- 1二次元好きの匿名さん24/05/04(土) 23:46:50
「────ヴィルシーナが悪戯好きだったって本当?」
トレーナー室で行ったミーティングの内容をノートに纏めている最中。
その言葉は、突然、私の耳に飛び込んできた。
トレーナーさんからの、思いがけない質問に、私は持っていたペンを落としてしまう。
かたん、とペンが床で跳ねる音。
ああ、いけないわ、これはヴィブロスと買ったお揃いのペンなのに。
慌てて、それを拾い上げて、傷ついてないか確認して、ほっと一息。
私は机を挟んで正面の、きょとんとした表情を浮かべるトレーナーさんをじろりと見つめた。
「……一体、それは誰から聞いたのかしら?」
「えっと、この間、シュヴァルグランと少し話す機会があってだな」
「…………あの子ったら」
頬に手を当てて、ため息一つ。
シュヴァルに、家族のことを話せる相手が増えたのは、良いことなのだけれど。
ところで、他に、どういう話をしたのかしら。
そもそも、何がきっかけで、シュヴァルとトレーナーさんが話すことになったのだろう。
心の奥底で複雑な感情が渦巻くものの、まずは、目の前の疑問に答えなくていけない。
興味津々、と言わんばかりの表情を浮かべるトレーナーさんに、私は言った。
「事実、ではあるわ、ただ、それは私がまだ小さい頃の話よ」
「……へえ」
「……疑っているの?」
「まさか、むしろ逆でさ、悪戯好きだったなんて、とても信じられなくて」 - 2二次元好きの匿名さん24/05/04(土) 23:47:05
トレーナーさんは、意外そうな表情で、私を見ていた。
……これは私の邪推が過ぎたわね。
二着に甘んじ続けていた時も、レースに対する気持ちを失っている時も。
ずっと、私のことを支えてくれた人だもの────信じてくれるに決まっている。
浅はかな自分の考えを恥じ入る最中、トレーナーさんは何事もないように言葉を続ける。
「俺が知っているヴィルシーナは、家族を大切にしている、優しくて、世話焼きなお姉さん」
「ふふっ、その評価は素直に受け取っておくわ────」
「それと、負けず嫌いで、頑張り屋で、気高くて、格好良い女の子、ってところかな」
「……っ、そっ、それも、受け取っておくわね」
……トレーナーさんの、こういうところは、本当にずるいと思う。
何がずるいって、今のを、彼が褒め言葉だと考えていないところだ。
思っていることを、わかりやすい言葉で、そのまま伝えただけ。
それだけに、本当に彼がそう思っているんだってことが、ストレートに伝わってくるのだ。
長女だから耐えられたけれど、次女だったら耐えられなかったかもしれない。
…………。
「貴方、あまりシュヴァルとは話さないでちょうだい」
「なんで!?」
「……冗談よ、ただ、あまり女の子にそういうこと言うのは良くないわよ?」
「……あっ、ああ、気を付け、る?」
トレーナーさんは、首を傾げながら頷く。
多分、わかってないんだろうなあ、と苦笑いをしながら、私は言葉を紡いだ。
「小さい頃はパパやママ、良くシュヴァルにもちょっかいをかけていたわね」
「それは、本当に意外だね」
「誤解のないように言っておくけど、本当にちょっとした悪戯よ?」 - 3二次元好きの匿名さん24/05/04(土) 23:47:16
驚かせてみたり、物を隠してみたり、嘘をついてみたり、その他諸々。
色々と子どもなりの知恵を働かせて、色々とやってみたものだった。
特に、シュヴァルの反応が可愛らしくて、色々としていた覚えがある。
そういえば、シュヴァル、あの頃のことを、実は気にしていたりは────。
「ああ、シュヴァルグランも、大した悪戯じゃなかったって言ってたよ」
「……そっ、そう、それは良かったわ、うん、本当に」
どうも顔に出ていたのか、トレーナーさんはフォローを入れてくれた。
とりあえず、一安心。騒めきかけていた胸の内は、落ち着きを見せる。
そのまま、私は話を続けようとして、ふと、頭の中に疑問が浮かんだ。
私は、何故、悪戯をしなくなったのか。
あれほどに好きだったことを、何で、やめてしまったのだろう。
もちろん、そういうもの、ということもある。
小さい頃、肌身欠かさず持っていたぬいぐるみは、気づいたら手元からなくなっていた。
好きだった子ども番組は見なくなって、良く読んでいた絵本は押入れの奥底に。
『そういうもの』、と結論付けても良いはずなのに。
何故か、私は悪戯に関してだけは、妙に気になっていた。 - 4二次元好きの匿名さん24/05/04(土) 23:47:29
「えっと、その、あれだ、ヴィルシーナ」
トレーナーさんの声に、ハッとさせられる。
どうやら、いつの間にか、深く考え込んでいたみたい。
顔を上げると、しどろもどろになりながら、困ったように視線を彷徨わせる彼の姿。
多分、私が落ち込んでいると勘違いして、励ますことを考えてくれているのだろう。
そういう人のは、良く知っているから。
自然の胸の中が穏やかになって、口元が緩んでいく。
やがて、彼は自らの胸に手を置いて、少し自信なさげに口を開いた。
「俺にだったら、いくらでも悪戯をしても良いよ、なんて」
「……えっ?」
────トレーナーさんに、悪戯しても良い?
もちろん、それは言葉に詰まったトレーナーさんが、苦し紛れに出した話に過ぎない。
一種の冗談、それで私が喜ぶと、本気で思っているわけではないだろう。
だけど、先刻のトレーナーさんの台詞は、妙に頭の中で響いて、離れようとしない。
私はそれを誤魔化すように、言葉を返した。
「…………しないわよ、悪戯なんて、もう」
「あははっ、そうだよね、あっ、お茶のお代わり淹れて来ようか?」
「…………ええ、お願いするわ」
トレーナーさんは、空になった私のマグカップを手に取って、ポットのある方へと向かう。
悪戯の話はここで終わり、私は改めてノートに向き合い、ペンを走らせた。
ちらちらと、彼の背中を、目で追いながら。 - 5二次元好きの匿名さん24/05/04(土) 23:47:42
別の日、私は図書室に本を借りに来ていた。
目当ての本を探している最中、見知った人の姿を見つける。
「あら、トレーナーさんじゃない」
少し距離はあるものの、見間違える相手ではない。
トレーナーさんは、積み上げた参考書を読みながら、ノートを取っていた。
……以前、少しは人目がある方が集中出来るって、話していたわね。
まずは目的の本を探し出し、それから私は彼の下へと近づく。
ノートの中身が覗き込めるところまで来ても、彼はまだ私に気づかない。
椅子を引いて、彼の隣に腰かけてもみても、その視線は本を見つめたままだった。
普段の柔らかな表情と、優しげな瞳とは違う。
張り詰めたような真剣な表情と、熱のこもった鋭い眼差し。
それは、トレーニングやレースなどで、私の走りを見ている時と、同じ顔。
それが今、私ではなく、知らない本に向けられている。
何故か、少しもやっとしてしまった。
私ったら、何を考えているのやら。
知らない本、といってもそれはトレーニングにかかわる参考書。
すなわち、私のためにトレーナーさんが読んでくれている本、といっても過言ではない。
それに対して、妬むような感情を持つだなんて、おかしな話。
その、はずなのに。
気が付けば、邪魔をするかのように、トレーナーさんの肩に手が伸びていた。
……ええ、これは挨拶をするだけ。
お世話になっている人を見つけたのだから、挨拶をするのは何もおかしくない。
決して、私に気づかないことが、気に食わないとか、そういう理由ではないのだ。
そう自分に言い聞かせて、彼の肩をとんとんと叩く。 - 6二次元好きの匿名さん24/05/04(土) 23:48:12
────俺にだったら、いくらでも悪戯をしても良いよ。
ふと、トレーナーさんの言葉が、頭の中にリフレインした。
次の瞬間、肩を叩かれた彼がぴくりと反応して、反射的にこちらに顔を向けて。
ぷにっと、私の人差し指が、彼の頬を突いていた。
……………………えっ、私、いつの間に指を立てていたのかしら。
「……ヴィルシーナ?」
ようやく私のことを見つけたトレーナーさんは、きょとんと、目を丸くする。
当然だろう、いきなり担当ウマ娘が、こんな子ども染みたことを仕掛けて来たのだから。
今も、ぷにぷにと、指先で頬の弾力を確かめているのだから。
意外と柔らかくて、なかなか触り心地が良いわね────そうではなくて。
「ごっ、ごめんなさい、つい……っ!」
何が、つい、なんだろう。
慌てて手を離して、謝罪を口にしながら、私はそんなことを思った。
そして、トレーナーさんはそんな私を見て、どこか嬉しそうな微笑みを浮かべる。
「こんな可愛らしい悪戯だったら、いくらでも歓迎するけど?」
冗談めかして、そんなことを言ってくるトレーナーさん。
なんだか、私はとても恥ずかしくなってきて、熱くなった頬を隠すように顔を背ける。
ああ、本当に、何をしているのだろうか。
魔が差したといか言いようのない、あまりにも失礼で、愚かな行動。
こんなこと、もうしないわ────そう伝えるのが、当然なのに。
「………………そう」
私は、明確な否定の言葉を、出すことが出来なかった。 - 7二次元好きの匿名さん24/05/04(土) 23:48:29
別の日の、トレーナー室。
その日はミーティング等もなかったけれど、私は忘れ物を取りに来ていた。
今の時間はトレーナーさんがいるはずなので、ノックをする。
しかし、中からは反応は返ってこない。
外出中かしら、と思いつつ、なんとなくドアノブに手をかけてみると、どうも鍵はかかっていない。
念のため警戒しながら、ゆっくりと扉を開けて、中を覗き見る。
「…………すぅ」
そこには、デスクの上で突っ伏して寝息を立てている、トレーナーさんがいた。
安心して、肩の力が抜けてしまう。
……もう、不用心なんだから。
私は物音を立てないようにそーっと部屋に入って、忘れ物を回収する。
そして、タオルケットを取り出して、彼の下へと近づいた。
「ふふっ、気持ち良さそうに寝ちゃって」
ふわりと、タオルケットをかけてあげてから、私は顔を近づけた。
どこか子どものように、あどけない表情で眠っているトレーナーさん。
本を読んでいる時の顔とも、頬を突かれた時の顔とも、全く違うもの。
見ていると、私の顔が、勝手に緩んでしまうよう。
しばらく彼の寝顔を眺めていると、突然、彼の口が動いて、言葉を紡ぎ始めた。
「ううん…………ジェンティル……ドンナ」
「……は?」 - 8二次元好きの匿名さん24/05/04(土) 23:49:10
トレーナーさんの口から漏れだした、私以外の、ウマ娘の名前。
数あるウマ娘の中でも、今、一番聞きたくはなかったであろう、ウマ娘の名前を、聞いてしまった。
私の周囲に流れていた、穏やかな空気が一変する。
暖かだった頭の中は、絶対零度に迫らんとするほどに、冷え込んでいく。
胸の奥から、粘ついた、どす黒い感情が吹き出してくる。
何故、私のトレーナーさんは、私じゃなくて、あの人を見ているのか。
貴方には────夢の中でも、私を、見ていて欲しいのに。
「……ゴールドシップ」
「……えっ?」
「オルフェーヴル……ウインバリアシオン…………あの子が、意識しないといけないのは…………」
トレーナーさんは、他のウマ娘の名前も出して、難しそうに眉間へ皺を寄せていた。
ちらりと、彼が枕替わりにしている資料を見やる。
そこには数週間後、私が参加する予定の模擬レースの出走表があった。
周囲にも、そのレースに出て来るウマ娘達のデータが書かれた紙が、散らばっている。
私は、大きく、そして長いため息をついた。
「はああぁぁぁ…………私ったら、何を一人で、本当に」
自己嫌悪に、気持ちが沈み込んでしまう。
勝手に勘違いして、勝手に嫉妬して、勝手に怒って。
あまりのみっともなさに、トレーナーさんの隣で、私も突っ伏してしまう。
腕に、顔の熱さを感じながら、隣にいる彼の顔を見る。
先ほどの顔はどこへやら、よほど良い夢を見てるのか、にへらと笑みを浮かべていた。 - 9二次元好きの匿名さん24/05/04(土) 23:49:26
……そもそも、トレーナーさんが、悪いのではないかしら?
眠っているのに、トレーナー室に鍵をかけていない。
私が来たというのに、まるで起きる様子を見せない。
夢の中で、他のウマ娘の名前を呼んでいた。
そのくせ、私の名前は呼んでくれない、私の姿を夢に見てくれない。
平気な顔して、恥ずかしいくらいの褒め言葉をぶつけてくる。
いくらでも悪戯しても良いとか、言ってきた。
隣に座っている私に気づかないで、ずっと本を読んでいた。
不意にしてしまった私の悪戯を、可愛いと思ってくれた。
全部、トレーナーさんが悪い。
私は、自らの唇を、彼の耳元へとそっと寄せた。
きれいな形をした、耳たぶが少し大きい、トレーナーさんの耳。
胸の中に渦巻いている複雑な想い、その全てを込めて────。 - 10二次元好きの匿名さん24/05/04(土) 23:49:41
「…………ふぅー」
「……っ!?」
私はトレーナーさんの耳に、熱い吐息を吹きかけた。
刹那、彼の身体がびくんと大きく跳ね上がって、声にならない悲鳴を上げる。
そして顔を真っ赤に染め上げて、慌てた様子で、私のことをじっと見つめた。
────ああ、やっと見てくれた。
それだけのことで、私の気持ちは、ぱあっと晴れやかになってしまう。
「おはよう、目覚めはいかがかしら?」
「……少なくとも、目覚めの景色は、素晴らしいと思うよ」
「あら、それは良かったわ」
苦笑いを浮かべるトレーナーさんに、私は笑いかける。
そうして私は、一つの結論を、得たのであった。 - 11二次元好きの匿名さん24/05/04(土) 23:49:59
数日後、トレーナーさんとトレーニング用品を買いに行く日。
待ち合わせ場所までの途中にある公園を通りすがった時、私はとある光景を目にした。
「だーれだ?」
「わー、何も見えないよー、誰かなー?」
ベンチに腰かける、母親と思われる女性。
その後ろから、小さな子どもが背伸びをしながら、両手で彼女に目隠しをする。
私も、小さな頃にやった記憶がある、子どもの定番の悪戯の一つだ。
そんな、微笑ましい光景を見送りながら、私は歩みを進める。
────何故、子どもは悪戯をするのか。
答えは至ってシンプルで、構って欲しいからだろう。
悪戯をすれば自分のことを見てくれると思って、相手に対して、甘えているのだ。
そう考えると、私が悪戯をしなくなった理由も、なんとなく見えてくる。
「あら、ヴィブロスと……シュヴァルからも? 珍しいわね」
震えるスマホに気づいて、私は立ち止まって、LANEを開く。
大切な二人の妹から、買ってきて欲しいものがある、という内容だった。
それぞれ、そこまで大したものではない、トレーナーさんに言えば寄り道させてくれるだろう。
私は二人に、任せなさいと返信して、スマホを仕舞う。
「ついでに、二人の好物でも、買ってきてあげようかしらね」 - 12二次元好きの匿名さん24/05/04(土) 23:50:17
────何故、私は悪戯をしなくなったのか。
その答えもまた、至ってシンプルで。
幼いながらも、私が長女の自覚をして、誰かに甘える立場から、誰かを甘やかす立場になったから。
だから、私の『悪戯好き』は、消えて行ってしまったのだろう。
しばらくして、私は待ち合わせ場所へと辿り着く。
駅前の、大きな時計の下のベンチ。
まだ予定の時間の三十分前なのに、そこにはトレーナーさんの姿があった。
彼はスマホに視線を落としていて、私が来たことには気づいていない。
ふと、先ほどの公園での出来事を思い出して、私は大きく迂回し、彼の背後に忍び寄った。
そしてそっと両手で、彼の目元を覆う。
「……だーれだ♪」
「……ジェンティル」
「同じネタを、二回は許さないわよ?」
「…………一度も使った覚えはないんだけど、うん、悪かったよ、ヴィルシーナ」
トレーナーさんは、優しく私の手を外して、こちらを見てくれた。
ちょっと困っているような、でも少し嬉しそうな、そんな微笑みで。
────何故、私はトレーナーさんに悪戯をしてしまうのか。
それは、私にとって、トレーナーさんが甘えられる相手だから。
誰かを甘やかす立場になったはずの私を、甘やかしてくれる人だから。
私は彼の前だと────『悪戯好き』のヴィルシーナに戻ってしまうのだ。 - 13二次元好きの匿名さん24/05/04(土) 23:50:36
「それにしても、君って本当に、悪戯が好きなんだね」
「……『悪戯好き』は、卒業したはずだったのだけど」
「……もしかして、俺のせい?」
「………………ええ、そうね、貴方のせいね」
きっと、トレーナーさんは、いくらでも悪戯して良いと言ったのが原因だと思っている。
でも実際には、あんな言葉一つではなく、もっともっと、深いところに、原因はあった。
ぜーんぶ、トレーナーさんのせい。
私は、隣にいる彼の腕に、自らの腕を絡ませて、身体を寄せる。
それに驚く彼を見上げながら、私はにやりと悪戯っぽく笑いながら、言葉を紡いだ。
「だから────ちゃんと責任は取ってもらわないと、ね?」 - 14二次元好きの匿名さん24/05/04(土) 23:51:10
お わ り
育成実装されたらこの辺の要素は出て来るのでしょうか - 15二次元好きの匿名さん24/05/04(土) 23:55:41
素晴らしいものをありがとうございます、いい夢見てきます!
- 16二次元好きの匿名さん24/05/05(日) 00:00:18
可愛いなこの長女………構いたくなる。
- 17二次元好きの匿名さん24/05/05(日) 00:38:38
しっかり者のお姉ちゃんを甘やかすのは健康に良い
ジェンティルに言及される度に半ギレするの草 - 18124/05/05(日) 06:17:12