21/11/23(火) 07:54:39

     最初に飛び出したのはサイレンススズカだ。どのレースでも逃げしか打たないのは、自身の足に対する信頼の表れだろう。最初から最後までハナを譲らないつもりだ。
     だが、今回はそれについていくウマ娘が居た。メジロマックイーンだ。こちらもいつも通り、退屈と称されるハイペースの先行策。ステイヤーとしてはジャパンカップの距離は少し短いが、スリ潰せると踏んでいるのだろう。

     二人のウマ娘に引っ張られて、レースは縦に長い形になった。ハイペースに付いていこうとする者、後半に備えて足を溜める選択をした者。スペシャルウィークは後者を選択した。十八人フルゲートのレースで縦に伸びれば、ハナからしんがりの差が十バ身以上になる。

    「凄いな。全くペースが落ちない」

     ふるいに掛けるような展開にも、全てのウマ娘が対応している。G1レースに出場するような選手は、多少の揺さぶりには全く動揺しない。それぞれが自分が前に出られるタイミングを虎視眈々と狙っている。

     クライネキッスならついていけないだろうな、などと失礼なことを考えてしまった。もし彼女がレースに出ていたなら、十番手辺りか。そこから抜け出せず、追い込みが強いウマ娘に抜かれて最下位だ。G1に出るようなウマ娘と比べるな、と言われればそれまでだが、他のレースでも似たような形になることは、想像に難くない。

    「そろそろ動くな」

     シリウスシンボリの言葉と共に、レースは動いた。

  • 55二次元好きの匿名さん21/11/23(火) 14:55:45

     最終コーナー、スペシャルウィークが内から上がってきた。サイレンススズカはまだ先頭に立っていたが、流石に距離の長さと、後ろにずっとつけていたメジロマックイーンのプレッシャーによって体力は消耗しているようだった。
     直線に入る頃はスペシャルウィークがサイレンススズカを差して前に出る。しかしメジロマックイーンはスピードを落とさない。ラストスパートはこの二人の競り合いになった。

    『メジロマックイーン、食らいついている! スペシャルウィーク突き離せるか!? いや、突き離せない! メジロの名優はすぐ横だ! どちらだ、どちらが先にゴール板を抜けるのか、今両者もつれあってゴール!』

     テンションが上がった実況の声が上ずっていた。中継映像からはどちらが先にゴールしたのか分からなかった。確定ランプは点灯せず、勝敗は映像判定に委ねられる。

    「これはマックイーンだな」

     スロー映像を見ながらシリウスシンボリが呟いた。確かに、僅かではあるがメジロマックイーンの方が前に出ていた。

    『えー、只今順位が確定しました。ジャパンカップ一着はメジロマックイーンです! 前年度の勝者スペシャルウィークを降し日本の頂点に立ちました。スペシャルウィークは連覇ならず! 三着はサイレンススズカ……』

     実況が告げる順位を聞きながら、俺はシリウスシンボリが何か思いついた時の笑みを浮かべたのを見逃さなかった。

  • 56二次元好きの匿名さん21/11/23(火) 18:45:21

    「おら走れ走れー! 捕まったらお仕置きだぜ?」
    「ひぃ……ぜぇ……」
    「ス、スパルタだなぁ……!」

     クライネキッスにコンテストアバター。シリウスシンボリに追いかけ回される二人を眺めながら、計測したタイムをパソコンに記録していく。

    「……何やってんのあれ」
    「トロピカルエアか。次の未勝利戦勝つ為の特訓だと。傍からだとイジメみたいになってるが」

     坂路トレーニングを終えたトロピカルエアがドリンク片手にこちらにやってきた。休憩だろう、ベンチの右に寄ると左に腰掛ける。

    「トレーナーの差し金?」
    「思い付いたのはシリウスシンボリだ。俺も詳細を詰めはしたがな」
    「ふぅん」

     ドリンクをストローで飲み干しながら、一緒になって地獄の特訓風景を眺める。

     シリウスシンボリが提案したのは、脚質の変更だ。元々先行バだったクライネキッスを逃げに、差しウマだったコンテストアバターを先行に鍛え直す。脚質というのは基本的に本人の一番走りやすい形に落ち着くから、外から矯正するのは難しい。しかし、そうでもしないと未勝利戦を勝ち抜けないかもしれない。だから荒療治になる。

    「脚質を変えるって言うけど、それで本当に良くなるの?」
    「分からん。博打みたいなもんだ。だが、良くなる可能性はそれなりにあると思っている」
    「どうして?」

     説明を求められるとは思わなかったから、すぐには言葉が出なかった。トレーナーとして、質問には答えるべきだと思い直し、頭の中で説明を順序立てる。

  • 57二次元好きの匿名さん21/11/23(火) 21:43:25

     クライネキッスは競り合いが出来ない。苦手なだけのトロピカルエアとは違い、勝率ゼロパーセントと言っていい。精神的な弱さはトレーニングですぐに治るものではない。そんなウマ娘がレースに勝利するにはどうするか。他のウマが居ないところまで逃げるしかない。
     バ群を嫌って逃げウマに転向するケースは、重賞を勝つようなウマ娘にもしばしばある。他のウマ娘が怖いからこそ、追い付かれないよう、前に前に逃げ道を探す。そうしていつの間にかトップでゴール板を通り過ぎている。

     これは元々俺のプランの中にもあった内容だ。遠からぬうちに出来ないかシリウスシンボリに相談する予定だった。

    「特別なのは、コンテストアバターの方だ」

     先行への脚質修正と言ったが、それは適切ではない。コンテストアバターが目指すべき走りは、

    「メジロマックイーンだ」
    「……それって天才中の天才よね。真似しようと思ってできる物なの?」

     トロピカルエアの疑問は尤もだった。メジロマックイーンの走り方は、彼女類まれなるスタミナと、たゆまぬ鍛錬によって練り上げられたオリジナルだ。彼女と同じ走り方をするウマ娘は世界を見てもなお殆ど居ない。

    「出来るかどうか、じゃないんだ」

  • 58二次元好きの匿名さん21/11/23(火) 22:40:05

     コンテストアバターのイップスは深刻だ。末脚が切れないのにレースに勝とうとするなど、本人は真剣なのが分かっていても、おこがましいとさえ思ってしまう。
     末脚の比重が少ない強い走り方は無いか、という模索をしていた時にシリウスシンボリが言ったのが、メジロマックイーンの走りを真似できないかという質問だった。

     序盤から驚く程のハイペースで展開を作り、他のウマ娘達のスタミナを消耗させて失速させる。一歩ペース配分を間違えば自分が先に脱落する危険な走り方だが、なるほど確かにスパートの重要さは差しよりも一段も二段も落ちる。食らいついていけるウマ娘が残っていないのだから。

     走りを真似するのが可能かどうか、という質問にはノーと答えざるを得ない。しかし、真似できた時にイップスを抱えた上で勝てるか、という質問については可能性があると考えていた。

    「苦肉の策、ってわけね」

     トロピカルエアの感想は、的確に今回のトレーニングを表していた。

    「もっと有能なトレーナーなら、何かイップスを克服する方法を思い付くのかもしれないがな。俺には思いつかん」
    「まあ良いんじゃないの。そんなスーパーマンみたいなの期待してないし」

     そりゃそうなんだがはっきり言われると傷付くな。

    「そういうことなら、私も手伝いに行こうかな」

     返答に満足したのか、トロピカルエアはドリンクをクーラーボックスに入れると立ち上がり、三人の方へと走っていった。

  • 59二次元好きの匿名さん21/11/23(火) 23:54:54

    「二人の調子はどうだ?」

     戻ってきたシリウスシンボリにスポドリを投げてよこす。さっきまでトロピカルエアが座っていたところにどっしりと座り込み、勢い良くドリンクを飲み干していた。

    「ぷはっ、まあクライネは上手いことハマりそうだな。逃げの方がむしろ調子良いくらいだ。スタートでこけないようならもう十分だな」
    「まあ逃げウマはスタートが一番難しいって言うけどな。上手く行きそうならそれで良かった」

     少なくともこれで悩みの種は一つ減りそうだと胸をなでおろす。彼女の見立てなら間違いはないだろう。

     だが、とシリウスシンボリは表情を曇らせた。

    「コンはやっぱキツいな。言ったのは私なんだが……無理な注文だったか?」
    「……イップスの治療にはこれまでの動作を封印する、という研究もある。たとえ芽が出なくても、今までとは違う挑戦をすることに意味があると思う」

     別に、メジロマックイーンのようにならなければならないわけではない。ただ、真似をすることで殻を破る何かのきっかけになれば良い。まだ、時間はある。試せることは他にもある筈だ。俺にも何か出来ることが、

    「おい」

     シリウスシンボリの手が、俺の頬に触れていた。

  • 60二次元好きの匿名さん21/11/24(水) 00:29:52

    「うだうだ考え過ぎだアンタは」

     彼女の目が、真っ直ぐに俺を見据えていた。

    「アンタも私も、コンが戦えるようになる為の、手伝いをしてるだけだ。もしどうにもならなかったとして、アンタ一人の責任じゃない。抱え込み過ぎなんだよ」
    「俺は……」
    「アンタは頑張ってる。私が保証してやる。私達に出会う前、どんなことを言われてたかは知らないけどな、私からすりゃアンタは十分、私が思っていた以上にトレーナーやってるよ」

     それは、俺が一番望んでいる言葉だったのだろう。それを受け入れられる程、俺が俺自身を認めてやれていないだけで。

    「ありがとな……」

     シリウスシンボリが本心からそう言ってくれていることは痛い程伝わってきた。だから、今は礼しか言えなかった。

    「……ま、コンと一緒でアンタもそう簡単には行かないか」

     ぺちぺちと頬を叩かれる。少し強過ぎないか痛いって。赤くなるって。

    「私がG1取ったときには、そんな卑屈な態度許さないから、覚悟しとけよ?」

     分かったとは、返せなかった。

  • 61二次元好きの匿名さん21/11/24(水) 01:04:13

     結局の所、二人とも、次の未勝利戦を勝つことは出来なかった。トロピカルエアがプレオープンのひいらぎ賞を勝った横で、クライネキッスは三着、コンテストアバターは最下位の八着に沈んだ。その内容には大きな差があった。

     クライネキッスはレース序盤から最前列に位置取り、後半までハナを取って良いレース運びをしていた。一人抜け出している状況に慣れていなかったのか、スパートのタイミングを誤り、後続に差しきられてしまったが、勝っていてもおかしくない走りだった。
     対照的に、コンテストアバターはバ群の前につけたはいいモノのペースを掴めず、いたずらに体力を消耗して脱落していった。もちろん末脚が戻ることもなく、最後にはぽつんと一人残されるような形だった。マックイーンの走りを真似ようなど、最初から無理があったのだ。後押ししてしまったのは自分だ。

     どうすれば彼女を願いを叶えることができるのか。泥沼をさらに踏み込んでしまったような気分だった。

    「抱え込み過ぎ、か」

     シリウスシンボリに言われたことを思い出す。トレーナーはスーパーマンじゃない。文句の出ない程完璧な結果など出せない。それは分かっている。それでも、全力を尽くすのは当然の義務じゃないのか。

     駄目だな。俺までナーバスになってる。何かで気を紛らわせないとやってられない。特に改善方法も思い付かず、逃げるようにトレーナー室を後にする。

     そんな気分だからか、向かいから来る人影に気が付けなかった。

  • 62二次元好きの匿名さん21/11/24(水) 01:05:33

    これが日々の楽しみになっている

  • 63二次元好きの匿名さん21/11/24(水) 01:33:08

     ぶつかってしまい、よろけたのは相手の方だった。あまりの感触の無さに、気付くのが一瞬遅れる程だ。

    「あっ、すいません……」
    「ううん、前を見てなかったこっちが悪いから、気にしないでくれ」

     第一印象は針金か幽霊だった。俺よりかなり背が高いが線が細く、少し力を入れたらポッキリと折れそうな弱々しいイメージのある男性だ。何処かで見たことあるような気がするが、こんな知り合いが居たら忘れないだろう。

    「ああ、君。少し待ってくれないかな」

     そんなのんびり相手を観察するのも不躾だと、謝罪もそこそこにその場を立ち去ろうとすると呼び止められる。

    「なんでしょう」
    「いや、思い詰めたような顔をしているからね。君の担当と何か問題でもあるのかと思って」

     思わず自分の顔を手で触る。そんな赤の他人に見抜かれる程、顔に出ていたのだろうか。もしそうなら、シリウスシンボリに心配されるのも当たり前だ。

    「お節介だけれど、予定が無いならこれから一緒にコーヒーでもどうだい? 先輩として何かアドバイスができるかもしれない」

     行くあてもなければ、相手の好意を無碍にするわけにもいかず、流されるように俺は幽霊のようなこの男のトレーナー室まで足を運んでいた。

  • 64二次元好きの匿名さん21/11/24(水) 07:23:26

    「コーヒーを淹れるのは実はあまり得意じゃないから、それ程期待しないでね。ああ、お茶菓子の方は自信作だからどうぞ召し上がれ」

     彼のトレーナー室は、何処かお高い喫茶店か何かと間違うようなアンティークな家具に囲まれていた。最低限の設備しか置いていない俺のトレーナー室とは大違いだ。ここまで私物化しても許されるものなのだろうか。

     テーブルに出されたのは、シフォンケーキ。自信作というからには、もしかして彼の自作なのかもしれない。しばらくするとコーヒーカップを二つ、一つは来客用であろう新品同様のカップにコーヒーを注いで持ってきた。

    「砂糖とミルクはどうする?」
    「あー……ミルクだけ貰います」

     貰ったコーヒーミルクを開ける。相手はシュガースティックを二つと、ミルク、シロップを一つずつ入れていた。随分甘くなりそうな入れ方だ。

    「悩んだり困ったり、そういう時には甘い物に限るよ」
    「そういうものですか」
    「そういうものさ」

     シフォンケーキを促されたので一口食べてみる。甘くて美味しい。店で出しても十分売れそうなクオリティだ。相手は俺が食べるのをニコニコと眺めながら、コーヒーを啜る。

    「さあ、君の悩みを聞かせてごらん?」

  • 65二次元好きの匿名さん21/11/24(水) 10:09:49

     何処まで話すか迷った末、曖昧にぼかして、担当しているウマ娘がとても頑張っているのに、未勝利戦を勝つビジョンが見えないとだけ言った。言葉を濁したことを相手が気付いたかは分からない。ただ、彼はゆっくりとコーヒーを飲んでいた。

    「君はとても真面目なんだね。真面目過ぎる程に」
    「抱え込む、とは担当にも言われました」
    「うん、それが悪いことだとは言わないよ。でも、もしかしたら君は少し勘違いをしているかもしれない」

     勘違いしている、とはどういうことだろうか。

    「君は、担当を勝利させる為にトレーナーをやっているのかな?」
    「そんなの……当たり前じゃないですか」
    「本当に当たり前だろうか。担当を勝利させたい理由は?」
    「そりゃ……担当がそれを望んでるから」

     ここまで言われて分かった。トレーナーの仕事は担当を勝たせることじゃない。

    「トレーナーの仕事は、担当が夢を叶える手伝いをすること……」
    「そう、勝利を目指すっていうのはあくまでウマ娘達が勝ちたがっているからに過ぎない。でも、もしその願いがそのウマ娘を傷付けるものだったとしたらどうだろう」
    「それ、は」

     答えられない。そんなこと、考えたことも無かった。

  • 66二次元好きの匿名さん21/11/24(水) 13:41:00

     コンテストアバターは勝ちたがっている。俺もそれも応援しようとしている。それは間違いない。だが、その願いは、本当にポジティブなものなのだろうか。

     負けられない追いつきたい。強い渇望はちょっとしたことで呪いに変わる。俺の知り合いにも、或いは俺自身もその呪いを知っている。コンテストアバターが、走る度に、彼女の心を傷付けているのは、本当に彼女の為になることなのだろうか。

    「彼女に……諦めろって言うんですか」

     悪意のある聞き方だった。そんな低俗なことはこの人は言っていない。だが、結果としてはそうなってしまう可能性が高い。彼はそれを分かっていて、俺を見捨てるように首を振った。

    「それを決めるのは僕じゃない。僕は君のウマ娘の担当じゃないし、君達が実際に抱えていることも知らない。一つの提案としてそれを出すことは出来るけれど、あくまで助言でしかない」
    「……そう、ですね」
    「ただ……」

     彼は重くなった空気を軽くするように、ちょっとだけ声を弾ませる。

    「俺も、そういう決断をしたことがある。結果が正しかったかは今でも分からないけれど、選んだ先が、終わりではないことは知っている。君は、君自身が心の底から思ったことを伝えるべきだ」
    「俺が、思ったこと」
    「うん。君の担当のことを真に思って出た結論なら、きっと受け入れてくれる筈さ」

     参考になったかな、と枯枝のようなトレーナーは幽霊のように笑った。

  • 67二次元好きの匿名さん21/11/24(水) 17:53:13

    「コンテストアバター。大事な話がある」

     トレーニング始まりに彼女を呼ぶ。シリウスシンボリが怪訝そうにこちらを見ていた。彼女は、何か良くないことが起こると本能で察知したのかもしれない。

     覚悟は出来た、とは言えない。あのトレーナーから言われたことを自分なりに噛み砕いて、出した結論は残酷だ。シリウスシンボリには相談していない。彼女に、皆を引っ張っていく彼女にこの決断の片棒を担がせたくはなかった。王は潔白であってほしくて、泥を被るなら臣下の役目だろう。それは俺のワガママで、一人で抱え込む悪い癖だ。それでも、折れることのできない一線がそこにあった。

     言うなら早いほうが良い。遅くなれば、遅くなるほど彼女を傷つけることになる。手遅れになるかもしれない。ぶん殴られる心の準備もしてきた。病院送りになるだろうか、キレられてトレーナー契約も解消されるかもしれない。悪い方向に想像を働かせば、嫌な結末が幾つも浮かんできた。

     今、言わなきゃいけないことだ。

    「どうしたのぉ?」

     コンテストアバターはのんびりとした声だった。大事な話と言われてもピンと来ていないようだった。罪悪感が込み上げてくる。俺はこの子に、酷いことを言わなければならない。鬼にならなければならない。それがきっと、この子の為になるから。

     息が詰まる。言え、言え、言え、言え──

    「走るのを、やめにしないか」

     静寂が訪れた。

     俺は宙を待っていた。

  • 68二次元好きの匿名さん21/11/24(水) 19:14:00

    「もう一度言ってよ」

     俺はコンテストアバターに投げ飛ばされ、地面に叩きつけられていた。肺から空気が飛び出して息ができない。頭もチカチカする。胸ぐらを捕まれ、むりやり起こされた。

    「おい、何言い出すんだクソ野郎!」

     視界の隅では飛び出そうとするビューティーモアをシリウスシンボリが手で制しているのが見えた。ありがたい、ここで話をうやむやにされるのが、一番怖かった。

    「走るのをやめないかと言ったんだ」
    「それはあたしが勝てないから? 才能の無いウマ娘に用は無いってこと!?」
    「違う!」

     それだけは絶対に違うと、言わなければならない。俺の大声に、コンテストアバターも少し怯んだようだった。

    「俺は……お前達にただ勝ってほしいんじゃない。隅に追いやられていたお前達が、自由に走れるようになってほしかった」

     才能が腐っているのが嫌だった。でも、それ以上に、シリウスシンボリに言わせれば『やる気のある』ウマ娘達が機会に恵まれないのが嫌だった。

    「でも、コンテストアバター。お前、今走るの楽しいか?」

     それは、俺の望んでいたことなのか? 彼女達の望んていたことなのか?

  • 69二次元好きの匿名さん21/11/24(水) 20:20:18

    「俺はお前達に勝ってほしいよ。お前達が勝ちたいというのなら、それを全力でサポートしたいよ。だけど、走るのを嫌いになってほしくはない」
    「そんなことあるはず」
    「じゃあ、なんで毎回練習であんな辛そうな顔をするんだ。皆、見ないふりしてた。俺だってそうだ。お前が勝ちたいのは本心だと分かってたから、だけど。もう、限界なんだ」

     心身をボロボロにしながら走り続けて、その先に何が残る。何も、残らない。たとえ最終的に勝てたとしても、傷は癒えないし、また新たに増えていく。

    「別に引退しろとも、学園から居なくなれとも言うわけじゃない。まだ半年は猶予がある。その間、一度走ることから離れてみないか」
    「離れて、その間……辛いだけじゃん」

     レースから離れても、走りたいという欲求からは逃れられない。どうして走れないんだと自分を責め続けるのだろう。

    「そうかもしれない。そうじゃないかもしれない。でも、今のままじゃお前は間違いなく壊れる」
    「……っ」
    「残酷なのは分かってる。でも、俺が出来るのはもうこれしか残ってなかった。無能だと笑いたきゃ笑えば良い。無視したいなら、すれば良い」
    「無視なんて……できるわけないよ」

     コンテストアバターは、ポツリと呟いた。

  • 70二次元好きの匿名さん21/11/24(水) 22:54:08

    「トレーナーが嫌嫌じゃなくて、私達のことをちゃんと考えてくれてるのは分かってるよ。シリウスちゃんだけじゃなくて、皆が勝てるように色んなデータを集めてきてくれて。勝つ方法を考えてくれて」

     涙が服に落ちた。コンテストアバターは、泣いていた。

    「それに応えられないのが嫌で、頑張ったんだもん」
    「……分かってる。お前が本当に勝ちたがってることは」
    「でも、苦しいのも。トレーナーの言った通りだった」

     胸ぐらを掴んでいた手が離れる。

    「……ごめん、少し考えさせて」

     彼女はその場から逃げるように走り去っていった。本当に、酷いことを言った。これでは他の奴らにも幻滅されるかな。

    「おい、立てるか?」

     気付けばシリウスシンボリがすぐ近くまで来ていた。打ち付けられた背中は痛いが、体が動かない程ではない。立ち上がろうとすると、支えるように彼女が肩を持った。

    「私はこいつを保健室まで運んでいく。練習内容は任せたぞ」

     一人で大丈夫だ、とは言わせてもらえないまま、俺はシリウスシンボリに運ばれた。

  • 71二次元好きの匿名さん21/11/24(水) 23:40:33

     運ばれたのは保健室ではなく、俺のトレーナー室だった。怪我しているわけでもないし、シリウスシンボリも分かっていた。俺を椅子に座らせて、彼女はでんと仁王立ちしている。

    「私は、アンタに感謝もしてるが、怒ってもいる。どういうことか分かるか?」
    「俺一人の判断で、コンテストアバターにあんなこと言ったからだろ」
    「ああ、そうだ」

     シリウスシンボリの手が俺の頭に伸びた。ひっぱたかれるのかと思ったが、どうやら違う。
     あやすように、撫でられていた。そんな優しくされるとは思わず、何か言い訳を考えていた筈なのだが、何処かに飛んでいってしまった。

    「アンタ一人に、辛いことさせて悪かった」
    「なんだよ、いつも気ままなお前らしくもない」
    「私だって、礼を言うべき時はそうするさ。皆が分かっていたことを、誰かがはっきり口にする必要があったってことも分かってる」

     なんというか、本当にしおらしい。こんなシリウスシンボリは初めて見たかもしれない。

    「私に一切相談しなかったことは怒ってるけどな」
    「いたたたたたつむじはやめろハゲる」
    「おうハゲちまえ。私に黙ってたバツだ」

     からかうように俺の頭で遊ぶ。

    「コンテストアバターの方には行ってやらなくて良いのかよ」
    「今のあいつに必要なのは一人で考える時間だろ。それにアンタが心を痛めて言ったんだ。アンタをケアする奴だって必要だ」

     自分で思うより受け入れられていることを理解しろ、と彼女は言った。

  • 72二次元好きの匿名さん21/11/25(木) 00:05:13

    好きな距離感…

  • 73二次元好きの匿名さん21/11/25(木) 00:16:06

    素晴らしい…

  • 74二次元好きの匿名さん21/11/25(木) 00:21:04

    なんでこんな解像度高いの…

  • 75二次元好きの匿名さん21/11/25(木) 00:56:02

    「私はもちろん、トロもコンも、モアだってアンタのことをトレーナーとして認めてる。今から他のトレーナーを探そうなんて思わないくらいにはな」
    「あんなことを言ったのにか?」
    「当たり前だろ。皆分かってた、ってアンタが言ったんだ。アンタがよく考えもせずに、あんなこと言わないってのも分かってる」

     それでも感情的になることはあるけどな、とシリウスシンボリは言った。

    「だから、アンタは自分の選択を後悔するな。考え抜いた結果だろ?」

     不思議な気持ちだった。ポツリとスラックスに水滴が落ちて、初めて自分も泣いていることに気付いた。

    「こんなことじゃ、アンタを嫌いにならないさ。安心しろ」

     柔らかな匂いがする。シリウスシンボリに頭を抱きかかえられていた。男として恥ずかしいと、内に押し込んでいた感情が、もう耐えられない。

    「う、ああ」

     涙が溢れるほどにこぼれだしていた。そうだ。担当に嫌われるのが怖かった。何ヶ月も掛けて築いた信頼が、一方的なものだったと知らされるのが怖かった。一緒に頑張ってきたはずなのに、レースに勝てないと、それだけで見捨てられるような気がして。やっと勝たせられたと思った先に、あいつには契約を解消されて。そうやって積み重なった恐怖が今も残っていて。

    「おう、泣け泣け。私が許してやるよ」

     シリウスシンボリは優しく、俺の頭を撫でてくれるだけだった。

  • 76二次元好きの匿名さん21/11/25(木) 02:36:14

     すっかり涙も枯れ果てて、ようやく心が落ち着くと、女子生徒の胸に顔をうずめているという明らかな事案のヤバさに気が付いた。慌てて離れようとするが動かない。

    「あのー、シリウスシンボリさん?」
    「このままの誰かに見られたらどうなるか、も思ってな」
    「いや誰に見られてもヤバいというか普通に良くないんですが」
    「おいおい、私に抱かれて良くないって言うのか?」
    「そういう意味じゃなくてクッソ外れねえ!」

     ウマ娘の膂力で固定されるとびくともしない。いや確かにおっぱいは柔らかいがそういうことじゃなくてウマ娘とはいえこの細腕のどこにそんなパワーがあるんだほんと。スキンシップの限度を超えてるぞ。

    「ぶべらっ」

     急に手を離されて背もたれに頭を思い切り叩きつけた。背もたれの高い椅子で良かった。ひっくり返ったら目も当てられない。

    「ハハハッ、少しは元気出たか?」
    「どっちかと言うと肝が冷えたわ……」
    「軽口叩けるなら十分だな」

     シリウスシンボリは悪びれもせず笑う。やっぱこいつはなんというか、自由な奴だ。

    「今日は良いが、明日には戻れよ? アンタは、私達の"トレーナー"なんだからな」
    「……ああ、分かったよ」

     問題は何一つとして解決していないが、心のつっかえは少しだけ軽くなった気がした。

  • 77二次元好きの匿名さん21/11/25(木) 07:44:21

    トレシリ要素に脳が焼かれてる

  • 78二次元好きの匿名さん21/11/25(木) 09:19:56

     翌日、練習は無かったがシリウスシンボリはいつものようにトレーナー室に入り浸ってきていた。気にすることもなく、いつものようにデータの整理を続ける。
     コンテストアバターに関しては、トロピカルエアやザッツコーリングが対応してくれていると、連絡をもらった。俺がまた何かを言うよりもずっと建設的な結果になるだろう。

     彼女が走ることとどう向き合うのか。それは俺には分からない。だが、彼女が考え抜いた結果を尊重しようと思う。仮に走ることが呪いだとしても、その呪いと正面から対話して決めたことだろうから。その思いに応えないのは、トレーナーとして最も恥ずべきことだと思うから。

     トレーナー室の扉をノックする音が聞こえた。入ってきたのは紫のお下げ。コンテストアバターだった。

    「結論は出たか?」

     聞いたのはシリウスシンボリだった。台詞を取られた気分だが、彼女なりに思うことあっての言葉なのだろう。

    「私、走ることを諦められません」
    「……そうか」

     それが彼女の選択なら、地獄に共に立ち向かう覚悟もしよう。
     しかし、彼女が続けた言葉は予想外のものだった。

    「でも、今走っても辛いだけなのも分かります」

  • 79二次元好きの匿名さん21/11/25(木) 16:01:02

    初レス
    保守

  • 80二次元好きの匿名さん21/11/25(木) 17:35:17

    「走れなくて、走りから逃げられないのなら、皆を支える方に一度回ってみたいと思います」

     彼女が取り出したのはノートと、タブレットPCだ。

    「これ、コーちゃんの次のレースの出走相手をまとめてみたんです」

     タブレットには、ザッツコーリングが次に走るクリスマスローズステークスに出るウマ娘達の脚質や前走の順位などが、ノートにはそれらを踏まえたレースの作り方に関するアイデアがびっしりと書き込まれていた。

    「これ、一日で作ったのか?」
    「えっとぉ、実はめぼしいライバルについてはコーちゃんが自分で調べてたんです。だからそれに追記する形で。戦法についてはトロちゃんも協力してくれて」

     粗は見えるが、よく考えられている。もしこれが課題だったとしたら最高評価は間違いないだろう。

    「皆の役に立ちたいんです。だから、トレーナーさん。私にトレーナーの仕事を教えてください!」

     彼女が出した結論は、俺の想像には全くないものだった。いや、当たり前なのだろう。彼女達は一生懸命でそれゆえに迷いやすいが、簡単には折れない心の強さも持っているのだ。

    「……分かった。ただ、教えるからにはチームに必要な分析も手伝ってもらうぞ」
    「……はい!」

     憑き物が落ちたようなコンテストアバターの声。落ち着くところに落ち着いたみたいだな、とシリウスシンボリが肩をすくめるのが見えた。

  • 81二次元好きの匿名さん21/11/25(木) 18:05:11

    しおり

  • 82二次元好きの匿名さん21/11/25(木) 18:36:05

    ええ話や……

  • 83二次元好きの匿名さん21/11/25(木) 19:55:30

    みんなキャラが立ってて好き...

  • 84二次元好きの匿名さん21/11/26(金) 00:01:22

    保守

  • 85二次元好きの匿名さん21/11/26(金) 00:16:11

    最近の生きる活力になってる

  • 86二次元好きの匿名さん21/11/26(金) 01:12:53

     年明け、チームレグルスにとって初めての新年を迎えた。昨年はアクシデントも色々とあったが、プレオープンのひいらぎ賞をトロピカルエアが、G3の東スポ杯ジュニアステークスをシリウスシンボリが勝利。ザッツコーリングもオープン戦のクリスマスローズステークスで二着に入るなど、結成早々のチームとしては中々の滑り出しを見せた。
     コンテストアバターもサポートに回ることで吹っ切れたのか、チームの為に献身的に動き回っている。データ分析のノウハウもスポンジのように吸収していて、このままなら四月のクラシック戦線が本格化する前に、幾らか任せきりにできるかもしれない。

     それはそれとして、年明けと言えば初詣ということで、俺はシリウスシンボリに叩き起こされ、レグルスのメンバーでトレセン近くの神社まで来ていた。

    「ねむ……」

     あくびが漏れる。朝も寒いのも苦手だ。三ヶ日なんてこれまでは寝正月だった。

    「そんな大あくびしてると甘酒注ぎ込まれるぞ」
    「そんなことすんのはお前かビューティモアくらいだろ」

     暖かそうなダウンジャケットに身を包んだシリウスシンボリにコップを傾ける仕草で脅される。

    「お参りってこんな並ぶんだな。御苦労なことだ」
    「まあここはトレセンの奴らが多いからな。必勝祈願のお祈りってのも多いんだよ」

     言われてみればウマ娘の姿をちらほらと見かける。それと、ウマ娘を目当てに来たっぽい人の姿も。神頼みは今まで殆どしたことが無かったが、これだけ人がごった返していると、確かにご利益がありそうな気もしてくるな。

  • 87二次元好きの匿名さん21/11/26(金) 03:06:32

    シリウスの包容力えぐい 堕ちちゃう

  • 88二次元好きの匿名さん21/11/26(金) 08:23:51

    「シリウス! あっちにおしるこあったし後で飲もうぜ!」
    「人混み……こわい……こわい……」

     ビューティモアは既に甘味に気を取られているし、クライネキッスは相変わらず人見知りを起こしている。

    「ザッツコーリングは?」
    「あっちでコンに抱えられてたぜ」

     体が丈夫でないから、コンテストアバターが気を遣っているようだ。その様子ならトロピカルエアも一緒に居るだろう。

     人の波が動く。大きな賽銭箱が見えてきた。確か、賽銭は五円が良いんだったか。今のうちに財布から取り出しておこう。

    「あ」
    「どうした?」
    「財布忘れた」

     何やってんだこいつ。溜め息を吐きながら小銭入れを開く。五円玉は三枚あった。一枚をシリウスシンボリに渡す。

    「後で返せよ」
    「なんだケチだな。ツケにしといてくれ」
    「あー! シリウスだけずるい!」

     げ、賽銭を渡したのがビューティモアにバレた。仕方が無いので彼女にも五円玉を渡し、そうなればクライネキッスにも渡さないわけにはいかない。気が付けば五円玉がなくなっている。まあ験担ぎだ、そこまで気にしなくても良いか。

     人の波がまた動き、俺達のお参りの番になった。

  • 89二次元好きの匿名さん21/11/26(金) 15:20:28

     二礼二拍手一礼だったか。十円玉硬貨を放り投げて手を合わせる。願いはもちろん、メンバーの全員が夢を掴めるように。少し早く目を開けると、シリウスシンボリはまだ祈っていた。ビューティモアは早々に終わらせたのか既に脇にそれ、クライネキッスは今年こそはと何度も呟いている。

    「終わったか。あいつらに早いとこ合流しないとな」

     二人のお参りが終わったのを見届けて、ビューティモアと合流する。しかしこうも密集していると人探しも楽じゃない。残りの三人は一体何処にいるというのか。

    「一旦神社から出るか。合流するなら人の少ない場所の方が良いだろ」
    「トレーナー、おしるこは?」
    「後で買ってやるから落ち着けって」
    「私はあっちの甘酒が良いな」
    「さっきから甘酒好きなのかお前」

     ここぞとばかりに集ってくるお調子者二人組をあしらいながら、三人との合流場所を連絡取り合う。境内から出た近くのコンビニ前に合流することでまとまった。

     参道を降りる途中、ちょっとだけ回り始めた頭は職業病のようにこれからのレース戦略について頭を巡らせていた。

  • 90二次元好きの匿名さん21/11/26(金) 21:11:38

     クラシック戦線。トゥインクルシリーズは最初の三年が最も大事だと言われているが、その三年の中でさらに優先順位を付けるなら二年目のクラシック期こそ一番重要な期間だと言えるだろう。ジュニアで学び、クラシックで競り、シニアで磨き上げると言われるように、その年にしか挑戦できないレースで同年代の最強を決める。

    「お前達は、クラシックで出たいレースに希望とかあるのか?」

     なんでもかんでもこいつらの希望通りに、というわけにはいかないが、出来る限り希望を叶えてやりたかった。

    「G1!」

     食い気味に答えたのはビューティモアだ。G1と言ってもレースは幾つもあるんだが、彼女の適性は短距離からマイルだ。早く出るならNHKマイルカップだろうか。出場権を勝ち取れるかは微妙だ。もう少し遠くのスプリンターズステークスを意識して短距離の重賞、サマースプリントシリーズに照準を向けていったほうが良いかもしれない。

    「わ、私は未勝利戦勝てれば……」

     控えめなクライネキッスは、先ず未勝利戦。それからプレオープンやオープン戦と順番にステップを踏んでいくことになるだろう。重賞に挑戦できるかは分からない。

    「シリウスシンボリはどうだ?」

     話を振ると、彼女は少し悩んでからこう言った。

     日本ダービー、と。

  • 91二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 00:42:28

    保守

  • 92二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 01:17:53

    良すぎ 応援してます

  • 93二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 02:06:20

    しおり

  • 94二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 07:52:13

    いいSSだ

  • 95二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 08:36:46

     日本ダービー。全ての、とは言わないが多くのウマ娘はその名誉を欲しがるだろう。最も運の良いウマ娘が勝つと言われる日本ダービーは、それを一つ取るだけで世代最強の看板を背負うことができる。
     シリウスシンボリには、ダービーを取り得るだけの力があると信じている。だから、その言葉にそれ程驚きはしなかった。自信家のこいつのことだから、真っ先に名前を上げるだろうとも思っていた。

    「ダービーか。皐月賞はどうする」
    「出ても良いが、トロも狙ってるだろ」

     トロピカルエアはシリウスシンボリと並んでここのエースだ。同じチームのメンバーで同レースに出走するのは基本的に避けることが多い。他のレースに出れば勝っていたかもしれない片方を、わざわざ身内にぶつけるメリットが少ないからだ。もちろんそのレースを取りたいと強く望むウマ娘ならぶつかり合うこともあるが、シリウスシンボリはそこまでクラシック三冠に執着はしていないらしい。

    「なら、そういう方向でスケジュール組んでくか」
    「そういうお前は望みは無いのか?」
    「俺か?」

     なんだかんだと言ってこのチームのトレーナーをやっている時点で俺の望みは満たされているような気がする。

    「お前らが怪我しなきゃそれで良いな」
    「欲がねえな」

     そういうもんさ。とは口に出さなかった。

  • 96二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 15:36:13

    保守

  • 97二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 18:31:44

     年明けからのレースは順風満帆に進んだと言って良かった。クライネキッスは未勝利戦をついに突破。脚質を逃げに変えたことがようやくハマり、二着に4バ身差つけての勝利だ。ビューティモアはクロッカスステークスを勝利、シリウスシンボリも共同通信杯を勝利した。ザッツコーリングはエルフィンステークスで4着。

     トロピカルエアに至ってはG2の弥生賞で3着を取り、皐月賞への優先出走権を獲得。レグルスのメンバーで一番最初にG1への出走を決めた。

     そして今日。

    「モアちゃん行けるよー!」
    「負けるなー!」

     ザッツコーリングとコンテストアバターが必死に声援を飛ばす先で、ビューティモアがゴール板を駆け抜けた。最後は差しきられてしまったが、2着だ。

    「これで、桜花賞への優先出走権獲得か」
    「ああ、急にトリプルティアラ目指すって言われた時はどうしようかと思ったが、先ず一つ目への切符は手に入ったな」

     桜花賞へのステップレースであるフィリーズレビュー。ビューティモアは3着までに与えられる優先出走権を見事に獲得した。
     
     まだG2以上での勝利は無いが、確実に、俺の想像より遥かに成長している。ビューティモアが足の違和感を訴えたのは、そんな矢先だった。

  • 98二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 23:36:00

    保守

  • 99二次元好きの匿名さん21/11/28(日) 08:03:47

    「骨折、ですか」

     嫌がるビューティモアをコンテストアバターと二人がかりで捕まえて連れて行った病院で告げられたのは、右足、中足骨の疲労骨折だった。

    「ええ、初期症状ですから安静にしていれば大きな問題ははありません。手術も必要はないでしょう。ただ、走ることはしばらく控えてください」

     本人は病院嫌いで暴れるので別室でコンテストアバターが抑え込んでいる。教えられたのは今は俺だけだ。

    「完治にはどれくらい……」
    「そうですね、早くて一ヶ月。リハビリも含めると二、三ヶ月といったところでしょうか」

     一ヶ月。走らせるだけなら桜花賞にはギリギリで間に合うラインだ。だが、本音を言えば出したくはなかった。治り際に無理をした結果、更に悪化する可能性も高い。優先出走権を得たのに勿体ない事だとは思うが、ビューティモアの安全が最優先だ。

    「分かりました。ありがとうございます」
    「お大事にどうぞ。無理に走って、選手生命を完全に絶たれた選手も居ますから」

     トレセン学園と縁の深い病院の先生が言うと、言葉の重みが違った。

     診察室を出ると、大きなため息が漏れる。どうやってビューティモアに伝えようか。正直に全治一ヶ月と話したらきっと桜花賞に出ようとするだろう。説得に骨が折れるのはこちらの方だと目眩がした。

  • 100二次元好きの匿名さん21/11/28(日) 13:25:33

    保守

  • 101二次元好きの匿名さん21/11/28(日) 13:26:55

    保守

  • 102二次元好きの匿名さん21/11/28(日) 13:58:37

    保守

  • 103二次元好きの匿名さん21/11/28(日) 17:46:07

    保守

  • 104二次元好きの匿名さん21/11/28(日) 18:37:48

    「そうか」

     病院のベッドに座っているビューティモアの反応は至って淡白だった。念の為ということで右足に添え木と杖を用意しているが、歩く程度なら問題はないらしい。ウマ娘の怪我だからと一日入院にはなったが、明日にはトレセン学園に戻れるだろう。
     どうやって宥めようかと考えていのが肩透かしにあった気分だ。素直に受け入れてくれるのなら、それが一番なのは間違いないのだが。

    「なんだよ」
    「いや……もっと食い下がられるかと思って」
    「食い下がったら判断が変わんのか?」
    「それはないな」

     トレーナーとして、最悪の想定をしないわけには行かない。何を言われようと桜花賞は諦めてもらうつもりだった。

    「トレーナーがそう判断したなら、別に反抗するつもりもねえよ」

     それは、信頼の証なのだろう。桜花賞が駄目になっても、その次を勝たせてくれるという信頼を得ることができたのだろう。

    「トレーナー、シリウスちゃん達への連絡、終わりましたぁ」

     シリウスシンボリ達に結果を連絡しに行っていたコンテストアバターが戻ってくる。

    「悪いな。お礼に売店で何か買ってくるよ。ビューティモアは何か欲しいものあるか?」
    「じゃあミルクティーでぇ」
    「……ポッキーが食いてえ」
    「分かった」

     入れ替わるように俺は病室を出た。

  • 105二次元好きの匿名さん21/11/28(日) 20:00:47

    保守

  • 106二次元好きの匿名さん21/11/28(日) 20:08:59

    しおり

  • 107二次元好きの匿名さん21/11/28(日) 23:35:24

     売店でポッキーとミルクティーを買って病室の前まで戻ってくる。ドアを開けることはなく、その場で立ち止まった。

    「ひぐっ……えぐっ……」

     ビューティモアが泣いている声が聞こえた。G1レースを夢見ていた彼女にとって、今回の怪我はあまりにも残酷だ。コンテストアバターが慰める声も聞こえる。直接的ではないとはいえ、怪我で走ることができない彼女には、今のビューティモアの気持ちがきっとよく分かる。

     廊下の壁に背中を預けて、時間が過ぎるのを待つ。あんなに気丈に振る舞っていたんだ。こんな姿を俺には見られたくない筈だ。

    「クソッ……」

     もっと早く気が付けていれば、と自分を責める。疲労骨折は分かりにくい怪我だ。初期段階で発見できたことはむしろ幸運だ。そういう一般論は何の慰めにもならない。トレーナーとして、ちゃんと見てあげてやれていれば、追い込みは間に合わずとも走らせることは出来たのではないか。

     ふーっ、と大きく息を吐く。後悔なら幾らでも出来る。今考えるべきは、ビューティモアのリハビリと復帰のスケジュールだ。NHKマイルカップも間に合わないだろう。シニア世代とも戦うことになるが安田記念か、夏を越えることになるがスプリンターズステークスか。どちらかには出してやりたい。

    「落ち込んでる暇はねえぞ」

     ビューティモアだけではない、トロピカルエアは皐月賞を控えている。彼女達が夢に向かって走れるよう支えていくんだ。そう、改めて決意した。

  • 108二次元好きの匿名さん21/11/29(月) 07:37:06

    保守

  • 109二次元好きの匿名さん21/11/29(月) 15:56:57

    保守

  • 110二次元好きの匿名さん21/11/29(月) 20:31:20

     四月。トレセン学園は春のファン感謝祭で賑わっている。チームレグルスは何か出し物をするということもなく、それぞれ参加者として思い思いに楽しんでいた。

    「で、なんでアンタはこんなところでカタカタキーボード叩いてるんだ?」
    「お前こそなんでこんなところに居るんだよ」

     トレーナー室で仕事をしていたらシリウスシンボリが入ってきた。唇の端にチョコがついていたり、奇妙なプラバンを持っていたり、こいつなりに楽しんでいるらしい。開口一番なんでと問われたが、別に深い理由は無い。

    「ほれ、屋台の焼きそば」
    「確かに昼飯はまだ食っちゃいなかったが……幾らだ?」
    「四百円」

     パックに入れられた焼きそばを渡され、渋々代金を払う。気を利かせたおごりだと思って素直に受け取ろうとすると、弄ばれるのが目に見えている。こうすればこうしたで、よく気付いたと満足げな顔をするからこいつ無敵なんだが。
     パソコンを閉じ、焼きそばに口をつけると、微妙に麺が伸びた、コメントに困る味がした。ある意味、祭りの焼きそばといえばこれかもしれない。

    「人が騒がしいところはあんまり好きじゃねえんだ。今更わーきゃー楽しむほどミーハーでもないしな」
    「ノリの悪い奴だな。結構楽しんでるトレーナー居るぜ?」
    「ここで仕事漬けのトレーナーも結構居るがな」

     比率は半々くらいか。担当とのコミュニケーションの一環として一緒に回っている奴もいれば、純粋な心で楽しんでいる奴も居る。それとは別に仕事が忙しかったり、担当の大事なレースを控えていたりすれば遊んでいる余裕は無いともなる。

     俺も、そうだ。

  • 111二次元好きの匿名さん21/11/29(月) 22:07:31

    支援

  • 112二次元好きの匿名さん21/11/29(月) 23:18:50

    保守

  • 113二次元好きの匿名さん21/11/30(火) 06:30:12

     トロピカルエアの皐月賞に向けての準備が、ファン感謝祭よりも大事だと思ったから仕事をしていた。

    「大体、皐月賞の出走予定表が出るのが今日ってのもおかしいんだ。なんで被せてくるんだよ」
    「あー、トロピカルエアがなんとなくソワソワしてたのはそれが原因だったのか」

     チームレグルス初めてのG1レース。皐月賞の出走予定者は今日の午後三時頃、というかもうすぐ発表になる。

    「せっかくだ、私にも見せてくれよ」

     シリウスシンボリも、流石に出走者に興味はあるようだ。皐月賞は日本ダービーのトライアルレースも兼ねているから、ここで有力なウマ娘はダービーでもライバルになり得る。

     ちょっと待ってろ、とURAのサイトに移動する。ちょうど公開されたタイミングのようだ。上から順に名前を見ていき──手が止まる。

    「どうした?」

     シリウスシンボリの困惑するような声が聞こえた。俺は、それ程までに落ち着きのない様子をしていたのだろう。動悸が治まらない。食べたばかりのものを吐き出しそうになる。

     シンセダイナ。俺を捨てたウマ娘の名前がそこにあった。

  • 114二次元好きの匿名さん21/11/30(火) 11:42:37

    保守

  • 115二次元好きの匿名さん21/11/30(火) 11:52:07

    この展開は好き

  • 116二次元好きの匿名さん21/11/30(火) 15:46:56

     シンセダイナは才能に満ち溢れたウマ娘だ。それは、担当していた俺が一番よく知っている。前めにつける先行策からカミソリのような末脚で差し切る。奇抜な作戦など必要ない、シンプルな強さを持っている。半年以上前、余りにも未熟だった俺にキャリア初勝利をくれたのは彼女だ。
     彼女がより上に羽ばたいていく為には俺は足枷で、それが分かっていたから彼女はより優秀なトレーナーを選んだ。だから、クラシック三冠の皐月賞に出て来るのは、前もって考えておかなければならないものだった。

    「素直に言う。俺はこいつから目を背けていた」

     クラシックのライバルとして先ず間違いなく出て来ると分かっておきながら、知らないふりをした。データを集めていなかったわけではない。しかし、無意識のうちにこいつが出そうなレースを避けていた。そのツケが今日回ってきたんだ。

    「アンタ……」
    「言わんでくれ、分かってる。ちょっとだけ心を落ち着かせる時間をくれ」

     今のこいつと俺は何の関係もない。俺の希望は皐月賞という栄誉あるレースで、トロピカルエアを勝たせること。俺は、俺なりのやり方で自分を証明する。

     シリウスシンボリは何か言いたそうな顔をしていたが、珍しいことに何も言わなかった。

  • 117二次元好きの匿名さん21/11/30(火) 20:58:49

     皐月賞当日、雨がざあざあと降る、バ場は不良。大荒れになるのは間違いのないコンディションだ。

    「トレーナー」

     地下バ道で、トロピカルエアが大きく息を吐いた。想定していない訳ではないが、ここまでの道悪は初めてだ。慣れないレース展開はトロピカルエアも苦手だろう。

    「今回は芝に足を取られやすい。特に内はボロボロだから全体的に外にはける展開になるだろう」

     レース場を確認し、これまでのデータと組み合わせて予想する。いつも通り、能力を十全に発揮すれば勝てる。

     その矢先、懐かしさすらある声が刺さった。

    「……キミも、ここに居たんだ」

     シンセダイナがそこに居た。あのハイエナトレーナーの姿は無い。青い髪をなびかせて、威風堂々と立っていた。

    「トレーナー、知り合い?」

     トロピカルエアには、シンセダイナのことは話していなかった。それが余計な重しになるかもしれないと判断したからだ。それが結果的により悪い結果になりそうだった。

  • 118二次元好きの匿名さん21/11/30(火) 23:53:44

    保守

  • 119二次元好きの匿名さん21/12/01(水) 07:01:52

    「担当が見つからなくて、問題児達なら許されると思ったの?」
    「……何? いきなり現れて喧嘩吹っかけてきて」

     開口一番、好戦的な言葉が飛び出す。そんな血の気が多いタイプでも無い筈だが、メイクデビューまでの期間を俺に潰されたと思っているのだろうか。

    「トロピカルエア、落ち着け」
    「……馬鹿にされてるのはアンタだよ、トレーナー」
    「分かってる。だから、俺の顔を立ててくれ」

     不満げに押し黙る。気分が良くないのは分かる。だけど、これは俺の問題だ。

    「久しぶりだな、シンセダイナ。契約解除から何ヶ月だ? そっちは随分調子が良いみたいだな」

     不思議と自分も強い口調になってしまった。トロピカルエアの悪口を言われて頭にきているのかもしれない。

    「……お陰様でね。キミと居た時よりもずっと充実してるよ」
    「そうかい。そりゃ良かった。それじゃなんでわざわざ声を掛けて来たんだ? 仲良くしようって訳でもないだろ?」
    「そんなの、当たり前だろう?」

     シンセダイナは、不遜に言い放つ。それは余りに大胆な宣戦布告だった。

    「ボクの方がキミより上だって、思い知らせに来たんだ」

  • 120二次元好きの匿名さん21/12/01(水) 15:20:52

    「皐月賞も、ダービーも、菊花賞も、全部ボクのモノだ。一つだって渡しはしない」

     傲慢すぎる三冠宣言。だが、夢見過ぎな寝言かと言われればそうとも限らない。
     今年は一人飛び抜けたウマ娘が居ないとは言われている。その中で有力バに挙げられるのはシリウスシンボリや、弥生賞を勝った追い込みバのツナイーグル。そして、重賞含む四戦無敗のシンセダイナ。三冠を取り得るポテンシャルがあるのは間違いない。

    「どうでも良いな」

     半分は本当で、半分は嘘だ。俺個人の感情は、言語化できないくらいに様々なものが混じり合っている。しかし、それは俺の問題であって、この皐月賞を走るトロピカルエアには関係が無い。

    「俺は、俺の担当が夢を叶えられるように、全力を尽くすだけだ。お前は強いライバルの一人だが、それだけだ」
    「……その余裕、このレースでひっぺがしてあげるよ」

     シンセダイナは踵を返し、レース場へと歩いていく。気負い過ぎにも見える背中は、敵ながら頼りなくさえ見えた。

    「悪かったな。変なのに巻き込ませちまった」
    「別に良いけど、昔のオンナって奴?」
    「言い方よ」

     昔の担当なのはそうだけど。

    「とりあえず……私を見ずに舐めた口聞いてくれてんじゃん」

     ぶっ潰す。とトロピカルエアは闘志を露わにしていた。

  • 121二次元好きの匿名さん21/12/01(水) 19:46:47

     ゲートが開いた直後、観客席にどよめきが響いた。完璧なスタートを決めたように見えたシンセダイナが、一気に後方へと下がったからだ。

    「後方策……!? 今までやったことない作戦を、この大舞台でやるのか?」

     スタートで出遅れたのならまだ分かる。だが、俺から見ても百二十点の出来だ。得意な先行策で好位置につける筈の展開を自ら捨てている。この悪路だ、末脚は鈍るだろう。皐月賞の距離では、過去の伝説とも言えるミスターシービーのような追い抜きは出来ない筈だ。一体どういうつもりなのか。
     不安が頭を過ぎった。だが、今更トロピカルエアに伝える手段は無い。彼女が想定外に乱されず、レースを行うのを祈るしかない。

     トロピカルエアは冷静だった。真ん中より少し後ろ、得意なポジションを確保している。スローペースの運びだから、スタミナが切れることも無いだろう。バ場のせいでバ群が少し固まっているのが懸念材料だが、十分上手に動けていた。

    「行けるぞトロー!」

     隣でビューティモアが叫ぶ。まだ治り切ってない足で地面を踏みしめて、自分が挑戦できなかったG1で戦うトロピカルエアを鼓舞する。

     最終コーナー、集団が外にはける。トロピカルエアは内側に入って、一気に差し切ろうと地面を蹴る。

    ────ぞわり。

     シンセダイナが、そこに居た。

  • 122二次元好きの匿名さん21/12/01(水) 23:25:49

    保守

  • 123二次元好きの匿名さん21/12/02(木) 01:18:16

    「なっ……」

     シリウスシンボリすら驚きの声を上げていた。トロピカルエアよりもさらに中、内ラチに体を擦らせそうな場所をシンセダイナが突き進む。泥でぬかるんでいることなどお構いなしに、最後方から駆け上がる。一人だけ、良バ馬のレースをしているみたいだ。スピードが他のウマ娘達と殆ど変わらない。いや、或いはそれ以上に速い。
     内の方が外よりも速い。コースがトラックになっている以上、当然の事実だ。だからこそ、内を争う駆け引きが生まれるし、外を大きく回っていく奇策も出てくる。シンセダイナはこの状況で、まさにタブーを犯したとさえ言える走りだった。
     あんな走りをすれば、身体にかかる負担は尋常じゃない。ここで終わっても良いと考えているのか、それとも、身体の弱さを克服したのか。

    「トロちゃん!」

     クライネキッスが悲鳴をあげた。ハナに立ったトロピカルエアにシンセダイナが追い付いた。駄目だ、不良バ場だぞ。ここで張り合えばリズムを崩す。ついていける筈が無い。トロピカルエアだってそれを分かってはいる筈だ。

     だが、ウマ娘というのはいつだって安定の二着より、挑戦した結果の最下位を尊ぶ。トロピカルエアは、ハナを譲らまいとフォームを崩してまでシンセダイナに競り合う。

     隣り合ったのは、三秒。

     シンセダイナがかわしてトップでゴール板を駆け抜ける。トロピカルエアは、七着でレースを終えた。

  • 124二次元好きの匿名さん21/12/02(木) 08:42:08

    「……ごめん」

     最初の言葉は謝罪だった。目尻には涙の跡が見えた。G1レース、七着という結果。最終コーナーまでは良い位置取りを取れていただけに、悔やんでも悔やみきれないだろう。

    「トロちゃん元気出して」
    「とりあえず、お疲れ様ぁ」

     ザッツコーリングとコンテストアバターが彼女を労う。

    「外にはけると言ったのは俺だ。展開を読み間違えた俺のミスだ」

     こんな言葉、慰めにもならないと分かっていた。責任の所在を探しているわけじゃない。

    「勝てなかったのは……もちろん悔しいけど。もっと悔しいのは、あの女に勝たせたこと」

     トロピカルエアがそんなことを言うとは思わなかった。シンセダイナに眼中にない扱いをされたことがそんなに腹が立ったのか。なんて、鈍感なフリも出来ない。

    「俺のことは気にするな。それでお前の走りが乱れたんだとしたら、俺のせいだ」
    「でも、トレーナーが馬鹿にされたんだよ。そんな奴に負けられなかった」

     トロピカルエアの気持ちは痛い程に嬉しくて、苦しかった。自分が慕われていることが、彼女達への足枷になった事実が嫌だった。

    「なんだ、あいつ。私達に喧嘩売ったのか?」
    「……シリウス」

     シリウスシンボリの声は、今まで聞いた中で最も低く、冷徹に聞こえた。

  • 125二次元好きの匿名さん21/12/02(木) 10:17:13

    ひゃぁ熱い展開
    というかかなりの長期連載だな……すごい

  • 126二次元好きの匿名さん21/12/02(木) 19:27:52

    保守

  • 127二次元好きの匿名さん21/12/02(木) 21:48:28

    いやあ、ある程度この後どうなるか予測できるとはいえアツい展開にさせてくれますなあ…!

  • 128二次元好きの匿名さん21/12/03(金) 00:09:32

    「お、おい。俺を引っ張ってどうするつもりだ」
    「良いから黙ってついてきな」

     シリウスシンボリは俺をむりやり連れて行く。その先にあるのは、シンセダイナの控室。

    「一体なんだってんだよ」

    殴り込みなんてろくなもんじゃない。こいつがそういうことをするタイプにも見えないが、どうするつもりなんだ。

     乱暴に扉をノックする。どちらさま、と問うシンセダイナを無視して、シリウスシンボリは控室に乗り込んだ。

    「……キミ達、何の用かな。レースで勝てないからって暴力にでも訴えるつもりかい?」

     ウイニングライブ後の彼女はすっかり疲れた様子だ。あの悪天候の中、破天荒なレース運びをした上で踊ったんだ。心身ともに疲れ果てているだろう。だが、その眼差しは全く鋭さを失っていない。

    「そんなことはしねえさ。ま、トロが世話になったのも、こいつを馬鹿にされたままにしてらんねえのも確かだが」

     シリウスシンボリは嗤う。誰に向けての笑みなのか分からなかった。だが、面白い玩具を見つけた子供のような、イタズラを仕掛ける猫のような、相手をおちょくる時の笑みだ。

    「こいつが気付いてなさそうなことを教えにやりに来たのさ。アンタが隠したがっていることを」

     問題児達の王は、告げる。

    「アンタが、こいつを手放したことを後悔したくないともがいているってな」

  • 129二次元好きの匿名さん21/12/03(金) 07:26:06

    保守

  • 130二次元好きの匿名さん21/12/03(金) 14:08:51

    保守

  • 131二次元好きの匿名さん21/12/03(金) 17:22:30

    「……いきなり何? 陳腐な妄想なら他所でやってほしいんだけど」
    「良いのか? 細かく説明しちまっても。アンタがここで認めるならそれで丸く収まってくれるわけだが」
    「変なことを言わないで」

     シンセダイナは不快そうに眉をひそめる。俺も困惑していた。こいつは何を言いたいんだ。俺は、てっきりダービーに向けて啖呵を切るものだと思っていた。こいつなら、自分が勝つ絶対的な自信があるだろうし、仲間を馬鹿にされたなら、実力で叩き潰しに行く筈だ。

    「怖いよなぁ。役に立たないって思って捨てた奴が、自分より遥かに落ちこぼれを連れて、自分の横に並び立とうとしてくるんだ」
    「何を」
    「相性なのか? それとも、自分が見逃していただけでこいつに才能があったのか? もし、ずっと担当契約を続けていたら、もっと高みを狙えたのか?」

     珍しく、本当に珍しく。ねちっこい言葉でシリウスシンボリは続ける。

    「──こいつを手放したのは間違いだったのか?」
    「やめてくれ!」

     シンセダイナが叫ぶ。

    「おいおい、図星を突かれたくらいでヒスるなよ。アンタがこいつに言った強がりに比べたら、ずっと生易しいだろ?」
    「何なのさ……キミは!」
    「シリウスシンボリ、今年のダービーウマ娘だよ。キャリアに傷を付けたくないなら、無理はしない方が良いぜ」

     それは、レース前のシンセダイナの言葉が子供の喧嘩に思える程の、傲慢で自信に満ちた王による宣戦布告だった。

  • 132二次元好きの匿名さん21/12/03(金) 17:47:13

    シンセダイナのこの、将来丸くなっちゃいそうな感

  • 133二次元好きの匿名さん21/12/03(金) 19:42:41

    いいなぁこういうの…好き

  • 134二次元好きの匿名さん21/12/03(金) 20:01:29

    このSSのおかげでシリウスシンボリが好きになってきた

  • 135二次元好きの匿名さん21/12/03(金) 20:51:06

    盛り上がってきたな

  • 136二次元好きの匿名さん21/12/03(金) 21:41:13

    「結局お前は、何がしたかったんだ?」

     言いたいだけ言って、立ち去ったシリウスシンボリを慌てて追い掛ける。宣戦布告したいだけなら、なんであんなことを言ったのか。質問には答えず、逆に問い掛けてくる。

    「なあ、アンタ。あの女がよりを戻したいって言ったら揺れるか?」
    「だから言い方」

     なんでどいつも元カノみたいな言い方するんだよ。

    「再契約か……難しいところだな、俺は今このチームをサポートするのに、手一杯だからな」
    「……チームを解散して、専属契約は」
    「それは無いな。断言できる」
    「ほう、どうしてだ?」

     義理とか、責任感とか。そんなドライな理由じゃなくなっていることは、自分が一番自覚していた。

    「俺が、このチームを担当したいと思っているからだ」
    「……ハハハッ! 良いじゃねえか」

     どうやら俺の返答はこいつのお気に召したらしい。わざわざ肩を組んでくる。人の往来あるところなんだが。問題になったらどうすんだ。

    「私は、あの物欲しそうな野良猫に、この餌は私のモノだって教えてやっただけだ」
    「……人を餌扱いかよ」
    「良いじゃねえの。モテ期なんだから喜べよ」
    「はいはい」

     シンセダイナの真意が本当にこいつの言った通りなのかは分からないが、こいつらに手放さないと言われるのは、口元が少し緩んだ。

    「ダービー、勝つぞ」
    「おう」

  • 137二次元好きの匿名さん21/12/03(金) 23:13:35

    ブラボー……ブラボー……

  • 138二次元好きの匿名さん21/12/04(土) 00:25:12

    良いなぁ…いつの間にかトレーナーからの思いも強くなってて最高

  • 139二次元好きの匿名さん21/12/04(土) 09:53:20

     日本ダービーまではもう残り一ヶ月もない。俺がシリウスシンボリの為にできることは余りにも少なかった。元々、トレーニング指導に関してはシリウスシンボリの方がずっと上手なんだ。オーバーワークへの注意や、栄養バランスを考えた食事なんかはコンテストアバターに任せた。俺にできるのは、今までと同じ。データ面での貢献だ。

     一番のライバルは皐月賞ウマ娘となったシンセダイナなのは間違いない。だが、シンセダイナはきっとダービーは勝てない。彼女が全力を出せれば、シリウスシンボリとも競合えたのだろうが、その未来はおそらく来ない。

    「馬鹿野郎が……」

     言葉が漏れる。だが、彼女の選択を否定は出来ない。俺だって以前なら、それこそ一ヶ月前なら、同じ判断をしたかもしれないのだ。

    「誰が馬鹿野郎だって?」

     いつものように肩に顎を乗せられる。なんというか、もうすっかり慣れたものだ。

    「トレーニングは?」
    「休み。もうちょい詰めたいんだがな、コンに怒られちまった」

     コンテストアバターはしっかり管理してくれているらしい。彼女もきっと、知識と経験を積めば立派なトレーナーになるだろう。そうでなくとも、指導者としての経験は、彼女が復帰した時にきっと役に立つ。

    「それで、誰が馬鹿なんだ? あいつか?」
    「本当なら言うべきじゃないんだろうが……お前は薄々気付いてるだろ」

     ああ、もちろん。

    「あいつの足、もうかなりぼろぼろだろ?」

  • 140二次元好きの匿名さん21/12/04(土) 11:04:56

    保守

  • 141二次元好きの匿名さん21/12/04(土) 11:47:04

    保守

  • 142二次元好きの匿名さん21/12/04(土) 13:11:02

    このトレーナー自分を捨てた女助けるってマ?(言い方

スレッドは12/5 01:11頃に落ちます

オススメ

レス投稿

1.アンカーはレス番号をクリックで自動入力できます。
2.名前欄に#(任意の文字列)でトリップが付けられます。
3.本文に「dice(数字・1~10)d(数字・1~9999)=」で
 ダイスを振れます。 ※例:dice3d6=6 6 6(18)
4.誹謗中傷・暴言・煽り・スレッドと無関係な投稿は削除・規制対象です。
 他サイト・特定個人への中傷・暴言は禁止です。
※規約違反は各レスの『報告』からお知らせください。
 削除依頼は『お問い合わせ』からお願いします。
5.二次創作画像は、作者本人でない場合は必ずURLで貼ってください。サムネとリンク先が表示されます。
6.巻き添え規制を受けている方はお問い合わせから連絡をください。