- 1二次元好きの匿名さん23/10/18(水) 07:44:55
- 2二次元好きの匿名さん23/10/18(水) 07:58:48
そういった名前や概念は無いかもしれないけど、運命的なものを感じて愛用したり、愛用したものが応えてくれる感覚ってのは経験則だからな
多分付喪神信仰のない文化帯でも同じようなこと考えてるよ - 3二次元好きの匿名さん23/10/18(水) 08:12:55
- 4二次元好きの匿名さん23/10/18(水) 08:15:22
「夢で見たから世界大会にエクゾディア持って行くぜ!」って海外兄貴もいたし、運命的な何かってのは共有できる感覚じゃないかな
強いて言うならキリスト教圏だと「カードが応えてくれた」って言うより「神が応えてくださった」の方が近そう - 5二次元好きの匿名さん23/10/18(水) 08:20:14
それこそ聖遺物とかあるわけだし「非生物に霊力や精霊が宿る」こと自体は概念として存在する
ただし多神教的アミニズムによる個別の人格神が宿るのか、あくまで宿るのは精霊であって重要なのは唯一神とのパスであるって考えなのかの違いはある - 6二次元好きの匿名さん23/10/18(水) 08:20:36
自分にとって不思議なできごとを目の前の事物に仮託するか、運命を一括で管理してる何かに仮託するかって話だからなぁ
- 7二次元好きの匿名さん23/10/18(水) 08:30:04
それとかはまさに「神のお告げ」って感じのエピソードだね
- 8二次元好きの匿名さん23/10/18(水) 08:38:13
どっちにしろそこにはある種の擬人化があるっつー
人は何かを関連付けようとする生き物で、これがあるから色んな発見が生まれるとても大事な要素なんだが、じゃあ何かがありそうだけど何も無いな、ってとこには意思を持つ何かを想定する様にできてんだよなんか知らんけど
いやなんか知らんけどじゃないか、それが敵にしろ味方にしろ安全に関わる部分だから、取り敢えず意思を持って動く何かを想定しとく、そういう奴らが生き残って来たんだと思うが
で、最終的に実体のある何かが見つからなかった時、それが幽霊だったりカードの意思だったり数奇な巡り合わせを定めた神様になる
1の言う付喪神信仰との融和っていうのは、不思議な出来事と、何も見付からなかった時、この二者にある距離が限り無く0に近いからそう思うんだろな
運命的なドローをした時、そこに他の要素が介在する余地はほぼほぼねーもん - 9二次元好きの匿名さん23/10/18(水) 08:40:59
実物のない電子媒体のマスターデュエルですら、よく事故るデッキに『このデッキ組んだばかりで馴染んでないな?』とか思うし、慣れてきたデッキに『コイツら使い手の欲しいところを弁えてるじゃねえか…』とか思って調子に乗るし
人間根っこの部分の思考は、文化や宗教に依らず案外似通ったモンよ - 10二次元好きの匿名さん23/10/18(水) 08:54:07
夢のない話するとただ確率を引き当てただけなんだろうが何かしらのドラマを見出したくなるのもわかる
大きい舞台や重要な局面で引いたから運命感じるけど普通の時も結構似たような引きしてる事あるし、なんなら同じぐらい重要な局面で背中刺されてんだよね - 11二次元好きの匿名さん23/10/18(水) 09:05:22
最近組んだデッキよりよりも15年くらい使っているデッキの方が事故らない気がする
まあ知り尽くしているからだろうが、何かが宿っているのだろうと思っているよ - 12二次元好きの匿名さん23/10/18(水) 10:09:15
遊戯王やデュエル・マスターズの国産カードゲームは「カードの中にモンスターやクリーチャーがいて同名カードでも別」って扱いで
Mtgは「カードはあくまでも異世界のクリーチャーを呼び出す手順が描かれた魔導書の1ページ」
って扱いなのはフレーバー的にも文化差感じるわ - 13二次元好きの匿名さん23/10/18(水) 10:10:58
- 14二次元好きの匿名さん23/10/18(水) 10:52:19
- 15二次元好きの匿名さん23/10/18(水) 18:29:55
- 16二次元好きの匿名さん23/10/18(水) 21:52:08
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