- 1二次元好きの匿名さん22/01/31(月) 21:37:36
その1
タニノムーティエ(70年世代・通算18戦12勝・皐月賞・ダービー)
無事ならシンザンを超えたとされる、伝説の競走馬
レースに出して強くさせるという昔ながらのやり方で鍛えられ、やがて恐ろしい強さと風格備えてクラシックへ。
前哨戦のスプリングSでは東の雄アローエクスプレスと対決(アロー6戦6勝・ムーティエ11戦9勝)。3着以下を6馬身引き離す死闘の末、ムーティエが半馬身差で勝利。
迎えた皐月賞では再びアローと激突。またもやマッチレースとなり、ムーティエが頭差で勝利、クラシック冠目を制覇した。
続いて出走したNHK杯では、3度目の対決で遂にアローに敗れる。しかし本番のダービーでは惨敗したアローを尻目に優勝、2冠馬となる。なおこの時点で通算成績は15戦12勝(他2着2回4着1回)という現代では考えられない成績であり、ダービー制覇時点での12勝という勝ち星は史上最多勝記録。
しかし3冠を見据えた夏、放牧先で重度の喉鳴りを発症してしまう。治りきらないまま出走したトライアルレースでは最下位、6着と信じられない惨敗。もう - 2二次元好きの匿名さん22/01/31(月) 21:42:43
幻の三冠馬枠って感じする
- 3二次元好きの匿名さん22/01/31(月) 21:46:18
因みに惨敗の理由は整理されてない放牧地に馬主が開拓精神で送り込んでしまった結果、慣れない環境で体調を崩したから
良くも悪くも谷水氏の猪突猛進癖が招いたミスよね - 4二次元好きの匿名さん22/01/31(月) 21:47:05
カントリー牧場はスパルタだからねぇ!
- 5二次元好きの匿名さん22/01/31(月) 21:50:29
(続き)
走れるどころか競走生活を続けられる状態ではなく、菊花賞前に引退が強く推されたが、関係者はムーティエの最後の勇姿を見せたいと出走を決断。
迎えた菊花賞は2冠馬ながら5番人気。レースもずっと後方だったが、3コーナーから一気に進出し、先頭に並んだ。(この時の場内の歓声は物凄いものだったらしい)しかしやがて力尽き、最後は11着に敗北した。後にあの3コーナーでのスパートは「馬が死に場所を知っていた」と語り継がれるシーンとなった。
ムーティエは菊花賞後に引退。
強さだけでなく馬体の風格や走りっぷりも王者というに相応しいものであり、無事ならシンザン以来の5冠馬だったと惜しまれた。伝説の競走馬の一頭であることは間違いない。
なお、半弟にタニノチカラというこれまた物凄い競走馬がいるが、それは後述。 - 6二次元好きの匿名さん22/01/31(月) 21:52:47
アローエクスプレスという強力なライバルがいたことも大きかった
- 7二次元好きの匿名さん22/01/31(月) 21:53:43
- 8二次元好きの匿名さん22/01/31(月) 22:00:34
ウオッカの地元の先輩か
- 9二次元好きの匿名さん22/01/31(月) 22:43:18
メイズイ(63世代・通算22戦15勝・皐月賞・ダービー)
シンザンの影に隠れたスーパースターともいうべき名馬
旧4歳でデビューすると、類い稀なスピードを武器に圧勝の連続。4戦目で同厩のグレートヨルカに敗れるが、次戦では4馬身差で雪辱。皐月賞ではレースレコードを叩き出して勝利(グレートは2着)し優勝。
続くダービーではメイズイ・グレート二頭の人気が共に1倍台に迫る程抜け出ており、「MG対決」と注目される。だが本番ではメイズイが2着のグレートに7馬身差をつけ圧勝。タイムも2.28.7という当時(約60年前)としては破格のレコードタイムだった。
その後夏を越え、調整として出た2戦を順調に勝ち菊花賞本番へ。単勝支持率は83%と誰もが3冠達成を確信しており、JRAも記念のくす玉まで用意していた。
だが、レースでは鞍上のミスや他馬に絡まれて掛かるなどして暴走、6着という惨敗を喫してしまい3冠はならなかった。(勝ったのはグレートヨルカ)
その後、メイズイは幾度も勝利を挙げるものの、大レースでは勝てなかった。菊花賞の後の有馬記念は1番人気ながら2着、翌年の春天も2着、秋天・有馬は遅れてきた同期ヤマトキヨウダイの栄光を前に8着・3着と敗れた。遂に再びの栄光を手にすることなく、メイズイは翌年引退した。
通算22戦15勝、2冠馬でありながら菊花賞での惨敗やその後の大レースでの不調、更に翌年にあのシンザンが出てきたことで、非常に存在感が薄くなってしまった感がある。
だが、メイズイは2000m以下のレースで15戦14勝2着1回と実は最強レベルの中短距離馬であり(残り1勝は2400mのダービー)、当時の大レースはほぼ全てが長距離だった点、大レースを勝てなかったのは単に距離の限界だった可能性が高い。(実際2500m以上のレースでは6戦未勝利)
もし当時から中短距離の大レースがあれば成績はもっと違ったものになっていただろう。それでも距離不適性の有馬記念や春天で3着以内に3度入ってるのは、現在ならむしろ称えられるかもしれない。
ある意味時代が悪かった名馬だが、それでも春のクラシックで見せた勇姿は史上でも屈指の強さだったと思う。 - 10二次元好きの匿名さん22/01/31(月) 22:52:06
競走馬はアスリートなんだから人間のアスリートのように鍛え上げるんや!
- 11二次元好きの匿名さん22/01/31(月) 23:00:20
- 12二次元好きの匿名さん22/01/31(月) 23:02:00
因みにメイズイの全姉のメイワの曾孫がミスターシービー
20年程かけて血統の証明を果たすこととなる - 13二次元好きの匿名さん22/01/31(月) 23:08:49
タニノムーティエの主戦がドトウの主戦の安田康彦の父っていうのはあんまし知られてないであろう話
- 14二次元好きの匿名さん22/01/31(月) 23:33:17
トウメイ(69世代・31戦16勝・天皇賞・秋、有馬記念)
史上屈指の女傑
デビュー当時はそこまで期待されてなかったが、連勝やトライアルレースを制するなど一躍クラシック候補へ。しかし惜敗の連続でクラシックには獲れず。その後はOPなどでぼちぼち勝利を挙げていたが、旧5歳の春に故障し長期休養へ。明けて6歳に復帰すると、春先から重賞含め4連勝。その後1度2着を挟んで秋の大舞台へ。それまではオークスを除き2000m以上のレースでは走ったことがなかったが、斤量のハンデをものともしないレースが続いたことで長距離の天皇賞・秋(当時3200m)に出走する。結果は菊花賞馬やダービー馬などの強豪を下し優勝、初の大レース制覇を達成する。更に有馬記念へ出走。馬インフルエンザの影響で史上最少6頭立てとなったレースを見事制する。秋天・有馬記念を制した実績が評価され、年度代表馬になった。
この有馬記念を最後に引退。
通算31戦16勝。秋天・有馬記念を制した実績もさることながら、全レースで一度も掲示板を外さなかった安定感も光り、獲得賞金は牝馬として当時の歴代第一位。旧6歳で全盛期を迎えたように、牝馬としては珍しい晩成型でもあった。
なお、トウメイの次に有馬記念を制した牝馬は37年後まで出なかった。また、負けた15戦中10戦で2着だった。 - 15二次元好きの匿名さん22/01/31(月) 23:34:52
この37年後の牝馬が皆さんご存知のダスカである
- 16二次元好きの匿名さん22/01/31(月) 23:51:56
37年にわたって出なかった牝馬の有馬優勝馬が出てきて以降割とコンスタントに出てるのはどういうことですか
- 17二次元好きの匿名さん22/01/31(月) 23:53:56
ダイナナホウシユウも紹介してくれ
小さい馬体からの圧倒的なパワーとスピードで逃げ切る快速馬ってかっこいいと思うんだ - 18二次元好きの匿名さん22/02/01(火) 00:28:11
ダイナナホウシユウ(54年世代・29戦23勝・皐月賞・菊花賞・天皇賞秋)
400㎏に満たない馬体ながら凄まじい実績を挙げた名馬
デビューから弾丸のようなスピードを生かし無敗の連勝行進。なんと10戦10勝の成績でクラシックへ。皐月賞にはこれまたタカオーというとんでもない同期(17戦14勝、目下11連勝中)がおり、二人で圧倒的人気を分けあったが、レースでは不良馬場に沈んだタカオーに対しホウシユウは全く苦しむことなく逃げ切り、2着に8馬身差をつけて優勝した。
だが続くNHK杯ではタカオーの逆襲に遭い初敗北、本番のダービーではスタートで両側から挟まれて出遅れる不運もあり再び敗戦した。夏を越えて菊花賞へのトライアルレースも出たが3戦1勝と調子は今ひとつ。だが菊本番では鬱憤を晴らすようにスタートから快速を飛ばし、結果6馬身差で優勝した。
翌年は63㎏やら66㎏やら小柄な馬体にとんでもない斤量を背負いながらも勝ち星を重ねる、だが徐々に疲労が溜まり、やがて脚部が不安に。天皇賞・秋ではそれを抱えながら、ハナ差で勝利し3つ目のビッグタイトルを獲る。
天皇賞後は1年休養し、相変わらず67㎏とかいう斤量を背負いながら2戦を勝利、既に脚は限界であったが、それでも年末の第1回中山グランプリ(後の有馬記念)に推薦を受け出走、11着ではあったが最後まで入りきり、このレースを最後に引退した。
通算29戦23勝、負けたレースも最後の中山グランプリ以外は掲示板以内であり、とんでもない強さを持った競走馬だった。クリフジ・トキノミノル・シンザンらの大巨星と同等の評価をする者も多い。正直、顕彰馬になっていないのが不思議である。 - 19二次元好きの匿名さん22/02/01(火) 00:31:04
- 20二次元好きの匿名さん22/02/01(火) 00:33:31
- 21二次元好きの匿名さん22/02/01(火) 00:34:50
「コダマは剃刀、シンザンは鉈。ただしシンザンの鉈は髭も剃れる」でお馴染みのコダマさんをお願いします
- 22二次元好きの匿名さん22/02/01(火) 00:35:22
褐色の弾丸列車が顕彰入りできなかった要因の一つで噂程度とはいえ審査員の一人が馬主との関係が宜しくなかったという話もある
G・グラスもそうだけど明らかに顕彰馬の価値がある馬がされてないせいで埋もれるってのも問題よねぇ… - 23二次元好きの匿名さん22/02/01(火) 00:36:13
大器晩成の競走馬の代表で一時はシンザンとも五分とも言われた天皇賞馬のアサホコはどうでしょうか
- 24二次元好きの匿名さん22/02/01(火) 00:38:46
今晩はこれまで
前述のように希望の競走馬を挙げてくれたらなるべく調べて紹介しますのでよろしく
閲覧ありがと - 25二次元好きの匿名さん22/02/01(火) 00:42:14
取引価格75万円、生まれは農家の片隅、血統的にはサラブレッドですらない
そんな逆境から二冠馬にまで上り詰めたヒカルイマイなんてどうでしょうか - 26二次元好きの匿名さん22/02/01(火) 01:22:42
- 27二次元好きの匿名さん22/02/01(火) 01:48:50
トキノミノルの2着、イツセイさん。トキノミノルの3着、ミツハタさんはどうでしょうか
どっちもトキノミノルが去った後、世代の強さを証明してくれるのが熱い! - 28二次元好きの匿名さん22/02/01(火) 08:28:51
コダマ(60年世代・17戦12勝・阪神3歳ステークス、皐月賞・ダービー)
競馬人気の火付け役となった名馬。馬名はもののけ姫のこだまではなく当時初の特急電車だった「コダマ」からとった。
デビュー前の評価は低かったが、切れ味鋭い先行策で連戦連勝、無敗で阪神3歳ステークスを制する。その後も勝ち星を重ね、クラシック前哨戦では同じ無敗のマツカゼオーと対戦するが圧勝。続く本番皐月賞でも再びマツカゼオーを6馬身差で下し、無敗でクラシックを制覇する。
その頃からコダマの人気は沸騰し始め、馬名の良さと覚えやすさもあり競馬ファン以外にもその名が知られるようになる。迎えたダービーは直前の調教が上手くかなかったものの圧倒的一番人気に推された。当時の歴代最高の観衆と売り上げを記録したこのダービーで、コダマは調教不調を乗り越え勝利。トキノミノル以来の無敗の2冠馬となる。
しかし3冠を目指して臨んだ秋は疲労や脚部不安もあり、前哨戦で初敗北を含めた連敗を喫する。菊花賞本番ではそれでも番人気に推されたが5着と敗れ3冠はならなかった。年末の有馬記念はファン投票1位で出走するが6着と惨敗、評価を超特急から各駅停車と呼ばれるまで下げてしまう。
翌年は復調し連勝スタート。だが屈腱炎を患い戦線離脱。秋の復帰を目指したが屈腱炎を再発させてしまい、復帰は翌年まで持ち越される。
復帰戦2着後、当時まだ大レースではない宝塚記念まで一気に3連勝。超特急復活を思わせたが肩に故障を負い、このレースを最後に引退した。
通算17戦12勝。周囲の評価はやや低く「人気が実力より上だった」とされ、現代でもその評価。とはいえ競馬人気の火付け役になったことは事実であり、2冠馬の実績も評価され顕彰馬になった。連敗で一時評価を下げたがその後の勝利で再び名声を取り戻した名馬はあのハイセイコーよりもコダマが先であり、その点はもっと評価されていい。
「シンザンが鉈の切れ味なら、コダマは剃刀の切れ味」。コダマを評する言葉として、今でも語り継がれている。 - 29二次元好きの匿名さん22/02/01(火) 08:50:59
ダイナナホウシュウは名前だけしか知らんかった。勉強になりました!
- 30二次元好きの匿名さん22/02/01(火) 09:07:39
ダイナナホウシュウの菊花賞の三着はあのクリフジの娘の二冠馬ヤマイチ
- 31二次元好きの匿名さん22/02/01(火) 09:55:54
神スレ
- 32二次元好きの匿名さん22/02/01(火) 10:14:23
ヒカルイマイは血統そのものに問題があったんじゃなくて血統証明を喪失したからサラブレッド扱いされなくなったというのが正しいらしい
血統最重要の世界だから信頼出来る血統の証明書で来歴を出せなければ繁殖の土俵にも上がれない - 33二次元好きの匿名さん22/02/01(火) 10:20:49
ミラをオーストラリアから輸入したときに血統書を紛失したのが痛すぎた
良い馬が出ていただけに血統書残ってたら牝系としてもっと栄えてたとは思うんだけど - 34二次元好きの匿名さん22/02/01(火) 10:24:35
- 35二次元好きの匿名さん22/02/01(火) 10:41:15
アサホコ(63世代・50戦12勝・天皇賞春)
晩成型の代表馬。全盛期はシンザンも敵わないとされる程の強さを見せた。
デビュー後、初勝利には5戦かかる。旧4歳時には22戦出走するが目立った成績は挙げられずクラシックも未出走、条件馬として過ごす。翌年になっても相変わらずで、ぼちぼち格上の重賞レースや秋天出走するものの敗戦。旧5歳までの通算成績は40戦5勝。レースも殆ど条件戦で、目立つ実績は目黒記念の2着程度だった。なおこの年に、一つ下のシンザンが3冠馬となった。
明けて旧6歳。昨年最後のレースで好タイムで勝利したこともあり、期待も込めて鞍上にリーディング騎手の加賀武見を迎える。すると金杯を勝利し重賞初制覇。更にその後の重賞を3戦連続勝利と、信じられない覚醒を見せる。
重賞4連勝で迎えた天皇賞・春は、3冠馬シンザンとの対決が注目された。だがシンザンは体調不良で回避。シンザン不在の中1番人気で出走したアサホコは、不良馬場の中で他馬を圧倒。7馬身の差をつけ大レース初制覇を果たした。重賞5連勝は当時の最高記録だった。
完全燃焼したのか、その後は特に目立つ成績を挙げられず、翌年引退した。
ただの一介の条件馬が突如覚醒した代表例といえる。全盛期は一瞬ではあったが、それが語り継がれる理由は重賞5連勝だけでなく、天皇賞・春の勝ち方が「絶好調のシンザンでも勝てなかった」(シンザン厩務員談)と言われる程強烈だったからだろう。実際、シンザンが体調不良で出走しなかったのはある意味運が良かったかもしれない。一瞬の全盛期が史上最強馬と遜色ないと評される点は、同じく晩成型の代表とされるサクラローレルと似ている。 - 36二次元好きの匿名さん22/02/01(火) 11:14:56
- 37二次元好きの匿名さん22/02/01(火) 11:26:18
ヒカルイマイ(71世代・15戦7勝・皐月賞、ダービー)
農家出身の2冠馬で、直線で20頭以上ぶち抜いた伝説のダービー馬。
牧場ではなく農家の生産者のもとで産まれた。
父は本馬やトウメイの親として後年名を馳せるものの、当時は種牡馬として無実績だったシプリアニ。母セイシュンは地方競馬の凡馬。更に母系をたどると血統不詳の牝馬にたどり着き、このためにヒカルイマイは純粋なサラブレッドと認められず、サラブレッド系種(サラ系)とされた。このような要素の為セリではなかなか買い手がつかなかった。廃馬になる直前で買い手がついたが、75万円という安値(それも半額は新馬戦で勝てば払うという条件つき)だった。
農家出身の為鞍置きやらデビュー前に色々苦労したが、無事に調教もこなすとデビュー。低評価を覆し圧勝。その後も好走し旧3歳を5戦3勝2着2回で終える。
明けて翌年はクラシックを見据え順調に走り、トライアルで勝利し無事にクラシックへの切符を掴む。迎えた皐月賞では後方から先行馬を差し切って優勝した。
続いてNHK杯も勝つとダービーへ。
28頭立てとなったダービー本番、ヒカルイマイはスタートで立ち遅れ、20番手以下につけてレースを進めざるを得なくなる。当時は多頭数で行われていたダービーは、後方勢は先行馬を捌くだけでも大きな不利となるため「第1コーナーを10番手以内で回らなければ勝てない」という格言があり、その時点でヒカルイマイの勝利は厳しくなった。更に3コーナーでは27番手まで下げてしまう。
だが、4コーナーを回ったヒカルイマイは大外に持ち出すと、直線で物凄い末脚を繰り出して次々と先行馬をごぼう抜き。最後は逃げ込みを図るハーバーロイヤルを差し切り勝利。直線だけで22頭ぶち抜くという離れ業をやってのけ、2冠馬となった。
その後、3冠目指して秋に入ったが、トライアルでまさかの惨敗。故障が発覚し、菊花賞は出れなかった。その後は故障や他のゴタゴタもあり、復帰せず引退した。
通算15戦7勝。2冠馬としての実績もさることながら、農家出身の純粋なサラブレッドではないという生い立ちとダービーで見せた常識外れの豪脚が印象深い。血統が大切なこの世界では血を残すことは出来なかったが、彼の生い立ちからダービーまでの物語は後世に無限の可能性を残していったであろうことは間違いない。 - 38二次元好きの匿名さん22/02/01(火) 11:42:34
おそらく日本ダービーを勝った馬で最下層の出身
農家の片隅で放置されていた馴致されていない肋骨骨折の仔馬が二冠馬にまで駆け上がっていくのは誰にも予想できなかったと思うわ
引退した後も「ヒカルイマイの会」が結成されて牧場への寄付やお嫁さんや墓の分のお金まで用意してもらえて、不思議な縁に恵まれた馬だなと思わされる - 39二次元好きの匿名さん22/02/01(火) 11:46:17
先生!ヒカルイマイとヒカリデュールが未だにキャラかぶってて間違えそうになります!
- 40二次元好きの匿名さん22/02/01(火) 15:53:12
ヒカリデュール(80年世代・地方38戦7勝、中央7戦3勝・有馬記念)
ハイセイコーとオグリキャップの間にいた、伝説の地方出身の名馬
ヒカルイマイと同じく純粋なサラブレッドではない血統(サラ系)の産まれ。
旧6歳の夏までは地方で活躍。といってもハイセイコーやオグリキャップのように怪物のような成績を挙げたわけでもなく、地方重賞1勝が主な実績で通算38戦7勝と特に目立つものでもなかった。(ただこの重賞は地方として珍しい芝レースでの重賞で、陣営はそれで中央参戦を決断したらしい)
旧6歳の秋、中央入り初戦は朝日チャレンジCで、7番人気と低評価だった。だがヒカリデュールは後方待機から直線で全員差し切り優勝。重馬場でありながら好タイムを出し、衝撃を与えた。
続く天皇賞・秋は惜しくも2着、ジャパンCは5着(日本馬最上位で勝ちタイムと0.3秒差)と大レースでも実力を見せ、年末の有馬記念へ。例によって後方待機すると、短い中山の直線で凄い末脚を繰り出し、逃げ込みを図るアンバーシャダイを頭差で捉え優勝した。この勝利によって地方出身馬としては20年ぶり、更にサラ系としては史上初の年度代表馬に輝いた。
翌年も現役を続行。だが天皇賞・春でレース中に故障を負い競走中止、競走能力喪失の重傷で引退を余儀なくされた。
引退後は種牡馬になったがサラ系ということもありあまり成績を挙げられず、やがて種牡馬を引退。その後の消息は不明となった。
地方出身かつサラ系でありながら有馬記念優勝、年度代表馬になるという歴史的快挙を成し遂げたものの、ハイセイコーやオグリキャップのような知名度がないのは、活躍期間が短かったのと当時の競馬人気が低かった影響もある。だがその後方一気の差し足は抜群なもので、特に有馬での末脚はどっから来たんだと思うくらい強烈なものだった。また競馬人気こそ低調ではあったがこの時代は強豪ひしめく凄まじい群雄割拠の時代で、その中で手にした栄光はもっと評価されても良い。
同じサラ系の名馬であるヒカルイマイが引退後も穏やかな余生を送れたのに対し、ヒカリデュールは前述のように余生に恵まれなかった。そこが非常に残念である。
残念であると同時に、ハイセイコーとオグリキャップという二大地方巨星の間にこのヒカリデュールというもう一頭の巨星が存在したことは、ずっと語り継いでいかねばならないと思う。 - 41二次元好きの匿名さん22/02/01(火) 15:56:40
ハイセイコーとオグリの間に挟まれた地方の怪物ならホスピタリテイもいるよね
その息子のドクタースパートが地方から中央に来て皐月賞取ったけどオグリの影に隠れてしまった - 42二次元好きの匿名さん22/02/01(火) 19:24:39
ヒカリデュール、旧六歳で中央入りしてそれで有馬記念勝っちゃうのかぁ。すごい
- 43二次元好きの匿名さん22/02/01(火) 19:27:15
- 44二次元好きの匿名さん22/02/01(火) 19:54:04
タニノチカラ(72世代・24戦13勝・天皇賞秋、有馬記念
死の淵から這い上がり、史上最強の一頭と称されるまでの強さを見せつけた名馬。
デビュー前から名馬タニノムーティエの半弟として注目を集めた(なお脚質は違い、ムーティエは追い込み型でチカラは逃げ切り型)。だがデビュー4戦目の旧3歳秋に故障し戦線離脱、更に翌年には療養中に重度の骨折をしてしまう。安楽死も病むを得ない程の怪我だったが関係者の尽力により辛くも一命を取り留める。翌年春には復帰の見込みが出るまでに快復した。
タニノチカラがターフに戻ったのは旧5歳の7月、実に1年8ヶ月ぶりの復帰だった。条件戦を3連勝し、秋には朝日チャレンジCで重賞初制覇。更に次の重賞戦では2頭の天皇賞馬を相手に完勝、一気にスターダムへ駆け上がる。一戦挟んで迎えた天皇賞・秋では先行策で危なげなく逃げ切り優勝。遂に栄光を掴む。
旧6歳となった翌年は、春こそ冴えなかったが秋になると再び本領発揮。京都大賞典では後輩のスーパーアイドルホースであるハイセイコー以下を4馬身でぶっちぎり、年末の有馬記念へ。この有馬記念はハイセイコーとライバルのタケホープの引退レースだった。
結果は、最後のライバル対決を繰り広げる2頭を尻目に5馬身差の圧勝。王座の地位を確固たるものにした。
翌年の京都記念では63㎏の斤量を背負いながら2着以下に11馬身差という訳の分からない強さを見せつけ、史上最強馬の呼び声すら上がった。その春、故障の為引退した。
通算24戦13勝で、負けたレースも全て4着以内と非常に安定していた。制した大レースは天皇賞と有馬記念だけだが、その強さがいかに印象深かったことは、後に有識者の間で行われた「最強馬部門」のアンケートでシンボリルドルフ・シンザン・タケシバオーに次ぐ4位に入ったことからも窺える。
多分、あの有馬記念の影響が大きいだろう。あのレースは最後までハイセイコーとタケホープに注目が集まっており、優勝馬のタニノチカラはやや肩身の狭い思い(レース後に“さらばハイセイコー”が流れたり)をした。だけど、ハイセイコーとタケホープしか見てなかった人達も、その2頭をぶっちぎったタニノチカラの圧倒的な強さは、やはり脳裏に強く刻み込まれていたのだと思う。彼を史上最強に推す声が多いのもそれが理由ではないか。 - 45二次元好きの匿名さん22/02/01(火) 20:31:34
このスレ好きな人は寺山修司のコラム系の本が刺さると思う
時代が時代なだけに引っかかる表現はあるし、いかんせん主観的かつ劇作家でもある人なので表現が誇張されているのは否めないけれど、当時の競馬好きにはどういう目線で写っていたのか、当時の競馬場の雰囲気の参考にするにはいいかもしれない
古本屋に行ったら文庫が安く売られてるし - 46二次元好きの匿名さん22/02/01(火) 20:37:27
父の名で帰ってきてほしかった…
- 47二次元好きの匿名さん22/02/01(火) 20:40:26
このレスは削除されています
- 48二次元好きの匿名さん22/02/01(火) 20:49:37
スピードシンボリ(66年世代・国内39戦17勝、海外4戦0勝・天皇賞春・宝塚記念・有馬記念(2度)・顕彰馬)
海外遠征の先駆者として名高い歴史的名馬。実績も旧7歳以降に積み重ねるなど、やや常識を超越した競走馬でもあった。
デビューからしばらくは特に目立った戦績ではなく、クラシックも大敗の連続。だが秋になると実力が開花、菊花賞で2着、有馬記念で3着などの実績を残す。
明け旧5歳では年明けから爆発、天皇賞・春を含めた重賞4連勝で一気に頂点へ。
その後、陣営は海外遠征を敢行。当時は海外遠征のノウハウも確立されていなかったが、陣営の努力により特にアクシデントは起きず、アメリカDC国際に無事出走。9頭中最低人気だったが5着に入った。その後帰国し有馬記念に出走して4着。
旧6歳は春先から冴えず、海外遠征の疲れや限界説も囁かれた。だが秋になると復調。重賞含め3連勝した後、有馬記念を3着でこの年を終えた。
旧7歳も現役続行。重賞4戦を2勝した後、再び海外遠征を敢行する。しかも今度は長期に渡るもので、まず7月にイギリスのKGVI&QES(5着)、続いて8月はフランスのドーヴィル大賞典(10着)、そして10月の凱旋門賞(11着)に出走した。
帰国後は疲労が著しく引退が検討されたが、放牧すると元気を取り戻したのでラストランとして有馬記念に出走。するとアカネテンリュウ以下後輩の強豪を退け優勝した。これを受け陣営はまだ衰えていないと判断、現役を続行させる。
旧8歳となった緒戦の重賞はレコードで勝利。一戦挟んで出走した宝塚記念ではまたレコードで3つ目の栄冠(初の8歳馬の大レース制覇)、訳が分からない。その後3戦未勝利後、今度こそ引退レースとして5年連続となる有馬記念に出走。なんと再びアカネテンリュウ以下の強豪の後輩を抑え優勝(史上初の有馬記念連覇&GP3連覇。現在でも唯一の8歳馬の有馬記念優勝)し、5年半に渡る現役生活に終止符をうった。
海外含め通算43戦17勝。4つの栄冠含め重賞12勝。その実績以外に、やはり海外遠征の先駆者という功績が大きい。後の海外での日本馬活躍の礎を作ったのは彼であることは間違いないだろう。
実績も…5年間第一線で活躍し続け、旧8歳(現7歳)でGP連覇するなんて馬は今後現れるのだろうか。もし出た時は、再びこの稀代の名馬の名が脚光を浴びるであろうことは間違いない。 - 49二次元好きの匿名さん22/02/01(火) 21:13:49
- 50二次元好きの匿名さん22/02/01(火) 21:29:55
- 51二次元好きの匿名さん22/02/01(火) 21:32:34
有馬記念は5年連続掲示板入り。
3着-4着-3着-1着-1着とか。 - 52二次元好きの匿名さん22/02/01(火) 22:07:08
スピードシンボリは野平祐二氏が懇意にしてた馬で自著ではほぼ六割弱スピードシンボリ(スーちゃん)の話題が占めてる
それほどまでに一人のジョッキーの心を掴んだ名馬とも言える - 53二次元好きの匿名さん22/02/02(水) 00:58:42
クリフジとかも紹介して欲しいです!
- 54二次元好きの匿名さん22/02/02(水) 07:11:57
クリフジやウオッカに比べて語られることが少ないと感じる初代ダービー牝馬・ヒサトモをお願いしたいです
- 55二次元好きの匿名さん22/02/02(水) 10:07:57
このレスは削除されています
- 56二次元好きの匿名さん22/02/02(水) 10:15:34
ヒサトモ(37年世代・中央26戦14勝、地方5戦2勝・ダービー、天皇賞秋)(レース名は現在の名称で紹介)
牝馬初のダービー馬。悲劇の名牝とも言われ、血統にも伝説を残した名馬
良血馬としてデビューしたヒサトモは、早くからダービーを見据えてレースをこなす。そして5戦目に迎えたダービー本番、4番人気のヒサトモは先行策からそのまま押しきりレコードタイムで優勝。第6回目にして初の牝馬制覇となった。(なお2着のサンダーランドも牝馬であり、牝馬の1、2着は史上唯一)
その後は体調不良もあり惜敗続きの7連敗としばらく不調だったが、旧5歳の5月に復調すると一気に6連勝。ダービー馬の底力を見せつける。そして迎えた天皇賞・秋では大差をつけて優勝した。その後年末の目黒記念を最後に引退。
引退後は繁殖牝馬となったが、成績不振や不受胎などが続き、止むを得ず繁殖牝馬から引退。更には当時戦後直後の為馬の資源が不足しており余生を送ることもままならず、それを賄う為にレースに復帰せざるを得なくなる(当時は農耕馬すらレース出なければならない程大変だった)。だが復帰した時既にヒサトモは16歳という高齢で、いくら何でも無理だった。そして地方戦レースを5戦した後、ヒサトモは調教中に心臓麻痺で倒れ、そのまま世を去った。
初の牝馬ダービー馬という栄光を持ちながら、繁殖成績は冴えず、更に時代の嵐に遭って最期を迎えてしまった悲劇の牝馬、ヒサトモ。
でも、彼女の物語はそれで終わりではなかった。
ヒサトモが産んだ牝馬は一頭のみ。前述のように繁殖成績は不振だった為、彼女の血を受け継ぐのはこの牝馬一頭だけだった。その後、絶えそうな時を何度も何度も凌ぎ、やがて60年代、ヒサトモの曾孫の牝馬がある新進馬主に買われ、一定の成績を挙げた。それをきっかけに馬主はこの牝馬の血統にヒサトモの名を見つけ、いずれ大物が出ることを予感し、この血統を保護することを決めた。そして再び十数年の時を経て、ヒサトモの血統は蘇った。84年、5代孫のトウカイローマンがオークス制覇。更にその甥にあたる馬が、あのトウカイテイオーだった。ヒサトモのダービー制覇から半世紀余り、幾多の危機を乗り越えて、その栄光の血は奇跡の復活を遂げた。 - 57二次元好きの匿名さん22/02/02(水) 12:27:41
す、すごい…血のロマンが凝縮されてる
- 58二次元好きの匿名さん22/02/02(水) 16:27:36
トサミドリ(49世代・31戦21勝・皐月賞、菊花賞・顕彰馬)
日本競馬史上最も偉大な一頭。レースでの実績だけでなく種牡馬としても大きな実績を残した。
半兄は初代3冠馬セントライトであり、トサミドリもその弟として注目を集めた。
旧3歳の秋にデビューするといきなりレコード勝利。年末のレースでもレコード勝ちし、その桁違いの能力を見せる。年明け後も順調に成績を伸ばし8戦6勝2着2回の成績でクラシックへ。圧倒的1番人気に支持されるとその期待に応え優勝した。だがその後、1勝を挟んで迎えたダービーでは先行策から掛かってしまい、最後は失速して7着と惨敗してしまう(なおこのレースを制したのは19番人気のタチカゼで史上最低人気での優勝)。
ダービーでの惨敗でその後が心配されたが、トサミドリはそれを払拭する様に再び快進撃を開始、連戦連勝でそのまま菊花賞まで制してしまう。その後も勢いは止まらず、翌年の4月に敗れるまで史上1タイの11連勝を記録、うち6レースでレコードタイムを出すというとんでもないことをやってのけた。
連勝が止まった後は、燃え尽きたように成績は下降。当時唯一の大レースだった天皇賞では落馬などの不運もあり勝てず、旧6歳秋に引退した。
引退した後は種牡馬入りし、優秀な血統として期待を集めた。トサミドリはそれに応え次々と活躍馬を輩出した。当時大物の外国産種牡馬が次々と導入される中でトサミドリは奮闘、70年に種牡馬を引退するまで内国産馬の代表として活躍した。通算で7頭のG1馬を含む30頭の重賞馬を輩出。産駒の通算1135勝はフジキセキに更新されるまで内国産種牡馬1位の記録だった。また母の父としても優秀な成績を残した。
通算31戦21勝。2冠の実績に加え10度のレコード勝利や11連勝などの記録、そして種牡馬としてのとてつもない実績からして、日本競馬史に燦然と輝く大巨星であることは間違いない。84年に初代顕彰馬として兄セントライトらと共に選出された。兄弟での顕彰馬はこの一組だけであり、史上最強の兄弟馬といっても差し支えないだろう。 - 59二次元好きの匿名さん22/02/02(水) 18:11:55
セントライトは有名だけど、弟のトサミドリも半端なくすごいな・・・
- 60二次元好きの匿名さん22/02/02(水) 18:38:41
- 61二次元好きの匿名さん22/02/02(水) 22:15:29
昔の競走馬は、現在の感覚からして色々常識外だな…
- 62二次元好きの匿名さん22/02/03(木) 08:17:09
あげ
- 63二次元好きの匿名さん22/02/03(木) 08:26:43
カブトヤマ記念のカブトヤマ
- 64二次元好きの匿名さん22/02/03(木) 15:51:09
このレスは削除されています
- 65二次元好きの匿名さん22/02/03(木) 15:59:13
メイヂヒカリ(55年世代・21戦16勝・朝日杯、菊花賞、天皇賞春、有馬記念・顕彰馬)
初代中山グランプリ(有馬記念)覇者。旧3歳〜5歳まで3年連続最優秀牡馬。
父は顕彰馬クモハタ、母イワハタも重賞を勝った実力馬。良血なだけでなく馬体も良く、デビュー前から注目された。デビュー後はその能力通り3連勝。朝日杯も制し、最優秀3歳牡馬賞を受賞。
旧4歳になってからも連勝は止まらず、6戦6勝でクラシック前哨戦へ。ところがそのレースでまさかの惨敗。その後故障が発覚し、春のクラシックは断念した。故障はかなり重度のものだったが温泉治療などで療養した結果快復し、秋に復帰。4戦3勝の成績で菊花賞へ。結果はダービー馬オートキツ以下に10馬身の差をつけタイレコードで優勝した。この年は年度代表馬はオートキツに譲ったが最優秀4歳牡馬賞を受賞。
旧5歳に入ると勝ち星を重ねて天皇賞・春に出走し、これもタイレコードで優勝した。
当時は大レースは春秋の天皇賞以外はなくそれも勝ち抜け制だったが、この年に新たな大レースとして中山グランプリ(後の有馬記念)が誕生した。
そして迎えた年末の第1回中山グランプリ。メイヂヒカリの他にダービー馬ハクチカラや天皇賞馬ダイナナホウシユウなど12頭中8頭が大レース覇者という豪華メンバーの中、メイヂヒカリは1番人気の期待に応え日本レコードで優勝した。
このレースを最後に引退。同年の年度代表馬と最優秀5歳以上牡馬賞を受賞した。
通算21戦16勝。「日本刀」と仇名される切れ味のある瞬発力をもっており、史上最強馬と評価する者もいる。また、日本で初めて引退式が行われた競走馬でもあった。 - 66二次元好きの匿名さん22/02/03(木) 16:17:19
名前聞いたことある
引退式はこの馬からなのか… - 67二次元好きの匿名さん22/02/03(木) 16:30:10
ハクチカラ
- 68二次元好きの匿名さん22/02/03(木) 23:37:54
保守
- 69二次元好きの匿名さん22/02/03(木) 23:49:11
- 70二次元好きの匿名さん22/02/04(金) 09:35:13
話を聞くと馬主としてはいい方だったんだなぁ……って
- 71二次元好きの匿名さん22/02/04(金) 17:29:04
あげ
- 72二次元好きの匿名さん22/02/04(金) 22:40:59
保守