(SS注意)変身

  • 1二次元好きの匿名さん23/11/16(木) 06:17:39

     日曜日、東京競馬場の地下にあるファストフードコート。
     午後に入ってから来たばかりの僕は、まずは腹ごしらえということで、もつ煮とおでんをテーブルに置いた。
     ……寒かったのでつい買ってしまったが、汁物二つというのはアンバランスだったかもしれない。
     まあ、これもまた風情というものだろう。
     俺は割った箸を手に取ると、まずはもつ煮の汁を啜る。

    「ふぅ……美味い」

     旨味の溶け込んだ熱い汁と濃い目の味付け、そして七味の辛さが身体を温め、思わずため息をついてしまう。
     次いで、もつ肉を一つ放り込むように口の中に入れた。
     驚くほどにぷりぷりとした食感が口の中で踊り、顔が勝手に綻んでしまいしまいそう。
     大根、蒟蒻などの具にもしっかり味が染み込んでいて、ドンドン箸が進んでいく。
     友人は他の店のもつ煮の方が具沢山で美味しい、と語っていた。確かにあちらは豆腐や人参も入っていて美味しいは美味しいのだが、にんにくか何かの風味が強くて、僕としてはこのお店のもつ煮の方が好きだった。
     途中で一旦もつ煮を食べるのは止めて、おでんの方に目を向ける。
     大根、玉子、ちくわぶ、はんぺん、こんにゃく。
     
    「大根と大根がかぶっちゃったな」

     どこぞの漫画のようなことを口走りつつ、大根にかぶりつく。
     うん、こっちもしっかり味が染みていて、それでいてどこか安心する、素朴な味だ。
     はふはふと、熱い息を吐きながら、もつ煮、おでんと品を変えながら、食事を進めていく。
     そして一通り食べ終えた後、二つの器にはそれぞれの汁が残る。
     僕は、まずもつ煮の汁から一気に飲み干した。
     猛烈な旨味と残った七味が臓腑を刺激して、胸の奥がかーっと熱くなるのを感じる。
     ああ、と思わずおじさんのような(実際おじさんだが)声をあげて、今度はおでんの汁に取った。
     こちらはゆっくりと、少しずつ飲んでいく。
     どうしておでんの汁っていうのは、こうも美味しく感じるのだろうか。
     やがて、名残惜しいもののおでんの器は空になってしまい、僕は後片付けを済ませる。
     ……なんか主食になるものが欲しかったな、そう思いながら地下にある妙に座り心地の良い椅子に腰かけて、スマホを見る。

  • 2二次元好きの匿名さん23/11/16(木) 06:17:53

    「もうすぐレースが始まるから……少し休んだらパドックを見に行こうかな」

     そして、僕はウマ娘のアプリを起動させた。
     今日初めてのログインであり、ボーナスをもらいながらチームレースなどを適当にこなす。
     僕はウマ娘から実際の競馬場に足を運ぶようになった、典型的なにわかオタク、というヤツだった。
     ここに来たのも今日で二回目、一人で来たのは今日が初めてだった。
     以前友人と来た時はちゃんと楽しめたが、一人でどれだけ楽しめるかはまだ未知数。
     不安と期待に心臓を鳴らしながら、因子周回用の育成をスタート直後に中断してからアプリを閉じ、ネット競馬のページを開いて、次のレースの情報を適当に確認する。
     しばらくするとフードコートからの微かな騒めき。

    「終わったみたいだな、じゃあそろそろ行くか」

     直後、隣に座っていた人が目を丸くしてこちらを見た。
     ……やってしまった。
     どうにも僕は昔から独り言が多い傾向がある、これでも大分矯正したのだが漏れていたようである。
     まあ、我慢しても楽しくないし、恥はかき捨てと割り切るようにしよう。
     隣の人の視線に気づかない振りをして、僕はその場を立ち去り、エスカレーターの乗った。

    「うわ、もうこんないっぱいいるのか」

     パドックには、すでにたくさんの人だかりが出来ていた。
     軽く周りを歩いてみるものの、前の方に行けそうなところはなく、仕方ないので遠目から見ることにする。
     そしてじっくりと、ぐるぐると回り続ける各馬を観察していった。
     気だるそうに頭を下げている馬、なんだかチャカついている馬、鬣を編み込んでいる馬。
     あの馬は筋肉が凄い気がする、あの馬はちょっと細いか、あっ今凄い勢いで立ち上がった。
     腕を組みながらじっくりと眺めていき、やがて僕は一つの結論を下した。

  • 3二次元好きの匿名さん23/11/16(木) 06:18:08

     ────なんもわからん。

     思わず苦笑を浮かべてしまうと、以前友人と来た時の話を思い出す。

    『……良いも悪いもわからないや、慣れて来るとその辺わかるものなのか?』
    『いや、全然。というか多分ここにいる人の殆ど、そんなのわかってないと思うぞ』
    『…………じゃあなんでこんな真剣に見てるの?』
    『それを言ったらおしまいなんだが、まあ、あれだ、俺は予想を最大限に楽しむためだと思ってる』
    『予想をするため、じゃなくて、予想を楽しむため?』
    『ああ、ゲームでもスポーツでも、自分が立てた作戦や予測がばっちり当たるとすごい楽しいだろ』
    『それはそうだろうね』
    『競馬予想も同じさ、今までの経験、自身の相馬眼、データ分析から展開を想定し、予想をばっちりと当てた────つもりになる、まあ殆どの場合はたまたま当たっていただけなのだが、そうなるとだな、凄い気分が良いんだ』
    『……なんか自分に酔ってるみたいだね』
    『ははっ、言い得て妙だな、呑んでいるもんだから、余計に酔いも回るんだわ』

     彼がビール片手に楽しそうにそう言っていたのを思い出す。
     あの時は、楽しそうにしていたんだよな。
     でも帰り際になると、疲れたのか言葉が少なくなってきて、難しい表情になって。
     ……いや、今は考えないでおこう。
     ネット競馬のレースのページで、気になった馬にチェックを入れて立ち上がる。
     ふと、パドックの向こう側にパタパタとはためくのぼりが見えた。
     そしてそこに見えるのは『G1焼き』の文字。

    「ああ、アレってあんなところで売ってたんだ」

     以前来た時には、あんなところに売店があるなんて気づかなかった。
     そういう商品があるということは知っていたが、あそこで売っているとは。
     確か大判焼きみたいなヤツだったはずだ、うん、丁度そういうのが食べたかったんだ。
     僕は早速、そのお店へと足を運んだ。

  • 4二次元好きの匿名さん23/11/16(木) 06:18:22

     あんとクリーム、そして期間限定のレアチーズ味。
     せっかくだからといって、全部買ってしまった、正直買いすぎたなとは思う。
     とりあえず建物の方へと向かいながら、適当に一つ頬張る。
     保温機に入ってたため暖かくて、柔らかくて、程良い甘さで食べ応えのある味。
     物凄く美味しい、という感じではないが期待していた美味しさがそのまま来た感じで、満足度は高い。
     気づけばぺろりと三個とも平らげてしまった。
     もう俺も良い歳なんだがなあ、とちょっとした罪悪感が脳裏に過る。
     
    「……まあこういう場だからね、ノーカンノーカン」

     そう自分に言い訳して、馬券を購入するためのマークシートを取りに行く。
     僕は基本的に、気になった馬の応援馬券しか買わない。
     色々買い方は教えてもらったが、これが一番わかりやすいと感じたからだ。
     単勝だけの方が良いのかもしれないが、期待した馬が上位に入ったのに何も無しは悲しいので応援馬券にしていた。
     そもそも100円単位でしか賭けないので、当たっても外れても大したプラマイはない。
     今回は二頭の馬を購入、片方は人気上位、もう片方は人気中位といったところ。
     つまらない賭け方、と言われるかもしれないが、これはあえてこういう賭け方を心掛けている。
     僕は自他ともに認めるほど、賭け事というか勝負事にのめり込みやすいタイプだった。
     負けたら勝つまでやる、けれど勝つための努力はそこまでしない、という感じ。
     ちょっと踏み込んだら最後、一気に突っ込んでしまう。
     ウマ娘のガチャにおいてもそれでひどい目を見たから、度が過ぎないようにするため、こうしていた。
     シートを記入したら自動投票機に並び、馬券を購入する。

    「あれ、返ってきた」

     ……これがあると妙に焦るんだよな。
     一旦引き返して、間違いを修正して、再度並んで、改めて馬券を購入した。

  • 5二次元好きの匿名さん23/11/16(木) 06:18:54

     レース開始まではまだしばらく時間があった。
     僕はスタンドから外に出て、ターフビジョン前の観戦エリアでスタートを待つ。
     暇つぶしがてら、因子周回の続きをしてもいいのだが、なんとなく前回来た時のことを思い出していた。

     前回共に来てくれた友人は、僕はウマ娘を知る前から競馬を好んでいる人物だった。

     それ以前から付き合いの長い友人ではあったのだが、ウマ娘を始めてからはより話す機会が増えた。
     今覚えばウザかったろうなと思うが、彼はそんなことはおくびにも出さず、競馬のことを教えてくれていた。
     やがて彼もウマ娘を始めて、相乗効果で僕も更にウマ娘にハマって、競馬に興味を持つようになって。
     ある日────僕は彼に東京競馬場に行ってみたい、と頼んだ。
     一応、地方競馬にはそれ以前に連れて行ってもらったことはあった。
     ただ、僕はサービス業で働いていて、日曜日や祝日にはなかなか休むことが出来ず中央競馬の観戦は出来ずじまい。
     地方競馬観戦も楽しかったが、やはりウマ娘から入った身としては東京競馬場には行ってみたい。
     そう考えていた最中、たまたま祝日の休みが取れて、僕は思い切って彼に頼んでみたのである。
     彼は嬉しそうに了承してくれた。
     最初は、お互いに楽しんでいたと、僕は思っている。
     しかし、彼の口数は徐々に減り、次第に難しい表情で目を擦る場面が増えて来た。
     久しぶりに来たと話していたので、僕の面倒を見ながらだったから疲れたのかなと思った。
     そして、その帰り道、彼は真剣な表情と声色で、僕に言った。

    『もうここには来ない方が良い、来るなら、ウマ娘にはもう手を出すな』
    『……何で?』
    『俺と、お前にとって、相性が良すぎる……ここ以外なら良いが、ここは近すぎる』
    『…………言っている意味がよくわからない』
    『俺にもわからん、わからんがとにかく危険なんだ、絶対に来るな、飲み込まれて』

     じろりと、あまり見せない鬼気迫る目つきで、彼は言った。

    『帰ってこられなくなる』

  • 6二次元好きの匿名さん23/11/16(木) 06:19:12

     まあ、なんというか。
     彼は昔から霊が見えるとか言って、変な言い回しをすることが多かった。
     それが原因で僕がトラブルに巻き込まれたことも、一度や二度ではない。
     無論、それ以上に良いヤツだと思っているから、付き合いは続いているのだけれど。
     とはいえ、特に先ほどから何かあるわけでもなく、彼の杞憂だったのだろう。
     ────ファンファーレが鼓膜を揺らす。
     レースが始まるようだ、僕はターフビジョンに意識を集中させる。
     ちょっとしたアニメーションが流れて、ゲートインの様子が放映されて、一瞬の静寂。
     ガシャン、という音と共に、レースがスタートする。

    「あっ、出遅れた」

     背後から響く悲鳴にも似た騒めき、
     ちなみに出遅れたのは僕が買った馬の中位人気の方だった。
     小さくため息をつきつつ、レースの経過を見ていく。
     買ったもう片方の馬は先行で良い感じの位置につけて、そのまま最終コーナーに差し掛かる。
     最後の直線に入る時にはその馬が先頭になって、期待に心臓が高鳴った。

    「いけ……! そのまま……!」

     興奮のあまり、思わず声が出る。
     場内からわぁっとどよめきと歓声が上がる、この瞬間の雰囲気が、僕は好きだった。
     
     ────来い! 6番来い!
     ────差せ! 差せ!
     ────2番は余計なことすんな!

     様々な欲望の声が聞こえて来る。
     やがて馬達は蹄音をかき鳴らしながら僕達の前を通り過ぎ、ゴールに向けて突き進む。
     刹那、その場は歓喜と落胆の叫びに包まれたのであった。

  • 7二次元好きの匿名さん23/11/16(木) 06:19:33

     歓喜の雄たけびを上げながら全力でガッツポーズをする────前にいた人が。
     当たったこと自体より、あそこまで全力で喜べるのが、正直羨ましい。
     ちなみに僕の買った馬券は2着と11着、複勝は当たっているが上位人気だったのでトータルでマイナス。
     まあそんなもんだろ、そう思いながらサイフに入れてあった馬券を取り出す。
     そして、中に入っていた別の馬券が目に入って、それも手に取った。

    「……これ」

     それは、以前に彼と一緒に来た時に買った、三連複の馬券だった。
     一度はやってみようと思って、思い切って購入して、当てることの出来た馬券。
     当たったこと自体がとても嬉しくて、払い出しもそこまでではなかったので、取って置いた。
     ……まあ、後から聞いたら馬券を残したまま、払い出すことが出来たらしいのだが。

    「やっぱ、また一緒に行きたいな」

     僕はそっと、その三連複の馬券を財布に戻して、スタンドの方へと戻る。
     その時、突然視界が歪んだ気がした。

    「……っ!?」

     足を止めて、目を擦ると、視界ははっきりとしたものに戻った。
     周りの邪魔にならなかった周りを見回した時、視界に、ウマ娘のポスターが写る。
     ……あれ、中央競馬の方で、ウマ娘のコラボの話とかあったかな?
     誘われるようにそのポスターに近づくて、そこにあったのは、ウオッカのポスター。
     ────もちろん、馬の方の。
     ヒーロー列伝、だっけかな、馬もさることながら騎手も格好良く撮られているポスターだ。
     
    「名前だけで反応して、妄想でもしてたかな」

     恥ずかしくなって、僕は頬を搔きながら、自嘲した。

  • 8二次元好きの匿名さん23/11/16(木) 06:19:51

     お肉が食べたくなったので、見かけたフライドチキンの店を探して歩く。
     さっきレースを見てた時、隣の人が食べてて美味しそうだったのだ。
     見覚えのある場所に辿りついて、辺りを見回す。
     すると、また視界が少しだけ歪む。

    「……疲れてるのかな」

     そこまで無理はしていないつもりだけど。
     目を擦りながらフライドチキンの文字を探すと、僕の意識は別の文字に吸い込まれる。
     それは、にんじんハンバーグの文字だった。

    「は?」

     思わず、二度見する。
     そこには紛れもなく、にんじんハンバーグの文字があった。
     やっぱコラボしてたっけと思ったが、ウマ娘の文字や画像などはどこにも存在しない。
     ということは、通常メニューとして取り扱っている、ということなのだろうか。
     ふむ、これはウマ娘ファンとしては見逃せない。
     僕は予定を変更して、その店に寄り、にんじんハンバーグを注文した。
     見たことのない制服を着た、妙に大きな帽子をかぶった店員は笑顔で対応し、商品はすぐに出て来た。
     流石にアニメやゲームで出て来るような人参一本がぶっ刺さっているものではない。
     スティックサイズにカットされた人参が小さめのハンバーグに刺さっている感じ。
     サイズ感としては、以前コンビニコラボで販売していた、マチタンのハンバーグが近いだろうか。
     近くのテーブルに陣取って、早速実食する。

  • 9二次元好きの匿名さん23/11/16(木) 06:20:10

    「……うま!」

     噛んだ瞬間、じゅわりと肉汁が溢れた。
     ソースと肉汁の調和、それにより肉本来の旨味が引き出されて、口の中に幸福感が広がる。
     正直あんまり期待していなかったのだが、予想をはるかに超えて絶品あった。
     人参もとても柔らかくて、しっかりと甘みを感じられて、おいしい。
     これは他のメニューも期待できそうだ。
     次の機会のため、僕は買ったお店の名前を確認しようとした。

    「あれ?」

     けれど、買ったお店も、にんじんハンバーグの文字も、見つけることは出来なかった。
     ……やっぱり東京競馬場は広すぎるよなあ。
     帰ったら調べよう、そう考えて、僕は一先ずパドックへと向かうことにした、のだが。

    「……なんかさっきから、目がおかしいな」

     行く途中も、やたら視界が歪んだり、ちらついたりする。
     別に体調が悪いということはないし、頭痛とかもないのだが、目だけ異常があった。
     多分、一過性のものだとは思うけれど。
     目頭を抑えてみると、眉間に皺が寄ってしまっていることに気づく。
     なんとなく気になって、傍にあったトイレに入って、鏡で自分の姿を見る。
     それは、以前見た、彼の表情に似ていた。

  • 10二次元好きの匿名さん23/11/16(木) 06:20:33

     顔を洗うと、気分はかなり良くなった。
     これなら大丈夫だろう、そう考えて、僕は改めてパドックへと向かう。
     そこには、先ほどよりも厚みを増した人だかり。
     次がメインレースだからだろう、確か重賞だったはずだ。
     僕は出来るだけ人の少ないところを探して、パドックを覗き見る。

     そこには────体操服姿の複数人の女の子がいた。

     中学生か、高校生くらいだろうか。
     それぞれの色に合わせたゼッケンとズボンを着用し、中にはブルマを履いている子もいる。
     彼女達は可愛らしくポーズを取ったりして、周囲にアピールをしていた。
     それを老若男女問わず、様々な人が真剣に、じっくりと眺めている。
     あまりにも奇妙で、悍ましいとすら思える光景、けれど、その光景は妙に見覚えがあった。
     ああ、そういえば、彼女達には、獣のような耳が。

    「とまーれー!」

     響き渡る、男性の声。
     ハッとして奥を見れば、横一列に並ぶジョッキーの面々。
     パドックには体操服姿の女の子なんて一人も存在せず、立派な体格をした馬が彼らを待っていた。
     心臓が、嫌な感じにバクバクと鳴り、冷たい汗が流れ、呼吸が少し荒れている。
     幻覚を見ていたのだろうか、それにしては、妙にリアルだった気もしたが。
     
    「……次のレースは、馬券は買わないでおこう」

     結局、馬も殆ど見れていないし、今回はスルーして良いだろう。
     後は最終レースだけになるけど、仕方がない。
     くぅ、と腹の虫が鳴る。
     丁度良い、時間はたっぷりと空いてしまうから、また何か食べよう。
     それにしても今日は妙にお腹が減って、仕方がない。

  • 11二次元好きの匿名さん23/11/16(木) 06:20:52

    「月見そば、あっ、コロッケ乗せてもらっても良いですか?」

     パドック近くにあった蕎麦屋で、注文をする。
     注文した蕎麦は大した待ち時間もなく、すぐに出て来た。
     思いの外しっかりとした量のそばで、良い香りのつゆもたっぷりと入っている。
     僕はそばやうどんを食べる時、メニューに月見があればそれを注文していた。
     これは小学生だか中学生くらいの時に読んでいたライトノベルで月見うどんが良く出て来て、その影響。
     今はタイトルも思い出せないけど、結構好きだったんだよな。
     まずはつゆを一口。

    「おー、あったまる」

     そして、そばを啜っていく。
     これまたスタンダートな味で、これだよこれと言いたくなるような出来栄えであった。
     つゆを吸い込んだコロッケもまた美味。
     何より、競馬場で、外で、立ち食いでそばを食べるというシチュエーションが、素晴らしい。
     でも七味はもうちょっとかけた方が良かったな、そう思いながら、玉子を潰さないようにそばを啜っていく。
     そして、そばを食べ切ったら、残るのはつゆと玉子。
     僕は箸をおいて、器を両手を掴むと、ぐいっとつゆを飲みながら、つるんと玉子を蛇のように飲む。
     ……この食べ方も、昔読んでたマンガの影響だった気がする。

    「つくづく人生がそういうので構成されてるなあ、私」

     そんなんだからまだ独り身なのだろう。
     ……自分で言ってて悲しくなってきた。
     食事を終えて、お店にご馳走様と伝えながら、器を戻す。
     うん、お腹いっぱいになったら落ち着いて来た。

  • 12二次元好きの匿名さん23/11/16(木) 06:21:22

     じゃあ、最終レースの準備でもしておこうか。
     そう考えた私は、スマホを起動させた────すると、LINE経由の電話。
     それは、彼からのものだった。
     こんな時間にかけてくるのは珍しい、そう思いつつも通話ボタンを押す。

    『あー悪い、なんか胸騒ぎがしてさ、今日仕事だったか? それならすぐ切るけど』
    「いや、大丈夫だよ、今日は珍しく休みでさ」
    『……お前、風邪でも引いたか?』
    「そんなことないけど」
    『それにいつもと音が違うというか、もしかしてハンズフリーで話してるか?』
    「えっ?」

     彼にそう指摘されて、私は自分はハンズフリーで通話をしていると気づく。
     あの機能が苦手だったので、今までずっとスマホを耳に当てて電話を続けていた。
     けれど、今は、自然とその機能を使っていた。
     まあ、そうしないと電話出来ないしな。
     ……あれ、そうだったっけ。

    『…………なあ、お前、今どこにいるんだ?』

     彼の少し低い声に、ぎくりと反応してしまった。
     なんだかんだで彼は察しが良い、恐らくはもう私がどこにいるのか予想しているんだろう。
     白を切ることも出来なくはないが、彼は私にとって大切な友人だ。
     嘘をついたり、誤魔化したりはしたくなかった。

    「ごめん」

     まずは、彼の忠告を無視した謝罪を伝えて、私は、正直に白状した。

    「今、東京レース場にいるよ」

  • 13二次元好きの匿名さん23/11/16(木) 06:21:46

    『■……鹿……っ! 早くそこから! 競■場から出ろ! はや────!』

     バツンと、普段ならあり得ないような音を立てて、LANEの通話が切れる。
     何が起きたのかわからず、慌ててトーク履歴を確認するが、そこには何もなかった。
     彼との今まで話した内容はおろか、その名前すら、何も見つけることが出来ない。
     まるで、彼がこの世界から忽然と消えてしまったかのように。

     ────いや、違う。

     LANE上には、私が知っている人の名前全てが存在していない。
     その代わりに、私が知らない人の名前が、たくさんあった。
     それはまるで、私が世界から弾き出されて、別の世界に行ってしまったかのよう。

    「そんなこと、あるわけないだろ……っ!」

     私は、スマホを仕舞い込んで建物の中に駆け込んだ。
     今日の競■はもうお終いだ、帰ろう、それで彼に直接会いに行こう。
     ああ、そういえば当てた■券を払い戻しをしてなかったな、少額だけと、済ませなきゃ。
     
    「あっ、あれ?」

     見つからない。どこにもない。
     あんなにたくさん並んでいた、■券を購入し、払い戻す機械が、一台も見当たらない。
     端から端まで駆けまわって探してみても、それを私は見つけることが出来なかった。
     呆然としていると、レースが終わったのか、外からたくさんの人が流れ込んでくる。
     子連れの夫婦、老人の二人組、大学生らしくグループ、女性の集団。

     その中に少数────■の耳を生やした女の子が、紛れていた。

  • 14二次元好きの匿名さん23/11/16(木) 06:22:03

     こわい。

     恥も外聞もなく、私はそう思ってしまった。
     当たっていた■券をその場に投げ捨てて、駅へ向かって一目散に駆ける。
     運動不足のはずの足は、妙に軽い。
     普段はちょっとした階段もしんどいのに、全然息が切れない。
     喜ばしいことのはずなのに、それがとても恐ろしく感じてしまう。
     競■場の出口が見える、駅に向かう専用通路も見える。
     
     ふと、歌声が聞こえた。

     続けて歓声、見なくたって何が起きているのかわかる。
     それはレースの勝者を称える、輝かしい舞台、ウイニングライブだ。
     ……いや、おかしい、レースの後に歌って踊るなんて、そんなこと聞いたことがない。
     でも、なぜだろう。
     私はこの歌声を発している子が羨ましくて、強く、憧れてしまっている。
     
    「……っ!」

     それはもはや、私にとって祝福とはほど遠いものだった。
     むしろ、私を深淵へと誘う呪詛にも等しい。
     聞きたくない、これ以上、聞いてはいけない。
     私は両手で、耳を塞いだ。

     ────そこに耳はなかった。

  • 15二次元好きの匿名さん23/11/16(木) 06:22:25

     駅に向かって、走る、走る。
     前の人が勝手に道を開けるほど、奇妙な声を上げて、ただ必死に。
     ばらばらな、ひどいフォームで、ただ私は駅を目指した。
     通路の壁に飾られている、たくさんの美しい少女の肖像を見ない振りして、ひたすら。
     
    「なんで、どうして」

     確かに、私はウマ娘にハマり、競■にものめり込んだ。
     あの世界に憧れを抱いたことだって、なかったわけではない。
     でも、なりたいと臨んだわけじゃない。
     ただ私は、楽しくウマ娘を、競■を、楽しんでいたかっただけなんだ。
     だから、早く戻らないと、そして会いに行かないと。
     駅に辿り着いた瞬間、私は足をもつれさせて、激しく転倒してしまった。
     幸い他人は巻き込まずに済んだものの、足や腕をすりむいて、痛みが走る。
     それは、現実を非情に伝える、残酷な傷みだった。

    「大丈夫かい!? ああ、大切な脚なんだから、もっと大事にしないと!」

     近くにいた駅員さんが、慌てた様子で声をかけてくる。
     その言葉に、違和感を覚える。
     
    「……大切な、脚?」

     すると、駅員さんの方が殊更怪訝な表情を浮かべて、言った。

    「そりゃあだって……お嬢ちゃん、ウマ娘でしょ?」

  • 16二次元好きの匿名さん23/11/16(木) 06:22:49

     私は、駅員さんに平謝りをした。
     一体全体、何をやっていたんだか……学園の子達にバレないと良いけれど。
     駅から離れて、寮へと向かう。
     明日は模擬レース、しっかりと結果を出して、デビューを目指さないと。
     幸い転んだ表紙の怪我は擦り傷ばかりで、走るのには影響はなさそうだった。

    「なんか喉乾いちゃったな……ジュース買っちゃおうと」

     先ほどまで走っていたせいだろう、喉はカラカラになっていた。
     私は近くの自動販売機に立ち寄り、品揃えを眺める。
     新作の炭酸飲料があったので、それに決めて、財布を開いた。

    「……うん? ナニコレ?」

     財布の中、ポイントカード等に混じって、小さな紙きれが入っている。
     取り出して見てみると、それはまるで覚えのないものだった。
     ただ、日本語で文字が書いてあって、それを読むことは出来る。

    「東京、レース……トゥインクルシリーズかな? じゃあ番号はウマ娘の番号……?」

     所々理解出来そうな部分はある。
     しかし、一番重要そうな中央の文字は、まるで理解出来なかった。

    「3連複……? 意味わかんない、なんかこわいなー、捨てとこ」

     近くにあった燃えるゴミ用のゴミ箱にその紙きれを捨てて、私は小銭を取り出した。

  • 17二次元好きの匿名さん23/11/16(木) 06:23:31

    お わ り
    流行り乗って書いてみました
    競馬場の描写は適当なのはお目溢しください

  • 18二次元好きの匿名さん23/11/16(木) 12:40:18

    なんやこれ……

  • 19二次元好きの匿名さん23/11/16(木) 12:48:15

    あーこういうの好き…ありがとう

  • 20二次元好きの匿名さん23/11/16(木) 12:49:24

    ホラーだ…

  • 21二次元好きの匿名さん23/11/16(木) 13:05:22
  • 22二次元好きの匿名さん23/11/16(木) 19:44:35

    >>18

    なんやろうね……

    >>19

    そう言っていただけると嬉しいです

    >>20

    ホラーかな……?まあホラーだな……

    >>21

    朝目が覚めると|あにまん掲示板俺はヤマニンゼファーになっていたbbs.animanch.com

    ウマカテには変身ネタが溢れています

  • 23二次元好きの匿名さん23/11/16(木) 23:28:45

    最後馬券捨てるの悲しい

  • 24二次元好きの匿名さん23/11/16(木) 23:53:29

    >>12で自身が先に変わってから>>13で世界線が変わってるの細かくてすき

  • 25二次元好きの匿名さん23/11/17(金) 00:03:02

    途中から一人称変わってるの気づいたときゾッとしたわ…
    おのれゴドルフィンバルブ(どばっちり)

  • 26二次元好きの匿名さん23/11/17(金) 00:05:42

    私になったところでゾっとした
    すごい引き込まれました

  • 27二次元好きの匿名さん23/11/17(金) 00:20:24

    タ◯リーっ!早く来てくれー!
    いや別に助けてはくれんかったわ

  • 28二次元好きの匿名さん23/11/17(金) 00:55:20

    これ友人は見えちゃったのか……

  • 29123/11/17(金) 06:57:48

    >>23

    もう変わってしまったんだなて

    >>24

    色々と考えました

    >>25

    やはり三女神は悪……!

    >>26

    タイミングが難しかったです

    >>27

    それでもタ○リなら……

    >>28

    友人は見えてたけど隣に主人公がいたからギリギリセーフだったんですね

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