- 1二次元好きの匿名さん21/11/26(金) 00:16:27
※本SSに登場するウマ娘、およびその他の登場人物は全てフィクションです。
- 2二次元好きの匿名さん21/11/26(金) 00:17:19
午後11時。トレセン学園の消灯時間を過ぎたグラウンドに、一人走り込みを続ける影があった。
併走相手も、トレーナーもなく、ただひたすらに孤独な走り。それが密着取材を開始した我々の、彼女への第一印象だった。
彼女の走りは他のウマ娘とは違っていた。全身をバネにして上半身を前に出す独特なフォーム。右脚のストライドを大きく取り、体の片側の動きでスピードを維持する走法。
――そして、左脚の膝から下に装着された義足。 - 3二次元好きの匿名さん21/11/26(金) 00:18:13
「レースに興味を持ったのは……やっぱり、家族の影響ですね」
父は地方のトレセン学園トレーナー。母は未勝利ながらも後のダービーウマ娘と半バ身差の決着を経験したウマ娘。三人兄妹の末子として生まれた彼女の家庭は、レースが日常の一部だった。
7歳上の兄は高校卒業後、中央のトレーナー免許を取得してトレセン学園へ。3歳上の姉は中央トレセン学園へ入学。彼女の夢も、幼い頃から決まっていた。
「夢っていうか、半分くらいは『行けて当然』なんて思ってたんですよ。あの時は他の選択肢が目に入ってなかったので」
地元のリトルチームでエースとして活躍し、念願の中央トレセン学園に入学。選抜レースでは勝ち切れなかったが好走が評価され、入学生の中でも比較的早期にチームへの所属を決めた。 - 4二次元好きの匿名さん21/11/26(金) 00:19:18
メイクデビューは惜敗したものの、直後に本格化を迎え未勝利戦を快勝。続く1勝クラスの勝利時には、全国紙にレースの回顧記事も書かれた。
“足首まで沈もうかという不良馬場の中、大外から先頭を猛追し、差し切ってのゴール。着差以上の力量と、今後の伸び代を感じさせる走りだった”
「同世代の中では抜けた走りをする娘だと思いましたね」
当時を知る記者は語る。
「早ければ年内には重賞タイトルに手が届くんじゃないか、と話題になって。そこから一気にファンが増え始めた記憶があります」 - 5二次元好きの匿名さん21/11/26(金) 00:20:27
念願のGⅢレースの予備登録後には、注目選手の一人として事前インタビューを受けた記録が残っている。
『母も、それから姉も届かなかった場所に立てるまでの応援に、何より感謝しています。期待してくれる家族とファンのためにも、絶対負けたくないです』
彼女の3年前に入学していた姉は、デビュー後に結果を出すことができずその前年に引退を決め、勝負服デザイナーの資格取得を目指していた。現在は勝負服ブランドのチーフデザイナーとして、数々のGⅠウマ娘の勝負服を手掛けている。
「プレッシャーもありましたけど、それ以上にワクワクしてました。テレビで見たあの舞台に自分が出るんだ、っていう実感がようやく追いついてきた、みたいな感じで」
重賞制覇の夢へ一歩踏み出した彼女を悲劇が襲ったのは、レース当日の2週間前だった。 - 6二次元好きの匿名さん21/11/26(金) 00:21:39
ランニング中、対向車線を大きくはみ出したトラックとの接触事故。運転手は運転中に脳卒中を起こしており、意識を失っていたという。
上半身は軽い打撲で済んだが、トップスピードに差し掛かっていた脚に対する負担は大きかった。搬送先での診断は左脛骨粉砕骨折、右足首靱帯断裂。
――特に左脚は神経と血管が大きく損傷しており、回復の見込みがないどころか壊死の危険性すら高い状態。すぐに切断手術の措置が取られた。
「目の前が真っ暗になった……言葉のままでしたよ、本当に」
彼女の母が事故当時を振り返る。
「なんでうちの子が、全部これからだったじゃない、そればっかりで。今後の事は、あの子が決めるまで私からは何も言い出せませんでした」 - 7二次元好きの匿名さん21/11/26(金) 00:22:51
意識を取り戻した彼女が目の当たりにしたのは、全身に繋がれた治療機器と、失われた左脚だった。
「目が覚めた後は、病院で暴れまわった記憶しかないです。『脚がなくなったのに、なんで死んでないの！？』って」
当時はURAによる補償制度も十分でなく、チームの契約解除と実質的な退学勧告をほとんど一方的に受けることになる。
自暴自棄になっては鎮静剤を打たれ、ベッドに戻される日々。薬の影響で昼も夜もわからなくなるほど精神のバランスを崩した生活が、半年近く続いた。 - 8二次元好きの匿名さん21/11/26(金) 00:24:09
彼女の心境を変えるきっかけは、たまたま目にしたあるテレビ番組だった。
人間の障害者が出場する陸上競技の特集。彼らは目や耳が聞こえず、手足を失っていても、変わらず前を向いて跳び、投げ、そして走っていた。
「一言でいえば、自分が情けなくなっちゃったんですよ。トゥインクル・シリーズで走れなかったとしても、走る手段がなくなったわけじゃないのに。今まで何やってたんだって、誰になのか分からないけど怒られた気分で」
その日彼女は、歩くためのトレーニングを始めることを母に伝えた。 - 9二次元好きの匿名さん21/11/26(金) 00:25:19
彼女のリハビリは困難を極めた。義足をつけて歩くだけでも長期間の訓練が必要だ。まして走るとなれば、筋力を戻すだけでなく、装着する義足の構造もウマ娘のために見直す必要がある。
4か月後、まっすぐ歩くことができるようになって退院した彼女は、さっそくウマ娘用の陸上義足を探し始めた。
「連絡を受けた後、まずは人間の競技用義足をつけて走ってもらったんです。強化プラスチックでも、従来の板状ではウマ娘の全力の踏み込みには耐えられませんでした」
現在の彼女の義足も手掛けている義肢装具メーカー所属の装具士は、我々の取材に当時の苦労を語ってくれた。
「試行錯誤の末、素材を棒状にして折れないようにする形に行きつきました。スピードはウマ娘の力に任せて、義足はいわば杖として働かせる、という発想ですね」 - 10二次元好きの匿名さん21/11/26(金) 00:26:48
また、足裏にあたる部分には装蹄師の知恵を借り、接地面からの衝撃を緩和する方式を採用したという。
「いきなり電話が来たときはビックリしたよ、『義足に合う蹄鉄の形ってどうなりますか？』なんて聞かれたからな」
アドバイザーとして義足設計に参加した装蹄師も我々の取材に応じてくれた。
「色々口出しした分、満足いく仕上がりにはなったね。どんなウマ娘でも、走りたいなら走らせてやった方がいい。その幅が広がった仕事だったと思ってる」
3か月後。彼女の初めてのレース用義足が完成した。 - 11二次元好きの匿名さん21/11/26(金) 00:27:37
そして、トレセン学園のコースを借りた単走の日。彼女はウッドチップの上、スタートを切った。
関係者が見守る中、彼女の“両足”は大地を踏みしめ、徐々にスピードを上げていく。
トップスピードに達してもバランスは崩さず――そのままの勢いでゴール板を通過した。
上がり3ハロンは1分12秒5。全盛期に比べ30秒以上遅い。
それでもその瞬間、彼女は確かに「復活」を遂げた。 - 12二次元好きの匿名さん21/11/26(金) 00:28:33
「走れるようになって、やっと自分のことに目が向いたんですよ。じゃあこの先どうしていこうか、どうしたいのかって、考える余裕がでてきたんですかね」
彼女の次の選択は、トレセン学園への講師としての復帰だった。現役中に触れたスポーツ生理学の観点から、生徒たちを教え、時に個別の相談に応じる。
「URAのレースに未練はない、って言ったら嘘になりますから。自分のできる所から、この世界にもう少し関わっていたかったんです」
当時、彼女はネットニュースや地方紙でインタビューを受け、かつてのファンの間などですでに話題になっていた。引退ウマ娘への支援制度を充実させるという表明への有言実行を求められていたURAが、彼女の活動をサポートすることで対外的な宣伝を試みたことも大きな追い風になった。
「……正直、最初は『世間のお情けで就職したウマ娘に何を教わるんだ』って気持ちがなかったわけじゃないです。最初だけでしたけど」
現在の彼女の教え子の一人に話を聞くことができた。
「でもやっぱり、第一線を経験したウマ娘は何が必要かちゃんと見えてるんだな、って。熱中しすぎて『今の方法で走ってみません？』なんて、時々先生の脚の事なんて忘れちゃうくらいで」 - 13二次元好きの匿名さん21/11/26(金) 00:29:22
昼の授業と夕方の練習が終わり、グラウンドに人がいなくなった時から彼女のトレーニングが始まる。
義足を競技用のものに付け替えてトラックへ。ストレッチ運動で全身の筋肉を丁寧にほぐしていく。特に一度痛めた右足首は念入りに。
「どうしてもフォームの都合上、右脚側に負担がかかっちゃうんですよ。週末は整体院のお世話になりっぱなしですね」
ゆっくりと軽いジョギングから体を慣らしていき、全速力に持っていく。遠くから彼女の教え子の声が聞こえてきた。 - 14二次元好きの匿名さん21/11/26(金) 00:30:13
「先生ー、ペース落ちてるよー！」
「前半で前に出とかないと、ラストで差し返されるでしょー？」
生徒たちに向かって笑みを見せ、ギアを上げる。そうしてコースを1周して戻ってきたとき、取材班は理解した。
彼女の走るターフは孤独だ。しかし、彼女の周囲は決して孤独ではない。家族、装具士、生徒、今でも声援を送るファン。多くの人の信頼と期待を背に受けて彼女は走っている。 - 15二次元好きの匿名さん21/11/26(金) 00:31:02
「トレーナーとの契約……は、まだ考えてないですね」
我々の疑問に対し、彼女は答えた。
「今は賞金のあるレースに出られませんし、キャリア上なんのメリットもない趣味みたいなものに誰かをつきあわせられないですよ」
確かに現在のところ、彼女が出走できる公式のレースは存在しない。トレーナーの希望者は何人かいたが、すべて断ってきたという。
「夜しか走らないのも、現役の選手の邪魔をなるべくしたくないから、っていうのもあるので。あのコースは本来、トゥインクル・シリーズで勝ち上がる覚悟を持ったウマ娘のためのもののはずなんです」 - 16二次元好きの匿名さん21/11/26(金) 00:32:43
しかし今、世間の状況は動きつつある。URAは障害を持ったウマ娘を対象としたリーグを、来年末を目標に新設すると発表した。
「どんなウマ娘でも走る意思があればレースに出られる、そういう世界に近づいてきた実感があります。私が走ることで変化が少しでも加速するなら、どれだけだって走り続けますよ」
新設リーグの運営委員会には、オブザーバーとして彼女が就任する予定だ。オファーを受けた時、彼女は条件を一つだけ出したという。
「運営に関わったからレースに出られない、なんてことはないですよね、って聞いたんです。ウマ娘である以上、もちろんレースで走って勝ちたいと思ってますから」
レースで勝つまで……きっと勝っても、夢はまだ終わらない。
片脚のウマ娘の挑戦は、今スタートを切ったばかりだ。 - 17二次元好きの匿名さん21/11/26(金) 00:33:30
制作・著作
URA - 18二次元好きの匿名さん21/11/26(金) 00:35:52
人の姿をしてる以上、「大ケガしたからもう走れない世界」じゃなくて「レースには復帰できなくても走り続けてるモブウマ娘がいる世界」がいいな、という妄想の産物でした。
あとはまあ単純にこういう架空のドキュメンタリーが好きなので。ウマ世界ではこんな感じの番組を日曜20時枠とかでやっててほしい。
過去作（ようやく20作目に届きました）
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素晴らしいSSをありがとうございます！
こういうドキュメンタリー風の作品好きです。 - 20二次元好きの匿名さん21/11/26(金) 00:49:09
ドキュメンタリー乙
輝く生きる彼女達だけでなく、その影に目を奪われる一瞬がある - 21二次元好きの匿名さん21/11/26(金) 08:43:15
確かに、パラスポーツがあるとしたらウマ娘専門のクラスが必要か…
クラス分けなんかも人間と違う基準を決める所から始めなきゃだし、ルール整備は大変そう