この漏瑚が涙するシーンを虎杖の理論で考えると

  • 1二次元好きの匿名さん24/08/06(火) 01:47:04

    自分や仲間達の宿願を叶えるどころかその礎になれたかも怪しい状況に陥ったせいで自分の生に意味を見出せなくなってしまったけど、宿儺に認めてもらった事でまた自分の生に価値があったと自認できるようになったシーンって解釈になるのかな

    そう考えると宿儺も無意識ながら他者の生を肯定してる部分があるんだよね
    虎杖の「小さな記憶の欠片がどこかに漂ってるだけでもその命に価値はあった」理論が無敵論法すぎる所も少なからずあるけど

  • 2二次元好きの匿名さん24/08/06(火) 01:49:48

    呪霊如きが人間と同列の価値観で語るなよ

  • 3二次元好きの匿名さん24/08/06(火) 01:50:04

    宿儺がこのとき知らんと言ったものをこれから知りそう

  • 4二次元好きの匿名さん24/08/06(火) 02:05:02

    というか宿儺自身も五条先生に向かって「生涯忘れることは無いだろう」とか言っちゃってるから虎杖理論だと明確に生を肯定しちゃってるんだよね

  • 5二次元好きの匿名さん24/08/06(火) 02:26:33

    >>4

    別に宿儺は価値はないとも意味がないともだから俺は何も記憶しないとも言ってないぞ

    宿儺の言葉を信じるならすべてはどうでもいいことで良くて暇つぶしだし悪ければ捻り潰すってだけ

    五条との戦いはこの先思い出すだけでいい暇つぶしになるレベルのことだったんだろ、それは宿儺の中じゃ相当すごいことなんだろうが感慨とか名残惜しさとかましてや五条と出会えてよかったなって気持ちはない

  • 6二次元好きの匿名さん24/08/06(火) 03:03:39

    もともと宿儺は他者を全否定するスタンスじゃないよな
    人を殺すのは大好きだけど、興味が湧けばまともな会話もしてるし

    道端の虫をいたぶってる子供みたいな精神性だと思う

  • 7二次元好きの匿名さん24/08/06(火) 04:05:53

    >>5

    感慨は普通にあるんじゃないかな

    名残惜しさや出会いに良かったなんて気持ちが感じられないのはどこまで行っても自分が上だからで

    体験そのものについては凄くフラットな気持ちで向き合ってる

オススメ

このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています